はてなキーワード: 対峙とは
※朝になって読んだら読みづら杉。あとで編集する。
観終わって、ディズニー映画でこれほど多様な読み方が出来る映画はない!と息巻いてシネスケ開いたらあんまりみんな自分の解釈提示してなくて、いきなりシネスケに書くのも恐いから、おそるおそる増田に書いてみる。ネタバレあり。
まずあらすじ。
幼少時に自分の魔法(触れたものを凍らしたり、氷柱を地面から生やしたりする)によって妹アナを怪我させてしまったエルサ。その経験から、親の指導により人との関わり合いを断絶。アナは治療時に記憶を失っているので姉がなぜ人との関わり合いを避けているのか理解できない。そんなエルサだが、大人になって女王に就任。その戴冠式のお祭りでアナはハンス王子と出会う。出会ったその日に婚約するも、エルサからはそんなのは愛ではないと言われてしまう。ここでアナが日ごろの鬱憤をぶちまけ、それによりエルサが激情しこれまで隠してきた魔法を発動。2人が住むアレンデール国は雪に閉ざされる。魔女を捕らえようとする追っ手から逃れ、エルサは氷の山で独りの王国を築き上げる(ここでLet it goを歌う)。雪に閉ざされたアレンデールを何とかすべく、アナはエルサの後を追う。途中出会った男クリストフと共に氷の山に行くも、エルサはアナに帰れと言う。ここでアナの話からアレンデールが自分の魔法のせいで大変なことになっていることを知ったエルサは絶望し、魔法を発動して再びアナに重症を負わせてしまう。アナを治療すべく、クリストフは魔法使いのところに行くも、「凍った心を溶かすのには真実の愛が必要」と言われる。クリストフは真実の愛=婚約者であるハンス王子のキスが必要と解釈し、アナをハンス王子の下に送り届ける。ハンス王子と再会したアナは王子のキスを求めるも、実はハンス王子はアレンデール国を乗っ取ろうとする悪者であることがここで発覚。王子はアナを見殺しにし、アレンデールの大臣にアナはエルサの魔法で殺されたと告げる。氷の城を襲撃して捕らえたエルサの処刑がここで決まる。処刑の直前にエルサは逃亡する。他方、アナの方は、愛とは「他人のために自分を犠牲にすること」と諭され、自分を助けるために命を賭しているクリストフの姿を思い浮かべる。そこでクリストフの下に向かうが、そこにはハンス王子と対峙するエルサの姿が。結局アナは目の前のクリストフを尻目にエルサをハンス王子から守る。エルサの魔法によりアナは凍ってしまうが、「凍った心を溶かすのには真実の愛が必要」という言葉を信じたエルサがアナにキスし、アナは目覚める。ラストは「真実の愛」により雪が溶けたアレンデールの光景を映し出し、終了。
主題は2つあってそれが1つに繋がる構造。主題の1つは、自らの「魔法」をその共同体の中では抑圧せざるを得ず、「魔法」は共同体と決別することで解放することができる。しかし、それには種々の問題が生じる、というもの。主題のもう1つは、「真実の愛」は家族愛である、というもの。この2つの主題を繋ぐのは、「凍った心を溶かすのには真実の愛が必要」という命題で、「魔法」の解放により生じる問題は「真実の愛」でこそ解決できるいうようになる。
主題の2つ目(「真実の愛」は家族愛である)というのは最近ディズニーが『マレフィセント』で主題としたところ。同映画では、魔女の呪いにより永遠の眠りについたオーロラ姫が、真実の愛により目覚めると言われている。そこでイケメンの王子がキスしてみるがダメで、結局お母さんのキスで目覚めるというストーリーになっている。そこで語られているのは、その辺のイケメンと1夜の恋に落ちたところでそんなのは愛ではなく、家族愛こそが真実の愛である、というメッセージである。そうしたことから、主題の2つ目は割とはっきりしていて、それほど多様な読み方ができるというものではないと思う。
問題は主題の1つ目で、Let it goの解釈がここに関わってくる。日本語版だと「ありのままに」と訳されているのは周知の事実だが、これだと「自分らしく生きていけばいい」というメッセージになる。しかし、これは正確ではない。エルサは自分らしく生きた結果、アナを傷付け、故郷の国を雪に閉ざされた世界にしてしまったのである。この曲はそのような自己肯定的な曲ではなく、「(是非はともかく)とにかく家族を捨て、自分は解放されたんだ」という意味に解すべきだろう。
仮に主題を上のように解するとしても、そこには「魔法」は何を意味しているか、という問いが存在する。ここでの「魔法」とは、
①それにより周囲の人間を傷付けるため、
②周囲から自制と抑圧が求められるが、
を意味する。これを前提にまずありうる解釈は、「魔法」とは同性愛を指しているというものである。この線で作品全体を考えてみると、同性愛を抑圧し、隠そうとする家族という共同体を捨て去ることで、同性愛の問題は解決する。しかしそれは真の解決ではなく、種々の問題が生じるものである。大事なのは、家族との相互理解、歩み寄りによる「愛」であり、それこそが問題を解決するのだ、という読み方になる。
■凛
サブヒロインにしては非情に惜しいキャラというのは誰しも皆感じると思う
1章における彼女の存在感は異常でありあからさまな選択肢に引っ張られても仕方ない
「~っす」という口調も当時の女性にありそうであるが大人しめの声質がミスマッチであり逆に個性を引き立てている
娼婦の身の上である故の悩みも悪くない、処女厨はお帰りくださいと言ったところか
■初音
キャラ紹介ではメインヒロイン扱いではあるが…そもそも和菜以外みんなサブヒロインか
エンドは全ての謎をほっぽり出したHAPPY、だが冬史が消息を断ったと聞いてはすっきりしないだろう
TRUE攻略後に分かるが初音√では初音達に手がかかる可能性が残っていそうである
あれほどの期間何も起きない理由って説明されてたっけ?
■楼子
令嬢という立場もあり綺麗な風貌に「ですの」口調
Hシーンに限って言えば彼女が一番えろい(七七は男の趣向をよく分かっているな)
■冬史
登場から圧倒的に頼りになる存在感を放っているが便利キャラなんだよなあ
どこか可愛らしい一面がないかと座して待っていると和菜√での味噌である
日本人は白髪or銀髪へ悪い印象を抱かないらしいが、彼女にも嫌悪感を抱く人は少ないだろうなと思う
秋五との信頼関係はどう築かれていったか詳しく掘り下げられてれば終盤の対峙においても説得力があったんだけどな
Hシーンは極めて普通、隻腕設定いらなくないか…
■七七
高性能すぎて扱いきれてないよね
有島の件は秋五のお手柄と発言しているが彼女の行動力ならいずれ1人で辿りついてしまうレベルである
有島に秋五の察しの良さを指摘されていたが彼女が上位互換すぎるために全て霞む
やるならTRUE後の分岐で爆弾落とすようなものにした方が良かったのでは?
一色さんの演技は素晴らしい
■和菜
声優の演技も悪くないし声質も綺麗で嫌いになる要素はない
秋五へ好意を寄せる過程もわからなくは無いが、昨今一目惚れしちゃうようなヒロインが多いため生半可な理由では納得出来なった自分
そのため過去に何かしら関係があった等の背景がない限りいくらメインヒロインと云えど数日で惚れちゃうのはいただけない
他のヒロインが基本的に以前から繋がりがあるという中で彼女ひとりだけが都合よく君臨してしまうのはなんかなあ
■シナリオ
・ミステリーって何なんだろう、っていうのが浮かぶ
しっかりミステリーが機能するのは1章終盤の七七の問いかけまでじゃないかな
カラスの存在、死体の運搬、犯人の動悸…すべてがそれまでに推測可能だ
以降の展開では、
(そもそもミステリーは主人公視点じゃないと駄目なルールなかったっけ?)
有島がおかしいと確信できるのはミルクホールで一服に出た時が初
それ以前は八木沼をスルーする程度で犯人に繋がる要素とはいえないよな
・上手いと思えるのは殺害における傷の付け方
このため盲目設定であった由良が犯人であるという余地が生まれ、最終的に目にある特殊な変異がキーに繋がっているとも言える
個人的に和菜黒幕説を疑っていたため、姉への復讐とか秋五への執着の線を気にしていた
独特の空気感を生み出す要素としても素晴らしいと思う
ゴアスクリーミングショウのような更なる陰鬱さを覚悟していたので少し安心
1章でヒントを散りばめつつ、2章各√でヒントのまとめ、3章で答え合わせ
簡単にこんな構成でも良かったように思う
いや自分がシナリオ書けるわけがないので単なるわがままに違いは無いのだが
■総評
何はともあれゲームとしては十分楽しめて嵌る、神ゲーと言ってもいい
秋五の情けなさが随所で指摘されているようだがTRUEに限れば目立たない程度では
サブキャラ活かすのがうまいのかな、主人公はあんなもんでいいと自分は思うが
総プレイ10時間程度かな、エロは選択肢で一応回避できるし影響も少ない
BGMは流石Little Wing、耳にすっと入ってきて変に気にならない
Hシーンに選択肢(体位)ごとにCGを設けちゃう作り込みは凄い
当時プレイした人は間違いなく次回作も確実に買っちゃうよねこの豪華さだと
点数 88/100
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache%3Aanond.hatelabo.jp%2F20140911194735
2014-09-11
一度も
なぜかそういった事に
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache%3Aanond.hatelabo.jp%2F20140910230530
2014-09-10
■http://anond.hatelabo.jp/20140910170128
ブコメ見ればたいていわかるよ。
いま一番おもろいのにねー。
ついった鍵かけて
ブログにも鍵かけたって?
鯖缶も大変やね。
アカ消し逃亡するか
決めろっての。
かあみっと、でした。
それは、ベテランになればなる程コネクションが出来て情報を手に入れやすくなるから。
まあ、違法な方向で、裁判官や検事からも情報入れたりあげたりして便宜を測る最悪なのも多いが。
ま、違法な事をやられたらどうしようもないが、
「情報」と言う点に関してはかなり一般にも容易に手に入れやすくなったものもあり、
そのような「ベテラン」の意義は薄れている。
ただただ、無駄に「弁護士」と言う資格があり弁護士にしかアクセス出来ない情報があるのがホントに害悪だが、
そういうものをなくせば「弁護士」という職業そのものが必要無い。
弁護士が論理力がありきちんと物を考える力があってそれが認められて資格を得てるなら良いのだが、
実際にはそんなことはない。
実際、この前、意味不明な事でどこぞのボンボンに訴えられたが、
そいつの親はその地域で弁護士会のお偉いさんを務めるほどのベテラン弁護士でその事務所の部下一人とそのお偉いさんで弁護するみたいな
こちらは弁護士も付けずに戦って余裕の勝利。
何度もこちらが法律知らないから適当に言いくるめてやろう、みたな部分があったが、
少し調べれば分かる様なことなら後は論理的にきちんと出来れば良いだけ。
奴らはただただ、相手が知らないところに漬け込んで、相手の隙をついてなんとかやり込めよう、とするだけ。
告解は続く。
己の異常性を自覚しながらも、他者に矯正して欲しいと願い続ける人間が、このような形での告解を望む。
“自ら正す”という決意を持たない限り、他者への依存が続くばかりで精神的自立にはつながらず、告解が終わる事などない。
やり取りの大元で既に断定は済んでいたが。
改めて断言しよう。これはもはや、異常性を隠しもしない、明確な異常者だ。
そこまで言うならもう少し遊ぶことにするよw
お前の行為は既に遊びの範囲を逸脱して久しい、というのは既に書いた。
他の増田と比べてもわかるように、第三者から見てもそうだ。明らかな異常者だ。
弁解にならない弁解を免罪符のように掲げ続けていても、周囲から見れば滑稽の限りだし、また自らの歪みを正す事はできない。
「増田への書き込み」と言う「行為」に限って言えば、悪意からの書き込みであっても相手の状態とやらに責なんか負わないよw何言ってんの?
つか逆に君は負うのかい?君の書き込みを読んだ相手の状態について、何の「責」を負うの?
責めを負う負わないではなく、お前の中から完全に欠如している視点について指摘した。
その視点が欠如している限りは、増田に限らず、お前の言動はすべて悪意から発せられるものと誤解され得る。
そこが危うい。
そして最後の一行を訳すのならば、「もっとボクに優しくして!」だろうか。
しかしこちらはお前のママではなく、お前が相対しているのは教説を旨とする聖職者だ。
受け入れようとしない異常者の相手をする場合であれば、言葉を選ぶ理由は一切ない。
何だい?「俺にもっと思いやりを持って接してくれ!」っていう心の叫びかい?w
「俺に思いやりを持って接しろ!受け手である俺の視点を考えろ!俺の方は馬鹿とかクズとか好きにお前を罵倒するけどな!」ってこと?w
そもそもの認識が逆だ。お前は、相手と自分との立場を逆に捉えている。
やはりお前は今まで、家庭では親に対して、学校では教師に対して、会社では教育役に対して、すべてそんな態度で接してきたという事だろうか。
あくまでもお前の告解を聞き届けているのはこちらであり、その立場から投げかけられる言葉がどういうものかは推して知るべきだ。
それに対して無理矢理に曲解を向けたとしても、その解釈は非常に苦しいものとなるし、またお前自身が得るところも一つもない。
言える事は一つのみ。自身の異常性と対峙し、自覚して正す事だ。
「返答を考えたりして、中途半端な空き時間とかの暇がつぶせる」のが「益」だよ。
つかさぁ、「常識と禁忌との境界線を越える行為」てw俺ただ増田に書き込んでるだけですけどw
「禁忌」がどーとか、そんな大それたことしてるつもりないんですけどww
単純な事だ。ただ増田に書き込むだけならばここまで執拗に特定個人に対しトラバはつけない。
他の増田達のやり取りを見ていてもわかるだろう。
他の増田達がここまではしないような事を延々とやり続け、またそれを指摘されても尚やめない。
話題も過ぎ去り、他の増田も去り、これといった用もなく、たったひとりで執拗にトラバを返し続ける、お前の行動は既にただの遊びの範囲を逸脱している。そう既に書いた。
どう誤魔化そうとも、弁解しようとも、そこには異常行動を取るだけの異常な行動理由があり、ひいてはお前の根源的な異常性に繋がっている。
より具体的な例を挙げるならば、自身の行為が他者の目にとってどう映っているのか、考えて見た事はあるだろうか?
“気にしない、俺は俺が面白いから人にちょっかいを出し続けるんだ”
もしそう思っているのであれば、それもまた、警察の厄介になるストーカーなどがよく口にする論理である、と告げておこう。
妄想激しすぎw
執拗にトラバを返し続けるお前の異常行動と、その源となる異常性。
既に第三者の目から見ても遊びの範囲を逸脱して久しい、お前の“遊び”とやら。
既に飽きていると自分で言っていながらも続ける、お前のその矛盾した行動理由。
これらに通った解釈を当てるならば、前述の背景が浮かび上がってくる。
そしてお前は、これらに通った説明を当てることもなく、既に成立していない言い訳を通そうとしている。
その答えはひとつ。
その在り方は、第三者の目から見てもなお、はっきりと解るほどの異常性を示している。
お前がこだわってるんだ!いやお前だ!いやそういうお前がこだわってるんだ!いやそういうお前こそ!
…って、ガキの喧嘩みたいだねw
じゃあそこはもうどっちでもいーやw
そもそもお前には、“他人の言行一致の遂行”に対し病的なまでに拘泥・固執するだけの理由も、権利も、正当性もない。
拘る筋ではない事に対して明らかに拘っている、そのお前の行動こそが、正常の枠から外れている事に気付くべきだ。
また“他の増田が一切言及しなかった事柄について、きわめて執拗に自身が口を出し続けた”という点については、よく自覚しておくべきだろう。
他の増田と比較しても必ず真っ先に現れ出る、自身の異常性として。
つか、キャラがすっかり変わったねwというか今のが素なのかな?
それは別にいいけど、「オウフww」とか「アフィがゴフンゴフン」とか、あの変な口調あれ何だったの?
むろん、相手に応じて態度は変えている。
告解を望む者へは聖職者としての態度、そして、異常者には異常者へと相対する為の態度、と。
異常者であると認定された相手に対しては、原則、異常である点をひとつひとつ列記し繰り返し指摘し続ける方法がよく採用されている。
ゆえに。
予め書いておくが、以後の回答は「お前は異常である」の繰り返しとなる。
下請けが基本の小さい会社に勤めてる自分は、お客さんとこに常駐してるんだけど
最近キリキリ働かなくてはならなくなってきた。
理由は自分の先輩がかなり抜けて別の場所に移動してしまったから。
そうなるといよいよ自分がお客さんと対峙することになるんだけど、
気を抜くと常駐費用がさっ引かれてたりするので、なんかピリピリしてきた。
それまではのんびり構えてたのに、相手に強く主張する事も出てきた。
でもそれは周りのためじゃなく、独善的な満足感のためだった。
正しいことをしたい、と思ったことは間違いじゃないと思うけど、
それで自分の支配欲を満たそうとするのは、間違ってた。
しばらくすると疎ましがられているのに気がついた。
そして、学級委員長なんて、単純に面倒な仕事を押しつけられているだけだということにも気がついた。
次の年から、自分がどう思われているのかに怯えて、周りと全然しゃべれなくなった。
そして、もう二度と、あんなことはすまいと思ったのだ。
それから他者に対しては、優しく、物腰柔らかく、相手の意見を考えて、を心掛けてきたつもりだったけれど、
ここにきて、自分の意見を主張する度に、かつての学級委員長が頭をよぎるようになった。
でも今ここで自分の言うことに相手を従わせたいのは果てして自己満足じゃないと言えるんだろうか?
うまく切り分けられなくて悶々とする。
お前、何しにきてんの?
「いい友達ができるように~~~」
「はてな村らしさが~~~」
「はてな女子です」
とか。
ふぬけた事を言ってるヤツがいる。
仲良くもないのに、たまたまスター貰っただけでお気に入り登録したり、
仲良くもないのに「みんなでオフ会しよう」なんて誘い合ったり。
そんなことをしてる暇があったら、
単に大勢で騒いで盛り上がっても、
そこからは何も生まれない。
群れることで不安を払拭しようとしてるだけ。
僕は群れる事の無意味さを知っているし、
孤独と対峙する強さを持つ事の方が不安を払拭できると考えています。
よく「増田は古参の人にも遠慮なく石投げちゃうよね」と言われますが、
とか言うヤツ。
知名度じゃねえよ。お前のコメントがクソつまんねぇんだよ。
遅ぇんだよ。とっくに旬が過ぎてんだよ。
100 Users目のコメントなんか誰も見ねぇんだよ。
2ゲットしろよ。
ここは学校じゃねぇんだよ。
どんどん結果出してこいよ。
なので僕は宣言します。
あしたオフ会に出たいです。
この生ぬるい空気をぶち壊したいです。
お前、何しにきてんの?
「先生に教えて頂きながら~~~」
「いい友達ができるように~~~」
「どんな授業にチャレンジできるんですか?」
とか。
ふぬけた事を言ってるヤツがいる。
教えてもらっただけで勉強した気になってる。
授業は発生してるし、
1時間教えてもらったとしたら、
仲良くもないのに"同学年"ってだけで最初からタメ語で話してたり、
仲良くもないのに「みんなでカラオケしよう」なんて誘い合ったり。
そんなことをしてる暇があったら、
本当に話したいヤツとだけ、
1対1でゆっくり語る場を設けた方がいい。
単に大勢で騒いで盛り上がっても、
そこからは何も生まれない。
群れることで不安を払拭しようとしてるだけ。
僕は群れる事の無意味さを知っているし、
孤独と対峙する強さを持つ事の方が不安を払拭できると考えています。
職場では年齢問わず初対面の人にタメ語を使う事は一切ありません。
よく「松村くんは同じ年齢の人にも、いつも敬語だから壁作っちゃうよね」と言われますが、
学校の一員として、
学生気分のヤツを見てると、
新入学生でよくいるのが、
「どんな授業にチャレンジできるんですか?」
とか言うヤツ。
授業なんて全部自分で見つけてこいよ。
ここは学校じゃねぇんだよ。
どんどん結果出してこいよ。
学校は優しい先輩が非常に多いので、
発言しないと思いは伝わらないし、
宣言しないと夢を共有する事は出来ません。
なので僕は宣言します。
あした授業に出たいです。
この生ぬるい空気をぶち壊したいです。
お前、何しにきてんの?
サービスも出てないのに
「経営者同士で~~~」
「世界を変えるために〜〜」
とか。
ふぬけた事を言ってるヤツがいる。
出資受けただけで売却した気になってる。
おまえが無職だと感づいてるし、
自分と学生の1時間分の給料すべてをシード資金から溶かしてることになる。
売り上げもユーザー数もない奴が代表取締役の肩書きで経営語ったり、
シード資金で「カラオケしました」なんてfacebookにタグつけしたり
実績や開発能力もない奴がWantedlyの集合写真で盛り上がっても、
そんなことをしてる暇があったら、本当に有能な技術者とだけ、
1対1でゆっくり語る場を設けた方がいい。
群れることで不安を払拭しようとしてるだけ。
ユーザーと対峙する強さを持つ方が不安を払拭できると思います。
趣味のようなWebサービスで出資をあてにするような事は一切ありません。
よく「増田くんはピッチとかしないから壁作っちゃうよね」と言われますが、
「本当に売り上げ作る気あんのかよ? 他人の金だって意識あんのかよ?」
スタートアップでよくいるのが、
どんどん結果出してこいよ。
シードインキュベータは優しい人が非常に多いので、
自分で最低限サービスを初めて「こんなのやってます」と実物で伝えないと、
世間から見た時に怪しい勧誘と区別のつかない採用になってしまいます。
作らないとサービスは出ないし
なので僕は宣言します。
コワーキングスペースを出たいです。
何かプレッシャーや攻撃などの圧迫感を感じると、必要以上に積極的になったり言い返したり攻撃的になったりする癖があり、困難に立ち向かう俺はカッコいいと自分に酔っていた。
昔から田舎の体育会系の社会でしごかれていたので、いつの間にか困難に対して耐えたり立ち向かわないといけないと思い込む癖ができてしまっていたのかもしれない。
不安を感じやすく、何か突っ込まれたりちょっとでもダメ出しをされると急に不安を感じ、必要以上に言い返したり正しさを主張してしまっていた。ある種悪い意味での完璧主義なのかもしれない。
俺は周りの人間にとっては神経質、怒りっぽい、ウザい奴、扱いづらい奴だった。
女子大学が女性の勉学の場として、立場向上の場として、かつての日本で多大な貢献をしたのは知ってるが、現代において女子大の役目はもうとっくに終わってて、むしろ今では男女平等の弊害になっていると思われる。
まず前提として、
・お茶の水女子大を除いて、それ以外の国立や私立の女子大って一番偏差値高い津田塾大学でさえ代ゼミで62、マーチレベル以下なので、レベルの低い学生しかいない。
・普通に勉強するなら総合大学行った方が規模が大きく幅広く学べてお勧め。あえて女子大に行く理由が見つからない。
・女子大って宗教必修なところ多いが、日本にはキリスト教徒はあまりいないし、その時間経済学でも学んだ方が良い。
というのがある。女子大は教育環境としては総合大学に劣ると言える。実際人文系学部しかない女子大も沢山ある。ちなみに筆者(40代男性)が若い頃は、女子大はもっとレベルが高かった。さて、総合大学にも女性が行ける世の中で、女子大の存在価値はどこにあるのか。それを考えると、女子大が男女不平等に貢献していることがよくわかる。
・まず、女子大には男がいないので、女しかいない環境では考え方が男女不平等的になりやすい。やはり人間は反対意見と対峙することで思考が深まる。大学4年間という、最も頭の柔らかい時期に机上の空論のフェミニズムを学んでいると、偏った思想を持ってしまう。
・女子大の学生は、総合大学の女学生よりも一般事務職を選ぶ確率が高い(自分が注視してる範囲では)。この一般事務職は女しかなれず、しかも総合職社員のお嫁さん候補としての役割をあてがわれるという、ある面では非常に女性差別的な職業であると言える。男性一般職が女性総合職のお婿さん候補になる制度がないことからもこれは明らかだ。
・女子大の学生は、自分より偏差値の高い大学のサークルに入ることが多い。偏差値の高い大学には、女子大とのインカレテニスサークルが山ほど存在している。こうやって優良物件の男子学生を捕まえることに躍起になっていると、女性の自立心をスポイルする可能性が高い。総合大学の女性にはこういう不埒なサークルの勧誘がこないので、自分の大学のサークルに入り男女同権意識が芽生えやすい。
・女子大の新歓期には、他大学から膨大な数のインカレサークルの勧誘がくるが、女子大に勧誘にくるサークルは基本的にチャラチャラしたサークルが多い。総合大学では多数を占める健全なサークルはわざわざ女子大に勧誘に行かないからだ。結果的に、女子大生はチャラいインカレサークルに入ることが総合大学よりも多くなり、不埒な男に食べられる可能性が総合大学よりも高くなる。そうして、女子大生は男性に対して嫌悪感を抱くようになる。
・女子大という名前が良くない。女性大学とでもすべき。二十歳を越えた大人の女性に、女子と名付けるのは差別的ではないか。
・つまり、現在の女子大はお嫁さん候補を量産するための花嫁修行の場でしかなく、社会もそういう役割を押し付けている。実際企業の事務職採用では、女子大は総合大学よりもイメージが良いらしい。
・女子大に入る女性は、キリスト教のオシャレな雰囲気に憧れる程度の人間であるが、キリスト教はつい最近まで長らく女性差別の要因であった(そのように聖書を解釈してきた)と思われる。
以上のように、かつての男女平等の象徴であった女子大の存在は、今では女性差別の一要因となっていると思われる。その女子大が日本でこれだけ根強く支持される現状では、男女平等などはるか遠い夢物語だ。
自分で書くのとどちらが辛いかといえば、読むほうが3倍ぐらい辛い。
だからプログラムを勉強しようとして、コードリーディングから始めようとする人はまずいないし、おすすめできない。
■問題なのは行数じゃないのだ。理解できるかどうかなのだ。ここになぜこの変数があるのか、
なぜインクリメントしているのか。ここの配列はここで定義されているけど、どこにも使ってないのはなぜか。
ここの処理はなぜこんな場所にあるのか。
大体においてコメントは残されている。
/* ここでxにyを代入する */
いやそんなの見ればわかるって。私が聞きたいのは「ここで」「なぜ」「そんな」処理をしたかだ。
■プログラムのアーキテクチャに正解はない。あるのは哲学だけだ。
アルゴリズムとは違う。アルゴリズムには正解がある。最適解を出す最適な方法は1つしかない。
アーキテクチャの哲学とはシーケンスの流し方、データの扱い方であり、プログラムの骨格に当たるもので、
書いた人の人格そのものである。だから他人のコードはわからなくて当たり前なのだ。
■現実問題として、プログラマはそんなコードと対峙しなくてはならない。
書いた人は既に退職していない、そんことはザラにある。バグだらけ?大いに結構。
重要なのは機能なのだ。中身がどうなっていようが、そんなの気にもとめられない。
もしかして1から作ったほうが速いのではないか、プログラマなら1度は思ったことがあるはずだ。
だがそんな工数はどこにも用意されない。
■流用だ。すべての問題を悪化させているのは、特化されたソフトウエアの流用だ。
前記の理由で1から作るのを諦めたプログラマはそこから地獄のコードリーディングが始まる。
訳の分からない変数、配列、処理の羅列。データはあっちに飛び、こっちに飛び。全体を理解したころには
既に開発は終了間近。機能を無理やり作りこみ、素知らぬ顔でプロダクトを送り出す。
■だからこそ共通となるフレームワークやライブラリが必要なのだ。
ソフトウエアの優劣など正直どうでもいい。それを扱える人間の汎用性こそが重要なのだ。
1から理解する必要がなくなるというだけで、どれほどの炎上プロジェクトが鎮火するだろうか。
間違っても社内フレームワークやオレオレライブラリなどは作っちゃいけない。
■結論にいきたい。
他人のコードを読むのは辛い。だったら読まなくてもいいようにすればいいのだ。
用意された欄に数字や文字を書いて提出するお役所の書類のような、そんなコードライティングを目指すべきだ。
そして欄がない場合は、欄外に殴り書きするのではなくて、新たに欄を作るべきだ。そしてそれがプログラマの
ひっそり生きてれば、少なくとも面と向かっては言われないよ
私はそうしてるってだけの話だけどね…
込み入った話にならないように、友達も作らないのがポイント(まあ、元から友達いなかったけど)
って他人から思われるのは仕方ないから、考えないことだと思うな
そう思われるのもイヤならば、瞑想だ
「ならない?」
男を取り囲んでいた記者のひとりがたずねた。
「そうだ」
「なぜですか」
「興味がない。それに」
「それに?」
野球部の練習が終わった帰り道。
幾人かの記者に囲まれていたその男は、なんのためらいもなくそう言い放った。
異様な威圧感をたたえた男であった。
洗いざらしのTシャツとジーンズ、履き古しのスニーカーというラフな格好にもかかわらず
その装いとは比べ物にならぬ凄みが、男の周囲には漂っていた。
男は、背が高かった。
その肩は分厚く、Tシャツの生地を破らんばかりに膨張していた。
胸板も厚く、肩幅と同じくらいにせり出したそれは異様なほどの圧力を放っている。
まるで荒削りの岩をシャツの中に無理やり押し込んで、人の形をつくったかのようであった。
そして、そのごつごつとした胴体に、丸太のような太い首と手足がつながっていた。
およそ十七歳の高校生とは思えぬ偉丈夫であった。
その偉丈夫こそ、甲子園の怪物、その人であった。
男はピッチャーとして、過去二年間の試合すべてを勝ち抜いていた。
弱小であろうと。
強豪であろうと。
いっさいの躊躇なく、そのすべてを力でねじ伏せていた。
甲子園すらも例外ではなく、打席に立ったすべての相手を男は嬉々としてねじ伏せた。
はじめての投球で、球速百三十キロを記録した。
それからわずか二ヶ月あまり――みるみる実力を身に着けていった男は、球速百五十キロを記録。
百六十キロを超えたのが二年前――夏の甲子園、決勝戦のことであった。
ごうという音とともに放たれる球は、対峙する相手をすくませた。
並の高校生ならば触れることすらできなかった。
超高校級のスラッガーと言われた猛者でさえ、内野フライがやっとであった。
その威容は高校野球界にとどまることなく、たちまち日本中の注目の的となった。
プロ野球のスカウトにしても、訪ねてきたのはひとりやふたりではない。
それほどの偉業――。
それほどの実力を持った男が、プロにはならぬと言い放ったのである。
男が記者たちにそのことを告げるのは初めてであったため、男以外の全員が息をのんだ。
その場にいる皆が、つづく男の声を待っていた。
男は、金色に染め上げ、短く刈り込んだモヒカン頭をなでつけていた。
そうして静かに周囲を見渡し、小さな笑みを口元に浮かべた。
「おれは、おれとおなじ高校生どもを圧倒的な力でねじ伏せるのがすきなんだ」
ふふん。
男は小さく笑った。
「圧倒的な力で、おまえはおれには敵わないといってやるのが心底たのしかった」
「たのしかった?!」
記者のひとりが男に続く。
「ああ。おれ自身の力に、肚のうちから笑いがこみあげてきて止まらなかった」
かかっ。
さきほどの笑いとは打って変わって、それは愉悦に満ちていた。
「では、なぜプロにはならぬと言うのですか」
「なぜか、だと?」
「それほどの実力があるのに、なぜなのですか」
男の眼差しに一瞬の躊躇いを見せたものの、若い記者は再び問うた。
「おれは圧倒的な力で捻じ伏せることができればよかった。それに――」
「それに?」
「終わりが見えていたから、己を磨くことができていたのだ」
「終わり……ですか?」
「そうだ。三年間だけであったからこそ、なまなかではない鍛錬を積むことができたのだ」
「では、この先もそれを続ける気はないと?」
「プロになって、終わりの見えない苦行を続けるのはごめんだ」
「しかし――」
「それに、俺みたいな奴がプロの世界に入ったところで通用しない」
「おれは考えながら投げるのが好きじゃない。力でねじ伏せてきただけの人間だ」
「むう……」
「そんなことでは、どうせプロでは通用しないし、最初は良くてもじきに潰れるだけだ」
「…………」
「いままで勝ち誇っていた相手にさえ、じきに通用しなくなる」
「…………」
記者たちは、ただ男の声に聞き入るばかりであった。
「だからおれは次の甲子園でも優勝し、最後にやつらから永遠に勝ちを取とりあげてやるのさ」
にやり。
男の口元には、今までとは違った笑みがこぼれていた。
「それが終われば、おれにはもう野球でやりたいことはない」
これからのSE業界に新卒で入ってくる人、転職で入ってくる人へ業界の実態とスキルについてアドバイス。
色々就活生と喋っているが、よく言うことを雑多に記載。
【職歴】
・営業社員向けカスタマー管理サービス(CRMシステム)構築:1年
・RFP作成などの上流工程~運用保守の下流工程まで経験あり。
【前提】
・以下は主にSI企業で上流(要件定義)から担当するPM、PLとしてやっていきたい人向けのスキルである。
技術者で食って行きたい人は、全然違うスキルが必要なので無視して良い。
→何も雑談する力が必要なわけではない。ここでのコミュニケーション能力とは「折衝力、人の輪の中に入っていける力」を指す。
システムは人が使うものなので、何をするにもまず人と喋って要件を聞き出さないと話にならない。
技術力があれば良い、と言うのは大きな勘違いで「人に使ってもらえるもの」なので、そこを無視してどんな最新技術を使っても宝の持ち腐れ。
また、往々にして「システムを導入する=業務をシステムに合わせて変えることが求められる。
これはパッケージシステム導入に限らず、スクラッチでも同様。その時に「業務を変えたくない」連中が抵抗勢力として現れる。
そこを説得するものSEの仕事。そんな敵の中に飛び込んでいって、説得して、最後には協力してもらうまで信頼を勝ち取らなければならない。
そんな場でツボを外したことを言おうものなら、相手からは無視されて終わる。
そんなことが起きないための第一歩としてコミュニケーション能力は必須。
→この2つはセットで考えたい。近年は技術革新が目覚しいため、全部の技術情報を自分で知っているなんて不可能。
そのためにGoogleなどの検索ツールを活用するが、膨大な情報を自分の中でまとめて要点を「つかむ」ことが重要。
細かく知っておくのは専門家の領域なので必要ないが、せめて利用しているツールや技術がなんなのかを、
人に説明できるレベル/類似ツールとの違いを説明できるレベルで知っておく必要あり。
→技術力、プログラミング能力は必須ではない。上記②の人にやってほしいことを伝えるまでには代用できるからである。
しかしプログラマーと対峙するときに、相手はプログラミング言語で会話をしてくる(これは誇張ではなく事実)
その時にいちいち②のプロセスで言ってることを調べていては、理解にロスがかかって進まない。
その時に何か1つでも言語をある程度知っていると、たとえ知らない言語での開発でも言ってることがわかるようになる。
この感覚は例えが悪いが、ピアノを習っておけば、数年後に違う楽器を触っても上達が格段に早いとか、
ドラクエをやっておけば新桃太郎伝説の攻略がスムーズにいく、とかの感覚に似ている。
新卒でプログラミングやったことがなくても、①・②は社会で鍛えられるし、③は研修・OJTという形で経験が積めるから問題ない。
新卒でプログラミングやったことある人は、③が経験済みなので、その分有利である。
転職の場合往々にして即戦力として求められるので、③の経験がないのが大きなネックになる。
巷で言われる業界未経験OKとは、③のスキルがない人のことを指すため、
①・②が人より優れてないと厳しい、ということになる。
参考にされたし。
険悪な関係を広げる中国ではあるけれど、かつては「中華」にふさわしく、東アジアのみならず、東南アジア、西アジア方面へ制度や文化を発信していた。
特に、「漢」は、同時代にある「ローマ帝国」と同じように、東ユーラシア大陸のシステムの基礎を作ったと言っても過言ではないだろう。
「ローマ帝国」が地中海地域やヨーロッパの基礎を作ったように。
伝統の「漢の文化」は、いかなる異民族に侵入されようとも、異民族の文化を「漢化」した。
優れた制度を持ち、華やかな文化を持ち、数千年に渡り威光を放っていた大陸の国家は確かに存在していた。
共産主義の下、さまざまな伝統が破壊され、今では巨大なマーケットか、トラブルメーカーとしてしか認識されていない。
(それでもなお凄みを見せるのは、共産主義でさえ、中国化(あるいは「漢化」)していることだ)
かつての存在感を取り戻すための示威行為なのか、たんなる資源獲得なのかはわからないが、まるで遅れてやってきた帝国主義の国のようだ。
―列強、帝国主義の時代こそ、中国(清国)は東ユーラシアの盟主として立ち上がらなければならなかったのにも関わらず。
たぶん、日本にとって中国、というか海の向こう側にある大陸の先進国はあこがれであったと思う。
孔子の儒教や北側経由で回ってきた「道教」の影響を受けた仏教は、日本人の生き方に影響を与え、
茶、歌などはその後、独自の文化的発展を築く礎となった。
だからこそ、大陸の後継国の中国に対して、日本人だけでなく、多くの東ユーラシアの国々の人は複雑な感情を抱いているのではないか。
確かに、昔は輸送手段が乏しく、中国のあるところにいた人を実際に見る事ができなかったからこそ、書物で伝えられる聖人や君主が素晴らしく彩られていたのかもしれない。
アヘン戦争では、あの清国が敗れたと日本で大騒ぎになり、国家としての改革が急務となった。
当時の日本の中に、清国と連携し、ヨーロッパと対峙しようとした人々がいると聞いた事があるが、
それはなされず、脱亜論に代表されるように、日本は東ユーラシアから抜け出していく。
この時、それまであった不文律の東ユーラシアのルールが変わった。
かつての超大国は列強に食い尽くされ、その輝きを失った。
アヘン戦争や列強の支配、そして日本の軍事侵攻は中国の大きな傷になった。
近年の経済発展と共に「中華」を認識し始めたこの国は、東ユーラシアの覇権を再度、力によって取り戻そうとしている。
「力」による支配はすでに時代遅れのものになっているが、大きな傷を癒すように、暴力的な行動が後を絶たない。
また、過去最大の領土を誇る事が、共産党の大きな統治理由になっているようであるが、その中で、各民族の独立の機運が高まっている。
今まで中国に投資をしてきた最大の貿易国である日本は、足場を大陸から南に移し始めており、経済成長も徐々に陰りが見えてきた。
強烈な貧富の差の拡大は、歴代の大陸の王制の崩壊要因にもなっている。
この国がやるべき事は、張り子の虎の様な振る舞いではなく、栄光ある後継国として腰を据えて国家を「再興」させていくことではないのだろうか。
駄文長文失礼
タイムマシンの民間利用が開始されてから30年。開発当初の予測とは異なり、
最大3時間前への跳躍が限界で歴史改変は不可能と証明されたこの技術は、
結果的に短期的な事故を回避する手段として急速に普及しました。
人間に重篤な障害をもたらすと警鐘を鳴らしてきました。なぜなら人類は
やり直しのきかない一度きりの人生に対峙することこそが自然な姿であり、
人間が本来持ちうる健全な肉体は宿命たるカルマを受け入れる精神によって
培われるからです。現在の世界的経済停滞も、安易な時間跳躍の跋扈による
真摯さの喪失及び生命力の脆弱化によって引き起こされていると言っても
過言ではありません。
この問題は子ども達の精神、肉体に於いても深刻な影響が懸念されます。
ねじまがった時間の中で生きる子ども達に、真の幸福、真の成長は
訪れるべくもありません。
我々の提唱する、自然な時間をありのまま受け入れるLOMESスタイルは
先日発生した多重跳躍事故の悲劇がこの技術の持つ歪みを浮き彫りにし、
http://xevra.hatenablog.com/entry/2014/05/03/165034
おお、早速返信くださった。ありがとうございます。
執筆者の為を思うなら、... 個人の感想っぽくすると、アドバイスが違和感なく入ってきて、行動の改善に繋がりやすいと思います。
に対して、id:xevra氏は
私のブコメはtwitter合わせて3000人弱の読者が居る。読者以外にも読まれるから1万人弱が見る事になるだろう。それに対して執筆者はたった一人。1万:1であるのだからどっちを向いて書いたらより社会に貢献できるかは自明。元記事の執筆者など最初から興味ないのだ。
なるほど。その動機なら納得です。確かに、それなら一見して目にとまる様なコメントにするのがベストですね。
たとえ目の前の相手を自分の悪口でいくら傷つけても、批判が一万人に届けば良い、というスタンスは、俺に無い考え方ですが、意識が高くて大変素敵なことだと思います。
俺個人としても、あなたの動機がわかったので、スッキリした感があります。
男女問わずパートナーが居ないというのはメンヘル。自分の心と対峙して調和していれば相手など放っておいても勝手にできる。ここで出てくる下手な受け答えなどメンヘルの症状としか見えない。まず自分の心に寄り添え
確かに一瞬ギョッとして、なかなか忘れられないコメントです。
でも、これをみて、「自分もパートナーを探そう」という気になる人がいるでしょうか。
こういう呪詛を受け取った、パートナーのいない人は、「私ってやっぱりダメなんだな」と、ちょっと”うつ”になると思うのです。
そういう状態で建設的な行動が出来るでしょうか。
あなたがやっているのは、”相手をうつにするテクニック”によく似ています。
自分はかつて、あなたのコメント読んで、その背景の思想に興味がわきました。
それであなたのブログを訪ねたのですが、残念なことに満足行く理解は得られませんでした。
きっと3000人の読者の中にも、そういう方がいらっしゃると思います。
”自分の心と調和すると、何故、そしてどのように、何もかも上手くゆくのか”
そういうことに興味があります。
これらの記事をxevraさんが書いてくれるなら、喜んで読みます。
3年付き合ってた彼氏と別れたあとで、付き合ってた最中に私が浮気してたことがばれた。
共通の知り合いが元彼に言ったらしい。
元彼が、事実関係を確認しようと連絡してきて、ばれたことを知った。
問題は、元彼にどこまで正直に言う必要があるのか、いまさら正直に言って謝罪する必要があるのか、というところ。
元彼と付き合っていた頃は、尽くしてたし、愛情表現もしていたし、浮気してる以外は元彼のことは大事にしていた。周りからも、仲のいいカップルだと思われてたと思う。別れる時も浮気は関係なく、お互いの将来ビジョンが違うことが理由で円満に別れた。
なんでいまさらその知り合いはバラしたのか、そもそもなぜその知り合いが知っていたのか、とかいろいろ気になるけど、おそらくその知り合いは浮気をしていた私のことが嫌いで、その人なりの正義感で言ったのだろうと思う。
もう過去の話だし、会って話すのはすごく気が進まないんだけど、全部正直に話した方が良いのだろうか。
自分が逆の立場だったら、別れた彼氏のことなんて完全に過去のことだから、知りたいとは思わない(というより、元彼への興味がないからどっちでもいい)。
いや、そういうことはどうでも良くて、単純に、元彼と対峙するのが怖い。
だから会いたくない。
あああどうしよう。
あとで詳しく言うけどな、「お酌問題」って発想の順序が逆。
でもこれが、カワイイねーと左手で子供の頭を撫でるのだったらどうだ?
チームの仲間からホームパーティーに招待されないと不安になるアメリカ人は多い。
国が違えば、文化に差があることはわかるから理解できることでも、同じ日本人ってだけで気が付かないことは多い。
身内に不幸があった家が年賀状を出さないのは一般的でも、1年鳥居をくぐらないって地域も日本にはある。
海外って言葉が一般的に通用してしまうように、ついつい一国の中に多様な文化が存在することを忘れがちになる。
「文化」を定義すると本が一冊くらい書けるんだろうが、まあ「ある振る舞いの総体」ってとこだろうな。
で、「お酌問題」ってのも、文化的な衝突なんだよ。
しかも、年代と地域によって大きく異る文化だから、まさに異文化交流と言っていい。
んでな、これ話としては順序が逆なんだよ。
手酌が失礼にあたるとか言われても、若い人にゃピンとこないだろ。
オマエソレ楽しそうにLINEしてるけど、なんで合コン来たの?みたいな。(それでも古いイメージかも知れんが)
宴会においては、美味い酒を飲む・美味いメシを食うってのは二の次で、基本は「メシ食って仲良くなろうぜ」が目的なワケだ。
するってえと、当然のことながら、
という構図になるわけだ。
するとだ、先にお酌するのは当然部下で、場に女性が居ればその女性が酌して回る、
逆に言えばだ、「その場に居る一番若手からの酌を待てないのは、大人として常識はずれ」とされてたわけだ。
部長が手酌で飲んでるってのは、ご機嫌ナナメで宴会を楽しんでねぇって幹事の責任問題になってたんだよ。
まあ、山の手言葉が標準語ってことになったのと同じで、東京は一部の企業での狭い内輪の文化でしか無いこういった話が、
マスメディアの発達とともに、適度に変容して地方にも伝わったり色々して、今に至るわけだ。
まあ「お酌」にまつわる昭和な文化ってのは、平等がどうの性差がどうのってこっちゃない。
共通認識が共通認識をつくり上げるというか、常識が拡大再生産されるというか、まあそういうモンだ。
当時のソレが良かったとは思わん。非効率だし、性差別だし、滅私奉公なんざ封建社会もいいとこだ。
そう思う人達が多かったから、今はそういうの減ってきてるんだろう。
喜ぶべきことだと思う。
ただ、だ。
コンプライアンスだ男女同権だ平等だ、封建社会じゃなく先進国だと言ったところで、
じゃあ、未開の住人の迷信は、笑い飛ばしてナイガシロにするのが、「文明人」のヤルことなのか?って問題は残る。
そりゃ、「あけましておめでとうございます」って言ったところで、死んだ旦那は帰ってこねぇ。
でも、旦那が死んだの知ってりゃ、正月だって「こんにちは」って挨拶するモンだ。
正解は無い。
ただ、少なくともお酌は強要するもんじゃねぇし、今となっちゃマナーでもしなきゃならんことでも無い。
マナーとかプロトコルってのは、メンドクセエから決めとく「考えなくて良いように共通化しといた作法」なワケだ。
いまは、昭和にマナーとされて決まってたことが、良く考えたら良くねぇな、と解体されてる。
だから、郷に入っては郷に従えとは言わん。
ヤなことは嫌でいいと思うし、判らんことは判らんと言って良い。
年長者が年少者に対して思いやれないのであれば、そりゃ単なるオシツケだ。
宴会断って評価が下がるだの昇進できねえだのってのも減っては来てるだろ。
でも、自分が理解できん文化を軽視するのは、異なる文化を持つ人に対峙する態度として正しいだろうか?
(相手が正しくない態度だからといって、自分までそうするこたないと、俺は思う)
まあ、部署で宴会するから断りきれなくて、と参加しちまった時は、ホンの少しだけで良いんだ。
思い出して欲しい。
目の前に居るのは、自分とは違う赤の他人で、全く違う時代を生きてきて、全く違う文化を持ってる人間だってことを。
たぶんガキの頃の遊び方も、家庭の考え方も、ハレの日の食い物も、何が良しとされるかも違ってきた。
同じ日本人に見えるかもしれないが、そこに居るのは大抵の場合、異文化人だ。
文明人未踏の未開の地で、(嫌々ながらかも知れんが)部族の一員になって、その部族の祝宴に招待された。
そうしたときにどう振る舞うのが良いのかは、各々の信念に基づくだろうが、ちっと思いやってもバチは当たらねぇよ。
タッチパネルの精度が上がり、タッチパネル搭載がPCの標準になったら、下記の提案は検討に値すると思った。
実店舗の優位性として、「本棚」という情報単位の利便性、というのは確かにある。本棚をざーっと眺めタイトル情報をクロールする際の情報入手速度・幅広さ・精度には、今のウェブ上の情報は残念ながらまだまだおいつかない。amazonの「お薦め本」や「この本を買った人は…」は、関連本やシリーズ本の検索には役だっても、たとえばある専門分野で最近どんな本が出てるんだろー(決して売れていなくてもいい)、とかそういう情報をクロールしたいときには、全く役に立たない。
この、書店がもつ「本棚」という情報単位は、まだ新刊本の世界では誰も商売にしていないジャンル(神田の古本屋が先日似たようなサービスを始めた)。そしてそれは、実店舗を抱え実物の本の並べ方について、消費者と対峙しながら工夫をこらしてきたノウハウの蓄積をもつ書店だけがおつ優位性だ。
だから、ウェブ上の本の販売サービスやってて配送のノウハウもあり巨大な実店舗をもつ実書店(JやらKやら)が、実書店の書棚を見せて、さーっと眺めさせてくれて、タッチパネルでぽんと叩けば連携データから目次と序文、中身数ページくらい「立ち読み」できるようにしてくれれば……500円/月くらいなら、月一でそれらの本屋に行く交通費と思えば、個人的には利用したいな。