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はてなキーワード: Gleeとは

2019-09-22

BLを読むのは自分がいないか安心できるからというやつ

自分BLだろうがなんだろうが、めちゃくちゃ登場人物に入り込んで消費するので、こういうのが定説みたいになったら嫌だなあと思う。

例えばさあ、ミュージカルドラマGleeカートブレインゲイカップルで、人間らしい悩みを抱えて、乗り越えてってやってるわけでさ、そこにシンパシーを感じて自分が入り込むことはごく自然なことだと思うんよね。

腐女子の間では、BL自分が入り込むってなんか禁忌とすら思われてそうだけど。あくま観測者たれ、みたいな。

ああ、自分カートだ、とか、ブレインだって思いながら見てるし、二人がカップルになったら同じように承認された感じでハッピーになるし。

BL(あるいは広くゲイカップル物語)には自分がいない!という説には、いやこういう反例もあるでと言っていきたい。

2019-09-17

anond:20190917125113

主張があるのはいいけど、GLEEは途中からゲイ推しゲイは崇高→ゲイを受け入れない男はクズ、みたいな感じになってきてた。

作品の中に主張があるのはいいけど、主張の中に作品があるのは必然性とかがなくなって「無理やりゲイを取り上げてる」って感じになって面白くなくなってた。

anond:20190917123126

あんまみてないけどGLEEかめちゃくちゃ監督(?)の主張がねじまれてて酷いと思ったわ。

エンタメの中でいろんなことを主張するのはいいけど、ねじまれた主張は作品から浮いて気持ちいからやめてほしい。

急にケモショタ出す監督とかも、面白くもないのに主張ばっかり激しくて気持ちいからやめたほうが良いとおもう。

2019-09-15

なんで群像劇って跡形もなく廃れたんだろう

一昔前は邦モノでも洋ドラ洋画でも結構目立ってただったよな?

屍鬼gleeヒーローズ、ロスト、レント、クラッシュとかさ

 

 

多様性云々の今の時代に適合しそうなジャンルなのに

なぜか社会マジョリティの男主役で

ポリコレ配慮してます風の作品ばかりで単一化し始めてる

まら時代

2019-03-08

[]Soulmate AU

主に二次創作で見られるパラレル設定の1つ。

ソウルメイト同士は体のどこかにある「ソウルメイトマーク」を共有している。それは生まれつきだったり、ある年齢で現れるものだったり。色々。

マークの形は作者によるが、相手名前イニシャルであることが多い。

要は海外版運命赤い糸」。

ちょっと調べた限りだと2009年映画「TiMER」の影響が指摘されてるっぽい。

この映画にはソウルメイトとの出会いの瞬間までをカウントダウンするガジェットが登場する、らしい。見てないからどんなのかは知らん。

オタ界隈で流行り始めたのは2011年頃。ドラマシャーロック」や「glee」の二次創作から

2018-06-13

プリキュアLGBTを題材にする時、「製作陣」と「ファンコミュニティ

プリキュアLGBTを題材にする時、「製作陣」と「ファンコミュニティ」は信頼のおける人たちなのか?

——

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180611221642 より引用

id:angmar ルールーとえみるの積み重ねの物語を数週かけて楽しんできたのにジェンダーバンザーイのお客さん大挙のせいでかっなーり水差されたのは事実だわ

——

意見の違う人は「コミュニティに属していないお客さん」という認識、一体いつまで続ける気なのか?

▪️見出し一覧

・「全年齢向け百合ポルノ大家として君臨するプリキュア

プリキュア作品の「評価多様性」を認めず一枚岩であるかのように振る舞うファンコミュニティ

・「よく訓練されたファン」の代名詞としての数字ブログ管理人

百合ポルノの誤魔化しや逃げ口としてLGBTを利用しているのでは?

・もはや製作陣には「女の子同士の友情」及び「ストレートの男女間恋愛」をまともに描けないのではという疑念

・誰だって「ただの」人間に過ぎない。怪物でも、ツチノコでも、聖人でもなく。ましてや感動ポルノの主役などではなく。

・「あ〜他所から面倒なアンチ意見が来た」…結局これを読んでるあんたもそう思うんだろ?

▪️「全年齢向け百合ポルノ大家として君臨するプリキュア

どうであれ漫画アニメの人気作品はやけに同性同士をくっつけたがるファンはいものだし、

公式意図を離れたファン活動でのカップリング論にはなんら心は動かない。

また商業作品であっても、元から801百合といった「読み手の性とは逆の異性同士による関係性」を求める人向けに

作られた創作に心を掻き乱されることもない。

プリキュアにおいては製作側が意図していない同性カップリングを描いたファンアートは昔からあった。

いつからか、製作側が名言しないものの、それが好きな人の為に「匂わせる」表現を使い始めたが、

名目上の立て付けは「女の友情」、しか簡単に分解して百合として解釈やすく作られていて、

キマシタワー好きが実況で即レスしても「無茶な解釈」とはならないあたり、よく出来ていると思う。

アニメ表現ありがちなとち狂った布面積からくる無茶な肌色率の高い服も無いし、

パンチラ狙いのローアングラーカットや謎ボディスーツ的な乳袋もない、

よく出来た「全年齢向け百合ポルノ」をサイドメニューとして持つコンテンツだなと思っていた。

▪️プリキュア作品の「評価多様性」を認めず一枚岩であるかのように振る舞うファンコミュニティ

プリキュアは見ていないが、プリキュア数字ブログの人の記事は読んでいる」人、

あるいは「プリキュアを見ているがネット感想書いたりはしていないし、他の人の感想を調べたこともない」人は、

一体どれくらいいるだろうか…

正直に言って、プリキュアファンコミュニティは歪だ。特に匿名掲示板、壺や双葉はよく荒れている。

脚本の難点、例えば「いくら子供向けとはい今日脚本は強引過ぎない?」

あるいは「お前ら女の友情良いよねって言ってる今回の話は正直百合文脈だよね」といったものを述べようものなら

「お客さん扱い」からの追い出しの為の煽りが始まる。

引用した id:angmar発言は5ch辺りで見かける典型的文脈に沿っている。

今回の件でアチコチにコメントしているので、彼を追いかければどんなものイメージやすいと思う。

この壊れやすコミュニティに「◯◯プリキュアは良かったが、△△プリキュアは正直駄作」といった類の

TPOを弁えない論調を誰かが不用意に持ち込むと

「やっぱり◯◯プリキュア信者か!ほんっとクソしかいねーなアレの信者www

という喧嘩腰のレスからまり

まらないと言われた作品について数字ブログから引用リンクを用いて

おもちゃ売上で如何にシリーズに貢献したか、といった大変有り難いご高説を頂ける。

そんな調子から不用意な他作sageNGはいえ、その反響のコレはちょっと…)という心理からか、

基本的脚本については賞賛ばかりとなりやすい。

作品のもの多様性について大なり小なり言及していく中で、

ファンコミュニティファンに対して一枚岩を求め、反すれば徹底的に追い出す真逆存在になっている。

…正直に言って、シリーズファン内でも各作品評価が大きく別れ、時に半目し合っている事が前提となっているガンダムファンが心底羨ましい。

アチラには「好きなものは好き」だけではなく、節度を持って語れば「嫌いなものは嫌い」と語れる空気存在している。

もっとも、彼らがこの空気を手に入れるまでに多くの喧騒ネット普及前からあった筈で、

単純に隣の芝を羨むのは失礼でしかないのだが…

▪️「よく訓練されたファン」の代名詞としての数字ブログ管理人

こういった喧騒が起きやすい中で、数字ブログ管理人は波風を立てない上手な立ち回りで記事を作り、読者を楽しませてきた。

あの人が諸々の数字を集めた結果、時にファンとしては気持ちよろしくないモノが出て来る。

しかし、管理人自身作品内容そのものへの見解は常に肯定的で、

良くない数字理由付けとなる否定的見解書籍から引用で済ませ、

あのブログ自体が各作品ファン間での喧騒の元とならないよう「よく訓練されている」と思う。

また、自身とお子さんがどうプリキュアを見てきたかというエントリは素直に面白かった。

プリキュアファンブログなどで不用意に「ココが嫌い」と言ってしばしば喧嘩が起きていたのに対し、

プリキュア作品について常に肯定的」だからこそ、このブログは大きな喧騒もなくここまでやれて来たのかなと思う。

からこそ、あの人がプリキュアでの表現賞賛する中で語る「LGBT論」が異質に感じる。

▪️百合ポルノの誤魔化しや逃げ口としてLGBTを利用しているのでは?

正直言って、プリキュアスタッフは頑張っているとは思うが、これまで成功と失敗を繰り返しながら歩んできてて、

時には「コレでシリーズ終わってしまうかも…」と思わずはいられない脚本の不味さを持つ作品も数点ある。

製作陣が当初思い描いた【壮大な】目標なんやかんやでうまく描写できず、

百合描写大友向け部分だけでも当て逃げる算段なのかな…」と個人的に印象を抱いてしまものもあった。

その決して「成功」とはいえない表現を、「LGBTに目配せし、多様性肯定する良い表現」といった趣旨発言をあの人がする度に、

「それは、違うのでは?」という疑念が…

あの人がLGBTと絡めてプリキュアを語るのはこれが初めてじゃない。

去年のプリキュアだと虹とユニコーンデザインに取り入れたプリキュアについて語った時。

自分記憶違いでなければ、魔法つかいプリキュアドキドキ!プリキュアについてもLGBTと絡めた話を書いていたかと思う。

LGBTを絡めず、単に男性向けコンテンツとしての「百合」と言っていれば自分の中では問題ない。

ジェンダー論抜きに楽しむ非LGBT百合801コンテンツってのは別にあったって良い。

だけど、シリーズ中にそういった趣きが存在していた過去作品を「LGBT」と称されると、

「テメェの過去オナニー言い訳としてLGBTって単語を使うのか?」という気持ちがフツフツと湧いてくるんだよね。

もちろん、過去作はともかく今作はシリーズ中でもその辺を留意して作っているのかな?という印象を受ける。

印象は受けるが、留意し過ぎて無駄に重い話になってない?

というか、テーマどこに起きたいのプリキュアスタッフは?

という失敗の兆候をひしひしと感じる。

なんていうか、ムキになってぶっ込もうとして転落寸前、というか…

あんな古臭い悪役ムーヴしか見せていないお兄さん、最初から良いところも悪いところも見せるならともかく、

一体何週間悪いところだけを見せつけるつもりなんだ?

出来の悪い少女漫画ありがちな「都合の良い悪役」感が強過ぎない?

なんか、製作陣は無理してない?

—-

面倒になったので後は軽く。

▪️もはや製作陣には「女の子同士の友情」及び「ストレートの男女間恋愛」をまともに描けないのではという疑念

プリキュアに限らず、東堂いづみ中の人たちは「女の子同士の友情」も「ストレートの男女間恋愛」も描き方を忘れているのでは?

処女厨危惧してるのか何だか知らないけど、あそこの会社はそっちを忌避してLGBTに逃げてるように見える。

今作の黄色プリキュアにでも男女間恋愛させるつもりなのかな?

既に別のところで描写失敗してる気がするけど果たしてどうなることやら。

▪️誰だって「ただの」人間に過ぎない。怪物でも、ツチノコでも、聖人でもなく。ましてや感動ポルノの主役などではなく。

今回の件でGo!プリンセスプリキュア(全50話)を見ろマンになってる人たち、いや無理だから

「お前ら勉強不足だから最低限の入門として海外ドラマgleeシーズン1から3までを見て来い。ついでに各話で引用されてる元ネタにも当たれよ」って言われたら見る気ある?ないでしょ?

「思わずニヤリとするセリフ」の類は前提知識がなくてもスンナリ通じるセリフにしとけって話。

id:angmar は「お客さん」が悪いようにいってるけどこれ単に脚本がクソってだけだからね?

プリキュアスタッフが書いた脚本別に神託ではない事くらいは理解してるよね?

彼らも人間から失敗はしてるよ?

▪️「あ〜他所から面倒なアンチ意見が来た」…結局これを読んでるあんたもそう思うんだろ?

余所者ではなくお前らの中にいるんだよなぁ…

数字ブログの人、LGBT云々よりも「感動ポルノ賞賛マン」になってしまっている事が「ぶっちゃっけありえない」。

上手に言葉を紡いでプリキュアファンからマサカリが飛んでこないようにしたつもりなんだろうけど、

本当に「今の」プリキュアを楽しんでいるか、疑問に思う。

2018-03-04

スターバト マーテル ドロローザ

小学生の時、合唱団にいて、もちろんチコタン、みたいな歌も歌ったが、

ペルゴレージスターバト マーテルという曲や

ブリテンキャロル典礼というような曲をやった。

今時だと宗教色が強すぎてキリスト教系の学校でもない限り難しい選曲かと思う。

ペルゴレージのはラテン語のお経、ブリテンのは、古英語ラテン語ミックス

日本小学生からすると文化的ものすごく遠いものであったことは確かなのだが、

小学生に刷り込まれラテン語のお経のイメージは強烈で、振り返ってみればとても影響を受けている

なんとなくイタリア教会とはこんな歌歌うんだなぁ、とかイギリス教会ではこんな歌歌うんだなぁ

というのが心に刻みこまれているのだ。わからないなりに感じることがある。

選曲した指導者には感謝している。

その後の毎日暮らしの中で、ラテン語のお経に触れる機会はめったにない。

でも美術館中世ヨーロッパ関係の展示でキリスト教主題の絵などがあったとき

なんとなくわかるような気がして、ちょっとだけ遠い異国の人達が身近になったような気がするのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=ERqmDg8zH_w

いま小学生に歌わせるとすれば、gleeピッチパーフェクトみたいな感じで

選ぶかなぁ

2018-02-01

児童ポルノ単純所持で刑期7年、「各」被害者に500万の賠償金

Gleeのパック役マーク・サリング要求された児童ポルノ単純所持の代償。50000枚ほど持っていたらしいが被害者が何人なのかは不明。彼の場合金持ちなので司法取引ができたが、もともとは20年の刑期だった。これが児童ポルノガチ禁止アメリカか……

2018-01-31

アメリカにおける児童ポルノ単純所持

Gleeのパック役で知られた役者マーク・サリング自殺した。彼は5万点に及ぶ児童ポルノ単純所持逮捕されており、通常なら20刑務所にいなければならないところを、罪を認めるなどの司法取引で、7年の刑期と20年の保護観察処分性犯罪者として登録される(住所と姓名がネット上に公開され、居住区なども制限されるやつだと思う)ことになっていた。享年35歳。アメリカでは「同情の余地なし」といった世論

これが日本で起こったらどうなるんだろう。単純所持でこの罰はそもそもおもすぎるという批判が飛ぶだろうか。たか単純所持やぞ、そもそも罰則化がおかしい、とか。そもそも児童性犯罪者データベース化にも反対の声が大きいだろうか。同情の声はやっぱりあがるのだろうか。

2017-12-21

はあちゅうの件その他で思ったこ

はあちゅうの件や漫才師政治的ネタをやることや、もっというと炎上みたいなことについて。

自分は、「人と人は根本的にはわかりあえないし、世の中は基本的には不平等ものだ」っていう風に思ってる。

海外ドラマgleeを見てそういうことを考えるようになったんだけど(だからこそポップカルチャーは束の間そこから自由になれるから素晴らしい、と続くんだけど割愛)、そう思うことでだいぶ楽になった。

から自分ではどうしようもないようなことで時にいじられたり誹りを受けたりすることについては、悪意のあるなしに関わらず、世の中ってそういうもんだよな、だから逃げたり歯ぁ食いしばったりしないとな、って思うからそんなに根深ストレスにはなってないんだよね。

もちろん瞬間的にはムカムカっとすることもあるけど。

で、自分についてはそれでいいんだけど、自分発言や振る舞いで気づかないうちに他人デリケートなところを傷つけてる可能性があるよなって思うと、最近人と関わるのがすごく億劫になってる。

もっというと、自分意見を表明して他人コミュニケーションを取ることにとても臆病になってる。

基本的には誰にも嫌われたくない、いい人でいたいっていう気持ちがあって、それを突き詰めていくと誰とも深く関わらずに猫を撫でて生きていくしかないのかな、それでもいいか、と思い始めてる。

そういう風な気分の方、他にもいませんか?

2017-11-10

anond:20171110044443

自分2016年8月までは普通にプレイしてたんだけど

いつからか全くしなくなった。

gleeで出てる類似ゲーム通称ミリマスがあったし

アプリゲームでなきゃどんどん下火になっていくんだろうなという予感があった。

幸いにも1円も課金してなかったけどあの会社について行こうとすると大分搾り取られると思う。

マギレコなんかも同じ。何度も何度もゲームを開発しては畳み、金銭がどこに行ったのかも分からない。ああいうのは後悔しない範囲でやるのが正解だと学習した。

かにキャラ可愛い。けどそれだけじゃ現実には勝てないんだよなあ

2017-11-08

https://anond.hatelabo.jp/20171107205343

最近ヒットしたうちで最もリベラル的な思想に基づくメッセージ性を帯びたアニメは、間違いなくラブライブシリーズだと思うな。

海外ドラマgleeを手本にしてるだけあって、多様性、寛容、自由博愛平等精神エンパワーメントしていく美しい世界を描いている。

スポ根ものなのだが、誰かが何か統率をとって一致団結して向かおうとした時はうまくいかず、各々がてんで自由にのびのび行動してみた結果、とたんに世界が動き出して、素晴らしい結果にたどり着く、そんな展開がお決まりになっている。

はい保守的ローカリズムも同時に内包していて、たんなる左傾思想ではなくバランスの良い今時の思想になっている。

あとはガッチャマンクラウズシリーズかな。特に2期になるとがっつり政治色がでてくる異色の作品

ある種のサイバーリバタリアニズム推し進める爾乃美家累というキャラクター存在が目立つが、

やはり主人公のはじめが「理想的カリスマリベラリスト」のように描かれているのが大きい。

常識や既成観念に囚われず、豪快に行動するホリエモンのような性質を備えつつも、

それでいて傲慢さは極力感じさせない、かつ筋の通った思想を感じさせる、バケモノじみた大物感を纏った少女として描かれている。

2作あげてみたものの、実は、ほとんどの作品リベラル思想に基いているとも思う。

自由にのびのび活動する人間が生み出すダイナミズムと、きっと善き心の連鎖反応でうまくやっていけるという最大公約数的な人間底力を、「信頼する」。

そういう姿勢肯定していくことが、(本来意味での)リベラル的な考え方だと私は思うから

2017-07-29

されど罪人は竜と踊ると(鬱病と)私

されど罪人は竜と踊る

ライトノベル。秋にアニメ化します。

され竜は、創作を読むことでは人は救われないということを繰り返し言っている。

よく言われるリョナ描写とか人が死にまくる展開とか鬱世界観とかよりも、この、本やアニメやその他創作では、人生がうまくいったりするようなことはいっさいないという主張がされ竜の核だなって私は思っている。

され竜の登場人物

素晴らしい人格人間なんてほぼいなくて(いるんですが、死んでるか、その巻あるいは章で、死にます)

誰もがどうしようもなく腐った害虫みたいな思考回路でどうしようもなく無様な生き恥さら

それでも、ときどき、たったひとつの善をなし、その一瞬を胸に抱えて、死んでいきます死ぬかい

新卒就職して4ヶ月たった。

大学時代に鬱をやって薬を飲んで治した。

その頃の詳細なんだけど、

ひがな一日、手の甲に塗ったアイシャドウラメを眺めながらpentatonixhome freeとglee動画を見ていた。

小学校くらいから、人はどうせ死ぬからなーという考えが頭にあって、

どうせ死ぬ→いつでも死ぬ時期を選べる→トリマもうちょっと生きてみようという式にしたがって生きてきた。

どうしようもなく生きていることそのものがつらいなという認識になった瞬間から朝起きることができなくなり、

気がついたら5PMになっているのを半年やった。

医者さんに行って、「自殺したいと思うことは?」と聞かれて「ありません、自殺したらどうなるかなと考えることはあるんですが、考えた結果するべきではないとなるので、自殺したいというのは、ありません」と答えたらその数分後には鬱病診断出た。

色々人生に悩んだ半年だったけど、

薬でなんとか大好きなされ竜を読めるくらいまで回復して、

され竜の登場人物の、クソ溜のなかでもオレァ善いことをするぜみたいな描写を何度も読んで、

善でありたいなあとぼんやり思った。

正しいみたいなのはその物差し時代でバコバコ変わるのでもういいけど、それでも、善でありたいな。

今はおとなしく新卒ちゃんやってます

され竜に救われた話かというとそうでもなくて

そもそも、人はどうせ死ぬみたいなのが自分の原点になっちゃったのもちょい、され竜の影響じゃあねえかなというのが正直

あるので

(どうせ死ぬ認識としてはこれ以上なく合ってるんですけど、私は対人関係で嫌なことが起こる度呟いていたので、あんまりやり過ぎるとダメよね)

まあされ竜がなかっても私はどうせ同じことで悩み同じ痛みを感じ同じように復帰していたんだろう

そんなされ竜がアニメ化しま

中学生時代わたしが何回誘ってもデュラの原作本を読んでくれなかった女どもがアニメ化してすぐにシズイザだかイザシズだかのケータイ小説サイト作ってたのがマジでトラウマから

され竜アニメ化に一瞬アレ反応出掛けたけど、

でも

できるだけ多くの人が

され竜を読んでくれて、楽しんでくれたらいいよね

アニメ作るのは、総監督錦織監督:花井宏和 シリーズ構成伊神貴世 キャラクターデザイン北尾

といった人たちで

特に気になってるのはピンドラ脚本の伊神さん

同級生サリンの日に生まれ友達がいる1995年まれにはピンドラドンピシャ私たち物語だったから…

錦織さんは寡聞にしてぜんぜんなんですがwikiの「幾原邦彦一方的に好かれている」で信頼ゲージ満タンになった

私のような端的なクズにもいろいろな視点価値観

示してくれたされ竜が

あなたのように複雑で困難な人生を歩んでいる人に何も示さないわけがないのでどうぞよろしくお願いしま

2017-07-14

https://anond.hatelabo.jp/20170714150311

そういえばティーンエイジャーか若者が主役の恋愛映画ってあんまりアメドラで見たことなかったな。

あっても日本教育テレビで昔やってたようなドラマイメージ

海外恋愛映画って大人な人が主役なイメージ

群像劇イメージリアルな。

でもgleeみたいなドラマとかがあるところを見ると昔からあったのかなと。

トワイライトとか。

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170228213952

Gleeファンボーイズは観てないので知らない。

①皆おんなじタイプでつるむがいじめはない学校、②さまざまな人種が一堂に会するがいじめが生じる学校、で、それぞれ良いところと悪いところがあるよね、って話。

http://anond.hatelabo.jp/20170228210149

レックファストクラブファンボーイズ世界の何が不満なんだ?

そもそもGleeみたいないろんな奴がごった煮で仲良くやってるようなグループ日本でもないだろ?

2016-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20160731174717

https://anond.hatelabo.jp/20160731175620

元増田です。

返信ありがとうございます

ただ、主に盗作関係についてはやはり何度重ねて説明しても大事な所を読み飛ばされており、そのせいで全体的な話や意図も読み違えられたままで残念に感じます

①を読んでないからそういう返信になってしまっただけかもしれない、と少し期待していましたが、①を読んでも変わらなかったみたいですね。

やっぱり大好きな作品を納得いかない理由でけなされるのはストレスが溜まるものですからね。

とありますが、納得しやすいように理由説明しようとしてる部分をことごとく避けて言及しているから納得いかないのでしょうね…。


またそれぞれの部分にいちいち言及していく形式では文章が長くなりますし、同じこと繰り返すような状態に陥るでしょうから、先述の盗作関係において、改めて主張したいことを中心に言及しておきます

その部分についてはおりあそ氏も過去ツイートにて、原作から内容が変わることはよくあるので一期の改変等は問題ないというようなことを仰っているのを拝見しました。




しかし、改変の理由や経緯に不要盗作やらオマージュ願望が関わっていることが問題なのであり、そこを無視して変わるのはよくあることだからとか、盗作から何だと語られてもはてなマークが浮かびます。その説明最初記事でもしているのですが…。


ただ改変しただけであればまだ分かります。元々独立した設定や世界観がある作品を、別の既存作品になぞらえて変更する姿勢や経緯に問題があるということです。

また、お互い様主観で語らせてもらえば、アニメのにこや真姫、希のキャラクター設定原案に比べると全く新鮮味がなく、陳腐な設定に変えられてしまっており、到底好意的に許容できるものではありません。

原案のにこや真姫、希みたいなキャラクターは昨今においてはこの作品しか魅力を味わえない可能性の高い卓越性あるキャラだっただけに、勿体なさとやるせなさばかりを感じます。その上、くどいようですが変更理由が話作るの面倒で盗作たからだったという信じがたい怠慢な理由による変更と解釈で、そんなどう考えても擁護不能の状況を理由にならない理由を繰り返し用いてまでして擁護しようとしてしまう人のことは頭の中身をさばいて見てみたいくらい不可解です。


参考に、アニメ化以前にあったにこの性格議論の内容を見つけたので載せておきます

にこにーは腹黒か? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/117836

の中にある、腹黒(キャラを作っていたら)だったらありきたりでつまらないといった意見自分意見に近いです。

脚本家によれば、脚本の都合に合わせるために性格を改変したとのことでしたが、その「話の都合」というのが崇高なオリジナリティに溢れる都合だったり、意欲的な再解釈による改変とかであったりしたならまだ少しは分かります

しかし実際は安易盗作オマージュが絡んだものだったわけで、とても制作された作品はもちろん、制作における姿勢自体も最低限度の健全状態を保たれていたとは思えません。

そんな信じがたいほどふざけたものに巻き込まれて設定が消された本来キャラクター世界観を好きだった身としては特にですが、倫理的に考えても許容は推奨できません。

最大限、原案設定や原案ファン意思尊重検討した上でのものであれば、少しは溜飲も下がるかもしれませんが、そんな様子は様々な作品の展開や発言を見ても見受けられません。

2期においては原案公野先生アニメ以後に作った新たな設定を部分的に持ち出しては改変し汚すという喧嘩を売っているように思える描写が随所に見られます。(にこの家族設定や希の関西弁理由など)

また、制作側だけでなく運営側問題でもありますが、アニメ化以前から続いているシングルPVや音声ドラマなどは元々当然ながら原案の延長線上の設定が採用されていたのですが、アニメ以降はアニメ設定を元にした内容になってしまいました。

まり並行世界存在価値がそれぞれ尊重され維持されたとは言い難く、設定の侵食統一といえるでしょう。

ただでさえアニメ化以降に作られたスクフェススクパラなどのゲームではアニメ設定を基調としているわけですからアニメ以前から始まっているPVや音声ドラマくらいは原案設定を維持してくれないとフェアじゃありません。しかも何度も言及したように設定改変の理由には盗作等の問題が関わっているわけですから尚更です。

そういう意味でも、設定変更の経緯に問題があることはよくあるからとか許容範囲とかそういう風に安易に見過ごせるレベルではありません。そのあたりの理解を雑に行った上で設定の分かれ方を語ってしまう人が多いのもとても残念で呆れてしまう所です。


喩え話については、一応どれが何の喩えになっているか説明しておいただけであり、言い換え可能からと言われても理由になっていません。作品において何が大事なのかの考え方の説明などもこれまでしてきました。

アニメ作品において云々の話は前回あたりにしたメディアミックス云々の話に戻りますアニメアニメで、切り離して考えるとしても、設定統一侵食の件で切り離したかOKという問題にもならず、またそれらが安易盗作云々の健全と言い難い経緯を経て調理されているために作品を扱う倫理問題があるというのを、今回もそうですが何度も説明してきました。

「多少整合性に疑問があったとしても適当に補完できる程度の問題」これは絶賛派が大好きな理論みたいで、似たようなことを言っている人を沢山見かけます

批判や指摘について「多少」とか「細かいこと」と言う人が多いですが、その点が「細かい」所扱い、「適当に補完」できる所ではないということも長々とこれまでのやりとりの中で説明してきていたはずです。自身言及を避けたからといってこちらが説明してないことにしないで頂きたいです。

これはkato19氏とは別の所ですけどミュージカルから大丈夫、みたいなことを持ち出して整合性のなさや物語性のなさを擁護しているおかし人達が絶賛派には多いですが、ミュージカル冒涜しすぎだと思いますね。

批判してた人が急に歌い出したことをおかしいと批判してたとしたら多少はミュージカルを知らないのか、とかを持ち出すのも分かりますが、それ以外の所についての擁護ミュージカルから大丈夫というのは意味が分かりません。仮にそれが通ると仮定しても、ミュージカル演出自体が嫌いな人からしたら何も納得できないでしょう。その場合ミュージカル演出選択たこ自体を責めてるのですから

自分は他のアニメで用いられるミュージカル演出はむしろ好きなことが多いのですが、ラブライブ演出はそれが生かされてることがないので嫌いです。基本の物語の流れが死んでしまっている上で、ミュージカルっぽくして誤魔化しとけ、という苦し紛れな用いられ方が多くて白けるだけです。

それにラブライブ場合、そのミュージカル演出盗作元のglee由来ですしね。その他の演出劇伴音楽などを含めたgleeに影響受けたもの本来ラブライブ!作風に合ってるようには思えず、盗作云々を抜きにして見ても何もかもが噛み合わず滑ってる作品だなあという印象を受けます


話がズレましたけど、そのようなわけで、絶賛派が、批判者の言葉文章咀嚼しようとしないどころか表面すら理解しようとしない上でまともな理由を持ち合わせず「批判しないで下さい」「批判したらダメです」というようなことしか言えないのを見ていると、やはり作品どうこうについての理解や興味はないんだなと思いますし、ファンである自分状態しか興味がないんだな、とますます思えてきます


それと絶賛派が作品批判が広まるのを不思議なくらい恐れることについては、それは主に絶賛派が批判に対して反論することができないからというのもあるのでしょうね。

一方で、自分アニメラブライブの賛美ばかりが広まることを恐れていますラブライブのことだけならまだしも、あのような作品を良いと思ってしまうような価値観を持ってしまう人が増えることで、それに乗せられたクリエイタースポンサー等がラブライブ同様のどうしようもない作品ばかり作るように(作らせるように)なってしまったら、アニメ業界は何も楽しめるものが作られない世界になってしまますから、それはとても恐ろしいことだなと思います


結局、議論を交わした意味らしい意味があったのか少し謎ではありますが、個人的には意見を聞いてもらえた、考えてもらえたという証拠をこうした意見交換の形で残してくれただけでも意味があったかな、とは考えていますありがとうございました。

2016-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20160417023832

この話聞いてて思うんだけど

Gleeディアナグロンやってた役って

出だしこそ高校で一番のアイドルチアリーダートップなんだけど

高校生妊娠して出産して学生同士で結婚した挙句相手犯罪者

そのあと交通事故あって車いすに乗るようになって

そのあと子ども育てるためにホームセンターバイトのおばさんだかになって

最後「私は負け組だったわ」ってヒロインをうらやむ役なんだよね

秋元康それ知ってんのかなといつも思う

2016-04-16

gleeレギュラーの脇役にダウン症少女がいるのか。

ダウン症っつっても色々だろうが、青春ドラマのようだから

おおむね楽しく活動してるところが描かれていそうだな。

重い精神病登場人物とかはどうなんだろうな。

大体中学高校発症するやつ。

それっぽい人もアニメだと出てくるけど。

キャプテンアースの敵の写真が上手い人とアイドルとか。

マイリトルポニーピンキーパイが少なくとも二回明確な精神病体験をしているな。

一回はディスコードだかいう悪役の影響によるけど。

そこまで重くないのだとヴァルヴレイヴの悠木さんの役の恐怖症とか

ソードアートオンラインの沢城さんの役の銃の世界の人とかか。

最近だとディヴァインゲートの最後から2話目の人は

病気だか性格だかの微妙なやつだな。

秋元康を本気で批判する人

女の子」を愚弄した秋元康を<断罪>する  『glee』が私たちに教えてくれたこと - messyメッシー

http://mess-y.com/archives/29624

の2ページ目

ニュースになんか興味がないし たいていのこと 誰かに助けてもらえばいい」

「人は見た目が肝心 だってだって内面は見えない」

  

というのも嘘であることを『glee』は教えてくれる。「人の内面は外から見える」し、安易恋愛を消費しないキャラクター

本作に多数登場する。逆に自分の美貌に頼ってもたれかかってくるクィンに対して「Hold on to Sixteen(君には未来がある、

自分の可能性を楽しめよ)」と世間規範から逃れられない彼女に助言を与えようとすらしているのだ。

この筆者こそ秋元康内面無視してるわけだけど、誰も秋元内面には興味がないのでそれは良いとして、

gleeのようなテレビドラマ、言ってしまえば「おとぎ話」の中に、人生真実とか真理を見出して、秋元康

攻撃したくなってしまうのは、なんなんだろうね?

  

現実世界多様性を持つが、平均値としてはかなり過酷で、その世界を生き抜く人の癒しとしてglee機能している。

パプリカさんというこの筆者の方の生きている世界はその平均値からはかなり良い方にブレていて、だからこそ秋元康

攻撃したくなる。おとぎ話世界を壊すなと。

  

この筆者が考える「あるべき世界」と、現実世界乖離がある。だからこそ戦っているのだろう。

だが、現実世界を変えるだけが戦いの全てではなくて、秋元康歌詞のように現実生き方を合わせるのもまた

戦いではないのか。

自分と同じ戦い方をしない人たちを敗者と決めつけ、あるいは敵とみなすようなやり口。

気持ち悪さの原因はそこだと思う。

  

3ページ目

秋元氏が「難しいことはなにも考えない 頭空っぽでいい」というイメージと結びつけた女優ダイアナ・アグロンその人

のことも付記したい。彼女映画界にも進出し多くの作品に出演しながらチャリティ活動にも熱心だ。動物保護、同性

愛者権利活動を支持しているだけでなく、毎年の自身誕生日にはLGBTティーンの援助活動人身売買対策活動など

への寄付を募っている。2011年には米国赤十字主催日本津波被害者のためのチャリティランにも参加しているのだ。

チャリティ活動をして自分存在価値を絶えず示し続けなければならない米国芸能人過酷世界鵜呑みにするとか……

この人こそ内面なんて見てないじゃないか。

自分に都合の良い情報を都合の良い解釈しか見てないんだよなぁ。残念。

アインシュタインよりディアナ・アグロン』読解

アインシュタインよりディアナ・アグロン』の歌詞批判されている。

http://matome.naver.jp/odai/2146033391996228201

http://mess-y.com/archives/29624

大変もっともな批判だと思うが、せっかくなので匿名で別の見方を書いてみたい。

秋元康バカじゃない

秋元康性格悪いかもしれないし、心が歪んでいるかもしれないが、海外ドラマは好きらしいし、ドラマを見てメッセージ誤読するようなバカじゃないはず。たぶん元のドラマを見ていて、ドラマメッセージもよく分かっている(この前提に同意できない人はこの後読んでも無駄かもしれない)。

歌手:なこみく&めるみお

歌詞カードクレジットを見ると上記の通り。要するにHKT48というグループから選抜されたユニットの曲。そしてシングルカップリング。こういうの扱いの曲にはちょっとしたお遊びが入るのがアイドルソングの恒例。たとえばグループ卒業する主要メンバーカップリングソロ曲をもらって、歌詞も歌っている本人の体験を元にして本人のイメージに近づけて書くとか。つまり、この歌詞はなこさんかみくさんかめるさんかみおさんの実体である

なんで役名じゃなくて俳優名なの?

最初に私が引っ掛かったのは『glee』というドラマを見た女の子の歌なのに、歌詞が役名のクイン・ファブレイじゃなくて俳優名のディアナ・アグロンなことだった。この時点で既に歌詞主人公女の子俳優さん本人と演じるキャラがごっちゃになるタイプバカという設定なんよ。ハリウッド映画を観に行って「外人てみんな同じ顔してるから話が分かんなくなっちゃった」言うのと同じタイプバカという設定なんよ。「おバカでいい」と思っている人じゃなくて、客観的バカなんよ。

余談だが、大昔ご飯屋さんで隣のOL3人組みたいなのが「ほら、『ER』にイタリア系モテる小児科医がいるじゃん…」ていう会話してて、横からダグラス・ロスでもジョージ・クルーニーでも、名前のどこにイタリア系の要素があるんだよ!顔が濃かったらみんなイタリア系かよ!」ってツッコミたくなった経験がある。TV海外ドラマなんて雑に見ている奴いっぱいいるから。みんながみんなメッセージとか気にしてないから。ぼけっとしながら見誤読する奴いっぱいいるから。

邪推というか結論

おそらく秋元康ユニットの4人の誰かが舞台裏かどこかで世間話をしていたんよ。そしたらその子が「最近グリー』っていうドラマにハマってんれすよ。その中でも特にディアナ・アグロンていう女の子がすごくきれいで、目なんかもキラキラしてて、男の子にもモテて、すごく憧れなんれすよ」みたいな話をしてきて、秋元は心の中で「うわー、こいつ、ドラマ現実区別曖昧だぞ。ドラマの内容も全然読み取れてないぞ。…うーん、でも、こいつ、TVで見た人に憧れて、その人に近づこうといろいろチャレンジして、これはこれで本人はなんか幸せそうだなあ。よし、こいつを主人公にした曲を1つ作ってみるか」みたいなことがあったんだろう。

「この歌詞秋元康理想女の子を描いているに違いない!ロールモデルにしようと企んでいるに違いない!」と考えるか、実在モデルがいる実在エピソードを元にした歌詞と考えるか。歌っている本人は案外「うわー、私が話した事を元に歌にしてくれてる。私だけの歌だ。大切にしよう」と思っているかもしれない。

HKT48gleeの話にテイラースイフトを加えて

http://youtu.be/nn6tHxcOHbk

gleeが好きだし、ああいエンタメ作品が作れて売れるアメリカ成熟に憧れと尊敬があるから、振り返って日本の売れるとされるエンタメHKT48のあの歌であることが、悲しい。ただ、心からバカでありたい」と願う若い女の子が本当に存在するとしたら、その子はむしろ社会に生きにくさを感じていて、極力摩擦を少なくそれを解決する方法バカ化だと判断したのだろうから、むしろ賢い。バカでいたら社会は許容してくれるんでしょ、という姿勢に対して現状の社会YESと答えているならば、真に馬鹿なのは社会の方だ。私はもう若い女子ではないので、今回はあの歌に馬鹿にされた社会の一員側として怒りたいと思う。私たち社会は「バカなフリすれば上手くやれる」ような軽薄なものを目指していない。老若男女、真剣に考え誠実に行動する個人が報われる社会を目指している。それが文明ってものでしょう。

チャラン・ポ・ランタンというユニークガールユニットが好きだ。アメリカスイートハートであるテイラースイフトを見つめた「テイラーになれないよ」という歌が好きだ。テイラーという圧倒的人気者に憧れる自分感情自覚しつつも「テイラーだって私にはなれない」と自分らしさを愛する挑戦をしている若い女子の歌。その葛藤応援する社会の一人でありたい。

2016-04-13

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①

はじめに

返信有難うございます

また長くなってしまい、面倒臭い人間申し訳ありません。

レイアウト問題もありますけど長すぎると区切らなければならなくなるので長文は増田に向かないかもしれませんね。

多少機械的になりますが、考察反論を兼ねた返信をさせて頂きたいと思います


まず「楽しめなくてかわいそう」という感想の持ち方については、先の記事でも既に見解を述べていたので、それに対する反応らしい反応がなく内容として変わらないことを繰り返されてしまうと、改めて反論を頂いた意味がなく、勿体なく感じました。

一応、どうしても楽しめない境遇可哀想だと同情して頂けるのであればそれは有り難いのですが、本当にそのような同情したいという気概があるのであれば、さら相手感情思考の深い所まで歩み寄り、踏み込んで頂いた上で検討するのがよいかと思います

また、「かわいそう」といえば、自分アニメ前のキャラクター達がかわいそうでなりません。光を浴びれば必ず輝ける素質があったのに、アニメ以降ないがしろにされ、隠蔽されるように扱われてしまったのがどうしようもなく可哀想です。

そして自分の思いの最も大きな原動力はそこにあるかもしれません。特に自分が思うのは矢澤にこです…。


ところで、

一部の批判派が熱心に批判を続ける事に対しては不思議に思っていました。

とありますが、自分記事投稿したのも最近の間に留まる話ですし、そんなに熱心な批判派が存在するような心当たりがないのですが…。どこかには一定存在するのでしょうか。ファンの大半と同様にろくに考えもせずとりあえず批判というアンチなら確かに沢山いるのは分かりますが…。


また、互いの意見は『交わる事がない平行線』と仰っていますが、交わらないというより、そちら側は交わろうとする気がないという印象を強く持ちました。

勝ち負けとかはどうでもいいのですが、せっかく会話や意見交換をした上で中枢部分の内容を読み飛ばされると寂しい気持ちになります

おりあそ氏やkato19氏は自分考察批判を読んで、「自分記事を読み込んだ上で書いている」と畏れ多くも評価して頂けたようですが、自分としては読み通してはくれたようですが、内容をしっかり考えながら読んでくれただろうか…?という疑問を抱いてしまいました。

個人的には反論されて論破されても構わないので、一度は自分が書いた作品内容批判論理を受け止めてほしかったと思います特に盗作問題についての考察は、何故か他の方の評論などを読んでみてもパクリかどうかの比較はあっても、その行為の中身と影響に突っ込んだ考察がなかなか見付からないので、最も伝えたいことというわけではないですがもう少し考えながら読んで頂きたかったと思いました。

様々な紆余曲折の後に結局議論はどこまでいっても平行線のまま続く…となるのであれば分かるのですが、前提から交える気がない態度で、主に作品内容や作品の展開内容に踏み込んだ議論をしようという場において、その話題になるとこちらの意見にはあまり踏み込もうとしてこない状態に受け取れるので、そのような中途半端な態度で反論をする意味にも疑問を抱いてしまいました。

例えると、本来議論平行線という場合はどこまでも平行な線が二本伸び続けているという状態のように思います。対して、今回の場合はある長い線に対して平行ではあるが短く途切れている一本の線が寂しく添えられている、という状態のように思います

結局の所、絶賛派は作品内容の是非がどうであれ布教をしたい、ファンである状態を共有したいというのが強く、作品批判する人を減らしたいというのが最前面にきているのではという疑念が深まったような感があります


批判派と絶賛派の勢力状態、それぞれのエネルギー根拠

次に、細かい内容について見ていきたいと思います

(批判派は)呪詛のように『失敗作だ』と唱え続ける事で感動した人たちの気持ちを削り未見の人に予断を植え付けています

とありますが、そもそも最近はいろいろなことがありましたが、未だ以て絶賛派の(根拠も中身もない)ブログ書き込みの方が圧倒的多数であり、未見の人への影響力は強いですから、その辺りの説明がなくこのように書くと違和感を抱きます

おりあそ氏の劇場版批判記事に寄せられた反論記事でも、氏の記事を見て作品に対して安易判断を下す未見の人が大勢現れかねないことを危惧しておりあそ氏に反論するという記述がありましたが、既に多少批判派が増えてもうんざりするほど思考停止の絶賛派のファンであふれかえっている状態で何故絶賛派は未見の人がアニメラブライブ批判派になることについてそこまで敏感になり、怖がる態度を見せるのかという部分が気になりました。

悔しいくらいにファンが多いのに何故そこまで余裕がないのかが不思議です。

また、普通は相反する立場相手意見を交わす際には自分意見相手意見比較を先に考える人が多いはずですし、そのように互いの意見の内容自体に向き合うべきだとも思いますが、アニメラブライブの絶賛派は自分意見説得力の有無などよりも、相手意見による批判派の増加を怖がりながら意見交換に臨んでいるように映ります

そしてその点に、彼らが作品のどこがどう好きかというより、自分自分たちファンであるということのつながりや広がりを最重要と感じており、作品内容自体を捉えて論じる個々の姿勢としては多少の問題があるように思います。もちろんそのような楽しみ方は自由ですし悪ではないのですが、作品内容自体評価を行う上ではズレが生じていると思われます

また、そのような態度を見ていると自分自身が切実に内容に感動したから賛美したい擁護したいというよりも、宗教団体スポークスマンのように便宜上賛美、擁護立場をとっているかのような胡散臭い軽薄さを感じます


一方で、自分やその他の原案アニメ前の状態を持ち出してアニメ以降の展開を批判する人達(一体何人存在してくれているのだろう…?)の意見根拠概要としては、kato19氏の推察は大ざっぱに捉えた形としては大体正しいと思います

その上で、

コミック版・小説版があるとはいえ、メディアミックスとは単なるアニメ化決定ではないはずです。μ'sという架空アイドルアニメに出演している、そういうものですよね?

と氏の記事にも言及があるように、ラブライブメディアミックス作品であることを理解しているならば、そのあるべき在り方についても考察して頂きたかった気がします。

原案の良かった部分を根こそぎ取り除いてしまったアニメ以降の内容を批判すると、アニメ絶賛派はメディアミックス理論を持ち出してきますが、普段はそんなことは関係無いアニメ声優ライブこそラブライブで他は二次創作の延長線だくらいの勢いで見ているくせに、都合のいい時だけメディアミックス作品だと持ち出してきているように感じます

それはつまるところ、「アニメメディアミックスの一部だからそれぞれと違っていてもいいでしょう?だから原案を蔑み破壊しているアニメを許してくれ」という論理なわけです。

実際にそのような形で、それぞれのメディアミックスの各種媒体独立性が保たれていたならば、原案厨(とアニメ絶賛派は呼ぶのでしょう)がアニメ版がどうおかしくなってようと酷いけど仕方がない、作品の下らない一部に過ぎないからスルーしつつ、基本的ポジティブなままプロジェクト全体を捉えて各種展開を見守っていきたいという姿勢になることも容易だったでしょう。

しかし、PVCDドラマなどもアニメ以降、設定が侵食されるようにアニメ版の設定で統一されていきました。

メディアミックス作品だったのにもう好きだったかつての姿には出会えなくなるという危機感を抱かずにはいられません。作品の、キャラクター性の内容、中身が好きなので当然の態度だと思います

しかスクフェススクパラ、ドラマCDPVライブで流れるアニメなど声優が付いている媒体は全てアニメ系設定に統一侵食されているのです。(スクフェスにはSIDコラボもありましたが、残念ながらおまけのようなものです)

いきなり横入りをして住処を奪い、穢した側が、自分も同じファンの一人だから尊重してください、十人十色から許してくださいと言い出しても説得力を感じられません。

まり、そのような棲み分けが十分であれば別物として積極的評価できる可能性も大きくなっていましたが、そのような状態にないためにメディアミックスから許しなさいという理論説得力が弱いのです。公式運営が抱える大きな問題点の一つですね。

また、アニメにおいて原案方向性から改変改悪された内容の根拠が、例のglee盗作によるものであったり、人気があり改変する必要のないキャラを粗雑な配慮見解の下に設定改変していたり(説明は先の考察記事など)と、正当性を感じがたいものであるため、ただ単に変わっているとかただ違っているというレベルの浅い問題ではないことは先の記事でも指摘しています

glee盗作騒動自分絶望アニメ制作陣への憎悪を深める決定的な出来事でした。ただでさえ2期のにこのキャラクター描写凄惨状態に打ちひしがれていた所にそのことが発覚して、制作陣や作品内容という結果だけでなくそれに携わる動機姿勢の時点で重大な問題を抱えていたのだと分かり、どうしようもなくやるせない気持ちになりました。

また、その点がアニメラブライブの内容や展開の是非がただ好みというだけの問題では片付けられず、作品キャラクターを扱う上での倫理的善悪について重大な問題があることを検討するべき根拠となる部分でもあります

絶賛派の方は盗作問題にはまともに向き合わずに軽く済ませようとする人が多い感がありますが、そのような根深問題から目をそらしながらの朦朧とした感情論理から批判派の体験感情は全て妄想から目を覚まそうと訴えかけても特に響くものがありませんし、ポジティブになれる気もしません。

仮に全てが好き嫌いで済む問題だとしても、絶賛派からパッケージへの思いは伝わってきても内容自体に対する好きという気持ちはあまり伝わってきません。好きな作品批判されたくないとか、好きな作品パッケージとして表面的に認められている状態が保たれて欲しいという気持ちは伝わってきますが…。


内容に対する好きの根拠価値

kato19氏や自分思い当たる絶賛派の何人かもアニメ作品表現演出評価していることが多いように思います。そのような部分を評価する場合表現曖昧にならざるをえない部分に対する「好き」なので言い表すのが難しい部分もあるかもしれません。しかし、結局その作品ラブライブでなければいけないほどの理由というのが見えて来ません。

先の記事でも書いているように絶賛派が評価している表現法や演出などそれ自体については殆ど否定していません。それが物語性だとか本来キャラクターの持つ魅力の描写と両立されていたら良かったのにと思っています

ただ、絶賛派が作品物語性とキャラクター描写の酷さの免罪符にしたがるくらいに賛美する作品演出などが安易パクリだという可能性と、その場合に失われる効果がどれほどかというものは多少審議する価値があるでしょうけれども…


たとえば、人間的にでも性的にでも構いませんが、自分が大好きな人を指して、この人は「顔が美人から好きだ」、「身長が高いから好きだ」「優しいから好きだ」というように好きな根拠アピールする場合、じゃあ顔が美人なら、身長が高いなら、優しいなら他の誰でもいいのでは?という指摘ができます

kato19氏やラブライブ絶賛派の好きだとする根拠評価する根拠を読んでいると、その作品ラブライブという作品であることの意味価値殆ど考慮されていないように思います。簡単にいえばそれが原案原作物語性やキャラクターの軽視や蔑視につながっているのでしょうが…。

おりあそ氏の批判や先の自分考察反論にもあったように当初のコンセプトを否定して廃棄しまっているのがアニメ以降のラブライブという作品でした。

絶賛派はそれらの問題があってもアニメラブライブは素晴らしい表現が魅力だからいいんだと主張しますが、ラブライブラブライブである所以を廃棄してもアニメでくっつけた魅力があれば全く問題がないと思えることが狂気的に思います

そのような評価の仕方は、どんな作品を見ても表現演出その部分だけを見て論じる第三者的評論家のすることのように部分的には真っ直ぐでも冷たく短絡的です。

その評価の仕方を否定するわけではないですが、その評価は他の評価を全て飲み込めるほどの影響力や説得力には著しく欠けていると言わざるをえません。

高級レストランに行って、「ここは、料理は高いくせに不味いが、内装や外装、食器が素晴らしいから料理が美味い他のレストランよりあらゆる意味で最高だ」と言うようなものです。デザイナー建築家などであればそう評価をするのも分かりますが、レストラン料理包括的意味でのファン評論家としては問題があるのではないでしょうか。いわゆるナンセンスというやつですね。高級レストランが高級レストランであることの価値は高品質料理提供することだと思います。ただ内装外装が素晴らしいことを売りにして全てのマイナス面を打ち消したいなら宗教的建築物にして料理を出さずに見物料をとればいいでしょう。

レストランにける内装外装などの美しさはどんなに素晴らしくても評価する場合には料理の不味さを打ち消せるほどの価値はありません。独断偏見の好きでいいならば、他が全てどうしようもなくても格好いい、可愛い店員いるから一番好きなレストランだと言い張るのは自由ですが、その場合その店員ファンというだけであって、レストランに対する大きな好きの評価として直結させるには弱いと思います

この例えにおいては料理の種類や味というのが作品物語性やキャラクターにあたる部分で、内装外装食器店員などの外的な部分が表現演出声優スタッフなどにあたるでしょうか。

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