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はてなキーワード: 隠蔽とは

2020-11-21

よさそうだけど使いみちわからん

https://uit-inside.linecorp.com/episode/68

まだピンとこない。確かになんかスゲーってなるんだけど、SSR+jQueryとかい狩猟採集民みたいな仕事生業にしている自分としては、そもそもJSゴリゴリ使うこと自体が悪だと思っていて。

隠蔽必要になるほどDOMの動的な書き換えに気をつける必要があるのって、HTMLとかWebページに求めること自体が間違ってるんじゃないのかなと言った思想は持ってる

なので、安心してJSを書けるってのはごもっともだし気持ちもわかるけど、安心してJSを書くじゃない!JSを書くならな、親を斬りつける決死覚悟で、DOMを切り刻みCSSで広域を汚染させる覚悟決めて、ページをぶっ壊すつもりでやれ!といった気分になる。

わかってる。そういう精神負荷バカげてるしそんなの無くてもJSを書ける方がいいっていいたいんだろう。まぁ世の中の流れとしてはそのとおりだし、反論はできない。脳みそ停止してコード書いても、安全に動くのが絶対正義だよ。

クワクする技術だけど、じゃあ具体的に何に使えるの?っていうのが本当に重要で、お話の中でも具体例が上手く出ていないのとか、どんな既存問題解決するのかわからず、わざわざ使うためのインセンティブ薄いという印象になってしまった。

まぁシャドウDOMよく知らないかトンチンカンなこと書いてそうだけど、気にしないで。

読んだ人もこいつ適当ほざいてるな〜くらいの認識でよろ

2020-11-08

楽しみにしていたライブを途中で抜けてきた

新型コロナ蔓延して世の中が規制対策だらけになった今、私の趣味であるライブ鑑賞もその被害をこうむっていた。

新型コロナの脅威が世間に広まってきた頃のイベントは悉く中止になり、高額なチケット、倍率が高いチケット、当日にでも買えるようなチケットも含めてそのすべてが払い戻されてしまった。

新型コロナをひどく恨んだが、受け入れる他にない。

大阪ライブハウスでクラスターが起こって問題にもなり、特に私が好きな音楽ジャンルモッシュなど人が激しく接触しあうことが多いため、よりコロナ禍での開催は絶望的であった。

ライブから距離を置かざるを得なくなった私の休日はただ引きこもるだけのものとなってしまった。

  

それで困っているのは当然、私のようなライブを見に行くことを趣味にしている人たちだけではない。

ライブが出来なくなって一番困っているのはそれを食い扶持にしているアーティストたちやその関係者である

お客を呼ぶことができず閉店したライブハウスは少なくなく、私は目にしなかったがコロナ理由解散せざるを得なかったバンドもいたかもしれない。

だが、ライブが出来なくなってしまってもバンド業界はまだ諦めてはいなかった。

配信ライブや物販、新曲CDやそのサブスク収益によってなんとか食いつないでいる印象であった。

ライブに行けなくなったものの、好きであるバンドアーティストフォローしたい一心配信ライブも見たし物販でたくさんのグッズも買った。

単純に自分が見たいから、欲しいからといった理由もあるが、いつかまたライブが見れるようにとその投資意味も込めていた。

趣味ほとんどをライブにつぎ込んでいたためライブに行かなくなれば財布が潤うかと思ったが、上記理由ライブがあったころよりもさほど支出は変わらなかったほどである

  

そんな生活もすでに半年以上が経ったが、コロナ感染拡大は抑えられ徐々に有観客ライブも開催されるようになってきた。

配信ライブではやはりどこか物足りなさを感じていた私にはそれはとても喜ばしいことで、しっかりと対策をして安全ライブ遂行して見せたイベントの報告がSNSで目に入るとまたライブが見れるんだと心躍った。

  

そんな矢先、私の好きなバンドが一度に集結するイベントの告知がSNSで流れてきた。

開催するライブハウスはキャパが300名ほどの小さなライブハウスだが、コロナ対策は徹底しているようだ。

マスクの着用はもちろん、体温チェックやコロナ追跡システムの利用も必須であった。

規制が緩和されてきた中、今ならいけるかもしれない。

そう思った私はすぐさまチケットを購入した。

  

そしてその当日。

ライブイベントの参加は実に10か月ぶりで、コロナ禍前ならば1か月に2回以上は見に行く私にとってやっとここに戻ってこれたという思いであった。

目当てのバンドはその日出演する4組その全て。

全員インディーズバンドで、年齢も20代前半も珍しくない。

私より年下である彼らが音楽で頑張っている姿はとてもかっこよく、強く憧れていた。

そんな彼らの音楽がまた生で聴ける。

この日のために諦めないでいてよかったと大袈裟にそう思えた。

  

ライブハウス前に並ぶと予告の通り体温チェックもされ、コロナ追跡システムの利用もお願いしていた。

他のライブ仲間から聞いた話によると、普段タンディングが主なイベントでも今は対策により席が設けられていると聞く。

今回のイベントのページにはその類のことは記載はされていなかったが、いざ会場に入ってみるとそこに席はなく格子状にシールが地面に貼られているだけのものであった。

特に場所指定もなく間隔もやけに狭い気がするが、会場に入った観客たちはそれぞれ好きな場所シールの上で待機している。

規制も緩和されたことだし、小さいライブハイスだからだろうか。

席があったところで恐らくライブ中は立ち見することになるから別に構わないか

などと楽観的にそれを受け止めた私だったが、それが最初違和感であった。

  

そして、ついに始まったライブイベント

特に観客とステージの間にはテレビで聞いていたような透明なパーテーション等もなく、ボーカル最前の観客の間近で歌い上げる。

ここにも若干の違和感を感じたが、1組目から容赦のない爆音が浴びせられ私は先ほどの細かい違和感などすっかり忘れてしまっていた。

他の観客たちもいつもなら激しく走り回り、腕を振り、歓声をあげるところだが、それは各々で自粛しながら音楽を楽しんでいる。

その時、私は一見ルールがないようで危険だらけのカオス空間の中でも"思いやり"が垣間見えるこの音楽シーンの空気が大好きであったことを思い出した。

これならライブがまた見れる。また通うことができる。

これほど嬉しいことはないと、この時までは本当にそう思っていた。

  

バンドの持ち時間は30分ほどだろうか。

1組目の終盤に差し掛かろうとしていたとき、ある事が起きた。

私の背中ものすごい勢いで誰かがぶつかってきたのだ。

こんなこと、いつものライブイベントではよくあることで慣れていたはずだが、この時ばかりは完全に意識をしていなかった。

倒れこそしなかったものの、私はフロアの端に突き飛ばされる。

振り返ると、そこにはサークルピットが出来ておりその中では数人の観客が所謂ハーコーモッシュをしていた。

この音楽ジャンルのシーンでは当たり前のことなので普段ならその行為に苛立ちを覚えることもないし、むしろ普段なら自分もあの中に混ざっていっただろう。

周りの観客の反応も少し驚いた様子であったが、これといった嫌悪感を示しているわけでもなさそうに見えた。

  

しかし、この時の私はどうしてこんなことをするんだと思ってしまった。

やっとのことで規制が緩和され、これから徐々に、少しでも元のライブの姿に戻したい気持ちは痛いほどわかる。

だが、モッシュなど他の観客と激しく接触するには時期尚早だと私は思っていた。

そしてそれはきっと、バンド側も同じ考えなのだろうと。

本当はモッシュが見たい、させたいのだろうがイベント安全遂行するためには致し方なく、こういった規制の中でやることを余儀なくされて、またそれを了承したと勝手に思っていた。

今起こったのは興奮した観客のただの身勝手な行動だと。

しかし、モッシュをしていた観客が放った一言でそれは私の勘違いだと思い知る。

  

だって、『広がれ!』って(ボーカルが)言ったから!」

  

『広がれ!』、それはよくバンド側がモッシュピットを煽るときに使う言葉だ。

観客は自分の興奮を抑えきれなくなったから起こしたわけではなく、バンド側がやれと煽ったと主張したいようだ。

(どういう成り行きでその観客がその一言を放ったのかよくわからないが、大体予想はつくし子供じみた言い訳のようで癇に障る)

爆音音楽流れる中でその言葉を聞き逃していた私だったが、恐らく本当なのだろう。

バンド側が興奮して抑えきれなくなって放った言葉なのか、いつもの癖で叫んでしまったのか。

そのどちらにしても、観客同士の接触を煽ったのには間違いない。

その時、私の最初違和感が疑問に変わった瞬間であった。

それは『このイベントではモッシュを黙認しているのか?』という疑問である

  

モッシュ禁止は大型の音楽フェスだとよく目にする注意事項だ。

ただ実際のところそれは黙認されており、ライブハウスの場合だと事前にモッシュ禁止とすら周知されていない。

今回のイベントでも特にモッシュ禁止との記載特に明記されていなかった。

私はこのコロナ禍で、規制対策をしている中でモッシュはさせないだろうと高を括ってしまっていたのかもしれない。

  

しかし、まだ始まって1組目。

しかすると、以降のバンドではモッシュ禁止注意喚起をしてくれるかもしれない。

そんな不確かな希望をもって私は2組目のバンドライブに挑んだ。

  

2組目のバンドも激しい音楽をするが、1組目と比べるとモッシュが起きにくい仕上がりであった。

このバンドライブ過去に何度も見たことあるが、このバンドだけモッシュが起きなかったイベントは多々見たことがある。

ただそれは音楽的魅力に劣るといったわけではなく、むしろ私としてはこの日一番の目当てでもあった。

1組目と同じく、ライブの中盤にかけては観客に大きな動きはない。

皆、その場で体を揺らすなり拳を突き上げるなどして楽しんでいる。

先ほどのは何かの間違いだ、そう思えるような私が思い描いていた理想の形としてライブが進行していく。

だが、再び終盤で1組目と同じことが起きた。

ボーカルが両手を使い、扉をこじ開けるようなジェスチャーをする。

こういう時は大抵、ウォールオブデスの煽りである

その煽りに乗せられてフロアの中心が開き、両サイドから観客の波が押し寄せてフロアの中心は再びモッシュピットと化した。

この時、1組目のことでまたモッシュが起こるかもしれないと身構えていた私は後方に下がっていたので誰かと接触することはなかったが、

そのモッシュで何人もの人が激しく接触しているのを私はただ眺めていた。

  

2組目が終わり、次に3組目が始まるまでの時間で私はこのままイベントに参加するべきかどうか考えていた。

モッシュがー、接触がーなどと異常にコロナを恐れるなら出ていけばいいと言えばそれまでである

私も正直なところコロナの脅威に対しては懐疑的であり、本当はこれほどの規制をするほどではないのではと普段は考えていたので今に思えば不思議なくらいどこか神経質になっていた気もする。

個人の及ばぬ考えでコロナ禍におけるライブモッシュの有無など決めつけれるはずもない。

ならばモッシュをしたい人はすればいい。私は人と距離を取って、意地でも安全ライブを見て帰る。

そう決めた私はそのまま3組目の開演を待つことにした。

  

そして始まった3組目。このバンドも私の大好きなバンドの一つだ。

他の観客からの人気も絶大であり、これまでの2組と比べて登場した瞬間からその熱量は段違いであった。

この時から、他の観客は大きな歓声をあげるようになる。

不安はあったものの、私は今を楽しむことに専念した。

10か月待ったライブイベントを、複雑な気持ちを持ったまま終えたくないとそれだけを考えていた。

そして、そのバンドが颯爽と1曲目を終えると突然ボーカル叫び出した。

  

「お前ら!動画を消せ!」

  

それはスマホで彼らのライブ姿を撮っている者たちに向けての言葉であった。

スマホ掲げていた観客たちはすぐにスマホを下す。

撮影禁止は珍しいものではなく、モッシュ禁止無視されていても撮影禁止無視されることはないだろう。

撮影禁止ライブスマホを掲げていればスタッフが止めに入ることが多いが、

バンドボーカルステージ上でそれを叫ぶのは少し珍しく感じた。

また、小さなライブハウスでやるインディーズバンドだとライブ撮影禁止しているバンドは少ないためより違和感があった。

そして、そのままボーカル言葉が続く。

  

ネットに上げたやつも全部消せ!」

  

徹底して撮影禁止を主張するボーカル

しかし、その言い方に焦りのようなものを私は感じた。

そしてすぐにその焦りの正体がわかる。それはモッシュだ。

予想でしかないが、観客がモッシュをしている姿を、またはバンド側がそれを煽る姿をネット晒したくはなのではないだろうか。

そう勘繰らざるを得ない。

ボーカルは続けてこう発した。

(ここから記憶が朧気なので一部抜粋

  

「これは俺たちのカルチャーだ」

  

自分たちで自分たちの居場所を壊すなよ」

  

「消したか? これで俺たちは共犯者からな」

  

次々ボーカルから発せられる言葉に、私は耳を疑った。

もはや、その言葉をまともに受け止められる精神状態でなかったため彼の主張したいことを

ちゃん理解しているか不安ではあるが、以下の主張になると考える。

  

モッシュはこの音楽シーンの文化である

『だが今は公にはできない。だから動画は削除して、自分たちの居場所を守ってくれ』

動画を消したことバンドと観客はコロナ対策を謳っているにも関わらず、

実態は過剰な接触を繰り返していることを一緒に隠蔽している関係になる』

  

私には彼の言うことが浅ましく、卑劣ものに感じた。

私の中の彼のイメージが大きく崩れた瞬間であった。

モッシュがこの音楽シーンの文化であるということは私もそう思う。

残していきたい、守っていきたい対象だ。

だが、今は全く状況が違う。新型コロナ感染を考えれば、その場にいる人間だけの話ではないのは誰でもわかる。

それはバンド側もわかっていることだろう。だからこそ、動画を削除させる。

カルチャーという言葉を使えば無条件に守ってもらえると思っているような口ぶちだが、自由とは他人に害を与えない範囲有効であるべきで、今のこの状況で隠してまで行うものではないはずだ。

それでも、仮にモッシュをしたい人たちだけでやるのであればそれはイベントのページに明記するべきであり、そうすれば私のように意図せず共犯者に仕立て上げられる人も減るだろう。

  

そして最後に、彼はこうも続けた。

  

「俺たちは今回のイベンターに『ライブ』をさせてもらうと宣言して、了承してもらってます!」

  

今回のライブとあるイベンター主催したイベントであるため、バンドたちはそれに呼ばれた形となる。

そして彼のいう『ライブ』とは、観客がその場から微動だにせず声もあげない状態を指すものではない。

彼らからすればモッシュがあってこそのライブ、それを言いたいのだろう。

(私は少なからずこの意見には賛同する)

そしてそれを主催者側が了承したということは、この隠蔽も了承したということだ。

恐らく20代が大半を占めるバンドメンバーたちで決めてやったことならまだ青いところがあったなと思えるが、主催者側もそれを了承しているのはどうかと思える。

社会的責任に関して、配慮が欠けていると言わざるを得ない。

  

そのままライブは続行されたが私は他の観客と違い動き回ることもせず、シンガロングすることもせず、ただ腕を組んで地蔵状態ライブ傍観していた。

無表情を貫いている私と違い、他の観客は大いに盛り上がっている。

モッシュをしていた。ダイブをしていた。シンガロングをしていた。

彼の言うこと、やること、その全てに賛同していた。

本当に彼らのやっていることは正しいのだろうか。

自分の考えが間違っているのだろうか。

自問自答を繰り返しているうちに、曲が耳に残ることもないままそのバンド演奏は終わった。

  

4組目も、私の本当に大好きなバンドだった。

存在を知って3年も経っていないが、すでに5回以上はライブを見ている。

彼らにはつい最近出した新曲がある。私はそれのシンガロングが歌えるほどすでに聴きこんで準備をしていた。

だが、今の状態ではまともに聴くことができないのは明白だった。

また1,2組目のようにモッシュを煽ったり、3組目のボーカルのように何かを主張してくれば自分の中のイメージが壊れるのが怖かった。

このイベントに参加しているということ自体がすでにそういうことなのだろうが、

それを突き付けられるのが怖くて私は4組目が始まる前にこの会場から出ていくことにした。

  

帰り道、泣いてしまうかもと思ったが意外と涙は出ず、ただぽっかりと心に穴が開いたような感覚だった。

いつもの帰り道ならイヤホンをして電車に揺られているはずが、その日はイヤホンもせずに少しばかり離れた駅まで無駄に歩いた。

ライブを取り戻したい。その思いは自分バンドも同じなのにどうしてこうも食い違ってしまったのか。

自分が間違っているのかもしれない。あの場のノリに身を任せていれば楽しい思いだけで済んだかもしれない。

そんなことを考えながらもSNS自分と同じ意見を持った人はいいか探すが、賞賛ばかりで反吐が出そうになる。

2020-11-06

anond:20200814222249

適職に巡り合ってないんだろうな。

不向きな職場で過ごすと、あなたも、周りも辛い。

【隙自語】過去に接点のあったガイジを思い出す。いまも思い出してムカつく。
  • 約束を守れない
  • 呼吸するように嘘を付く
  • その場にいないやつの悪口しか話題がない
  • 黒か白かを尋ねているのに、緑ではない理由を答える
  • 全員から嫌われている
  • ミス隠蔽しようとして更にミスを発生する
  • 優先順位を判定できない
  • 自分の都合だけ考えて、常にテンパっている
  • ごめんなさいが言えない

コード共通化するな

プログラミングできる気になった自称中級者は、ソースコード共通パターンが現れると決まって、その処理を関数などに共通化したがる。

しかに、そうすることでソースコードは短くなるし、一見して保守性が上がったような気になるのだが、それは間違った作法から止めろ。

かいこと言っても伝わらない自称プログラマが読んでることを想定して、先に結論簡単に書いておく。

お前は絶対コード共通化するな。

共通化してはいけない理由

なぜコード共通化するのがいけないのか。理由簡単だ。要するに、コードが似ているのは単なる偶然であって、それらは別の処理だからだ。

別の処理だから共通化するのはおかしいし、もし共通化した処理の一方のみ仕様が変わった場合、その修正は他方にも影響してしまう。つまり保守性が下がっている。

たとえば、同じプロジェクトの中に、10%の消費税を加える処理と、10%の金利を加える処理があったとする。この2つの処理はともに元の金額を1.1倍する処理であり、全く同じ処理であるが、共通化してはいけない。

これらを共通化してしまうと、たとえば金利が8%に変更になったとき金利計算の処理だけではなく、消費税計算している箇所すべてを変更しなければならなくなる。

実際のアプリケーションでやりがちなのは複数の処理の「事前処理」「事後処理」などを1つの関数にして、呼び出し毎に細かい挙動引数制御するようなパターンだ。

これは結局、改修を重ねる度に「事前処理」「事後処理」の内容が使用箇所によって全く異なるものとなり、それに対応するために

といった悲惨設計に陥る。

他にも、GUIアプリユーザーの応答を待つDialogクラスなんてものを作って、使用箇所ごとにメッセージボタンに割り当てる処理などを切り替えることがある。

これも間違いなく、プログラムが成長するにつれて破綻する。たとえば、ある場所ダイアログは、表示するメッセージテキスト形式のみではなくなり、脇に画像を表示するかどうかのフラグコンストラクタに渡したり、Dialog継承させて表組みを表示するTableDialogサブクラスを作ったりすることになる。ボタンが「OK」と「キャンセル」の2種類の場合じゃなくなって、表示するボタンの数をコンストラクタに渡したり、ボタンに割り当てる処理をリスト形式で渡したりし出す。

こうして、最初は良い設計に見えたDialogクラスはどんどん複雑になる。こうなった原因は明らかで、本来は異なるもの共通化したからだ。おかしな色気を出さずに、素直に別々に実装しておけばよかったのである

処理に名前をつけろ

プログラミングをする上で「コード共通化する」なんてことは意識しなくていい。それよりもプログラマがすべきことは、処理に適切な名前をつけることだ。そのプログラムにおいて「単なる変数操作」を超えた意味のある処理には名前をつけろ。そして、同じ意味の処理なら同じ関数を使うし、違う処理なら違う関数を使う。それだけだ。コード共通化できるかどうかなんて全く関係ない。

変数関数クラス名前空間等が再利用のための機構だという先入観は一旦捨てろ。それらの真の意義は、「関心の分離」にある。つまり実装隠蔽し、その意図抽象するために存在する。たまに勘違いしてる奴がいるが、別に1回しか使われない関数とか、1行しかない関数はあってもいい。というか、この原則にしたがって設計すると、ほとんどの関数(or メソッド)は数行になる。

上の消費税の例で言えば、「消費税を加える」「金利を加える」処理は、明らかに単なる算術演算以上の意味のある操作から関数化する。そして、それぞれの実装は当初の仕様では奇しくも全く同じになる。消費税を加える箇所では前者の関数を呼ぶし、金利を加える箇所では後者関数を呼ぶ。

これはこう言い換えることもできる。消費税を加える関数を変更するのは、消費税計算処理が変わったときのみであり、金利を加える関数を変更するのは、金利計算処理が変わったときのみである。つまり、すべての関数は、それを変更する理由がただ1つになるように設計しろということだ。

こういうアプローチプログラムを書くと、ソースコードはあたかもそのアプリケーションドメイン特化言語で書かれたかのような見た目になる。

また、一つ一つの関数は小さく、理解やすく、テストデバッグも容易になる。そして、結果として再利用もしやすくなるし、プログラムの変更も容易になる。

2020-11-03

ゾーニング」に関する三つの問題

1. ゾーニング定義

zone+ingという綴りから分かるようにゾーニングは「区分する」という意味である

にもかかわらず、ゾーニングを求める人たちの多くは「隔離隠蔽」のことをゾーニング認識している。

たとえばCERO Zのゲームはそのシールが貼られていればコーナー全体が隠されていなくともゾーニングされている。

たとえばコンビニエロ本は「成人向け雑誌」として区切られていたのでゾーニングされている。

たとえば「ラブタイツ」はツイートハッシュタグが付いていたのでゾーニングされている。

しかし、それらを「ゾーニング」とみなさず、「何の規制もなく放置されている」と考える人たちがいるのである

ゾーニングとは「ここに何があるかは明示するので、あとは各自で行動を選択してくれ」という理念だ。

不快ものを私の視界にいっさい入れるな」とはむしろ反対の概念であって、だから話が食い違うのである

2. ゾーニングコスト

では「隔離隠蔽」の意味でのゾーニング推し進めるとすればどうか。

もちろんそれは非常に難しい。

誰が何を不快に思うかは千差万別で、しか運営する側には窺い知れないものからだ。

インターネット上でなら上手くいくだろうか?

いや、どんなにブロックミュートを組み合わせても、見たくないものは見えてしまう。

不快ものを見たくない」という願いを実現することは不可能だ。

我々は、不快もの排除する力ではなく、不快ものに堪える力を身に着けなければならない。

からこそ「見せない」のはなく「見せた上で対応を選ばせる」――ゾーニングが求められるのである

3. ゾーニングジレンマ

もちろん、完全には無理でも、部分的に「隔離隠蔽」が成功することはあるだろう。

そのときはどうなるだろうか。

これもコンビニエロ本実例となる。

コンビニエロ本18禁ではなく、18禁に該当するような描写を避けた「マイルド」な代物だった。

にもかかわらず、あれらが「18禁」と認識され、批判さらされたのは、

隔離隠蔽」によって「それが彼らの目に映るなかで最も過激な本だった」からではないか

過激ものを隠していけば、過激さの上限はどんどん低くなっていくのが道理だ。

長年肌を隠してきたイスラム教国では生足ですら過激エロスとなる。

人間の「常識」は環境によって簡単上下する。

いまあなたが抱く「常識的に考えてこれはNGだろう」という基準も、

既にして「さまざまなもの規制されてきた」結果として生み出されたものである

コンビニエロ本は、様々な譲歩をしていたにもかかわらず、あっさりと撤廃されてしまった。

隔離隠蔽」という形で譲歩をすれば、そのぶん相手こちら側に踏み込んでくるだけ。

譲歩をするばかりではただ消滅するまで縮小していくだけなのだ

以上からゾーニング銀の弾丸にはなりえない。

冷静かつ中立的立場を気取って「私は規制ではなくゾーニングを求めているだけ」と主張する人たちは、

それがいかに役立たない提案かを自覚すべきだろう。

anond:20201102231449

なんかこれ、ほんとに女の大多数がそういうタイプの話し方を身につけてるけど、女の絶対に捨てた方がいい悪癖に基づいた言いぶりだと思う

たとえば親しくしようとしてる訳でもない人に「今度一緒に〇〇しようね!」みたいなこと平気で言うじゃん

そんで向こうがほんとにそのプランを進めようとすると「えっ、本気にしたの?」みたいなこと言い出す

いや、あんたが言ったんだからそう思わせて当たり前でしょうが…っていうのが信じられないくらい頻繁にある

誰にでもいい顔見せるために誤解されるような言い方をばらまくのを「社会プロトコル」だなんて宣うのは実直な大人の態度だとは思えない

他人容姿について指摘するのが良くないっていうのは、正しさの隠蔽とは別の基準規律化するべき問題でしょう

2020-11-02

手塚治虫ブッダ」とおっぱい20世紀おっぱい

ラーマヤーナ」ではインドラの火とも伝えているがね

特に理由はないのだが、最近通勤時間で「ラーマーヤナ」を読んでいる。特にインド旅行する予定はないのだが、しいて言えば大学時代の友人二人がインド哲学科出身だったからかもしれない。そういえば、冒頭のムスカ台詞では長母音場所が間違っている、みたいな話にもなった。

それはさておき、「ラーマーヤナ」である英雄ラーマが囚われの妻シーターを仲間の助けで救いに行く話で、要するに古代インドスーパーマリオなわけだが、そこで出てくる美人形容が興味深い。たとえば「美しく黒ずんだ肌」という表現が出てくる。美白という美意識はやはり時代地域によっては必ずしも自明ではないのだ。

また、ほっそりした腰つきや豊かな乳房の美しさを表現する箇所もある。

「二つの乳房はそれぞれの先端がむっちりと盛り上がって魅力的で、つやのあるヤシの実のように美しく、最上宝石の装飾品をつけて輝いている」

この個所を読んで僕は首を傾げた。ここまで乳房の美しさを形容するってことは、シーターは上半身裸だったのか? 実際、インド東南アジアの神々の像では女性たちは上半身裸だ。以下はエローラの石窟の姿である

女神ガンガー

女神パールヴァティ

しかし、近現代インド叙事詩を描いた絵画では、上半身普通に覆っている。

追放されたシーター姫

シーター姫を攫ったラーヴァナが助けに来たジャータユを返り討ちにする図

それを見て思い出すのは手塚治虫の「ブッダ」だ。正直なところ、みんなおっぱい丸出しで小学生の頃はエッチすぎて読めなった記憶しかないのだけれど、それはさておいて、あれは歴史的に見て正しいのだろうか? それとも、単なる手塚治虫性的空想だったのだろうか?

頼むぞグーグル先生

そういうわけで僕は「ancient india topless」と検索した。すると、肯定的証言をするサイトが数多く引っかかった]。特に英語版ウィキペディアのtoplessの説明がわかりやすかった。

In many parts of northern India before the Muslim conquest of India, women were topless. ……(中略)……Toplessness was the norm for women among several indigenous peoples of South India until the 19th or early 20th century……(以下略

ムスリム征服以前のインドの多くの地域では、女性上半身裸であった。……(中略)……上半身裸は19世紀20世紀初頭の南インド先住民女性の間では普通のことであった……(以下略)。

そういうわけで、古代インド女性おっぱい丸出しだった。手塚治虫変態だったかもしれないが、古代インドの服飾史については、嘘をついていなかった。

また、「古代インド おっぱい」と日本語検索すると、次のようなツイートが見つかった。

https://twitter.com/tenjikukitan/status/1093099586778853378

古代インドに詳しい方が日本語情報発信をしてくださると、大変助かる。

よく、東洋舞台とした作品ブラトップ同然の格好をした女性が出てくることがあり、しばしば批判されるのだが、これは実際には上半身裸だったのを攻めておっぱいだけは隠しておこう、という配慮だったのかもしれない。

実際、いわゆる熱帯地域だけではなく、古代クレタ島でも乳房は見せていたし、それこそ以前記述したように、日本海女さんもかつては上半身裸が普通であった。

おっぱい税、巨乳税、その非人道性

ところで、英語版ウィキペディアを読んでいたら、気になる記述を見つけた。

The Breast Tax (Mulakkaram or mula-karam in Malayalam) was a tax imposed on the lower caste (Shudra) and untouchable (Dalit) Hindu women by the Kingdom of Tranvancore (in present-day Kerala state of India) if they wanted to cover their breasts in public, until 1924. ……The tax was evaluated by the tax collectors depending on the size of their breasts.

乳房税(ムラカラム)とは、現在の(南インド)ケーララ州で低カーストシュードラ)と不可触選民ダリット)に属するヒンドゥー教徒女性が、公共の場乳房を覆いたければ支払わなければならなかった税である。……税金を集める役人女性乳房の大きさによって額を決めていた。

なんとも非人道的で、正直なところ読んでいてかなりのショックを受けた。身体の大きさを申告・検査しなければならない恥ずかしさ、支払えなかった女性苦痛いかほどのものであっただろうか。個人的には野外露出系のポルノは大好きだが、これが強制されたものだとなると不快だ。裸とは恥ずかしいものではなく、人間が生まれながらにして持つ、何物にも束縛されない自由意味する気持ちのいいものであってほしい。それにこれはフィクションではない。歴史的事実だ。

これについて日本語資料が見つからいかどうか探したが、幸いにしてナショナルジオグラフィック誌の記事があった。

古代ローマにトイレ税、世界5つのヘンな税 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

乳房税が廃止された経緯もまたショッキングである。ある女性が収税に来た役人に抗議するため、乳房を切り落として見せたことがそのきっかけだ。言葉もない。ローマ公衆便所から税を取り立てたケチで名高いウェスパシアヌス帝が単に合理的でまともに思える。

ナショナルジオグラフィック誌の姿勢、僕の姿勢

そのナショナルジオグラフィック誌だが、2018年に同誌は人種差別的であったことを公式謝罪した。国内有色人種無視していたし、外国文化過去の姿をやや好奇の念をもって眺めていた。そして、異民族過去の姿である上半身裸をピックアップしすぎた、と。

とても誠実な姿勢だと思う。確かに異文化への関心は、はじめのうちは興味本位小ネタから始まるかもしれないが、それだけで終わってしまってはもったいないし、現在の姿を誤解したままでは失礼だ。それに、欧米日本オリエント人間を過度にセクシャル表現してきた歴史があり、それを是正することはまったく正しい。

それは欺瞞だ。伝統的に上半身を見せる文化を改変するのは子どもたちに嘘を教えることになる。乳房を恥としない相手価値観や服飾文化破壊ではないか、という意見もあり、それももっともだと思う。とはいえ、今のところ乳房は隠すものデファクトグローバルスタンダードになってしまっている。歴史的正確さと表現のふさわしさと、これもまた正解のない問いである。

シーター姫のおっぱいが気になった僕もこの罪とは無縁ではない。今を生きる人々の人格と彼らの先祖文化伝統、どうすれば両方に敬意を払えるかを考える日々である。できる限り正確性に努め、通説が誤っていれば訂正をするように心がけているが、それでも異文化への関心が性的好奇心とは無縁ではないことを意識しないではいられない。

今後の研究課題

今回は古代インドではトップレス普通であったことを示した。また、乳房隠蔽キリスト教だけではなく、イスラームの影響もあることも明らかになった。

今後は、世界の中で乳房がどのような文脈を持っていたかを調べたい。例えばシチリアの聖アガタ乳房を切断され、かつては形の似ているパンや鐘の職人守護聖人であったが、いまでは乳がん守護聖人ともなっている。また、戦時中日本を含め、多くのプロパガンダでは、乳房母性記号として国土の豊かさを意味してきたし、しばしば女性を母としての役割に閉じ込める役割も担ってきた。逆に、女性自身が抗議の意味露出することもある。私の身体は私のもので、勝手意味を担わせないで欲しいという奪還の意図もあるのだろう。

加えて、世界各地ではどのような形の乳房理想とされてきたのか、その変遷もいつかはたどりたい。

実際、「ラーマーヤナ」ではほっそりした体を(乳房の重みで)曲げて、と形容されるターラーという猿の夫人がいる。今も残るインド彫刻から判断すると、古代インドには細い腰とそれに対する豊かな乳房への明確な好みがあったのではないかと推測される。また、この彫刻の特徴は東南アジアにも受け継がれている。その辺が知りたいのである

このあたりは西洋絵画からたどるのがいいかもしれないが、芸術個人自己表現となった時代以降は、画家自身の好みも反映されて難しい。

また、逆にトップレス世界の標準であった可能性についても検討したい。すなわち、ユダヤ教キリスト教イスラームの広がっていない地域の服飾史について検討し、トップレスでいることの自由がどのように失われていったかについても調査したい。

2020-10-30

anond:20201029182524

なーに地方低学歴どもをてんすちゃん扱いしてんだ?

あいつら犯罪者かその予備軍しかいないぞ

勉強できる子を異分子とみなしてイジメ、いや魔女狩り対象にしてくる

蟲毒の壺から抜け出しそうな子の翼を容赦なくもぎ取りに来るんだよ

法に抵触しようが隠蔽するならいい方で、泣き寝入りに追い込む

下手すると警察がそれに加担するんだよ

2020-10-23

anond:20201022231712

ぐうの音も出ないわ

絵文字連打も文章力の低さに予防線張ってごまかしつつ目立ちたいからやってみただけだし、

「納得させたい」のタイトルからし元増田追記の「真剣に私を納得させようという書き込みほとんどなく~」のくだりへの当てつけだし、

いちいち肯定してから否定に入ってるのも逃げ道無くすためだし、

そもそも絵文字で注意逸らしてるだけで元増田を虫けらとも思ってないようなクソほど上から目線の語り口だし、

『今まで欠けていた学びを得られてよかったね😀』て、お前さぁ(俺やが)

普通に無職中年男を殴ってダシにして自分の言いたいこと言っただけの糞性格悪い投稿なんよ。

自分投稿コメント寄せてもらっといて何だが「優しい」とか言ってるブクマカにはサイコパスみすら感じてしまう。

まあ一応親身さの体をとって悪意を第三者から隠蔽した自分が悪いししゃーないけど。

chinu48cm 最近こういう親身なフリしながら悪意をもって削りに行く増田多くないか

kjin これ優しいのか…。/今回のブコメやこの言及自分が助け求める場合、追い詰められて余裕無くても適切な態度取れなさそうだし助けを求める事が揶揄され他人に苦労強いる事になるかわかったのでやめとこうと思った。

正解

皆この読解力であってほしい(無茶ぶり)。

特に2人目の方のコメントには強く同意する(こんな糞投稿してる奴に共感されたくないとは思うが)。

この元増田に限らないが負の感情が高まって文章にしてるってことはその時点でそれだけ不安定ってことだし、それ故突っ込みどころ満載の投稿になるのは自明で仕方ないことなのに、俺みたいな適当に殴って主張してスッキリしたいだけのごみ人間がワッとあつまってしたり顔で叩き始める。元増田の今後の生活や悩みの改善なんて誰一人一切考えてない。

まー元増田の書きぶりとか言い回しもなんというかレス乞食的な面は否めない点多いし、一般公開投稿しちゃった以上反応もらえないよりはもらえたほうがいいのかなって思うけど、でも乞食って本来やりたくてやる行為じゃないしなぁ。

難儀な話だよ。とかとりあえずなんか考えてるフリしつつ元増田自分がやったことも全部放置して終わるわ。

2020-10-22

女性が噓つきとみなされる理由

小学生くらいから既に、本音と建て前を使い分ける技能を身に着けている。

みんなの前では誰とでも仲良くするフリをして、裏では悪口言いまくりとかね。

大人になって、色気づくと、自分を美しく見せるべくメイクに夢中になる。

欠点を隠し、美しくみせるのは自分気持ちを高めるためとか言って。

シリコンで盛り乳するのもお手のもの

たいていの女性は、3サイズや年齢体重についてウソを付く。

風俗嬢自称20代はだいたい30代だ。

セックスした日には平気でいったフリをする。

その方が相手が満足してくれるからと。

これほどまでに事実隠蔽し、自分を良く見せることに余念のない女性という生き物が、

性犯罪にあった時だけ、事実ありのままに正直に話すと本気で思えるだろうか。

大勢の人に同情されたくて、被害大袈裟に言っているのでは?

本当は自分から誘ったのに、その部分を伏せているのでは?

どうしたって疑い半分に聞かざるを得ない。

2020-10-13

まつもとゆきひろツイッターを見てRuby使うのをやめようと思った

Matzことまつもとゆきひろといえばプログラミング言語Rubyの作者なのだが、技術的にはともかく政治的にはツイッターを見ていてとてもつらい。

高度プロフェッショナル制度」について

定額働かせ放題」とも呼ばれ、専門性裁量性も低い業種への拡大が懸念される「高度プロフェッショナル制度」について、問題点理解せず反対する野党揶揄

IT 業界を苦しめたいか生産性を高めるのを阻害したい勢力」について

陰謀論に頼らなくとも、そのような勢力自民党なのだが、なぜか自民党批判には至らない不思議ツイート

安倍首相辞任発表の日にRTしたツイート

安倍晋三が辞任することで批判対象がなくなって困るだろうと想像上の批判者を揶揄

アベノマスク価格についてRTしたツイート

この期に及んでアベノマスク無理筋擁護するツイート

ナゴルノカラバ紛争についてRTしたツイート

他国紛争に便乗して「9条信者」を揶揄するツイート

日本学術会議についてRTしたツイート

どれも自民党が決定し実施した政策なのだがなぜか批判自民党ではなく学術会議に向ける不思議ツイート

政治的にはともかく技術的に優秀だったらいいのでは?

技術者として優秀ならたとえ政治的にどれだけ頓珍漢なことを言っていてもいいのではと考える人もいるだろうが、筆者はそう考えない。現在Rubyの開発はまつもとゆきひろ個人ではなく、オープンソースとしてコミュニティにより行われているものだ。その中で氏は一人の技術者としての役割と同時に、コミュニティリーダーとしての役割果たしている。

そう考えたときに、氏が「お上に盾突く」政権批判者を揶揄し続けていることはコミュニティの将来に暗い影を落としている。意見の違う他者に敬意を払う、少数派の意見でも理があれば尊重する、近しい人間もそうでない人間もできるだけ平等に扱うように努力する、といった健全文化が、そのようなリーダーの下で育つだろうか?

Linuxリーナス・トーバルズですら過去暴言について反省謝罪する時代である。多くのオープンソースプロジェクトはそれぞれに行動規範を定めるようになってきた。

Linuxの行動規範Pythonの行動規範も、それぞれにネット上での議論オフラインでのイベントで守るべきルールを具体例も交えながら詳細に記述しているし、それだけでなくルールを守らなかった場合措置や、ハラスメントを受けたときの報告先、その報告がどのように扱われるかまできちんと書かれている。

Rubyにも行動規範があるにはあるのだが、その内容はおそろしく貧弱で具体例にも乏しい。なにより、ハラスメント被害にあったとき被害者が誰に報告すればよいのか、その報告がどのように扱われるのかがまったく書かれていない。この健全コミュニティ運営に対する無関心も、リーダー姿勢無関係ではないはずだ。

以前からPythonの隆盛とRubyの退潮は繰り返し言われていたが、筆者はこれを機にRubyを捨てPythonに切り替えていこうと思う。日本で生まれ言語ということで、なんとなくRuby応援したいという気持ちもずっと持ち続けていたのだが、そのような気持ちだんだんと薄れてきてしまった。PythonRubyに対して利用者数も開発者数もライブラリの充実度も圧倒的優位にある状況が逆転する見込みはないし、コミュニティ運営に対する意識の差も新しく流入する人の数に影響しこの流れを多少なりとも助長するだろう。既存コードメンテナンスはともかく、新しいコードPythonで書くようにする方が将来的にはメリットが大きいだろうと思う。

2020-10-09

そういえばコロナ当初に

なんて言ってた人たちが少なからず居たけど、今はどんなことを主張しているんだろ?

2020-10-08

ホロコーストのある資料について意見が欲しい

こんなところで質問してもほぼ意味はないような気がするんだけど、他でも誰も答えてくれず困っている。協力があればなと。

これはパズルなのです。

 

簡単説明

ホロコースト否認者たちは、ガス室だけは絶対に認めません。ガス室を認めると大量虐殺肯定してしまうからです。ですから、一番目立つアウシュヴィッツを狙ってきます問題は、アウシュビッツには正確にいうと、ソ連が近づいてきたのでナチス親衛隊撤退するのですが、証拠隠滅のために、ガス室だったところをダイナマイト破壊してしまます

ナチス親衛隊は、全国指導者ハインリヒ・ヒムラー1942年暗殺されてしまったヒムラーの側近中の側近ラインハルトハイドリヒSD長官指導により、徹底的にユダヤ人殺害隠蔽したので、文書資料にすらほとんど「ガス室」や「処刑」などの用語もなく、ユダヤ人虐殺を「再定住」、処刑を「特別処理」などと言い換えたりしていましたので、これが戦後ずっと続くホロコースト否認者の格好の餌のようなものになってしまい、奴らは平然と「証拠はない!」とほざくわけです。確かに、ガス殺死体アウシュビッツには一体もありませんでした。なぜなら焼却して骨は砕いて川に捨ててしまたからです。

 

ガス室証拠

実は結構あるのです。文書資料として残ってしま図面にこそ「ガス室」とは書きませんでしたが、報告文書にうっかり書いてしまった記録などはあるのです。それ以外にも沢山あります。当然ですけど、証言記録は滅茶苦茶ありますアウシュビッツ司令官ですら戦後裁判証言し、死刑になって処刑されるまでに詳しい殺害方法を書いた自伝まで残しています

ところが、当然といえば当然ですが、否認者たちは証拠資料解釈で捻じ曲げて歪曲しまくり、証拠ではないと言い張り、流石に否定できない文書資料などがあると捏造だと一切認めず、当たり前のごとくに膨大な証言適当に難癖的にあそこがおかしいここがおかしいと文句をつけて全否定するのです。証言者が言ってることが多少誇張が入っていたり変だったりすることはよくある話なのに、一切認めません。ガス室の周りの地面に当時のユダヤ人作業員メモ証拠として埋めたのが戦後発見されていますが、戦後捏造だと言って絶対に認めようとしません。頭おかしいと思うレベルですが、これマジなのです。

 

認めざるを得ない証拠があったのに・・・

しかし、いくら否認論者でも、当時の文書記録として、加害者側の親衛隊人物業務内容として残した資料の中に、ユダヤ人のガス殺の様子を記録した文書があれば、流石に否定しようがないはずです。実はあったのです。

1970年代後半に、グリクシュ報告というのが見つかります。グリクシュ少佐というのは親衛隊人事本庁の職員で、1943年5月アウシュビッツの視察に訪れ、司令官ヘス同行の上、ガス室を見回って報告書を書いたのです。言葉は選びながらも、どう読んでもユダヤ人をガス殺する手順としか読めない内容がきっちり書いてあるのです。流石にこれは否定できないだろうということになったのでしょうか、10年以上、否認論者はこれを「まぁ偽造だろう」とほったらかしました。何故ならば、その報告書原本ではなく、戦後裁判資料を整理していた米軍将校タイプライターで打ち直したものだったからです。おそらく原本保管のためでしょう。だから原本じゃないので証拠にならず、米軍により偽造されたものだと言い張ったのです。

で、1991年に、アメリカ人リビジョニストのある人が、このタイプコピー版を徹底的に内容批判して、偽造だと断定します(実際には根拠は薄弱であり、捏造それ自体事実は一切証明しておらず、断定は無理です)。それがこちらです→フランケ・グリクシュ「再定住報告」:偽造の分析(レンク)

で、一旦これで否認論者もほくそ笑んだでしょう。原本などないんだから嘘に決まってる、と。ところが・・・

 

原本発見される

2019年、つまり去年です。ある反否認論者がふと、「もしかしたら?」と思ってドイツ連邦公文書館検索したのです。すると、その原本報告書製作時に同時にタイプされたカーボンコピーだった一枚)があったのです。ニュルンベルク裁判戦後裁判関係資料は膨大な量があり、昔は探すのが大変だったのですが、インターネット文書デジタル化が進んで、いつの間にか外部から検索をかければ見つかる状態になっていたのです。まさか探せるとは誰も気づいていなかったわけです。

発見者は、様々な検証を行い(と言ってもデジタル化された写真なので物理的には調べられない)、当時の他の文書とのタイプフォントの照合まで行い、フォントの一部に欠けがあった文字を数文字発見し、他の文書とそれが一致することから、おそらくは原本で間違いないだろうと。他にも色々特徴を調べていますが、疑問点は今の所ありません。

それがこちらです→Holocaust Controversies: Nazi Document on Mass Extermination of Jews in Auschwitz-Birkenau: The Franke-Gricksch Report

詳しく詳細な解説もされていますが、ともかく間違いないだろうと。内容も、否認論者は批判していましたが、それらおかしいと思われる箇所も十分問題なく解釈できる範囲です。何れにせよ、原本です。

 

捏造」とすると辻褄が合わない

否認論者としては、絶対に認められない資料証拠ですからこれを「捏造」と言わなければならないはずです。しかし、「捏造」と仮定した途端に辻褄があわなくなるのです。捏造でなければすんなり理解できます普通に原本はあった、そしてドイツ連邦公文書館で整理保管・デジタル化されていた、それだけです。

 

しかし、「捏造」だとおかしなことになります。先ず時期が問題です。

 

戦後のその米軍将校タイピングした時点で原本捏造されていたと仮定すると、ではどうして裁判に提出されなかったのでしょう? タイプ版も結局は裁判に出ていません。それは別に良いのです、証言証拠は沢山あり、グリクシュ報告は特に必要ありません。しかし、捏造だとすると、他の文書タイプフォントが合っているということから、それらの他のタイプフォント形式を間違いなく再現するためには、例えば同じタイプライターを探し出してこなければなりません。そんなめんどくさいことするでしょうか? しかもです、そうやって非常に面倒な精巧な偽造をするのであれば、何故タイプコピー版が存在するのでしょうか? カーボンコピー用紙を使えば、カーボンコピー三枚分用意できます。その一枚を裁判で使えるように回せばいいだけです。「捏造」と仮定すると極めて不自然なのです。かなり精巧なのに(調べてもわからいくらい)、裁判に使われていない事自体が不自然です。なおかつ、そんな手間隙かけた捏造証明された文書資料などただの一つとして存在しません(そもそも戦後裁判資料捏造が疑われたヴァンゼー会議議事録ですらも、リビジョニスト捏造だと言い張っていただけです)。

 

あと、この原本1980年代イギリスの著名な歴史家デヴィッド・アーヴィング連邦公文書館で見たことがあると言っており(アーヴィングは異常なほどの資料収集家です)、2005年くらいのこの資料議論する会でそのインデックスを述べていて、そのインデックスナンバー原本発見時にほぼ合っていたのです。とすると、1980年代原本存在したことになります。では、タイプコピー版が1976年発見されて以降、アーヴィング連邦公文書館で見るまでの間に、何者かがグリクシュ報告の原本捏造し、連邦公文書館に潜ませた、なんてことはあり得るのでしょうか?

今の時代ならばPhotoshopもありデジタル化された資料など簡単捏造できるのかもしれませんが、1980年頃にそれが出来たとは到底考えられません。ネットすらないので、ハッキングファイルを混入させることも出来ません(1980年代頃にデジタル化があったとも思えない)。いろいろ考えても、1980年代頃の捏造というのはあまりにも荒唐無稽です。タイプ文字の形を合わせるために、その他の文書すらも探し出してくる必要すらあります。すると、どうやったって当時ならば、連邦公文書館物理的に侵入しなければなりません。あまりにもハイレベル過ぎます

はっきり言って、グリクシュ報告の価値は「否認論者が困る」だけのものであり、偽造された「ヒトラー日記」のように1円の価値があるわけでもなく、書かれた内容についてはなんら未発見内容はないので、通常の歴史家特に反応を示すわけではない資料です。普通歴史家ホロコーストガス室があったことなど一ミリだって疑いやしません。

 

というわけで、グリクシュ報告原本を「捏造」と仮定することは、どう考えても辻褄が合いません。というわけで、非常にグリクシュ報告原本発見否認論者にとって困ったものであるはずなのですが・・・

 

ところがアホな否認信者たち

ネット上の一般否認論者は、どうも意味が全くわかっていないようなのです。「そんなもん捏造だろ」と頭から決めつけてかかっているだけで、捏造仮定するとおかしなことになるとまで考えが及ばないようなのです。ていうか、そもそも証拠絶対にない」とすら思い込んでいるようです。信じ切っていると言っていい。ですからこちらがいくら言っても、否認論者は「捏造とすると辻褄が合わなくなる」ことまで考えは全く及びません。

 

聞きたいのは、私が変なのでしょうか? 私自身は「ホロコースト否認信者はアホばっかり」と思うようにはしてはいるのですが、だーれも理解しません。一体どうなっているのでしょうか?

 

追記

id:anmin7相手の人がどうなったら増田は満足なの? 賢さを讃えてほしいの? ただ考えを改めたらいいの? 土下座して許しを乞うならいいの? 愚かさを恥じて以後増田奴隷になるべきなの?

違う違うそうじゃないのです。私一人で考えているだけなので、単に自信がないだけなのです。日本人ホロコースト否認論に反論しようなんて物好きな人はなかなかいません。これで合ってるかどうか、感想でもいいから聞きたいのです。日本人否認論の集まるところへ行くとほとんど孤軍奮闘になってしまうのです。私以外の反否認論側の人がいてもただ、「ホロコースト否認するなんておかしい」みたいにいう人がいる程度です。ほとんどの人は知識がないのです。

 

id:rmntc55211精巧捏造したけど使わなかった、その後、捏造したそれが何かの手違いで文書保管されてしまったなんてありそうだけどね。何もかもが自然にはできていない

そんなこと言い始めたら、あらゆる文書資料は全て捏造になりますよ。本当にそう言ったホロ否認はいましたが、あまりに非現実的です。グリクシュ報告の一致性は、タイプライターフォントの欠損が4文字も当時の同時期の文書と一致する、という時点で、捏造なら度を超えて精巧すぎます。むしろ、この欠損フォント捏造が発覚すべきです。それを捏造でやろうとすると、当時ならば虫眼鏡必須です。今の時代なら、パソコン画像拡大すれば簡単かもですが(というか、単に画像から同じフォントを使えばいい)、当時はそういうわけにはいきません。また仮に同一のタイプライターを探し当ててきたとしても、戦後ですから、同時期の文書とは2年も差があります。すると、その2年間にタイプライターの他のフォントまで劣化している可能性があります。あるいはその比較された他の文書資料も含めて偽造した、……などと言い出したら結局、ナチスから押収された文書は全て偽造とまで言いええしまい、暴論としか言えなくなるでしょう。何れにせよ、捏造証明された文書など一枚たりとて存在しませんので、妄想という他はないでしょう。

2020-10-06

anond:20201006094710

説明しないことが最適解だから

 

説明する →ツッコミが入る→政治が滞る(ことによって本人も政治的に弱くなる)

説明しない→ツッコミが入る→政治が滞る(が本人の責任は明確になってない)

 

安倍ちゃんのやりかたを引き継いでいるといえばそれはそう。

でもこれは、現状のマスコミ大衆存在する限りやっぱり最適解だよ。

総理側の責任と言い切れるかっていうと、それは無理だと思う。

失敗を報告すると罰せられる職場で、失敗を隠蔽する社員が増える現象に似ている。

2020-10-02

技能実習制度報道にいつも感じる違和感 ー移民搾取されるもの

移民は元から不利である

私も何を隠そうヨーロッパにいまエンジニアとして移住してきて、割とあー搾取されてんなーって思いながら仕事している。

武装してきてもどうしても搾取はされる

どう考えても地ピー優遇されっぷりはエグイ。いつかああなれるかなとか思うが、次の世代ぐらいにならないと無理なぐらい

地縁コネ言語等では不利なところからスタートである。モリモリ追走しているが、やはりスゴイ距離がある。

タオルを作るぐらいの技能日本で稼いでいこうという考え方も問題がある

借金させて、思考回路を寸断してきているという声もある。確かにそうだと思う。

でも、はっきりいってそれを言い出したら、あらゆることは言い訳できてしまう。

今は第二次世界大戦の時のように情報がすべて隠蔽できるわけではない。

お涙頂戴で来られても、なんで日本語がわかるようになったのならネカフェ

でもいって、情報収集しない。コネ作って助けをよばない?why???

どんなに頑張ったって、情報がとることができないということはない

インターネットに一度も触ったことないんですか?

東南アジア人のあなた、寮に帰って結局ゲームばっかしてませんか?

資本家搾取されているのではない。労働者同士が同調圧力で抜け駆けをさせないようにしているのだ、億劫なのだ

アジア人は本当にこれがおおい。ヨーロッパで絡む日本人もたいがいがこれだ。

現地に溶け込んで情報を得ようとする人はすくなくて、みんな億劫なのだ

お互い抜け駆けさせないように自分たち自分たちデッドロックしている。

それが快適で安全で楽なのだ

ベトナム等の東南アジアエンジニアとも絡むが優秀な人も多い

ベトナムでもエンジニアは優秀な人は本当に優秀。すごい勢いで仕事をする(人もいるが

滅茶苦茶やらない人もたくさんいる)。でも優秀な人も普通にいる。

そして、ということはエンジニアに全くなることができない環境ではない。

しろ10年前にエンジニアになるべく4GのディスクPCcygwin入れようとして入らず四苦八苦して、

涙を流していた自分よりもはるかに恵まれている。

さら給与たかいということは全ベトナム人が知らないわけではない。

おそらく、自分には無理だろうと早々に諦めてお涙頂戴のタオル劇場で踊っているというところだろう。

あー涙なしには見れませんなーーーー文楽っすわーーーータオルもってこーーい

世界でもタオル作れるぐらいの技能移住をできる恵まれた国はほとんどない

そもそも技能の人に移住されてしまうことは全世界的に警戒されている。

どこの国も低技能の人の面倒を見るのが嫌なのだ

そもそも人生うかうかすると搾取されるもの

というより、移民に限らず基本的に考えながら行動しまくらないと、構図、ひどさはどうであれ、人は人から搾取

するようにできている。この構図はどの国にいこうが逃れられない。

衰退国家と言われる国の大半の日本人が、移住を敢行したベトナム人に同情するというのも滑稽な構図

人に同情する暇はあるんですか?あなたも大きな構図でみれば同じですよ。

ちゃんと行動してますか?

日本人がベトナムからタオルをたくさん、高い値段で買ってあげるくらい裕福だったらこ問題も起こらないですよね?

タイ企業プレミアリーグスポンサーをしている、したたかタイ人を見よう

ヨーロッパ人の娯楽を後ろから操っているタイ人もいるんだよ。

2020-10-01

anond:20200930201421

(元増田人間関係において)

「あぁ、この人には嫌われてるんだろう」「この人とは相性が悪いかもしれない」

と感じる人というのは、その人の素の性格気持ちが丸出しだからこそ、初めて分かること。

そういう人は、あなたに対して警戒しておらず、なんでも話してくるから、最終的にあなたも打ち解けて何でも話せるようになる。

「お、この人とは上手くできそうな気がするな」と感じさせるタイプは、ほぼ間違いなく、

誰に対してもそう感じさせる。本人の感情本音を完全に隠蔽して、相手に良い印象だけを残すようにふるまっている。

いつもニコニコ作業して、何を頼んでも嫌な顔一つせず、あなたやほかのメンバーが困っていれば積極的に手伝いを申し出てくれる。

こびへつらうといった軽薄な卑屈さはどこにもなく、誰にも見られていない場面ですら誠実に真摯に振舞う。

コミュ障タイプでなければ、雑談でも普通に楽しく笑わせてくれるだろう。

あなたにとって心地よい時間空間提供するプロなのだ

プロ仕事が終われば去ってゆく。

あなたは気をよくして、自分本音気持ちを丸だしにして無警戒に振舞っていたかもしれないが、

相手は何一つ気を許していない。

どんなにリラックスして本音で話してくれているように見えたとしても、それは完ぺきな演技であり、こなすべき仕事の1つでしかない。

あなたへの興味は何も無く、深く関わる価値が無いと判断されれば、すぐに疎遠になる。もしくは淡々とした付き合いで終わる。


あなたには間違いなく、人を見る目がある。

だが、あなたが人を観察しているときあなたもまた、観察されていることをもっと自覚した方がいい。

2020-09-29

anond:20200929212236

それが成功して完全無欠に潔癖な政治になりましたって国が

世界のどこかにあるの?

都合の悪い事を隠そうとするのは人の業だろ。

から指示されなくても下っ端が自分ミスを隠す為に隠蔽する事なんて当たり前にあるし、

それが発覚する度トップがすげ変わる団体なんて聞いた事がない。

人に政府にどんだけ期待してんのよ?って話だわ。

anond:20200929121916

女が恥ずかしいって思ってしまう限り、性犯罪隠蔽されるでしょ。

じゃあ、なんで女は恥ずかしいと思ってしまうのか?

それは社会が女の体はわいせつであるから隠しなさいと教育してるからに決まってるじゃん。

ノーパンノーブラで堂々と街を歩く人が大勢いたら、

もう裸なんて全然エロくならなくなりますよ。

2020-09-28

ネトウヨにはファンが多いのだろうけど、普通に考えて麻生責任取らなきゃ駄目だったんだよ

「悪いのは安倍総理じゃない、財務省勝手忖度して隠蔽して改ざんして自殺した」

と言い張るにしても、それなら財務省トップ麻生居座り続けるのはおかしいでしょ

2020-09-25

anond:20200925093740

東京限定の話だろうけど、東京で中受当たり前な地域に住んでる子持ちなブクマカなんてごく一部だと思うんだよな

貧乏臭い人多いし

実際はただ受験情報に煽られてるだけっての多そう

或いは田舎公立中でいじめられてたのを「東京私立ならいじめられてなかったはずだ」と思い込んでるとか

実際はそういう奴ってどこ行ってもいじめられてたんじゃねーのという感じもするが

いじめ私立の方がむしろ隠蔽したがるってのも知らんしな、そういうのが表に出たら人気と偏差値爆下がりするんだから必死で隠すよ私立

精々謝罪程度で済んで生徒が減るわけでもないし教師公務員として守られてる公立とは深刻度が全く違う

2020-09-22

七つの会議見た

面白かった

自分も気を付けようと思う

絶対隠蔽とかする方の人間になりそう

2020-09-18

anond:20200918091313

うちの自治体はなにかと隠蔽体質だもんで。過去教育・保育関係での洒落にならないトラブルがいくつかマスコミにすっぱぬかれて大ごとになっているくらい。それでも自治体の長が交代してましになったかなと思ったら、この状況です。保育園自治体運営している認可保育園。だからこそ隠蔽されてるのだろうと思われ。

自治体感染者第2号(1号と同じ職場に勤める濃厚接触者)が、所属先を明らかにされないまま不適切な行動(発熱感染自覚していながら飲食店や人の多いところへ出掛けた)だけが公表されてしまい、批判殺到してしまったということがあって、たぶんそれで迂闊に情報公開出来ないって発想になったと思われる。けど、情報公開の仕方がおかしいのを改善せずにだんまりを決め込むのは間違ってると思うんだけどな……。

職場自治体の外なのだけれど、同僚には私と同じ自治体在住の人達複数いる。皆子持ちで自治体内の保育園幼稚園子供を預けている。職場オーナーには誰を休ませるべきなのか正確な情報が入って来ないので、まあ困ってるだろうな。子供が濃厚接触者になってるのに嘘吐いて出勤してくる人がいたとしても、分からないんだし。

例年の秋冬だと、やっぱりうちの辺りでも子供が高熱出してるのに登園前に解熱剤を投与して無理矢理登園させるというのが普通にある。それが悪びれもせずに世間話として普通に語り合われている。でも今年はさすがにそれはやりにくいんじゃないかなと思う。子供を無理に登園させることの出来る家は、子供の早退に対応出来る身内がいるからそうするんだけど、さすがにコロナ感染の疑いがある子供を預かってくれるのは身内にだって中々いないから……。

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