はてなキーワード: 推し被りとは
タイトルの通り。
ババアだらけって言ってしまったら失礼かもしれないけど、まあ事実として40から60ぐらいの女性のオタクが多い界隈に突っ込みました。bioは長いし絵文字がうるせぇです。
同じ世代、10〜30代ぐらいのオタクも居るんですけど、まあほんと少なくて、でも一発で若いオタクを見つけ出せる方法を編み出してなんとか同年代とおしゃべりしてます。
そんで、ここで衝撃だったこととか、なんだかなー、と思う書こうと思います。
さっそく令和のオタクみたいなこと言ってて失礼すぎるよな。ごめん。
同担拒否って言葉あるじゃないですか。前いた界隈だと同担拒否(以下同拒)が居るのがめっちゃ当たり前で普通の事だったんです。
でもここでは新規?というかあたらしくツイッター始めて、繋がりタグみたいなので同拒って言うとすっっっげえ引かれる。私自身は別に同拒じゃないんですけど、フォロワーが説教されてた。「同拒とかいうありえない価値観で生きているんですね。あなたもいずれ歳をとったら同じ人を推すということに生きがいを感じますよ」みたいな。ダルすぎんか?
同拒をなんだと思っているんだろう。推し被りでトラブったことあるから同担フォローはあんまり積極的にしてないんです、みたいなのを言っても狭い場所で生きてるのね、可哀想、的なずっと説教ね。
箱推しが当たり前。
箱推し、まぁall担ですね。こちらも前いた場所だとあまり気に入られないんですよ。ところがどっこいこちらは箱で推してないとなんというか敬遠されてしまう。もちろん全員好きだよね???てかむしろ、事務所ごと推してるよね???みたいなのをひしひしと感じてしまう。私は全然事務所担じゃないし、all担ではないので、冷たい視線を感じますね。
多くの界隈(YとかJとかLとかアニメとか)を経験してきた20〜30代に比べると40overな方はそれ一筋で生きてる傾向にある。多少寄り道はしても、軸はこの界隈で、どっしり構えてらっしゃる。もちろん例外はいるけどね。
で、若いオタクはどうしても他界隈と比較してなんかモヤる、と思ったらすぐに言っちゃう。別にそれが良い悪いは置いといてね。
それっておかしくね?と思ったら言っちゃうんだと思う。推しが好きで、推しがもっと見たい、けど運営してる側が全然動かねぇ!もうちょい更新頻度上げて!って声上げるんだけど、けど上の方がそれって別に普通だよ、こんなのよくあるよ、なんでそんな過激なこと言うの?事務所に失礼じゃない?みたいになっちゃう。そんで若い子たちが言ったことを飛躍させて怒ったりしてお母さんヒス構文みたいになってる。へー、イヤならFC退会しなよ? そうじゃない感。若手は弁えてないんか??
若手(新規)とおばさん(古参)が上手いこと共存できる日、来るんでしょうか?
多分来ない!お疲れさーん!!!!
(恋愛をゲームとして楽しむなら多少の困難あったほうが楽しいかもだけど)
ファンションガチ恋って言葉があるくらい、男オタのガチ恋はそこまでの強い気持ちじゃなかったりもする
というか恋愛においてそこまで誰かを愛するというのも減ってきてるかも
・セクハラ、ストーカー問題のためガンガン行こうぜが使えなくなった
・性欲強めだから手の届くところで実は妥協しがち(それとなく候補探してる)
とかとか、現実的に考えたらほんとに高値の花で、推し一直線よりも推し被り会とかでわいわいするのが楽しい
女性側ってまだ、セクハラもストーカーも早めに叩いて根絶させようぜ! って声はそんなに大きくないし、
お金? しゅきぴが稼いでくれるでしょ? だろうし、
性欲強くてもこの機会を逃したら次のチャンス何時くるねん? って追い込まれることも少なそうだし、安心して推しに夢見れるような気もする
三次元では
リア恋というのかもしれない。
その癖一途なのかといえばそうではなく、アイドル、歌手、ユーチューバーなど数年おきに代わる王子様を崇拝しては諍いを起こし、界隈をやや荒らして次の界隈へと引っ越していた。
彼女は「解釈違いの推し被りと一緒にいたくない」「界隈に友達がいない」など理由をつけては、私をライブやイベントに同行させた。
そして現場の楽しさに魅せられた私が「素敵だね!ファンになりそう」などと言おうものなら、急に態度を変えてこの界隈がどれほど生きづらいか、マナーのなってないオタクたちの中で自分がどれだけ推しの事を理解しているかを延々と語りだすのだ。
面倒くさいから近寄るな。こいつの好きなものを好きになるな(かと言って否定はするな)。
一切の興味を持たず、相手の語る推しの話に相槌だけ打っていれば良い。
長年の付き合いで分かっていたはずなのに、ついうっかり、間違えてしまった。
私は全く別界隈のオタクだけど、友人は「今日は推し変させるつもりだから!」と言っていた。
名前しか知らない彼女の推しは、初めての大きな会場に目を輝かせ、時に涙を見せながら歌っていた。
他のメンバーもそれはそれは楽しそうで、本人達もファンも待ちに待ったライブだったんだな、と部外者の私ですら感動してしまった。
運よくファンサも貰えたりして、付き添いとはいえかなり楽しんだ。
つい、帰りの電車で「ファンクラブ入ろうかな」と言ってしまったのだ。
私みたいに付き添いで遊びに来たような奴がファンクラブにまで入ったら、本人たちも、友人も、喜んでくれると思っていた。
この時の私は、「推しがいつまでも好きなことをできるように、大きなグループになってほしい」と語る彼女の言葉を信じていた。
しかし私に降りかかったのは、「彼らのファンクラブは会費のわりにリターンが少なく、見返りのない投資をする覚悟でないと損をするぞ」という、大慌ての友人から繰り出されたネガキャンの数々だった。
とにかくお金の無駄だという主張。ファンクラブ会員限定の交流で推しからコメ返を貰う為に、自分が何をしているかのマウント。「あんたは別で推しがいるでしょ?」という牽制。
最終的に「私の勧め方が良すぎちゃったよね!ごめんね!」と謎の謝罪までしてきて意味が分からなかった。
(この謝罪についてはマジで意味が分からない。『語るほど素敵な物じゃないのに、良いものみたいに紹介してごめん!』って事?推しの良さだけはボロッカスに言っちゃダメだろ。)
ライブの熱に浮かされてはいたが、一応彼女の気を損ねないように気を使っていたつもりだ。
彼女の推しにはあまり目を向けないようにしたし、話題に挙げるのは別のメンバーだった。
ファンクラブ入ろうかな、だって彼女が「推し変しちゃいなよ!」としきりに言っていたのを確認してから言った。
彼女とはあれ以降踏み込んだ話をしていない。
彼女の推し達の動画も、彼女を思い出して嫌な気持になるのであまり見ていない。
今日、彼女のツイッターに「友達の界隈に入って来るなんてマナー違反」と投稿されていた。
フォロワーは私を含めわずか数人。間違いなく私へのエアリプだ。
いい歳してなんて陰湿なことをするのだろうかと溜息が出た。それに私が傷つくとでも思っているのだろうか。
というか「マナー」って何だろう。『リア恋に現場の付き添いを頼まれたときはそれなりに楽しみつつ、終演後は「私はやっぱり自分の推しが一番だな!」って明言しましょう』なんてマナーがどこかに明記されているのか?
残念ながら貴方の推し達は魅力的なグループでした。私に見せなきゃよかったね。
次は自分の推し以外に興味のない、つまらなそうな顔して突っ立っててくれる人を連れて行ってね。
余談だが私が「いいな」と言ったメンバーは、インスタライブなどで彼女をよく構っていたらしい。
「私はこの小さな界隈で認知も貰ってるんだから、頭数を増やさないで」と素直に言ってくれれば良かったのに。
表面上は「認知なんていらない。その時その時を楽しめればいい。」と言っていた彼女のみっともない姿を見せられて、心底呆れてしまった。
同担拒否のくせに布教活動なんかするなよ。メリット1つも無いだろう。
素敵なライブだったのに本当に残念だ。
「楽しかったから払わせて!」と自ら申し出たチケット代、やっぱり払わなきゃよかった。
友人は今後「推しに売れてほしい」なんて口が裂けても言わないでほしい。
メタバースという言葉が流行っているようだ。十数年地下アイドルヲタクを惰性で続けている自分としては、アイドルコンテンツをVRで楽しみたいのだが、なかなかこれといっておもしろいVRコンテンツがでてこない。そんな中で、自分が知りうる中で最も優れたVRアイドルコンテンツが、2019年発売のVRAV「俺のカノジョは本物アイドル 永瀬ゆい ~LIVE中レスもらいまくりでこっそり楽屋でイチャイチャベロキスSEX~」である。
2年前の作品だけあって最新のVRに比べると画質が落ちるのは否めないが、演出がものすごいリアルであり、今でも楽しめる。ぜひ没入感を得られるVRゴーグルで見てほしい。
主演は元地下アイドルの永瀬ゆい、そしてサブ出演にはAV系アイドルグループに所属していた山井すず、そして篠宮ゆり。
作品内では、3人がアイドルグループを結成しており、「俺」はセンターのユイと繋がっているヲタクという設定だ。
チャプター1は3人が結成してる地下アイドルのLIVEに「俺」が参加するシーンから始まる。まずこの物販の雰囲気がものすごいリアルである。やたらと話しかけてくる推し被りのヲタク、うさんくさいスタッフ、スタッフと内輪ノリで馴れ合い金を巻き上げられるヲタク。他にも地下アイドルをテーマにしたAVはいくつか見てきたが、この作品出てくるヲタクが地下アイドル現場にいるリアルなヲタクに最も近いと思う。
前物販(LIVE前に物販を行うこと)が終わり、続いてはライブのシーンに移る。
薄暗いフロアで、カメラ視点の「俺」の前には1列ヲタクが並んでおり、ステージの様子はヲタクの肩越しにしか見えない様子だ。フロアがフラットな狭いライブハウスで行われる地下アイドルLIVEでは慣れ親しんだ視野であり、なるほど「俺」はユイちゃんと繋がっているからこそ少し遠慮がちに2列目に陣取っているのだな、とわかる。そして、ステージライトが点灯し、出囃子とともにヲタクが手拍子を開始し、アイドル3人がステージに出てくると、横にいた先程から馴れ馴れしい推し被りのヲタクが、前方のヲタクを横に押しのけて「俺」に最前センターのユイちゃんゼロズレ位置を譲って「俺」を前に押し出す。この瞬間がこのVRAVの中で自分が最も好きな瞬間だ。ここで「俺」はユイちゃんと繋がっていることは他のヲタクにはまだバレていないものの、明らかにユイちゃんのTOであり、推し被りヲタクがTOを必要以上に立てるムーブも地下アイドル現場あるあるといえる。自分はここでこのVR空間に完全に没入することができた。最前中央に押し出され視界が開けて、ステージのユイちゃんそして左右の2人が視野いっぱいに目の前に現れる。最高だ。
そしてここから彼女たちのオリジナルソング「パラレルLOVE」が1曲ノーカットで描かれる。
これまでのアイドル系AVでは、ヲタクたちのコール(掛け声)が気に入らないことが多かったが、この作品はその点も完璧だった。
イントロで「あーよっしゃ行くぞーー!!」の警報からスタンダードMIXが始まるが、タイガーファイヤーサイバーファイバーのあたりからサイバーとファイバーを間違えるヲタクのせいでグダグダになり、ここは満足にMIXすら打てない中高年ヲタクがあつまる地底アイドル現場であることがわかる。こんな現場だからこそ「俺」はユイちゃんと繋がれるのだろう。その後も、妙に古臭く微妙にオリジナリティを出してくる(\ひまわりスマイル、ユリちゃーん!/等)いかにも中高年ヲタクがファミレスで真剣に考えそうなコールが続いたり、サビの「♪嘘じゃないよね~\オイ!オイ!オイオイオイ!!/♪ほんとにあるよね~\オイ!オイ!オイオイオイ!!/」のところの妙に気合の入った中高年ヲタクの掛け声には思わず涙が出そうになる。1番終わりのあとに挿入されるジャパニーズMIXのなんとも言えない\化繊!飛除去~!/の間の抜けたかつなぜか自信に満ちた言い方も地底アイドル中高年ヲタクあるあるなので傑作である。
落ちサビでは左右の視界からヲタクたちのキンブレのケチャがステージに捧げられ、思わず左右を見渡してしまう。VRは素晴らしい。
曲の最後はステージの3人が腕で大きなハートを作るのだが、リアルアイドル現場であれば3000%ヲタクの方でも同じポーズを取るところだが、左右のヲタクは「俺」にハートを強要することなく妙な真顔でステージにケチャっていたので、そこがヲタクもハートを作っていれば本当に完璧だったのが本作唯一の減点材料だろう。
ついヲタクのことばかり書いてしまったがもちろんステージの3人がポンコツ風に踊る姿は素晴らしいの一言で、ユイちゃんはタイトルで「LIVE中レスもらいまくり」と書いているくらいなのでほぼずっと「俺」のことを見つめていてかわいい。こんなに見すぎるのは多少不自然だが、自分の経験上、ヲタクと繋がってやめるアイドルはびっくりするくらい特定のヲタクにレスしていることはそこまで珍しくはない。むしろ落ちサビのあとに唯一ユイちゃんの右手側に目が泳ぐシーンがあるのだが何かあったのか気になる。
個人的には主演の長瀬ゆいもいいが、サブ出演の山井すずちゃんが本当に楽しそうにライブをしていて実にかわいい。本当はそっちを見たいのだが、ユイちゃんがずっとこちらをガン見してくるため、なかなかすずちゃんの方を見られない気分になってしまうのも本当に自分が地下アイドル現場にいるような錯覚をもたらしてくれる。
ライブが終わると場面は再び物販に移る。
ここでも馴れ馴れしい推し被りヲタクは相変わらずで、「俺」よりも先に推し被りヲタクがユイちゃんの物販に行くのだが、TOである「俺」はがっつかない感じや、推し被りヲタクが短い秒数の中で金を払っているにも関わらず「いっつも一緒に「俺くん」と応援してるんだよ」とTOを巻き込んでアイドルとしょうもない会話で秒数を消費してしまうやりとりのリアルさは素晴らしかった。他の中高年ヲタクと比較して妙にこざっぱりとした身なり、スタッフへの愛想の良さ、TOである「俺」に対する態度といい、推し被りヲタクは最高のかませヲタク役であり、ユイちゃんと繋がっている「俺」の自尊心をこれでもかとくすぐってくれる名演っぷりである。
さて、推し被りヲタクの物販時間が終わり、次は「俺」の番である。チェキ券を渡すとユイちゃんは「俺」に対して「・・・ありがとっ」と小さく声をかけて腰の下で「俺」の両手を掴むのだが、このそっけない口ぶりとこらえきれない節操の無さの組み合わさった動きが本当に繋がっているヲタクへのアイドルの振る舞いとして完璧で素晴らしかった。
そしてその次のチェキ撮影シーンがこの作品で2番目に感動したシーンだ。ユイちゃんが頬の体温が感じられると錯覚するくらいに「俺」の斜め横に密着し、チェキ撮影カメラが反対側の斜め方向から「俺」とユイちゃんを撮る。このユイちゃんとカメラの画角がとにかく最高で、唯ちゃんの横顔が画面右半分を覆いながらチェキカメラの方を見るVR体験はリアルなチェキ撮影に限りなく近くVRにしかできないというなかなか得難い体験だった。
その後は「俺」とユイちゃんはレギュレーションもなにもあったもんじゃないように前の推し被りヲタクのゆうに5倍は超えるであろう時間の間、衆人環視の中で異様にイチャイチャしながらツーショットの会話を行う。ここは正直生々しすぎて気が削がれたものの、実際の地底アイドル現場でもテーブルの隅のスタッフの見えないところでありえないくらいに密着して何かささやきあっている繋がりを一切隠そうとしないアイドルとヲタクの姿を見たことがあるので、まあこういうこともなくもないのかもしれない。
ちなみに、このいちゃいちゃ物販シーンでは、視界の右端で楽しそうにヲタクを相手にしている山井すずちゃんが可愛かったり、チェック柄のシャツベルトインコミュニケーション不全中高年ヲタクの姿があまりにリアルすぎてびびるといった面白も見逃せない。
チャプター2以降は楽屋のAVシーンなのであまり語ることはないけれど、強いて言えばパンツの上からキンブレを執拗にエロ道具化するシーンはなんのフェティシズムなのだろうかというのが気になったのと、パンツを脱がせたあとはキンブレは使わないのはちょっとわかる、という点くらいだろうか。あとオマケのラストチャプターでの音楽プロデューサー枕接待シーンの山井すずちゃんが可愛い。
報告は以上です。皆もVRゴーグルを買おう。
タイトル通りです。
学生の頃ひょんなことから譲り受けたCDを聴いて曲のかっこよさに一目惚れ、ジャ◯ーズや〇〇48のような規模ではないけれど当時それなりに大きな市場でそれなりの地位を確立していたのもあって、テレビにもたまに出ることがあった。そのテレビでの演奏やトークに感動してアーティストそのものが大好きになった。
進学先で友達が出来ず、気づいたら保健室にいる奴みたいな自分の支えだったのもこの人たちの曲だし、ブログが更新されるたびにワクワクして雑誌が出れば角がボロボロになるまで読んだ。
初めて行ったライブでも目の前に本物がいる…!いつもiPodで聴いてる曲を演奏してくれてる…!って嬉しくて大泣きしてしかもそれが本人達にとっても最大規模のホールだっただけに、途中からついてきた身だけどおめでとう!応援してるよ!これからも大好きだよ!って気持ちでいっぱいだった。
その後も給料が出れば関東圏内だけだけれどライブやイベントに行くのに使って、毎回現場で会う友達みたいなのも出来た。友達いなかった私にも友達出来たって実感した時もう二十歳過ぎてたけどそこでも泣いた。
けれどアーティストもずっと売れ続けるのは難しい、ってかほぼ無理だと思う素人でも分かる。だんだんと現場に来る友達が減ったのだ。理由は様々だけれど
「新曲が好みじゃない」
「昔の方が良かった」
「そろそろ貯金しなきゃ」
「他に趣味ができた」
みんないろんな理由で離れて行った。理由は分からないけど毎回地方から来てたような子すら来なくなって、この時の私はたいへん馬鹿なので「そんな理由で冷めて離れてっちゃうなんてなんて冷たい人なんだろう」って思ってた。
でも後から知ったのは、他にも理由は色々あって、現場で会う友達同士の揉め事が原因で行きづらくなったとか、よくあるアーティストの異性とのお付き合いや交友関係が水面下で広まってしまっていて、推し被りNG派な人やガチ恋、リアコ勢はそれに耐えきれなくなって離れて行っていたこと。そして、界隈としての規模が少しずつ萎み始めていながらも、次の売れっ子アーティストが出始めたことによってみんなそっちに流れて行ったりしていた。
私は絶対に冷めたりしない、また昔みたいに大きなホールで…推しが武道館行ってくれたら…なんて思いながら推し事に没頭した。仕事で行けない公演、遠征が出来ないなんて普通だったけどその当時は行けるだけで嬉しかった。
辛かった時を支えてくれたアーティストを裏切っちゃダメだ、だって好きなんだからって自分で自分に呪いをかけてた。そりゃもう無意識に。しかしそんな時私自身仕事に耐えきれず体を壊してしまって、仕事を辞めた。病院の先生からは「好きなこと好きなだけして見なさい。今まで我慢して頑張りすぎたんだよ。」って言われて、職と引き換えに得た時間で初めて遠征もした。
握手会とかのイベントもあんまり何度も行くのは迷惑かなと遠慮してたまにしか行かなかったけれどいわゆる「積む」ことを覚え、握手会等のイベントにもたくさん行った。おかげでだいぶ元気にもなり、前職より楽な仕事に就いて自分のペースで遠征も含め楽しめるようになった。この時点でCDを譲り受けた出会いから10年。
私10年もこの人たちに支えられてたんだ…!と嬉しくなった一方で段々と自分の中にも不信感が芽生え始めた。
まずアーティスト側が活動を始めてから運営方針が変わった時、内部でのことは分からないが
公演翌日に行うイベントの告知が7日前と急過ぎる(遠征予定の人はホテルや交通機関の手配が済んでしまっているので行くのを諦めざるを得ない)
◯月に続報を出しますと銘打った告知も約束の期日から半年以上の遅延、それについての謝罪は無し
ファンクラブ先行チケットの転売や複数名義を作り保険をかけたり余った先行チケットも非会員が手に入れられさえすれば入場できてしまうファンクラブ制度の杜撰運営や取締りの甘さ
会場で配られるはずだったファンクラブ特典が配られず「不備があったので郵送します」とレターパックを渡され、二ヶ月後に汚い字で内容物の記載がされた特典が送付されてくる
イベントや配信に遅刻常習犯のメンバーがいるうえにそれを謝らず交通機関の乱れや機材トラブルと嘘をつく
ネットでは一切告知せずコラボ店舗に出向いた一部のファンにだけこっそり高額なコラボブランド品の販促をし、購入特典にイベント開催
書き出してみると本当に酷いなあって溜息が出るのですが、最初は運営体制が変わったばかりで不慣れだから仕方がないとみんな目を瞑っていた。しかしこれを3年、5年、とやられたらどうです?普通にモヤモヤ案件。
そして、自分で好きという呪いをかけ続け信者でいた自分が一番我慢ならなかったのが、仕事も慣れてきて遠征増やそう!と張り切った年のツアー。しかしモヤモヤもあったので今年が最後かなあとも思いながらチケットを取ったら定価6倍商法が取られている会場以外見た事もないくらい良い整理番号。純粋に嬉しかった。
けれど公演が始まると代表曲やこれまで節目でやっていたような曲で肝心のボーカルが音を外したり声が出なくなったり歌詞を間違えたりする事がどの会場でもあって、えっ…?調子悪い…?と不安でいっぱいになる。
そんな中、本人の口から出たMCでの言葉は「エモいとねー声が出なくやっちゃうんだよね。」と。エモいって何?ちなみに私はボーカルが推しでした。だから余計に意味分からなかったし、他の演奏してくれてる楽器陣たちにも失礼なんじゃ…とすら思った。
あまりに理解できない内容と好きな曲が本人達の手によってめちゃくちゃにされた気分と、あと個人的にメンバーがお立ち台のぼってペットボトル投げただけで後ろから突進してきた人達の圧にいい加減耐えられなくなってしまった。
それでもツアーが終わった後、チケットを取ってしまっていた公演が1つだけあったので行くことにしたけれど、やはりセットリストはあまり声が出なくなる曲は入れない守りに入った曲目、MCでダラダラ喋る短い本編、そしてやっぱり声は裏返って歌詞は1番と2番逆にしてる…ほんとに自分で作った曲だったんですか?それとも私の知らないうちにボーカルさん世代交代しました?っていう違和感。
そしてそのライブの翌週、ボーカルのSNSにはボイストレーニング行くの辞めて海外でアート学んでます!との投稿。え?ボイトレしないの?あんなに酷いツアーしたのに?一回の公演で私たち6000円くらい払ってるんだけど…あれが6000円のパフォーマンスだったの?と悲しくなった。
更にはその酷い公演を安くない値段で見せられたファンが見ているアカウントから副業を始めたことを発信し始め、中身を除くとお金とビジネスと中にはすべてとは言わないが鵜呑みにしたら危なそうな美容法…。
そして挙げ句の果てに「ただ練習して発表してれば良かった」「前の運営体制は安月給だった」ミュージシャン、アーティストとしての仕事やそれを生業にしてきた人を応援してきた自分を、当人によってとことん馬鹿にされた気分になり、すべてのコンテンツSNSの登録を解除した。私の好きな人はただの怪しい人になっていた。
ちなみに私はガチ恋でもリアコでもなく、本当にただ辛かった時期を支えてくれた恩人であり応援した続たい人として見ていたので、今こういうガチ恋やリアコと呼ばれる人達はこの変わってしまった「怪しい人」のことをどう見ているんだろう。
他にも腹が立った発言や、前述の通り異性間の交友関係の暴露や今話題の匂わせなどもあり、「もうこの人はこのバンドで音楽をやりたくないんだな」「新しいビジネスでお金を稼いで音楽は副業でいいんだな」という気持ちが前面に見えてしまって、これまで集めた雑誌やCDやグッズ、いろいろなものを処分しながら今も泣いています。
大嫌いになった、と言ったけれど好きっていうのは強い呪いだから自分では簡単に解けないらしい。(推し武道で見た)
今私はこのアーティストが、1番好きで心の支えだったボーカルが大嫌いです。でも、好きな反対って無関心なんですよね、もうこういうブログや愚痴を書かなくてもいいくらい無関心になりたい。
本音を言うならこのまま舐めたアーティスト商売してバンドめちゃくちゃにするくらいなら早くバンドも辞めてくれたら気持ちが晴れるのかもしれない。
増田はなんとなくデレマスに関するお気持ち表明が多いイメージがあるから私もお気持ち表明するね。
だから何?みたいな内容だし文章もめちゃくちゃだと思うけどずっと心の中にあってモヤモヤしてること。
私は恐らく「推し被りNG」とか「同担拒否」といわれるタイプの女性プロデューサーです。
一ノ瀬志希を担当していて、スターライトステージのリリースから4年弱、彼女だけを微力ながら応援してきました。
彼女の見た目や性格はもちろん、好きな食べ物から趣味、バックグラウンドまであらゆる側面を愛しています。
性的指向はヘテロセクシャルだと思いますが、志希への感情が友愛や憧れだけかと言われると怪しいです。結婚したいと思うことはあります。でもセックスはしたくない。
自分では「推しているアイドル」に対するごく一般的な感情だと思っていますが、他人に確認したことは無いため定かではありません。
わたしの「同担拒否」は、独占欲とは少し違うと感じています。志希が有名になることは嬉しい。アイドルとしてはもちろん成功して欲しいし、もし好きな人ができたのならその想いが報われて欲しいとも思います。
でも志希が他人の欲望に晒されているのを見るのはめちゃくちゃきつい。
たとえばエロ同人。一ノ瀬志希が作者の欲望が透けるようなセックスをさせられているのを(Twitterやpixivでふいに)見てしまうと吐き気がするほど嫌悪感を抱きます。
たとえば極端な結末の二次創作。一ノ瀬志希を自殺させるような創作が一時期流行しましたが、それは本当に一ノ瀬志希じゃなきゃいけなかったのか?本当にその結末にしなければいけなかったのか?ただ悲劇が書きたいだけじゃないのか?怖くて読めてないので内容を知らないで批判するのも…とは思いますがずっと疑問でした。
たとえばコスプレ。コスプレイヤーが承認欲求を満たすためにするような、キャラクターへの敬意も愛もない、考察の薄いコスプレは志希を馬鹿にされていると感じていました。
これまでも好きなキャラクターはいたし、ジャニーズみたいな「同担拒否」が普通にまかり通るようなジャンルに身を置いていたこともあったけど、こんな感情を抱いたのは一ノ瀬志希が初めてで自分でも困惑しています。
ただ他の人が彼女を好いていることが許せないとか、私だけを好きでいて欲しいとかそういうことではなく、志希をオカズにシコられることが許せない。そこに愛を感じない。
キャラクターに感情移入しすぎと言われればそれまでかもしれませんが、私にとって志希は絵でもコンテンツでもなくかわいいかわいい担当アイドルなので自衛を覚えるまではこれが原因でかなり病んでいました。
今はデレマス用のTwitterアカウントも削除して公式から与えられる情報以外は目に入れないようにしています。
我ながら気持ち悪いオタクだなと思うけど、絶対同じような感情を持つ人はたくさんいると思うんだよな。
自分は他人の推しを貶めるような発言や創作は避けようと気をつけています。
別に「二度と一ノ瀬志希のエロ同人を書くな!」って言いたいわけじゃないし、デレマスの楽しみ方は人それぞれだからそこに割り入って文句をつけるつもりは無いんだけど、こういう人間もいるので「一ノ瀬志希好きなんだよね?この同人おすすめ!」とか「志希ちゃんコスして誕生日祝ってあげようか?」とかやめてください。
これは、匿名なんだけど、誰だか特定されかねない(っていうかそこそこリテラシーあるなら特定は簡単)から、答えなくていい(むしろ答えないで)し、ただ文句を言いたいだけって感じなのかもしれなくて、おっさんだからDMとか送るのはアレなんで、ここに書くのですが、病む気持ちはわかるよ。だってずっとそうだったもん。その中で、楽しそうにしてる推し被りが居ると思ってて、それが希望だった。その中でも特にうらやましかったのが、あなただと思う。
こっちはクソほどハンデを抱えてる。年なんてお父さんくらい。だけどクソ可愛くて、クソ真面目で、クソ不器用で、踊らされるのが、振り回されるのが、病むのがわかってても推さずにいられない。多分○○○○さんとか面識ないけど見てて思う。類は友を呼ぶ。
あっちは若いアイドル。こっちはおっさん。その中でも年も近く、絶対なる信頼を勝ち得てるのがあなただと思ってたし、今でも思ってる。
病まないでとも言えない。おっさんに比べて絶大なるアドバンテージがあるにしても、あいつはそういうやつなんだろうと思う。自覚的か無自覚か知らないけど。○○○の○○ちゃんに憧れてる時点でやばい。○○ちゃんには似非神対応されたことしかないけど。
多分不安なんだろうと思う。ひょっとしたらエゴサしてるかもしれない。(それを絶対に表に出さないクレバーさをあの年で身に着けてるとは思うけど)
1年かな? 2年かな? それくらい接触に行けなくなったことがあった。適当な誉め言葉を言ったり、世間話して、適当な返しをもらってそれで終わればいいだけの話なのに。
ずっとあなたが羨ましかったです。でも、結局、おっさんも年が近く可愛い女子もおんなじような気持ちにさせてるんだって最近ほんとに理解できるようになって。
それって結局あのこの弱さ。多分、今は新規には優しいと思うし、我々は昔のあのこを知ってるから余計だと思うけど、お互い構えてる。その警戒心が悪いほうに出てる。
じゃあ、我々病み(闇)オタクがいかないほうがいいのか? って思ったりもするけど、多分そうじゃない。
それでもついてくる人間かをはかってるのと同時に、ある程度の信頼関係があるから、素がでちゃってると思うことにしてる(じゃないとやってけない)
って、勝手に決めた。
いつか、○推し界隈は馬鹿ばっかりって、そういう印象になるまで。そんなに先のことじゃないと思う。ガチ恋こじさせとかはまた別の話だけどね。
元々漫画とかアニメが好きで2次元オタクをずっとやっていたんだけど、声優にハマった流れで徐々に3次元アイドルに流れていった。
最初はやっぱりAKBみたいな有名どころから入ったものの、推しメンが卒業したのを機に気軽にライブに行ける中堅どころ~ド地下アイドルみたいなところまで手を広げてしまった(都内に住んでたから行きやすかったという理由もある)。
これまでの人生でライブハウスなんて怖くてまったく行ったことなかったんだけど、推しを見れるという後押しによって1年くらいは結構楽しく頻繁に足を運んでいた。多いときは週に3・4回くらい。仕事帰りに渋谷とか新宿で降りてライブが終わってから満員電車に揉まれて帰宅する。
こういったライブハウスの活動中心のアイドルは、出番後にチェキを撮影して数分間会話を楽しむという特典会があり、ほとんどのオタクたちはこれにも参加する。
実際にアイドルと話をする以外の時間(つまりライブハウスにいるほとんどの時間)は、オタク友達同士で雑談したりしてる人か、特に知り合いもいないのでスマホいじるかボーっとしてる人に分かれる。
私は基本的にコミュ障なのでやはりここで友人をつくるなんてハードルは超えられず、後者の人種だった。
アイドルのライブを見て、少しだけ話して元気もらって、お土産としてチェキを手に入れる。ということを目的に来ているのでそれ以外のことは特に求めていなかったのです。たぶん私と同じようなオタクは結構いるはずです。
昔2次元オタク全開だったときに、知り合った人と折り合いがつかず「あの人と会いたくないなぁ…」と思ってしまう失敗も過去にしていたので、自分は対人関係下手なのもわかっていたし変な理由で好きなアイドルに会いに行けなくなるのは嫌だったのです。
しかしやはり現場でずっと一人ぼっちなのはかなり寂しく、推し被り(同じアイドル/メンバーを推している人)同士くらいは多少喋れる人を作ったほうがいいかなと思ってしまいました。
(思い返すとこれが悪かったのか…)
ある日、特定のアイドルメンバーと近い距離で会話ができるオフイベント(限定10名!みたいなもの)に参加したときに、一緒になったオタク男女数名とわりと楽しく会話した。そう、別に会話しようと思えばその場では普通程度には喋れるんです。Twitterもみんなで相互フォローして、これで自分もアイドル現場でもっといろんな交流ができるかなと期待もした。
こうなってくると結構タチが悪くなってきて、アイドル現場にいくと周りのオタクが気になってきてしまう。
「あの人いつもいる人だな」
「あの人一度喋ったことあるけど、話しかけてきたりしないな」←自分から話かけるという選択肢は無い
などなど。
別にこれはよくある光景で何ともないんだけど、自分が中途半端に意識してしまうのが本当によくない。アイドルを見に来てるんじゃないのかよ俺。
しかし相互フォローしてしまっているので、Twitterを見るとオタクのつぶやきがすごく目に入ってくるのです。
しかもライブ中心アイドルのファンは現在は10代後半~20代中盤の男女がボリュームゾーン。私はもっとおじさんなので、明らかに若者ノリにはちょっとついていけません。
疎外感が加速していきます。
そしていつのまにか、とあるオタクのいわゆる「裏垢」をフォローしていました。なぜフォロー許可してくれたのか今となっては本当に謎です。
これも今の時代なにも珍しいことではないのかもしれませんが、裏垢では同じオタクに対する文句などマイナスな方向のツイートが並んでいました。
ミュートすれば良かったんですが、気になってついつい読んでしまいました。
厄介オタクという迷惑行為をするファンも目立ち始め、私は直接的な被害は何もないのですが、アイドル現場にどんどん自分の居場所が無くなっていくのを感じました。
これがすべて私の被害妄想だと言われればそれまでかもしれませんが、徐々に足が遠のいたのは確かです。
そして、仕事が長期休みのときに偶然ダウンロードしたスマホゲームが面白かったのをきっかけに、2次元のオタク趣味に戻っていきました。
2次元オタク文化は、創作物を褒め合う文化があるし、素直に良いものは良いと言っている人が多いと思いました。
とても、とても居心地がいいと感じました。
単純に3次元アイドルオタクをするには一定のコミュ力が必要で、私にはそれが無かったという話なのでしょうか?
3次元アイドルオタク現場の適正年齢を私は既に超えていたという話なのでしょうか?
推しの子はもちろん今でも好きなので、Twitterはフォローしてますし、たまに画像を保存したりしています。ですが現場にはもう半年以上行っていません。
私がドリフェスを知ったのはアニメからだ。そのあと、これが「若手俳優を使ったアイドルコンテンツ」であることを認識した瞬間、「あ、近寄らんとこ」と思った。
私は特撮が好きで、でも俳優そのものは好きにはなれないタイプのオタクだった。漫画も好きだけど、2.5次元舞台、ミュージカル的なものもどうしても好きになれなかった。そしてもうひとつ、私はとあるジャニーズアイドルの、Jrからのファンだった。男アイドルを下積み時代から追っかけていた。
これらの経験が、私にとって「どうしても5次元(2.5次元)アイドルコンテンツであるドリフェスを好きになれない理由」だった。そしては私は、それは好みだからしょうがない、と、ドリフェスを好きになれないことを自分に許した。だから、ドリフェスのファンの仲間入りが出来なくて、すぐにドリフェスから距離を置こうとした。
そんな時に、TwitterでAGFでのドリフェスのツイートがいくつかRTされてきた。どれも楽しそうで、でも私はもうドリフェスから離れる覚悟を決めていたので、他人事のようにそれを眺めていられた。2016年秋、ドリフェスに出会ってたった数週間目のことだった。
その時に流れてきたRTのひとつで、私は石原くんに興味を持った。俳優の活動まで追いかける気はさらさらなかったけれど、それでも、三次元のドリフェスまでなら応援してもいいかな、と思えるくらいには彼はアイドルとして魅力的だった。
二次元と三次元は別物として好きで、俳優(ここでは敢えて俳優と言おう)をキャラとしては見れなかった。TwitterのTLで「三次元みてないファン嫌い」とか「五次元分かってない」とか「三次元を二次元で見れないひと可哀想」って言われる度に自分のことだと感じてしまって、ドリフェスのこと呟くのやめた。確かに私はドリフェスを好きだったのに、そういう目線で、他の人と同じように好きにはなれなくて、他の人と同じ好きではないことを非難されるのが辛くて、結局は逃げた。それでも私は確かにドリフェスが好きだった。人とは違う好きかもしれない。そういうファンは受け入れられない、認められないかもしれない。それでも私はドリフェスが好きで、公式の言う「ドリフェスのファンの皆様」になりたかった。いつか、なれるんじゃないかって希望と夢をもって、円盤買ったり、アプリに課金したり、グッズ買ったりした。1人でライブ行って、1人でコラボカフェ通って、1人でシーパラダイスに行った。(1人で水族館行ったwww)
武道館2days、本当は1人で行く気だった。
仲間にされたくなかった。誰かに、勝手に、私の想いを、キラキラした綺麗事で飾り立てて欲しくなかった。
20日。
私は二次元は主に慎くんのファンで、でも三次元は慎くんに見れないから、たったの一度も慎くんのドリカを飛ばしたことは無かった。でも最後だからと思って、青いパンツに青いアクセサリーつけて、慎くんのドリカを用意した。一番好きなURホーリーナイトと、SRシュガーリーカルーセル。三次元の匂いがしないものを選んだ。
ライブに、慎くんはいたのか、と言われればやっぱり居なかったと思う。溝口くんは溝口くんで、及川慎くんを演じた素晴らしいキャストさんだった。慎くんそのものは、やっぱり私には見えなかった。
三次元が嫌いなわけじゃない。大好きなキャラクターを真剣に演じてくれて感謝しかない。それでも、私はアイドル及川慎のステージを見ることなく終わった。別に後悔はなかった。楽しかった。そして、それでいいと思っていた。
この日のラスト、石原くんは「ドリフェスはまだ終わらない」と言った。言い回しは明確には覚えてないけど、たしかに終わらないと言った。
私は嬉しくなってしまって、その日その足でレターセットを買って、次の夢を書いた。中国版アプリが出るから、次は中国ツアー行きたいです。その次はヨーロッパ、そして全米デビューだ!その時わたしは本気でそう思っていたし、ドリフェスというものがそれから先も続いていくのだと思っていた。そういう意味でその言葉を受け取ってしまった。
翌朝、恥ずかしくなってホテルに手紙を置いたまま九段下の駅へ向かった。その手紙は未来永劫、私の本棚に眠ることになるだろう。
21日、アリーナ。
一日目のような驚きは無かったけど、やっぱり楽しかった。ペンラを振るのも、ドリカを選ぶのも、昨日見た演出も、見なかった演出も、すべて楽しかった。でも、時間が経つにつれて、この次がこの曲で、これがあって、そしたらアンコールがあって、終わる。そういう気持ちが強迫観念のようにのしかかってきて、上手くペンラを振れなくなっていった。それでもアンコールが終わるまで、全力で楽しんだと思う。ファンになりきれなかった残念な私は、その時必死にファンを取り繕っていた。
最後の挨拶、石原くんは、ドリフェスが終わると言った。昨日は終わらない、と言ったのに、今日は終わる、と言った。
そして、ライブは楽しい100%だと言った。わかる。私もそう思う。ライブはいつも楽しい。アプリも楽しかったし、アニメも大好きだ。グッズも沢山買って家に置いてある。楽しかったし、大好きだった。
ドリフェスという作品が、こんなに大きな舞台で気持ちよく終わる。それはすごいことだと思う。でも、それでも、私はその時まだドリフェスのファンになっていなくて、ファンを名乗る自信もなくて、そして同時に私はドリフェスのファンになることが夢で、明日にはドリフェスのファンなれるかもしれないって思っていて、素直にすべてを受け入れて好きだ!って叫べるようになるまでドリフェスに終わってもらうわけにはいかなくて、最後を受け入れられなくて、挨拶の間ずっと唇かんで俯いてた。
昨日、「まだ終わらない」と言った石原くんは、今度は「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言った。
感情的には「無理っしょ!」って感じだった。絶対むり。無理っしょ!
それから直ぐに、一話の奏と純哉くんのシーンを思い出した。
無理っしょ!無理っしょ!言ってた純哉くんが、奏に「無理っしょ」って言われて、「イケるっしょ」って返したあのシーン。無理だった。どうしても無理だった。でも私は、全力で「いけるっしょ!」って叫んでいた。
叫んだあと、ショックで椅子に座った。
言ってしまった、ドリフェスがない明日を「いけるっしょ!」って言ってしまった。まだドリフェスのファンになってないのに。まだ何にも始まってない、まだ何にもなれてない、何も出来てない、なれなかった、辿り着けなかった、ドリフェスは勝ったかもしれないけど、私は負けた。1度も勝てずに負けた。ドリフェスのファンの皆様にも、ライバルにもおじいちゃんおばあちゃんにもなれずに、負けた。無力感でいっぱいだった。
そのあと、2度目のアンコールが起こった。
私はもう言えなかった。「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言ったのに、ここでもう一度ドリフェスを見たいなんて言えなかった。2度目のアンコール、1度も「いけるっしょ!」って言えなかった。何がいけるのか、分かんなかった。7色に変化するドリカ型ペンライトを見つめて、座ってることしか出来なかった。
石原くんが、あの時、いろんな感情渦巻いた武道館のファンを、問答無用で、終わらせた。しかも、ファン自らの手でドリフェスを終わらせるように、させた。
あの時、いけるっしょ!って言えなかった人も、きっといるんだと思う。そういう人は強いなと思う。私は、無理だった。「いけるっしょ!」って言われたら、「いけるっしょ!」って返すファンになりたくて自分を取り繕っていたから、本音を叫べなかった。だから、私はその時、自分の意思で、声で、ドリフェスを終わらせた。ドリフェスを好きになって初めて、自分の感情に嘘をついた。私は自分の感情に反した意思で、本当に、ドリフェスを終わらせてしまった。ファンにもなれず、夢も希望も何もかもあの瞬間に自分で終わらせた。
私みたいに、三次元から二次元を感じ取れない、取りたいとも思わない人っていたと思う。キャラが好きだからこそ、キャストに対してどうしても厳しくなってしまう人も、当然いたと思う。
ドリフェス追っかけている過程で、私はそれがすごくしんどかった。三次元のライブ行ったあと、二次元のキャラクターが「ライブに来てくれてありがとう」と呟くのが、耐えられなかった。私はどう頑張っても二次元のライブに行くことは出来ないことを実感した。他にも色んなことがあった。他の人たちにもあっただろうし、お互い理解できないところで苦しんでいたこともあっただろう。
その声はどんなに隠しても確実にキャストやスタッフに届いてしまっていたと思う。それが嫌で、Twitterでつぶやくことをやめた。不満怨み恨み、そんなものを感じるのも、口に出すのも嫌だった。それでも、確実に、キャスト達は知っていた。
ドリフェスは完璧なコンテンツじゃなかった。人にすすめるのを躊躇うくらい、不完全で不愉快なコンテンツだった。少なくとも、私にとってはそうだった。これを読んでいる人達の中にも、いるかも知れない。凡そ、少なくない人数がドリフェスに複雑な感情を抱いていたことだろう。
ドリフェスに関わった人達すべての心に感情があって、それはドリフェスが嫌い、憎い、というのも含まれてて、それ含めドリフェスだった。
こんな言葉を言わせてしまった、こんな言葉を言わせるまで追いかけなきゃ良かった。不満があるなら離れれば良かった。バレていた。こういうのがあるから、相手に認知されるのは苦手なんだ。
私はただの一度も胸を張ってファンです、と言えたことは無い。終わってしまった今、未来永劫言える機会を失してしまった。しかも、自ら終わらせてしまった。
ドリフェスを好きなフォロワーさんも居たけど、ただの一度も会えなかった。
行ってない、会えない、現場にはいない、と嘘をついた。現場で知り合ったファンの人からTwitterアカウントを聞かれても、一度も教えることは出来なかった。いつきのぬいぐるみを抱えたお姉さん、1月寒空の中上着をロッカーに入れた私を心配してくれた純哉推しのお姉さん、推し被りして慎様の方ですと訳の分からない言い訳をしてしまった溝口くん推しのお姉さん、クロスエコーを模したドレスをお召になられたプリンセス、他にもお話してくれた色んな人。twitterで楽しそうにドリフェスを楽しんでいた皆さん。ごめんなさい、私は仲間にはなれなかった。それでもご一緒させてもらった時間は楽しかったように思う。それも多分、ドリフェスだったのだろう。私は負けた。ドリフェスに負けた。ドリフェスの求めるファンになりきれないまま、終わってしまった。終わらせてしまった。
これからドリフェスにハマる人もいるかもしれない。それだけのコンテンツ力を持ってると、私は思う。アニメ見て、ライブDVD見て、楽しんで欲しい。
それで、武道館のDVDで石原くんが言った「渦巻いてるいろんな感情」には、私みたいな薄暗い、苦しい、醜い感情も含まれていること、ドリフェスはキレイなだけのコンテンツじゃなかったこと、それでも一切の妥協をせずに走り抜いたこと、知って欲しいな、と、少しだけ思った。
消えるべき存在だった私が、自分をファンと名乗ることを許せなかった私が、どうしようもなく、ドリフェスの一部になってしまっていたこと、知って欲しいような、絶対にバレたくないような、複雑な気持ちで今、あの日々の明日にいる。
「彼女」の話をしよう。
私は彼女に興味があった。
それは好意でもましてや悪意でもない、純粋な興味だ。彼女という人間を構成する全てに興味を抱いていた。
一概に「ファン」といっても不思議なもので、一般の人が思っているように「芸能人に恋愛感情を抱く」人もいれば、単に綺麗なものや技能が高いものを見て満足したい人もいる。
私はどちらかといえば後者寄りだ。
彼女は前者であった。
リア恋だのガチ恋だの呼ばれる層はそもそもファンと呼ばれること自体を厭うのかもしれないが、彼女は本気で恋をしていた。
私が彼女を知ったきっかけはとあるウェブラジオだ。ウェブラジオと言ってもどこかスポンサーがついていたり広告収入が発生するわけでもなく、彼女自身が自分のアカウントでとりとめのないことを話す音源であった。
彼女はそれを用いて同じように芸能人に本気で恋をしている女の子たちとよく対談をしていた。
彼女含め、その友人たちは皆普通の女の子であったけれど、彼女達のコイバナを聞くのが好きだった。
所謂、同担拒否を名乗る彼女に話しかけることは到底叶わなかったけれど、私はそんな彼女を面白いなと思っていた。
とある日、彼女のメールが読まれた一通後に私のメールが読まれた。奇しくも彼女と私は同じ日が初採用であった。
私は一方的に彼女を知っていると思っていたので、その連続で少し親近感のようなものを覚えた一方、彼女のTwitterを覗くと、彼女は採用の喜びよりも何よりも私に対する嫉妬心を露わにし、グチグチとうらみつらみを吐露していた。
名指しで!
ソーシャルネットワーキングシステムにおいて、誰かを匿名で叩くことも卑劣であるが、特有のハンドルネームをつける人間を名指しで批判することほどバカなことはない。
なぜなら、「ミサキ」だの「アヤカ」だのどこにでもいるようなありふれた名前でなく、例えば「サバ味噌」だとか「ビーフジャーキー姫」だとかオンリーワンの名前を名乗る人間は、一様に自己顕示欲が強く、そして必ずと言っていいほどエゴサーチをするのである。
まあ、この件に関しては私は彼女に以前より興味があったのでリストに入れて見ていたのだが、一方認知だと思っていた彼女が私のことを認識していた上に、彼女が露わにしていた感情はまぎれもない「嫉妬」であった。
確かに私が彼女に対して何をしたわけでもないが、当時は私もファンアカウントのようなものを持っていた上に、ツイッター友人が多くちやほやされていた私のような存在は気に入らないものだっただろう。
推し被りとして気に入らないアカウントであったことは間違いない。
ただ、顔も見たこともなければ、自分より優れているはずのない私に対し嫉妬心を抱く、その発想は私の中に持ち合わせていない感情であった。私に嫉妬したところで、ツイッターで声がデカイだけの私は推しと付き合えるわけもないし、そもそも付き合いたいとは思っていなかった。
今まで生きていたうちで名指しで「恋のライバル」と言われたことのある人間はどれくらいいるだろう。
少なくとも、私はこの一回きりだ(残念ながら)
「アイツがあの女と仲良くて気に入らない」ならまだわかる。それは少し身に覚えがなくもない。しかし「恋のライバル」という6文字はたまらなく美しい6文字だ。だってまるで私たちは少女漫画の世界にいるみたいじゃないか。彼女が主人公、推しが王子様。私はさながら推しの元カノくらいに位置するのだろうか?彼女の恋物語における序列三番目!それってかなりすごくない?!
だから、私は彼女をとても面白いと思った。私の彼女に対する興味は彼女が私に抱く嫉妬心と比例するように増幅していった。
私がROMっているのに気づいたのかはたまた別の理由があったのかは今となってはわからない。ともかく、鍵をかけられてしまうとフォローしていないアカウントの呟きは見れない。
私はその呟きがどうしても見たかった。鍵をかけられた時点で諦めるべきなのはわかっていたし、大抵のことはその時点で興味がなくなってしまうのだけど、彼女に対してのみは興味が増幅するのみであった。
もちろん、野次馬的な感情も少しはあったが、それ以上に興味があった。
私と全く違う観点を持ち、私を嫌う同い年の女の子。私はただ、彼女のことが知りたかった。
同担拒否を名乗る人間に丸腰で突っ込むのは死にに行くようなものだ。
しかも、認識されていないならともかく、私はどうやら彼女に嫌われているらしいから、フォローリクエストを送ったところでブロックされるのが関の山だ。
そこで、名前も年齢も住居も推しも全部デタラメのアカウントを作った。
北海道に住む大学院生、とある俳優が好きで本当に付き合いたいと思っている。スターバックスとたこわさが好き。お酒は好きだけど、飲み会は嫌い。
アイコンは適当な画像にぼやけたフィルターをかけたもので、Twitter初心者なので呟きは控えめ。推しに認知されたくはないが、他のオタクには負けたくない。
全てが彼女の上位互換である。当時未成年(成人してたかな)の彼女より3歳上で、人生もリア恋歴も彼女より先輩。滅多に呟かないけれど、人生はなんだかんだ楽しそう。
今思えば、実に稚拙であってバカらしい設定である。そんな胡散臭いアカウント、私だったら3秒でブロックする。
しかし、当時の私はそこまでしてまで彼女のツイートが見たく、彼女を知りたかったのだ。
フォローリクエストは2時間で承認された。バイトを終えてTwitterを開いたら彼女がフォロワーにいた。案外あっけないものだと思った。
私が、はじめましてのテイで彼女に話しかけると彼女も快く応対してくれた。中身は彼女があんなに疎んでいた私なのに、少し不思議で少し申し訳なくて、少し嬉しかった。
鍵になったアカウントはもともと彼女の本アカウントとは別に公開アカウントとして作られていたものである。
認知されたくないし、顔バレもしたくないし、仕事の関係者として彼に出会いたいくせに本名でメールするわ、公開アカウントを作る話をとはこれいかに、と思うところはあるが、私はそんな彼女の承認欲求と自己顕示欲を何より興味と好感を抱いていたのであった。
元公開アカウントの鍵アカウントでは彼女は色々なことを話してくれた。
詳しくは割愛するが、進路のこと、オタクが憎くてたまらないこと、コンプレックスのこと、彼女はそれをキャスと呼ばれるwebラジオのようなものを用いてよく話していた。
スマートフォンから聞こえて来る彼女の肉声はたまらなくリアルを感じさせ、彼女の実在を実感した。
それは、彼女に対する同じ推しを推すものとしての興味から次第に彼女への興味へと推移していった。
バイト先の人がウザいとか、昨日買ったコスメが可愛いとか、どうしたら押しと知り合えるのかなとか、顔も名前も知らな……(いでおこうと思ったけれど、彼女は普通にインターネットに載せる女だったので大体のことは調べずとも知ってしまった)……知るはずもなかったどこかの地方から東京へ一人でやって来た全く同じ境遇の少女の話が私は好きだった。
アカウントの呟きもプロフィールも全部デタラメだったけれど、最初の挨拶で言った「◯◯さんのことが好きで、応援してます!」はいつしか本当になっていたのかもしれない。
推しに彼女ができるとして自分と同い年の女は嫌だ。彼と同年代か少なくとも2、3下くらいの、間違っても私たちのようにまだ赤子に毛が生えた程度の小娘に手を出すような人間でないといいなと思う。これは私個人の感情でありわがままだ。
しかし、彼女だったら、推しへの嫌悪感の中でちょっとだけ「あいつやるじゃん」って思ってしまうかもしれない。
いや、逆に推しに対して嫉妬するかもしれない。いくら応援していた男であろうと、コイツを取られるのはなんだか癪だ。恋に恋して人生に悩む彼女をもう少し見ていたい気もする。
芸能人に恋なんて、根っからのオタクのくせにオタクを嫌って、毎晩毎晩悩んで病むなんてバカみたいじゃん。
確かにそう思うけれど、彼女のその青さや若さがどことなく眩しく、羨ましく思ってしまう私は確かに存在する。
あんな風にはなりたくないな、それは今でもそう思う。だけど、私の中で彼女はいつだって眩しい。
それは最初に彼女を見つけた時から今日まで変わらずずっと眩しい。
久々にあの頃を思い出してアカウントを覗きに行った。
なんと2年近く放置していた私の虚栄のアカウントはTwitter社の一斉排除にも耐えてまだ残っていた上に、彼女のたった5人のフォロワーに私の虚栄のアカウントが残っていた。
彼女は相変わらず、推しと結婚しようとしている。彼女の呟きは、痛々しく、そして眩しかった。
それはこの先もずっとそうだろう。
私の好きなジャンルは女性向けソシャゲで、人気はそこそこ。知名度はある程度あるし、DL数はそれなりに行ってるけど、現役ユーザーはそんなに多くなくて、ざっくりわけてガチ勢と一般ユーザーに3:7くらいでわけられるようなそんな小さな界隈だ。
ゲームはソシャゲの中でもかなり乙女ゲーム的な要素が強く、ファンもそういう傾向の人が多い。
同担拒否も当たり前にいるし、推しが複数キャラいるだけで同担にブロックされるような世界だ。
好きなキャラが最推し以外に複数いるってことを先に断り入れないといけないような世界。
私は基本的に魅力的なキャラであれば何人でも好きだというし、それぞれの魅力をそれぞれ愛したいと思う。
そもそも夢女子じゃないから、もちろんキャラに告白されれば自分に言っているように想像はするけれど、かといって彼らに人生を託すと言うわけでもない。
普通にキャラが好きなだけなのに、キャラを好きだと言うことが悪いことのようになってしまう今の界隈は、正直息苦しい。
夢女子が多くて、一番困るのが交換だ。
この界隈は、同担拒否も過激派が多くて、RTやいいねで他の同担のツイートを見ることすら許せない人がいるらしい。それも、かなり頻繁に。
だから、交換でツイフィールを読むと「最推しが○○の方はフォロワーさんが嫌がられるのでお断りします」っていうのがよくある。
そこそこの年数乙女ゲーム界隈にはいたけれど、こんな注意書き、このジャンルにきて初めて見た。
初めて見て、ドン引きした。
名前も知らないどこの誰かもわからない交換相手のフォロワーと推し被りだから、当人は同担拒否でも推し被りでもなんでもないけれど、該当者はご遠慮されるのだ。
その交換相手とフォロワーがどれだけ仲がいいかはしらないが、ぞっとした。
交換が出来ない怒りとかを通り越して、それがクラスタ内で『異常』でもなんでもなくありふれてることに、再びドン引きした。
まるで村だな、と思った。
よそものは受け付けない。外部の人間は入れない、身内が嫌だと言うならその人の良い悪いに関わらず排除する、そんな雰囲気。
同担拒否で他人にまで拒否を強制する夢女子も、それを受け入れて悪意のない第三者をカットする人間も一体なんなんだろうかとか。
色々、考えてしまう。
作品が好きで、もっともっと作品が人気になって欲しいからこそ、こういう夢女子の存在がその障害になりそうで怖い。
作品を知ってキャラを好きになっただけでブロックされたり、気になる人との交流を制限されたり、そんな閉じきったジャンルになりかけているのが怖い。
人気が出たら、圧倒的に新規が増えたら、空気も変わるかもしれないけど、今はとにかく、澱んだ空気がジャンルに蔓延ってる。
ついでに、夢女子が、とは言ったけど、別に夢女子だけがこうだとは限らない。多分女性が多い界隈にありがちな話だと思う。形は違えど似たようなことはあるんじゃないかなぁと思う。
けど、交換にまでそういうのが入ってくるのは……なんとかならないのか。
実はアニメ化が決まっているのだけど、このままでは始めたばかりの新規ユーザーが私のようにドン引きして、そのまま作品から離れてしまいそうで、老婆心ながらも心配だ。
最後にこれはきちんと言っておかなくてはならないけれど、夢女子でも過激派ではない人もたくさんいるし、私のように多数キャラを愛でる人もいる。
これでも、今のジャンルは私が今まで辿ってきたジャンルでは1、2を争う良いファンに恵まれたジャンルだ。
だけど……優しすぎるファンが多いせいで、先の同担拒否過激派の言い分をそのまま受け入れてしまうという、皮肉な状況になっている。