はてなキーワード: 一言とは
シャン・・・
シャン・・・
あー鐘の音が聞こえてきたよ。
いらないよね???
子供は大いに楽しみなさい。
でも、大人はやめよ?
もう、いいよね?
いい歳してクリスマスイブに恋人と会うとか、しなくていいよね?
やめよ?
ここにいるよ?
ずっと待ってるよ?
みんなの帰りを待ってるよ??
ほら、みんなでレスバしよ?
手斧、投げよ?
楽しいよ、きっと。
みんなのこと、信じてるから!
ブクマカも増田も、クリスマスイブとクリスマスははてなに来いよ!
顔出せよ!
恋人と過ごしてもいいよ!
家族と過ごしてもいいよ!
でもさ!!
ちょっとくらい顔出せよ!
クリスマスイブとクリスマスははてなは過疎とか、俺、やだよ!?
俺を置いてかないでくれよ!!
「「もちろん!!」」
聞こえたよ!今、みんなの声が俺の心に響いてきたよ!
じゃあ、待ってるからな!
約束だかんな!!
「声優は裏方」「業界を変えるためにブームの終焉が必要」っていう三ツ矢さんの話はわかるけども、
昨今の体調不良や長期休業の原因は、単純に忙しすぎて身体を壊したっていうことだけじゃ無いと思う。
お芝居以外にも歌や演技を求められて、無理な負荷でメンタル崩しているって雰囲気あるけども、
今の世代の若手はそういうアイドル的なことも声優の仕事のひとつと認識してる。
苦手意識がある人はいると思うけど、結果充実感があったりするので、メンタル崩すのはそれだけが原因じゃない。
というか「ブーム」って言うけど、もう一過性の盛り上がりじゃない。ずっと前から声優ってこんな感じでしょ?
今アニメやりたいなって思ったら、顔出して宣伝稼働して歌もダンスもやるってのがスタンダードなやり方のひとつになってる。
声優に限らず「本来は〜」「〜〜というのが根本で」って言う人いるけど、何事も時代によって形は変わっていくものでしょ。
というかどんな職業も何か一言で語れるほど単純な仕事ではないんだよ。
前置きが長くなってしまったんだけど、最近声優の体調が崩れるのはコロナ対策の収録に原因の一端があると思う。
最近のアフレコは新型コロナ感染対策で一度にアフレコの部屋に入るのは4〜5人程度、一人一つのマイクが割り当てられる。
少人数のグループに分けて密を避ける、マイクを共有して飛沫感染しないように、という意図。
ただこの仕組みが精神的に良くない方向に作用しつつあると思う。
エンドクレジットみて貰えれば分かると思うんだけど、4〜5人しか出演してない作品なんてほとんど無いでしょ。
毎回出てくるメインやサブキャラクターだけでも10人近く、モブと呼ばれるところまで数えると15〜20人くらいは出演してると思う。
で、これを上記の仕組みでアフレコすると、全然セリフの掛け合いが成立してない収録も出来上がってしまうことがある。
メインでセリフ多い人はまだ良いけど、番手の下がるサブキャラなんて一人で喋って、相手のセリフ想像して、返答する。
これってものすごく手応えが無いんだよね。
確かにゲームの仕事は会話シーンを自分のセリフだけ演じるから同じといえば同じなんだけど、
そうじゃないアフレコを知ってるからどうしても手応えの無さが気になってしまう。
みんなで一緒に収録すると、自分の用意してないリアクションが来て、
それに応じなきゃって頭フル回転させて、ライブ感があって楽しい、お芝居楽しいって気持ちになる。
でも今のアフレコはそれと比べたら楽しくないし、充実感が無い。
応えてくれる相手がいないから、攻めたチャレンジができなくて無難な感じになる。
似たようようなキャリアの役者と一緒のグループになることが多いので、
他人のお芝居を見て勉強したり、刺激されることも減ってしまった。
だって上手い若手なんてどんどん現れるんだから。そしてどんどん消費されてるんだけど。怖い。不安。
休憩時間にくだらない話で盛り上がったりもできないし、作品が終わっても打ち上げも無いし、
同じ作品に参加しているのに一度も出会わず最終回になってしまったりもする。
待つスペースで密を避けるために、入り時間も細かく決められてるし、
終わったらすぐスタジオ出ていくことになる。とにかくコミュニケーションが全然無い。
この数年間みんな感じてると思うけど、コミュニケーションってやっぱり無いと精神的に病むなって思う。
それを仕事の中で解消してた子たちは尚更。
アイドル的な活動も声優の仕事のひとつって説明したけれど、やっぱり核となるのは声の仕事(お芝居)であって、
今日はいいお芝居ができた!っていう充実感とかモチベーションとかが失われると、全てにおいて頑張れなくなるし将来が不安になる。
最近皆がバタバタと体調を崩しているのは、そういうことなんじゃないかなと思う。
演じたキャラを背負ってライブやるのも楽しいよ。めちゃくちゃ充実感あるし、幸せな気持ちになるよ。
結局大事なのは声の仕事で、それが上手く行ってないと次の仕事につながらない。
コンテンツが終わったら、ゲームがサービス終了したらどうなってしまうのか。
若くて新鮮なうちはそれだけでなんとかなるかもしれないけど、
ある程度キャリアを重ねたのちに、芝居や評価が今のままだったらどうなってしまうのか。
日々の充実感が失われて精神を病んじゃってる人もいるんじゃないかなというのが個人的な意見です。
コロナ対策もいいんだけど、このままだと成長が無くて将来が怖いし、
抜き録りで何現場もハシゴする人気者がますます仕事奪って過密スケジュールだし(それで体調崩したりするし)、
このままだと、メンタル崩す役者がまだまだ増えていくんじゃないかな…。
どちらかというと「お金だけではない価値観がからむ」からたびたび議論になるんだと思う。あとは年齢の変化。都度若い人たちが、その時代状況の中で最適はどちらかと検討する必要があるから。さらに賃貸・購入問わず家に住む人たちは何かしら一言語ることができるという首の突っ込みやすさ。
トイレットペーパーの紙の長さLを芯の半径r、全体の半径R、紙の厚さtから求めるには
「紙部分のドーナツ状の面積=丸めてない状態の紙を横から見た長方形の面積」が成り立つとして式を立てることで導くことができる
すなわちπR^2 - πr^2 = L * t
L = π(R^2 -r^2)/t
しかしこの式は近似なんだよな
近似なのはいいんだが、学生だった当時に「これは近似です」の一言が教師から出なかったのがずっともやもやしている
まあ、厳密に求めようとすると難易度が跳ね上がるが……
https://twitter.com/echonewsjp/status/1597567990064906242
去年人生で初めて彼女ができて、そんで今年の春別れたんですがそれまでの事を書こうと思います。
長々しい惚気と後悔の文でできた自分語りです。
※このような日記を書くのは初めてのため、至らぬ点もありますがご容赦ください。
去年たまたまゲームで知り合った人間にLINEを交換しようと言われた。(インターネットでこういう事を気軽にするのは良くないけども、)自分は結構インターネットで知り合った人間とLINE交換をするタイプだったので二つ返事で承諾し、交換した。何回か通話もしたので、女性だというのは分かっていた。
そこから、結構毎日会話をする様になった。「おはよう」とか「今日は〇〇を食べた」とかまあ普通の会話だったと思うが、時々「好き」とかいう言葉が送られてくることがあった。最初は少し驚いたものの、過去にLINEを交換した女性の中にもこういった人がおり、その人はまあ「仲良し」とか友情の意味で気軽に使ってくるタイプだったので(まあ今回もそういう感じだろう)と思っていた。
しかしあまりにもLINEが毎日送られてくるので、チョロかった私は愚かにも「この人...自分のこと好きなんじゃねえの...?」とうっすら思い始めてていた。
ある日、また普通の会話の合間に「好きです」と送られてきており、今までは気に留めなかったもののこの一言だけ何故か引っかかったためつい好きというのはどういう意味か聞いてしまった。すると「恋愛的に」と返ってきた。この時、人生で初めて人から恋愛的な好意を向けられていると気づき、ビックリするほど気が動転していた。その日は朝から気が沈むようなことがあったというのに、もうすっかり告白されたことで頭がいっぱいだった。オスというのは薄情で単純な生き物だと思う。
そして、気が多少落ち着いてから「インターネットで知り合った顔も知らない人間と恋愛するのはどうなんだ」とか、「うまくいかなかったらどうしよう」だとか、「そもそも自分はこの人のこと好きなのか?」とか色々考えてしまって、何も分からなくなっていた。もう何も分からなかったし、(告白されたからだけど)なんだかこの人の事を好きだった気がしてきたし、もしかしたらこの先彼女ができる機会など一生来ないのでは⁉️と思ったのでOKした。
晴れて人生初の彼女ができた私はメチャクチャ浮かれていた。それはもうメチャクチャに浮かれていたものの、どこか現実味を帯びず夢でも見ているのではとも思っていた。
そんな気分でバカみたいにふわふわと過ごしていると「会わないか」という提案をされた。もちろん会いたい。私は二つ返事でOKを出し、付き合って2週間ほどで彼女と初めて会うことになった。正直この時点では
という可能性を考えていた。
②に関しては、まあ会ってみないと分からないがせっかく自分みたいな人間を好きになってくれたのに失礼なので見た目は好き・嫌いの尺度に入れないようにしようと思いつつ①だったら立ち直れないな...という考えのまま、服を買ったり美容室に行ったりと慣れない事をして当日が来てしまった。
慣れない格好で窮屈な電車に乗っていると1通の通知がが届いた。「〇〇さんが画像を送信しました」
なんだろう...と思ったのも束の間、「人が多くてわかんないと思うから、写真を送ります!」
服装とか場所の写真かと思ったので開くと自撮りだった。え⁉️⁉️ビックリしてしまったのでまともに見る前に思わず目を逸らしてしまった。意を決して画像に目を戻す。うわ、美人だ...
どタイプだった。いいのかな、自分みたいなどうしようもない人間がこんな美人と付き合えて...とネガティブになってしまいそうなほど美人だった。誰に似てるとかは分からないけど、自分の中ではかなり美人な方だった。遠回しにこちらの画像も送るよう催促された。どうしよう。自分は不細工で肉付きも良いし、オマケにネガティブだ。自撮りなんて変顔でしかしたことが無く、自分の真顔に向き合うのなんて久々だった。とりあえず分からないなりに頑張って撮った自撮りを送った。なんて返信が返ってくるのか見たくなかったのでスマホを閉じて急いで目的地まで向かう。「着いた」とのことなので人混みを探す。いた。
現実に見ると余計に美人に見えてくる。こういうのって現実のが写真よりも美人に見えることあるんだ...と思っていると、手を繋がれた。もうぶっ飛びそうだった。気絶しそうだった。
気づいたらデートが終わっていた。緊張しすぎていて、何も分からなかった。
その後は、相手は楽しくなかったんじゃないかなどの不安や初デートした事への興奮などがないなぜになった感情を抱えて帰宅した。
結論を一言で書くと「好きなキャラを悪意ある不特定多数にバカにされるのはとてつもなくキツい」ってワガママ
とある中堅~微妙にマイナー?なソシャゲにおいて、その関連コミュでまぁそらもうそこの住民にバカにされまくるキャラがいる
いわゆるシリーズ系キャラで、三爪痕とか四天王とか五人衆とか六武衆とか七英雄とか八大龍王とか十傑集とか、そういう感じのサムシングの1人なんだが、そのシリーズで他がぶっ壊れ過ぎてそいつだけまあ正直普通レベル
でも、コミュ住人はバカにしていいオモチャとしてそのキャラを事あるごとにディスるの
れでもまあ「顔がいい」「声が良い」「デザインがいい」「キャラ背景がいい」「セリフ回しがいい」「戦闘スタイルがいい」「固有ストーリーがいい」とかで、好きだからと使うヤツは俺を含め一応いる(だろう)が、それ以上に悪意をもってディスる輩が多い
キャラが好きだからずっと推したいけど、バカにされ続けると辛い、性能が他より微妙に低いってだけでバカにされ続けると、なんかそれが好きって言うのも辛くなってくる
まあ冷笑系でソシャゲ遊んでるのを見下してる増田民からしたら、「絵」ごときに情動狂ってる人間なぞとっとと処分されてしまえって感想だろうけどね
それでもまあ、なんか好きな物を貶されると腹が立つし心が痛いんだわ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/getnews.jp/archives/3361607
スクエニの恵まれた環境が妬ましんだろうなあ…ってのが伝わってくる。
まあ羨ましいよな、綺麗で広々としたオフィス、美味そうな社食、イラストレーターというクリエティブな仕事。
そんな奴らのキラキラした仕事っぷりを見せ付けられたら、一言腐したくもなるわな。
でもあんまり性格悪いことばっか言ってっと更に格差が開いていくと思うぞ。
kyopeco コメントにもあるけど、現実に沿ってないのわかる。佐川の動画が本当いい例というか、こんな人見たことないし、働いている感じも本当に一部の都合の良いところを切り取って、全体がそうであると言いたそうな感じ。
preciar あんな前世紀の遺産だけで食ってて新しいものを全く生み出せてない落ち目のレガシー会社、いまさらあこがれてる奴なんているの?
ユニクロに社員として潜入取材した文春のライターじゃあるまいし、このシリーズは黒い部分をえぐり出すルポじゃないでしょw
TwitterとYouTubeの反応見てきたらいいじゃん。あこがれてる奴は多いよ。
tyakoske ウオー美人じゃん!、、、、マスクとったらそうでもなかった。。。あとFFよりDQ、スクエアよりエニックス派なのでこの動画はよくない。
haru_tw パオロさんはいつも作り方が上手い。それと、美人は得するように出来てるな/ 才能は知らんけど美女やでな?
aaaaa 「美人は得する」ってコメント、この人は見えてるほど才能ないって言いたいの?失礼すぎない?/(ただの小学生みたいな言い訳に見えるけど一応)誤解招くのでいきなり脈略なく容姿褒めるのやめた方がいいですよ
sametashark 容姿についてコメント溢れるの、男性なら起きないよな。エロいとかそうでもないとかブコメの容姿ジャッジそういうとこやぞ。本文最後の段の「自信満々で仕事してる女性っていいですね」も、なんか違うよね…
彼女は近所のライフから買ってきたヒエヒエのお弁当をそのまま食べ始めた。
お弁当は温めた方が美味しいに決まってる。冷めた脂は体に悪い。気味が悪いとすら思ったのでレンジの場所を教えてやった。
この一言は後に、俺のロックンロール観をお漬物とそれを包括する弁当に輪ゴムのように縛り付けることとなる。
その当時の俺は何かこみ上げるようなものを感じながらも、お漬物好きなんだねと言うに留まった。
それから色々な日々を送った。酒を飲み荒び、童貞ながら性病になり、金玉が象の皮膚のようになり、革ジャンを羽織り、夏に脱ぎ捨てたり、講義をサボったり就職したりしながら、体と心は虚無義務生活爺に近づいていった。
ふと思う。革ジャン着てればロックンローラーか?何も思うところなくそれをあっけらかんと開き直るのがロック?
なあ、そんなのよりたった数グラムのぬか漬けにされたキュウリのために弁当全体を台無しにできちまう、破滅的な漬物愛こそがロックンロールじゃないのかい?
俺はいまだに近所のライブハウスで未練がましくアマチュアバンドを観たりする。米兵は英語が上手い。米兵だから。オシャレなバンドはモテる。下北を想起させるから。でもお前ら、冷めたピザを食えるか?氷水にジャブジャブしたピザにお漬物載っけて
って言えんのかよ。
俺は生涯、一人のロックンローラーとしか合わないだろう。やたら薄いビッグカツ弁当をレンジに入れて、ダイヤルを2分のところに合わせながら思う。
「自己肯定感低い人あるある」っていうのTwitterでたまにRTされたりするが、それをみて「人の目を気にしたりして大変だな」と思っていた。
つまり僕は自分のことをそれほど自己肯定感が低くない、むしろ高いと思っていた。
でも最近もしかしたら実は結構低いかもしれないと気づき始めてきた。
『ぼっちざろっく』流行ってますよね。主人公のぼっちちゃんはギターが上手いのに、実力に自信を持ちつつも、他人の評価を気にしていて、目の前の観客も怖がっていた。それでぼっちちゃんが「本当の敵は目の前の観客じゃない。観客は自分を求めているんだ」ということに気づき、一歩踏み出せた演奏ができた。
そんな成長エピソードがあるわけだ。
僕もその自分に自信を持ちつつも、人が怖いというのはわかるという気持ちになったが、むしろそれは普通のことだと思った。自己肯定感が低い人は自信もないものかと思っていたので。
例えば僕がぼっちちゃんだったとして、ギターが上手いとしたら(別に僕自身はひけるわけではないが)、まずYoutubeに上げることがなかなか難しい。上手い人が出てきて、この演奏がダメだとかいわれるかもしれないし、ギターのことを全然わかっていない素人でも「プロの〇〇さんより全然下手ですねー」みたいなことを言われたりしたら立ち上がれなくなりそうなので、まず人に見せることはできない。
家族や友人でも無理だ。
きっとギターとかバンドとかやっていて、理解してくれる人ではないと見せられないだろうなと思う。
そして、そんなに悪意ある言葉を言う人って実は少ないとは思うけれども、でも社会は悪意に満ちているとどこかで思っている。
小学校の頃、信号のない横断歩道を渡るのが怖かった。車が減速することなく、むしろわざと加速して突っ込んでくるとおもったから。
免許証取りたてのころ、車線変更が怖かった。後方の車がわざと加速してぶつかってくると思ったから。
中学の頃学校が怖かった。教師が私生活を縛り付けようと宿題を多く出そうとすると思ったから。
大学の頃教授が怖かった。重箱の隅を突っついて単位をくれずに留年させるんじゃないかと思ったから。
学生の頃、就職が怖かった。私生活や趣味は悪で起きている時間をすべて労働に捧げるようにわざと上司が仕事を振ると思っていたから。
新入社員のころ、彼女がいることを会社にバレるのが怖かった。結婚など守るべきものがあると分かったとたんに逃げ場のない重労働部署に飛ばされるかと思ったから。
結婚したころ、町内会が怖かった。家庭への不当な干渉をするんじゃないかとおおもったから。
20代後半ともなれば、だんたんその不安は杞憂だったとわかるわけだが、生まれてからずっと他者が悪意を持っているとずっと思っていた。(そして今でもほんのりそれは思っている)
悪意は上司、先輩、社会、国家など権威あるものから不条理に降り注ぐと思っていた。
だからそれから身を守るために、大学にいったり、論理学を学び屁理屈で言いくるめようとしてくる人からの自衛をみにつけたり、歴史や外国語を学びちょっと頭がいい風を装ったりした。
まあこの文章を見て分かる通り、そんなに学が身についているわけではない。
僕がいわゆる『理解ある彼氏くん』枠で結婚したのも、妻が権威ある悪意から遠い弱い存在だったからかもしれない。
ただ妻は弱い人間ではなかった。苦手なことはあるが、それを打開するためにいろいろ挑戦している人だった。
悲しいとか辛いとか悔しいとかではなく、涙が止まらなかった。
だが不可能だった。子どもがいるにもかかわらず、涙が止まらなかった。正直混乱した。
僕は相手から言質を取られないように遠回りに外堀を埋めてから話す癖があり、それは人によっては不快な思いをさせてしまう悪い癖だと思う。
夫婦喧嘩で〇〇を言った言わなかったから、過去の違う話まで掘り起こされて喧嘩がエスカレートすることもあるので、僕は議題を棚卸して何について話しているのかと責任の境界を決めたがる。
それは共感とは遠く、冷たい印象を与えることになるというのは僕は理解している。
だがそれは今回のこととはまた別なんだ
ただその冷たい印象を与えている僕に対するカウンターとして妻が言い放った「頭がいいはずなのになんでわからないの?」という言葉を聞いて、いままのでの喧嘩の内容なんか吹き飛んで、ただ泣くことしかできなかった。
僕のクソ小さな自尊心は「中堅よりは上だけれどもハイレベルというわけではない」と言いたいが、世間ではそれほどでもないとは思われているだろう。
だが、妻は大学には行っていないので、大学に行く人というのは基礎能力が高いという素朴な期待を持っているようだ。
で、なんであの言葉で僕は泣いたのか。
あの言葉を受けた時、僕の脳内では幼いころの情景がフラッシュバックしてきた。
祖母が「あなたのお父さんはとても頭がいいから。あなたも頭が良いんだよ。おじいちゃんは〇〇賞もとったからあなたもすごいんだよ」とずっと言ってきて僕はそれが誇りだった。
クラスでは物知りで通っていたし、小学生ながら月刊ニュートンを読んでいたのはちょっとしたドヤれるポイントでもあった。
実際父はすごかったらしい。らしいというのは小学生に上がる前に亡くなったからよく知らない。
ただ僕が逆立ちしても入れないような大学にそれほど勉強せずに入ったそうだ。
高校時代にその研究をしたいがために当時の有名な教授がいる東京ではないがトップレベルの国立大に入るように勉強していたが下宿代が当時のうちの家計では出せなかったようで、都内のそれでもハイレベルな有名大学にはいった。(今にして思えば子離れできていない祖母が渋ったのではないかとも思うが、)
都内のハイレベル私大にはその国立大の先生と同じくらいにその分野で有名な人らしく、それで進学先を決めたようだ。3年の夏まで必死に勉強していたが、私大に進路を変えたのでそれからは遊んで暮らしたそうだが、ちゃんと合格したそうだ。結構な浪人生があこがれる私大だっつーのにね。
そして父は研究者になった。んだが、今の僕の年齢よりもずっと若い時分に死んだ。平成をたった数日しか生きられなかった。おそらく今も生きていたら教授とかになってたんだろうなとは思う。実際同僚の人はその大学で教授をやっているらしく、何回かテレビに出た時に母が父の友人だと教えてくれた。
祖父は自分の生業の分野でナントカ賞をとって有名な人とかと写真うつったりしていた。
そんなこんなでその嫡流の僕は変な期待と受けていた。父が若くして死んだこともあるのかもしれない。
人の偉業で褒められる。小さい頃は良かったが、ちょっと分別がつく頃には結構キツイものがある。僕がやったわけではないし、僕が今やっていることは何も評価されていないのだから。
母はそんな環境が嫌だったからかもしれない。だから引っ越したんだろう。
女手一つで僕と妹を育てた。とはいっても母も実家が太い系なので相当恵まれて育った。
母は大学を言っていない。研究者と事務の人という出会いで結婚したそうだ。
だから正直学がないというか、僕の勉強に対して口を出すことに自信がなかったんだと思う。だから僕の好きな分野、科学のことの話し相手になってくれなかったし、成果を評価してくれることもなかった。ただ「難しくてわからない」というだけだった。
僕は生まれてことこのかた賞状をもらったことがない。妹は絵画コンクールで、英語スピーチコンクールで、そして学校で選抜された海外派遣なんたらで数多くの栄誉を持っている。
僕は何ももらっていない。歯が綺麗で賞はもらった。絵もうまくない。楽器も弾けない。英語もできない。文章も書けない。ゲームもうまくないし、話もうまくない。モテない。バイト先ではいじられキャラだった。いじってほしくはなかったがただ「要領がわるい」ということでいじられキャラになった。
そう要領がわるいんだ。
妻は大学には行っていないが、絵が上手い。工作が上手い。それを作って売れるほどうまい。創作ができる。
「頭がいいはずなのになんでわからないの?」という妻が放った言葉で、これらの過去のこと家族のこと妻のこと今のことすべてが分かってしまった。
頭がいいわけないということを分かるのが怖かった。
僕は何者でもないといわれるのが非常に怖かった。僕のアイデンティティは「すごい祖父、すごい父から生まれた、すごい子」であり、それが解体されるというのが辛かった。でも僕が縋れるのはその祖父と祖母が言っていたそれしかなかった。
凡人であることを誤魔化すべく、頭でっかちな知識と、頭がいい風を装っていた。バイト先でいじられても「でもあいつらより偏差値高いし」って思って意識を保っていた。
自分がただ怖がっているだけなのに、相手が悪いことをしようとしていると思って、目上の人や教師や社会が不条理に僕に何かを強いると思っていた。
悪意が逆転していた。自分が向けていた敵意を僕は被害者意識を持っていただけだった。
根拠のない自信をもつことはある意味必要だと思うが、僕の場合はその程度が強すぎたのかもしれない。
自信があることで身を守れると無意識で感じていて、自分に自信があると思い込ませていた。
妻に出会うまでは恋が多かった。
だが、モテなかった。
自分から行くタイプではない。ただ悶々と彼女が欲しいとずっと思っているような人だった。
今思えばただ自分を認めてくれる人が欲しかっただけかもしれない。
人の話を聞いてみるとそんなに好きな人が何人もずっといるというのは珍しいというのが分かった。
ティーンの頃の僕は恋に恋をしているに近かったが、自信があれば自律できていて、自分を肯定(好いて)してくれる人を必要以上に求めることもなかったのかもしれない。
僕はうちの子供には子供自身のことで褒めるように、そしてちゃんと成果をみて、子供興味あることをちゃんと調べて対等に接するようにしようと思う。
幸い子供にマウントを取るようなことはしなかった(とは思う。自分の中ではないと思う。わからない。不安だけど)
うちの子は昆虫とか生物とかいろんなことを僕に教えてくれるし、僕も飼育について聞いたりしている。
それでも人は怖い。
能無しとも思われたくないし、趣味に口も出されたくない。
でも実は友人が欲しい。
そんなこんなで引っ込み思案なまま大きくなってしまった。
ぼっちちゃんみたいに何か自己表現でもしたらまた何か変われるかもしれないな。
『理解ある彼氏くん枠』で結婚したということを話したが、つまり妻はある精神的なハンディキャップを背負っているので僕がいろいろサポートしているところがある。
ただ僕はいろいろ限界が来て喧嘩してしまうことも多々あるけれど、それでも日々は平和だ。
つきあっていたころのままの関係性が続いているし、手をつないだり、二人で出かけたり、一緒に遊んだりすることもあの頃のままだ。
だが、妻は僕に守ってほしいという気持ちが強く、僕が弱いところを見せてほしくないと思っているところがある。
僕があの日泣いたとき、なぜか怒られた。「泣いたら私が悪者じゃない!!」って
僕はさすがに謝罪した。「さっきの喧嘩の流れとは別の件でないている。あの話とは別なんだ。個人的な理由で泣いているだけなんだ。(まだ自分でもなんで泣いているのかもわからないので)なんかわからないけれど心の柔らかい場所が反応したような感じがして」とまあそんな感じで伝えたんだけれども
妻は毒親サバイバーでもある。だから過去の辛い話などを聴くこともあるし、その段階で妻が泣き出すこともあるので、そういう時は抱きしめたりして、そうすると落ち着いて、妻はそういう関係が好きらしい。
実は僕もそうしてもらいたいと思っているが、逆の立場にはしてくれないようだ。
僕も誰かに依存したいが、僕は生涯の伴侶は妻だけだし、妻以外に心を開くのはどこか浮気のように感じてしまい、正直無理だ。
そんな行き場のないこの気持ちを吐き出せるところはどこにもなく、
トイレの便器にはなしても/dev/nullに投げ出しても、どうしようもないので、ネットに放流して誰かに読まれることで慰めることにしよう。
皆、読んでくれてありがとうございます。
深夜のテンションで書いたものがホッテントリに上がっててびっくりしていたのと、
そしてまた悪い癖でこの世に悪意しかないとおもっていて、「絶対炎上している」「きっと、『お前は恵まれている癖に何いっちょ前に気取った悩み装ってるんだよ』みたいなコメントがたくさんあるんだ」と思って開くことができませんでした。
でも100件以上ついたら、気になって仕方ないので思い切って開いてみたら、なんとまあ善意ある方が多いこと。
俺は若ハゲなんだけども、嘲笑はまぁそんなもんかねぇって思いつつ、一言モノ申したいのは
連動のある攻撃が出来ていないのはわかった。見ればわかるから。ただなぜいつまでたっても出来るようにならないのかがどの解説記事でも説明されていなくてスッキリしない。
4年間ずっと当事者である監督と選手は指摘されてきたはずなのにどうして出来ないままなのかがさっぱりわからない。プレー経験のない素人が訳知り顔で講釈していることを人生の全てをサッカーに打ち込んでいる人たちが出来ない理由を知りたいんだよ。おそらく関係者が全員わかっているのに出来ないことを監督が無能だからの一言で片付けられると流石にそれはないだろうと思ってしまう。そういうブコメをいくつも見たけど専門家への最低限の敬意が欠けている。たとえばコロナ関連でもよく見る風潮だけど本当に良くない。
サッカーの世界ではこのプレーをするにはどういうトレーニングが必要でおおよそどれくらいの時間をかければこれくらいは出来るのが普通みたいな共通認識があって批判してるの?具体的にどういう指導をすべきか、あるいは足りていないか理解しているの?結局素人が言ってることってボールをよく見てタイミングよく力一杯バットを振ればホームランになるよみたいなアドバイスだったりするんじゃないの?わからん。
これは一理あると思う。
そういう広告に遭遇したら、「こういうの見たい?」と一言聞けばよい話ではある。
というか、そういうプロセスを踏まないと、一時期のPTAが特定のお笑い番組を見ないように言ってた(が、子供たちは隠れて見ていた)のと変わりがないように思う。
誠実な態度としては、萌え絵はだいたいエッチだし、女性専用車両は性差別だし、アファーマティブアクションも差別だけど、それを認めた時に「誠実で偉い」って褒めてくれる奴なんか一部に限られるんだよね。
まあ一言褒めてくれる人は若干いるかもだけど、別に味方にはならない。
社会の大多数は、「エロと認めたのか。だったら萌え絵はゾーニングすべきだな」とか「差別と認めたか。あらゆる差別は許されないから女性専用車両はもアファーマティブアクションもなくせ」とか、大義名分で殴ってくるし、大義名分が向こうにあるから味方してくれる人は少ないし、全然いいことないんだよね。
俺は発達障害気味だからか、この辺の機微がわかんなくて「いや明らかに萌え絵はエロいし、女性専用車両は性差別だけど、どっちも現代の世の中では大っぴらに存在すべきだろ」って誠実に言ってきたけど、ようやく、健常な社会はそんな風に判断しないってわかってきたわ。
「誠実に悪さや欲望を認めて偉い! でも悪なので攻撃の手は緩めないぞ、神妙に沙汰を待て!」ってなるだけで、全然いいことないわ。
人類の英知の結晶であるはずの国連とか各国の政府や省庁だって、「人権は譲ることができない権利であり、あらゆる差別は許されない」みたいな非現実的な大義名分をいまだに真顔で振りかざしてる。
人権同士の衝突と必要悪としての差別がこれだけ発生してるのに、致命的なダメージを与える「人権尊重、差別反対」って武器をみんな握ってるせいで、誠実な議論とすり合わせなんてできない。
もう少し詳しく言えば、社会不適合者気味のコミュ強(他称)と距離無し(自称)の境界をうろちょろしていて、
もくりで話す初対面の女性達に「おもしれー女」の烙印を押されまくり、気圧の変化とPMSと好きなゲームのリークとちょっとした失敗で一気にメンヘラになり、
スプラでキルされると咆哮し台パンするタイプのクズめな人間である。
増田は初めて書く。長い話にもなるだろう。わざわざここに書くものでも無いかもしれない。
それに、Twitterでバズったものを読んだりしていた程度なので、書き方に違和感等があっても目を瞑っていただきたい。
・私
以上2名。
まず最初に、私が何故増田なるものを書こうと思ったか。その経緯について語らせてほしい。
2022/11/28現在、TwitterTLにてメルカリでのR18同人誌が転売屋によって売られ、
その同人誌をR18と知らずに購入したお子さんの親御さんからクレームが入ったという話を見たからである。
それだけならば「ふんふんなるほどね」ぐらいで飲み込めた事案ではあったが、そのツイートについていたリプライが目に付いた。
私観として要約すると、「部数も少ないしジャンル移動も多く、通販も在庫がなく、中古屋にも行けない私は読む権利を高い転売代金と引き換えにメルカリで買っているし、読み終わったらこちらも再び転売したいので文句言われる筋合いはない」というもの。
このリプを見た最初の感想は「わ!お客様(皮肉)だ!」である。こちとら「同人イベントではサークルも一般も皆等しく”参加者”でお客様は一人もいない」という文言が骨身に染みているような人間なのだ。仕方ない。
その次にこう思った。「そんなに欲しい本ならば何故直接作者に取り置きや自家通販、その他手元に在庫が無いかを聞かないのか」と。
これは持論であり、「〇〇じゃない?知らんけど」ぐらいの話として聞いておいてほしいのだが、限界同人女は必死なルールをちゃんと守った同人女にはわりと優しいことが多いのだ。
壁サー誕生日サーでも無い限り、結構直接頼めば取り置きや自家通販してくれる方もいる。(全員がそうだと思ってはいけない)
そして少し遅いがここまで思考してこの人は「ファン」でも「参加者」でもなく、紛れもない「お客様」であることを再確認したのだが。
私は個人サイトも運営していたことのある現在25歳で、イラスト、小説、漫画を現在も描いている。
Twitter歴は垢消し分も含めると12年のとんでもねぇツイ廃であるので彼女がどこから私を見つけたのか全く検討もつかないし、彼女もいつから私を推しているのか覚えていないらしい。
ただ、少なくとも、7年はずぅっと私のファンであるということを私は覚えている。
何故かというと、初めて発行した同人誌は丁度私が18歳の時に作ったからである。R18本は20歳の時に作った気がする。
最初はなんか滅茶苦茶いいね(当時ふぁぼと呼ばれていたもの)してくる子がいるなぁ程度だった。
だが、私が病んだ時とか「絵上手くなりてぇ~」って言った時には5回に1回ぐらいのペースで「私様が大好きです」「私様の絵が大好きです」と
ただ一言だけ空リプやマシュマロとかで言ってくれるような子だったし、後から18歳未満フォロー禁止にしたアカウントのフォローをちゃんと外してくれるような子だ。
お陰様で名乗ってないのに文体で彼女だと把握出来るようになってしまった。
補足だが私は2年前まで3桁半ばのフォロワーしかいなかったような有名でもなんでも無い日陰で生きてきたただのインターネットお絵描きマンで、フォローは相互ではなく彼女からの片道フォローだ。
そんな彼女だが、年齢を考えてみると2年前は16歳なのだ。7年前だと11歳だ。
11歳~16歳の女の子に崇拝に近い眼差しを受け続け、モニター越しによちよちされ続ける18~23の女。ヤバ女である。
だが、ここまでされて、実は1年に1~2回しかリプで直接交流をしたことが無いのだ。マシュマロを送られても私が返信してそこで終わりなのだ。奥ゆかしくて可愛いね。
そろそろタイトルでもある本題に入ろうと思うが、どういう経緯でそうなったのか実は忘れた。
だが、彼女の誕生日あたりにおめでとうの言葉と一緒に「本取り置きしてるからね!」と言っていたと思う。
私は同人誌は1年に1~2冊発行する同人女だが、取り置きする本はその度に増えていった。
実家を出た時もファンちゃん取り置きBOXを持って新居で取り置きを続けた。
ここまで聞いて、「ただ取り置きしてるだけの話では?」と思う人もいるだろう。
だが、11歳~18歳の好みやジャンルが目まぐるしく変わる時期の女の子がここまで長期的に推してくれるというのは奇跡に近いのだ。
女オタクは推すジャンルごとにアカウントを変える人が多い。つまり、ジャンル(CP)が変わればさようなら、というのが多い。
そんな中、ただ感想を伝え、受け取るだけのシンプルな関係で、「もういらない」と言われることを疑うことなく取り置き続けることができたのは、
彼女が私にとってとても良い距離感で、良いファンだったからだろう。
住所と名前をDMで貰い、取り置き分の本の値段を振り込んでもらう。振込確認をし、発送。そして傷や欠品が無いか確認してもらい、お礼と共に無事取引終了。
それだけである。それだけであるが、謎の達成感があった。私に子供はいないが、子供が巣立ちしたような気持ちである。
ただそれだけの話である。
ちなみに彼女が18歳になって取り置きが終わったからといって私と彼女の関係が変わるわけでもなく、未だに私は18歳のファンの女の子によちよちされながら絵を描く25歳である。
変わったといえば私が自己肯定感MAXで自分の絵大好き!私絵上手!!!とはしゃぐほど画力が向上し、今はゲーム業界で絵の仕事をしていることだろう。
多分ファンにも内助の功的な子がいるのだと思う。お姉さんもっと頑張って絵描くぞ~!!
つまりここまでで何が言いたいかというと、私とファンちゃんは相思相愛で、この記事は私からファンちゃんへの秘密のラブレターということだ。
先日中学時代の同じ部活の連中で集まって飲み会をした(男女混合)
恋愛・結婚の話になり、ある女子が「自分が高身長なせいで男から引かれる!だからモテない!」みたいな話をしだした。
個人的には女が高身長だからモテないという事はないと思っている。実際に高身長に引く男がいたとしても高身長の女と同じくらい高身長の男がいるはずだから。
「高身長男性は低身長女性と付き合うケースが多い!」って言う人もいるけどそれは高低差が目を惹いているだけで数としては多くないはず。
だって極端に目線を下げると首が痛いし高身長男性からすると高身長女性も低身長女性も程度が違うだけで背が低い事は変わらない(自分は178cmだから高身長ではないけど、そんな自分でもそう思うのだから高身長男性もそう思っているはず)
でもそんな事を彼女達(うちの部活の女子は全員背が高かった)に言ってもしょうがない。彼女たちが身長のせいにして自分達を守っている部分がある事も十分承知していたので。
けれどお酒のせいか彼女達の発言内容がどんどん過激になっていった。
やれ「低身長男は器が小さい」だの「身長を気にする男は地雷(ちなみに彼女たちも身長を気にするタイプ)」だの。
大きいのが3人集まって気も大きくなってしまったのか、明らかに身長とは関係のない事まで低身長と結びつけだすようになって、その場にいた身長が低い男子達の表情がどんどん曇っていった。
友人を傷つけられた事も腹立たしかが、それ以上に自分の低身長の兄の事も馬鹿にされている様な気がしてきて、頭に血が登って一言言ってやりたくなった。
「でもさー、俺は男性が自分より背が低い女性求めるの分かるわ。背が高い女子って図体の割に器小さいし攻撃的じゃん!女っぽくないだけなら我慢できるけどさー。それだったら普通の女子のほうが良くない?」
その一言を行った瞬間に空気がサーッと凍るのがわかった。高身長女子達も予期せぬ言葉にどう反応していいか分からない感じだった。
だけど時間が立つにつれて頭が冷えてきて、あんな事言わなきゃよかったと後悔。女子たちも頭が冷えたのか「確かに言い過ぎだったよね、ごめんね」と謝っていた。3人の内1人はメソメソと泣き始めた。慰める両脇。早く家に帰りたい。
そんなこんなで原因が自分だけではないにしろ楽しい飲み会の雰囲気をぶち壊してしまった。
帰りしなに一人の男から「お前が言ってくれたおかげでスッキリしたわ。ありがとね」と言ってもらえた。
自分の行動は間違っていなかったのだと思う。でも一人泣かせてしまった罪悪感というのは消えないわけで、他に何かいい方法があったのではないかとモヤモヤ。
どうすればよかった?
で、法というのはやってはならないことの列挙であり、そこに反しないことはやっていいことなの。ここがスタートライン。
じゃあ無理やり見せられる広告で気分が悪くなったり子の教育に悪いと思う、私の感情は何も考慮されないのかと言えばそうではない。他人を傷付けるものは法に引っ掛かり得る。
ただ、あくまで引っ掛かり得るだけであって、私が不愉快に思ったら必ず対応がなされるかといえば当然そんなこともない。これは、多少の不愉快は我慢すべきであるという、受忍範囲というものがあるから。その受忍範囲というのは社会通念によって決まってくるし、判例として基準が積み重ねていかれる。