愛されたいという呪いにかかっていた。
かけたのは自分だ。
自分でかけた呪いに苦しめられてきたなんて本末転倒なのだけれど、一応、きっかけはある。
中学時代に、クラスの男子が「○○(私)のこと好きになるやつなんているの?」とバカにしたような笑い声を上げながら話していたのを聞いた。
どういうきっかけでその話をしていたのかは分からない。ただ彼らは賑やかな休み時間の教室でその話をしていて、同じ教室内にいた私の耳に届いた。
聞いたときはショックで、なんでお前たちにそんなこと言われなきゃいけないんだという悔しさと、容姿のコンプレックスがあったのでやっぱりそうなんだという納得で死にたくなった。
本人たちには何も言えなかった。ただ聞こえない振りをするのが精一杯だった。
絶対にアイツらを見返してやる。
そう呪った。
アイツらに二度と笑われないように、と誓った割に、整形するでもなく、自分に合う化粧の仕方の研究をしたわけでもない。
ただ漠然と、素の私をとても素敵な人に恋愛対象として愛してもらえれば、バカにしてきた奴らを見返せれると思った。
客観的にバカにされたので、もっと上位の人間に認めてもらえれば私が価値があることが証明されるし、満たされるのだと思ったのだ。
書いてて恥ずかしくなるのだが、コンプレックスと自意識を盛大に拗らせている。しかも怠惰だから努力はしない。最悪だ。
まぁ、当たり前なのだが、そんな性格がネジネジに拗れて、見た目もイマイチな人間を好きになってくれる人などいなかった。
一応、好きだと告白されて、交際したこともあるのだが、私が相手のことを好きになれなかった。私のことを好きだなんて、美意識がどうかしてると思って、どうしても引いてしまうのだ。
愛されたいのに好きだと言われると引くという。
自分でもよくわからないが、恋愛的な意味で好意を持たれると相手を気持ち悪く感じてしまうことがその時わかった。
せっかくこんな私を好きだと思ってくれたのに、相手には本当に申し訳ないことをしたと思ってます。すみませんでした。
愛されたい。
それはだいたい落ち込んだときに強く感じて、「誰にも愛されないし、このまま死んでしまいたい」とよく思った。
無意識にかけていた呪いは強烈で、あまりにも思考に深く根付いていた。
なので、けっこう最近までそう考えること自体に疑問を感じなかった。無意識って怖い。
呪いに気づいたのは、ある出来事でどん底まで落ち込んだからだ。
と言っても、行きたかったある公演のチケットが取れなかったというだけなのだが……。
他人から見たらそんなことかよと思うだろうが、私は喉から手が出るほどチケットがほしかったし、そのために結構な額の課金をした。それでも取れなかった。
こんなに好きなのに、チケットも取れないぐらい運も悪いし、誰にも愛されない。死にたい。
いつもの思考パターンだが、チケットの先行が複数回あるので、当落発表の度に上記の思考回路に落ちる。
あまりにも短時間に頻繁に考えるし、コロナのせいで軒並み出かける予定が消えて暇だった。気を紛らわせる手段にも限界があるので、すぐにその思考に戻ってしまう。
そのうち、チケットが取れないという現実から目をそらしたくて、そもそも、なんでこんなに愛されたいのかについて考え始めた。
愛されたいという欲求は、おそらく人間に潜在的に備わってるものだけど、私はあまりにもそれが強くないか?なんでだろう。
愛されて認められたい。
けど、認められるってなんだ?どうして愛されることが認められることなんだ?
順を追って考えて、やっと「もしかしなくても中学時代のあの胸糞悪い出来事がきっかけで、思考が捻れてないか?」と思い当たった。
胸糞悪い上に自分で呪いまでかけてる!しかも相手は絶対言ったことすら忘れてるのに!
同窓会も行かないから、もう彼らに会うことないだろうし、あまりにも嫌い過ぎて顔を忘れたので、どこかで会っても気づかない。
そんな相手を見返したいと思っていた。
これで努力して自分が良い風に変わったなら良かったが、特になんの努力もしてないので、ただムダに長い時間、自分で自分にかけた呪いに苦しんでいただけだ。
アホすぎる。
呪いに気づいた今、とりあえず愛されたい欲求は落ち着いている。
愛されなくても生きていけるし、誰からも恋愛対象として愛されず、結婚できなくても、趣味や同性の友達と楽しく過ごせればいい。そうして一生を終えたい。
ただ、あまりにも長く呪いにかかっていたので、いつの間にかまた呪いの思考が戻ってくるのではないかと怯えている。
そうならないよう、愛されなくてもいいんだよ。誰かの悪意に立ち向かわなくていいんだよと、忘れないようここに記しておく。
❅🐉💩
あいあい