2022-08-19

狂ってれば人生は秒

私はつい最近までアイドルオタクだった。

と言っても1つのグループしか推したことはなく、それも片手で数えられる程の年数だ。

その約半分はコロナイベントはあまり開催されず、配信SNSで繋がりを持つくらいだった。

私が推していたアイドル所謂ご当地アイドルだ。

地域の発展や情報発信をメインに活動してはいるが、メジャーデビューもしていて全国各地にライブをしに行くこともあった。

グループ活動拠点と私の住んでいる地域は少し距離があったが、それなりに赴いてくれていたしこちらが遠征することももちろんあった。

グループとの出会いは元々そのグループオタクだった友人に影響されてのものだ。

大きめのライブハウスでライブがあり、チケットが余っているから来ないかと誘われた。

その随分前から友人には散々グループの話を聞かされていて、一度だけなら行ってみてもいいかこちらが折れた形だ。

あの時の衝撃は忘れられない。あんなにキラキラ輝く空間がこの世界存在するのだと、しかしそんな空間は何故これほど小さな場所しか広がっていないのだと、大きなギャップを感じたことを鮮明に覚えている。

コロナ流行し始めてすぐ、2020年中頃。メンバーが1人脱退した。

オタクたちは納得していた。そのメンバーはコンセプトのはっきりとしたグループでははみ出るほどの個性を持っていた。

その年の瀬、また1人メンバーが脱退した。“体調不良”になる前のメンバー歌唱中も暗い表情で、明らかに今までの精神状態ではなかった。オタクはあの時も納得していたと思う。

私は最後ライブ配信は見なかった。見られなかった。

次の年、2021年中頃。また1人メンバーが脱退する。

人生で様々な変化が起こるはずの年頃であるメンバーたちと、コロナで空いたスケジュールニュースでも頻繁に人々の慢性的ストレスが取り上げられていた頃。

辞めた理由とされる“不祥事”は、正直一般人ならば何も問題にならないものだった。


私がアイドルオタクになったきっかけの友人の推しと、私の推しは未だ精力的に活動していた。

新曲も出た。イベント制限がある中ではあるが出来るようになった。個人の大きな仕事も決まった。


グループ解散が発表された。

私は納得していた。むしろ1人抜けた瞬間からそれを願っていたように思う。

解散が発表されてから推しを好きだった気持ちをひたすら振り返る。

そもそも発表される3ヶ月ほど前に、推しのある発言が受け入れられず完全に距離を置いていた。

降りる理由としては小さいがどうしても譲れないものがあり、然して以前から心は離れかけていて、その発言トドメとなった。

ただ1つの発言は受け入れられなかったが、それまで好きだった気持ちだけは今でも大切にしている。

私は推しの痛ましいほど真面目なところが好きだった。グループでは年が上なこともあり、リーダーではないが責任感は強い方だったように見えた。

そんな真面目で頑固なところが時に仇になることもある。そんなところも好きだった。まるで自分を見ているみたいだと思っていた。

他人を律するということは、自分自身の首を絞めることになる。真面目で何事にも手が抜けない、息苦しさと共に生きているところに共感のようなものをしていた。

このグループにはメンバー接触できる機会があり、ツーショットが撮れたり会話したりすることが出来た。

推しに好きだと伝えたとき推しも私に好きだと言った。

私はその瞬間の推しだけは苦手だった。こんな人間に嘘でも好きなんて言うのはやめてほしかった。

私は人に好意を向けられるのが苦手だ。

人と会話するのも苦手で緊張する。ほとんどあがり症に近い人間だ。それで人自体を嫌いになれればよかったのだが、どうしても人を嫌いになれない。

かに好意を向けられていると知ったとき、背筋が凍って、消えてしまいたくなる。やめてくれと思う。好意に応えろと脅されている気がして怖くなる。

推し他人で、アイドルだ。

アイドルとは商売で、金銭のやり取りがなければ関係は成り立たない。

それが、私には大層心地よかった。アイドルオタクという距離安心感を覚えていた。

推しを好きだという気持ちは私だけのものだという強い意思もあり、好きなときに好きなようにイベントへ行った。


推しアイドルではなくなる。

1人また1人と辞めていったとき推し愛する人が消えてしまったと感じた。

私は人を愛し愛される推しが好きだった。グループ自体が大好きだった。

ライブの高揚感が忘れられない。

屋外で悪天候の中でも、ハードスケジュールの中でも、どれだけステージ簡素な作りでも、どんな時でも楽しいライブだった。

雨も雪も風も何もかもライブを盛り上げる1つの要素に過ぎなかった。輝いていた。奇跡だった。

しかった。ただただそれがいけなかった。

楽しすぎることは危険だった。それを失って空いた穴を、私はどう塞げばいいのかわからない。

私は自己肯定感が低い自覚がある。飽き性でもあるし、すぐ何かを嫌いになるまで好きになってしまう。

から好きになりすぎないよう自制しているところもあった。

けれど、失われると確定した途端、自制なんてもの出来ていなかったんだと気付いた。自分意識の外で依存心は音もなく膨れ上がっていた。

たくさん考えた。自分グループ推しのどんなところが好きで、どうして好きでいられなくなってしまたか

先に退いたのは自分で、私の心が離れてから解散は発表されたのに、どうしてこんなにも喪失感に苛まれるのか。

私は推しを見ることで、自分自身を見ていた。推しは鏡だった。

自分を好きでいられない時、推しの姿を見ることでまだ自分自身も好きでいられるのだと錯覚出来た。

結局は自分も愛されたかったのかもしれない。少なくとも、人の温もりを感じていたかったのかもしれない。

かに依存するのは恐ろしい。その対象人間であればなお恐ろしい。

グループ解散推しが表舞台から消え、私の視界にアイドルとしての推しがいなくなったら、上辺の私もいなくなってしまうんだろうか。

また何かに愛されたいのか愛したいのかわからない日常を、たぶん平気で生きていくんだろう。

推しアイドルを辞める。

しかしたらまた表舞台に帰ってくるかもしれない。

もう少し距離の近い形式で、ネット上で、はたまた“救い”を伝導するか。そういう世界だ。

推しは「これ以上グループが変わっていくなら今のままで終わらせたい」と言った。私もそう思っていた。

推しを鏡として見ていた私は、もう二度と推しは表舞台に帰ってこないんじゃないかと感じてしまった。

私は推しを鏡として見るのを辞める。

そもそも今も昔も推しは鏡なんかではなく人間だった、きっと。もしくはこれから人間になるのだろう。

感情を強く揺さぶられた瞬間たちと、それさえ無下にしてしま自分の愚かさが、あの日々を青春だったと証明している。

オタクとして生活している中で、口にすることが出来ない言葉があった。

それは「永遠」だとか「ずっと」「1番」。

終わるとわかっている今だから言える。

グループ解散しても、私の中で彼らは永遠に、ずっと、私が死ぬまで1番であり続ける。

わず推しメンバーカラーの物を手に取ってしまうだろうし、数年前の今日は楽しかったと懐古してしまう。

眠れない布団の中に入ったら、またあの高揚感を思い出す。

もう二度と彼らが全員揃い歌って踊る姿が見られないことが悔やまれる。

彼らにしか出来ないパフォーマンスがあった。彼らと私たちしか生み出せない空間があった。

きっとあの空間はそういう奇跡のような空間だった。

参戦したライブすべてが楽しかたこと、推しを好きだと思ったときに好きだと伝えてきたこと、それらが心底憎くてそれだけが救いだ。

整理番号を取るために始発で現場に向かい時間も列をなしたことも、両手にいっぱいのCDを提げ電車で帰ったことも、緊張して推しと上手く話せなかったことも、すべてつらかったけれどそれ以上に楽しかった。幸せだった。生きててよかったとすら思えた。

あの日々は凄まじいスピードで過ぎていった。

もうあの感覚を味わうことはないだろうが、きっと彼らのいないこれから人生さらに早く過ぎ去っていくように思う。

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