はてなキーワード: 酸素とは
広島投下型の原爆の発生エネルギーはTNT火薬に換算すると20000トンと俗に言われている。火薬は原油と異なり成分の中に酸素を含んでいるので、重量当りの反応熱(発熱量)は意外と少ない。原油の半分と仮定すれば、広島投下型の原爆の総エネルギーは原油1万トンに過ぎない。
前記の計算が正しいと見なせれば、台風1個の総エネルギーは、何と原爆50万個分にも相当するのだ!
人類が開発した最大級の水爆はTNT換算100メガトンといわれているから、原油換算5000万トンになる。これとても台風の百分の一に過ぎない。
世間ではしばしば、台風を原爆で吹き飛ばせないかとの問題提起をし、最初に台風とのエネルギー比率を持ち出し、最後に原爆では力が足りないとの結論を誘導する、といった馬鹿話がしばしば現われるが、笑止千万である。
たとい、全く無害で且つは台風よりも大きなエネルギーを発生させる核融合爆弾を開発して投下しても、台風を消滅させる事は不可能である。それは何故か?
火事を消すのに水を掛けるのは、燃焼物を燃焼可能温度以下に冷やすためである。台風は熱エネルギーの塊である。従って台風を消滅させるためには熱エネルギーの吸収手段が必要である。台風の中に、巨大爆弾を投入するのは、熱エネルギーを供給することに他ならない。火に油を注ぐとは、正しくこのことだ!
観念崩壊セミナー(かんねんほうかいセミナー)は、オウム真理教で行われていたセミナーの一つ。麻原彰晃逮捕後の信者の引き締めを目的として、麻原彰晃の三女である松本麗華が中心となり1996年8月24日から、10月下旬まで断続的に行われた。
内容は次第にエスカレートし、縛り蓮華座では足を紐でぎっちりと縛りつけられあまりの苦しさにのたうち回ったり、絶叫する者もあったが「逃げてどうする。地獄に堕ちてもいいのか!」と言われ「地獄に堕ちてもいいから、ほどいてくれ!」と叫び出すものなどが続出。長時間にわたる「縛り蓮華座」の結果、足部のうっ血が原因で毒素が内臓に達し、救急車で病院へ担ぎ込まれ、その後もびっこをひく身体障害者となる者、両足切断寸前となる者、酸素吸入を受ける者、熱射病にかかる者、死にかける者、意識不明となる者や負傷者も続出、脱会者も多く出したという。
ぶつけようもなく、でも誰かに話したいけど感情的になってしまいそうだから支離滅裂だけど少しぼやかせてほしい。
日曜日に飼い犬が死んだ。女の子で、14歳。あと3か月で15歳。
元々生まれる時に母犬の産道に首をひっかけてしまって、それで脳やら神経やら足やらに影響はあった。身体が丈夫な方ではきっとない。
でも彼女の人生の中で心臓が合計3回止まった事があるのに、蘇生した生命力の強い子だった。
あとお世辞にも賢いとは言えない子だったけど、とても愛嬌のある子だった。
最近、ぜえぜえ言ってるなとは思ってた。土曜日にも少しだけ息を荒げてこちらを見上げる顔は、何となくいつも通りではなかった。
けど腎臓が悪いという事は病院に通っていて分かっていたけど、その他に持病も無かったので風邪なのかな、くらいで思っていた。
ご飯もいつも通りいっぱい食べる。見上げてくる顔は今日も世界で一番可愛かった。
肺炎になってると。まぁでもその日でどうにかなるというわけではないらしいけど、入院という形をとった。
家族で入院一日2万円だって、頑張って工面しないとね、一人で寂しくないかなと話していた。
夕方に病院から電話がかかった。「息が止まった」。私の息が止まりそうだった。
急いで病院に向かったら、息は吹き返していた。触ったら暖かくて、けどつらそうだった。
何度も機械に繋がれている所を見た事はあっても、何だかその日はザワザワして仕方がなかった。
あれよあれよと先生から説明を受けて、結局一晩様子を見ようだなんだ言ってて、でも早い話先生から最終的に言われた事は
「もうきっと、残念ですがダメだと思う」
抱っこして、酸素ボンベを貰って、家に連れて帰って、もしかしたら連れて帰るって時に死んでしまうかもと言われていたのに彼女は酸素ボンベが無くなるまでずっとずっと生きつづけた。
病院から連れて帰る時、抱っこしたのは私だけど、こんなに柔らかかったっけ?って思うくらい、もう彼女の身体には力が入ってなかったけど車の中で撫でながら名前を呼ぶと、力が入っていった。
おしっこを作る力がもう残ってないって説明をされたけど、私は彼女が逝くまでの間、二回おしっこを足にかけられた。
母犬が亡くなった時、私は仕事中で看取れなかったけど、この子の事は看取れた。
充分彼女の強さも垣間見れて看取れて幸せなはずだったのに、心がぽっかり空洞のようになってる。
酸素が切れて、苦しそうに息をする姿も徐々に弱くなる呼吸も頭から離れなかった。忘れようと思う事はない、ずっと覚えておきたい事である。だけど思いだす度に彼女がこの世からいなくなる事が現実のように感じて胸が痛くて仕方がない。
元気に立ち直って、ちゃんと生きていかなくちゃ、受け入れなくちゃとは思ってはいるけど
今朝もふと無意識に彼女の事を撫でようと振りかえってしまった自分にどうしようもなく悲しくなった。
もう使う事の無いオムツ、おやつ、ゲージ、ベッド、洋服、タオル、目に入っても匂いが鼻についても、やけに静かな部屋も、歩くのに地面をする音がしないのも、今は非日常過ぎて夢なのではないのかとしか思えない。
いないと分かっているのに、いない事が信じられない。
突然いなくなったあなたと一緒に遊べない事が信じられない。家に帰っても、いない事が信じられない。
直接言えないから寝る前だけど書く。
無駄に長い。
書いてる人→既婚子持ち30代ワーキングマザー。書いて思ったけど、ワーキングマザーでないマザーってあんまりいなくない?ハウスキーピングも広義ではワークだ。
・子どもは?ってきかれてウザいだろうという話
わたしもいま子どもがいるけど、結婚して3年ほど子どもがいなかったので何度もされたことある質問。
きっと耳タコの人もいるはず。
聞かないでよ、個人の自由でしょ?プライバシーの侵害だ!めんどくさいなぁ、1回答えたらオートでコピペできないかな、適当に流すのすらダルい、などなど。
だけどね、この質問、なくならない。
一枚岩じゃないの。
光合成が行われた結果つくられるものはなんですか?→酸素です!というように、答えが必要だからしている質問じゃないの。
そういう質問をして、子どもを持っていないことを貶めたい目的があるとき。
失礼なことだとは露ほども思っていない。なんのことはない、あたまがなかなか柔らかくならないタイプの人はいる。悪人か善人かはともかく。
ほかにもあるかもしれないけど、純粋に答えが必要な人は、軽く聞いてすぐ引くし、面倒な流れには多分しない。
純粋に答えが欲しい人の中には、あなたと共通の言語が欲しい人もいる。子どもの有無は生活圏の大きな差異を生むので、自然と子持ちは子持ちと、そうでない人はそうでない人と関わる時間が増えてそうでない時間は減っていく。
「あなたと一緒に話すことが減るのはさみしいですよ」のかわりに、「子どもはまだなの?」と聞いちゃう人もいる。
・子どもほしい?
あなたが20代後半~30代の女性なら、子どもを持つか持たないかの境目で、妊娠適齢期を前後して「どうしても子どもを作りたくなるシーズン」がやってくる可能性があります。
もう産めないかもしれない。
いまが最後のチャンスかもしれない。
やけつくような焦りに似た気持ち。
その気持ちは、ほっておくとそのうち化膿します。ちゃんと対処しましょう。ほしいでも、ほしくないでも、どちらでも。そのうちすっきり気にならなくなるタイプの人もいれば、死ぬまで引きずるタイプの人もいます。
で、ほしいあなた。
もし20代後半~30代前半なら、迷う前にともかくトライしましょう。なるべく早くにね。なぜかと言うと、子どもはすぐに出来るとはかぎらないから。
病院がこわい?
慣れます。慣れましょう。
自然にできないなんて落ち込む?
横に生えていたら切開するし、神経に障っていたら大きい病院に転院して抜きます。
それと同じで、もし子どもを作るのになにかしらの問題があったら、可能な限りの治療を受けて問題をクリアにするのは当然のことです。
自然にとかいうワードが出たら親知らずのことを考えてください。しらんふり。
30代後半以降のあなた。
高齢出産があたりまえになってきたといっても、生物としての機能が時代にそんなすぐ合わせられるわけはないので、早めに越したことはないです。
女も男もね。
あと、早く子どもと出会うと、子どもと過ごせる時間がそれだけ長くなります。
ほしくない人、予定がない人。
子どもの話題もーいいやめんどくさいつらいってなる内心は仕方ありません。うまく付き合いましょう。
そして楽しく過ごしましょう。
では、おやすみ!
イライラは脳を疲れさせてる。けど、脳は中途半端に疲れている時こそいろいろなものが気になって、行動したくなる。優先度の順位付けも狂ったりしづらくなる。
つかれたら、深呼吸と、頭の方へ行く脈動、さらに深呼吸のサイクルに集中してみ。
マインドフルネス瞑想の応用ではある。結局疲れると頭に酸素と栄養分が足りなくなるんだなという話と思ってる。上記の簡易版でも5分やると効果ある。
久賀谷亮の脳の休息法の本おすすめ。
つぎに、部下が優先度つけ、仕事の取捨選択ができていないような気がする。
10分で終る仕事に1時間かける、あなたの仕事を忘れるが、気がつかない仕事に気づいてくれる。
というのは、力を入れないでいいところに力を入れている、順位付けがきちんとあなたと合っていない気がする。
なので、仕事の理由を説明すること、部下に今大事な仕事は何だと思う?という問いかけをまめに、していくのが必要かも。
既に予備校とかが指摘しまくってるので新しい情報とかはないかも
今年の問題がクソだなと思ったので、自分がヤバいと感じた順に書く
Ⅰ(a)
廃問はこの結晶格子の酸素原子を炭素に置き換えたら何になるか、というもので
正解は「六方晶ダイヤモンド(ロンズデーライト)」のはず。(間違ってたら指摘ください)
この物質は教科書には記述がなく、知識で答えさせるには極めて不適切なので削除は妥当なのだけど
問題はそもそも何故こんな問いが入試当日まで残ったのかってこと。
もう一つは、普通の「ダイヤモンド」が正解と思い込んで出題した可能性
前者だとこないだ入試ミス発覚したばっかりなのに脇が甘すぎるし、
氷の結晶中で酸素原子は正四面体の頂点の向きに他の酸素原子と結合しており(sp3混成)
ダイヤモンドは全部がいす型配座なのに対してロンズデーライトは舟形構造が混ざっている。
これを「正四面体型でつながってるからダイヤモンドだ」と回答した受験生多かったと思う。
入試マニアの同僚の先生は「東大が過去に同じテーマでちゃんと出してるのになぁ」って言ってた。
もう一つの廃問は氷の結晶中の水分子のH-O-Hの結合角を考えさせる問題
「酸素原子の共有電子対と非共有電子対では電子雲の大きさが違うため(非共有のほうが大きい)
共有電子対が追いやられて結合角が小さくなる」
これが結晶中で変化すると書いてある。
「結晶中では水素結合によって非共有電子対が小さくなり、結合角は正四面体に近づく」までは
予想できていいとは思うけど、その効果がどこまで効くのかが問題中からはまったく読み取れない。
もし「O-H…Oが直線に並んでいる」みたいな記述があれば109.5°を選べるが、
104.5°と120°は外せるとしても、106.5°と109.5°から決められない。
やっぱり高校の範囲をちゃんと理解しないまま出してるように感じる。
教科書に載ってない知識を問うなら、誘導や思考のヒントに関してはきちんと精査すべきで
作りが荒いなぁと感じる。
それこそ教科書を見習ってくれ。
長くなったのでとりあえずここまで。仕事行ってくる。
中国の動向も観察はしているだろう。
まず現地人への擬態化を考える。
これからいうのは偵察にきた来客が、酸素によって活動可能な1Gに耐えうる生物であることを前提としたはなしだが。
1.に関する話
ワープを使いこなす宇宙人が、まず見返りなしに科学技術を提供してくれるか、というところから、考えた。
だとすると?
地球上にあるもの。生物もしくは来客が持ち得なかった発明品、文化の産物など。
未開の地といえど、来客とまったく同じ発明品は有り得ない。
絶対に物珍しいはずだ。
あと、人間の進化を止めてしまうかどうか、思慮してくれるかも分からない。
2.
手間がかかる。
欲しい何らかのサンプルがあるとしたら、持ち帰るのに地球人の許可は、はっきり言っていらない。
少量、仮に人間一人誘拐する程度の量なら、強奪してしまえばいい。
あとは、地球そのものが気に入って、少数なら移住してくる線もあり得る。
地球まるごと手に入れたいという話なら、はっきり言って来客は居住地を求めているか、ここを資源そのものとみているか。このどちらか。
母星を失った一民族郎党ぐらいでないと、侵略する意味がない気がする。
ただ、母星を失ったなら、そう人数は多く残っていない気がする。
3.
こちらを観察はしていると思う。
記録もとっていると思う。
しかし、どれくらいの惑星からどの程度の人数きているかは不明。
友好的かもしれないし支配的かもしれない。
どういった目的で来ているかにもよるが、支配するにも手間がかかる。
あくまで観察者であるだけで、干渉してこないだろうことは同意見。
すでに居住者がいるなら、ここもみているだろうか。
みんなが夜寝る前に自分だけのオリジナルアニメをOPから再生して1話くらい再生して寝るアレの一種だけど
ざっくりあらすじを言うと
宇宙はこの宇宙1つだけじゃなくて有限だけど無数の宇宙が存在する。
そのすべての宇宙を内包した世界(オムにバース)がこれまた有限だけど無限に近い時の果てにすべてが崩壊することが分かった。
主人公は全ての宇宙崩壊を救うために多世界を移動して特殊な波動係数を観測していくことで
主人公グループの本拠地はオムニバース崩壊の未来を一番最初に解析した宇宙で
そこにはバックアップメンバーたちが主人公のサポートをしている。
ここから武器の転送や主人公の肉体を転移させたりアップグレードしている。
主人公は元科学者で人間なんだけど肉体は半機械半生命体のサイボーグ化している。
永久機関で作る電力・熱量か摂取した有機物(ATPに使えるならグルコース以外でも可能)と酸素で活動可能だが蓄積している内部電力には限りがある。
ラッシュを出すことができるが無酸素運動をしているのと同じで電力補充まで肉体が疲労する。
肉体の構成は人工筋肉と硬度の低いガラス状の結晶構造体でできていてある程度の物理エネルギーに耐えられるが破損個所の修復には電力を必要とする。
超科学の産物で万全の状態なら知能と肉体は人類の常識を超えている。
なんだけど、転送先の宇宙の物理法則や転送速度によっていつも最低限の能力しか与えられずに送り込まれる。
いくら崩壊までに無限の時間があるからといっても無限に近い宇宙をまわりきるから転送に時間をかけられない。
旅先で苦戦したりトラブルに見舞われたり、現地で武器や知識を吸収する必要がある。
一見冷たく見えるが口数や感情の起伏ができないだけで、根はやさしい。
感情がないのかと揶揄されると若干怒りを交えた口調で反論する。
でも目的の邪魔になる人間には容赦しないから警察官も場合によっては撃ち殺す。
フルアップデートされた際に敵はなく、全身から炎のような粒子の残像が立ち上るバースト状態になる。
この時初めて主人公の知力・体力・破壊力のみならず全人格が開放され軽くヤンキーの入った言動と人格になる。
元々は粗暴な人間だったようだ。
敵は、逆にオムニバースそのものを終わらせるために主人公たちを追跡・妨害する集団。
この戦いは永遠に続くか終焉を迎えるかの終わりなき戦いとなっていく。
敵集団は特殊波動係数がどこにあるのか探知する能力はないから主人公の現在地を追跡してくる。
で、連載初期からの懸念だったんだけど多世界を渡り歩くってことは基本一期一会なわけ。
せっかく人気キャラができても世界移動すると関係性が切れてしまうのよね。
別れを儚く見せることで感動を得られるところもあるから一長一短。
もちろん多世界に同じ登場人物をスター形式で出してもいいんだけど、
少年ジャンプで連載させたいが今のジャンプ読者に硬派SFについていけるのかどうか疑問。
なので何かを動かしたり助けたり、下手したら1万年くらい同じ宇宙に滞在しないといけない。
時には普通の人間と同じように住居に住み、働き、現地の人間と関係を持つ必要も出てくる。
あるときは政治家、あるときはパン屋、あるときは家庭教師…様々な主人公を描けるのが良いところ。
戦闘シーンでは4ページみっちりと戦ってもらう!
格闘戦や銃撃戦、剣を使った攻防やカーチェイス。
男の子が見たいシーンを盛りだくさん。
スカした異世界モノ主人公みたいにチート使って勝つことは絶対に許さん。
状況に応じて戦闘に必要なアップグレードを行うけど裏目に出たり、役に立たなかったり、絶体絶命になってもらう!
具体的にいうと仮面ライダークウガくらい毎回ボロボロになってもらう。
けどメンタルだけは絶対に最後まで折れないというのが主人公のブレないアイデンティティなので読者は安心して読める。
敵キャラに自分の元いた宇宙で死んだ恋人と同じ魂を持つ女幹部がいる。
敵でも味方でもない強さのみを求めた求道者がいて敵の宗教とはまた違ったクソめんどくさい宗教理由で襲ってきたリ共闘したりする。
こいつはサーボーグで骸骨顔なのにラーメンが大好物で武器は超伸びる剣とマント(ポンチョに近い)のみ。
結末は「これからも俺たちの戦いは続く!」でもいいし、
神と相対するシーンを描けるくらい実力があれば描いてもいいし、
この作品のいいところは長期連載になっても読者が昔の話を知らなくてもついていけるところだよね。
ワンピースとか仲間作りまくってそれぞれの過去と掘り下げとかしなきゃいけないもん。
でも俺の漫画は別の宇宙に入ったところで他の世界との関係性は切れるから
魔法ファンタジーものにしたければ魔法の世界に転移させればいいし、なんでもあり。
問題は俺にこれを描けるだけの才能がないってことだ。
追記:
現地で学び成長する分には転送速度に左右されない。
特に習って欲しいのは格闘術。
性犯罪で強いトラウマを抱えた女性の体験談を読むと、こういう考えは割と納得できるようになる。
そういう女性にとって、男性の傍に置かれるというのは、アレルギー患者がアレルゲンを摂取させられるのと同様の仕打ちになるのだろう
(こういう話に触れるたびに、労働の義務と生存の権利をセットにされるから通勤なんぞを強いられるんだと思ってしまうが、それはとりあえず脇に置く)。
だから実生活では、男性なのに女性専用車両に乗るなんてことはやろうとも思わないし、専用車両の廃絶を訴えるつもりも更々無い。
だが正直に言うと、ネット上で女性専用車両を擁護する女性に対し、エネルギッシュでそういうアレルギーとは全く無縁そうだから叩いても大丈夫そうだと感じて、
今ではすまなかったと思っている。
痴漢被害に遭ったことのあるひと、遭うことを恐れるひとなら男女問わず乗れる、というのなら理解する。結果として乗り込むひとの大半が女性になったとしても、それは差別ではないと思う。
ちょっと前まで貧困者だったひとでも、安定して高収入を得られるようになったら貧困層専用住宅の入居資格を失う。逆にちょっと前まで裕福な暮らしをしていたひとも、文無しになったら入居権を得る。だからそれは差別ではない。
「○○病に罹患した患者」を相手にして特別な措置を執ることは、その特別な措置が「○○病」の治療にとって必要なことだと証明されており、その措置が○○病の患者のみに対して行われるなら、差別ではない。
でも、「女性専用車両」は違う。男性でも痴漢の被害に遭うひとは(女性と比べて圧倒的少数であるにせよ)存在し、ごくごく稀ではあるが女性の性犯罪者も存在する以上、「女性のみに対してアクセスの許可を与える車両」は、それらと同列に扱うことは難しいと思う。
現状、都市部で電車通勤・通学をする女性のかなりの割合が被害に遭っていて、その加害者がかなり高い確率で男性なのは事実だけど、それは「男性を排除する」正当な理由たりえるか? というと違うような。
それが差別化差別じゃないかは難しいから分からないけど、そういう風に考えたら男性側からしても不快感がやや減るってことは無い?
私は不快だから女性専用車両に反対してるわけじゃない。個人的には、あれだけ痴漢が多発していたら女性専用車両みたいなのは必要だよな、そこが唯一のシェルターっていうひともいるんだろうな、気の毒だな、って思う。怖がる女性はどんどん乗ればいいとも感じる。女性専用車両に不快感は特に感じない。私はあまり端っこの車両使わないというのもあるし。
「差別だけど今はこれしかやり方がないんです」って言われたら納得する。でも「差別じゃない」は納得できない。
だってこれが差別じゃないってことになったら、「○○人は犯罪率が高いからうちの近所に引っ越してこないでほしい」が通ってしまう。「ゲイは部屋を汚すことが多いから男性2人でのラブホテルご利用はお断り」も通ってしまう。「女性は結婚や出産を機に退社する可能性があるので幹部候補にはしません」という理屈に正当性があることになってしまう。
もちろん、それらの例と違って、ここで排除されている男性は女性より社会的権力を持っている。だから一緒にはできない、というのはその通りかもしれない。でも、形式としてはおんなじだ。生得的な条件によって定義されるある集団に好ましくない者がいるから、その集団の成員をまとめて排除してよい、という理屈はおなじだ。それは差別的発想だ。それに基づいて公共の空間への出入りを制限しようとするのは差別だ。
繰り返すけど、だから女性専用車両なんて廃止しろ、とは微塵も思ってない。これは差別だよね、と言ってるだけ。でもこの程度のことに差別じゃないって猛反発が飛んでくるのは本当に不可解。
そこを共有できないなら、これは差別です、という原理原則論を繰り返すしかなくなるし、これを差別だと周知しようという団体が出てくることも当然だと思う(当然、啓蒙も目的のひとつである以上、利用者に向けて示威行動をすることも正当な抗議行動の範疇ということになる。ストで電車が止まって利用者に迷惑かけるのと同じ)。
これから書くことはただの解釈の話なので、「自分はそうは思う/思わない」というだけで、あまり問題解決に寄与しないんだけど
私は女性専用車両を、「男性を犯罪者予備軍と見なして締め出している空間」とは感じなくて
どちらかというと「貧困者専用の格安アパート」とか「特別にバリアフリー化されたり酸素吸入装置がつけられた病室」みたいな
ハンディを抱えた人のための施設なので、そのハンディがない人は使うのはご遠慮ください、という種類のものに感じている
だから、私自身はもう長らく痴漢に遭っていないせいもあって、女性専用車両が自分に必須とは思わないので、使わない
それが必須な人のためのものである以上、むしろ私は除外対象だろうと思うから
それが差別化差別じゃないかは難しいから分からないけど、そういう風に考えたら男性側からしても不快感がやや減るってことは無い?
あ、痴漢が怖い男性への配慮がないって点は本当にそうだと思うので、何とかなればいいと思うけど、解決策が思いつきません
(互いに険悪さ助長する形での主張は、どちらの側のも嫌だなと思ってますが、それだけ強く主張したいことがあるんだろうなとも思います)
前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。
その頃のことを思い出したのは元増田の記事を読んだからじゃなく、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かに読まれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。
今回の猫は心臓の悪化?から肺機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。
そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。
細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。
前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。
選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。
バックヤードに入って声をかけてから、就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそばの椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後からは酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。
しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫からの最後の要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。
その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ。
死も病も生きとし生けるもの、代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別な運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。
安楽死は想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚がストンと理解できた。通夜をするのだと決めた。
猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。
この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクトな姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。
やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手な欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。
寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分の状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。
翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来の香りは一切しなかった。発症してからの口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。
その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。
私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。
最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。
例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分で体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものだからだ。
だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。
その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触を仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる。
時間が解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。
猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。
猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手な解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。
一匹目の猫は乳癌で死んだ。
腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。
最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。
最後の日、私が居間でインターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。
学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。
風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。
あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。
犬を飼っていたら、と思うことがある。
昔一軒家に住んでいた。
金魚くらいだろうか。金魚すくいですくえなかった人のために何匹かくれる金魚。
酸素を発生する装置だったり水草だったりを母が買ってくれて、色々やった。
夏の暑い日、赤い金魚が水の中をあっちこっち泳ぐのを見るのは目に涼しくて、べったりと床に寝転んで眺めていた。
そうした昔、犬を飼うという話があったらしい。
らしい、というのは子供達に伝えられることなく頓挫したからだそうだ。
父が大きい犬を飼いたがったが、子供である私たち姉妹が小学校にも上がらないくらい小さかったのと、父が夜遅い仕事だったので、必然的に母が散歩に行くことになり、そうなれば大きい犬は散歩が大変という理由だった。
もっとも、その話が終わった数年後に遠方へ引越しをすることになり、飼っていなくてよかったと母は思ったそうだ。
私達子供が成人した後の話だった。寝耳に水で、どういうことだと聞くと父の浮気だった。
だけど、家族の中で起きるなんて思ってなかった。
あの無口な父が、と思ったが、私はもう子供でもなかったし様々なことを想像できた。
ただ、やっぱり泣いた。母が泣いているのを見て一生許さないだろう、とも思った。
まだ両親の話し合いはまだ終わってない。
母から報告を聞くと、飼うことのなかった犬を思い出す。
飼っていればふさふさの犬が家に居たかもしれない。
散歩に行くのは大変だっただろうか。
飼っていれば、何か変わっていたのだろうか。
ふと幻の犬の毛並みを夢に見る。
https://anond.hatelabo.jp/20180214155553が文字数制限?に引っかかってしまったのか途中で切れたので続きです。
「003: アメリカ政府より強力」~「005:ジェダイのマインドトリック」の前まで
続きはhttps://anond.hatelabo.jp/20180214161344
巨大テクノロジーに屈服してしまったのは連邦政府だけではない。アマゾンの第二本部への入札の一貫として、州とシカゴ市の役人はアマゾンに13億ドルの給与税を免除し、そのお金をアマゾンが適切と考えるやり方で使えるようにすることを提案した。すばらしい。シカゴは徴税権をアマゾンに渡してしまい、シアトルの企業がシカゴの住民に最適な方法でお金を使用してくれることを期待しているわけだ。
政府の服従はそれからひどくなるばかりだ。もしあなたがアイスキャンディーを作って子どもたちに売ろうと思えば、高額な食品医薬品局のテストを無数に受け、また原料・カロリー・糖分を表示した完璧なラベルをつけなければならない。しかし、インスタグラムのユーザー同意書にどんな注意書きが書いてあるだろう。我々はソーシャルメディアのプラットフォームがティーンエイジャーの抑うつ状況を悪化させていることを示す大量の研究の存在を知っている。自分自身に問いかけてみよう。もしアイスクリームが子どもたちを自殺させやすくしているとしたら、我々はドレイヤーズのCEOがシリコンバレーのディナーで大統領の隣に座るのを肩をすくめるだけで見過ごすだろうか。
こうしたソーシャルメディアのプロダクトがタバコと同様の中毒媒介システムであることを信じない人は、7才の子供からiPadを取り上げようとして、自分の殺人計画を告げるような視線で見られるといった経験がないのだろう。この手のプラットフォームの中毒性を信じないなら、どうしてアメリカのティーンエイジャーが一日平均5時間インターネットにつながったスクリーンに張り付いているのか、その理由を自分で考えてみればいい。ソーシャルメディアが与えてくれる様々なご褒美のせいで、我々はまるでスロットマシーンの前にいるように自分の通知をチェックさせられ続ける。子供や十代の少年少女はこうしたプラットフォームがもたらすドーパミンの欲望にとくに影響を受けやすいという研究もある。多くのテクノロジー企業の幹部が自分の子供にはこうしたデバイスを触れさせないと公言しているのも不思議ではない。
以上のような問題は全て正当な懸念だ。しかしこれらの理由のどれ一つとして、あるいはこれら全てを集めたとしても巨大企業の分割を正当化する理由としては足りない。これから述べるのが、私が信じる四大企業を分割すべき理由だ。
ヴァンダービルト大学のロースクールの教授であるガネシュ・シタラマンの主張は、アメリカには中産階級が必要であり、我々の代表民主制が上手く機能するために富がバランスよく分配されるよう、憲法もデザインされているというというものだ。富めるものがあまりにも多くの力を持ってしまえば、寡頭政治につながる。だからアメリカの民主主義という舟を安定させるためには中産階級が舵にならなければならないのだ。
経済とそのキーとなる主体である会社の基本的な目的は、中産階級を作り出し維持することであると私は信じている。1941年から2000年にかけてアメリカの中産階級は世界の歴史においてもっとも優れた「善」の担い手だった。アメリカの中産階級は正しい戦争に資金を提供し、戦い、勝利した。高齢者の世話をし、ポリオの治療にお金を出し、人類を月に送り、世界の他の国に対して、自分たちがモデルとなって、消費とイノベーションが社会・経済を改革するエンジンになりうることを示したのだ。
経済の上向きのスパイラルは家庭と企業の間での循環に依存している。家庭が資源と労働を提供し、企業がモノと仕事を提供する。競争は発明と優れた製品(ハッピーアワー、リアビューカメラetc.)を提供するモチベーションとなり、車輪はいつまでも回り続ける。巨大企業はステークホルダーに対して莫大な価値を作り出す。それなのにどうして私たちの目の前で、歴史上初めて、他の国の中産階級が成長しているのに自分たちの国の中産階級が没落するという事態が起きているのだろう。経済が中産階級と中産階級が育む社会の安定を維持するためのものであるならば、我々の経済は失敗してしまっているということだ。
過去30年でアメリカの生産性が大幅に向上したのは間違いない。アメリカの消費者があらゆるレベルで自由主義社会の羨望の的になったことを否定することはできない。しかし生産性の拡大と消費者の地位の向上の結果作り出されたのは、高給の雇用と経済の安定をすばらしい電話と1時間以内に配達されるココナツウォーターと交換してしまうようなディストピアだった。
どうしてこんなことが起こったんだろうか。2000年代になってから、企業と投資家が夢中になったのは人間をテクノロジーで置き換えることによって急速な成長と利益の急拡大を可能にしてくれるような企業だった。こうして作り出された巨額の富が安価に資本を引きつけ、他のセクターは脆弱になった。古い経済に依存する企業と巣立ったばかりのスタートアップには何の希望もなかった。
結果として出来たのは企業にとっても人々にとっても勝者総取りの経済だった。社会はイノベーション経済の側(領主)とそうでない側(農奴)の二つに分かれてしまった。一つの素晴らしいアイデアがウン億のベンチャーキャピタルを集める一方で、普通の人、あるいはただ幸運でなかった人々(私たちのほとんどだ)は退職後の貯金をするためにもっともっと働かなくてはならなくなった。
億万長者になるのが過去に比べて簡単になったり難しくなったというわけではない。痛いほど明らかなのは、過去30年で見えない手が行ってきたのが中産階級を締め上げることだった、という事実だ。30歳の人間がその両親が30才だったころに比べて貧しくなったのは大恐慌以来始めてだ。
何か手を打つべきなのだろうか。こうしたイノベーションのアイコンたちが、経済の調子を保つための一時的な撹乱を行っているだけだとしたらどうしよう。トンネルの向こうではより強い経済と高給が待っているという見込みはないんだろうか。しかしこんなことがありえないという証拠はすでにある。事実、二極化は勢いを増しているように見える。これは我々の社会に対する最大の脅威だ。これが自分たちの住んでいる世界なのだから仕方ないという人も多いだろう。でもその世界も私たち自身が作り出したものではないのだろうか。百万人の百万長者を生み出すことからひとりの一兆長者を生み出すことに、私たちは意図的にアメリカの使命を変えててしまったのだ。アレクサ、これって良いことなのかね?
今まさに我々は劇的なマーケットの失敗の只中にある。そこでは政府が巨大テクノロジー企業への大衆の熱狂によって黙らされてしまっている。頑丈なマーケットは効率的で強力だが、グランドに定期的に入って旗をあげ、チームを動かすレフェリーなしではフットボールのゲームが成立しないように、枷のない資本主義が私たちにもたらしたのは気候変動、抵当危機、そしてアメリカの医療保険だ。
独占はそれ自体常に違法だったり望ましくないものだったりするというわけではない。単一の企業が投資を行い、安価にサービスを行うのが合理的であるところでは、自然な独占が存在する。しかしこの場合トレードオフとして厳しい規制が伴う。フロリダ電力は1000万人にサービスを提供し、親会社であるネクストエラ・エナジーは時価総額720億ドルだが、その価格とサービスの基準は市民に受託された人々によって規制されている。
対象的に四大企業は厳しい規制なしに独占「的」な権力を維持しおおせている。私が彼らの力を「独占『的』」と表現したのは、アップルだけは例外かもしれないが、彼らがほとんどの経済学者が独占の核心だと考える、顧客向け価格の釣り上げを行ってはいないからだ。
しかし、四大企業は我々が本能的に感じる大きな政府への反感を見事に利用し、競争が――私有財産、賃金労働、自発的な交換、価格システムと同様に――資本主義のエンジンの不可欠なシリンダーであることを忘れさせてしまっている。彼ら四大企業のサイズの巨大さに加えてチェックを受けない権力によって競争市場は抑圧され、経済が本来の目的を果たすことも阻害されてしまっている。つまり、活力ある中産階級を作り出す、という目的だ。
どうしてこんなことが起きるのだろう。1990年代にマイクロソフトがどうやってネットスケープの息の根をとめたかを思い出すのは有用だ。はじまりは何の問題もなかった。ある会社が優れた製品(ウィンドウズ)を作り出して、それがセクター全体へのポータルになった。今であればプラットフォームと呼ばれるだろうものだ。その成長を維持するため、その会社はそのポータルを自社製品(Internet Explorer)の方向に向け、パートナー(Dell)をいじめて競争をシャットアウトした。ネットスケープのブラウザの方がより人気で90%のシェアを得ていたとはいえ、マイクロソフトが意図的にインターネットエクスプローラーを援助しているのでは勝ち目はなかった。
同じ状況は四大企業ではどこでも起こっている。グーグルが上手くマネタイズできるよう、検索結果の最初のページがゆっくりと支配されていくことや、iPhoneの画面上の準標準プロダクト(アップルミュージック等)、強豪相手(Snap)を邪魔し、叩きのめせるよう会社(フェイスブック)の持てる全ての資源を按配すること、他の会社がとても競合できないような要求水準の設定と攻撃的な価格設定(アマゾン)。
もしかしたら消費者にとってもこういった「自然な」独占の方が都合が良いのかもしれない。しかし司法省の考え方は違ったようだ。1998年に、連邦政府はマイクロソフト相手に訴訟を起こし、反競争的な慣行を非難した。裁判を傍聴していた人が報告するところによると、マイクロソフトの幹部はインターネットエクスプローラーをタダで提供することで「ネットスケープの空気の供給を断」ちたかったと証言したのだそうだ。
1999年11月に、ある地方裁判所ではマイクロソフトは反トラスト法に違反しており、会社を二つに分割することを命じるという判決が出た(一つはウィンドウズを売り、もう一つはウィンドウズ用のアプリケーションを売る)。会社分割の命令は高等裁判所で却下されたが、マイクロソフトは会社の独占的な慣行を抑えることで最終的に政府と和解に達した。
和解内容に対して甘すぎるという批判もあったが、司法省があの時マイクロソフトを有望新進企業を芽のうちに潰してしまうという罪状で警告することがなかったら、今のグーグル――今や7700億の市場価値があり、自由市場の信奉者にとっての希望の的だ――が存在しえたかどうか、考えてみる価値はある。反トラスト法がなければ、マイクロソフトはマーケットの独占を利用して、ちょうどウィンドウズによってネットスケープを安楽死させてしまったように、グーグルよりもBingを使わせるよう仕向けていただろう。
司法省のマイクロソフトに対する訴訟が、マーケットに新鮮な酸素を送り込むという点で最も大きな効果を持った例であることは確かだ。株価にして何兆円ものドルを解き放ったのだから。四大企業による力の独占は、酸素不足のマーケットを作り出してしまった。私は何十回も小さな会社によるベンチャーキャピタル向けプレゼンを聞いたことがあるが、そこで説明される内容はどこでも、いつでも同じだ。「四大企業とは直接戦えませんが、四大企業の買収先としては素晴らしい会社になれます」。その細い針の眼を通すことが出来なければ、会社はその幼少期を生き抜くために必要な酸素(資本)を絶たれてしまう。IPOもベンチャーキャピタルの資金提供を受けた企業の数も過去数年で着実に減少している。
かつて「悪の帝国」そのものだったマイクロソフトと違い、グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾンは巧妙なPRを洗練されたロビイング――オプラ・ウィンフリーとコーク兄弟をかけ合わせたようなものだ――と組み合わせて、マイクロソフトに課されたような批判からほとんど逃れおおせている(https://anond.hatelabo.jp/20180214161344に続く)