はてなキーワード: 仮面ライダークウガとは
仮面ライダークウガが、今のコロナとかなり似た展開になっているので、ちょっとした再評価が起きていた。
ちょっと前にYouTubeの東映特撮チャンネルでクウガが毎週再放送されていたのだけれど、今のコロナの状況をそっくりそのままなぞったような展開になっていてすごいとコメント欄ではちょっとした話題になっていた。
現実ではウィルスが猛威を奮っているのに対しクウガでは怪人が「ゲーム」で人間を殺している。クウガでは「現実に怪人が現れたら警察はどのように対応するのか」をシュミレートして実際に警察に問い合わせており、怪人は人間ではないから殺人課ではなく警備部の野生動物を管轄するところが対応することになるだろうとしている。
現実では「新型コロナウィルス」を「コロナ」と略してそれが世間で定着しているが、クウガでは怪人(グロンギ)は「未確認生命体」が警察発表の正式名称であり、世間では「未確認」と略されて定着している。ちなみにクウガは世間的には「未確認生命体第4号」であり警察や世間からも「4号」と呼ばれ、「未確認の仲間だが人間の味方」という某8号のような立ち位置となっている。ちなみにキッズたちが幼稚園で「4号はいいやつだ」「いや4号は悪いやつだ」と言い争っているシーンがある。
1回のゲームで殺さなければならない人数はあらかじめ決められており、序盤から中盤までは「数日で数十人」だったのが中盤以降は「数時間で数十人から数百人」となり、怪人の親玉のゲームでは3万人が犠牲になっている。
毎週誰かしらが死ぬような状況なので怪人の動きを警戒して夜は店が閉まっていて、市民がそれをぼやくシーンがあり、主人公が住み込みで働いている喫茶店も客足が遠のいていたりする。
ヒロインはラジオで音楽を聴きながら仕事をしているのだが、未確認関連の臨時ニュースが時折入り、しかも回を重ねるごとに未確認関連のニュースがどんどん増えていく。余談だがニュースのアナウンサーはべ様である。
クウガでは仮面ライダーと警察が協力して怪人と戦っているのだが、警察関係者は寝る間も惜しんで日夜未確認対策に努めており、そこの科学者が家族との時間が取れないことで子供とトラブルになる回が何回かあった。
また、サブキャラの身近な人がゲームの犠牲者となっており、怪人のゲームは遠いニュースの出来事でもないことを印象付ける。
かと思えば、毎日怪人が殺人を行っているわけではなく殺人のない日もちょいちょいあって、実際に人々が警戒しているのは怪人が殺人ゲームをやっている最中であり、怪人がゲームをやっていない時は気が緩んでいるからなのかプールに人がごった返していたりする。
ゲームが行われているのは主に東京であり、東京以外の栃木や千葉では、「東京では未確認で大変なことになっているから極力東京に行かないように」と小学校でお達しがあったり、「まだ終わらないの?未確認の事件」と温度感が東京とそれ以外で大きく違うのもクローズアップされていた。
プールや海などの水辺で暴れている怪人が出たので各種遊泳場を営業禁止にしたのはいいけれど、怪人が暴れているのは東京だからと外浦海岸で遊んでいる若者がいたりするので、なんだかんだで脅威が長続きすると気が緩んでしまうのは現実でもそんなに変わらないなあと思ったものである。
怪人の親玉は最後クウガが倒すのだが、それに準じる幹部怪人的な立ち位置の怪人たちは、最終的に人類が作った「神経断裂弾」で人間の手によって排除されていく。作中で3番目くらいに強い怪人が、特になんの訓練も受けておらず特殊な力も持っていない普通のホモサピエンスによって排除されていくのは正に圧巻の一言であり、同じ時間に放映されていたタイムレンジャーで赤レンジャーが雑魚兵にトドメを刺されるのとは恐ろしく対照的である。
「QAに聞いたんですけど、あのバグ、やっぱまだ直ってませんでした。だから、狙う時は“ここ”をお願いします」
「五代……」
「いやもちろん、万が一、俺が“究極の闇をもたらす存在”になっちゃったらですけどね」
「……。こんな寄り道はさせたくなかった」
「え?」
「……」
「ここまで君を付き合わせてしまって……」
「ありがとうございました」
「……?」
「五代……」
「じゃあ、見てて下さい。俺の――変身」
>> java.lang.NoSuchMethodException: com.laurens.Main.main([Ljava.lang.String;)
at java.lang.Class.getMethod(Class.java:1786)
at com.intellij.rt.execution.application.AppMain.main(AppMain.java:125)
もはやけもフレオタ達はけもフレ2に関わる人間すべてを狩猟対象としているが、
ここで古のオタクが思い出すのは仮面ライダー響鬼路線問題である。
響鬼は平成ライダー第一作である仮面ライダークウガの生みの親、高寺プロデューサーが指揮を取り
斬新かつ人の温かみを感じる作風から支持されていたシリーズだったが、
白倉プロデューサーと脚本井上敏樹といういつもの座組に変更され、
作風も大きく変わり、自然を主な舞台としていたのが街中に変わり、
公式ブログにスタッフやキャストへの誹謗中傷が書き込まれけ、各所掲示板は荒れに荒れた。
その中でも白倉Pと井上敏樹は最大の戦犯とされ、これ以降長い間アンチのやり玉に挙げられ続けるのだった。
時が経ち、当時口を開く事のなかった当事者たちから書籍やラジオなどで様々な証言が出てくると
実は当時悪の権化とばかりに叩かれた井上敏樹こそが最も前期の作風を守ろうとした当事者であり、
「高寺の作品には高寺がいなきゃだめだ」とまで言い、上層部に対して抗戦していたことが判明したのだ。
それでも仕事である以上断るわけに行かず、なるべく前期に近づけようと苦心したが、
逼迫したスケジュールの中では自分の作風に近づけざるを得なかったのである。
降板となった高寺Pも汚れ仕事と分かりながら引き受けてくれた井上に強い感謝の念を抱き、涙を流すほどだった。
結局の所、制作側の事情なんて外野の視聴者には何が本当かわからない。
響鬼だっていろいろと証言は出てきたものの、そもそもなぜ高寺Pが降ろされたのかはっきりした理由はわかっていない。
下衆の勘繰りに基づくスタッフやキャストへの度を越した誹謗中傷がそれで許されるわけではない。
あるいは、自分たちが守っているつもりのたつき監督や福原Pも、それによって心を痛めているかもしれない。
繰り返しになるが、制作の裏側は視聴者には見えないことが多い。
もし嫌わなくていい人を嫌っていたとしたら、それは本当に悲しいことだ。
どうか、同じような過ちを繰り返さないでほしい。
「景気が良いときほど暗いアニメが流行り、景気が悪いときには明るいアニメが流行る」
といった話を耳にするが、
そのような疑問を抱いた私は、
1985年からの景気動向指数(CI・一致指数・各年の12月の数値を採用)と、
私が独断と偏見で選んだ「その年に人気だったテレビアニメ」を、
並べて比較してみることにしたのだった。
みんなが夜寝る前に自分だけのオリジナルアニメをOPから再生して1話くらい再生して寝るアレの一種だけど
ざっくりあらすじを言うと
宇宙はこの宇宙1つだけじゃなくて有限だけど無数の宇宙が存在する。
そのすべての宇宙を内包した世界(オムにバース)がこれまた有限だけど無限に近い時の果てにすべてが崩壊することが分かった。
主人公は全ての宇宙崩壊を救うために多世界を移動して特殊な波動係数を観測していくことで
主人公グループの本拠地はオムニバース崩壊の未来を一番最初に解析した宇宙で
そこにはバックアップメンバーたちが主人公のサポートをしている。
ここから武器の転送や主人公の肉体を転移させたりアップグレードしている。
主人公は元科学者で人間なんだけど肉体は半機械半生命体のサイボーグ化している。
永久機関で作る電力・熱量か摂取した有機物(ATPに使えるならグルコース以外でも可能)と酸素で活動可能だが蓄積している内部電力には限りがある。
ラッシュを出すことができるが無酸素運動をしているのと同じで電力補充まで肉体が疲労する。
肉体の構成は人工筋肉と硬度の低いガラス状の結晶構造体でできていてある程度の物理エネルギーに耐えられるが破損個所の修復には電力を必要とする。
超科学の産物で万全の状態なら知能と肉体は人類の常識を超えている。
なんだけど、転送先の宇宙の物理法則や転送速度によっていつも最低限の能力しか与えられずに送り込まれる。
いくら崩壊までに無限の時間があるからといっても無限に近い宇宙をまわりきるから転送に時間をかけられない。
旅先で苦戦したりトラブルに見舞われたり、現地で武器や知識を吸収する必要がある。
一見冷たく見えるが口数や感情の起伏ができないだけで、根はやさしい。
感情がないのかと揶揄されると若干怒りを交えた口調で反論する。
でも目的の邪魔になる人間には容赦しないから警察官も場合によっては撃ち殺す。
フルアップデートされた際に敵はなく、全身から炎のような粒子の残像が立ち上るバースト状態になる。
この時初めて主人公の知力・体力・破壊力のみならず全人格が開放され軽くヤンキーの入った言動と人格になる。
元々は粗暴な人間だったようだ。
敵は、逆にオムニバースそのものを終わらせるために主人公たちを追跡・妨害する集団。
この戦いは永遠に続くか終焉を迎えるかの終わりなき戦いとなっていく。
敵集団は特殊波動係数がどこにあるのか探知する能力はないから主人公の現在地を追跡してくる。
で、連載初期からの懸念だったんだけど多世界を渡り歩くってことは基本一期一会なわけ。
せっかく人気キャラができても世界移動すると関係性が切れてしまうのよね。
別れを儚く見せることで感動を得られるところもあるから一長一短。
もちろん多世界に同じ登場人物をスター形式で出してもいいんだけど、
少年ジャンプで連載させたいが今のジャンプ読者に硬派SFについていけるのかどうか疑問。
なので何かを動かしたり助けたり、下手したら1万年くらい同じ宇宙に滞在しないといけない。
時には普通の人間と同じように住居に住み、働き、現地の人間と関係を持つ必要も出てくる。
あるときは政治家、あるときはパン屋、あるときは家庭教師…様々な主人公を描けるのが良いところ。
戦闘シーンでは4ページみっちりと戦ってもらう!
格闘戦や銃撃戦、剣を使った攻防やカーチェイス。
男の子が見たいシーンを盛りだくさん。
スカした異世界モノ主人公みたいにチート使って勝つことは絶対に許さん。
状況に応じて戦闘に必要なアップグレードを行うけど裏目に出たり、役に立たなかったり、絶体絶命になってもらう!
具体的にいうと仮面ライダークウガくらい毎回ボロボロになってもらう。
けどメンタルだけは絶対に最後まで折れないというのが主人公のブレないアイデンティティなので読者は安心して読める。
敵キャラに自分の元いた宇宙で死んだ恋人と同じ魂を持つ女幹部がいる。
敵でも味方でもない強さのみを求めた求道者がいて敵の宗教とはまた違ったクソめんどくさい宗教理由で襲ってきたリ共闘したりする。
こいつはサーボーグで骸骨顔なのにラーメンが大好物で武器は超伸びる剣とマント(ポンチョに近い)のみ。
結末は「これからも俺たちの戦いは続く!」でもいいし、
神と相対するシーンを描けるくらい実力があれば描いてもいいし、
この作品のいいところは長期連載になっても読者が昔の話を知らなくてもついていけるところだよね。
ワンピースとか仲間作りまくってそれぞれの過去と掘り下げとかしなきゃいけないもん。
でも俺の漫画は別の宇宙に入ったところで他の世界との関係性は切れるから
魔法ファンタジーものにしたければ魔法の世界に転移させればいいし、なんでもあり。
問題は俺にこれを描けるだけの才能がないってことだ。
追記:
現地で学び成長する分には転送速度に左右されない。
特に習って欲しいのは格闘術。
アマゾンプライムで平成ライダーの原点にして頂点と賞賛されるクウガを一気見したのだが、よく出来ているのだが、なんだか素直に受け入れがたい作風だった。
仮面ライダークウガを大雑把に説明すると、古代のベルトの力でクウガに変身する主人公がグロンギという怪人たちを倒す物語である。
このグロンギというのがゲームで人を殺す極悪非道の怪人なのだが、どうもモチーフは放映当時問題になっていた少年犯罪をモチーフにしていると感じられる。
ゲーム感覚で人を殺すのもそうだし、現代の若者をモデルにしたような服装や喋り方のキャラクターもいるし、ラスボスは少年の姿をしている。
しかし彼らを「何を考えてるかわからない怪人」「ゲーム感覚で人殺しをする化物」として毎回クウガに爆殺させる描写は、少年犯罪をテーマにするには短絡的すぎないか?と思ってしまう。
現実には少年法によって裁かれない少年たちがいる。そんな彼らに鉄槌を下す存在としての仮面ライダー。死刑が出来ないなら私刑にすればいいと言う思想なのだろうか?
とはいえ、劇中では「グロンギを倒す主人公も、そのことに苦悩を抱いている」という描写がされるが、
これでは「体罰をする方も苦しいんだから体罰を受け入れろ」という理不尽な理屈と一緒ではないか。
それに加え、いかにも製作者の「最近の若者は」という思想をキャラに代弁させたような箇所も見受けられ、正直現代の感性では受け入れられないだろうなという事もあった。
特撮やヒーロー物のアニメでは、たいてい主人公も敵もだんだんと強くなっていき、ラスボスともなれば、これまでの技や武器を全て使って戦う。
たぶん、おもちゃを売るためなんだろうけど、それは別にしても盛り上がる。
でも、仮面ライダークウガは違った。
物語を通して、だんだんと強くなるのは定石通りなんだけど、ラスボス戦の最期が画期的だった(と、俺は思っている)。
激しい戦いでお互い力を使い果たしてしまい、変身が解けた生身の人間の姿で戦うのだ。
素手での殴り合いだ。
世界を救うために戦うしかない、主人公はそれが哀しくて涙を流しながら。
一方でラスボスは、素手での破壊行為に快楽を感じ、狂喜の笑い声を上げながら。
15年以上経つけど、これを超えるラストバトルは見たことがない。
小池一夫氏が僕の小説から引用してくださったのはいいんですが、リツイートしてる連中がみんな、この台詞がどういう文脈で発せられたか知らないらしいのが(苦笑)。 https://t.co/YQNxpAWgZk— 山本弘 (@hirorin0015) 2015, 9月 19
昨日の話の続き。10;僕は「どんな正義も暴走する危険がある」という意味で書いたつもりなんだけど、なんかリツイートしてる人たちを見てると、「あいつらの正義は間違った正義。俺の正義は正しい正義だから暴走しない」と思ってるみたいなんだよね。 https://t.co/YQNxpAWgZk— 山本弘 (@hirorin0015) 2015, 9月 20
@hirorin0015どうもみんな、自分のことを言われてるという認識がないらしい。10; 自分の正義にまったく疑問を抱かない。明らかに暴走してるのに「暴走なんかしていない。これは正しい行動!」と思い続ける。これは特定の団体に限った話じゃない。右にも左にも当てはまること。— 山本弘 (@hirorin0015) 2015, 9月 20
@hirorin0015 歴史上、正義の暴走の例は山ほどある。作中で触れた、関東大震災の時の朝鮮人虐殺、『アンネの日記』棄損事件、中国からの輸入食品の問題、さらには『仮面ライダークウガ』に至るまで。10;暴走する可能性のない正義なんてものはない。どんな正義も暴走しうる。— 山本弘 (@hirorin0015) 2015, 9月 20
@hirorin0015 だから大事なのは、暴走しかけた時に、「これはまずいぞ」と気づき、セーブできるかどうかだと思う。10;「暴走するのはあいつらだけ。俺の正義は暴走しない」と確信してる奴は、いつか自分が暴走しはじめた時、それが認識できないだろう。それが怖い。— 山本弘 (@hirorin0015) 2015, 9月 20
「自分の正義だけは大丈夫」というのは自分の考えを自分で検証するのを諦めたのと同じ。諦めたらゲーム終了だよって名言が有るよ。つまり「自分の正義だけは大丈夫」というのはゲーム終了だよ
…何のゲームだよ。
視聴者は日曜朝8時から子供になんてもの見せるんだとクレームを入れに、スポンサーはおもちゃが売れないから俺の方針に従えとクレームを入れに行きました。
スポンサーが製作者ともっとおもちゃを売らせろと相談していると、川の上から配慮がどんぶらこ~どんぶらこ~と流れてきました。
スポンサーはこれで製作者を黙らせられる!と手元にあった斧で製作者の目の前の配慮を半分こにしました。
そうすると、中にはなにもありませんでした。配慮はまっぷたつになってしまい、製作者はもっと調子に乗ってしまいました。
それでも今では名作です。
今ではすっかり配慮に馴染んだ仮面ライダードライブがどんより退治に出かけていますが、このドライブ、なんだか顔もシワだらけでおじいさんみたいです。