はてなキーワード: フォロワーとは
なんかこないだ、自分としてはナイスアイディアを思いついてTwitterに書き込んだのよ。
恐ろしく反応がなかったんですけど。1000人以上フォロワーいるのに。
で、この反応の無さについて考えるに、最近一度だけ見かけた情報があって。
「Twitterで、他者と交流していないアカウントのツイートは、そもそもフォロワーのタイムラインに表示されづらい」
あ! そうなのか!!
Twitterのおすすめする、本人の嗜好にあわせた表示順になってる、って仕組みになったのはもう数年前だよなぁ。
それが気持ち悪い人は「おすすめ順」じゃなくて「時系列順」に自分で設定を変える必要があるんだけど。
俺はそもそもフォロワーのツイートを全部追うなんてもう10年くらいしてないから、ずっと「おすすめ順」のままだったんだけどね。
その設定で使う人がふえて、俺もその一人で。
それでどうなったかというと……
「Twitter側として嬉しい人=他社と交流してリアクションする人」のツイートはフォロワーのタイムラインに表示され、
いいねもリツイートもせず、ただ、タイムラインをぼんやり消費するだけのユーザーのツイートはそもそもフォロワーのタイムラインに表示されない、ということになっていた!
のに気づいていなかった! のだったのだ!
そうか! 俺のツイートは俺のフォロワーのタイムラインに表示されていない!
俺、よっぽどのことがないとリプライなんてしないし、
いいねもたまにだし、
「Twitter上での他社との交流」から意識的に遠ざかってきた俺のツイートは、そもそもフォロワーのタイムラインに表示されない仕組みだったのです!
……なんか、自分のツイートが全然バズらない(笑)理由がわかって
妙に納得する、腑に落ちる感覚もありつつ、
なんかTwitter軸で活動してきた自分としては絶望感もあります。
だって、自分のツイートをフォロワーのタイムラインに表示させたかったら、
頑張って日々、いいねして、リプライして、リツイートしないといけないんです。
今までの流儀を変えて、「これも読んでもらう為!」と心に喝を入れて、
自分の素直な気持ちに何十倍も拍車をかけてリアクションをとらないといけないんです!
読んでもらう為には!
……あ。なんか思い出してきたな。
昔、ブログツールが始まるよりもっと前、テキストサイト全盛の時代から。
そういう潮流、あったなぁ。
アクセスを稼ぐためには、他のサイトにいってコメントをつけなければ!
文中リンクでエントリや管理人本人への感想を書き込まなければ!
そう思うとせいせいするような気持ちでもあり、
mixi日記と同じ……というにはつっこまれリスクを避けるために相当ケアした文章にしなきゃいけないんだなというコストばかりを感じる気持ちでもあり。
なるほどなー2022年。
いろいろ勉強になるなぁ。
ということで、一念発起、今日からフォロワーのツイートにガンガンに反応しまくることにします!
@YumikoWatanabe_
DV被害者は女性が多いのに対して、殺人になると女性:男性が6:4と均衡することを元に、女性の加害が隠れているという主張ですが、サスペンスドラマなどから推察するに、ひどい被害に耐えかねた女性が思い余って男性を殺す、という展開が非常に多いことをお伝えします。DVの最大の悲劇だと思います
https://twitter.com/YumikoWatanabe_/status/1550981776310673408
@YumikoWatanabe_
福山雅治主演ガリレオシリーズの「容疑者Xの献身」よか、まさにそういう話です。
数字だけ見ていると見誤ってしまう。私たちの周りにある真実を見過ごしたり、見ないふりしないようにしたいです。
https://twitter.com/YumikoWatanabe_/status/1550983564556402688
@YumikoWatanabe_
東京都中央区kidsdoor.net2016年12月からTwitterを利用しています
483 フォロー中
3,484 フォロワー
私はSNS依存症でした。
東日本大地震で実家がある地域が大変になって情報集めたり発信したりしながら使ってきたが、私は人間関係を作るのが下手くそである。いつもトラブルを起こしてしまう。まぁ現実でもそう…うつ病になってから感情がコントロール出来なくて薬飲んでても、失礼なこと言ったり女性ユーザー口説いたり、喧嘩したり…
そんなこんなでここにきてうつ病再悪化。2年前に死にたいと思うことが増えて主治医に相談して一か月入院した。今のその状態に近い。
6月に遺書書いて思い出の地を周り首吊りするためにロープまで買ってさてこれからと言う時に捜索願いが出ていたため警察に捕まり自宅へ帰される。
地元の知人にも6月末に数名と食事した他はほぼ会わず、週に2回行ってるお手伝い先と自宅、昼食を買いにコンビニに行くぐらいかな?
まぁ話はそれたけどまたやらかしました。女性フォロワーさんに口説いて写真交換して薬が効いてる夜中に下ネタ下品の言葉を送り、そしたらそのフォロワーさんの息子も頭おかしい(多分同じ部類の精神系のヤバいやつだと思われて)人でそこから俺の個人アカウントに嫌がらせの日々で私のフォロワーさんにも絡んで嫌がらせをしたのでもうこっちも限界感じてアカウント削除した。
ばいばいTwitter。
某月某日、愚痴垢にしつこく絡まれ、繁忙期で気が立ってたのもあり、つい厨返しをした。
前に、「きちがいは本物を見ると我が身を振り返って恥ずかしくなって正気に戻ると聞いたので。
具体的には、「これ以上話しかけたら金を取るからな」と具体的な料金表を提示しプロフに固定。
「こいつはヤバい奴だ」と察して事前ブロックして来たのが、やの一番に絡んで来た奴のフォロワーのうち2、3人。
残りはこっちと同じレベルのクソ文言をひたすら空リプでピーピー騒ぎ(※お金取られないように空リプになる所は可愛らしいけど、見て貰おうとこちらのツイを一々RTしたりスクショで貼る)、
こちらが埒が開かなくなって正気に戻って毅然とし出しても、「いい年をしてこんな厨みたいな煽りをするなんて」「私達を見て(信者である)自分が間違っている事に気づいて恥ずかしくなったんだ」などと本気で言っていた。
すごいのになるとR18の絵を載せているサブ垢に、愚痴垢やら、見る用と書いた垢でフォロリクまでしてくる。自称お子ちゃまだけど18歳超えてるらしい。おえー。
結論を言うと、今時の厨房は平成のような「何でそんな酷いこというの! 厨ちゃんひどい!!」みたいな厨語も通じないくらいバカという事が理解できた。
話の通じない奴には同じ目線で話し掛ける、という厨メの常識で育った歴戦のBBAたち。気をつけてくれ。
そして愚痴垢なんてものを知らずに旬ジャンルに来たBBAも、いきなりいい年をしたおばちゃんに吊し上げられた中学生も、このクソ経験を他山の石に、猿に餌を与えないように。以上。
私はtwitter上でよくオタクのおじさんの呟きを眺めている。
オタクおじさんを眺めててイイと思うところは、おじさんたちが四六時中2次元のことしかしゃべらないことだ。
おじさんたちは常にエッチなイラスト、男くさいゲーム、突発的なネットミームなどの話をしている。
私が気が落ちようと社会が荒れようと、年単位で変わらず2次元の話をしてくれたのだ。
そしてその内容もマニアックで、私の身の回りで話題に上がらないようなものも多い。
例えば女児アニメや負無オトナ氏の替え歌動画が象徴的なメスガキ文化、10年以上前のネット文化など。
常に頭が2次元なおじさんを眺めることは私にとって、そこでしか楽しめない要素がある息抜きなのだ。
そんな眺め方を続けること、もうかれこれ5,6年になる。
ここまでくるとおじさん達のパーソナルな部分もよく分かってくる。
何きっかけでネットに来たのか、どのおじさん同士の関わりが深いのか
地元はどこなのか、業種は何か、HNの由来、アイコン遍歴 など…。
そしておじさんが大病を患えば心配になるし、おじさん同士で不和が発生するとドギマギする。
オフで楽しく遊んでいる様子が伺えればなんだか楽しくなる。
だから私はオタクおじさんを簡単にブロックしたくないし、おじさんにはずっと変わらずにいてほしい、そんな思いがある。
しかしながら今年に入って、一部のオタクおじさんの雰囲気が変わってきた。
具体的には毎月チャンピンズミーティングがあるたびに愚痴が吐かれる。
しかしおじさんはチャンミ及び新育成シナリオへの似たような愚痴を毎月吐くのだ。
もう分かったよ、キャラ格差脚質格差ひどくて、新シナリオの1周に要する時間長くて目覚まし消費多くて距離Sもつきにくくて、そのくせ大逃げとか温泉見れなくて、マスクデータしっかり見ないと戦いの土俵立てなくて、チャンミの決勝は一発勝負で運要素でかくてクソなのは。
この3か月半で何回同じ話する???
なまじ遊んでいるゲームの内容なのでNGワードでも対応しにくい。
大して変わらないネガティブな意見を見続けるのは心に来てしまう。
せめてこの記事のようにブログに一度まとめて終わりにしてくれないだろうか。
「最近はSNSの反応も運営は見てる!」という名のもとに声を上げ続けている側面もあるようだが、つぶやき見る側は辛いんだわ。
一方でおじさんが持ち上げることが多いゲームというのも同時期に出てきた。
おじさん好みのエッチな女が多数いるほか、最近実装されるシナリオが軒並み好評なのが強い。
これらに対しておじさんは、愚痴と褒めの割合がウマ9:1、ブルアカ1:9ぐらいの勢いでつぶやくのだ。もちろん私の色眼鏡はかかってる。
私もブルアカはおじさんに触発されプレイしたが、中々続かず辞めてしまった。
一方ウマ娘は、最近は配布SSRある時だけ周回して、良いのができたらチャンミを楽しむぐらいのペースで緩く今まで続けている。
つまり最近のおじさんの呟きは私にとって、緩く遊んでいるゲームに関しては愚痴が多く、続かず辞めてしまったゲームに関しては持ち上げが多いというひどく苦しいものなのだ。
そしてこの傾向にあるおじさんが複数いるというのが私の頭を抱えさせる。
ずっとROM勢な私はこの不満をおじさんにぶつけられるわけもなく、一人抱えることになる。
そしてそんなモヤモヤを抱え続けたある日、私はある考えに至った。
ウマを散々sageといてブルアカをage続ける論理はおかしいと自分の中で結論付けたくなったのだ。
こうして私は故郷の村を燃やされた勢いでブルアカと向き合うことになった。
どんなに任務を進めるのが面倒でも義務的にやるし、前回自然消滅したときの反省を生かして攻略系Youtuberや有志のwikiも漁るようにした。
その結果、現在先生レベル58、任務はステージ14、シナリオはエデン条約3章読み切るところまで進めた。
以下ではこのプレイを通して感じたブルアカの良い点・悪い点を挙げて結局ブルアカへの考え方がどうなったかを書きたい。
まずは悪い点から
ブルアカはシナリオ解放のためにたくさんの戦闘を行わなければならない。
しかし今作はソシャゲで重要になるオート戦闘がかなりポンコツなのだ。
キャラが動く範囲が2次元でただでさえスキル発動先が広いのに、奥義的なスキルは全キャラで共通のゲージを使うため発動の順番待ち状態になっているのだ。
戦闘は何回かやっているとスキルを効率よく打つよう工夫するから楽しくなってくる。
上で私はステージ14まで進めたと書いた。
この1ステージを終えるのに1時間ほどかかる。しかもオート無しでだ。
もちろん今後の育成のため最高評価を狙う際、最後のボスで評価を落としてしまったらやり直しとなる。
序盤のステージは同じパーティをずっと使い続けるため特に退屈感が強い。
シナリオを目的にプレイしているのに似た戦闘を繰り返されるのは面白くない。
ウマも時間がかかるのは問題だが、まだ自分は育成の上振れに若干味を感じることと、ウマならアニメを垂れ流して見れるくらいの感覚になっているからマシに感じる部分がある。
上で書いた任務はノーマル任務のことで、プリコネよろしくキャラの星上げに必要な石が掘れるハードクエストがブルアカにはある。
これの基本構造はノーマルと同じだが、こちらは視界が制限されている。
最高評価を目指すにはクリアターン数が一定以下でなければならない。
しかしボスの位置はどこだろう?ボスに行くまでに踏む必要のあるスイッチはどこだろう?このステージは敵の属性が複数あるがどっちに進むとどっちの属性に会うのだろう?
……不親切が過ぎる。一部のおじさんはノーマルのミニマップを知育パズル的でつまらないと言うが、あちらはマップを一目見たら概要が分かるからまだマシだ。
ブルアカは属性の他に地形適正というのもあり、クエストごとに適したパーティはコロコロ変わる。
しかし保存部隊数は地形と属性の組み合わせに比べ少ない。プリセットもない。
またキャラの重複も許されない。(ミニマップで複数部隊出るため)
そして編成途中で育成画面に飛ぶとそれまでの変更が反映されない。
あとクエストの地形情報がアイコンだけなのにソートは文字情報だけで選ぶのはかみ合ってない。
アイコンは色も似通ってて覚える気になれない。
その他ログインボーナスの受け取り場所はこれまでやってきたソシャゲで一番主張が弱い。
そしてシナリオ画面もひどい。今読んだものから2話先までしか確認できず、“すでに満たした解放条件は記述されない”。
これのせいでブルアカプレーヤーのほとんどは各シナリオを読み切れるのが任務をどこまで進めたタイミングなのか把握していない。
シナリオが売りのゲームなのに環境の整備が整っていないと感じる。
一応補足しておくとVol.1の1章全開放が7-4あたり、Vol.2の1章が8-3あたり。これ以降の条件は自分も見逃した。
この構成もよく分からない。例えばシナリオVol.1の途中でVol.2が解放される。
Vol.1の1章と2章の間にVol.2の出来事が起こったとは到底読み取れない。
この作りもシナリオの没入感を削いでいる。
この中に低レアでお世話になりがちなキャラがいる百鬼夜行が入っていないのだ。
私の戦闘を古くから支えてくれたツバキというおっぱいも盾もデカい女がいる。
彼女のいる学園がどういう立ち位置で、所属する部が学園内でどういう立ち位置なのかを私は知らないのだ。
プレイヤーLv上げるための経験値は消費スタミナと1:1のレートで得られる。
だからどんなにゲームがうまい人でも得られる経験値はスタミナ全消費する他の人と変わらない。
これが理由でブルアカでは石を割ってスタミナにすることが推奨されている。
キャラのレベルは重要で、クエストの推奨レベルから1低い毎に与ダメージが2%減衰する。被ダメも増える。
「装備」で強化できる側面もあるが、それでも自分は詰まった。
詰まってしまうと、プレイヤーレベルが上がるまで適当に毎日スタミナ全消費するゲームになってしまって厳しい。
大体悪い点はこのくらい。
総じて「シナリオだけ読めればいいや…」という人への壁になる要素が多い。
次は良い点
前評判通りメインシナリオはどれも面白い。というか世界観がやや奇妙なのでその謎をひっぱってもらうだけで続きが気になる。
ブルアカは学園に属す少女らの物語だが、その学園の規模は国家に近いものとなっている。だから内部抗争も起きるし政治的対立、侵略も起きる。
好評なエデン条約編もそこらへんを軸としていると思う。各々の理念とか策略とかが交差して、各々が大切なものを守るために戦う。
その一方で本来の学園的機能もある。委員会や部活動があり、同一学園内ではそれらの距離が近い。だから本来の国家間の争いの話より濃い密度で各組織が絡み合う。
そして学生の能力も本来のそれとは大きく異なる。全員銃の扱いには長けているし、よく分からんレアスキルを持つ者もいる。そして何より3年生が強すぎる。1,2年生との差は数年分の差ではない。BLEACHで言えば班目一角と隊長クラスくらい違う。十分強そうな1,2年生の後ろに控えてる部長、委員長、団長の存在が仄めかされるだけでワクワクするし、実際出てきて話が動き出すところもいい。
またキャラクターの日常とシリアスのギャップもいい味出している。
よくある緩い美少女学園モノという見た目と重めのシナリオがいい感じに作用していると思う。
ただ全てが面白いかと言われると一応そうでもない。Vol.3の1章序盤における毒にも薬にもならない美少女日常話は後半への布石とはいえ退屈だった。
それと伝統の「話の途中だがワイバーンの群れだ!」論法で戦闘挟むのも辞めてほしい。一部はちゃんとシナリオ的に重要な戦闘だけど。
②羽振りがいい
石や素材を配るペースはかなり良心的だと思う。悪い点で書いた通り石を割る前提のゲームなのでそこを補っている節はあるかもしれない。
また恒常ガチャ星3キャラのイベント入手のハードルもかなり低い。
また期間限定ミッションの報酬も、一部は初心者がクリアできる内容ながら報酬が高レベルプレイヤー基準で設定されているので大分おいしい。
まだイベントは少数しか経験してないが、どれもノルマラインが緩い。もうゼニーとかカス素材しかもらえなくなる段階に入るまでが凄い早い。
おそらくイベント期間の半分も待たずに終わる。この軽さは類を見ない。
結論としてはやはりブルアカは面白い部分はあるが完全無欠なゲームではなかった。
シナリオはやはり面白いし、今は1.5周年で羽振りも一段といいので興味持った方は触ってみてもいいかもしれない。
ただトゲはあるので気を付けてほしい。
ともかく私は当初の狙い通り、オタクおじさんの論調を自分の中で否定できたのだ。
「やった!!!おじさんが褒め続けるのは偏向報道だったのだ!!!」
「俺の勝ちだ!!!」
Foo~~↑↑↑
…と思ってから我に返る。
…実に空虚じゃありゃせんか?
残されたのはわずかに持続する満足感と、手放しでブルアカを勧める言説への嫌悪感。
「もっと謙虚に勧めろ!『ちょっと遊びづらい部分も多いし序盤は特に厳しいんですけど美少女祭りだしシナリオも面白いのでどうですか…?』くらいのテンションにしろ!!!」
と心が曇ってやまない。
そんな歪んだ私の心に先日追い打ちが来た。
1.5周年記念にミニマップのボス以外の戦闘をスキップできるようになったのだ。
これを聞いたとき非常に動揺した。
これが有用なら、上で挙げたブルアカ悪いところの重要な柱「シナリオ解放のための任務が辛い」が崩れてしまうのだ。
本当は自分がやっているゲームの面倒な部分が改善されて喜ぶところを、私の脳は「それはあってはならない」と拒否し始めたのだ。
私は公式の仕様改善にアンビバレントな感情を持つ歪んだ存在へとなり果ててしまった。
熱心なアンチみたいな取り組みをした結果得たのは、歪んだ頭だったのだ。
ちなみにこの戦闘スキップの戦闘評価はオート戦闘の結果に準拠する。
だからレベル差が厳しく手動でないと最高評価を取れないor勝てない場合は使えない。
よって今回の場合はぎりぎり耐えた。耐えたってなんだ?
以上がここ1,2か月の私の戦いの結果となる。
ブルアカは良い点もあれば悪い点もある。
あるゲームについてずっとネガティブな愚痴をこぼす一方で、このブルアカを是非是非!!という論調で進めるのは歪んでいる。
※一応おじさんを擁護することはできる。というのもウマとブルアカは苦しいポイントの性質が正反対なのだ。
しかし煮詰まった後の運ゲーとの戦いはガチ勢ほど厳しい影響を受ける。「勝てて当然!」という思いで運負けするのが一番苦しいし、勝つためにやっちゃいけないことがウマ娘に求めた期待を踏みにじってくる。
一方のブルアカは、シナリオを十分開放するまでが苦しい。戦闘は似たようなことの繰り返しだし時間もかかる。オートも使いにくい。情熱があっても進行ペースは一定のまま。
しかし十分進めた後はほぼスキップしながら新規コンテンツに舌鼓打つだけ。イベントの負担も少ない。
まとめると、ウマは最初のうちは楽しいがガチ勢に厳しく、ブルアカは最初が苦しいが古参のガチ勢には優しいゲームなのだ。だからこそ今回みたいなことになる。
私のおじさんへの願いを書くとしたら、以下の通りになる。
できればネガティブな愚痴を一か所にまとめるとか、同じ愚痴は表にださないようにするとかしてほしい。これは傍観者の私以外におじさんの相互フォロワーの方々にとってもプラスだと思うから。
それができないならブルアカについても苦しいところを認知してつぶやいてほしい。えこひいきのような立ち回りは私のような異常者を生み出しかねないから。
あとは体に気を付けてずっと楽しそうに2次元の話しててもらえると助かります。
ここまで読んでくださったオタクおじさんでない方々も自分の発言の各ジャンルへのネガ・ポジの比率に気を付けていただければこれ幸い。
西尾維新はあくまで上遠野浩平のファンであって上遠野浩平のフォロワーではないからそこら辺は仕方ないのかもしれない
そもそもファン寄りの読者でも割と受け付けないレベルの作品も多い作家だと思う
物語シリーズは中々売れてるけど他の西尾維新作品は物語シリーズほど売れないのがその証明になってる気がする
(上遠野浩平の「う……うう……」ってお約束が大好きなんだけど使う機会がリアルどころかネットでも滅多にない)
(まあいいじゃん)
これから加齢によって生じるオタク趣味…娯楽の消費に関する食指の動かなさから感じた人生の正しいライフステージと、筆者自身が抱えている発達障害との関係性、そして現代の世の中について乱文をしたためていく。
ご覧の通り、主語が大きくやや誇張しているような表現を多く含むが、個人的にかなり深刻な問題なのでわざとオーバーに書いている。ご容赦願いたい。
また、とにかく書きたいことを書いたため本文中の出典に関しては省略している。必要があればタイミングを見て追加するかもしれない。
まずはじめに、私はそろそろアラサーに差し掛かりそうな20代半ばの年代だ。
新卒時にちょうどコロナ禍が始まり、業界に対する打撃で案件が来ずロクな仕事を与えられないまま転職、人間関係の不和でひと月経たずに退職し、しばらくして職業訓練で茶を濁しながら10ヶ月ほどの無職期間を経て、今年4月に障害者枠で総務として勤務を始めた。一応今現在まで仕事はなんとか続いているが、障害者枠なので周りが残業していても基本定時で帰してもらえるし、電話応対もない。
そう、私自身が発達障害者だ。ASD(自閉スペクトラム症)で診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得している。
ひたすらコミュニケーションが苦手で、変化に適応できなくて、その時関心を持ったものにしか興味が持てず、短期記憶が著しく弱く、どうでもいい長期記憶が異常に強く、反復脳死作業しかできることがなく、言葉や文字そのままでしか解釈できず、自分の世界で全てを判断するような性質がある。そして自分が慣れているもの以外の刺激に対して非常に弱い。
そしてプライベートではイラストや漫画、アニメ、ゲーム、動画など、所謂オタク趣味を謳歌している。毎クールごとに気になったアニメをチェックだけし、流行っているソシャゲや動画配信には手を出し、好きなジャンルの二次創作を逐一チェックし、商業同人問わず漫画を購読し、絵に描いたようなオタクライフを満喫しているわけではない。
実際のところはこんな感じだ。
・その割にツイ廃だと思われたくなくて反応は控えめ
・据え置きゲームも中盤あたりで詰み、最後までクリアできたためしがない
・絵は月一で描くという自分ルールを設けたが、毎回月末になって慌てて描いている
・新しい漫画やアニメ、ソシャゲは刺激されて疲れるのが嫌でWikipediaと公式サイトの文を読んで満足
・4つある自ジャンル(いずれも旬ではない)の情報だけはしっかり追っている。ただしコンテンツそのものよりも運営や民度のことばかり気にしてる
・音楽に対するフットワークは軽いと思っていたが、最近のTikTok文化には全くついていけない。ノリも苦手
・そもそも新しいジャンルにハマる元気がない。ずっと広く追わなきゃならないVtuberは全般的に苦手。
・頭の中では常に一次創作の設定のことを考えていて、そのための資料集めのために生きている。なお創作の本編には手を付けられてない
・特に時間がないわけではないが、とにかく疲れてTL巡回以外何もできない
・盛り上がっているオタクを見ると羨ましい
・そのくせに現実(仕事、結婚、育児、介護など)としっかり向き合っている周囲の人を見ると不安になって焦る
趣味を楽しみたい欲望だけ募らせて「疲れた」を理由に何もせず、同時に現実を見て生きている人たちにも劣等感を抱くという、オタクにも一般人にもなれないモンスターと化してしまった。
これは自分でもまずいと思うが、どうにも意識してコントロールできることでもないようだ。
このように気力不足で何もできず劣等感だけ募らせている私が、普段何ならできているのかを列挙する。
・盛り上がっているオタクの観察
・一応惰性で見ているアニメの実況
・オタクや推し絵師やリアル知人の生存確認(唐突にいろんな人物が頭に浮かび大抵更新が止まっててショックを受ける。発達障害あるあるだと思う)
・自ジャンルのアフィブログの愚痴記事のコメント欄や5ちゃんねるの愚痴スレをひたすら監視(界隈やコンテンツの問題点も踏まえて正しく把握するため)
・Twitterのトレンドから社会問題に関する考察(という名の悲観的な被害妄想)
・数年前の一番楽しかった頃に描いた絵や当時やり取りしていた旧友(今はほとんど疎遠)とのメッセージを見返して心を痛める
・自分の脳内にある情報だけで一次創作の世界観の設定を練りまくる。どう頑張っても中学生の黒歴史ノートレベルのクオリティにしかならない
一通り書いてみたが、本当に精神衛生上良くないものばかりなことに気付かされる。ただ、脳汁が出てやめられないのだ。
こんなことをしている暇があるのなら勉強するなり作品鑑賞をするなりすればいいのに、前述の通り興味関心が向かなかったり趣味にかまけることに罪悪感があったりで何もしない癖にTwitterや5ちゃんやアフィのコメ欄やまとめブログばかり見て心を傷つけている。こうやっていつも言い訳しかしない。
私がこうなったのも、世の中の流れや身の回りの人間の変化も少なからず影響している。
これがかなり大きい。一応私も社会人3年生で、周りの友人もバリバリ働いている。
当時一緒にオタクして楽しんでた友人たちもだ。彼ら彼女らは私以上に見る影もなく、家を会社を往復するだけの虚無な人生(本人談)を歩んでいるそうだ。時間を犠牲に金だけを生み出し、その半分ほどを税金や必要経費で持ってかれているので貯金も満足にできないらしい。
問題なのは仕事に対して楽しんでいるわけでもなく、常に辞めたい辛いなど愚痴を吐きながらなんとか繋ぎ止めている状態なのである。転職を勧めても、もう一度就職活動する方が苦痛だから今のままでいいという派が圧倒的だった。
なんなら社会に出た途端SNSから手を引き、音信不通になった人もたくさんいる。久しぶりに話せたかと思えば、仕事以外は何もできてないとのことである。
会社の手となり足となる人生以外の選択肢を潰したのだろう。きっとそれは正しいことだ。
正直、私から見れば友人らは圧倒的につまらない人間になった。いや、社会がそういう人間を望んでいるのかもしれない。
自分の好きなことのために生きているオタクこそ、社会にとっては癌なのだ。強い自我は社会の歯車を回すにあたっては邪魔なだけだ。
つまり社会に出れば社畜化することの方が求められていて、あたかもそれが正しいことのように錯覚している。
そして、こういう人生の話と切り離せないのが結婚出産だが、私の身の回りに既婚者は2,3人ほどしか確認できていない。みんなとっとと結婚して親を安心させるのかなと思えば社畜街道まっしぐらな方向性を選んだ人の方が多かったようだ。
その既婚者たちも、子どもができれば家庭優先になるのは当たり前である。趣味を謳歌する余裕などない。
ただ、それが正しいのだ。いつまでも好きなことをしてるクソガキであろうとする私が間違っている。そういう人たちを見ると、なおさらそう思う。
たまに話もするが、仲良く絡んでたときとは価値観が打って変わってしまった。いや、私が変わらなすぎるのかもしれない。
私はこのように、世の中に求められている使命をしっかり果たしている人たちの足元にも及ばないのが悔しくて仕方ない。人間不信も相まって生まれてこの方恋愛したことないのに、どこで挽回できようか。
だからオタクみたいなことを続けるのに抵抗が生じてしまうのだ。
身の回りのオタク友人だけじゃない。ネットにいる二次創作絵師やフォロワーも例外ではない。
2020年あたりを境に、Twitterの更新が止まったりアカウントを削除したり、動いてはいるものの低浮上になったりしている作家やフォロワーがたくさん増えてきた。
それは、コロナ前の同人誌即売会で購入した作者の現在を調べて初めて判明する事実だったりする。こういうことを慢性的にやってしまう。
何が何であれ、別れというものには耐えられない。いや、慣れてないだけなのかもしれない。
なんせ一方的に観察してるだけなので、少しでも顔を見せないと生存そのものが心配になってしまう。
理由について推測する。
コロナ禍では巣ごもりが奨励されており、創作は流行るだろうと思っていたが現実は真逆だった。本の印刷という明確な納期がなくなったことによりモチベーションが著しく減退したサークルが多く確認されている。今回控えているC100もサークル数は前回比で減っており、同人需要すら落ちているようだ。
「オンライン推奨なんだからWebオンリーとかコミッションとかが主流になったのでは?」とツッコまれそうだが、私が言いたいのは”ネットに顔すら出さなくなったクリエイターが爆増している”ということである。これは正直巣ごもり関係なく、何らかのタイミングで起きていると思われる。何故コロナのタイミングで、とは思うが人手不足の穴埋めをさせられたり、単純に業務量が上記を逸していたりするのだろう。基本的に観測できる範囲には真面目な人ばかりだ。
私が新卒で入社した会社はコロナで仕事がなくなった業種だが、逆に多忙を極めている業種もある。オタクの本業とは一体何なのか…もし医者やSEといった仕事が主流なら、私はまた(人生スペックに対する)嫉妬に狂ってしまう。みんなちゃんと仕事しているし、会社に殺されてこき使われてるのだ。
そもそも想像力が乏しいので、人間はみんな四六時中SNSを見ていて当たり前だと思っているフシがある。全員がそうとは限らないだろうが。
私みたいに、常にネットから得た知識でこれから起こることに対して悲観的な妄想をしたり、目の前のことをかなぐり捨てて現実逃避しているわけがないのだ。
ネットのオタクからも「現実をちゃんと生きているのに」という劣等感は強く感じる。普通に中の人は人間なのだから。社会を回して当然だ
だが、ここまで仕事に忙殺させてもなお終わらない無茶なタスク振りや、いくら働いてもまともに暮らせない賃金体系にも問題があるのではないのか?
こうなると社会そのものへの愚痴になるのでこのあたりで留めておく。
ここまでつらつらと書いてきたが、私自身も趣味に対して食指が動かなくなったわりにオタク気質だけは残ったままになっている。”キモオタ”から”オタ”を取った”キモ”状態だ。
現にアニメ・マンガ・ゲームとかに触れずとも、Twitterの逐一巡回やアフィなどの監視を惰性でやって時間を浪費している奴をまともと呼ぶわけがないだろう。
何故楽しかったあの頃より熱が冷め、エアプマンになったのか分析していこうと思う。
まぁこれに尽きる。正式に言うと「ネガポジ問わず刺激によって疲れる」のが嫌になった。フィジカルもあるが、メンタルの話だ。
人が一度に受けられる刺激には限度があると思う。これを超えると心身に悪影響を及ぼしかねない。そしてその容量は年齢に反比例している。
仕事は当然神経をすり減らして責任を持って取り組まなければならない。その時点で一日に受けられる刺激量はとっくに超えている。そんな状態じゃコンテンツを摂取することで何らかの感情をかき乱すなんて疲れるだけだというようになり、いつしか避けるようになる。
長い文章が読めなくなるのもこれだ。重く激しい展開を忌み嫌うのもこれだ。
私はアニメやゲームを実況することが生きがいだ。初見の感想を記録し、未来の自分の役に立てたいという気持ちが強い。
ただ、半ばそれが義務や使命と化していて正直かなり疲れている。ASDは自分のタスクを輪に組み込んでしまえば永久的に続けられる性質があるが、それは「何も考えずにできること」限定であり、実況や考察など自分の言葉を紡ぐ行為はかなり消耗する。この文章だって3時間かけて執筆している。
作品に触れているのだから、何らかの感想を残さねばという自分自身に課した強迫観念のようなものが私には存在する。
そんなことを思いながらも、基本的に自分の頭のデータベースに情報を一気に突っ込めなくなり、処理もできなくなっていってる。
旬コンテンツに触れないと置いていかれる観念もこれだ。名前を出してしまうと、「100日後に死ぬワニ」や「モルカー」や「タコピーの原罪」などが一斉に流行りだすと、未履修の人間はツイッターランドにおける非国民であるような気持ちになる。
Twitterのトレンドが特定のコンテンツで一色になっているのも、同調圧力を感じて疲れてしまう。追えてないことに残念な気持ちになるが、追う元気もない。
そんな感じで、うっすらとした気質だけ抜けられないまま、置いていかれないように上澄みだけ啜っているのが今である。
何度も述べている通りである。大人になるとは、社会を回すために責任を持って使命を遂行することである。
その使命を放棄し、自分の好きなことばかりに現を抜かすなど、人間としてあってはならない。そんなことが許されるのは大学生までだ。
人間には、生物として繁殖しなくてはいけない義務がある。日本国憲法においては、教育・労働・納税の義務がある。
つまり、仕事や育児から逃げるのは罪なのだ。その逃げとは、趣味のことである。
普通の人間は社会に出れば「個人」をやめ、「社員」なり「役職」なり、はたまた「親」なりの肩書を持つ。名前なんて呼ばれなくなるだろう。必要なくなるだろう。
オタクは「個人」のままできるが、それは大人になった瞬間捨てなければならない。肩書にふさわしい義務を果たさなくてはならない。
私は、20代も後半に差し掛かるというのにこれらの義務を果たせる予兆がまるでない。仕事も、同年代と比べると誰でもできるようなことしかしてないしはっきり言ってぬるい。
結婚だって、恋愛を嫌がっているのだから当然できるわけがない。人間との共存に本気で虫酸が走る。
そんな奴が適齢期になっても責務から逃げ、いつまでもガキ臭いことをする道理が見当たらない。その結果、打開策が見えず将来を憂いているだけで何もできない生き物になってしまった。
何度も言うが、逃げとは責任の放棄であり罪だ、そしてその逃避こそが趣味なのだ。
こんな経験はないだろうか。「作品よりもスタッフや運営に注目するようになった」と。
コンテンツにゴリゴリに入り込んで感情移入するのは、幼い子のやり方だ。夢女子がそれとも言われるが、傍から見れば虚構と現実の区別がついてないように見える。
それをいい歳こいた大人がやれば、立派な精神異常者だ。作品の世界に入り込むなど、これこそ先程から罪だと言っている現実逃避にほかならないだろう。
そして、ある程度読解力が育ってくれば作中のモチーフや描写、張られた伏線などから「考察」というものをするようになる。この段階でやっと観客になれるのだ。その考察も、ガキの魂胆で行えばただの妄想に成り下がるが。
では、そのようなコンテンツの見方に慣れると作品をどのように見るようになるのか?
答えは「構造批判」である。作品の評価をファンの民度やスタッフの質、運営の対応などで行うようになる。特にお金の話と絡めたがる。
作品同士を「このジャンル、ファンがクソガキしかいない」「なろうテンプレだなこれは」「お涙頂戴ねはいはい」「運営のおっさんはこれが儲かると思ってんだなぁ」と比較や批判するようになる。Twitter民にも心当たりはあるだろう。
こういう考えはコンテンツ研究する立場においては大いにアリだが、普通に楽しむにあたってはノイズになりかねない。なんなら「構造批判」するために作品に触れる(たまに触れてすらいない)ようになり、叩くのが目的になる。
そうすれば、何を見ても昔のような楽しさは感じられないだろう。
現代は情報化社会だ。誰もがクリエイターになれるし、どんなものもスマホひとつで手軽に大量消費できる。
そうなれば必然的にコンテンツで溢れかえる。取捨選択が難しくなる。
これらの流れをくんで、最近ではAIが閲覧傾向を読んで勝手にレコメンドしてくれる。口を開ければ合うものを放り込まれる。そしてなんとなく偏っている。
ただ、なるべく偏らせないで色々見たい人は、とりあえず全部手にとって味見する。その絶対数は一生に捌ききれないほど多い。
先日久しぶりに大学の同期と連絡をとりあって同窓で集まるかという話をしていた。
まあ最初はコロナどうだったよとか近況とかなんとか他愛のない話をして。
で、例の安倍晋三銃撃事件の話になったのだが向こうが一気にトーンダウンした。
前提として彼とはツイッターで相互フォローの間柄にある。リアルでは滅多に会わないが、
あまりSNS活動に熱心でない自分も、たまに青いアイコンをタップするとツイ廃ぎみの彼のつぶやきが見れるわけだ。
「嫌っているのは向こう。日本がいやなら出ていけ」
「不法滞在してたくせにこれ以上管理局の責任を問うとか外人はこれだから嫌だ」
などの絵に描いたような主張を時折発信していた。
(リアルの知り合いがフォロワーにいるのによく言うなあ)がこっちの感想だが、
で、冒頭に戻るが、彼が言うには
「統一教会への非難の声で溢れかえっているけどあれでは却って日本が宗教弾圧している国として非難されてしまう」
だそうである。
え〜〜?キミ普段から『出羽守www』とか『日本は無宗教なんで』とか『XXは国へ帰れ』言うてましたやん。
突然何に目覚めたんすか。
いやまあ、いいよ。「広い意味での宗教の弾圧」をしてはならないことに間違いはない、と思いちょっと乗ってみた。(以下会話は意訳な)
私「そうだね。宗教弾圧はあってはならないね。信仰の自由は憲法で保障されている。けれど統一教会はカルトだよ」
私「難しいなあ。監視対象であるオウム真理教なんかわかりやすくない?」
彼「統一教会はオウムみたいに国家を狙ったテロをしていない!」
え〜…そういう理論なの?
私「オウムは確かに国家転覆を狙っていたけど実行したのは一般市民への攻撃だったやん?統一だって一般市民の家庭を壊し命を奪っているよね」
ここで私は彼が統一教会信者なのでは?と一瞬疑った。問題の本質を理解してなさすぎだからだ。そうでないとこの理論は意味がわからない。
誰も「ありとあらゆる宗教を追い出せ」とか「統一教会を潰せ」とは言うてないのだから。
ならばやはり理解していないだけか。
私「宗教弾圧という流れにはならないよ大丈夫だよ。統一教会そのものは残ると思うよ。それより為政者が詐欺まがいの団体と手を切れるいい機会なんじゃないかな。今こそ日本が良くなるチャンスだよ」
彼「大体、事件の操作は警察がやっているんだ。一般人が口出すことじゃないよ」
(表現の自由展やら管理局の問題に散々口出してたやないかい!)と思ったのだが、これ以上突っ込むと彼の神経を逆撫でさせそうだからゆっくり話題を閉じて、学生時代に貸しあってた漫画の話とかに切り替えつつ電話も切った。
「どんな団体が手を引いているのか必ず暴くべし!決して許さない!」
だった。
整合性はどうなっているんだ整合性仕事しろ、とは言えなかった。
20代の79.8%、10代の67.6%が利用しているとされるので、若い人なら単純に同世代が多い。
趣味っぽいことでも近くに住んでるとかでも別になんでもいいが、適当にフォロー/フォロワー増やしてリプライやり取りしてりゃ、飲みに行く程度の友達なら普通にそのうちできるよ。
ただ、そういう会話のやり取りであるとか、飲みに行くとか、そもそもそういうのが億劫とかだとキツイ。
そこはそれなりに社交的にふるまってくれ。
リアルでは全く面識がないツイッターの相互フォロワーがいて、ツイートを見ているとブラック感漂う勤務をされている。すごい頑張っていて、スキルもあるのに評価してもらえてない(給与アップしていない)ようで、評価変えるには転職しかないんですかねぇと話している。
弊社給与は高くないが労務環境はそこそこホワイト。弊社的には彼のスキルセットで全然ウェルカム。弊社どうですかという言葉が喉まででているのだが、長年フォローしていて弊社の業務内容が彼の目指しているところとちょっとズレているのは知っていて、やりがいは得られないだろうことは分かっているのが難しい。
山上容疑者のTwitterアカウントのフォロワー数。現時点では2万を超えて今日中には3万を超える。
私はスポニチのTwitterアカウントを特定する記事が出た直後に検索して見に行ったが、その時のフォロワー数は1桁で確か9とかだった。
更に上には上がいたようで、今朝のテレ朝「グッドモーニング」でTwitterアカウントが見つかったと報道されたが、そこに映ったトップページのフォロワー数は1だった。(さすがマスコミ。しかしNHKニュースで映った画面は既にフォロワー数3000超え)
もともと0フォロワーだったという話もあるが、元のフォロワー数が少なすぎる。
全くフォローせず何の宣伝もせずに独り言をメモしてるだけのような自分のTwitterアカウントでもスパムBotやフォロバ目当ての人間によるフォローでフォロワー数2桁後半は行っている。
山上は2019年から3年間ほぼ途切れることなくツイートやRTをし続けてたので、普通なら同じくらいのフォロワー数になっているはずではないか。
最初は鍵垢運用をしていて事件前に公開したとも考えたが、RTやいいねされてるツイートもあるし「俺ブロックしてた」と言う人もいて、少なくともずっと鍵垢運用だったわけではない。
フォロワーされてもどんどん切ってったということだと思うが、SNSでも細かい運用をしていた、考えてネットを使う人だと印象を持った。
いつもの Youtube のライブ放送では、彼らはショーマンに徹していて、政治的スタンスは徹底的に隠している。視聴者の俺たちも探りを入れたりするようなマナー違反はせずに、楽しみの供給側・受給側として一定の距離を置いていた。モニターを隔てた両岸には政治的・思想的な摩擦はなく、スムーズで快適な互恵関係が築かれていた。
エンターテイメントは主に Youtube で Vtuber やゲーム配信を視聴して賄っている。
情報収集用のツイッターのアカウントまで分離して、相異なる領域をゾーニングして保護してる。
たぶん誰もが知っている、快適な距離感を維持するコツ。
あの日、Vtuber やゲーム配信者たちが一斉に配信を休んだ。
もちろん全員が同じ理由であるハズはないし、あの日はそれなりに暑かったから熱中症とかで休んだ人もいたかもしれない。ボカされた個人の理由を勘ぐるのはモラル違反だ。でも、全体的な傾向は否定できないだろう。それほど多くの配信中止の宣言があった。
「今日は気分が乗り気じゃない」「配信を予定していましたが…」「ゆっくり休もうと思います」
フォロワーたちも「わかります」だの「しっかり休んでね」だのと、同調と共感を表明していた。
マジかよ…
俺は元首相の死に際して、志村けんさんがコロナで亡くなった時と同じような思いだった。
正直、お気の毒だとは思うけど、やっぱり、他人ごと。
仕事を休むほど心が傷ついたわけじゃない。
お前ら、そっち側だったんか… モリカケとかどう思ってるのか聞いてみたい衝動に駆られた。
目先の楽しさに夢中になるうちに、いつのまにか足元を浸すカルト宗教の恐怖。
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