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はてなキーワード: 携帯とは

2021-11-05

子供部屋おじさんの月の手取りと出費

手取り28

出費と資産運用の内輪は以下の通り

資産運用

内容金額
社内預金40000
自社株20000
積立NISA30000
確定拠出年金5000
社内年金税金対策9000
合計104000

出費

内容金額
生活費(家に入れてる金)30000
食費(ほぼでぇと💓の食事代)35000
通信費携帯4000
交通費8000
交際費(でぇと💓食事代は食費)5000
趣味平均50000
合計132000

余った44000円は貯金してます

今後は投資割合を増やしたかったけど、彼女同棲したいと言い始めたので無理そうです

うろおぼえ捜索法 虎の巻

うろおぼえを捜索する手法のようなもの備忘録的に投げておこうと思う。

予め言っておくが、専門的知識もなく文章能力もないので、読み難さは勘弁して頂きたい。


また、私は特に何の能力も持ってないので専門人には劣る。な~んも分からん

それでも良いよ!という、仏の手の平よりも広い心を持った方のみ読んで下さい。

基本的にうろおぼえのものは、印象に残っているものなので、

必然的自分以外の人も探していたり、Twitterで呟いていたりする。

...つまり集合知に頼った方が早い。

かに聞くのが早いのだが場所と人に因るので、自ら検索を行う方法を記しておく。


うろおぼえ捜索は、情報強度(勝手にこう呼んでいる)が高い部分を抽出し、検索にかけるのが早い。

基本的使用するのは、


  1. Google検索
  2. Google画像検索
  3. Twitter


の3つ。3つ目はTwitter上の作品及び、対象作品感想を呟いている人を探すために使う。

読まなくてもいい補足事項 : anond:20211105041538

とりあえず、実例を見てもらえれば分かるでしょう。

早速本編スタート

はてな匿名ダイアリーリンク制限上、いくつかのリンクは省略させて頂きます


その1

昔、模試現代文で読んだ小説を探しています

・お母さんを亡くした幼い女の子主人公

お地蔵さんがたくさんある場所(恐らく愛宕念仏寺)に行き、お母さんそっくりお地蔵さんを見つける

・「お母さんはここにいたんだ」的なことを考え、少し元気になる

こんな話だったと思います

2016年2017年(多分2017年)の模試で、進研模試河合模試だったと思われます

模試問題結構ネットで聞かれるうろおぼえ中のうろおぼえ。

「ザ・うろおぼえ」と言っても過言ではない...と勝手に思っている。

それこそYahoo知恵袋に似たうろおぼえが挙がっている、と思う。


模試 地蔵 小説 でGoogle検索

前述のとおりYahoo知恵袋がヒット。ほぼ同じ内容のうろおぼえに対しての回答を発見


重松 清 - また次の春へ収録

五百羅漢


その2

漫画で、不老不死になる治療?受けた男が宇宙へ行くが探索の際に事故で切り離されてしま

取り残されて宇宙空間を漂っていて通りがかった宇宙船に助けを求めようとするけれども

死体勘違いされて宇宙ごみと一緒に永遠に漂うと言う内容です。

最後死にたいという一言宇宙空間に残された男のコマで終わっていました。


多分14、5年前にダイソー販売されていたコミックシリーズ立ち読みをした気がするのですが

タイトル等の情報あれば...

まずダイソー マンガ検索ダイソーコミックの一覧Wikipediaページがヒット。

立ち読みで読んだという内容だけど、話が完結しているのでオムニバスかな?

30冊程度なので、一応全作品Google検索にかけてあらすじに目を通す。


オムニバス怪奇ホラー系を取り扱った作品を2本に絞る。

「まちこの千夜一夜」「惨劇館」

コレで聞いてみたら、「まちこの千夜一夜」2巻だったとのこと。


母数が少ない時は全部に目を通した方が逆に早かったりする。


その3

3年ほど前に見たTwitterでの動画を探しています

小石や砂利が川のように地面を流れている動画で、ツリーにその現象解説が行われていたような気がします。

小石 min_retweets:30 現象 でTwiter検索し、ヒット。

ここのmin_retweets:とはTwitter検索オプション。最小RT数が30以上のもの対象にできる。


なぜ30を基準に設けたかというと、自然現象bot的な存在Twitterにあったとして、

最悪小バズりしていてRT分散する、という状況にも対応できるように少なめに設定した。

他のTwitter検索の際にもほど良く探しやすいので、以後30RTボーダーにしている。

解説系のマンガを探すときは少し多めの想定で100RT...など判断各自で。


その4

この動画の「おかしい気がする」の部分の曲名を教えてください。

34秒からのものです

https://twitter.com/fuckdesune/status/1226707778175029248

ツイートのリプ欄を確認。該当曲はナシ。引用RT確認するもなし。

おかしい気がする 歌詞 でGoogle検索もヒットせず。


これは集合知(他のみんな)に任せるか...?と思いつつもう一度。

"おかしい気がする" 歌詞 で再検索、ヒット!

社交 - KOHH

https://youtu.be/uheHldt1fts


全一検索になるので、前者より精度が上がりヒットした。


その5

ドラマ映画です

盗賊になる練習で、目隠しして地図に1本線引いて、

その線を障害物超えながら進め!っていう特訓やってたの何かわかる方います

確か線上に東京タワーがあってうぉ…ってなってました

10年近く前の気がしま

今回は印象的なシーンなのでTwitter使用

盗賊 地図 映画 ヒットせず。

映画盗賊使用される例はあまりないので、怪盗?忍者?なんにせよ検索がブレそう。うーん...

東京タワー 地図 線ヒットせず。創作なんちゃって陰謀論ばかり。

地図 線 障害物 でTwitter検索

K-20というタイトルを呟いている方がいたのでタイトル検索。ヒット!


K-20 怪人二十面相・伝

https://eiga.com/movie/53311/


その6

マダミスがどんなゲームかすごく分かりやす

体験レポの漫画? があったと思うんですけど、なんだっけ……

Twitter上での解説マンガと推測。

マーダーミスリー min_retweets:100 でTwitter検索

RT数の多いレポマンガツイートを共有。的中。


その7

昔(と言っても3年も経ってないと思いますが)見たドラマを探しています


特番連続ドラマではなかった

・一瞬しか見てないので内容や結末は分からない

警察ドラマ主人公の妻が弁護士だった気がする

主人公の部下らしい人が「尊敬する日本人宮崎駿宮本茂です」と言った後に、

具体的な例を上げろと問われた後に結構コアな回答をしてたのを覚えています

最後の一文のパワーがすごい。

このドラマテレビで流れたら確実にTwitterで共有されるな...と思ったので、

宮崎駿 宮本茂 でTwitter検索

画像ハッシュタグ付きのツイートがヒット。タイトルが判明。


ドラマSP スイッチ

https://www.telasa.jp/videos/164757?related=episodes


その8

ガラケースライド式、クルクル回る所があるタイプ)のゲームを探しています

パンダ釣りをする

・着せ替え的なものパンダの色が変えられる(緑とかピンク

・目つき悪め

思い当たる方いらっしゃったら…

これは確実な特定のためにワンクッションおいた。

ガラケー 回転で検索。回転するタイプ携帯FOMAが多いとの情報を入手。

FOMA パンダ ゲーム でGoogle検索、ヒット。


珍さんの釣り物語


PART2に続く。

PART2 : anond:20211106011219

PART3 : anond:20211108012801

補足 : anond:20211105041538

2021-11-03

anond:20211103105115

気の利いた核大国ならこっそり各国の首都重要地域携帯型の核兵器を設置済みだろうから無問題

anond:20211103015255

ずっとAndroid使い続けてきたけど、今年社用携帯としてiPhone支給されて使ってみたらかなり分かりづらかった

要は慣れてるかどうかってだけで、どっちがより使いやすいとかは無い気がする

2021-11-02

安倍に入れる山口県民はオワコンって叩かれるけど

県民として言わせて貰うと、自民はやっぱり手厚いんだよ

ぼっろぼろの道路を直してくれたりとか、どうしても野党じゃ無理なんだよね

過疎地なので、コンビニまで車で30分みたいな携帯も繋がらなそうな場所もたくさんあるが、そういうところも自民党だけはポスター貼りに来る

力があって、お願いしたらけっこう叶えてくれて、ってなると、日本がどうとかモリカケがどうとかより、人間自分の周りの住環境優先になるじゃん

詐欺とか横領してるかもしんなくたって、除雪車持ってきてくれる政党にいれちゃうんですよ、生きていくためには

2021-11-01

anond:20211101141443

実際は座席固定されてるかもしれないし確実性に欠ける

自分で鞄の中に防御板を常時携帯したほうが確実だ

軽量なプラまな板2枚でいいだろう

日本国民手裏剣修行携帯義務付けていれば悲劇は防げた

ナイフを取り出して暴れようとした途端四方八方から手裏剣が飛んできてハリネズミになって死ぬ

2021-10-30

au by KDDI営業の人が3G携帯終了についてわざわざ訪問までしてくれて

貴重な在宅時間を使ってもらってありがとう??

牛丼の値上げ=ジミンノセイダーは、無理がないか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/pickup/6408309 を流し読みして、一部コメントから感想

携帯キャリアの時みたいに、牛丼チェーン店に値上げ圧力でもあったのだろうか。

金曜日 真っ暗な部屋で窓を開けてこれを書いている私と その周りの

はじめに、これは母親と娘(私)の話です。ブログを書くことが本当に久しぶりなので、元々文才の無い自分が書くとさらに読みづらいと思いますすみません

母親との関係に悩みが尽きないと感じるようになったのは、ここ最近のような気がしていた。

だけど今日、また"それ"が起きたとき、私は思い出した。

ずっと、"それ"は繰り返されていた。

諦めのような、虚無感を含んだったこ感情は、幼い時から繰り返し感じていた。

私は"それ"を知っていた。

幼稚園に通う頃、私には気になる男の子がいた。

いつも走っていて、時々転んでは汚れた服のまま、また駆け出しているような子だった。

まり記憶が鮮明ではないが、おそらく仲の良い友人に彼が気になると話していたのだろう。

母は、私が彼を好きなことをいつの間にか知っているようだった。

ある日、お迎えに来た母に「〇〇くんはどの子?」と聞かれたのだ。

私は無邪気に指をさして母に教えた。

その時、左斜め下から見た母の顔を覚えている。

眉をしかめて、口を少し開けたまま、「そう。」とだけ呟いた母は、明らかに嫌悪を私に示していた。

悟った。ああ、母の機嫌を損ねてしまったと。

母の機嫌を損ねることは私にとって何よりの恐怖だった。

おそろしいことに、それは今でも。

小学生の頃、着て行く服は母が全部選んでいた。

天気、気温、行事学校帰りの習い事。あらゆる条件をクリアする服装毎日ぴったりと揃えて準備してくれる。

私は母の選ぶ服が好きだったし、母曰く「上品で程よくキュート」な洋服を友人に「似合っているね」と優しく声をかけられた日はとても嬉しかった。

きっと忙しい日もあったのに、毎日毎日準備をしてくれたことに感謝している。

ただ、一度私が着たいと思った服を「似合わない」と言われた時に、私はとても怖くなった。

可愛いな、と思って店内で無邪気に手にしたそのワンピースを「変よ」と一言、それだけで怖くなった。

いいね」と言って、母もこちらに寄ってきて一緒にその服を手にしてくれると思っていた。

でも違った。

文章にしてみると、ただそれだけのことなのに、私は自分感覚すべてが間違っている、と強く思った。

私は洋服を選ぶセンスが全くない。欠陥している。

中学高校制服があったので母が毎日服を選んでくれる習慣は無くなったが、例えば友人と出かける時に服を選ぶと必ず私は母に「どうかな、この組み合わせ」とつとめて明るく聞いた。

本当はいもどきどきしていた。

「似合わない」「違うと思う」と言われたらどうしよう。

「いいと思う」と言われる日もあったし、「スカートの丈がおかしい(母は膝が見えるスカートのことをおかしいと言う)」とそっぽを向かれる日もあった。

たいていの場合バツをつけられたアイテムはすぐに他のものに変更していたが、どうしてもそれを着たかった時、別の組み合わせでプレゼンする。

すると母は「あんたがいいと思うならいいんじゃない」と言う。

初めて言われた時、殴られた方がマシだと思った。

言い返せないトーン、こちらを向いていない顔。

10代の私にとって、大きな壁を作られたような、それはそれはとても恐ろしい体験だった。

すぐにすがった。「やっぱそうだよね。どこかで見た感じをまねしたかったんだけど、違うよね」「やっぱり私センスいから、これやめるね」と。

ただ、ここで母の機嫌は元に戻らない。

もう、こちらの声は聞こえていないのだ。

ツーン、と。こちらの顔を全く見ない母の"それ"は大人になればなる程長くなる。

大人になると「もうその服は年齢的にきついと思う」とよく言われる。

断捨離だと言い、私の服はよくゴミ袋に入っている。

気に入った服、お金を貯めてえいっと気合を入れて買った服、家族には話せていない思い出がつまった服。

みんな色がなくなったみたいにして、ゴミ袋に入っている。

きっかはいつも本当に些細だ。

私が些細と思っているだけで、母には大きな出来事かもしれないが、私にとってそれは静電気くらい、突発的にパチッと起きる。

金曜日、帰りにこれを買ってきてほしいと頼まれて、無事購入し帰宅してみると頼まれもの冷蔵庫に入っていた。

「これ買ってきたよ?」と購入品を見せると、「たまたま出かけることになったから私が買っておいたの」と言う。

ここで、「そうなんだ。ごめん、私も買っちゃったか冷蔵庫いっぱいになっちゃうね」と謝るべきだった。

だけどその日ひどく疲れていた。

「連絡してくれたら買ってこなかったのに」と言ってしまった。

アウトだった。

この会話で、私は週末ずっと脅えながら過ごすことが決定した。

普段テーブルランチョンマットかお盆を置いて食べる夕飯時、私がそれらを準備する前に母はドン、と音を立てて食器を置く。

ご飯汁物、おかず、副菜ドンドンドンドン

高校生の頃突然のことに驚いて何も言えず、立ち尽くす私に目もくれず、母は不機嫌をアピールするように食べ始めた。

時々、はあと大きなため息や、小さな舌打ちが聞こえる夕飯は心臓が苦しいだけだ。

いただきます」と合掌しなさいと叱っていた子どもの前で、何も言わずに食べ始めた母は5分も立たずに完食し、「ごちそうさま」も無く、大きな音を立てて席を立ち、自分の使った食器を洗い始める。

私は一人静かに、なるべく音をたてないようにして夕飯を食べる。

今日あったこと、悲しかたこと、話を聞きたかたこと。

それらのすべての計画ガラガラと音を立てて崩れる。

こんな夕飯が、私が高校生くらいの時から異様に増えた。

こういう流れになったとき自分食事をつくると悪化するので、静かに皿の真ん中をみつめて、吐き気におそわれながら食べ進める。

リモコンを触ってチャンネルを変えると負けなのか、誰も見ていない番組が延々と流れる

父の仕事関係で、夕飯はいつも母と二人だったので夕飯時は好きなドラマ映画を見ることも多かったのに、あまり馴染みのない番組BGMに冷たい時間流れる

そして、食後に甘いものを食べたり、一緒に片づけをする時間はもちろん無く、

食後に片づけを終えた後、私はすぐに歯を磨き、眠る準備を整え、頭を深く下げて「おやすみなさい」と伝えてから自室へ向かう。

この時「ごめんなさい」と謝罪したことももちろんある。

しかし、いつもこう言われるのだ。

「何が?」と。

喧嘩ができない。

投げても返ってこない。

ただ、ただ、この時間が過ぎることを待つのだ。

この冷戦期間、母がいるかもしれないリビングにはなかなか行くことができないので、薬が必要な時に飲めるように常備薬は自分の部屋に常に置いている。

自室へ行く前にコップかマイボトルに水を入れていくことも忘れないようにしている。

慣れてしまった気もしている。

気持ちが落ち着く香りがするものや好きな飴を自室にこっそり置いて、少しでもこの小さな部屋で快適に暮らせるように試行錯誤してきた。

でも、何度経験しても突然こちらを向いてくれない、口をへの字にした母の表情には慣れない。

おそろしいことに、アラサーになった今でもこわくてこわくて仕方がない。

こわがっていることが情けない。

でも、こわいのだ。

ずっとこわいなら、すぐに家を出ていたかもしれない。

でも気づいたら、大学就職県内で、はじめからそれ以外の選択肢は無かった。

母に「A大学へ行け」と言われたわけでも、「B社に就職しろ」と言われたわけではない。

はじめから県内で」と思っていた。自然に。

それは多分、ずっとこわいわけではないからだと思う。

母はほんとうに優しい。

優しく、ときどきユーモアがあって、音楽が好きで、海外映画が好きだ。

ごはんもとても美味しい。

私が作るごはんもすごく褒めてくれる。

働き始めて家にお金を入れる度に「自分の好きなものを買っていいのよ」と言った後、ありがとうと優しく受け取ってくれる。

優しい母が好きだ。

愛してもらった自覚がある。

あらゆるものから守ろうと、常に私のことを気にかけてくれたことに感謝している。

から、ここから出ていけないのだ。

話は変わるが、通帳をしばらく紛失したことがあった。

知らないかと尋ねるが、家族は誰も知らなかった。

仕事が忙しく、それどころではなかった時期なので、「家の中でなくしたのだからいつか出てくるだろう」としばらく放っておいた。

ある日、通帳がどうしても必要になり、家中を探した。どこにも無かった。

そんなはずはないと連日通帳を探す私を家族心配そうに見ていた。

仕事に関して抱えている不安と、見つからないものへの不安がごちゃまぜになって、まるで狂ったかのように家中を探していた。

仕方ない、半休を取って通帳の再発行に行こうと思い、心配してくれた母にも報告した。

銀行に行き、「〇週間ほど、通帳を探したが見つからないので再発行したい」と伝えた。

対応して下さった行員の方の言葉に、私は鈍器で頭を殴られたかと思った。

おととい、つうちょうをつかっておかねをひきだされていますよ。

頭が真っ白になった。

何行かにわたって記された数字を見る。残高はほとんど無かった。

まり覚えていないが、「勘違いかもしれない、すみません」と怪しまれる前にとにかく銀行を早く出たかった私は多分適当言葉を並べて足早に去った。

私はまっさきに思った。

話してくれたら、いくらでも使っていいのに。

当時、あることでお金必要だということはうっすら雰囲気で感じていた。

でも「私出すよ」と娘である私が言うと偉そうなのかもしれないと思っていたし、両親がそういうタイプ人間だと知っていたので、必要ではあるけど足りないという話はしていなかったこともあり、能天気に流してしまっていた。

いくらでも、あげる。

違う、家族から、あげるのではない。

今までたくさんもらってきた。

私も参加させてほしい。

銀行の近くの本屋でなるべく人の少ない階の隅の椅子でこっそり泣いた。

立っていられなくなった。

あと少しで仕事に行かなければならないことと、家に帰ってどんな顔をすればいいのかわからないことで頭がぐちゃぐちゃだった。

話したらお金を出してくれない娘だと思われていたのか。

から隠し続けたのか。

必死に探している時、不安でいっぱいな私をどういう気持ちで見ていたのか。

からない、もしかするとこれから先ずっと、一生わからない。

学生の時、同級生とのあるやりとりについて注意されてから携帯メール通話履歴は見られるものだと思って使っていた。

あることがあってから大人になって彼氏ができても話せない。

話せないまま、外出が急に増えたことを不自然だと問い詰められる前に別れてしまう。

気になる人ができても、母に紹介する時のことをイメージしては〇か×を考えてしまう。

もう、こわい。

母ではない。

こわがっている自分がこわい。

今日も、"それ"は起きました。

来週、とても緊張することがあるから今週はとてもおだやかにすごすつもりでした。

そうしないと乗り越えられない気がしていたからです。

そのことを思うと怖くて眠れない毎日だったから、なんとか心のバランスをとって生きた今月でした。

でもだめでした。

私は家に帰り「言ってくれたらよかったのに」と言ってしまいました。

でも疲れていたのです。

言い訳かもしれませんが、ほんとうに心も体もふらふらだったのです。

ゴミ袋に入った気に入った自分の服を見て涙があふれてきたので、取り繕うこともできませんでした。

帰宅する旨の連絡をした時に返信で教えてくれたら助かりました。

もしくは「ごめんごめん」と笑って流してくれたら、もっと助かりました。

流れず、返されず、そっぽを向いて投げられたボールをずっと追いかけて走っています

走る私の背中監視するような目でずっと見ていますね、わかります、感じています

だんだんと体が冷えてきました。

窓の外は本当に真っ暗で、でも部屋も真っ暗なので、まるで境がありません。

どちらが暗いのか、もうわかりません。

二次創作を書くのは好きだけど「二次創作活動」は嫌い。

 そう思うようになった理由がほんと変。

 十数年前に、Web二次創作をすることを私は覚えた。同人活動という趣味があることは、もっと子供の頃から知っていたけど、顔の見えない相手交流しながらそれをやるという事は、自分パソコンを持つまで知らなかったのだ。たぶん2008年くらいの事だったと思う。

 その翌年くらいにpixiv二次創作オタクの間で爆発的に人気になって、民族大移動みたいに個人サイトからpixivに移っていった。当時の、個人サイト衰退末期くらいの頃に、私が「二次創作活動」が嫌いになった原因がある。

 携帯無料ホームページサービスにて、自分二次創作サイトを初めて持った時には、それなりに楽しんでいた。だが、ジャンルを通して交流の幅を広げていく度に、なんか変だな? と気づいた。ジャンル人達、猫も杓子も「かの国」の悪口ブログに書き込むのだ。日常雑記に隙あらば「かの国」disを書き込む。創作サボり萌語りを休んでも、「かの国」disだけは休まない。要は、ジャンル全体が広く浅く時にはかなりディープネトウヨ化していたのだ。

 二次創作という趣味の場で、それとは全く関係のない政治活動が活発に行われている。それ自体が私にはとても不快なことだった。私はネットの門戸が一般人にも開かれた時の2ちゃんねる文化に浸かり込んだ人間ではない。けれども、同世代自分よりも少し上の世代ネットにずぶずぶの人達が、2ちゃんねるを通して右翼思想にどっぷり浸かり込んでいることは一応知っていたので、まぁそういう人達Web上の二次創作オタクの多くがカブっているのだから二次創作界隈が右寄り(一時期はスーパーライトだったと思うけど)なのは仕方のないことなのかと諦めた。

 毎日のようにジャンルの仲間達のお友達サイトを見てまわる日々。多くの二次創作者がブログ脈絡もなく「かの国」disを紛れ込ませているのを目撃する日々。そんな日々の中で、最高にヤバいスーパーライト二次創作オタクサイト発見してしまった。ブログ開いて秒でそっ閉じ。一目見てコイツはヤベェと思うくらいの極まりっぷりだった。一体何がこの人を突き動かすのだろう? と疑問がむくむくと膨れあがった。当時は何だかよくわからねぇがヤベェなこの人……と思うだけだったけど、今思えばあれは一種布教活動のようなものだったのだろう。おかしブログ記事の数々は気の触れた者のご乱心ではなく、わざと信者獲得のために書かれたもので、二次創作の方はメインではなく釣り針だったのではないだろうか。

 同ジャンル者のサイト転々と見ていくと、ジャンルオンリーイベントの記録なんかが出てくるわけだが、キレキレスパーライトブログ主が、あんなにヤベェ言動ばかり繰り返している割に、他人から遠巻きにされるどころかむしろジャンルの中心でカプとか関係なくちやほやされており、記念写真のど真ん中に美少女コスプレをしてダブルピースで映っていたりする。アフターにも勿論参加していて、他のジャンル者とキャッキャと交流しているのがわかる。

 だが、スーパーライトスーパーライトとしての活動の手を弛めることはない。時々怖いもの見たさでその人のサイトを覗いたが、常にガンギマリ状態で一つもぶれないようだった。

 そんな人を平然と受け入れるジャンル。懐が深いとか、器がでっかいとか、言えるのかもしれない。が、些細なことで揉めては敗者を叩き出しているので、別に緩くて平和という訳でもなかった。

 ずっと、もやもやとした居心地の悪さにつける名前もなく、何となくこいつらと一緒にされるのは嫌だと思い続けてきた。だから私は二次創作はするけど二次創作を通して他人交流することはろくにせず、書いた作品pixivに投げ捨てるように投稿するくらいだった。

 最近ネットニュースやはてブを見て色々思うことがあった。色々端折って結論だけ言うけど、二次創作界隈という境界ぼんやりとした集団というのも、何か別の活動に使おうと思えば使えるのであり、ただ推しカプのエッチ二次創作が見たいという助平な私欲の為にポリシーも捨てるという人が多くいたりする、ということなんだと思った。

 そうとわかったので、二次創作からは本格的に足を洗うことにした。

 

財布を拾って考えた

昔話をさせてくれ。

夜中、自転車都内公園を通って帰宅中、植え込みの横に服屋の紙袋があるのを見かけた。ゴミのようにも見えず、通り過ぎたあとしばらくして気になったので、引き返して中を確かめてみた。中にはタグのついた新品のジーパン女性用のカットソー、そして厚めの財布が入ってた。

時間12時を少し過ぎたころ、周りには人影はまったくない。いま誰かがここに置いてその場を離れているだけとは考えられなかった。周りを見渡し、公園を出た先のあそこに交番があったな、と思い出しながら紙袋ハンドルに引っ掛け、その場を後にした。

街灯は暗かったので財布の中身はちゃんと確かめてなかった。持ち主の手がかりがあるか、いくらくらい入ってるか、どうしても気になったので、園内のトイレに向かった。

すこし緊張しながら個室に入った。蛍光灯がまぶしかった。膨らんだ長財布には、新札のような紙幣が7万円ほど入っていた。カード入れには見慣れないデザインクレジットカードが数枚。学生証らしいカードにはブロンド髪の女性が写っており、読み慣れないスペル名前が記されていた。昼に買ったジーパンカットソーレシートも入っていた。

どういう経緯で、今日買ったばかりの服と財布が公園にあったのかは分からない。自分で置き忘れたものではないだろう。しかし盗まれたのならどうしてあんなところに置いてあるのだ?いずれにしても、彼女今日買ったばかりの服と財布をいま持っていないことは事実だ。旅行来日したのに財布をなくすことがどれだけ悲しいことか。自分旅行先でこんなことになったら、どれだけ不安になるか。彼女のことを考えると同情の思いがあふれてくる。

それにしても、私に拾われたのがラッキーだった。私はその金をネコババするようなことはしない。7万程度の金で後ろめたい記憶を心に刻むようなマネは決してしない。私はこの紙袋を正直に警察に届けるつもりだ。身分証も入ってることだし、紙袋が落し主の彼女に戻ることは確実だろう。彼女はなくした財布が、現金までもが無事に手元に帰ってきたことに驚き、この国の治安の良さと届けてくれた者の正直さに思いを馳せ、その人柄の良さを痛感することだろう。私はそんな彼女の驚く顔を想像して満足する。彼女が放つ行き場のない感謝の念を、わたし想像して受け取ることができる。そして、その記憶を何度も繰り返し思い出すことができる。それは私の生涯の喜びとなるだろう。

しかし、交番に届けると、警察官に自分名前や連絡先を聞かれ、落とし主が見つかった際に、謝礼を受け取るか聞かれる。それを私は知っている。以前、同じように財布を拾って警察に届けた際、何気なく謝礼を受け取ることに了承してサインした。数日後、落とし主から電話があり、謝礼として1万円を受け取った。その時の落とし主の私に対する感謝とめんどくささと義務感とが入り混じった、なんとも言えない表情は、私が2度と思い出したくない記憶ひとつだ。そういえば着信は非通知からだった。

そして私は、財布を紙袋に戻す前に、少しためらったのち、その中から新札一万円札を抜き取った。これは私が受け取るべき謝礼である現金拾得した際には、その金額の2割までを落とし主に請求する権利があると聞いたことがある。私は法学部を出ている。ならば、請求して受け取る前に、あらかじめ2割に満たない金額を受け取っておけばいい。そう考えることに、まったくの躊躇や葛藤は感じなかった。

感謝はされたい。しかし、義務感で謝礼を渡されたくない気持ちも強い。落とした財布を受け取りに警察へ向かう彼女警察から落とし主の連絡先を伝えられ、謝礼を要求されていることを知る。その時に彼女が感じるであろう圧倒的な面倒くささ……。外国で、旅行先で、そんな面倒な時間をかけさせたくない。私が彼女だとしたら思うことは、謝礼などほしかったらくれてやるからなぜ先に取っておかない?!なぜ謝礼を渡す手間を私に課すのか?!めんどくさいこ要求するな。という思いだ。

そうして私は一万円を自分の財布に入れ。それ以外は拾ったままの紙袋警察に届けた。氏名、住所、携帯番号を聞かれ、警察官と財布の中身をすべてあらためて、1円まで数えて記録をつけた。そして最後に、落とし主に私の連絡先を教えない、謝礼を要求しないことを伝えた。

最終的に彼女紙袋を手にできたかどうかは分からない。しかし、聡明彼女であれば、財布から一万円が足りないことに気付き、拾い主である私に拾ってくれたこと、そして謝礼を事前に抜いていることに対して、さらなる感謝の念を抱くことだろう。私はやるべきことをした。

人にやってほしいことをしろ。幼い頃から聞かされてきたその思いは、こんなふうにして結実したのだ。

2021-10-29

Android日本コケたのは正直ドコモのせいだと思う

https://anond.hatelabo.jp/20211029020120

iPhoneがウケたのはAndroidコケたのと表裏一体なので、Androidについてもうちょっと書いてもいいかなと思う。

スマートフォン黎明期(2008-2012年くらい)において、ソフトバンクiPhone推しKDDIが完全に出遅れ(KCP+に全振りしてたからね……)という状況だったのは有名だけど、ドコモなにやっとんだというのは疑問に思うところだろう。

2008年7月SB独占でiPhoneが発売されたのを見たドコモは、まず右往左往した。

(ちょっと前後するけど)2008年6月PRADA phone by LGを発売しては撃沈し、2009年7月HTC Magicを出しては撃沈(流石にこの頃のAndroidiPhone全然及ばなかった)。なにかやるたびにiPhone+SBに対する勝利宣言をしながらも、その実は惨憺たるものだった。Bulldozer時代AMDが虚しい勝利宣言を繰り返していたのを彷彿とさせる。

この頃、もう本当に日本特有現象なんだけど、就活生の間でスマートフォンに対する需要が急激に伸び始めた(←これ非常に重要ポイントなので、将来スマートフォンに関する歴史書を書く人がいたら忘れずに書いてほしい)。当時既に就職活動就活サイトメール(キャリアメールじゃなくてGMail)が最重要ツールとなっていた。しかし、彼らの持っていたガラケーではGMailは読み書きできなかったのだ(できたと思うけどすごい不便だった記憶がある)。スマートフォンは、出先でメール確認したい、急ぎのメールには早急に返事をしたいという彼らの切実なニーズにぴったりだったのだ。

ここで、Androidは彼らへの浸透を失敗してしまった。就活生たちが「("スマートフォン"ではなく)iPhoneが良い」という形で口コミを広げていったのも原因の一つだが、携帯ショップに行ってもAndroidはちっとも推し端末として売られていなかったのだ。2009年4月に初代Xperiaが発売されたことで、ようやくドコモiPhoneに引けを取らない端末を手に入れてはいものの、携帯ショップに行ってもちっともXperia推し雰囲気は感じられなかった。迷走を重ねていたドコモは、当時何を売ったらいいのかわからなくなっていたんだと思う。とはいえ、どう考えても2in1(一台の端末で2つ電話番号を持てる)なんかやってる場合じゃなかった。

失敗したのはマーケティングだけでなく、品質面でもだった。当時のAndroid+ドコモ使用感は最悪で、時々全くモバイルネットワークに繋がらなくなるから再起動必要ネットワーク側に問題が頻発、無線LAN接続時にはキャリアメールにつながらない(Android老人会の人に「IMoNi」って何?って聞いたら十分くらい昔話をしてくれるはず)など、連絡の繋がる繋がらないで運命が大きく変わる就活生たちのミッションクリティカル用途には耐えられるものではなかった。

その状況に輪をかけたのが、2011年から発売されだした有象無象ゴミ国産Androidだった。この時期にAndroidを使い始めた人たちは一様にAndroidに対する悪感情を募らせたことと思う。

これは、もちろんメーカーも悪いのだが、無茶な仕様要求したドコモがまずいちばん悪い。おサイフケータイ赤外線ワンセグドコモ絵文字(アニメーション付き)、2012年からNOTTV、のような重仕様を詰め込んだせいで、Androidフレームワークに対する大幅な変更が必要となり、必然的品質悪化を招いてしまったのだ。

マーケティングの先見のなさ、技術品質の低さ、その相乗効果によるゴミAndroid端末の量産。これらによって、日本スマートフォン市場iPhoneに牛耳られることになったのだった。後に屈辱的な条件でしかiPhone販売契約が取れなかったのも、無能に対する懲罰理解していいだろう。

歴史にIFを持ち込むとするならば、KDDIKCP+なんて手がけずに古いOSギリギリまで持ちこたえる(Androidに注力する余力を維持する)という選択肢をとっていたら、2010年あたりのiPhoneによる一方的な攻勢はなかったかもしれない。が、ドコモは何度歴史を繰り返しても同じようなこと(特にゴミ端末の量産)を繰り返すような気がする。

anond:20211029200222

ソフトバンクには携帯楽天には通販があるけど、ライブドアにそれらに匹敵するような大型事業は無いし、ましてやGAFA相当の物なんて政府支援があったとしても無理だろ

SNS時代の縁切り

友人だと思ってた人から縁を切られた。

思い当たる節はあったりなかったりだけど、思い返せばこの人生、何年も連絡を取らずにフェードアウトするということは数あれど、つい1ヶ月前に連絡を取っていたのに急に一方的に切られるというのは初めて。大ショック。

しかし突然切られたのは初めてだけど、突然切ったことならあった。あの人たちはこんな思いをしたのかと、時を越えて反省あんな逃走の仕方しないで、もっと傷つけないで済む方法があった。

とは言え、そのときには事情言い訳があって、私がその縁を切ったときは、それだけ最低なことをするという覚悟で、完全にあらゆる連絡を途絶えさせた。

携帯は着信拒否メール拒否、当時家電を知られてたのでそちらも拒否共通の知人を使って連絡を取ってきたときも応答しない徹底ぶりだった。住所は知られていなかったからセーフ。一方的に切るんだから、どこかで会ったら刺されるかもしれないぐらいのことを思った。ほんと。

ただし時は変わって今回の場合は頑なにLINEを未読スルーされており、インスタのフォローを外されただけだ。どうやらLINEブロックしていないらしい。インスタもこちからフォロー放置している。突然縁を切るという最低なことをしているにも関わらず脇が甘すぎる。十分に「もう連絡を取る気はありません」という意思は汲み取れるから、それでよしなにということか?

私が過激派なだけだろうか?

結局何が言いたいかっていうと、とてもショックです、ということなんですけどね。

弱者男性だけど街頭アンケートを受けたら弱者男性ビジネスに狙われた

20代の働き盛りの男性アンケートご依頼してるんですけど」

会社帰り歩いてる若い女に声をかけられた。急いでるんでって言って逃げようとしたけど「本当30秒とかで終わるので!」って何回も粘られたのでつい受けてしまった。


アンケートの書いてるところ見られながらいろいろ声をかけられる

「27歳?えー見えなーい 24くらいかと思っちゃったー」

IT系なんですねー 私服フォーマルで決めててへーできるサラリーマンって感じでかっこいいですね!」

「なんかスポーツやってそう、うーん、剣道、とか?(お前それぱっと見で陰キャぽいって意味だろ)」



多分まあまあ可愛い方でマスク越しでもわかる営業スマイルにキャピキャピした声。

弱者男性が一番関わって来なかったタイプ人種だ。

相手言葉に大した受け答えはできずモニャったりと思い出して嫌になりながら帰路についた。



10時くらいになると見知らぬ携帯番号から電話がかかってきた。

「さっきぶりですね、えへへ」

「今私家についたところなんですけど増田さんが気になってかけちゃった!」

「すいません、今家お母さんの声がめっちゃしててw」

さっきの女の子だった。生活感ある感じの音が聞こえてくる。自宅なのか雑音BGMを使っているかはわからない。

アンケートときついでで紹介された商材的なのはマジで興味なかったし

あーすいません、今ちょっと仕事の方が忙しくて今のところお力になれそうにないです、機会があればということで!」

って感じで適当にあしらおうとした。

「いえいえ、今日ちょっと増田さんと個人的お話たかっただけで。」

「じゃあ、今度はお仕事とか関係なしにまた電話してもいいですか…?」

「あーそれではまたー(ガチャッ」

いやめっちゃこえーよ、ここまでやられるんかいな。即着拒。



でもこんな安易作戦にすら結構キドキしてしま自分弱者男性っぷり本当情けない。心が意思関係なく反応してしまう。

1/4くらいはもう好きになっちゃってるもん。こりゃ引っかかる弱者男性多いだろ。えぐいことなさるわ。

世の弱者男性は気をつけようね。

anond:20211029020120

iPodのことを何度か書いている人がいるけど、俺の周囲の人たちでiPodを使っている人は殆どいなくて(ちなみに言うとWalkmanだっていなかった)、大体が中韓の作ったmp3プレーヤーを使っていた。格段に安かったし、iTuneかいうできの悪いソフトを使わないでも、フォルダごと音楽ファイルを放り込めば再生してくれたからだ。

やっぱこの辺の感覚がないかiPhoneが売れた理由が分かってないんだと思う。

中韓mp3プレイヤーは大変に優秀で安かったけれど後発かつアングラな代物だったよ。

そもそもmp3アングラだったのに、表舞台に引っ張り出したのがAppleiPodであって市場を席巻した。

特にiPod nanoは性能どうこうじゃなくてデザインとかカラーリング無茶苦茶受けてた。

iTunesは出来が悪いなんてことは全くなくて、iTunesのStoreで音楽を買ってiPod転送できるっていう流れが大変に良く出来てた。

もうCDは終わるだろう、っていうのは誰しも感じてたし記事かにもなってた。iPodで全部完結したらいいのに、っていう思いも抱いてたよね。

ただぶっちゃけこの辺は米国洋楽好きの一部の人の話であって日本人はそんな思いをあまり抱いてなかったかもしれない。

特にWindows版は重くて使いにくいし日本だと邦楽全然提供されなくて当初は意識高い系の持ち物だったかな。

Mac版は良く出来てたかiMac利用・洋楽好きな人達が神として崇めてた理由もよく分かる。

とはいえ日本でもiMacに続いておしゃれなCMiPod nanoの登場で徐々に広まっていったし、先頭走ってたのは確か。

俺もiRiverとか使っててiPodは使ってなかったけど空気感としてアングラマイナーモノを使ってる意識はあったし、iPod nanoの段階で乗り換えた。

邦楽も(ソニー以外が)提供され始めたぐらいで日本でもiPod一色、walkmanとか何それっていう流れだったと思う。

慌てて携帯会社着うたフルとか頑張ったけど、そもそもmp3ダウンロードできるわけではないし携帯機種変したら聞けなくなるとか、そういうのが受け入れられなかった。

iTunesはその辺無視して普通にmp3ダウンロードできたしコピーし放題だし何でも聞けたからな。そりゃ流行るよ。

正直WinMXとかWinnyとかの違法ダウンロードもかなり後押ししたんじゃないかと思ってる。

あと、mp3ファイル連続再生で音が途切れずに再生できるのはAppleだけだったはず。

他のメーカーはどうしてもファイルの切れ目でプツッっていう音が入ってしまってた。その辺の技術力も相当に高かった。

なので、iPodを使ってた人がiPhoneを受け入れたという説は、そうかも知れないけど自分にはわからん、となるのであった。ごめんね。否定しているわけじゃないんですわ。こうやって現場の人に周りが見えてなかったってのも、我々の敗因のひとつなんだろう。

iPodを使ってた人がiPhoneを受け入れた、じゃなくて、そもそもiPodを使ってた人達iPhoneを望んでた、ってことだと思う。

携帯との二台持ちを解消したいけど、日本メーカー音楽業界に忖度して埒があかないかApple黒船にどうにかして欲しいっていう思いが強かった。

iPod nanoの発表やshuffleの発表とかの度に世間は沸いてたし、その頃からiPhoneはやく」みたいな感じだったよね。2chとか特に

そんな感じでiPhoneを語る上でiPodは欠かせないし、iPodを語る上でiMacも欠かせない。

そんでiMacを語るにはMacOS Xの大きな方針転換も欠かせないし、ジョブスが再ジョイしたことがやっぱり大きかったな、と思う。

iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか」を書いた増田です

https://anond.hatelabo.jp/20211026193844

で、「iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか」を書いた増田です。ブクマが1600もついていてびっくりしました。いままでどんな気合い入れてブログを書いてもブクマ100もいったことがないのに、勢いに任せて書いた増田が1600とは…こういうのみんな知らなかったんですかね。

 

いろいろ言及してくれた人がいるんで、答えられる限り答えていきたいと思います

 

増田のいたS社ってのは、三洋電機

 

まあ、隠す必要ないよね。そうです。ハイ名古屋工業系の大学を出て入りました。あの頃の三洋はすごかったんだ。二次電池太陽電池デジカメ無線通信など、地味に覇権取ってた技術分野がいくつもあった。新潟半導体も作っていたし、有機ELだって開発してたんだ。パナからは下に見られていたけど、社風はちょっと緩くて、でも活気があっていい会社だった。守口本社ビルが建ったときは誇らしかったんだ。なんでこの大企業がこうも容易く瓦解して消滅してしまったのか、今となってもよくわからない。新幹線の窓から見えるソーラーアークに「SANYO」とあったのが、「Panasonic」に変わっているのを見たときの衝撃は、今も忘れることができない。

 

三洋電機は完全消滅なんてしてないよね。

 

あ、これはまあ、そうですね。事実上消滅、といったらいいかな…

 

日本メーカーAndroid端末開発の悲喜こもごもを教えて

 

俺は携帯絡みの仕事最初にやったのがPHSCS基地局)だったんだ。今や三洋基地局を作っていたなんて知る人も少ないんじゃないか。DDIPocket(その後WILLCOM、そしてSoftbank…)でその仕事していて、CDMAを手伝ったあと、KCP+というクソみたいなプラットフォームでみんなが死んでいるのを横目で見つつ、横須賀次世代通信の基礎研究みたいなことをやっていた。なので端末の開発はあんまりやってないんだ。でも、三洋携帯は良かったんだよ。そりゃパナやNECに比べたらブランド知名度で劣ったけど、中身は全然負けてないつもりだった。ワンセグをつけたのも有機ELディスプレイを付けたのも三洋最初だし、何より俺らはあのアメリカでしこたま売ってた。

だがいつの間にか三洋携帯事業だんだん先行きが怪しくなっていて、ノキア合併するという話をずっと聞いてたんだけど、なんかしらんけど結局京セラに売られることになった。京セラは厳しいけど温情あるところだったらしく、残ってパナに身売りされた部門よりかはずっと良かったんじゃないかな。俺は京セラには行かず別の会社移籍してLTEとかしてたんだけど、そこでiPhoneの発売でいろんなもんがすっちゃかめっちゃかになるのをやや離れた場所から見ることになった。その後は凋落する日本携帯業界とともに生きてきますた。

 

iPhoneが出たときガラケーにかなわないと思ったのはお前の見る目がないからだ

 

(笑)まあ、そうだよね。それは本当にそうだと思う。ただ、当時出たばかりのiPhoneは、ちょっと重たいサイトを見るとすぐにブラウザが落ちたし、孫さんはこれで仕事捗るぞみたいなこと言ってたけど、こんな不安定もの仕事に使えっかよと思ったのも確か。ガラケーのほうがずっと安定していたんだ。その後iPhoneが急激に改良されていったのはご承知の通り。当時はiPhone未来性を語るギークも多かったけど、女子高生NECの二つ折りにじゃらじゃらとストラップをつけて、あらゆる機能を使いこなし超高速でケータイ打ちしてたような時代で、別にメニュー階層なんかもそう複雑でもなく、これがiPhoneより使いにくいなんて思わなかったんだ。先見の明がなかったことはそのとおりだと思う。

 

Androidの出始め、海外メーカーのはそんなにダメ端末ではなかったよね

 

はい、これもそうですね。HTCサムスンは当初からしっかり作り込んだいいのを出していた。日本メーカーが安定した端末を出せるようになったときには、すでにiPhone覇権が確定していたのは前に書いたとおり。ただ、ソニーだけは例外最初からそこそこ安定したものを出していたし、途中まではグローバルマーケットガチで戦っていた。とはいえ、確かソニー・エリクソン(後にソニーモバイル)って当時英国会社だったような。

 

iPhoneが普及したのは端末や操作性がAndroidに対して洗練されていたからで、キャリア戦略日本メーカー不手際だけで語るのはおかし

 

これも、そうだとは思う。ただ日本けが突出してiPhoneシェアが高い(2位以下に10ポイント以上の差をつけている)理由は、キャリア戦略日本メーカー不手際が原因と言っても差し支えはないと思う。

でも、iPhoneが洗練されているってのはどうもやっぱり納得できないんだよな…確かにiPhone5くらいまではそうだったかも知れない。ただその後はUIなんかもひたすらAndroidで先行しているものを取り込んでいったでしょう。通知エリア、戻る機能、大画面化、アイコングループ化、ウィジット、カーソル移動…iPhoneAndroid比較してそんなに洗練されたものなら、どうしてAndroidマネをする必要があったのか。また端末はどんどん重くメタボリックになっているし、ノッチデカ指紋認証も不可で、充電端子の統一もできず未だにデジタルコンテンツアプリ内購入もできない。それで最高のユーザー体験とか聞くと、寝言は寝てから言えよと思ったりするよな、正直。俺はよく画面分割してYoutube再生しながらLINEとかするけど、それすらまだiPhoneはできないんでしょ?

以前はAndroidが高機能高性能で推しiPhoneユーザー体験がすごいんだと言われてきたけど、今はどちらかと言うとiPhoneのほうがAチップの高性能を売りにして、ユーザー体験は変な所にこだわっておおよそ実用的ではない。その点もAndroidが優れていると言い切っちゃうと荒れそうだからこのへんでやめとくけど、ぶっちゃけ大して変わらんと思うよ。

まああとは、AppleWatchやiPadMacとの連携が優れてるみたいな話になるんだろうけど、そのへんは使ってないのでよくわからない。個人的な思いで言えば、個人情報から決済から操作からから何まで一社依存するってのは怖くないんかなって思う。Apple個人情報保護が優れてるって人もいるけど、実際のところは彼ら中国政府にベッタリで、その要請に従って中国企業個人情報管理とか任せたりしてるぞ。

 

Appleがにくいからって中韓の端末を推したりするなよ

 

俺が本当にこいつらすごいなと思ったのは、Appleではなくサムスンファーウェイだった。サムスンGSMとかから今のスマホ時代に至るまで、グローバルに君臨しつづけているほぼ唯一のメーカーだ。そりゃ過去には日本技術を盗むとかもあったかも知れないが、日本を追い抜いたあともずっと成長を続けているし、しかも端末のコア部品の大半を内製できて、それらがみな競争力を保っている。こんなオバケみたいな連中は他にいない。

ファーウェイ基地局でとてつもない技術力と競争力を持っていたのもあるが、端末だって短期間にすごいのを出してきた。SoCも内製していたし(製造tsmcだったけど)、その設計思想や性能はAppleに劣らないくらいだった。そして安かった。安く作れるってのはそれ自体がすごい技術力なんだ。実は俺はファーウェイが躍進して、高慢ちきなApple奈落に落とすことを密かに期待していたんだけど、そうはならなかったね。でも彼らはきっといつか這い上がると思う。それが日本にとっていいことかどうかわからんけど。

思うに、日本iPhoneシェアが高止まりなのは中韓に対する根強い差別意識もあるような気がする。日本人アメリカの作るものは大好きだが、中韓については未だに彼らの技術製品を認めたくない思いがあるんじゃないかな。欧州なんか行くとサムスンやらXiaomiやらのスマホ機能デザインを褒める声を聞くけど、日本でそういう人はあまり見ないよね。

 

老害

 

このコメント結構あったね…iPhoneが出たときに俺は40歳前後。若くはないけど老害じゃないだろうとは思う。ただ今の若い人は、僕らみたいな年代人間日本産業焼け野原にしたと思っているのかも知れない。まあそれはそれで確かにそういう一面もある。でもまあ、なんというか、この20年、日本はやるべきことは必死にやってきたと思う。

いま話題半導体だって、パナとルネサスは共同で微細化の研究に取り組んで世界の先端を行っていたし、富士通は最新の工場三重に建ててファウンドリビジネスにも取り組もうとしていた。ASMLの独壇場であるEUVリソグラフだって、実は日本が先行して産学共同で先駆的開発をしていた、なんてもう言っても誰も信じないんだろうな。プラズマ液晶だって有機ELだって、実際のところ日本企業は果敢に攻めていた。世界で求められるキーデバイスは何かはちゃんと把握していたし、それでなんとか世界一角に残ろうと必死だった。後からならなんとでも言えるが、その時々での判断が遅かったとか合理性を欠いていたとは思えない。でも、なぜかその大半が裏目に出てしまった。技術はあった、人もいた、行動もした。でもダメだった。

太平洋戦争歴史を読んだりするのが好きなんだけど、あれも途中からやることなす事の大半が裏目に出るようになるんだよね。インパール作戦特攻のような不条理作戦もあったけど、全部が全部そうでもなくて、その時はこういう道しかなかったのだろうと思えるものもたくさんある。でも、どうしてかその大半は裏目に出てしまう。そんなとき人生にもあるし、国にもあるんだろう。

から敗因を研究して、次につなげればいいじゃないかと思う。

俺は、あの三洋電機があっというまに崩壊していったのを見ているから、いま世界を席巻しているAppleやらサムスンやらtsmcだって、いつどうなるかわかったもんじゃないよなって思うよ。富士通NECみたいに卓越した技術を持っていても、長い時間をかけて凋落していった企業だってある。逆に言えば、ほんの20年くらい前までAppleなんてニッチ時代遅れのPCメーカーだったんだ。日本だっていつまでもダメな国じゃない。社会が変わるときは一瞬で変わる。老害って言われるのは悲しいけど、でも君らと一緒にまた上がっていける日は来ると思うな。

 

追記iPodのことを何度か書いている人がいるけど、俺の周囲の人たちでiPodを使っている人は殆どいなくて(ちなみに言うとWalkmanだっていなかった)、大体が中韓の作ったmp3プレーヤーを使っていた。格段に安かったし、iTuneかいうできの悪いソフトを使わないでも、フォルダごと音楽ファイルを放り込めば再生してくれたからだ。俺も名前忘れたけど韓国メーカーのやつを使ってたと思う。これって自分の周囲があらかた理系メーカーだったから、割と特殊なのかも知れない。ただ全く無関心なのではなく、飲食店で注文を取るお姉さんがiPod touchを端末に使っていたのを見て、ああイノベーションってこういう形も取るのかと感慨深く思ったのを覚えている。ちなみに当時auガラケー向けに音楽配信サービスをしていて、もちろん三洋の端末も対応していたんだけど、実際それで音楽聞いてる人を見たことなかったな…(ぶっちゃけビットレートが低く、音もそんなに良くなかった)

なので、iPodを使ってた人がiPhoneを受け入れたという説は、そうかも知れないけど自分にはわからん、となるのであった。ごめんね。否定しているわけじゃないんですわ。こうやって現場の人に周りが見えてなかったってのも、我々の敗因のひとつなんだろう。

2021-10-27

anond:20211026193844

自分の実感と合うんだけど、補足したい

こいつを見てくれ

https://news.yahoo.co.jp/byline/enomotomikiro/20180408-00083716

apple現状維持のままだとiPod日本ケータイに負けると考えてスマートフォン作成を決意している

apple製品づくりに参考にしたのはガラケーソニー製品

製品開発の仕方からし日本人に受け入れられ易かったのだろう

当初はiPodが使える携帯としてiPodユーザーから普及(iPodユーザーめちゃくちゃユーザーが多かった)

日本android端末がクソ過ぎて、かつキャリアゴリ押しiPhoneが0円で叩き売られて爆発的ヒット(ハイスペックガラケーより安かった)

さらにはフルブラウザ対応端末としてtwitter端末としてLINE端末として上手く時代に乗っかって売れた

anond:20211027162628

まあ俺はお前の嫁とセックスしてるけどな。

携帯増田ばかりして相手にしてくれない」って嘆いてたぞ

プレ告白みたいな瞬間あるよな

俺は初デートに誘ったときがそれだった

好意はまあほぼ完全にバレていたが、直接のアクションとしてはそれが初めてだった

・○○に行きたい

・こういう理由で君と行きたい

・どうですか?

っていう長文を書いたあと、キモいな……と思って、

・今度○○に行きませんか?

とだけ書いたメールを送った(いきなりすぎてビックリした、アレは意味わからんぞ、と後から言われた)

あれが実質告白だったんだよな

あれで断られたらオシマイ、OKだったので実質かなりの部分OK そういう感じがあった

返信を待つ2時間くらい、マジで生きた心地がしなかったな 

携帯の電源切ったりしてたもんな 逆に

うわー!ごめんなさい!ごめんなさい!気持ちの悪い人間でごめんなさい!殺してくれ!!とか言いながらさ

そんで、後からちゃん告白までした

なので俺は告白行為のない恋愛関係っていうのがイマイチ想像できません

どうやるんだ?

プレ告白が本告白として機能するってこと?

オトナはそもそもプレ告白とかそういうキモイことを思ってないの?

しかし、肉体関係スタートって言っても、肉体関係OK?っていう意思確認はどっかにあるはずで、それが実質告白なんじゃないのか

告白がないってなんなんだよ

ホントはしてるだろ

君のことが好きでした、なんてクラシックな形じゃないだけでしょ

anond:20211026193844

最後の行が言いたかたことなんだろうな。

まあ、どんなに経緯と内容を説明したって 「みんながiPhoneなんだからiPhone」 が揺るがない所まで来てしまった。あのブンさんの 「乗るしかない!このビッグウェーブに!」 はそこまで考えて言ったわけじゃないだろうが、まさしくiPhone象徴するキーワードになってしまった。

博報堂が考える数々の名キャッチフレーズ(名翻訳携帯を再発明とか、そうiPhoneならね、とか。)も日本語として面白いが、それでもあのワードはスゴイ。

オレも Galaxy Note 愛用してる。素晴らしいし、中古だと良い状態でも一世代前なら5万円以下で買える。世界的にiPhoneより高い端末だが日本ではお買い得だ。これはiPhoneのおかげ。

誰しもiPhone覇権握るって思ってたでしょ

ネットで声がでかい人の意見歴史修正するのはちょっとどうかな、と思う

そもそもiPhone登場の前にiPodの躍進っていうのが史実としてあるし欠かすことはできない

2001年に初代が登場、躍進したiPod nanoが2006年iPhone登場が2007年

iPod登場以前からmp3音楽違法ダウンロードっていうのはインターネット普及と共にあって

mp3再生できるウォークマン相当のものが待望されてた

しか日本の各社、特にSONYmp3違法から開発に難色を示し、MDを推進したりATRAC作ったりした

そんな中で空気を読まないAppleっていう会社iPodを発表、mp3が聞けるってことで大流行

当初はMacしか連携できなかった(気がする)けど、WindowsでもiTunesが使えるという当時としてはビックリ対応世間を賑わせていく。

時を同じくして韓国系メーカーも参入。Rioとか懐かしいよね。当時からFLACとかOgg Vorbisとかが聞けるっていう尖ったデバイスもたくさんあった。

後はCDmp3を焼いたらフォルダ構成読み込んでアルバムとして再生してくれるやつとかもあったし、wmaとかとの覇権争いもあった。

日本権利問題が難航して全然そういうデバイスが出てこず、確かAIWAが発売してちょっと世間が沸いたぐらいだった。

そんな中でiPodが更に躍進したのがiTunesのおかげ。これで音楽ダウンロードっていう商売を成立させた。

日本では長らくiTunesで聞けるのは洋楽だけで日本レコード会社提供してくれないっていう状況が続いたし

SONYレーベル持ってたりするのでますます違法コピーの可能性があるmp3配信に難色を示して結果としては完全に出遅れ

そんな中でiPod nanoが発表。信じられないくらい小さくなっておしゃれになったデバイス

巷を席巻して、もはや携帯音楽プレイヤーiPod nanoって感じになった。

この頃から携帯電話音楽再生機能を盛り込み始める。(まぁ前からあったがおまけみたいな機能だった)

しかし例によって音楽業界の圧力なのかSONY圧力なのかmp3は聞けなかったりして独自仕様固執

SDカードは吸い出しできるからMemory Cardとか、いろんなプロテクションをかけてとにかく使いにくかった。

とはいえ邦楽聞くにはそれしか方法が無いので着うたフルとかLISMOとかが出て、SONYからwalkmanケータイが発表。

まぁそれはそれで結構流行ったけど海外流行るはずも無く完全にガラパゴスになった。

その頃からみんな噂してたのが

「逆にAppleケータイ市場に乗り込んでくる」

っていう話。

だって携帯iPodの2台を持つのが面倒だから一台にしたいっていうのが強い思いとしてあった。

Apple日本携帯メーカーと協業するっていうイメージが全くなかったから出るならAppleから直接出るだろう、と。

2004年に発売されたNintend DSタッチスクリーンUIの新しい方向性を見いだしてた頃だったので

Appleが乗り込んでくるならタッチスクリーンだろうことは間違いなかった

そもそもiPod nanoのディスプレイタッチスクリーンになるのでは?っていう話もあった。

だって当時のUICover Flowなんてタッチすること前提っぽい作りだったから。

まぁ乗り込んでくるなら名前は「iPhone」だろうっていうのもみんな予想してた。

iMacとかiPodとかiで攻めてるからまぁ安直iPhoneだろうな、と。

ただ、全面タッチスクリーンっていうのは難しいだろうという意見が多かった気もする。

これは自分の周囲だけかもしれないが、キーを無くすと視覚障害者が使えないのでユニバーサルサービス電話での導入は難しかろう、という話があった。

後は折りたたみにしないと液晶指紋で汚れる。

当時は画面が指紋で汚れるのは御法度クロスをみんな持参してことあるごとに拭いてた。

その画面を触りまくる携帯なんて考えられない、というのが大勢だった覚えがある。

ところがAppleはやってのけた。そういう弱者は全部切り捨てて全面タッチスクリーンiPhone発表。

日本音楽業界と繋がりの強いdocomo絶対販売しないと分かってたのでソフトバンク独占販売

下手したら日本販売されない可能性もあったかソフトバンクには感謝しかなかった。

このiPhoneiPod音楽業界を席巻したAppleから携帯業界でもやってくれるだろうという期待があった。

ただ初代は流石にしんどい部分が多くて音楽聴いてたら電池なくなるし電話しづらいし画面が指紋だらけになるし。

とはいえiPod nanoとの二台持ち解消のためにiPhoneを選ぶ人も結構いた。

最初iPodの代わりっていう立ち位置だったけどApple Storeがその情勢を変えていく。

Nintendo DSゲームとして提供してたタッチパネルを活かしたいろんなアプリアイデアApple Storeでアプリとして提供される。

ギターアプリインストールしたらギターになって、それを披露するとキャバクラモテるかいう噂が流れておっさんがみんなiPhone買い始めた。

後はもう、ご存じの通り、という感じ。

iPhone 3Gとか3GSとか4とかで盤石になっていった。

Androidが対抗馬として出てきたときはかなり期待したけれど

Appleのようにデバイス固定化できるOSとは違ってAndroidはいわばWindowsを目指したので立ち上がりに失敗した。

デバイスに合わせてゴリゴリチューニングすることができず、逆にOS内部まで手を入れるとアップデートが出来ないというジレンマ

そもそも各社がOSチューニングをするのはAndroid思想に反するし、とはいえ各社サプライチェーンがあるからデバイスバラバラ

Androidでまともに動くケータイの方が少なかったけどXperiaは頑張ってた。そこはSONYの意地だったな。

とはいえAppleみたいにクローズド戦略じゃないか世界的にAndroidの数の方が多いのは当たり前

デバイス差分が大きいかAndroidっていうプラットフォーム上で商売するのはちょっとしんどいんだけど

デバイス数が多いか対応せざるを得ないっていう状況

ただ、Androidデバイスが多いとはいえ公開したアプリが全てのAndroidデバイスで動く保証が無いので

iPhone向けにアプリ作る方が実際に動くデバイスが多いのは確かだろうな

なのでいまだにiPhone向けだけにアプリが公開されたりするし

iPhone携帯市場で大きな立ち位置を持ってる

anond:20211026193844

anond:20211027074131

そだねー

当時の話題からすると「iPhoneだとワンセグが見られない」はかなり言われていたと思うけど、思ったよりも携帯でのテレビ番組視聴がマストでなくなっていたというか、Youtubeの隆盛があったりとか、ハードウェアだけじゃない解もありそう。

anond:20211026193844

独自仕様携帯が乱立してる状況に比べてサードパーティの開発が飛躍的に楽になったのは大きい。

iOSAndroidしか存在せず、アプリ開発企業はその二つだけ考えて開発すればよく何ならハイブリッドで開発できる手法があり、面倒な契約をあれこれ交わさずとも簡単審査アップロードが行われるストアがある。

日本企業はさ、独自規格が大好きすぎるんだよな。

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