はてなキーワード: スプロケットとは
今乗っているシングルスピードが色々ガタが来ているのでクランクやスプロケット、チェーンを交換しようと思っている
当たり前だが街の自転車屋は論外、最近はスポーツ車も取り扱っているのもあるがパーツとか扱ってなかったりする
専門店に行くと、今度は知ってる前提で聞いてくるので混乱する。こっちが勉強すれば良いんだがまだ難しい
理想としては、持っていって見てもらって、換えのパーツを提案してくれて、買うもしくは工賃払って交換してもらうなんだが、そういう店無いのかな?
ホイール交換やペダル交換、ブレーキやタイヤチューブは出来るので、道具も買って自分でやっても良いんだけど、自分の自転車に使えるパーツがどれかってのが分からないから困ってる
MTB のタイヤをブロックからスリックに変えた。IRC のスムーシーというシロモノ。昨日の夜に換装作業をして、先程雨の合間をぬってそこらを走ってきた。
で、第一印象は「期待していたほどではない」というもの。確かに漕ぎ出しは軽く、速度を維持するのも楽だった。が、最高速度が下がった。ブロックのときは 40 km/h 程出せたのが、 35 km/h 辺りになってしまった。おいおい、私は速さを、速さをと思ってお前を選んだと言うのに、その期待を裏切るのかえ?思わずそんな言葉が口をつく。
一旦帰宅し、気を取り直してスプロケットとチェーンの掃除をすることに。ここで自転車を逆さにしたのだが、そこであることに気づく。あれ、前輪の回転鈍くないか。
そう、あろうことか前輪の取り付け方が不完全であったのだ。何たる失態。ごめんよスムーシー。そこで今度はきっちりと奥まで差込み、念のために前輪を回転させる。うん、回る回る。ディスクブレーキがシャリシャリいっていないかもチェック。オッケー、。
三日前のカレーとチキンカツで昼食を済ませ、リベンジマッチと洒落込む。怪しかった雲行きもどこかへふっとび、雲の合間から太陽が燦々と我々を応援してくれている。最高とまでは行かないが、記念すべき初ライドには申し分ないコンディションだ。ちなみに先程のはノーカンだ。
太陽のエールに答え、いざ参らんとペダルに足をかけ、全体重を乗せこんでフルスロットル発進したときのことだ。
ガリッ!ガコン!ザクッ!
一瞬何が起こったのかわからなかった、そして次の瞬間右足のすねを襲う激痛。目を落とすと、そこには真っ赤な涙を痛々しげに流す弁慶の泣き所があった。
なんだ、どうした。
もうこうなったら私もパニック状態だ。痛い痛い。叫びながら慌てて右足を引き抜く。自転車が地面にボディドロップし嫌な音を経てたが、あまりの痛さにそんなことは気にしていられない。
つづく
旅行で得たものは大きかったし、いつかまた同じ国に行きたいとも思う。但し、一ヶ月間の旅行のために費やした一年間は、何だったんだろう。バイトに明け暮れて、アパートでは眠ってばかりいて、給料から家賃や生活費を引いて残った金をこつこつ貯めて、航空券だけで二十二万円が消えて、立派な十万円の自転車を用意して、滞在費もろもろで更に掛かった。これだけの金を稼ぐために何百時間と働いて、本当は、こんなことしてる場合じゃないと常に思いながら、目標に邁進する自分という像を作りあげて酔いしれながら、
一年間、何一つとして成長が無かった。旅行の計画さえなければ、たとえば車の免許を取ったり、何らかのかたちで成長を実感できていたかもしれない。でも実際のところは、旅行に関すること以外で知識を蓄えることはなく、たとえば洒落た服をまとって身なりを整えることもなく、食費を切り詰めたせいで気力がなく、何事にも無関心で、完全に引きこもりと化し、寝転がって壁を見つめたり本を読んだり、時々思い立って自転車で飛び出し、日帰りで二百キロ以上も走ったりなんかしていた。つまり俺は生活を営めない人間だったんだと思う。普通に食事をしてテレビをみて街に出かけて買物をしたり遊んだり、映画をみたり人に会ったり喋ったりということに関心のない、ひどく無愛想なやつだった。多分。
どこで間違ったんだろうな。旅行は面白かった。四十キロのキャンプ道具を積んだ自転車で坂道を駆け下りると、速度計が時速七十八キロを指していて、慌てたけれどブレーキをかければ死ねると思ったから、必死で堪えた。そんな無茶をやっていたら、数日後に変速機が壊れて、自転車ごとヒッチハイクして目的地まで辿り着いた。そこは北極海に面した小さな町で、シロクマが徘徊しているためにキャンプできず、ホテルで十日ぶりのシャワーを浴びながら「あーお金が流れていくーー」と心配ばかりして、ちっともくつろげなかった。旅行に来るために節約生活していたのに、旅行でも切り詰めるなんて、と矛盾を感じた。
日本に帰ってきてからは、再び茫然自失として壁を見つめたり本を読んだり、けれど今後数年は旅行になど行かなくていいな、普通に生活を営めるようになるまでは、そう考えて「普通の生活」とやらを模索し始めたところ。何をすればよいのか判らないが、とりあえず料理をしたり、本格的に珈琲を淹れたり、まあまあ愉しんでいる。でも、生活が難しいのは、旅行と違って到着点がないからだと思うんだ。先日のアレは「北極海まで行くよ!」とか一応は目的を定めて行くんですけど、程々に生活を愉しむってのは、何をもって到着とすればよいのか。というか「珈琲うめー!」で終わりじゃないのか。もっとうまい珈琲を!とか思わない。本当、俺、生活できない、どうしよう。
程々に生活を愉しめないとなれば、何か旅行に代わる目標を見つけるしかない訳で、目下のところはアサヒカメラの月例コンテストで賞を獲ろう、とか決めてなんとなく暮らしている。目標を決めたからといって、それに向かって邁進する必要も多分ないんだと思う。息切れしない程度に。
「1ヶ月の自転車旅行をするのに1年間もバイトしてお金を貯める必要はないと思うのだが。1年もかけて何をやっていたのだ?」とブクマコメントを頂きました。全くその通りなんで俺も同意しますが、詳細は以下の通り。家賃二万三千を含めて生活費が五万、バイトの月収が八万、差額の三万×十二ヶ月=三十六万。基本的に引きこもりだから、これ以上は働きたくなかった。ていうか本当、一年もかけて何をやっていたのか。逆に、今後一年で何ができるだろう。
正確に書くと、スプロケットに泥が詰まってチェーンが引っかからなくなり、ディレイラーが回転するスポークに突っ込み、ディレイラーハンガーが曲がった、となります。シングルギアにしてチェーンを詰めてはみましたが、簡単に外側へ外れてしまい、まともに走れる状態でなかった。