はてなキーワード: 一部の人とは
私は同性愛者の、身体の性別も心の性別も女です。私の恋愛対象は女性で、現在同じく女性の彼女(いわゆるパートナー)がいます。
カミングアウトはしたりしなかったりです。
(プレッシャーに感じる人もいるだろうから実際は本当に数人にしか言ってない気がします。あといざという時に連絡とか命に関わるかもしれん極一部の会社関係者くらい)
あくまで一個人の、同性愛者という側面をもった一人の一般人の愚痴として残しておくために書きます。
かなり私情もあるし、全員が全員そうだという風には捉えないでほしいという前提で読んでもらいたいです。
元からそういう要素があるから興味をもっていたわけでもなく、当時お互いに別のロボットアニメにハマっていたのでその延長で見ていました。
「同性婚ありでフラグ乱立ってすごいね」とか「最後めちゃくちゃご都合主義だったな!」とか、思うところはあれど、一緒にプラモなんか作りながらかなり楽しんで見ていたと思います。
グッズ収集やアニメ外の情報を積極的に得るほどのファンの人に比べたらいわゆるニワカだったと思いますが、最後は「スレッタとミオリネが結婚して終わったのか」という認識で見ていました。
私が公式の謝罪文とともにTwitterで見たときはすでに大炎上していました。
炎上しているものだからてっきり「実はどちらかが人外で女ではなかった(性別がなかった)」とかそれくらいのことが起こったのかと思ってました。
いやいや、だとしても2人が幸せならそれでいいじゃん?でもまぁ、そらはっきり「女性同士」を明確にしてたもんなぁ、モヤるよなぁ……と。
しかしいざ読み解いてみると「初稿の紙雑誌で結婚と明記したけど間違いです。二人の関係は想像にお任せします(要約)」
え?それだけ????
確かに「今更訂正の必要ある?誰が見ても結婚だと見紛うような表現だったよね????」とは思った。
いや別に左手薬指に指輪つけるのが唯一の結婚の証とか言わないし、結婚の形なんか千差万別だからどうでもいいんだけどさぁ。
あそこまでお膳立てして最後指輪つけてって、たぶん誰もが想像する結婚のイメージだったと思う。
それを今更なんで言葉で訂正しなきゃいけないの????と思った。
だから炎上もそういう困惑と、結婚に特別な感情がある人たちの悲しみだと思ってたし、実際そういう人もいっぱいいたと思う。
あとオタク的な感情?として「公式から明言される結婚てワードに意味があったのに!」とか「他の恋人候補の可能性が芽生えたこと自体が嫌!」とか。
もちろん、そう感じている人を否定しないが。
そもそもインタビュー記事の訂正は公式発表を読み解く限りは「(本編でめちゃくちゃ濃厚かつほぼ確な匂わせはしたけど)言葉や設定として明確に結婚とは用いずに視聴者の想像に任せたかった。でも何かミスって結婚ていうやつが出ちゃったから訂正します」だと私は受け取ったんだけども。
「いやあんだけめっちゃ丁寧に描いてて今更想像にお任せしますは無理あるって」ってのは一旦置いといてさ。
むしろそこまで丁寧に描いたからこそ、公式ですら確定演出だと思ってチェックすり抜けたんだと思うけどさ。
それだけのことでしょ?????
それだけというと、結婚をめちゃくちゃ特別に思っている人に申し訳ないけど。
でも別にスレッタとミオリネの結婚の可能性は否定されてないよね????
むしろあんだけ描写してて、外部インタビューの訂正で結婚の二文字が消えただけでそう思うの??????
フィクションにおける同性愛とリアルの同性愛は違うし、むしろそこは混同してほしくないけどさ。
二人の結婚は否定されてると思えないし、解釈の可能性が広がっただけで別に同性愛者の私は当然否定されていないです。
それどこ情報なんだよ。
「同性婚と確定させずに、後から可能性を広げた事自体がダメ」はわかるよ、なんとなく。
日和ってそうやってぼかすことってあるよね。商業的に仕方ないとか、某国や宗教への配慮とかでさ。
でも今回は確定でそれに該当すんの?
これ本当に「間違った情報を訂正しただけ」だったらとんだ思い込みの的外れじゃないの?
疑いで止まってる人はまだいいよ。そうに違いないって言い切ってる人が普通に怖いよ。
これが一番わけわからん。
中には「一話で同性婚を匂わせておいて」とか言ってる人もいたけど、お前本編ちゃんと全部見た????
最終的に同性婚エンドだったかもしれないけど、途中はむしろ逆ハーレムくらい色んなとこでフラグ立ってたよね?
別に最初っから百合アニメとか言ってなくね?コミック百合姫で連載してたか?????
何度も言うけど、本当にただチェックミスで本来明言を避けていたものが世に出てしまったから訂正しただけならとんだお門違いの言いがかりじゃん。
あとそもそも水星の魔女って別に教育アニメでもなんでもないよね????
なんでそこまで求めるの????
頼んでねえよ。
同性婚じゃなくてどっちかがグエルあたりと結婚してても喚いてそうな人が確実に混じってる。
同性愛がテーマの一つとしてあったとしても、それに配慮したり、ましてや啓蒙するアニメだったかな。
個人的にはむしろ「性別も立場も関係ないよね」がテーマの総合的な群像劇だと思ってたし。
この界隈っていう言い方もくくりもおかしいのかもしれないけど。
理解を求めるって他者に過度の配慮を求めるのと違うと思っているんだけどな。
マイノリティっていうくらいだから珍しいなら驚いていいし、何なら私は明確に実害がないのなら理解もいらない。
というかどんな理由があれ、理解がなくとも実害がなければ放っておくのが人生大多数じゃないのか。
なんでみんなそんな自分だけ配慮を求めて被害者になりたがるの?
そんでそんな自己中をヨイショしてる人権活動家やどっかの大学の先生は何?????
偶然マイノリティに属してるからそれを免罪符してるだけのヤバい人間がいるのやめてくれないか。
それはさすがが実害を誘発しかねない。
ラベリングは悪っていうけど、どう考えてもヤバい連中が属するグループには近寄りたくないよね????
しかもそういう人たちってなんで、当事者でも「いや私はそうは思わないです」って人間は無視するわけ?????
当事者だから差別意識がないとも、言ってることが正しいとも言わないけど。
ビアンて公表してないTwitterで同じように呟いたらどっかの大学の先生?から「こうやってクィアベイティングが広がって当事者が軽視される」って空リプきた時は笑ったわ。
軽視どころか眼中にないよ。
その空リプ飛ばしてる相手が当事者って発想すらないのに、適当にくっちゃべったら社会的地位のある肩書が貰えるのかって思ったよね。
あとこれは完全に個人のお気持ちだけど創作の同性愛に口出さないから、創作の同性愛描写を守りたい時だけ現実を言い訳にするのもやめてくれ。
普段BLでメス堕ちとか言ってる人に急に同性愛の擁護サイドに立たれても反応に困る。
そんな回りくどくしなくても、はっきり自分が嫌だと思った感情を大事にして言葉にした方がいいよ。
発言に箔を持たせるために現実のマイノリティをよくわからんソースにして出さなくたっていいと思う。これは本当にごく一部の人だけど。
どうせこの日記も匿名だしマイノリティ内のヒエラルキーで負けて意見のひとつにもカウントされないんだろうけどな。
せめて残しとくわ。
案の定、私のこの投稿がなにかの印象操作だと指摘する声があるね。
同時期に同性愛カップルの日記?が投稿されたのが原因でもあるのかな。
匿名で書いているいる以上証明は無理だけど別人だし、私はただの片親育ちの関西人アラサー女だよ。
自分が匿名でこの気持ちを書いた以上、この言葉は自分にも返ってくるのであまり言いたくないんだけど「ほらなー」って気持ち。
マイノリティ内外問わず、一定思想への忖度だと邪推されてしまうのなんでだろうな。
マジョリティに媚びてるとか、そういうことしてるから舐められるとか、男や腐女子がなりきって書いてるとか。
な?
当事者だって言ってもどうせ意見は受け取り手の意思で取捨選択されて無かったことにされてるでしょ?
まぁネットの情報鵜呑みにしてる方が怖いし、それは匿名な以上お互い様だし。
それ言い出したら私も「私を疑う人は皆、都合の良い情報を取捨選択している」ってブーメランになっちゃうし。
匿名だからそうだろうな、とは思っていたし、匿名で書いた以上そう思う人も出てくるだろうなって思って書いたし。
最近は匿名じゃなくとも、マイノリティ内で謎ヒエラルキーが出来てる気はするけどね。
みんなマイノリティ界のジャンヌ・ダルクを担ぎ上げようと必死よ。
写真界隈で販売されているライトルームのプリセットは、一部の人間によって1万円以上で販売されているのだけど、値段に対して汎用性が低く、1ショットずつ色彩や濃淡が異なる写真に合わないこともあり、使い勝手がかなりよろしくない。
プリセットは現像のベースとして使うことができるものの、写真を完成へもっていくにはレタッチ技術が重要になる。それを知らずに初心者は購入しちゃうんだけど、販売者はそれをわかったうえでやっている。
このようなプリセット販売は弱者をターゲットにしたあこぎな商売といって差し支えない。初心者の場合、ライトルームに最初から入っているプリセットを微調整して使う方が適切であり十分。
だから、ライトルームのプリセットは買ったらダメ。絶対に避けるべき。フォトショップのプラグインより高いなんて普通にありえない。
https://www.youtube.com/watch?v=QenlcLkuNJk
こうなれたらいいんだけどねぇ…。
ちょうどよくパートタイムで続けやすい仕事と、周りから強要されない人間関係があればいいんだけどね
うつの原因がわかったところで、うつを治すまでのステップでその環境を確保できるかどうかはまるっきり別。
例えば、人間関係がうつの原因だったとして、その原因が親だったり、同郷の旧友だとしたら?
正解がわかったところで、その通りにならないか、大鉈を振るう必要が出てくるから人生はムズい
https://www.youtube.com/watch?v=4WhUO2V6y2c
「もしかして、程よく(ここ重要)頭悪い部分があったほうが受かる?」って思った。
ガチで頭悪い人だったり、感情的になりすぎちゃう人はさすがに通らないよ?
ここで言いたいのは『面接は減点法のテストみたいに考えると逆に良くないかも』ってこと。
「欠点を全部ケアしようとすると、それもそれで自慢話っぽく聞こえたり、会話のフックがなくなったり、印象に残らないよ」というね
「学校のテストやスキルを磨くことにはある程度順応できるが、社会とか異性とかあまりにも感情的すぎてついていけない作品を見ると、思考力が空回りする人」
が陥りやすい罠です。
自分が採点される側だと、無個性・心を開いていない人・相手に興味のない人に映る。
逆に、採点する側の時は、整合性のないモノを覗き込んでしまうと、それまで積み上げられてきた論理性やぶっ脈をどこまで信じていいかわからなくなってシャットアウトしてしまう。
これ、一部の人にとても当てはまる
なんで自分がこういう思考になったかと言うと…矛盾の多い毒親とか、ニュースで見かける政治家や言うことが二転三転するメディアを見て
「ああはなりたくない」
でも、「エモい」の基準は人それぞれで…矛盾してるほど振り切ってる方がいい人もいる
私、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの映画を見て
って嫌いになったり、天気の子のハチャメチャっぷりがもう整合性ガン無視に見えた時に
って思っちゃったんです。
何が言いたいかというと、
「人間が他の動物と違う知恵や技能を身に着けたのは、感情を抑えることができるから」
なんだが、
「動物らしいコミュニケーションの部分を残してたり、むしろ突き抜けてたりする人もいるから、必要な時は野生を思い出して、論理性に偏りすぎないようにしましょ」
ってこと
https://www.youtube.com/watch?v=SgWMyZHoUzY
これ、普段なら別段やらないんだが…こと状況次第ではやらないといけない状況というのがある。
自分で「ドヤァ」と思ってなくても(自分のできることって上には上がいると思ってることばかりなので、「俺にしてはがんばった」ぐらいにしか思ってない)、それが自慢に聞こえて、第一印象が悪くなるケースとかって普通にあるんですよ。
「そう見えないようにする」の
人間って動物だから、「文脈・資料・説明を読め」「公平に判断しろ」と言っても、世界はそういう風にできてない。
結局は第一印象だったり、自分の思い込みや「穢れ」に位置する感情は絶対に変えたくなかったり、色々あるの。
こういう思い上がったやつが多いから首都圏に住んでると疲れるんだよ…。
アメリカン・ビューティーでの妻の描かれ方が、一部の人には強烈に気に入らんかったんかもなー
結局、一部の人間が勝手に決めた「マイノリティ」のリストの根拠を誰も言えないから何の意味もない
そのリストに含まれる人と、「弱者男性」との違いはどこにあるのかというと、結局は決めた偉い人たちのなんとなくの気分でしかない
eスポーツ選手やってるんだけど、赤ちゃん扱いしてくるファン本当に本当に気持ち悪くて辛い
元Vtuberの方が「母親面やめて」って言ってそれが拡散されたのに全然減らないよ
eスポって基本民度低いというかアンチ・暴言の度合い凄いんだけどそれは別に気にならない
死ねとかしつこい人格否定とか少しのミスで消えろ辞めろいる意味ないとか…
慣れちゃダメなんだろうけど、そういうもんだと思ってるしただの野次馬だから気にならないしPV伸ばしてくれてありがとうくらいにしか思ってない
まず呼び方の時点でやばい「増田」が俺の名前で「まっすー」がニックネームだとしたら
「ますてゃ」「ましゅくん」「まーくん」みたいな みたいなっていうかもっときもい呼び方できついよ
自分だけの特殊な呼び方(まちゅちゅみたいな)作って、「私の呼び方を使ってる人がいたからブロックしました。不快です」とか言ってる人いてもうほんとなんなの?きつい
俺が一番ブロックしたいのは君だよ
「うちの増田くんが~」とかほんと何…?
俺がいいプレイしたら「えらい」って何なの?
俺がたまにするミスに対して「また〇〇してー!もー!」とかさ、ほんとにファンなの??ってなる
ほかのチームの選手との写真アップしたら「写真とってって言えたのえらい!」とかほんと何???
ここまで書いたら「君がそういうキャラなんじゃないの?」みたいに思う人いるかもしれないけど違うんだよ
あんま詳しく書くと特定されそうだからあれだけどいわゆる女性ウケより男性ウケするタイプなんだけどこうなんだよ
本当にしんどいから「赤ちゃん扱いは有害なオナニー」って広まってほしい
これは俺しか思ってないかもしれないけど、赤ちゃん扱いよりかは「チンコしゃぶりたい」とかストレートに言われるほうがまし(それも嫌すぎるけど)
赤ちゃん扱いはなにかゆがんだものを感じて本当気持ち悪いのと恐怖で辛い
一応書いとくけど、いい女性ファンがほとんどだから女性たたきとかやめてね
あと、「運営やチームメイトが赤ちゃん扱いしてるから赤ちゃん扱いしてもいい」ってのは間違ってるよ あなたはファンなんだから
(追記)
運営やチームメイトが〜、っていうところは、露骨な赤ちゃん扱いじゃなくて
例えば選手Aが選手Bにほんとかわいいw子供みたいwって言っててもそれはAとBが長い時間ずっと一緒にいる仲間だからなだけでファンが赤ちゃん扱いしていい理由にはならないっていうだけだよ
なんて説明すればいいんだろう、例えば女性なら女性同士で◯◯ちゃんほんとかわいい〜ってキャッキャしてたところに急におじさん上司が割り込んできて「かわいいよね〜スタイルもいいし…フヒヒ」って言ってきてゾワゾワするみたいな
でも本人がぶりっ子しまくってるならまあ仕方ないしいいんじゃないみたいな…
がっつりBL的な消費されるほうがまだマシというか、赤ちゃん扱いって「自分は選手を性的にも見てないし男性として好きなわけでも付き合ってほしいわけじゃないです、だから何言っても悪く取らないでね母性だから」っていうのが透けて見えるのがきつい そういう人を拒否するようなアクションこっちが取れば「どうして!?私は無害なファンなのに!?キャーキャーうるさいファンじゃないのに!?」って反転アンチになるんだろうなあ
大袈裟だろって思われるだろうけど実体験した人にしかわからないかもしれない
あと、プレイで黙らせろって思うじゃん
「うちの子がこんなに大きくなって…!」ってなるだけなんだよな…
(追記2)
自分の考えを書き出したことで、もう1段階下の気持ちを掘り出せたんだけど
怒りというかまず悲しいんだなと思った
うまく言えないけど、本来のスポーツ観戦みたいな感じで一緒に盛り上がって一緒に嬉しさや悔しさを共有したいし応援してくれてる人が喜ぶところを見たいから頑張ってるというのがまずあるし
普通にうおー!すげー!かっこいいー!って同じファンたちと応援した思い出は青春としてその人の人生思い出に刻まれて、そんなに嬉しいことはないし俺も生涯忘れないけど
赤ちゃん扱いしてる人の心に残るものってなんなんだろうと心配になってしまう 余計なお世話なんだろうけど
これ書いたの女だろってコメントあったけど悪いけど違うよ そう思いたいならごめんね
だって思ってること全部ぶちまけて口汚く書いたら「不快」「お前が悪い」「ファンをそんな風に言うなんて人間的に終わってる」ばっかりになるじゃん絶対
(追記3)
なんで消えろより赤ちゃん扱いの方が辛いの?って
「選手がミスをした」っていう行為を受け止めて消えろって言われてるわけで試合を見て選手として見てくれてるわけじゃん(消えろとかコメントするのは当然やばいのは大前提として)
赤ちゃん扱いより性欲ぶつけられる方がまだマシっていうのは、赤ちゃん扱いっていっても結局性欲のようなものを隠してるんだからそれを隠して近づかれるよりストレートに言われる方が潔いと思ってしまう
プライドうんぬんとかではなくて、なんだろうな、全然将棋興味ないおっさんが清楚で地味目な女性見るためだけに将棋見て、その女性が試合で負けて悔しくて唇噛んでるとこをキャワイイって言ってるけど「女性として見てるんじゃない!棋士として見てるんだ!」って主張してるみたいなしんどさ
じゃあ最初から「かわいい女性棋士がダイチュキなんです!」って言ってる方がきしょいけどある意味誠実だろみたいな どっちも地獄だけど
売られてないものをむりやり買ってるみたいな
どこまでが赤ちゃん扱いなの?に関しては人によって変わるだろうけど
かわいい、えらい(は微妙だけど)と言われること自体は変だとは思わない 言われたくはないけど
例えばなんでもないこと話してる雑談とかでかわいいって思ったりコメントするのは自由だけど
試合とかゲームそのものについて話してる雑談やゲーム配信で真面目にやってる時にかわいいえらいねえはよく分からない
あまり書くとあれだけど自分が若めなのもあるとは思ってるけど30歳以上のゲーム配信者さんとかにもママ気取り大量にいたりするから年齢じゃないのかもしれない
男性多めの配信によしよし系の女性ファンくる→あ、そうしていいんだみたいに既存の女性ファンがよしよし系になり出す→男性ファンが出ていく→よしよし系しかいなくなる みたいな地獄わりとよくある
自分とこはまだそこまでは全然いってないけど、定期的によしよし系を排除しようとしてちょっと雑な言葉使いで話したらなぜか(今なら分かるけど)よしよし系が余計増えたから最近はもう諦めて素でやってる
ゲーム目当てでプレイしてる人、キャラクター目当てでプレイしてる人、ストーリー目当てでプレイしてる人、共通の話題が欲しくてプレイしてる人、ジャンルに張り付いて惰性で読んでいる人が混在している。
そしてそれぞれによって評価軸が違うが、遠目から分かるのは「そのゲームに今人気があるか」ぐらいなのだ。
たとえば「ウマ娘」はそれが顕著で、初期の頃は「ゲーム目当て」「キャラクター目当て」「ストーリー目当て」が全員楽しんで遊んでいた。
だが段々とゲーム目当てのプレイヤーは離れていき、キャラクター目当てのプレイヤーも推しキャラの実装を待てなくなった人も離れ、そしてイベストーリーの酷さに呆れた人も離れた。
最後に残ったのは惰性でダラダラとプレイしている人達だけになった。
そこから定期的なアプデで少し盛り返すこともあったが、今はもうすっかり惰性プレイヤーだけの空間となった。
時折話題作が誕生することはあるが、新規で入ってきた人間もしばらく読むうちに「なんかしょーもないな」と離れていく。
ごくごく一部が定着していくことで何とかジャンルを支える最低限の人数はいるのだが、それでも様々な部分に感じる「劣化」「代わり映えのなさ」「成長のなさ」に対して失望が募り別ジャンルへと渡っていく者もあとを絶たない。
多くの人気ソーシャルゲームが同じ状況に陥っており、惰性で続けている者たちが日夜文句を言い続けつつ、下がりまくったハードルを超えることがたまにあるとそれをやたらと褒め称えるのである。
ミステリにおける「トリック重視」はまさしくソシャゲにおける「ゲームとしてちゃんと遊べる」のようなものであり、一時的にその方向性で伸ばしたはずの作家がしばらくすると全くソレができなくなるか、同じことの繰り返しなら上手く出来るが少し変えると駄目になるので同じことを延々やるかのどちらかになっていく。
ここでよく起こる間違いが、最高難易度を突破できるマニアであっても求めているのは「難しさの向こうの面白さ」であり、「難しさそのもの」は別に求めていないことの失念だ。
ちょっと複雑なことをして褒められたミステリ作家はすぐに「じゃあ次はもっと複雑にしよう」とやたらとこねくり回してしまうが、それは一部の「皆がクリア出来てないゲームをクリア出来ることにアイデンティティを感じられて嬉しくなってしまう」という寂しい人間たちにしか評価されない。
ここでその一部の人達と心中をする道を選んでも終わりだし、「とにかく簡単にしよう」と難易度のことだけに頭を向けてしまった場合も作家生命が急激に終わっていく。
この間違いをする作家の多さは、「ゲーム性」を取り違えて終焉へとひた走る元人気ソーシャルゲーム達のソレに極めて似通っている。
また、キャラクターの扱いについてもミステリ小説はソーシャルゲームと同じ衰退をたどりやすい。
一部の人気キャラクターにばかりスポットを当ててしまったことで物語の幅が狭まったり、ソレに対する批判にビビってダラダラと全員に出番を出そうとした結果キャラを出すこと自体にばかり意識が向き物語がおざなりになることがままある。
そもそも作品が面白ければキャラクターは勝手に魅力的になり、キャラクターに頼って作品がおざなりになればキャラクターの魅力は薄まるという基本を多くの創作者が忘れてしまうのだ。
人気の出たキャラクター小説やソーシャルゲームは最終的に人間が書けなくなっていくとは、このようにして起こる現象なのである。
※後日談(?)書きました
https://anond.hatelabo.jp/20240303012257
eスポーツ選手やってるんだけど、赤ちゃん扱いしてくるファン本当に本当に気持ち悪くて辛い
元Vtuberの方が「母親面やめて」って言ってそれが拡散されたのに全然減らないよ
eスポって基本民度低いというかアンチ・暴言の度合い凄いんだけどそれは別に気にならない
死ねとかしつこい人格否定とか少しのミスで消えろ辞めろいる意味ないとか…
慣れちゃダメなんだろうけど、そういうもんだと思ってるしただの野次馬だから気にならないしPV伸ばしてくれてありがとうくらいにしか思ってない
まず呼び方の時点でやばい「増田」が俺の名前で「まっすー」がニックネームだとしたら
「ますてゃ」「ましゅくん」「まーくん」みたいな みたいなっていうかもっときもい呼び方できついよ
自分だけの特殊な呼び方(まちゅちゅみたいな)作って、「私の呼び方を使ってる人がいたからブロックしました。不快です」とか言ってる人いてもうほんとなんなの?きつい
俺が一番ブロックしたいのは君だよ
「うちの増田くんが~」とかほんと何…?
俺がいいプレイしたら「えらい」って何なの?
俺がたまにするミスに対して「また〇〇してー!もー!」とかさ、ほんとにファンなの??ってなる
ほかのチームの選手との写真アップしたら「写真とってって言えたのえらい!」とかほんと何???
ここまで書いたら「君がそういうキャラなんじゃないの?」みたいに思う人いるかもしれないけど違うんだよ
あんま詳しく書くと特定されそうだからあれだけどいわゆる女性ウケより男性ウケするタイプなんだけどこうなんだよ
本当にしんどいから「赤ちゃん扱いは有害なオナニー」って広まってほしい
これは俺しか思ってないかもしれないけど、赤ちゃん扱いよりかは「チンコしゃぶりたい」とかストレートに言われるほうがまし(それも嫌すぎるけど)
赤ちゃん扱いはなにかゆがんだものを感じて本当気持ち悪いのと恐怖で辛い
一応書いとくけど、いい女性ファンがほとんどだから女性たたきとかやめてね
あと、「運営やチームメイトが赤ちゃん扱いしてるから赤ちゃん扱いしてもいい」ってのは間違ってるよ あなたはファンなんだから
(追記)
運営やチームメイトが〜、っていうところは、露骨な赤ちゃん扱いじゃなくて
例えば選手Aが選手Bにほんとかわいいw子供みたいwって言っててもそれはAとBが長い時間ずっと一緒にいる仲間だからなだけでファンが赤ちゃん扱いしていい理由にはならないっていうだけだよ
なんて説明すればいいんだろう、例えば女性なら女性同士で◯◯ちゃんほんとかわいい〜ってキャッキャしてたところに急におじさん上司が割り込んできて「かわいいよね〜スタイルもいいし…フヒヒ」って言ってきてゾワゾワするみたいな
でも本人がぶりっ子しまくってるならまあ仕方ないしいいんじゃないみたいな…
がっつりBL的な消費されるほうがまだマシというか、赤ちゃん扱いって「自分は選手を性的にも見てないし男性として好きなわけでも付き合ってほしいわけじゃないです、だから何言っても悪く取らないでね母性だから」っていうのが透けて見えるのがきつい そういう人を拒否するようなアクションこっちが取れば「どうして!?私は無害なファンなのに!?キャーキャーうるさいファンじゃないのに!?」って反転アンチになるんだろうなあ
大袈裟だろって思われるだろうけど実体験した人にしかわからないかもしれない
あと、プレイで黙らせろって思うじゃん
「うちの子がこんなに大きくなって…!」ってなるだけなんだよな…
(追記2)
自分の考えを書き出したことで、もう1段階下の気持ちを掘り出せたんだけど
怒りというかまず悲しいんだなと思った
うまく言えないけど、本来のスポーツ観戦みたいな感じで一緒に盛り上がって一緒に嬉しさや悔しさを共有したいし応援してくれてる人が喜ぶところを見たいから頑張ってるというのがまずあるし
普通にうおー!すげー!かっこいいー!って同じファンたちと応援した思い出は青春としてその人の人生思い出に刻まれて、そんなに嬉しいことはないし俺も生涯忘れないけど
赤ちゃん扱いしてる人の心に残るものってなんなんだろうと心配になってしまう 余計なお世話なんだろうけど
これ書いたの女だろってコメントあったけど悪いけど違うよ そう思いたいならごめんね
だって思ってること全部ぶちまけて口汚く書いたら「不快」「お前が悪い」「ファンをそんな風に言うなんて人間的に終わってる」ばっかりになるじゃん絶対
(追記3)
なんで消えろより赤ちゃん扱いの方が辛いの?って
「選手がミスをした」っていう行為を受け止めて消えろって言われてるわけで試合を見て選手として見てくれてるわけじゃん(消えろとかコメントするのは当然やばいのは大前提として) あと空気を乱すのは消えろよりえらいねえだよね 消えろに対しては別のファンの頑張れとか惜しいでかき消されるけどえらいねえはなんか空気中に漂って匂いが残る
赤ちゃん扱いより性欲ぶつけられる方がまだマシっていうのは、赤ちゃん扱いっていっても結局性欲のようなものを隠してるんだからそれを隠して近づかれるよりストレートに言われる方が潔いと思ってしまう
プライドうんぬんとかではなくて、なんだろうな、全然将棋興味ないおっさんが清楚な女性見るためだけに将棋見て、その女性が試合で負けて悔しくて唇噛んでるとこをキャワイイって言ってるけど「女性として見てるんじゃない!棋士として見てるんだ!」って主張してるみたいなしんどさ
じゃあ最初から「かわいい女性棋士がダイチュキなんです!清楚な女性の真剣な顔が性癖なんです!」って言ってる方がきしょいけどある意味誠実だろみたいな どっちも地獄だけど
売られてないものをむりやり買ってるみたいな
どこまでが赤ちゃん扱いなの?に関しては人によって変わるだろうけど
かわいい、えらい(は微妙だけど)と言われること自体は変だとは思わない 言われたくはないけど
例えばなんでもないこと話してる雑談とかでかわいいって思ったりコメントするのは自由だけど
試合とかゲームそのものについて話してる雑談やゲーム配信で真面目にやってる時にかわいいえらいねえはよく分からない
そういえば全然関係ないゲームやった時に「そこ気付けたのえらい」って言われた時は「でしょw」と返せた
あまり書くとあれだけど自分が若めなのもあるとは思ってるけど30歳以上のゲーム配信者さんとかにもママ気取り大量にいたりするから年齢じゃないのかもしれない
男性多めの配信によしよし系の女性ファンくる→あ、そうしていいんだみたいに既存の女性ファンがよしよし系になり出す→男性ファンが出ていく→よしよし系しかいなくなる みたいな地獄わりとよくある
自分とこはまだそこまでは全然いってないけど、定期的によしよし系を排除しようとしてちょっと雑な言葉使いで話したらなぜか(今なら分かるけど)よしよし系が余計増えたから最近はもう諦めて素でやってる
みたいなイメージが地元で強いらしく何気に人気の伝統校だったけど。
入学1ヶ月くらいは12歳の子供らしく席が近い同級生同士がちょい他人行儀に会話したり、とりあえず一緒に帰ったりして緩く仲良くなり始めるんだけど、1ヶ月経ったくらいから明白なマウント合戦が始まる。
いとうせいこうみたいな髪型で強度近視用のメガネ掛けてる「いかにもお坊ちゃん育ちです」って見た目の連中(ていうか半分くらいそんな外見だった。入学初日にクラスのメガネ率弾き出したら8割超えてて仰天した記憶がある)でも、
歳の割に体格良かったり元々の気性荒かったりする奴なら弱そうな同級生に突然馬乗りになって鼻血出るまでボコボコにしたり、
「顔が暗いから笑」で前の席の奴の後ろ髪をライターで炙ったりしてた。
そんな様子を傍から見てて
「こいつらなんて恐ろしい奴なんだ……目つけられたら殺される」
と俺は震え上がってたけど、冷静に考えるとそいつらも皆お勉強頑張ってきたお金持ちの家のお坊ちゃんなんだよな。
粗暴とかけ離れたタイプにしか見えない中学1年のメガネくんが、
血だの火傷だの失明リスクだのにひるまず大笑いで同級生たちを痛めつけてるのは結構異様な光景だったと思う。
あと、家が寿司屋の同級生が裏でめちゃくちゃ笑いものにされてて衝撃を受けたのも思い出した。
下の毛が生えるかどうかの歳で職業の貴賎的な概念をすでに周りは普通に備え持ってたようで、年齢相応に幼かった俺はひたすら
「人の親のことバカにするのは思いっきりタブーだろ。ていうか寿司屋で何で笑ってんの?」
と混乱してた。
一部の人間が大人になって身につける類の嫌な差別心をそんな歳でどうやって身につけてたのか未だに分からない。
野球部が圧倒的に偉かった。
野球部がカーストトップで周りがビビって何も言えないみたいな風潮は多くの学校であるあるなんだろうけど、うちの野球部員はとにかく暴れまくってた。
休み時間、虫の居所が悪ければ金属バットで教室のロッカーベッコベコにするし、鉄アレイとか周りの人間の机を砲丸投げみたいにぶん投げまくって大暴れするし。
パフォーマンス感は全然なくて、本当に突然癇癪起こして気が狂ったみたいに暴れ出してたからみんな震え上がって嵐が過ぎるのをひたすら待ってた。
でもそんな彼らがタバコだけは絶対に吸おうとしてなかったのは今でも不思議でならない。
かくいう学生同士のカーストが下位の自分もどういうわけか大学途中くらいから
と、悪い思い出をなかったことにして気づけば母校愛が強いOBの1人にすっかりなってたけど、
最近になって、なかったことにしてた思い出が急に色々脳裏に蘇ってきてモヤモヤしてたのでここに吐き出した。
あいつら何不自由のない裕福な家に生まれ育って、同世代平均を上回る知能があって……
要するに恵まれてたくせに、なんであんな小さい時分から粗暴だったり差別的だったりしたんだろ。
父子2代どころか祖父、父、子3代でOBみたいな家も珍しくない学校だったけど、俺は自分の子供は絶対に入れたくない。
以前ネットで慶応大学野球部の就職先が凄いみたいなのが話題になってて見たけど、うちの学校の同級生連中のほうが良かった。
中高一貫のくせに「現役で早慶受かったら凄え」程度のレベルでしかない学校だったのにもかかわらず、明白にウチのほうが良かった。
1億積まれても入れたくない。
親切な補足を書いてくれた人がいるので真面目に議論したい人はそちらでお願いします。木村幹先生のツイートの意図が全く伝わっておらず腹が立ってこの増田を書きましたが、一部の人にはさらなる誤解を与えてしまい少し申し訳なく思ってます。とは言えまともな教育受けてれば読めるだろとは思わなくもないですが、教育がまともじゃないから仕方がなかった。
誤解したコメントがついていたので、休憩時間で一先ず本文の下に返信を付けました。
面倒を見た学生は、奇しくも問題提起をしている木村幹先生が所属されている大学(神戸大学)と同等のレベルの大学です。
またレポート、卒論、修論とまとめて書きましたが明らかに突然お気持ち表明をはじめるのは流石に学部1~2年生のレポートがほとんどです。ただ大学入学時点でそういった文章を書いていた学生が、多少成長したとしても卒論、修論でどのような論理展開の論文を書くことになるのかは想像がつくと思います。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2192374
こんなもん日本の国語教育の駄目なところを煮詰めたようなテンプレートだろ。修士、博士課程の期間に学生のレポートや卒論、修論の面倒をみてきたが、突然お気持ち表明をはじめる学生は本当に多い。突然自分語りを初めて空に飛んでいって、二度と地上に帰ってこられない奴らばかり。こんなゴミを教えてないで、ロジカルライティングについてまともに教育してほしい。
論文は一部の人だけが書く文書であり必要な人に個別に指導すればいいという反論がありそうだが、このテンプレートのように突拍子もなく自身の経験ベースのお気持ちを述べることが求められるような文書を求められる機会がどれだけあるのだろうか。多くの人が業務で書く報告書や技術文書などは、事実と観測結果、先行する調査結果等を元に論考することが求められているのではないだろうか。実際にはそんな文書を書く機会はないのに、自身の経験をベースとしてお気持ちを述べさせるカスゴミ作文手法を『正しいテンプレ』として教えているのではないだろうか。
また読書感想文だからこのフォーマットになるのは仕方がないという意見もあるが、読書感想文の枠内で自分語りにならないように書く方法もある。たまたま手元に小学1~2年生向けの課題図書である『うまれてくるよ海のなか』(息子の所有物)があるのでこれを例にすると、この本は海の生き物の『出産・育児』、取り分け『お父さんとお母さんが協力して出産・育児』をする姿に焦点が当てられていて、後書きでもその点について述べられている。テンプレに従うと子供から見た我が家のお父さん、お母さんの役割分担の話とお気持ち表明をして終わりになるだろうが、この本から得た気づきを元に図書館に行って日本や世界の出産・育児の分担の状況について調べたり、あるいは海の生き物以外についても調べたりして調査結果から考えを広げ、その上で感想を述べることも出来るだろう。
テンプレを教えるのは良いが、そのテンプレがゴミだと害悪でしかない。正直、小学校の先生にロジカルな文書作成が出来るのか疑っている部分があるが、出来るというのであればそれをきちんと教えてほしい。
レポートや論文と感想文が異なるのはあたりまえで、感想文に感想を書くことに文句をつけるのは、いったりどういう論理構成なのか不思議。
国語の時間を寝て過ごしていたのでなければ読み取れると思うのだが、感想文に感想をつけることは否定していない。テンプレートに記載されている構成では突拍子もなく感想を述べた後に自身の経験について述べるにととどまっており、そういった文書構成をテンプレートとして推奨することに日本の国語教育の駄目なところが現れていると批判している。
卒論、修論と読書感想文は全然別のものです。それにいま修士、博士課程にいる学生さんたちが小学生のころはこういう教育はしていません。
テンプレートを使った教育を批判しているのではなく、ロジカルライティングを軽視した、お気持ちの表明に偏重した教育がゴミだと言っている。自分も小学生の頃にこういった読書感想文を書かされたと記憶しているが、未だにこういったテンプレートが存在することがそういった教育が継続していることの根拠ではないでしょうか。
ノートの再考を申請することはできるし、反論ツイートをぶら下げることもできるし、そもそも反論できなくて何か問題あるか?
ただ、自分が言いたいことを言っているだけならツイートにノートがぶら下がろうとどうでもいいんじゃないか?
間違ったノートが付いたのなら再考を申請すればいいだけ。間違ったノートの尻馬に乗って騒ぐ人間がうざいって話なら、保存してノートが修正された後でさらし者にしてやればいい。
それなのに、一部の人があれだけノートを毛嫌いするのは「いい加減なこと言ってるのがバレるから」でなければ「リツイートしてもらいにくくなるから」だろう。
(前者の理由で嫌ってるような人間なら影響力を削がれて当然で、それはよいこと)
昔、リツイートが盛んになり出した時、間違いや一方的な情報がリツイートで拡散して、あとで間違いとわかっても修正できないことが問題視されてた。
実際いくつも深刻なトラブルもあって、何度も元ツイートを検証してそれが拡散先で表示される機能があればと言われていた。それが実装されただけでは?
ノートは議論のためのツールというより、リツイートの暴走のブレーキとか害毒の解毒剤と考えたらいいかと。
今までリツイートの拡散機能があまりに便利で強力だったのに、その暴走を掣肘する仕組みがなかった方がおかしかった。
リツイートの連鎖に水を差しやすいのはフェールセーフと思えばやむなし。
ネトウヨに自分の意見に水を差されてムカつくってのは、実は社会全体で見れば本当に些末なこと。
個人的には拡散を意図したすべての書き込みにノートが付いたっていいと思う。
どうしてもノートを付けられたくないなら、リツイート禁止・おすすめ停止(拡散拒否)にすればノートを付けられなくするような仕組みにする方法もあるし。
人間の肉体の7割を構成している要素を人質にとって商売しているんだから。
限りなく薄められているけど、水道を事業にするってのは「水道代を払えない人は水を飲めません」という状態を政府が容認しているということ。
こんなものは税金ジャブジャブ投入して徹底的に管制してしまえばいいのに。
なまじっか事業として成立させているもんだから変な民間企業がドンドン参入しているのもクソ。
メンテ代で稼ぐ前提のクソみたいな水道設備をそこら中に潜り込まされているから、世界中で「水道水バブルの終焉」みたいのが起こるだろうね。
それはつまり「安全な水の確保が急にできなくなった国」が沢山生まれるってことだよ。
まあだとしたら、普通にクソだと思うね。
ミネラルウォーターと飲み比べるまでもなく、「新品の浄水器を通した水」と「浄水器を通してないひねっただけの水」を比べてみればいいよ。
飲んでも平気ではあるんだろうけど、なんとなく飲みたくないかな。
まあでも水道水を完璧に綺麗にしろってのはコストの無駄だから、個々人が浄水器使ったりウォーターサーバー借りたりするのは正解だと思うよ。
ただ、単純に「水道水が美味いか」って聞かれたら「もっかいろ過しないと飲めたものじゃない味である」って俺は思うなあ。
でもコンビニミネラルウォーターでも似たような変な味のがあるんだよね。
間違ったりしかたなくで飲んじゃうことあるけど、口の中が露骨に臭くなって鼻に抜ける呼気が気持ち悪いんだけどなあ……。
アレがわからない人もいるんだろうね。
うらやましー。
たくさん読んでくれて嬉しい。元は友人とのTwitterDMが下書きになっていて雑な文章だから申し訳ない。なので以下、こちらの意図が伝わってないコメントに返す。
・この物語の各パーツ・キャラを現状のジブリのメタファとする解釈はこの児童文学作品を矮小化していると思う。あまり好きではない
→全く同意見で、書いた通り普段はテクスト的に解釈するのが好きです。矮小化されてしまってるのもそうなので、これだけが「正解」だとは微塵も思ってないし書いた通り自信はない。今回は宮崎駿の最後の作品、って思いが自分に強すぎて作家周辺の解釈がまず出たのだと自己分析している。作品そのものの解釈は海燕さん他書いているのがよかった。
→お前みたいなやつがいちばんダメ。観ろ。観ずになるほどすんな。
・一般向けではないというけど、次世代へのバトンや家族の話って極めて普遍的で、ジブリや宮崎駿のことを知らなくとも皆それぞれ自分の物語を重ね合わせて見ることができる作品だと思うよ
→この辺りは宮崎駿は自己言及と普遍的テーマを重ねて両輪でやっている気はする。
・あの作品の登場人物を実在のジブリ周りの人物に置き換える読み方はわかるけど非常に下品だと思っているので、する人を否定はしないけど、それが正解だと言って押しつけたりする風潮にならなきゃいいなと思っている。
→おおむね同意見で、自分もホッテントリに上がったことが押し付け風潮の一助になるのは避けたい。作家論は作家論でしかないし、それは基本的に狭い解釈になってしまうから、「正解」ではない。ただ言葉遣いとして、この人が作家論を「下品」としているのは、なんというか令和だなぁと思った。
前半はまぁ、とりあえず置いておいた撒き餌みたいな稚拙な解釈なので、「正解」ではありません。(一貫性の形成願望をとりあえず満たしておくために書いた、と思って欲しい)
むしろ、この作品は唯一解を求めたがることも含めた後知恵的な意味よりも、もっとプリミティブな意味を伝えようとする作品だと思います。だから自分の感想の本質は後半です。そこのところ言葉足らずだったみたい。
追記ここまで
初日に見に行って、いろいろ考えつつ見たが、たぶんほとんどの人が「意味わからん(けどジブリっぽくて面白い!)」ってなるやつだと思ったので、自分なりの考えを書いてみる。ちなみに全然自信はない(その理由は最後に書く)
見た人の多くは、ラストにかけてのメインストーリーラインがよくわかんねえとなると思うけど、同時に物語にいくつもの象徴や比喩が込められていることも、なんとなく察すると思う。
個人的な結論を先に書く。(自分は普段はテクスト論的に物語を読むのが好きなのだが、作家論としてこの作品が見えた。)
まず、内容で感じたのはセルフオマージュの多さ。「紅の豚」の死出の飛行機葬列が海の船になったり、ハウルの泥の人形が殺生できない住人になったり。老人の描き方はジブリの各種キャラを思わせたり。
オマージュ元には特にトトロが印象に残るように思って、抜け道や森から出た暗がりの風とか、ワラワラとか、宮崎駿はトトロ気に入ってたんやなと思わせた。まあワラワラは鈴木敏夫の入れ知恵な気もするし、観客へのサービスって感じかな。
そしてここから感じたのは、宮崎駿の人生が細かく千切られ散りばめられてるということ。
ていうことで、物語の根幹と宮崎駿の人生に準えてラストで明かされる物語の根幹をよんでみる。やっぱりラストについては大事だよな。
結論から書けば、空から降ってきた大岩は宮崎駿の才能、ギフト。宮崎駿は大叔父でありあの世界は宮崎駿によって作られた作品の集合でジブリそのもの。その血を引く主人公は宮崎吾朗や孫だと思われる。ただし、内面は宮崎駿が投影されていて二重のモデルがいる主人公になっている。駿はジブリを継いで欲しかったが、吾郎は拒否した。ジブリは駿の引退宣言とともに崩壊して、皆それぞれの暮らしにもどった。端的に言えば、それら経緯への駿の内面の告白、なんだと思う。つまり、スタジオジブリ(と駿)のために作られた物語なんだと思っている。
昔。降って湧いた才能に取り込まれた駿は、作品の世界から出なくなった(家庭を顧みなかったりしたんだろう)。そして世界の創造に励み、海や森の美しいファンタジー世界と、ユーモラスで残酷な鳥に代表される多くの愛すべきキャラクターを生み出した。
時々挟まれた、大岩が怒ってるとか。あれは才能から来る作品へのこだわり、そこから発される憤怒なんだろうな。時々駿キレてたし。
ただ、老いてきた。積み木を重ねられなくなった。積み木を安定させることも苦労するようになった。だからこの世界・ジブリの後継者を探して、館に主人公ら血族を引き寄せ始めた。(この辺りの傍迷惑さについての自覚が、人生を総括し始めた老境の駿らしい感じがする)
関係ないけど、インコの王は唯一宮崎駿に謁見できて最後に世界ぶっ壊したし、たぶん鈴木敏夫なんだろうなと思う笑
そして物語のラストで吾郎はジブリを継ぐのを拒否し、焦ってしゃしゃり出た鈴木敏夫がぶっ壊してジブリは崩壊した。でもそれを受け入れて?(この表現は適切じゃないかも。ただ眺めて?)老兵は去る、ってことを、ラストで宮崎駿は表したかったのだと思う。
総じて、人生全体を眺めて、ある程度中立的に感情も整理しながら、比喩的な物語と人物に落とし込んだ。そして達人のアニメーションで、それが分からなくとも万人が楽しめる2時間にした。
主人公が、みずから頭を傷つけて、それを最後の最後に告白し、汚れているから自分は継げないとジブリ世襲を拒否するシーン。
あれはなんかほんとに個人的な事件が、駿や吾郎にあるんかなて感じもするけど。いずれにせよ、今まで子どもをイノセントに描いた宮崎駿が、この主人公にはドロドロしたものを罪悪感と共に植え付けているのは、自身や自分の子どもみたいな、客観的に見られないし理想化もできない存在としてマヒトを描いているんだと思う。そしてそれが「真の人」って名前なのが、正直な曝け出しなのかなって感じさせる。
でもここは、ちょっと未整理。
まあたぶんに一義的な狭苦しい解釈なんやけど、とりあえずここまでは言語化できた。
ただ、ここまでこうして書いた考察について、正直自信がないというか、こうして作品が言語化されることを拒否している作品である、ということことを、作品を見ている最中からずっと感じてきていた。
子供のころからジブリ作品を見て、宮崎駿のひねくれた人物像も知ってるから、この作品は明らかに異質だとわかる。観客へのサービス(配慮)が欠けている。
はっきり言って、一般向けではない。大衆、子供に映画を作ってきた宮崎駿やジブリは、今までこんな映画を作ったことがない。上記のような一応に意味の通る解釈を自力でできる人間はとりあえずいいが、そういうことをしない人が圧倒的多数で、それが大衆なのだ。だから、今回のような、作品の展開の速さや密度、抽象度の高い映画は、一般向けとは言えない。自分が見た初日夕方の回は平日なのにほぼ満員で、しかし上映終了後のほぼ全員がタヌキに化かされたような顔をみんなしていたぞ。(正直自分もそんな気持ちだったので笑えた)
しかし、ここでそれを鑑みても面白いのが、この作品の「面白さ」は皆が感じているらしいということだ。
そして、これと同時に、自分のような批評する目線で映画を見る者は、それはそれで大衆客と別な側面で拒まれている気がした。何か見る者の賢しい批評を拒んでいるように感じた。
以下に、その理由を書く。自分の感想としての本質はむしろこっちだ。言語化しづらいのだが、見た人にはなんとか伝わるように書くと
となる。
例えば、食事のほおばり方。たとえば、黙ってうつむく表情。たとえば、真人がうそをつくときの顔。みんな圧倒的に生き物らしい。生命力を感じる。みんないびつで、あいくるしい。(カワンゴがお説教されたアレとは本当に真逆な、きわめて何か、生命に対する賛美を感じます)
これらすべてが、芝居をしている。客に直接的な理解を与える。この人物の感情や、物語における人物の立ち位置(正しい方向かどうか)など。あらゆる情報を、言語での理解を超越して、身体的・ダイレクトに観客へ伝わる。
作劇のうまさや間の取り方、ちょっとした身のこなしや振る舞いの描き方。それらすべてがアニメーションなのに自然で、本当にほれぼれする。達人のアニメーションは今でも健在だし、それはスタジオポロックみたいなのにもマネできてない駿の達人技だと思う。
で、それらの生理的な表現が今作で上げる最大の効果は「生理的な感覚として、見る者に言語の範囲外で意味を伝える」ことだと思う。
(自分は新海誠の映画が昔から好きなのだが、新海誠が「星を追う子ども」でやりたがって、でも全然できなかったようなことを、中盤くらいまでで軽々と全部やり尽くして、更に塗り替えていったような印象が途中した。)
はっきり言って、中盤以降は物語のテンポが速すぎて情報量も多すぎて、物語が何を表現しているのかまったくわからないし考える余裕もなく、何もかもを押し付けられていくだけのように感じるのだが、いち観客として言えば、作劇がうますぎてずっと楽しくて画面にずっと惹き寄せられたままで、一ミリの退屈もなく最後まで面白かった。作品が何を言いたいのか理解できねぇのにコレなのまじ意味わかんねぇ。ユーモアと人物の芝居とテンポと心地よさとその他あらゆる作劇でずっと作品世界へ惹き寄せ続けるの、冷静に考えてすごすぎる。
理解として言えば、言語の範囲外で生理的に伝わってこようとする情報が、最速で理解できる。だから理性で作品に好悪を判断つけたくても、生理的な理解が先に面白さを伝えていて、判断を保留し、物語が表す「意味」が分からない気持ち悪さをいったんわきに置く(打ち消す、わけではないのもポイント)
たまたま映画見る前に考えてたのが、美輪明宏のモロの演技や紅白のヨイトマケの唄なんだけど、あれもなんか、生理的に分からされる凄みがあるよな。あれと同質の、生理に訴えかけてくる理解が、この作品の全体にあった。
だから意味深がセリフが物語上の「意味」として理解できなくても、なんとなくわかっちゃうわけ。ああ、「そういうふうに」感じてるんだなぁ、って。
自分が書いたものも含め、なんか色々考察とか出てくると思うんだけど、この作品に関して自分はもうそんなのに大した意味を感じていない。いや言葉で説明することは俺も試みたと思うんだけど、そういった理解や「意味」は後からやってくるものであって、それより先にあるこの一次的な身体的感触の強さが、現在進行する映画鑑賞の今、圧倒的な作品だった。肌感覚で腹の底から湧き上がる力強さは、言語的理解を拒否して圧倒する。そんなプリミティブさ。
プリミティブな、といえばものすごく情報量が少ないように感じられるかもしれないけれど、ただそこで言う「情報量」ってつまりキロバイト的な情報の多寡でしかなくて、生理的な質感や圧倒的な情報の圧が含まれてない。この作品はそういった生理的な質感や圧、すごみをもってして最後まで観客をエンターテインする作品だった。面白さが言語の範囲外で生理的に伝わってこようとするんだよな。
「語り得ないことに関しては、沈黙せねばならない」という言葉があるけれど、宮崎駿は言語で語りえないことを語れる。対して、自分たち観客は語れないが、しかし生理的に理解している。
自分が最初の考察に意味を感じない、といったのは、考察の当たり外れよりも「こんな小賢しい考察なんぞしてんじゃねー」的なギルティ感覚がするからだ。賢しらぶってることが怒られそう。それこそ、宮崎駿に叱られるカワンゴみたいな、「意味」や思考の中だけに生きて現実に生きる生命を見ようとしていないと叱られている気が(これは完全に自分の勝手な感覚なのだが)する。強いて言えばそれが、本作のタイトルのごとく自分に突き付けられたお説教だったかもしれない。
一般には訳が分からなくてもいいし、読み解く材料も与えないし、理解されなくても面白くしなんか感覚的には伝わるでしょ?みたいな感じが、ただ壁を感じるし、見る人は選ぶと思う。ジブリ作品に壁を作ったことって今まであんまりないと思うんだけど、たぶん風立ちぬで少しやって、「あ、好きにやってもいいんだ」みたいなのを、それこそ庵野秀明とエヴァから知ったんじゃねーかwみたいな気もしていて、そして老境にさしかかりジブリの崩壊を見ながら、いろいろなことを感じ考えながら職人芸ですべて盛り込んだのが今回の作品なんだと思った。だから、一部の人の批評や感想、特に老人の走馬灯とかボケたとかみたいなのには全く賛成できない。
自分を醜いと思い込んでいる友人Aがいた。客観的事実を述べれば、現在日本の芸能界などに適用される美の基準に照らし合わせて、Aの容姿は整っている。Aは一緒に出かけると必ずセルフィーを撮るのだが、必ずアプリを使って撮影するので、出来上がった写真の私が私の顔をしていなかった。肌はぼかしがかかったようにされ、目は不自然に大きく、鼻は細く、歯が真っ白になる。私の顔はいつもストッキングをかぶせられたようになっていた。異様で気持ち悪いのでやめてほしかった。ささやかな抵抗として、自分のスマホでは必ずノーマルカメラで撮影した。私は私の容姿について満足はしていないが、色々考えて現在の容姿を受け入れている。それなのに、Aのコンプレックスに巻き込まれて顔を別人のようにされる。また別の日には、最近太ってきた、私が太っても友達でいてほしいという趣旨のことを言われた。私は外見で友人を選んでいるわけではないのに。私が太ったら友達をやめられるのだろうか?そういった人に限って他人にはルッキズムを適用していないという言い訳をするが、内心はそういうことなのだろうなと思ってしまい、Aとはだんだん疎遠になった。私は持病の薬の副作用で太りやすく、健康に差し支えないレベルをいつか超えてしまうかもしれないという恐れもあり、余計に不快に感じたのかもしれない。SNSは相互フォローのままで、Aは今も加工されたセルフィーを投稿し続けている。
友人Bは学歴コンプレックスが強い人間だった。卒業した大学は有名な私立大学で、例えば早稲田や慶應や理科大のような偏差値の高いところではないが、決して恥じるほどではない。というのは本人も自負があるのか「Dラン」という言葉を使っていた。私の出身大学は偏差値としては同じくらいだが、たまたま出身地が近く、高校の話になり、学校名を出してから対応が変わった。どうせ皆馬鹿にしてるんだろう、というようなSNS投稿ばかりしていた。Bはその後一念発起して仕事を辞め、大学を再受験し、誰もが高学歴だと思う大学に入学した。日頃のコンプレックスにまみれた言動にはうんざりしていたが、その努力を尊敬せずにはいられなかったので「本当にすごいよ!尊敬する。おめでとう。大学生活楽しんで!」とメッセージを送った。無視された。BのSNSの投稿は以前より過激さを増し、あまり頭の良くなさそうなフォロワーの投稿を茶化したりレスバをふっかけるようになった。見ていられなくなってミュートしていたら、いつのまにかアカウントごとなくなっていた。噂によればBはその後、1年足らずで大学を退学したらしい。
頼むから、いい大人が、コンプレックスに他人を巻き込むな。シンプルに不快だから。そして、こうやって離れていく人がたくさんいるから。容姿も頭脳も、遺伝や環境が恵まれた一部の人と比べても仕方ない。そんなに自分に期待するな。コンプレックスに苦しめられ、友人まで失い、孤独に過ごす人生でいいのか、もう一度考えてほしい。
まあ私にはもう関係ない話。
この記事を見て
https://www.tokyo-np.co.jp/article/261541
障害者と関わらない仕事をしている人ほど、障害者差別が良くないという発言をする。
迷惑をかければ一部の人々から嫌な目で見られるのは極めて自然の事だろう。
福祉を中心として考えるのであれば、福祉の仕事に従事して顧客と接している最中は、
仕事なので真摯に接するし、その方の存在を肯定したところから全てがはじまる。
少々重めの対応を行わなければいけない接客も表情に出さず対応を行うだろう。
仕事として関わらないのであれば、電車・エスカレーター・エレベーターの乗降をする際に、
急いでいる時には「こいつ邪魔だな」と思うことは自由だし、街中で独り言を言う人を見て、
「危ない、何かするかもしれない、避けよう」と思うのも自由だし自然なことだ。
障害者が居て良かったと思うのは、福祉業に関わる人間に仕事があること=収入が得られること程度で、
それ以外の利点は正直なところ個人ベース(本当の意味で親しい等)でしか存在しない。
そもそも障害者採用なんていう枠が存在している時点で差別があることの証明だという言葉には、
共感してくれる人も多いのだけれど、「給与が安いから。仕事が別だから差別だ」という視点に終始してしまう。
本当に差別の無い世の中であれば、入社後に健常者と同じ労働量で同じ給与を与えてくるぞ。
後者がこなせずに転職を繰り返すことしか想像できないのだが、障害者は現実を見ずに自身の権利だけを主張してしまう。