お台場の大型ショッピングセンターでのことだ。息子がクレーンゲームのグッズに興味を示して、どうしても欲しいという。
クレーンで円形の底を流れている細かいグッズを拾い集めて、台に拾い上げるとプッシャーに押されて景品が手元に落ちるというやつだ。
しかも巧妙にグッズが積み上げられ、後ちょっと押せば積み上げられたグッズが一気に手に入るという罠が仕掛けられている。
息子がどうしてもというのでわたしもやってみたが、3回やって動いた距離を見るに少なくとも1000円はかかるであろうことが予想できた。
ここでやめれば300円はまるまる損だ。息子もどうしても欲しいという。
しかし、果たして1000円以上もかけてグッズ(このときはトミカのチープ版だった)を手に入れる価値があるのだろうか。
横を見ると明らかに機嫌を損ねた若いパパさんが、子供を急かすように両替へと向かわせていた。
このやり取りを見るに、すでにそれなりの額をつぎ込んでいるのだろう。
もしかしたらわたしも1000円くらいでは取れないかもしれない。そう考えてダダる我が子を他のクレーンゲームに誘導してやり過ごすことにした。
ゲーセンの中をぐるりと見回して、やはり息子がどうしても欲しいというクレーンゲームに2~3度チャレンジしたがまったくもって鳴かず飛ばずだった。
子供に現実を教える授業料だと思えば500円くらいなら惜しくもない。
そう思って再び先ほどのクレーンゲームに戻ると、なんとまだ若いパパさんはまだそこにいるではないか。
しかもさっきよりも明らかに機嫌が悪くなっている。
操作ボタンの前にしゃがみ込み、ボタンを押すごとに深い溜息をついていた。
あぁ、もうこの人は引けなくなってしまったのだ。
おそらくはギャンブルなんてものに全く興味がないのであろう出で立ちだ。
もしかしたら毛嫌いしているくらいかもしれない。
しかし、得てしてそういう人間に限ってこうした局面において後に引けなくなるのだ。
おそらく彼の心理はこうだ。
さらに、つぎにやる人間が自分の出費を踏み台にグッズを獲得することになる。
それを思うと自分があといくら使おうとも、とにかく目の前の山だけは崩して帰らなくては気がすまないのだろう。
そこには子供の期待に応えようとする姿はない。でなければ子供があんな表情をしているわけがないのだ。
わたしは潔く500円を切り捨てた。
ゲームはさせてもらったのだ。息子と一瞬のドキドキを楽しむことができた。
それを損だと考えるなんて、意地汚い考えだと思っている。
なにせゲーセンの人たちも生活をしているのだ。運良く投資金額以上の景品を手にしてやろうだなんて、泥棒と同じだ。
かくいうわたしは自慢できる話ではない(本当に自慢できる話ではない)が、学生の頃にパチスロで小銭を稼いでいた時がある。
そんなわたしの姿を見て、男子学生数名が興味を持って何度か一緒に足を運んだことがあるが、真面目そうな人間に限ってのめり込んでいった。
相手も商売である。あの手この手でのめり込むように仕掛けを用意しているのだ。
まわりまわってわたしの稼ぎになるのだから直接わたしにくれればいいのに。といってもスロットの中の美少女のようなサービスは死んでも返してやらんがな。
ある程度の年齢になっても、こうしたことに免疫がないというのはいかがなものだろうか。
おそらくあの若いパパさんは使った金額に対して爪に血がにじむほど深く後悔をしているだろう。
だけど、あの手この手で金をむしり取ろうとしてくるのがこの世の中ではないか。
ゲーセンの方針やその時やめられなかった自分を責めるのだけでなく、自分がどのような心理に陥ってしまったか、次に陥らないようにするためにはどうしたらいいかということとしっかりと向き合わないと、遅かれ早かれ彼はまた同じ後悔をすることになるだろう。
わたしは隣接するアイスクリーム店を指さし、息子に使わなかったお金でおいしいアイスクリームを食べようと提案した。
息子はケロリとした様子で、満面の笑みで頷く。