2016-05-03

ゲーセンクレーンゲームに熱くなる親子を見た

お台場の大型ショッピングセンターでのことだ。息子がクレーンゲームのグッズに興味を示して、どうしても欲しいという。

クレーンで円形の底を流れている細かいグッズを拾い集めて、台に拾い上げるとプッシャーに押されて景品が手元に落ちるというやつだ。

しかも巧妙にグッズが積み上げられ、後ちょっと押せば積み上げられたグッズが一気に手に入るという罠が仕掛けられている。

息子がどうしてもというのでわたしもやってみたが、3回やって動いた距離を見るに少なくとも1000円はかかるであろうことが予想できた。

ここでやめれば300円はまるまる損だ。息子もどうしても欲しいという。

しかし、果たして1000円以上もかけてグッズ(このときトミカのチープ版だった)を手に入れる価値があるのだろうか。

横を見ると明らかに機嫌を損ねた若いパパさんが、子供を急かすように両替へと向かわせていた。

「もういくら使ったと思ってんだ!これで最後からな!」

このやり取りを見るに、すでにそれなりの額をつぎ込んでいるのだろう。

しかしたらわたしも1000円くらいでは取れないかもしれない。そう考えてダダる我が子を他のクレーンゲーム誘導してやり過ごすことにした。

ゲーセンの中をぐるりと見回して、やはり息子がどうしても欲しいというクレーンゲームに2~3度チャレンジしたがまったくもって鳴かず飛ばずだった。

子供現実を教える授業料だと思えば500円くらいなら惜しくもない。

そう思って再び先ほどのクレーンゲームに戻ると、なんとまだ若いパパさんはまだそこにいるではないか。

しかもさっきよりも明らかに機嫌が悪くなっている。

操作ボタンの前にしゃがみ込み、ボタンを押すごとに深い溜息をついていた。

子供はとなりで掛ける言葉もなく棒立ちだ。

あぁ、もうこの人は引けなくなってしまったのだ。

見た目はいかにも真面目そうで頭の良さそうなパパさんである

おそらくはギャンブルなんてものに全く興味がないのであろう出で立ちだ。

しかしたら毛嫌いしているくらいかもしれない。

しかし、得てしてそういう人間に限ってこうした局面において後に引けなくなるのだ。

おそらく彼の心理はこうだ。

今やめれば今までのつぎ込んだ金額が全て無駄になってしまう。

さらに、つぎにやる人間自分の出費を踏み台にグッズを獲得することになる。

それを思うと自分があといくら使おうとも、とにかく目の前の山だけは崩して帰らなくては気がすまないのだろう。

そこには子供の期待に応えようとする姿はない。でなければ子供あんな表情をしているわけがないのだ。

わたしは潔く500円を切り捨てた。

ゲームはさせてもらったのだ。息子と一瞬のドキドキを楽しむことができた。

それを損だと考えるなんて、意地汚い考えだと思っている。

なにせゲーセンの人たちも生活をしているのだ。運良く投資金額以上の景品を手にしてやろうだなんて、泥棒と同じだ。

かくいうわたしは自慢できる話ではない(本当に自慢できる話ではない)が、学生の頃にパチスロで小銭を稼いでいた時がある。

そんなわたしの姿を見て、男子学生数名が興味を持って何度か一緒に足を運んだことがあるが、真面目そうな人間に限ってのめり込んでいった。

相手商売であるあの手この手でのめり込むように仕掛けを用意しているのだ。

簡単にやめられると思っている事自体が間違いだ。

まわりまわってわたしの稼ぎになるのだから直接わたしくれればいいのに。といってもスロットの中の美少女のようなサービスは死んでも返してやらんがな。

ある程度の年齢になっても、こうしたことに免疫がないというのはいかがなものだろうか。

おそらくあの若いパパさんは使った金額に対して爪に血がにじむほど深く後悔をしているだろう。

それが原因でさらにああいったものに近づかなるかもしれない。

だけど、あの手この手で金をむしり取ろうとしてくるのがこの世の中ではないか。

ゲーセン方針やその時やめられなかった自分を責めるのだけでなく、自分がどのような心理に陥ってしまたか、次に陥らないようにするためにはどうしたらいいかということとしっかりと向き合わないと、遅かれ早かれ彼はまた同じ後悔をすることになるだろう。

わたしは隣接するアイスクリーム店を指さし、息子に使わなかったお金でおいしいアイスクリームを食べようと提案した。

息子はケロリとした様子で、満面の笑みで頷く。

なぜだか今日アイスクリームはいつもより少し美味しく感じた。

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