「リーマンショック」を含む日記 RSS

はてなキーワード: リーマンショックとは

2023-06-24

anond:20230621210336

リーマンショック世代の末路を語るよ。

氷河期世代を語る流れがあるからそれに乗ってみる。リーマンショック世代を忘れないでくれ。

筆者は女で、2007年大学入学2011年卒業国立旧帝大文系卒業してる。彼氏大学は違うが旧帝大文系だった。

まず、筆者が1年だった時の4年生、つまり3学年上の2008年卒の先輩方や、2学年上の先輩方はすんなり就職決まってた印象である高学歴だし、普通にやってれば決まるって感じ。

ところがリーマンショックが起きて、1学年上の2010年卒の人たちから雲行きが怪しくなってきた。学者肌ってタイプでもないのに院進して就活を遅らせる人や、最初から公務員目指してたのではなく民間が受からいから諦めて卒業してから公務員試験目指す人、全く専攻を活かせないパチンコ屋に就職する人が増えてきた。

筆者の年もひどかった。人手不足教員不足が叫ばれる現在では考えられないだろうが、余裕で受かると思ってた公立教員採用試験落ちたり、優秀な人が決まらなかったり。あえて就職留年する友人も多かった。女性活躍(笑)空気もまだまだなくて、女は採ってないんだな…と面接に行ってから思わされることも多かった。

真面目な人は病んでいた。そりゃ、真面目に一生懸命勉強してきたのに時代のせいでパイが少なければ病みもするだろう。筆者は真面目なタイプではなかったので、病まずに済んだ。やりたい仕事も将来の夢もなかったので、大した就職活動もせず、内定は無かった。SPI等は高得点だったが、やる気がないのを面接官に見破られていたんだと思う。

彼氏高学歴好青年なのに就活で苦労し、中小企業とも言えないような小企業入社を決めた。

筆者は、30ぐらいまでなら働きたくなったら公務員でもなれるだろうし、出生率からすると将来の人手不足は間違いないと踏んで(後出しではなく、本当に既にこの時そう考えていたのだ)、高学歴新卒カードをドブに捨て、長く付き合ってた彼氏との結婚に踏み切った。とりあえず住む場所が決まってからその後のことは考えればいいと思っていた。多くの家族人知人に反対された。一世一代の大博打であった。

卒業と同時に結婚、22歳貯金なし夫婦爆誕である

夫が就職した企業昭和ワンマン企業であった。真正ブラックとまでは言えないが、ほんのりブラックだった。残業代社長の気分でついたりつかなかったりした。

就職はいつでもできるが、子供若いうちしか産めないと思ったので、先行きも不透明なままに子供を二人産んでみた。もちろん男性育休なんて取れず、孤独子育てをした。

2014年アベノミクスが始まった頃、夫が会社を辞めて大企業転職した。3年しか経ってないのに、2011年卒業時とは社会空気が変わっており、ポンポン面接に進んですぐに内定が取れた。狐につままれたような気分だった。

2017年子育ての辛さに耐えきれず、子育てから逃げるために筆者は就職活動を始めた。両立ができなければ、いざとなれば、無理でした〜とケツまくって逃げれば良い。やってみなければ分からない。一人で家で子育てするより、保育園に預けて働く方が楽かもしれない。その可能性に賭けた。当時は待機児童が多く保育園も圧倒的に足りてなくて、認可外に入れつつ派遣社員として働き始めた。デスクワークだったので、仕事の方が楽だった。読みが当たった。

2018年、認可外で派遣社員なら月によっては保育園代>筆者のお賃金 になるのが馬鹿らしくなって未経験職の正社員転職した。

今、筆者は仕事幸せな家庭も子供も手に入れてるが、それはたまたまの結果でしか無い。一歩違えばどんな未来があっただろうか。

卒業と同時に結婚せず、真面目に就活して、キャリアを追求してたらどんな未来があっただろうか、とは思う。

あの頃はそうするしかなかった、と自分を言い聞かせる。正しい道なんてない。選んだ道を正解にしていくしかないのだ。

2023-06-23

リーマンショックの時に就職した女です。私は今でも非正規雇用

今は夜勤の帰り。就職氷河期世代エントリ話題だったのでリーマンショック世代が思いの丈をぶつけようかなと思って書いた。

当時はお祈りメールなんて言葉が生まれ自虐する同世代が多く、大学を出ても非正規雇用どころかバイトすら採用枠を取り合い奪い合う状況だった。

私の世代ではエントリーシートなんていうものが出来てしま社会へ対し"エントリー"しなきゃいけなかった。

円高政策製造業海外移転してしまい、地元高卒の後輩は更に厳しい田舎就職状況で3年間も無職だった。

人材派遣会社ですら選考によって採用するか否かを決めていて、リーマンショック世代派遣にすらならない人が多数居て品格なんて言葉に出来る状況じゃなかったんだ。

この状況は結果として就職率が就職氷河期世代を下回る。

はてなではよく就職氷河期世代の事が話題になる。透明化されていて社会から捨てられていると。

でも就職氷河期世代私たちリーマンショック世代と同じ気持ちが分かるはずなのに、自分たちよりも更に悪い就職状況だったことを想像できるのに私たちを透明化してしまう。

TVでもネットでも当時の苦境として取り上げられるのは就職氷河期世代リーマンショック世代ほとんど取り上げられることがない。

声をあげないほうが悪い?まだまだ自分たちよりも若いから大丈夫高卒の後輩も大学へ進まなかったのが悪い?当時の政府や国は悪くなく採用を絞った企業が悪い?

自己責任論かな?

半ば脅しにと捉えられてしまうかも知れないけれど、就職氷河期世代の老後は私たちが、あなた達よりも若い世代が握っている、

私の言い方に腹が立つかも知れないけど敢えて言う。一緒に協力して就職氷河期世代も含めて働き世代子育て世代次世代若者たちが苦境に立たされないよう政府や国、社会企業に声を上げていこうよ。

私の世代就職氷河期世代にすら透明化されているリーマンショック世代

私は私よりも苦境に立たされる次世代を透明化したくないから。

2023-06-22

氷河期っていってもネットバブルライブドアショックリーマンショック東北震災もあったし浮き沈みはあったものの実感ないんだよな。君らはどこに就職しようとしてたの?ライブドアとか消えた企業もあるけどサイバーエージェントとか生き残ってる企業もあるでしょ?

anond:20230622175159

まあでもその後~リーマンショック前に一時期好景気があったんで、そこで男は大体正社員になってたよ

なんで男でずっと非正規ってのは正直能力ないだけだろとは思ってる

生き残った氷河期世代について

概要

よく氷河期世代の不遇が世間話題に上がるので、生き残れた氷河期である俺と会社の同期について語る。

氷河期後期の就職状況

入社した会社採用

入社3年後

入社10年後

入社20年後

入社2X年後の今

今後

ここまで生きてきて

俺が今のポジションに納まったのは、まず運が良かった。人生は運で決まる。

あとは図太かった。どんなに優秀でも、最初の数年で労働量やパワハラに潰される。

幸運にも結婚して子供も生まれた。狭いがマンションも買えた。

子供が成人する頃はもう少しマシな世の中になってることを祈る。

あと十数年で還暦か。このまま惰性で社畜人生を送って、だらだらと暮らしていく。

就職できなかった同級生ブラック労働で壊された同級生や同期が今どうなったか、考えない方が良いんだろう。

anond:20230621210336

女子大学進学率が21%だった時代ね。

増田浪人が許されない女子だったか感覚が違うかもだけど、男子浪人が当たり前過ぎて、現役合格を目指すのは格好つけ(格好悪い)っていう風潮があって、勉強が悪いこととされてたのよ。

浪人が当たり前だから現役時は実力以上の大学を受ける学生が多くて、上位大学の倍率が無駄肥大化した。

男女差別で現役合格必須だった当時の女子にはキツい時代だったわね。

 

かくして現役合格を目指さな文化で育った男子学生は、大学入学後も、いかに授業に出ずに卒業するかを追求するのが大学生の本分と思っていた。

もう少し下の世代になるとバブル崩壊後に育った世代大学の授業に出るようになって、低い出席率を前提に割り振っていた教室学生が入りきらなくなって、教授が「最近学生は授業に出席するようになってしまった」なんて嘆いたりしてた。

からリーマンショックの超氷河期世代は、氷河期世代ちょっと感覚が違ってて、わりと氷河期世代に冷たいのよ。

anond:20230622113317

二次氷河期は「リーマンショックで瞬間的にめちゃくちゃキツいのが来た」という感じで

バブル崩壊きっかけに10年以上に渡って続いた第一氷河期とはまたツラさが違うんだよな

社会問題としては第三次ベビーブームを生むはずだった団塊Jrが根こそぎ壊滅したという点で第一氷河期のほうが致命的だったが

2023-06-21

氷河期後期で難があった人の末路。

多分元増田より少し下の21世紀初頭社会デビュー世代なんだけど(もっと辛い氷河期、とか言い出すと角が立つからやめよう。)

この世代の人の就活ハガキが届いた企業で、合否を分けるバイト大学部活の先輩がやってた。

大学名と学部指定が出ていて、それ以外はゴミ箱に入れるらしい。

東大早慶指定国立March関関同立の一部で学部理系OK文系文学部芸術学部いくつかはNG性別では分けてなかった。

ハガキ名前と住所と学部大学資料請求言葉が書いてあって、対象なら合格の箱に。

観光学部の人がすごい小さな字で熱意原稿用紙5枚分くらいある内容をハガキに書いて送ってきたらしい。が、対象外なので苦しいながらもゴミ箱側に入れたと言っていた。

高校時点で、自分の頃には就活がもうダメかもしれない、と言われていたので、どっちにも行けるようにしていたが理転して工学部行った。東工大は落ちた。

最初は楽しかったものの、途中から好きな勉強じゃなかった。本当に辛かった。固体の上を電子がどう動こうと知らん。なぜもっと得意な化学か楽しそうなバイオにしなかったのか。後悔した。途中で辞めてフリーターになろうとして親と殴り合いの喧嘩した。一留

アルバイト家庭教師と、短期バイト事務所登録して20種類くらいやった。そんなに稼ぎは良くなかった。

就活、いくつ受けたが覚えてない。リクナビマイナビを駆使して、予定表をYahoo!カレンダーにいれて、ドコモのP158のアドレスに届くように設定して手帳に書き込んで管理してた。

自己PR欄でキャッチー言葉文章を書けば目に止まるのは当時日記猿人でも読者がついてたこからわかってた。(ついでに何人かの友達のも書いた)

大手ダメだったが、大手子会社や聞いたこともない会社には刺さったらしい。

面接に呼ばれて、SPIは何も予習してなかったが高得点マークしてたらしい。(面接で言われた)

二つくらい内定出た。

会社入れた。同期は早稲田慶應上智MARCH首都圏国立大学慶應行ってる弟が出身リストを見てお前だけ一人おかしくないか?と笑ってた。確かにこの並びならなぜ入れたのかわからない。高校同級生が撃沈しているのを見て、就職するには好きを学びに行っては行けないと思った。自分の5年も大概無駄だったとは思うが。

入った会社はしばらく採用はなかったが、合併経営母体大手から別の大手に変わり新卒枠ができたらしい。

会社のすぐ上はいなくてその上は専門学校卒。少し上に院卒。そのバブル世代が、ハガキなんか出さなくても勝手入社案内が来たと笑ってた。

仕事入社前に聞いてた話と職務内容も違い、勤務地も23区勤務と聞いたのに関東僻地に飛ばされ、頗るつまらなかった。

昭和時代にできたもの保守効率の悪いオペレーション倫理観や躾の悪い敬うに値しないおっさんたち。残業は平均70時間うんざりした。

何の役にも立たないグループ会社健康保険医の面談うんざりした。

地獄だった。

会社のある街から帰れなくて漫画喫茶に泊まった。

知っているか睡眠不足が続いてくるとだんだん味が濃いものが欲しくなる、変な動悸がする。生理血液が7日過ぎても10日過ぎても止まらなくなる。

棺桶に入ったり、棺桶程度の隙間に入れられる夢を何度も見た。

一度目が覚めたら腕も足も切り落とされて月を見上げている夢も見た。やたら綺麗な月だった。

まだ20代だったけど、大規模地震SARSか、ただただ苦しくて、天変地異が起きるか隕石直撃で殺して欲しいと思ってた。

ああ、正直に書くけど27過ぎたあたりからグループ会社結婚サークルに入らないのかと言われた。女性の会員が少ないから入れと。

つまるところ自社グループおっさんが多いから、あてがう女が必要女性社員を多く入れてたんだなと。ちょーメイクセンス

から同期だけ女、しかも見た目が読モみたいな女が多いのな。あてがうためか。ずっと男社会にいたから衝撃的だった。

当時付き合っている彼氏はいた(非正規社員)のもあるが、給料は少ないが、自分の事が自分オーガナイズ出来るし会話も成り立つ。

この会社自分のいるレイヤーおっさん達は自炊自分の服の身だしなみの管理仕事工程機器発注も何も管理できず英語も話せず

キャバクラパチンコがメインでしかできない癖に人の外見にはケチをつけるし会話が成り立たない知性を感じないクズどもだった。

こんな奴らと私生活まで一緒とか殺す気か。




同期は鬱で会社を辞めた。

先輩は職場で倒れた。救急車が来た。そのうち救急車が来ることにも慣れた。他にも倒れる人がいたからだ。

俺らより更に働かされてた隣の部署のチームリーダーがある朝起きたら冷たくなってた。葬式会社の人はこないでくれというのが遺族から伝言だった。

リーマンショックの後、大規模リストラがあって、職場でワイヤーで首吊りが発生した。

そりゃそうだろ。ずっと会社以外のことを考えられないような生活を強いられて、全てを犠牲にして、給与も据え置きで

親会社から合併して降りてきた人たちへの調整金という名目で額面より1万円毎月勝手に俺らの給与から引き抜かれてたが逆らえる人などいなかった)

ずっと発狂しそうな寸前を首を抑えられながらスキルにもなりもしない仕事メンタルヘルスボロボロになりながら働かされてた。

俺たちはまだ別に移る余裕があったけど、もう転職するにも40手前で厳しい年齢の人だった。当時は。

心じゃなくて寿命が折れることもあるだろう。

そこまでしたのにニュースはすぐにかき消された。



同級生野郎ばっかりだったが似たようなこき使われ方だった。自分の周りはもうほとんど連絡元っていないけど、誰も新卒会社でそのまま働いている人がいない。

氷河期の頃の20代、フリーター非正規の友人がスーパーが開いている時間に家に帰り、必要ものを店で吟味して買うことができ(当時は通販事情が違う)趣味時間を持てて楽しそうだった。

週末も有給休暇体調不良で消費していた自分選択が間違ったように感じた。そこまで自分を切り売ったのに手取りは同世代のの中でも大してよくなかった。

職歴は持てたかもしれないが、あんな思いまでしないと得られないものでは本来ないはずだ。

当時は自分時間を持てる環境にいる人が心底羨ましかった。

この会社を辞めた後、午後5時の新宿駅家路に向かう人の背中を見て、20時より前に帰る自由がある人がいる同じ時間軸でサビ残盛って奴隷のように無駄に働かされれ、20代を棒に降った生き方強制されたことの怒りに気づいて叫び出しそうだった。

その後も、途中無職になったり、死にかけたり、入った会社倒産合併リストラや色々煽りを喰らい転職を重ね

今は誰も知らないような外資に入って、つつましい仕事やってる。専門は専攻と全然関係ない情報機器肩書はengineerだがコンサルに近い。給与も高くはないが悪くない。やっと今人として必要ものを全部払って息が出来る状態

月間残業時間もしなくてもいいくらいだが10時間くらいやっている。金があると少しいいものが買える。嬉しい。

会社でのキャリアは上げようとは思わないけどレイオフ対象にならない程度には維持しつつ、同僚も多国籍で物知りで礼儀正しい。差別発言とか出るはずもなく、すごく呼吸がしやすい。

ここまでに生じた持病の通院の時間ちゃんと平日内に調整できる。本当素晴らしい。

いつまでこの状態でいられるか分からないけど、やっと生きている実感がある。

もう年齢的にはここから伴侶を見つけようとか思えなかった。けど、同い年でやはり時代に殴られまくったズボラ料理が上手な人と一緒にいられいている。

この歳になると結婚メリットも大してないか特に法的な手続きは考えていないけれど、向かい合う人がいるだけでどれだけ救いになっているかからない。

そして今オフ時間通信制大学入学して、何年かかるかわからないけどやりたかった経済学勉強をやってる。

きっとこの先の人生何にも役に立たないけどすごく楽しい

他の学部法律関係授業とったりしている。そのうち余裕があれば心理学勉強したい。

この後の望みは健康20代の何も結実しない無理は確実に体を蝕んで、色々できないことが増えた。

とはいえまだ検診の数値はいいけど、ほんとこれ。死守していきたい。

anond:20230620104704













ーー

元増田読んで自分の話を書いたけど全く読まれてなかった。

まあ氷河期って、就職できなかった人も地獄だったと思うけど、

就職できたからと言って労基法全然今と違ったので地獄でしたという話。

事件のあたりは探せば出てくるよ。嘘松だと思いたいだろうけど。

本社屋上は飛び越えられないように数メートルの柵があるって話だったよ。


就活の時、コネがあるから言えと親に言われていたが、それが嫌で絶対就活で得た仕事に就こうと思ってた。

それがこんな酷いところ。しかも上の人はコネで入った奴らだった。

最初会社を抜けれてやっと眠れるようになったのに、何度も職場に連れ戻される夢を見て叫びながら起きた。

あんなに苦労して入った会社だったのに、PTSDがあるんだと思う。

36協定派当時からあったけど徹底が促されるのはその後のこと。

就職前に聞いた話と給与面・職務面・勤務地などが異なったら会社を訴える権利が出てきたのもその後のこと。

転職が少しずつし易いものになったも、ベンチャーが増えてきたのもの氷河期の後だったように感じた。

少なくとも第二新卒とき転職先もなく第二新卒転職フェアに行っても主業で売るものがパッとしなくて、転職しても別の地獄があるようにしか見えなかった。

仕事していて嫌なことがや理不尽を感じたら、地域ハロワと同じところか近所にある労働基準監督署には相談できる人がいるから困ったらすぐに行くんだぞ。

近所すぎて噂になったらどうしようと思ったら、少し越境しても資格は一緒だから大丈夫。一人で悩まず相談しよう。お姉さんおばさんとの約束だ。

2023-06-20

リーマンショック世代就活ってあんまり語られないな

氷河期レベル就職率が悪いというデータも出ていて、実感としても仕事無くて大変だったんだがあんまり話題にならないよな。

広島話題になるけど長崎あんまりみたいな感じか。

氷河期なんていわれた世代だよ

山一證券内定が決まってた同級生がいた世代。なので、記憶ちょっと曖昧なところもあるかもしれないが許してほしい。

山一廃業ニュースが流れた日、内定をもらっていたその人は大学に姿を見せなかった。翌日青白い顔をして現れ就職相談課へ向かったが、状況はどうにもならないようだった。

10人に内定を出していた企業は、2月になって1人を除いて内定取り消しを知らせてきた。そんなことがあちこちで起こった。

内定を取り消された者への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから不況からね。山一が倒れるくらいだから他の企業も潰れてもおかしくないだろう? そういうリスクがあるのはわかってるんだから、なんで公務員試験を受けなかった? そんな空気だった。もっと公務員試験教員採用試験も受けたところで採用される確率はとても低く、強いコネでもないと決まらない時代でもあった。

当時の空気感は今と全く違うし、知らない世代には通じないものがあると思う。そんな話をしていきたい。

まず、当時はインターネットがそんなに普及してなかった。地方に行くほどその傾向は高く、他所で何が起きているかを把握するまでに少し時間がかかった。一番早くてテレビそれから翌日届く朝刊。口コミの伝播も遅かった。東京流行っているファッションアイテム地方に届くまでにも、半年くらいかかっていた。

就職のための情報収集もとにかくアナログで、ホームページのある企業はまだ少なかったし、あっても用を成さなものと見做されていた。だからリクルートがくれる分厚いカタログについてくるハガキ資料請求

そんなことをしてると部屋中企業案内のカタログだらけ…になると思うだろ? 企業ハガキにある大学名を見て送ってこなかったりもしたから、そんなに増えないのだ。そして応募しても当たり前のように落ちるし、酷いところは結果も知らされない。絶対電話で結果は連絡しますといっても、かけてこない企業の方が圧倒的に多かった。電話代もいちいちかけるには高いもんな。当然封書での不採用通知ほとんどくることはなかった。履歴書も戻ってくることはほとんどなかった。

パソコンよりワープロのほうが普及していたけど、増田のいたゼミ卒論手書きで出してた割合の方が高かった。そして履歴書は当然手書き。当時はそんなソフトもない。(頑張れば履歴書も作れたかもしれないが、当時の手書き文化の前で認められることはなかっただろう)そんな手書き履歴書を何十、何百枚と書いて各企業に郵送していた。当然、コピーなど許されなかった。ペンだこができるまでボールペンを握り続けた。ちなみにボールペンも昔はたいして種類がなくてソフトグリップなんてものはまだ多くなかった。だから履歴書も手を真っ黒にして書き続けるしかなく、その多くが徒労に終わった。

ちなみにあの頃ケータイは高すぎて、学生は皆ピッチ(PHS)かポケベルを持ってた。田舎住まいだと実家に帰ると電波が入らなくて、履歴書にも家電の番号を書いていた。

しかしながら増田の周りの女子大生特に短大生の内定率は高かった。まだ腰掛けが当然の時代で、30歳前、早ければ25歳くらいで女性社員結婚理由にどんどん退社していく。つまり常に会社には若い女性が入れる隙間があった。そして企業がそんな若い女性に求めるのは、「将来的にいいお嫁さんとして最適な時代に辞めていくこと」でしかなく、学生側もそれを良しとしていた。総合職を目指す女子大生は求められていなかったのだ。そこは厳選された男子学生の席だった。

男女雇用均等法はまだ、あってないようなものだった。インターネットが普及していないかたから、今のように誰でも気軽に告発するようなこともできなかった。そういったことは共産党相談するしかなく、それはとても高いハードルだった。

氷河期世代理由に今も不遇をかこっているのがおじさんばかりなのもそこに理由がある。あの当時、女子大生短大生はサクッと内定を獲得し、数年働き、そのほとんどが結婚を機に職場を去っている。そして家を建て、車を買い子供を産んだ。

もちろん、そうはいかなかった女もいる。これを書いている増田だ。中学生の頃から母がフルタイムで働いていて、自分でもそうするのが当たり前だと思っていた。だから分不相応にも就職活動ではキャリアを目指したいなどと言ってしまった。

結果、どこにも決まらなかった。そんなものはまだ必要とされていない時代だったのだ。

内定先を見つけられないまま卒業式を迎えた。求人誌で見つけた大手企業アルバイトに応募したら案外あっさりと決まった。社員登用もありなんて書かれると人は弱い。そんなことは結局起きなかったが。

アルバイトながら4月1日に勤務開始。仕事は主に伝票計算。社保も厚生年金も入れず自分で払うと最低時給の給料は吹き飛んだ。そしてその職場には、同じく就職できなかった女子がいた。卒業した大学増田よりはるかに上のランクだった。こんな人でも決まらなかったのか。彼女はやはり25歳になる前にお見合いをして職場を去った。

増田も30前にしてやっと手に職をつけることができた。アルバイト先を辞めて実家を出て、なんとか就職できた。

数年働いた後、昔のバイト先が消滅したとバイト仲間から知らせを受けた。紙と手でチェックしていた伝票計算仕事が無事にすべてIT化され、施設自体が閉鎖、アルバイトも全員解雇されたのだ。

だが昔の仲間を労っている暇はなかった。キャリアも何もないアラサーの女は多少のことで辞めはしないだろうという激務につぐ激務で、体を壊した。

転職しようと就職支援会社に行くと「年齢とキャリアミスマッチですね」と言われ、紹介できる会社はないと遠回しに言われた。ずっとこの言葉はついて回るのかと思いながら、別の会社を経由して無事に転職した。このときにはもう、履歴書手書きで出す必要はないと言われた。いつのまにか時代は変わっていた。ネットに落ちているExcel履歴書ダウンロードして入力して、プリントアウトして提出した。あっさりしたものだった。

無事に転職した直後に、リーマンショックがきた。暮れのテレビでは派遣村ニュースをやっていて、自分もいつそこへ行ってもおかしくないと痛感した。当時付き合っていた人は不況煽りを受けて職場倒産し、その後変な山師みたいなおっさんについてベトナムに行くと言って連絡が取れなくなった。風の噂で今は日本にいると聞いたが、どうしているのかまでは知らない。

それから震災やら大コケするビッグプロジェクトやら家族との別れなど、色々なことに遭遇しながら、今も一人で生きている。会社は辞めたが、仕事はしている。久しぶりに自分健康保険国民年金を払ったら、思った以上に高くなっていた。この先もずっとこんな感じで生きていくと思う。職をつけてよかった。

増田には今、大学同級生たちとのつながりがほとんどない。世の中にSNSが普及したころ、彼女たちは子育ての真っ最中でそれどころではなかったのだ。Facebookで卒大のグループを見てもそれらしいアカウントは見つからなかった。かろうじて繋がっている数少ない友人たちもLINEをやるくらいで、SNS積極的に発信することはない。特に言うべきこともないからだ。

2023-06-19

氷河期世代被害者ヅラは鬱陶しい リーマンショックの後の方が就職率は悪かった訳で

氷河期世代とか可哀想ぶるけど、

更に氷河期世代で開き直って独立した人が、

今日本の有名な会社になってたりもするし

2023-06-18

ポンド円と日経平均おもしろいことになってる

来週も上がるなら当分ジリ上げだと思う

ドル円が節目だからちょっと止まる可能性もあるが、そう落ちることはないと思う

 

となると今ポン円180円

2015年に195円で、リーマンショック前は245円あたりだった

今回の動きは当時と全然状況が違うけど

日銀が今年度利上げしないと考えると、195円付近狙ってきそう

もし仮に190円越したらショートして1,2年放っておけば結構かると思う

ただしスワップがないところが望ましい

 

ピークはこの夏くらいだとは思うんだよね

もちろんここが天井可能性もある、ただここで長期ショートは悪手

 

日経平均は35000は射程圏内だね

これも35000を待って長期ショートはありだと思う

日銀が出口を探し始めたと判断された瞬間全モして30000割ると思う

2023-06-17

リーマンショック就職氷河期はどうなったの?

上の就職氷河期が強すぎて目立ってないんだよね

2023-06-16

一応氷河期世代だけど

なんとか見つけた仕事にしがみつこうと無理して体壊して、治ったからまた働きだしたらまた体壊してってのを繰り返してきた。

もう体ボロボロでまともに働けなくなってしまった。

からといって別に自分境遇に同情してほしいとかそういうのはない。

自分に落ち度が無かったとは思わないしね。

もっといろんな仕事を探すべきだったとか、ブラック環境に甘んじずに自分から改善すべきだったとかそういう後悔もある。

ただ氷河期世代への対応って色々失敗だったってのは昔から言われてたでしょ。

それなのにリーマンショックの時とか今の若い世代境遇とか見てると、氷河期世代の時の反省を活かして改善してるようには全く思えないんだよね。

俺くらいの世代で俺みたいな境遇人間はもう手遅れだから、いつドアノブにぶら下がるか悩むくらいしかできることないとは思うよ。

でも俺より一回り以上下世代なのに、俺の若い頃と同じかそれ以上に酷使されてる子達が居る。

これだけ人手不足だって言われてるのに、待遇全然変わってないか悪化してるところが多い。

時給だけは昔より増えてるけど、今は物価がどんどん上がってるし生活が楽になる要素はない。

日本企業生産性が低いってずっと言われ続けてるけど、それが改善しないどころか教育設備への投資できてないからむしろ悪化していってる気さえする。

外国人技能実習生問題もそうだけど、労働力が余ってた頃の人を消耗品にして現場を無理やり回すやり方を捨てないと駄目だったと思うんだ。

こういうところを改善する為に氷河期世代をすり潰して稼いだ時間だったはずなのに、結局旧態依然としたこの国の体質を延命するだけに終わってしまった事を悔しいとは思ってる。

2023-06-15

キュウソネコカミが歌ってるギリ昭和1987年)生まれゆとりの中でも同情されていい

就活リーマンショックが重なったのはこの世代だったか

たぶん

就職氷河期人の感想

別に選んで派遣をやっているのではなく、正社員で働くことを求められてこなかっただけだよ。

今の40代就職氷河期真っ只中の、さら男女雇用機会均等法努力義務からようやくまともに機能し始めた世代だ。総合職一般職なんて区分はそろそろ無くさないとなあ、という流れはありつつも、企業もまだ戸惑っていた。上の世代では初めての女性総合職、なんて言われてた。

バブルは弾けきって就活ハードモード

そこに女子総合職枠は少なく、当たり前のように男子内定を出した後から、補助的に採用していた企業も少なくなかった。

さら総合職面接で、子供産むつもり?育休なんて取らないよね?って念押しされる。

一部上場でそんなだからあとは推して知るべし

なかなか男子でも就職が決まらない中で、ようやく会社を見つければ、女子だけお茶汲み雑用。そして女子の方が給料が安いし出世もしない。

就職できなかった同級生も男女ともに多い。そんな人たちはずっと派遣社員やアルバイト

ずっと氷河期から後輩も少なく、雑用ばかりやらされて、30歳になるかどうかでリーマンショックだ。あちこちリストラだ。ここで派遣シフトした友達も少なくない。

うそうなると、正社員というルートは無理だ。満身創痍の当時の日本企業に、30代女子を取る体力などなかった。それがずーっと続いている感じがする。

30代後半になると、急に仕事と家庭の両立、育休取るべき!みたいな空気になってきた。

それ自体は良かったね、と思ってる。

40代後半で、正社員をしている友達はごく僅か。結婚して仕事と家庭と両立、なんて人は、身の回りの同世代女子はいない。

それでもどうにか、やりくりしながら一人で生きていこうと派遣でも頑張っている人もたくさんいるよ。

2023-06-08

anond:20230607174710

株の話は、損した話の方がウケがいいし、損した話しかしないな。

リーマンショックの年は2千万損して半分死んでたとか

原発爆発したとき東電ガッツリ持ってたとか

コロナ初期の頃にどうせすぐに終息するでしょってどんどん買ってたら、3ヶ月で2千万損したとか

全然儲かってまへんねんって言ってマクド優待券を配っておく。

2023-06-02

令和05年最新版 日本半導体産業の現状について

台風仕事休みになりそうなので暇つぶしに。

3年くらい前に日本半導体産業の近況をまとめたのですが、ここ数年で政治家先生たちが何かに目覚めたらしく状況が大きく変わりつつあるので各社の状況をアップデート

前回の記事 https://anond.hatelabo.jp/20200813115920

先端ロジック半導体

■ JASM (TSMC日本法人)

熊本工場:28nm, 22nm (工場稼働時) / 16nm, 12nm (将来計画)

日本政府補助金ソニーデンソー出資という離れ業により、業界人が誰も信じていなかったTSMC工場進出が実現した。現在建屋建設が進んでおり、順調にいけば2024年内には量産開始となる。生産が予定されているプロセスはいずれも世界最先端に比べると古いものだが日本では最先端であり、HKMG(ハイケーメタルゲート、トランジスタの性能を上げる技術)やFinFET(フィンフェット、性能の良い3次元トランジスタ)といった技術が新たに導入される。工場生産される半導体の主なクライアント出資者のソニー。衰退の激しい日本の電機業界だが、ソニーはまだ世界と戦う余力を残しており年間半導体購入金額世界10位で日本トップである。ただし、PS3Cell Processor長崎で作っていたように先端プロセッサをここで作れるわけではない。PS5のCPUTSMCの6nmプロセス製造であり、この工場では製造できないのだ。識者の予測ではイメージセンサー向けロジック半導体生産すると想定されている。

■ Rapidus (ラピダス)

千歳工場:2nm

日本政府国策で、IBMから技術を導入し自前で最先端半導体製造を狙う野心的なプロジェクト。量産開始は2027年を予定。

社長を務めるのは御年70歳になる小池氏。

彼は日立トレセンティテクノロジーズ(ルネサス那珂工場前身)→SANDISKWestern Digitalという国内外半導体メーカー渡り歩いた華麗な経歴の持ち主である

以前に社長を務めていたトレセンティテクノロジーズは2000年日立台湾大手ファウンドリUMCとの合弁の半導体製造会社で、世界に先駆け現在の標準となる300mmウェハに対応した先進的な工場であった。ファウンドリ全盛の今から後知恵で見れば、限りなく正解に近い経営戦略先進性を併せ持っていたがビジネスとしては成功しなかった。工場ルネサスに吸収され、小池氏はSANDISKへと移籍することに。そんなわけで今回の国策ファウンドリRapidusの社長就任小池氏の二十数年越しのリベンジマッチでもある。

なお、氏のポエミーなプレゼン業界でも有名。記者会見日本半導体衰退の原因を「驕り」と一刀両断した一枚のパワポ話題さらったが、本人が一番驕っているのではと不安がる声もある。

ルネサスエレクトロニクス

那珂工場:40nm

日立三菱電機NECロジック半導体部門統合した日本代表する半導体メーカー

5万人いた従業員を1/3にする大リストラ、先端プロセス製造から撤退海外メーカーの買収ラッシュを経て復活。そして大躍進。

昨年の売り上げは1兆5千億円を超え、はじめて統合直後の売り上げ(ピークは2011年3月期の1兆1千億)を抜いた。もう1+1+1=1とは言わせない。

旺盛な車載半導体需要にこたえるべく、政府補助金を得てリストラで閉鎖した甲府工場の再稼働を決定。

コロナ禍では働き方が柔軟になり、リモートワークは全国どこでもできるようになった。ルネサスは開発拠点も大リストラで統廃合しており、三菱系の伊丹NEC系の玉川をはじめ全国にあった設計拠点日立系の小平に集約している。地元拠点が閉鎖されて単身赴任をしている人も多かったのだが、最近ではリモートワークを活用して単身赴任先のマンションを引き払った人も出てきている模様。

ユナイテッドセミコンダクタージャパン

三重工場:40nm

増大する車載半導体需要にこたえるべく、デンソー出資してパワー半導体IGBT生産を始めた。筆者はパワー半導体は専門外で、家電芸人が語る家電説明程度にしか話せないため軽く紹介するにとどめたい。

■ タワーパートナーズセミコンダクター

魚津工場:45nm

半導体部門を手放したがっていたPanasonicイスラエル企業Tower Semiconductorと共同で運営していた工場

Panasonic台湾Nuvoton technologyに持ち分株式を売却したため、現在ではイスラエル台湾共同運営という珍しい業態になっている。

さらに、半導体大手IntelTower Semiconductorの買収を進めているため、将来的にはIntel拠点となる可能性があり、日本IntelCPUが作られる世界線もあるかもしれない。

が、本案件は米中対立あおり中国での買収審査が長引いているため、先行きには不透明感が漂う。

メモリ半導体

■ キオクシア

四日市工場 / 北上工場3D NAND 162層

日本代表するメモリ半導体メーカー。前回からの3年で、積層数は96層 → 112層 → 162層と2世代進化した。競合他社は232層品の量産も始めている(キオクシアは開発完了 / 本格量産前)が、最近3D NANDは闇雲に積層数を増やせば低コストで作れるというわけでもない模様。

なお世間では半導体不足のニュースの印象が強く、半導体はもうかっているとの認識があると思うがコロナ禍でのIT投資ブームが終了したメモリ業界リーマンショック以来の大不況である

キオクシアも例外ではなく、最新の4半期決算1000億円単位赤字を計上してしまった。Western Digitalとの統合のうわさがあるが、もちろん筆者は何も知らないし、仮に知っていても絶対にここには書けない。

Micron Memory Japan (旧エルピーダメモリ)

広島工場DRAM 1βnm世代

ルネサスと同じく、NEC日立三菱電機DRAM事業統合で生まれエルピーダメモリ倒産後に米Micronが買収。

前にも書いたが、DRAM業界プロセスサバ読みが横行しており、20nmを切ったあたりから具体的な数字ではなく1X, 1Y, 1Z, 1αときて、ついに1βnm世代の量産にたどり着いた。広島サミットに合わせて、社長来日。岸田総理会談後大々的な設備投資を発表。1γnm世代を目指して日本初の量産用EUV露光装置が導入されることが決まった。

このEUVというのは波長が13.5nmの極超紫外線(Extreme Ultra Violet)を使った露光装置で1台200~300億かかる人類史上最も高価で精密な工作機械でありオランダASML社が独占的に製造している。もっとも、メモリ業界大不況を食らっているのはMicron例外ではなく、岸田総理と華々しく会談している裏で数百人規模のリストラ慣行。こういう外面の良さと裏でやってることのえげつなさの二面性は、いかにも外資だなと思う。

Western Digital

東芝と共同でフラッシュメモリの開発を行っていたSANDISKHDD大手Western Digitalが買収。キオクシアの四日市工場北上工場を共同で運営している。

Western Digitalメモリコントローラーを内製していることで知られSSDの性能の良さに定評があり、スマートフォン向けの売り上げが多いキオクシアとは、同じ工場運営していても得意としている販売先が微妙に異なり、住み分けがなされている。(そのため、2社統合によるシナジー効果が期待されたびたび観測気球的な記事が出回る。)

なお、もともと日系半導体メーカーが大リストラをしていた時の人材の受け皿として中途をたくさん採用していた経緯もあり、人材流動性は高い。在籍時の仕事ぶりがよければ、他社へ転職していった元社員の出戻りも歓迎と聞く。前述のRapidus社長小池氏は、つい先日までここの社長をしていた。余談だが、上記Micron米国本社社長も旧SANDISK創業者Western Digitalによる買収後に引き抜かれている。こういう話を聞くと、いかにも外資だなと思う。

イメージセンサー

ソニーセミコンダクターソリューショングループ

イメージセンサー世界最大のシェアを誇るソニー半導体部門2020年2021年は米中対立あおりを受けて主要顧客Huawei向けの出荷減少に苦しんだが、2022年度は大幅に売り上げを伸ばし、1兆4千億円となった。他の半導体の例にもれずイメージセンサー国際競争過酷であるため、対抗して人員増強を進めている。Panasonicエンジニアを引き抜くために関西設計拠点を開設し、各地の工場拡張も並行して進めている。調子のいい半導体メーカーはどこも人員増強を進めているが、ここ10年ほどは理工系学生半導体業界人気がどん底、かつ人材ニーズも少なかっため、新卒半導体メーカー就職した絶対数が致命的に少なく30~40歳くらいの中堅技術者の確保にどこも苦労している模様。なお、スマートフォン向けカメラの次の飯の種として、車載用途に数年前から注力開始。最近徐々に成果が出始めている。

ファブレス半導体

■ ソシオネクスト

富士通PanasonicLSI設計部門統合してできた日本最大のファブレス半導体メーカー。昨今の半導体ブームの波に乗り、株式上場、売り上げ2000億突破と非常に好調。3年前は1000億程度の売り上げだったので、すさまじい成長であるもっとも、母体となった富士通Panasonicピーク時の半導体売上が1社で5000億近くあったので、少々物足りなさを感じなくもない。復活は道半ばである

メガチップス

ソシオネクスト誕生するまで日本最大のファブレス半導体メーカーだった。もともと任天堂向けの売り上げが大半だったのだが近年は多角化を進めている。昨年の売り上げは約700億とSwitch人気がピークだった時と比べるとやや劣るが営業利益過去最高を記録している。

ザインエレクトロニクス

かつては日本代表するファブレス半導体メーカーと言えばここだった。昨年の売上高は54億と、3年前紹介したときの30億から伸びたものの、ファブレス上位2社からはかなり離されてしまっている。大昔は韓国サムスン電子に自社製品採用されたのがウリで創業者武勇伝にも頻繁に登場していたが、今では売り上げの75%を国内依存しており海外展開の出遅れが否めない。

非先端ロジックマイコンアナログディスクリートなど

東芝

車載用途のパワー半導体需要が伸びており、石川県工場に300mmウェハ対応ライン建設。この記事でよく出てくる300mmウェハとはシリコンの基板の直径であり、大きい方が製造効率が良い。125mm → 150mm → 200mm → 300mmと順調に大型化が進み次は450mm化と思われたが、大きすぎて弊害が大きく、ここ20年間はずっと300mmが最大サイズである

従来はCPUメモリといった分野の製造しか使用されていなかったのだが、ここ5年くらいでパワー半導体にも300mm化の波が押し寄せてきている。

ローム

何かと癖のある京都メーカー車載事業好調で売り上げが順調に伸びている。次世代パワー半導体材料と呼ばれていたSiC日本国内の他のメーカーリード

余談だが、筆者は学生のころSiC実験で扱っていた。単位を落としまくっていた不良学生だったので、教授がワクワクしながら話していたSiCの物性の話はすべて忘れている。今では家電芸人並みのトークしかできないのでSiCについて語ることはご容赦いただきたい。研究から本格量産まで20年超の時間がかかっていることに驚きである。基礎研究の大変さを実感する。

三菱電機

パワー半導体大手半導体に力が入っていないシャープから福山工場敷地を取得し、300mmウェハ対応ラインを構築。SiCライン熊本に作るぞ!パワー半導体には詳しくないからこの辺で勘弁な。

ミライテクノロジー

日本半導体産業が衰退しまくっていたころに、トヨタ危機感を覚えてデンソーとの合弁で設立した車載半導体メーカーコロナ禍中に行われたオンライン学会に知らない会社の人が出てるなと思って調べたらここだった。

■ TI

米系のアナログ半導体世界大手富士通AMD合弁のNOR FlashメーカーSpansionから買収した会津若松工場茨城県美浦工場を持つ。最近日本法人の話をあまり聞かない。

On semiconductor

米系のアナログ半導体大手三洋電機半導体部門を買収したが、旧三洋新潟工場日本政策投資銀行出資ファンドに売却した。現在日本拠点富士通から買収した会津工場富士通半導体事業から手を引き工場を切り売りしたため、会津若松市内には米系大手半導体メーカー工場が立ち並ぶことになった。

Infineon Technologies (インフィニオン)

ドイツ大手電機メーカー、Siemenseが20年ほど前に半導体部門分社化して誕生した。従来欧州半導体メーカー日本での存在感があまりなかったのだが、富士通マイコン半導体部門を米Spansionが買収、そのSpansionを同じく米Cypressが買収、そのCypressをInfineonが買収した結果、日本市場でも存在感を示すようになった。もともとInfineon自体車載半導体に力を入れており、有力自動車メーカーがそろう日本市場に注目しているというのもある。

■ Nuvoton Technology (ヌヴォトン)

台湾半導体メーカー半導体から撤退したがっていたPanasonicからTower Semiconductor共同運営している工場と、マイコン設計部門を買収する。Panasonic時代は、自社家電向けの独自マイコンをメインに作っていたのだが、Nuvotonに買収された後はArmベースの汎用マイコン設計品目が変わった。日本法人は車載モータ制御向けのマイコン開発に特化させていく方針台湾の開発チームとは住み分けを図る模様。富士通ほどではないが、Panasonic半導体部門を切り売りしており、所属していたエンジニアバラバラになってしまった。研究室が一緒でPanasonic半導体部門入社した友人がいたが、彼は今どこに流れ着いているのだろう?

2023-05-31

体感景気とバブル崩壊はズレがあったと思う

https://anond.hatelabo.jp/20230530182341

 

これ昔から思ってた

1980年代がイケイケだったのは確か

1987年1989年が圧倒的にバブルだったが

これは調べるとわかるが、虚構にまみれた株価だった

日本全体で株価吊り上げをやっていたに等しい

 

1990年株価ピーから急落、2年で半分以下になった

不動産価格半年遅れくらいで追従、これで土地転がししてた人らがバタバタ倒れたのは有名なんだけど

大企業はこの負債だけでは即死せず、かといって公表せず、爆弾を抱えたままゾンビのように生き残っていた

 

から一般人にとってバブル崩壊はどこか他人事だった、株価が4年前に戻っただけだから

色んな指標1997年ピークになっている

例えば日本人の給料ピークが1997年だった、新聞発行部数1997年ピークだ

から個人的には元増田の言う「90年代後半は暗かった」というのは分からない

日本人はまだまだイケイケだったと思う

エンタメも元気だった

例えばFF7発売が1997年だし、アムラー流行ったのもこの頃、ジブリもののけ姫を出したし、ハリウッドではインデペンデンス・デイロストワールドスピード2が出た年だ

面白かった思い出しかない

 

ただ97年に金融界が危機だったのは確かで

北海道拓殖銀行山一證券日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破綻した

ただ、この頃からITバブルが始まっていたこともあり、若者子供にとってはそんな暗い時代ではなかったと思う

ノストラダムスの大予言に夢中だったのは確かだけどそれはベクトルが違う

 

じゃあい頃日本が暗くなったかといえば、2002年から徐々にだと思う

ITバブル崩壊し、金融政策がうまく行かず、バブル崩壊負債と金危機負債小出しで爆発した関係で低迷したし

回復してきたかと思ったら2005年会社法が成立し、会社健全化する中で膿を出しつつ低迷した

ちなみに2005年合計特殊出生率が最低をマークしている、ここらへんがどん底だと思う

この頃は小泉政権時代だ、まさに聖域なき構造改革で、膿を出して2007年くらいにはようやく回復したんだが

2008年リーマンショック2011年東日本大震災で追い打ちをされた(これがなかったらどうなってたんだろう)

海外でもゴタゴタあり、結果2002年2014年あたりの殆どタイミングで暗い時代が続いた

そして実は2014年以降、つまりアベノミクスタイミングでは世界的に平穏で少しずつ回復して行っていたわけだが

まあコロナで全部壊されて今に至る

 

まとめると、90年代後半ってすげー良い時代だったと思う

 

ここらへんの話はしくじり企業系の情報見てるとストーリー見えてきて面白いよ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん