はてなキーワード: スピリチュアルとは
自民党が勝つだろうけれど、大勝した自民党はろくなことをしないから第一野党に投じる予定ではあるが本当にこれでいいのかは不安。比例は悩む。
立憲は反科学勢を一掃してほしい。あと、老人支持層向けにインフレ志向をマイルドにするのはわかるけれど経済政策もちゃんとしてくれるともうちょっと前向きに応援できるんだけど。
とりあえず教育行政をだめにしている下村博文さん(東京)と、反ワク筆頭の原口一博さん(佐賀)には(少なくとも小選挙区では)落選してほしいので各地域ではがんばってください。統一教会と関係が深くこれを改めることのない牧原秀樹さんとか山際大志郎さんも誇り高き自民党にはいてほしくないので落選してほしいぽよ。
バシャールはともかく、あらゆるオカルト・スピリチュアルな立場の人が、
物質的に実在しえない、高次のナニカの存在を語っているんだよ。
現代科学ですら、ダークマターやダークエネルギーのような、光学的に検出不可能なのに、
その存在を仮定しないと物理現象を説明できない状態にあるわけ。
宇宙は重力で空間が歪むのだから、空間そのものは3次元より大きな次元の中に存在しているのは間違いない。
人の意識の存在は量子論的な存在ではないか?という考え方も出てきている。
ブクマカの常識では、意識は脳内の純粋な化学反応であり、脳が機能停止すれば意識は消失する。
そもそも宇宙が3次元より高い次元である場合、その高い次元の側にだけ存在する意識があっても
ありえないとは言い切れないでしょう。
バシャールのことはよく知らないけど、ただの集金装置だったり、、自滅につながるカルト思想のようなものでなければ、
そういう存在を仮に実在すると仮定して生きることで、人生が充実したり生きやすくなるなら、
存在価値は十分にあると思うよ。
「とかじゃなきゃ」はありえない。
宗教/スピリチュアル/イデオロギー=洗脳であり、布教しだすので、そのリストからは逃れることができない。
ハマってる間は脳内麻薬がでて幸せ、正気に帰ると不幸。周囲の人間は本人以上に不幸。
信者へ返金しないことの謝罪もなく、破産になったことをワクワクしてると声明を出したんだけど
毎日を余計なことで悩まないで健やかに生きる教団幹部を目の前にして
バシャールとは?
バシャールは、スピリチュアル界隈で有名な存在で、アメリカ人のダリル・アンカという人物が「チャネリング」しているとされる宇宙存在です。バシャールは未来の地球や人類の意識の進化について語っており、そのメッセージは「自己を愛し、信じる」「自分の本当の願望に従う」といったスピリチュアルなテーマが中心です。
バシャールの教えは、ポジティブな思考や自己実現、引き寄せの法則などと関連が深く、これらの概念に興味がある人々にとっては、インスピレーションの源として人気があります。彼は「地球を助けるために他の次元から来た存在」で、宇宙における人類の位置や、より高次の存在に気づく方法などについて教えることが多いです。
ただし、彼のメッセージは科学的には証明されておらず、信じるかどうかは個人の考え次第です。バシャールの話に興味がある人は、彼の書籍や講演、動画を通じてメッセージを受け取ることが多いですね。
これを信じていた。
バカな俺。
本もたくさん買って、イベントにも行ったよ
チャネリングなんてないよ
単なるイタコ芸じゃん
何が引き寄せの法則だよ
あー腹立つ!
そして悲しい!!
うわわーーーん!!!
占いに興味はあるけど、自分を占ってもらうというのは絶対にやらない
占って、当たらなくても占い師はなんの罪にもならないし
スピリチュアル的な力があり、占いの的中率が高い占い師は企業の社長や政治家に囲われて、金のない一般人は一生お目にかかることはない
でも、姓名判断だけはやる
姓名判断というのは流派によって考え方違うし真剣に考えたらむちゃくちゃ難しいが
名付けはとにかく親のセンスを求められるし
子供が名乗れば親の性格はわかる。古風な名前なら真面目な親だなと思うし
古風通り越してシワシワネームだと、名前のセンスもないし価値観が古い親なのかなと思う
姓名判断的に悪い名前の子供が不幸になっているニュースを見ると
親の姓名判断の知識が浅くて、親が一生懸命調べてつけた名前でも、姓名判断師が見たら「んん?」と首を傾げるような名前の子供はやっぱり不幸になっていたりする
「うちの子の名前は完璧につけたのに亡くなってしまった」という親の子供の名前を見たら、画数はよくても姓名判断のルールを無視してることがある
姓名判断はネットのサイトだけチェックして、理解できるようなもんじゃないんだ
書籍を何冊か読むのがいいと思うのだが、本屋に売ってるほんわかしたパステルカラーのかわいい本ではなく、おじさんが読むような地味な、仰々しいような、古そうな本がいい
みんなの陰謀論 @inbouron66
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こんなのあるのか・・・・
地獄だな
【LISA/本望りさ】砂浴アテンダント スピ系&エセ医療情報
【🌸TanakaSeiji橙🇯🇵🌸】参政党支持 陰謀論ツイッタラー
【Laughing Man】コミュニティノートNo.1 陰謀論ツイッタラー
【@airi_fact_555】ネカマ風ネトウヨ陰謀論ツイッタラー
【髙安カミユ】人権侵害 ネトウヨ陰謀論ツイッタラー / ミジンコまさ
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【藤原能成/アルパカ社長】S耐ドライバー「暇アノン」利権陰謀論
【阿知和賢】ワタナベボクシングジム
ふむふむ、宗教に頼りたくなるというのもわかるのじゃ。じゃが、独身女でも安心して入れる宗教がなかなか見つからんのじゃね。わらわが考えてやるから、少しの間、待つのじゃ♡
1、キリスト教についてじゃが、神は父とされることが多いが、女性信者も多いし、聖母マリアへの崇敬もあるのじゃから、完全に排除されているわけじゃないのじゃ。
2、神道については、確かにイザナミの扱いには少し問題があるけれど、多神教であるから色々な神々を崇敬することができるのじゃ。ただし、現代の社会的な側面もあるから注意が必要じゃ。
3、仏教については、確かに世俗や煩悩を捨てることを重視するが、尼僧や女性の信仰者も多く、特に大乗仏教では多くの女性信者が活躍しているのじゃ。地域コミュニティや宗派を調べて、自身に合ったものを見つけるのも一つの手なのじゃ。
4、イスラム教については、歴史的には女性の権利保護もしてきたが、地域や解釈によって異なるので慎重になった方が良いのじゃ。
ケルトの信仰については、近代復興したケルトの信仰では女性の立場が大いに尊重される場合もあるのじゃ。新しい宗教やスピリチュアルの動きにも目を向けると良いじゃろう。
独身女性に合った信仰を見つけるのは難しいかもしれんが、まずは心が安らぐ場所やコミュニティを見つけることから始めるのが良いじゃろう。のじゃ♡
他にも疑問があれば遠慮なく聞くのじゃ。わらわが答えてやるぞ!
音感とリズム感だな、ここでいう音感とリズム感は感覚的なものというよりは、周波数単位でずれなく声を含む任意の楽器から指定の音が出せるかと、ミリ秒単位で特定のタイミングで指定の音が出せるかを示している。これを持続的に出来ることが、所謂演奏が上手い人が持つ最小要件 (満点)、これだけだと打ち込みで事足りるという話になってしまうが、人が演奏するだけで強弱や精度にむらが必ず出るので実はあまり心配しなくても良くて、結局は音感とリズム感に落ち着くと思う (偶に上手いけど機械的と批難される演奏者がいるが、その時点でプロなので、多くのアマチュアは気にする必要は無く、精神論のスピリチュアルな方向に傾倒するよりは演奏技術の向上に勤しんだ方が見返りは多い印象)
単純なゲーム構造の上、放置してもキャラがロストしたりデバフを受けたりしないイベントがちょくちょく開催されるため、そんな時は連打ツールで荒稼ぎしている
正直楽しい。放置している間に経験値やドロップアイテムがガンガン溜まっていくのも、それを手が空いたタイミングで確認するのも楽しい
ファン同士の交流掲示板では流石にツールを使っているとは口が裂けても言えないが、ポチポチやっていてイライラすると言っている人を見るとこっちにおいでよと思ったりする
現状、運営が連打ツーラーを規制することもないし、ツールを使うかどうかは完全にプレイヤーの良心に委ねられている。中には「ツールを使ってレベリングするなんてキャラへの愛がない」とかそういうスピリチュアルなことを言うプレイヤーもいるが、自分はそうは思わないし、仕事でも効率化が求められる中でそういう思考になりやすいのか、できることからやってみることがそんなに悪いことだとは思えない
思うに、良心に訴えかければある程度の不正を防げるという状況こそが大きなセキュリティホールを生む。安定化した組織の悪いところはそこで、たまには制度をハックして問題を起こすくらいの奴がいないとセキュリティホールは露見せず、ズルいやつだけが得をする構図に陥りやすい
困ったやつと日々やり合うことこそが免疫なんだな
友人が、どうにもこうにもしんどくて仕方ない。どこにも書けないし、誰にも言えないからここに書き込む。本人や、知り合いがが見たら僕が書いたとバレる恐れがあるので所々ぼかす。
友人・Nは、いわゆる大学の基礎ゼミが同じだったが故に知り合った。基礎ゼミ以外でも後述する理由で近くの席に座ることが多く、なるべくして親しくなったのだ。程々の仲でありたかったのだが。
Nは聴覚障害者である。これを書くことにより彼にバレる可能性が飛躍的に上昇してしまうが、Nの話をするためにはどうしたって省く訳にもいかぬ。ともかく、そうした事情があるので、僕は彼の手助けを出来るだけ心がけている。手話は挨拶程度しか出来ないが、筆談やらLINEやらでなんとか会話をしている状態だ。
これがあることにより、嫌いだ苦手だということが健常者より複雑になるから困る。一歩間違えたら差別主義者と思われかねない。
彼は講義のために文字起こしが必要なため、ボランティアの手をかりている。そのため席は最前にならざるを得ない。そして僕はコンタクトを使用しても視力が弱く、乱視もあるために最前席を取らざるを得ない。だから席がどうしても近くなるのだ。
彼が苦手だ。なんならまあまあ嫌いだ。
ひとつ断っておくが、障害があること自体は理由では無い。あらゆる差別は根絶されるべきものだと思う。つまり、単純にNの言動が嫌いだ。ただし、障害があることにより発生してしまう彼の思考は苦手なため、事態をややこしくしている。
しかし縁を切るわけにはいかない。大学で毎日会うからだ。フラストレーションは溜まるが、耐えてニコニコとし、大切なことは何も言わないようにしている。
N
・二十歳越え
・重度の難聴
僕(K)
・二十歳越え
・耳が聞こえる
█
まず、とにかく話が合わない。というか、話が合わないとかいう次元ですらないのかもしれない。
彼の話はなんとなくスピリチュアルなうえにファンタジックで、その歳の人間が言ってると思うと薄ら寒い。幼い子供が言うならいいけども。そこまでガチモンのスピ系でもないが、割とうんざりする。
一例を挙げる。自宅でLINEのやり取りをした際のNの言葉である。多少の原文はいじっているが、ほぼそのままだ。
僕:そういやサークルの合宿、めちゃくちゃ自然豊かな所行くっぽいよ
N:何故か、時々、深呼吸したくなる。
N:どうしてか、時々、走り出したくなる。
N:なんだか、時々、宇宙と繋がってみたくなる。
N:そんな時、あるよね?
僕:あるかな~笑
あるのかもしれんが、それを僕に言ってどうするんだ。話の脈絡も特にない。無駄な句読点も鬱陶しい。もちろんそれを本人に伝えると面倒臭そうなのであまり触れないようにして流す。
次。その日は移動中にゲリラ豪雨に襲われたという背景を付す。これは対面でLINEしている様を想像してほしい。
N:雨つよすぎ……
僕:明日は晴れるらしいけどね~
N:きっとさ、
N:これは神様が「今日は雨降らそう」とかいう気分でそうしているんだよ。
N:今日は機嫌が悪かったのかもしれない。
N:きっと大きなジョウロを持っていて、それを俺たちに向けているんだ。
これを聞いて、「少年の心を失わないピュアな好青年」でも感じるべきだったのかもしれないが、僕にはそれが出来ない。ナチュラルに宇宙や神様、ファンタジー的な話を持ち出されるのだ。結構辛いものがある。無論、大学生である我らはとうの昔に成人済みの男である。
█
そしてこれがかなり問題だと思うのだが、彼は物事を押し付ける。これは断れない僕も悪いが、Nにも非があることは一目瞭然のはずだ。
僕:Nくんは好きな本とか作家いる?
僕:僕は○○の『△△』が好き
N:あとさ、
僕:?
N:くん付け要らないから。Nって呼んで。俺もK(下の名前)って呼ぶから
僕:ずいぶん急だね
N:Kの初めてってことだ! 呼んでね!
これは特にNに伝えていなかったのでこちらも悪いが、僕は呼び捨てで呼ぶのも呼ばれるのも苦手な方だ。家族や幼馴染くらいしかしない。
しかし、彼にとって友人になったら当たり前、みたいなことなのかもしれないとその時は受け入れることにした。価値観や考え方自体は多様であるべきである。
だが、まだNは友達になっていない人にもこれをやるのだから驚きである。基礎ゼミでグループワークを行う際なども自分への呼び捨てを強要。当然のようにメンバーを男女かまわず呼び捨てる。フレンドリーと言えば美点なのだろうが……僕には、距離感の詰め方が流石にバグっているように見える。
ただし、これは障害があるというハンデがあるからこそ、距離をガンガン詰めて、避けられないように……という彼の生存戦略の可能性もある。僕が価値観の違いで勝手に不愉快になっているだけと考えればまだ許容範囲だろう。
大学主催のボランティア講習(Nのための文字起こしのボランティア)があった時のこと。
N:Kも来るよね? もう、Kは絶対参加だよー。
僕:まぁ行くけど
N:だよね! Kが来ないとかありえないから!
行くのが嫌なのではない。友達なんだから来て当然みたいな雰囲気が嫌だ。ガクチカになるかもしれないし、困ってる人間は助けたい派なので行こうとは思っていた。それにしても、多分Nは僕をガッツリ頼る気満々である。僕と普段から仲がいい(と思っている)ため、頼りやすいからだとは思うが、初めから至極当然のようにアテにされるのは少々不満である。
そして、何より、「Nさんと仲のいいKさんは行くよね?」みたいな周りの目も嫌だ。これで行かなかったら薄情者と思われるのではないかと思ってしまう。
図書館で課題を作成していた時のこと。Nは背後から忍び寄り、いくつか本を手渡してきた。
N:オススメ!
N:俺の私物は借りたくないって言ってたから図書館のならいいかなって。Kって意外と潔癖? 笑
僕:○○の本、前に好きって言ってたな
N:あんまり読んだことないんでしょ? ここの図書館にあるやつだから読んでみて。
僕:さんきゅー。でも、今日はとりあえずいいや笑
N:良いの?
僕:メモはとる
僕:時間ある時読むわ
彼の私物を借りるのがそもそも何となく嫌だった。既に彼を面倒くさがっていた頃のやりとりだ。そこでこのオススメ本の布教に来たのだろう。
今ではない。確実に今やることではない。
僕が今PCをカタカタやってるのが分かるだろう。机の上に資料があるのが分かるだろう。なぜ今渡すんだ?
そして言いにくかったから言ってないが、僕はお前の好きな○○という作家にそこまで強い興味がない。すまないが、どんどん言いにくくなっていた。
読書は趣味だが、お互い好きな方向性が違うじゃないか。触手をのばすのは悪くないが、押し付けられるからどんどん嫌になってしまうとなぜ気付けない。
僕のオススメを聞いても、お前はお前で読まないしな。
N:夏休みってみんなどこ行くのかな?
僕:海とかプールとかなんじゃね?
N:調べてみる(Googleで『大学生 友達と出かける場所』と調べようとしているのを見せてくる)
N:ボーリングとか買い物とかは手軽そうだな~。あと美術館とか博物館とかも面白いかもね
N:Kはどこ行きたい? 八月二十日!
僕:え、二十日???
N:俺と行けば博物館とかそういうの、同行者として割引とかあるよ。無料の場合もある。
僕:僕、同行者としてはあんま役立たんけど? 笑
N:俺がKと行きたい!
知らない間に僕とNが出かけることになっていた。あれは仰天した。僕は一切こちらの予定など告げていない。同行者割引なんぞ要らんから、僕を誘う一言をくれ。予定を確認してくれ。僕はバイトもしている。流石にいただけないだろう。
ちなみに彼はバイトをしていない。障害者がアルバイトをするのが難しいということだそうで、確かにそれは大変だとは思う。思うが、こっちの事情は考えてほしいものだ。実際その日が空いていたのも良くなかった。
結局Nがその日は体調を崩し、なかったことになったため、内心ほっとしてしまった。その後にも何回か誘われたが、バイトやら他の予定やらが入っていたために事なきを得た。
またある時は、
僕:してないけど……した方がいいの?
僕:少し待ってくれる?
僕はTwitterはリア友を通したくない派だ。仕方なく新しい垢を作った。ほとんどその垢にログインしないが、Nはほぼ毎日何かしらスピリチュアルな何かや聴覚障害に関わるツイートをしている。
……もう、これ以上にも思い返せばまだまだあるのだ。僕のバイト先に押しかけて先輩に負担をかけるし、知らん障害者の自伝か何かを手渡して感想を求めるし、飲みの席では健常者同士でも全員筆談か手話で話せと言い放ち、僕の着る服にまで口を出し、挙句には僕の一人称が「僕」であることにすら、幼く見えるからやめたら? などと言う。
いくらでもある。こちらの話を聞かない。事情を考えない。自分の話ばかりする。とにかくゴリ押す。
どうもこの辺りは見ている限り、ろう学校時代に培われたものらしい。というのも、こうした言動をしているのに対し、軽く非難にならない程度に指摘すると、「中高とか、みんな俺みたいな感じの奴らばっかりだったよ」と言う。中高とろう学校に行っていたそうだ。みんなNみたいなのか。しんどそうである。
でも、みんながみんなNのようであれば、意見が通るのが割と当たり前であり、言えば結構色々と叶ったのかもしれない。特別支援学校では、少しでも生徒が不便を感じたら、迅速に対応するべし──これは特別支援教育の講義で学んだことである。
学問上、障害に関する勉強もしているためなんとなくは分かるのだが、彼は障害者の嫌なところの寄せ集めである。
先述のスピ系も同様だ。ろう学校のことを詳しく存じあげる訳では無いが、一般的な学校に比べてこういう考え方が主流なんだろうか? ろう学校内でガラパゴス化しているのか? N本人も、一般的な学校のことはよく分からないと言っていたことがある。
彼はどうも、自分の主張はなんでも通ると思っているフシがある。
耳が聞こえない不便さにより、周りを頼る習慣があるのは良い事だと思う。頼ってくれなければ助けようがないし、どう助けていいのかも分からないからだ。だから彼のためのボランティア講習に僕も参加した。彼に苦手意識はあるが、困っているのなら助けるぐらいの人の心はある。
でもそれはあくまで誰かが厚意・善意でやっていることで、私的なワガママを通していいのとは違うのではないか? 必要な手助けと身勝手な振る舞いの許容は全くの別物だ。
はっきり言って、Nは勘違いしているようにしか見えない。ワガママを言えば誰かが叶えてくれるという傲慢な勘違いだ。そしてNにとってその"誰か"は、大学内においてはきっと僕だ。
これを書いていたら、障害者に関わる機会が職業柄多い母が以前、「障害者は距離結構詰める人いるよ。見えない聞こえない動けない分からないから」と言っていたのを思い出した。だとしたら障害がある故にNはああなったのだろうか? だとすれば僕はそれを疎む差別主義者か?
僕はNを心の中では信用していないので、これらの発言を嫌でも断れない。断ったら面倒なことになるのが目に見えるし、断ったところで彼の態度が変わるとは思えない。
周りは僕を、「Nと仲が良く、Nと普段から行動を共にする人間」「Nに用があるなら耳が聞こえるKを通せばいい」と認識している。Nは他にも大学に友人はいるが、おそらく一番一緒にいるのは僕だ。周りにそこまでゴリ押し危害は及ばないのかもしれないが、だからこそ誰も僕を助けてはくれない。
そして、これらのやりとりは当然筆談やLINEを介する。会話にスピード感はない。更に当たり前だが可視化されてしまうため、Nのカロリー高めの発言を言葉の端に上手く流すことは出来ずに僕に降りかかる。耳を介したやりとりなら、軽く笑ったり「まあまあ」とか言って、上手く話の流れを切り替えられるのに。
会話に少しでもストレスを感じないために手話を習得しようかとも思ったが、申し訳ないがそこまで彼のためにリソースを割けない。彼も本当は僕に手話を覚えてほしいらしいのだが、今は流石に無理だ。NHKの『みんなの手話』のテキストを定期的に貸してくれるが、無理なモンは無理だ。
スピリチュアルが抜けてる。やり直し