と言っても1つのグループしか推したことはなく、それも片手で数えられる程の年数だ。
その約半分はコロナでイベントはあまり開催されず、配信やSNSで繋がりを持つくらいだった。
地域の発展や情報発信をメインに活動してはいるが、メジャーデビューもしていて全国各地にライブをしに行くこともあった。
グループの活動拠点と私の住んでいる地域は少し距離があったが、それなりに赴いてくれていたしこちらが遠征することももちろんあった。
グループとの出会いは元々そのグループのオタクだった友人に影響されてのものだ。
大きめのライブハウスでライブがあり、チケットが余っているから来ないかと誘われた。
その随分前から友人には散々グループの話を聞かされていて、一度だけなら行ってみてもいいかとこちらが折れた形だ。
あの時の衝撃は忘れられない。あんなにキラキラ輝く空間がこの世界に存在するのだと、しかしそんな空間は何故これほど小さな場所にしか広がっていないのだと、大きなギャップを感じたことを鮮明に覚えている。
コロナが流行し始めてすぐ、2020年中頃。メンバーが1人脱退した。
オタクたちは納得していた。そのメンバーはコンセプトのはっきりとしたグループでははみ出るほどの個性を持っていた。
その年の瀬、また1人メンバーが脱退した。“体調不良”になる前のメンバーは歌唱中も暗い表情で、明らかに今までの精神状態ではなかった。オタクはあの時も納得していたと思う。
人生で様々な変化が起こるはずの年頃であるメンバーたちと、コロナで空いたスケジュール。ニュースでも頻繁に人々の慢性的なストレスが取り上げられていた頃。
辞めた理由とされる“不祥事”は、正直一般人ならば何も問題にならないものだった。
私がアイドルオタクになったきっかけの友人の推しと、私の推しは未だ精力的に活動していた。
新曲も出た。イベントも制限がある中ではあるが出来るようになった。個人の大きな仕事も決まった。
私は納得していた。むしろ1人抜けた瞬間からそれを願っていたように思う。
解散が発表されてから、推しを好きだった気持ちをひたすら振り返る。
そもそも発表される3ヶ月ほど前に、推しのある発言が受け入れられず完全に距離を置いていた。
降りる理由としては小さいがどうしても譲れないものがあり、然して以前から心は離れかけていて、その発言がトドメとなった。
ただ1つの発言は受け入れられなかったが、それまで好きだった気持ちだけは今でも大切にしている。
私は推しの痛ましいほど真面目なところが好きだった。グループでは年が上なこともあり、リーダーではないが責任感は強い方だったように見えた。
そんな真面目で頑固なところが時に仇になることもある。そんなところも好きだった。まるで自分を見ているみたいだと思っていた。
他人を律するということは、自分自身の首を絞めることになる。真面目で何事にも手が抜けない、息苦しさと共に生きているところに共感のようなものをしていた。
このグループにはメンバーと接触できる機会があり、ツーショットが撮れたり会話したりすることが出来た。
私はその瞬間の推しだけは苦手だった。こんな人間に嘘でも好きなんて言うのはやめてほしかった。
私は人に好意を向けられるのが苦手だ。
人と会話するのも苦手で緊張する。ほとんどあがり症に近い人間だ。それで人自体を嫌いになれればよかったのだが、どうしても人を嫌いになれない。
誰かに好意を向けられていると知ったとき、背筋が凍って、消えてしまいたくなる。やめてくれと思う。好意に応えろと脅されている気がして怖くなる。
アイドルとは商売で、金銭のやり取りがなければ関係は成り立たない。
それが、私には大層心地よかった。アイドルとオタクという距離に安心感を覚えていた。
推しを好きだという気持ちは私だけのものだという強い意思もあり、好きなときに好きなようにイベントへ行った。
1人また1人と辞めていったとき、推しを愛する人が消えてしまったと感じた。
私は人を愛し愛される推しが好きだった。グループ自体が大好きだった。
ライブの高揚感が忘れられない。
屋外で悪天候の中でも、ハードなスケジュールの中でも、どれだけステージが簡素な作りでも、どんな時でも楽しいライブだった。
雨も雪も風も何もかもライブを盛り上げる1つの要素に過ぎなかった。輝いていた。奇跡だった。
楽しかった。ただただそれがいけなかった。
楽しすぎることは危険だった。それを失って空いた穴を、私はどう塞げばいいのかわからない。
私は自己肯定感が低い自覚がある。飽き性でもあるし、すぐ何かを嫌いになるまで好きになってしまう。
だから好きになりすぎないよう自制しているところもあった。
けれど、失われると確定した途端、自制なんてもの出来ていなかったんだと気付いた。自分の意識の外で依存心は音もなく膨れ上がっていた。
たくさん考えた。自分がグループ、推しのどんなところが好きで、どうして好きでいられなくなってしまったか。
先に退いたのは自分で、私の心が離れてから解散は発表されたのに、どうしてこんなにも喪失感に苛まれるのか。
自分を好きでいられない時、推しの姿を見ることでまだ自分自身も好きでいられるのだと錯覚出来た。
結局は自分も愛されたかったのかもしれない。少なくとも、人の温もりを感じていたかったのかもしれない。
何かに依存するのは恐ろしい。その対象が人間であればなお恐ろしい。
グループが解散し推しが表舞台から消え、私の視界にアイドルとしての推しがいなくなったら、上辺の私もいなくなってしまうんだろうか。
また何かに愛されたいのか愛したいのかわからない日常を、たぶん平気で生きていくんだろう。
もう少し距離の近い形式で、ネット上で、はたまた“救い”を伝導するか。そういう世界だ。
推しは「これ以上グループが変わっていくなら今のままで終わらせたい」と言った。私もそう思っていた。
推しを鏡として見ていた私は、もう二度と推しは表舞台に帰ってこないんじゃないかと感じてしまった。
私は推しを鏡として見るのを辞める。
そもそも今も昔も推しは鏡なんかではなく人間だった、きっと。もしくはこれから人間になるのだろう。
感情を強く揺さぶられた瞬間たちと、それさえ無下にしてしまう自分の愚かさが、あの日々を青春だったと証明している。
オタクとして生活している中で、口にすることが出来ない言葉があった。
終わるとわかっている今だから言える。
グループが解散しても、私の中で彼らは永遠に、ずっと、私が死ぬまで1番であり続ける。
思わず推しのメンバーカラーの物を手に取ってしまうだろうし、数年前の今日は楽しかったと懐古してしまう。
眠れない布団の中に入ったら、またあの高揚感を思い出す。
もう二度と彼らが全員揃い歌って踊る姿が見られないことが悔やまれる。
彼らにしか出来ないパフォーマンスがあった。彼らと私たちにしか生み出せない空間があった。
参戦したライブすべてが楽しかったこと、推しを好きだと思ったときに好きだと伝えてきたこと、それらが心底憎くてそれだけが救いだ。
整理番号を取るために始発で現場に向かい何時間も列をなしたことも、両手にいっぱいのCDを提げ電車で帰ったことも、緊張して推しと上手く話せなかったことも、すべてつらかったけれどそれ以上に楽しかった。幸せだった。生きててよかったとすら思えた。