はてなキーワード: 冷血とは
私は典型的な理系人間で、今はありがたいことに理学分野の研究者という地位を頂いている。そういうバックグラウンドがあると、他人からは「論理的思考力」とやらを評価されることが多い。私はどうやら「論理的」な人間らしい。みんなが言うならそうなんだろう。同業者の自己評価も「私は論理的」というものが多いと思う。
「論理的」と言うと、褒め言葉に聞こえる。しかし私は、そう言われる度に、チクリと痛む棘が潜んでいるようにも感じる。思えば小学校、中学校くらいまで、私の思考が「論理的」であるとして褒められた経験など一例も思い浮かばない。それ以上に思い浮かぶのは、「理屈っぽい」という蔑みの言葉だ。「理屈っぽい」という言葉には、「おまえは冷血で、人の心を持たない、人外の怪物だ」という、拒絶の意志が込められていた。
当時の私にとって最も屈辱的だったのは、「私の感情が無視されていた」ことだった。決して、「論理的、と褒められないこと」ではなかった。私は私なりの「感情」に突き動かされた行動をしたに過ぎないのに、そこで私の「感情」が評価されることはなく、ただ「みんなの感情を無視した」行動として評価されることに、途方もない理不尽を感じた。「正論だけじゃなくて、みんなの気持ちも考えて」と言う人が、「私の気持ち」を考えてくれたことは一度もない。私はそれが悔しかったのだ。
かつて、自閉症スペクトラムの人々は、共感能力に乏しいと言われてきた。しかし、比較的新しい京都大学の研究によれば、自閉症スペクトラムの人々は、ただ定型発達に対する共感能力に乏しいだけで、同じ症状を持つ人同士では高い共感能力を有しているらしい。
https://news.mynavi.jp/article/20141111-a322/
私個人が発達障害かどうかは、診断を貰ったことがないのでわからないが、共感する部分はある。障害と定型の間に線引きはないとの前提に立てば、まあそういう要素が私の中にあると思っても問題ないと思う。私が求めていたのは「私なりの感情を感情として認めてもらうこと」であって、「感情の排除」ではなかった。
「私は論理的」というアイデンティティを掲げる人がインターネットにはたくさんいると思うけど、それは果たして本音だろうか?と私は考えてしまう。私が見るに、彼らの多くは随分感情的だと思う。私はそれを良いとも悪いとも思わない。ただ、「私は論理的」という強がりが、彼らを守る鎧なのかなと思ってしまう。貼られ続けたレッテルが、アイデンティティに転ずる現象はよくある。マイノリティのコミュニティで、「真の」マイノリティのような言説が時に権力を翳してしまうのと同様に。人種・LGBTQなど、様々な場面で当てはまるだろう。「理屈っぽい」というレッテルを貼られ続けた人々が、「論理的」と言い換えることで、自分を守っているように見える。
「おまえ俺の事バカにしてるだろ!」と因縁をつけてくる人に、「バカにしてるけど、それが何か?」と返すのは溜飲が下がるかもしれないけど、そんな風に自ら孤独を作ることは、あなたを孤独に仕立てあげたい人間の思うつぼでもある。あなたが本当に言いたいことは何なのか。彼らが本当に言いたいことは何なのか。ネットミームとレッテルで思考放棄するばかりではなく、再度考え直してみる必要があるんじゃないかな。
時々ふと思い出す、数年前に死んだ愛猫のこと。思い出すたびに胸の底が冷たくなる。
先に書いておくが、飼い主としてとかではない。私は猫は好きだけど飼い猫にイマイチ愛情を持てなくて、他の家族が可愛がっているのを遠目に見ているくらいだ。
数年前に死んだ猫は私が小学低学年の頃に母が知り合いからもらってきた猫で、大柄で毛が長くて臆病な子だった。
先住猫が既に1匹いたが、結局最後まで仲良くはなれなかった。
若い頃から晩年まであんまり活発的に動くこともなく"ネコ"の名に相応しいくらい寝てばっかりだったし、そのくせ食い意地だけは張っていて、人が何かを食べていると結構な確率で起きてくる。あと人馴れもしなかったんだけど、亡くなる少し前には何故かとても人懐こい猫になっていた。
私は飼い猫が嫌いってわけではなったけど、他の家族が飼い猫のことをずっと可愛がっていたから、ほっといても誰かがやってくれるし世話もしなくて良いや〜っと思っていた。事実、母が頻繁に餌をやっていたし、父は凄く凄く溺愛していた(+トイレ掃除)し、妹は散歩に連れて行ってあげていたので、私の出番は殆ど無い。別にやりたいというわけでもないので、特に何も気にすることはなかった。
飼い猫が亡くなる数ヶ月前、家族で行った買い物先から帰ったところ、キッチンの床に血が付いていた。みんなビックリして何の血かと探したら、飼い猫の口周りに血が付いていた。痛そうにしてるとか怪我してるとかもなくて、本当にいつも通り座っていたものだから「鳥とか生肉とかでも食べた?」と考えたりもした。
次の日に大事な親戚の集まりがあって、どうしても欠席は出来なかった。まー普通にしてるし、大丈夫でしょ。みたいな雰囲気になったけど、私は心配で仕方なかったので、飼い猫を壊れかけのキャリーケースに詰めて、検索して出てきた遠くの夜間病院まで行った。
もう終電間際だったから途中で電車が無くなったので、深夜の住宅街をひたすらに歩いてやっと着いた病院。結果は何にも無かったんだけど、何かあったらいけないからということで獣医さんが紹介状を書いてくれた。
それから紆余曲折あって、数ヶ月後に突然死してしまった。今回の話とは関係ないので端折るけど、良い死に方はしなかった。厳密に言えば母のせいではないんだけれど、母が発端となり亡くなってしまったので、母は一時期とても落ち込んだ。
で、初めて飼い猫が死んだので知らなかったんだけど、火葬用の車が家の近くまで来てくれて、一応葬儀らしきものをしてくれるらしい。私は暇だったから参加することにした。父と妹はどうするんだろ?と思っていたところ、二人は「欠席する」との事だった。
え???父は元々冷血漢だから別にだけど、妹はイベントか何かがあって行かれないとかで???ん??あんなに可愛がってたのに????世の中にはペットが死んだ場合に有給の申請が認められてるらしいが、我が家では誰も取る人がいなかった。この記憶が、私の中の心がヒヤッとする思い出の一つである。
葬式は、母が終始大号泣、葬式を取り仕切ってた人(?)もつられて大号泣、安っぽい小サイズのスピーカーから流れる安っぽい音のG線上のアリア。私はこういう"ほら、泣けよ"という演出(捻くれててすまない)が昔から苦手で、気持ちが冷めて二人の雰囲気にどんどん置いてかれて居心地が最高に悪かったことを覚えてる。あと当たり前なんだけど、死後硬直した猫って人形みたいな感じで、死体がすごい苦手なので触らなかった。生前は触れてたのに。
大体1時間くらい近所で骨を焼いて、戻ってきた。母はまた泣いてたけど、私は何も感じなかった。死んだと聞いた時も、葬式の間も、骨になって帰ってきた時も、今もずっと。
何も無いというか、10年以上居た飼い猫が死んだことよりも、その周りのことの方がよっぽど感情を揺さぶられるというのが近い。
あんなに可愛がってたと思っていたのに、飼い猫の死をきっかけに"みんな実は言うほど可愛がっているわけじゃ無いのでは?"と考えるようになった。いや、勿論、世話をたまにしかしない私より、世話をしてるみんなの方が愛情はずっと深いと思う。
でもたまに、あの葬式前夜のモヤモヤ感や、夜間病院の道のりを思い出しては、何とも言えない感情が湧き上がる。
葬式の当日、父は様子を尋ねることもなかった。妹は聞いてきたけど、上記の通り私は完全に気持ちが離れていたので、母のことを中心に伝えた。それ以上のことは聞かれなかった。
夜間病院の時、冬間近で小雨も降っていて、寒くて心細かったけど、今考えてみれば飼い猫との唯一の思い出だ。壊れかけのキャリーケースの中でたまに細く鳴く猫の声を頼りに歩いた暗い道を、今でも覚えている。ちょっとスタンドバイミーみたいだとも思う。
もし飼い猫に何かあった時、真っ先に立ち上がるのは自分じゃなくて誰かなんだろうなーと自覚してたし、他の家族にも「アンタは飼い猫に興味ないよね」言われた。きっとあの日までは事実だった。愛情って何だろうね。私が何かあった時、家族に同じ対応されたら、そして手遅れになってしまったらどうだろう?と時々考える。
因みにここまで書くと母が一番猫のことを思っているように見えるけど、多分母が中でも特にヤバい。私よりヤバい。詳しくは書けないけど、猫の対応見てると「あ、この人はやっぱり毒親なんだな」と再確認させられる。
https://anond.hatelabo.jp/20210215101500
・しょうもない犯人、しょうもない気付き、しょうもないミステリの元祖。
ウィルキー・コリンズ「月長石」
・長さのわりにミステリを期待して読むと徒労に終わる。ドラマ観れば十分。
・ミステリか? 別にいいんだけど。主人公の臭い自意識に長時間堪えられるのなら。手塚治虫の漫画版で十分。
コンラッド「闇の奥」
・「闇の奥」そのものより、「闇の奥」をもとにした無数のコンテンツのほうがおもしろい。『地獄の黙示録』とか。
F.W.クロフツ「樽」
・『樽』はタルい。これミステリ界の常識アルよ。クロフツはもっと薄くておもしろいのがいっぱいある。
・ヴァン・ダインとか今更読むやつおる??
・これもルールタビ―ユくんのキャラ小説なんだよな。意外にミステリしてる点は評価できなくもない。
・別のトラバの人も言ってたけど、悲劇四部作は通しで読めよ。おまえはスター・ウォーズをEP5から観るのか?
・オカルト〜〜〜〜〜〜wwwwww すいません、ふつうに好きです。
・クリスティならなんぼでもこれよりおもしろいのがある。まあ、ある種のパターンを確立したという意味で必読ではある。
イーデン・フィルポッツ「赤毛のレドメイン家」
・いいかげん昔の人が評価してたからって理由だけでレドメイン家をこういうリストに入れるのやめない?
・アイルズ入れるのは当然として、バークリーも入れないのは理解に苦しむ。
ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」
・惰性でオールタイム・ベスト入ってる系の古典としては意外なほどエキサイティング。アイリッシュはもっと評価されてもいい。
・ハッタリのきかせ方は歴史に残るけど、わりに印象に残りにくいんだよな。
・これも型を確立したという点で必読ではある。
・出たよホッグ。20年くらい前ならおもしろかったのかもしれんけどさ。
・知名度の割に、ブクオフに行ったらかならず置いてあるだけの理由はあるものだ。
・出来不出来が激しい作家の一人。奇妙な味勉強したいんなら異色作家短編集読めば。
・そういえば映画版が最近リメイクされてましたね。つまんなかったなあ。ヒッチコック版と原作はいいです。
レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」
・御三家のなかで一番キツい。春樹訳はさらにキツい。ロバート・アルトマンくらいの諧謔が加わって初めて鑑賞に堪えうる。
・ハードボイルドの先鋭性をもっともよく表した作家ではある。本篇より諏訪部浩一の『「マルタの鷹」講義』のほうがおもしろい。
・ロスマクの一冊を選ぶとなると戦争が起きる。法月綸太郎みたいなものさ。ここでもな。
・めちゃめちゃエキサイティングなんだけど、分厚いし今手に入りにくいし……。
・ル・カレのなかでは読みやすい部類だし、正解だと思う。
・ボアナルほんとに読んだことある?俺はない。映画は傑作だった。
・ルポルタージュミステリとしては先駆的だったのかもしれないが、今読むと長いしタルいし冗長。カポーティの美点がほとんど失われてしまっている。
・ポップでしょ。
・たかだかミステリ読みごときにエーコの真価が理解できるとはおもわない。
ローレンス・ブロック「八百万の死にざま」
・一発ネタで長編まるまるひとつ持たせた奇跡のような書物。とはいえレンデルはもっと濃ゆいのがある。
ジェイムズ・クラムリー「酔いどれの誇り」
・ネオハードボイルド作家たちは再評価されるべきだと思うが、中途半端に古くなってしまった感もあり、難しい。
・反面エルロイは古びない。ただLA四部作は何も知らない人が「ブラック・ダリア」だけ読んでもわからん気がする。
ジャック・ヒギンズ「鷲は舞い降りた」
・冒険小説も進化してるので、いつまでもヒギンズを引きずるのは不幸というか、グリーニーとか読ませたほうがいいのでは。俺は嫌いだが。
・マクリーンなんかよりイアン・フレミングのほうがよほどリストに入れる意味あるよ。
・作者がキモい。
・このリストのなかでは比較的新しい作品で、オールタイム・ベスト的なリストでみかけるのは珍しい。個人的な思い入れがあるのか? たしかに発売当時からそこそこ評判高かったけれど、薄い記憶を掘る限りそこまで評価する理由が見当たらない。気になる。
・ライスはたまに読むと心温まってよいが、それはスレた読者の愉しみなのであって、入門者が読んでも伝わりにくい。
・たしかに仕掛けはミステリなしおもしろい小説なのだが、別にこのリストに入れる必要はない。なんでミステリの人は文学にコンプレックスを抱くのだろう。
・うーん。
リチャード・二ーリィ「心ひき裂かれて」
・オールタイムベストでも陰が薄い存在なので、入っていると嬉しい。まあでも数合わせだよね。
ケン・フォレット「針の眼」
・フォレットもそろそろ再評価されるべきだと思うのだが、ダン・ブラウンみたいなものと思われているのだろうか。
・北欧系の元祖ではあるのだろうが、だったらよりエポックなミレニアム入れたほうが誠実な気がする。
・はあ。
江戸川乱歩「孤島の鬼」
・え?
・変格って今読むとふつうにつまんないの多いよね。
・そりゃ読んでも損はないとは思うが。
・当時としてはアベレージはある作家だろうが、そこで鉄鎖を選ぶ理由がよくわからない。
・うーん……いいんじゃないんですか。
・どう読むかによる。単純な出来でいったら虫太郎にはもっといいのがいくらでもある。すまん、いくらでも、はない。
・横正の作品をチョイス理由を添えずにポンと出されても困るんだよな。高校生も困ると思うよ。こんなんだけ読まされても。しょうがない。
・本格ベタな安吾のなかでもなんでよりによって一二を争うほど不出来な作品を選ぶのか。嫌いなのか?
・高木彬光でこれがあがってしまうのは、消去法の結果なのだと思う。
・通っぽいセクレトだが、そこは素直に「天狗」にしとけ。コケまくったサンドマンが唯一正位置になってしまった作品なのだから。
・映画の印象は強いが、清張であえてピックアップするほどかといえばどうか。
・変化球狙いすぎて外しとる。
・流れ的にはわからないでもない。
仁木悦子「猫は知っていた」
・と思ったらいきなり脳死みたいな。
・今あえて読むほどのものではない。
・同上。長いだけ。
笹沢左保「暗い傾斜」
・飛鳥高の長編ってそんな良いイメージないのだが。賞とったってだけで入れてない?
・今選ぶとなると難しい作家だが、針の誘いとかでいいのでは。
陳舜臣「玉嶺よふたたび」
・パッションだけで突っ走った奇跡であることは間違いないが、三大奇書にならべて語るほどかといわれれば疑問符がつく。竹本健治は”今”が面白い現役の作家だ。
・不可欠だとは思うが、真剣に読んでる人は少数派だろう。
・そうね。
・またひねくれたもん入れてくるな。
・ごめん、森村あんま興味ない。
西村寿行「滅びの笛」
・戸川昌子の話をすることはあるかもしれないな。
・マスト。
・鉄板。
・入れても良いとは思うが、そういえば結城昌治がおらんな。
・エッ? そこ?
栗本薫「絃の聖域」
・読んでない。そろそろ疲れてきた。
連城三紀彦「宵待草夜情」
船戸与一「猛き方舟」
・このへんはね。
・入るよね。
・急に九十年代っぽくなったけど、2000年代にもインスタントクラシックな作品はたくさんあると思うよ。
皆川博子「死の泉」
・皆川博子がミステリ的に評価できるかといえば微妙なんだけど、ミステリ界以外で評価される土壌がさほどないようなので、不運な作家だと思う。偉大な人です。
https://anond.hatelabo.jp/20210210225201
重複を削除して、ゴールディングの「蝿の王」を入れた。ご指摘感謝。
間違い探しみたいで申し訳ないが、35は「トルーマン・カポーティ」かな。ノンフィクションをミステリに入れるのは、ちょっと抵抗がある。
どうやって稼いでんのか知らないが、少なくとも「労働が苦しい」「こんなに苦しいのにどうして生きないといけないの?」みたいなことを俺みたいにウジウジナヨナヨ考えてはいるまい
下手したら障害者年金みたいなの貰ってプラプラしてるだけって可能性もある
ほんでガイジにみんな優しいんだよな
やつら、パワー系だしヘタに目をつけられたら基本的に損するのはこっちの方だから、ワンピースでいうところの天竜人みたいなところある
電車にやつらが入ってきたらみんなヒッと思って目ェ逸らすし、絡まれたからって警察を読んだりすると障害者への思いやりがない冷血漢って感じになって気まずい思いをすることになる
つか、いくら警察呼んでも電車が動いてる以上すぐには助けてもらえねえし、あとから警察が来てくれたとして事件にもならん
知的障害者はそういうモンなんだから、犬に噛まれたと思って流してくれってことになりそう まあ殴られたりしたら話は別だろうけども
俺もアレになりてえんだよな
車両入るなり「ええーーーーッああああああ、次はアアアアア、高田馬場ーーーッ!高田馬場でェェェっス!!!!!」みたいなことを叫びながら車両内を徘徊、誰かと目があったら詰め寄ってこんにちはアアアア!と言う
そういう存在になりてえんだ
なればいいのか?
でも無理だ俺は
そもそも彼らの振る舞いは天真爛漫・天衣無縫、俺がカタチだけ真似ようとしてなんとかなるモンじゃない
たぶん健常者(俺は健常者を名乗りたくはないが、残念ながら診断上の知的障害はない)だと見抜かれて、お縄になる
あいつら俺より何もかも上なんだよな
普通に羨ましい
低能力なのに無駄に考え込んで人生が苦痛なのより絶対低能力すぎて何も見えない方がいい
いや、俺も何も見えてねえのかな
でもさすがに電車で絶叫ニキより俺の方が人生楽しんでるってことはないと思う
ああもう誰か助けてくれ
一部ネタバレ含むので注意。あと原作じゃなくアニメ知識のものもある
・デスマーチからはじまる異世界狂想曲→たしかにデスマーチから始まるもののデスマーチから始まる異世界ほのぼの保育園って感じ
・異世界はスマートフォンとともに→異世界は美少女バイキング タイトル不一致作品筆頭だと思う
・本好きの下剋上〜司書になるためには手段を選んでいられません〜→下剋上ではなく成り上がりに近いし司書にはならない(ついでに言うとそんなに本好きじゃない)
・ヤンデレ系乙女ゲーの世界に転生してしまったようです→ヤンデレは未然に処理されろくに出ない
・やはり俺の青春ラブコメはまちがっている、僕は友達が少ない→途中までお前らタイトル交換しろと思ってた
・誰かこの状況を説明してください!→結構序盤で状況はあっさり飲み込めたのにずっと説明してもらいたがってる
・乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった→悪役令嬢に転生してしまったのはアホめの善人なので悪役令嬢はいない(敵役が主人公属性になっただけ)
精神科医からサイコパスでないと言われたが、自分のことがサイコパスじみていると思えて仕方ない。
僕は、他者の「顔」を感じられない。
ここでの顔を感じないとはつまり、痛い思いをしている人間を目の当たりにしても、感覚的に生じる痛ましさや、何かしら自分が行動することでこの人を助けなければならないという使命感が、僕には感じられないということだ。
僕は親切ができないわけではない。むしろ、どちらかと言えば他人に気を回すことが多い人間だ。
コンビニやスーパーでは帰り際にお礼を言うし、エレベーターでは開閉ボタンを積極的に押す。
知人の相談事も無下にせずなるべく聞くし、安易に考えや価値観を否定しないよう心がけている。(自分の話に持っていって結果うやむやにしてしまうことはある。それに対して申し訳ないと感じることはできる。)
ただ自分の言動によって傷つけてしまった人が、目の前で悲しんでいる、苦しんでいる、痛みを感じている様を見た時、本当にどうしたらよいか分からない。そして、何かをしたいとも思えないのだ。
痛ましいとか、悪いことをしてしまったとか、そういう罪悪感のようなものも感じられない。後になって、罪の感情が湧いてこないことに対して苦しむことはあるが、それでもまた別の場で似た状況に陥った時に、自身の心の内に「顔」を感じる器官が芽生えるかというとそういうことは全く起こらない。
先日も、僕の前で俯き顔をしかめた人間を目の前にして、何が正解なのか、どう動くことが求められているか、頭の中でぐるぐるぐるぐる、答えなんてあるはず無いのに探し回っていた。
喫茶店で1時間ともに過ごしたけれど、交わした言葉は一言二言で、あとはお互いにずっと黙りこくっていた。
背中を撫でてやろう、それがいいかもしれないという思いが浮かんだが、それが相手のためを思っての考えなのか、ただ自分が相手のために何もやっていないことが耐えがたいがためにやろうとしていることなのか、分からなかった。
ここまでに至る相手との関わりの内容から、自分の態度や行動によって相手を苦しめていることは明らかだった。
そういったある種の客観的情報から推測することでしか、自分によって他者が痛ましい思いをしていることを僕は理解できない。
大学院生にもなって直近で2回も言われた。
周りの知性ある人達に言われるのだから、これは自分でコントロールできない人物への八つ当たり的な用法ではなく、事実として人の心がないように見えるということなのだろう。
いや、本当のところ、その人たちが知性ある人格者であるからと言って、そのように信じる根拠はそれほど強くはないとも思われるのだけど。
人間は感情を伴っているので、常に感情に振り回されて浅はかな言動を行ってしまう余地を残している。
それでもとにかく、僕は思いやりのない冷血人間であるということらしい。
それらの指摘を素通りできないのは、上記の性質や経験から、心当たりがあると感じるからだろう。
他人を慮る心を持っていないと突きつけられ、自分のそれは直らないだろうと自覚する時、人は、その突きつけてきた相手との交渉を諦めなければならない。
そうやって可能性を見限ることが、健全であり、効率的に人生を歩むことにつながり、双方にとって善い選択なのだ。
聡い人、人間関係にまつわる人生経験がそこそこにある人は、そのように勧めてくるはずだし、実際に幾人かに勧められて久しい。
それに納得していない自分は、分からず屋で、幼稚で、現実を見ていない愚かな甘ったれなのだろう。
サイト名出したら宣伝感ありそうだけど、ピッコマの縦長フルカラー漫画の話。ライン漫画のやつとか他のサイトにもこういう漫画って載ってるらしい。
元々なろうもよく読むんだけど、フルカラーの絵がついたなろうって感じでなかなかおもしろい。
あと韓国漫画なので翻訳の都合か、セリフに不自然な所があったりするけど、それもスルーできれば大丈夫。
というわけで以下感想。
そもそも読み始めたきっかけ。とにかくかわいい幼女主人公がたくさん見れる。内容はよくある女性向けなろうとか少女漫画って感じで、誰とくっつくかは予定調和だなという感じ。絵を見に行ってる。
流し見してたら思いの外面白かった枠だった。どれも主人公はうまくやるけど苦労もする。適度なストレスフリー。
レベルアップの方は男性向けで、絵が縦長画面をうまく使って派手な戦闘を描いてるなという感じ。
女神育成は日本語が怪しいところもあるもののスルーできるレベル、男を落として成り上がり系。
チトラは女性向け領地運営系。これなろうで男バージョンで見たことある!が、設定がなかなかギャグい。主人公がなかなか煩悩まみれで面白い。
ロリコン集え!!枠。主人公はめちゃめちゃ可愛く描かれたロリ。どれも絵はかわいい。
ショタコン向け枠。残念ながら途中で成長していってしまうけど…
あんまりこれはなろう感ないかな?と思ったけど死んで逆行するから出だしは既視感がある。
世界観設定があまり見ない感じで、進めば進むほどオリジナリティが出てくる感じか。イキり度は盗掘王のほうが高いと思う。エルキネスは主人公の人格途中で変わりました?と思う。
女性主人公でアドニスは武力!って感じの強さ、エボニーは頭脳!って感じの強さ。アドニスは途中で絵が変わっちゃうのがなぁ。読んでるうちに慣れたけど。
他にも途中まで普通の女性向けかなと思ってたら突然男が発情しだすルシアとか、登場人物みんな頭がおかしくて何言ってるんだ!?って暴れだしたくなる皇帝の伴侶とかがあるけど長くなるので一旦ここまで。
私は安楽死を支持する。その早急な法制化を望む。それへの抵抗勢力は徹底的に粉砕されるべきだ。
そう考えるに至った経緯を、以下に書く。
何年か前、某所で尊厳死・安楽死に関する議論をしたことがある。私が安楽死について肯定的なことを書いたところ、反対派から反論されたのだ。私の書き方もあまり良くなかったので、議論を挑まれたこと自体は構わない。だがその議論で、私は安楽死に対する信念を強化することになった。
議論の中で、私は自分の家系について触れた。私の家系はがん患者が多く、しかも体中を蝕まれて苦しみながら死んでいった者が何人もいる。私もそうなることはほぼ確実で、だから私は苦痛に満ちた死よりも慈悲の一撃による安らかな死を望む、それを邪魔する安楽死反対派のことは支持できない、という趣旨のことを書いた。すると議論相手は、次のように書き込んだ。
「それでも、自殺することは禁じられていません」
唖然とした。私はさっきまで、体中がボロボロになってひどい苦痛に苛まれていた親族の話をしていたのだが。「自殺できるでしょ」って、苦しまない自殺を自力で遂行できるのは健康な人間だけだという程度の想像力も彼にはないのだろうか? そりゃ自分一人で自殺する分には法によるお咎めなどないことは私だって知っている。私はただ死にたいのではなく安らかに死にたいのだ。
さらに彼は、私の自由主義的な主張にも反駁を加えてきた。私は、同性婚や選択的夫婦別姓と同じく選択の権利を求めているだけなのに、同性婚や別姓の問題では同じ側にいたはずの人たちからなぜここまで否定されるのかが理解できない、と書いたのだが、彼は言った。同性婚や別姓を主張する運動は同性婚や別姓を選んだ人たちが幸福に生きるための運動をしてきたが、安楽死推進派は病に苦しむ人びとが幸せに生きられるための運動をしてこなかった、だからそれらは同列には論じられない、というのだ。
他人の幸福のための運動をしなければ、私には安らかに死ぬ権利すらないと言いたいのだろうか?
この時点で確信した。安楽死に反対する連中には人の心がない。彼らは私が苦しんで死ぬことを望んでいる。
もちろん彼にそんな意図はないのだろう。でも、彼は私の安らかな死を、よくわからない運動の都合とか、見ず知らずの他人の選択とか、そういったものの下に置いたのだから、結果としてはそういうことになる。私にとって見ず知らずの誰かが望まぬ死を強制されないかわりに、私は苦しんで死ねというわけだ。
優生学は間違っている。高齢者やALS患者や知的障害者が「社会のお荷物」だからというとんでもない理由で意に反した死を強制されるなんてことがあってはいけない。だから、安楽死を認めるが、その際には厳格な手続きを導入すべきだ、強制を排せる仕組みを構築しなければ、という議論なら私は賛成していた(というか、そういう施策を私は支持していた)。私は彼らに死んでほしいわけじゃなく、自分が安らかに死にたいだけだから。選択の自由を認めてほしいだけだから。
でも彼らは、意に反した死を強制されるかもしれない人たちを守るために、私が安らかに死ぬ権利は認めないのだという。
見ず知らずのやつらが自分の意志を貫けないという恐れのせいで、なんで私が苦しんで死ななきゃならないんだ?
それ、私には関係ないよね?
苦しまずに死にたいというのは、そんなに強く否定されるほど、他人の都合で却下されなければいけないほど身勝手な望みなのか?
安楽死に反対する人たちの書いたものを色々読んだ。彼らの書いたものの中には、苦痛のない死を迎える権利についてはほとんど書かれていなかった。彼らにとってそれはどうでもいいことらしい。
私の苦痛があなたたちにとってどうでもいいなら、あなたたちに死が強制されることも私にとってどうでもいいことになってしまうのだが。
あの議論を経て、私の考え方は変わった。安楽死反対派は本質的に、私が苦しみに満ちた死ではなく安らいだ死を迎えることはたいしたことではないと思っているということが理解できたからだ。だったら、ALS患者や高齢者が死ねという圧力に抗しきれず安楽死の書類にサインしてしまうことだって、私にとってはどうでもいい。見ず知らずの他人が意志薄弱すぎて死ねと言われて死んでしまうことは私には何も関係ない。私はただ、ひたすらに安楽死を支持すればいい。自分の権利を強く主張すればいい。
私は、私の苦痛を切り捨てる冷血漢どもよりは、私に苦痛のない死を保証してくれる人たちを支持する。結果として死を強制される人が出てきたところで知ったこっちゃない。だって安楽死反対派は、私に苦痛を強制しようとしてきたのだから。そんなやつらが死を強制されることを、なんで私が心配しなきゃならないんだ? あの冷血漢どもが私の苦痛を心配しないなら、私にもあいつらの死を心配する義理なんてない。
だから私は、たとえそれが新自由主義者であろうが、安楽死を推進する側を支持することを決めている。私が苦しんで死ぬことを望んでいる側にはつかない、そんなやつらには徹底的に立ち向かって自分の選択の権利を守ると、反対派との議論の中で決意したのだ。
安楽死は早急に実現されるべきだ。反対派に屈してはならない。彼らは人の心がない冷血漢で、他人の苦しみを座視する連中なのだから。
ところで、医者には応召義務があるのだから、安楽死を認めることは医者に殺人を強要することになりかねない、という主張もあり、これはもっともだと思う。だから、安楽死に際しては応召義務を解除しうる法整備をすればいいと思う。それはブラックリスト方式で、デフォルトは安楽死を認めるものとし、安楽死を拒否する医者は役所に届け出た上でそのことを周知する看板かなにかを設置しておき、そういう看板が予め設置されている病院では安楽死を断れる、としておけばよいのではないか。これなら死ぬ権利と殺したくない権利を両立できるかと思う。死にたい患者はその病院を避けて別の病院にかかればいいのだ。
今頃ネタバレもないだろ 知識がほとんどなくネットで調べながらやったから間違ってるところあったら指摘してほしい
シロディールというタムリエル大陸の中央に位置する地域はアイレイドというエルフ族が治めていた。
そこでは人間は完全に家畜扱いだったのでそれを哀れんだアカトシュ(多分主神?)がアイレイドの支配に負けないように
を与えてドラゴンボーン(皇帝)がアミュレットを携えルビーの玉座に座り、アイレイドの本拠地白金の塔を堕とすことでアイレイドの支配から解放された。
何代目の皇帝「ヴァレン」はドラゴンボーンじゃなかったのでコンプこじらせる。
4人の仲間と共にドラゴンボーンになれるという秘術を実行するも、エルフ族の仲間「マニマルコ」に裏切られ、ドラゴンボーンになるどころかデイドラ(邪神)の一人モラグ・バルの領域「コールドハーバー(地獄A)」と次元融合してしまう。デイドラの軍勢がニルン(惑星)に容易に攻めたり、いろいろできるようになってしまう。
モラグ・バルは支配とかそういう概念を司るのでニルンの奴ら全員支配したいと思って準備を進める。
ヴァレンは超ショックだったのでエルダースクロール(星霜の書)を読むために僧侶になる。そしてエルダースクロールを読んで無事失明する。
リリス:バカで素直で情に厚い 巨人の娘と呼ばれるほど背の高い女性(実際巨人の血が混ざってるらしい)
アブナー:思慮深い冷血漢 自分が大事というより自分の身内とか家柄が大事 ある意味一番わかり易い人間
主人公とヴァレンの仲間「リリス」はなぜかコールドハーバーに捉えられていた。
なぜかそこにはヴァレンも捉えられていた。シロディールは皇帝を失ったからか三国の戦争地になっている。
リリスに助けてもらう主人公。コールドハーバーを脱出するため進むと捉えられてるヴァレンを見つける。
リリスはヴァレンを逃がす代わりに囚われの身になる。ヴァレンは自分がコンプこじらせて皆に迷惑かけたことを後悔しており主人公に助けを乞う。
また次元融合を終わらせるために王者のアミュレットを使いもう一度同じ儀式をしたいが王者のアミュレットがないからそれも探してほしいという。
まずはリリスを解放することとするために主人公は今一度コールドハーバーに向かう。
リリスは対魔忍のように様々な精神干渉を受けたためまるっきりかわっていた。
主人公はリリスに自信を取り戻させるためにコールドハーバーを進む。
サイが王者のアミュレットもっていったような気がするので次はサイを探し出そうとするがサイはどうやらマニマルコにアミュレットの居場所を吐くように拷問受けている。
リリスを無事解放した主人公にヴァレンは「次、サイな まぁサイのことだから拷問でゲロっちゃうことないやろ」とかいう。
サイが囚われているところは検討がつかないのでアブナーに接触して教えてもらおうとする。
アブナーに会うがアブナーは総合的にロジカルしたところマニマルコについたほうがよさそうなのでマニマルコに付いてるだけでヴァレンがやるなら俺もやるでと寝返る。
リリスはそれが気に食わない。アブナーもリリスみたいな脳筋美少女を許せないので悪態付きまくる。俺は「お似合いですね」と思ってみてたけどアブナーが相当お年を召しているのでやっぱなしだ(てかリリスが明らかに他の四人と比べて若い)
アブナーは総合的にロジカルするとサイはここにいると推測する。見事的中。
マニマルコとサイのプレイを見ながら救出するがサイはリリスにホの字の様子。リリスもまんざらではない。
アブナーは気に入らないのでずっと嫌味言ってる、拗ねんなよ。
王者のアミュレットの隠し場所に向かうとマニマルコ(幻影)の姿が!マニマルコは「王者のアミュレット手に入れた暁にはモラグ・バルなんて余裕で倒せる。倒したらモラグ・バルに成り代わりマニマルコがおまえらの支配の概念となる。」「こんなのバレたらモラグ・バルの配下人生終わるナリ…そうだ!サイがはったデイドラ不干渉の結界で企みをかき消すナリ!」とか思い上がりべらべら喋ってしまう。
モラグ・バルは当然そんなのお見通しで「マ、マニマルコくんどうしたんだ、いきなり大声出して」とマニマルコを捕まえて一生拷問することにする。
そんなことをよそ目に主人公は王者のアミュレットを手に入れる。
主人公はコールドハーバーに攻め込んでモラグ・バルを倒すだけとなるが、それにはコールドハーバーを攻め込む人手が必要。
そこで3国に話をつけて軍を各国からだしてもらう会議をする事を魔術師ギルド(全国魔法使い組合)の長の協力を経て達成する。
だが当然3国は「モラグ・バル?しるか。俺にとってはシロディールが一番優先!」とかいい出して会議が纏まらない。
そこにモラグ・バルが現れて「俺のこと無視すんなカス」と喧嘩を売りに来る。各国の代表もその恐ろしさを目の当たりにするがそれでも「いやぁでもな…」という様子。
魔術師ギルドの長と戦士ギルド(全国傭兵組合)のそこそこ腕の立つ奴は「じゃぁもう組合でいくから」と主人公についてコールドハーバーについてきてくれることに。
ホロウシティという拠点の管理人に「アイレイド王と魔術師ギルドの長を連れてきてついでにこの街復興せんことにはモラグ・バルとか無理wあとメリディアの光ってしってる?メリディア様のありがたい光。それを手に入れなさい定命の者」とかいい出すので各地を走り回り探し回りなんとか連れてくる。
アイレイド王は統率者のいない戦士ギルドの連中を集め見事にまとめあげる。
魔術師ギルドはわりとデイドラ空間になれているのかいろいろ推察して次元融合でニルンを攻撃している兵器を探り当てて壊すことに。
モラグ・バルも当然気づいていたが時既に遅し、兵器は壊されるわ、管理人は実はメリディア(邪神だけど不浄とか嫌い モラグ・バルと犬猿の中)で邪魔されるわで散々。もー、おこ!
アブナー「ワシが儀式の方法しってるけど 総合的にロジカルするとヴァレンかリリスかサイを生贄にせんといかん」
主人公「俺とおまえは?」
アブナー「ワシは儀式せんといかんから無理だろロジカル的に考えて… 主人公は魂ないから無理」
ヴァレン「元はと言えば全部俺が原因 俺にけじめつかせてくれ」
リリス「私は死んでもソブンガルデ(※)にいくだけ だから私でいい」
という感じの話をして「主人公が選べ、な?」と圧をかけられる。これなんかのハラスメントでしょ。
※ソブンガルデ…リリスの種族「ノルド(北欧人)」が信じている死後行く世界。勇気があるノルドだけが行ける。逆にノルド以外や他の邪神の祝福を受けたものは例外(直に干渉してくるもの)を除き一切受け入れない。概念とか死の救済とかじゃなく実在する。
コールドハーバーについた主人公一味 なんやかんやあって拷問されてるマニマルコを見つける
「まぁワイらの仲間やし…まぁでも主人公が解放したいっていうんならなー(チラッ」と主人公に決めさせる。こいつら主人公に重い決断させすぎだろ。決断ハラスメント(ケツハラ)だぞ。
ちょうどいいところをみつけたので儀式を執り行う。
俺は選べなかったのでくじ引きサイトに名前いれてやったところリリスが選ばれる。まぁリリスは死んでもソブンガルデいくだけだし…。
サイはドMだが最愛のリリスが死んでご褒美をいただけなかったことで主人公を恨む。やっぱドMを崩すときはドMに親しい人間を責めるに限る。
リリスの生贄のおかげでスーパーパワーを得た主人公はバッタバッタと敵をなぎ倒しモラグ・バルも圧倒する。
モラグ・バルもこりゃたまらんとなり「まぁ、今日のところは引き分けな。ちょっとしばらくニルン攻めるのやめるわ。ちげーって重傷負ったとかじゃねーって、おまえに敬意を評してだって」というところをメリディアが笑いにくるので涙目敗走する。
かなり楽しかった。
DMM版の日本語吹き替えでやったので声優も豪華だったしストーリーも王道でわかりやすい。
仲間の4人も性格がわかりやすい。自分はアブナー推し。人間らしさというか英雄らしくない(人間離れしていない)ところがかなり好き。
多分現代にいたらTwitterでクソリプ一つ一つに「はい論破」と言わん勢いでリプ返しつつ引用RTで人を小馬鹿にしてそう。
損失シミュレーション見て納得したはずなのにまだソロバン叩いて安全圏から人を働かせようとする冷血な経営者もいるし
けども、着実に前へ進んでるんだよな、不格好でも
対して日本は、政治家もアカデミアも機能不全なので前に進まない
民間も民間で、一旦会社の事業は止めてパートナー含めて完全在宅にしますって名乗り出る大企業は無いしな
みんなで崖に向かってチキンレースしてる
志の高い立派な医師や、正しいツッコミを入れてくれるアカデミアの方もいるのは存じているし、
小さな企業では、完全在宅に舵を切った経営者や給与保証して休業を言い渡した経営者がいることも存じてはいるが、
日本だけ、本当に、なんだかねって言う
※前提として、筆者は首都圏や大阪だけでも早急に経済停止を含む処置(少なくとも緊急事態宣言)をとるべきだと考えています。
これについては、文章の最後に私以外の人の意見もいくつか紹介していますので、反論自体に興味がない人も読んでいただけると嬉しいです。
なお、増田における個人への言及が規約違反になりうる、という話については承知していますが、
上記記事の著者であるdeztecjp氏自身がそれについて 「穏当な批判まで第三者が不当視することではない」というスタンスをとられていることと、
今回の内容がなるべく多くの人の目に触れてほしいということを鑑み、増田という形を選ばせていただきました。
もし、deztecjp氏自身から削除依頼があれば、対応いたします。
さて、私がdeztecjp氏の記事について引っかかったのは、主に以下のような箇所です。
新型コロナだけ、必死に対応しようとする人々は、他のほとんど全ての危険について、忘れているのではないか。だからこそ、一点集中で全リソースを投入することを望むのではないだろうか。
最大限の見積もりでも総人口の数%が死ぬ程度で、おそらくはスペイン風邪(総人口の1%)が現実的な目安になる。
ひとつのご意見として理解はしますが、少なくとも「総人口」を基準に置く書き方はフェアではないかと思います。
リスクの高い場所(都心など)に住む人々の何%が死ぬか、というファクターも重要ではないでしょうか。
ひとつの思考実験として、より極端なケースを考えてみればはっきりするかと思います。
例えば、コロナとは別にある特殊なウイルスが流行したとしましょう。
特定の区域に住む260万人の人々だけは免疫を持たず、感染した場合に確率50%で死ぬとします。
また、何も対策を打たない場合、この区域の人々に徐々にウイルスが感染していき、やがて全員に感染するとします。
この場合、亡くなるのは日本の人口1億3000万人の1%程度です。
しかしながら、これを放置するのは、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬウイルスを放置する」というのと比べ、倫理的に大きく問題があると考えます。
それは、「放置する」という決定は国民全員(の代表たる国会)でしても、そのリスクを負うのは一部の人々だけであり、また当該の区域に住む人が死ぬまでに感じる恐怖といった面も無視できないからです。
さらには、生き残った50%の人たちについても、家族を含む当該地域の人間関係を複数失うことが想定され、
その人たちのQOLに大きく悪い影響を与えてしまうというようなこともいえます。
大雑把に言うと、「人間関係の5割を失う悲しみを味わうひとが130万人いる」というのは「人間関係の1%を失う悲しみを味わう人が1億数千万人いる」より望ましくない状態だということです(筆者の考えでは)。
以上のようなことから、私は、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬケースなら経済を止める必要がないかもしれない」「しかし、今回のケースでは経済を止めるに値する」と考えます。
その上で、deztecjpさんが「いや、今回のケースでも命の値段はそこまで高くない」と考えるのであれば、私に説得することはできません。
(実際のところ、自動車事故や自然死も「完全に平等な死」ではない以上、どこまでいっても価値観の問題ではあるかもしれません)
それでも、「命の値段はリスクの不平等さによっても変化しうる」という点については、同意していただけないかと考えるのですが、いかがでしょうか。
なお、私個人としては、コロナとの戦いを諦めた場合、死亡リスクが高い地域においてパニックが起きると考えており、その意味でも首都圏や大阪は少なくとも緊急事態宣言を行うべきだと考えています。
(以下、いくつか私が同意している意見を引用します。ツイートの文脈については引用しきれていないので、すみませんがクリックでご確認ください)
このくらいの生命の危機に晒された場合、ほんとうにみんなが職場放棄して逃げるエビデンスがあるのかといわれるとわかりませんが、私が都民なら逃げるので、個人的には、感染爆発下で経済活動維持なんて無理だろうと思いますね。
2月くらいにロイター等海外紙が論じていましたが、感染が急拡大しても武漢のように移動制限も取らずに政府が状況をひたすら放置すると、パニックによる都市機能停止が起きることが懸念されていました。欧米はロックダウンでパニックを抑えたので、日本が初ケースになる可能性があると考えています;;
イギリスでの試算では、「緩和」を選ぶと、25万人が死ぬという。
もちろん、医療システムは完全に崩壊する。
集団としての人間は、その状態に耐えられない。
あなた個人がいくら冷血で「いくら人が死んでも気にすることはない」と思っていたとしても、いざ死体の山ができて火葬が追いつかないような状態になってみると、あなた以外の多くの人間が「これではだめだ」と思うようになり、結局は「封じ込め」に方針転換せざるを得なくなる。
イタリアもそうなっている。
日本も、そういう状況になったら、確実にそうすることになる。
※最後のtakeda25氏の意見はちょっと本題と逸れますが、「冷血」などの価値判断はともかく、「結局のところコロナ対策を行うことになる以上、対策を行うのは早いほうがよい」というのには理があると思い、紹介させて頂きました。
実際、下記のニュースのような状態になったら、封じ込めに転換しないというのは不可能だと考えます。(deztecjpさんの書く "負けが明白になっても食い下がるのは、なしにしてほしい。" というのはこのような状態を想定しているのでしょうか? 私は、仮に経済をある程度重んじるとしても、下記のような状態を避けようとする対処は最低限必要不可欠と考えます)
イタリアのコロナ死者数、統計はるかに上回る
死者の多くは病院まで行きつけずか、検査されず
上記のような「完全に崩壊した」地域の経済リスクについて考慮する必要があると考えます。
その点、deztecjp さんの「総人口の数%が死ぬ程度」というような書き方はそのようなリスクを見えなくするものであって、ミスリーディングさを孕むように私には感じられました。
(4/4 追記)