はてなキーワード: 観光地とは
たぶんはてな民ならば思い浮かんだ人々の中に中国人や韓国人もいるだろうが
世間(はてな民のように高学歴で都内在住ではない層)では中国人や韓国人は「外国人」には含まれてないんだなあと感じる
「誰か(彼氏・結婚相手として)外国の人紹介して欲しい」とリクエストされる
そこで彼女募集中の中国人の友人A君(30代後半)の話をすると露骨にテンションが下がるんだよね
極端な例だと中国人とわかった瞬間不機嫌そうに「他には?」と聞いてくる人もいる
A君年収すごいし、高学歴だし、日本語も英語もペラペラだし、ちょっと太ってるけど身長180センチあるしいいと思うんだけどなー
それでもヒモ生活してる半無職のフランス人のほうが食いつきがいい
理由を聞くと
有難味がないからだろう
そりゃ観光地としては使えるかもしれないが
時空間装置を持つ宇宙人なら当然、無限エネルギーも持ってるだろうし、惑星のテラフォーミングくらいしてるだろ
そうするとわざわざ既に人が住んでる惑星を支配するメリットってないでしょ
好きな星を採掘してテラフォできるだけの科学技術があんのにわざわざ地球を資源や植民地的支配するメリットがあんの?wっていう
わざわざアマゾンの奥地の部族を支配してやるぜゲヘヘなんて思考回路になるか?
慈悲深いパパとして観察してやるか導いてやろうとするか、
もしくは無視するか、
もしくはちょっとしたアドベンチャーワールドとして遊びにくるくらいでしょ
何でも持ってるやつが宇宙進出すらできない原始人を支配して何の意味がある
そう思うとなんか旅に出たい!
https://anond.hatelabo.jp/20180227203111
ここに書かれている戦略は俺も実践しているが、女子大生にはどうだという話もあるので、少し書きたい。
そもそも恋愛市場(笑)に関して言うと、東京のレッドオーシャンぶりはひどい。
ルックスに関しては上すぎず、中以上くらいの狙い目として受け取っていただきたい。
まず、女子大生にはなんと言ってもこちらの財力とブランド力である。ブランド力とはイケてる人か?である。イケてる人の指標の大部分は、職業が占める。
有名企業であったり、その本質はさておき外資金融やマスコミなどはいうまでもない。
そして、そのイケてる感を財力をもって見せつけなければいいのである。
私、イケてる大人に抱かれたい。そう女子大生にアピールすればよいのだ。
どうするのか?
金があっても、学生がいくような店でデートするのではなく、あなたのブランドをアピールできる店を選べばいい。西麻布、六本木など学生が選ばない街のしゃれた店にいけばいい。
別に高けりゃいいってことじゃない、6000円くらいの店でも、恵比寿の隠れ家的なワインバーや、奥渋谷のそば屋でもいいかもしれない。
しかし、ひとつ難しいのは冒頭に書いた通り東京はレッドオーシャンである。
男は上を見ればIT社長も有名人もいくらでも「イケてる人」はいるし、女子大生はめちゃくちゃ西麻布のバーの常連だし、タワマンでパーティーで金持ちにお酌して、ハイアットで抱かれてる。
じゃあ、それなりのイケてる企業のただの会社員の私たちはどうすればいいのか?
地味目の子など、イケてる大人に憧れてるがそういう機会のない子を狙うしかない。
見た目の地味さではない、生き方の話だ。見た目地味でも女子大であればいくらでも大人と出会っている。
もうこれは確率論の話だから、当たり続けるしかない。ナンパ、合コン、なんでもいいから地味めだな、と思えば総攻撃。大人と遊んでるなと思ったらはやめの撤退をおすすめする。
最後に最も効率よく狙える女子大生を紹介したい。それは地方学生である。
地方にはイケてる会社は少ない。あなたが全国的に知られている会社であれば希はある。
なぜなら地方にも支社はあるかもしれないが、圧倒的に人数が少ない。女子大生が出会っている可能性は低い。また、IT社長などの有名人もいない。
ディズニーランドや観光地でナンパすれば、出会う可能性も高いだろう。もちろん出張先でもいい。方言を聞いたら即アタックだ。
あなたが地方大学出身であればなおいい。OB訪問で来た大学生、母校のゼミに顔を出して、などこの手法で30超えてからも数人の大学生の下半身を独占することに成功している。
皆様にも幸あらんことを。
昔は友達と遊びたい欲がすごく少ない人間だった。学校で友達と話せばそれで心は満たされたし、土日は家族と一緒に過ごしていたかった。遅くまで寝てたかったし。
大学に入ってもそれは一緒だった。さらにバイトをするようになったから、土日に友達と遊ぶことも考えず入れる時はバイトに入ってた。それに趣味もあったから、友達と遊ぶことよりもその趣味に時間を割くことが多かったんだと思う。実際楽しかったし、充実してたし、思い出も記憶もたくさんある。もちろん年中一切友達と遊んでなかったわけじゃなくて、シーズンごとにディズニーに行ったりとか、日帰りだけど観光地を訪れたりとか、友達の家に泊まりに行ったり逆に泊まりに来たりなんてのもたくさんあった。
あるんだけどさ、いま大学四年生になってみて、バイトもやめた、授業ももうない、やることがないってなると途端にすごく寂しい気持ちになってきてしまっている。あんなに友達と遊ばなくても良かった自分が、友達と遊んでいないと不安だとか、友達がいないんではないかっていう不安を覚えるようになってしまったんだよね。インスタグラムを見ていても、大学の友達同士が遊んでいる投稿を目にして、自分は家に1人でいるときにこの人たちは楽しいひと時を過ごしてるのか、ってなんか暗い気持ちになってしまいがち。
1人で楽しいことも、1人でいたい時もたくさんあるんだけれど、ふとした瞬間に1人の孤独がよぎってしまう。昨日今日と友達の家に泊まって楽しく遊んできたばかりだってのに、これから先の予定でも友達と遊ぶ予定はたくさんあるのに、ふと考えるとこんな気持ちになってしまう自分がなんだか嫌で仕方がない。どうやったらこんな寂しい不安な気持ちから抜け出せるんだろ。
誰か教えてよ。
インドなかなかおもろい👳👳👳👳👳
インドの噛みタバコ買ったら吸い方教えるために人がめっちゃやってきて僕を囲んだ🙂
その様子を写真で見たけどカツアゲされてるみたいだった😙😙😙😙
適当に買った噛みタバコ、「頭やばくなるからやめとけ」いわれて他のと交換された。やさしい😇
中国も面白いサービスあって楽しかったがインドもなかなかだよ🌐
日本で言う日光的な観光地、アグラでも使える店が多いくらいには普及してる😍😍
zoomcar
色んなとこに車があって乗って乗り捨てられる
ナマステ👳📱🚗
ちなみにそこは、新規事業としてQRコードで乗れる自転車事業を始めた
今回僕が訪れたあぐらってとこにも一部的に導入されてた
緑が特徴の自転車なんだけどトゥクトゥクで景色見た時にそれをみかけて、ググってzoomcarを知った。
インド来てよかった、まだ途中なんだけど。
来た時は「あーこれこれ!!」って言う期待通りの楽しさがあった。でもインドは情報が足りなすぎるゆえアクシデントも嬉しいサプライズもあってとても楽しいわこれって感じ🏝🏝🏝🏝😇😇
zoomcarはその中でも一番の収穫だった。
車のシェアリングサービスって一応シリコンバレーにもあるけどさ
それってすご!ってかんじ
でもいうほどふっかけてはこない。
営業するだけ。
あと、結構いい人多かった。
その中には実際に使用したら発火するような奴も混ざってたりして子供が火事起こしたりしそう。
あとは段ボール欲しさに子供がそこらじゅうのゴミ捨て場を荒らすとか、段ボールを手に入れるのに一番コスパがいい商品はコレだって情報が錯綜して運送業者が迷惑したりとか。
Youtuberが「ダイソーで買えるコレとコレとコレを組み合わせれば500円もせずワンキット分やぞ!」って放送して任天堂にBANされたりなんかもありそうだね。
凄い。
下手したらPokemon GO!なんかよりもっと酷いことになるんじゃないのか。
あれの後から急激に世界中の観光地や様々な施設の前に「歩きスマホは駄目です!」って看板が立ったのは今でも驚きだよね。
怖いなあ。
ワクワクしてる人も多いんだろうけど、自分としてはヒヤヒヤだよ。
予め宣言しておくと 皆が口を揃えて言う「雪質が最高だから」という理由は当たり前すぎて聞き飽きているだろうから、それ以外のことを書く。
自分はバックパッカーでアジアの遺跡や寺院巡りを中心にいろいろと旅している。寒いところは大の苦手だ。
その数々の旅の中で印象的で記憶に残っているのが5年くらい前にミャンマーかラオスかのゲストハウスのドミトリーで同室だったオーストラリア人との会話。
会話前略
豪人「Yeah! I went トーキョー アァンドゥ ヌィスィクォ」
ニセコが外人に人気だということは当時知らなかったし、確かまだ民主党政権下の円高で訪日外国人客もそんなに多くない時代だった。
(・・・・・逆にバックパッカーにとっては円高の恩恵を受けて非常に楽な時代だった)
東京はさておき、京都でも沖縄でも奈良でも広島でもなく謎のピンポイントの地名らしき名前を言われて混乱した。
最初は聞き間違えかと思ったが何度か聞き直した挙句、北海道のニセコという超マイナーなスキー場ということがわかった。どうやら雪質が良いらしい。
当時は「ほーん、雪質が良いってだけでわざわざ赤道超えてはるばる来るんやなぁ スキーヤー、スノーボーダーの熱意は大したもんやな」程度に捉えていた。
しかし、今年ようやく念願叶ってニセコに行くことが出来たことでほとんどの疑問が解決出来た。 これは確かにニセコに外人が押し寄せるわけだ・・・。
卵が先か鶏が先か、というツッコミを受ける話になってしまうのだが・・・・
スキー場スタッフはおろか 山小屋 レストラン 町中のタクシー ホテル 温泉 飲食店に限らないスキー場周辺の一般住民 ほとんど全てのに対して英語が通じる。
メニューや標識看板、放送などもほぼバイリンガル。 英語が公用語ではないアジアの他の観光地と比べても遜色ないレベルかもしれない。
そのへんのホテルの中にある売店(ビールとかおつまみを買うところ)でも使える
たしか、ゲレンデのレストランはSuicaだのEdyだのiDだのも使える機械があったと思う・・・けどちょっと曖昧。違ったらごめんなさい。
ゲレンデに適切に配置されたロッジの中に暖かくて清潔で広いトイレがあり、かつ十分に数があって全く並ばない。
個室の中もそれなりに広く、重ね着していても快適に用を足すことが出来る。
スキーウェアを着ながら用を足したことがある人にしか伝わらないかもしれないのだけれども・・・
うんこを愛する増田達にはきっとこの素晴らしさは伝わると願っている。
単に広いというと禿山に広がる広大な斜面を想像されるかもしれないのだが
独立した4つのスキー場がところどころで繋がっていてかなり自由に行き来することが出来る(特に東から2番めのヒラフは桁違いに広い。完全立ち入り禁止のとこも勿論あるので全部が全部入れるわけではない。)
コースとコース、スキー場とスキー場の間に生えている木々がちょうど良い塩梅の間隔でコース間滑走が楽しい。
この木々の間隔をうまく伝える語彙力の低さを強く自覚していて、非常に歯がゆい。死語だがボキャ貧。
全部が全部ではなく一部のリフト等は15時半あたりから終わってしまうのだが、かなりの広範囲のコースでナイターが楽しめる。
そして、友人曰く珍しいことなのだがリフトのみならずナイターでも一部ゴンドラが動いている。
朝に羽田から新千歳に飛んで、昼過ぎとかから20時半とかまで滑れる、しゅごい。
他にもフードが着いていて雨風を避けられるリフト(座ってても寒くない)をはじめとするスキー場のインフラ面が他のスキー場と比べて秀逸。
4つのスキー場を結ぶNIZEKO UNITED シャトルは、全スキー場共通のリフト券を持っていれば無料で利用可能。 時間もスキー場によっては23時過ぎまである。
例えばナイターのないニセコ花園リゾート近くの宿に宿泊していても、夜までナイターのあるヒラフで滑ってそこからバスで晩飯食べに行ってからバスで温泉行ってバスで帰ってくるみたいなことが可能。
あとは若干行動に制限が生まれて不自由ではあるが、スキー場とスキー場の間にある宿であってもだいたい近くに停留所はあるので宿の選択肢を広く持てる。
需要があるから供給もあるという話ではあるが、温泉や日帰り温泉を受け付けているホテルが多い。朝6時から24時までやっているところも。
私が行った温泉はすべて休憩室が完備されており、湯上がりにビールでも飲みながら暖かく快適に友人を待つことが可能だった。(仮眠も可能)
余談になるが、温泉が好きなのは日本人だけであって"西洋人は公衆の場で裸になるのに対して恥ずかしいと感じる"という思い込みがあったのだがニセコで完全にそのバイアスが崩れた。
あいつら温泉に酒持ち込んでめっちゃリラックスして楽しんでやがる・・・・もしかして日本に来る人は特別なのだろうか。
もう一つ余談。 温泉等に良く付いている有料のマッサージ機について。
私の観測範囲内では今まで国内旅行においてほとんど誰も使ってるところを見たことがなかったのだが、ニセコでは外人が凄い高い頻度で利用していた。 技術立国、クールジャパン!
コンビニのセイコーマートがあるヒラフ十字路近辺には流しのタクシーが高頻度で走っているし、電話したら各ホテルやレストラン、温泉まで来てくれる。
湯上がりに外を歩くと髪の毛が凍るレベルの外気なのだが、23時を超えて温泉から宿までのわずか数百メートルのためにタクシーが来てくれた時は有り難さで涙が出た(初乗り+割増の660円だけで申し訳ない気持ちだった)
「北海道なんだから当たり前だろ!」と思われるかもしれないが、スキー場から歩いて行ける範囲内で美味しい店が多いという条件って実は意外と難しい。
繋がってるスキー場を渡った上で、理由6のシャトルバス運行をうまく絡めると無料でさらに選択肢が広がる。
"「雪質が最高だから」という理由以外のことを書く" と言ったな あれは嘘だ
正直雪質が良いって言われても初心者だからそんなんたいして違いとかわかんないわー 関係ないわーって思ってたんス
でも、初心者こそパウダースノーで雪質の良いところで練習すべき! こけても全然痛くないし、痛くないからちょっと大胆なことも練習出来るし上達も早い!何より滑るのがチョー気持ちいい!
毎日大量に雪が振るからシーズン中(2月途中くらいから悪くなるらしい)は新雪でフカフカだし、朝に頂上まで行ってそこからヴァージン・スノーのみを使って下まで降りるのが至福の快感。
絶対に人生で一度は行ったほうがいい。凄い貴重な体験が出来る。超絶オススメ!!!!!!思いっきり背中押すから若いうちに行っとけ!!!!
http://tech.s-cubism.jp/blog/archives/3723
以下、ニセコに限らず日本全体に当てはまることではあるのだけれども理由追加。
10の理由と言ったな あれも嘘だ
オーストラリアとは2時間差、ニュージーランドは4時間差らしい。
たしかになーと納得。
日本人が軽井沢に行く感覚・・・というよりは夏にスイスやフィンランドに行く感覚?
自分の経験だけど、今シドニーとかメルボルン等の都市部ではランチでお高くない普通の店でも2000円を軽く超えてくる。(だからこそ日本のラーメンが1杯1000円超えてても人気だったり)
あとは本題と外れるけど、ホノルルのワイキキで丸亀製麺に行列が出来てたりで現在海外における日本料理の一部は所謂日本にとって一昔前のマクドナルド的な存在だったり。
日本人からするとスキー場のラーメン1000円とかカツカレー1500円って 「うげぇぇぇぇぇえ」ってレベルだけど、彼らからしたら安いのだろう。
らしいのでそうなのかな。他の観光地も組み合わせた上で、夏も寄ってみたいって思いました。
おそらく最大の理由。全ての理由を経て、来訪した経験者の満足度が高かったんだろうね。
その満足度の高さが、さらに客を呼び好循環を産み出している最強の状態。
台湾やタイ、マレーシア他東南アジア等暑い国々のお金持ちが涼みに来る とか
そういうのではなく、ニセコは本当に肌感覚として明らかに白人が多いんです。英語も超綺麗な発音でネイティブ。
純粋にスキー、スノーボードが大好きな欧米人が遊びに来てるな!!って今回の旅行で印象を受けました。
若干日本人と比べてマナー悪い部分とかも無くはないんですが(セイコーマートのコンビニの灰皿とかゴミが投げ入れられていて惨状だった・・・・) 文化の違いも体験出来るし素晴らしいところです。
重ね重ね、一度は冬のニセコに訪れて見ることを強くオススメ致します。
乱筆失礼致しました。
気付かぬ間に400近くもブクマが!!
若者のスノボ離れとかウィンタースポーツの国内人口現象とか言われてるけど、なんだかんだ皆さん興味はあるということでしょうか
(それともはてな村の平均年齢が・・・・・ おっと誰か来たようだ)
https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0227.html
やっぱ資本の力が大きいんですね。やや不動産価値がバブってるってのも含めて理解が深まりました、URLの紹介、有難うございます。
他の方が指摘されてるように、日本人にとってのハワイみたいな位置付けがオーストラリア人他外人にとってのニセコなのかもしれませんね。
>超マイナーうんぬん
釣るつもりは全くなかったのですが、寡聞に付き大変失礼致しました。
当時まだ若く、関東からちょっと足を伸ばせる範囲の群馬長野新潟のスキー場数個(白馬、湯沢、水上など)くらいしか知らなかったので完全に無知でした。
あとなんか積雪量の関係で新潟とか日本海側が最強で北海道は劣るとか思い込んでました・・・・。
無理に他のスポーツに例えるならばサーフィンをほとんどやったことない人が「青島?どこそこ?」みたいなレベルの話です。
完全に東京中心の悪い意味での中華思想でした、お詫び申し上げます。
釣るつもり・・・・・といえば逆にトイレの項目で、はてな村の皆さんが大好きなうんこネタを振ったのに誰も食いつかなくて寂しいです(`;ω;´)
やはり漏らさないと駄目なのか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171216235148
元増田の方は単に難しいとおっしゃっている様ですが、ブコメでは批判的な方が多い様です
確かに路線バスは初見殺しになっている場合が多いと個人的にも感じています
長崎市内を走っている路線バスは民営の長崎バス(長崎自動車株式会社)と長崎県交通局が運営してる長崎県営バス(県営バス)があります
県営バスは長崎市内だけでなく長崎県内各所を走っています(人口密集地がメインではあります)
地元の人間は赤を基調として塗装されているのが県営バス、青を基調としたトリコロールカラーで塗装されているのが長崎バスと分かるのですが、予備知識無しではよく分からないのも仕方がないと思います
また一応、長崎は観光地であり最近は中国からの大型客船が来ることもあって、長崎市内は他県から来たバスや観光客向けの貸し切りバスも多いです
そのせいで余計に分かりにくくなっているそうなのです
住んでいる人間にとっては気づきにくいのですが、他県から引っ越してきた方に時々指摘されます
当然ながら県営バスと長崎バスでバス停も異なるので、同じ名称のバス停でも県営バスと長崎バスで離れた場所にあるケースもあります(大抵は隣接していますが)
長崎バスを例に挙げてみましょう
またそれぞれのバスに経由番号が振られており、それらが車体の標示されています
しかし、これがまた分かりにくいのです
番号が同じでも赤字で書かれているものと、黒字で書かれているもので終点が異なる場合があります
途中までは同じ道を通るので、例えば長崎駅などに向かう場合は問題ないのですが、山間部のホテルなどに向かう場合は注意しなくてはなりません
また番号が同じで、色も同じにも関わらず数本に一本くらいの割合で特定の施設(中核病院や大型の老人介護施設など)が終点になっているケースもあります
終点まで乗っていればいいと油断してしまい、うっかり寝過ごし運転手さんに起こされ目を開けると、そこは老人ホームだった……という事もありえます
これらの点から長崎市民は概ね観光客に対しては、路面電車の利用を勧める事が多いです
長崎市中心部の平地しか走っていないのですが、それだけに分かりやすいのがメリットです
終点まで乗っても一律料金(120円、昔は100円でした)なので、その点でも分かりやすいです
主要な観光名所は路面電車での移動で事足りますし、1日乗車券もあるので(これはバスでも利用できますが)個人的にも勧めています
どうしても山間部へ行きたい場合は、バスよりも高く付きますがタクシーの利用を勧めています
バス利用の場合はバス停から歩く距離も長くなりがちで、狭い道の多い長崎では道に迷う可能性も高いからです
長崎はタクシーは多過ぎると言われるほど走っていますので、道端で手を上げれば余程辺鄙な場所でなければすぐに捕まえられます
ここまで長崎の場合を例として、路線バスの不備と言えそうな面を挙げてみました
ではバス会社は不親切なのでしょうか?
例えばブコメでは料金体系のわかりにくさ、バス停での情報提示の少なさを指摘するものがありました
お気持ちはよく分かるのですが、これらの改善はかなり難しいと思います
例えばバスの路線は鉄道などと比べて複雑であること、バス停のスペースが限られていること、乗客の乗り降りや運転手への負担を考えるとおつりを出す仕組みは難しいこと、などです
しかし最も大きな理由は路線バスは、観光客など初見の利用者を対象にしたサービスではないという事だと思います
基本的に地元に住んでいる人の足となるべく運行されているサービスなのです
仮に利用者が観光客しか居ないのであれば、路線を絞る、先払い式にする、バス停の施設を充実させる、それらを維持する為に料金を高めに設定する、といった事も可能でしょう
しかしながら路線バスは地元の人間が通勤通学や買い物に利用する場合がほとんどです
日々の足である以上、路線バスの利用者は、多少の不便や分かりにくさは我慢してでも料金が安い方を選びます
便利になる代わりに路線が減ったり料金が値上げされたりするよりも、不便でも路線が維持され料金が据え置かれる方を選ぶのです
その不便さを我慢できない人は、すでに自家用車なり自転車なりを利用している場合がほとんどで、多少便利にしたからといって、そのコストに見合うほどバス利用者は増えないのではないでしょうか
私は路線バスの不便さは、利用者である地元の人々の声に応えた結果だと思っています
私は長崎バスはその点でも比較的力を入れている方だと評価しています
ネットを利用した料金と時刻の検索機能やICカードの導入など、地方の路線バスとしてはかなり早い部類だと思います(その分、SUICAへの対応が遅れてしまったのは皮肉ですが)
現存しない映画をウィキペディアで調べていました。なかなか興味深いです。
プリントやフィルムが現存しなくても、詳細が分かり、台本が残っている映画はまだ良いですよね。
「芋川椋三玄関番の巻」はストーリーの内容や本編時間など全く不明だそうです。劇場で公開された日本制作のアニメ映画としては最も古いものであると言われてきたが異論もあるそうです。
芋川椋三玄関番の巻
https://ja.wikipedia.org/wiki/芋川椋三玄関番の巻
「塙凹内かっぱまつり」これも分からないことだらけです。
塙凹内かっぱまつり
https://ja.wikipedia.org/wiki/塙凹内かっぱまつり
『塙凹内かっぱまつり』(はなわへこない‐)は、1917年(大正6年)公開の日本の短篇アニメーション映画である。詳しい劇場公開日は不明だが1917年の9月から12月までの間に公開されたと思われる。フィルムは21世紀現在でも現存が確認されていない。
小林商会の下でアニメ制作の研究を進めていた、国産アニメ映画の創始者の1人、幸内純一による作品。フィルムが現存していないため、ストーリー等の詳細は不明。
「大仏廻国」は内容が不確かのようです。
言われているだそうなので。
https://ja.wikipedia.org/wiki/大仏廻国
「春の歌」なんかは、分からない事だらけの上、ウィキペディアを書く上での出典もありません。
もしかしたら、ウィキペディアの記事自体が嘘という可能性もあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/春の歌_(映画)
ところで、現存しない映画である「大学よいとこ」を見た人が1人って本当なんでしょうか?70.0の点数が付けられていますが。
1936年の映画なので、公開当時本当に見た人が投稿した可能性もありますが。
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=65801
阪神に在籍していたときに新庄が甲子園球場に出場するときは、その日の売り上げ(グッズ・背番号入りのレプリカユニフォーム・ビール・飲食物)が2億2千万に増えたらしい。普段は1億円以下なのに。
(カレンダーやお土産ものみたいなものは、アイドルや観光地とビジネスモデルが似てそうではある)
仮にプロ野球の試合は、だいたい年間130試合ぐらい?で、半分は他球場で、30日は夏の高校野球が甲子園で使われるとして。
甲子園球場で50試合開催されたらば、通常と比較して110億円は新庄効果で稼いでいたことになる。
売り上げだけでだけど。。
結局、彼は年俸の約10倍の売り上げ高を球団にもたらしていたわけだ。
https://shikujiri-matome.com/shinjyoutsuyoshi/
買う人がいるんだからね、そういう商品を。一人のプロ野球選手が出ると言うことで、さ。
それぐらい極端に売り上げが変わるかは分からないけれど、テレビの視聴率やスポーツ新聞の売り上げ・野球の雑誌の売り上げにも変わっていたんだろう。
今は、衛星テレビ?スカパーとかで、スポーツチャンネルなんだろから、下火だろうけれど。
この選手がいるので、テレビを見るとか、視聴料を支払うとかという構図はあるだろう。
2万人のお客さんが5000円分の何かを買えば、1億って計算だけどー。
バブル世代なのかな。
ここ2年位、定期的に考えてる
農村、鉱山、工業地帯、学都、観光地、どこかの都市のベッドタウン
しかし、地域で完結していた産業がどんどん消え、企業が国レベル、世界レベルとなっていった
支柱を失って側だけ残ったような感じだ
もちろん全地方がそうではないが、多くの地方はもはや「そこに人が居る」以上の存在意義がない
産業、仕事が国・世界レベルから地方レベルに戻ることはもう無いだろう
「そこじゃないとできない」よりも「どこでもできる」方が有利なように
戦っていけば自ずとそうなってしまう、それはどの国でも同じだと思う
それでも「そこに人が居る」だけで何らかの意味を持たせられるのか
あるいはそれを諦め、人がより固まって住む未来を目指すべきなのか
はたまた地方が地方として復活する目はあるのか(つまり地方密着で新たな産業を作れるのか)
そこら辺がよく分からない
というか、よく分からないのを受け入れないまま「地方創生」が先行している気がする
長い目で見れば人は生きるために、いろんな場所に移り住んできた
特別な話ではない、とは思うのだが、そんな割り切れる話でもないか
__
ちなみに何でこれを考えているかと言えば、故郷の地場産業が少ないからだ
それなのに、チェーン店がどんどん増えてくるのを見ると、一体この地方は何のためにここにあるんだろうと気になった
でもそんな故郷でさえ、周りの町村からは栄えていると見られているのが何かもうアレだ
これが例えば東京から車で1時間とかならまだいいんだが、生憎新幹線で数時間の距離だ
先日ホッテントリに上がっていた単著持ち増田のエントリを読んで、そういえば自分も増田が原因で本を書いたんだったと思い出した。
数年前、初めて増田に文章を投稿したら2000ブクマ付いた。「文才がある」「物書きとして食っていける」とか言われたので、24万字の文章を書いてKindleで出版した。ぜんぜん売れなかった。人の言うことを安易に信じてはいけないと思った。
そのあとまたホームレスになったので(2年ぶり3回目)しばらく福島で除染作業員として働いた。除染と言うと何か特別なことをしているように聞こえるけど、実はただの土木工事である。肉体労働は久しぶりだったけど、小難しいことを考えず黙々と目の前の作業に打ち込んでいると、頭の中の不純物が取り除かれていく感じがした。
そうだ、僕は物書きになりたいなんて思っていたわけじゃない。そんなものは誰かから押し付けられた「物語」でしかない。いままでも「元ホームレス→成功者になる」みたいなステレオタイプな物語を押し付けられたことは何度もあったけど、いつも心の中で蹴り飛ばしてきた。なぜ今回に限って勘違いしてしまったのか。
福島では相馬市の松川浦という観光地にある旅館に住んでいた。国からの補助があるので宿泊費はかからなかった。旅館だけあって飯がめちゃくちゃうまかった。直前までわりと本気で食うや食わずの生活をしていて、就業前の健康診断で「就労可能です」のハンコの横に「貧血症――経過観察お願いします」とか書かれるレベルだったけど、1か月で元の体重に戻れた。
そしてこういう現場に集まる人間というのは基本的にろくでなしばかりである。入ったばかりの給料を数日で飲み代やパチスロに使ってしまい、すぐに前払い制度を利用するはめになるような、そんな人間ばかりだ。同じろくでなしとして、とても居心地がよかった。やはり自分はこちら側の人間だと思った。
そんなわけでしばらくここに居着こうと思ったけど、東北の夏は意外と暑かった。僕はそれまで日本の東側に来たことがなく、東北の夏なんて京都盆地の夏に比べたら余裕だろとか思ってたけど、ぜんぜん余裕ではなかった。しかも仕事中は半袖作業服禁止で、手袋は三重、さらに安全長靴にヘルメット、高性能防塵マスクというフル装備で、炎天下の中、延々と作業するのだ。このままでは干物になってしまうと思い、涼を求めて北海道へ行くことにした。
割のいい仕事をしたおかげで金はそこそこあったので、JRの青春18きっぷを使って道内をしばらく旅した。
旅の途中、いろんな人に出会った。日本一周中のライダーやチャリダー、本州でこういう人に出会う機会は少ないけど、北海道ではさほど珍しくない。彼らには独自の文化があるようだった。こういった旅人向けに格安で宿を提供するライダーハウスの存在も教えてもらった。ライダー専用のところもあれば、旅人なら誰でもウェルカムみたいなところもあるようだ。
美瑛にある「蜂の宿」というライダーハウスはめちゃくちゃ居心地がよくて、しばらく沈没してしまった。同じように沈没中の旅人が多く、宿を出るときは少しバツが悪くて、朝早い時間、夜逃げのように出発した。稚内の飲み屋では一人旅の女性客に「函館に住んでるから着いたら連絡してね」と電話番号を渡された。でもいざ函館に着いて連絡しようとしたらだんだん死にたくなってきたので忘れてたことにして函館を後にした。小樽のライダーハウスではなぜかオーナーに気に入られて「上の階の空き部屋に住んでいいよ」と言われたけど、結局置き手紙だけ残して去ってしまった。
そんないつも通りのあれこれがありつつ、最終的に札幌でクソボロいマンスリーマンションを借りて住み始めた。
石狩平野はドカ雪が多い地域で、昨日まで普通だった街の景色が、朝起きたら突然、一面の銀世界になっていることも珍しくない。人の背丈より高く積み上げられた道路脇の雪。凍った路面をすいすいと歩いていく人たち。数センチの積雪で大騒ぎになるような地域に住んでいた僕には、すべてが新鮮だった。海外を旅したときも自分がいかに世間知らずかを思い知らされたけど、同じ日本でも住む土地が違えばこんなに空気も文化も違うのかと思う。
そうだ、僕はあまりにも世界を知らなさすぎる。ホームレス経験があるからなんだというのだ。「なんでも知ってるゲンさん」みたいなステレオタイプなキャラクターはどこにも存在しないということがわかっただけじゃないか。インドや東南アジアを旅したからなんだというのだ。日本の近所をちょろっと見てまわっただけじゃないか。アメリカにもアフリカにもヨーロッパにも行ったことがない。政治も経済も科学も宗教も、本当に何も知らない。
もっと世界を知りたいと思う。いままで自分ひとりで知識や経験を積み重ねてきたけど、もう限界だと思った。独学には「体系的に学べない」という決定的な限界がある。だから大学へ行こうと思った。もっと世界を知るために、僕には高等教育が必要なのだ。
しかし僕は中卒なので大学へ行こうにも受験資格がない。まずは高認(旧大検)を受ける必要があった。とりあえず過去問にざっと目を通してみると、文系科目は特に対策しなくても合格点を取れそうだったけど、理系科目は壊滅的だった。数学なんて問題文の意味さえわからない。やべえよ。
コールセンターでWindowsのテクニカルサポートの仕事をしつつ、参考書と格闘する日々が始まった。途中で何度も心が折れそうになったけど、数学が扱うのは実体のある数(かず)ではなく、数(すう)という概念なのだということがわかってから、唐突に理解できるようになった。数を感覚的に扱えるようになり、数式の手ざわりがわかるようになった。
勉強時間の半分くらいを数学に費やしたおかげもあってか、本番の試験では90点を取れた。分数の足し算すらあやしかった状態からここまで持ってこれたのだから、まずまずの結果だろう。国語は無勉強で満点取れたので、読解力は普通にあるようだ。他人の評価は主観が混じるので話半分に聞くけど、こういう機械的な評価は信用できる。英語も無勉強で満点取れるかと思ったけど、2問ほど間違えた。どちらも穴埋め問題だ。自分でも文法力が足りてないことは自覚していたけど、やはりその通りだったようだ。他の教科もなんとか70点以上をマークし、無事、高認に一発合格した。
これで大学受験の資格は得た。学力はまだぜんぜん足りてないけど、土台部分は構築できたはずだ。これからさらに何年かかけてこの上に知識を積み重ねていくとして、次に考えるべきは資金の問題だろう。無給で4年間大学に通うなら最低でも800万、できれば1000万は貯金しておきたいところだ。しかしこの額はさすがに札幌の労働単価では厳しい。やはり稼げるところに行くべきだと思い、住んでいた部屋を引き払ってまたホームレスになり(2年ぶり4回目)今度は東京へ向かった。
ちなみに僕には家族も友達もいないので、こういうときバックパックに入りきらない荷物はウェブ管理可能なトランクルームに預けるようにしている。ダンボール1個分の荷物を月数百円で預かってくれて、いつでもウェブから出庫できるので、こういう生活スタイルにはとても便利な存在だ。
いままであちこちを転々としてきたけど、東京に来るのは初めてだった。西成で暮らしていたときに山谷の話は聞いたことがあったので、まずはドヤで当面の寝床を確保する。西成みたいに1泊1000円前後で泊まれればしばらくそこで暮らそうかと思ってたけど、2000円前後が相場のようだったのでドヤ街からは早々に引き上げ、少し北上して南千住駅近くにあるシェアハウスの一室を借りて住み始めた。
次は仕事だ。自分の持つスキルの中で最も金になるのは、やはりプログラミングだろう。上京する前にリハビリとして最新技術はひととおりさらっておいたし、その経緯を文章にまとめてQiitaに投稿しておいた。なぜかその記事は「文学作品」という評価を受けたけど。技術記事なのに……なんでや……。しかし職探しのときにその記事をポートフォリオとして使ったらめちゃくちゃウケがよかった。東京はエンジニアが不足しているとは聞いていたけど、これほどとは。仕事も多ければ単価も高い。いままで自分が住んだことのある都市と比べると、京都・札幌の倍以上、大阪の1.5倍以上の単価だと思う。
そんな感じで生まれて初めて金に困らなくなった(!)ので、まずは渋谷に引っ越した。JR渋谷駅のホームまで徒歩5分のマンションなので、主なオフィス街は自宅から30分以内で行けるし、渋谷にある会社ならもちろん徒歩圏内だ。ジュンク堂(東急)まで徒歩10分くらいで行けるのもすばらしい。近くに庶民派スーパーがないことだけが難点だけど、西友のネットスーパーに助けられている。いつも配送ありがとうございます。
次にPCを買い換える。生活スタイルの問題もあってここ数年はずっとノートPCを使ってきたけど、東京には腰を据えて何年か住む予定なので、ハイエンドデスクトップPCを買うことにした。WindowsとLinuxどちらも使いたかったので、これまで通りデュアルブートにしようかと思ったけど、切り替えが面倒なのでWindows上の仮想マシンとしてLinuxを動かすことにした。開発は基本的にその中ですべて完結させるので、仮想マシンの中でさらに仮想マシンを動かす場面も出てくる。こういう使い方だとそれなりにスペックが必要だろうと思い、CPUはi7-7700K、メモリは64G積んだ。どうせハイスペックにするならいっそVR Readyにしようと思い、グラボは1080Tiにした。そんな感じでいろいろぶっこんでいったら最終的にPC本体だけで40万かかった。さらにDELLの34インチ曲面モニタ、東プレの変荷重キーボード、HTC Viveとデラックスオーディオストラップ、等々、もろもろ合わせて最終的に総額60万以上かかった。半年かけて海外を貧乏旅行したときの旅費を軽く超えててさすがに草生えた。
2017年末になってもVR市場は未だ揺籃期の様相を呈している。キラーコンテンツとなりそうなゲームはちらほら出始めているものの、起動直後の「おお! VRすごい!」からその後が続かないものが多い。
そんな中で僕がハマったのはQuiVrという弓ゲーだった。ゲーム中で何度も繰り返す矢を放つ感触がとにかく素晴らしく、現時点で250時間プレイしている。まだアーリーアクセスだけど、毎週コンスタントにアップデートが続けられていて、次々と新しい要素が追加されていくのも飽きない理由だと思う。でもその分バグが多く、プレイしていてだんだん腹が立ってきたので、Discordに乗り込んでバグ報告しまくっていたら、いつまにかベータテストに参加するようになっていて、いまではランキング上位プレイヤーのひとりになっている。
Rec Roomもおすすめしておきたい。ユーザーコミュニティがとても活発なソーシャル系VRゲームで、RedditやDiscordを覗くと、運営とユーザーが一丸となって、いいゲームにしていこう、いい場にしていこうと努力している様子がうかがえる。そのおかげか、マナーの悪いプレイヤーが非常に少ない。ハラスメント行為等はほぼ皆無と言ってよく、Fワードを使っている人さえあまり見かけないほどだ。ゲーム自体も、チーム戦のペイントボールやレーザータグ、協力プレイのアクションRPG風ゲーム等、無料とは思えないほどのクオリティの高さなので、VR機器を持っている人はぜひやってみて欲しい。
そしてそのRec Roomよりさらにコミュニティが活発なのがVRChatだ。もはや活発という次元を超えてカオスと言っていい。半年前に初めてログインしたときは10~20人くらいのユーザーがHub(ログイン直後のワールド)で適当にダベっていて、他のワールドにはまったく人がいない、みたいな閑散とした状況だったのだけど、今月初旬に同時ログイン数が1000人を超え、Discordオンラインメンバー数は2000人を超えた。現在は同時ログイン数3000人を超し、Discordオンラインメンバー数は4000人を超すような状況だ。どうも有名なYoutuberや、Twitchの有名生主といったインフルエンサーが最近こぞってVRChatを取り上げているようで、この爆発的なコミュニティ拡大はまだ収まる気配がない。デスクトップモードがあるので参加するだけならVR機器が不要だというのも大きいか。
Rec Roomとは違いVRChatはコミュニケーション主体のソーシャル系VRゲームだ。ミニゲームは前者に比べて見劣りするものの、ユーザーカスタムのアバターやワールドが自作・公開可能で、これが海外のオタクたちの創作意欲を刺激したのか、黎明期のニコ動を彷彿させる盛り上がりを見せている。こういった事情によるためか、もしくは別の何かが彼らをひきつけたのか、実際のところはわからないが、VRChatのユーザーはほとんどが日本のアニメフリーク・漫画フリークだ。ユーザーカスタムのアバターはそれらに影響を受けたものが多く、美少女キャラやロボットやモンスターが目の前を行き交う様は、まるで攻殻機動隊の電脳空間のようだ。とはいえ現状では4chan的な文脈そのままの著作権ガン無視状態なので、前述の爆発的なコミュニティ拡大にともなって近いうちに問題になることが予想される。なんとかソフトランディングして欲しい。
しかしこの未来感すさまじい仮想現実の世界にいると、なぜか昔のインターネットを思い出す。特にテレホーダイ時代の2ちゃんねるのことを。夜の11時を過ぎると一気に人が集まり、どこの誰とも知らない人たちと一晩中バカ騒ぎをして、朝になるとネット全体が静まり返っていた、あの懐かしきオールドインターネット。VRChatをやっているとあの頃の記憶が蘇ってくる。ドイツ人にドイツ語を教えてもらったり、サウジアラビア人にアラビア語を教えてもらったり、台湾人に3Dマーカーペンで中国語を書いてもらって「おおー、漢字の意味なんとなくわかるー!」とか感動したり。そんな多種多様な国籍・人種の人たちとアニメについて語り合ったり、アニソンをみんなで大合唱したり。MMDナイトクラブというワールドでMMDモデルのダンスが見られるのだけど、ステージ上で踊る初音ミクを囲んで、みんなで一晩中踊り明かしたりもした。マジでなんなんだこのカオスな空間は。しかしこれだ。これがインターネットなのだ。夜明け前の静けさと、どこか熱に浮かされたような興奮。それらが齟齬なく同居する、この奇妙な感覚。久しく忘れていたこの感覚を、強烈に思い出す。
でもいちばん印象深かったのはラノベの朗読会だ。ある日、いつものように適当に外国人たちとダベっていると「いまからショーが始まるから来ない?」と誘われた。開かれた転送ゲートをくぐってみると、その先は100人以上収容できる劇場のワールドで、さまざまなアバターの人たちが観客席に座っていた。舞台上の主催者とおぼしき人は「みなさんお好きな席にご着席ください。いまから『転生したらスライムだった件』の朗読を行います」とか言っている。え、どういうこと? と思う間もなくショーが始まる。やたら渋い声で、VRならではの身振り手振りも混じえて、感情表現豊かに読み上げられていく、まだアニメ化すらされていない日本のラノベ(正確にはウェブ連載版の英訳版)。ああ本当に世界は広いんだと思った。自分の知らないことなんて星の数ほどあって、そのすべてを知ることは絶対にできないんだと、少し胸が苦しくなった。
と、最近はVRの世界にどっぷりだったのだけど、遊んでばかりいたわけではなく勉強もしていた。特に英語だ。いままでリーディング、リスニングについてはそれなりにできていたのだけど、文法力がないのでライティング、スピーキングに関しては壊滅的だった。しかしVRを始めてから英語圏のコミュニティで英文を書いたり、VRゲーム内で英語を話したりする場面が増えてきたので、文法を基礎からじっくりとやり直した。二十代の頃に文法をみっちりやったときは死にそうになるくらいしんどかったけど、今回はそうでもなかった。やはり目的があると吸収力が段違いだ。そのおかげか、ライティングに関しては文法間違いがかなり減ったように思われる。スピーキングはいまでもだいぶあやしいけど。客観的かつ機械的な判断が欲しいので、来月久しぶりにTOEICを受ける予定だ。10年前に受けたときのスコアは680だったけど、今回の目標は800に設定している。2年後くらいには900を目指したい。ここまで英語力を上げておけば、大学受験の際にかなりのアドバンテージになるはずである。
あとはやはり数学だ。英語の勉強が一段落したら、数Iの復習から始めて、数IIへ進む。僕が受験しようとしているのは文系(経済学部)なので必要ないかもしれないけど、余裕があれば数IIIに関してもどんなものかくらいは頭に入れておきたい。前回の勉強のときに、数学は小さな理解と小さな納得を積み重ねていくしかないということが身にしみてわかったので、この科目に関してはじっくり腰を据え、時間をかけて少しずつ勉強していくつもりだ。
国語に関しては受験前に赤本で少し対策すればいけそうなので、あまり心配はしていない。その他の科目は最悪捨ててもいいけど、時間があれば知識を少しずつ補填していこうと思う。
こんなやり方で本当に大学に行けるのかはわからない。すべてが手探りだ。たとえ行けたとしてもその先のことはわからない。この歳で「大学を目指している」なんて言うと、先のキャリアを見据えてのことなんだろうと勘違いされることが多いけど、僕の場合、本当に何も考えていない。大学で政治や経済を学んで自分が何をしたいのかなんてまったくわからないし、それが金になるとも思えない。卒業したあと食い扶持が稼げなくて野垂れ死ぬかもしれない。その可能性は決して低くない。以前と比べれば多少はマシになったように思えても、やっぱり基本的に僕はバカなんだと思う。
でも同時に、それでいいとも思う。行動に理由なんていらないのだ、と。行動の理由なんて事前にいくら用意したところで、たいていの場合、それは建前やこじつけでしかなく、本当のところは後になってからしかわからない。ミネルバのフクロウなのだ。後になってからしかわからないなら、後になってから知ればいい。いまは行動するだけでいい。そう思う。
先日、久しぶりにKindleのストアページを見てみたら、あの24万字の本へのレビューが1件増えていた。
やっぱり僕はこれでいい。こうして増田で誰に宛てるでもなく近況報告をしたり、Steamに長文レビューを投稿したり。誰が読んでいるかもわからなくて、でもたまに反応があったりして、それが少しくすぐったくて。
特別なことなんて何も起きなくていい。夢も希望もなくていい。
人生に物語は要らない。
18きっぷで遠出してその帰り道。
4人掛けのボックスシートを1人で占領できるぐらいしか人が乗っていなく、あと2回乗り換えれば家に着けるような列車。
終電2つくらい前で、もし乗り過ごしてもまだ何とかなるレベルの状況。
今日一日、観光地に色々歩き回って、乗り継ぎの連続であった列車に乗り疲れて、それを癒やすかの如くキオスクで買い込んだ酒を車内のその占有状態のボックス席で飲み干す。
俺は今幸せな時を噛み締めている。
世間はクリスマスイブで浮かれ、俺も先程までその熱に嫌気が差していた。
きっと車内の誰もが俺のことを視界に入っていることすら忘れてしまっているだろう。
日々、東京の喧騒に飲まれ、人の視線に晒され、鬱々と過ごしていたこれまでとは打って変わって、俺は今何者でもない。
ずっとこの列車が走り続けれはいいのに、永遠に終着駅に辿り着かずに果ての果てへ行ってしまえばいいのに。
そう思いながら、いつもと変わらない"帰路"をこの列車は歩むのだ。
みなさまごきげんよう。
かきつばた またかきつばた かきつばた
古来、池鯉鮒と呼ばれ伊勢物語で在原業平が歌を詠んだことで有名な土地ですの。
ところがあらびっくり。延喜式より前の史料では「知立神社」または「智立神社」と
書かれていて、池鯉鮒は大洗池という殺生厳禁の池で鯉や鮒が繁栄したことから
付けられた地名らしいのですわ。いまの地名は一番昔に戻っていることになりますわね。
また、かきつばたも中世にはなくなっていて、ガッカリ観光地になっていたところを
お茶売のお爺さんが尽力してお寺や庭園を復興させたそうですわ。
池鯉鮒は江戸時代も東海道の池鯉鮒宿として重要な土地でしたから、
その関連の展示が多かったです。
いろいろな浮世絵があり、中山道広重美術館にあった浮世絵摺り体験もハガキサイズが
ひとつありました。駒屋という旅籠を再現したコーナーもありましたわ。
お二階には民俗資料館らしい家財道具の展示が並んでいましたわ。
そんな言葉をネットのどこかで見かけてから、仕事で外出すると街を歩く人々が気になるようになった。
当然、そんなことはない。そもそも平日休みの職種などいくらでもあるし、時間帯によっては学生だって楽しそうに街をうろついている。
でも、やっぱり目に飛び込むのは老人と外国人だ。
スーツや作業服に身を包んだ人々は皆どこか余裕がなさげに見える。
そう見えるだけなのはわかっている。ビジネスマンが疲れて見えるのも、ショップの女性店員の目が笑っていないように見えるのも、すべて自らの余裕のなさがそう見せているだけだ。
コンビニや居酒屋にはどこの国かもわからぬ外国人がたどたどしい日本語で接客をする一方、大きなキャリーバッグを引きながら何処かへ向かう外国人がいる。この差は何なのだろうか。
仕事に就いていることはまぎれもない幸福で、こうしてとりとめのない意見がインターネットに書き散らかせることもやっぱり幸福なことなのだろう。自分が無い物ねだりをしているだけなのはわかっている。
しかし、それでもやっぱり俺は、電車で楽しそうに談笑する外国人や、集団で観光地に向かう老人たちを見かけると、今の自分には到底手に入らないであろう幸福というものを感じるのだ。