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はてなキーワード: リーマンショックとは

2023-07-24

運のいい人生だった

まれときは庭付き一軒家だった。

小学3年の頃に急に引っ越すことになり、そもそも一軒家が賃貸だったことにショックを受けつつ、マンションへと引っ越す。

この辺りから転落していくんだが、

引っ越しの要因は父親仕事を変えたらしく、家に居ることが増えた。

もともと何の仕事をしていたのか分からなかったが、引っ越しからタクシードライバーをやっているようだった。

両親は不仲な感じで、自分は父の居るリビングに居づらく自部屋に籠もってスーファミをやった。

そこから何回か引っ越しを繰り返し、次々と住まいのグレードは落ちていった。

最終的には長屋のようなボロ借家自分中学生の頃だ。

今思うと安家賃を求め引っ越しを繰り返す、引っ越し貧乏のような気もする。

父親タクシードライバーを辞めバイトみたいな仕事、母はパートで働いていたが、

家は貧乏お好み焼き豚肉を入れることも躊躇われる程だった。

高校は行かせて貰えたがそこから進学するという選択肢自分の中に無かった。

自分勉強も出来ないのでランクの低い商業高校に入り、その高校内で当初は上位に居たものの、

遊び呆けて順位はみるみる落ちた。

就活学校に来る求人適当に見繕った。

とりあえず家を出たかったので遠方地が良かった。

東京金融業か近場の地方製造業の2つで悩んだが、

知り合いの居ない東京は嫌だな、1,2時間もあれば友人に会える近場地方製造業を選んだ。

就職氷河期と呼ばれる2001年だ。

ここが人生の転機だった。

入社してすぐにリストラが実行されたが新人には関係がなく、

リーマンショック赤字転落しそうだったが何とか耐えきったようだ。

無学な高卒だが課長にまでなり年収は1000万円手前になった。

家も買い、妻子にも恵まれ中学高校時代貧乏生活が嘘のようだ。

これは完全に運要素だ。自分に何かスキルがあるとは思っていない。

就職ガチャSSSを引いただけ。

東京金融業を選んでいたらどういう人生だったのだろう、とたまにふと思う。

ちなみに父親は不摂生他界した。

anond:20230724131014

元増田就活という大きなイベントがあったから覚えてるだけで15年前と14年前や16年前の違いを正確に覚えてる人はほとんどおらんやろなあ

リーマンショックはたった1年で急激に景気悪くなったからずれが認識されやすいってだけの話

anond:20230723181923

リーマンショック後の就活はあまりに急に悪くなりすぎて、数字以上に厳しい戦いだったかと思う

内定者の中には血縁とかそういうコネ入社一定数おり、こういう枠は急には減らせないので何も持っていない人の枠がぐんと減る

anond:20230723181923

2009年卒だからわかるよ。

あのときは、過剰な売り手市場就活おかしくなってるって論調記事をよく見た。

ただ、内定ポンポン出るとはいえ、それは一部の優秀な人に対してだったから、俺みたいに面接の下手な奴はなかなか決まらなかったな。ただ、すぐに面接までは進めるから、場数を踏みまくることで面接に慣れて、今の会社内定を貰えたよ。だから1年ずれたら就職できなかったんじゃないのかという恐怖感は当時あったわ。

ちなみにリーマンショックによる内定取り消しが騒がれてたけど、少なくとも知り合いにはおらんかったし、○○が内定取り消しになったみたいだぞ!って噂すら耳にしなかったから、なんだかんだでこの世代はほぼ逃げ切ったイメージ

マスコミを騒がせた内定取り消しの会社って、年度末に潰れてたから、本当にリーマンショックの直撃を食らって、にっちもさっちもいかなくなってたんだろうな。

2023-07-23

追記あり】たった15年前の出来事もめちゃくちゃ間違って流布されてて衝撃を受ける

2009年卒の就活氷河期どころか思いっきバブルだったぞ。07年卒、08年卒はもっとザルだった。

ちなみにこの時期は、マーチ内ですら

みずほ銀行りそな銀行は無対策で応募してもかなりの高確率内々定までいっちゃうから行く気ないなら受けないほうがいい」

みたいに囁かれてた。学内で親しい先輩のうち、この年度にみずほ銀行を受けた人は5人いたけど5人全員内定してた。

早慶なんかだと

メガバンクは赤だろうが緑だろうが蹴るもの

というのが常識だったようだ。今の時代就活生や20世紀就活を知っている人からしたら衝撃的だろう。


リーマンショック由来の就職氷河期が始まったのは2010年卒の人間就活から

この就職氷河期は、不景気突入嚆矢となる象徴事件リーマン破綻から新卒採用抑制時間差が全然ない珍しいものだった。本当に突然バブルから氷河期突入したのだ。

秋頃にメガバンク採用予定計画が発表されてどこも軒並み半減してて「あーこれはヤバいわ」とNHKニュースを見ながら血の気が引いたのを覚えている。結果、やはり前年までの就活が嘘のような超買い手市場と相成った。圧迫面接が大流行した。

それから・・・

マスコミとかパイロットとかじゃない限り大手企業の最終面接儀式から落ちない」

という新卒就活常識が全く通用しなくなったのもこの年度からで、大企業の最終面接落ちも大流行した(増田友達東大法学部しかコミュ強で容姿別に悪くなかったのだが、のべ7社の大企業で最終面接まで進んだのにも関わらず全て落とされ無い内定のまま就職留年した)。


そして、このリーマンショック起因の就職氷河期11年卒、12年卒と年度を重ねるごとに地獄絵図になっていった。



ここまでは事実である

さすがに13年卒の親しい人間自分はいなかったので、この年度以降の就活戦線がどういうふうになっていたのかは全くわからない。

誰か教えてほしい。


とりあえず2009年卒はバブル2010年から突然氷河期突入っていうのは強く言っておきたい。

特にツイッター民に対して。



追記

メガバンク内定が学友から「うん、まあ良かったね……」程度の反応されるような微妙位置づけだったのには理由がある。

当時の就活生は「大手しかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、

したがって、「大手・低倍率・給料福利厚生以外が非ホワイト」なメガバンク内定は大して凄いと思われなかった。

この価値観がよく表れていたのは2ch就職板の『就職偏差値ランキング』なる有志が独断偏見作成したもので、

記憶が確かならそこではメガバンクよりも食品メーカーとか素材メーカーとかのほうが上に据えられていた。

実際、三菱東京UFJを蹴ってサッポロビール三井住友銀行を蹴って中央発條入社を決めた人間友達にいた(生涯賃金で5000万円以上差があると思うのだがそれでも激務は何より恐れられていた。ドラマ半沢直樹放送されるずっと以前だったが、もうメガバンク健康人間らしく働くにはあまり苛烈でエグい職場環境であることはネットのせいでバレバレだった)。



同じように証券会社保険会社大手だろうが忌避されていた。

ちなみに日興コーディアル証券なんか日大や専修あたりの大学からでも内定バンバン出てた。


このように大手金融採用は(基本的に)ザルだったのだがこれにも例外があって、

東京海上日本生命営業幹部採用じゃないほう)の総合職マーチ男子程度だとほぼノーチャンスだった。

いずれも体育会系有利と言われる会社ではあるが、マーチに関しては体育会系とかどうとかもはや関係なく、各大学0~3人程度の内定にとどまった。

身分違いだったのだろうか。



さて、

当時の就活生は「大手しかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、

それゆえに大手金融は09年卒であろうと10年卒であろうと

無い内定にならないため、万一入社しても高給が保証されているから、戦略として仕方なく受ける企業

しかなく、基本的に不人気だったのだが、これにも例外があった。

それはみずほ証券大手信託銀行である

みずほ証券については「ホールセールばかりでリテール全然やらなくていいから」、

信託銀行については「メガバンクと違い、残業全くしないで30歳1000万円まで一律昇給できる地上の楽園から

という大間違いでしかないイメージが当時の就活生のあいだで広まりに広まっており、

学歴コミュ力とルックススクールカーストに自信のある就活生が猫も杓子も信託銀行希望するという謎のブームが生まれていた。

ちなみに、私は当時の信託銀行ブーム距離を置いていた。

ノー残業・ノーパワハラ・ノー怒声なんていかにも嘘くさいっていうか100%ありえないと確信していたし、

完全に諦められた窓際社員でも自動的に到達できる年収は30歳700~800万円・40歳1000~1100万円くらいがせいぜいなのではという見立てだったからだ。


書いてる途中に思い出したけど、当時は楽天ソフトバンク本体内定者の学歴ボリュームゾーン日大って感じの会社だった。

今は一橋慶応になるらしいが隔世の感がある。



就活も今と比較したら随分シンプルだった。

大事なのは大学名、その場でいかに「論理的に落ち着いて会話できるか」、本人の雰囲気であり、超人エピソードを作りに動く就活生は嗤われていた。

バイトサークルのどれか一つやっていれば充分であり、インターンに応募しようとするやつはそれがたとえ1dayであっても周りから「凄まじく就活気合を入れている」という見方をされていた。

これはつまり、あっと驚くような体験活動のおかげで就活結果が大きく変わることがないというシビア現実意味しており(テレビ局とかの採用は違うんだろうけど)、

裏を返せば課外活動をせずともコンビニバイトでも適当にやって面接の場をどうにか凌げば大手から内定が出るような時代だった。

筆者には法政大学に通う仲の良い友だちがいたのだが、

彼は今で言うチー牛で(当時は非リアといった)、サークルには所属せずボランティアなどの課外活動エピソードもなく、

週3のコンビニバイトと1日2度のオナニーをするのみであったが某中堅損保内定した。

ちなみに体育会野球部であろうが同大学の一般学生比較してさして就活で有利にならない時代でもあった。

チー牛友人は内定者懇親会に参加したとき、同じ大学野球部の有名選手いたことに

大学野球頑張っても俺なんかと同じ値打ちにされるのか……」

と大変なショックを受けたと言っていた。

実際、筆者は野球が好きなので六大学東都大学の4年制進路を毎年チェックしていたが野球部ブースト全然効いてなくて毎年苦笑したものだ。

東大早慶でも一般学生期待値は大して変わらず、マーチ日東駒専にいたっては一般学生より下手すりゃちょい悪いのではというほどだった。

マーチ野球部から全国紙とかサントリーとかADKかにいけるのは直系附属出身者や県立トップから一般入部してきた選手とかで、野球名門校出身者は主力選手であろうとも野球継続しないのなら大手百貨店関の山だった。◯◯自動車販売”とかもお馴染みの進路だった。

そして日東駒専大東亜帝国あたりの野球部の進路はこんなもんじゃなかった。

当時の就活も嘘つき合戦ではあったが、今の就活インターン当たり前、エピソード作るために大胆に動くの当たり前だと聞いて本当に大変だと思う。

anond:20230722182903

韓国オーストラリアイギリスアイルランド

賃金を上げて経済成長した国は、外需経済依存している国ばかりじゃん。

アイルランドって国策として金融国家を目指したけど、リーマンショックで全部パーになったよね。

日本アメリカのような人口が多くて内需が大きい国の参考にはならないんじゃないの?

2023-07-18

anond:20230717210538

でもその割にバブル崩壊リーマンショックみたいなタイミング経験のない人たちに任せようとするじゃん?

anond:20230718000650

リーマンショックはあらかた就活終わってから来てるから内定取り消しされた一部の可哀想な奴を除いて、2009年卒は逃げ切ってるぞ

anond:20230718000349

2009年度卒はリーマンショック直撃のはずやからリーマンショック就職氷河期じゃなかったというならそうなるやろうけどな

anond:20230718000013

2008年2009年はめちゃくちゃ売り手市場だっただろ。そこからリーマンショック来て回復するのに6年くらいかかってる。

2023-07-17

富裕層に到達した

夏のボーナスで準富裕層金融資産5000万円以上)になった。

正確には結婚から個人貯金が3000万円と家庭の資産4000万円を仮に2等分した2000万円を足した額が5000万円になったということ。

2011年4月修士卒でメーカー入社24歳)。奨学金含め借金ゼロ学費生活費を出してくれた親には大変感謝)だが貯金もほぼゼロ

30歳までに1000万円貯めることを決意。

持ち株会が5%の奨励金がついてお得なので入社後すぐに開始。さらに1年目の冬のボーナスを突っ込んで数十万円から取引を開始。

最初個別株で勝ったり負けたりしていたが、そのうち取引が面倒になってきたので、株主優待が良さそうな銘柄を買って放置することになった。

リーマンショックの影響がまだ残っていて日経平均10000円を切っていたところから始められたのは今思えばかなりラッキーだった。

例えばビックカメラ松屋などのこの時に買って放置している銘柄は今ではすべて2倍以上の価値になっている。

めぼしい銘柄が無くなったところで投資信託emaxis-slimなど)にも投資を開始。

持ち株会も含めて年間100~150万円を投資に回しながら5年半が経過した2016年12月に30歳で1000万円に到達。

リーマンショックから脱して全世界株価上り調子だったことに加えて、日本ではアベノミクス市場お金が投入されていった時期と重なったこともあり、30歳までに1000万円という目標を何とか達成できた。

今後の目標を35までに3000万円、40歳までに5000万円と設定した。

2017年結婚2018年に娘が生まれる。結婚してからはお互いの給料は小遣い3万円とボーナスの半分を除いてすべて家計口座に投入し、家計口座から別途投資を開始。

二人とも給与は安定しているため20%貯金+80%投資で回す。コロナショックでは数百万円の含み損の時もあったが、淡々と買い増しを続ける。

お互い金遣いが荒い方ではないし、共通趣味旅行子供が小さかったのとコロナ制限があったため特に厳しい節約をしたつもりは無いが敢えて多く使うということもなかった。

2021年1月(34歳)に個人2200万円+家庭1600万円(÷2)で3000万円を達成。内訳は個人貯金100万円+投資入金1600万円+投資利益500万円、家庭が貯金500万円+投資入金1000万円+利益100万円。

最初に書いた通り、2023年6月(36歳)に個人3100万円+家庭4000万円(÷2)で5000万円を達成。内訳は個人貯金100万円+投資入金1800万円+利益1200万円、家庭が貯金800万円+投資入金2000万円+利益1200万円。

コロナで全世界的に金が市場に投入された結果、インデックス淡々と買っているだけなのにすごい勢いで含み益が増えていった。

40歳で5000万円の計画だったが3年近く前倒しで達成できた。仮にこれから年率3%+貯金で増えるなら、10年後の47歳で個人5000万円+家庭10000万円になる計算である

自分次男だし妻の方も男手はあるので親の遺産は期待しないがマイナスになる事も恐らくない。

今後のインフレがどうなるかは不明だし、未来は何が起きるかわからないものの、50歳で家庭に1億円と個人で数千万が手元にある可能性は十分高いと考えられる。

今の職場に不満は無いがめちゃくちゃ楽しい天職というわけではないし使いきれないほど金を貯めたいとも思わないので、50歳くらいでリタイアしてもう一度大学にでも行こうかと考え中。最初理学部だったので、今度は文学部法学部かな。

10年後に見返すためにチラシの裏に書いておく。

anond:20230717175055

リーマンショック2008年ぐらいからだから、おおよそ15年

ダラダラ少額で積立した結果。

2023-07-13

anond:20230713164230

リーマンショックの影響が終わってから就任した奴が何の対策をしたんだよ。時空捻じ曲げてんのか。

そこは「政権交代直前に麻生エコポイントを導入したから」とか言っとけ。な。

anond:20230713163517

当時就活してたやつが辛かったのは単純にリーマンショックのせいだろ

2023-07-09

anond:20230709022533

ストーリー的にも首相時代より出世の途中が大事入閣~後継候補になるまでの小泉内閣時代10話くらいかけてやるべき。

北朝鮮拉致で3話欲しい。あれで小泉交渉相手に合わせないよう進言したり、野党送還すべきの声をはねのけて国民的人気を得たわけで重要

郵政選挙も2話は欲しい。

麻生民主政権で5話くらいかけないと「雌伏」感が出ない。

大河朝ドラ時代の空気を描くことも重要な要素なので、オウムアジア通貨危機加藤の乱リーマンショック震災原発事故はきちんと描写してほしい。

今の案だと表面的な安倍政権の話にしかならない。

2023-07-02

anond:20230702145044

1980年まれのワイらの世代大卒就職過去最低の地獄世代で、その2歳下からグッと回復してどんどん良くなっていったか1984年まれはかなり楽チンだったと思うぜ。

ただ、2007年リーマンショックが起きてまた採用冷え込むから浪人留年して卒業年度が遅れると厳しいと思う。

2023-06-27

anond:20230627160354

アメリカ不動産バブルはじまってる

またというかなんというかマネーショートのようなことが起きてる

あれの煽りリーマンショックにいくのであと数年だな

まじでどうすっかな

2023-06-26

anond:20230626233848

氷河期世代リーマンショック世代狭間だったおかげで就活には苦労せんかったけど、この狭間世代って3年くらいしかいから、本当に運が良かったとしか言いようがない

2023-06-24

anond:20230624125820

リーマンショックが直撃した世代が伝聞で煽ってるのかと思ってしまった。ただの勘だけど。

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