はてなキーワード: ファミリーレストランとは
(正直に言えば「苦手」というのはかなりオブラートに包んだ言い方だ。普段からイヤマフを常用している自分からすれば、突発的な子供の絶叫は暴力や凶器に近い。)
だが、個人的には別にファミレスで子供が騒ぐのは一向に構わない。そもそもが「ファミリーレストラン」だし、仮に子供の声が不快なのであれば、そこに行かなければ良いだけだ。むしろ子連れの方々が、肩身の狭い思いをしなくて済むようなレストランや公共施設はもっと増えたほうが良いとさえ思う。この国での子育ては、はっきり言ってハードモードなのだから。
ただ、子供連れが入店できない空間もあって然るべきだとは思う。地球上の人類全てが子供に対して寛容という状況はありえないし、自分みたいに聴覚刺激がとことん苦手な人間だっている。
思えば自分が昔海外に住んでいた頃には、子連れが入店できない店なんて普通にあったし、子供がいる夫婦がそういう店に行く時には気軽にベビーシッターに預けることもできた。その代わり、街ゆく人は子供に対してとても寛容だった。怖そうなおじさんも、パンクなお兄さんでさえも。子供の声なんだから我慢しろ!という言説も聞いたことがなかった。
この国ではそれがない。全く。
なぜだろうか。個人的には、日本に蔓延する「子供と大人の棲み分けを一切許さない空気」が原因の一つに思える。棲み分けがなされてないからこそ、世のお母さん達は子連れで入れる店が少ないと感じる。
例えば、前述の「子連れが入店できない店」とは逆に「子連れウェルカム」であることを堂々と謳う店は、子供に不寛容な人に対して「ご入店・ご利用をご遠慮ください」と言うこともできる。
そういうことができない・なされていない中途半端な状況下、ネット上で子連れのお母さんと不寛容派の人間が殴り合っているのを見ると、なんとも悲しい気持ちになる。
日本では、いろんなバックグラウンドの人間を同じ空間に押し込めて「お互いに我慢を強要する」ことがとても多いように感じるが、大抵その場にいる全員が等しく不幸になっている。逆にお互いが不幸にならないよう、あえて不均質な空間・場はどんどん作った方がいいし、不均質さに対しては不寛容であるべきでない。
ファミリーレストランで苦情言われたの私だ
人は見た目が9割っていうやろ?
見せ方やねん、すべては。
って数日前のホッテントリにもあったやろ?
ファミリーレストランだから子供連れてきてもいいだろ?
ええで、なんぼで連れてこい。
でもな、それを親が放置しててええ、っていう理屈は大人の世界では通用せえへんのや。
泣きわめく子供を少しでもあやしたり泣き止ませる努力させてれば、店長からそんなことも言われへんかったやろ。
(泣き止ますっていう)成果は求めへん。
ヘタしたら「うるさいから何とかしろ」と言われたことすらないんじゃないか?
客はほぼ全員くっそうるせーと思いながらもでも仕方ないと思いながら我慢してるんだよ。
こっちがそうやって我慢してて、それでネットに「親もちょっとは何とかしてほしいよね」ぐらいのこと言っただけで「あーーーーはいはいファミリーレストランってのは名前だけなんですね!!!」みたいにキレてきてお前なんなん?としか思わないわ。
子供がうるせえのは子供だから仕方ないと思ってるけど、お前がキレてんのはぜんぜん許容されないから。
もしあなたが未就学児ならごめんなさい。
ファミリーレストランって名前の通り、万人に開かれており多様な客が訪れると予想するけど、
不妊治療も上手く行かず子供の声を聴くのも辛い上に高音や金切り声でPTSDに悩まされる中年女性
数少ない楽しみとして、数か月に一回福祉施設から団体で食事に来るが、大きな音でパニックを起こしてしまう重度自閉症者
やっぱりこの辺りの客層よりも子供の方が弱者性で高い位置(より優先順位が高い)に来るん?
まあ中年女性は自分の選択で別の店に行けばいいだろって反論は成り立つけど、重度発達障害は弱者性バトルで割と子供と拮抗すると思うぞ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/kochima3/status/1028656895425306625
外に連れ出すなど場所を変える努力はすべきと言うが、子供が泣く度に外に出てたら親はメシ食えないんだよ。
親だって、適度に子供をあやしつつ何とか同時並行で親もさっさと食べて、早く退店したいと思っているんだよ。
子供の泣き声や叫び声って確かに頭に響くから、一番近い真横に居る親が一番ストレス感じてるんだよ。
それを聞きつつも何も思わず平然と放置してメシ食える親なんて居ないって。
みんな心の中ではとても焦って精神的に追い込まれつつ、それでもメシ食わずに帰るわけにいかないから、
頑張ってあやすのと食べるのをバランスとりながら必死にやってるんだって。
でもファミレスの店内で怒るわけにもいかないし、せっかくの食事を険悪なムードにしたくないから、
内心では自分も泣きそうになりつつも、頑張って平然な表情を繕っているんだって。
それを「泣く子を放置して食べている」という風に受け取られるのは辛い。
子連れ家族が来ている可能性があるというコンセンサスがとれている場所じゃないの?
賑やかな子供がいるかもしれない前提を覚悟して行く場所なんじゃないの?
それとも子供は"正しく"躾ければ皆静かにできるはず、とでも信じているのか?
それともファミリーなんてのは名前だけで、実質的にはノマドワーカーが集中して仕事したり、
一人で新聞や本をゆっくり読むような場所であるべきだ!というのが社会通念なのか?
おしゃれなカフェも高級レストランも行けないし、一方街中の定食屋やラーメン屋だって行きづらいんだよ。
前者のような静寂感や気品が求められる店は当然避けるし、
後者は衛生上の理由(油がつくとか、喫煙とか)だったり、おむつ替え設備や子供用椅子が無かったりとかで回避するしかないんだよ。
子供が生まれる前は夫婦でよく行っていたお店や常連のレストランとかも、全部我慢するしかないんだよ。
たしかに子連れ大歓迎を謳っている専門のカフェやレストランも存在するよ?
結局電車やバスで移動するから、公共交通機関での不安を抱えることになる。
何よりそういうお店はそこそこ高いから、早々気軽には行けないんだよ。
そんななかで、家の近くのどこにでもあって、かつ子供用椅子やオムツ替え設備も完備されていて、
子供用メニューも存在して安心して行ける数少ない飲食店が、ファミレスなんだよ。
そこに行くことくらい許してくれよ。ファミレスすら制限されたら、
もう子連れが気軽に行ける場所なんてなくなっちゃうよ。勘弁してくれよ。
もちろん子連れではないファミリーだっているんだから、そういう方々の気持ちも重視されるべきというのは分かる。
ただ、どっちの方が行動が制限されているかというと、明らかに子連れなんだよ。他の選択肢が少ないんだよ。
それとも子連れは全部家でメシを食えってか?
時々のリラックスや気分転換、たまに贅沢もしくは料理の息抜きと思って外食することもダメなの?
ずっとお家に閉じ込めておけとおっしゃいますか?
さらに言えば、こういう状況になることを覚悟して子供作ったんだろって言いますか?
こうやって子連れを閉鎖的環境に追い込んだり、心理的に行動を制約することで、
日頃は「女性差別解消!」「母親の社会参画!」「子育てしやすい社会!」とか言っておきながら、
このこの事案については親を批判するというのは、明らかなダブスタだからな。
普段は子育て親の味方かと思っていたのに、率直にはてな民に失望したわ。
個別のブコメに反論していこうかと思ったが、面倒だからやめたわ。
結局どのコメントに対しても共通して、「ここはファミレスだぞ!?」という一言に尽きる。
その場所に定義された文脈において当然来ることが想定される客層は、
多様性の一部として受け入れられる雰囲気を醸成すべきなんじゃないのか?ということだ。
あと、「ファミレスだからといって好き勝手させたら、座席でおむつ替えを始めかねないから線引きは必要」とかいう
支離滅裂なコメントをしている奴がいたが、まじ誹謗中傷レベルで絶対に許せん。
そんな奴いるかよ。親はちゃんと設備を確認し、店を選んでいます。
トイレにおむつ替えシートがあって、子供用椅子や子供用食器もあって、お子様メニューもあって、
そういう多々の設備を確認したうえで、ようやくここなら安心して行ける!と思って行ってるの。
そこまで考えて行ってるのに、適当に座席でおむつ替え始める奴なんているかよ。
そんな線引きは当然重々きちんと認識しながら日々工夫して生活しております。
ファミリーレストランという場の定義として、その線引きがどの程度か?という問題だろ。
そこにこんな酷い偏見を混ぜて煽ってくるとか、怒りを禁じえない。
そもそも"ファミリー"の意味が違うという定義の問題なら議論の余地はあるが、
賑やかな子供は排除されるという定義の方が優勢なら、心底悲しいね。
前述の通り、ファミレスはトイレにおむつ替えシートがあって、子供用椅子や子供用食器もあって、
お子様メニューや離乳食メニューも提供してて、入口では子供用のおもちゃも販売していて、
これほどに「幼いお子様大歓迎の場所です!」というサインを大量に発しているのに、
それでもなお定義が違うというなら、もう何を信じてよいのか分からないわ。
はあーーー、せっかくのお盆休みの朝から、こんなことに2時間もかけてしまった。貴重な時間を無駄にした…。
日常的にお世話になっているはてブだからこそ、一児の父として今回のコメント傾向には憤りを抑えきれなかった。
でもなんだか一通り書いた後に、論理性に自信がなくなってきた。やっぱ当事者としての主観すぎるのかなあ。
きっとこの記事も批判されるんだろうな。やっぱり俺はてなに向いてないのかな。はてなやめようかな。
内容が何であれ、必ずファミレスで話をする。
「形骸化して名前だけが残っている一例だよな、ファミリーレストランって。オレらみたいにファミリーじゃない奴らのほうが多く利用している」
シューゴさんはレバノン料理を食べながら他愛のない雑談から始めようとするが、父はそれを無視して質問をする。
会話にかける時間は、初めに注文したメニューを食べ終わるまでと決まっていた。
「……今は監督業からは身を引いている。もともとオレはアニメーターだから、そっちの仕事をやろうと思っているんだが、どうも監督のイメージが強すぎるようで“恐れ多い”らしい」
「では、今のところは仕事の予定は入っていないと?」
「一応、あるっちゃあるけどな。まだ不確定の企画だが、スタッフの募集は始めているらしいから、これに申し込もうかなあと」
画面には『パンチスターター』とかいう、クラウドファンディングみたいなことをやっているサイトが映し出されている。
そこには「完全オリジナルアニメ」と銘打った企画が書かれていた。
「シューゴさん……その企画、製作委員会方式を一般人まで巻き込んでやってるようなものですよ。しかも企画側がかなり有利な条件になってます」
「別にオレは構わん。アニメのビジネスなんて、何も考えずにやったらギャンブルだってのはマスダさんも分かってるだろ。ギャンブルで破産しないようにするにはリスクヘッジをするか、どこかから搾取するかの二択だ。それを選べたら上等ってわけでもなかろうよ」
「そんなことしてまでアニメを作りたいんですか」
「そんなことしてまで観たい人間がいる。素晴らしい環境じゃんか」
シューゴさんが大仰な言葉で何かを褒めるときというのは、大抵は皮肉である。
それは現状にあまり満足していないことを露にしていた。
「シューゴさん、ハテアニに戻ってきてください」
やはりその話か、とシューゴさんは溜め息を吐いた。
「そうは言われてもなあ。監督だとか大層な役職に聞こえるかもしれんが、所詮オレは雇われだ。あんたらが戻ってこいって言って、俺にその気があれば万事OKってわけじゃないんだ」
「ただ真っ向から戦うには、まずシューゴさんがその気になってくれなければ」
「そこまでして誰が得する。皆が思ってるほど、オレは大した監督じゃない。『ヴァリオリ』を作るのにオレである必要なんてねーんだ」
シューゴさんは口ではそう言うものの、彼が作品に対して強い思いのある人間なのを、父は知っていた。
でなければ、アニメの監督を何年も続けられるわけがないからだ。
「次の『ヴァリオリ』の監督、ヒキイ・セメルさんが第一候補ですよ」
「ヒキイ・セメル!? 確かにすごい監督だが、『ヴァリオリ』の作風に合わねーよ。哲学的だったり宗教的な要素を入れたがる奴だぞ。しかもラブコメにすら戦車を出したがるミリオタだ」
「サンユタ!? イメージ回復のためにオレを監督から降ろしておいて、なんでアクの強い監督を後任に選ぶんだ?」
「まあ、ちょうど手が空いてそうなのがその人ってのも理由としてありますが」
そこで父は、シューゴさんをその気にさせるため、根も葉もない情報で彼の自尊心をくすぐる作戦に出た。
そして、その作戦は見事にハマった。
「ああ? もしかしてオレを焚きつけるためにそんな話をしたのか……分かったよ。挑発に乗ってやる」
これで準備は調った。
後は上に話をつけにいくだけだ。
iPod Touch (6th generation) が好きすぎる。
なんといっても軽い。
だから手に持っていても疲れない。
小さいのはよいことだ。
カードのように、2本の指でつまんで持ち歩くことができる。
むしろ、これでよいと思っている。
電子書籍を読んでいると、画面が小さければ小さいほど視線の移動が小さくて済むので、楽だと感じる。
Kindle Paper Whiteも持っているが、もうiPod TouchでしかKindle書籍は読まなくなってしまった。
軽いので、立ったまま片手で物を書きつづけることができる。
フリック入力に慣れると、キーボードを使って各スピードとそれほど変わらなくなった。
8000字ほどのテキストをiPod Touchだけで書くことも最近はよくある。
安いので、壊れたり失くしたりしても、緊急の時はその辺の電器店に行けば代わりが買える。
難点は、ウェブブラウジングがもっさりしているように感じること、バッテリーがすぐなくなることなど、あげればきりがないが、これくらいの価格で、こんなに小さい端末なら、しょうがないかなと思っている。
iPod Touchの「本来の使い方」なるものがあるかどうか知らないが、音楽用のデバイスとして使われているのを街中でかなり見かける。
POSシステム用のサブディスプレイとして使われていたり、サイゼリヤ等のファミリーレストランの注文管理用端末として使われていたりする。
iPod Touchがなくなると困る企業が結構あるのではないだろうか。
iPodはすでに終了したビジネスだといわれて久しいが、どうかiPod Touchは退役させないでほしいなと切に思う。
文字通りに家族が行くからファミリーレストランでしょ。学生だけでは行かないよ。
あなたはファミリーレストランを経営しています。
店内のイスの数は20脚です。
客呼びスタッフが30人店内につれてきました。
席がありません!!!!
みたいな馬鹿なことをやってないで、さっさと自分たちが抱えられるタスクの量を把握しろって話。
例え話にするとこんなことする馬鹿な経営者はいないだろう、ってなるのに実際はめっちゃいて
例えば工数見積の段階で怪しいのにOK出して炎上してるプロジェクトとかもう
「あ〜たぶんその頃になったら席あいてると思いますし、体調悪くなって休むスタッフさんもいないと思うんで、いけますよ!」
ってことだからな
全体の業務量を抑えるか、新しく店員を雇ったり店を拡張したりして、沢山受託しても回るようにするかしろ。
業務量を減らすと売上が〜とかあると思うが、そもそもちゃんとした働かせ方をして、ちゃんと回らない(収入より支出の方が多い)のであれば
そもそものビジネスモデルが破綻してる。お前経営者向いてないのでやめるか、改善しろ。
売上問題も、無駄を削減したり、付加価値の高い仕事をしたり、改善策は沢山あるから是非とも頑張って欲しい。
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①業務の一連のプロセスに無駄があって、その結果、他の時間が圧迫されてるってケース
→個々の従業員の能力向上(質)(=余暇時間の増大により予期せぬ知識の出会いを増やす(Connecting the dots))
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
まあ、ザックリでよければ説明しよう。
いくつか説があるが、水の電気分解が有力だろう。
教育とかでも定番の化学実験だし、「水が電気を通す」というイメージだけは理解しやすいからな。
だが、これを知っているなら察しの通り、水が電気を通すのは混ざっているイオンなどの不純物が原因だ。
不純物のほとんどない水のことを「純水」といい、この場合は電気をほぼ通さない。
近年では、この「純水」も認知されてきたのか取り入れられることも多くなり、電気属性が負けるということもあるようだ。
つまり、フィクションで扱われる魔法だとかで生み出される水は、純水ではなく不純物の混ざったものが主流だということになるな。
このあたりは作品ごとの設定次第だが、あーいうので生み出されるのが不純物の混じった水ということは、あれは水に似た性質を持ったエネルギーの集合体で、水そのものではないというのが私の解釈だ。
いい質問だ。
答えはYESでもあり、NOでもある。
5000円の料理は、1000円の料理の5倍美味いわけではない。
今回は飲食関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
例えば、ミシュランがやっていることは「味の分析」とされている。
彼らは日々食べる料理が定められており、それら料理にある素材、要素を分析する術を磨いている。
料理が「美味しいかどうか」を判断しているというより、「優れているかどうか」を分析しているという具合さ。
もちろん、あらゆるコンテンツの批評にいえることだが、最終的には個の価値観によるところが大きい。
だが、それでも権威を持っていることにはそれなりの理由があるのさ。
まあ、どうせそういうところで紹介される店には一生縁がないだろうから、私や君のような人間には関係のない話さ。
そりゃあファミレスだろう。
居酒屋が行きやすいというより、ファミレスが明らかに行きづらいという意味だぞ。
だってファミレスって「ファミリーレストラン」の略なんだろ?
そりゃあ現代ではほぼ形骸化している概念かもしれないが、その事実はいつまでも付きまとうぞ。
まず大前提として僕はきわめて子供が好きだ。あやしかたなんかうまいほうではないけれども彼ら彼女らはとても愛らしい
ただ僕が子供を好きであることと子供自身が持つ人生は全くの別だ。100%の主観で他人を見て関与するのはやめておいたほうがいい
それがたとえ愛だとしても
現代は歴史上で最も人間が人間らしく生きることが難しい時代だと感じている
「なにをバカな、昔は宗教戦争があってコロッセオで人を虎に食わせて結核にかかったら必ず死ぬ時代だったんだぞ。今は飢えて死ぬことはどんなに貧乏でもありえなくどこにでも行ける交通手段があって子供に武器なんか持たせなくていいんだぞ」
とおそらく人は言う
けれど闘争も弱肉強食も宗教という信念に準じた戦争も尊皇攘夷も日本赤軍もアーリア人の強烈なナルチシズムもどれも人が自然に生きる中で生じた出来事であり、人としての感情が素直に発露した結果である。ここで書きたいのはそれが良い悪いの話ではない
現代は暴力や権力、自意識、怒りなど人が最もエネルギーを発揮する感情は全てそれがどんなに小さいものでも即座にたたきつぶしにくる
かわりに悲しみや平和ばかりが讃えられる。何か犯罪が起きた時に被害者遺族の悲しみには同情しても加害者の怒りにはほぼ誰も同情しない。特に女性は100%と言って良いだろう、聞いてみればいい
生まれた時からほぼ全員が道徳や正義、常識にそぐわない怒りというものをこれでもかと封じ込められてきた
しかしまともに生きてきた人間なら怒りほど行動力や思考力や集中力を高ぶらせるものはないと知っているはずだ
けれど「私」に蓋をすれば同時に悲しみや喜びにもふたをする。エーリッヒ・フロムはそれを抑うつの正体だと言った
これは何も先人達の闘争によって獲得された現代の平和を否定する話ではない。ただ人が有機体として生きるとは何かという話である
東京を歩いているとたまにどういう気持ちでいればいいのかわからなくなる時がある。人はその時々の環境によって見せる顔も役割も気持ちも違う
意識せずとも経験や自然な感情の流れでその場その場に適応していく
悲しい時には泣けばいいし笑いたい時には笑えばいい。そうやってその場の温度がつくられる
けれどどういう気持ちでいればいいのかよくわからなくなる時がある
貼り付けた笑顔で接客するファミリーレストラン
二面性を否定するほど子供ではないがそれでも憂慮も沈黙も罪悪感も置き去りにしているように見える無機的に見える事物が多い
愛よりも金や資本、有機体よりも無機質な物の趨勢がかなり強くなっているように感じる
I have to do 私は何かをしなければいけない
I am to do 私は「可能性、責任、運命、予定、意志」で何かをする
何かを持って何かをするというのはしなければならないと訳される一方で後者は自らでいるために何かをすると訳される。言語というのはかくも面白い
例えば笑って接客する店員はHe has the job to laugh at strangers with no reason.となる
直訳は彼は理由もなく他人に笑顔を振りまく仕事を持っている、省略すれば彼は笑わなければいけない、だ。
持つことを否定するわけではない。仕事も金も車も恋人も持つために持つと書くと強制になってしまう。欠乏している他人をさげすむ人は必ずこの思考様式である
僕自身も金に脅かされほとんど逆転してしまっている。もう抗うことは不可能なほど機械化もとい無機化が進行している
「心が叫びたがっているんだ」を観てきた。てっきり平凡な青春ものの作品だと思っていたら大間違い。一筋縄でいかない緻密な描写に裏付けられたとんでもない傑作だった。
この作品の凄みについて説明するには、素直な鑑賞方法の「青春ラブストーリー」としての軸と、「核家族ホラー」としての軸の二つの面から読み解いていく必要がある。
核心はもちろん「核家族ホラー」にあるのだけれど、まずは「青春ラブストーリー」としての軸から順を追って解説したいと思う。当然ながら以下の文章は物語の核心に触れるものなので、未視聴の方は注意していただきたい。
個人的にはネタバレのために面白くなくなる類いの作品ではないと思っているものの、まっさらな気持ちで作品と向き合うチャンスはとても貴重なものだと思う。
まずこの物語は、地元の神様的存在から呪いを受け、声を失った主人公(成瀬 順)というちょっとしたファンタジーから始まる。
最終的にはこれは本人の妄想に過ぎないということが解き明かされるのだけれど、どちらにせよほぼ全くしゃべることができないという現実には少し考えにくい境遇の人物を軸に物語が回る。
ある日学校の交流会、有り体に言えば文化祭的なイベントの実行委員に担当教官から強引に主人公が抜擢される。
抜擢されたのは合計4人で、実行委員になったのは主人公に加え坂上 拓実、仁藤 菜月、田崎 大樹の3名だ。
いろいろあって主人公たっての希望により、交流会の出し物をミュージカルとし、紆余曲折ありながらも4人力を合わせて交流会を成功に導く。というのが大まかなあらすじになる。
ラブストーリーとしては、成瀬は坂上に思いをよせるものの、中学の頃から相思相愛の仁藤という存在があったため、成瀬の恋は片思いに終わり、最終的には実は成瀬に思いを寄せていたダークホースの田崎が彼女に告白する。というところで終演した。
ここでひとつ初見で思いがちなのは、「田崎の告白がとってつけたもののように感じる」ということ。片方がくっついた一方で余りの二人がくっつくという、平和にラブストーリーを決着させるありきたりな手法に思えるし、実際そうなのだけれど、田崎の告白自体はしっかりと序盤から布石がちりばめられていた。
田崎はかつて平凡なチームの一つに過ぎなかった野球部に「甲子園を狙えるかも知れない」と夢を抱かせるほどのスーパーエースだったが、腕の負傷により選手生命を絶たれた男だ。性格は運動部らしくまっすぐ筋を通すことをよしとするスポ根の思想を持っている。
その田崎と引きこもり一歩手前の成瀬というカップリングは奇妙ではある。しかし物語でのファーストコンタクトの時点から、彼女は彼の心を動かし続けていた。
まず田崎が実行委員参加に消極的な当時、交流会の出し物を決める学級会議で成瀬をひどく侮辱するシーン。
このとき田崎は完全に成瀬を見下しており、くだらない存在と思っていた。しかし、そこで突然成瀬は歌い出し、彼女がミュージカルをやる実力があることを証明してしまったのだ。
このあと、田崎は珍しく部活動の参加をせず帰路につく。
彼女を侮辱したとき、同時に田崎は坂上から侮辱をうけており、それが原因にも思えるが、結末から逆算すればここはそうではなく、成瀬の行動に胸を打たれてのことであったのだと考える。
ひどい侮辱を受けても胸を張り、自分の実力でそれをはねのけてみせる。
前述の通り、スポ根の田崎にとって、これほど評価に値する行動はないのではないだろうか。自分が見下していて、それも真っ向から侮辱した相手にそれを見せつけられたとき、田崎は今の自分自身の姿と初めて直面したのだ。「あんな立派な彼女に対して、今の自分の情けなさはなんだ?」といったところだろう。
この後の下校シーンで田崎が仁藤を誘うというシーンが挿入されるため少し混乱するが、これはおそらく「チア部部長と野球部エースがつきあうという伝統」と、仁藤が女性的に魅力があったからという単純な理由による、破れかぶれの軽口だったと考えている。田崎は最初から仁藤については恋愛感情は抱いていない。演技や描写的にも、私には一番腑に落ちる解釈だ。
次にファミリーレストランで会合中、田崎が野球部の後輩と居合わせて喧嘩になるシーン。
ここまで説明すれば明白だが、このとき田崎は成瀬に助けられてしまう。成瀬は「いなくなれ」と侮辱された田崎を必死で庇う。言葉を発するとひどい腹痛にみまわれるというハンデキャップを負っているにもかかわらずである。(実際成瀬はこのために病院に運び込まれることになった)
ここで田崎の恋心は確定したといっていい。
またも彼女は田崎の最も評価する行動を取り、かつそれは自分を庇うための行動であったということ。尊敬に値し、同時に自分を気遣ってくれる存在。もはや恋に落ちるには十分すぎる条件ではないだろうか。
その後田崎は実行委員に積極的に参加するようになった。そこで野球部外の生徒との交流を通して、野球以外の世界、自分のかつて見えていなかった部外の生徒の特技や良いところにふれることで、次第に心を開いていくことになる。
ある日、実行委員の活動から帰路につくとき、成瀬と田崎が二人きりになることがあった。そこで田崎は彼女に今までの無礼を詫び、野球以外の世界を教えてくれた成瀬に礼を言う。ここでついに告白でもするのではないかとハラハラしていたが、それはラストシーンまでお預けとなる。
ところで、「ここさけ」のメインストーリーとして、片思いに終わるものの成瀬の坂上に対する片思いは結果的に彼女と世界を隔てる卵の殻を破り、彼を失う代わりに新しい世界へ足を踏み出すというものがある。
その第一歩が田崎の告白に他ならないのだが、その田崎自身も、野球という卵の殻に閉じこもっていたと考えることができないだろうか。
坂上は終盤直前まで主人公同然の露出率で、意図的に組まれたミスリード的存在であったが、実は恋愛ものとしては同じテーマを抱えた田崎×成瀬こそ主軸のカップリングであったと言えると思う。
その証左として、終盤の「あこがれのお城」での坂上と成瀬のシーン。
成瀬がため込んだ思いを自分の声ですべて坂上にぶつけるあのシーンで、坂上は誠実に聞きに徹する。とても凝った演出で純粋に感動的なシーンではあるのだけれど、私は別の意味でもひどく感動を覚えた。
成瀬の言葉を一つ一つ受け取っていくたび、坂上の存在がだんだんと小さくなっていくように感じたのだ。それまではまるで主人公のように振る舞っていた彼だが、すべてのやりとりを追えた後にはその影はまったく消え失せている。ミスリードの主人公として、成瀬の思い人としての役目を終える瞬間だった。最後に残ったのはただのモブ同然の男子生徒。その後のミュージカルのシーンでは王子という準主役の役目を演じるにもかかわらず、抜きで映し出されているのは成瀬で坂上は声しか聞こえない始末だった。これではDTM研のふとっちょ以下ともいえるだろう。
女性は終わった恋に対して淡泊と言うが、その心理を如実に表しているようにも感じる。ニセの主人公だったのにもかかわらず、ここまで主役のように劇中でふるまってきたのは、恋をしている成瀬のフィルター越しの演出だったのではないかとも解釈できる。
さて、青春ラブストーリーとしての他のカップリングについては、劇中で直接的描写がされているため省く。
次に「核家族ホラー」としての「ここさけ」を解説したいと思うが、その前に一つ念頭に置いておいてほしいシーンがある。それは先述にもあったが、「あこがれのお城」でのシーンだ。
成瀬は坂上に泣きながら言葉をぶつけていた。失恋の結果だし、この感情表現に対してまったく違和感はない。
しかしそれを受けての坂上の涙。これはどうだろうか。
「思ったことを言葉にする成瀬の姿に感動した」というような事を言っていたし、その言葉に偽りはないとは思う。しかし、その説明ではあの涙の十分な説明にはなっていないのではないか?と疑問に思った。ある意味で事実に沿ってはいるだろうものの、本質をかすめてはぐらかされたような気持ちになった。
しかしこの疑問は、成瀬と坂上、二人の家庭環境について読み解いていくことで明らかになる。
以下につづく
【連れてってはいけない店篇】
基本デートで使うのは駄目。食事する時に
お茶とかで使うのがギリ。
○チェーン居酒屋
団体客のオッサンが隣だったりとか、
もうマジで駄目。そして何よりも飯が不味い。
この手のお店は、1人でさくっと食べるものだ。
良いけども、それにしても男から
焼き物系のお店も気を付けたい。
1~2回くらいは既に行ってたりする。
無くは無いけど、初デートで連れてって、
知らないのか、こいつと思われる。
○客単価15000円以上の店
金銭感覚疑われる。2人で1万円~2万円の間くらいが
○客単価3000円以下の店
これも大半がNG。安すぎる。
店がうるさかったりする。ちなみに、
思われて嫌われることが多いので言っちゃ駄目。
○装飾がやたらエロい店
初デートで連れてかれたら引く。
下心ばかりの印象をあたえる。ご飯行こうとは
言ったけど、エロくなりたいとは
まだ彼女は思っていない。
○近所の行きつけの店
日常的に使っている近所の店も気を付けたい。
まず、気が緩むことで店員に馴れ馴れしくなって、
「こないだ連れてた子と違うねー」とか
辞めた方が良い。世の中のトレンドとしては、
過ぎてるので正直カッコ悪いと思われがちだ。
もちろんイタリアンでもスゴイお店はあるので、
過去行ったことがあって、ぜひおススメしたいなら別だが
そうでないなら避けるべき。
中華料理も難しい。3~4人で言ってワイワイとたべるのが
がっつり食べる系の店は基本的には向いていない。
○立ち呑み
最近はおしゃれな角打ちも出てきているが、
アミューズメントとして遊ぶなら悪くない。
今は連れてくなら日本酒系。
【じゃあ、何が良いんだよ!!という人のための連れて行って良い篇】
連れてくと減点対象だったりするので注意。
エスニックは非常に良い。もちろん
値段も安めだし悪くない。ただアジア系は汚い店もあるので
その辺りの選定は事前に要確認。
食べられる。辛い料理が多かったり、
相手の好みの上で選択してください。
また味も美味しいところが多い。
被りにくいのも非常に良い。
よく出てくるお店。予約取りにくいのは難点だが
慣れてない子を連れていくと、ビビられるので
気を付ける必要はある。
○おしゃれ焼き鳥屋
カウンターで近い距離で話せるし、
味も美味しいところが多いし、お酒も
こだわってたりするところが多い。
選択肢として考えておきたい。
そこにたどりつくまでの雰囲気も良い。
これに限った話じゃないが、季節感が出ると
いくつかコメントもらったので、
レスポンスがてら。
・自宅で手料理
できる人いるのかなー。3回目とか4回目の
誘うと仲良く楽しくできて良い。
トラバに上げてる人いるけど、悪くない。
少し難点で、飲んで語るより食事メインに
なりがち。美味しいものをさっと食べて
2件目でゆっくり呑むみたいな使い方だと良いよ。
・彼女と一緒に探す
聞いておくべきだし、事前に行く店の情報を
お伝えしておくべき。
・サプライズで連れていく
上につながるけど
いけないことあるのです。
これは店選びに自信なくて、かつ
行って、その後バーに行ってた。
低いのでそんなに失敗しない。
【もう少し追記】
みたいな男性には良さそうではあるよね。
・靴脱ぐ系
和食屋の所で書いておけばよかった。
そう、靴脱ぐ系は予め言っておかないと
駄目だよ。
嫌がる生き物なので注意ね。
外飯が超好きみたいな男でない限りは
大体女性の方がお店詳しい。
って思っている子が多いのも事実。
そういう相手の時は、2人で話して、
ここ行こうとかあそこ行こうとか
ワイワイやれば良いんじゃないかな。
・結局のところ
相性良くて楽しませられるなら、どこ連れてっても良い。
次郎でも和民でも始まる恋はあるよ。きっと。
終わらせたほうが良くないかな。という意見。
頑張ってください。
こないだ、夜にファミリーレストランに行ってきたの!
なんでかって言うと、
広い机が素敵!
ファミリーレストランで書き物とかおしゃれじゃない。
学生みたいだわ。
こんなことをするの初めて。
で、ご飯食べに来たんじゃないので、
ご飯は頼まないから、
でも、ビールは頼んじゃった。
で、2杯目。
結局、眠たくなって帰って寝ちゃったわ。
何しに行ったのかしら。
でもさ、思い出したんだけど、
自分の部屋に机がなかったんだけど、
今思ったらどうやって勉強してたのかしらって。
不思議だわ。
でも、ファミリーレストランっていいわね!
またそれ、お昼にもおにぎり持って行くわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
仕事中にガストから「芋が安いよ!」と通知が来た。スマホアプリで見ると、なるほど安い。ほかにもいろいろ安い。というわけで、仕事帰りにガストに行ってみた。夕飯を外で、となると、なんとなくうどんだったりカレーだったりしたので「ファミリー」レストランからは足が遠のいていた。昼食なら選ぶんですけどね、ガスト。日替わりがあるから。
19時ごろに入店してびっくりした。若い子がいっぱいいる。こんなに若い子がいたのか、と驚くばかりだ。ふざけて木の皮をはがしたらテントウムシがいっぱいいた感覚だった。安くて、テーブル席で、食べるだけの雰囲気じゃなくて、居てよくて、のように居場所がほしい若い子たちにはファミリーレストランは格好の選択肢なんだ、と教えられた。おっさんだとすぐに居酒屋にいくもんなー、それくらいの金はあるから。なんか酒を飲みたいし。夕飯にファミリーレストランを選ばない理由は酒がないからか。メニューを見ればなくはない。ただ肴は少ない。刺身は当然ないし、冷やしトマトもない。当たり前だが。俺が彼らくらいの自分はファミレスは近くになかった。岡山の山奥にはなかったんだよ。
あと、1人で来てる奴なんていない。おっさんなんていない。それどころかしっかりご飯を食べてる客はいない。みんな軽い。隣の高校生4人組は全員が芋、から揚げ、ポテトグラタンとぜんぶ割引クーポンメニューだ。金はないけど食べたいもんなー。そりゃそうなるわ。
隣が女子高生2人組で、聞こえてくる話題はなんかさっぱりわからん。でも声が愉しそうだ。周りを見てもみんな楽しそうで、俺みたいに食事のみの雰囲気ではない。ここには井之頭五郎、吉田類は来そうにない。俺も来てよかったのか疑問だ。すこし離れた先のにいちゃん2人組はすごい姿勢で腰かけて、ただただスマホをいじり続けている。テーブルにはドリンクバーだけがある。それが愉しいんだろう。
いつまで噛んでもなくなる気配がないが咀嚼していればそのうち口の中で溶けて消えていく時が来る、消えても口の中はガムの匂いに侵されている、人と会話している時に絶望という口臭に気づかれないだろうか
そんな感じだ
あえて時代観を述べなさいと言われたら僕は「感情の喪失と排除」だと答えるだろう
例えば現代は怒りに関してはとても不寛容だ、twitterなどでDQNが店員を土下座させていたりするとすぐに共感性が欠如したアホウが湧いてきては社会的制裁を与える
しかしよく考えてみてほしい、人はその時の感情によって怒りのリミッターなどすぐに外れるものだ。僕は高校生の時に500円の借金を返してくれない友人にキレたことがある
理由?ただ虫の居所が悪かっただけだ
キレたことがないのでわからない?おまえはおまえの人生を生きることに尽力したほうがいい
500円で失う友人との関係という社会的損失のことなど頭によぎることもなくキレた、がこんなことをネット上に書いたらなんとバカな人間かと99%の人間が非難するだろう
しかしDQNに土下座させるのも友人にキレるのもネット上で非難するのも単なる「刺激に対する反応」だけで本質はそれほど変わらない
全てを押しなべて考えることができる人間は人の感情が発露した行動にたいして救う気があるなら優しさを見せるかもしくは黙るはずだ、秩序を守る裁きは裁判所でやればいい
よるするに怒ることは恥だなんていう浅薄な考え方が蔓延っている
絶望も同じだ
リストラや借金や失恋、離婚などなど積み上げたものがぶっ壊れたりいきなり奈落に突き落とされる絶望なんかそこら中に転がっている
しかし満員電車で肩を落として座っているわけにはいかない、会社に「失恋したのでしばらく休ませてください」なんてことも言えない
一人でファミリーレストランで酒を煽るわけにもいかない、こじゃれたバーに死んだ目で座っているわけにもいかない
うつ病やパニック障害などは人を嫌うのではなく避けるようになる。これは人が持つ価値観にたいして違和感を持つようになるからだ。うつやパニックの人はけっして人が嫌いだという人ばかりではない
人を嫌うのではなく自らとの錯誤を感じる人のその偶像を嫌うのだ
すこし前までは絶望という経験はとても大切で心を落ち着かせるものであったような気がする。飲みやでは昔の苦労話を笑って誇りのように話す人がたくさんいた
最近はあまり聞かない、それは絶望が恥であるという妙な価値観が格差という言葉に踊らされた人によって作られてしまったからだろう
死んだ目をして肩を丸めて黒いダウンを着て缶チューハイを片手にベッドタウンを歩くことの何が悪いのだろうか
頼むから静かにしてくれ
出会ったんだけれど、一戦交えるまでは至らなかった女の子たちの記録の続き。
M子ちゃん。この子もダイヤルQ2だった。高校生だった。当時の東京都は淫行にはならなかったので、とりあえず、話し込んで会う約束を取り付けた。住んでいる場所も近所だったので、車で約束したコンビニの駐車場へ23時頃到着。待っていると、フロントガラスの向こうに手を振る乙女が一名。
助手席に乗せて、女の子の家の近所では問題があるだろうから、少し離れたファミリーレストランへ行った。席へ案内するウェイトレスが明らかに不審そうな目でこちらを観察しているのを感じる。
今夜は友達の家に泊まることになっているので、家は心配しないで良い。スリムで肩までの髪。タヌキ顔で垂れ目の(当時の)今時の女子高生。こちらは若くは見られるが20代後半なので、10歳は年齢が離れている。
他愛のないおしゃべりをした。これだけ歳が離れていると、どうしても保護者感覚になってしまう。ので、結局、お茶しただけで、再び先ほどのコンビニまで送り、またね~、とさよならした。連絡先にPHSの電話番号を教えてくれたので、その後、何回か電話したのだが、着信拒否された。もちろん、二度と会うことはなかった。
N子ちゃん。この子もダイヤルQ2。結局、ダイヤルQ2が一番効率が良かったな。K駅のコインロッカー前で待ち合わせ。柱の影から現れたのは、黒のレザージャケットに、グレイのタイトスカート、白のセーターに黒のブーツという、モノトーンで決めたお姐さん。初対面時に、相手の戦歴が自分より上か下かは直感で瞬時に判断できるのだが、この子は明らかにレベルが上。かなり、上。しかし、せっかく、神様が巡りあわせてくれたのだから、引くことはできない。胸を借りるつもりで戦いに挑んだ。
K駅北口の居酒屋で飲みつつお話をする。何かの販売員さん。結局、何の販売員さんかは明らかにならなかったなあ。レベルが上の相手なので、苦手なお酒をこちらも飲んだ。で、話を酔っ払いながら続けた。
途中、尿意に襲われ、ちょっと、おしっこ、と立ち上がりつつ、一緒に行く?、と尋ねると、含みのある表情を浮かべた。この時、ああ、この子はトイレでやっちゃったことがあるんだなあ、と、悟る。もちろん、聞いたわけではないが、これも直感で悟った。間違いない。しかし、トイレについてきてくれることはなく、一人寂しく放尿に出向いた。
酔っちゃった、もう終電いっちゃった、といいつつ、同駅のラブホのありそうな地帯をうろつき、大丈夫、何もしないから、と言って、ラブホヘイン。入って同じベッドで横になったが、本当に酔っ払っていて、的確な攻撃をすることができない。パンツの中に手を突っ込もうとして、そんなことしたら、一緒にディズニーランドへ行ってあげないよ、と言われ、引き下がった記憶がある。そのうち、眠る。しばらくして、吐き気で目覚め、トイレで居酒屋で仕込んだものを吐き出す。N子ちゃんに大丈夫?と心配してもらいながら、朝までうんうん唸っていた。
朝になり、帰宅。その後、ディズニーランドにいつ行く?なんて電話があったが、そのうちに行こうねと言ったきり、連絡しないで終わる。まあ、吊り合わないし、苦手なギャル系だったんで。