はてなキーワード: botとは
オタクは真面目すぎる。人の言葉を真っ正面から受け止めすぎ。ストロングスタイルかよ。
人間惚気たらこんな感じになるから仕方ないな、ってテキトーに受け流せば良いんだよ。
「彼氏がクズだってわかってるのに好きだから離れられないの…」という話に「いやクズだってわかってるなら距離置けばいいじゃん」とマジレスすると「正論すぎて増田ちゃんのとこちょっと怖い」と訳わからないことを言われた。
これだって、「大変だね、何かあったら相談してね。」とかテキトーに受け流しとけば良いだけ。
相談が来ても、botのように「そっか」、「大変だね」、「大丈夫だよ!」をループしとけばいい。
恋愛相談は人工無脳になる。オタクに限らず誰でもこれ基本だから。
母の一周忌が来た。
幼稚園頃だったと思う、自我の強い友人たちが「私」を使いこなしているのを見て、
見よう見まねで母に一人称としての「私」を使ってみた。
『私ってだあれ?』
…誰?確かに誰なんだ?
それ以降、どうしても使わなければならない時以降、
一人称としての「私」は使わなくなった。
一人称としての私を使うと、「誰?」が脳内にこだまするからだ。
ちなみに、この文章はミロを飲みながら書いている。
母にミロを飲まされていたのを思い出す。
小2ぐらいの頃、私が脚気と診断されて母は泣いた。
父と祖父に何か言われていたのであろう。(※生まれたころから母方の祖父と暮らしていた)
それを含めなくても、正直、母の飯は色々足りていないものが多く、まずかった。
母方の祖母(母の母)が早くに亡くなり、中学生くらいから家庭のことはすべて「やらされていた」のが原因だと思っている。
恐らく、誰にも教わることなく今まで来ていたんだろう。
それに関して、祖父も父も、指摘はするが学ばせようとしなかったのだろうか。
怒鳴るしかしなかったのだろうか。
母については、他人の愚痴を言っているか、怒鳴られているかの記憶しかない。
しかも母は、自分の子供の友人の親について、子供の前で陰口をたたくタイプの人であった。
こうはなりたくないな、しか思っていなかった。
そんなこんなで、本当はさっさと家を出たかったのだが、
母が笑うようになった。
話は戻るが、
私が小学生の頃から、聖書を持っている系の黒服女性2人が定期的に玄関に現れていた。
私は、月1でもらえる2種類の冊子をよく読んでいた。
ある時から、本当に来なくなった。
黒服女性が来なくなってから、母は何もない空間を見て笑うようになった。
父は「何か見えているのか?」と不安そうに私たちに聞いてきた。
そう思うんなら直接聞けよ、と思っていた。
笑うようになってから、母はだんだんうまく座ることもできなくなってきた。
座れずにそのまま転んで頭を打つこともあった。
笑う、泣く、ツイッターのbotのように出てくる支離滅裂な言葉、
だからできるだけ家にいないようにしよう
友人がアーケードゲームを教えてくれた頃だった。
陸上部は、母が学生の頃、家庭の事情で入れなかった部活だった。
運動が得意なわけではなかった私が、短距離であれば瞬発力だけでどうにかなった(と思っている)。
ゲームも凄く得意ではなかったが、音楽ゲームは難易度によっては瞬発力でできるものが多かった。
気付けば音楽ゲーム経由でいろいろな音楽を漁るようになっていた。
そして、聴く音楽で自分のメンタル状態を把握・コントロールできるようになっていた。
これは、今の自分を作ってきたモノたちだと思っている。
そうやって私が我が家からの現実逃避をしていくに従い、母の状況は悪化していった。
いつの年かの年始、家から飛び出し、踏切沿いで母が見つかったことがあった。
デイサービスを始めてから、私のことをデイサービスのお姉さんだと思って
「どうしたのお姉さん?」と娘の話を始めたこともあった。
「うちのお姉さんは陸上部が忙しくて帰りが遅いんですよ」と、大学生の私に向かって話した。
目の前にいるのに。
その時、珍しく母は笑顔だった。
その後、ケアマネージャーの方のおかげで母は若年でも入れる施設に入り、
昨年ようやく亡くなった。
死因は若年性アルツハイマー型認知症、病歴20年。
病歴を見たとき、人生の半分以上を母に持っていかれた気分だった。
母の一周忌が来た。
今までいろいろな物事を諦めたような気がする。
結婚なんてできる気がしない。
母と同じような結末を迎える気がしてならない。
この先どうやって生きていくべきか分からない。
でもまだ生きていたいから生きている。
ただそれだけ。
言い方はよくないが、母が亡くなったことで
一人称としての私は、取り戻し始めている。
内容には全く関係がないが、「文字をギュッとね!」というフレーズが浮かんだ。ああいかん、こうして見栄えのことだけに触れることもまたルッキズムだな…。
おっさん乙。
すまん、実は『炎の蜃気楼』読んでないんや。存在は知ってるってだけで……
北田の論文ではちゃんと「この論文では二次創作に興味があるオタクのことを二次オタクって呼ぶよ」っていう定義がなされた上で使われてるのでまあ問題はないと思う。この論文の中ではこういう用語法にしますよ、という話だから。
なのにtwitterでグラフの画像だけ切り取って拡散するやつがいるから勘違いされちゃうというね。その論文では一般的な用法とは違う用法をしてるって理解してくれー。
そんなに酷い本なのか、指摘されてる点が素人でも分かる程酷い
北田(2017)はあくまで本の1章やで……他の章に罪はないやで……参考文献にはちゃんと何ページから何ページまでって書いてあるんだからちゃんと見てほしいやで……
もとの調査は2010年やで。10年前のデータってのは古く思えるけど、2010年にデータ採って、それをもとに色々分析して、本の形で研究成果を発表したのが2017年でしょ? これだけの共同研究で7年なら、早くもないけど特別遅いってわけでもないよ。さすがにそれは言いがかりすぎて北田が気の毒。
『北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ』まで読んだが、その時点でもうほとんど相手する必要ない感がすごいある。謎の『二次オタク・非二次オタク』だったかの分類も意味わかんなかったけど。
いやその分類それ自体は別に悪くないやで……ただ分類に際して「興味がある」をそのまま「好きである、実践している」と同一視してる点とか、二次創作への興味を表す項目を腐女子の操作的定義に使ってるのが論理的におかしいって話やで……そういう分類も仮に適切に定義して適切に運用できるならまったく問題ないやで……
これ、「オタクの研究」じゃなくて「若者の趣味に関する共同研究」なので……他の章では音楽とか読書とかも扱われてて、オタクのジェンダー観の分析はその1章というだけ。
別に難しいことじゃないんだけどなぜか変なことしてるなぁ、という感じ。山岡(2016)の操作的定義は割とマトモだと思う。
なんで二次創作好きに絞って調査したのか気になる。一次創作好きと二次創作好きで分けて著作権意識について調査するとかなら必要性もわかるけど
それには、
という2つの要因がある。
北田は、男オタクは東浩紀の提唱した「データベース消費」をしているけど、腐女子はそれとは違う「関係性消費」をしていて、前者は既存のジェンダー規範に対して親和的だけど、後者は既存のジェンダー規範に対して批判的で、むしろ古臭い既存社会の構造に挑戦している、という議論をしているのね。
その文脈で二次創作に注目する、というのは、(議論の妥当性はさておき)まあわかる。
でも、北田のおかしいところは、「二次創作に興味がある」という項目から、これに賛同したやつはディープなオタクだろうとか腐女子だろうとか定義してるところね。「マンガの二次創作に興味がある女≒腐女子」ってのはデータがどうこう以前に論理的におかしい(『炎の蜃気楼』や『刀剣乱舞』で掛け算してる腐女子は「マンガ」で二次創作してるわけじゃないし、商業BL専門の腐女子もこの定義からは外れてしまうし、男女CPで二次創作やってる女オタクなんていくらでもいるし、好きなマンガをBLにするな! って毎日のようにBLを叩いてる女がいたとして、そいつは定義上「マンガの二次創作に興味がある女」ってことになるけどそれを腐女子と呼ぶのはどう考えても間違い)。これは山岡も皮肉ってる。
例えば、与野党の政治家、報道関係者、一般国民に至るまで、多くの者が総理大臣の言動に興味を持っているだろう。「興味を持つこと」と「好きであること」を同一視すれば……驚異的な支持率になる。……(山岡 2019: 21)
それと、男オタクと女オタクのデータベース消費うんぬんの話で東園子の先行研究を引いていて、これは私はまだ読んでないからなんとも言えないんだけど、『ヘタリア』と『東方』の差異で男女の消費の差異を論じてる箇所があるらしいんだよね。……『ヘタリア』、普通にギルエリとかヘテロCPもあったよな? 『東方』、男オタク界隈でも早期から百合(つまり関係性消費)の勢力が根強かったジャンルだよな? まあでもこれは東園子を読まないと何も言えないのでまずは読んでみますわ。
で、北田(2017)のツッコミどころはたいてい指摘されてて(てゆーか北田も一部については自己批判してる)、正直私がここでこんなこと書くのって車輪の再発明でしかないんだけど、あのグラフは画像として独り歩きしてて「男オタクは保守的、女オタク/腐女子は進歩的」の論拠として用いられることがまだまだ多いんだよね。だから、いやもともとの論文もけっこうおかしいよね? そんなとこから無批判に持ってきて男オタクを云々されるの困るんだけど? というのをブクマカ諸氏に訴えかけておきたかった。
ちなみに北田はその後noteで山岡(2019)に応答してるけど、今んとこ山岡からの再反論はなし。
https://note.com/gyodaikitada/n/nf3ec68635b4e
https://note.com/gyodaikitada/n/n64fa34704698
https://note.com/gyodaikitada/n/n1c5f282be513
ただこの夏に山岡が新刊出すらしいんでそっちで反論があるのかも。個人的には北田の反論もnoteとかでやってないでどっかの紀要とかに載っけてくれればいいのにと思うけど、まあ印刷物はすぐにはできないので気長に待つとしましょう。仮に去年の夏ごろに紀要に原稿投下してればそろそろ刷り上がってくるころかな(『現代思想』では江口聡のtweetを引用してdisってるんだから、ウェブ上の論争を紙でやることに抵抗はないのだろうし)。
フェミニズムの人って文献を批判的に吟味出来ているのかな?なんか北田のグラフをそのまま鵜呑みにしている反応を見たんだけど...
まあ畑違いの分野だったり自分に馴染みのないテーマだったりすると批判的に読むのすら難しいしねえ。同じドイツ近代史の真面目な研究者さんでもキリスト教に詳しくないとカール・レーフラーを見抜けなかったので……あと、フェミニストでも腐女子じゃなければ操作的定義のおかしさに気づくのとか難しいだろうし、腐女子でフェミニストでも研究についてよくわかってなければ吟味する能力がないのは仕方ない面もあるし。でも腐女子を自認してるフェミニスト研究者はさすがになんかおかしいと思わなかったのかよとは思う。
一応全部読んだんだけど、北田氏の言説がアレげな事はおぼろげにわかったが、それを突き詰めるために原典全部に当たろうとはとても思えない話だった
北田(2017)は日本語で50ページくらいの分量やで……選書だからページあたりの文字数もそこまで多くないしグラフも含めてのページ数やで……
引用しちゃダメな文献なんてないんやで。どんな文献でも引用してよくて、その中に肯定的に引用すると信頼度が落ちる文献とか自説を補強する目的で引用するとバカにされる文献とかがあるだけだから、もしも引用に値すると思うのなら匿名記事でもガンガン引用してええんやで。まあこんなガバガバ増田から引用するくらいなら素直に北田(2017)や山岡(2019)を引用しよう!
山北(リバあり)
そもそもがミソジこじらせてる連中が言う「俺らオタク」の定義がガバガバで、ジェンダー論に行く手前でもう突っ込みどころが満載なんだよなあ。アニメ漫画ゲーム以外にも山程オタはいるわけだし
(絵文字分類はめんどくさいのでやめました。なお、これまでの番付をまとめてくださった方は別人です。→前回の【幕内】・【十両以下】)→【今回の十両以下】
昭和時代やイオン、ぷちくらちゃん(女装子?)などごく一部の例外を除き、森羅万象を罵倒する増田。罵倒の対象をよく「お前」呼ばわりするが、誰かは不明。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬやべー増田筆頭。
近頃では他の増田にその座を脅かされている感もあるが、通報即削除の低能先生枠に入りながらも増田に居座り続けるヤバさにかけては、やはり他の追随を許さぬ存在。
文頭をスペースで空けるため「字下げ増田」と呼ばれるが、ごく稀に空けないこともある。
「子供に虚を突かれて殺された」という、確認されただけでも2015年の増田まで遡るフレーズを用いることから、実はかなりのベテランだった説がある。
ひたすらIT関連と思しき意味不明な愚痴ポエムを垂れまくるメンヘラ系増田。AKBや乃木坂などのアイドルネタや下ネタなども繰り出し、なぜか「ヒロポンの街頭配布」を訴えている。
相変わらずの暴れっぷりで、文句なしの横綱昇進を果たした。まさに令和の怪物。
やたらとひらがなを多用するのが特徴で、他人の増田にいきなりクソリプをかましたかと思えば、その後に自演トラバを延々と伸ばしたりする。
この点、病的な駄文を垂れ流す点では共通しているものの、他人に絡むことは少ない↑の字下げとは対照的。出現頻度の異常な高さもあり、もはやこいつの方が迷惑という説もある。
THEクソ増田。自己顕示欲とイキりだけはいっちょ前だがユーモアが全く追い付かず、「増田のチンフェのような存在」と称される。「ポリコレ」ではなく「パリコレ」が正しいと勝手に主張し、文中に「ポリコレ」が含まれた増田に「パリコレ」とトラバを繰り返すのが名前の由来。
他にも「エビデンス→エビでやんす」「フェミ→笛民」など意味不明な言い換えを提唱しているが、もちろんどれも根拠などなく、「ゾーニング→ゾーサイス」に至っては「ネトゲでムカついた奴の名前を挙げただけ」というただの私怨。
またこの他にも猛虎弁・トラバ誘導・KKO増田に金正恩など他人のパクリも含めた様々なネタを操る(以下の増田もこいつと同一人物と思しき奴がちらほらいる)が、やることなすこと全く面白くない生粋の荒らし。技のデパートならぬ技のバッタ屋。
増田で音楽関係のネタを出すと「ゴミを○○するな」と言及を飛ばす音楽嫌いな増田。たまに他のものにも噛みつく。↑のパリコレが同一人物と主張しているが真偽不明。
無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田。このところ尋常でない勢いで増えているので小結から昇進。
書いているのは別人のはずだが、あのテンプレみたいに似たような文体はいったいどこで覚えてくるのだろうか?
女性向け厨ジャンルにクソ長文が湧く法則は相変わらずで、鬼滅の刃終了後の現在はツイステ長文が覇権ジャンルとなっている。正確に言えばDオタ側からのツイステ叩き長文がバズったことを契機に始まった感のあるこの流れだが、正直どっちもめんどくさい。
さらには同人界隈の奇怪な人間関係を描いた「おけけパワー中島」なるワードがこれをも押し流さんばかりの勢いで大流行中。お前の界隈おかしいよ。
そして毎年恒例、総選挙の時期に大量発生するアイマスクソ長文もやはり健在。ただ今回は中間発表がなかったためか、最終結果発表後に一気に増えて一気に落ち着いた感がある。
その名の通り句点2つ「。。」を多用する増田。以前増田で大暴れした「句点増田」に酷似しており、本人も同一人物と主張している。
異常な自己顕示欲からのどうしようもないつまらなさ、そして高い出現頻度と、まさにパリコレ増田の生き別れの弟のような存在である。
クソ投稿&クソリプ(相槌だけの無意味なクソトラバを異常なペースで垂れ流す)に加え、他人の投稿につくブクマ数を勝手に予想しトラバするという妙な技を繰り出す。
パンティー
「でもキモくて金のないおっさんは……」と、KKOに対する差別や無関心を訴える増田。活動は長いものの、相変わらずあまり共感されている様子はない。
最近はオリジナルと思しき増田の活動が極端に減り、代わって「でもキモ」とだけ書かれた省エネバージョンがよく見られるようになったが、人の真似をするなら文章ぐらいは考えてもいいんじゃないかと勝手に思ってしまう。
同カテゴリー参照。厨二臭い上に意味不明なSSをひたすら垂れ流すクソ増田。無駄にキャリアが長い割には成長している様子もない。質より量を体現する増田の三峯徹的存在。でも正直なろうかどっかでやってほしい。
文字通りのクソリプ。特定の増田に限らず流行し、増田ミームと化した。「ドラゴンうんち(通常よりさらにうんちなものが対象?)」や「リベンジうんち(再投稿のものが対象?)」などのバリエーションがある。
最近では「マイリトルポニーうんち」・「うーん、この」・さらには絵文字など亜種が次々と現れており、もうわけがわからない。絵文字に至っては💩より🐉の方がメインになりつつあるという、謎の逆転現象まで起きている。
おそらく複数人が同時にやっており、長文自分語り増田など「うんち」がつきやすい増田に一定の傾向はあるものの、基準が統一されているわけではない。うんち同士がかぶることもたまにある。
一方、この増田自身も↓のミソジニー連呼増田など、特定のクソリプ増田から粘着を受けている。同様のミームに「しゃぶれよ」などもあるが、こちらは一応励ましの意図があるらしい?
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」などと、意味不明なクソリプばかり飛ばす。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらに自演を疑うこともあった。
id:Ereniおよびid:iteau両氏の名前を出すことが度々あり、おそらく本人の脳内では毎回特定の相手に粘着しているつもりなのだろうが、実際には明らかに政治や思想と無関係な増田に因縁をつけていることも多く、結局のところ噛みつく基準がよくわからない。
とにかく自衛隊を叩きたいらしい増田。某議員の件がよほど癪に障ったらしく、何度も何度も蒸し返してくるのが特徴。最近では「ブルーベリーフランペチーノ(?)」や「24億円」など妙な陰謀論の連呼も始め、ますますビョーキの進行に歯止めがかからなくなっている。
何の話題でも強引に新自由主義叩きを展開し、毎度おなじみの長文を投下する。さながら青汁のCMのような増田。反緊縮などの話題が出た時は文体からしてだいたいこの人。
「日本の医師と専門家は飛び抜けてレベルが低い」という謎の使命感にかられ、医師免許更新制などを唱えている増田。コンプでもあるのだろうか? 一時は新型コロナにちょっとでも関係する増田に無差別トラバを飛ばしてきており、もはやコロナの大先生と化していた。
最近では「日本人は教育に社会選別以上の価値がないと思っている」という持論を振り回し、同様に日本の教育界を叩いている増田がいるが、手口が似ていることからこの大先生と同一人物と思われる。やっぱりコンプでもあるのだろうか?
「池田」なる人物を憎む増田。この増田によると「池田」はサイコパスで、信者を操ってネットリンチやストーキングを行うらしい。もちろん真偽は全く不明。
過去の投稿をよく消す(消される?)ため投稿は残っていないが、名字だけでなく下の名前や他の情報も漏らしており、粘着対象の人物がモロに特定できる状態だった。5月を最後に投稿が途絶えていたが、6月下旬になって復活。
こちらも当該人物に粘着し、同じタイトルの書き込みを繰り返す増田。以前は毎日2回の投稿を欠かさなかったが、最近は若干ペースが落ちている。
何の前触れもなく「ワイは~」と誰も聞いてない自分語りトラバ爆撃を繰り返すなんJ臭い増田。横綱・パリコレ増田も同じネタを使うことがあり、元々この増田をパクったと称している。よって正確には何人いるのか不明。
同カテゴリー参照。あらゆる事象を「ってマ?」という語尾で検証しようとするが、大半はしょうもないダジャレ。やはり質より量の増駄。
こちらも「非モテの女は『いないこと』にされている」というのが大好きな青汁増田の一人。なお、同様の主張をしているidがあり、現在もはてブで活動中。
反フェミ・反リベラル増田の一人。名前の通りかつてはTogetterのまとめを引用することが多かったが、現在はそれ以外のネット記事へリンクを貼っている。
フェミやリベラルを目の敵にするが、現政権や自民党の熱烈な支持者というわけでもない。特に山田太郎議員や赤松健氏などは頻繁に叩く姿が見られる。いわゆる表現の自由戦士としては一貫している?
こちらも(自分で作ったと思しき)Togetterのまとめを増田で拡散しようとするツイフェミ。なぜか「全員同じような文体で」「同時に同じ人物ばかり叩く」特定の3垢から引用しており、3つ全てを一人で使っているものと思われる。
はてブでも活動しており、日々男叩きばかり垂れ流す某フェミidとほぼ間違いなく同一人物と特定済み。というのも、「Togetterに書いたコメントや増田に書いたトラバと一字一句同じ文章をなぜか自分のブクマにも書いてしまう」というなんともおマヌケな習性があるため。
ちなみにはてブでは複垢利用で404化を食らった(※2つ同時に消えたことから判断。そして別idで即復活している……)前科があり、確認されただけでも2度の転生を経験しているが、文体にもこの手口にも全く変化がなく、戻るたびにすぐ足がつく。
※追記 TogetterでBANを食らい、複垢が使用不能になった模様。過去のまとめも全て消えたが、案の定別垢で同じ内容のまとめを作り直している。
こちらもたまに見かけるフェミっぽい増田。男女の産み分けを提唱し、産まれる男を減らすべく活動している。つまりはTwitterによくいそうなノリの人。
うんちトラバを見かけるや「ミソジニー」云々というトラバをせずにはいられない増田。うんちを求め増田を彷徨う姿は哀愁を誘う。自称フェミ男らしいが詳細不明。
なお、実際には男性と思しき増田にうんちトラバがついている例も多々あるのだが、やはりそれにも雑な認定を下してくるあたり、おそらくミソジニーの意味を理解していない。
同カテゴリー参照。かつての「Bluetooth変態オヤジ日記」(※こちらはいつの間にか全て消えていた)同様、増田本人が(以下略)
疑問形の増田を嫌い「ママに聞け」という言及を繰り返すクソリプ系増田。たまにママ以外も登場する。かつて引退宣言の後に姿を消していたが復活を果たし、当番付に対し4000字超の謝罪文を要求するという意味不明な行動に出ている。
変なリンクを貼る増田。一応後で消されるが多い時は多い。なお、最近は「他人の増田をパクり、文中にわかりづらいリンクを追加する」というスパムも出現し、釣られてマジレスする増田がたまにいる。
こちらも🌈死のコロナビーーーーム🌈をまき散らすクソリプ増田。←の由来はコロナ騒ぎで話題になったMTGのカードと思われる。過去の書き込みは消えていたが、番付発表後なぜか復活している。
東京のコロナ感染者数を毎日のように挙げ、「指数関数増加厨」に対して謝罪を要求している増田。要求のバリエーションが無駄に多い。
なろう系作品にありがちな設定にいちいちツッコミを入れ、愚痴と不満を垂れてばかりいる増田。言いたいことはわかるが読まなきゃいいのでは?
「アカウントを作成して一番初めにすることは坊主とイエス・キリストbotのブロック」などとツイッターオタクたちは冗談を飛ばしあっているが、やはり快適なツイッターライフを送る上でブロックは必要不可欠だ。そして問題はいかにブロックを効率化するかだ。私はそのために以前「クソリプバスター(同じ穴の狢)」というアプリを利用していた。
これはツイッターのブロックリストという機能を活用して、主に特定のアカウントのフォロワーをまとめてブロックしてくれるアプリだ。しかしブロックリストが昨年行われたUIの変更と同時に廃止されてしまったので、それから使えなくなってしまった。
そこで私は、拡張機能「Twitter Block Chain」を利用し始めた。
最近BuzzFeedの古田氏やジャーナリストの津田氏に紹介されて脚光を浴びてもいるが、これはスクリプト(?)を走らせて特定のアカウントのフォロワー(/フォロイー)をまとめてブロックしてくれる拡張機能だ。しかし欠陥があった。一度の処理でブロックできるアカウントの数に限界があり(およそ500アカウント)、それを超えるとエラーを吐いて自分のアカウントが強制ログアウトさせられるのだ。それでもしばらくはこの欠陥に目をつぶって利用していたが、やがてもっと優れた拡張機能に出会った。それが「Red Block」だ。
特定のアカウントのフォロワー(/フォロイー)をまとめてブロックするための拡張機能として、「Red Block」が「Twitter Block Chain」の上位互換たる理由は2つある。まずは、数万に上るアカウントのブロックを一度の処理で完了することができるというものだ。「保守速報」のフォロワーで試してみよう。
結果→https://i.imgur.com/7Ik4c9P.jpg
一度の処理によってフォロワーだった95,000ものアカウントのほぼ全てをブロックすることができた。(「ほぼ」と書いたのは、ブロックするアカウントが多すぎたときに一部をブロックしそこなってしまう問題があるからだ。しかし今回それは「Twitter Block Chain」で確認したところ70アカウントほどだったから、あまり大したことではないと思う)。要した時間は5分弱だった。また強制ログアウトさせられることもなかった。
次に、目当てのアカウントに自分がブロックされていてもそのフォロワー(/フォロイー)をブロックできるというものだ。
以上のことを考慮すると、ブロック効率化のツールとしては「Red Block」が現時点で最も有用だといえるのではないだろうか。ガシガシブロックして快適なツイッターライフを。
註
※Firefox向けの「Red Block」もある。→https://addons.mozilla.org/en-US/firefox/addon/red-block/
私は夢女子であり腐女子であり百合豚であり男女カプ豚である。ストライクゾーンは広めで、シチュリョナ物理リョナスカ死ネタヘイト創作人外ケモ触手状態変化近親モブレ超乳BUZAMAスカル等々、様々なジャンルのものを日々嗜んでいる。
もちろん今のところ理解できない性癖もいくつかあるが、実在人物に実際に危害を及ぼさない限りは表現の自由は守られるべきという、彼らに言わせれば「表現の自由戦士」である。
先日「twitterのBLポリコレ論争が面白すぎる」という増田を見かけ、反ポリコレ棒派のいち腐女子として発言したくなり、この文章を書いている。
https://anond.hatelabo.jp/20200710045020
私の友人や相互フォロワーにも、萌え絵をポリコレ棒で叩くことに賛同する、男オタク嫌いの腐女子が数人いるのだが、彼女たち曰く、「腐女子に比べて男オタクどもは社会の許容に甘えすぎている」「影に隠れていれば殴られないのに」ということだ。
これはまさしく痴漢被害者のスカート丈を目の敵にするような言動であり、彼女たちの好むフェミニズムではそういった思考はタブーのはずなのだが、なぜか殴られた絵が悪いということになる(叩く行為の是非はともかく、萌え絵叩きの考察としてなら「陰に隠れていれば殴られない」という理屈は一部正しいのだが、フェミニズム的にそれはセカンドレイプにあたる禁止カードなので、彼女たちが使うわけにはいかないはずである)。
ではなぜ彼女たちはセカンドレイプまがいの行為を行うのか? おそらくは、鉄の掟と化した自治ルールにあると思われる。
一部の方にはなかなかご理解いただけないかもしれないが、ある年代以上の腐女子は「自治ルール」という独自のルールをいかな法律よりも重くとらえるようになる環境で過ごしており、これは一種の洗脳に近い。
また、これは腐女子に限ったものではないが、自治ルールにとらわれすぎ、かつ攻撃性を内包している構成者は、進んでルール違反狩りをするようになる。ルール違反者が何も裁きを受けずにいると、自分の正しさや苦労の価値が揺らいでしまう不安からの行動だ。
ルールを守りたい人間が、おなじく同意している者との間で守る分には自由だが、押し付けが過ぎると自治厨になってしまう。それと、積極的に押し付けないにしても、被害者がその自治ルールに従っていなければ殴られて当然、という思想の持ち主は多い。
自治ルール違反者を裁くために犯罪行為をする人もいるが、あくまで自治ルールは自治ルールで、法律よりは重くないと理解してほしい。
具体的な作品名などは伏せさせていただくが、某国民的漫画のライバルキャラクターが、公共の場でモブに菊座と乳頭を刺激され絶頂する1枚漫画のセリフが某botに一部改変された状態で無断転載され、ネットミームと化してしまった事件がある。
公開場所が甘かったのではと思われるかもしれないが、作者の方は検索除けをしたホームページでパスワード限定公開というトップクラスのゾーニングをしていた。それでもなお拡散されてしまったのだから、ゾーニング万能論は成立しない。もちろん、限られた人に見せるためのゾーニングは全く無意味というわけではないが、それでも事故は起こりうるということだ。
某献血ポスター騒動においても、献血センターに行かなければまず閲覧できないうえ、某弁護士がツイッターで取り上げるまではその表現を好まない層にはほとんど存在を知られておらず、ゾーニングは成立していたと言ってもいい。これをゾーニングでないとするなら、一般書店の「今月の新刊コーナー」という、特定ジャンルを寄せ集めたものではない場にBL漫画を置くこともゾーニング違反になるので、よく考えてみてほしい。
蛇足だが、グロ注意といいながらブラクラ画像を垂れ流すような行いをされて、発信者ではなく無断転載された製作者を恨むのか不思議でならないのだが、誰か答えてくれないだろうか。
さて、かつてのフォロワーと話していた際に出てきた発言が、「腐女子の多くは社会に溶け込む努力をしているのに男オタクはキモいままなので無理」であった。このキモいはてっきり、萌え絵のキャラクターがやたらとモロ肌を見せていたり、そのものズバリな表紙が多いことへの批判かと思いきや、身なりのことであった。
彼女曰く、大半の男オタクは腐女子と異なり清潔感や化粧といった、「社会に参加するために求められるコスト」を払っていないらしく(とんだヘイトスピーチである)、それなのに自身の要求ばかり押し通しているようなので許せない(要するに苦労自慢である)らしい。
人間、異なる立場にはなかなか想像が及ばないものなので仕方のないことなのだが、社会的なコストを払っていないと創作できない理論はシンプルかつ力強い差別であることは自覚してほしい。たとえ100日風呂に入っていなかろうが、年中ジャージにサンダルだろうが、創作を否定する理由にはならないのだ。
一般的に、怒りやすい人は主に読解力などの知能が低い。それに自他の区別がつかないと正義感が強いが合わさるとどうなるか? 人の話をまともに聞かず明後日の方向に理論を展開し、自身の謎解釈にキレ続けるやばい人の誕生だ。
謎の行間を読み、謎の人物像を当てはめ、謎のレッテルをし、謎の反論をして去っていく。私も何度か絡まれたことがあるが、彼らの主張をまとめて言うと、「自分(たち)は正しい、お前は間違っている、非を認め謝れ」である。アンケートを取ったわけでもないのになぜか高確率で多数派を気取っているのだが、自他の区別がついていないのだろう。
もちろん、彼らが脳内で好きな理論を組み立てる自由を侵害するつもりは毛頭ない。こちらは黙って、ミュートやブロックする自由を行使するだけである。何かとムカつく人も、私と同じようにミュートやブロックを多用してみてはいかがだろうか。
今更おけパの話とかツイ読んで、私の経験を書きたくなった。オタク歴三年半のただの自分語りである。
ツイッターのアカウントで話すには気恥ずかしいのでこの匿名サービスを初めて利用してみることにする。
まず、恥ずかしながら私は高2の1■歳である。なので、まだわからないことしかない。自分の無力さに気が付いたばかりの思春期だ。これを読んでいる大人の方は「こういう時期もあったなあ」と恥ずかしくなってくれているんじゃないかと思いあがっている。
私はツイッターを始めてから三年の間、誰かに話しかけたことがない。趣味垢を作ってから三年ほどフォロワーがbotしかいない鍵垢で神と崇めてた絵師様の絵を見てふぁぼりつを飛ばしていただけの存在だった。
そしてそのころはフォロワーが一万人以上いる神絵師/神字書きのツイートにリプライをタメ口で送りタメ口で返され、通話の約束を取り付けているフォロワー数百人くらいのアカウントが不思議で仕方がなかった。そもそも自分が話しかけないのが悪いので嫉妬などはそこまでなかったのだが、なんの作品もアップしていない一般人がなぜ「神」と楽し気におしゃべりしているんだろう?と今思えば双方に失礼でしかない思考をしていた。
あるとき、私はとある絵師様を見つけた。知らないジャンルの知らないキャラクターのイラストを描いていた。
絵柄がとても好みだった。シチュエーションも、その人の妄想ツイートも、全て好みだった。しかしそのジャンルに興味を持つこともなくただ時折見かけるツイートにいいねするだけで、だんだん忘れていった。
そして二年ほどたった最近、とある人気ゲームに手を出した。飽きたらアンインストールするつもりでだらだらとプレイしていた。
その時ふと、かつて読んだ物凄く好みの漫画に出てきたキャラクターがこのゲームのキャラであることに気が付いた。その人のIDもアカウント名もフォローしていたことさえも忘れ去っていた私は、死に物狂いで探した。もともと好きだった作品の、そのキャラクターをやっと知って同じ土俵に立てたと嬉しくなったからだった。
やっと見つけて作品を読み直したときの衝撃は計り知れない。まるで世界が一気に広がって、そのゲームの世界観にむりやり取り込まれたかのように錯覚した。到底敵わないと思うよりも前に作品に感動して、没入した。そして、これが問題だった。
察する人は察してしまうと思うが、このゲームは元々設定がほとんどない。アニメ等も公開されているがその解釈は全てプレイヤー本人にゆだねられている。その解釈が固まる前に私は神の解釈を読み、凄まじい感動を覚えてしまったのだ。
それからしばらく、神が書いた数年分のツイートをむさぼるように読んでいた。私が神を忘れ去っていた二年の間にすでに神はジャンルを移動しており過去ツイを漁るのは少し大変だった。ただアカウントをそのまま使っていらっしゃったのは幸運以外の何物でもなかった。
○○のジャンルのツイートを拝見して、と長文の感想を送った。返事が来たのが嬉しくてさらに送った。その返事にそのゲームのキャラクターのイラストが添えられていた時は飛び上がって喜んでいた。それからおけパ中島のように神に気安く話しかける知らないアカウントに嫉妬して通報とブロックしたりしていた。ドロドロ期だ。
ほとんどすべてのツイートを読み終わってしばらくして、だんだん飢餓感を覚えるようになっていた。すでにジャンルを移動していった神からは供給がなかったからだ。だから、自分で創作を書き始めるようになった。公開する気もなく、ただ自分だけが楽しむために。勉強時間と学生という身分の自由さをフル活用して書いた。今までも、オリジナルの一次創作や夢小説を書いていたから書くことは苦痛でなかった。
書いて、書いて、書いて、神のツイートを読み返さなくなって、最近の日常ツイートをRTしなくなって、ある時、自分の作品を通して神を見ていたはずが、自分で自分の作品が好きになっていることに気が付いた。当たり前だ、神の解釈をベースにしたとはいえ書いているのは自分なのだから。自分と解釈一致するのは自明の理だ。
そうしたら、急に自己顕示欲が出てきた。自分の書いた作品を読んでもらいたい。神になれなくても、神の目に留まらなくとも、私も神のように誰かの好みになれればいいなと。pixivにアップするのは少しハードルが高い気がしたのでまずはツイッターのアカウントを作ることにした。初めての公開アカウントだ。ようやく、ほかの人と交流を始めた。
同じくらいの年代らしい同じジャンルのアカウントを覗いて下調べして、繋がりたいタグを使って。初めて、私はツイッターで自分の存在を主張した。フォロワーが百人できた。なんでもない日常のツイートをするようになった。いいねが付いた。ただ嬉しかった。
さて、当初の目的では誰かに作品を読んでもらいたくてアカウントを作ったはずだった。でも初めて誰かがインターネット上で自分を認識してくれた喜びに酔っていて、作品のアップロードのことなど普通に忘れていた。それと私のFF層の雰囲気もあって、今更アップロードすることに恥ずかしさを覚えていた。
だから、学校を休んだ日に「すぐ消すよ」と注意書きをつけて学生のフォロワーたちがほとんど授業中の時間帯に小説を画像化してアップしてみた。数分していいねがついた。二時間ほどで四ついいねがついた。結構好み、と仲のいいフォロワーからリプも一つだけ来た。ツイートを消すかどうか迷った。その時なぜかすとんと腑に落ちた。
そうか、神は私と同じなのか。神はただ自分の書いたものをツイッターにアップしてくれてるだけの、次元が違う誰かでもない、同じこのゲームのこのカプのファンなんだ。私と同じように自分の解釈で話を書いて、たまたまそれが私に刺さって、私が勝手に見上げていただけで、同じ立場にずっといたのか。
その人には友達もいるし私の知らない交友関係もアカウントを始めた初期に仲良くなった誰かもいて、ただツイッターを楽しんでるだけで私に崇められる謂れもない、普通に絵と文章がめちゃくちゃ上手いだけの人なんだ。
気が付いてから、今度は神ではなく、文字書きの先輩としてジャンルの先輩として私をこのゲームにハマらせてくれたきっかけとして感想を送った。絵が好きです解釈が好きですこのゲームを好きにさせてくれてありがとうございますこれからも応援してます、そんなありきたりな感想だったけど、自分の中で一つの決着がついた気がした。その感想をきっかけにweb再録と未アップのイラストも公開してくれたのは本当に嬉しくて、あの人も嬉しかったんだなと思えて、これからも神ではなく推し絵師として一生推していくことに決めたのである(これは若さゆえの誇張表現)。
結局なにが言いたいのかはぐちゃぐちゃで、ただ自分の体験を整理したかっただけな感じだが、規模が違っても、見よう見まねでも、同じ立場に立ってみれば見えるものもあるんだなーとあなたに伝えられたなら嬉しい。それから、そのことをもう知っている大人のみなさんには、ネットの使い方をよくわかっていなかった子供が三年かけてやっと少しだけわきまえてきたことを喜んでもらいたい。
そして、期待の超新星字書きが活動を始めたことも祝ってください。
色々な失敗とかやらかしから私が学んだことは、神になろうとしてない実在人物を神とするのは本当にただの迷惑行為だろうし、かってに「信者」側がその人とその周りをコントロールしようとするのなんて論外だということだ。普通に考えて当たり前のことを、私は見失っていたらしい。
自分の才能に絶対の自信がある思春期にこの経験が出来て、そして誰かを傷つけてしまう前にそれに気づけて、またツイッターのたくさんの方達に気づかせてもらえてとてもよかったと思っている。
これからも、いくら崇めても問題ない創作キャラに傾倒して楽しく創作ライフを送っていければいいな、そして私の作品が誰かに刺さりますように、という願掛けもこめて。
最近お気持ちツイートやブログを見かけることが多いので自分に整理をつけるためにもここに書き記す。文章を書くのに長けていないため乱文であることはお察し願いたい。
私はとあるジャンルのA×Bが好きなロム専だった。ABには素敵な絵師さんや文字書きさんがたくさんいて、さらにありがたいことに公式からの供給も多くABがCPとして盛り上がっていた。これはいちオタクとして本当にありがたいことだ。
しかしながらある時、界隈でよく自カプの発言をする人達が騒ぎ始めた。それもただの発言ではない。自カプを攻撃するような所が多々見受けられる発言だった。私はそのグループを「過激派」だと感じた。
始まりは5桁フォロワーがいる大手の何気ない発言だったように思う。Bに新衣装(ここではB’とする。当ジャンルはシリーズ毎の衣装がIF作品としてよく使われる)が来て「B’はA×Bの子供みたい!」と、界隈全体と言っても差し支えないほど皆んなが盛り上がっていたときに、大手は「ABの子供系苦手なんだよね」とTLで発言した。何せフォロワーが5桁もいるのだ、その発言を受けた界隈の絵師と文字書きは皆んな途端に口を閉ざした。新しい供給で騒いでいた界隈が静まり返った。ここで私は「わざわざ界隈に水を刺すことを言う必要はあったのか」と疑問に思ったが、もちろん思うだけに留まった。だって別に苦手だと発言することは止められるべきことではないのだ。個人がそう思ったとしても何ら不思議ではない。(界隈に水を刺すような大手という認識が生まれたが。)
しかし大手のこれを機に何かと不平不満を漏らす過激派大手だらけのグループができてしまった。その過激派グループの内輪と界隈には溝ができ始めていた。
ここで私が使っている「過激派」とは固定厨であり(グループの中には雑食もいるが)尚且つ自カプ界隈を攻撃するグループを総じて過激派と呼んでいる。
私もロム専なりに自カプABに対して解釈を持っていたが、過激派は中でも生粋の解釈厨で
「〇〇なAっていう解釈するやつは頭悪いの?」
「××なAじゃないとAじゃない。〇〇なAが解釈違いすぎる」
「解釈違うやつは虫と同じ。みんな視界に入れたくないよね?」
「ABで検索したんだけど解釈違いで発狂してブロックしまくってる」
というような発言を大勢の目の前で言ってしまうような人々が集うグループであった。(もともと逆カプに対しても死ねや殺すと言ってしまうような人達であったので当然だったのかもしれないが…)
もちろんABの二次創作には「〇〇なA」という解釈が作品として確立していた。話が戻ってしまうが、5桁フォロワーの大手が苦手だと言った「ABの子供系」という作品も少なからず存在する。これらの呟きを図らずも見てしまった(表垢でわざわざ見えるように発言するのが過激派グループだ)絵師や文字書き、〇〇なAを好きだった人は萎縮した。そういう作品を上げていた絵師さんたちはABの話をしなくなった。そしてフェードアウトするかのように何も言わずに黙ってこの界隈から去っていった。
ある時は、グループの中でも1番と言っていい過激派のXがTLに流れてきたとある絵師さんのイラストに対して直接文句をつけ始めた。
「〇〇なAとかどうしたらそうなるの?Aは高等な教育を受けていて教養が身についてますけど。朝から変なものを見た最悪」
流れてきた地雷イラストを無視するのではなくわざわざ口に出して言ってしまう。それに賛同する信者の数も一定数いる。このような雰囲気が何ヶ月も続きついに界隈は大炎上した。
炎上したきっかけは私と同じとあるロム専の人のお気持ちツイートだった。
「界隈内でこの解釈が無理だのこれは読めませんだの自分の界隈の身内の書き手以外を攻撃してくのおかしい。こんな界隈見たことない。」
このツイートにはロム垢とは思えないくらいたくさんのRTといいねがついた。これに賛同する絵師さん文字書きさんも多く、過激派グループに属していない大手絵師さんたちの一部もお気持ち表明ツイートをした。かなり安易に「大手」という言葉使っているがフォロワーが4桁以上の人を私はそう呼んでいる。実際にお気持ちツイートした人は3000人また5000人ものフォロワーがいる人であり、このお気持ちツイートは界隈の末端の発言であるとは言い難いものである。
しかしながら過激派グループは腐っても過激派なのだ。比較的過激派ではなかったYに「あなたも過激派グループの1人ですか?」「自分たちのことを過激派だという認識はないのですか」という内容のマシュマロが届いた結果、グループ全体で逆ギレし始めた。
「別に名指ししてるわけじゃないでしょ」
「どっちが界隈を廃れさせてるのかわからないの?」
「好きなことだけ呟けばいいよ…」
ここでまず疑問に思うのが過激派グループは揃って「名指ししてないよ」と言っている点だ。たしかに「名」指しはしていないが本当に指してないのか?そんなわけがないだろう。
〇〇なAが嫌いだという結論に至るのは〇〇なAという作品がありそれを認知しているからである。ABが好きな界隈の人であれば、どのような作品を示唆しているのか、果てはどの絵師さん文字書きさんを言っているのかがわかってしまった。その結果、絵師さん文字書きさんが悲しんでこの界隈を去って行ったのである。そしてこの「どちらが界隈を廃れさせてるのか」「好きなことだけ呟けばいいよ」というお気持ちツイート。5桁フォロワーの大手が言っていたものもあり、いずれにせよ、過激派グループが言える立場にあるのか、甚だ疑問に思う。
当事者である過激派グループと界隈の一部を除いて皆んなが見て見ぬふりという態度をとったため数日後には炎上はおさまっていた。しかし過激派グループとそれ以外の溝は確実に深まっていた。根本的な解決には至っていないのである。水面下で皆が皆、不安を抱えて過ごしているように感じてしまう。
もともと過激派グループの声が大きくなってきた頃から、AB界隈は他B受け界隈から「怖い」という印象を持たれている界隈だった。自カプを攻撃するようなグループが中心に居座っているのだからこれは当然のことであろう。そしてこの炎上以降「界隈が怖い」という呟きをするひとがぽつりぽつりと増えた。
その結果、ぼや騒ぎが常に起きているかのような界隈になってしまった。いちロム専としてこんな悲しいことはない。
だが過激派グループは「界隈が怖い」と言われることに憤怒しているようなのだ。逆ギレしたようなお気持ちツイートもたまに見かける。そして何より恐ろしいのが「怖い」と呟いた人に対して「そのツイートは界隈のためにならないので消してください」という旨のご意見DMが届いたというのを耳にした。自分がそのようなDMをもらうと考えると怖い。これを怖いと言わずしてどうしろというのか。消せ、と言われた人はやはり悲しみながら萎縮してしまっていた。
このような環境が長いこと続く界隈である。過激派グループ以外の絵師さん文字書きさんは、
「人気のある人たちだから嫌われると怖い」
「気軽にRTできない」
「ABを書きづらい」
「ABをかくこと自体が怖くてできない」
と言った具合の心境らしい。らしい、というのはあくまでも私がロム専に留まっているからである。
怖くて「何も」発言できないのである。発言をした人は過激派グループから除け者扱いされる。恐らく過激派グループはこれを末端の声程度にしか思っていないのだろうが、きっとそうではない。
内輪と界隈の溝を全く理解していない。新規参入さんにはわからないかもしれないが、長いことABを推していた人はその威圧感をひしひしと感じ取っている。主語をでかくするななどと言われるだろうが、過激派グループとその信者を除いて、界隈の多くが思っていることである。近い将来また炎上しそうなことなんて誰の目にもわかり切っている。
どちらが界隈を廃れさせてるのかだなんて少し考えてみれば一目瞭然ではないだろうか。これは価値観の違いではなく単に道徳心の程度の差だ。良識のある無しとも言えるだろう。
いっそのこと界隈の皆んながおパ中みたいな人だったら楽しそうと思ってしまうくらいには疲れてしまった。同じABというCPを推している者同士、こんな内戦が起こらなくても良いではないか。その界隈の作品に対して全肯定botなおパ中がいるような界隈が羨ましい。
私が初代アカウントを作ったのは、2010年の夏くらいだ。botばかりフォローしていた。怖いモノ知らずだったので、「クリスマスの梅田で通行人をXXする」といった大量殺戮を示唆する犯罪予告を投稿していた。時効は3年らしい。
長い歴史で何か覚えているのかというと、毎日の朝ごはんのメニューを覚えているのかというのと同じで、長いお付き合いをしているため、逆に記憶があまりない。
沢山のアカウントを作っては消していた。長いお付き合いだ。煩雑な情報に疲弊している為、もう正直辞めたいのだが……のなんども思ったが、現代人の日常生活の一部になってしまったので続けている。
日本語ハッシュタグの大喜利に顔をしかめていたのに、アイドルの誕生日のタグイベントに参加するようになったくらいだ。
インタビュースもアスクもお題箱もマシュマロもやったことない、王道ツイッタラーなのだが、もうこういった交流ツールを使うことは一生なさそうだ。