2018-03-06

日曜日に飼い犬が死んだ

ぶつけようもなく、でも誰かに話したいけど感情的になってしまいそうだから支離滅裂だけど少しぼやかせてほしい。

日曜日に飼い犬が死んだ。女の子で、14歳。あと3か月で15歳。

元々生まれる時に母犬の産道に首をひっかけてしまって、それで脳やら神経やら足やらに影響はあった。身体が丈夫な方ではきっとない。

でも彼女人生の中で心臓が合計3回止まった事があるのに、蘇生した生命力の強い子だった。

あとお世辞にも賢いとは言えない子だったけど、とても愛嬌のある子だった。

何ら普通の子と当然変わらなかった。

最近、ぜえぜえ言ってるなとは思ってた。土曜日にも少しだけ息を荒げてこちらを見上げる顔は、何となくいつも通りではなかった。

けど腎臓が悪いという事は病院に通っていて分かっていたけど、その他に持病も無かったので風邪なのかな、くらいで思っていた。

ご飯もいつも通りいっぱい食べる。見上げてくる顔は今日世界で一番可愛かった。


日曜日病院に連れて行ったら、殊の外症状は悪いらしかった。

肺炎になってると。まぁでもその日でどうにかなるというわけではないらしいけど、入院という形をとった。

家族入院一日2万円だって、頑張って工面しないとね、一人で寂しくないかなと話していた。

夕方病院から電話がかかった。「息が止まった」。私の息が止まりそうだった。

急いで病院に向かったら、息は吹き返していた。触ったら暖かくて、けどつらそうだった。

何度も機械に繋がれている所を見た事はあっても、何だかその日はザワザワして仕方がなかった。

あれよあれよと先生から説明を受けて、結局一晩様子を見ようだなんだ言ってて、でも早い話先生から最終的に言われた事は

「もうきっと、残念ですがダメだと思う」


言葉にはし難い気持ちになった。

抱っこして、酸素ボンベを貰って、家に連れて帰って、もしかしたら連れて帰るって時に死んでしまうかもと言われていたのに彼女酸素ボンベが無くなるまでずっとずっと生きつづけた。

病院から連れて帰る時、抱っこしたのは私だけど、こんなに柔らかかったっけ?って思うくらい、もう彼女身体には力が入ってなかったけど車の中で撫でながら名前を呼ぶと、力が入っていった。

おしっこを作る力がもう残ってないって説明をされたけど、私は彼女が逝くまでの間、二回おしっこを足にかけられた。

母犬が亡くなった時、私は仕事中で看取れなかったけど、この子の事は看取れた。

充分彼女の強さも垣間見れて看取れて幸せなはずだったのに、心がぽっかり空洞のようになってる。

酸素が切れて、苦しそうに息をする姿も徐々に弱くなる呼吸も頭から離れなかった。忘れようと思う事はない、ずっと覚えておきたい事である。だけど思いだす度に彼女がこの世からいなくなる事が現実のように感じて胸が痛くて仕方がない。

元気に立ち直って、ちゃんと生きていかなくちゃ、受け入れなくちゃとは思ってはいるけど

今朝もふと無意識彼女の事を撫でようと振りかえってしまった自分にどうしようもなく悲しくなった。

もう使う事の無いオムツおやつ、ゲージ、ベッド、洋服タオル、目に入っても匂いが鼻についても、やけに静かな部屋も、歩くのに地面をする音がしないのも、今は非日常過ぎて夢なのではないのかとしか思えない。

いないと分かっているのに、いない事が信じられない。

突然いなくなったあなたと一緒に遊べない事が信じられない。家に帰っても、いない事が信じられない。

いつまで続くんだろうか。あなたあんなに強いのに、私はこんなにも弱い。

もっとできた事も色々あるだろう、もっと遊びたかった。

あなたがくれた幸せを私はあなたにきっと返せてない。もう一度会いたい。

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