小さい頃からよくかわいいと言われていた。そんなの中学生くらいまではみんな親や親せきから言われるとは思うけど、俺は高校生、大学4年になった今でも時折言われる。しかも、親や親せきからではなく同級生や先輩、後輩の女子から。
それがどうしようもなく嫌になるときがある。今日は久しぶりにそんな気分になったので、これ以上年齢を重ねる前にこんな場所でもいいから今の思いを書き残してみたくなった。
一番最初は割と否定的に受け止めていたと思う。男の子らしく「かっこいい」と思われたいとか考えていたような。それに、言われるたびいつも少し小ばかにされているような気もした。
かわいいと言われる、思われることに徐々に慣れてくると段々好意的に思うようになった。陰キャがよく言われるようなキモイだとかブサイクだとかの言葉を投げつけられるよりかはよっぽどマシだし、なにより当時、いや、今でも、表面上好意的に見られるだけで中身がただの陰キャな自分にとって、たとえその言葉が相手を対等に見ていないものだったとしても異性から好意的に見られるだけで嬉しかった。
かわいいと言われることでファッションや趣味嗜好も女性寄りに変化したような気もする。でもこれは元々自分にあった性質なだけな気もするので一概には言えないかも。
話は逸れたが、かわいいと言われる、思われるからといって必ずしも恋愛対象とはならないことをここ数年の経験でわかった。女が男に対して使う「かわいい」は「かっこいい」や「憧れる」などと違って相手のことを無意識的に少し下に見て、小動物を愛でるような感覚で言っているのではないだろうか。いわゆる母性愛的な。今自分の一押しの漫画『正反対な君と僕』では、ヒロインが「かわいい」を「愛おしい」と表現していたが、同じような意味に感じる。
「かわいい」と言われたとき、あるいは思われてると感じたとき、好意的に思われて嬉しいと思うと同時に、対等に見られていないんだなと感じる。この言葉を女性は割と躊躇なく使う。相手がどう思うかなんて気にもせずに。それに対して、最近流石にうんざりしてきた。こちらがどう受け取るかを無視して「かわいい」と安易に言う行為は一種の暴力性を帯びてはいないだろうか。
ちなみに初増田です。よろしくね。
ここではそんなことを気にする必要はない。 どうせ誰にも確認できないのだし。 だが、増田に投稿回数だけ表示するというのは、案外面白いアイデアかもしれない。 匿名だけど、投...
かわいいにも二種類あって、 将来きっとカッコイイ男の中の男になる気配があるのに、まだ子供っぽいからかわいい と、 およそ男らしさを感じさせない、まるでかわいい女の子みた...