はてなキーワード: 純愛とは
登場人物
私とA子はオタク仲間。BLより乙女ゲー派。それ以外も含めて趣味が合う一番の友達。
そんな私たち2人は、仲の良い先生がいる。いや、私たちは卒業したし先生も別の学校に移ったから元先生か。でもいいや、今でも先生って呼んでるし。
卒業式の次の日、私たち3人はアキバにいた。アニメショップ行って、サイゼ行って、クレーンゲームやって……つまり、完全に遊び。
先生は割と気前よくおごってくれた。その後も何回か私とA子と先生と3人で遊びに行った。
私もA子もブスではないので、おごってくれるだけの人なら他にもいると思う(←うぬぼれ)。でも、おごってくれるだけじゃなくて一緒にいて楽しい人はなかなか見つからない。
先生はそういう人だ。『俺はオタクを15年やってるんだからお前らみたいな小娘に負けてたまるか(笑)』って言ってたけど、実際ほとんどの話題に話を合わせてくるのは凄いと思う。
先生に彼女はいない。というか童貞だと自分で言っている。本当か。その割には女子について変な勘違いしてるところもなく
(たまにあるけど、他の若い男の先生と同レベル)、女子高で上手くやっていたが。まあ、現時点で彼女がいないのは本当。
先生はなんで私たちと遊ぶと気前がよくなるのか、なんとなく気付いていた。先生はA子のことが好きだ。
割とみんなに優しい先生だけど、A子にだけは特別に優しい。A子の一番近くにいる私だから分かる。そう思っていたら、先生から相談された。
私「好きなの?」
先生「あれ、気付いてた?」
私「なんとなくはね。いつからA子のことが好きだったの?」
先生「いつの間にか好きになってたけど、きっかけは一緒にアキバ行った時かなー。あの時に『こいつと一緒にいると楽しいな』って思った」
私「意外と普通ですね」
先生「『実は一目惚れでした』って言ったら一部の女子は喜ぶんだろうけど」
私「A子はそういう子じゃないよ」
先生「ですよねー」
こういう発想が出てくるあたりが先生は女子に慣れてると思う部分だったりする。いや、顔はともかく30なのにハゲてるからモテるとは思わないけど。
私「なんとなくは分かります」
先生「A子より攻略するの(←こういう表現つかうあたりがギャルゲー脳だと思う)簡単な子なんていくらでもいるし、その中にはA子より可愛い子だっているけどさ」
私「そういうことはA子には言わないようにしましょうね」
先生「それは分かってる」
先生の言っていることはたぶん合ってる。先生はハゲなのに私の同級生からは妙な人気があった。お金のことを抜きにしても、先生から言われたら付き合うのOKする子もいたと思う。
先生「でもそういう計算とか抜きにして、A子と付き合いたいんだよ」
私「A子とエッチしたい?」
先生「うん」
そこは即答するのか。でもダメだとは思わない。付き合っていたらそういうこともあると思う。むしろ「そういう下心はない」とか嘘を言われたらかえって怪しい。
そして、私はA子が少し羨ましかった。先生に好かれているのがじゃない。私も一度くらい、それくらい強い気持ちで好きになられてみたいなぁと思う。
ついでに言うと先生が本当に童貞なら、それくらい好かれた人の初めての相手になるというのも悪くない。
だが悲しいかな。先生が分かっている通りA子のガードが堅いので、私も『私のこと気にしないで先生と2人で遊びに行ってきたら?』と言ってるのにA子はOKしない。
今年25歳だったか。丁度適齢期だったんだね。
内気な彼女のことだから、まず付き合うところから苦労するかと思っていたら、普通に大人になっていたんだなぁ…彼氏いたんだね!
結婚したのは昨年。正月暇を持て余して久しぶりにさわったSNSで初めて知った。
思いついて久しぶりに連絡とってみて、また攻めてみようかと思った矢先だった。
出会ったのは大学の頃。同じ学部の2つ下で、研究室に出入りしていたことで知り合った。
派手なタイプではなく一目惚れでもなかったが、何度も向けられた笑顔に惹かれるのに、時間はかからなかった。
真剣な眼差しで俺の話を聞いてくれる姿はいつ見ても好印象であった。
大学時代いくら誘っても微妙だったのは、もちろん俺がイマイチだったのもあるだろうけど、その頃彼氏いたからだったのかもなぁ‥
お相手はどこの誰かしらんけど、写真見る限り誠実そうで雰囲気も悪くなく、違和感はなかった。
矛盾しているようだが、彼女もし俺と付き合っていたら違和感あったよ。
それくらい似合っていた。
真面目でモテそうとは思わなかったけど、彼女みたいな子と結婚できるのなら、それまで童貞でもいいよ。自惚れだけど。
もしかしたら高校の頃から付き合ってたのかなぁ。地味だけど男がほっとけないような顔してたし、純愛貫いたタイプなのかもねぇ…
2chとかで「元カノが結婚する件ww」とかスレッドを目にするけど、自分には関係ないと思ってた。
でも実際そういうのに近い立場になると、それなりにテンション下がるもんだな。
結婚なんて早くするやつはばかだと、周りで次々と結婚する知り合いを見てもちっとも羨ましくなかったが、
俺の一つの理想的可能性が潰れ、他人が手にしているのを目にして、思わずやるせなくなってしまった。
いやいや、本日は本当に、飯がまずい日です。
おめでとう。現実では言えないよ。
キルラキルはそのアニメーション作画はもちろん色もキャラデも演出もお芝居もコンセプトも他を圧倒し素晴らしく、30分息もつかせぬようなアクションに毎週興奮している。
もちろん世の評価も高く、非の打ち所が無いというか「あれイマイチだよね」と言おうものなら「萌えヲタには解らないだろう」もしくは一周して「何すかしてんだよ」という視線を浴びてしまいそうな程の作品と言おうか。
なのでちょっと言いにくいのだが、自分はこの作品を見ているとどうも引っかかる。作品自体と世の中の評価に。
何を当たり前のことをとお思いだろうが、恐らく皆さん(男性的視点で見ている皆さん)が思っている以上にこの作品は男性向けなんだと思う。
一つ一つ理屈をこねても仕方ないくらい生理的なものだと思うのだが、挙げるとするとまず「視点」。
主人公の流子は強く格好良くて魅力的で、気持ちの良い主人公だと序盤は楽しく見ていた。
ところが戦闘ごとに露出度の高い制服を着せられ、毎回恥らいながら戦闘しているではないか。
今まで彼女の視点で世界を見ていたのに、いきなり彼女が好奇の目に晒されることとなる。
急にお茶の間に引き戻される。悲しい境遇の中でも強く生きる彼女に感情移入して見ていたら、辛い気持ちになってしまった。
この辺りでやっと「ああこういうことを楽しむ娯楽アニメなのか」と気づかされる。
そしてマコの存在。色んな天然キャラは居るがこの天然の感じがどうも不快だ。
理由はこれこそ生理的なものだと思うが、存在そのものがご都合的で記号的で「馬鹿」な「女」を娯楽として楽しむためのものだからだ。
自分はこの笑いのツボを持ち合わせていない。
と、くどくど語っているが別に作品を批判しているわけではない、「こういう作品なんだ」と思っただけだ。
そして萌えアニメと呼ばれる作品以外でこういうお色気作品というのは最近確かに少なくなっていると思うので、そういう意味であえて往年のドラマやアニメのオマージュとして要素を入れているのだろうということも理解している。
気になるのは「こういう作品」なのに、まるで万人に喜ばれてるように、手放しに評価されている点である。
従来からエンターテインメントにはお色気シーンはつきもので、女性もそれを幼い頃から見慣れているため普通に楽しめるようになっているのだろう。
だから多くの女性がこの作品に何も違和感を抱かずに楽しめていると思う。多くのエンターテインメント作品を見てきた(言ってしまうとアニヲタの)女性ほどその傾向が強いだろう。
むしろ頭の固い女だと両側から叩かれるのも目に見えているが、なかなか言う人を見かけないので言ってみました。
こんなことに引っかかっていて、じゃあ男女問わず楽しめる題材と表現を…云々言っていたら娯楽の表現の幅が縮小してしまうのも解る。
そこで思うのは、じゃあこの手の意欲作に、もっと男性的でない作品が増えてもいいじゃないかということだ。
ノイタミナの登場によりそれでもかなり増えたが、世間的に注目される意欲作ではまだまだ男性向けが多く感じる。
もちろん全てを把握している訳ではないが、アニメーションの良作と言われている作品の多くは男性的な作品であるように見える。
戦う少女、(男性的目線での)純愛、不思議な少女、銃声に跳ねる女性の死体、エロ、暴力、メカニック…
どれも面白い題材だが、もう少し幅があってもいいのではないか。
話は逸れるが「東のエデン」についても同じような引っ掛かりを感じていたことを男性ファンに話したことがある。
自分が「ヒロインが好きになれない。女性として感情移入出来ない行動をとる。それでいて女性主人公の恋愛をメインに描くとはどういうことだろう。」
と話したところ、
「そこじゃないでしょ、この作品はー!」
と返された。
そこじゃないのか。
今回のキルラキルの引っかかりも「そこじゃないでしょ!」ということなんだろうな。
そしてそう思う人口の方が多い。
でもそういう風に引っかかってしまう人間も、いるんだよと、頭の片隅に入れていていただけると、一石ならぬ砂利ですが投じた甲斐があります。
お粗末さまでした。
452 :彼氏いない歴774年:2013/10/11(金) 22:28:17.78 ID:jiVPBxw7
■ この事件を男女逆に置きかえてみると・・・・
体を捧げ、愛し合う
ある日突然、三鷹のお坊ちゃんから「飽きた」と一方的に捨てられる
女が 「捨てないで」 とすがってもシカト、逆にストーカーとして警察に通報される
「おまえフィリピンの雑種じゃん、俺は白人ハーフが好みなんだよねw」
「ま、住む世界が違うってことで」
「俺と結婚できるはずねーだろ、身の程をしれよww」
と侮辱される
加害者が男だと、ストーカー、異常者と、男側の事情は一切無視されて絶対悪にされ
加害者が女だと、「純愛」 と美談にされ、情状酌量されまくって精神鑑定もついて執行猶予か無罪
こんなところでしょ
大破した飛行機に立ち尽くしている方ではなくて、
毅然とどこかを睨んで立ってる方の。
連れと途中から話が逸れて、そればっかり話してた。
ジブリ立ちって知人は言ってた。
大きく息を吸い込んで、おへその下、丹田あたりに力を込めて
心持ち肩を後ろに寄せてできる、そってない鳩胸。
糸杉のような体格のエンジニアをこんなにも大きく綺麗に
本人には悪いけどやっぱりひんそだった。
社会人になって、体重が学生の頃より三年かけて二十キロ増えた。
元々、オープンスイムやってたこともあって、
発達してた胸筋と脇回りの筋肉がそのまま贅肉に変わって、二の腕を邪魔するようになった
姿見に立つと、太ももが閉じて本人にはくれないO脚と、
腰のあたりで窪みを作る不恰好な自然体になっていることがわかる。
中世的世界観で、子供ができないことを気にしながら生きてる清純派処女もいいし。
過去の暴行で不妊になって自暴自棄になってるビッチ非処女もおいしい。
基本不妊だけど何かをきっかけ(不妊治療ではない)に妊娠できるようになって、まあ純愛で子供作るとか最高。
子宮全摘→戦いとかの最中に腹パンで穴が開く→何らかの能力で治療→手違いで子宮復元とか。
シオンシステム(三島浩司)のめがねっこさんとかやばかった。理想の不妊萌え。
ここまで極端じゃなくても、ガンダムSEEDの「コーディネーター同士は特定の組み合わせでしか妊娠できないが、ナチュラルならだれでもOK」ってのはたぎった。
ガンダムといえばUCのマリーダさんが不妊非処女って噂を聞いたんだけど、なんか幸せになりそうにないから手を出すの躊躇してる。
去年から職場に来た後輩(女)がいるんだが、そいつの男癖の悪さにどん引きしている
入社して間もなく先輩をひっかけた
本人が言うには引っ掛けられた側らしいが会って1カ月もしないうちに付き合っていたようだ
だがそれも1年程度で破局
破局後は相手の事をボロクソに言う、すげー言う
好きだった期間ないのかってくらいずっと言う
別れた直後ならわからないでもないが、もう何ヶ月も前のハナシだぜ?
もうお前を見てねーよ、過去の産物だろってなった今でもボロクソに言う
人格を疑うわ
ここ何カ月かは同僚の知り合いや店員に手を出している
言いたそうにしてるから真剣な顔して聞いてやってるけど頭おかしい
メールやラインで話していただけの相手に初対面の食事で股開いてるそうだ
一晩過ごすと相手の連絡がそっけなくなるらしく職場で彼氏が欲しいだの出会いが欲しいだのほざく
すぐ股開くようなやつに紹介するわけねーだろ
品性を疑うわ
30手前の女がやることとは到底思えない
しかも毎回これは純愛なんです!本当に好きなんです!ってさも当然のように言い放って
その行為を正当化しているのだがそーゆーのも頭悪くて気持ち悪い
気持ち悪い
(タイトル記述をわかりやすくするため【女性編】としましたが、あくまで稿者の体験記であるため【男性編】は存在しません)
一か月前に浮気らしきものをはじめ、それから自分でも思ってもみなかったような様々な心境の変化がありました。
特に共感も求めませんが、浮気や二股に嫌悪感のある方は読み流してください。
<スペック>
【私のスペック】20代半ば、女性。関西の大学院を出て都内で専門職。
外見は普通。服装や化粧などはまぁ地味なほう。WithとかMOREみたいな感じ。
浮気はこれまでしたこともされたこともなく、ごく普通の男女交際をしてきたと思う。
交際経験5人。元々は恋愛に時間を割くタイプではなく、ドライだと周りには言われてきた。
【彼氏(本命)のスペック】同じく20代半ばで会社員。大学のサークルがきっかけで出会い、交際二年。
仕事で月の半分以上は海外でほぼ遠距離。誠実かつ献身的な性格。
【浮気相手(以下"M"とします)のスペック】職場の上司(2つ年上)。
同じ職種だがとても有能で、私は入社当初から漠然と憧れていた。
そのため仕事や周りの人との接し方についての悩みをよく相談したりして最初は私が一方的に(上司として)慕っていた。
以下、浮気に至る経緯はありがちなんで以下ちょっとはしょって書きます。
<経緯>
・二か月前
Mから告白される。半年程前から私とMで2人で会う機会が増えていて、「ひょっとしたら異性として好かれているかもしれない…」と思いはじめていたのでそんなに驚かなかった。
しかしこの時点では向こうは彼女であるSさんと別れていなかったし、私に彼氏がいることも知った上で告白してきた。
そのことに違和感を感じながらも私もMに惹かれていたのは事実だったのでつい期待を持たせるような返事を返してその日は別れた。
今思うとここで思わせぶりなことを言ってしまったのがよくなかったと思う。
・一か月半前
Mから、Sさん(彼女)に○○(私)のことが好きになったから、と言って別れてきた、と告げられる。
Mは「もちろんそっちも彼氏と別れるよね?」と言いたげな態度。当然ですね。
・一か月前
Mに、今の彼氏に不満はないし、別れる決心が付かない。彼女がいるまま告白してきたことであなたのことが100%信頼できるとは言えないし、
(誠実な)彼を振るリスクは取れない。もう少し気持ちが固まるまで待ってほしい。と伝える。
こういう答え方をしてしまったのは本命彼同様Mのことを失うリスクもまたとれなかったから。
Mの返事は一応了承だったが、会うたびにほぼ付き合ってるような態度・行為をしてしまう。
・彼氏(本命)に無性に会いたくなり、真夜中に電話をかけたりしてしまう。
・Mからの連絡も異常に待ってしまう。つい携帯を開いたり、Facebook見たり。
つねに男性どちらかから連絡や関心の表現がないと落ち着かないようになった。
これまでは家に帰ったら仕事のための勉強をしていたが、その能率も明らかに落ちた。
相手が2人になったことで恋愛が占める物理的な時間数が増えたからだと思う。
つねに何か焦燥感に駆られる。
・これまで漠然とあった「彼に愛されている」という安心感・幸せ感がなくなった。
彼のことを思い出しても、罪悪感や自分やMに対する嫌悪感に苛まれ落ち着かなくなる。
テニスの壁打ち状態で鬱々。
・両者に対する愛情がそれぞれ半分ずつになった(減った)気がする。
間違いを犯したことでそれらが傷ついてしまい、以前のように愛情に胸を張れなくなった。
結果どちらに会っても態度は散漫になり、デートの満足度も低い。
いつも満たされない。
・良心の呵責
最初のうちは「一度くらい浮気してみてもいいかもしれない」と軽く考えていたが、自分はそんな器ではないと思い知った。
本命彼は勿論MにもSさんにも悪いことをしたという意識が拭えず、何をしていても気分がふさぐ。
腐ったナベを被って暮らしているような心境。TVドラマなどで純愛ものを見るとヘコみ、食欲が減退。眠れなくなる。
「死後さばきにあう」という文言が気がつくと頭に浮かんでいる状態。
結論として、浮気は精神的にタフな人だけがしていいものだとわかりました。
浮気や二股は精神的にタフで、自分の言動に責任が持てる人がするもの。
そうじゃないと周りの沢山の人を傷つけてしまうのはもちろん、
自分の人生や心、信念や大切にすべきものも傷ついて、どんどんダメな生涯になっていくと思う。
もう二度とこんなことはしないし、落とし前はしっかり付け、
受けるべき罰は受けようと思う。
読んでいただき、ありがとうございました。
【追記】4/25 17:30
・後日談はどうなったのか?
投稿が本日未明ですので、まだそれほど時間が経っておらず進展はありません。
申し訳ありません。
・Mと肉体関係はあるのか?
ありません。Mは私が彼と別れるのを待ってからと考えていると思います。
本投稿は、今回の一件による私自身の心の動きやその経過が自分でも意外なものだったので
時系列・箇条書きで整理し、何らかの形で記録しておこうと意図したものです。
ご不快になられた方、申し訳ございませんでした。
学生時代最底辺にいた元いじめられっこ女で、大学に入ってから仲良くなった友達も元いじめられっ子が多いけど
リア充はノリが合わないとは言っても敵意を剥きだしにする人はいないし
だいたい中学の頃イジメをしてたような層は、ほとんどが高校も卒業してないようなのが多いから、大学にいるリア充と中学の頃のイジメっ子達は層が違う
ちょっと斜に構える傾向はあるけど、ロキノン系を聴いたり単館上映の映画を観に行ったり、太宰治に共感するくらい
その友人は、メンタリティが男っぽいような気がする
当方大学生の女なんですが、自分の知り合いに、すこし騒がしい人を見かけるとすぐリア充だ、dqnだと陰口を叩く人がいる。
聞くと、「リア充」嫌いは中学時代に原因があり、クラスのリア充に容姿をネタにされ続けたことに端を発しているらしい。
その時は、中学時代はともかく、もう大人になったんだしネタにされることはそうそう無いよ、もっとノリの合う人と仲良くしてればいいよと言って終わったのだが、この人の「リア充」嫌いはこれで終わらない。
ワンピースやらAKBは当然嫌い、AKBがCMに出てるような品を買うのも嫌、CMでお洒落女子が◯◯サイコー!と言う純愛映画は嫌い、iPhoneはCMがオサレオサレしてて嫌い、そもそもリア充やお洒落志向な人にウケるように作られた魂胆が見えるようなモノ全てが嫌い、という調子であまりのどうでもよさにウンザリしてしまう。
若干煽り気味のタイトルにしちゃったけど、学校で外見をバカにされるトラウマを負った人って、こんなどうでもいい呪いに縛られるの?
一連の議論に非常に釈然としないモノを感じたが
冬コミ同人原稿入稿を控えた今の自分にそれを言葉にして残しておく時間が
まだ捻出できないので
その対象の要旨だけメモ置き
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1352018734/
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538 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 11:19:13.92 ID:7om9UDEV0
昔にくらべてどんどん露出凄くなってるしやっぱ全体的に売り上げ下がってるんだろうと思うよ
539 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 11:27:01.22 ID:DZVR6ULp0
まあ、そうだよね・・・
540 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 11:35:56.73 ID:Yz/kzP+I0
商業サブカルもシュリンクするから食い詰めた絵描きだの物書きだのがこっちに落ちてきて、もしくは商業に上がれないまま留まって、
同人の足切りラインの上昇が加速して作家側は年中競争ストレスに晒されるようになる
耐えられなかった奴、能力が及ばなかった奴から退場させられていく
エロパロをコミケで売るのは、経済的なメリットよりも「同好の士による交換会」という建前の維持の面が大きいんじゃない?
この建前とその意味を忘れているか、下手すると意味が分からない人もいるかもしれないけど
委託でも結構微妙なラインだし、無限の在庫と無期限の販売期間を持つDL販売に至っては最早商行為以外の何物でもない
543 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 12:25:16.22 ID:DZVR6ULp0
>>540
ああ、いや、そういう意味じゃなくて
どう頑張っても飽きられるもんだしね
露骨なエロで小金稼ぎたいだけなら、オリジナルをDL販売で十分と言うか
547 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 20:45:23.59 ID:Yz/kzP+I0
>>543
>>539が言っているけど、売れる人売れない人の二極化が激しくなっている
より正確にいえば、足切りラインがどんどん上がってきて脱落者の増加が加速度を増している
競争を勝ちい抜いて売れる側に立てる人間はいつだってほんの一握り
残り大多数は下卑た手段でも何でも使って底辺を這いずり回る他に生きる手段が無い
上昇志向を持ちながらエロ同人やエロゲ作り続けている奴は、嘗てのピンク映画や日活ロマンポルノの制作陣みたいなものだよ
素の実力では見向きもされないから、表現したいものガーだの何だの自己弁護をこねくり回してエロを混ぜる
だが結局ピンク映画やロマンポルノはAVに負けて滅んだ、一般とエロどちらにも特化出来ないジャンルに市場は背を向けた
エロゲが負けている相手がラノベかどうかは分からないが、エロゲが衰退の一途なのは確か
上記の前例から考えれば、将来のエロ同人も恐らく今よりずっと衰退する
最終的に残るのは、実力のある一握りは早々に一般に逃げ残り多数はエロ特化でジリ貧でも業界にしがみつく、そういう世界
548 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 21:23:50.48 ID:9I9yGD0a0
ピンク映画が負けたのはAVを家庭で、それも早送りで見れたからだろうな
映画だと早送りできないので、最初から最後まで見るしかないが、
AVは肝心なシーンまで飛ばせば良い
とすると、より過激な部分だけあればよいし、ストーリー部分は値段を上げる要素でしかない
凌辱ゲーは最初から最後までエロなので、時間が無い社会人向きだと
以前から言われていた
手っ取り早く抜ける凌辱ゲーに移行する
同人誌も同じような感じになってきてるのかな?
552 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 23:01:57.57 ID:nLP7+3im0
>>547
露骨なエロっていうのがどの程度の事を言ってるか分からないけど、書店売り商業誌くらいのエロさがないなら、もともとそう売れるものじゃなくね?
うーん
ちょっと議論しよう
前にも書いたような気がするけど、ユーザ人口自体は少子化だろうが減ってないよな?
だってコミケ3日目の参加者はいまだ右肩だぜ。消防法がどうたらの大本営発表20万の壁を乗り越えて、21万なんて数字も出てきた
書店だってメジャーサンプルたるコミケがこんなんだから状況は似たりと俺は分析する
その上で売上落ちてね?と思うようなら、他にも可能性は考えられるで
まず、そう感じるヤツとその周りのサークルが軒並み売上落ちてるから周りもそうなはずだ、という誤謬
次に、大半の大手はいつか下に抜かれて凋落するもの、という前提の見失い
後は、一般買い手の全体的な財布の紐の縛り具合。
特に最後に関しては、第二候補までは買うか、から第一候補が買えればいいや、という優先順位に従った足切りが各人において行われるわけだから、「みんなにとっての第二候補」的立ち位置のサークルは、そりゃあもうひどく落ちるだろうし、
それが誰かの言っていた二極化の遠因たりえるとも思う
それならば、我々(売れ線追いたい、売れたい組)の考えるべきことはなんだろう?
ってところを命題として。
流行ジャンルそのものよりも、ジャンルに追うニーズを把握することを提案したいのね
セオリーってのはまぁ今更こんなところで言うのも馬鹿馬鹿しいけど
完品提供・参加頻度・描く内容の属性、方向性の統一 この3点で大体言い尽くせる
それに加えてニーズって話で
たとえば、陵辱求められないメジャージャンルで陵辱描くよりも、陵辱求められる弱ニッチジャンルで陵辱描いたほうが売れるんじゃね、って話
印刷部数のオーダーにもよるけど、でも壁だって突っ込むジャンルの種類で大怪我する話を割と聞くようになったんだから
下手に牛後を追うよりも鶏口となった方が知名度やら売上やらに跳ね返る気がするんだよなぁ
(ある程度以下の規模のサークルならば、ネットに原稿流されるのも「知名度あげるメリット」>「機会損失のデメリット」になるわけで)
ちなみにうちは、いつネットにさらされても少しでも誰かの印象に残せるように
知り合いのデザイナーに頼んで分かりやすいロゴとか装丁を作ってもらってる
たとえ割った本人が買わなくても、そいつの話を聞いた友人なりが買ってくれる可能性もあるんで
一応そういう意味でのフォローも求められてるんじゃないかと思う
割れを嘆くための気力を、割れを前提にしたプランニング設計に注げたらなぁ、って思う
555 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/15(土) 23:34:18.40 ID:Yz/kzP+I0
現段階でユーザー人口が減っている様には見えないのは確かにその通りかな
ただ、ニーズについては陵辱求められないメジャーなら和姦描いて、陵辱求められるニッチなら陵辱描いてと描き分ければ良いのでは?
鶏口といってもパイ自体が小さければ低空安定飛行にしかならないし、
陵辱好きだからといってそうそう好きな物だけ描いて食っていけるわけではないし
将来は年金なんて掛け金未満か下手すると貰えないかもしれないんだから、今食うだけではなく貯蓄に回すだけの収入も必要
それに作家としての寿命は生物としての寿命よりずっと短いんだから、賞味期限が切れる前に必死で稼げるだけ稼がないといけない
サークルの立ち位置がぶれると感じるなら、サークル自体を和姦系と陵辱系で分けてしまえばいい
女性作家だと腐向けと男性向けでサークル名やPN・サイトも別にしているとこもたまにある
556 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 00:56:37.04 ID:Mcf6GJ3J0
>ちょっと議論しよう
夜中に笑わせんな
557 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 01:21:04.61 ID:zRiZ/zQb0
562 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 03:02:36.81 ID:Z/pV2G7i0
>>555
和姦サークルがジャンルに合わせて陵辱描いたら、サークル買いが一斉に離れるだろうなって思う
あいつらはまず「このサークル」を目当てに来てるんではなく「この方向性でこの絵でやってくれるこのサークル」を目当てに来てるだろうから
とはいえ、この考えはあくまで「自分の絵柄」でやってるヤツにはあてはまるかもしれんが
「原作に似せた絵柄」でやってるヤツには当てはまらんのかも知れん
後者のタイプは委託やDLが主力になると思われるので、サークルの方向性をわざわざ安定させる必要もないかもしれんな
しかし、毎度原作に似せて毎度求められる方向性で描くのって、サークルとして憶えてくれるのか?って思うんだけど
だとするなら、方向性を固定した上で、ジャンル方を限定して合わせていく方がよろしくないか
たとえば俺みたいなアンチ陵辱派とか、同じスペに陵辱と和姦が一緒に並んでたら、多分和姦も買わんぞ
もちろん、2サークル分安定して供給できる手の早さは必須スキルだろうけども
564 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 07:24:33.58 ID:qbRhyBjq0
つかお前ら同人活動なんぞでどれだけ深刻やねんと。
567 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 12:40:49.78 ID:+RzO/LEm0
作品ファンの傾向にあわせるべきと思ってるだけで
したかったんだ。誤解させてごめん。中身はがっつりエロくてもちろんおk
気取ってるのは書き手じゃなくて読み手なのよ
下品な表紙の人はあんまりいないだろ?
568 名前:流行[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 18:00:00.33 ID:ZotGtHNU0
もう作品多すぎて飽和状態で何描いてもいっしょな気がしてきた
お盆休みも終盤の昼間の新宿で家族連れに囲まれて観ていていたたまれなくなったので書く。
出てくるキャラクターがどうも好きになれない。顔の描き方も好みじゃないし、それ以上に主役の宮崎あおいちゃん演じる花(以下あおいちゃん)が何考えてんのかわかんない。キャラクターとしての魅力、リアリティーがなさすぎて。
この映画の問題はあおいちゃんが健気で善良でどんな困難にも立ち向かえる女の子という設定に頼りすぎていている所にあると思う。
客観的にみれば人知れず自宅で出産した外に出せない子どもを2人抱えつつ、近所から通報されて児童相談所の人が来て死んだフリーターの旦那が貯めた貯金だけを持って山奥へ逃げ出すという、なんとも独りよがりな状況であるのに、周囲との接触を自分から取ろうとせずに健気に田舎暮らしを始めたらなんとなく上手いこと手助けしてくれる人達が現れてうまく生活しているし、移住することに決めた廃屋の近所にはたまたま勝手に見守ってくれる菅原文太がいる。芋のおすそ分けから村の互助社会に参加するくだりでは、人里離れて暮らすことを目的として村との交流をする覚悟のないあおいちゃんが健気な姿をみせることだけを頼りに菅原文太に認められて話が進んでいく。この辺りはあおいちゃん自身にはなんの変化も無いのに、事は順調に進んでいくわけでどうにもこうにも都合が良すぎると思う。もしあおいちゃんの意思で周囲と交流して生活を営んでいく話にしたいのなら、健気さだけでなくそれまでの孤立主義を改心して自発的に関わっていくエピソードや身を削っていくエピソードが欲しいし、受動的に関わるのなら田舎ではもっと厄介なことを抱え込むのが常だと思う。独身男がつきまとってくるとか、村に居つかせることを前提に勝手に見合いさせられたりとか。
で、あと他にも問題だと思うのは、子育ての大変さがちゃんと描かれてないんじゃないかというところ。一連の子育て描写では誰にも頼れずに2人のこどもを保護して養っていく苦労や重圧はあおいちゃん1人にかかっているはずなのに、オオカミであることの苦労は描いてもシングルマザーである事の苦労は描かれない。動物園の檻のオオカミに相談したりはするものの、あおいちゃんはなぜかずっとニコニコしながら良き母としての態度を崩さない。たった1人で子育てをしているのに、その大変さや葛藤が単なる健気さに覆い隠れてしまっていて、子育ての重要な側面がみえないので、感情移入できないわ。その辺りのシングルマザーの苦労の描写でいえば、最近だと塚本晋也のKOTOKOが良かった。孤立して育児をしていくことでノイローゼで精神的におかしくなっていくcoccoのように、右手に焼け焦げる中華鍋と左手に泣き叫ぶ赤ん坊を抱えて途方もなく泣き崩れてしまう。そこまで追い込まれるまではいかないとしても、そんな医学的にも何者か分からないこどもを抱える不安、そんなシーンがこの映画にも欲しかった。
あとおおかみ男と結ばれたくだりは少女漫画も真っ青な純愛物語風になっているけれど、オオカミ男には社会的なケアを一切受けずに2人の子どもを設けて養っていく覚悟があったとは思えなくてなんだかなあって思う。もしオオカミ男にその覚悟があったとするならば、どうして本能を抑えずに街中で狩りをして川で死ぬことを選んだのだろうか。大学の講義に潜ってソクラテスがどうとか勉強するよりも、自分の本能との付き合い方を学ぶべきでしょうが。
この無責任さのしわ寄せが結果的にすべて母になったあおいちゃんに行ってしまっていて、あおいちゃんは不憫でならないはずなのに、2人の関係が単なる美談になっているのが腑に落ちない。
あとは音楽の使い方も好きじゃない。美化された田舎・自然にさわやかオーガニックでダイナミックな音楽を乗せればさも感動的なシーンになると思っている。この久石譲風の高木正勝がこの映画のなんとなく感動的な雰囲気に盛り上げる主因だと思う。
以上、長文になったけど、俺が一番言いたいのはこれ。
オオカミでフリーターのくせにあおいちゃんに中出ししやがって!!しかも1人ならまだしも2人目も作る所なんてまるで無反省!
俺は高岡蒼甫を許さない!
西暦2037年、俺は退職金を切り崩しながら、細々と年金でひとり暮らしをしていた。妻には6年前に先立たれた。平均寿命が90年にも届こうという時代であってみれば、ずいぶんと早くに死んだものだ。不摂生の極みのような生活を送っていた俺が生き残り、日々きちんとした生活をしていた妻のほうが召されていくのだから、人生というのもなかなか理不尽なものだ。
そんな俺の日々の慰めといえば、エロゲしかない。もともとオタの第二世代くらいにあたる俺の世代は、二十代で鍵ゲーの洗礼を受け、その後も世代が持ち上がるのにあわせて「我々の世代」向けのメディアが常に存在していた。俺のように貯えらしきものもあまりなく、かつかつの生活を送っているものもいるだろうが、その一方で、日本が名実ともに先進国だったころの最後の余慶があったのも俺たちの世代で、うまいこと逃げ切って余裕のある生活をしているものもいる。
なにより俺の世代は、趣味に金をかけることをさほど厭わない。これが俺の下の世代になると、すでに日本に未来がないという前提のもとで十代、二十代を送っているし、それに、あれはニコ動だったか、ああしたものが登場してから、娯楽は無料であり互恵の精神で相互に提供しあうもの、という意識が育ちつつある。2010年から今年で25年、「素人の時代」ともてはやされた時期を通過して、いまやエンターテイメントは、無料のコンテンツに収益を載せる構造が完全に成立している。
そんな状況のなかで、いまでも「金を払って」たとえばエロゲのようなコンテンツを買う俺の世代は、上客には違いないわけだ。ただ、雰囲気としては商売というよりも、かつて俺が十代を過ごした「同人誌」の世界の雰囲気と、いまのエロゲ業界は似てきているようにも思う。よくも悪くもサロン的な空気がただよっている、というわけだ。
還暦を迎えた俺たちの世代は、エロゲを通販で買うことはあまりしないようだ。これはおもしろい逆行現象だと思う。ソーシャルメディア全盛の時代を経て、俺たちの世代では「ネット経由の知人」を持つ人間が多い。にもかかわらず、こんな業態が細々とでも続いている理由は――決して認めたくはないが――さびしいのだろう。
見かけるようになったのはここ10年くらいのことだろうか。最初は古本屋からの発展形だったと思う。滞在時間が長く、現金払いで直接儲けにつながる客に、休憩スペースを作ったり、茶のサービスを始めた、というのが原初的な形態なのだろう。いつしかそれは、初老のオタ世代の溜まり場的なものとなっていった。
オンラインで呼吸をしていたような俺らの世代が、最終的にオフラインに慰めを見出すようになったのは、この年になってくると、コミュニケーションというものは、やはり顔と顔をあわせなければ通じない、というつまらない真実がひしひしと感じられるようになってくるからだろう。
あれほど夜型の生活をしていた俺も、朝5時となると目が覚めるようになった。軽く散歩をして、朝食を取り、朝7時となると近くのショップに顔を出す。
目が覚めるんじゃない。単に眠りが浅くなっただけか。
俺は自嘲的に思いながら、家を出た。
「よう」
木のテーブルとコーヒーの香り。流れるBGMは、この季節だ、夏影に決まっている。もう40年も変わらない、俺たちのテーマ曲だ。ただ感じかたは昔とは違う。最近の俺は、この曲にどことなく「お迎え」の影を感じるようになっていた。
「俺らの生きてるうちには出るさ」
定番の挨拶を経て、新作の話などをする。
エロゲ業界もクラス化が激しくなった。若年層においては、すでに「テキスト+ボイス+立ち絵」の形式のADVは死滅しているに近い。ここ四半世紀のあいだに画期的なアニメーション作成ツールがいくつも出て、敷居が大幅に下がったためだ。
しかし俺らの世代にとっては、やはり昔ながらのADVがしっくり来る。
ジャンルもずいぶん変わったと思う。いまでも思い出したように学園ものは出るが「こんな学園どこにもねえよwww」は、より切実な響きを持つようになってしまった。いまや学制自体が違うからあたりまえだ。
かつて、そう、俺らが三十代だったころ、冗談半分によく言っていたものだ。将来は孫ゲーが来る、と。その予測は当たったかといえば「なんとなく当たった」というのが実情だろう。結局還暦を越えても「そういう部分」での精神的な構造はあまり変わらない。むしろ老いには直面したくないのが実際で、いちばん多い設定はといえば、やはり若返りもの、ということになる。典型的なテンプレは、癌の告知から始まって、主人公がタイムスリップ、「あの夏」を体験したうえで現実に戻り、幸せな死を迎えるものだ。孫ルートのあるゲームは全体の3分の1くらいだろうか。
特養老人ホームを舞台にした介護ゲー、なんていうのも昔はよくネタとしてあったが、これはむしろ陵辱ものに多い。現状の自分のルサンチマンを反映したような設定が陵辱ものに多いのは、いまも昔も変わらない。最近だと、恵まれない家庭環境にある女の子ばかりを集めて決死の肉体看護をさせるも、それらの女の子にひどいことばかりしているうちに、だんだん精神的におかしくなってきて、瞳の光が失われていき、最後は性奴隷になる描写が秀逸だった「奴隷介護―地獄のエデンで少女たちは何を見たか―」がヒット作だ。
そう、当時予測しておらず、現在隆盛になっているジャンルがある。ロリババアものだ。当時、なんでこれに気づかなかったのか、自分でもわからない。かつては純愛系のゲームならば、たいていは妹ルートがあるのがふつうだったが、いまではそれがロリババアに取って代わられている状況だ。
エロゲ業態全体が同人的な雰囲気になって、大ヒット作というのは生まれづらくなっているわけだが、そんな中で気を吐いた例の作品における、あの名セリフに殺された人は多いだろう。
「時間を止めて、待っていましたよ」
そんなわけで、考えようによっては25年前となんら変わらない生活をしている俺らだったが、最近は俳句がちょっとしたブームだ。俺たちが若いころから俳句なんていうのはジジイくさい趣味だったわけだが、この年になってみて、なぜ年寄りが俳句を嗜むのかわかったような気がする。
この年になると「言葉を紡ぐ」のが億劫になってくる。表現欲がなくなるわけではない。それ相応に人に認められたいという気分もないわけではない。しかしそのために多くの言葉を紡いで「人に伝える」ということに価値を見出せなくなるだけだ。しかし溜まっていく日々の鬱屈を言葉にしたいと思ったときに、俳句のような形式はとても都合がよい。
「それじゃまあ、新作の披露といきますか」
3人のなじみのじーさんを前に俺は言った。そしてそのじーさんたちは、俺の姿でもある。
では一句。俺はのどに絡む痰を切ってから読み上げた。
「コンドームかぶせてむなし秋茜」
「ほぉ……」
「確かにむなしい……」
「もう勃起しねえしな……」
場を、いい感じに絶望的な空気が支配した。ちなみに「秋茜」は人生の黄昏を迎えた俺たちの心境を、秋の夕暮れのイメージに重ねたものだ。
「では次はオイラが」
オイラ。またなつかしい一人称が出たものだ。映画監督としても有名だった某芸能人が他界してから、この一人称を使う人は滅多にいなくなった。
「我慢汁 集めて臭し俺の川」
「川になるほど出ねえだろ……」
「てゆうか我慢汁自体もう出ないよね」
「つーか最近さぁ、オナニーの途中でめんどくさくなるんだよね……」
「あんたまだ現役だったんだ……精液だけに、原液、か……」
「もうだめだ」
「だめだなぁ……」
俺たちがそうやって淀んだ空気の中で薄ら笑いを浮かべていると、店主の孫娘が姿をあらわした。夏休み中で家にいたものらしい。健康的な肉付きの太ももが眩しい。
「あんたらまた来てんの? いい年としてくっだらねえシモネタばっかしゃべって、店内がイカ臭くなるからやめてくんない?」
ああ、罵倒が心地いい。あの太ももに挟まれながら罵倒されたら、そのまま昇天できるのではなかろうか。
「ってうっとりした表情浮かべてんなよ! 歯槽膿漏くせえ口あけてぼんやりすんなよ……」
店主、あんたは勝ち組だ。
人生において、後悔なんぞは役に立たない。そんなあたりまえの事実を笑って受け入れられるこの年になってなお、妄執は残るのだ。
予約しておいたソフトを受け取って、家に帰った。PCの電源を入れてインストールする。
全エンディングが腹上死ということで、発売前から話題になっていたソフトだ。もっともそれだけでは俺は買わない。エンディングのひとつに、顔面騎乗による窒息死があったのが俺の直接の購入理由だ。
ゲームを起動する。
「登場する女優さんは、すべて60歳以上だからね、まちがえないでね、おじーちゃん♪」
老眼の進んだ俺にもやさしい極大フォントとともに、ボイスが流れる。
さあ、残り少ない日々を謳歌しよう。
ディスプレーの中には「あの夏」が詰まっている。
数年前の話。
ずっとモテずにきたせいで現実の恋愛の様式を知らず、映画や漫画の世界の様式を信じこんでしまってた。
つまり、見た目は愛の前には関係なく、話がはずんで心が美しければ、相手は振り向いてくれる、とか
見た目といっても、セックスアピールなど微塵も関係あるはずもない、とか
叶わなくてもずっと思い続けることが美しい、とか
その人と肉体関係を持つことを具体的に思い描かない、とか。(これは女性特有かもしれないけど)
実際には見た目の大切さは計り知れないし、話がはずんで心が美しいだけの人は大切な友人候補だし
セックスアピールは必ずしも下品さと結びつかないし、ずっと思い続けるのが美しいってのは完全に自己陶酔だし
一般的に肉体関係を持たない恋人関係は少ないだろうから、これも考慮する必要がある。
大学生にもなって、脳内が純愛少女漫画ワールドで、見た目が美しくなくてもなんとかなると思ってた恐怖。
それでモテないモテない言いながら片思いしてたんだから、はた迷惑でしかなかった。
だからいつも超仲良くなる→OKのサインと勘違いして玉砕してたんだよな……
見た目は大事。内面だけで魅了するのは運任せみたいになるんじゃないか。
何より内面を磨くのは見た目を磨くのとは比べ物にならないくらい難しいし
磨けたところで、見た目が伴ってないと恋愛対象にすらなれず、とても大切な友人で終わってしまう。
でも恋に落ちた人と愛し合うには内面の美しさはとても大事、けど最初はやっぱり見た目が優先される予感。
それに見た目を磨く過程で心が充実してくのが分かると思う。
エクササイズや正しい食事やスキンケアは精神的な健康にも役だってくれた。
以前、大阪市が公開した文楽問題に関するメール交信記録を読んで一文を記したが、
文楽の問題に関して、Twitterを見ていていくつか誤解があるようなので、書いてみたい。
産経の記事によれば、
橋下市政 揺れる文楽 補助金凍結…地方公演厳しく+(2/2ページ) - MSN産経ニュース
同協会の収入は興行収入が8割、補助金が2割を占め、その内訳は国が8千万円、市が5200万円、府が2070万円(23年度)。
記事中「同協会」とは文楽協会のこと。今すぐ見当たらなかったが、たしか本公演に影響が出る額ではなかったように記憶する。少なくとも文楽の存廃に関わる額ではない。
公開されたメール記録から。池末浩規参与の3月24日付メール。
http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000174249.html
③-1.技芸員のマネジメント機能のうち、「都市魅力向上に資する伝統芸能に関する若手技能者の育成支援事業」に対する事業補助を行う。これは当 初金額を××円(試案:2,000万円)とするが、××年度(試案:平成27年度)以降の分については、前年に(府)市の文化・芸術に関する補助についての委員会(名称未定)により決定する。
③-3.経過措置として、✕年間(試案:平成24年度に限って)は、✕✕万円(試案:3,200万円…現状の5,200万円と上記2,000万円 との差額)を新たな公演の試み、協会の機能向上の試みに対して事業補助する。この補助の使途および成果については、事後に報告するものとする。
ただし、同じく池末参与の6月5日付メール中、橋下市長とのやりとり部分。(→は池末参与の返事)
文楽についてはその構造 も、担当者以外は理解していないところもあります。
文楽を守る役割は結局国に あるということがはっきりとしてきました。
→結局文楽の振興については国しかコントロールできない形にしておきながら、大阪府市も金入れろという図式ですね。
そうなると若手育成も国では?
→本来はそういうことになります。
また若手育成について、国 と地方の役割はどうなのでしょうか?
→原則国主体でやるべきという考え方がベースになると思われますが、国が新たなスキームに乗ってくるまでの短期間(3年以内を想定)人材育成につい ては大阪も奨励金を出す考え方もあるかもしれません。
市長とその周辺の意図としては、「文化財保護」よりも「振興(観光資源としての活用)」なのでこういう書きぶりになる。しかし、文楽においても、もちろん「家業」となっている場合もあるが、原則的には歌舞伎と違い、あくまでも実力主義だという側面が全く閑却されている。
文楽は伝統に胡坐をかいている、敷居が高いなどという意見を散見したが、事実は文楽も新作を試み、様々なチャレンジをしてきた。たとえば、子供向けに作曲された新作があげられる。
文楽の入門編として最も手軽だと思われるのは、国立文楽劇場で毎年夏の公演で演じられる演目だ。夏休みのため子供の観客を対象としたものが必ず演目にあがる。今年は「西遊記」がかかっている。
そこで近年演じられてきた演目を振り返ると、「舌切雀」「雪狐々姿湖(ゆきはこんこんすがたのみずうみ)」「瓜子姫とあまんじゃく」「東海道中膝栗毛」「金太郎の大ぐも退治」「鼠のそうし」「大江山の鬼退治」。。。などなどがあげられる。ただし、必ずしも中身が充実している演目ばかりとは言えない。
こういった子供向けの演目だけでなく、大人向けの演目も様々な試みが繰り返されてきた。
例えば歌舞伎演目のコピーがある。そのなかで、「勧進帳」はもっとも有名な演目の一つだろう。
またあまり知られていないかもしれないが、近松門左衛門の「曽根崎心中」は歌舞伎の影響で戦後に復活した演目だ。その事情は次のサイトにコンパクトにまとめられている。
その人形浄瑠璃にとって難題だらけの「曽根崎心中」の復活上演を、まず試みたのが本家の人形浄瑠璃ではなく、歌舞伎であった。
昭和28年(1953)8月、近松門左衛門生誕300年を記念して宇野信夫が「曽根崎心中」を新しい歌舞伎に脚色し、の新橋演舞場の舞台にかけたのである。徳兵衛を上方歌舞伎の第1人者の2代中村鴈治郎、お初を長男の2代扇雀(のちの3代鴈治郎)というコンビで演じたところ、大評判をとって扇雀ブームまで起こった。
この反響の大きさに驚いたのが、本家の文楽座である。人形劇としての「曽根崎心中」復活上演に意欲を燃やし、現代向きにという松竹の大谷竹次郎会長の意向を入れて、西亭(にしてい)こと三味線弾きの初代野澤松之輔が脚色・作曲を担当、鷲谷樗風(わしたにちょふう)の演出で、昭和30年(1955)四ツ橋文楽座1月公演の舞台にかけたのである。
よく復曲といわれるが、昔通りの演奏曲復元は不可能で、新しい作曲と割り切った方が誤解が少ない。語りを8代竹本綱大夫、三味線を10代竹澤弥七のコンビ、主人公・徳兵衛役の人形は序列7番目だった吉田玉男が遣った。
これらのものは本公演でもしばしばかけられる演目だけれども、より実験的な演目としては、蝶々夫人、ハムレット、テンペスト(「天変斯止嵐后晴」)など。また、市長が再三ふれている三谷幸喜の新作に代表されるようなそれも、しばしば作られる。聖書の福音書物語を文楽で、といった試みまである。
つまり、文楽に携わる人たちは、新しい観客開拓への意欲はあり、チャレンジ精神も問題意識もある人たちなのであって、この点は文楽を知らない人たちによく認識しておいてもらいたいと切に願う。
したがって、ちゃんとした台本さえあれば、たとえば百合文楽でもけいおん!文楽でもなんでもできるはずだ。文楽人形は、女子高生でもイエス・キリストでも、なんにでもなれるのである。
しばしば、歌舞伎や落語と並行して文楽を論じられているのを目にする。しかし、文楽は他の古典芸能と全く違う側面があるので、「伝統芸能」「大衆芸能」という大雑把なくくりで論じられるとやや面食らう。
まず、文楽は音曲として非常に格の高いものだったという歴史的な事情である。これは歌舞伎の竹本葵大夫さんが軽く書いている。
人形芝居で創りだした演目も歌舞伎に流出して、歌舞伎で大当たりを取る。それがために、人形芝居は経営に打撃を受ける。これは対策を講じなければいけない。そんなこんなで、人形芝居の組合で「歌舞伎に出演した太夫・三味線は除名処分にする。歌舞伎の太夫・三味線とは同席しない」などと取り決めます。「われわれは宮中のお召しがあると参内して芸をお目にかける。そして掾号も受領することさえある。歌舞伎などの河原者とは身分が違う」と息巻いたかどうかは知りませんが、これくらいのことは充分おっしゃられたでしょう。
今でこそ、私など文楽の9綱大夫師にご指導いただいたり、ほかにも三味線の方が文楽の方のご指導をいただいたりしておりますが、昔でしたら考えにくい現象でしょう。
もちろん実力の裏付けがあってこそで、
ただいまでも「文楽座出演」と銘打って歌舞伎の演目に文楽座の皆様が演奏で出演なさると、たいがい新聞劇評は「○大夫、△△以下、文楽座の演奏に量感がある…」というようなことが書かれます。ところが、同じ曲を私ども竹本が演奏いたしますと、あまり賛辞を頂戴することがございません。
ということになる。
葵太夫さんも触れておられるが、そもそも人形浄瑠璃は皇室と関係の深いもので、その一つの表れが掾号だろう。名人上手は皇族から掾号を受領することがあり、豊竹山城少掾、人形遣いの吉田難波掾を最後に掾号受領するものはいないが、しかしながら皇室との関係はあったわけで、昭和38年に松竹が興行権を手放し文楽協会が成立したとき、松竹がこれを「献納」と言っているのは故なきことではないのだ。
繰り返すが、このような人形浄瑠璃における格の高さは、実力の裏付けがなければ意味を持たないし、まして現代において補助金の投入を正当化するものには必ずしもならない。
しかし、他の芸能と一括りで論ずることができないという側面の若干は感じてもらえるのではないか。
また、義太夫節の特性について若干ふれておきたい。
義太夫節の構造そのものは簡単で、決まったメロディーのパターンを詞章に合わせて組み合わせて行くだけだ、という説明でいいと思う。したがって、このパターンの組み合わせは無限に広がる。
ところがそう簡単にいかないのは、文楽の古典の場合、演目に合わせて様式が成立しており、義太夫節ではこの様式を「風(ふう)」という。かねて様々な論者により、風を語り分け伝承するのが最大の難物だとされてきた。というのも、非常に微妙・繊細なものだからだ。
以前書いたように、私は国立文楽劇場に通って図書閲覧室にもよくお邪魔をするような人間だったが、さすがに義太夫節を語るところまではやらなかった。だから断定はできないけれども、この様式の問題は最後は幼少時の音楽環境の問題になると思う。と考えたくなるくらいに、微妙な代物であって、これだけ洋楽が氾濫して耳が慣れてしまっている現代日本で、こういうものを継承することが可能かどうか、はなはだ疑問だと言わざるを得ない。
やや話がずれたかもしれないが、たしかに落語や歌舞伎などのように、時代に合わせて姿かたちを変えることで人形浄瑠璃においても生き延びることだけなら可能かもしれない。しかし、文楽の場合、繊細な中身が変わってしまってはもはや文楽ではなく、ただの人形芝居、「文楽のようなもの」が残るだけだろうと強く危惧するものだ。
この点が、私の文楽の将来に対する悲観や「古格を維持している限りは、文楽は補助されるべきだ」と考える所以でもある。
大阪市長やその周辺が模索しているように、観客動員を増やそうとする努力、そのための宣伝や統括的なプロデュース・マネジメントが必要だろうというのは、私もかねがねそう思っていた。まんざらではないと思う。
ただし、それには一定の限界があるだろうとも思う。要因はいくつでもあげられる。
音楽環境がもうまったく変わってしまっている。古典に対する教育がほとんど日本ではなされないのだから理解できなくて当たり前。そもそも、松竹ですら経営が難しくて50年前に放り出したものを今の時代に観客が増えるわけがない。ちゃんと語れる人がもういなくなりそうだ等々。
一定の限界を認めなければ、たとえば市長がいろいろ言っているように古典であっても演出をもっと現代的にしなければならなくなるだろうし、本も変えなければならない。本来、国立劇場国立文楽劇場での公演は一作品全部を舞台にかける「通し」を主として行われるべきだが、観客動員を上げたいのであれば歌舞伎のように「見取り」だけでプログラムを構成し、有名な売れそうな場面だけ舞台にかけておけばよい。しかし、それで本当にいいのか。
つまり、観客動員をどうしても上げたいのであれば、中身にも伝承にも確実に影響が出てくるだろうと思われるのだ。これで本当に「古格」が維持できるんだろうか。
私は、文楽だけでなく、歌舞伎も好きだし(そもそも文楽に触れるきっかけは歌舞伎で知っている演目は文楽ならどうなのかという興味だった)、西洋古典音楽も大好きな人間だ。そうやって比較をすることで両方を消化するのが、誇張して言えばあるいは日本人だけの楽しみだとすら思っている。
そこで西洋音楽と比較した場合、文楽に匹敵するものはワーグナーの楽劇ぐらいしかないのではないかな、と感じている。長大さや感動の深さの点で比肩する物は相当に限られてくると思う。
それだけの値打ちがあるんだということ、それだけの値打ちがあるものに対して、日本のものなのに、その日本人の大多数が興味関心全くゼロだということは、まず言っておきたい。
その上で、しばしば「補助金なしでやっていけない芸能芸術は滅び去るべきだ」という意見が見られる。非常にもっともな意見で、公によって支えられている文化事業は常にこういう問いを問われるべきだと私も思う。
ただ、一方で、ヨーロッパのオペラにしろオーケストラにしろ、「補助金なしでやっていけない」わけだが、「だから滅び去るべきだ」とは言われない。ここは必ずしも論理としてリンクするものではない、ということも、またもっともなのだ。
文楽に匹敵するのはワーグナーくらいしかないのではないかと書いたけれども、ワーグナーには過去の歴史から政治的な問題が色々あり、また採算が取れないからといってドイツ人がワーグナーを「過去のもの」として捨て去るだろうか。欧州においてすら西洋古典音楽のファンはそれほど多くないはずだが、さらにそのなかのごく一部のワグネリアンしかたいした興味関心をもたないからワーグナーの上演は無駄だと批判されるだろうか。そういうことは今のところまずあり得ないと思う。なぜなら、ワーグナーはドイツの宝だからだ。文楽よりはるかにカネがかかるにもかかわらず。
大阪の先人たちは、文楽という芸能に対して文字通り心血を注いできた。一時期を除いて基本的には客が入らない芸能だったので、名人上手ですら「明日のご飯がない」という貧乏話は普通にある。奥さんが小料理屋を営んでいてそれで食わしてもらったりしている。それでもなお、大阪の偉大な先人たちはこの芸能に打ちこみ、奇跡的に現代に伝えてきた。
彼らはお金はなかったかもしれない。貧乏だったかもしれない。その代わりに得られたのは、感動を与える喜びであったり、誇りだった。掾号の問題はまさしくそれで、名誉だけが彼らの糧だったと言っても言い過ぎではない。ワーグナーにも匹敵する芸能であるからこそ、それだけ打ち込む価値があったのだ。
ただ、現代社会では、残念ながらこの芸術の価値に見合うだけの犠牲を技芸員たちに求めるのは、無理になって来ている。(それでも彼らは贅沢な生活をしているわけでは決してない)
現代の大阪人はそういう偉大な先人の子孫だ、そういう偉大な芸術を生んだ共同体の中にすむ一員なんだという矜持、その矜持が文楽に金を払わせるのであって、他に理由は見あたらない。
そして、、、私はこれが最も大事な点だと思うけれども、、、大阪人に持ってもらいたいこの矜持に対して、文楽に携わる人たちはお返しをしなければならない。
それは、新しい観客を獲得する挑戦を一方で続けながらも、文楽の本格を維持すること、継承すること、古格を守ることではないか。それが、文楽座に課せられたミッションであって、それが出来なくなった時、文楽は文楽でなくなり、公金を投入する理由もなくなるだろう。
もちろん、大阪市長やその周辺の人々が考えるように、観客動員を上げて観光資源として活用されるように生き延びる方向もある。しかし、それはもはや「文楽」ではない。
もし「文楽のようなもの」という形でしか生き延びられないのであれば、偉大な先人の名誉のために、大阪人の矜持のために、近い将来、しかるべきタイミングで文楽の死を宣告してもらいたい、最低でも名前だけは変えてもらいたい、無形文化財や世界遺産の認定も返上してもらいたい。私がこのように希望する気持ちやその理由も、これまでつらつらと書いてきたことから感じ取ってもらえるのではないか。
そして同様のことは、なぜ国が補助金を文楽に対して投入するかという理由づけにもなるように思う。大衆に受け入れられない芸能は補助金を打ち切ればいい、この財政難の折から文化事業に投ずる財源はないとよく言われるが、ことはそう単純ではない。
予算全体から見れば、補助金として文楽に投入される額は巨額とは全く言えない。しかも大阪の場合は、対象を悪玉・敵に仕立て上げて財政削減しても、すぐに無駄なプロジェクトに走るのでせっかくの財政削減が全く無意味なことになっている。大阪市長は文楽に対して様々な批判を繰り広げているが、予算と比較した場合にあまりにも不釣り合いな煽りであると言わざるを得ない。
日本の偉大な芸術、しかもまだかろうじて本格が維持されている繊細な芸術に対して矜持を持って維持するに、大阪はもとより、日本の市民社会全体「も」維持しなくて他に誰が維持するというのだろうか。
(追記)
これまで書いてきたように、私自身は文楽の将来にはかなり悲観的であるし、芸の質についても相当程度批判的だ。したがってTwitter を見ていて古典芸能ファンによる「日本の伝統芸能なんだから維持されるのが当たり前」や「とにかく文楽は素晴らしい」に類する議論を見ると鼻白む思いをする。自分の楽しみのために税金の投入を是認しろというのであれば、それはまさに橋下市長の批判通りなのではないかと思う。
したがって、古典芸能ファンの言動にもいささかついていけないものを感じる時があると、これは明記しておきたい。
また、もし何かご意見などあれば、Twitterの私のアカウントに何か書いていただきたいというのは、前回の増田に書いたとおりだ。https://twitter.com/SignorTaki
純愛してみればいいじゃん
女性が多い趣味の習い事でもはじめて、公務員だって事は隠して女と仲良くなればいい
それなら打算抜きの恋愛が出来るんじゃない?
君に職業以外の魅力があれば
俺もご同類だから言うけど
これは甘え。
でしょでしょ。
俺達はそれが無い組に生まれてるのね。
君もこんなこと知ってたはずだけどさあ。
それモテてるんじゃないんだよ。
当然、人生観も変わる。
同類として心から言うぞ。
痛々しいから目を覚ませ。
いや、どの頃でも金や安定性なんてもんは恋愛には係わらないんだよ。
違うんだよ、「することもないなあ」じゃなくて、俺達には恋愛なんか出来ないんだよ。
まるで純じゃない恋愛や普通じゃない恋愛なら出来てるみたいじゃないか。
上3行冷静に読み返せ。
これ、恋愛か?
君だって3年前には弁えてたはずのことを思い出してもらうけど、
イケメンだったり運動神経があったり雰囲気がセクシーだったり、そういうのがなかったろ。
馬鹿にしてるんじゃなくて俺は同類だよ、何度も言うけど。
俺の場合は公務員じゃなくて税理士だけど堅いのは一緒だから勘弁な。
俺達は根本的にはもてないわけ。
もっというと俺達と打算抜きで一緒に居たいとかセックスしたいって思う女は居ないわけ。
君も分析してるとおり、将来不安になってる女の人が打算的に股開くみたいなのはあるかもしれないよね。
君は「もっと真面目な恋愛がしたい」「純愛がしたい」って言うけど
じゃあ合コンやお持ち帰りはやめて別のルートからもっとマシな出会い方で相手を探すとするよ?
打算の必要がない立場の女性相手に、自分の安定性とかを隠して(むしろ嘘でもつこうか)接近する。
相手にされるか?
されねーよね。君だって知ってたはずじゃん。
しかも歳が上がれば上がるほど、打算からフリーな女性なんかいなくなる。
やっぱり俺達の安定性を見てくるよね。
そういう意味でも「純粋な恋愛」なんてやるチャンスももう無い。
まとめると、
俺達には「純粋な恋愛」をやる能力・資格(遺伝子と言ったほうが正確か)が生まれつき無いし、
俺は合コンなんて学生時代から通産で6回しか行ったことないので
そういう意味では君とすこし違うけど、女性からの学生時代とは違う空気と言うのはなんとなくわかる。
でも俺達がやろうとしてやれるのはそこまでだよ。
ご同類が今更「純粋な恋愛」なんか求め始めるとなんかアンハッピーエンドフラグがびんびん見える気がする。
今の仕事や立場を守って合コンを続けたほうがいいんじゃないか?
もっと言えば合コンもやめたほうがいいと思う。これは余計なお世話だけど。
俺はそういうのはきっと空しいと思ったからほとんどやらないできたし、
君も実際にやりまくった結果空しさを感じてる。
ほとんどどう年齢だと思うけど、
趣味に生きてひとかどになるにはもう今から何かしら始めなきゃいけないわけで、
俺は恋愛がなくたっていくらでも前向きに生きられるって思ってるし
君もそう思って欲しい。
地方公務員ってどこもそうだと思うけれど、かなり暇。
今こうしてインターネットするぐらい暇。大阪かどっかで勤務中にバスケットボールしていて
怒られたニュースが前出ていたけれど、うちなんか麻雀やっていたりするからどこも暇なんだと思う。
暇なのに窓口では、アルバイトや契約社員を雇っているから、もっと暇になる。
正規職だけで充分、いや十二分に回せるんだけれど、世の中の利権とやらが関係していて仕方なく雇っているらしい。
天下りとかが暗躍(その割に堂々としているがw)するためには、不必要な箱も必要なんだなとは思う。
大体、1つの業務に慣れた頃には移動になるのが常なので、真面目に業務には取り組むけれど向上心なんか必要ないしね。
ちょっと話逸れた。
そんなわけで、公務員になってから3年が経ったんだけれど、合コンに行くとやっぱりモテる。
ルックスはまぁよくある普通顔なんだけれど、若くて独身で安定性もある男は何割か増しに見えるらしい。
特に、派遣とか契約での勤務をしている二十代後半あたりの女性の場合はすぐ股を開く。
もう、それが簡単にくぱぁって股を開く。
だって、大学の頃って合コンに行ってもそんなにモテなかった。トークが上手いわけでも、ルックスが優れているわけでもないし。
今思えば、あの頃は金や安定性なんてもんが、恋愛に係っていなかったから当たり前なんだけれど。
その非モテの俺が、公務員になって合コンに行ったらモテるわけ。当然、人生観も変わる。
いくらでも合コンにいけばヤレる相手がいるのに、わざわざ一人と真面目な恋愛をすることもないなぁと思うようになった。
学生自体に、セックスを思う存分できなかった反動かもしれないけれど。ヤッたら捨てる。ヤッたら捨てる。
そんな風にとっかえひっかえ。
やっぱり最初に挿入するまでが楽しくて、それ以降は射精したら一気に冷める。
でも、いくらでも次がいるから、とっかえひっかえできる。