2018-01-28

ダーリン・イン・ザ・フランキスはなぜ心をえぐるのか

久々に心抉られるアニメだと思う。

なぜ、ここまで心をえぐられるのか。セックス暗喩に満ちているとか、ありがちなヘタレ主人公天才肌のヒロインの組み合わせだとか、お約束のフラれる幼馴染キャラとか、受ける要素は満載だがそれだけじゃない。

3話でゼロツーが口走った「『また』ここの部隊は全滅しちゃうよ」という言葉。そう、コドモたちは全滅が織り込み済みの捨て駒なのだ一見、コドモのためを思っているように見えるナナも「こうなる」とわかっていて躊躇なくミツルゼロツーと組ませた。

オトナたちはゼロツーしか叫竜と戦えないと知っている。だが、3回ごとにステイメンを消費するゼロツーに頼っていたのではいずれオトナは叫竜から世界を守れなくなる。そのゼロツー専用のコドモが特殊検体たるヒロの存在意義なのだろう。そして博士は、ゼロツーと特殊検体のヒロだけに頼った脆弱防衛システムに変わるものを構築しようとしているのだ。

APEがかたくなにゼロツーの出撃命令を出さないのは、それではなにも始まらいからだ。ステイメンを無限に食い尽くすゼロツーに頼らないシステムの構築が目的である以上、ゼロツーを出してしまっては元も子もない。

そして、もし、「ゼロツー抜きの防衛システム」が完成してしまえば、セロツーはお払い箱だ。おそらくは「処分」されてしまうのだろう。それを誰よりもよくわかっているのはゼロツーだ。自分しか人類を守れないが、3回ごとにステイメンを消費する自分には最終的には人類を守れないと知っている。人類救世主でありながら、一方で死神でもある。その自分のサガをゼロツーはよくわかっている。

オトナはコントロールが難しいゼロツーに頼るシステムではなく、コントロール可能なコドモたちによる防衛システムの完成を望んでいる。ヒロとゼロツーが完全なパートナーとして機能することはオトナたちの望むベストの解ではない。ゼロツーとヒロが組んで成功することはある意味で、コントロール不能セロツーの能力の完成にしかならず、大きなリスクを抱えることになる。そう、ある意味、叫竜そのもの以上の。

ダーリン・イン・ザ・フランキスが僕らの心をえぐるのは、ヒロとゼロツーのペア未来が無いからだ。彼らには人類救世主たる属性が欠けている。本当は怖いのに人類ために無理やり戦闘従事させられた主人公はいた。あるいは、自分たまたま持ってしまった能力のために、プライベート犠牲にして戦う苦悩を味わった主人公もいた。自分のふがいなさに泣き、最終的にはヒーロー成功した主人公もいた。

だが、自分が無敵であることを自覚しながら、その無敵であることが人類の脅威であり、最終的には排除すべきもの認識しながら戦った主人公はそんなにいなかったのではないかゼロツーはよく知っている、自分が本当は存在してはいけない、排除されるべき存在だと。それはつまり、ヒロを自分パートナーとすることは、ヒロが自分と共に排除されるべき危険因子にすることだということも知っている。

ゼロツーのとことん、ニヒリスティック希望の欠片さえない言動はその認識の上に立っている。そして、ゼロツーはいつかヒロ=ダーリンにそれをつげないといけないのだ。ゼロツーとしか乗れないヒロは、自分という危険因子を完成させる役にしかたたない、オトナからみたら排除すべき危険因子にすぎない、と。

僕らは無意識のうちにこの物語の救いのなさをよく感じている。ゼロツーの絶望もヒロの未来のなさも。つまりは、この世界のものに救いがないかもしれないことを(ゼロツーとヒロのペア以外で叫竜に対抗できないとなれば、人類は不可避的に不安定でいつ反旗を翻さないとも限らない未熟な守護神ゼロツーに運命を握られるのだから)。

この物語エンディングまどマギさえ真っ青になるような衝撃的なものしからならないのでは。そんな気がしてならない。

  • そういう救いの無さを売りにしたいならエロ描写をなんとかしてほしい エロいのは構わんのだが露骨すぎる

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん