https://note.com/ikedanoriyuki/n/nb74ef6f71a54
うちも経緯は違うけど赤ちゃん亡くしてるから、筆者夫婦もそれぞれ傷付いてそれぞれ立ち直ろうとした記録だなと捉えながら読んだ
でもよく考えたら私の読み取り方のほうが深読みのし過ぎだったかもしれない
勝手に自分たちを筆者夫婦に、特に人一倍繊細な感情の機微を持ちながらそれを言語化できず「なんとなく」といった曖昧な表現すらできずに黙り込みがちな夫を筆者さんに投影し過ぎていた
そう思いながら読み返すと筆者さん自身のことをそんな風に表現した文章ではない
赤ちゃんを亡くして悲しみにくれる時、私が一番悲しいなんてことはない
夫も、母も、父も、義父も、義母も、みんなそれぞれ悲しかったのだ
悲しみの深さなんて測れないが、それは同じ人間の中であっても常に一定ではない
表面上強く現れる時もあるし、心の奥底で悲しい時もある
もちろん一時忘れたかのように何かを楽しむことだってあるし、それは立ち直っていくために必要な瞬間だ
一定ではないのは悲しみの強さだけではない
これも当たり前だが一緒に暮らしていくことを楽しみに準備していた赤ちゃんを早々に亡くすことは誰であっても悲しいものだ
私は立ち直る過程で「次に授かる赤ちゃんや私にとっての身体的リスクがあったとしても、それでも赤ちゃんを育てたい」と思った
その気持ちは揺らぐこともあるが、赤ちゃんを育てたいという思いは捨てきれない
夫は「妻や次に授かる赤ちゃんにとっての身体的リスクがあるのなら、赤ちゃんは諦めたい。例えその可能性が低くてもまた失うリスクがあるのなら危険な挑戦はしたくない」と思っていると思う
先述の通り言語化が苦手なタイプなので、断片的な言葉を一生懸命読み取った結果なのだけど
傷付き方、悲しみ方、立ち直る過程、全てが違う
筆者夫婦もそのように見えた
私の夫も自分の感情の機が熟したと感じるまでは「なんとなく」で行動を避ける傾向がある
それを思い出した
まあ当たり前だけど筆者さんと私の夫は全く違う人間なんだけどね
勝手に思い出しちゃっただけで
でもそんな風に読んでたからトップブコメの筆者さんを責める内容に驚いたってだけで
赤ちゃんの死後のお父さんの悲しみって、お母さんの悲しみよりもケアが手薄くなりがちなんだ
これは赤ちゃんを亡くした夫婦向けのブックレットにも書いてあった
男の人って感情を巧みに表現できずに大丈夫そうに見える態度を取りがちな傾向があるらしい
そんな私に夫が言ったのは「気持ちを表現しない=溜め込んで辛いという訳ではない。逆に気持ちを表現できる=発散できてるから大丈夫って訳でもない。だから俺は君のことも心配だ」という言葉だった
その言葉で私達の悲しみ方の違いが初めて実感できた
赤ちゃんを亡くした場合の気持ちのケアよりわかってもらえそうな似た例だと、お父さんの産後うつへのケアとかかな
そっちもやっぱりまだお母さん向けのケアより手薄だと思う
夫婦や家族のこと、複数人が登場してそれぞれの立場に自分や周りの人を投影しやすい経験談のようなものをネット上に書くと、どうしても登場人物同士を比較して誰か1人を批判する人が出てくる
そういう目を大事な家族に向けられたくない、というのが私が今まで家族の経験をネット上に書くのを躊躇って、想像上の腐女子になり切ったお気持ち文やらなにやらばっかり書いてた理由だ
勝手に想定した人物の気持ちになって捏造したエピソードへの感情を文に起こすのがただ好きってだけというのも大きいんだけど
ブコメを書こうとしたのを消して、匿名である増田に来たのも半分はその理由だ
だからそういうリスクがあっても起こったことをそのまま文章にして公開してくれる人は尊敬に値する
どうでもとぐろまきすぎうんち
読むと妻の身体に負担をかけてることに心を痛めてるし、 流産では二人で泣き通してる ちゃんと心が通じてる夫婦なのに、 養子に積極的になれないぐらいで冷血極悪人扱いは普通じゃ...
マンガ題材でよくある、 遺された子供が葬儀で泣かずに居る(ように描写される)のを親族がヒソヒソするやつかー
該当の漫画が思いつかない 漫画に限らず現実でも「直後は現実感がない&葬儀なんかの対応で忙しくて泣くどころじゃない」って状況は普通に沢山あると思うが 葬儀で泣いてる遺族の方...
いやアンタそれマンガ読まない人だろ
主に突っ込まれてるのは「赤ちゃんを亡くしたことに対する夫の対応」ではなくて 「14年も辛い不妊治療を続けて妻が身も心もボロボロになっているのに 子宮全摘に追い込まれるまで養...
不妊治療やそれに伴う流産や死産への人間の感情は当事者それぞれによっても違うし他人が察するに余りあることだって元増で言ってんだろ 読解力ないのはどっちだよ