はてなキーワード: ショッピングセンターとは
田舎だとむしろ郊外の分譲地あたりに家建てるのが勝ち組なんだよなあ
あくまで
駅チカとかなんの価値もない
駅前のマンションなんて買おうものなら「何故あんな値段だけ高くて『不便な』ところに…」と思われる
(余談だが俺の地元は「駅前」という言葉で一つの駅のどちら側の地区かまで特定できるような県だ)
郊外の国道沿い大型ショッピングセンターへのアクセスが優先される
駅まで徒歩5分都心()の一等地でショッピングセンターまで車で30分と山奥で駅まで徒歩一時間でもショッピングセンターまで車で10分なら後者のが選ばれるだろう
まあ、学区を考えなければだが
とにかく車以外の手段でのアクセスなんてほとんど考えられてない
子供の通学?
(駅or学校まで)車で送迎に決まってんだろ
ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。
何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。
私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代~1990年代の鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。
本来文化・社会性とはそういうものではないか。2000年代の新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口のインフレの問題もあった。2010年代も1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。
オタクが今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和の負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定、オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。
冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代の学歴社会化実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である。本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである。
仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである。社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか。
私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方のリア充の話題が出ると、なぜか不良とこじつけた話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会の空気である。
当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキーの本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人の白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いでアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。
マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。
そもそもマイルドヤンキーの言葉の根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部の人間は殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンターに依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域やシンガポールのような都市国家以外にない。
私はこの潔癖の究極が「子供」至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通ならしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。
子供は日本人の美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである。子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。
そもそも日本の私鉄社会の根源は鉄道の公有化の失敗だとか戦争の連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブなものの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である。
欧米圏を見ればわかるように、鉄道は弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本はおかしいのである。
一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供は大人らしい事由で成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。
あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。
特定の環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である。
昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。
その点、例えば私が韓国の学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったからである。
バスの停留所で会話したローカルの若い女性は、なんかお茶目で、自分の生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人でオタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。
これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通のリア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ。
日本に出てくるテレビのタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。
これは、日本人の一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。
しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実な理想を一度捨てることになると思う。代表が大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。
私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実・実在、不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代で経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか。
そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義の理想を振りかざして現実を拒絶したり自由な創造表現のユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本の現実がほんとつらいです。
(韓国などの例外を除く)外国のコンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合な現実・事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。
だがその独創性の第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームにものすごく親しんだ人ほど危ない。
ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神やコリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習をコラボさせると、アニメや漫画か特撮ドラマかビデオゲームまがいな、子供だヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである。
私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流・華流コンテンツを敬遠したのは、アメリカのコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパークや映画などに「不都合な現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽なものを批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ。
私の記憶する限り韓国や中国のテレビドラマやアニメには、日本人がネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代や2000年代(2010年代)に日本型の暴走族が話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人や中国人のオタクを風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)
そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画や小説(ライトノベルを含む)やゲームのいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである。日本の作品で言えば喧嘩番長や龍が如くに出てくる「不都合な現実を誇張した」不健全で卑猥な日本の風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。
そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国や中国にもそういうクリエイティビティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神の解体を加速させることが必要なのだ。
去年の電通の過労自殺の問題から、労働環境の改善が各方面で話題になっているが、
バローの様な中規模系や地元系チェーン店は、ほぼcloseだった。
やはり安売り店は休めないのかと妄想。只し,業務スーパーはcloseだった。
イオンやイトーヨーカドーの大型ショッピングセンターはopen。
ヤマダ、K's電気 close
と、会社によってまちまちだが、ヤマダは混乱期から脱却しつつあるのと、
顧客満足度が高いと言われているK's電気は、余裕があるのかもと妄想する。
・外食チェーン
全国規模のファミレスや回転ずし、牛丼店やファストフード店はほぼopen
そんな中、closeだった道とん堀とやよい軒は、飲食界の新しい労働環境を
構築しつつあるのかもと妄想。
元旦の需要は高そうだが、昔から元旦営業しているイメージはないので、
・アパレル
アパレル系は、ファッション好きな従業員の労働力の搾取の場なのかもと妄想。
・アミューズメント系
ゲームセンターやボーリング場、ネットカフェやパチンコ等はすべてopen
ディーラーや中古車販売店、買取店はclose。やはり正月から大きな買い物はしないのだろう。
自動車用品店は中古部品店はclose 全国チェーンのイエローハットもclose。
ただスーパーオートバックスはopen。車好きの従業員の労働力の搾取の場になっていなければいいが…と妄想。
・その他
ブックオフヤハードオフなどのブックオフ系列はどこもopenだった。
大型本屋やツタヤのどのレンタルDVDショップに需要があるので、
パソコン部品や家具、洋服の中古品店もオープンさせてしまうのは、
グループ店ならではの文化が、優先されてしまっているのではないかと妄想。
メガネ店では朝礼で、通りに向かて全員で大声で挨拶していたり、
もう一つ意外だったのはセリアやダイソーなどの100円ショップがclose
それでもサービスを提供しなければならないなら、その日は特別賞与を従業員に大いに振る舞おうよ。
そしてお客も割り増し料金を払おうよ。
正月くらい、客がそのサービスへの感謝を形にしてもいいんでないの?
元旦からクロネコの宅急便が届いて、驚いちまったのと同時になんだか申し訳なくて
思わず「すいませんでした」って謝っちまったよ…。
http://www.asahi.com/articles/ASJDD471JJDDULFA00M.html
のニュースに
プレミアムフライデーは、各地のショッピングセンターや商店街などにイベントやキャンペーンを企画してもらい、買い物や外食、旅行など幅広い分野の消費を喚起するのがねらい。主導する経産省は広告費などとして、2016年度の補正予算に2億円を計上。
という記載があった。2億円かあ…。
そう思って計算をしてみた。
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201611.pdf
ここで若者として仮定するのは34歳以下の日本人とする。まあ、総人口でもいいとは思いますが、なんとなく日本人とします。
これを2億円で割ってみる。
4.880667675337986円
…一人あたりに当てられる金額は4.8円程度らしい…。(計算間違ってたら誰か治して)
そもそもプレミアムフライデーに関係しそうな働いている若者…にターゲットを絞ってみよう。
大体半分ぐらいになった。
これをまた2億円で割ってみよう。
7.95924864692773円 (これも誰か計算間違ってたら治して)
働く世代に絞っても一人当たりに当てられる金額は7.9円程度。
まあ、予算だけがすべてではないと思いますし、限りある予算でどうやって経済復興を。
と考えた苦肉の策かもしれませんが、こうやって一人あたりに計算してみると明らかに当てられている金額少なくないですか??と。
うまい棒の一本すら買えないですよ。
この計算始めたきっかけは正直なこというと、そんな広告費とかに金回してるんだったら現物支給しろよゴルアw
が、こうやって計算してみると現物支給もなにもあったもんじゃない金額だった。というところ。
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追加で計算してみた。
まあ、桁が変わるだけだから大した話じゃないんだけど。
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/002.htm
4097億8000万円はそのうちの0.4%らしい。(計算あってるかしら)
まあ、これぐらいの予算はだしてほしい…なぁと思うけど、桁が桁だから無理だろうなーと。
むかしむかし、ある地方都市に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんはショッピングセンターのビアードパパへシュークリームを買いに、おばあさんはマジェスティで市営の温水プールに行きました。
おばあさんが市営の温水プールで水中ウォーキングをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな五郎丸の写真がプリントされたニチレイ本格炒めチャーハンが流れてきました。
「おや、これは良いおみやげになるわ」
おばあさんは大きな五郎丸の写真がプリントされたニチレイ本格炒めチャーハンをひろいあげて、マジェスティに乗せて持ち帰りました。
そして、おじいさんとおばあさんが大きな五郎丸の写真がプリントされたニチレイ本格炒めチャーハンを食べようと袋をヘンケルスの包丁で切ってみると、なんと中から元気の良い男の赤ちゃんがヌルっと出てきました。
おじいさんとおばあさんは諦めきれず食べようと頑張りましたが、どう頑張ってもこれは男の子だったのでやっぱり諦めました。
そしてとりあえず大きな五郎丸の写真がプリントされたニチレイ本格炒めチャーハンから生まれた男の子の写真を撮ってとりあえずインスタに上げました。
おじいさんとおばあさんはこの男の子を育てることにし、二人の名前からそれぞれ2文字とってピチ太郎と名付けました。
ピチ太郎はスクスク育って、やがてやや性欲の強い男の子になりました。
そしてある日、ピチ太郎が言いました。
おばあさんに低糖質プロテイン団子やサラダチキンを作ってもらうと、鬼ヶ島へ出かけました。
旅の途中の高速のサービスエリアで、ボディビルダーでゲイのイッヌに出会いました。
「ピチ太郎さん、ここはどこですか?」
「高速のサービスエリアです」
「それでは、お腰に付けた低糖質プロテイン団子を1つ下さいな。おともしますよ」
「は?」
なんだかんだあってイッヌは低糖質プロテイン団子をもらい、ピチ太郎のおともになりました。
そして、こんどは幹線道路の高架下でボディビルダーのサッルに出会いました。
「ピチ太郎さん、どこへ行くのですか?」
「それでは、お腰に付けたサラダチキンを1つ下さいな。おともしますよ」
「いや別にこなくていいけど」
「あ、暇なんで行きますよ」
そんなこんなでまた一人おともになりました。
そしてこんどは場末の飲み屋街で元SMの女王様キッジに出会いました。
「あなた、どこへ行くの?」
「それでは、お股に付けたキンタマを1つ蹴らせて下さいな。おともしますよ」
ドンッ
「ウッ…ありがとうございます」
こうして、イッヌ、サッル、キッジの仲間を手に入れたピチ太郎は、ついに鬼ヶ島へやってきました。
鬼ヶ島では、鬼たちが近くのカルディからぬすんだ生ハムの切り落としやハニーローストピーナツやちょっと高いチーズをならべて、酒盛りの真っ最中です。
クッキングシートに大麻を挟んでヘアアイロンで挟み、ワックス状の成分を抽出し水パイプで吸ってラリっている鬼もいます。
「気をつけ!」
ピチ太郎が号令をかけましたがボディビルダーの二人は筋肉が邪魔して気をつけの姿勢が取れません。
「まぁいい、適当に行って、適当に制圧して帰るぞ。よし今だっ。」
イッヌは鬼のアナルを舐めまわし腕を入れたり出したりしました。サッルは鬼のせなかを身体を使って丁寧に洗いました。キッジはムチで叩いたり 乳首に針をさして低周波治療器で電気を流したりしました。
とうとう鬼の親分が、
「あぁあぁ"あぁ"あ"あ"ぁぁぁ」
と、恍惚の表情で逝きました。
ピチ太郎とイッヌとサッルとキッジは、鬼から取り上げた生ハムの切り落としやハニーローストピーナッツ、ちょっと高いチーズなどをハイエースにつんで、元気よく家に帰りました。
おじいさんとおばあさんは、ピチ太郎の無事な姿を見て大喜びです。
そしてピチ太郎は、おちんちんにプリンスアルバートというピアスをあけて幸せに暮らしましたとさ。
めでたし めでたし。
別にトランスジェンダーではなく身も心もおっさんだけど、最近何故か女装したい。
だって女性の服かわいいじゃん?別に姫系に限らず30代向けのでもさ。
デパートやショッピングセンターに行ったらレディースコーナーばっかでそれこそ様々な年代・層に向けた服が色々あるじゃん?
落ち着いた色合いのでも明るさあるし、すっげー羨ましい。
メンズコーナーってそもそも少ないじゃん?
で、そこからさらに系統を絞ると「あぁはいはい、こんな感じね」みたいになるじゃん?
普段ファッション誌読まないしはやりとかわからんからショップの中に入ると
「うわぁうわぁ何の組み合わせが良いのかわかない、そもそも今の服ってショップに入店して良い服なの・・・?」とか
考えながら色んなモノをすり減らしてるけど、結局テンプレおっさんスタイルが出来上がる。。。
そうじゃねぇ、俺も「アレも良い、コレも良い、どうしよう…」みたいなショッピングして、
家の中でキャッキャッ良いながらファッションショーしたい。
でもお化粧とかいう毎日行う必要がある賽の河原のような無駄な作業は全力でお断りします。
※肌の寿命を延ばすとか肌荒れをケアするとかの基礎化粧品の類いは別
「化粧しないと失礼」みたいな謎の因習が世の中には存在するみたいだけど(※そのくせ何故か高校までは禁止されている)、
あの、このイオンというのは、広島市の段○ショッピングセンターなのでしょうか?(比○山のふもと)
カンパとかは難しいんですけど、一食ご馳走するくらいのことでしたら…。
いかがでしょうか?
ポケモン1匹捕まえるのに、モンスターボール平均いくつかかってる?
俺の感覚では、だいたい3,4個かなあ、といった印象です
それに対して、ポケストップでモンスターボール出る個数はどう?
だいたい、平均して1回まわすと2,3個かなあ、という印象です
これってつまり、ポケストップに2回行ってようやくポケモン1匹捕まえられるって計算になるよね
都会民で電車通勤なら、日々の行き帰りだけで、2,30回は余裕で回せるんだろうなー、って思う
でも、俺、地方都市在住で一応政令指定都市なんだけど、車通勤だし、日々の生活で回れるポケストップは職場から100メートルほどのコンビニ前のひとつだけなんだよね
休憩がてら1日に2,3度行くけど、まあ、言うて1日で2,3回だけ回す、ってことだ
これって、最初の計算からすると、俺が無課金で捕まえられるポケモンは、1日1,2匹ってことになる
ただ、休日に駅前とかショッピングセンターとか繁華街とか、街の中心部に行くと、これはもう都会と変わらんくらいあって、モジュール咲き続けの、喫茶店で座りながら届くポケストップ3つとか、そういう不便ない状態
でもこれって、毎日駅利用とか、職場が中心部とか、そういう人しか東京と同じようなやり方ってできんのだよなー
そのくせ、一応政令指定都市だし、そこそこ人口いるので、住宅街でもポケモン自体は結構出る
俺の家の周辺でもレアポケモン出るし、俺が家で捕まえたポケモンは野良シャワーズにカブトにオムナイトにブーバーにミニリュウとか
というわけで、俺のような地方都市民のやり方はたぶん、こうじゃないかな
無課金こだわるなら休日に中心部で限界までのモンスターボール集め欠かさずやるしかない
日々、節約しながら使って行って、たまに深夜に家の周辺の4つほどあるポケストップで少々補充
週後半は明らかに足りなくなるので、課金勢はここでモンスターボール200個購入
そして週末へ
こんな感じ?
ただ、不満なく遊ぶには金がかかるなあと
金が嫌なら、深夜に中心部付近まで頻繁にわざわざ行ってボール集めが必須になる
まあ、これが経済効果になるんだろうなー
この辺よく分からない
ベニスビーチスケートパーク https://lainsidertours.com/wp-content/uploads/2014/10/skate-park.jpg
アラモアナショッピングセンター http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/006/019/93/N000/000/002/AMC1_20081001225309.jpg これは見た目名前ともにまんま
みんな大好き軍艦島
辰巳第一PA http://portal.nifty.com/2011/12/22/a/img/pc/shuto08-01.jpg
昔の自殺の名所高島平団地 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/66/e672369b48d4ee49d66d16e6c67c6b7f.jpg
国立近代美術館 http://www.tokyo-park.net/images/1310161004_02.jpg
モアナ サーフライダー ウェスティン リゾート&スパ http://www.la-viephotohawaii.com/photogallery/location/moana/imgL/02.jpg
ハンバッハ鉱山 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/32/Braunkohlenbagger_im_Tagebau_Hambach.jpg
バケットホイールエクスカベーターがあること、出水してること、英語表記(Piranha Pit)が近いことなどからたぶんこれ
わりとオラついてるセレクトだなという気がする、キャラのビジュアルもそんな感じだしまあそういうテーマなんだろう。
これは知ってるとかこれは違うだろとかあれば教えてほしい。
お台場の大型ショッピングセンターでのことだ。息子がクレーンゲームのグッズに興味を示して、どうしても欲しいという。
クレーンで円形の底を流れている細かいグッズを拾い集めて、台に拾い上げるとプッシャーに押されて景品が手元に落ちるというやつだ。
しかも巧妙にグッズが積み上げられ、後ちょっと押せば積み上げられたグッズが一気に手に入るという罠が仕掛けられている。
息子がどうしてもというのでわたしもやってみたが、3回やって動いた距離を見るに少なくとも1000円はかかるであろうことが予想できた。
ここでやめれば300円はまるまる損だ。息子もどうしても欲しいという。
しかし、果たして1000円以上もかけてグッズ(このときはトミカのチープ版だった)を手に入れる価値があるのだろうか。
横を見ると明らかに機嫌を損ねた若いパパさんが、子供を急かすように両替へと向かわせていた。
このやり取りを見るに、すでにそれなりの額をつぎ込んでいるのだろう。
もしかしたらわたしも1000円くらいでは取れないかもしれない。そう考えてダダる我が子を他のクレーンゲームに誘導してやり過ごすことにした。
ゲーセンの中をぐるりと見回して、やはり息子がどうしても欲しいというクレーンゲームに2~3度チャレンジしたがまったくもって鳴かず飛ばずだった。
子供に現実を教える授業料だと思えば500円くらいなら惜しくもない。
そう思って再び先ほどのクレーンゲームに戻ると、なんとまだ若いパパさんはまだそこにいるではないか。
しかもさっきよりも明らかに機嫌が悪くなっている。
操作ボタンの前にしゃがみ込み、ボタンを押すごとに深い溜息をついていた。
あぁ、もうこの人は引けなくなってしまったのだ。
おそらくはギャンブルなんてものに全く興味がないのであろう出で立ちだ。
もしかしたら毛嫌いしているくらいかもしれない。
しかし、得てしてそういう人間に限ってこうした局面において後に引けなくなるのだ。
おそらく彼の心理はこうだ。
さらに、つぎにやる人間が自分の出費を踏み台にグッズを獲得することになる。
それを思うと自分があといくら使おうとも、とにかく目の前の山だけは崩して帰らなくては気がすまないのだろう。
そこには子供の期待に応えようとする姿はない。でなければ子供があんな表情をしているわけがないのだ。
わたしは潔く500円を切り捨てた。
ゲームはさせてもらったのだ。息子と一瞬のドキドキを楽しむことができた。
それを損だと考えるなんて、意地汚い考えだと思っている。
なにせゲーセンの人たちも生活をしているのだ。運良く投資金額以上の景品を手にしてやろうだなんて、泥棒と同じだ。
かくいうわたしは自慢できる話ではない(本当に自慢できる話ではない)が、学生の頃にパチスロで小銭を稼いでいた時がある。
そんなわたしの姿を見て、男子学生数名が興味を持って何度か一緒に足を運んだことがあるが、真面目そうな人間に限ってのめり込んでいった。
相手も商売である。あの手この手でのめり込むように仕掛けを用意しているのだ。
まわりまわってわたしの稼ぎになるのだから直接わたしにくれればいいのに。といってもスロットの中の美少女のようなサービスは死んでも返してやらんがな。
ある程度の年齢になっても、こうしたことに免疫がないというのはいかがなものだろうか。
おそらくあの若いパパさんは使った金額に対して爪に血がにじむほど深く後悔をしているだろう。
だけど、あの手この手で金をむしり取ろうとしてくるのがこの世の中ではないか。
ゲーセンの方針やその時やめられなかった自分を責めるのだけでなく、自分がどのような心理に陥ってしまったか、次に陥らないようにするためにはどうしたらいいかということとしっかりと向き合わないと、遅かれ早かれ彼はまた同じ後悔をすることになるだろう。
わたしは隣接するアイスクリーム店を指さし、息子に使わなかったお金でおいしいアイスクリームを食べようと提案した。
息子はケロリとした様子で、満面の笑みで頷く。
うんわかってる。吸引機落としたんでしょ?
はよゾンビの徘徊するショッピングセンターに突入してこい
しらんがな面倒くさいな
開き直って「ヒーロー辞めたってもいいんやぞ!困るのはお前らやけどいいんか!!」くらい強気に出ろ
とりあえずこんだけ
久しぶりに宇多田ヒカルの「Time will tell」が聞きたくなって、本当はネットからすぐにダウンロードできるのだけれど、一駅分となりのTSUTAYAまで自転車を走らせる。春はあけぼの、とは言うけれど、実際わたしは春は夜のほうが好きである。ふわふわした陽気と、新年度の賑々しい人の声、あたたかな街のネオンは、わたしにまるで夢の中にいるみたいな気持ちをくれるのだ。三月の沈丁花の香りが春のはじまりを告げ、いつしか桜が咲き、そのあとにツツジ。東京都心はいわゆるコンクリートジャングルのようだけれど、よくよく見ると季節感にあふれている。思えばわたしが東京で春を迎えたのは、こちらの大学に入学したときのことで、もう七年も前のことになる。あのとき住んでいたのは久我山で、はじめて神田川遊歩道の桜並木をみたときは、もうなんだか、これからいいことが起こるんじゃないかというわくわくした気持ちになったものだ。たぶん久我山という場所は田舎から出てきたわたしにとっては、適度に自然を感じられる良いところだったのだと思う。井の頭線に乗れば吉祥寺にも下北沢にも行けるし、賑やかさを感じたければ渋谷へもすぐに行ける。東京というところはなんと表情豊かな街なのかと、そのころのわたしは感じていた。七年後のわたしはいまだにそう思っているかというと、ちょっと感じ方は変わってきた。もちろん、一駅一駅表情は違うのだけれど、駅を出て出迎えてくれるのは、同じコンビニ、同じ牛丼屋、同じコーヒーショップと、まるで金太郎飴のようなチェーン・ストアの数々。いまでは部屋の壁紙みたいに思っているが、一時はあの感じにほとほと嫌気がさしていた。まぁしかし、今では地方にいってもどこにでも似たような大型ショッピングセンターがあり、駅前の商店街はシャッターで閉ざされ、という感じなので、あの閉塞感にさいなまれるよりはいくらかマシだろうとは思っている。逆に言うとわたしが東京に住んでいる理由はそれくらいしかない。あとは仕事があるかないかくらいの違いだ。
TSUTAYAでCDを借りたわたしは、閉店間際のスターバックスでドリップ・コーヒーを買って外に出た。歩道の柵に腰かけながら飲むコーヒーはまだ少し熱くて、オトナの男性がウイスキーをストレートでたしなむみたいにちびりちびりと飲むほかなかった。オトナ。あれからわたしはオトナになれただろうか。陳腐な問いである。わたしはコーヒーをブラックで飲めるようになったとか、異性と何人か交際したとか社会人になったとか不倫をしたとか、そういう経験値的なものはそれなりに積んできているが、本質的には何も変わっちゃいないと思っている。ただ、子どものときの、あの何もかも新鮮でわくわくを感じさせるきらきらとした気持ちだけが徐々に鈍く灰色を帯びたものになっていく。それがオトナになるということなら、なんとつまらないことだろうか。大学でつるんでいた友だちは私を除いて皆実家暮らしで、一般職で就職して、さいきんは今の彼氏と結婚すべきか否かみたいなことを口をそろえて言うし、平日は定時に退勤する生活を送り、年に一、二回は海外旅行へ行く。彼女たちの違うところは、付き合っている男の顔と、あとは旅行の行き先くらいで、こいつらもやはり金太郎飴だ。たぶん海外旅行というのは、わたしと同じように何事にも刺激を感じにくくなったオトナたちが苦肉の末に発明した麻薬みたいなものなんだろうと思っている。わたしは表面的には彼女たちと仲良くやっているつもりだが、大学を出てからはなんとなく距離を置くようになった。たぶんわたしのほうが「彼女たちとは違う」意識をしてしまったのだろうと思う。ワタシハアナタタチトハチガウ症候群。実際にはなにも違わない、わたしも金太郎飴の一部なのだ。ただただ金太郎飴であることから逃れたかっただけで。
幸せとは何だろうかということを考えるととたんに頭の中は穏やかではない不安で満ちることになるから、いまではそういうことはもう考えなくなった。ただ、春の花のにおいで季節を感じるとわたしはなんとなくよい気持ちになるし、幸せとはそのぐらいの観念で良いだろうということにしている。わたしはコーヒーを飲み干し、目を閉じて大きく深呼吸した。さぁ、明日からまた仕事だ。そう自分自身に言い聞かせるように自転車のペダルを踏みだした。
本当に女がエロいんだよ。自分男だけど、これは女性差別なんかじゃないよ。
ぶっちゃけ、妹すらエロいよ。童顔巨乳ということもあるけどさ。
そろそろ結婚するにも限界に近い歳だけど、女エロすぎてセックスどころかオナニー不可避だよ。
母親も俺の性欲をよく分かっていて、もうできちゃった婚でも構わないと言っていた。
俺が大学生のとき、毎晩朝帰りしてくるから変だなと思っていたらしい。
母に「たまには直帰してきなよ」って良く言われていたんだけど、
これは「親の顔を立てて遊び人やめろや」という婉曲話法だったんだって。
何だ、いい母親じゃん。こんな息子でごめんね。
ちなみに、母だけは女でもエロくない。そもそも女という意識すらないが。。
コンビニの女性店員がエロくて、同じコンビニに出禁くらうほどアプローチすることがある。これは深刻な問題。
朝通勤するときにランドセル背負った女の子を見かけるだけで性欲で動悸が激しくなる。不審者感丸出し。
ギリギリエロくないのは、乳幼児レベル。女性と女児多すぎて週末のショッピングセンターでナンパしまくり。
中年、高齢者、中高生、大学生、もちろん20代の女性もエロい。一番エロいのはどうしたって女子高生。
あと、メガネをかけた女性は年齢を問わずに艶めかしい。股間が膨らむ。
仕事上の必然性があるなら何とか支障がないレベルに性欲が抑えられる。
別に男の娘にも性的関心があるわけじゃない。決してゲイではない。
女性がエロく見えるきっかけがあるわけでもない。気づいたら興奮するようになっていたんだ。
会社で優しい女の同僚が話かけてくることもあるけど、カウパー出るし、怒張を隠せない。
うちの会社はいい人ばっかで、俺は普段無口だけど口説き熱心な肉食キャラということで許されている感じだ。
こんなに女を求めるのは俺だけなんだろうか。全国にどのくらい同類がいるんだろうか。
本当に女が怖いんだよ。自分男だけど、これは女性差別なんかじゃないよ。
そろそろ結婚するにも限界に近い歳だけど、女怖すぎてデートどころかアプローチすら不可能だよ。
母親も俺の性格をよく分かっていて、もう結婚も孫も諦めていると言っていた。
俺が大学生のとき、女っ気が全然ないから変だなと思っていたらしい。
母に「たまには夜遊びしてきなよ」って良く言われていたんだけど、
これは「親に気兼ねせずに女の子と遊んできなさい」という婉曲話法だったんだって。
何だ、いい母親じゃん。こんな息子でごめんね。
ちなみに、母だけは女でも怖くない。そもそも女という意識すらないが。。
とにかく女が病的に怖いよ。何で怖いのかよく分からない。
コンビニの女性店員が怖くて、同じコンビニにいけなくなることがある。これは深刻な問題。
朝通勤するときにランドセル背負った女の子を見かけるだけで恐怖で動悸が激しくなる。不審者感丸出し。
ギリギリ怖くないのは、乳幼児レベル。女性と女児多すぎて週末のショッピングセンターを利用できない。
中年、高齢者、中高生、大学生、もちろん20代の女性も怖い。一番怖いのはどういうわけか女子高生。
あと、メガネをかけた女性は年齢を問わずに恐ろしい。背筋が凍る。
仕事上の必然性があるなら何とか支障がないレベルに恐怖が抑えられる。
女性が怖くなったきっかけがあるわけでもない。気づいたら怖がるようになっていたんだ。
会社で優しい女の同僚が話かけてくることもあるけど、言葉につまるし、目も合わせられない。
うちの会社はいい人ばっかで、俺は普段無口だけど仕事熱心な真面目キャラということで許されている感じだ。
どうしてこんなに女が怖いのかわからない。
こんなに女を怖がるのは俺だけなんだろうか。全国にどのくらい同類がいるんだろうか。
50歳以降の同窓会はそれぞれの病気自慢でもちきりになるという。
だって会社や仕事の話できないだろ、出世自慢かっつっていやがられるか、
セキュリティ問題になるだけだ。会社ポリシーとかは政治問題にも似ている。
なかなか出せない話題。
気を使わせまいとおもうと本当に他人の客観的な評価くらいしか入っていける話題がない。
「あそこの娘さんは良くできてて美人で」というのも間接的に自分の娘をクサしてるみたいだ。
他人sageに見えるが、普通に杖をついて歩くようになりたくない(お前に世話はかけたくない)という望みを
子供に話すのはそんなに悪いことだろうか。
という気持もよくわかるんで耳遠い両親相手にうなずき人形してたけど(たまにそれちがうっていってもどうせ聞こえてない)
あまりにも脳みそ側の「聞く耳」まで遠くなったような言動がひどかったので
今年はかえらなかったらさっぱりした。おすすめ。
帰ってきてくれそれもなるべく頻繁に、
っていうなら居る間のこっちの居心地もやっぱ考えてほしいんだけどなー。
こっちはお笑い芸人じゃないんだ、いつまでもテンションあげてられねえよ…
ちなみに便乗でこっちが落込むうちの親のグチリストもあげとくわ
・本人の体の辛さ(不定愁訴、手術数回。それはすすめられてもやっちゃダメな手術とか前に教えたのに、
・親類の介護状態、経済破綻状態、教育がうまくいかない(うちもこうやって余所にたれながされてるんだろうなあ)
・郊外大型ショッピングセンターに買い物いこうか(ずっと車中でグチ)
・遺書をかかせた。片親がしんだだけでは子供には遺産が行かないようにした。←子供をdisってる気持は毛頭ないらしい、やけに自慢げ
・たいした価値がないアクセサリーは孫ちゃんにあげて(だからもう片方の親に全部残るようにしたんでしょうが…)
たまーにパソコン相談とかふるさと納税とかよその孫の子守とか旅行とか
やっててくれてそこだけ正気っぽい会話ができる。
フィリピンで昏睡強盗に遭ったので、同じような被害者を増やさないために、インターネット上に遺産を残しておく。
自分は一般的な大学生男子で語学留学とインターンシップのためにフィリピンを訪れていた。
留学も終盤にさしかかり、フィリピンに到着してから10ヶ月のところで事件は起こった。
治安が悪いと専ら有名なマニラの中では、マカティは比較的治安の良い場所とされていたため油断していた。
夜の飛行機で国外へ移動する予定だったため、その日の昼頃はマニラで暇でも潰そうかとマカティのショッピングセンターで買い物でもしようと街を歩いていた。
そのとき、老人と婦人の二人組が話しかけてきた。優しそうな顔をしていた。
日本人と名乗ることは少しだけ躊躇いがあったものの、日本人で観光をしていると告げた。
そしてその老人は、自分は中国籍で久々にフィリピンに帰ってきたのだと話す。同じく観光をしているのだと。
婦人は老人の案内役のようなもので、久々に会ったからエスコートしていると言っていた。
続けて老人は暇なら一緒に買物でも行こうと誘ってきた。タクシー代も折半すれば安くなるだろうと。
共に土産などを買いにショッピングセンターに立ち寄る。
旅の思い出に写真を撮ろうとすると、あとで良い場所があるからと断られた。今思えば怪しい。
クバオという場所に連れて行かれて、そのあたりにあるショッピングセンターに立ち寄った。
マニラの地理は詳しくなかったが、ショッピングのためにマカティから移動するには少しばかり遠い不自然な場所だった。
そして、夕方になり夕食を一緒に食べようということになった。
レストランに立ち寄ると人数が7人に増えていた。
たまたま知り合いに出会ったという感じで、なぜか7人に囲まれる私。
ボス格のババアは指輪やネックレスなど高級そうな装飾品をジャラジャラとつけている。怪しい。
レストランで食事をほとんど注文もしていない。出てきたのはスープとライスだけ。
突然ボス格のババアは私に向かってチョコレートを差し出してきた。
横にいた老人はそのチョコレートを食べてみせる。
しかし明らかに怪しい。以前インターネットで見た昏睡強盗の手口そっくりだ。
手作りのチョコレートやマンゴーを食べさせる手口で、中には睡眠薬が混入していると。
周りもなぜ折角つくってくれたのに食べないのだと何やらピリピリした空気を作り出された。
暴力沙汰になっても困るので、口に入れたふりをして後から気づかれないように吐き出そうと思って、チョコレートを口に投入。
これも甘い選択だった。
口に入れた瞬間、ハッカのような味が舌を刺激する。
その後飲み込んだふりをしてトイレに行って吐き出したが、チョコはやはり口の中で溶けていた。
案の定睡眠薬のようなものがはいっていたのか泥酔したような気分になってくる。
これはまずいと、店を出てタクシーを探すがなかなかこの地域にはタクシーがないようだ。
マカティで出会った婦人が私のことを逃すものかと右腕を強く握ってくる。
やっと見つけたタクシーに乗り込み、すぐに空港へと告げたそのとき、集団がタクシーに乗り込んできてしまった。
現地語でタクシーの運転手と会話をはじめ、タクシーは発進してしまった。
そして見知らぬ場所へ連れて行かれてしまい、その後の記憶はほとんどない。
翌日、空港から飛行機でフィリピンを離れたが、どうしても、どうやって空港に来たのか思い出すことができない。
暗証番号もどこかで盗まれていたようで、どこからつけられていたのかと思うと怖い。
睡眠薬のせいか、右腕を強く握られたせいか、翌日から右腕の握力が極端に低下してしまった。
メチコバールを処方され、一ヶ月ほどで元の握力に戻ったが、その間は利き腕が使えず大変不便だった。
飛行機の航空券は改めて買い直した。学生の身には痛い出費となった。
後々調べてみると、昏睡強盗によって捕まったとしても、日本円で数万円ほどで釈放されてしまうようだ。
彼らにとっては昏睡強盗は完全なビジネスであり、日本人は格好のカモだ。
彼らの手口は巧妙だ。
何があっても初めて出会った人と行動を共にするような事をしないというのが今回の教訓である。
知人からはトランプ詐欺で数十万を騙し取られたという話も聞いた。
チョコレート以外にも、飲み物の中に睡眠薬が混入していたり、マンゴーに塗りつけられている場合があるという。
臓器売買や人身取引の被害ではなかっただけ、今思えば救われたのかもしれない。
フィリピン人は陽気で気さくな国民性であるが、中には本気で騙しに来ている人もいることを忘れてはいけないと感じた。
追記:
私はinstagramをひんぱんに使っていた。あとはswarm。
「自慢ばかりしている」
と言われたからだ。
半分以上が仕事や家庭の事情で家族旅行は2回、社員旅行1回くらい。
子供や夫婦の写真をあげ、美味しいものを食べたり、記念日には特別なレストラン。
もちろん純粋な旅行の写真や社員旅行に家族といった写真もあった。
というのも私と主人は結婚するまで旅行すら行ったこともなかった。
子供がある程度落ち着いてきたから去年くらいから出かけるのを増やした。
毎日深夜帰りの夫ができるだけ家族や夫婦といる時間やイベントを作ろうとしてくれたのもある。
もちろん家でご飯を食べることのほうがはるかに多いし、朝昼夜毎日作る。
特にうちは夫が帰りも遅く、帰らない日も多いから一人で子育てしているようなものだ。
だから子供と2人で近くのショッピングセンターや遊園地、水族館、大きい公園。
気のつまらないように、寂しさを紛らわすように、娘が楽しくなるように連れて行った。
そう、仕事のある日以外は基本娘に使う。
お金をかけているように見えるが、私は自営業なのでランチにもディナーにもお金をかけない。
夕飯も自炊。飲むのも月1回もない。
服もあまり買わない。夫ももっぱらユニクロだ。美容もネイルもしない。
どこか高めのとこ行く時は夫が払う時もあるし私が払う時もある。
それでも言われた。
「自慢をしていて周りと競っている。うざい。」
私は楽しい思い出や美しい景色、美味しい食事をスクラップしているような感覚で
instagramを使っていた。誰かに見られるためというよりはただ単に楽しい写真を
加工して綺麗にして貯めていくのが楽しかった。
それが仕事に子育てに勉強に翻弄されている私の密かな楽しみだった。
SNSを使う理由は自己顕示欲だとよく言われるけれど、その強弱はあるし、
毎日、早朝に起きて、朝ご飯を作り、子供の準備をして、保育園へ送りをして
合間の時間に資格の勉強、仕事をして、保育園に迎えに行き、晩ご飯を作り
、ご飯を食べさせ、子供とお風呂に入り、歯を磨かせ、寝かしつけ、その後掃除
忙しい時はアウトソースにも頼る。頼るけど基本真面目に生活してるつもりだし、
自分で払う時もあるんだけどなんで自慢って思うの?SNSにあがっているもの
書かれているものが生活の全てじゃないって大人なんだからわかるでしょう。
過疎っているSNSや心地よいコミュニティのSNSに行きたいけど
どうしたもんかな。