はてなキーワード: 一言とは
こういう記事に騙される被害者が出ないように俺が一言書いてやる。
証明のしようがないが俺はプログラマとして働いていて年収1200万、一応相応の技術も持っているつもりである。今は2社に所属しているのと自作プロダクトと投資で収入を構成しており、少なくとも1つの企業にしか所属したことのないような人、というわけではない。
いきなりだが、金のためにプログラマに転職するのはおすすめしない。正直に言えばプログラマは金回りが良い。努力の度合いと収入の割合で言えばかなりコスパが良い方だろう。あくまで主観ではあるが、コスパの観点で見た場合プログラマは医者や弁護士よりも上回ると思っている。
だがそれでもだ!金のためにプログラマになるのはやめろ!
というのも、「金のためにプログラマに転職」するやつが真っ当な職場と給料を得られるのは困難だからである。世の中には「気づいたらコンピュータに慣れ親しんでいた」「パソコンの内部を知ると楽しいし、調べることは全く苦ではない」というやつがたくさんいて、そういうタイプじゃない限りプログラマはおすすめしない。経歴詐称アンドIT企業を自称するブラック人材派遣業コースに陥る可能性が高く、収入も幸福も得られないだろう。
コンピュータに興味があるお前!仲間だな!でもプログラミングスクールには 絶対に 入るな!いいか、絶対だぞ!
はっきり言う。まともな技術力を有している企業、つまりプログラマがそれなりに稼いでいる企業では、「プログラミングスクール出身」というだけで採用は見送る。これはガチだ!ガチ中のガチだ!
なぜかって?理由はいくつかあるが、まず大前提として「プログラミングスクール出身者は役に立たない」からである。また、「プログラミングスクール出身者は役に立たない」という意見はネット上にいくらでもあるのに、プログラミングスクールに入学する時点で情報リテラシーに問題があると言わざるを得ない。「でも中にはすごい人もいる」と反論するかも知れないが、これは確率の問題だ。いいか、まともなエンジニアになりたいならプログラミングスクールに入ってはいけない。これは俺個人の意見ではなく、IT企業の総意と受け取ってもらって構わない。
プログラミングのいいところはパソコン1つあればできるところである。
全部独学しろとはもちろん言わない。でも入門本を買って読み耽るくらいのことはできるはずだ!まずはそこをクリアしろ!
プログラミングに詳しくない人がこの業界に来たら、本の値段が高いことに少々びっくりするかも知れない。基本的には2000円以上するし、5000円やそれ以上もザラにある。ちょっと高いかも知れないが、ここで戸惑ってはダメだ! なぜなら情報は値段が高いのだ!! 情報は値段が高い、形が無いのに驚くほど高いものもある。いいか、それでも本は激安だ。クッソほどコスパが良いからここでケチってはいけない!
入門本を最初から最後まで全部読めとは言わないが、まず本を買って雰囲気を学ぼう!ライバルがプログラミングスクールをどこにしようか選んでいるうちにお前はプログラミングそのものを学べ!!!
プログラミングスクールに入らず入門本を読めと言ってもゴールが無いとモチベーションが湧きにくいかも知れない。ここでモチベーションがわかないやつがプログラマとしてやっていけるのか疑問という思いもあるが、一旦それは置いておこう。ゴールが欲しいなら、ITパスポートを一旦ゴールと置いてもいいが、この資格のパワーは期待してはいけない!
ネタではなくマジなことを言う。ITパスポートの資格パワーで採用されるかどうかが変わる企業なんてのは技術力がゴミ企業しかないのだ!!!まともな企業では誰でも取れるITパスポートなんぞには全く興味無いのだ!むしろ嘲笑されることもあるくらいだ!いいか、その程度のものなんだぞ!!
では取ったほうが良い資格はあるか?というと、無い。未経験者や初心者の資格の有無なんてまず気にしない。稚拙でも自分で作ったWebサービス1つあった方が何倍もいいぞ!!パクリでもいい、デザインなんて適当でいい、それでも自分で Web サイト作ったほうが何倍もいいぞ!!!
補足だが、効力ある資格というのは世の中にはもちろんある。CCNAとかな。でもこれは未経験者が取れる代物じゃないから全くの対象外だ。
これもIT業界に限った話ではないが、やりたいことのイメージが無いと迷走することになるぞ!
Webサービス作りたいとか、スマホアプリ作りたいとか、漠然としたイメージがあるだろう。それをもっと探求して、何をやりたいのか考えろ!じゃないとそこにたどり着くまでの道が見つからないぞ!!!
プログラミングを活かせる場所はいくつもあるのですべてを網羅することなど不可能だが、Webサービス、ゲームなどのスマホアプリ、3DCG、ネットワーク、データ分析、金融、医療、ロボット、軍事、など多岐にわたる。3年後や5年後、どういうことをやっていたいか?ということを自分の胸に問いかけろ!!
最短ルートを言う。Twitter でまともなエンジニアに声をかけてマンツーマンで教えてもらえ!
中堅エンジニアでも月15万ほども払えばマンツーマンで教えてもらえるだろう。若手なら月10万でもやってくれる人もいると思う。これで週2〜3、1〜2時間程度のオンラインでやり取りで換算だ。
より技術力のある上級エンジニアなら月20万で受けてくれるかどうかって感じだ。プログラミングスクールと値段変わらないとかむしろ高いじゃんとか思うかも知れないが、プログラミングスクールの100倍意味のある指導を受けられるぞ!!!それに短期間で身につくことも換算すれば割高ではない。
これが一番効率がいい。マジだぞ!現場で働いてるやつに直接指導してもらおう。ちなみにIT界隈は副業に寛容だからその点は問題ない。
そして自分が作りたかったものを、小さなものでもなんでもいい、本当に小さなものでいい、一個作って公開しろ!!!!
産みの苦しみを経験してものづくりしたやつはすごいんだ!!ITパスポートの100倍は効力あるし、プログラミングスクールの5000兆倍すごいぞ!!!それをIT企業に持ってって、作るモチベーションとか作ったときの苦労を言うんだ!あと改善したい場所とかもな!!そうすれば採用だ!!!
技術力と年収は必ずしも一致するものではない、という前提をまず理解しよう!
年収400万未満: 全然勉強とかしてないんだね。ブラック企業?
年収500万程度: 若手ならまぁ悪くないね。中堅で500万?転職しないの?
年収600万程度: いいんじゃない。必要に応じて技術書を読む程度。まともな企業の最低限ライン。
年収700万程度: コンピュータが好きで勉強してたらこのくらい。よくあるゾーン。
年収800万程度: 狭くても特定の領域で何か秀でた技術がある人。理解度が高い。
年収1100万以上: 人並みよりある程度優れた技術力に加え、ちゃんとアピールもできる人
厳しい部分もあるし良い部分もある。楽して大金ゲットはできない!
SNSのお陰でマスメディアが今までいかに酷かったかが白日の下に晒されるようになりました。
民主主義社会を一言で言うと、あなたが時の権力者に向かって何を言っても、それであなたが突然行方不明になったり、あなたの命が危険にさらせることがない社会のことです。
大手特有の「コメントを無視する」という行動は本当に理解できない。
「〇〇の××に鍵あるよ」とかいうコメントもとにかく無視して進む。
指示やめてほしいなら一言そういえばみんなやめるのに、無視し続けるから「教えてあげなきゃ!」ってなって親切心でどんどん指示が増える。
ある Vtuber を数年越しで推しているが、未だに理解できない部分がある。
他人の心理がわからないのは当然ではあるが、数年も配信をずっと追っていればある程度推し量ることも難しくないはず、そう思っていた。
具体的に言うと、彼女は自身の考えやスタンス・決まっていない予定なんかを話すことをやけに嫌っている様子なのだ。しかし、正直理由が全くわからない。本当に想像がつかない。
自分もファンなので推しの考えや予定が気になり、配信のコメントで何度か尋ねたこともあるのだが、びっくりするほどレスポンスが悪い。なんなら投げ銭コメントですらスルーされることもあるレベルである。
加えて、そういった質問を露骨に嫌がるでもなく、「そういうことを訊かれるのが苦手」と明言しているわけでもなく、殆どの場合ただにこやかにスルーされるばかりのため、こちらもどこまで踏み込んでいいのかわからず、何度か前述した内容を尋ねてしまっており、厄介者という印象を抱かれている気さえする。
まあ、厄介者だと思われてもしょうがないとは思うが、何はともあれ理由が知りたい。
なぜだ、なぜ人前で表現することが主題の配信者かつ Vtuber という立場であるにもかかわらず、なぜ自分の考えやスタンスを語らない。
前者について。
彼女は自己肯定感がやけに低いので、おそらく、考えや信条を語ることを自己主張と認識し、忌避している可能性が高いのでは。
V の界隈では、自身の考えを語ることを「お気持ち」と言って揶揄するクソみてぇなリスナーがいたりするので、そう捉えられることを嫌っている、というのも多少はあるかもしれない。
後者について。
彼女は、日時・内容・コラボの場合は参加者と情報解禁の同意、これら全てが確定した予定は淀みなく伝えてくれる(たまに普通に忘れたりするけど)。
しかし、この内のどれか一つでも未定のものがある場合は途端に口が重くなる。
だいたい毎日決まった時間にゲーム配信があるのだが、翌日ないし当日に配信があるかどうかすら告知しくてれないこともある。土日は特にあったりなかったりして読めないことが多い。
また、不定期の朝配信がだいたいゲリラで、配信開始のわずか数分前の告知後にすぐ始まったりすることもあるので、リアタイ勢の自分としては、いつ朝活が発生するのか全く読めず、本当に毎日気が抜けない。休日だからといって昼前までゆっくり寝ていたら朝活を見逃すからだ。
彼女は、翌朝の自分に配信する余裕があるかどうかすらわからない、ということだろうか? この心情に詳しい方がいたらぜひ教えてほしい。
あと、コラボの情報は推し本人ではなくだいたいコラボ相手が初出。しかも推しが主催であっても、である。なぜだ……。
もちろん、予定を不確定のまま配信する人気 Vtuber や配信者も多い。
このタイプの方々は思いついたら配信、ぐらい時間が不確定なので、まあ納得できる。めんどくさかったりもするのだろう、と予想もできる。
しかし、俺の推しは毎日だいたい決まった時間に配信しているのだ。
「内容決めてないけど明日も同じ時間に配信予定だから観に来てね」とか「明日は朝も余裕あるから10時ぐらいから今日の続きを配信するよ」とか、配信の最後にそういう次回予告したりツイートしたりしてくれるだけでいいのだが、なぜないのか。
ちなみに、サソリがモチーフのある人気 Vtuber はほぼ完璧な告知をしてくれる。
自分の考えやスタンスもしっかり言葉で表現してくれてとても好感が持てる。
彼女が人気である理由の一つは、そのリスナーフレンドリーな立ち回りであることがよくわかる。
正直に言うと、俺の推しもそういう風に立ち回ってほしい。
ただ、めんどうに思っているのなら、それはそれでいいのだ。
ストリーマーっぽく、毎日適当に配信したいんだ、と考えているのならそうでもいいと思う。
先月、母や姉妹が東京へ来て、観光やディズニーを家族で楽しんだ。
姉たちが来る前、私と共に舞台観劇をするために母一人で東京へ前日入りした。
1日母と過ごした時のモゾモゾの気持ちを書く。
母は「母親」という仕事をとてつもなく誠実にこなした人である。
借金、女、隠し子と問題ばかり起こす父と離婚した母は、女手一つで子供三人を育て上げた。
貧乏だったとは思うが、あまり貧乏を感じなかった。衣食住は足りていたし、母の献身は愛として十分伝わっていた。
どんなに仕事がきつくても、私の悩みを遅くまで聞いてくれたし抱きしめてくれた母。
子供を持つかどうか選択し始める年齢になって、「親」のサンプルが凄すぎるから人の親になるハードルが激高になっているぐらいである。
母は父の悪口を全く言わなかった。愛があったのではなく、「私たちの世界で一人だけの父」という事実を腐すようなことはしないという矜持がそうさせていたのだろう。
しかし、家に浮気相手が突撃していたらしいので、浮気が原因なのは姉から聞いて知っていた。
そんな父は私が上京する前に癌で死んだ。家族に囲まれたうらやましい最期だった。
死ぬ前からうっすらと知っていたクズエピソードは、死んでからとんでもないものがポンポン出てきて驚いた。隠し子はその一つである。
そう、母は末っ子の私が成人するあたりから私を「大人」と認めてそういった話をしてくれるようになったのである。
私はもう「子供」ではない。母も「母親」でなくなっていくのかもしれないとなんとなく感じていた。それが自立ってやつなんじゃないの?なんて。
東京で久しぶりに会う母は、相変わらずお茶目で、相変わらずよく笑った。また子供の頃は絶対に見せなかった、小さな偏見もポロリとこぼしていた。
腕を組み、やいのやいのと買い物するのもとても楽しかった。まるで友達みたいだった。
横で歩いている時はあまり気づかなかったが、照明のせいか潤んで見えた母の目は一言で言うなら「慈愛」に満ちていた。
大きくなった子供が、あれこれと劇の考察を述べ、仕事の愚痴などを話しているだけである。
いや、「大きくなった」からこその優しい目なのかもしれない。
あんなに集団生活に馴染めず不登校気味だった子供が、ブラック企業で心身共に壊れかけていた子供が、ようやく安定した仕事につき、恋人との旅行の話をしていることに安心したのかもしれない。
たしかに「よかったね」と母は何度も言った。
「子供」から「大人」になったつもりなのに、母の目はどこまでも「子供を愛する母親」だったからなんだか嬉しいやら恥ずかしいやらで、気持ちがモゾモゾした。
「愛されてる」という事実をこんなにも突きつけられると人って泣きたくなるんだなと思った。
って思いました
そうだよ
現時点では暇空茜が「自分は水原である」と名乗っているだけで水原は自分が暇空茜として活動しているとは一言も言っていない
唯一、懲戒請求を受けた中川弁護士だけが暇空茜の個人情報を持っているが、この情報を第三者に漏らしていいかどうかは法的に微妙
失敗した時に「気にしないで〜」って言いながら内心で死ねやカスが……ってブチ切れるの本当に無駄
本当は待ち合わせのたびに指定した場所に来ない(道わからないから)とか、自分が店予約したのに場所わからなくて迷うとか、まあただの方向音痴なんだが、そういうの本当はすごいイライラしてんのにそれで空気悪くなるの嫌で面倒くさいから「気にしないで」ってにこにこしてしまう
その方がその場のコミュニケーションのコストが低いからそうしてるんだけど、当然本当に気にしなくて改善されないしごめんごめん苦笑で済まされるから本当に出かけたくない。
普通に一人で行って欲しい、なぜならこっちは別に出かけたくないのに誘われてしぶしぶ出てきているから。本当はずっと家で引きこもって休んでいたいのに連れ出されてこの仕打ち、本当に休みがムダになって嫌
このクソ無駄な時間さっさと終わんねえかな?と思って爆速で飯食って即帰宅するようにしてるけど、最初から一言「道わからねえなら誘うなカス」(※言い方は変えるものとする)って言えば済む話なんだよな
言ってほしいのは「いつも道調べてくれてありがとう」(お前に任せてるとつかないからだろ!)じゃなくて、道分からないからタクシー頼むとか、下見しておくとかそっちなんだって
悪い報告は東リベ最終回を読んじまったってことだ
(上記から察することが出来ますが本エントリーは東京卍リベンジャーズに対しておおよそ肯定的とは言えないものです。ご了承下さい。)
あくまで私個人の意見だが、文句を言える作品は負の方向性であったとしてもそれだけ自分に響いたということなのである意味『受け取らせる力がある作品』だ、と私は思っている。
最新刊に追いつき、マガポケ単話購入で最新話に追い付き毎週読んでいた。
破竹の勢いで人が死ぬじゃん。
私は震えていた。
それでも彼等は彼等の成すべき事を成し遂げて、その積み重ねの果てにきっと彼等の信念や葛藤が報われる結末が見られる事を信じて読んでいた。
は?
それ以上でもそれ以下でもない。
視神経を通して脳に届いた東京卍リベンジャーズ最終回は、脳をそのまますり抜けていった。
文句さえ…出てこねぇ…。
あんなに魅力的だったストーリーもキャラクターも最終回ではスカスカのハリボテにしか見えない。
問題作でもなく、駄作でもなく、最終回を迎え幕を引いた東京卍リベンジャーズは私にとって『無』そのものになってしまった。
ロクな文句も出ないまま過ごしており、それ故にほぼ東京卍リベンジャーズという存在さえ忘れかけていた私はふと気がついた。
最初の頃、場地の親御さんはどれだけ嘆き悲しみ息子の様子を気にかけなかった自分を責めただろうと胸を痛めた。
ドラケンがこんな道を選ばず幸せに生きられるように養子に迎えてやれんか?とキモい庇護欲を湧かせていた。
要するに私は物語を楽しみつつも、彼等が未成年であることからどこか「保護者寄りの目線」で見ているところがあった。
キモいのは承知の上で私はみんなに幸せになって欲しかったし自分とは全く違う価値観で生きているみんなの幸せってどんなものだろうな、と悩んでいた。
ヤンチャして大人になって、物語としては旨味のない、数行のモノローグで説明できてしまうような人生を送って。
(勿論その全てに物語があるのは確かですが、東京卍リベンジャーズという作品が表現してきたものから逸れる内容ではあると思うのでこう表現しています)
私があの世界のみんなに望んでいた幸せをみんなは手に入れたんじゃないか?
伏線が回収されていなくても、武道とマイキーがやり直す前の世界であったことが無かったことになったとしても、私がみんなに望んでいたものをみんなは手に入れて、それを私は見届けることが出来たのに。
それを「無味乾燥」と一蹴してしまうって、なんか私って凄い無責任で冷たいやつじゃないか?
私は彼等を更生させる何かしらの人でもないしただ傍観しているだけの消費者なのだから、作品に対してどんな感想を持ったってそれは余程社会性を欠いていない限りは自由だ。
言ってしまえば「たかだか娯楽にそこまで真剣に向き合う必要無くない?」という話である。
でもさあ…素直に「みんなお疲れ様!おめでとう!先生もここまで描ききってくれてありがとう!この作品に出会えて良かった!」って言えないのほんと悲しいんだよ…自分が言ったことの責任も取らず、向き合う気にさえなれないのがめっちゃキツいんだよ…
これは別に特定の政党を支持してるってわけではなくて、そうしないといわゆる「市民の権利」をゴリゴリに使って開示請求を連打して現場を疲弊させる技を呼吸のように使ってくるのでそのお守りとして仕方なく購読している。
生活保護を受給に行くときは共産党の人を連れて行くと通りやすいというのも同じである。
地方公務員は基本的に某政党の「リーガルハラスメント(合法だが嫌がらせ自体を目的とした開示請求)」に疲弊し、怯え、言いなりになっている。
某政党はオンブズマンも使って寄ってたかって気に食わない挙動をした公務員を虐めるぞと常に脅している。そういえば利益相反だとかでオンブズマンが暇空の依頼を断ったという話があったね?
だから東京都がcolaboの提出した報告書で大項目間の勘定の付替えを黙認していたというのは、おそらく間違いではない。
別に東京都がcolaboの活動を礼賛していたからではなく、黙認しないとセクハラだパワハラだと騒がれ、某政党から無限に開示請求なりを飛ばすぞと脅されて渋々従うことはありうるだろう。
仁藤氏の過去のツイートにも、行政が気を利かせてくれないのはセクハラであるといった趣旨の物が散見されるので自然な流れである。
某弁護士が暇空氏のやっている事を「リーガルハラスメント」と呼んだのは、某組織の手の内を晒しているようなもので「開示請求などを使って行政に嫌がらせするのは俺達の専売特許なので他の人が使うのは許せん」という文脈がある前提で聞くとすんなりと理解できる、もちろん賛成はできないが。
今の所、colabo弁護団は暇空氏に訴訟で勝つことを目的として動いているようだが、その説明の為に出している資料で都とのナアナアな関係が徐々に明かされ、結果としてcolaboが法的にセーフだとしても都の担当部署は大目玉だし来年度も同じように補助金や委託金が通るとは思えない。
どんなに楽観的に見ても会計を見る目は厳しくせざるを得ない。
今後とも同様に公金と寄付金を貰いながら貯金を積み立てたいcolaboとしては自身の潔白に加えて都の行政も庇いきらないと行けない中で暇空氏にも訴訟で勝つつもりでいるので勝利条件の完全達成は厳しくなっていく。
colabo側としてはできれば貸借対照表は開示したくなかったのだろう。
寄付をする側としては自分の寄付金は若年女性を支える為に使って欲しいのであって何年も積立金として銀行残高の数字の一部として利益すら産まず死蔵されて欲しくはない。
もっと別の寄付金でそのまま事業を回している同様のところに寄付したくなるのが人情である、若草プロジェクトとか。
契約どおりに公告して同様の事をやっている社団法人の中でも特に浮いた存在であることに注目が集まったのはcolaboとしては嬉しくないの一言に尽きる。
山本一郎氏がcolaboの事を「貯金箱」と評していたのはかなり意地悪で、少しでもわかる人からしたら「寄付金が非課税になることを活かして別の法人からお金を移し替えることで税金逃れをしている」という可能性を示唆しているし
実際に仁籐氏はtwitterで繰り返し「赤字だ」「食料をください」「お金がありません」「衣類がありません」という趣旨の事を言っていたが、それが真実であるとするとcolaboの会計上存在しているとされる積立金は実は「colaboの一存では使えない金」もしくは「既に別の目的で使い切っていて存在しない金」のどちらかではないかという想像も働く。
これは私が仁籐氏の事を、飢えている女の子と自分の意志で切り崩せる3億の積立金の2つを目の前にして、積立金を優先するような人間ではないだろうと信用しているからでもある。
だからcolaboの事を貯金箱扱いしている別の黒幕がいて、それの許可が無いと寄付金に手を付ける事ができない組織だと仮定すると、仁籐氏が最近は現金ではなく現物を募集していたのも辻褄があう。寄付金はロックされちゃうから助成金と委託費と現物に頼る必要があるのね、と。
山本一郎氏はそこまで想像した上で、まだ断言できる材料が無いので匂わせるに留めたけど、わかってる人はみんなわかってニヤニヤしていた。
今回のW杯で日本含むアジア勢のジャイアントキリングが続いている事実について自分の気持ちの整理も含めて書き出してみる。ただのお気持ち表明だ。
最初に断っておくと、自分のスタンスとして田嶋会長のやってきたことや言動行動(仲良し人事と保身的な行動)には何の共感も持ててないし森保監督のサッカーには何の魅力も感じていなかった。なのだが結果が出てしまったので気持ちの在り方に困ってしまっている。ドイツ戦スペイン戦はムチャクチャ興奮した自分がいて本当に整理が付かない。
さて、森保監督がなぜ批判に晒されたのかと言えば当時から聞こえていたキーワードは「戦術レス」である。実際には戦術レスではなく「ビルドアップを仕込めない」と限定した形での批判が適切だったと思うし、後出しジャンケンになってしまうが自分は戦術レスとビルドアップを仕込めないの両方をグチャッと丸めて批判していた。
サッカーを戦術視点で楽しむ人にとって「モダンサッカー」は避けられないキーワードだしモダンサッカーには「ビルドアップ」と「ビルドアップ対策」というキーワードが欠かせない。ここに落とし穴があるなんてずっと意識していたのに、アジア予選において目の前で繰り広げられる(自分にとっての)酷いサッカーを感情が追い越していった。
ドン引き縦ポンも立派な戦術な訳だが、戦術とかモダンサッカーというキーワードで語る時にそこを見落としがちになるのが戦術クラスタのダニング=クルーガーである。完全に理解した。
そんな中で守田中の433は非常に楽しめたし結果も出たのだが、ここで嘘でもいいから「森保オリジナル」ということで貫き通して欲しかったのにSNSなんかから「選手が決めた」みたいな声が聞こえてしまうというかそういう声を拾いに行ってしまった。エコーチェンバーダメ!ゼッタイ!
さて、今回のW杯になる。相変わらず日本はビルドアップができないのは明らかなのだが、計画的に行動した結果なのかサイコロ振った結果なのかは当事者しか知り得ない。結果が出てしまったのでポジティブなコメントを出せる状況が整ってしまった。
「意図した結果かギャンブルの結果か」というのが判断できないほどの手段で勝利してしまったので困惑したし、望んでいた興奮はサウジ×アルゼンチンのような明確な意図を持った戦術と結果のそれだし、いわゆるSNSを主戦場とする戦術クラスタと呼ばれる人達が観たいのはサウジのような形の勝利であることは間違いないと思う。それが無かったので困惑した。結果が出てしまったのでSNSなんかで後付けっぽく後出しジャンケン的に、あれほど批判していた過去をポジティブに結び付ける流れになっている現状に気持ちの整理が付かなくなった。
そしてスペイン戦、またしても「意図した結果かギャンブルの結果か」を判断しにくい試合展開になるのだが、再度同じ流れどころか交代策や守備固めなどがドイツ戦よりも洗練された形で勝利してしまう。こうなるともう計画どおりの結果と判断せざるを得ないのだが、それならばなぜコスタリカ戦ということになる。
などなど頭の中が嬉しい感情と自分が完全否定されたような感情がグルグル回ってしまう訳だが、ドイツもスペインも同格(彼ら以上の格上は実質存在しない)には凄い試合をするけど格下には負けるということは起きてしまうし、それが日本以外にも多く起きているのが今回のワールドカップなんじゃないかなと思う。これはワールドカップだけじゃなくてJリーグでも起きるし少年サッカーをはじめとする育成年代の現場でも起きている。だからサッカーは面白いのだ、なんてことはずっと解っていたことなのに、それを改めて認識させてくれた出来事だったと捉えておく。ただ、それを実現した監督と協会に個人的に良い感情を持っていなかったというだけの話である。
こんなふうに気持ちを整理して、個人的にはここまでスカウティングの材料を相手に曝け出してなお同じやり方で行くのかどうかという視点で決勝トーナメントを存分に楽しまないともったいないなという現状。たぶん現状以上の隠し球はないと思う。というかドイツ戦のあればヤケクソだったとしか思えないしスペイン戦でもやってみるか!という流れだったんじゃないかと思う。結果上手く行った。自分はギャンブルもソシャゲも一切やらないのだが、それ界隈ではこの状況を一言で表す表現があったりするんじゃないだろうか。
ただひとつ、森保監督がビルドアップを仕込めないのはどうしようもない事実なので、次期監督は森保監督でも構わないのだが、国外国内からビルドアップを仕込める優秀な人材を補佐として確保してキッチリ仕込んで、更にそれをベースに教科書を作って育成年代からインストール可能な状況を作ってほしい。一般に見えてないだけで実際の育成現場には相当するものがあったりなかったりするのだが、JFAにはもっとうまいことやって欲しいと思っていたりする。基礎が大事という言葉の意味をもっと考え抜いて欲しい。
あと、メディアとかもっと上手く使えるんじゃないだろうかとかはやっぱり考えるし、本気でサッカーを盛り上げたいならやることは仲良し人事じゃないだろう。実際にスターシステムとか全く関係ない結果になっている訳だし。こうなるなら4年間掛けてドーハの悲劇とドーハの歓喜を継続的にアピールしておけよみたいな。アジア予選DAZN独占に対して田嶋会長の取った行動は絶対に忘れないぞ。
やっぱり長くなったけど、最後の最後で森保ジャパンのサッカーがどういうものかを理解できたような気がするので決勝トーナメントは存分に楽しもうと思う。勝てば嬉しいし負ければ悔しい。もうそれだけでいい。完全に理解した。
中途半端なサッカー知識のせいで一生に一回訪れるかどうかわからない素晴らしい出来事を楽しめないのは勿体無いわ。
クロアチアに勝って欲しい。
なんか鼻の穴から副鼻腔?っていう穴がたくさん伸びてるらしい。
不思議だね。
空気入れたら飛んでいきそう。
~~~~~~~~~~(切り取り線)~~~~~~~~~~~~~
🍑←桃さん、おいしいね。安くなってほしいよ
(おしまい)
俺の場合
・使い切れない有給は最終月で全部使うけど、いい?と確認をした
・さすがに一ヶ月まるまる来ないのは憚られるので、事前に5割ぐらいは消化した
・引っ越しを伴う転職なので、最終月は引っ越しで休みますからね?と事前に周囲に言ってある
ここまでやったのだが、同僚は気に入らなかったようで
事もあろうに「月末は予定があるから休みを変えろ!!」と言ってきた。マジで何言ってんだろうと思った
そもそも月末は既に引っ越していて、現職は車通勤が必須だが、その車も処分するので出られないよ。と懇切丁寧に説明をした
そして同僚、何が気に入らなかったのか
俺が話しかけても無視するか、「はい」の一言しか返事をしてもらえず仕事もこっちに回さない幼稚な行動に出る
上司に至っては「11月に辞められると困るから12月に伸ばしてほしい」とか言ってたクセに、人が入社日を無理言って伸ばしてもらったのに
11月末時点で「もうここ(本業)はいいから、あっち行ってて」とお払い箱にしてきた
人が円満に退職しようって行動してきたのに、向こうからケンカを吹っ掛けられてきて
この会社、クソだな。って心底痛感した
黒鉄の魚影(サブマリン)ティザー発表で、さっそく界隈の治安が悪化しておりますね。
長い作品なので設定が変わったり追加されたりして、ややこしいことになってるのが、より一層治安悪化に拍車をかけているような気がします。
そこで、メモを兼ねて、灰原哀ちゃんの設定についてまとめておこうと思います。
作中では「V・I・ウォーショースキーから」と博士と哀ちゃんで決定した設定。
黒幕、灰原哀のヒミツ… 『名探偵コナン』青山剛昌、佐藤健につられて衝撃ネタバレ!
https://ddnavi.com/news/190845/a/
コナン作中では「ホームズが認めた唯一の女性」「あのホームズを出し抜いたっていう」という言及で、上の対談でも「ホームズを負かした」。
しかし「唯一愛した女性」というカプ解釈をする派もおり、人気キャラで後世のパスティーシュ作品(二次創作)にロマンスが描かれまくっている。
ベイカー脚本担当の作家さんも同様だったのか、ベイカーではああ言われたと思われる。
コナン作中ではアイリーンの解釈違いで事件まで起きているのでデリケートな問題なのです。
ややこしいのでWikipedia読んでください。
現時点では✖。
最後に出し抜いたりする展開が来ればそう言われるかも?
とりあえずキャラ命名がアイリーン由来というだけで、コナンにとってアイリーン的存在とは、アニメ原作双方で一言も言われていない。
アニメキャストがそんな風に発言しているのでややこしいが、アニメ原作両方で言われていない。
むしろ、作者が「新一のワトソンは蘭ちゃんです、いつもそばにいるし、ホームズってワトソンのことしか考えてないんで」とTV番組にて発言。
劇場版「紺碧の棺」にてコナンが「助手じゃなくて相棒かな」と発言。
以降哀ちゃんキャラ紹介に「相棒的存在」と書かれることがあるようになった。
これは山本監督(当時)によるもので、先生に怒られるかなと思ったが、修正がなかったので(通った)というもの(出展:哀ちゃんシクアカ)
なお原作では一切言われたこともなく、哀ちゃんが自称したこともない。
キャラクターでも千葉刑事の後輩設定でもなんでも逆輸入する先生が、原作に逆輸入しない設定。
そのためか、近年はキャラクター紹介でも「相棒的存在」とは書かれないようになってきた傾向にある。
原作では「探偵事務所の彼女」「あの子」「彼女」と名前を呼んだことはない。
これまでのアニメで名前を呼ぶときは「蘭さん」(業火の向日葵)だった。
要するに「蘭ねぇちゃん」は脚本と監督によるキャラブレである。
登場当初は苦手意識が強く〇だが、現時点でアニメ、原作共に✖。
だが緋色の弾丸の嫌味「蘭ねぇちゃん」、海老蔵で小馬鹿にして「うっそ~」のように、
アニメで古い哀ちゃん像で対抗意識的なものを出してくることがある。
★哀ちゃんは「運命共同体」「この世でたった一人、コナンが同じ境遇を分かち合える相手」→✖
現時点で✖。
昔「アニメキャラクター紹介」でよく使われたが、近年は書かれない。
現時点での運命共同体は赤井(と日本にいるFBI)になりつつあるし、幼児化境遇で言えばメアリーが出てきてしまったため。
★哀ちゃんのハッキングやプログラムのすごいパソコンサポート→▲
アニメのみ。
古い資料などではハーフのままだが、設定変更がなされ、クォーターに(母がハーフ)。
「私が作った薬だもの」と18巻で発言しているが、復元者。復元した薬の開発者ではある。
両親が組織に命じられ作らされた薬だったが、事故死したため途絶。
成長した哀ちゃんが残った資料を元に復元、引き継ぎ研究をさせられていた。
生まれてから会ったことはなく、把握もしていないと思われるが、
伯母、従兄妹がいることが判明。
また従兄妹のうち1人は面識がある(血縁があるとはお互い知らない状態)。
先にアニメでカロリー制限をしている描写が出て、原作でも食事の管理をしている描写が出るようになった。
フサエブランドを好む。
ただしフサエブランドは高級から蘭でも買えるハンカチまである幅広いブランド。
思いつくところだとこんな感じかな
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/MHLWitter/status/1598225388685041665
これひどすぎるだろ。
マスクを付けること自体特異的なんだから、酸欠予防のためにも屋外でマスクは絶対に外したほうがいい。
これだけのことに「たぶん、全国旅行業協会会長で観光業界と仲良しズブズブの、二階氏あたりがアピールしろとうるさいんだろうね。」とか言ってる人は反ワク以上に妄想が酷いので、精神病院に行くことをおすすめしたい。
客観的に見てどれだけおかしなこと言ってるのか分からないのかよ、この引きこもりが。
そりゃ引きこもり達はマスク着用進めるよな、だって外でないんだもんww
屋外でもずっとマスクつけてろってか?窒息するわ。そんなこと言ってない?だったらなんでそんなムキってるんですか?
そして、屋外でマスク着用せんでいいって言ってるだけで「するな」とは一言も言ってない。
自分たちの顔にコンプがあるからと言って、少しでも「マスク不要」って言葉があるだけで過剰反応するとか、マジで異常だろ。
ろくに外に出てないようなおじさんたちが、「学生は黙食しろぉぉぉぉぉマスクは屋外でも外すなァァァ」とかずっと言ってること。
クラスメイトの顔も最後まで見れず、楽しく食事ができない学生の気持ちを、この人達は何もわからないんだろうな。
青春は一度きり。あなた達のような老人の何も変わらないような毎日とは全く違うんだよ。
それを認めない!なんて言ってるわけじゃない。
インフルがー!!とか言ってるけど、厚生労働省でもなんでもきちんと「マスクを外そう」と言わないと、本当に何も変わらないもん。
黙って食べるのがマナー?うるせぇよ。お前らがそんなの言い出したの最近だろ。
戸塚ヨットスクールの人が「楽しく食べるのは近代かぶれだ、食事は黙って食べるもの」とか言ってたら猛反発してた癖に。
マスク着用による思考力低下は多くの人が実感してるし、自分はマスクによる肌荒れがとてもひどい。
こんなこと言うと、「そういう場合は別だァァァ」とか返されるんだろうな。
馬鹿。マスク強制の同調圧力がひどいんだよ、都合が悪くなったら無視するからお前らは最低なんだ。
いっつも「同調圧力は最低だァァァ」とか言ってるくせに。
417 名前:名無したん(;´Д`)ハァハァ[sage] 投稿日:2016/04/21(木) 22:45:43.71 ID:lkT7fMLi
>>404 >>406 デタラメを言うな
「そんなオカルトありえません」というセリフに象徴されるように、
超能力を使うバケモノと凡人の意地が衝突するのが最大の醍醐味で、
和、透華、池田、かじゅ先輩など初期メンバーの闘牌は麻雀好きの間でも評価が高い
イカサマだらけの麻雀漫画と比べて能力漫画の咲を「麻雀じゃない」とか言って
馬鹿にする奴がよくいるが、イカサマも超能力も表現技法上は大差ない
「平で打つ(普通に戦う)」前提のなかでルール違反の応酬があるから面白さが生まれるんだ
バイキンマンが変装してアンパンマンの前に現れて、観てる幼児が指摘して喜ぶのと一緒で、
作者と読者の間で「秘密の共有」をするのは話作りの基本だからな
だから、超能力を公然と使うか、こっそり使うかの差はめちゃくちゃ大きいわけ
そもそもメインディッシュは闘牌であり、変化球、スパイスとしてイカサマなり超能力があるはずなんだよ
それが、だんだん手牌も捨て牌もろくに見せなくなり「ロン!48000!」とか叫びまくるだけの
萌え萌えバトル漫画に堕ちていった咲を「劣化」と言わずしてなんというんだ?
アカギやむこうぶち等と比べても見劣りせず麻雀漫画界に燦然と輝いていたのが初期の咲なんだよ
70符2翻を狙うとか引き分け狙いとか理屈っぽすぎて逆に心配になるくらいで、
言い負かそうという意図はあったのかもしれない。
ただただ戦いの土俵に乗せてきたのは「予報官と気象予報士の区別ついてる?」と(挑発的な)問いをしてきた方だと思えるんだよなどうしても。
予報官と予報士は区別すべきという人の頭の中では予報官だけが天気の予想をすることになっている。
なるほど全くその世界を知らない人間の「予報士が予報をするんだ」という認識よりは事実に近いかもしれない。
しかしより厳密にはやはり法令としても予報士のみが現象の予想ができることになっているのだから、「予報官が予想をする」という括り方は不正確で、「予報官かどうかに関わらず予報士が予想をする」という認識が正しい。
予報官が予想をすると認識せざるを得ないような現実が確かにあるのかもしれないが、それは法令が形骸化してるだけの話だ。
とにかく俺に問いかけをしてきた人は俺の認識が不正確という前提でその問いかけをしてきているはずだが、むしろ認識が不正確のは相手方であって問いの前提が崩れている。
いまでもなんでAIの話と無関係なあんな問いをしてきたんだろうと思うよ。そもそも相手は俺が「予報士が予報をする」と勘違いしていると言ってるが、そもそもなぜ俺が「予報士が予報をする」と思っていると「勘違い」したのか分からない。それまでの流れで予報士が予報をすると俺は一言も言ってなかったのに…。
自分が女だということを自分で否定しなくていいんだ! と、ある日の仕事中に思いついて、雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。まあ、心の中でだけ……。その時私は90代くらいの女性を接客中だったのだが、無意識に子供時代のようにくねくねナヨナヨした女々しい喋り方で話していたのだ。もちろんちゃんと敬語だったけど。こういう、男だったらオネェと呼ばれ、若い女だったら「あざとい」や「ぶりっ子」と呼ばれ蔑まれて攻撃されるような喋り方で、おばさんが喋るのは何ら問題ない……問題はないのだ……!
幼稚園時代までは、誰に教わったわけでもないのに非常に女々しい言葉遣いで喋る子だった。それは、「〜だわ」「〜よ」とかいうやつじゃなくて、ほんと例えるならオネェキャラの人みたいな、何を喋ってもクネクネしてる感じのあの喋り方だった。
だが、小学校の中学年以降になると、同世代は男子も女子も黄金時代のジャンプに影響されまくって育った世代だったので、みんな極めて口が悪かった。いとも容易く「死ね」「殺すぞ」と言い放つような。しかもバリバリに活躍する女性が形だけでも持て囃されたからだろうか、逆にぶりっ子というのは死ぬほど嫌われたものだ。同性からも、異性からも。そんな時代だったので、自分の身につけた喋り方で通すのは、肩身が狭すぎて無理だった。しかし、女子ですら一人称にわざと「おれ」を使うような中で、一緒になってオラオラした喋り方でイキリ散らすのは、自分には合っていないのに何だか強くなったような気がしてちょっと快感だったのも本当だ。
それから十年くらいして社会に出た。五歳くらい年上の女性上司は一人称に彼女自身の名字を使っていた。それが当時の意識高い系の人達の間での流行りだったのだ。それに加えて、語尾は「〜ッス」とか。オッス、ウッスと野球部か柔道部の男子みたいな話し方を若手の女子社員もする。そんな様子にもしかしたら上の世代の上司や先輩たちは眉を顰めていたかもしれないが、だからといって女子達は負けなかったというか、そもそも怖いものなしだった。
まだ入社して間もないある時、会社の食堂で休んでいたら他部署に配属された同期の女子社員の大声がホールに響いた。
「ふっざけんじゃねーよ、テメェ!」
怒りの一言ではない。あくまでもじゃれ合い、猫パンチのようなものだとわかる声色だった。その同期は同じ部署の同期男子二人と会話中だったのだ。それには、歴の長いパートのおじさんとおばさん達がヒソヒソした。だが、その時の私は、年配の人が差別的なのは仕方ないと思った。思いつつ、内心、すごくフェミニンな服装を好む同期が言葉遣いでは今どき男子でもしないような粗暴さなのが気になっていた。でも、私だって同じような言葉遣いをしていた。就職難の時代に運良く職にありつけたのはいいものの、職場は食うか食われるかの修羅場だった。そんな環境で生き残る為に男よりも男らしく粗暴にワイルドに振る舞ってうざいオッサンお兄さん上司や先輩達と戦いながら働くのは当然の権利とまで思っていた。
……けど、そうやって肩肘張って生きる事にいつの間にか疲れていた。子供時代のようにクネクネナヨナヨした女々しいだけの自分に戻りたい。いつの間にか、そんな風に思っていたのかもしれない。
おばさんとなった今の私には誰も強さを求めていない。誰も私を強いとも偉いとも賢いとも思っていない。おばさんっていうのは、非力で愚昧でどうしようもない、ウルセェだけの取るに足らないヤツだと素で思われてる。そんな私が女々しい言葉遣いをしようが誰も何も思っていない。なんなら、接客する時は人当たりが良いのがプラスになるというか、しょーもないヤツなんだからせめて人当たりくらい良くあれみたいな感じで、昔理想としたのとはかけ離れたしかただけど、なんか肯定されてる気がする。
目黒蓮、いまドラマや映画に引っ張りだこのアイドル。ジャニーズ事務所、Snow Manのメンバー。身長185センチの25歳。
話題のドラマ「silent」に出演していて、ご多分に漏れず私も見ている。
作品自体、本当によく出来ていて、脚本演出ともに素晴らしいこと限りなしだが、それは今回は置いといて、目黒蓮がまじですごい。
本題に入る前に、まず、目黒蓮が「めぐ」だった時代を振り返りたい。
そんなん知っとるわい、と思った同志は読み飛ばしてくれたまえ。(でも、もし読んでくれて、間違っとるぞと思ったら優しく指摘してくださいまし)
目黒蓮がオタクから「めぐ」と呼ばれていたとき、私は目黒蓮のことをよく知らなかった。なぜなら「ザ少年倶楽部」に出ない方のジャニーズJr.だったからだ。
「ザ少年倶楽部」という、ほんのり犯罪の香りを伴う響きにドン引きした人へ向けて、簡単に説明させていただくと、これはNHKのBSで長らく放送されている、ジャニーズJr.がわんさかでてきて歌ったり踊ったり喋ったりする番組だ。通称、少クラ。
この世のJr.オタクは、ほとんど全員見ているといっても過言ではない。この番組さえ見ていれば、その時期のジャニーズJr.の情勢がわかる。事実、私はコンサートや舞台に足繁く通うような熱心なオタクではないが、少クラを見ているおかげで大体のジャニーズJr.の話題についていくことができる。
逆に、少クラを見てないオタクは、BSが映らないなど物理的に見ることができないケースが多い。
そうでなければ、「少クラに出ない方のJr.」を応援している可能性が高い。
「少クラに出ない方のJr.」と一言でいっても、ただ単に人気がない、という話でもない。この辺りのことを説明すると長くなるので端折るが、オタク内での知名度は高いが少クラには出ない、というJr.もいる。
例えば「何かのコンサートや舞台を観に行くと、ステージの端っこの方によくいる、名前はしょっちゅう見るけど詳しくは知らない、でかくてあまり事務所から推されてないJr.」というのが、いつの時代にも存在する。
目黒蓮は、まさにそういうJr.だったと思う。その頃、目黒蓮は「めぐ」と呼ばれていた、と思う。
目黒蓮のことを初めてしっかり認識したのは「宇宙Six」というユニットが結成されたときだ、というオタクも多いだろう。少なくとも私はそうだった、同志たちよ。
このユニットの成り立ちや行く末を説明するとこれも長くなるので端折るが、ゆるくJr.をウォッチングしていた私は「おお、目黒蓮ってこういう顔してたのか」と思ったのを覚えている。
しかし「宇宙Six」は少クラに出ない方のJr.なので、Jr.ファンであっても、コンサートや舞台へ行かないと目にする機会は少なかったと思う。
ともあれその頃もまだ、目黒蓮は「めぐ」だったような気がする。
「めめ」と呼ばれるのを頻繁に聞くようになったのがいつごろだったのか、具体的にはよく覚えていないのだが、気がついたときには「めめ」というワードを見聞きすることが増えた(今調べたら、某Jr.が名付け親だという情報を得た。知らなかった)。
しかし、なんとなく、ゆるJr.ウォッチャーの私の実感としては、2019年1月に彼がラウール&向井康二と共にSnow Manに加入した折、「えっ、めめが!?」よりも「えっ、目黒が!?」という反応の方が多かったような気がする。
私から見えるところにいるオタクたちがただ単に「めめ」呼びしてなかっただけなのかもだが…、ただ確かに言えるのは、ライトなジャニーズファンの知り合いからは「目黒蓮って誰!? 宇宙なんとかにいる子でしょ? なんでそんな子が?」的な話題を振られることが多かった…いや、というよりもむしろ「ラウールってマジで誰!?」「ジーコ(康二のあだ名)、関西で頑張ってたのにかわいそう!」「今までSnow Manは6人でやってきたのに急にメンバーが追加されるなんて、かわいそう!」「事務所さすがにひどい!」みたいなムードだったと記憶している。
つまり、ぶっちゃけ目黒どころの騒ぎではなかった。※おそらく目黒のSnow Man加入で一番ざわついていたのは宇宙Sixのファンだったはずだ。
話は逸れるが、いまやトレンド最前線を駆け抜け、ジュエリーブランドのアンバサダーさえ務めるSnow Manだが、目黒蓮およびラウール、向井康二が加入する前の、6人時代は、そこそこ地味な活動を長く続けていたと思う。
個人的な話になるが、私には姉がおり、彼女は典型的な同担拒否(初めて聞いた人はググってください)、そして担当が売れてくると担降り(これもググってくれ)するような、ややめんどくさいオタクだ。そんな、息をするように応援しては下りるをここ15年ほど繰り返してきた彼女が、唯一タレントが売れないうちに担降りしたのがSnow Manだった。当時を知るオタクは、この説明でなんとなく「あー笑」と思ってくれるはずだ。ぜひこのニュアンスが伝わってほしい…。
真面目に先輩のバックや舞台経験などの下積みを重ねながらもパッとしない、いまいち人気が出ない、だけどコンサートや舞台に足を運ぶJr.ファンからの信頼は厚い、というのが当時のSnow Manのイメージだったように思う。そんな状態だったところに、言ったら悪いがある種テコ入れ的に投入されたのが、先に述べた加入メンバー3人だった。
今となっては、ラウールも向井康二も、そしてもちろん目黒蓮もSnow Manになくてはならない重要な人材だが、加入当初はかなりの拒否反応を示すファンも多かったと記憶している。
しかしその後、Snow Manは9人で着々と人気をつけていった。それと同時に目黒も、「あのテクノカットの人」として、頭角を表し出した。
気がついた時には「めぐ」と呼ぶオタクは超少数派で、ほとんどが「めめ」呼びに入れ替わった。「目黒にハマりそうでヤバい」状態を一言で表現する「今、恵比寿」(目黒の一駅手前)という流行語も発生したほどに、存在感を増していった。
そんな目黒であるが、今回の「silent」で何がすごいのか、という本題にようやく入る。
以前にもドラマの役作りでテクノカットをやめていたはずなのに、なぜか今作の目黒を観ていると、「テクノカットのめめ」になる前の、「素朴なめぐ」だった時の彼が、色濃く思い出されるのである。
もちろん「めぐ」時代を否定したい気持ちはこれまで一切ないが、なんとなく「めぐ」時代の目黒のことを思い出して語るのは野暮だぜ、と感じていたところが、私にはあるのだ。
「端っこにいる、名前と見た目しかわからないJr.」だと思っていたはずの「めぐ」が。
テクノカットになる前の垢抜けないJr.だったはずの「めぐ」が。
帝国劇場や、新橋演舞場、ツアーバックでチラリと視界に入り込んでくるだけだったはずの「めぐ」が。
世間に受け入れられ、いつの間にかかっこいい若手ジャニーズの代表格へとのぼりつめた、どこか違う人になってしまったように思えていた目黒蓮が。
「silent」で演じる佐倉想という役を通じて、なぜだかわからないが、「目黒蓮」というアイドルとしてのこれまでの同一性を強く感じずにいられないのである。
あぁ、目黒蓮ってめぐだった!
そんなふうに、「テクノカットのめめ」「Snow Manのめめ」になる前の、めぐだった頃の目黒を愛しく思う日が来るとは思っていなかった。
売れてからのファンだけでなく、以前から知ってただけのゆるいオタクすらグッと引き込んで納得させる、そんな底力を、「silent」の目黒蓮から感じて仕方ないのである。