2023-05-29

歴史上の略式軍服

軍服というものは、伊達で着ているわけではなく、現在においては国際法上の意味がある。則ち、交戦者資格の獲得である

現在国際法上では、戦争は(基本的に)交戦者交戦者軍事施設間で行われるもので、それを外れた場合戦争犯罪となる。これを容易とするために、戦闘を行う者は、保護されるべき文民と明確に区別されなければならないのだ。

この国際法は古くはヘーグ陸戦条規に端を発し、現在ジュネーブ条約追加議定書(77年)によって条件づけられている。

時期によっても異なるが概ね

  1. 責任者のもとに指揮されていること
  2. 軍事的行動中、文民との区別をつける
  3. 公然武器を携行すること
  4. 戦争国際法規及び慣例に従うこと

にという条件が課せられる。諸条件を欠きながらも戦闘行為に参加した場合交戦者として得られるべき保護、端的に言うと捕虜として正当な扱いを受ける権利を失う。ただし、その場でコロコロしていい訳でもない(現在では)。

さて、

2については、以前は「遠方より視認できる固有標章の着用」が義務付けられていた。

即ち、軍隊らしい立派なおべべ支給きぬ場合交戦者たらんとする者共は「固有標章だけで何とかしろというケースがあったのである。WW2における著名なケースを見てみよう

Home Guard

欧州を失陥しつつあった大英帝国ドイツ軍上陸の予感に、1940年5月国内の未動員人材活用して戦力化することを決定した。これがLocal Defence Volunteers-LDV・地域防衛義勇隊、後に改称しホームガードである。ただし、装備品ほとんどダンケルクに置いてきた英軍に、そんな有象無象共に渡す制服などなかった。一時期かの有名なホームガード・パイク(水道管に中古銃剣を取り付けたヤリ)すら取りざたされていたのである。そんな時こそ、「固有標章」の出番である。具体的には、腕章だ。

https://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30077601

ただし、勝ち組なうえ、ケツモチとして米帝がついていたので、数カ月後には制服・真っ当な装備が支給されだした。しかしその前に100万のLDV腕章が製造されていたのである

Volkssturm(国民突撃隊

欧州を失陥しつつあったドイツ第三帝国は、1944年9月いよいよ枯渇した戦力の穴埋めに男子の総動員を行った。これによって編成されたのが国民突撃隊である。これにより、質はともあれ600万人の兵力が補充される予定であった。

負け戦中に600万人にパリッとした制服なぞ提供できるはずもなく、服装は「野戦向きなら何でもいい」自前。そんな時に国家がすがるのが、そう、腕章である

黒地に国家鷲章と「Deutscher Volkssturm Wehrmacht」(ドイツ人突撃軍)のステンシルが施されていた。

https://en.wikipedia.org/wiki/Volkssturm#/media/File:Volkssturm_armband.svg

国民勇戦闘隊

占領地どころか、沖縄まで失陥し、大日本帝国本土決戦覚悟していた。そのための補充兵力として45年6月国民勇戦闘隊を編成するための法整備が行われた。これは男女問わず対象年齢に差あり)必要に応じて召集することができ、2800万人を動員する計画であった。義勇と名前がついているが、召集と書いた通り義務兵役の類である

本土残地の正規軍にすらろくろ兵器物資がいきわたっていないところに2800万人の動員である。当然制服など配る余裕などない。なにせ武器だって自前で用意する想定である。そのための竹槍。

そんな時こそsy・・・あれ?腕章ってば輪っかにする分布地余計に要るよね?ピコーンひらめいた!

というわけで、一般隊員は6×7センチの白布に「戦」と書いたものを右胸に縫い付けることと相成ったのである。なお、指揮官級は幅10センチの白い腕章をつけることになっていた。

なお、この部隊樺太の戦いで実戦投入された以外は、交通職域で200万人が動員された程度にとどまった。

https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000043434

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