はてなキーワード: 連絡網とは
毎月決まった日に決まった額のお金がもらえるし、体調悪かったり天気が悪かったり災害の警報が出てたら簡単に休める。何なら上司が先に当日欠勤の申請してる。信じられないことにお金もらいながら休むこともできる。
9時間拘束は面倒だったが、実働はその半分にも満たなかったし、どちらかというと残りの時間つぶしに苦慮してた。それは俺だけではないらしくて、たまに中庭を意味もなくうろついてる同僚を見かけていた。今は半分テレワークでそこらへんもあいまいになったので解決。定例で行われる飲み会はあんまり好きじゃないけど、状況により業務時間にあてられるし、会社から補助が出るので大きな不満はない。ただ自分から振れる話題はほとんどないのでつまらない人間だなと思う。他人の意外な趣味や家庭の話が飛び込んできたりして、聞かせてもらう分には面白い。
忙しい時は残業や宿題もあるけど、その分お金はもらえるし、もともとプライベートが充実してるわけじゃないので、あんまり困らない。大体の休日はちゃんと休めるし。
そんな態度でやってる仕事だから、年収は平均に結構劣るけど、物価も安いところに住んでいるので暮らしていく分に不便は少ない。自分としては平穏そのものの人生で、不安は親の老後と自分の孤独死ぐらいしかない。
それに比べると、学校に通っていた頃は本当につらかった。学年が違うというだけで廊下すら聖域扱いされる上級生とは、距離感を見誤ってよく怒られていた。名指しで呼び出されたこともあった。たかだか数年早く生まれただけでなぜあんなに偉そうなのか、進級して同じ立場になってもわからなかった。俺は人間関係が下手だった。
学校が終わったあと、やりたくもない部活動に強制で放り込まれ、全く興味がないことに心身を疲弊させられるのは死ぬほど嫌だった。実家はお金がなかったので、課外授業とか教材費とか合宿とか部費とか、出費がある度にお願いするのも心苦しかった。
バイトをすればよかったのかもしれないが、学業のために休日や放課後に何かできるほど人生に真剣ではなかった。そういう意味では、親に甘えていた。そのうち幽霊部員になった。部活に行かなくなった最初はほかの部員にドヤされたが、そもそもまじめにやっていなかった人間なのですぐに無視されるようになった。後ろめたさはすぐになくなり、心も軽くなった。修学旅行も、旅費を出してほしくなかったので行かなかった。多くの人間と寝食をともにすることに強いストレスを感じる性分だったので、もともと行きたくなかったのもあった。部活も修学旅行も、強制されるものだと思っていたので、拒否することが可能なのに驚いた。やらない/行かないという選択肢はそもそも目の前に存在していなかったが、選ぶことができるのを知った。
学校では出席日数がすべてであり、どんな体調、どんな天気だろうが通い続けることが美徳なのは悪夢ですらあった。高熱だろうが出校をうながされ、大雨だろうが台風だろうが大雪だろうが、まずは連絡網を待ち続けるのは不快でしかなかった。休みにはならないと言うので学校に向かったら、朝のホームルームで帰宅指示が出された豪雨の日のことは、今でも呪っている。
教師ともソリが合わずいつもにらまれていたが、それは俺の思い過ごしかもしれない。ただ、こんな態度なのだから、好かれてはいなかっただろうと思う。授業はまじめに受けているつもりだったけど、勉強にはついていくことができていなかった。遅れた部分を取り戻すこともできないまま、内容はどんどん先に進んでいき、完全に一周遅れとなった俺はいつしか学校に行っても何も学べなくなっていたので、授業中は椅子に座ってぼーっとしているだけだった。苦痛だった。問題を当てられて黒板の前に立たされても、どうせわからないのだから棒立ちしていることを繰り返していたら、指されなくなった。
それでも勝手に単位が出てきて進級したし、進級したら高認をとれたので、そのまま学校をやめ、就職活動をしてみた。それしか道がなかった。奇跡的に就職できた後は一人暮らしも始めた。それまでの世界に比べると、そのあとはまるで天国だった。俺に対して決して捨て鉢にならなかった親にはとても感謝している。昨今は社会情勢的に実家に帰ることがなかなか出来ないので残念だ。連絡はときどきしているし、できる限り孝行をしたいと思っているが、敬愛の示し方がわからないため、なかなかままならない。
さておき、学校で本来学ぶはずだったことが、仕事において必要なことはたくさんあった。日本語がうまくなくて困ったことがあった。確率や割合の計算ができなかったり、放物線がグラフで描けなくて困ったことがあった。世界の略歴を知らなくて困ったことがあった。グローバルな会社ではないが最低限の英語が必要になることはあり、当然そこでも困った。野球やサッカーやゴルフ、将棋や麻雀のルールを全然知らなくて困ることすらあった。義務教育の内容や、集団生活での経験が社会で必要ないなんて思ったことはなかったけど、俺が社会で必要なことを学校で学ぶのに失敗していたのは事実だった。学校に通い、必要なことを必要な時にちゃんと学べている人は本当に立派な人間だと思う。
だがそれらが俺の責任である以上、学生のころは全くわからなかった学問を、小中学生のレベルからやり直した。社会人になってからは勉強することでお金がもらえるし、もらえるお金も増えるようになるので嬉しい。スポーツや遊びは俺を幼稚園児だと思って教えてほしいと伝えて学ばせてもらっている。強制されない、ノルマも存在しない運動が楽しいということは社会人になってから知った。さかあがりはいまだにできないけどね。
今でも学生のころは夢に見る。そのほとんどは良くない思い出のごった煮で、目が覚めた時の気分はいつも最悪なのだが、それと同時に、現実ではもう社会人であれてよかったと安堵する。社会人になってから人生が楽しくてしょうがない。
今年の初めから流行し始めた新型の感染症のせいで、今年は花火大会のほとんどが中止になるかもしれません。
未知のウイルスが世界中に蔓延して自由に外出できなくなって、人々がマスクを奪い合う日常というのはまるで現実離れしていて、私は春からずっと誰かが作った映画や本の中に迷い込んでしまったような気分がしています。
今日は少しひんやりしているなと思いながら、傘を持っていない方の手のひらで反対側の二の腕をあたためました。家の中に居て雨の音を聞いていると保護されているような気持ちになるのに、外に出るととたんに心細くなるのはどうしてなのでしょうか。
傘を指してどこかへ急いでいく人々が目の前を横切っていきます。私は待ち合わせ場所が間違っていないか不安になりました。そういえば、本屋さんで待ち合わせをしようと決めただけで、具体的な場所を指定していなかったことに気づきました。待ち合わせといえば当然入り口だろうと思い込んでいたのです。
腕時計の針はここに到着してから15分が経過したことを告げていました。
私は今、街で一番大きな本屋さんの入り口に立っています。この本屋さんにはいくつもフロアがあるので、別の階に探しに行ってもどこかですれ違ってしまうかもしれません。あたりを見回すと、どの人も私の待ち人そっくりに見えて、でもよく見ると決してそうではないのでした。
誰かを待っている時間というのはおそろしくゆっくりと流れます。どこのコーナーに行ってどんな本を見ようかとわくわくしていた気持ち、そして会えるのを楽しみにしていた気持ちが、自分の中で少しずつしぼんでいくのがわかりました。
夏にこうして誰かを待っていると、私は子供の頃の花火大会の日の夕方の、長い長い時間のことを思い出します。
中学校の制服をどうやって手に入れればよいのだろうと考えていた記憶があるので、きっとあれは小学校六年生の頃だったのだと思います。いつだったか、転校してきたクラスメイトのおうちに一度か二度お邪魔させてもらったことがあった気がしますが、それ以外では子供の頃に誰かとの交流を経験することはなかったように記憶しています。当時の私にとってそれは日常でした。
だから、今考えると、花火大会に誘われたということのほうがおかしなことではあったのです。
自分の掌を開いて見つめていると、しばらく忘れていたはずのあの日の出来事が鮮やかに蘇ってきました。
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その日はよく晴れていて、花火大会はまず中止にならないだろうと教室で誰かが話していました。お祭りの屋台で何を買うか、楽しそうに相談する声が聞こえました。私には関係のない話でした。
私は机のしみを数える作業に戻りました。それに集中していたので、教室の窓側で立ち話をしていたクラスメイトのうち一人が私の方にやってきて話しかけてくれたときは本当にびっくりしてその場で飛び上がりそうになったのを覚えています。最初は人違いをしているのではないかと思いました。待ち合わせ時間と場所はまだ決まっていないから、夕方に連絡網を見て電話するねと言われて、私は彼女の気が変わらないうちに思って急いで頷きました。
私は電話線が抜けていないか何度も確かめながら、誰もいない家の中で電話を待ちました。貯金箱を割ってみると、思っていたよりお金は入っていなくて、でも一番安い何かなら買うことができるかもしれないと考えました。
他の女の子たちは浴衣を着てくるのかもしれません。私は、一緒に並んでいて皆がなるべく恥ずかしくならないように、持っている中で一番ましだと思う服に着替えました。
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水色の空がオレンジ色になって、薄紫色に変わって、それから深い群青色に染まりました。電話の前で座り込む私の影が長くなって、それからだんだん見えなくなりました。
目をつぶると、目の前に深いあかがね色をしたびろうどの緞帳が現れました。私は幕が上がっていないステージの内側で片足立ちをして、始まるのを今か今かと緊張しながら待っている踊り子になっています。
まだ幕は上がりません。どんどん足が疲れてくるので、そうしたら反対側の足で片足立ちをします。それをずっと繰り返しながら、踊りのステップを忘れてしまわないよう頭の中でそらんじています。
何かを待っているとき、私はいつもこうして踊り子のことを想像しました。これは私が何度も繰り返して読んだお気に入りの本に入っていたおはなしの一つに由来するイメージです。このイメージを頭に浮かべていれば、不安な気持ちが少し紛れるような気がしたものです。
私はふたたび手触りのよさそうな緞帳を見つめました。何度も何度も交互に片足立ちをして、そのときが来るのをじっと待っています。
もう外はすっかり夜でした。
遠くで花火が上がりました。それからしばらくして、祭囃子の音が小さく聞こえてきました。
私は真っ暗な部屋でしずかにそれらに耳を傾けます。目を閉じて、わたあめのふわふわとした触感や、水の入ったカラフルなヨーヨーのひんやりとした温度や、りんごあめやいちごあめの甘さを想像しました。わたしの貯金箱に入っていたお金では、きっとどれも買うことはできなかったのだから、これでよかったのだと思いました。クラスメイトに気を遣わせるようなことにならなくて本当によかったのだと。
目の前で花火のにおいがするような気がしました。煙がしみるので私は目をしばたたかせました。お金を握っていた手はすっかり汗ばんでいて、手を開くと金属くさいにおいが立ち昇りました。
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誰かが呼ぶ声がしてはっと我に返ると、私はふたたび雑踏の中にいました。隣には恋人が立っていて、私に何か話しかけていました。
私は、花火大会のあの日からずっと今まで待っていたような気がしました。やっぱりちゃんと約束していたんだというほっとした気持ちと、待っている人が約束を守ってくれたうれしさと、待っていた時間の悲しさが胸の中でごちゃごちゃに混ざり合いました。
黙っている私に、待ち合わせまであと三十分もあるのに先に来ていたのでとても驚きましたと彼は言いました。そういわれて昨日の電話の内容を思い出してみると、待ち合わせ時間は十七時だったことに気が付きました。それでかばんのなかにいつも入れている小さなメモ帳を見てみると、十七時にT書店で待ち合わせ、と私の字で書かれていました。メモまで取ったのに待ち合わせを一時間早く間違えていたのです。一人で勘違いをして一人で悲しくなっていたことを恥ずかしく感じました。それにしても、一時間遅く間違えなくて本当に良かったと思いました。
そういえばK市の花火大会は今年も開催されるらしいですよと本屋さんのエスカレーターに乗っている時に恋人が教えてくれて、今年も行こうということになりました。
去年の花火大会は、前日まで一週間も雨が降り続いていました。花火大会当日も結局雨だったのだけどなぜか開催になって、傘をさしながら足元を泥だらけにして一緒に見たことを思い出しました。私にとってその日は花火大会に初めて行く日で、しかも隣には好きな人がいて、これは現実なのだろうかと何度も疑ったものでした。
私たちの距離は今のように近くはなくて、その頃はまだ手を繋いだことがありませんでした。
手が冷えていたのでエスカレーターの手すりがあたたかいなと思っていたら、一段下にいた恋人が隣にきて私の手を握ってくれました。
私は今とても幸せだと思います。こうして一緒に過ごしている間は何も余計なことを考えないでいられるのですが、一人になるといつも罪悪感をおぼえました。恋人に優しくされるたびに子供の頃の私と今の私とのコントラストが強くなっていくように感じられて、何だかとても悪いことをしているような気持ちになるのです。
子供の頃の私はきっとここではないどこか違う世界に行くか、別人に成り代わりたかったのだと思います。大人になった私は今こうして別人に成り代わって、別の世界にやって来たつもりでいました。でも結局のところ過去の自分と現在の自分は分かちがたく連続しているのだということが、今更になって漸くわかってきたような気がしました。
私は恋人の手を握り返しました。本当は横並びに乗ったらいけないとわかっているのですが、ずいぶん待ったのだからこのくらい良いだろうと勝手なことを思いました。
週明けに学校再開予定の某県の養護教諭です。新年度に向け、緊急対応や生活を送る上での注意点などのマニュアルを作成したり、保護者向けのお願い文書やメール連絡網の文面を考えたり、必要な衛生物品の在庫を整備したり、健診の日程や持ち方を検討したりしています。
もう限界です。
消毒液やそれを入れる霧吹き、液体石けん、ディスポーザブル手袋やマスク、すべての衛生物品が足りない。手に入らない。文科省からは「マスクがない場合は養護教諭や家庭科教員などが作れ」などという通知も出ています。何を考えているのですか。今回の対応のために、厚労省や文科省の出している通知を読みました。3月24日の大臣会見の内容も読みました。この状況下で、なぜ学校再開という決断に至ったのか気になったからです。「一斉臨時休業を始めたときよりも状況が改善しているわけではなく、むしろ感染者が増えている地域もある中で、なぜ学校を再開するのかというと、国民の皆様の感染拡大防止に関する意識が高まっているという認識があるからであります」と仰っていました。全身の力が抜けました。意識があっても、消毒薬や石鹸やマスクがないのです。どう感染予防をするのですか。意識があれば、確実にひとり1メートルなどという距離を取ることは到底困難な教室で授業をしても感染拡大しないのですか。小学校低学年は、正直、身の回りの清潔を保つこともままなっていないような子もいます。指しゃぶりや爪噛みをしたり、鼻を触ったり、床に寝そべったり、平気でします。ましてや新年度です。今日から小学生になりたての子供たちです。在校生も、1ヶ月以上休んだ後、久しぶりに学校に来ています。教員の指導や対応でどうにかなるレベルは越えています。
今わたしの頭の中にあるのは、万が一本校で感染拡大が起こった場合、たとえ十分なエビデンスが担保できていないような対応策であっても、報道やSNSで批判されないような「十分な対応を取りました」というポーズを取るための対応策を考えねば、ということと、もし自分が感染者となった場合、動向調査や報道で明らかになって批判されるような行動を絶対にしてはならないな、ということだけです。感染拡大防止は正直、無理です。いずれどこかの教育機関で起こります。起こらなかったとしたら、それはただの偶然です。
感染拡大が起こるなら、わたしの勤務地以外の場所であって欲しい。寧ろ政府が危機感を持ち、再度の一斉休校と、学童等の可能な限りの閉鎖の判断をしてくれるなら、早くどこかの学校で感染拡大が起こって欲しい、とすら思ってしまいます。心労からか毎日胃が痛く、寝ても覚めても辛いです。帰るころにはスーパーも閉まっており、外食なんてこの状況下でもってのほかですし、家事をする気力もないので、毎日カロリーメイトなどを食べて、痛みを紛らわせるためにお酒を飲んで寝ています。養護教諭ですから、このままでは体を壊してしまうなという自覚はあります。しかし、コロナウィルスに感染し、専門職としての信頼を失い、メディアで報道されるくらいなら、コロナの為に身を粉にして働き、結果体を壊した・命を失ったほうが人間として清いのではないかと思うのです。最近、自分が何か行動を起こすたびに「養護教諭から感染拡大 教育機関のずさんな感染予防体制」「感染者発生市で外食か 市内養護教諭コロナ陽性」「趣味は「バンド演奏」 養護教諭からコロナ感染拡大」など、ありもしないニュースの見出しが頭に浮かびます。
止まるのにどんだけ人の行き来がないんだろう。
とはいえ、油断禁物。
報告がないだけで、潜伏してる可能性は十分ある。
お客でいっぱいで、都内の友人と話してると温度差すごい感じた。
立ててたのに、こんなことになって無念。
無理して旅行するのも人に移したらと思うと、気がひけるし。
家にいても鬱々するだけなので、余計なこと考えないように
いろいろ計画を立てた。
たとえば
・開かずの物置の整理(断捨離)
・見て見ぬ振りしてた服のメンテナンス(繕ったり、ボタンつけたり)
・在宅の副業を探し中
・はじめてラクマ出品
・確定申告(e−tax早い!)
・いざという時のために「入院セット」を準備
・各種バックアップ
・緊急連絡先を財布にメモ
いつかしなきゃ、と思ってたけど、できなかったこと、
今だから、する。
わざと忙しくしておくことが大事。
本当は外で歩きたいけれども、外に出ても楽しめないのが分かるから
家の中で忙しく過ごす。
家の中で楽しむ方法は色々今紹介されてるし、各社
楽しむことだけじゃないと思う。
外に出て遊びたいのに、家の中で代替の遊びをしたって
不満感は残る。
外に出られるようになった時、何も気にせず遊びに行けるように
準備する時間だと思ってる。
今、他にすることがないとなると、サクサク進むねぇ。
この週末、気の置けない友人と呑んだ。
急な開催である。
馴染みの飲食店のユーモアを交えつつも悲痛な声に、少しでも助けになりたかったこと。
また突然の休校により子供が在宅するにあたり、妻とヘトヘトになりながら時間調整をしたことへの慰労をこめて開催のはこびとなった(なお妻は翌日に友人と飲みに行った)。
普段は友人とであってもこれらの話題は避けたほうが無難だが、つい出してしまった。
なぜ急に(子供は重症化の懸念が薄い)学校を急に休みにするのか。
効果はゼロではないにしても、共働きの親含め負の影響が大きすぎる。
調整もなしに突然発表するのもよろしくない、云々。
それに対し、友人は反対意見を述べた。
曰く、ここまで感染が広がるという事実は今わかったことである。感染初期に中国からの渡航制限など、経済に負の影響を与える策が打てたとは限らない。
曰く、他にも(今考えれば)打てる手はあったが、すべて結果論である。
曰く、過去の対応をどうこうしようもない中、今(例え科学的根拠が薄いとしても)何か出来ることをしなければ、後々の批判は必至である。
そして最後に言った。
"もし君が総理なら何をする?何か他に有効な手を打てるのかい?"
端々には反論点もあるが、おおよそぐうの音が出なかった。
なお本件では余談であるが、この友人も野党支持者であった。自分と立ち位置は同じ。
森友や桜を見る会、検事定年延長など政治の私物化問題と、今回のコロナ騒動の評価は分けて考えるべきなのだと。
さて、実はここまでが前置き。超長い。
上記のような話をしても友人とは喧嘩にもならず、お互いの考えを理解することができた。
1番心にひっかかった言葉が
"もし君が総理なら何をする?"
である。
結局よくある言葉で言えば"批判ばかりでなく対案を出せ"なのであるが、
週末、通勤とずっと考えていたので、案をまとめてみたので吐き出させて欲しい。
また急に"こんな案を考えたんだ"と友人にLINEしてもさすがに引かれる気がするので、ここで吐き出させてもらいたい。
評価はお任せする。馬鹿の考え休むに似たり、なのかもしれない。
さて本題。
前提として
A.感染はすでに蔓延期にある(どこに感染者がいるかわからない)
B.理想論でなく、短期で実行できる現実的な案でなくてはならない
とする。
"人と人との接触を出来る限り減らす"
である。
現時点で空気感染は報告されておらず、
患者は(若く体力があれば)自宅で療養すれば治るものなのであれば、
よって、今も提唱されている
・手洗い、うがい
・アルコール消毒
マスクは健康者、無症状者は使用しない(在庫切れ防止のため)。転売などがないよう、メルカリなどオンライン販売業者には強く要請する。
これも今と同じ。
今と違う点は以下の通り。
①鉄道事業者、バス事業者に対し、増便の検討を要請する。できれば24時間運行を検討してもらう。
→満員電車などの濃厚接触を防ぐには、1車両あたりの人数を減らす必要がある。
現政権でも時差出勤の要請しているが、効果はあまり出ていない。
理由は、朝ラッシュなど以外の時間の電車は本数が少ないため、少ない便に人が集中してしまい、結局満員電車になってしまうこと。
よって、時差出勤を要請するなら、電車等公共交通機関の増便もセットにする必要がある。
24時間営業を要請するのは後述する、オフィス勤務の三交代制を実現するため。
増便による経費増は国庫負担とする。営業係数を基に計算できるのではないか。
これにより、出勤する人の密度をできる限り下げる。
→現実問題として、会社を休業させることは難しい。どの業種をさせるかの線引き、また経済が冷え込まないか、など負の影響が大きいと考える。
よって
②-1 オンライン勤務が可能な会社は出来る限りそちらに移行してもらう。また、それに付随して携帯3大キャリアなど通信事業者に、公衆wifiの開放、スマホからのテザリング開放など、ネット環境を使えない人を出来る限り減らし環境を整備する。
②-2 オンライン勤務は無理だが、時差出勤が可能な会社は時差出勤してもらう。可能なら、上に書いたようにオフィスに夜間勤務も含めた三交代制などを導入し、同じ時間に同じオフィスにいる人を減らす。ただし前提として公共交通機関が夜間も動いている場合。
②-3 時間も、場所も動かせない会社は従来通り。ただし、風邪気味の人に出勤強要するような会社がないよう労働基準局の指導を徹底する。
などを実施する。
会社により対応の温度差はあるだろうが、出来る範囲での分散を促すことが必要と考える。
③学校や保育所などは休校しない、ただしクラスを分割するなど、1部屋あたりの人数を減らす。感染者が出たクラスは閉鎖するが、オンライン教材などの活用で勉強の遅れを出さないよう配慮する
→全国一斉休校にもメリットはあるが、社会に与える負の影響が大きすぎると考える。学校内の感染を減らすためにも、1クラスあたりの密度を出来る限り減らす(担任外にも授業をもってもらう、理科室など空き部屋活用)。
感染者が出た場合は現在の学級閉鎖に準じる。ただし、3月に学級閉鎖は授業遅れを引き起こしリカバリが難しいため、教育委員会単位でオンライン教育業者(ベネッセやスマイルタッチなど)と契約し、該当範囲をオンラインで勉強すれば授業を履修したものとする。できればスマホやタブレットにインストールするタイプが望ましい。idなどは学校の緊急連絡網を利用して配信。
塾なども授業の録画配信できれば配信をメインとする。実際そうやっている塾もある。配信不可の塾はそのまま実施するしかないが、
④在宅者(高齢者など)の通販の利用を推奨する。Amazonなどだけでなく、スーパーの食材配達のようなサービスの利用も推奨する。現在未対応の業者には、Uber eatsなどの利用を検討してもらう。
→生活必需品含め、買い物は通販を推奨(強制ではない)する。ジャパネットなども協力してもらえば高齢者にも届くのではないか。現在の通販業者の配達増が懸念されるが、在宅者メインということで再配達は増えない、と考える(要詳細詰め)。既存のスーパーなどの売り上げが減るが、短期は政府系金融機関のつなぎ融資、中期的にはUber eatsなども活用するなどしてオンライン販売にも対応を要請する。
⑤上記対応により顧客減、また救済されない業種が発生するが、緊急つなぎ融資相談窓口を設置する。
→上記では救えない業種は当然発生する。一律補償は財源の裏付け等難しいのではないか(今回の給食業者のように、被害が明確な場合は補償すべきとは思うが)。ただ、資金のショートは避けなくてはならない。震災時の対応をテンプレートとして対応できないか。
⑥病院等の混雑を下げるため、電話やネットによるオンライン診断、処方箋発行を認める
→現在心配されている問題の中に"病院が感染源になりうる"がある。とは言っても病院にかかるべき人は居るし、病院に行くなといっても心配の残る人は居る。そこで、電話やネットによるオンライン診断を(時限立法でもよいから)一時的に解禁し、郵送やオンラインプリントでの処方箋発行を行えるようにする。電話などで判断つかない場合は、その時点で初めて来院を要請する。街の病院で対応ができない場合は国により集中的なコールセンターを整備できないか。少し中期的な話ではあるが検討に値すると考える。
などがこの2日間でつらつら考えたこと。
仕事の三交代制などの案は、夜間バッチなど回してる会社の社内SEは顔真っ青だろうし、医療や教育関係者からすれば不可能なことを言ってるのかもしれない。
ただ、医療機関以外にも各自に出来ることはあるし、厚労省だけでなく、それぞれに対し監督官庁が指導力を発揮できるところもあるだろう。
何よりこの案を素案として各自の出来ること、出来ないことをブラッシュアップできるのではないか。そのための経団連や全国首長会ではないのか。
もちろん今頃官僚の人たちは色んな案を考えているだろうし、もっといい案を持っていると信じたい。
ただ、パフォーマンスのためのトップダウンで四苦八苦している今、
首相批判を"対案を出せ"というテンプレートで封殺している人々(友人は含みません、念のため)に対する"対案"として、
【追記とお礼】※また長くなってごめん
子供寝かしつけてから見たらホッテントリに(下位とはいえ)上がったことにびっくり。
まずは反応ありがとう。
トラバにブコメ、全部読ませてもらいました。特にトラバで1つ1つ反論なんかもらって感激!議論は大好きなんです。机上の…なのが問題なのですが。
さて、さすがに全件個別では無理っぽいですが、ご指摘に反応させて下さい。
・総理は案を出すんじゃない、首相の私案で進めるな、対策会議設して意見を募って調整しろ、意見対立に決断するのが仕事だ、軽い神輿に徹しろ
→ごもっともです。どうも現場よりの案しか思いつかないのが自分の限界かなと。実は仕事でも下を上手く使えと言われてるんで同じなんでしょうねぇ…。
ただ、今の総理の取り巻きでは不安が残ります。書かれているように、専門家会議作って謙虚に実行してくれればよいのですが。
・上がすべきは正確な情報提供じゃね?こないだの枝野の質問(各省庁の連携不足)は見た?野党案チェックしてるか?
→はいこれまたごもっとも。3.11の時枝野さんが寝ろ寝ろ言われながら定例会見を開いてた事は無駄ではなかったと思っています。民主党内閣すべての判断が妥当だったかは歴史の判断に委ねますが、今私が野党(立民)支持なのはそこに由来します。こないだの質問はよくできてましたね。短期間でも官房長官になってたからこその質問だったと思います。が、割とまともな質問はニュースにならないというジレンマ…。なお野党案はチェックしてます。議論もろくになしで否決で悲しくなりますが。
→うーん、どうでしょう。彼にも彼の持論があるんでしょう。私は相手を論破したい訳ではないので、自分に対案がないことの指摘はありがたかったです。ちなみに私が現首相がキライなのは国政の私物化、三権分立の軽視、答弁をまともにしない事、そして学校休校が直接自分の利害関係に関わったからでしょうね。コロナの件に関しては是々非々で見るべきだったのかもしれません。
余談ですが、この話のあと友人と"なぜ我々は意見が割れるのか"という分析に熱が入り終電を逃しましたwそれに付き合ってくれる希有な友人なので、好感しかありません。
→それはその場で友人とも話しました。が、総理の保身、という意味では割と合理的なんですよね。終息(休校が原因ではなくても)すりゃ手柄ですし、広がっても"やることはやったのに力及ばず"感が出ます。
もし2w後に感染者の増加が緩やかになれば(検査せず数をごまかしたとしても)彼ヒーローですよ。
・リソースどうするんだ、さらに現場が混乱するじゃないか、鉄道や学校などにしわ寄せが行ってるぞ、ぼくのかんがえた最強のコロナ対策、素人考え、お前も愚作
→これまたごもっとも。書けてはいませんが、引退した資格持ち活用、家庭に入った女性の復帰支援とか、現職には賃金割増とかで報いるしかないかな、と思ってました。リタイヤ組の再教育はすぐではないし、金でなんとかなる話じゃないですよねー。あ、でも電車の乗降分散でいうと高輪ゲートウェイは前倒しで開業はアリかも?(また細かい話)。そしてリソース的にキツイですよね、なんかあれもこれもと盛っちゃって破綻する悪い癖です。
ただwifiなんかは災害用の"00000japan"の開放はアリだと思ってはいます。
→ごもっともです。私も(製造工場の緊急対応で仕方なく)三交代の現場に入ったことありますが、心と体がみるみる弱っていきました。慣れない人にはツライですよね。目的(社員の分散)のために手段を間違ったと思います。
→読むのは好きですが書くのは無理ですwそもそもこれが褒め言葉なのか皮肉なのか分からない読解力では無理ですw
・ただ、最後に。今政府が出してる案って、基本中止や自粛→経済のシュリンクなんです。すべて自粛だけが道じゃないよね、逆に雇用や賃金増やす対策案もあっていいよね、ってのは今でも考えてます。電車なんかはそれベースの案でした。いい案とはいかなかったけど。
あと、今回の休校を"お前の案よりはマシだ!"と言うのは事実かもしれません。ただ、これによる不利益を被ってる人がいること、それに怒っている人がいるのも事実です。逆に影響ない人から見れば"大騒ぎしやがって"なのかもしれません。しかし、これで世論が分断されるのは悲しいです。子供のために休まざるを得ない人だって仕事と育児の両立で疲弊します。同時に子供のいない方も、上記の休んだ方のフォローで疲弊します。共に免疫力を下げてしまうでしょう。お互いを分かり合えない敵と思わず、共に戦うためにも、今回の休校は、もうちょっと水面下で調整しといてよ、という気持ちは拭いきれません。
1つ余談。
やったよ!xevraさんにコメントもらったよ!
ツイッターで幼少期に色々禁止されたら大人になってから反動がくる的な呟きを見かけて思い出した話。だらだらと書いたので文章汚いし長いけど、3連休の暇つぶしにでもどうぞ...
小学生(多分3年生か4年生の頃)の冬休み前に任天堂DSが発売された。折りたたみ式で画面が上下ふたつあって、下の画面をペンでタッチして遊ぶ。最初に某学年誌だかで写真を見たとき驚いたし、素直に欲しい!!と思った。私はそれまでゲーム機という物を持っていなかった。ゲームキューブもゲームボーイも触った事がなかった。持っていなくても友達と遊べたし、別段興味がなかった。
けれどDSが発売されたのはクリスマス前で、友達は次々とDSを手に入れていった。クリスマスプレゼントで、お正月に祖父母から、お年玉で、学年末テストで頑張ったから、進級祝いで......学年が上がった頃には大半の同級生がDSで遊んでいた。
私は持っていなかった。クリスマスもお正月も隙あらば両親にお願いした。けれど全部だめで、ならば貰ったお年玉で買おうとしたものの、両親にきつく叱られてお年玉ごと没収された。懸賞で当たれば文句は言われないだろうと考えて、いくつも応募したが見事に全部落ちた。(むしろ既に持っている友達が当選していた)
両親はファミコンが発売された当時、成人していた世代のはずでも、2人ともファミコンを触った事はなかったらしい。そもそもゲームに興味が全くなかった。むしろ否定的。
私が「みんな持ってる。持っていないと遊べない」と言っても、「みんなって誰?クラスの何人?」「ゲームばっかりしてるとバカになるよ」「ゲームしている子と遊ばなければいい」と跳ね返された。(後々、中学で同級生が携帯を持ちはじめ、部活の連絡手段がメールしかない状態になり携帯を持ちたいと言った時にも同じ様な事を言われた。「中学生のくせにメールで連絡網は生意気(以下略)」)
当時の私にはその言葉は絶望でしかなかったし、せまい小学生の世界で、ゲームをしている子と遊ぶなというのはひたすらひとりで過ごすようなものだった。今でこそ1人でも平気になったけど当時、いつも遊んでいた友達は遊ぶ時はみんなマイDSを持参して通信機能で対戦して遊んでいた。
私はその輪に入れなかった。画面を覗き込む事しかできなかった。覗き込んだ所で理解はできないし、友達にうっとおしがられるだけだった。
次第に放課後の遊びには誘われなくなった。持ってない奴と遊んでも楽しくないらしい。
学校ではどうぶつの森ごっこが流行った。(おままごとの動物版のような感じ)私はキャラクターを知らないから、嫌われているorかわいくない動物役だった。どんなキャラクターか知らないので、なりきる事ができず、何か発言する度にダメ出しをされる。休み時間一緒にいるのがしんどくて、ひとり教室で本を読むしかできなかった。
友達に「なんで私ちゃんはDS持ってないの?」と聞かれても「買ってもらえないし、なぜかゲーム禁止されてるから...」としか言えないし、普通に悲しかった。
中学校に入学する頃にはDSブームは若干おさまってって、据置型のwiiとwii sports の板が発売されていた。大半の友達の家にwii があったし、それは一緒に遊ぶ事ができた。嬉しかったしとても楽しかった。ただ、使い方に慣れていない自分は、やはり足手まといになってしまった。確か同じ頃にMiiが流行った。友人達はゲーム内で勝手に私のアバターを作って遊んでいた。そして「私ちゃん、〇〇(クラスの男子)と結婚したよ〜子ども産まれたよ〜」とわざわざ報告してくれた。友人はゲームを持っていなかった私に疑似体験させてくれたのか...?そこまでならギリギリ許す(心が狭いので本当は許したくない)けど、「○○と付き合ったら?」とリアルで言われて流石に引いた...
かと言って、この状況がいつまでも続く訳もなく、中学3年生になる頃には再びブームは落ち着いた。
高校に進学して今日までは、ゲームを知らなくても何とかやっていくことができている。が、例え話でゲームの事を出されるとやっぱり分からない。(ポケモンのどれそれが何それ〜とか)そこでプレイした事がないのでその例えは分からない旨を伝えるとすごく意外な顔をされる。相手に悪気は一切ないし、国民的なゲーム(?)なのでまさかといった感じなのだろう。むしろこっちが申し訳なく感じる。(私の周囲には例え話にゲームの事を出す人が一定数いるので、他の方がどうかは分からない)一応自分でも調べるけど、付け焼き刃すぎてどうしようもない。まぁそれでなんとかなってきてるので多分今後もこんな感じだと思う。
ここまで書いてきて、そういえばたまごっちがリニューアル発売してブームになった時も手に入れられなかった事を思い出した。ちょうどDSと同時期だったような気がする...。1人で3台も持ってる友人がとても羨ましかった。ここでも完全に蚊帳の外だった。思い出したらまた悲しくなってきた...
別に今更、両親の教育方針にケチをつけるつもりはないし、当時より多少は自由に生きてるけど、件のツイートを見かけてふと思い出したので書いて残したかった。
反動というか、今はスマホのアプリゲームを慣れないながらもいくつかポチポチしてる。キャラクターやストーリーがそれぞれ素敵なのでのんびり続けてる。育成したりするのはすっごく苦手だけど楽しい。ゲーム楽しいね。もっと早く知りたかった。
ここからが本題だが、文芸部の人が今どうしているのか気になる。
高校卒業後10年ぐらいたつが、色々わけあって卒業後高校時代の同級生とは一切連絡を取っていない。
携帯番号とかメールアドレス、SNSのアカウントも一切わからない。
そのため文芸部の人と連絡を取るためには実家に電話をするしかないが、不審電話扱いされて切られるのがオチだろう。
仮に連絡先を教えてもらって電話をしても、宗教の勧誘か選挙のお願い扱いされて相手にされないのは火を見るよりも明らかだ。
そもそも10年間連絡を絶ってきた人がいきなり電話するというシチュエーション自体胡散臭い。
それに文芸部の人と休日遊びに行くということもなかった。休日1日10時間ぐらい勉強しないと授業に追いつけない高校だったので遊ぶ暇すらなかった。
文芸部の中でも孤立していたし、携帯電話を持っていなかったので(今も持っていない)メールのやりとりをするということもなかった。
IQが人よりも高い子は、検査される以前から幼少時に自分が人とは違うんだという事に気付いている
幼少で教えてもらった将棋で、大人すら相手にならない強さにすぐに到達する
好きなアニメのテーマソングはテレビ画面単位でテロップを覚える事で一発で暗記出来る
クラスの連絡網は貰ったその日のうちに電話番号を短時間に暗記している
教科書程度なら暗記している
それぞれが、普通の子には出来ない事だという事を理解して、自分が異常なんだという事に気づいてる
スポーツをやらせても、運動神経は並でも、何をすればいいかを把握するから上達が早い
結構、出来ない事、分からない事がない子供時代って寂しいもんだよ
某所で連れ去りの話について、その後どうなったのかが分からずモヤモヤすると言うコメントを見かけたんで、私が見た事例について語ってみる。
もう10年程前の話で、連れ去りではなく、正確に言えば声かけ事案になった話。
ショッピングモール程は大きくなく、建物は数件あるイオンでのお話し。
平日の日中のこと、引っ越して数日だったのでまだ町に慣れてなかったので、イオンをぶらぶらしてた。
映画を見てちょっと買い物をしようと道路を渡る歩道橋の上でそれを見かけた。
歩道橋は普段からあまり使用者がおらず、使われているのは主に横断歩道なのだが、イオンのそれぞれの建物の2階を繋げている。
それぞれの建物の2階は、駐車場、ゲームセンター、それと買い物できる建物の用品店などが主で、広くて屋根がある。
だからか、連れてこられた子どもがつまらなくなって遊んだりしているのをよく見かけていた。
その日は平日で、引っ越したばかりだったので、買い物をよくすることになるであろうイオンをぶらぶらしてた。
ゲームセンターの様子を見てから、ついでに本屋に寄ろうと買い物できる建物の方へ行く為に直接渡れる歩道橋に出るドアを開けた。
反対側の広くなっている部分で、幼稚園程の女の子一人がしゃがんでいた。遠目にはしゃがんでいる所しか分かってなかった。
ぶらぶら歩道橋の上からもう少しは食べ物屋さんとかないかなーと通りを眺めながらゆっくり歩いていると、対話が聞こえてきた。
「そうか、そうか、じゃ僕と一緒にいこうか」
「ヤッ!」
「一緒に来たら、ケーキを食べさせてあげよう」
「ヤッ!」
え、と思って、あらためてその二人を見ると、女の子は体育座りの腰を上げたような状態で丸くなっていた。
顔はよく見えなかったけど、丸めた膝に押しつけるようにして隠してた。
男性の方はフリースを着たいわゆる休日のパパ風味の格好で、のぞきこむように屈んで話しかけていた。
正直、判断はつかなかった。
父親かもしれない(そういう会話をしている家庭なのかもしれない)。
親戚の人かもしれない。
近所の知り合いの人なのかもしれない。
そもそも父親で喧嘩中なのかも、イヤイヤ期ってきいたことある。
色々と浮かんだが、どうしたものかわからず心臓がバックンバックン鳴っているのが分かった。
まだ近づききっておらず、男性は夢中になっているのかこっちに気がついてない様子だった。
「あのう……」と声が出てしまい、一瞬びっくりした。
男性はばっと顔を上げて、目に見えてうろたえていたのが分かった。
ただ、それでも確証がなく、どうしたものか、と混乱しながら「道を聞きたいんですけど」と続けた。
こっちはうろ覚えなので、どんな会話をしたか正確には覚えてない。
なんとなくこんな感じだった。
「あ、は、はい」
「いや引っ越したばかりで、よく分からなくて、お店なんですけどね、えーっとなんて言ったかな、いやー最近物忘れをするがあって」
という感じで、世間話にしようと、一方的にべらべらしゃべったのは覚えている。
すると、女の子がパッと飛んで(本当に飛んだみたいだった)ダーッと建物の方へ駆けだしていった。
男性はそっちを見た後、こちらを凄い目で一瞬睨んで、「今忙しいんで」と吐き捨てた後、私が来た方へ足早に去っていった。
えって言う間もなかったし、もう心臓が凄いことになっていたから、追いかける気は起きなかった。って言うかそういう発想がなかった。。
っていうか、こういう時どうしたらいいんだ? とか思って呆然として、子ども戻ってきたら話聞いた方がいいのか? とキョロキョロしていた。
多分、5分ぐらいぼうっとしてたんだと思う。
その間誰も通らなかったんだけど、何かした方がいいんだと考え続けて、あ、警察とようやく浮かんだ。
ただ、電話ではなく、交番がイオンの一番はずれにあると、思ったので、そっちへ行った。
幸いというか一人警察官がいて、しかしどうしたらいいんだか分からないんで、とにかく事情をはなしてみた。
その時の会話は大体こんな感じだったと思う。
「すいません」
「はい、なんでしょうか」
「そこの歩道橋で女の子に声を掛けていた男性をみかけたんですが、どうしたらいいんでしょうか」
「え、その人はまだいますか?」
「いえ立ち去った後で、女の子もイオンの中に入って、そのまま戻ってこなかったので」
「あ、はい」
「さっき?」
「はい」
「その男性は今どこにとかは?」
「あ、立ち去った後ちょっとぼうっとしてしまったので、そこまで見てませんでした。ゲームセンターの方へ歩いたのは分かるんですが中に入ったのか降りたのかまでは……」
で、その後警察官が男性の服装や容貌を聞いて、無線で連絡、さらに詳しいお話しをという事で中に入れてもらい、少し待って下さいと言われて、ぼんやりとパイプ椅子に座ってた。
多分見廻りの人に連絡したんだと思う。
その連絡をした後、調書(なのかな?)を取り出し、「あらためて詳しいお話しをお聞かせください」と言われて、話をした。
で、「ご協力ありがとうございました、後はお任せ下さい」と言われた。
「えーっと、こう言うのってこれで終わりなんですか?」
「はい。もしかしたら、あらためてお伺いする場合もありますが」
「うーん、何とも言えないですね。お話しだけだと、それだけで何かできるかどうかと言うのは判断できませんので」
「ええ、でもちゃんと関係者には注意喚起をしますし、警邏中の者も気をつけますから」
「そうか-、なにもできなかったんですかねー」
「いえいえ、十分なご協力ですよ」
で、まぁ、こんなやりとりがあって、私個人は終わり。
その後、町内会の連絡網の中にこの話が載っているのに、数日して気がついたぐらい。
その後どうなったりしたのかは分からずじまいで、また別の町へと引っ越した。
こういうのは捕まったりしない限りは決着はないんだろうなぁ。
そして大抵の場合は犯罪要件を満たさないので(連れ去りなどの行為があれば別だろうし、被害者ならもっと話は別だろうが)、通報者程度だとこの程度。
なろう版(同一内容):https://ncode.syosetu.com/n0012dq/
「おはよう」
水曜日の朝、母さんはいつものように、リビングでコーヒーを飲んでいた。
「もう朝ごはん食べる?」
「うん」
母さんはお皿にフレンチトーストを2枚載せて、テーブルに持ってきてくれた。
「あのさ」
「ん?」
「やっぱり、ただの夢だったみたいだ」
「夢って、上履き隠しの?」
「うん。昨日、犯人がわかったんだ」
「そう、良かったわね」
今にして思えば、狐につままれたような気分だ。
俺は家を出て、学校へ向かった。
いつもより少し早く着いたけど、こんな時間でも、校庭では縄跳びをして遊んでいる奴が何人かいる。
東校舎の玄関の下駄箱は、男女別にあいうえお順に並べられている。こんな早くから教室にきている奴も結構いるんだと、収まっている運動靴の多さでわかる。
俺はプーマの運動靴を脱いで、下駄箱にいつも通り収まっている上履きに履き替えた。
ぼーっとしている奴もいれば、最近おはスタで放送が始まった『デュエル・マスターズ』の話をしている奴もいる。
タカヒロはまだ来ていないみたいだった。
「あ、ケン君」
ユカだ。
「あ、もう知ってたんだ。良かった。でも、大変だったね」
すごく大変だった。
「アヤちゃんに謝ってもらわなくていいの?」
「いや、もういいよ。早く忘れたい」
俺は本心でそう言ったけど、ユカは怒っているようだ。
その時、
「おはよー」
その声を聞いて、ユカが叫ぶ。
「アヤちゃん! こっち来て!」
良いって言ってるのに。
「なに?」
「『なに?』じゃないじゃん。 アヤちゃんのせいでケン君がどれだけ……」
「ごめん」
アヤネが呟いたから振り向くと、やはりいつものように、まっすぐ俺の目を見ていた。
「もう、良いよ。名乗り出てくれて助かったよ」
あれはそれなりに勇気が要っただろうと俺は思っていた。あの時アヤネがああやって叫んでくれなかったら、俺は今でも自分を責めていたかもしれないし、クラス中から変態だと思われていたかもしれないんだ。
「良かったね、ケン君優しくて」
タッタッタッ
「はぁ、はぁ、はぁ」
タカヒロだ。
「ケンジ、僕さ」
「よお」
「悪かった。昨日、あんな言い方して」
「ああ、あれはもう」
「違うんだ。僕は、本気でケンジが変態だと思ってたんじゃなくて……」
当たり前だろ。なに言ってるんだ。
「でも、誰もお前のこと疑ってなかっただろ」
「それがさ……」
そう言ってタカヒロは、アヤネに目を遣る。
「アヤネ、あの時、密告用紙になんて書いた?」
『密告用紙』……? なんのことだろう。
それを聞いたアヤネは一瞬驚いたようにした後、「耳貸して」と呟いて、タカヒロの耳元で囁いた。
タカヒロが同じようにして囁き返す。
アヤネはタカヒロの右手を彼女の左手で取って、彼の掌に人差し指で字を書いているようだった。
「あぁ、やっぱり」
「昨日、親に連絡網見せてもらって、ヒロミの漢字確認してさ、『もしかしてこれか』って……やっぱりそうだった」
「ケンジ、あのさ、僕の名前の『弘』って言う字、『弓』にカタカナの『ム』なんだけどさ、あれヒロミの『ヒロ』と同じなんだ」
混乱する俺の耳元に、アヤネが筒を作るようにして両手を置いて、筒の反対側から俺の耳に声を吹き込んだ。
「おとといケンジ君が休んでた時、先生が密告用紙配ったの。それで、私がその、ヒロミの名前を書いちゃったから、その『弘』の字をタカヒロ君が見ちゃったんだって」
「お前、そんなことであんなに慌ててたのかよ。マジダッセーな」
「け、ケンジだって、あんなに取り乱して、お前自分がやったと思い込んでただろ」
言われてみれば、お互い様だった。
放課後、俺はいつも通り、タカヒロと一緒に駅の側道を歩いた。じつに8日ぶりの『いつも通り』だった。
『こちらは世田谷区役所です。光化学スモッグについてお知らせします。ただいま光化学スモッグ注意報が発令されました。外出や屋外での運動、お急ぎでない方の自転車の運転は———』
その瞬間、頭の中でなにかが弾けた。先週の水曜日、9月8日も、俺はこの放送を聞いていたんだ。あの日は注意報が出ていたから、誰も外でドッジボールなんてやってなかった。遊びたい奴は体育館に行ったけど、俺は気分が乗らなくて、こいつと教室に残ってぼけっとしてたんだった。俺は下駄箱にも行っていないし、水槽にも、校庭にも行かなかったんだ。
「……よし、やろう。久しぶりに!」
「ピアノは?」
「光化学スモッグ注意報出てたら、休みなさいってどうせ言うからさ、うちの親。外で運動するわけじゃないのにね」
「は? エディットキャラありでやろうぜ」
「んー、じゃあ両方やろうぜ。合計勝ち数で勝負な」
「なんでもいいよ、僕が勝つから」
「うっざ。絶対後悔させてやる」
(完)
「先生、遠藤さんの上履きがありません!」は、第9話「ケンジ」をもって完結といたします。