はてなキーワード: どつき漫才とは
どつき漫才こそ至高と思ってるんじゃない。
規制ってのは、広くとって、好みともいえるよ。どつき漫才みて笑ってた人でも、ひとたびステレオタイプにさらされれば、もう逃げられない。同じもの見たって、「うーんこれはダメでしょ」となって笑えない。
ただ欲求だけは中々解消しないんだよね。
が矛盾してるんだけど。
良いとか悪いとかじゃなくて。「これからは人を傷つけない笑い」とか聞いて考えた。
表現には「幅」がある。ある表現方法を規制されても、他の表現をすることは可能である。
しかしそれは幅を狭めているのは間違いない。だってタブーゾーンがあるんだから、その分は狭まっているのである。
「その分深堀すればよい」という人もいるが、それは詭弁だと思う。深掘りったって、そこには飽きがあるよ。一部のマニア向けならいいけど。そのなかでたまに光る石も拾えるけど、それって絶対数少ないよね。
で、幅が狭まると、今度は別のものが気になってくるよね。例えば不快指数が
とかあったとして、これ2000やべーだろとそれを規制する。まあそれはいい。
そうすると、次は50が気になってくるわけ。excelで表書いてみ。気になるから。
そうするとしばらくすると50を規制しようとするよね?以降繰り返し。どこかのごく細い幅に帰結する。その幅だって、小数点まで気になってくるかもね。
こんなこと大昔からわかってるはずで、だから規制って慎重にならなきゃならないね~みたいな話があったはず。(規制に慎重という理由はそれだけじゃないけど)
だけど、規制ってやっときゃ文句も出なくなるから、文句そんな言ってない人も「やりゃいいじゃん」でやっちゃうんだよね。
規制は麻薬なんだよね。そうしていつの間にかスッカスカの体になっちゃう。
でも悪いものを規制しないと、それはそれで肥大化して死んでしまう。
バランスが大事なんだよね。バランスってなに?主観でしかないよね。
規制ってのは、広くとって、好みともいえるよ。どつき漫才みて笑ってた人でも、ひとたびステレオタイプにさらされれば、もう逃げられない。同じもの見たって、「うーんこれはダメでしょ」となって笑えない。
ただ欲求だけは中々解消しないんだよね。そうするとアングラがどんどん膨らんでいく。はけ口がないからね。
アングラにも階層ができるかもしれない。地獄と大地獄みたいに。
でもアングラはアングラで、上にいるつもりのきれいなつもりの人々からは結局蓋されるんだよね。欲求は存在しているのに、あたかも無いかのように扱われる。
そうして抑圧の先に何があるのか?なんだろうね、新人類の誕生かな?
Bye-Bye ピープル。
性欲が少なくてオナニーとかほぼしない人ならポルノや風俗への規制が強まっても平気で、むしろポルノで不快になることが少なくなるなら歓迎ってなるのは当たり前だろう。
食に対する欲もそんなにないんであれば、鰻ががっつり規制されちゃっていいと考える。
お笑いを見たいっていう欲が少なければ、バラエティ番組もどつき漫才も際どい笑いも叱られてお笑いの幅が少なくなっちゃって構わない。
何かを楽しみたいという欲が全般的に少ない人っていて、そういう人は自由を求めないのではないか。
「物事が自由化しても、それで増えた選択肢を楽しもうという気にはどうせなれない。
むしろ自由化によって傷つけられる選択肢も増える害の方が大きい。
だったら、自分が抑圧で生きづらさを感じないで済む最低限の自由があり、それ以上は規制や倫理で秩序が守られてるくらいが一番いい」
と考えるのは自然なことだろう。
欲が少ないというより、傷つかないよう保護されていたい欲とか、規制で社会の正義を保ちたいと思ってるなら正義欲が強いというべきかもだが。
とにかくそういう「食欲旺盛じゃないから食べ放題とか全然必要ないし、食べ物屋の種類もメニューの幅も少なくていい、それよりどこでも安全と清潔が保障されてることがずっと重要」って人はいるだろうし、
それに対して「色んなご飯食べれる方が美味しいし楽しいじゃん!」とか言っても説得は通じないよなあ。