はてなキーワード: 集合場所とは
幼稚園について書いた増田だけど、幼稚園は選べるけれど公立小学校は選べないみたいなのはあるなぁとちょっと思った。
幼稚園の場合、各園で面倒くささに大きな差があり、特色も違うので親が自分に合うものを選べばよかった。
例えば、登園。
クレヨンしんちゃんみたいに家の前まで幼稚園バスがお迎えに来るところから、集合場所に連れて行くところ (その後、毎日ママ会 orz)、親が連れていくのが当たり前のところまである。
例えば、保護者会。
別に来ても来なくてもOkなところから、毎月の参加 + 平日のイベントに保護者お手伝いが当たり前みたいなところまである。
毎年、各園児と保護者のプロフィールを載せたパンフレットを作成 (当然、保護者が情報を提供するし、保護者の中の委員がパンフレット作製をやらされる)があったり、
毎年、なにかの役員をやらないといけない所から、ごく少数の役員だけ大変いうところまである。
例えば、お弁当。
完全給食のところから、給食にするか選べるところ、毎週決まった曜日に必ず給食を食べるところ、完全弁当まである。
例えば、延長保育。
延長保育が全くないところ、長期休暇に無いところ、有料で実施する所などいろいろある。
例えば、園庭。
広い、狭い、遊具の数とか。
例えば、規模。
園児1学年5クラス以上で100人オーバーのところから、園児1学年1クラスで20人くらいのところまである。
男女ともに雇用されているところもあれば、完全な女社会ってところもあるね。
公立小学校は住んでいるところで一律ここって決まるから、いくら面倒だと聞いていてもよそを選べないというのはあるなぁって思った。
まあ、面倒でも多かれ少なかれどこでも同じって感じだと思うけど...
教育業界はなんでも教育の一環で...という伝家の宝刀を取り出して変わろうとしないところがあるし、外の力を借りることに否定的な感じがあるよね。
それでもって、予算がそんなにないから、受益者負担として親に負担させざるを得ないものも多いんじゃないかな。
だから少子化が...と思うなら、もう少し子供にお金をかけてくれる人たちを選挙で選びたい...けど、そんな奴いねぇ!!!!!!!!!!!!!!!!
主にPairsを使っているのですが、そこで表示される形式で、
神奈川在住/ 30歳/ 153cm/ やや細め/ 年収600-800万/ 子供は欲しくない
→男性が女性に年齢を、女性が男性に収入を求めるのは出産を前提にした価値観(?)
・メッセージ付きいいねが多くなるのは尖ったプロフィール(FIREしたい海外移住したいとか)
→プロフィールをまったく読まずにいいねしている男性(恐らく結構いる)を区別できるというメリットもある
・性格上自分と付き合うメリットを提示したくなるのだけど、いい考えかどうかわからない
恋人のために料理するのが好きです!(女性にそれを求める男性が好きか微妙)とか、経済観念しっかりしてます!貯蓄も投資も任せて!(求められてなさそう)とか
叩かれそうだし自分でも嫌なのですが、検索条件は以下の通りです
・理想: 東京か神奈川在住/ 30-35歳/ 年収600-800万以上/ 身長175cm以上 (本当すみません)/ 子供はほしくない
→Pairs上に10人くらいしかいない、「子供はほしくない」にこだわると他の条件がなくても全然いない
・現実: 東京神奈川千葉埼玉在住/ 30-37歳/ 年収こだわらない/ 身長170cm以上 (本当にこのこだわり捨てたい)/ 子供は相談して決める・わからない
・顔写真載せてないのは気にならないけど、自宅のお手洗いで自撮りとかは気になる
・1年半弱で2回彼氏ができたものの半年ずつくらい付き合ってどちらも今は友達
→1人目が理想条件すべてに合致する人だったおかげでスペックだけで人を見てはいけないと痛感
2人目は趣味が合う人で、2人目との付き合いの方がうまくいった
・1~2カ月アプリを使っていると2~3人に会える、という感じ
男性目線ver.が気になるので、女性目線を書いておきます。男女関係あるかわからないけど。
・質問/ 意味を足すリアクション(いいですね~だけ、とかじゃない)
・こちらが長いことメッセージを返さなかったときの「長くなっちゃいましたね、短文でもお気軽に」などの2通目のメッセージ
→返信遅い+時間が経って送りづらくなることが多いので本当に有難い、人間として格が高いとさえ思う
・お店を調べてくださる
→個人的にはちょっと遠くても全然行くので(=他の女性とのデートでも使っているいつものお店で構わないので)、「いいお店知ってます~」でさくっと決まるか、潰しの効く場所でお茶することにして当日決めるのが好き
・初回ごちそうしてくれる⇒「じゃあ次私に出させてください」⇒変わりばんこに払ううちに親しい感じになる、という展開
→ただ、おごりかどうかでまた会いたいかどうかが変わることはないので(変わる人もいるのだろうけど、そういう人にまた会いたいもの?)、自分の分の飲食は自分で負担、でいいのかも
・初回はなるべくお茶
→絶望的に会話が盛り上がらなかったとき早々に失礼なく解散したい/ 面倒なお会計問題もお茶が一番低ダメージ
・集合場所だけ決めて待ち合わせしたときはお店の候補を調べておく(けど相手が調べてくれていたら言い出さずそちらに従う)
・2回目会いたい場合は誘ってもらえそうなキーワードを散りばめる
・会話に困ったらPairsでの苦労話は大抵盛り上がる、みんな苦労しているし変な人に遭遇している
・彼がつまらないのではない、私が彼のおもしろさを引き出せないだけ
・あと1カ月くらいできっと飽きる (ターゲットになる相手が少ないので見尽くしてしまう)
・子供のほしくない男性は結婚にも興味がないケースが多いのかも
私は父が大嫌いでした。
末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族で旅行に行ったのもベビーカーで東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。
誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りのアンパンマンのケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコか競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。
そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初は日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテルの厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。
なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉のサポートも無く、余裕がないから我慢するしかないと言われ続けました。
そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立の二次募集も落ちました。父からは私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!と喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)
そして在学中のバイト代は完全母管理。バイト代を自身のお小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。
やってきました修学旅行。私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。
ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いからお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所に遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。
その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます。奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式の振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。
なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。
今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています。
30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。
父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。
最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生。
何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。
あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います。天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。
母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。
私は父が大嫌いでした。
末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族で旅行に行ったのもベビーカーで東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。
誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りのアンパンマンのケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコか競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。
そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初は日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテルの厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。
なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉のサポートも無く、余裕がないから我慢するしかないと言われ続けました。
そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立の二次募集も落ちました。父からは私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!と喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)
そして在学中のバイト代は完全母管理。バイト代を自身のお小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。
やってきました修学旅行。私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。
ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いからお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所に遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。
その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます。奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式の振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。
なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。
今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています。
30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。
父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。
最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生。
何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。
あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います。天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。
母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。
見知った人間が相手なら集合場所の情報が錯綜するようなもんだから困るだろうけど、匿名なのに乱立して何が問題なんだって話はあるけどな
ようは乱立して起こることって今まで話してた住民がどこにいるのか分からなくなっちゃう的なことぐらいでしょ?それなんか困ることある?
スレのテーマに即したことを書くやつなら誰が書いたとかそんなことどうでもいいことなわけでもとよりお前の代わりはいくらでもいる状態なのになんでそんなことにこだわるのって話。
みんながみんな適当にスレ作ったり書きたいところに書いたりすればいいじゃん。そのせいで求心力とやらがなくなってスレがつぶれるならその程度の存在価値しかないのよ。
ならお互いに住所か集合場所教えあって、そこでデスマッチしたほうが健全だろう
言いたい事を好きなだけ言いながら殴りあったり、その場に仲間引き連れて自分をネットでバカにした奴をボコボコにしたらいいじゃないか
「画面の向こうの相手をどうにもできない」って事へのストレスがお互いにあると思うんだよ、ならさ、もうこれは利害の一致
憎い相手同士住所や集合場所を教え合い、どっちかが死ぬまでやり合えばいい
日頃デカい口を叩いてる皆さん、出来ないとか言いませんよね?
悔しくないの?言われっぱなしが
もう少し先に行きたくないの?自分に論破されるザコをリアルでも叩き潰せるチャンスなのに
言った側も言われた側もスッキリ出来るよね?ならしようよ!個人情報教えあってガチバトル
俺は怖いから逃げるけど
パン屋ではなく、麺屋だったけど。
当時、時給が他より50~100円ぐらい良かったのに惹かれて応募して即採用された。
夏休みの2週間ほど。
ラインに配属された。
その時にラインを仕切ってたおばさまは今思えばちゃんと色々考えて配置とか考えてくれる人だったと今なら思う。
が、配置されたのはざるそばの端っこに漬物を置くみたいな単純作業(よくよく考えたら単純作業しかない)
4時間働いて昼休憩して4時間働く、ただそれだけで心が折れた。(実際はちょくちょく小休止はあったはずだが)
翌々日ぐらい、責任感で嫌々出勤したところ、小学校時代の同級生2人に会った。
そいつらは、
「ここは、数分おきに流れてくるケースを積んで運ぶだけ。めっちゃ楽」
とか言ってる。待遇の差に心がポキった。
「ここにおってもばれへんのちゃうか?」
そのことばに流されてしまった。2~3日後に、たまたま見回りにきた偉いおっさんに、「なんでここにこんなにおるねん!」
[同級生一人は、庇ってくれようとしたがまったく意味なかった。その気持ちは未だに有難い。{H河くん、もう20年ぐらい会ってないけど、小3の時に給食食べながら校内放送にツッコミ入れてたHくんのことば(センス)に衝撃を受けて、お笑いに興味を持って、その道には進まなかったし食べていくこととかには繋がらなかったけど、賞を取ったりロコドルの運営に関わったりとその後の人生に影響が出たよ}]
結局、もとのラインに戻されて、その日ごとに当たり外れのポジションはあったけど、同級生2人が居たところと比べると地獄。
メンタルが持たなくなって、無断欠勤するようになってしまった。
{ただそれは工場からしてもあるあるだったみたいで、出勤した分の給料(ラインさぼって同級生のところに居た分も含めて)は出た。当時は振込とかなくて、給料日にたまたま近くに寄ったから恐る恐る見に言ったら箱に給料袋が入ってた}
note 始めました。https://note.com/takepoyo23/n/nfc7d1f275595
noteでセフレを作るまでのことを書いていきましたので、セックスまで、セックス後について、反省も込めて書いていきます。
呪われたコンドーム
初めてコンドームを手に入れたのは高校3年生の終わりごろ。受験が終わった時でした。予備校の同級生女子を家に連れ込んで映画を見ていたところ、、、父親が帰ってきてしまいエンカウント!!
ほんっとにその時は何もなかったんですが、父親的にはそりゃ心配でしょう。自分の息子が知らない間に女を連れ込んで映画見てるんですから。映画を見るってセックスの前兆なんですね。今ならそう思います。あの時は本当に映画鑑賞のみでした。
数日後父親が帰ってきてぼくにむかって銀色の箱が投げつけられました。「ちゃんと使えよっ」って。これがぼくとコンドームの最初の出会いでした。誤解されたことがきっかけで手に入れたこのコンドームが、数年後まで影響してくるとは全く思っておりませんでした。
数年後です。仲良くなって週に数回家にくるようになった女性がいました。ただ一緒にいるだけ、半同棲みたいな感じです。一緒にご飯を食べて、夜まで作業をして、ベッドで一緒に寝ることもありました。
ぼくも男の子です。もっとその子のことを知りたくなって、距離が近くなって、ブラの下に手を入れました。そうそう、ベッドの下にコンドームがありますね。パパあざっす!この日のためにもコンドームは用意しておくべきです。さっと袋を破り頭の部分にちょこんとかぶせます。シ○ケン先生が言ってました。予備知識はおっけー!あとは下にくるくるっと下げるだ。。。け。。。。?
ん?うまく下がりません。中間地点ぐらいで止まっちゃいます。2個目を開封。。やっぱりダメです。数年経っておりダメになっていたみたいした。ゴムが機能しないので、初めてのセックスは頓挫です。
後日談ですが、ゴムのサイズが合ってなかったみたいです。初めてゴムをお使いになる際はその辺を事前にチェックしておいた方が良いです。せっかくの初舞台でサイズが合っていないので残念なんてことは避けたいですよね。
相手と駅で合流
待ち合わせってのはいつになっても緊張します。特に初対面の時って緊張しますよね。初めて会う際には美人局っていう詐欺だったり、男性の”釣り”だったりいろいろリスクがあります。集合場所では自分の安全のために、先に到着して、集合場所が見える場所から電話などで連絡し、必ず相手が一人で来ていることを確認してから会いましょう。今まで自分はないのですが、二人っきりになる以上、ある程度の危険もあるものだということは覚悟してから会ってください。
当時お金のなかった僕は(今でもありませんが)家に女性を呼んでいました。家までの道中は本当に緊張しますし、会話がクソほど弾みません。僕の場合は電話アプリが主だったので結構話せる方だと思ってたんですが、初対面って気まずいですね。
記憶に新しいSさんとのお話。年齢が自分より5つほど上なSさん。電話だとよくお話してくれていてシャイな印象はありませんでした。自分ではシャイだと言っていました。目を合わせられないんだーって。彼女は家に"ご飯を食べに"来てくれました。ちょうどおいしい肉を調理していたんですよね。それで来てくれました。女性は名言しない方が来やすいみたいな話なんでしょうか。ヤるためにくるって名言しているケースもあったんですが、今回は完全にご飯のためっていうテイでした。そんな彼女ですが家に来ると部屋の角にちょこんと座って俯いていました。後から聞くと、自分が結構年上だから、期待外れだったかなって感じていたらしいです。ぼくとしては、めちゃめちゃ緊張しちゃっているSさんにどのように声をかけていいかわからなかっただけでした。
当初の目的どおりお肉とか野菜とかを出したんですが、そこは割愛。映画か何かを見ていたんだと思います。映画を見てて、自分がベッドの上にいて、「おいで」って。ここ!!
ベッドへの誘導が童貞男子的にめちゃめちゃに難しいポイントです!!ベッド誘導を制すればセックスを制す!!みたいな感じ。これは何度ワンナイトしてもなかなかうまくなりません。ここの駆け引きを楽しむのも醍醐味の一つだと思います。ここからいくつかパターンを挙げていきます
映画中に寒くなり膝掛けをふたりでかける。そこから距離が近くなる
話をする際に自分が先にベッドに上がってしまうせいで、会話に高低差が生まれるため、ベッドにて会話をする。そこから横になる。
この辺のバリエーションは持っておくに越したことはありませんので。そもそも論なんですが、ヤるつもりで呼ぶのは違うと思います。こんな内容書いててあれですが、お互いの距離感があったところで、ベッドにいきたいなって思って初めてベッドって行くものだと思います。
誘っていい距離感って?
ではお互いの距離感が合うってどんな感じなのかなって。向こうからの接触があった場合はOK。これが一番わかりやすいです。映画を見てる時だったり二人になった時の距離感で体が当たるぐらいの距離。相手が立ち上がって戻ってきた時に座る距離が、前回座っていた地点と比べて近いか遠いかも一つの指標になります。屋外で言えば、デートで歩いている際にちょっと狭いところを通って広い道に出た時、距離を開けるのかそのままなのか。いろいろ判断基準ありますがその辺は参考になりました。そもそも家来る時点でって言うのは今回はナシで。
31歳まで付き合っていた女性と別れた後にコロナ禍になって人と会う機会が激減
終息することには歳を取って恋人を作るハードル上がるんじゃないかと思い、マッチングアプリに登録してみた。
なんだかんだでそれなりにマッチして3ヶ月で5人と会ったんだが、会うだけで精神的ダメージを受ける人が何人かいて、これが女性の言う『生理的に無理』ってやつか!と妙に納得してしまったのだ。
具体的にどんな人がいたかというと、
・集合場所にマスクから鼻を出してやって来る 。マスクの意味が無くなってて、衛生面に気を使えない人に近寄られるのが不潔な気分で不愉快だった。
・食事のマナーが悪い。食べ物をしょっちゅう箸からこぼすわ、落とした食べ物をそのままつかみ直して食べるわで気分が悪くなった。
・6月くらいの暑い日にもかかわらず、なぜか冬物のニットを着てくる。前日にメッセージのやり取りで「明日は暑くなりそうですね、日差しに気を付けて」みたいな話をしていたので、TPOを考えられない部分に幻滅。勝手な想像だが、婚活コーデみたいなのを冬に揃えてそのまま着まわしてるんじゃないだろうかとか思ってしまった。
なんていうか、会った相手はみんなアラサーのいい大人なのに、子供みたいな未熟な部分が多くて、同じ空間にいるだけでストレスを感じてしまった。
顔が好みかどうかとか、話が面白いかどうかとかじゃなくて、文字通り『生理的に無理』なのだ。
いやー、昔は『生理的に無理』とか公言する女性ってわがままで嫌な奴だと思ってたんですよ。
だけど自分がそういうストレスを経験して、少し同情的な気分になった。これからは身だしなみにもっと気を使います。
なんでこれまで『生理的に無理』という感情がわかなかったか理由を少し考えてみたのだけど、学校の同級生や会社の同僚といったいわゆる『自然な出会い』で会う相手ってなんだかんだで社会的階層が近い人が多いからなんだと思う。
だから、身だしなみや振る舞いといったマナーに大きな差が無くてストレスを感じる率が低い。もしストレスを感じる人がいても初めからサシで会おうとはしない。
だけど、アプリだとそういう社会的階層や、友人関係構築までのスクリーニングをぶっ飛ばしているからストレスを感じる人に当たる率が高いんだろうな。
そして男性があまり『生理的に無理』という言葉を言わないのは普段の生活でそういう人にで出会わないだけで、『若い女性』というだけで様々な男性からアプローチをもらう女性から見れば割とよくある光景なんだろうなとかそんなことを感じたのだった。