はてなキーワード: 中学生とは
俺が小さい頃に初めて見たテレビは「小さく低画質なブラウン管テレビ」だった。
俺はそのテレビを使って、ビデオを見たり、スーパーファミコンをやっていたりしていた。あんな小さいテレビで、よくゲームをすることができたものだ…。
最近の10代(特に2006年以降に生まれた子供)は知らないかもしれないが、鮮明に映してくれる今のデジタル放送とは違い、当時はアナログ放送だったため、電波が悪いといつも「ザーザー」と砂嵐ばっかりになって画面が見えずらくなり、大好きな放送が見れないことにがっかりしたり、イライラしていた時期がよくあった…。
小学生高学年になってから、「ニンテンドーDSを買え!」と親にねだった時もあって、親はイヤイヤながら買ってくれたのが懐かしい…。
中学生になってから、家にあった「Windows Vista」の新しいノートパソコンをよく使うようになったのだが、動作が非常に遅く、じっと待つしかなかった…。どのくらい待つのかといえば、電源ボタンを入れてから、間食用のカップラーメンを3分で用意できるぐらいだ…。ゲームぐらいさせてくれよ…。
あとインターネット回線の速度も死ぬほど遅かったものだ。画像1枚を読み込むのに1分もかかったことも珍しくなかった…。
高校生になってから、自分のお小遣いを使って、内緒でウォークマン「NW-Sシリーズ」を1万円で買って、沢山の音楽を聴いていた時期もあった…。
大学生になり、家電量販店に行った俺はアルバイトで貯めたお金を使って、3万円した32型の液晶テレビを買うことができたのは、何よりうれしかった思い出だ…。
数年後には「各4Kテレビ」が販売されるようになったが、当時はまだ気軽に買える値段ではなかったぞ(たしか50型の4Kテレビは最初「40万円以上」もしていたのは覚えている)…。
そしてしばらく時が経ち、コロナが流行り始め、家に居る事が多くなった俺は、久しぶりに家電量販店に行ってみると、50型の4Kテレビが20万円以下で買えるようになったことに驚き、これを機にそのテレビを買った。やっぱり新しいテレビはいいよ…。より快適になればなるほど、感動は沸くものだ…。
そして最近になって、コンビニの店内や駅前、さらに電車の中にも、巨大モニターが設置されるようになったため、もはや街路中にモニターがあることが珍しくなくなった。
街路中に巨大モニターがあるだなんて、俺が高校生になるまで、「渋谷ビル」か「新宿アルタ」ぐらいしか思い浮かばなかったのに…。
まとめに入るが、俺は人生の中で最も変化があったものは、やはりテレビや電子機器の進化だったのではないかと思う…。
ちなみに今、4Kテレビの値段を見てみたが、50型でも10万円を切るほど気軽に買えるようになった…。あと8Kテレビの値段も、「20万円以下」で買えるようになったのも驚いた…。
1950年代に白黒テレビが販売された当初、一生かけても庶民には買えないぐらいの値段だったのが、今ではもう気軽に超高画質なテレビが買えるというギャップよw
俺を挟んで一緒に教えていた同い年の高校生の男の子と付き合っており、部活、恋愛、学校生活、勉強と何事にも一生懸命でいつもニコニコしている良い子だった。
悲しくないと言ったら嘘だが、いくら教え子とは言えアルバイトだし他人だしでそんなに大きなショックは受けなかった。
俺の兄は小学生で骨肉腫と肝転移の手術、中学生で肺転移の手術と抗がん剤を行った。母も父も祖父母も俺も口には出さないが「兄は高校卒業まで生きられない」と思っていた。
兄は抗がん剤が終わり肺炎で生死を彷徨った後に退院。通信高校を卒業し大学を卒業し今では営業職に就いている。30代を無事に迎え、上司と取引先の人と毎晩飲み歩き、休日は両親や俺に悪態をつきながらFPSをしている。
一方で俺も、おそらく彼氏や学校の先生や両親も「これから先の明るい人生」を信じて疑わなかった女の子は一瞬で亡くなった。
人生は何が起こるかわからないから、生きている今日明日を後悔しないように生きたいものだ。
俺は大学卒業後に大学院でドロップアウトしアラサーで未だにアルバイトしている。
今日を後悔せずに生きたいと思っても、どうすればそんな生き方が出来るのかわからないので結局バイトして、親の飯を食い、兄とゲームをする。
元々ネトウヨが多い故にフェミたたきトピ多かったけど、オタクがめちゃくちゃやりまくって女のヘイト稼いだから。
キモくてめちゃくちゃなこと言ってるオタクより、フェミのほうが常識的なこと言ってるってなってきたんやで。
下半身履いてない少女の自衛隊ポスターとか、梅田ロフト入口付近にほぼ全裸の陰紋少女イラストとか、温泉むすめも全裸少女の胸や股間舐め回すように撮影してるムービーとか、最近だと中学生マイクロビキニ写真撮って何が悪いって大騒ぎして、ギャラ払って集めた10人のグラドル囲んで写真撮りまくり、撮影親父が邪魔で行進できないデモとか。
中学校に入ってどの部活を選ぶか。10年後の就職の際、大きく影響を与えるので注意すること。
総合商社など超人気JTCに入る学生の多くは体育会系だと言う。
だから中学からスポーツをやることは生涯年収を増やす可能性があるが、ここで気をつけなければいけないことがある。
体育会系(=運動部に入っていた大学生)全員が就活で強いわけではない。
体育会系が就活で評価されるのは、次のみっつの条件が揃った時だけ。
1.一流大学
3.男
まず1について。ここでの一流大学とは、私立なら早慶MARCHレベル。国立なら旧帝大TOCKY(千葉横国など)レベル。
体育会系が就活でプラスポイントになるのはこの一流大学の学生のみである。
企業は「頭の良い体育会系」が欲しいのであって、体育会系なら誰でもいいわけじゃない。
二流三流大学だと、体育会系だからといって、特に有利にならない。場合によっては頭が悪いと思われて、かえって不利になる。
現実は一流大学の文化系学生のほうが、二流大学の体育会系よりも就活で強い。
運動部に夢中になって勉強がおろそかになり、二流大学にしか進めなかったら、何の意味も無い。
次に2について。
ここら辺は強い。
ただ、陸上ホッケーやボード部みたいに、主に一流大学でしかやっていないようなスポーツは強い。
アメフト・ラクロス・陸上ホッケーみたいに、大学から始める人が多いスポーツも評価が高い。
そういうスポーツは一般入試で一流大学に入った学生でも活躍できることが多いからだ。
あと3について。
体育会系が就活で有利になるのは、男だけ。女子学生はあまり関係ない。
まとめ
上記を見るに、すごく理不尽なわけだが、(本当に体育会系の能力を評価するなら、2流大学の学生についても高い評価をすべきだし、やっていた競技と会社員としての業績にに何の関係があるのか不明だし、たんに女性差別であるし)、なぜ理不尽かというと、就職活動自体が理不尽であるからだ。
まだ仕事上の何の業績もない若者をポテンシャルだけで採用するのが日本の新卒一括採用なわけで、でもそのポテンシャルを測る方法はないので、結局は採用担当者が抱いたインプレッションが全てになる。
一流大学のメジャースポーツに打ち込んできた男子大学生なら、きつい現場でも活躍してくれそうだと企業は期待する。
でもそれは単に思いこみにすぎず、イメージの問題なので、野球部はOKだけど軟式野球部はNG、バスケットボールはいいけど、バレーボールはダメ、と理不尽きわまりない話になる。
ともかく頭が良くて体力もあって忍耐力もある学生が欲しいのであって、そういうイメージを抱ける学生=体育会系(ただし一部)というわけだ。
まあ中学生は参考にしてください。
非モテユーモアを消すのは難しい。というか女性が圧倒的に少ない状況でホモソーシャル的な関係を消すのは多分無理。なぜならめちゃくちゃ楽しいから。
女の目を気にせず、男しかいないから好きなことが出来た。空きコマにジャンプ回し読みしながら紙シバいて、放課後は皆で課題を消化した後友人宅で鍋つついて酒とゲーム。研究室配属後は日中研究して定時後はボードゲーム。テスト前の勉強やジャーナルの締め切りが被った同期と深夜まで歌いながら原稿書いてた思い出とかの大変だった思い出を含めて最高の日々だった。中高と共学だったけど、女がいる環境だと馬鹿にされること、キモがられただろうことを色々とやった。
修士卒までの6年間のほとんどの期間で彼女もいたけど、学内の人と付き合うことはなかった。見た目がどうとかじゃなくて、同姓だけで構築された完璧な世界に異物を入れたくなかった。未だに研究室の同期と飲むのが一番楽しいし、コロナでズーム飲み会してたころは妻に「中学生男子が酒盛りしてたから通報するか悩んだ」と嫌味を言われた。
ただ増田の記事を見て、露骨に話し掛けないとかではなく女性でも同じチームなら適当にコミュニケーション取るとかはしていたものの、積極的に関わろうとしたことはおそらくないのでそこは良くなかったんだろうなとちょっと反省しました。
近頃平野君と神宮寺君の、というか脱退ジャニーズ関連のニュースが世間を騒がせている。
ジャニーズが卒業・脱退・解散する、というニュースを聞くたびに、私は手越のことを思い出して苦しくなる。
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なんでこのタイミングで書き起こそうと思ったかというと、前述のキンプリの騒動をはたから見る中で、そろそろ一度振り返ってみてみてもいいんじゃないかと思ったからだ。
というか、オルタネートを書いた加藤さんではないけれど、あの出来事から3年という長い月日がたって感情的ならずに思出せるようになって、でもこれ以上離れてしまったらきっと気持ちも記憶も色あせてしまうから、「今」が最初で最後のタイミングなんじゃないかと思った。
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何を話すかといわれると難しいが、結局のところ手越のことをどう思っているかというお気持ちと思い出をたどるための文章である。
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どこから話そうか迷ったが、時系列順で話すのが一番いいのかもしれない。
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なんか女子が騒いでるなあという感じで、当時の関心ごとといえばサッカー観戦、ポケモン、イナズマイレブン、受験勉強、ライトノベル、あとはおままごととかだろうか。
でもVS嵐も、イッテQも、地獄先生ぬ~べ~も、鉄腕ダッシュも見ていたし、キスマイの光のシグナル(ドラえもんの主題歌だった)も大好きだった。
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彼女は歌がうまくて、カラオケが好きで、そして増田担だった。彼女とカラオケに行くと、親友は必ずNEWSの歌を入れる。
当時4+FANの合いの手のリズムがわからなくて苦戦したのをいまだに覚えている。
友達が歌う曲をどうせなら一緒に歌えるようになりたいと思うのがカラオケ好きの性である。
親友に頼んでNEWSのCDを貸してもらい、聞いてみたのが多分2017年。
まずNEWSの歌にはまった。
アルバムを4つくらい借りたのでそりゃ一曲くらい好きな曲もできるし、テゴマスは当時から歌がうまかった。
歌番組の時に親友からアナウンスがあったので、時間が合えば見ていた。
当時日テレっ子だった私は、イッテQで手越を、everyで小山さんを知っていた。
気づけば親友からはテレビドラマやバラエティの番組情報のアナウンスも入るようになり、私はNEWSをしっかり好きになっていた。
親が厳しかったためにファンクラブは入れず、ライブも行けなかったが、私は私なりの最大風速でNEWSのことが好きだった。
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それから2020年まで、のんびりと、自分なりの距離感ではあったが「好き」を貫いていた。
2020年2月、NEWS LIVE TOUR 2020 STORYの当落発表があった。
2017年のNEVERLAND、2018年EPCOTIA、2019年のWORLDISTA、最後に2020年STORY。
4つのライブの頭文字をつなげると「NEWS」になるこの4作品は、通称「4部作」と言われるもので、NEWSにとっても、ファンにとっても思い入れの深い、大事な大事なライブだった。
「STORY(アルバム)」にはファンの将来の夢が収録された楽曲や、メンバーからファンに向けてつづられた思いのこもった楽曲、9人時代からの気持ちに言及するような楽曲、インタビューなどがふんだんに盛り込まれていた。
チームNEWS全員にとって本当に大切なアルバムで、私たちはSTORYのライブの成功を心から願っていたし、心から信じていた。
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様々なイベントの中止が決まっていった。
「来月にはこのパンデミックが収まる」と信じて駆けずり回ってくれた方がどれだけいたのだろう。
大きな会場を抑えてファンのために準備してくれていた。
ライブ直前のラジオ内で行われたマジカルバナナ的なゲームでは、「準備万端といえば?」「「「「STORY!!!」」」」と4人で口をそろえて言ってくれていた。
河川敷をランニング中、桜の舞う中で聞いたその言葉を今でも覚えている。
しかし準備万端だったはずのライブは一公演一公演丁寧に中止を重ねていき、結局全公演中止になってしまった。
実はあの当時、ファンの間でうっすら「STORYが終わったらNEWSは解散or 何かしら節目を迎えるのでは?」という空気があった。
実際どうだったのかは本人たちに聞かないとわからない。
それでも、STORYに込められた気持ちはそれだけ大きかったのだ。
「この作品が最後なのかもしれない。そんなことはあってほしくないけれど、もしそうであれば、悲しいけれどきっとどうにか受け入れることができると思う。」
時が来れば必ず報われると思っていた努力が、世界規模の不幸によってぶち壊されてしまう気持ちは痛いほどわかる。
この辺は一回全員back number 『水平線』と 「入学から、この世界だった僕たちへ。」を聞いてきてほしい。
当時高校生だった私も何度も泣いた。
当時仲の悪かった母親に背中をさすられながら、夜中に号泣したこともある。
高校生活の中で最も大事な思い出になるはずだった最後の合宿が、文化祭が、体育祭が、すべてがなくなってしまうやるせなさに、どれだけ頑張っても結局行われなかったそれらにたいして、声をあげて泣くことしかできなかった。
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彼らは底抜けに明るかった。
少なくとも明るくあろうとしてくれた。
まあ彼らに救われたことに関して詳しく書こうとすると長くなるので割愛するが、ジャニーズWESTと出会ったことで私のジャニーズの世界は大きく広がっていた。
NEWSはびっくりするぐらいジャニーズ内での縦のつながりがない。
気がする。
あったらごめん。
小山さんと手越からちらほら後輩の名前が挙がっていたくらいで、残りの二人に関しては正直ほとんど思い出せない。
加藤さんは正門君と如恵留くんがまあ居るか?と思ったが、名前が出始めたのはコロナ後かもしれない。
少なくともグループ全体でかかわりの深い後輩グループみたいなのはなかったと思う。
NEWSしか見ていなかった時代、全員顔と名前が一致していたのは正直NEWSと嵐とTOKIOだけだった。
ジャニーズWESTはそこが大きく違った。
関西での縦の結びつきは、とんでもなく強かった。
WESTと仲のいいだれだれが出ているなら、時間もあるし見てみよう、という感覚で、芋づる式に「顔と名前とざっくり性格くらいまでなら把握している」程度のジャニーズが増えていった。
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とまあそんな時期、手越が飲んでた。
外で、女の子呼びつけて。
「ねーわ」って思った。
でもまあ手越だし。
そういうやつだし。
そりゃ謹慎くらいするべきやろうけど。
文春では退所報道とかもあった。
正直なところ不安も大きかった。
Johnny’s world HAPPY LIVE with YOUが発表され、NEWSが3人で出演すると知ったときは動揺した。
見るのが怖かった。
それでもNEWSが好きだったから、あとこれは余談だけど、同じ日の出演者がジャニーズWEST(推し)とHey! Say! JUMP(当時好きだった女の子の推し)だったのでその日の配信チケットを買わない選択肢はどちらにしろ無かった。
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泣いた。
それはもうボロボロ泣いた。
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「クローバー」:NEWSからファンへのメッセージソング、4人それぞれが自分のパートの歌詞を書いた。手越のソロパート前半は歌わず、後半は3人で向かい合って歌った。
「weeeek」:6人時代からずっと歌っているライブの定番曲であり、代表曲。
「UR not alone」:4人の代表曲。ライブの最後やアンコールで必ずうたわれる名曲。ラスラビの手越のソロパートはこちらも歌唱ナシ
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手越のソロパート部分を歌わないという選択をした三人を見て、三人は手越の帰る場所を守ってくれているのだと思った。
ほかの2グループがアイドルらしいきらびやかな衣装で華やかな曲を歌っていて、言い方を変えれば自分たちのファン以外の子たちにも楽しんでもらえるような、それでいて自分たちのファンにも愛を届けられるような、そんなバランスの取れたセトリを組んできたのに対して、NEWSははなからNEWSのファンと、それから手越のことしか見ていなかった。
状況が複雑な中、語ることを選ばなかったのかもしれない。
当然だろう。
でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う。
私は手越の部分の空席をあえて作るその演出を「3人は手越が返ってくると考えている、これはその表明である。何も案ずることはない。もう少ししたらまた4人のNEWSになる」と受け取った。
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違った。ダメだった。彼は帰ってこなかった。
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3人での配信ライブが行われた次の日、「18時半に手越に関する重大ニュースがある。おそらく退所報道である」という情報がリークされた。
昨日の配信ライブで得た確信なんてものはいつの間にか崩れ去っていた。
どうしてもその事実を受け入れたくなくて、夕方17時に布団に入った。
ただの現実逃避だ。
知るタイミングを遅らせたからと言って事実が変わるわけではないのに。
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朝起きて、ニュースを見た。
不思議とこの日の朝からの記憶はあいまいで、もしかしたら無意識で封じ込めてしまっているのかもしれない。
泣いた気がする。
気がするだけだ。
3人の側があれだけお前の居場所を作って待っていてくれたのに、なんて不義理なんだ。
あれだけ一生懸命準備してきたものを放りだして「今」退所しなきゃいけない理由があるのか。
事務所じゃできないことって何なんだ。
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でも結局彼がわからない。
今書いている恨みつらみが、どの時点で私の中に生まれた感情なのかも正直わからない。
「やめたくなかった」「まだ続けたかった」という発言も散見されていた時、「じゃあやめなきゃよかったじゃん」「今ならまだ間に合うから、戻らせてくださいって頭下げて戻ってきてよ」と思っていた。
それと同時に、私たちを、四部作を、3人を、すべてを放りだして知らない人たちと知らないところへ行ってしまったことに激しく怒っていた。
暴露にもならないような浅い内容の暴露本を出したことにはぶちぎれていた。
それでも、彼が好きな気持ちもまだあった。
心のどこかで彼を信じていた。
彼を嫌いになることで、彼がいた時代の楽しかった思い出たちまで嫌いになるのは嫌だった。
気持ちの整理がつかなくても手越は勝手にズンドコ進んでいっちゃうし、NEWSの3人も少しずつ動き始めていた。
少しずつ「3人のNEWS」が当たり前になっていって、人数が少なくなっていった自虐もたまに挟まるようになっていって。
あといつの間にかNEWSがKinKi Kidsに次いで上から二番目になっていたことにびっくりした。
ずっと中堅くらいの意識だった。
そういえばもう嵐もTOKIOもV6もSMAPもタキツバもいねえや。
あとたまに忘れちゃうけど、エイトのほうが一年デビュー遅いですよ、これは増田さんへ。
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脱退後のインタビューで、「多くの人は、アイドルや事務所という“魔法”にかかっている」と手越が話していた。
違う。
多分違うと思う。
“ただの手越祐也”ではなく、“ジャニーズ事務所のNEWSのアイドル手越祐也”だったから、私たちはあなたの素行を、すべてひっくるめて、「アイドルの個性」と思って愛することができた。
むろん愛すべきところがたくさんある人だ。
花が開いたようにパッと明るく咲く笑顔が大好きだった。
周りを巻き込んで笑わせてしまうような、自分の信じているものに対する絶対の自信からくるあの笑顔が大好きだった。
人の心に直接刺さるような、それでいて華やかで、のびやかで、何にも縛られないような歌声も好きだった。
いつだかジャニーズみんなでTOKIOの『宙船』を歌ったとき、一人きりで上ハモを担当していた。
あの時の誇り高さは、あれだけの大人数でも埋もれない美しい歌声は、きっと一生忘れない。
運動能力の高さと、周りの空気を作り上げてどんな難題だってこなしてしまうところは、天性のアイドルだと思っていた。
彼以上に「アイドル」という言葉が似合う人間はいないんじゃないかとすら思っていた。
どこにも行かないとは思っていなかった。
それでも、あなたの安住の地が、優しいあなたの探してた場所が、僕らの愛したここであればいいと思っていた。
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今でも正解がわからない。
「NEWSにいたころの手越が大好きだ」「2020年以降のことに関しては絶対に許せない、許さない」という、相容れない感情がいつまでもぐるぐる渦巻いている。
カラオケでSUMMER TIMEのMVなんか見ちゃうとやばい。
あのMV全員ビジュ良いけどその中でも手越さん可愛すぎないか?
気づいた人がいるかどうかはわからないけれど、私いままでこの文章の中で二回だけ「手越さん」呼びをした。
この段落での一回と、3人での配信ライブの内容に言及したときの「でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う」という文章の中。
この三年間、私は手越を恨み続けてきた。
コロナ前までは「手越さん」と呼ぶことも少なくなかったが、退所後はかたくなに「手越」と呼び続けてきた。
ちなみに残りのメンバーはずっと「小山さん」「増田さん」「加藤さん」「山P」「錦戸君」呼びだし、ほかのグループの人のことも呼び捨てをすることはめったにない。
これはささやかな反抗だった。
私は、「私はあなたを許さない」という気持ちを込めて「手越」と呼んできた。それでも、彼のことを愛おしいと思うときには思わず「手越さん」と呼んでしまうのだ。
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結局私は彼に対するこの矛盾した気持ちを抱えたまま生きていくしかないのだ。
退所前後の一連の行動は許していない。
きっと一生許せないけれど、彼が健康で、幸せでいてくれるといいなと思う。
今の彼のことを応援しているファンのことを盲目だとも思わない。
彼にはそれだけの魅力もある、訴求力がある。
あの奔放さを、考えなしな一面を、どうしようもない自我の強さを、許すことができるのであれば私だって今の彼の活動を応援したい。
もう一度あの伸びあがる歌声を聞きに行きたいし、はちゃめちゃさで成り立ってしまう天才的なバラエティ感覚を享受したい。
でもだめだ。
許せないのだ。
何一つ。
愛していたからこそ。
信じていたからこそ許せないのだ。
それでも愛しているのだ。
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結局この話に結論なんてない。
せっかくなのではてなに挙げてみるが、誰かに届くかどうかなんて考えてない。
ただ、こういう折り合いのつけ方をした人間もいる。
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小さい頃からよくかわいいと言われていた。そんなの中学生くらいまではみんな親や親せきから言われるとは思うけど、俺は高校生、大学4年になった今でも時折言われる。しかも、親や親せきからではなく同級生や先輩、後輩の女子から。
それがどうしようもなく嫌になるときがある。今日は久しぶりにそんな気分になったので、これ以上年齢を重ねる前にこんな場所でもいいから今の思いを書き残してみたくなった。
一番最初は割と否定的に受け止めていたと思う。男の子らしく「かっこいい」と思われたいとか考えていたような。それに、言われるたびいつも少し小ばかにされているような気もした。
かわいいと言われる、思われることに徐々に慣れてくると段々好意的に思うようになった。陰キャがよく言われるようなキモイだとかブサイクだとかの言葉を投げつけられるよりかはよっぽどマシだし、なにより当時、いや、今でも、表面上好意的に見られるだけで中身がただの陰キャな自分にとって、たとえその言葉が相手を対等に見ていないものだったとしても異性から好意的に見られるだけで嬉しかった。
かわいいと言われることでファッションや趣味嗜好も女性寄りに変化したような気もする。でもこれは元々自分にあった性質なだけな気もするので一概には言えないかも。
話は逸れたが、かわいいと言われる、思われるからといって必ずしも恋愛対象とはならないことをここ数年の経験でわかった。女が男に対して使う「かわいい」は「かっこいい」や「憧れる」などと違って相手のことを無意識的に少し下に見て、小動物を愛でるような感覚で言っているのではないだろうか。いわゆる母性愛的な。今自分の一押しの漫画『正反対な君と僕』では、ヒロインが「かわいい」を「愛おしい」と表現していたが、同じような意味に感じる。
「かわいい」と言われたとき、あるいは思われてると感じたとき、好意的に思われて嬉しいと思うと同時に、対等に見られていないんだなと感じる。この言葉を女性は割と躊躇なく使う。相手がどう思うかなんて気にもせずに。それに対して、最近流石にうんざりしてきた。こちらがどう受け取るかを無視して「かわいい」と安易に言う行為は一種の暴力性を帯びてはいないだろうか。
ジャニーズファンの友人がいる。彼女は子供のころからジャニーズが好きで、それこそ知り合いであるこの数十年、ずっとジャニーズ所属のタレント・グループをおっかけている。
本命の最推しグループはあれど、他にもいくつもファンクラブに入っていて、数グループかけもちしてる。
その姿をずっと見てて、好きなものを好きと言えるのはいいことだよねーと思っていたし、一緒にライブ連れてってもらったこともあるし、話聞いてるからメンバーやグループのこと私もそれなりに知ってるから応援する気持ちはあるんだけど、最近どうしても気になることがある。ジャニーズ性加害問題に関心が低いんだよ。いや、低いと言うより認めていないというか…。
私は昔からジャニー氏の性加害問題や経営陣の噂が気になっていて、いまいちジャニーズを推す気になれなかった。某氏の激太りや某氏の鬱っぽいうつろな瞳、某氏の休養、某氏の脱退、なんか心を病む子が多くない?と思ってたし、そういったことを見てきて、おかしさや違和感みたいなのはずっとあった。
所属タレントを色眼鏡で見てるとかそういう訳じゃなくて、単純に心配だし怖い。自分も痴漢や付き纏いの被害にあったことがあり、それだけでも暫くは人が怖くなるくらいの気持ちだった。性被害というものは心に傷をつける。それが小学生や中学生(勿論もっと大きくても)の子の身の上に身体接触をもって起きたと思ったら、泣きそうにつらい。先日8歳からジャニー氏の加害に晒されたというインタビューを読んだ。つらい話だったし、その手段のおぞましさたるや…という内容だった。私の兄にも子どもがいる。甥が夢見て芸能界に入って、知識も経験も乏しい中性加害されたら、耐えられない。
男性が性被害にあうことは非常に表明しづらいことなんだと思う。被害者の多くはもう大人になって社会的な地位や知名度もある。家族がいる人もいるだろう。だから対世間に向けて全部を公にしろ、とは全く思わない。セカンドレイプにもなり得るし不幸の再生産だ。でも当事者側は全く違う。事務所側が調査をして事実関係を把握して、被害者には謝罪や補償をしたり、事実関係に基づいて責任の取り方を考えることは必要だと思う。
1番許せないのは加害者本人。次いで見て見ぬふりや助長をした関係者だと思う。関係者はまだ生きてるんだから、本人が亡くなったのでもーわかりません!は許されないと思う。
それでいくと、友人はジャニーズへの依存が強すぎて、擁護というか、事務所側の気配がある。
先日会った時もジャニーズはエンタメにおいて重要な存在、ジャニーズが好き、と話していて、その屈託のなさに怖くなって、長い間聞いてた話が急速におぞましく思えてきた。この騒ぎになっていても何もなかったみたいな態度なんだ…って。別にファンにも加害責任が!どうするつもりだ!とまでは言わないけど、不信感がつのる。軽く、「ニュースになって騒ぎになってるよね」と世間話的に出してみたら、ジャニー氏や事務所の功績を引き合いに出してきたので、あ、もうダメかもと思った。
かつて、ジャニー氏が死んだ時に、あんまりに世の中が氏を持ち上げるのでなんかなぁと思って彼女に性被害問題はどうなるんだろうって話したことがあるんだけど、その時も「そうだよねぇ〜」って流されて、しばらくしたら某グループが氏との思い出を歌にした話をされた。その的外れで危機感のない会話の流れに感じたゾワゾワ感が蘇ってきた。
なんで私がもっと直接彼女にこの話をしないかって、ガチトーンでジャニーズ性加害問題を持ちかけても、以前のように流されるか、気を損ねるイメージしか持てないから。あまつさえTwitterで彼女がリツイしている「告発者だって後ろ暗いところがある」的なセカンドレイプみたいな話を真正面からされてしまったらどうしよう。そこまでいったら彼女も人の不幸をエンタメで搾取する「あちら側」で、もう話すのも嫌になってしまう。
ジャニーズファンの友人がいる。彼女は子供のころからジャニーズが好きで、それこそ知り合いであるこの数十年、ずっとジャニーズ所属のタレント・グループをおっかけている。
本命の最推しグループはあれど、他にもいくつもファンクラブに入っていて、数グループかけもちしてる。
その姿をずっと見てて、好きなものを好きと言えるのはいいことだよねーと思っていたし、一緒にライブ連れてってもらったこともあるし、話聞いてるからメンバーやグループのこと私もそれなりに知ってるから応援する気持ちはあるんだけど、最近どうしても気になることがある。ジャニーズ性加害問題に関心が低いんだよ。いや、低いと言うより認めていないというか…。
私は昔からジャニー氏の性加害問題や経営陣の噂が気になっていて、いまいちジャニーズを推す気になれなかった。某氏の激太りや某氏の鬱っぽいうつろな瞳、某氏の休養、某氏の脱退、なんか心を病む子が多くない?と思ってたし、そういったことを見てきて、おかしさや違和感みたいなのはずっとあった。
所属タレントを色眼鏡で見てるとかそういう訳じゃなくて、単純に心配だし怖い。自分も痴漢や付き纏いの被害にあったことがあり、それだけでも暫くは人が怖くなるくらいの気持ちだった。性被害というものは心に傷をつける。それが小学生や中学生(勿論もっと大きくても)の子の身の上に身体接触をもって起きたと思ったら、泣きそうにつらい。先日8歳からジャニー氏の加害に晒されたというインタビューを読んだ。つらい話だったし、その手段のおぞましさたるや…という内容だった。私の兄にも子どもがいる。甥が夢見て芸能界に入って、知識も経験も乏しい中性加害されたら、耐えられない。
男性が性被害にあうことは非常に表明しづらいことなんだと思う。被害者の多くはもう大人になって社会的な地位や知名度もある。家族がいる人もいるだろう。だから対世間に向けて全部を公にしろ、とは全く思わない。セカンドレイプにもなり得るし不幸の再生産だ。でも当事者側は全く違う。事務所側が調査をして事実関係を把握して、被害者には謝罪や補償をしたり、事実関係に基づいて責任の取り方を考えることは必要だと思う。
1番許せないのは加害者本人。次いで見て見ぬふりや助長をした関係者だと思う。関係者はまだ生きてるんだから、本人が亡くなったのでもーわかりません!は許されないと思う。
それでいくと、友人はジャニーズへの依存が強すぎて、擁護というか、事務所側の気配がある。
先日会った時もジャニーズはエンタメにおいて重要な存在、ジャニーズが好き、と話していて、その屈託のなさに怖くなって、長い間聞いてた話が急速におぞましく思えてきた。この騒ぎになっていても何もなかったみたいな態度なんだ…って。別にファンにも加害責任が!どうするつもりだ!とまでは言わないけど、不信感がつのる。軽く、「ニュースになって騒ぎになってるよね」と世間話的に出してみたら、ジャニー氏や事務所の功績を引き合いに出してきたので、あ、もうダメかもと思った。
かつて、ジャニー氏が死んだ時に、あんまりに世の中が氏を持ち上げるのでなんかなぁと思って彼女に性被害問題はどうなるんだろうって話したことがあるんだけど、その時も「そうだよねぇ〜」って流されて、しばらくしたら某グループが氏との思い出を歌にした話をされた。その的外れで危機感のない会話の流れに感じたゾワゾワ感が蘇ってきた。
なんで私がもっと直接彼女にこの話をしないかって、ガチトーンでジャニーズ性加害問題を持ちかけても、以前のように流されるか、気を損ねるイメージしか持てないから。あまつさえTwitterで彼女がリツイしている「告発者だって後ろ暗いところがある」的なセカンドレイプみたいな話を真正面からされてしまったらどうしよう。そこまでいったら彼女も人の不幸をエンタメで搾取する「あちら側」で、もう話すのも嫌になってしまう。
(追記あり)Togetterの広告は女子中学生を手ごめにしようとする会社員のマンガを載せたりするのが嫌で、はてブがドメイン非表示の機能を追加したときには真っ先にTogetterを入れた。
その機能追加の記事へのブコメは「Togetterを入れた」の連続で、とぅぎゃったんは「広告は調整するから入れないで」みたいなブコメを書いていて担当者は大変だなと思ったものだ。
しかし今のTogetterはどうだろうか。BLの広告を堂々と載せている。多様性に配慮したのか? いやそういう「調整」を望んでいたわけではない。エロ広告は単価が高いのかもしれないが不快だからやめてくれ。
「そういうのを見てるからエロ広告が出るんだろう」…そう思う? Togetterでエロ以外の広告しか出たことがない人なんているの?
はてブトップを見たらホッテントリに入っていて驚いた。今日は5ch騒動で増田を見てる場合じゃなかったんよ…
いくつかのブコメに返信したいと思う。
それは考慮していなかった。なんか申し訳ない。無理に出てこなくていいですよ。
これofこれ。Togetterよりひどいモロな広告を出してくるところはなるべく早く閉じたい。有益な情報が書かれていても子供に見せたりできない。
セリフを引用しようとすると不快になるのでたしか「くみちゃん」とかなんとか。
その物言い、広告だけでなくそのまま「そういうコンテンツやめてくれ」になるやつやん。「姿慎めよ」論。それ、単に自分の好き嫌いの話してんの?それとも「正しさ」を語ってるの?
「不快なのでやめてくれ」で伝わらなかったようですが好き嫌いの話のつもりであり、TPOをわきまえてほしいと考えています。
はてブ→Togetterという導線は自分はなくなったのでよくわかりません。今はTwitterから行くことが多いです。
とぅぎゃったんははてブ常駐してて無難なまとめには即ブコメするくせに、個人への中傷レベルのまとめとかこういう批判がランキングに上がってきても顔も出さないし対策とかも一切しないから滅茶苦茶イメージ悪い。
いやそこまでとは思ってません本当に。中の人は単なる一従業員でたまたまとぅぎゃったんを担当しているだけでしょうし。とぅぎゃったんを名指しで批判したつもりはなかったのでなんか本当にすみません。
ブコメ、トゥギャったんがブコメするのってTogetterだけでしょ?他にブコメしてないのをどうこう言うのは違う話だと思う
はてなブックマーク公式ブログが「ドメイン単位で非表示にできるようになりました」と告知する記事で「広告は調整するから非表示にしないで」とコメントしていたんですよ。
今のところアプリでのみ設定できるそうです→「はてなブックマークアプリでミュート機能(β)の提供を開始しました - はてなブックマーク開発ブログ」 https://bookmark.hatenastaff.com/entry/mute
そうだそうだ。Togetterがエロマンガのサイトならエロマンガの広告が出てくるのはマッチングしているけれど実際はそうじゃないでしょ。
であればBL広告は出さないでもらいたい!!!こちらストレートの成人男性でBLには興味ありませんというか不快です。
えっそんなマンガがあるんですか? けしからん! 自分が見たのは中学生を相手にするマンガの広告でした。
yositosi 広告からの収入も厳しい中で、広告の量も貼り方も記事の途中に入れないなど他に比べれば配慮している方だし、悪質な広告事業者特定してブロックとかいろいろやってるんだけどなー
どこに吐き出せばいいのかもわからない自分の気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分の人生を増田に投下したい。
要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。
就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。
ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかったから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。
中学に入学したあたりでクラスもバラバラになり、小学生の頃のグループは自然消滅してしまった。
誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。
部活にも入らなかった。正確には入れなかった。
聞こえてくる話を聞く限り、中学に入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。
特にスポーツの経験もなく、かといって文化的な素養もない俺にそのようなものはなかった。
「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。
未経験の部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。
友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。
最初の入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校の出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。
中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。
親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。
中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。
みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。
親にねだってPSPとモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校にPSPとカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。
国語の先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。
今にして思えば、ポケモンに詳しかったことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。
勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部のクラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから、勉強を理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。
勉強の甲斐あって、地元で1番の公立高校に合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。
合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEをインストールした。
中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。
失敗した。
出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。
3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後のメンバーであった。
私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。
同じ塾での繋がりから、合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。
結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債に高校生になっても苦しめられるのかと思った。
部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。
2ヶ月で辞めた。
私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。
先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベルと自分の立ち位置があまりに乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。
自分だけが初心者だという引け目から、同級生ともろくに話せずに終わってしまった。
ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。
同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分を正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。
幸いだったのは学校に自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室で勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。
中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。
何も言わないでいてくれた親の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
高校でTwitterが流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生をフォローした。
フォローバックも多少はしてもらえたと思う。
しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。
一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。
LINEを交換しているもの同士でスコアがランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。
その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。
3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為が自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なものを選択して口からアウトプットするという一連の行為が自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。
その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。
ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。
当たり前だが、次の機会は来なかった。
高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記が限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。
今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。
講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校も予備校も基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。
サークルの新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。
先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。
新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。
自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。
テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。
授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。
しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。
ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学のゼミを志望したが、人気ゼミの面接に通るはずもなく落ちた。
結局、不人気な統計学のゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。
自分の存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。
そして就活の時期を迎えた。
講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものにエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。
志望動機や経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。
奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。
その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後に儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。
同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーダシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手の企業で内定を得て働いるのだろうなと思う。
昼休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦で大学に入ったらしい。
学業にしか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。
後日講義室で聞こえてきた「1dayインターンは意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。
そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。
就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。
他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。
あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。
無職で世に放たれるよりは学生の身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮で留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。
結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。
勉強だけは出来たのだから、学業で勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。
予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかったことを覚えている。
筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。
周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活の面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。
いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。
無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。
あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。
どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。
どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。
1年引きこもってもその答えは出せずにいる。
何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。
ここまで育ててくれて、何も言わずに無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。
こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれた人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。
せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
ご想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。
その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。
オタクの中では推しを推す自分が好き、自分に酔っているなどということは見下される要素となります。しかし推しが好きな自分が好きで何がいけないのでしょうか。少し前に流行った「可愛くてごめん」は賛否分かれましたが、私は非常に共感しました。
推しは基本的に私の愛に対して応えてはくれません。三次元の推しであっても、報われることはありません。ましてや2次元の推しなど、どれだけ愛してもそれが帰ってくることはないのです。だから、私は推し自体が好きな訳ではなくて、人気な推しを推している自分を推すようにしています。
推しは誰でもいい訳ではありません。ある程度知名度のあるジャンルでなくてはなりません。マイナージャンルのキャラなど推してもなんの得にもならないからです。しかし、最上位を争うようなキャラを推すのは推し負ける可能性があるので、上の中から中の上くらいのリアコキャラを推すようにしています。同担は勿論居ますが、1位2位とかのキャラよりは少ないからです。同担は全員ブロックします。
推しのグッズは全て集めて祭壇を作ります。中学生とかの子は本当にキャラに恋するのかもしれませんが、私はそんなことは絶対にしません。あくまでも推しは私を引き立てるためのアクセサリーに過ぎないからです。推しを推している幸せな自分をSNSで発信すれば承認欲求が満たせます。推しの為に仕事や勉強やお洒落を頑張る自分は尊いし偉いです。
逆に推しのキャラが変わったり、中の人が不祥事を起こしたりすれば直ぐに担降りします。そんなキャラを推しているのだと思われたくないからです。
コスプレもします。絵も描きます。キャラが好きでたまらなくてやる人はいません。皆承認欲求のためにやっているのです。キャラ愛など馬鹿らしい。
こんなことを言うとキャラクターに命かけているオタクの人達に叩かれそうですが、少なくともSNSに居るオタクは皆承認欲求のために推していると思います。メジャージャンル、キャラ推しは流行に乗れる自分が好きなだけで、マイナージャンル、キャラ推しは人とは違う自分に酔っているだけです。
絵師も字書きもレイヤーも、一次創作できる技量がないから乗っかっているだけです。そこに私となんの違いがあるのでしょうか。本当にキャラ愛だけでやっているのならオフラインで誰とも交流せずに黙々と日記でも書いていればいいのです。それができない時点で誰かに認めて欲しいと思う深層心理が働いているのではないでしょうか。所詮私たちオタクはありのままの自分を愛せないから推しを利用するしかできないカスなのです。
この度、私のオフィススマイルカンパニーと業務提携をしていた松尾潔氏が契約終了となり、そのことについて私の名を挙げたことで、ネットや週刊誌等で色々と書かれております。私は、Twitter・facebook・instagramといったものを一切やっておりませんので、ネットで発信することができません。そのため、私の唯一の発信基地であるこの「サンデーソングブック」にて、私の話をみなさんにお聞きをいただこうと思います。
少々長くなりますがお付き合いください。
まずもって、私の事務所と松尾氏とはですね、彼から顧問料をいただく形での業務提携でありましたので、雇用関係にあったわけではない。
また、彼が所属アーティストだったわけでもなく、従って、「解雇」にはあたりません。弁護士同士の合意文書も存在しておきます。
松尾氏との契約終了についてはですね、事務所の社長の判断に委ねる形で行われました。松尾氏と私は、直接何も話をしておりませんし、私が、社長に対して契約を終了するよう促したわけでもありません。そもそも、彼とはもう長い間会っておりません。年にメールが数通という関係です。
今回、松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題に対して、憶測に基づく一方的な批判をしたことが、契約終了の一因であったってことは認めますけれど、理由は決してそれだけではありません。他にも色々あるんですけれど、今日この場では、そのことについては触れることを差し控えたいと思います。
ネットや週刊誌の最大の関心事はですね、私が、ジャニーズ事務所への「忖度」があって、今回の一件も、それに基づいて関与してるのでは?と言う根拠のない憶測です。
今の世の中は、なまじ黙っていると言った者勝ちで、どんどんどんどんウソの情報が拡散しますので、こちらからも思うところを、正直に率直にお話ししておく必要性を感じた次第であります。
今、話題となっている性加害問題については、今回の一連の報道が始まるまでは、漠然とした噂でしかなくて、私自身は1999年の裁判のことすら聞かされておりませんでした。当時、私のビジネスパートナーはジャニーズの業務も兼務していましたけれど、マネージャーでもある彼が、いちタレントである私にそのような内情を伝えることはありませんでした。性加害が、本当にあったとすれば、それはもちろん許しがたいことであり、被害者の方々の苦しみを思えば、第三者委員会等での事実関係の調査っていうのは必須であると考えます。
しかし、私自身がそれについて知ってることは何もない以上、コメントの出しようがありません。自分はあくまでいち作曲家、楽曲の提供者であります。ジャニーズ事務所は他にもダンス・演劇・映画・テレビなど、業務人材も多岐にわたっておりまして、音楽業界の片隅にいる私にジャニーズ事務所の内部事情など、全くあずかり知らぬことですし、性加害の事実について私が知るすべも全くありません。
私は中学生だった1960年代に初代ジャニーズの楽曲と出会って、ジャニー喜多川さんという存在を知りました。何年か後に、初代ジャニーズの海外レコーディング作品を聞いて、私はとても感動してこの「サンデーソングブック」でも特集したことがあります。
1970年代の末に、私の音楽を偶然に聞いたジャニーさんに褒めていただいて、そのご縁で、数年後に私のビジネスパートナーが、近藤真彦さんのディレクターとなったことから、「ハイティーンブギ」という作品が生まれました。その後も、ジャニーズに楽曲を提供する中で多くの優れた才能と出会い私自身も作品の幅を大きく広げることができ、成長させていただきました。
たくさんのジャニーズのライブに接することができたおかげでkinki_kidsとの出会いがあって、そっから「硝子の少年」という作品を書くことができて昨年の「アメージングラブ」まで、彼らとの絆はずっと続いております。
芸能というのは人間が作るものである以上人間同士のコミュニケーションが必須です。どんな業界会社組織でおそらく変わらないでしょう。人間同士の密な関係が構築できなければ良い作品など生まれません。そうした、数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません。
ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが戦後の日本でどれだけの人の心を暖め幸せにし夢を与えてきたか。私にとっては素晴らしいタレントさん達やミュージシャンたちとのご縁を頂いて、時代を超えて長く歌い続けてもらえる作品を創れたこと。そのような機会を与えていただいたことに心から恩義を感じています。私の一個人、一ミュージシャンとしてジャニーさんへのご恩を忘れないことや、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと社会的倫理的な意味での性加害を容認することとは、全くの別問題だと考えております。作品に罪はありませんしタレントさん達も同様です。
繰り返しますが私は性加害を擁護しているのではありません。アイドル達の芸事に対するひたむきな努力を、間近で見てきた者として、彼らに敬意をもって接したいというだけなのです。ですから、正直残念なのは、例えば素晴らしいグループだったSMAPの皆さんが解散することになったり、最近ではキンプリが分裂してしまったり、あんなに才能を感じるユニットがどうして?と疑問に思います。私には何も分かりませんけど、とっても残念です。
願わくば、皆が仲良く連帯して素晴らしい活動を続けていって欲しいと思うのは私だけではないはずです。キンキ、嵐、他のグループみんな末長く活動していって欲しいと思うばかりです。先日、あの男闘呼組の再結成って嬉しいニュースがありましたが、同じようにいつか近い将来SMAPや嵐キンプリの再集合も実現するような日が来ることを竹内まりや共々に願っております。
性加害に対する様々な告発や行動というのが飛び交う今でも、そして、彼らの音楽活動に対する私のこうした気持ちに変わりはありません。
私の48年のミュージシャン生活の中で、沢山の方々からいただいたご恩に報いることができるように、私はあくまでミュージシャンという立場から、タレントさん達を応援していこうと思っとります。彼らの才能を引き出し、良い楽曲を共に創ることこそが、私を本分だと思ってやってまいりました。
このような私の姿勢をですね、「忖度」あるいは「長いものに巻かれている」とそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。
以上が今回のことに対する私からのご報告です。