2020-03-05

規制という麻薬により、結局表現は狭まっていくしかないのだ

良いとか悪いとかじゃなくて。「これからは人を傷つけない笑い」とか聞いて考えた。

表現には「幅」がある。ある表現方法規制されても、他の表現をすることは可能である

しかしそれは幅を狭めているのは間違いない。だってタブーゾーンがあるんだから、その分は狭まっているのである

「その分深堀すればよい」という人もいるが、それは詭弁だと思う。深掘りったって、そこには飽きがあるよ。一部のマニア向けならいいけど。そのなかでたまに光る石も拾えるけど、それって絶対数少ないよね。

で、幅が狭まると、今度は別のものが気になってくるよね。例えば不快指数

0 5 10 2000 50 20

とかあったとして、これ2000やべーだろとそれを規制する。まあそれはいい。

そうすると、次は50が気になってくるわけ。excelで表書いてみ。気になるから

そうするとしばらくすると50を規制しようとするよね?以降繰り返し。どこかのごく細い幅に帰結する。その幅だって小数点まで気になってくるかもね。

こんなこと大昔からわかってるはずで、だから規制って慎重にならなきゃならないね~みたいな話があったはず。(規制に慎重という理由はそれだけじゃないけど)

だけど、規制ってやっとき文句も出なくなるから文句そんな言ってない人も「やりゃいいじゃん」でやっちゃうんだよね。

規制麻薬なんだよね。そうしていつの間にかスッカスカの体になっちゃう。

でも悪いもの規制しないと、それはそれで肥大化して死んでしまう。

バランス大事なんだよね。バランスってなに?主観しかないよね。

から規制から逃げられないんだよね。

規制ってのは、広くとって、好みともいえるよ。どつき漫才みて笑ってた人でも、ひとたびステレオタイプさらされれば、もう逃げられない。同じもの見たって、「うーんこれはダメでしょ」となって笑えない。

ただ欲求だけは中々解消しないんだよね。そうするとアングラがどんどん膨らんでいく。はけ口がないからね。

アングラにも階層ができるかもしれない。地獄と大地獄みたいに。

でもアングラアングラで、上にいるつもりのきれいなつもりの人々からは結局蓋されるんだよね。欲求存在しているのに、あたかも無いかのように扱われる。

そうして抑圧の先に何があるのか?なんだろうね、新人類誕生かな?

Bye-Bye ピープル。

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