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はてなキーワード: 調子とは

2023-12-10

[]12月10日

ご飯

朝:なし。昼:おにぎり。おみそ汁。夜:牛丼サラダ豚汁たまご牛皿。間食:豆菓子イカフライ

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみー。

○探しものは夏ですか

スマートフォン向けアドベンチャーゲームとして高評価だった作品ケムコADVチームと手を組んでリメイクした家庭用ハード向けの移植版を遊んだので感想

昔お世話になっていた駄菓子屋のおばちゃんが亡くなったことを知り、久々に母方の実家帰省する大学生主人公の空木恭平、そこで何故か主人亡き駄菓子屋生活をしている謎の女子高生織原真琴出会い、一夏の青春が始まる。

メーンヒロインとなる真琴はかなり気が強く物怖じしないが、主人公恭平は人付き合いが苦手で知らない人に話しかけるのも苦手だし家族とすら上手く会話ができない。

しかし、真琴真琴で考えなしに突っ走しり失敗するところがあるし、恭平には慎重に物事を下調べしたり考察を巡らせる良い点がある。

二人の凸と凹がハマっていき特別関係値が生まれていくストーリーだ。

当初は真琴のビー玉を探すという素っ頓狂なお願いを叶えるために街を歩き回るのだけど、徐々にこの田舎町で何かが起きていることを知っていく。

神隠しや町に伝わる伝承などが雰囲気を盛り上げて行き、物語への期待度が少しづつ高まって行く。

中盤明らかにギアが変わるエピソードがあり、そこからはウジウジしていた恭平が男を魅せるシーンや、勝ち気な真琴の裏にあるもう一つの一面が見えるなどの、良きシーンで盛り上がっていく。

この辺は主要な登場人物を絞っているからこそ、やりたいことが強く伝わるし、スチル絵もしっかり用意されていて好きなシーン。

ただ、それらに至るまでの序盤のあっさり目な文量は惜しいところだ。

タメがあるからこそ、中盤のそれを覆すシーンが燃えるのだけど、そこが物足りなかった。

恭平がウジウジ、真琴がハキハキというのも、具体的なエピソードは数個で、あまり対比になっていない上、恭平は割と真琴には早々に強気な態度を取るので、そういう設定だが実態表現する量が物足りなかった。

文量の少なさは終盤の謎が解決していくシーンでも感じられる。

序盤のビー玉探しパートで振られていた謎が解かれていくのだけど、複雑な構造の割にスムーズに話が進んでいき、それらに対する悩みもあっさりと踏み越えてしまう。

しろ主要な登場人物が二人しかいないのだから、深く濃厚な描写を期待したくなるのだが、あらすじ感が強くもっとボリュームが欲しかった。

恭平真琴共にそれぞれのルートでとても大きな決断をするのだけれど、覚悟の決まり方が早く、話がサクサク進んでいってしまう。

真琴の方はまあそういう性格だと割り切れるものの、恭平の方はもっと色々と策を講じても良かったんじゃないかなと思ってしまった。

ストーリーテンポが良いのは悪いことではないのだけれど、中盤から登場するとあるSFガジェットを利用した展開は様々な活用方法が考えられるので、二人しかいない主要人物同士でそれらを議論して段取りを立てるシーンをたっぷりたかったのは、僕の好みで一般論とは違うかもだけど、そう思えてしまうほど文量が物足りない。

勿論、ストーリー主題SFガジェットを利用した段取り小説ではなく、一夏の青春、一夏の恋愛なのだから、この辺は好みの問題ではある。

ただ、この二人での議論シーンがかなり薄いのは、真琴の人の話を聞かない性質がかなり理由の一つに感じられたせいで、真琴への好感度があまり上がらず、恋愛ストーリーにも乗り切れなかった。

(これこそ好みの話だけども)

不平についての感想が続いてしまったが、良い点も沢山あった。

田舎町の夏を文章以外にも背景絵やBGMSEで彩っており雰囲気は抜群。

真琴立ち絵やスチル絵は水彩画風の色塗りが決まっていてキュンとする。

そして、最終ルート流れる主題歌のウエノレイさんのshyderはめちゃくちゃ決まっている良い曲だった。

物語主題歌としてキチンと話の筋を踏まえた歌詞になっており、恭平真琴関係値を端的に歌っていて素晴らしかった。

ストーリー面でも恭平が変わっていき、真琴だけでなく家族とも新しい関係値を結んでいくシーンは情緖豊かなシーンで印象的だった。

それと閉じないストーリーなのは好印象。

恭平真琴関係がこれから前向きに進んで行くところで終わるが、アレはどうなるんだ、こっちはどうなるんだと気になるところが多く、余韻が残るエンディングが好きだ。

決してストーリーが収まっていないわけではなく、物語上の謎はある程度しっかりと解決して、あくまで二人の恋愛関係が良い意味で先が気になり、今後の二人がどうなるのかを想像する楽しみがある終わりなのが良いバランス

また声優佐野裕理さんのイジけた恭平の隠キャ演技がバッチリハマっており、言葉面は肯定しているが内心は不平不満たらたらな本音が見えかくれするシーンを上手に演じてくれていてとても良かった。

好みの方向性こそ違っていたものの、一夏の青春恋愛ものノベルゲームとして小さく綺麗にまとまりつつ、彼らの先に広がる未来想像する楽しみもある良いゲームだった。

anond:20231209115407

雰囲気で分かっている」かどうかは相手には分からいか

わざと振り向いて「ついてきていることを確認するポーズ」を見せるのが相手のためになる。

そういうポーズをしない人間は、相手不安にさせるようなことを平気でするし、

相手立場に立ってものを考えたりしない、思いやりのない人間だな、と判断される原因になる。

この調子なら一緒に生活するのは苦労しそうだな、という想像もつながる。

あと、そういうところをちゃんと気にかけられる人は仕事もできることが多いので

そういう部分に気が付かないってことはこいつ無能だなと思われるかも。

絵が超絶上手い新人漫画家

逆に今まで何故埋もれてたの?世に出て来なかったの?って疑問が沸く。やっぱ無能編集進撃の巨人みたいに『漫画じゃなくてジャンプ持ってきて』とか調子乗ってたんだろうなあ。

2023-12-09

[]12月9日

ご飯

朝:なし。昼:ナポリタン。夜:サラダカレー。間食:アイストルティーヤ。豆菓子

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみ

グランブルーファンタジー

エクスイフを周回して六道神器の火短剣攻撃1本、特殊4本作った。

ミカミカパーパーが出来るのでよっぽど4本入ることはないんだけど、まあ期間限定武器なのでせっかくだから周回しておいた。

ワールドリッパー

シナリオ読んだり周回したり。

こんなに楽しいゲームマジで終わるの……?

マジかあ……

人生に疲れてしまった

最近体の調子が悪かったので病院にいったら、癌と診断された。

ADHDでとASDで頭が悪かったのだが、遂に身体も悪くなった。

来年で30になるので30になる前に自殺しようと思う。

グーグル自殺について調べると、思いとどまるように言われる。

頭も身体も悪く、社会に出ると死ぬほど嫌われる人生をこれ以上続けて何になるのだろうか。

増田たちの自殺をするのにオススメスポットを教えて欲しい。

[]12月7日

ご飯

朝:なし。昼:サラダどら焼き。夜:生ハムチーズポテトピザドリアワイン。間食:ポテチモナアイス

調子

むきゅーはややー。お仕事は、ひまひまなりー。

シャドウバース

ネクロロイヤルクロスオーバー

AA1とAA0を往復してた。

今使ってるデッキが、ガルドル突破できないので出されると降参するしかない。

ちょっと見直すか……

2023-12-08

ひざの調子が悪いんで、ウォーキングをやめて自転車にした。

今までウォーキングで30分かけて歩いてたコースより、かなり遠くまでいってきたけど自宅に帰って時間確認したら20しか経ってなかった。

自転車ってはええな。

ウォーキングコースを3〜4周くらい走れば自転車で30分くらいになりそうだけど、おんなじところをグルグル回るの嫌だわ。

自転車でちょうど30分になるコース開拓しないと。

自分コントロールできる範囲が広がるほど幸せになる」法則

最近思ったので、メモ

たとえば健康

自分健康調子を整えられたら、幸せなんだよね

逆に意図しないところで病気になったり、病気を治せなかったりしたら、不幸になる

病気になったとしても、仕事を休めたり、どの病院に行ってどの薬飲んだら治るかを知ってたりしたら、不幸か減る

自分健康コントロールできたら幸せなんだよ

お金幸せの源泉になるというのも同じ。

お金があると自分コントロールできる範囲が広がるから幸せになれる。

もちろん逆に「お金コントロールされる」ようになったら不幸になる。

お金自由コントロールできる力があるほど幸せになれるよね。

人間関係もそう。

かにこちらの行動をコントロールされたら不幸だよ。

親とか、上司とか、パートナーとか。

でも誰にも指図されずに自分で行動を決められたら、幸せだよ。

「誰かに指図された方が楽」という人もいるだろうけど、それはその指図が正しい時に限るよね。

そして正しい指図を常に出してくれる人はこの世にはほぼ存在しない。

自分自分の行動を決める方が幸せになれるはずだよ。

もし自分で行動を決めて失敗しても、その失敗を取り戻せる力があれば幸せ

失敗の結果をコントロールできるってことだから

失敗しても大丈夫なら本当に自由だし、幸せだよね。

から私たちは「自分コントロールできる範囲を広げる」ことを念頭に生きたらいいんだよ。

勉強だって勉強するほどできることが増えて幸せ

結果お金が増えて幸せ

地位も上がって、自由に指示を出せるようになって幸せ

人生を天に任せるとか、運次第で人生が変わってしまうとか、そういうのは不安定だし、不幸の原因になる。

かに委ねるのではなく、自分コントロールできる範囲を増やすのが、幸せ秘訣だよ。



・・・と思ったけど、どうなんだろうね。

とりあえずメモとして。

みなさん今日調子はいかがですか。ボーナスを貰った方もいらっしゃるのでしょうか。そうですか、ホクホクですか。羨ましい限りですね。

2023-12-07

橋本環奈よりもかわいい人を知ってる 1/2


まだ20代後半だった頃、橋本環奈を間近で見たことがある。都内百貨店でのイベントだった。握手会とかではないんだが、橋本環奈さんがマイク持ってスポンサー商品PRをしていたのを覚えてる。

名前だけは知ってたんだが、あれは、そう……、眼球が破裂するんじゃないかってくらい、可愛かった。芸能人を間近で見るのは初めてだった。

語らせてほしいことがある。会社の中でだけ結婚できる制度がないかな、と思ってる。

自分はしがないリーマンだ。パソコン回りの電子機器を造るメーカーで働いてるんだが、会社の中で気になってる女の人がいる。でも、その人は結婚してるんだよな。俺と同じ年代で、32くらいか。おしとやかそうだけど、元気があって、若々しさもあって、でも瞳とか見るとくたびれた二重瞼をしてる。なにより性格がいい。

その女の人(Iさんとする)の旦那さんを見たことがある。会社敷地で毎年やってるBBQ行事の時に一緒に来ていた。お子さんも見たことがある。何人いるかは知らんが、少なくとも2人いる。家族仲もいいみたいで、羨ましかった。俺は機能不全家族の生まれなのだ……。小さい頃は母親に殴られていた。マッサージもさせられてた。成績が悪かったら反省文の読み上げがあった。嫌な記憶だ。早く忘れたい。

で、その会社の中でだけ結婚したいIさんなんだが、もう二年以上はそんなことを想ってる。会社の中ではたまに話すくらいで、違う部署から接点はあまりないのだが、それでも俺がどうしても好きだからさ、機会があったら何か理由を作って、とりあえず話しに行ってる。

実は、数ヶ月前にやってしまった。やってしまったのだ。どうすればいいかからなくなった。まあ、ちょっと聞いてほしい。Iさんのことだ。身バレにならないよう配慮する。



Iさんを初めて見たのは、30代に入った頃だった。冒頭で述べたイベントで眼球が破裂しそうになって二年ほど後か。関東地方にある会社なのだが、年イチで地元のためにやってるイベントがあった。当時、総務部門に居た俺はスタッフとして参加していた。

地味だけど、いろんな催しをやってた。地元アイドル(いわゆるご当地アイドル)を呼んで踊ってもらったり、くじ引きや風船釣りなどの古典的なやつもあった。食事メニューも昔の縁日っぽかった。

俺はアトラクションひとつで受付をすることになってた。会社の1階を使ってそういうのをやってた。其処で、中途採用入社して一年目だったIさんと一緒の仕事になった。Iさんは部材の調達部門だった。

俺達の担当は輪投げゲームだった。その階には、コミケみたいに長机がいくつも並んでいた。スタッフ地元民(イベント参加者)を接客するための長机が主だが、後はフロアの奥側にもうちょっとだけあった。役職付きの人が座ってて、同じ階にある催しを見守ってる。

いざイベントが始まると、Iさんが輪投げゲームの参加希望者の受付をして、お金をもらって、俺がいる方では道具を用意して、ゲームルール説明して、いろいろやるんだが……どうしても忙しい。スタッフは3人いたのだが、参加希望者が何人も集まると想定外事態や、意見・苦情が出てきて、いっぱいいっぱいだった。

そんな中でも、Iさんは凄かった。先輩である俺が大変にしてるのに、あの子笑顔を絶やさずにハキハキと接客をしていたよ……。子ども相手がうまかった。お年寄りにも優しかった。料金とかゲーム説明とか、トイレの案内とか、ホスピタリティとはこういうことなんだと思えた。

この時、俺はIさんのことを凄いやつだと認識した。輪投げ以外にも、ほかのアトラクションヘルプにIさんと一緒に入ることがあったけど、俺にできるのは暇な時にスタッフ同士の雑談を振ったり(Iさんは新人から知り合いがいない)、あとは力仕事くらいだった。

Iさんは俺とほぼ同い年なのに、ここまで差があるのかと感心させられた。イベントが終わった後は、会場屋外の自動販売機(兼喫煙所)のところでIさんと話をした。「疲れたね」とか「でも、楽しかった」とか「フランクフルト売れ残りあるらしいよ」とか、いろいろ話したのを覚えてる。声が低いのか高いのかよくわからなかった。上ずってる感じがあったし、落ち着いてる感じもあった。

あの時、俺が自販機千円札を入れてコーヒーを買うと、お釣りがこんなだった。

㊿㊿㊿㊿㊿

㊿㊿㊿㊿㊿

㊿㊿㊿㊿㊿㊿㊿

⑩⑩

50円玉がたくさん出てきて、Iさんに見せると大笑いしていた。それで、ずっと笑顔で、くたびれた感のある二重瞼で俺の方を見つめていた。この人の場合、話す時に体がバネのように上下に揺れることがある。やはり、人はニコニコしてるのがいいと思う。機嫌がよさそうな人っていいよな。

Iさんは結婚してる人だから、話し過ぎるのはよくないと思ってた。もっと話したかったけど……彼女不利益になるかも、と思ったら会話をやめたくなった。あの時はどうしたか今では覚えてない。



話は変わるけど、自分新卒会社に入った。十年以上前のことだ。今は総務だけど、元々は技術部門で働いてた(高専卒)。PCキーボードを作る部門だった。キーの下に、押下圧を感知して電気信号を走らせる部分があるんだが、そのあたりの品質検査テストをする部門にいた。ずっとこういう仕事をするんだと、若い頃は思っていた。

しかし、総務課に技術部門の人が配属されるケースがある。総務だと、いろんな会社から窓口的な扱いを受けることがあって、簡単な問い合わせだと専門部署に繋ぐことなく回答する。

ただ、一応は電子工学の分野であるからして、スタッフが答えに窮することがある。そういう時のためのバッファーとして、俺みたいなの(若い、体が動く、技術部から消えても困らない)が技術部から異動するようだ。先輩に聞いた話だから、本当かどうかはわからん技術部門で戦力外の人が事務部門に行ってるだけの可能性もある。

事務仕事という括りだと、Iさんと俺は仲間だった。Iさんは調達部門で、俺はひとつ上の階だった。先ほど説明したとおり、Iさんは優秀だ。必要部品発注する仕事は一カ月でマスターしてしまって、ほかの女性社員毎日残業してる中で定時帰りだった。いつも、帰る時にIさんがいる部署の前を通るのだが、あの子はいなかった。

Iさんが入社二年目の時だった。うちの会社も、ほかの電子機器メーカーみたいに国から補助金もらって仕事することがあるのだが、そのための申請書と添付資料(全くの新規分)の一部を作る業務を、Iさんは任された。「億単位補助金から必要資料がとんでもない」と、全社での飲み会会社敷地内で自由に飲み食いできる)でIさんが話してたっけ。

Iさんは理系学位を持ってなかった。普通科高校卒業して、ずっと地銀一般事務仕事をやってたらしい。素養がないのだ。制御工学電気)の才能があるかもわからない。

俺の部署は、申請本体を作っていた。Iさんの部署とは直接協力する関係ではなかった。けど、絶対苦戦するとわかってた。ある日の夜7時頃に調達部門がある階に行くと、やはりIさんは悩んでいた。

当時の調達部門には、技術の有資格者がいなかった。「いや、1人くらい置いとけよ」と思ったが、それは組織が決めることだ。

Iさんに声をかけると、涙目だった。家には子どもと猫がいるのに、全然仕事が終わらないとのこと。周りのスタッフが帰った後の席を見渡したけど、協力しようとしても無理だろう。国の補助金申請をするために技術士などの資格を持ってる必要はないが……「おそらく無理」、というのがIさんの課題を見せてもらっての感想だった。ごく普通に電気関係計算や、専門機材への理解必要だった。

例として、これから開発しようとしているパソコン周りの機器仕様があったとするだろう。メーカーカタログECサイトだと、仕様スペックがズラッと並んでいるが、あれのベースになっている要素を国補助金用にイチから作らないといけない。

しかも、申請にはあちらの行政機関が定めた相当なページ数の手引きがあって、それに準ずる形にしないといけない。こちらで好き勝手仕様等を書けばいいものじゃない。中には、国の基準が古すぎてメーカー側の技術基準の方が正しいみたいな箇所がいくつもあった。

難しい話は置いといて、この時は迷った。Iさんには難しい仕事が回ってきている。本当は別の部署、例えばウチの総務課とか、経営企画室が作らないといけないのでは!? なんてことを思った。

でも、これはIさんの課題だった。Iさんは今、死にもの狂いで頑張ってる。ここで応援すると、Iさんの成長機会を奪ってしまうのでは? という考えがあった。どうすればいいのか相当悩んだが、夜寝ている時に、枕元でこんな考えが浮かんできた。

「本当にIさんのことが大切だと思ってるんなら、今あの子がこんなことになって、どういう気持ち心配しないといけないんじゃないか?」

迷った挙句、こっそりサービス残業することにした。「手伝うよ。とりあえず何でも言ってみて」とIさんに伝えた時、すっごく喜んでた。手伝いを申し出てよかったと思えた。

その後はキツかった。Iさんに専門知識がない関係で、半分以上丸投げみたいな感じで申請書の添付資料を作る仕事が回ってきた。彼女が悪いんじゃなくて、こんな謎デザイン(神エクセル)の申請書と手引きを作った経済産業省が愚かなのだ、と思うことで乗り切った。

俺ではなく、Iさんが一番キツイのだ。やったことのない専門分野の知識必要なのに、気合根性で乗り切ろうとしている。子どもだっているのに。物理的な意味時間がないのだ。あの子は頑張ってる。俺も頑張らないと……と当時は思っていた。

サービス残業時間は、丸25時間ほどだった。疲れた。Iさんは無事に申請データを提出できたようだ。「これでよかった」と思えた。今まで、入社したばかりの人で圧倒的な仕事量を任せられて、うつ病とかストレス障害で沈んでいく人を何度も見てる。Iさんを助けてあげようと思ったのも、そういう現実があったからだ。



ある日廊下ですれちがった時、Iさんにお礼を言われた。「気にしないでください」と言ったけど、この時点でもう本気だった。俺はもう、本気でIさんに恋している! 大事にしたいと想える人になっていた。会社の中でだけ結婚たかった。できないかな。

Iさんは、根が明るいし、礼節はあるし、可愛いし、細身だし、とにかくいい人だった。ただ、廊下で話してる時、Iさんが付けてる結婚指輪が気になった。指輪……指輪だ。何度もチラ見したけど、やっぱり薬指に付けている。あれはニーシングだろうか。

しかし、不思議だよな。独身若い子と社内で話してる時は、けっこう気にするものだ。周りの目線を。なので、若い子とはあまりさないようにしてる。その子不憫だろう。

Iさんは結婚してる。そこまで気にならない。例えば、「お前らそういう仲なんか?」と疑う人がいたとしても、「不倫を疑ってるの? なんて失礼な奴!!」となるだろう。だから、そう、結婚指輪をしてる人とは話しやすいのだ。

その時のIさんとの話は、今でも覚えてる。Iさんがいつもの明るい調子冗談を言って、俺が「いいですね!」「面白いですね」「調子に乗るなよ^^」とか言って笑い合ってたっけ。今はもう、そういうことはできないんだけど。思い出だ。

思えば、あの時はどういう気持ちだったんだろうか。「心がふわふわする」とか、「心臓が締め付けられる」とか、いろいろ考えたけど、どんな名前でも間違ってる。ああいう時の、ああい感情好きな人を感じている瞬間を表す言葉なんかひとつもない。言葉にすることじゃないのだ。



すまないが、続きは明日にする。

(続きです)https://anond.hatelabo.jp/20231207211656

やる気がなくなったら心穏やかになった

不思議よな。一番嫌いだった、やる気のない人になってみたところ、メンタル調子がすこぶるいい。

 

私のやる気への糧は怒りだった。嫉妬や焦り、怒り、不安などマイナスエネルギー起爆剤になることが多かった。

やる気がない状態は異常だという思い込みから、やる気がない人は嫌いで、そういう人を見ると腹立たしい気持ちにさえなった。それは自身対象であるので、やる気がないときは自らの存在価値が危うくなってメンブレするのだ。

 

ある日突然やる気がなくなった朝に、いつもだったらやる気のない自分不安メンタルクリニックへ駆け込んでいた所「まあいいや」とその気持のまま放置してみた。

そしたらなんか、日常がめちゃくちゃ楽で。やる気がない状態は、どうにかしなければという強迫観念からの開放に近いものがあった。

 

まず、自分を責めない。どうでもいいから。

他者からダメージを受けることもない。どうでもいいから。

明らかに酷い悪意ある中傷ではない、本来は怒るべきでない瞬間、は?という気持ちでつい反応はしてしまものの数秒後には無になる。お前のことはどうでもいいから。

 

不思議と生きるのがそんなに辛いことではなくなった。だって全てのことは今死ぬ間際の問題ではない故、どうでもいいから。

やる気がないということは気持ちに波風が立たないということで、それはめっちゃ欲していた心の平穏であった。

やる気がなくても生きていていいという肯定は案外強い。

[]12月7日

ご飯

朝:なし。昼:サラダどら焼き。夜:白菜ニンジンエノキカブベーコンスープ。炒りたまご。冷や奴。たくあんみかん。間食:なし。

調子

むきゅーはややー。お仕事は、ひまひまなりー。

シャドウバース

ネクロロイヤルクロスオーバーしたりオリジナルデッキ組んだり。

シャドバ熱が高い。久々にevolveの方も触ろうかな。

ワールドリッパー

最後ガチャ更新最後図鑑更新

とりあえず未入手だった限定星4は揃えた。

あとはまあ、終わりを慈しむ気持ちを持ちつつ、例の合体ロボのイベントに向けて育成はちまちまやるか……

寂しいね……

終わりは辛いね……

結婚して子供が生まれて酒を飲まなくなった

20代毎日のように飲んでいたけれど、30代になって結婚して子供が生まれて、ついに酒を飲むのは取引先との仕方無い会食と実家の両親の晩酌に付き合うときくらいになった。

子供が生まれると自分時間なんてほとんどなくて、その貴重な時間飲み会二日酔いで潰してしまうなんて勿体無いのが一つの大きな理由

さらにそういう生活が続いてたまに酒を飲むと、ちょっとの量でも翌日は信じられないくら調子が悪い。

お酒の何が好きだったかというと、お酒自体の味や食事を美味しく食べるという要素もあるが、それよりはお酒と共に友人たちと楽しい時間を過ごすのが一番だった。

若い頃は仲の良い異性と飲み明かして、それだけでも楽しいし、たまに懇ろ関係になってみたり、といった関係性を楽しむのもあったが、結婚した今間違ってもそんなことにはなれないので、ゆっくり飲むなら仲の良い同性が良いが、同年代は概して育児仕事に忙しくなかなか都合が合わない。

レストランに行ったらワイン1本くらいは頼むのが礼儀だとは思っているが、そもそも子育て中にそんな店は行かない。

そうしていたらほとんどお酒を飲まなくなってしまっている。

酒がない人生なんて、と思っていた若いから想像もつかなかった自分だ。

お酒を飲む時間有効に使えている今を喜びたい気持ちと、少し寂しい気持ちと、両方を持っている。

[]12月6日

ご飯

朝:なし。昼:ハンバーガー。夜:白菜ニンジンエノキベーコン豆腐の鍋。間食:なし。

調子

むきゅーはややー。お仕事は、それなりー。

シャドウバース

ネクロロイヤルクロスオーバー

オリジナルデッキを作るなんて息巻いたは良いものの、結局ゴースト連携のアグロな感じ。

とはいえ、こういうデッキをチェーンしていくのも楽しいので、ゲームをしてる感。

参謀入れたいんだけど、ツインテールとの枚数配分に悩み中。

2023-12-06

調子が悪いわけじゃ無いが休みたい

コンビニを出入り禁止になった頃の思い出


思い出を語ってみる。俺はしがない社会人だけど、できるだけ面白くなるよう心掛ける。

あれは確か、2021年秋だった思う。当時も今も、うちの家の近所に老舗のスーパーマーケットがあってさ、朝早くに行ったら居酒屋だと刺し盛り2,000円だろ!! ってレベルの新鮮な刺身パックが売ってた。

それが楽しみで、週に二度通ってた。たまに、生マグロとかウナギ解体ショーもやってたけど、コロナ禍のせいで中止になってしまった。今でも再開されてない。

さて、ある秋の日の午前だった。いつものように刺身パックを買って、あと昼酌のためにビールも買って、そのスーパーマーケットレジに並んだ。そしたら、いつもいる小柄な大学生ほどの女の子レジを打ってたんだが……。

「あっ!!」

つい、驚いてしまった。本音だった。その子はびっくりしてた。

ここまできたら、恥ずかしいけど言うしかない。当時はそう思ったはずだ。

「〇△さん、髪切りました!?」

そんなことを言った。善意でも悪意でもなかった。思ったことを口にしただけだ。

するとさ、その女の子がさ、

はい…切りました…」

って、悄らしい感じで答えるのだ。まごまごしてた。

の子刺身パックとアサヒの缶ビールを手渡して、当時は有料化されたばかりのレジ袋も渡して、お会計で千数百円を出した。

すると、その子が小銭をレジに入れる前に、チャリーンと落とした。すぐに拾い上げた。慌てていたんだろうか、お釣りは受け皿に置いたけど、割り箸レシートもくれなかった。

袋詰めコーナーで刺身レジ袋に入れて、レシートゴミ箱に捨てた後で○△さんの方を見ると、片手を後ろに組みながら、左足?のつま先で床を掘り返すような仕草をしてた。この場面は記憶に残ってる。

正直、気持ちが悪かったと思う。相手にとっても。俺にとっても。俺、そんなに若くもないのに……当時は31だったけど、やはり若くはないと感じる。でも、その時から俺はなんか、変わった気がした。

それから、チャンスがある時はその女性店員S子さんと雑談をした。俺のほかにおじさんやおばさんがレジ店員と会話してるのを聞いて、天気の話とか、メイクが変わったこととか、相手ちょっと褒めるのとかした。

S子さんが喜んでくれるのが嬉しかった。うざそうにしてたらすぐにやめたけど。



でも、俺は調子に乗ってしまった。

ひとつは、その年の冬だった。レジコーナーに行くと、レジ打ちの人の中に、背が高い20代前半ほどの女性と、もう一人レジ係がいた(2人組)。俺がレジに入ろうとすると、背が高い方のT子さんが、両手で無言でブロックサインを作った。

前を見ると、そのレジは止まってた。客と店員の話を聞くに、カード割引の電子決済トラブルがあったようだ。T子さんじゃない方の子マイクスペースに行って店内コールをするんだけど、これは……「聞こえてないな」と思った。

チラッとT子さんを見た。不安そうな顔で立ってたよ。それで、俺は彼女に声をかけたのだ。「今の聞こえてないよ。あなた社員さん呼んできたら」と言った。すると、T子さんは走り出して精肉コーナーの方に向かった。

社員さんがT子さんと一緒にやって来て、レジ操作して事なきを得た。夕方~夜だったはずだ。3割引の刺身を買っていた気がする。

次の来店時から、T子さんのレジに並ぶと会話が弾むようになった。ピアスとか、イヤリングとか、シルバーリングとか、いろいろ付けてる子だった。アクセサリーの話もしたし、進路のことも話したかな。

ある日の夜だった。半額ハンターとしての役目を終えてレジコーナーに向かうと、そのT子さんのレジの隣に、先ほどの背が低い子(S子さん)がいた。俺は何も考えずにT子さんのレジに並んだ。

そしたらさ、それを見たS子さんがどっかに走って行くんだよ。サービスカウンターっていうのか、お歳暮地元土産物が置いてあるコーナーだった。

S子さんに悪いことをした。罪悪感が込み上げてきた。確かに、S子さんとはたまにしゃべってた。会計の時、「こんばんは」「雨が多いですね」とか一言二言くらい。

でも、当時の俺にはそういうのが非常識だとわからなかった。今思えば恥ずかしい。穴があったら入りたいよ。

T子さんとは、それから偶然スーパー駐輪場で一緒になって、そしたら話が弾んで、電話番号を交換して、一緒にご飯に行った。それから何度も、いろんな場所に連れて行ってあげた。いい子だった。

付き合ったのは半年だったけど、いい思い出だった。先日、バッタリと会う機会があった。おいしい物を奢ってあげた。



残りひとつコンビニだ。あの当時、近所のコンビニでも女性店員と話をしていた。どっかの遊戯王キャラクター台詞じゃないけど、「お前、キモイだろ!!」みたいな感じだった。

当時はまだ、T子さんとの付き合いに発展する気配はなかった。というか恋愛に興味がなかった。でも、コンビニ店員に声をかけてみたいと思っていた。愚かだった。

そのコンビニには、姉妹同士と思しき店員が働いてた。一緒にシフトに入っていることが多かった。そのコンビニは、時間が経った店内調理品を値下げするタイプだった。俺がさ、仕事帰りに唐揚げとかカレーパンをまじまじと見てると、姉の方は目の前で割引シールを貼ってくれた。控えめに見て神だった。妹さんは接客がしっかりしてて、とても高校生には見えなかった。

その姉妹とか、ほかの店員さんとも会計の時に話をしてた。十秒以内だけど。天気の話とか、好きなホットスナックとか、見た目が変わったこととか、他愛のない話ばかりだ。

師走の頃だったか。いつものようにコンビニに入ってヤングジャンプを読んでたら、なんとお廻りさんに呼び止められた。「ちょっと来てください」と言われて、パトカーに乗せられた。コンビニ駐車場に1台だけパトカーが停まってるのって、なかなかシュールだったよ。

それで、ポリ公の2名からこんな職務質問を受けた。

(ポリツァイ×2から職務質問

・「女性声かけしてる人がいる」という店から相談があった

・詳しくは言わないけど、ある女性店長さんに言ったんだって

・ほんとに変なことしてないよね?

・もうこんなことはしない方がいい。あなたもいい年なんだから

あなたにとっては気軽でも、相手にとってはそうじゃない

それで、パトカーの中で詰問が続いた。俺が犯罪をやってるみたいな決めつけだった。正直ムカついた。だが、相手お上だ。忍耐しか勝たん。唯一の道だ。

お巡りさん(ポリツァイ・若)に、「あ…そうだ。身分証見せて」と言われた。俺は免許証と一緒に、名刺入れの中から地元町内会子ども会の役員)の名刺を出した。

会社名刺はある?」とお巡りさん(ポリツァイ・老)に聞かれたけど、「土木作業員なんで持ってないです。この見た目でわかるでしょう」と答えた。本当は地元区役所勤め(※時々作業着を着用する事務吏員)だったか名刺を持ってたけど、見せたくなかった。

だって、こいつらは俺のことを犯罪者扱いしてる。それこそ小学生の頃から地元一筋で生きてきたのに。横浜田舎だけど此処が本当に好きで、ずっと地道に活動してきた。子どもながらに地元イベントの手伝いを何度もした。大したレベルじゃないけど地元に貢献してきた。

から、高三の時に区役所試験を受ける時だって祖父や実父が顔を利かせてくれたし、学校先生や、剣道部監督コーチだって学校単位で推薦状を書いてくれた。「できることはやった。試験がんばれ」って応援してくれた。

(以下追記

※誤解があったらよくないので弁明する。地元のために活動してる人が公務員試験で有利になるのはありうる。ルールに書いてないだけで。実際、俺以外の採用者を見る限り、地元枠というのが明らかにある。ルールに定めはないけど、故郷を想う人を優先するのが地方公務員試験のあるべき姿だと思う。国の機関だったら、外務省非公式ながら縁故採用してるじゃん。国にとって大事な家柄や血筋の人を採用してる。それくらい、社会では『つながり』というのが重要視される。

まあ、警察官に疑われたのはいいよ。実際、俺は悪かった。だけども……お巡りさん通報を受けたので仕方ないにしても、問題はあのコンビニ店長だ。一応、顔は知ってるけどさ。

同じ組内(くみうち)なのに、あの人は町内の溝上げにすら参加しない。お前がひい爺さんの代から経営してる商店(コンビニ)の前の水路、俺らがさらってるんやぞ?? と、急に怒りが込み上げてきた。

子ども会の行事での弁当発注とか、イベントが終わった後の飲み会地元店を順繰りに利用してるのを思い出すと、さらに腹が立ってきた。

そんなこんなで、職務質問は15分ほどで終わった。あの時、子ども会の名刺を見せた途端、警察官二名対応が一気に緩くなったのだ。以降は和やかムードになった。

その一人(ポリツァイ・老)は、俺の祖父を知ってるみたいだった。「あー、連合会長さんのお孫さんなんですね」って感じだった。「今は故人です。お世話になりました」と言っておいた。

漸くパトカーから解放されて、警察官に連れられてコンビニの中に入ると店長さんがいた。それで、出入り禁止を告げられた。

「……そういうことなので。今後のご利用はなしでお願いします」

「わかりました。そうします。すいませんでした。ただね、店長さん。そう思ってたんなら、話をしてもらいたかった。いきなり行政ではなくてね、同じ町内なんだから店員さんに話しかけるのが迷惑なら、まずは言ってほしかった」

はい……では、すいませんが。今後はご利用はなしということで。お願いしますね」

「わかりました。もう利用しません」

言うまでもないが、子ども関係発注リストからあのコンビニを無くした。町内会寄り合いでも情報を共有した。利用客とトラブル解決の話し合いをせずに警察通報する店があったことを。俺はあの時、嫌な気分になったし、地元民同士で腹を割って話し合えないような者と付き合いたくない。

子どもの頃を思い出した。昔、俺の爺さんの世代なんかは、何かあるごとに皆で公会堂に集まって、午前中に話し合いが始まって、昼になろうと、日が暮れようと、夜になろうと、ずっとやってた。話すことがなくなった人から家に帰っていくスタイルだ。夜を跨いだ場合太陽が昇った直後だと討論組と雑魚寝組に分かれていた。

あの人達は、とにかくずっと腹を割って議論し続けていた。そういう農民DNA身体に刻まれていた。それが、この組内(くみうち)のしきたりだ。百姓世界の決まり押し付けるみたいで悪いが、腹を割って話し合いができない奴とは仲良くしたくない。

でも、俺が悪いのは間違いないと思う。だって、俺があの姉妹店員に話しかけなければ、こんなことになってない。悪いことをした。申し訳ない。もし祖父が生きてたとしたら、俺はすごく怒られていただろう。「他人迷惑をかけたらいかん」って、絶対に怒られてる。俺が悪かった。反省してる。

今はこんなことはしてない。大人しく買い物してる。あのスーパーは、今でも週に何度か利用する。買う物はずっと一緒だ。新鮮な刺身と、アサヒビールor焼酎を少々。あとは半額総菜。黒烏龍茶インスタントパック。冷凍食品。そんくらいしか買う物がない。実家暮らしからな。

結局、子ども関係コンビニへの発注分は、こっちのスーパーに移ることになった。大資本がやってるスーパーマーケットではあるが、地元税金を払ってるならいい。



いつまで経っても同じ生活を繰り返すのだと思う。今週もいつもどおり、あのスーパーマーケットで何度か買い物をする。それで、日曜日には水路の清掃とか、子ども会の伝統行事とか、ほかの地区と合同で〇△フェスティバルをやったりする(小中学校の校庭でやるお祭りetc...)。

あとは、そうだ。いつか必ず、子ども会の行事として劇団四季ミュージカルツアー企画してみたい。今思ってるのはそれくらいかな。

こんなことをして一生が過ぎていくんだろうな。そして地元死ぬのだ。できれば祖父みたいに、実家死にたいな。朝起きたら死んでいるのがいい。

話は散らかったが、懺悔を聞いてくれてありがとう。すっきりした。増田の皆さんがよい週末を過ごせるように祈ってる。



追伸

あの後、コンビニとは仲直りしました。

子ども会の弁当発注も元通りです。

旅行、高い焼肉、高い風俗、美味い飯

こんなもんで人間幸福になれる訳ないだろ

毎回人生を生きる中で日々感じる苦痛や苦しみを吐露したエントリにこんなブクマつけてくるお調子者いるよな

まじで腹が立つ

でもその能天気さすら羨ましい

そういう能天気人間はある日医から腫瘍がありますね。転移してますね。治療はほぼ不可能ですね」って言われても「元気なうちに片付けして見られたくないもの片付けて旅行行って良い温泉入って美味い飯食わなきゃ!」ってなって、実際にそれをやり遂げたら何の功績も人生モニュメントもなくても「あー幸せー」ってなれるんだろうな

心底羨ましい

干渉ヒスママ育ちが陥る罠

干渉ヒスママ育が陥る罠について言及して行こうと思います

罠は大きく3つあります

〜目次〜

罠1)妥協的な社会性を身につけてしま

罠2)クズ説教される

罠3)常識的に考えても解決策が出ないこと

おまけ)人間関係ブランクが出た人間改善方法

罠1)妥協社会性を先に身につけてしま

私は社会性には二種類あると考えています

1つめは筋を通す社会性、2つめは妥協的な社会性です。

「筋を通す社会性」はその名の通り筋を通す社会性です。

法律を守ったり、礼儀礼節を守ったり、社会ルールに基づいて適切な判断と行動をする能力のことを「筋を通す社会性」と定義します。

それの対になるのが「妥協的な社会性」です。

「本当は筋を通したいが、自分地位が低いため妥協するしかない」という種類の社会性です。

サービス残業でも働くとか、上司が間違ったことを言っているけど指摘すると逆ギレされるから黙るとか「世の中は完璧じゃないから仕方ない」

と割り切る社会性のことです。

理不尽に耐える力」とも言えるでしょう。

「筋を通す社会性」は自分地位や人脈、能力範囲内で発揮されます。なるべく「筋を通す社会性」を発揮した方が立派な社会人になれます

「優秀な人ほどすぐ辞めていく」なんて決まり文句は優秀な人が「筋を通す社会性」を発揮した結果、「妥協的な社会性」を求められる場所から離脱することで起きる現象です。

責任が重い重要仕事をしている人ほど「筋を通す社会性」が求められます

地位が低い人ほど妥協的な社会性が求められます

残業代が貰えなくても働く」「上司が間違ってても従う」「悪さをしないと存続しないような業界会社で働き続ける」

という長期的にみて損する行為なので、あまり良いものではありません。

生活水準をあげたかったら「筋を通す社会性」を発揮する必要があります。ただ、「筋を通す社会性」を発揮するには

「筋を通す社会性を発揮する上で必要能力・人脈」が必要になります

例えば東大卒で人脈も実績もある大手企業サラリーマンが「この会社のやり方は良くない。〇〇さんのコネで✖️✖️社へ転職しよう」

という判断をした場合が「筋を通す社会性と人脈を発揮」するケースになります

昔は儲かっていた企業でも傾いた事例は存在するため「この会社のやり方は良くない」という感覚が正しいものであれば長期的に見て良い結果になるでしょう。

逆に30歳のスキルも人脈もないサラリーマンが「サービス残業とか無理、明日から会社辞めるわ。働いた分、手厚い待遇くれないと」

とか言い出したら「舐めとんのか?」という感じになるでしょう。

30歳のスキルも人脈もないサラリーマンには妥協的な社会性を発揮して現在所属している会社で働くか、無職になるかの二択しかありません。

もちろん妥協的な社会性を発揮すると長期的に損をしますが、筋を通す社会性は身の丈と同じレベルしか発揮できないためしょうがないです。

このように「可能な限り筋を通す社会性を発揮し、必要に合わせて仕方無く妥協的な社会性も仕方なく発揮する」というのが健全な状況です。

しかし、過干渉ヒスママには筋を通す能力は低いので、妥協的な社会性を自分の子供に求めてしまます

干渉ヒスママにとって社会性は「自分のご機嫌を取ってくれること」です。

そして、一部の先生妥協的な社会性を子供に求めてしまます

習ってない方法算数問題を解いたら✖️とか、努力してる感を出すために非効率勉強方法をさせるとか。

彼らは質の低い妥協社会性を子供に教え込もうとしてしまうのです。

豊かな暮らしを実現する上で必要なのは筋を通す社会性です。先生社会を知らないと言われる原因はここにあります

社会性=理不尽に耐えること」という定義になっているならば、健全社会性を持っていないため黄色信号です。貧乏まっしぐら

前の記事で書いた「自分にとって正しいこと」と「自分がどう行動するべきか」の感覚になっているならば赤信号、もう社会に適合できません。

私はそれでバイト首になりました。

自分にとって正しいこと」と「自分がどう行動するべきか」が分離している状況は具体的にいうと

「このタイミングでは〇〇するべきなんだろうな。。。で、私は何をすれば良いのだろう?」という思考回路です。

健全に育った人間には意味が分からないと思うのですが、妥協社会性を子供に求めるタイプ大人に育てられると

「これは〇〇した方が良いんだろうな。でも先生命令通り××のやり方でやらないと怒られてしまうな」という経験をしているため

「このタイミングでは〇〇するべきなんだろうな。。。で、私は何をすれば良いのだろう?」という病的な発想になってしまうのです。

私の場合勉強無駄を省いて上位50%の成績から、上位5%の成績まで成績を上げましたが、成績が上がった後、私の元々の成績を知らない

先生が来て「勉強無駄を省く???手を抜きたいだけじゃないか??成績が良いからって調子乗ってんのか?」という反応をされ、反抗したら

陰湿に虐められることになった経緯があり、元気のあるうちは揉めたり抵抗したり、塾を辞めようとしたりしましたが、自分の親も先生言葉が通じないため

塾を辞めることができず成績が下がりました。

「今までこうやって勉強して成績を伸ばしたな。でも先生の言う通りに勉強しないと虐められるし。でも先生勉強法は良いと思えない。。」

妥協的な社会性を発揮した結果、

「このタイミングでは〇〇するべきなんだろうな。。。で、私は何をすれば良いのだろう?」と言う発想になっていました。

妥協的な社会性を出すと短期的に揉め事が減って得しますが、長期的には損するため、筋を通せるなら通した方がいいです。

私は塾を辞めようとして親や先生と揉めましたが、過干渉ヒスママ子供意思尊重するような高度な感情はありません。

子供には人権がないので、筋を通すことは難しいですが、私が人生をやり直せるとしたら塾を抜け出して図書館勉強します。

罠2)クズ説教される

自分が困難な状況にいると「自分問題があるから困難な状況に追い込まれている」と考えてしまます

これが落とし穴です。「きっと自分おかしいんだ」と思った時、寄ってくる人間は「だからお前はダメなんだよ」

説教したいだけのクズが寄ってきます

彼らは確実に勝てそうな相手を選び、マウンティングすることで自尊心を満たしています

偉そうにしていますが、冷静に彼らを見てみると大したことがありません。

私にマウントしてきた人は大学留年しているくせに、私に向かって「高学歴底辺よりFラントップ」みたいに

言ってきました。留年しててトップなんてのは認知が歪んでるから出てきた言葉しか思えません。

罠3)常識的に考えても解決策は出ない

罠1で妥協的な社会性を植え付けられたり、罠2でクズから説教されたりするため、

底辺に陥った人間必要なのは「周りの意見無視して自分が正しいことをしてみる勇気」だったりします。

自分問題があると思うと、自分を信じれなくなりますが、自分ダメな状況の時に自分に対して向けられるアドバイスクズ妄言なので

自分の考えでなんとかするしかありません。自分を信じましょう。

まずは自分で考えて、自分の考えの通りに行動しましょう。その過程で適切な社会性を身につけましょう。

そうすればなんとかバイトが務まる程度にはなりますし、普通に働ける程度にはなります

人は自分経験したこと以外は共感理解もできないため、底辺に陥った弱者男性の状況を適切に理解してアドバイスするなんか無理です。

おまけ)人間関係ブランクが出た人間改善方法

機能不全家庭に生まれ複雑性PTSDを抱えると人と関われなくなったり、社会生活が困難になったりします。

そんな人が人間関係を築く方法は、人間関係形成するとき目的に注目することです。

例えば、新しい環境に移動すると「新しい環境の人と仲良くすること」が人間関係共通目的になります

その次に「自分趣味を共有したい」とか「自分の身に起こった面白い話を共有したい」とかに人間関係目的を移行します。

ただ、人間関係ブランクがあると「健全に生きてきた人が何を考えてるか知りたい」とか「新しい人と仲良くしたい」とかで

人間関係目的が止まってしまうので、最初の方は仲良く話せても人間関係が続かなかったりぎこちなかったり

相手共通目的を有してないがゆえに、相手と仲良くなれない」とう状況に追い込まれます

人間関係形成するとき目的に注目しましょう。

2023-12-05

[]12月5日

ご飯

朝:なし。昼:サラダどら焼き。夜:カブニンジンエノキベーコン豆腐の鍋。ポン酢ネギのツケだれ。きつねうどん唐揚げ。間食:なし。

調子

むきゅーはややー。お仕事は、がんばりー。

久々に出来るやつポイントチャージしておいた。

半年に一回ぐらいこうして、出来るやつポイントを貯めることで普段の暇が認められると思うので、全力で頑張った。

結果はかなり良好なので、しっかり報告して、しっかり評価してもらえそう。

“尻拭い”の類だけど、まあ、まあ。

シャドウバース

クロスオーバー!!!

ということで、色々お試ししつつ情報収集

こういうとき、変なコンボとか、複雑な盤面作れるコントロールかに憧れて調整するのに、気づくとなんか普通のアグロっぽい何かになりがちなんだけど、生き急いでるのかなあ。(ネクロゴースト+連携ロイヤル普通に殴るデッキだった

相談乗ってやってた女が調子乗り始めた

はいはい話聞いてたら

「そんなんだからモテないんだよ」とか

もっと収入のある仕事につけば?」とか割と殴っても良いかな位の調子の乗り方しだした

もう二度と話するかよ

うちの子供、三つ子なんだけど【追記しました】

うちの子供、三つ子なんだけど、寝てるのを見たときとかふとした瞬間に「え、こんな3人も!一気に産んだの?私が???」っていまだになる。もうすぐ2歳なのにまだ思う。そして写真を見返していき、胎盤写真も見て、こんなのが胎内に!!!と考える。三児の母か……としみじみ思ったりもする。ちいさくてかわいい人達不思議

追記

思ってた以上に反応があってびっくり!ありがとうございます

三つ子は三卵性なので見分けはつくよ。

でも、寝顔とかふとした表情は似てて不思議

そっくりだね!」って言ってくる人もいる。

母体限界で1ヶ月くらい早産になったんだけど、長男1700g台、長女2000g台、次女1900g台で生まれて、成長曲線上よりですくすく成長してます

嬉しい言葉をかけてもらえたので調子に乗って、また妊娠中とか育児のこととか書くかも。

家トレやる気でないのって寒さのせい?

いやこの文はおかしいな。やる気は有るんだよな。やる気あるからやりたい言うてるし、やる気あるけどその時間になると体が動かない。

筋トレへ体が動かない。

理由はいくつか考えられる

  1. 筋トレのきつさを思い浮かべてやる気がでない
  2. 床が冷たい
  3. スペースが無い
  4. やる時間がもはや寝る前

4ほんとこれ今までどうクリアしてたんだろ。

眠い時でも無理矢理やってたんだろうか。

筋トレ後は牛乳と甘いもの必要で、そんなもん腹に入れた状態で寝たら確実に胃腸調子悪くなるのに。

平日の話だから休日やれば良いって話なんだけど、それやる気にならないってことは根本原因ではないのだろうか。

1まあ、これが一番の原因なのだろうか。筋トレでどうにかなる未来よりも今のだるさの方が優先されるという。

これさえどうにかなれば2,3はどうにかなると思ってるが、そんな根性論じみたこと言ってて、結局やらなかったら意味ない。

2なんか地味に嫌。というか部屋自体寒いせいで厚着したまま筋トレする事になるし、そもそも体が縮こまって体が動かない気がする。

3スペース。スペース重要他人のいるスペースで筋トレするのはいやだ。当たり前だ。そんな痴態を見せて気持ちよくなれるほど上級者ではない。

自分の部屋でやるしかないけどかたづいてない。圧倒的にスペースが足りない。

12月になって共有スペースに置きっぱにしてるものを部屋に入れたらスペースがなくなった。なんてこった。

解決策としては、エアコンある部屋で暑いくらいに部屋の温度上げて、筋トレするしかないのか?

でもエアコンじゃ床はあったかくならないよな。

やはりホットカーペットでも買って床から暖めるしかないのか?

anond:20231203220953

My favorite things好き。

いろんな人の聴いてる。

もちろんミュージカル映画も好き。

でもこの曲がミュージカルの「雷怖かったら好きな物のこと思い出して!」の文脈からずれてクリスマスソング扱いされてるのはちょっと違和感ある。

追記231206】コルトレーン演奏、他のコルトレーン曲に比べれば丁寧にメロディをなぞってて分かりやすいって評を見た。確かに丁寧ではある。が、訛りがきつくって調子っぱずれにも聞こえるくらいで、続くマッコイタイナーのソロのほうが好きかも、と思った。

祖父のような人が、昨日死んだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。

血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。

母方の祖父は、母親子供の頃に祖母離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というもの意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。

祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ

将棋ルール司馬遼太郎池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。

しろ祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母お金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。

祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。

陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。

祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。

ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。

父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子ども自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。

父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。

母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。

母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシー運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。

自分中学生高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。

それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的統合失調症の症状が出始めた。

この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。

それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。

知り合い、昔からの友人である大学同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。

お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。

彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたかからないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。

祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。

この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。

彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。

思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物しまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母マンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。

彼が死んで、母から僕に電話が来た。

「二日前くらいか入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃん病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜はるから、心の中で弔ってあげてな」

母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。

母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。

きっと、親である祖母離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。

もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。

母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。

彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。

別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。

残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。

2023-12-04

FlowBackライブに初めて行った話

※この記事は、2023年12月3日に行われたFlowBack 10th Anniversary LiveFlowBack」の感想であり、ネタバレを含みます

また、MC等の彼らの言葉うろ覚えのため、細部は異なることをご了承ください。

正しく記憶してる方がいらっしゃいましたら、訂正しますので、コメント等で教えていただけると嬉しいです。

--------------


ひょんなきっかけでFlowBack というアーティスト10周年ライブに行ってきた。

このアーティスト10周年にして、このライブにて活動を休止するという。

そもそもなぜこのライブに行くことになったかというと、友達に誘われたかである

私は若い三次元男性(特にイケメン)がやや苦手なので、こういう類のアーティストに興味をもつことはなかった。

友達からメンバー写真を見せてもらった初見感想は「左から2番目の人、NANAの蓮みたい」だった。

信頼する友達が良いと言っているし誘ってくれたからまあ行ってみるか、そんな軽い気持ちで参加した。

せっかくなのでライブ前にベストアルバム「Y」をiTunesで聞く。

ただ、作業中に聞いたので、しっかり聞き込むような予習はしていない。

そんな生半可な気持ちライブ会場へと向かった。

17時。ライブが始まる。

洗練された乗りやすい曲が続く。最初はどう乗ったらいいのか分からないのもあり、その世界観を全身で堪能することに集中した。

それぞれの曲に合うように作られた照明も相まってそのパフォーマンスに引き込まれていく。

ふと隣を見ると、グスグスと泣いているファン

きっと長年彼らを応援してきたのだろう。

その姿もグッときた。

席は上手の後方。

このくらいの距離なら、若くて今どきの男性であっても、苦手意識を持たず見ることができる。

あくま演者と客という距離感を保てるからである

もっと前の方の席なら直視できなかったかもしれない。

曲やMCを経る毎にFlowBackというグループ、そしてメンバー解像度がぐんぐんと上がっていく。

あ、あのメンバーはお調子キャラなんだ。トーク回すの上手だな。歌声が力強い。

金髪の人声がすごく伸びやか。綺麗なパフォーマンスだな。

あのメンバーダンス、手先まで綺麗。

あのメンバーは身振り手振りが大きくてお客さんを煽るのも上手。圧巻のパフォーマンスだ!等々…。

初めは名前うろ覚えだったが、メンバー同士がよく名前を呼び合うので、次第に覚える。

それに、MARKというメンバーいたことや、2年前に独立したことMCで知ることができた。

こんな風に、初めてライブに来る人にもさりげない配慮が散りばめられているように感じた。

二人ずつのMCはそれぞれのペア全然違うトークを繰り広げており、とてもおもしろかった。

衣装替えも交代にすることでお客さんを退屈させない工夫がされているのだ。

そう、このライブは細部に至るまでこのような配慮が行き届いていた。

メンバーと裏方の方々が、丁寧に、大切に、このライブを創り上げていったのが伝わってきた。

ライブ中、二度メンバーが客席に降りてパフォーマンスをした。

メンバーが私のすぐ近くにくる。

かに彼らは私の苦手な「若くて格好いい男性であるが、あくまアーティストであり、私と同じ土俵はいない。

そう考えたら、ライブ前までの苦手意識はやや薄まった。

最後MCでは、メンバー一人一人が思いを語る。

その言葉は上辺だけの薄っぺらのものではなく、心からのものであることが理解できた。

きっと辛いことも辞めたいと思ったことも何度もあったことだろう。

それでも彼らがここまできたのは、彼らの思いと覚悟、そしてFBF(ファン)の存在だろう。

中でもSwan.Jの言葉が強く響いた。

彼は、FlowBack活動が正解だったのかまだわからないという。グループを始めたときに夢見た大きな会場でライブができたわけでもないし、何を残したかと言われたらわからない、でも、今日ライブでFBFのキラキラした笑顔を間近で見て、こんな素敵な人たちに応援してもらえていたんだと思ったら、ここまでの道のりは間違っていなかったんだと思ったと。

Swan.Jは続ける。

「もしも夢を持っている人がいたら諦めないでほしい。辛い道であるけれど、その姿を見てくれている人がちゃんいるから。その証がここにあります。」

私もまた夢を持つ者であり、その途上にいる。

その道が険しいことは明らかだけれども、自分の好きなことを仕事にすると覚悟を決めたのだ。

同じく夢追う者の言葉にとても勇気づけられた。

ライブ中にSwan.Jは言う。

「俺たちはここに思い出を作りに来てるんじゃない、お前たち一人一人のの記憶に残りたいんだ」

彼らの思いと音楽はあの会場にいた全員、そして会場に来れなかったFBFに届いている。

そうして心に残り続ける。

否、正確には私はそう願っている。

皆それぞれ日常生活がある。別の推しいるかもしれない。

それでも大丈夫だ。ちゃんとそれぞれの心に残り続ける。

だって、初めてライブに来る私にまでこんなに強く強く届いているんだから

約3時間半、あっという間だった。

はじめは不動だった私も、最後には一緒にフリをして、隣の人と肩を組んでいた。

ライブ後はMC沖縄料理についてのトークがあったので、友達と近くの沖縄料理屋に入った。

ゴーヤチャンプルーを頬張りながらライブ感想を語り合った。

FlowBackありがとう

こんなアーティスト出会たこと、そして、こんな素晴らしいライブに参加できたこと、とても嬉しく思います

ライブに参加した皆様、お疲れ様でした。

FlowBackという船に乗る船団全員に幸あれ、そう強く思う。

--------------

(余談。このテキストでは、Swan.Jの言葉をよく書きましたが、私が最も惹かれたのはREIJIです。あのパフォーマンス笑顔キャラクター、最後最後言葉「それも僕らしいかもね」、すべてが素敵でした。輝いていました。)

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