はてなキーワード: ありがちなとは
昼過ぎシェアハウスジャパンのシェアハウス募集記事を眺めていると気になった記事を発見。
41000円新三河島駅徒歩1分。
さっそく次の日行ってみることに。
メールの文章はなんだかbotの文章っぽく、特になぜか行と行の間にスペースが入っており子供の書く文章のよう。
そして最大の謎は深夜に返信が来ること。
メールはヤバイシェアハウスにありがちなGメールだった、今までアレだった物件のほとんどがYahooかGメールである。
会話が途切れ途切れになり目が合わない、メールの文章と同じでアレな子供の様だった。
光熱費別だがこれで4万前半は安い、しかももっと相談できるらしい。
ただ気になる点が…この建物は障害者などの共同住宅とのこと。なるほどこの案内人もそうなのかも知れない。
まぁこの人はそれほど気にならない、しかし建物に入るとき作業服で煙草を吹かす明らかにヤンキーでアレな人物が…。
会話していたので案内人の知り合いのようだった。
そしてもう一つ気になったのがベランダに積まれた謎の粗大ゴミ、よく見るとキャリーバッグなどが有る。
エレベーターと階段が一つの状態でここに住む…となると流石に危機を感じるのか入居者は1人。
部屋だけなら良物件。
なんらかの事が有っても対処できるほど腕に覚えの有る猛者なら良いのかも…?
せめてエレベーターが別なら…。
なるほど訳あり物件。
幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。
また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。
ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。
バイトのシフトにはちゃんと遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。
現役で地方の駅弁大学に入学して、卒業が近くなってからは資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。
一応何とか大学は卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。
自分は、根本的に人生はディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的に自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。恐らくその頃が、自分の学力のピークになっていたと思う。
確か当時の全国模試の総合偏差値は70を超えていたはずである。
でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。
何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。
その頃から学力の減退も生じていて、自分で自分がコントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校のランクを一つ落として、何とか国立の大学に合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分の人生の最盛期だったのではないかと思う。
大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活が崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数の語学習得を目指し大学のゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分をコントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。
俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分の計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活は大学を卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。
何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐、牛乳、納豆、青魚、葉野菜。こういうものをバランスよく摂るようにしていた。でも、自分が自分をコントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神でバイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。
いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。
さて。
いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しかし実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己をコントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。
原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である。身体におけるありとあらゆる不調や、自身のコントロールを掌握できていない感覚は殆どの場合、血流の低下に基づいているのである。ADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動が有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効なもののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。
シンプルながら散歩はADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である。普段自転車や原付で移動する距離を、例えば自転車や原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneのヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。
腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレは実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。
ドストエフスキーや夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHDの改善法となると俺は思っている。大抵の場合、活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書のカテゴリーに加えておく。
基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。
同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである。
すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書や文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画のイラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間を生活の中に設けるようにしている。ファミレスやハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。
ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHDの改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなのである。なので俺は最近は文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。
鬱持ち・ADHD持ちにありがちな、思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。
上で書いた通り、卵や牛乳、青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。
つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなのである。つまりそれは、そう、料理の煩雑さや億劫さである。
基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。
脳に一定以上の煩雑さや負担を押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。
追記。瞑想は効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブな効果が起こっていると思われる。
読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアルな瞑想を行うことがある。これもまたオススメ。
など
こんなところだろうか。
思い出し次第追記を行いたいと思う。
今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要な発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である。
上では書かなかったが、俺は重篤なインターネット依存症持ちでもある。
しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所や欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである。
是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。
自身の病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生」なのだ。
それでは。
私の好きなジャンルは女性向けソシャゲで、人気はそこそこ。知名度はある程度あるし、DL数はそれなりに行ってるけど、現役ユーザーはそんなに多くなくて、ざっくりわけてガチ勢と一般ユーザーに3:7くらいでわけられるようなそんな小さな界隈だ。
ゲームはソシャゲの中でもかなり乙女ゲーム的な要素が強く、ファンもそういう傾向の人が多い。
同担拒否も当たり前にいるし、推しが複数キャラいるだけで同担にブロックされるような世界だ。
好きなキャラが最推し以外に複数いるってことを先に断り入れないといけないような世界。
私は基本的に魅力的なキャラであれば何人でも好きだというし、それぞれの魅力をそれぞれ愛したいと思う。
そもそも夢女子じゃないから、もちろんキャラに告白されれば自分に言っているように想像はするけれど、かといって彼らに人生を託すと言うわけでもない。
普通にキャラが好きなだけなのに、キャラを好きだと言うことが悪いことのようになってしまう今の界隈は、正直息苦しい。
夢女子が多くて、一番困るのが交換だ。
この界隈は、同担拒否も過激派が多くて、RTやいいねで他の同担のツイートを見ることすら許せない人がいるらしい。それも、かなり頻繁に。
だから、交換でツイフィールを読むと「最推しが○○の方はフォロワーさんが嫌がられるのでお断りします」っていうのがよくある。
そこそこの年数乙女ゲーム界隈にはいたけれど、こんな注意書き、このジャンルにきて初めて見た。
初めて見て、ドン引きした。
名前も知らないどこの誰かもわからない交換相手のフォロワーと推し被りだから、当人は同担拒否でも推し被りでもなんでもないけれど、該当者はご遠慮されるのだ。
その交換相手とフォロワーがどれだけ仲がいいかはしらないが、ぞっとした。
交換が出来ない怒りとかを通り越して、それがクラスタ内で『異常』でもなんでもなくありふれてることに、再びドン引きした。
まるで村だな、と思った。
よそものは受け付けない。外部の人間は入れない、身内が嫌だと言うならその人の良い悪いに関わらず排除する、そんな雰囲気。
同担拒否で他人にまで拒否を強制する夢女子も、それを受け入れて悪意のない第三者をカットする人間も一体なんなんだろうかとか。
色々、考えてしまう。
作品が好きで、もっともっと作品が人気になって欲しいからこそ、こういう夢女子の存在がその障害になりそうで怖い。
作品を知ってキャラを好きになっただけでブロックされたり、気になる人との交流を制限されたり、そんな閉じきったジャンルになりかけているのが怖い。
人気が出たら、圧倒的に新規が増えたら、空気も変わるかもしれないけど、今はとにかく、澱んだ空気がジャンルに蔓延ってる。
ついでに、夢女子が、とは言ったけど、別に夢女子だけがこうだとは限らない。多分女性が多い界隈にありがちな話だと思う。形は違えど似たようなことはあるんじゃないかなぁと思う。
けど、交換にまでそういうのが入ってくるのは……なんとかならないのか。
実はアニメ化が決まっているのだけど、このままでは始めたばかりの新規ユーザーが私のようにドン引きして、そのまま作品から離れてしまいそうで、老婆心ながらも心配だ。
最後にこれはきちんと言っておかなくてはならないけれど、夢女子でも過激派ではない人もたくさんいるし、私のように多数キャラを愛でる人もいる。
これでも、今のジャンルは私が今まで辿ってきたジャンルでは1、2を争う良いファンに恵まれたジャンルだ。
だけど……優しすぎるファンが多いせいで、先の同担拒否過激派の言い分をそのまま受け入れてしまうという、皮肉な状況になっている。
美少女コスプレ魔法少女アニメことCCさくらの新作を筆頭に萌えを研ぎすませたアニメがこれでもかと襲い来る。ハクメイとミコチの愛らしいデフォルメ体型に君は何を思う?三ツ星カラーズに真のロリコンを感じているか?はたまたりゅうおうのおしごとにこそロリ王の波動を見出したか?ゆるキャン△のキャラは何故あんなにも生き生きとしているのか。雨上がりのように訪れる恋は男女逆ならただのセクハラではないのか。ヴァイオレットエヴァーガーデンのこれでもかと並べられたむき出しの性癖をしかと見よ。萌えの形は十人十色ながらきっと誰もが気に入った萌えを見つけられるであろう萌えアニメの豊作クールだ。
今期はロボットアニメが二本も始まった。これは凄い。凄いことなんだよこれは。そしてどちらも出来が良い。これは本当に素晴らしい。明るいエヴァンゲリオンことシンカリオンは子供向けアニメにありがちなマンネリズムに囚われまいと物語に揺さぶりをかけようとする作り手の気遣いがあって信用度は高い。なんとエヴァンゲリオンコラボ新幹線が本当に登場するというのだからそこも注目だ。ダーリン・イン・ザ・フランキスはロボットアニメというよりも変態スケベアニメなのだが、作画の質は高いし世界には謎が満ち溢れSFアニメとしての意欲も強い。一見すれば作品の方向を見失わせるようなドスケベデザインや、少年少女の葛藤を剥き出しで描くことによって産まれた青臭さのジェットストリームは、人型ロボットという子供じみた無邪気さとベストマッチしているのではないだろうか。
今期はオリジナルアニメが強い。さきほど語った二つのロボアニメもそのオリジナルアニメである。原作付きであるはずのポプテピピックも、もはや原作の枠の向こう側に飛び出ているのでオリジナルアニメと言っても問題はないだろう。あるのかも知れないが私は無いと思う。他にもいくつかオリジナルなアニメとして注目したい作品がある。1つは刀使の巫女。だけど視聴を薦めるつもりはない。このアニメは余りにも危ういからだ。ストーリーはいつ破綻するとも知れないし、作品の作りたい絵作りもまだまだ見出しきれていない。美少女が刀を振り回したら面白カッコイイカワイイぜをコンセプトに左足が沈む前に右足を突き出して水面を走り抜けている状態が当面は続くだろう。このどこに向かうのかわからない所がオリジナルアニメの魅力なのだ。どこに向かうか分からないといえば『南極』こと宇宙よりも遠い場所だ。南極に向かうのは分かる。だけどそこで何をするのかが分からない。とにかく南極に行くわけだから観測隊に潜り込むために頑張るのは分かるが、それで南極に実際行ったらなにをするのかが未知数だ。危うい。この危うさが魅力なのだ。バクチってのは外れるから楽しいんだよ、だ。
もはや語るまでもない。今期でもトップクラスのアニメである。女の子がカワイイ。キャンプが楽しそう。冬のぼっちキャンプが寒そうで暖かくて季節感満載だ。皆でキャンプの準備するのが楽しそう。ただそれだけだ。それだけなのにどうしてこんなに時間が早くゆっくりあっという間にまったりと流れるんだ。
今季のアニメは豊作である。これは間違いないことなんだよ。他のクールと比較する必要なんて無い。今が楽しければそれでいいのだ。アニメ視聴なんてそれでいいのだ。これでいいのだ。
最後に謝っておく。
嫁なるものは俺の脳内にしかいないのでこれは実質的には俺の感想だ。
これでいいのだ。
久しぶりに新しい彼氏が出来た。
出会ってすぐ付き合うことになった。
ときめきはなかったけど、
もともと惚れっぽいタイプではないので
相手に猛アプローチされないと自分から恋することはほとんどない。
向こうから猛アプローチされて、それでちゃんとはじめて自分も好きになる。
今回もそのパターン。
付き合って2ヶ月してエッチしなくなった。
向こうから求めてこない。
体は時々触ってきた。途中まで触られるけど、エッチはしない。
自分は性欲は人並みだと思う。
エッチもしなかったらしないで何とも思わないけど、女性に良くありがちなエッチが苦痛とかいうタイプではない。
途中まで触られて、こっちもスイッチが入る。でもそこで止められるとこの気持ちのやり場はどこにしまったらいいのか。
とても惨めで、悲しい気持ちになる。
何がしたいんだろう、どうしたいんだろう。相手の気持ちが分からない。
それからまた数ヶ月して、今度はそれすらもなくなってしまった。
体のコミュニケーション以外に、その言葉から態度から心から愛されてると感じることはできる。
でも、体を求められないということが、こんなにも惨めで悲しいことだと今まで生きていて全然知らなかった。
初めは不器用でも、何度も回数を重ねることで一緒に体と気持ちを通わせる。
それがないこの関係がとっても辛い。
体が繋がっていなくても、気持ちで繋がれるのと、
どっちが幸せになれるのだろうか。
誰か教えて、助けてよ。
ありがちな話だけど、pixivやtwitterでの評価を氣にしすぎて楽しく二次創作活動ができなくなった
twitterはやってなかったので同ジャンルの人と特に交流をしたことはない、オフ本も出したことはない
好きな作家さんからブクマがついたり、pixivで相互フォローになってたりするとほっこりした
ただ当時大学生でリアルの生活のほうが忙しかったのと、原作が終了したこともあり徐々に熱が落ち着いていき投稿しなくなった
アニメを見てむちゃくちゃに興奮し、萌えのままに小説を書きpixivに投稿した
この時初めて「同ジャンルの人と交流したい」という気持ちが芽生え、twitterを作った
すごく楽しくて転がり落ちるようにのめり込んだ、当時仕事があまり忙しくなかったこともありあっという間に同人が生活・交流の中心になった
「いつみ見てます」「あなたの話が好きです」という言葉、差し入れの山、回り続けるブクマ、どれもが麻薬のようだった
そのうち、それなしでは小説が書けなくなっていった
どうすれば売れるか、どうすればちやほやしてもらえるかばかりを考えて話を書くようになった
目立つ大手の絵描きや文字書きとだけ交流したい、(自分が思う)下手な人、ROM専とは交流したくないと思うようになった
自分よりブクマがついている人、売れている人を妬むようになった
自分が書いているのは「小説」なんだというよく分からない自意識に取り憑かれていた
原作に対する萌えを失ってもなお、1年くらいは承認欲求のために小説を書いていた
早速二次小説を書き始めたが、動機は萌えのままというのももちろんあったが、pixivやtwitterでそのカプがそれなりに盛り上がっていたからだった
2つの前ジャンルである程度の読者を集めていたから、このジャンルでも読んでもらえる、ちやほやしてもらえるに違いないというゲスい考えのもと小説を書いた
ジャンル者のtwitterはフォローしなかったし、新ジャンル用のアカウントも作らなかった
既に多数のフォロワーがいる今のアカウントを使った方が箔がつくと思ったのと、このジャンルで投稿を始めてからのほうがフォロバしてもらえると踏んでいたからだ
数ヶ月書けて書いた大作を投稿した、SNSは期待の新人が現れた!と自分の話題で持ちきりになると信じてやまなかった
結果は爆死もいいところだった
途端にジャンルに対する熱がすーっと冷めていった
ジャンルBの人もCの人も、爆死した自分をあざ笑っているのではないかという感覚に陥った
せめてtwitterのアカウント分けをしていれば恥さらしにならなかったかもしれない、別人として振る舞えばよかったと後悔した
それでもCジャンルで書きたいという気持ちはまだあるから、自分の中にある小説を書くことへの原動力が、100%の承認欲求だけではないのだと思いたい
今、どうやったら二次小説を楽しくかけるのか完全にわからなくなってしまった
冷静に考えれば、ジャンルCで投稿した話には上で書いたようなゲスい自意識が滲み出すぎていたんだと思う
ジャンルAやジャンルB初期に書いていた話は、推敲も全然していないし日本語もめちゃくちゃ、自分が見下してきた二次小説そのものだけれど読んでてとてもわくわくした、純粋に元の作品が好きで書いたんだろうなという感じがする
ジャンルB後期は「日本語うまいね」「文章がきれいだね」と言われることはあっても、「萌えました」と言われることは格段に減っていた
承認欲求が悪いこととは今でも思っていないけど、自分はあまりにもそれにまみれすぎてしまった
○朝食:なし
○お便り返信
はややーってなに?
僕の好きな漫画「咲-Saki-」や「シノハユ」などに登場する、瑞原はやりちゃんの口癖です。
で、じゃあそれをなぜ毎日書くかと言われると、あまり深い意味はなく、
僕はアニラジが大好きで、部屋にいるときはずっと流してるんですが、そのノリで文章を書くので、どうしても文章を書き始めるときは、独自の挨拶を書きたくなるんですよね。
ちなみに、昔はむきゅー! がそれでした。
今日ははややー。がなくて寂しい。
あと昼はパン何種類も食い過ぎだよ
はややーないときは、嫌なことがあった日です。
パン三つは多いんですかね、むしろ一つ減らしたぐらいの心づもりなんですが。
良く寝てください。
寝ました。
体調は元気なんですがいろいろあってかったるいです。
出たこの野菜高値の中をふんだんに鍋使いしサプリまで摂取する階級
つやっつやかよ
貯金とか上手にできてなくて、経済観念がガバガバなだけで、手取りが多いとかじゃない、と思う。
いやもうなんか所得の平均ググると憂鬱で死にたくなって来ましたね。
だいたいさ、客先常駐とかいうこのシステムの中において、昇給なんてありえるのかな?
僕が客の立場だったら、何が何でも単価なんかあげないわ。
なにより営業が僕のやってることを何一つ把握していない時点で、僕を評価する人間なんてどこにも誰もいないんだよね。
いやそりゃさ、現場レベルで見れば評価してもらえてるとは思うよ。
こんなこと自分でいいたかないけど、多分今のプロジェクトで一番中身について詳しいし、仕様を調整した経緯とかもそれなりに長くいるから知ってるし、何か問題解決をしないといけなかったり、困難そうな話題があれば呼んでもらって最初からその解決に当たるぐらいには、多分頼ってもらえてるよ。
手が早いってのも多分みんなからそう思ってもらえてて、頼られることも多いよ。
まあまあ、自画自賛してしまえば、1を知って10を知るタイプと言えなくもないわ、そこまで会話を交わさずとも客が求めてることはわかるし、それですぐ手をつけてすぐ診てもらって納得してもらえることも多々あるから。
けど、そんなことと、給料が上がる上がらないの話題は、何一つ、これっぽっちもリンクしてないんだよね。
そりゃまあ、やりがいとかはちょこっとはあるかもだけど、たかが(検問削除)システムの構築にそこまでやりがいなんてねえよと。
なにが同一労働同一賃金だよと。
僕とその新卒の子の労働内容を比べた時に同じかそれ以下だと思うんすかと。
はあああああああああ。
ほんとにほんとにしょうもないわ。
僕がどんなに設計頑張ろうと、製造頑張ろうと、テスト頑張ろうと、なんも意味ないわ。
はあああああああああああああああああああああああああああ。
何様のつもりやねん。
いや、僕がね。
鬱い、やる気でない、家に帰りたい、いや今家だけども。
なんも意味なんてないわ。
少女終末旅行の最終回読んだ時に「こんなん終末やのうても一緒やろ、全ての人間の人生がこうじゃ、ただその時に隣におるやつとおらんやつがおるだけやろ、俺の隣には誰もおらんから、俺はおらん側の人間じゃ」みたいなこと思ったけど、
まさにこの通りやで。
この僕が今登ってる階段の上には何もないし、少女終末旅行と違って僕の隣には誰もいないんやぞ。
ただただ死んでいくねん。
はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
しょうもな。
しょうもな。
あーあ、2月にまた東京出張あるんやけど、ドローン飛んでないかな。
もうニュースでドローンが飛んでるって見ていらい、ワクワクしてんだよね。
いや、ドローンで残業監視するシステムを売るのであってその会社の自社にそれが導入されてるかは別の話だろって?
そらそうか。
ドローンを撃ち落とすことだけを夢見ていきとんのに。
はあああああああ。
なんやろな。
○調子
はややー。
仕事かったるい、なにがかったるいって、二月の末にまた東京出張が決まったことだ。
●3DS
月曜は真面目に聴きたいラジオがあるから、あんまりゲームの時間とれないんだよね。
○ポケとる
ひたすらにメインニャース周回。
いやもう、このゲームのチーム選び運ゲーまじでおもしろくねえな。
・ポケモン(2000/5000 繰越0)
・MS系(0/5000 繰越0)
・@(1500/5000 繰越0、ゲーム内貯金25414、チケット8枚(実質250かける8))
・その他(8200/10000 繰越0)
あー貯金かったるいなあ。
なにがかったるいって、東京出張でホテル代払ったり新幹線代払ったりすると、頭が足りない子の僕としては、もう自分がどれだけ使ったかわからなくなるんだよね。
あーーーーかったるい。
ありがちな話だとは思う。
10代の頃から付き合い、大学卒業・就職とほぼ同時に結婚して6年で離婚した。
しかもその相手が自分の知りあいだったので、当然ながら10年分の人間関係は広範囲で滅茶苦茶になり、当時はあらゆるものを失ったと悲観にくれた。
今は自分にも結婚生活において反省すべき点があったこと、自分のために怒り・心配をしてくれる人間が少なくなかったこと、いろいろと落ち着いて振り返ることができるようになった。
※世間は狭いので向こうが楽しげに子育てしている情報を不意に得てしまうとそりゃぁまだむかつきはするが、人に不利益をもたらそうが何しようが自分勝手な人間ほど幸せになる現代社会システムなのでいくら呪っても仕方がない。
そうやって時間を薬にのろのろと生きていたが、三十路も越えてしまったし、そろそろ自分も婚活なりをせねばなぁと少し行動をしてみた。
ありがたいことにどうやら自分はバツイチである、ということ以外は婚活市場でまだ需要のある条件らしかった。
すこし自慢になってしまうが、おかげで失った自己肯定感が回復してきたので他者からの承認はうれしいし、大切だ。
おかげで合コンはもちろんのこと、婚活パーティーや婚活サイト、どこに顔をだしてもそれなりの数のアプローチをいただくことができた。
ここまではとんとん拍子だった。
婚活サービスを利用している人のコミュニケーションに慣れている人とそうでない人の差が自分の想定をはるかに越えていたのだ。
10代あたりであればかわいさになりうるが、30代ともなれば男女とも“それなりの会話や振る舞い”を求められるものだという価値観の環境で自分が育ったためか、コミュニケーションがここまで不得手な人が多いとは思わなかった。
最初のうちは相手が不馴れなら自分が頑張ればいい、とお声がけいただいた方々にこまめに返信などをしていたが、さすがにもう疲れてしまった。
返答に困る質問、卑屈さを感じてしまう文面、唐突な全く関係のない話題…相手は自分を見ているんだろうか。
話の流れ、とよく言うが会話をしながら流れを作っていくのはお互いの共同作業であると自分は思う。
せっかく目の前に細くとも川があるはずなのに、自分がセメントを流し込まされているような感覚になる。
疲れた。
結局、自分と価値観が近い人が多いのは現実の今いる関わりの中なのだろう。
もちろん、婚活サービス内にいい人も一定割合でいるし、お付き合いしたいと思える素敵な方も数多く見た。
ただ、自分には合わなかった。
ごめんなさい。
久々に心抉られるアニメだと思う。
なぜ、ここまで心をえぐられるのか。セックスの暗喩に満ちているとか、ありがちなヘタレ主人公と天才肌のヒロインの組み合わせだとか、お約束のフラれる幼馴染キャラとか、受ける要素は満載だがそれだけじゃない。
3話でゼロツーが口走った「『また』ここの部隊は全滅しちゃうよ」という言葉。そう、コドモたちは全滅が織り込み済みの捨て駒なのだ。一見、コドモのためを思っているように見えるナナも「こうなる」とわかっていて躊躇なくミツルをゼロツーと組ませた。
オトナたちはゼロツーしか叫竜と戦えないと知っている。だが、3回ごとにステイメンを消費するゼロツーに頼っていたのではいずれオトナは叫竜から世界を守れなくなる。そのゼロツー専用のコドモが特殊検体たるヒロの存在意義なのだろう。そして博士は、ゼロツーと特殊検体のヒロだけに頼った脆弱な防衛システムに変わるものを構築しようとしているのだ。
APEがかたくなにゼロツーの出撃命令を出さないのは、それではなにも始まらないからだ。ステイメンを無限に食い尽くすゼロツーに頼らないシステムの構築が目的である以上、ゼロツーを出してしまっては元も子もない。
そして、もし、「ゼロツー抜きの防衛システム」が完成してしまえば、セロツーはお払い箱だ。おそらくは「処分」されてしまうのだろう。それを誰よりもよくわかっているのはゼロツーだ。自分しか人類を守れないが、3回ごとにステイメンを消費する自分には最終的には人類を守れないと知っている。人類の救世主でありながら、一方で死神でもある。その自分のサガをゼロツーはよくわかっている。
オトナはコントロールが難しいゼロツーに頼るシステムではなく、コントロール可能なコドモたちによる防衛システムの完成を望んでいる。ヒロとゼロツーが完全なパートナーとして機能することはオトナたちの望むベストの解ではない。ゼロツーとヒロが組んで成功することはある意味で、コントロール不能なセロツーの能力の完成にしかならず、大きなリスクを抱えることになる。そう、ある意味、叫竜そのもの以上の。
ダーリン・イン・ザ・フランキスが僕らの心をえぐるのは、ヒロとゼロツーのペアに未来が無いからだ。彼らには人類の救世主たる属性が欠けている。本当は怖いのに人類ために無理やり戦闘に従事させられた主人公はいた。あるいは、自分がたまたま持ってしまった能力のために、プライベートを犠牲にして戦う苦悩を味わった主人公もいた。自分のふがいなさに泣き、最終的にはヒーローに成功した主人公もいた。
だが、自分が無敵であることを自覚しながら、その無敵であることが人類の脅威であり、最終的には排除すべきものと認識しながら戦った主人公はそんなにいなかったのではないか。ゼロツーはよく知っている、自分が本当は存在してはいけない、排除されるべき存在だと。それはつまり、ヒロを自分のパートナーとすることは、ヒロが自分と共に排除されるべき危険因子にすることだということも知っている。
ゼロツーのとことん、ニヒリスティックで希望の欠片さえない言動はその認識の上に立っている。そして、ゼロツーはいつかヒロ=ダーリンにそれをつげないといけないのだ。ゼロツーとしか乗れないヒロは、自分という危険因子を完成させる役にしかたたない、オトナからみたら排除すべき危険因子にすぎない、と。
僕らは無意識のうちにこの物語の救いのなさをよく感じている。ゼロツーの絶望もヒロの未来のなさも。つまりは、この世界そのものに救いがないかもしれないことを(ゼロツーとヒロのペア以外で叫竜に対抗できないとなれば、人類は不可避的に不安定でいつ反旗を翻さないとも限らない未熟な守護神=ゼロツーに運命を握られるのだから)。
女じゃないから、正直よく分からない部分もあるけど、観察してみる限り、「悲劇のヒロイン」=自己憐憫に浸って、セルフエスティームを高めようとする構造がある?
女の恋愛・結婚絡みの悲劇のヒロイン型の存在 = 男の仕事における悲劇のヒーロー
俺がこんなに頑張っているのに会社は(上司は、世間は、親は、嫁はなど代替可能)というロジックは、よく見かける。
書こうと思います。
2年前に別れた元彼がいて、その人は典型的なモラハラ野郎、処女厨野郎、束縛野郎で客観的に言えば最低な人だった。
彼と付き合ってから、男の連絡先は全部消した。生活も交友関係も束縛されて、思い通りにならないと怒鳴り、無視される。
自分も遊んでた過去があるのに、私が処女ではないことを責める。月に一度のペースで別れる無視される時期とラブラブな時期を繰り返し、ボロボロになって彼に振り回され、最終的に手が出たので別れた。
完全に共依存で、お互い別れた後に仕事を辞め鬱のような状態になった。あの時期はどん底で2度と戻りたくないし、別れてから一度も連絡をとってないし、もう会うことはない。
今は26歳でやりたかった仕事をやれて、1人でそこそこ充実した暮らしが出来て、いかにあの時期がしんどかったか分かる。なんで早く別れなかったのか不思議。
それでも2年経って分かるのは、いかに彼を愛してたかということ。共依存でお互い自分のことしか見えていなかったかもしれない、幼稚な恋愛だったかもしれない。
彼と私は性格が違ったけれど、考えていることは全て分かった。
彼の生きる哀しみと私の生きる哀しみが同じで、それがために私に当たるから何をされても苦痛じゃなかった。彼に与えることで、私も幸せになれた。親に愛されない、人間を信用できない、だからお互いを信用できないけど、お互いを愛してることは明確で、分かっているから上手くいかないのが辛かったし、お互い一緒にいると苦しくて駄目になるけど、別れたら生きる意味がなくなってしまうと思った。
彼を見ているだけで幸せになれて、自分の心ではなくもっと深い生物的なところがいかに彼を求めているか本能で分かった。
初めて愛してるって人に言った。好きですら言えないのに。
ラインはブロックしていたけど、facebookのメッセンジャーで彼から長いメッセージが届いていた。
私だけが理解者、生きる目的を失ったけどなんとか生きていますという内容。同じ気持ちを今でも持っていることに驚いた。別れて2年もたつのに。既読にはしてしまったけど、連絡は返さない。
ここまで愛して、家族よりも大事だったのに人間は別れてしまう。ただの失恋で終わってしまう。
ありがちな話だけど、次に人を愛することが怖い。というかそんな人が現れない。現れなくてもいいけど、現れない限り私は一生彼を愛しているままだと思う。
人を一生愛さずに終わるよりましだと思う。でもあの幸せを知ってしまったら、戻れない。ただ時間が解決するのを待つしかないのか。まだ次に進めてないだけなのか。早く忘れてしまいたい。
主な登場人物:
JK、JK弟(小学1年生)、JK両親、JKの幼馴染(男・JKが好き)、JK幼馴染両親、JKと幼馴染の住むマンションに住んでた大学生(男)
くっそかわいくて優秀なJKが、JK両親に愛されない寂しさと両親に対する憎しみで壊れてしまい人殺しをしていくんだけど、まず最初のターゲットに選ばれたのがJK幼馴染。事故に見せかけた完全犯罪だったはずがたまたま殺人現場近くに居た大学生が殺人である証拠を見つけてしまい、その後起こるJKに関係する人間の事故死もJKによるものっていうのを知った大学生が事件を解決していくっていうストーリーが組まれた夢だった。とりあえず夢の中で幼馴染は死んだ。
サスペンスも、ラノベにありがちな男が主人公とJKヒロインみたいな作品も好きじゃないのにどうしてこんな夢見てしまったのか不思議。
3歳の次男はいつからか「消防士さんになりたい!」「消防士さんになって消防車に乗る!」と言うようになった。
服もはじめてのパンツも靴下もズボンのつぎあても見事に消防車でそろえた。
お出かけといえば消防博物館。
消防署を見かければ大騒ぎ。
長男がそういった小さい子にありがちな夢を口にしなかったこともあって、次男の消防士への熱い憧れがなんだか不思議だし、ほほえましく思っている。
チャイルドシートから落っこちるんじゃないかとはらはらするくらい必死でぶんぶん手を振る。
そんな時、消防士さんたちは、窓を開けて手を振りかえしてくれる。
もう何十回もそんなことがあったと思うが、少なくとも次男がすれ違った消防士さんたちは、手を振るだけでなく、毎回必ず窓を開けてくれるのだ。
それがどれだけ次男を喜ばせることか。
「消防士さんはやさしい!」「強い!かっこいい!」とますます憧れを強くしている。
次男のように消防士にあこがれている子どもはたくさんいると思う。
消防車で走っていればそういった子どもに手を振られることも少なくないだろう。
そして、そうした子どもを見かけるたびに窓をあけて、熱い思いに応えて手をふり返しているのだと思う。
そう思うとなんだか胸が熱くなる。
そういえば、ホームで子ども二人が電車に手を振ると、最後尾の車両の車掌さんが手を降ったり敬礼したりしてくれる。
旅行先で車掌さんが自分のかぶっていた帽子を子どもにかぶせて一緒に写真を撮ってくれたこともあった。
ボタンを押したいと言って泣く長男に特別にボタンを押させてくれたバスの運転手さんもいた。
育児の孤独感に苦しむことも少なくないけれど、ほんの一瞬触れ合ったそんな人たちの想いに慰められたり励まされたりしているなぁと感じるのだ。
今日は右膝を思いっきり蹴られてアザができ、足の甲にも傷ができた。歩く事も辛い。
夫いわく「本気で蹴ってない!本気でやったらお前死んでるわ!」と、よく分からない『俺は強い』自慢をされた。
たまに5歳の娘に対しても暴力を振るう。過去に娘は蹴飛ばされた事がある。
投げ飛ばされた先に四角い棚があり、耳を強打して内出血した事もあった。
夫は、大手外資系コンサルファーム勤務で、コンサルの仕事をしている。
警察に訴えても、私が負けるような理由を作るのなんて簡単にできるだろう。
コンサルの得意分野だ。
夫はADHDの気もあり、話が通じない、人の気持ちが分からない。
夫と言い争いになると、私を見下した物言いで、コンサル業務にありがちな専門用語や、まるで一つの案件をまとめているような話し方で攻撃されている。
私はどうしたらいいんだろう。
だれか助けて。
追記
2018/01/21日曜日
大阪河内地域出身の夫が、子供達の喧嘩に対して汚い方言で怒鳴り散らしている。特に5歳の娘に対しては、壁を思いっきり叩きながら威圧している。キレるといつもこう。
ちなみに、過去に上の子を蹴飛ばして、子供が吹っ飛んで負傷した時に止めに入った私へ言った言葉は「手加減したけど、飛んでいっただけ。」だ。
夫は虚言癖と記憶の改ざんが多く、事実を自分の都合の良いように記憶がすり替わっている。一種の脳障害。だから、事実に対しての話し合いが困難。
追記2
2018/01/21日曜日 夜
ドラマで関西人のチンピラが巻き舌で相手を脅す喋り方…夫がキレた時がまさにそれ。
私、明日生きてるのかな。脚動くかな。攻撃されてから時間経過した今脚見たら、立派にアザが濃くなっていた。
もし夫が通う極真の支部長に夫から受けた暴力を相談しても、信じてくれなさそう。夫は普段、温厚な人だから。。。
疲れた。。。
追記3
2018/01/21日曜日 夜
話しかける夫を無視していたら「いちいち一つの事にこだわって無視して感情的に怒ってるって、お前はおかしい。これはこれ。もう済んだ事引きずってんなよ。これだからバカなんや。」と、暴言が続いた。
身体も心も傷つけられて、何事もなかったように明るく夫の相手ができない私はバカなのか?
私は「じゃあ身内が殺されたら、事件後あなたは犯人と普通に話せるの?」と聞くと、「それは話を飛躍しすぎだろ」って。
例え話も通じない。
追記4
何事もなかったかのように、夫が話しかけてくる。そして私に「長女が不安定になっているんやけど?」と、さも私に原因があるように言い放ってきた。
夫が昨日、5歳の長女に対して暴言暴力ふるった事は無かった事になっている。
もし警察に届け出たとしても、この虚言がつきまとうので、解決しないかもしれない。
人の事を散々傷つけた夫の中で、昨日の傷害沙汰は「もう済んだ事。はい、終わり。」なのだ。
いつもそう。
追記5
夫と喧嘩になった時、私が家を飛び出そうとしても、力づくで引っ張られて叩き落とされるため、脱出できません。
空手をやっているだけあり、圧倒的に力が強すぎて喧嘩中は外部に逃げられない。
とりあえず、昨日負傷した脚を写真に撮っておく。変色してるわ、見事に。
追記6
夫に黙って、整形外科に行った。
問診票に症状や痛い箇所を記入した。
そして診察時、担当医に「夫に蹴られました。」と言った。
問診後に衣類の上から簡単な触診があったので、次にアザや傷の確認があると思っていたが、医師が私の蹴られた箇所を目で直接見て確認する事はなかった。脚を出した方がいいか医師に聞くと、「いや、いい。レントゲン撮るから。」とだけ言った。
レントゲンの結果、ヒビや骨折は無かった。医師から「打撲だね。湿布と痛み止めの飲み薬出しておきます。はい、終わり。」と言われ、病院を後にした。
夫に蹴られて痛みがある事を伝えても、アザの状態なんて、いちいち確認しないものなのか。
妻が夫に蹴られて打撲する事なんて、普通なのかな。
結局、問診とレントゲンだけで診察は終わった。
次は調剤薬局。
処方してもらい、薬剤師から「転んだんですか?」と聞かれたので、「家族に蹴られました。」と答えた。薬剤師は、「はははは、そうですかー。」と言って、薬の説明を始めた。
医師も薬剤師も、私のこの脚を見たら、どう思うだろう。この何度も蹴られた、色濃く散らばるアザを見ても、何とも思わないままなのだろうか。骨にヒビや骨折、脚が全く動かない限り、大したことないものとされるのか。
身内に蹴られた打撲って、こんな軽い扱いになるんだ。知らなかった。
警察やDV相談窓口に連絡したとしても、「ただの夫婦喧嘩」扱いとなり、相手にされないだろう。
きっと1日に何十件もDV被害の相談はあるだろう。私が夫に攻撃される事なんて、緊急性の低い面倒な案件扱いにされそうで連絡できない。してはいけない。
子供との無理心中を悩む親の気持ち、大切な家族を守る為に加害者である身内を殺めるしかないと思った人の気持ちって、今の私みたいに頭がおかしくなる位に苦しんだんだろうな。
そして夜。
夫は何事もないように、普通に私へ接してくる。
夫から暴力を受けた私も、何事もなかったように夫に接しなければいけない。
子供達に見せたくない。
私は、なんで生きてるんだろう。
子供達へ。産んでごめんね。
義両親へ。あなた達の息子が、まさか嫁や孫に暴力を振るっているなんて事実、言っても信じないでしょう。あなた達の前では、優しくて優秀な一千万プレーヤーの自慢できる息子だから。
整形外科の先生へ。お忙しい中、打撲程度で診察をお願いしてしまい、申し訳ございませんでした。空手をしている人間からの蹴りなので、脚が大丈夫なのか不安でした。先生が直接脚を見ない診察に対し、蹴られたぐらいで病院へ行くべきではなかったと反省しております。
涙が止まらない。
脚が痛い。
追記7
朝から夫が大声をあげて私を威嚇してくる。
子供達の前だったけど、私は涙が止まらず、激しい動悸と手の震えが止まらなくなった。子供たちが不安に「大丈夫?」と、声をかけてくれる。
夫の威嚇と汚い言葉は、数分後に全て無かったことにされた。そして怒鳴る原因は全て私のせいらしい。
以前から何度も、夫の攻撃で頭が回らなくなり、自傷行為をした事がある。夫の目の前で。その度に夫から「お前頭おかしいわ!」と、言われ続けた。
あくまで、私の自傷行為の原因が夫にらある事にしたくないらしい。単に私がバカで心が弱いから、『私自身に原因があり、勝手に自傷行為をしているだけ。』という扱いだ。
夫が原因で私が自殺する事は、絶対避けたいようだ。法的に不利になる事だけは避けたい人間だ。
誰にも助けが求められず、生きることが辛いなら、自分が消えるしか道がない。選択肢がないのだから。
人の気持ちが分からない夫は、なぜ私が思い詰めるのか全く理解できないでいる。
本人いわく「僕は論理的思考だから、相手の感情なんていちいち見ない。そんなもの見ていたら先に進まない。」。
私の夫は、そういう人です。
とあるウェブサービスがある。すごく流行っているわけでもなく、とあるジャンルでは知る人ぞ知るサービスである。
作者のツイッターをフォローしていて人となりがわかるのだが、サービスやユーザーのことをちゃんと考えてくれていて、とてもいい人なのが伝わってくる。
そういう人にありがちなのだが、商売っ気がまったくなく、サイトに広告もほとんどない。
サービスをずっと続けてほしいのだが、ユーザーをたくさん集めてもサーバー代がかさむだけのようだし、ネットで宣伝してまわるのもなんか違う気がする。
どうすれば作者の応援になるか考えて、サイトに貼ってあるアマゾンのリンクからアソシエイトIDがわかったので、アマゾンを使うときは勝手にその作者のアソシエイトIDを一回踏んでから買うようにした。
(アマゾンのリンクはアフィリエイトというよりは、書影を正しく使うためのものだと思う)
アマゾンアソシエイトって購入額の3%くらいしかならないし、高いものをしょっちゅう買っているわけでもないのでたいしたお金にはならないと思うけど、そんなことをもう1年くらい続けている。
計算嫌いな奴さ、小さい時に公文とかあれ系の反復が嫌じゃなかったか?
分かってることを何回も何回もさせられる、あの感じが心底嫌いだった。できることが嬉しいじゃなくて、これはもういいんだけどな…って思うタイプだった。自分は特に、計算問題で顕著。
計算に意味がある証明問題とかはまだマシ(問題がある以上、解なしかそれ以外の選択肢のどれかになるんだろうから、結局面倒に感じるけど)だが、テストの問一にありがちなアレは無理。飛ばして後回しにするから点数捨ててんのかってよく怒られた。
結局文系極振りしてなんとか社会人だけど、数学で習った考え方自体は嫌いじゃなかったなと今になって思う。だが、計算を強要されない今となっては、一桁の暗算すら脳が拒否する無能になった。