はてなキーワード: 文化祭とは
特別な人がいる。今後も特別でいられるかはわからないので、今感じることを記録しておく。
高校では3年間同じクラスだった。1年生の4月、黒板の前で自己紹介をするその人の姿が蘇る。文化祭の話し合いを仕切る姿、汚くてごめん、と言いながら見せてくれた数学のノート。思い出そうとするとなぜか泣きそうになる。
教室ではあまり話さなかったけれど、驚くほど趣味が合う、のか合わせてくれたのか。
メールで日々のたわいないことを話しつつ、誘ったり誘われたり、イベントやライブに二人きりで出かけた。
大学に進学し、就職し、直接会うことも減ったが、もともと会話は多くなかったので、そんなに関係は変わらなかった。
悩んだ時、辛い時、いつもさりげなく慰め励ましてくれるのはその人で、この人のためなら何でもできるかもしれないと思い始めた。
謙遜がうまくてごまかされるけれど、とんでもなく賢くて、思慮深い人だ。感謝の気持ちを形にするのがうまくて、つられて自分も優しくなれる。
担任はともかく、音楽の先生は今年もうちの中学にいたら、一言言おうかと思った。
4月に異動しちゃったけど。
文化祭休ませることはあたしも考えた。元々行きたくなさそうだし。
息子と相談してみようかな。
文化祭休ませて遊びにでも行ったほうがいい
小学校の頃は、合唱の練習が始まると、こんな歌だよ、知ってる?って歌って聞かせてくれた息子。
担任の先生によると、中2になってから、合唱の練習中も全然歌わないらしい。今年は最後だから、何とかしたいって、歌わないことでR君が仲間外れとかになったら、可哀想なのでって、三者面談で言われた。
そういえば去年、合唱の練習中に、音楽のH先生がうちの息子だけ音をはずしてるって、みんなの前で言ったらしいので、それからじゃないですか?って言ってみた。先生もその事はちょっと知ってた素振り。
でも、息子は帰りの車の中で、「先生は何にも分かってない。去年クラスの子から、R君は音はずすから歌わないでって言われたのに。」って言ってた。
帰ってから、先生に電話してその事を話したら、「誰が言ったかはわかりませんが、今年は気持ちを切り替えて取り組んで欲しい。」って。
あ~、ダメだ、これって思った。
去年は音はずすから歌うなと言われ、歌わない子がいると減点されるから、今年は歌えと言われた息子の気持ちには誰も気づいてくれない。あたしは常日頃息子に、最低限やらなきゃならないことはやりなさいよって言ってるけど、親としても、息子がそんな扱いを受けてるのに、歌えとは言えない。
合唱は秋の文化祭で発表だから、合唱だけ休めとも言えないし…。
そういえば去年、いきなり少し歌って、「俺、そんなに音痴かなぁ。」って、あたしに聞いてきたっけ。その時に気づいてあげられればよかったのかも。
春のコミュ解禁した
あいつ好きになれないんだよな
「ペルソナ5 竜司 」ってグーグルに入れたら嫌いとかいらないとかってキーワードでてきてワロタw
水着だとどうも緊張感ないな
明智の声はなんか下手だなとおもってたけどほしそういちろうなのか
なんか昔に比べてカツゼツがすごく悪くなってるように聞こえる
ちょっとでも感情だすとそらのおとしものの主人公のようにきこえる
でも49のいしだあきらはばりばり現役って感じするし、単純に声優差なのかなあ
それともほしそういちろうはアニメだと違和感無く見れるのかなあ
紙芝居だと悪く聞こえるだけで
なんだ感情的な芝居もできるんじゃん
バレットバトラーズっていうエロゲにでてたときはもろにシャアっつうかシャア以下の棒読みだったからそういう演技しかできない&劣化したんだとばかり思ってた
あと11月半ば以降がコミュ上げの期限だと思ってたけど違うのね
あくまでもそれは太陽コミュだけでそれ以外はまだ猶予あるのかなーんだ
ざっくり計算してもうまにあわねーなと思ってたけどよかった
逃げるかのように学校の階段を勢いよく駆け下りて、自分の席に座ったところで目が覚めた
いい思い出だったかと聞かれたら、首を横に振る答えしか私にはないのだけど
プールの後に国語の授業で塩素の香りを感じながら居眠りをすることも シーブリーズの貸し借りをする男女も
生温い風を感じることも 嫌いな薬品の匂いがする生物室で昨日見たドラマの話をすることも 音楽室でいろんな楽器を勝手に見よう見まねで奏でることも 屋上で愚痴をこぼすことも 購買で苺のサンドイッチを買うために走ることも
全校集会、文化祭、修学旅行、遠足、新入生歓迎会、卒業式 よくある行事だけど 学生の時にしかない特別なイベントも
もう ない のか
無い
あ
嫌な思い出では ないのかもしれない
ただ、良くはない
だけど
しっかり覚えていることはあった
それでも良いのかもしれない
たぶ ん
暴力を受け隠しようがない痣と傷だらけで登校した日、気付いた教師は気付かないフリをしてくれた 人間なんだなと思った
別に助けてほしいと思っていなかったし期待もしていなかったから
後日その教師は私に好きなアイスを買ってこいと、200円を渡した
夏休みの間、アルバイトをしながら様々な努力をした 自分を変えたい一心で
気持ち悪いほど周りの私への対応が変わったくらいには変化がでた
見た目が変わって良かったとは思っているが、精神的な面は何も変わらないどころか精神病棟に隔離されるほど酷くなってしまった わけがわからない
外見への執着は増す一方で、内面の汚れは落としても落としきれない
見つめ直そうと思う
大きな課題
アイスでも食べながらなんでも受け止めることができる っていうくらいの気持ちで自分の悩みと向き合う時間も必要だ
もう寝よう
他の仕事は華やかでやりがいもあって、充実した毎日を送ることができる。
そんな馬鹿なことを私は本気で思っていた。
薬剤師の仕事は退屈だと思っていた私は30歳の時、自惚れもあっただろう、薬剤師の関係ない職場で働いた。
誤った決断でどん底の生活を経験し、資格無しの自分の無力さにあらゆる絶望を味わい、私はまた薬剤師として働いている。
薬剤師という資格、そして私が当たり前と思っていた環境がいかに恵まれていたか毎日噛み締めながら生きている。
この経験を「同じ失敗をしてほしくない」という意味で伝えてみたくなった。
興味があったら読んでみてください。
特に頭が良かったわけではない。高校時代、医師を目指し勉強したが、早々にその器ではないと見切りをつけた。
「これで私も薬剤師になれるんだ」
難関資格と言われる薬剤師になれるという喜び、そして人生においてある程度の地位は約束されたという自惚れた感情でいっぱいだった。
私の念願であったこともあり、学業に励んだ。資格取得は仲間との協力もあり順調だった。
そして資格取得後、教授のすすめもあり、私は病院勤務の薬剤師として働くこととなった。
夢の薬剤師。
仕事内容はおおよそ先輩方などから聞いてはいたが、薬剤師の仕事は思っていた以上にとても地味だった。
朝から晩まで閉鎖的な空間で調剤・監査。電子カルテに誤りがあれば医師に疑義照会をかけて煙たがられる。
私の働いていた病院は常連さんがほとんどだったから、毎日同じ患者さんの調剤。単調極まりない毎日の繰り返し。
休みもしっかり取れる
ただ、毎日続く変化のない仕事がとても苦痛に感じるようになっていた。
昔から人より向上心・好奇心が少しばかり強かった私は働き始めて早々に薬剤師という仕事は自分に向いていないのではないかと思ってしまった。
それからの3年間、わたしは毎日、薬剤師に向いてないと思いながら仕事を続けていた。
そんな私に転機が訪れる。
亜子は学力・見た目は私と同じくらいのレベルだった。ただ持ち前の明るさとリーダシップで常にクラスの人気者だった。私はそんな亜子に対していつも憧れと嫉妬心の入り混じった感情を抱いていたのを覚えている。
亜子は私立の工学部を出て、院を卒業後、大企業には行かず、メディアでも多く取り上げられるIT企業に就職し広報として活躍していた。
その亜子とここで出会ってしまったことがその後の私の人生を大きく狂わせることになるとはこのときは思いもしなかった。
薬剤師の仕事にくすぶりを感じていた私は、亜子に面白みを感じないことについての相談をした。
「うちの会社、今営業の中途採用積極的にやってるから来てみれば?薬剤師に縛られている必要もないんじゃない?」 <h3>o- *</h3>
薬剤師を捨てて働く
私は最初は戸惑いを隠せなかった。意外な提案に驚くとともに亜子が私を誘ってくれたという喜びで、冷静な判断力を失って
「ぜひ紹介して欲しい」
この安易な決断が後に私の人生を絶望の淵まで追い込むことになろうとはこの時考えもしなかった。
紹介を快諾すると話はトントン拍子に進み、亜子の紹介もあってすぐに内定、入社となった。
「私は刺激もなにもないお金だけの仕事をしたいわけではない。やりがいを感じられる仕事を一度やってみたくなった」
この思いを正直に伝えると面接官、特に社長は喜んでいたように感じる。
薬剤師になれたという過去の栄光、それだけを根拠とする自分の能力に対する過剰な期待感を持つ私は、
薬剤師以外なら上手にやれる。そう思える若さもあっただろうか。全く関係ないIT企業の営業職にチャレンジをすることになった。
全く未経験ゆえの新鮮さもあっただろうが、営業の仕事は楽しかった。自分でお客を開拓し、会社が持つ商品をお客様に合うように提案を考える。
活気あふれるメンバーと仕事を進める。毎日が文化祭のような楽しさがあり、長時間の労働も全く苦にならなかった。
楽だけど仕事は決まっている。そんな薬剤師の仕事とは大違いだった。
昔は想定できる毎日に楽しさ、興奮も見いだせずとにかく退屈だった。その苦しみから解放され、ちょっとした幸せを感じた・・・。
ただし数ヶ月して事態は一変する。研修期間を終え、営業に本配属になった。ここからは新人とはいえ営業成績が求められる。
3ヶ月が経過した。
私なりに死ぬ気でやったが成果は0だった。同時期入社の仲間の中でも最下位。
3ヶ月でこの状態だと、これまで優しく接してくれていた会社が途端に私に牙をむく。
数字の上がらない人間は非常に居心地が悪い。私がどんな人間なのかそんなことは数字を上げてから判断される世界。会議でも発言力はないし、何を話しても
「数字出てないやつがなにいってんの」
という顔をされてしまう。
チームで仕事はするけど結果を出すのは個人。最初は仲間だったチームメンバーもなかなか数字のでない私に「価値のない人間」のレッテルを貼り、人格すらも否定されているような気持ちだった。
思えば、病院だと患者さんが怒れば、ダメな私を叱りながらも、誰かが守り助けてくれた。主任だったり、先輩だったり、後輩だったり・・・。
でも、この会社では誰も助けてくれない。数字に追われひたすら動く。
そこに「やりがい」なんて洒落た言葉は一切存在しなくなっていた。
IT企業での給料はとにかく安かった。薬剤師の時には40万なんて当たり前だと思っていたのに・・・
転職時の私は根拠のない自信があったため、出来高の方にとらわれ基本給の安い契約も問題ないと思っていた。
それがこんなに厳しい生活になることを想定できていなかった。
基本給が23万円。
家賃、水道光熱費、食費、携帯代、交通費などを使えば、残り5万円。
毎日12時間以上も働いて、お客、上司に怒られ、身も心もすり減らしても、手元に残るのはたったの5万円。
5万円じゃ貯金ができないし、友人と遊びに行くにもお金のことを考えてしまう。当然外食なんてできない。
朝は仕事帰りに買ったおにぎり一個。お昼はコンビニ弁当かマクドナルド。夜は、コスパを重視してスーパーの安売り惣菜とライス。
本当に余裕の無い日々。何かトラブルがあれば、一貫の終わり。本当に危うい生活だった。
会社に誘ってくれた亜子も最初はランチなど一緒に行動することも多かったが、私の会社の立場を察してかあまり寄り付かなくなってしまった。
私は会社の中で完全に一人だった。。。
彼女は、早々に薬剤師を辞めて法律事務所の秘書になった。ただ、そのときは給料が安く、夜の仕事もしていると言っていた。
3年くらいは会ってなかったが、薬剤師をやめた同士話し合いたいと思って私から久しぶりに食事に誘った。
美咲は3年前より少し雰囲気が変わったように感じた。秘書という仕事、夜の仕事もやっていたということもあり、すこし派手な格好をしていた。
早速の仕事で悩んでいることを相談しようと思った矢先、美咲は私を絶望に叩き落とす言葉を放った。
「ごめん。なかなか言えてなかったんだけど、私。薬剤師に戻ったんだ。。」
美咲は続けた。
「薬剤士って地味な仕事だけどさ、職には困らないしやっぱスゴい資格だよ。変な欲なんて出さずにおとなしく薬剤師やってればよかったよね・・・」
「私って何をやってたんだろう・・・」
私は彼女の方針転換への失望からか、自分の過去を後悔し、将来への不安と虚しさと絶望で、理性を保つのでやっとだった。
やりがいだけを求めて、飛び込んだ一般企業でのチャレンジは失敗に終わったのだ。
復職をするにあたっては非常に厳しいのかなと思っていたが、薬剤師という資格は本当にすごい。
友人からの紹介、ハローワーク、求人サイト引く手あまたで驚いた。
IT企業で絶望的な苦労を味わったあとだからだろうか、以前の退屈な仕事に戻ってもかまわないとは思っていた。
できるなら、やりがいも感じられるそんな仕事があるなら探してみたいと思い人材紹介会社を中心に就職活動を行った。友人の紹介や、ハローワークでは出ていないような職場が存在して面白かった。
人材紹介会社が頑張ってくれて、資格も活かせて、やりがいも感じられる職場から奇跡的に内定をもらえた。
「苦労されている方だからこそ、こちらの内定取れたんだと思います」
と言ってくれた、あれこれ手を尽くしてくれ本当に大変だったと思う。(お世話になった担当者のYさん。ありがとう)
薬剤師の転職は、人手不足もあり簡単だと言われているが、事実そうだ。
給料がそこそこ貰え、
仕事をそこそこ楽しめ、
将来の安定もある。
私にはちょうどいい環境。
だから転職して、今までの悩みは笑っちゃうくらいサッパリ無くなった。
働く時間は半分程度だ。
30万円もあれば、固定費を払っても毎月15万円近く自由に使える。病院時代のように貯金もできるようになった。
仕事内容は商品の品質管理がメインで、新商品が出るときは企画会議から薬事申請の業務まで一通り携わっている。
病院・ドラッグストア勤務に比べて仕事内容も変化に富んでいるし、社内外問わず薬剤師以外の人との交流が増えた。刺激が多いのですごく楽しい。
何より「これってどうなんですかね?」と意見を求められる仕事というのが心地よい。
わたしの本心は「誰かに頼られる心地よさ」を求めていたのかもしれない。
薬剤師の活躍する場所はこれからも増え続け、薬剤師はもっと必要になる。薬剤師の資格がある限り、仕事が無くなることはない。
40代や50代になったら、どうやって食べていこうかと悩むこともなくなった。
正社員として雇ってもらえるか?
身をもって痛感したことだが、女性が資格を捨てて働くのは本当に難しい。
薬剤師の資格はこの上ないほど強力な武器だ。それを捨てるのは愚かなこと。
武器があるなら、それを使って有利に戦う。薬剤師の資格を持っているなら、それが価値を生む場所で働く。
薬剤師はどこでも人手不足だから、一般企業の世界でも薬剤師として、ものすごく重宝がられる。
薬剤師を辞めるなら、それなりの覚悟が必要だった。少しでも迷いがあるなら、辞めてはいけない。
薬剤師の資格を活かせる転職をすることをおすすめする。退屈な仕事が嫌なら、仕事は病院以外にも沢山ある。
でも、勤務先はじっくり選んで欲しい。上記勤務先でも当たり外れはかなりある
そのためには情報を集めなきゃいけない。
実際の給料は?
手当、残業代、ボーナスの有無、そしてその金額、福利厚生の内容も。
職場の雰囲気、仕事内容は?、仕事仲間がどんな人かも聞いておこう。
これをきちんと聞くだけでも、失敗の可能性は少なくなる。
そして「こんなこと聞いて変な奴だと思われたらどうしよう」とか遠慮したら終わり。
後悔したくないなら恥を忍んでとにかく聞く。
もちろん、面白かったひともいると思う。これはそういう人に向けて書いた文ではないので、引き返していただいたほうがいいと思う(と、予防線を張っておく)。
私はアガルタがつまらなくて、不快だった。この新宿のネタバレに溢れた話を、「新宿より先にやってもいい」と判断した運営には心底驚愕したし、はじめて運営の意見フォームから意見を出した。ツイッターでも正直につまらなかったと言った。
しかし私がここで書きたいのは、アガルタのどこがどうつまらなくて、どこがどう不快だったかという話ではない。そういうのは書きつくされていると感じるし、それを書くためにアガルタを読み返すことすらしたくない。
私がしたいのは、アガルタ公開後にツイッターで湧いて出た『考察』についての話である。
本編で提示されていない内容を元にした考察は全て妄想である、という話をしたいわけではない(その意見には全面的に同意だけど、妄想してはいけないというわけではない。妄想であることを自覚して欲しいとは思うけれど)。
ただ、私が見かけた『考察』のうち、どうしても思うところがあるものが二つほど存在し、その二つがどうやら同じモノを発端として発生しているような気がしたので、ひとつの覚書としてこれを書いている。
先に言っておくと、「だからどうした」みたいな話だ。単なる思いつきのメモである。でもどうしても、それこそ「吐き出したく」なったので書く。
※あ、ここから先アガルタの根幹に関するネタバレが存在するので、アガルタ未クリアのかたはご注意下さい。
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というわけで、『考察』の話をしよう。
ひとつは、『アガルタ』のつまらなさ(『平坦さ』『薄っぺらさ』)はある程度意図されたものである、という『考察』である。
『アガルタ』はすべて『不夜城のキャスター』が紡いだ物語である。故にお伽噺のように平坦だし、寝物語のように淡々として、即興で紡いだがゆえにちぐはぐであり、ご都合主義がまかり通る。そういう意見である。これはかなりRTされていたように思うので、見かけた人も多いのではないだろうか。
この考察は『本編で提示されていない』とまでは言えない。『アガルタ』が不夜城のキャスターの宝具によって紡がれた世界である、というのは、本編中で示唆されている内容だ。
「『アガルタ』は、(15節まで)不夜城のキャスターが紡いだ『物語』である。」
問題は、これがどうして「だからつまらない」となるのか、という話である。不夜城のキャスターは千夜物語を紡いだ語り手だ。「つまらない」話など紡いだらその場で殺される、そういう状況で語り続けた語り手なのだ。その彼女が紡いだ物語が「つまらない」ものであるはずがないし、「これが不夜城のキャスターによって紡がれた物語である」ということを示すために「つまらなさ」を選択する必要はない。
例えば、必要以上に大げさな展開・カルデアとはかけ離れて愉快な配役のキャラクター・荒唐無稽で「楽しい」物語。学園モノで言う文化祭のような? ──そういったものでも「これは『物語』である」ということを示すことは十分に可能なはずだ。普通に考えて、ソーシャルゲームという「飽きられたら終わり」の世界(これはある意味「飽きたら殺される」不夜城のキャスターが置かれていた状況に近いとも言える)で、わざわざ意図して「つまらない」物語を提供する、そんな作り手が居るはずがない。っていうか「つまらない」と自分で思っている話を15節も書き続ける苦行をやる書き手がいるか?
というわけで、この『考察』は間違っていると私は思う。『物語』である部分は正しいかもしれないけれど、「だからつまらない」という理由にはならない。
……が、私が今言いたいのは、この『考察』が正しいかどうかについてではない。
こちらの『考察』は、「マシュ・キリエライトは1.5部でビースト化の道を辿っているのではないか」というものである。
この『考察』は、不夜城のキャスターが不用意に放った発言に対し、マシュが「貴方は私達の逆鱗に触れました」(だっけ? 読み返していないので正確なものではないけど、ニュアンスとしては間違っていないはず)と発言したことに端を発する。
状況としては、(これは何処かで見た表現なのだけど)「交通事故遺族のマシュに対して、不夜城のキャスターは、マシュが交通事故遺族であることを知らずに『交通事故って一瞬で死ねそうで羨ましいです』と言った」と理解するひとが多いと思う。個人的には、ロマニ・アーキマンは自らそれを選び取った(けれど、決してそうしたいわけではなかった)という点において不十分なたとえである気もするけど、まあ、その点はさして重要ではない。問題は、このマシュ此処で不夜城のキャスターに対して『キレた』ことが、今までのマシュのキャラクターからすると不自然である(と感じたユーザーがいる)ため、これはマシュが『変化している』ということではないか、ということから生まれた仮説である(と思う。違ってたらすみません)。
この『考察』については、1.5部のラストに辿り着くまで、正しいかどうかはわからない。わからないが、私はこの『考察』にも違和感がある。
何故なら、このマシュの言動に対して、主人公やダ・ヴィンチちゃん、シャーロック・ホームズというその場に居た面々が、違和感を覚えている描写が存在しないからである。
物語として仕組まれた『変化』なら、それが『変化』であるということも同時に示されるはずだ。ダ・ヴィンチちゃんが違和感を覚えるのでもいい。主人公がマシュを諌めるのでもいい。六章でマシュを激励したところのホームズだって、その役目を負うに十分だろう。けれども彼らは、マシュの『変化』に気付くことはなく、心情に理解を示した。ならば(素直に読み解くのならば)、ストーリー上は引っかかるように書かれた部分ではなく、マシュに『変化』は存在しないということだ。あれだけわかりやすく(傍点まで使って!)不夜城のキャスターにマシュを挑発させた書き手が、ここで示したかったのがマシュの『変化』であり、それがビースト化の布石であるというのなら、その『変化』はもっとわかりやすく、そう、【作中の誰かが危惧を抱く】という形で提示されるはずだろう。
……それで? と。
この『考察』が気に入らないのはわかったけれど、だから何なのか、と、そろそろ思われている頃だろう。というわけで、結論に入る。
これらの『考察』は、つまり、『公式が提示したものを批判してはいけない』という、ツイッターランド特有の文化から生まれた『考察』と言う名の言い訳なのではないだろうか?
「つまらなかった」「マシュのキャラが解釈違い」は推奨されるツイートではない、けど、自分が感じたことが正しくなかったとは思いたくない。だから彼らは『考察』するのだ。
「つまらなかったけど、つまらなかったとは思いたくない」→「つまらなかったのも公式が意図したことであれば、『つまらなかった』と思うのも当然!」
「マシュの言動に違和感がある。これは(私の考える)マシュじゃない」→「マシュの言動に違和感があるのは、公式がそう意図して表現しているから!」
……こうして『考察』することで、「自分は公式を『批判』しているのではない、寧ろ公式の意図を正しく汲み取っているのだ」と言うことができる。自分が行っているのはアンチ行為やヘイトではなくファン活動であると思うことができる。
「つまらなかったのも公式が意図したことであれば、『つまらなかった』と思うのも当然」という言説は、「面白かった」と感じた人の感じ方を「公式の意図を汲んでいない誤ったもの」にしてしまうことや、「マシュの言動に違和感があるのは、公式がそう意図して表現しているから」という主張は、マシュの怒りを当然のものと受け取った人の感情を「ビースト化に繋がるもの」と見做していることに、彼らはもちろん気づかない。
アガルタのマシュが解釈違いだったなら、解釈違いだったと言えばいい。
『考察』といういかにも理性的に見える言い回しで、貴方は、他人の感じ方を(ただ「つまらなかった」というよりもずっと強く)否定してはいないだろうか?
貴方の『考察』は、自分が公式に抱いた負の感情を、無理やり納得させるものではありはしないか?
つまらないものをつまらないと言えない世界には、『考察』という名の妄想が蔓延る。
公式とファンの距離が限りなく近づいた昨今、願わくはその妄想が、公式に逆輸入されてしまうことがありませんように。
(これでもしマシュのビースト化がきたとして、それなりの描写があれば受け入れないことはないけど、「アガルタから布石はあった!」って言われたら、さて、どうしようかなあ……)
母さん
驚くべきことが起きました!
デートに誘われたのです
7月2日、日曜に
元々は
友達と行くつもりだったそうですが
友達がどうしても行けなくなったので
代わりに僕を誘ったとのこと
でもまだ本決まりではありません
保留にしてしまい
まだ答えていないのです
要するに僕は
最高の最高
ギリギリの
僕は平静を装って
どったの急に
それじゃあ一応
日曜確認してみるわ
と言いました
しかし内心は
冷静なはずがありません
まさか僕が
そんなことは
一生無いと思ってました
小5の時に
異性を意識し始め
しばらくは自分なりに
かっこよくやってたつもりでしたが
男だらけの世の中は
テレビの声も
一人ではどうにもならなかった
カラ元気は余計に空しくなるので
気付けば僕は
無口になっていました
やがて僕は中学生になり
強烈な中二病が訪れました
派手に暴れたりはしません
とにかく僕は
一秒でも口を開くのが
嫌(危ないから)という設定でした
同じクラスにいながら
僕もいつのまにか
それに慣れていました
僕は僕に対して
静かに諦めていたようで
それはもしかしたら
心が死んで
数年間
僕の恋人は
ロックだけだったことが
原因かもしれません
結局聞き専の僕がモテることはなかった
僕ももう高二です
以前に比べれば
僕の人間性は
ずいぶんましになりました
少なくとも
気になる女子と
挨拶ぐらいは交わすし
時々
あれいいよね〜なんて
話したりします
(PINBALLS以外は正直微妙だと思ってるけど)
ごくたまに
しかし!それにしても!
今回のライブの誘いには
驚いています
まだ実感がわかず
フワフワしています
浮かれているわけではないですが
どうにも顔がにやけ
授業になりません
それで僕は
保健室に行くふりをして
授業をさぼり
空き教室に入り
こうして驚きを綴っているのです
日曜のライブは
僕の大好きなアーティストです
それは当然です
僕はあの子の影響で
そのアーティストの
まだロックにハマりたてだった頃
そのアーティストを見下していました
けっこう昔の話です
あの子でした
素晴らしいバンドだった
そういえば
母さんともこのバンドについて話した事がありました
母さん
ところが何もかもはうまくいきません
さっきはてブのホッテントリを見たらウキウキのおっさんお義父さんが
増田を書いていました
僕はどうすれば
変なことを言うのがいます。
そもそも、部活動は学校教育の一環で行われている訳で、学校のリソースを使いまくって行われています。
中学校は授業と部活だけではなく、体育祭や文化祭などいろいろなイベントがあり、実行委員になってしまう場合もあるのです。
そういった委員会などで、たまたま放課後遅くなって部活に出られなくなってしまうことも。
そんな時、部活のLINEに「学校のことを部活に持ち込まないで!」と流れてくるのです。
私は「中学の間はLINEの内容はたまに覗きますよ」と言って、スマホを渡しています。
なので、部活のLINEも、クラスの男子にちょっかい出しているLINEも、たまにチェックしています。
部活に熱心なことは悪いことではないのですが、過度になってはいけないと思うのです。
部活に熱心な先輩たちは、かなり勉学がヤバイらしと娘が言っています。
勉学がおろそかになるような部活動ではまずいのではないでしょうか。
かと言って、その先輩たちが強いのかというと、そうでもなく、
市内の大会では1位や2位になれても、地域の大会ではボロ負けするレベルでしかないのです。
文科省は中学の部活動は、週に2日以上の休みを設けるように指針を出していますが、
定期テスト1週間前は部活動は休みと学校が決めていますが、先日は期末テストの前日に大会があり、
娘は試合に出るわけではないのですが、微熱を押して参加しました。
夕方帰宅したときには38度を超えていて、期末テスト1日目を休みました。
(学校を休んだ日、ちゃんと寝てるのか覗いたら漫画読んでいたので、期末テスト云々はあまり言いませんけど。)
まあ、いろいろ思うことはありますが、その先輩にちょっと言ってやりたいことはあるのですが、
なんせ、子供同士のLINE内のことなので、娘の立場とかも考えると・・・。
でも、その先輩は娘の友だちにも、「習い事とかで部活休むのは基本禁止だから」とか、
「私たち3年も習い事をやめたりしている」などとLINEを送ってきていて、おいおいと。
そんな先輩がいるので、娘たちの代は、何人も辞めてしまいました。
先輩たち、今の3年生は、試合に出られる人数は揃っているのですが
娘たち2年生は、新たに入った1年生と合わせても、試合に出る人数になりません。
今の3年生は、自分たちが勝つことだけを優先して、
後輩を育てず、試合にも使わず、自分たちの思い出づくりだけをしているように感じています。
懐かしいし! 微笑ましい!
私も、嫌いな先輩がいたな。
娘と同じく、ただただ、先輩を怖がっていたな。
アホだったし、アホ発言していたなと。
自民党ちゃん「今年も文化祭の出し物を決める時期となりました」
公明党くん「去年のうちのクラスのお化け屋敷大成功を受けて、他のクラスはみんなお化け屋敷みたいなんだよね」
自民党ちゃん「ならうちが喫茶店をやれば、また突出できるわけね」
共産党くん「素人が食べ物を扱うのは危険!食中毒とか出ると危ない!」
東京・生活者ネットワークちゃん「私も食べ物扱うのは危険だと思う」
自民党ちゃん「ちなみに去年も一昨年も、他のクラスの喫茶店では食中毒は出ませんでしたが」
共産党くん「出るかもしれない!怖い!」
共産党くん「はんたーい!」
東京・生活者ネットワークちゃん「はんたーい!」
社民党ちゃん「はんたーい!」
都民ファースト先生「自民党ちゃんと公明党くんは喫茶店がやりたくて、共産党くんたちは反対してお化け屋敷をやりたいわけね」
公明党くん(やっぱり都民ファースト先生は大人の色気が・・・自民党ちゃんから乗りかえようかな・・・)
東京・生活者ネットワークちゃん(都民ファースト先生超綺麗!濡れちゃう!)
都民ファースト先生「では、先生が持ち帰って精査したいと思います!つまり、先生が決めます!」
都民ファースト先生「あなたたちでは決められないからよ。それに、去年のお化け屋敷は、自民党ちゃんが公明党くんをヨイショするために強引に決めたって聞いたわ。職権乱用よね」
自民党ちゃん(ぎくっ)
数日後...
自民党ちゃん「先生!文化祭の出し物はまだ決まらないのですか?」
都民ファースト先生「他のクラスの出し物のリサーチとか、過去の出し物で成功した事例とかを調べるのに大変なのよ」
さらに数日後...
自民党ちゃん「先生!さすがにそろそろ準備を始めないとまずいと思うのですが」
都民ファースト先生「決まったので発表します。わがクラスが今年の文化祭で出す出し物は・・・お化け喫茶店です!」
自民党ちゃん「折衷しただけというか2つの案を合わせただけじゃねーか」
共産党くん「喫茶店は食中毒とか出ると危ない!はんたーい!お化け屋敷!お化け屋敷!」
東京・生活者ネットワークちゃん「お化けが入ってるから私は賛成」
自民党ちゃん「次の文化祭のクラスの出し物を決めたいと思います」
共産党くん「食べ物を扱うのは危険!食中毒とか出ると危ない!」
東京・生活者ネットワークちゃん「私も食べ物扱うのは危険だと思う」
自民党ちゃん(出ないようにちゃんとすれば大丈夫だと思うけどなぁ)
公明党くん(お化け屋敷は僕もいいと思ってたんだけど先に言われてしまった)「別のクラスも喫茶店をやるって噂だから、お化け屋敷がいいと思います」
自民党ちゃん「お化け屋敷は準備とか大変なんだけど、他ならぬ公明党くんの頼みなら仕方ないな」
自民党ちゃん「他に案がないようなので、お化け屋敷に決めたいと思います」
自民党ちゃん「具体的にどういう形にしていくのか決めていきましょう」
公明党くん「浴衣とかを使うより、古着を持ち寄ってそれをびりびりに切り裂いてゾンビ風にしたほうが安上がりだし臨場感あるよね」
自民党ちゃん「生徒がゾンビ化っていう形にして、教室って立地を生かすわけね」
公明党くん「血糊は絵の具を上手く使うといいよ」
自民党ちゃん「大まかな方向性は決まったから、あとは細かいところを詰めていきましょう」
文化祭終了後...
自民党ちゃん「大盛況だったね」
公明党くん「喫茶店ばっかりの中、いきなりお化け屋敷っていうのが刺さったね」
共産党くん「お化け屋敷すごかったっしょ!?俺天才っしょ!?」
公明党くん「お前言いだしっぺだけど具体的にどうするかについて一切議論に加わってないだろ?」
出社前に書いて,翌日の朝みたら
なんか凄まじい数のブックマークとコメントを頂いてしまったようで
こういう事を知りたいぞという意見が多そうな内容について追記します
追記する内容は
勉強した結果ついた職種についてどう思っているのか・今どう感じているのか?
になります
中学時代は適当に授業を聞いて提出物を出すだけで私はトップの成績でしたし
周りの塾に行っている連中に負ける気は全くありませんでした
その上,成績に対して褒めて貰えるのは周りの友人達だけでしたから
高専に入って
数学や物理,化学,電気回路,電磁気,4力なんて科目が始まりました
例えば中学時代の数学の証明であったり,微積の計算の仕方であったりに
クラスのみんながなぜ質問をするのかが理解できないし,それに時間を取られるのが凄まじくイライラしました
そして高専に入学してからの3年間は勉強に熱を入れることもなく
テキトーに講義を聞いてまあクラスの10番くらいに入っていました
そして,傲慢な私は必至に勉強をしているクラスの皆を見下すような視点を持っていたと思います
そんな状況や価値観がぶっ壊れたのが親に学費を自分で払えと言われて
一時期成績が下がったこと
他の連中にできるはずのことで負けているという事実に我慢がならなくなりました
誰も褒めてはくれません
他の人から頑張っているなあとか言われても同情されているようにしか感じません
成績でも負ける,経済力でも負けるそんな状態でいるのは耐えられないと感じました
じゃあせめて私の臆病でちっちゃな自尊心を満たすためには
奨学金を借りて,つまらない勉強で負けなくなることが必要だと感じました
それでちゃんと勉強をするようにやっとなりました
そのあとなぜ,大学に進もうと考えたのかですけれども
一度成績が下がったり,奨学金を借りなければならない状態になったことで
私は自分がどうしようもなく考えが足りず,弱くて,無力な人間であると感じていました
また,親の考えに従って,自分の考えを持たずに高専に進学したことを後悔していました
私は何が得意で私は何をやりたいのか?
それがまったく分かりませんでした
部活で人とコミュニケーションを取って,みんなで何かを達成するにのは楽しい
何をして,どんな仕事につけば自分を認めれるのか全く分かりませんでした
そして少なくともつまらないと感じている,高専の教員の言う『技術者』になることは正解ではないと
私は考えました
できればいろんな学部があって,いろんな人がいて,いろんな歴史のある大学がいいと考えて
進学先を選らぶことにしました
自分の住所を持ちました
クレジットカードを持ちました
他の学部の友人ができました
色んな人と話して
色んな人とお酒を飲んで
色んな世界があるって知りました
私がこれまで見てきた世界は
親父が買ってきた半額の鱈で家族みんなで鍋をつついたり
PSPを改造してみたり
日本橋の何に使うのかわからないような電子部品を売っているお店で色々買ってきて電子工作してみたり
寮で麻雀や酒を飲んでみたり
大学に入って
色んな勉強をしている人と会って
自分と同じくらい勉強ができる人でもたくさんの考えかたで勉強し続けていると感じました
部活動やサークルでも高専のころとは違う世界を見ることができました
文化祭の規模の違いとか
歴史や人の強さを感じながら
それをやっている皆が,勉強して努力しながら自分のやりたいこととも両立させているように感じました
全てが違います
研究者になりたい人たちにとって
今現在の工学分野の研究において弱い研究室に行く理由は1ミリも存在しないでしょう
また学部で時間があるときに,3社ほど企業のインターンにも行きました
やる気満々の学生が集まっていて刺激を受けました
その仕事をほんとにやりたいを思っていると感じることができました
私がこういった世界を知ることができたのも
工学に本気で取り組んでいる,学生やポスドク,助教などといった人たちは
凄く面白い人たちで彼らの信念や考え方に触れることができるお話を聞いたりお酒を飲むことはすごく楽しいことでした
けれども私がやりたいことが何なのか分かりませんでした
結局大学院まで来ましたが,私は何をやりたいかわからなくてここまで来たのです
私はずっとそれを逃げていると感じていました
世の中はやりたいことを見つけて生きている人たちがいます
地元で美容師に坊主や大工やとび,車のディーラーなんかをやって
彼らが大好きな家族や仲間と過ごし
みんな高専の同期です
みんな大学の同期です
私は彼らが羨ましい
彼らだって思い悩んで生きているはずです
自分だけが思い悩んで生きてるわけじゃないことはわかっています
でもわからないのです
自分が何をしたいのか
自分が何をしたら後悔しないのか
緊張紛らわすためにワインを飲んで
その結果,
就職活動の時期になっても私にはまったくどの企業に入りたいとか
どんな風なことをしたいとか
そういうのがなかったのです
たくさんの企業を受けました
どんな製品を作っているとか
売上高の大きさとか
でも説明会に行っても
生きているのかわからないわけです
同期や指導教授からもそろそろ決めたらどうだと言われても続けました
いろんな会社の方に褒めてもらいました
いろんな企業があっていろんな職種があっていろんな生き方があるみたいでした
インフラストラクチャーを整備して世の中を支える?
どれも魅力的ですどれも面白そうです
インフラより給料が高いし,実家に近い位置でも働けるかもしれません
でも文系で社交的な生活を4年間続けてきた上澄み相手に戦えるでしょうか?
でかいことをやりたい気持ちはあっても命を差し出す危険性もあります
インフラは絶対潰れないし,自分の時間を他の職種よりも多くとれそうです
でも給料は少ないし,転勤も多く,同じ仕事が続くかもしれません
渋っていると何回か懇親会を開いていただきました
そこで実際にどのような人がどのように働いているかをお酒の席でお聞きしました
まあ囲い込みの為にじっさいよりもマシマシで説明をされたとも思います
そのうちのある企業の課長さんが何度も勧誘にきてくださいました
その人にまあ4時間かけて私がどんな風にその会社に向いているのか熱弁していただきました
またその企業なら私が面白くないと思ったときにやめれるしやめた時の転職にも有利だということ
起業やMBAやらの取得についてもうちの会社なら有利だということ
そして何よりもその会社の業界ならば色々な他の業界との付き合いがあり
色々な世界が見えると熱弁されました
私はその会社に行くことを決めました
そこまで私が欲しいと思われていることもうれしかったですし
こんな感じで私の就職活動は終わりました
少なくとも後悔しないだけ努力して,自分で選ぶ為に選択肢を増やすことはできたと思います
それに土日にアルバイトもしなくていいです
ただ社会人になって不味いと思っているのは目標が見えずらいということです
それが社会人だとすごく見えずらいです
なんで目下の目標は結婚とあと社内のMBA選抜?とかいうのに受かることでしょうか?
ただ私としては恐らく結婚が私の人生の中で最大の難易度になるんじゃないかと思っているんですけれども
まあ恐らくこの会社に入ったこと自体は成功であったと感じています
なのでまだまだ中学・高専・大学・大学院の同期には追い付けていない気がします
最後に
このような長文を読んでいただき本当にありがとうございます
自分でやりたいことに対してそれに耐えるだけの体と頭を与えてくれた両親に感謝しています
私の書く稚拙な文ではあるんですけれども
たくさんの意見を書き込んでくださって,いろんな意見と出会えることになって
よかったと思います
ジャパリパークは個性を認め合う社会だ。人間と違って野生動物はできることよりもできないことのほうが多い。大抵の動物は泳げないし空も飛べないし足も大して早くない。だからこそ、擬態がうまいとかジャンプ力が高いとかとか、できることが光る。できないことはできなくてあたりまえ。でも、できることはすっごーいと褒め合う。この多様性を認め合う姿勢こそがジャパリパークの素晴らしさだ。
中学生の時、勉強の大変さからやる気を無くして不登校になった俺は、そこしか行けるところがなかったから偏差値30の高校に通った。今思うと、偏差値30の高校は、間違いなくジャパリパークだった。周りは不良や元不登校ばかりだった。俺も含めて皆親が貧乏だったし、勉強も進学校と比べるとおままごとのようなレベルだった。でも、だからこそできることが光った。皆個性が強かった。
アルファベット26文字すべて書ける人はすごい、分数の割り算ができる人はすごい、アルバイトで月15万稼ぐ人はすごい、学校の近所の卵が安いスーパーを知っている人はすごい、いけすかない先生をぶん殴って退学になった人はすごい、休まないで学校に来る人はすごい、宝石職人の息子で文化祭の時ものすごい精巧なお化け屋敷を作った人はすごい、現在形の英文を過去形に直せる人はすごい、二次関数の頂点の位置がわかる人はすごい、大学に受かった人はすごい、就職できた人はすごい、ちゃんと卒業した人はすごい。偏差値30の3年間は、肯定の言葉にあふれていた。アルファベット26文字を書くなんて下手したら小学生でもできることだ。でもそれができることは、傷の舐め合いでもなんでもなく、心からすごかった。できないからって馬鹿にするやつなんて居なかった。
現在、俺は偏差値が高校の倍くらいある大学で工学を学んでいる。高校で科学の面白さを知って大学で科学の勉強がしたいと思ったからだ。教育環境は間違いなく向上した。ちゃんと大学レベルの講義を聞けるし、私語をする人はいないし、講義中に紙飛行機を飛ばす人も居ない。でも時々、大学の「できて当たり前」という環境が少し嫌になる。お前はテイラー展開が出来ない。お前はTOEICで500点すら取れない。お前はルジャンドル変換が出来ない。お前はシュレディンガー方程式が解けない。多少のできることよりも、できないことで評価される。それがダメだとは言わない。競争する環境では当然のことだ。競争が悪いことだとは決して思わない。仮に今中学3年生に戻れるとして、俺はきちんと勉強をして進学校を受験し、競争する道を選ぶだろう。減点方式の評価は悪いことではない。でも、なんだか時々、ジャパリパークのようだった偏差値30の母校がどうしようもなく懐かしくなる。
ラーメンズ、椎名林檎、星野源、古屋兎丸、写真、映画、舞台、漫画、文学、美術館巡り、丸フレームの眼鏡、短い髪、あとヴィレヴァン。
世間ではこういうのを好む女をサブカルクソ女と呼ぶ。そうとも私はサブカルクソ女。上にあげたやつ全部好きだ。今月なんて稼いだバイト代ほとんど全部小林賢太郎とペトロールズにドバドバ注いだせいでおやつを買うお金がなくて今は小麦粉と砂糖を牛乳でといて焼いた何かにマーガリン塗って食べている。美味しい。
スイーツ()もキモヲタもひどい呼び方だ。なぜ西野カナが好きなだけで()なんてつけられてバカにされねばならぬのだ。なぜ推しへの情熱をキモいなどと呼ばれバカにされねばならぬのだ。
なぜだ。なぜ好きなものを好きだと言っているだけで私たちはクソなどと呼ばれバカにされねばならぬのだ。何が好きなら文句がないんだ。
置いとこう。きっと何を好きでも文句いう奴はいなくならないんだろう。
しかし、サブカルクソ女などという不名誉な呼称が広く使用されている以上、呼ぶに値するような、何か共通項を複数備えたクラスタが存在するのは事実なんだろうとも思う。
一体何が原因なんだろう。共通項の根幹はどこにあるんだろう。私は私のことを知りたい。
親の年収?
うちはトータル1000万くらい。親が若い頃はもっと少なかったかな。
学歴?
私は普通の共学の進学校からそんなでもない国立大に進んで理科学んでる程度。
クラシックのコンサートや博物館や科学館にはよく連れてってもらったけど、演劇や美術館には自分で目覚めたかなあ。
というかサブカルクソ女のみんな、絵でも小説でもダンスでもなんかしら恒常的に作品作ってない?あるいは作りたい欲求ない?私映像作ってる。あんまり人に見せないけど。
役者とかやってみたいと思ったことない?私はブスで勇気が出ず結局できなかったけど、文化祭で演劇打つ時なんか側で関われるだけでとても楽しかった。
人と目を合わせられる?劣等感多くない?自信がないのを奇抜な服装でカバーしようとする気持ちない?
こんな風に色々聞いてみたいことがある。あーあ、もっと拡散力あるツイッターアカウントとか持ってたらアンケート取ってみたいんだけどな。