はてなキーワード: 漠然とは
週末はひどく精神の調子が悪く、死にたい気持ちとずっと闘っていた。当たり前に寝つきも悪く、泣きながらどうにか3時間だけ寝て出勤したら、職場の人が死んだと朝礼で聞かされた。この週末に自殺したそうだ。
なんでだ。
という気持ちが最初に来た。私は二日間ずっと死なないように頑張っていたのに、と思った。それがすぐ頓珍漢な嫉妬だと気がついてやめた。私はやり遂げられない人間だけれども、その人はやり遂げられる人間で、やり遂げたのだ。
どうして?
が次に来た。次にどうやって? も来た。来たものの、それを解決する答えはどこにもない。聞けなかったし教えてもらえなかった。当たり前か。
その人は同じフロアで働いていたけれども、部署は違うし、いくつか先輩だし、なんなら異性なので、あまり関わりは無い。無かった。お互いの部署に書類を持っていく時に、二言三言言葉を交わすくらい。あとは、私がこの後ライブ行くんです!と宣言して退勤した時に「これからライブなの?楽しんでね」と声をかけてくれるとか、それくらいのものだ。
それくらいのもので、それ以上でも以下でも無いのに、なんだか漠然と、ぼんやりと、してしまう。仕事中もふとした瞬間、あの人自殺したんだ、なんで?と繰り返し思った。家に帰ってからも思っている。
なんで?どうして?どうやって?
何故?
何故?
ずっと混乱しているのかもしれない。
突発的か計画的か、定かでは無いけれど、私は計画的なものでは無いかと思う。隣の部署の仕事が、先週落ち着いたところだからだ。ここしか無いくらい、ちょうどのタイミングで。だから。
でも
私の知るその人は穏やかだった。喋り方もゆっくりで、年上の男性から発せられる威圧感はまるでなくて、それをフロアのみんなに好まれていた。困った時にはへへへと笑っていた。のほほんとした雰囲気を纏っていて、だからそれが、その人が自ら死を選んで、それを成し遂げたということに頭がついていかない。
何故?どうして?なにがあったんだろう?
私にできることは、まあ正直無かっただろうけれど。コロナが収まってライブが開催されても、その人がのんびり笑って「楽しんでね」と声をかけてくれることももう無い。
どうして?
追記:
そうか、この書き方だと職場が激務で精神を病んだみたいになるのか……新年度だからまあ忙しいっちゃ忙しいけど、残業多くても30時間もないくらい
だから余計 どうして? が深まるし、考えても絶対わかることはないし、考えたってその人が帰ってきたりもしないんだけど
私が病んでるのはただのメンヘラ
生まれて2万日目を迎えた。覚えていたわけではないが、Googleカレンダーのリマインダで気づいた。節目なので、いったん今までの人生を振り返ってみる。1965年生まれのおっさんである。
こんなところである。
https://anond.hatelabo.jp/20200620144901
漏精の怒張は陰茎巨大、珍宝の末年、若くして根を虎棒に連ね、ついで自慰に補せられたが、性、豪快、自ら慰むところ頗る多く、我慢汁に甘んじるを潔しとしなかった。いくばくもなく陰茎を扱いた後は、故山、珍湖に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら自慰に耽った。下吏となって長い男根を俗悪な粗陰茎の前に屈するよりは、巨根家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、性名は容易に揚らず、陰茎は日を逐うて小さくなる。怒張は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその肉棒も峭刻となり、肉落ち亀頭秀で、睾丸のみ徒らに丸々として、曾て壮絶に勃起した頃の最強の逸物の俤は、何処に求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、陰茎の衣食のために遂に竿を屈して、再び東へ赴き、一地方根吏の男根をせんずることになった。一方、これは、己の陰茎に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か巨大に勃起し、彼が昔、粗根として歯牙にもかけなかったその連中の陰茎を拝さねばならぬことが、往年の性豪怒張の海綿体を如何に傷つけたかは、想像に硬くない。陰茎は萎々として勃たず、異常の性癖は愈々抑え難くなった。一年の後、公用で旅に出、精水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に竿色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま巨根をとび出させて、闇の中へ出した。彼は二度と戻って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後怒張がどうなったかを知る者は、誰もなかった。
翌年、珍擦御史、陳々郡の鎮沈という者、男根を奉じて嶺姦に使し、途に精汚の地に宿った。次の朝未だ暗い中に射精しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に巨大陰茎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでしょうと。鎮沈は、しかし、供廻りの巨根なのを恃み、駅吏の言葉を斥けて、出発した。淫月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一本の猛竿が叢の中から躍り出た。男根は、あわや鎮沈に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に鎮沈は聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたって、肉棒を取り出した。「その陰茎は、我が友、怒張子ではないか?」鎮沈は怒張と同年に巨根の第に登り、精液の少かった怒張にとっては、最も親しい竿友であった。温和な鎮沈の陰茎が、峻峭な怒張の男根と衝突しなかったためであろう。
叢の中からは、暫く返事が無かった。喘ぎ声かと思われる微かな音が時々漏れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は漏精の怒張である」と。鎮沈は自慰を忘れ、馬並みから降りて叢に近づき、懐かしげに久闊を叙した。そして、なぜ叢から出てこないのかと問うた。怒張の声が答えて言う。自分は今や下半身のみとなっている。どうして、おめおめと竿友の前にわびしい姿をさらせようか。かつ股、自分が姿を現せば、必ず君に侮蔑嫌悪の情を勃させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも竿友に遇うことを得て、亀頭の念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が短小な今の外径を厭わず、曾て君の竿友怒張であったこの自分と竿を交してくれないだろうか。後で考えれば不思議だったが、その時、鎮沈は、この超自然の怪異を、実に素直に受容れて、少しも怪もうとしなかった。彼は馬並みに命じて行列の珍行を停め、自分は叢の傍に勃って、萎えざる声と対談した。都の巨根、巨友の消息、鎮沈が現在の鎮、それに対する怒張の祝鎮。精年時代に親しかったもの同志の、あの中折れのない語調で、それ等が語られた後、鎮沈は、怒張がどうして今の絶頂となるに至ったかを訊ねた。自慰中の声は次のように語った。今から一年程前、自分が旅に出て精水のほとばしりに宿った夜のこと、一回してから、ふと眼を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出してみると、声は闇の中から擦りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて先走りを出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は中心の手で地を掴んで這っていた。何か身体中に力が充ち満ちたような感じで、軽々と岩石を飛び越えて行った。気が付くと、手先や肘の辺りに陰毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に陰茎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは淫夢に違いないと考えた。淫夢の中で、これは淫夢だぞと知っているような淫夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても淫夢でないと悟らねばならなかった時、自分は射精した。そうして萎えた。全く、どんな物でも勃り得るのだと思うて、深く萎えた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も折れ折れには分からぬ。理由も分らずに押付けられたものを大きくして、理由も分からずに勃てて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直ぐに扱きを想うた。しごき、その時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分自身は兎の愛液に塗れ、辺りには兎の毛が散らばっていた。これが陰茎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな野合をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、淫語も操れれば、複雑な性行にも堪え得るし、性書の章句を誦んずることも出来る。その人間の心で、陰茎としての己の淫虐な行のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も精無く、嫌らしく、逝きどおろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短小になって行く。今までは、どうして陰茎などになったかと怪しんでいたのに、この間ぴゅっと気が付いてみたら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これはいやらしいことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、陰茎としての青姦の中にすっかり埋れて消えて了うだろう。ちょうど、古い男の陰茎が次第に穴に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一本の陰茎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても竿友と認めることなく、君を掘り喰ろうて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れてしまい、初めから今の形の棒だったと思い込んでいるのではないか?いや、そんなことはどうでもいい。己の中の人間の精がすっかり出てしまえば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なくいやらしく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、いやらしく、硬く、切なく思っているだろう!己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ珍長になった者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了うまえに、一つ頼んで置きたいことがある。鎮沈はじめ一物は、息をのんで、自慰中の声の語る不思議に聞入っていた。声は続けて言う。他でもない。自分は元来巨根として名を成す積りでいた。しかも、業未だ抜かざるに、この運命に勃ち至った。曾て作るところの男根数百本、硬より、まだ世に行われておらぬ。逝こうの所在も悶々早判らなくなっていよう。ところで、その中、今もなお射精せるものが数十ある。これを我が為に伝録して戴きたいのだ。何も、これによって一人前の巨根人面をしたいのではない。棒の大小は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも睾丸に伝えないでは、ちんでもちにきれないのだ。鎮沈は股下に命じ、筆を執って自慰中の声に随って掻き取らせた。怒張の声は叢の中から淫々と響いた。長短凡そ三十本、豪快高雅、淫汁逸物、一見して搾精の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、鎮沈は吐精しながらも漠然と次のように感じていた。成程、搾精の素質が第一流に俗するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於いて)萎えるところがあるのではないか、と。精液を吐き終った怒張の声は、突然調子を変え、自らを慰めるか如くに言った。羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己の珍集が超淫蕩流精子の机の上に置かれている様を、淫夢に見ることがあるのだ。蒟蒻の中に横たわって見る夢にだよ。嗤ってくれ。巨根家になりそこなって陰茎になった哀れな男を。(鎮沈は昔の精年怒張の自慰癖を思い出しながら、哀しこしこ聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐を即席の陰茎に伸べてみようか。この陰茎の中に、まだ、曾ての怒張が生きているしるしに。鎮沈は又股下に命じてこれを掻き取らせた。その棒に言う。
偶因萎疾成殊類 精根相仍不可逃
此夕淫山対性月 不成長大但成姦
時に、淫月、光冷やかに、白濁は地に滋く、珍間を渡る冷風は已に暁の近きを告げていた。
今朝夢を見た。父が訳のわからない理由でキレているのに私もキレて言い返す夢だった。言い返すとなぜか包丁を取り出して自殺しそうになったので難儀した。(夢だけど)
この間父が出てきた夢でも、父は怒っていて、それに私も強い言葉で言い返していた。こう言う夢を他にも見た気がする。
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子どもの頃の父はよく不機嫌になっていて、暴力とかはなかったが、母に怒鳴っていた時が多かった。(母は母で言い返していたけど)
だから父のことは恐れていて、基本的に父の言うことには逆らわなかった。別に父が極端に高圧的であったとは思わないけど、父が家に帰ったらテレビは譲ったし、父がこうして欲しいと言ったことには従った。不機嫌にさせないように振る舞うのが普通だったんだと思う。
大学に入って、上京して一人暮らしを始めた。上京する前に、家族3人で東京に引っ越したいと、定年退職した父が言って、引っ越す気のない母と揉めた。私は引っ越してもいいが同じ建物にいても干渉しないで欲しいと言った。1人で暮らす練習だからと主張した。そして母にだけ、こんなつまらないことで揉めるなら地元の大学に行くと言った。どこから泣いていたかは分からないが、とにかく泣いて訴えた。いつの間にか家族で引っ越す話は消えていた。
一人暮らしで仕送りはたくさんもらえて、平穏な大学生活を送った。父はたまに東京に来て食事に誘ってきた。断る勇気はないので行った。説教じみたことを言われるたびに反発心が沸き、家に帰っては号泣していた。
私は漠然と大学院に行きたかった。文学の研究がしたかった。けれども決して真面目な学生ではなかった。
いつ言われたのかは覚えていないが、どうしてもやりたいことでないのなら、特に文系で、大学院に行く意味はないと父に言われた。もしかしたら母に聞いたのかもしれない。前述の通り不真面目な学生だったから、そこで緩やかに反対する父を押し除けてまで大学院に行こうとする気持ちはなくなった。
いつか覚えていないが、夢を見た。父は機嫌が悪く怒鳴っていた。私がここで父が刃物を持ち出したら怖いなと考えると、父は包丁を振り回して私に向かってきた。目が覚めた。別にそう言う人ではないのに、と父に対する申し訳なさが勝った。
大学院に行かない私は適当に就活をして、適当に就職先を決めた。それはそれで大変だったが、両親とは関係ない。就職先が決まって、少しすっきりした。これでもう父の扶養下で暮らさなくてもいいのだと思った。少しずつ父との関係も改善してきた。
なぜその話になったのか覚えていないが、年明けに父と2人でいたら、目的もなくただモラトリアム延長のために大学院に行くのは無駄だから労働すべきと言う話になった。不真面目な学生であるところの私の周りには、同じく不真面目な学生が集い、社会に出たくないので、と言って大学院に行く人もいた。私もそうなりたかった。痛いところを突かれたのだと思う。とにかくなんとしてもその考え方を変えさせたくて、何かと言い返したが、多目的トイレをトイレ以外で使ってもいいじゃんみたいな論理なので、譲歩はさせても変えることまではいかなかった。
悔しくて泣いていた。なんでもいいから父を怯ませたかった。だから、父が働いていたころよく不機嫌になっていたことと私が傷付いたことを持ち出して、労働は悪だと訴えた。父は私を傷つけていたことを謝罪した。正直自分が何を言ったかあまり覚えていないが、こんなめちゃくちゃな状態で人に何かを言うのは、過去の父と同じだと思っていた。家に帰ってLINEで謝罪した。
過去の不満をぶちまけてしまったことを後悔した。父は私のことを大事にしていたから、何も言わないという不信を見せることの方が、怒りをぶつけることよりずっと大事だと思っていた。それに一度言ってしまえば、同じことで何度も責め立てることはできない。だからこの話は切り札だった。一時の感情で切り札を切ってしまったことを後悔した。
そのあと、このコロナ騒ぎで父も含め誰とも会わなくなった。4月からは社会人となったが、リモートワークが続いて、けれども給与はもらえている。家賃も食費も全て自分が働いて得たお金になった。
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毒親のもとに生まれた男性がそれなりの年になって、久々に老いた親を見たらその小ささに驚き、もう親を力でねじ伏せることができることに気づいた、というエッセイか何かを読んだことがある。
それと同じで、私が夢で言い返すのも、父親など恐るるに足らずと思えるようになったということなのだろうと思う。そうであるならあの日不満をぶつけたのは悪くない選択だったのかもしれない。怒りで言い返す関係は真っ当ではないかもしれないが、怯えて刺されるよりはずいぶん良くなったと、思っている。
親不孝、ね
親不孝の反対は親孝行、どちらにしても親に対して何を行なっているのか、何を行なっていないのか、ということになる。
そこで出てくるのがこの『孝』という字なのだが、まぁ「父母に仕えること」「両親を敬い、子としての道を尽くすこと」という意味である。
逆にここから親という言葉を調べて、血の繋がりだけではないよ。というのも簡単だけど
増田がちゃんと元増田を読み込んでないように、元増田は実親と絶縁関係にある。
これは、親と子の関係は断たれた、と言ってもいいだろう。
むしろ元増田はしっかりと元親に対して礼儀を尽くしたと言える。
曰く、上京して一人暮らしするまではちゃんと親子関係であったこと
増田はどう思うか
自分達が腹を痛めた子が自分を認識することすら無く未来を生きるのを、語り継がれぬまま生きたのを。
それでも、自分達は子に恨まれるような災難を呼び寄せて、それでも親でしたと胸を張って言えるのだろうか。
ただ、産んで一緒にいただけの人間ではなかろうか。
それよりももっとひどい行為をして、まだ孝を求めるのは強欲とも傲慢とも無知とも言えない。
忠孝一体を求められようが、そんなもの守ってすらない実親に対して、元増田は律儀に形式でもって実親というものを語ってくださった。
これは恩返しだろうよ。
子をまともに育てることもできない情けのない親を一人暮らし出来る歳までしっかりと縁を繋いでいたのは立派な親と子の恩だ。
そんな実親を否定はしても存在を消さない元増田は良き子だった。
そしてその縁は断たれた。
いや、いる。
彼らが守ってくれた世界がある。
彼らが無理して繋いだ未来がある。
届いた未来で見た新たな光がある。
これは、これこそが親なのではないか。
ただ産むだけ、ただ漠然と育てるだけではない。
何か苦しさや悲しさがあろうものならそばに寄って立ってやり、支えてその道を歩く助けをする。
困難を知った子の心の支えになる
罪悪を知った子の心の枷を解く
その身命を賭して支えた人間がちゃんと独り立ちするまで見守ってやる
そこには趣味趣向、いやもっと深い情、愛情や好意があるだろう。
そして、叔父も同じようにその愛情や好意を以って育ててくれたことに感謝もするだろう。
だが、私が思ったのはこの元増田が感じた罪悪感や恩を返そうという気持ちがある部分だ。
誰に育てられたか。
叔父だ。
私は勝手に彼こそが真の親であると言いたげに語ったがまた増田でも書いてある通り叔父孝行だ。
だが、親という言葉の意味や漢字の成り立ちにもある通り、産んだものだけが親なのではない。
子を養い育てたものも親と呼べる。
漢字の成り立ちに書いてあるが、木の上に立って子を見守るから親、というのは誤りである。
ナイフで身を切るかのように身近に接して見守るような存在、直に刺激を受けるような非常に身近な存在のことだ。
遠くにはいない、近くでその感情を共有して過ごし、その痛みも同じように感じるからこそ親なのだ。
ここまで長々と書いたが、立派に育って絶縁した時点で実親への孝行は終わっているし、叔父の子を守りたいと思った時点で育ててくれた叔父への孝行はまだ続くんだ。
親への感謝?
ああ勿論しているだろう
一番近くで自分の時間を削ってまで育ててくれた叔父への感謝で溢れているじゃないか。
そんなに近くにいたのだから、彼こそが親なんだよ。
俺は今回の件で炎上する20年前くらいに、バイトで某社の清掃員をやろうと思っていた。自宅から遠かったんでやめたんだが、今回の炎上で「やめといて正解だったな」って思っている。当時は上手く言葉にできなかったが、ああいうトラブルが起きるのは時間の問題だったろうな。
ただ現在、様々な場所で交わされている議論は正直とっちらかっているとも思う。本件で問題にすべき、解決すべきことから離れていっているように感じた。声がでかいだけで無関係の人間や、自称関係者のそれっぽい意見に世間が惑わされているんだと思う。なので本エントリでは、某社で一ヶ月ほど働いたことない俺が事実関係をまとめて、本件に関する様々な是非について語ってみようと思う。
これを読む人は既に知っている人が大半だと思うけど、知らない人向けに一応ざっくりと説明する。
発端は、ここ匿名ダイアリーで投稿された告発記事(現在は削除されているっぽいけど、読もうと思えば魚拓で閲覧可能)。その内容は、元社員を名乗る男性が「ブラック企業でよくあるようなトラブルが、自分の働いていた会社でも起きている」というもの。企業名こそ明記されていなかったが、分かる人には分かるくらいのニュアンスで書かれていて、最初についていたコメントを見る限りでも既にあたりをつけている人はいたっぽい。
で、この件がここまで騒ぎになったのは某社が有名企業だからなのは勿論だけど、あの怪文書がかなり主観まみれな内容だったのが理由だと思う。実際に問題にすべき点、個人的な事情からくる主張、上司や同僚への愚痴などが区別できていない。だから「誰が、何に対して、どの程度の責任があるのか」っていう点が漠然としていて、結果なにを問題にしているのか分かりにくい文書になっていた(多分あれを書いた当人もよく分かっていないまま書いたんだろう)。
それが逆に、色んな人たちの「何か言及したい欲」をくすぐったんだと思う。何を問題にしているのか分からないということは、その問題点は読み手の解釈次第だからだ。実際、元エントリのトラックバックでも、上司や同僚を問題にする者や、企業の体制を問題視する者、単に元増田が無能だと指摘する者、そもそも政治が悪いと言ってる者もいた。そのほか様々な思想を下敷きに、権力闘争という名の外野乱闘まで始まっててカオス極まりなかった。ブコメなんて何階建てもされてて倒壊寸前なのに、何をそこまでしがみついているのか今でも疑問だ。
そして、この外野乱闘がツイッターなどの大手SNSなどに飛び火し、世間に広く認知されるようになる。こうなってくると辿る道は大体同じ。多少その道に精通しているつもりの人間が、物知り顔でそれっぽいことを言う。それがまた火種となって議論が深まる。これが飽きるまで続くんだが、今がその成熟期かな~ってところ。
で、ここからが本題。現在、主に騒がれている点について、某社で一ヶ月ほど働いたことない俺がアンサーを出していく。
俺が当時、あそこで働いていなかった時も「自宅から遠いなあ」、「便所は洋式がいいなあ」って常々感じていた。それを踏まえると、あの増田が言っていたことをデタラメと断言するのは難しい気がしなくもない。確かなことは、あれを書いた増田は某社に何らかの問題があると思っていて、それが不満だった。だからあの告発記事を書いたんだろう。
告発者の彼の性格が難ありだってのは散々指摘されてきたことだから、今さら付け加えることはない。けれども、それで片付けてしまっていい案件なのか、っていうと疑問は残る。企業がもう少し彼の気持ちを汲んで穏当に対処できていれば、このような騒ぎにならなかったんじゃないかとも思う。このような騒ぎになった時点で、企業にだって何らかの落ち度はある。そう解釈できる余地はあるはず。
十中八九、元増田が自主的に消しただけだと思う。俺は本人じゃないから、さすがに消した理由までは分からん。けれども憶測に基づいた状況証拠から、ある程度の邪推は可能だ。恐らくだが、書かれている内容で特定されるかもと不安になったり、思いのほか反響があったせいでビビったのだと思う。
「某社からの圧力があって、はてながそれに屈した」みたいな陰謀論を唱える奴もいるが、消したところで魚拓があるわけだから読もうと思えば読める。下手に勘繰られるリスクを背負ってまで某社が圧力かけるかは疑問だし、はてな側だって全く無関係な企業の要望に応じる理由がない。だけど完全に否定する材料がないのも確かなので、ゼロじゃなければ可能性は残り続ける。
元増田の書いた告発記事から借りてくるならば、主な原因は上司Aだ。そして同僚Aが彼のストレスを蓄積させた遠因となる。そして、その状況に気づけなかった上司Aの上司である上司Bと、その上司Bの上司である上司C。そして彼らを雇っている企業Aと、その企業Aの親会社である企業Bも悪い。
今回の不始末を、企業にだけ負わせる政治が悪いという見方も可能だ。或いは歴史を顧みて、前時代的な男社会が招いた功罪の「罪」の部分が要因という視点もある。強権的なホモソーシャル内によって起きたケツが、ここにきて回ってきたのかもしれない。
同じような思い出があります。
1996-1998年頃だと思うのですが
その時の対バンで"bump and grind"というめっちゃうまいメタル系のバンドが出てきて度肝を抜かれました。
ギタリストはsteve vaiと同じ7弦ギターを自由自在に操りベロベロ弾きまくっていました。ドラムとベースが圧倒的にタイトで、ボーカルの高音の伸びがものすごく、
お客さんの興奮具合も先輩のバンドの時とは大違いで、お姉ちゃん達とかものすごい盛り上がり様でした。
私の場合、対バンのバンド名なんて大体はすぐ忘れちゃうもんですが、この時ばかりはそのバンドの名前を必死に覚えようとしました。
やがてライブが終わるのですが、なんとこれからCDを販売すると聞いて絶対買ってやると意気込みました。ところが、列に並んだ私よりもだいぶ前でCDは売り切れてしまいました。
普通、バンドはライブが終わるとCDを配布販売するだけではなく、必ず次のライブのスケジュールを告知します。ここで次のライブのスケジュールをがっちり押さえればよかったのですが、私は詰めが甘く、こんなに人気のあるバンドなら次のライブぐらい後で調べられるだろうと思って、そのままライブハウスを後にしてしまいました。
その後は、いくら調べてもそのバンドの情報を見つけることは一切できませんでした。メンバーの名前とか基本的な情報すらも見つけることができませんでした。
(当時はインターネットが始まって間もない時代なので、情報源はぴあという雑誌や、ライブハウスの中の壁とかに貼ってある紙、チラシがメインでした)
その後も5年ぐらい毎にこのことを思い出し、ネットで検索することもあるのですがやはり見つかりません。
あれは一体なんだったんだろうか
とはいえ、漠然とした音楽の感動とかあこがれみたいなものを一瞬で抱くことができた、私の人生の中ではとても重要な出来事でした。
それから何をしたいかを明確にしておかないとギャップで苦しむだろうから。
・一緒に食事がしたい
美味いものが食いたいがそれを共有する人が欲しい
その表情を自分に向けてほしい
・料理を食べてもらいたい
急に思い付いた試しのメニューを作って
食べてもらって良さそうだったら定番化したり
ダメだったら没にしたり
自炊を一緒に楽しみたい
・一緒に外に出かけたい
天気のいい日、外にでかけたい
気まぐれに行ってみた博物館で
感心した展示の感想を言い合いたい
歌わせたい曲をリクエストしてやっぱり合うわーとかやりたい
・ハグがしたい
さみしさを紛らわせたい
・セックス
長時間だらだらしたい
やっぱり彼女が欲しい
バイトのエンジニアの人たちとミーティングした。ミーティングの進行を始めてやったので準備不足を痛感した。
結局何が問題点なのかが自分でもわからなくなってしまった。漠然とこのままではいけないと思うのだけれど、いざ手を付けようとすると何に手を付けていいのかわからない。本当は問題などなかったのかもしれない。
今日はミーティング以外グダグダと過ごしてしまったので、明日はちゃんと動いていきたい。
~7:00 起床
~9:00 ランニング
~13:00 昼ごはんとか
~15:00 https://codewithandrea.com/videos/2020-02-10-starter-architecture-flutter-firebase/ これ読みたい
~19:00 夜ご飯とか
たしか7、8年前の話だ。
4月の頭、曾祖母の体調が悪いとの連絡が母の実家からあり、一家4人で急いで向かった。当時自分は小学校低学年で詳しくは知らされなかったが、おそらく危篤だったのだろう。地元の小学校ではその時期にお祭りがあり、行けなくなったことが不満だったのを覚えている。三回忌の際に同じことを母に言ったら、何か言われた記憶がある。怒ったのか悲しかったのか、多分両方正解だが、何を言われたかは覚えていない。その程度の記憶だと認識してる自分が気持ち悪い。
車が母の実家に着いたのは夕方と言うには遅い時間だった。曾祖母はリビングの隣の部屋で、介護用ベッドに横たわっていた。家に着いてすぐに風呂に入らされ、間もなくベッドに潜り込んだ。風呂から入る前に「寝る前にひいおばあちゃんに挨拶しておきなさい」と父に言われた。
曾祖母の元へは行かなかった。
兄と間違えられるのが嫌だったからだ。今考えたら、見分けがつかないどころか言葉を返すこともできなかったかもしれない。ただ父にバレて怒られないかが不安だった。
次の朝、曾祖母は死んでいた。6時頃に息を引き取ったそうだ。あまり苦しむことは無かったそうなので、良かった、と思った。あまり悲しくは無かった。物心ついた頃から曾祖母はかなり衰弱していて、話すことが少なかったからかもしれない。だから、昨晩話しかけなかった事に対して罪悪感を覚えることはあっても、曾祖母に申し訳ないという気持ち(視点?)は無かった。悪い事だとは思っているが、今でもその気持ちは湧いてこない。
その後、「きちんと挨拶はできたか」と聞いてきた父親に、できたと嘘をついた後のことはほとんど覚えていない。通夜だか葬式だかで出てきた刺身が美味しくて、母の分までねだった事くらいだ。
こうやって書いてみると、随分と酷いことをしていたと思う。当時はまだ幼く、他人の気持ちや人が死ぬということを微塵もわかっていなかったからかもしれない(今となっても分かっているなどとは口が裂けても言えないが)。今同じことがあったら、絶対に、絶対にこんなことはしないと言い切りたい。年齢のせいにしたいからだ。この悪行を風化させたいからだ。
この話を誰かにするつもりは無い。親には言えるはずも無い。友人には、もしかしたらどうしようもなく不安になったら(つまり所謂メンヘラになったら)同情欲しさに言ってしまうかもしれない。そんな自分にはなりたくないが、もうなっているかもしれない。この日記を書いたのは、もしかしたら自分はあの時のまま、失礼で最低な人間なのかもしれないという、思春期特有の漠然とした恐怖が拭えなかったからだ。
もしここまで読んだ人がいるのならありがとう。年端も行かない子供の、言葉遣いも中身も拙い文章を読んでくれたことに、感謝します。
オタクがする女性向け作品の紹介で「乙女ゲームではないこと」が売りとして挙げられることが多いとの話題を見かけた。
確かに「乙女ゲーム」のタグが付けられた瞬間、sageても許されるような風潮を感じることは少なくはない。
乙女ゲーを筆頭にギャルゲー・BLゲー等の恋愛ゲームが好きなオタクとしては、「乙女ゲームじゃないから!」等の言外の「乙女ゲーム(笑)」な軽視に辟易しているが、本当に乙女ゲームを軽視している層の他に、ユーザーと非ユーザーの間で想像する「乙女ゲーム」が別物のため生じる誤解も感じている。
男性キャラクターが多く、主なターゲット層が女性に設定されている作品は広く「女性向けゲーム」と呼ばれているが、乙女ゲームとは限らない。
イメージ的には下図。
└ その他
話題のツイステッドワンダーランドはあんスタやA3に形態が近いため育成ゲーム(主人公がキャラクターと交流することはあっても恋愛には発展しないため)に分類されると思われるが、公式サイトや配信サイトにて表記が確認できないため、ユーザーによって解釈が異なる場合がある。
コメントを読んでる内に気づいたが、二次創作をそのままゲーム本編の内容として受け取っている層もいるのではないだろうか。
上で例に挙げた育成ゲームは乙女ゲームではないが、二次創作では主人公とキャラクターが恋愛成立しているIF創作もよく見かける。未プレイでは二次創作の内容が本編に沿っているかIFなのか判断ができないため「恋愛要素の話や創作をよく見る」印象から女性向け育成ゲーム全般=恋愛要素あり=乙女ゲームだと誤認している可能性がある。
テレビCMで見るようなイケメンが壁ドンしてキザな台詞を言うものを想像する非ユーザーが多いと推測するが、一般的に想像されがちなアプリの乙女ゲームは、オタクではない人をターゲットに開発されている。
やっぱり、30〜40代の女性が多いですね。よく「オタク向け」だと思われているのですが、ごく「ふつうの人」があそんでいるんですよ。
ただの「いい人」はゲームでも現実でもモテない。1本で1億円を稼ぐ「恋愛ゲーム」の裏側と、モテる二次元キャラの法則をアリスマティックが語る。
もちろん、ユーザーの想像する乙女ゲームにも上記のような要素は含まれるが、それが売りとなる作品は多くはない。そのため「乙女ゲームではない」の指す「乙女ゲーム」と、ユーザーが愛好している「乙女ゲーム」は別物の場合がある。
分類としては同じ乙女ゲームだが、言うなれば、同じ「読書」でも「小説好きと漫画好きの指す本は違う」のような感覚がユーザー間である。
「乙女ゲーム」と聞いて想像するものが人によって違うからと言ってどれがマシ等の評価は誰にも出来ない。また、興味がない人から見たらどれも同じだろう。
ただ、乙女ゲームに限らず「興味がないからどれも同じ」な思考停止に「そうじゃないんだよなぁ」と歯痒い経験をしたオタクは少なくないはずだ。多少なりとも共感があるなら、乙女ゲームではないことを売りにするときに「乙女ゲーム(笑)」が含まれていないか考えてもらいたいし、その「乙女ゲーム(笑)」のどのようなところが「(笑)」なのか掘り下げてもらいたい。
軽視するつもりがない場合は、できれば「乙女ゲームではない」ではなく「恋愛要素がない」「異性から言い寄られない」「チヤホヤされない」等と具体例を挙げてほしい。なぜなら、乙女ゲームに馴染みがない層が想像するよりもはるかにバラエティ豊かで、異性から言い寄られなければチヤホヤもされない乙女ゲームも存在するから。(恋愛要素がないと乙女ゲームではないため、恋愛要素は必須条件)
乙女ゲーム市場は小さく、滅多に話題にはならないが、偏見を吹っ飛ばすような名作も数多くある。恋愛を主題にしている作品もあれば、他の主題の過程で恋愛を育む作品もある。名作ではなくても個人の感性と合致する作品もあるはずだ。
漠然とした偏見で誤解したままだと勿体無いから、乙女ゲーム、プレイしてみたら楽しいよ。
ある程度乙女ゲームに興味を持ってる人の目に止まったら僥倖程度の文章だったため加筆。既知前提で書いてしまって申し訳ない。
強要する意図はなく、ユーザーと非ユーザーで言ってる「乙女ゲーム」が違うことも結構あるよなぁ、これを読んでもし何か思うことがあれば考えてもらえたら嬉しいなぁ話である。本件は単なる分類として使用する「乙女ゲームではない」には言及していないため悪しからず。
ブコメでもすでに言外の軽視や『「乙女ゲーム」と聞いて想像するものが人によって違う』が見えて興味深い。
余談だが、乙女ゲームはキャラ×自分として夢的に楽しむユーザーもいれば、キャラ×主人公としてCP的に楽しむユーザーもいる。(中には自分×キャラや主人公×キャラやキャラ×キャラの人もいる)いわゆる夢女子だけが楽しめるようにできている作品ではないから、やっぱり漠然としたイメージだけで語るよりは、触れてみたら意外と面白かったりするよ。
ターゲット層と相互的な敷居の例として純文学とラノベを挙げたらアプリの乙女ゲームをsageているとの意見があったため、誤解を招かないよう修正。しかしながらいちノベルゲー好きとして純文学とラノベに上下がある見方には疑問が残る。無意識の軽視についてより考えていきたい。
某大手電機メーカーの孫会社のアフターサービス部門に転職して2年目だった俺は、
常に月100時間程度の残業をしていて、ちょっときついなぁと言う感じは自分でも分かっていた。
お客様先の都合により早朝からの勤務や夜間待機も有り、一日の大半の時間は社用車の運転に費やされる。
一日中自社のコールセンターから社用携帯に指示が飛んできて、基本的にはその日の内に指示を処理しなければならない。
部材の入荷状況や指示の処理具合によっては翌日以降に持ち越す事も出来るが、持ち越した日が苦しくなるだけだ。
諸先輩方も同様な労働形態で十数年やってきたと言われていたので、
今は苦しいが自分もいつか慣れる事が出来るだろうと漠然と考えていたが甘かった。
その日は突然やってきたのである。
幸いなことに、翌日には心療内科の予約が取れてうつ病で有ると診断された。
元々心が強くない事も有るのでもっと落ち着いた職場を探そうと思った。
しばらくは健康保険の傷病手当金で食べていたが、それの期限も切れた。
次に失業給付金を受給することにした。なかなか心は復活しそうにない。
医療費を圧縮しようと思って自立支援医療費の申請をしたらついでに障害者手帳も交付された。
俺は精神障害者2級に該当するらしい。
もう貯金も底を尽きようとしている。
日常生活は辛うじて行えているが、いきなりフルタイムの仕事に戻れるかと言うと自信は全く無い。
職人になれるような技や資格も無いし、振り返ってみれば学歴だってガッタガタだ。
オリンピック景気が有るから2020年になれば良い仕事が出てくるかもしれないと思っていたが
このコロナ騒動のせいでハローワークに出入りすることさえ制限が出てきている状態だ。
よく関東で最高気温が記録される市に隣接しているこの市も6月初旬になれば真夏日になる事がたびたび有る。
少し前から自粛太りを解消する目的とガソリン代の節約を兼ねて少し遠いハローワークには自転車で行っている。
ハローワークには14時から14時半までに着けばいい。今日も自転車に乗ってゆっくり出かけよう。
快晴とまではいかないが良く晴れていて暑い。昼下がりの真っすぐな太陽光が背中に刺さるようだ。
家から出て5分経つか経たないかでもうTシャツの背中は湿っている。
秋葉原通り魔事件から12年経ったというニュースを何日か前に見た。
俺もヤケクソになって自動車で特攻したり、刃物を振り回してしまうのか…?
失うものはもう何も無い。生きていくのは辛い。
ここ数日そんな様な考えで頭の中が一杯だった。
数メートル先にはおばちゃんの乗るママチャリがゆっくりと走っていた。
ママチャリの前輪が道路の僅かな段差を拾い、ベルが小さく「リン…」と鳴った。
それを追い越そうとした俺の自転車も僅かに遅れてベルが「リン…」と鳴った。
なんだか自転車同士で挨拶してるみたいでかわいいじゃないかと思った。
焦燥していた気持ちが一気に和らいだ。
無事ハローワークにはたどり着けた。
来週もちゃんと心療内科に行くし、就職活動も続けていこうと思う。
初めて増田に文章を書いてみて、予想以上に反響を頂けて驚いています。
傷病手当金は期限が切れたと言うよりは求職の為に打ち切ったと言う方が正確でした。
障害年金、検討してみようと思います。助けてくれてありがとうございます。
できた子供への実感のなさ、家族の形が変わることへの不安、漠然とした自信の無さと不安、みたいなのは誰だってあるぞ
なので増田にはどうか、それは当たり前のことと思って欲しい
それは思っていいことなんだよ
俺もはじめての子供の時、妻の妊娠が分かってから不安はいっぱいあった
その時に二児の父である先輩が言ってくれたのは
「その気持ちはわかるよ。でも生まれて今となれば、子供がいなかったらなんてもはや考えられない」
そのくらい当たり前にそこにいて、大切なものになるよ
大丈夫だ
俺も実際、赤ちゃん産まれても実感はなく、可愛いと思わないわけではないけど、なんや新しい動物がおるな、仕事増えたな、という気持ちが率直に言えば全てだった
2か月ほど経つと赤ちゃんに表情が出てくるので、その辺でようやく人間の子供と認識するようになり、愛情レベルが増し始める
自分の意思で何かを考えて動いているな=ねこ程度に感じるのは10か月くらいからかな
そのあたりでだいたい、俺の子やな、俺の子可愛いなが定着してくる
男親ってそんなもんな気がするよ
頑張ってる妻に対して、気楽で申し訳なさすぎる
でもまあ、そうやってゆっくり親になっていっても、許されると思うよ
妊娠の方法に関しては、その気持ちはわかってあげられないかもしれないけども
でもさ、増田は朝オナニーしただけって言うけど、俺も妻とセックスしただけだよ
そんなに違うか?
男にとっては、幸せを感じて子作りを、というより、エロい気持ちで射精するだけじゃん
一緒だよ
とりあえずだな
妻は偉いよ
こっちはうじうじ悩んでゆっくり親になる間、母親だって絶対似たような気持ちも持ってるはずなのに、日々の生活と片時も離れられない育児の時間に対応せざるを得ないんだもの
母親は、妊娠中も子はすっとお腹にいるし、産まれてからもずっと赤ちゃんそばにいるし、逃げて悩む暇なんてほぼないんだよね
めちゃくちゃ大変だよね
でもそれに罪悪感を感じる必要もなく、妻にいっぱい感謝して、心がまとまればしっかり愛情かけてやればそれでいいと思うんだ
きっと大丈夫だよ
楽しみだね
自分が住んでたところは地方の県庁所在地ではなくマクドナルドすら存在しない田舎だった。
当時自分はそれなりに勉強が出来たので地元の私立の進学校に学費免除で合格してしまった。
まず、周りの人間に馴染むことが出来なかった。
最初は色んな人と話したものの私がつまらない人間だということがバレて次第に孤立するようになった。
中学の頃までは母はパートに出かけたりパチンコをしたりして楽しそうに過ごしていた。
しかし、私が高校生になってから母は事あるごとに「〇〇さんが私を殺そうとしている」「元旦那が私を裁判で訴えようとしている」など言うようになったのである。
それで私に対して「あんたは楽をしてる、お母さんが子どもの頃は…」「あんたを生まなければ私は自由だったのに」と言われるようになった。
家にも学校にも居場所がない私は次第に精神を病み高校のカウンセリングルームに通うようになった。
両親揃って社会的地位のある職に就いている家庭の生徒が大多数のクラスで問題のある家庭の生徒は今思えば面倒を見たくないと思うのは自然だと思う。
記憶に残ってる例を言うと、
運動会当日に熱が38度出て体力が無かったのに高校に来るよう強制され登校したものの頭が痛く、教室の椅子から動けず「本当に気分が悪いんです」と訴えても「じゃあ帰れば?」と言われたり、
高3のセンター試験後に受ける二次試験はどこを受験するかで教卓の前に呼び出され当時目指していた大学名を言うと「お前が受かるわけがない!」とクラスメイトの前で怒鳴られ公開処刑されたり、
その後担任に受けろと言われた地元の大学の合格報告をしても合格実績に載せてもらえなかったりした。
どうして私のことをひどくいじめた奴が受けろと言われた大学に通わなければならないのか疑問を持つようになり
頑張って都会の大学に行きたいという気持ちが出てきたため仮面浪人をすることにした。
母親からは受験費用は自分で稼ぐように言われコンビニバイトをしながら受験勉強を頑張った。
大学の授業は出席強制であり、その上バイトもやるため限られた時間の中でだったが受験勉強に高校の時よりも集中できたと思う。
その結果、第一志望は落ちてしまったものの第二志望に合格することが出来、4年間大学生活を思いっきり楽しむことが出来た。
社会人になりしばらく経ち、振り返ると当時の私は母親はともかくクラスメイトや担任は確かに扱いをひどくするだろう。
担任の行為は行き過ぎたものだが、育ちの違いを勝手に卑屈に感じてる人間に対して良い扱いをする必要はない。
それに当時の私は全く優等生ではなくむしろ体調不良(おそらく精神的なもの)で1週間とか2週間とか休むことが多かったので鼻つまみものだったろう。
ちなみに母親と離れて暮らすようになってからは関係は良好である。
最近在宅勤務が続いていて、全然身体を動かしておらず、体力低下が心配だな〜と考えたときにふと思ったことです。
いわゆる「体力」の正体は何なのでしょうか?
学生時代、運動系の部活動に所属して、技術的な練習以外に「体力強化」の名のもと、中長距離のランニングなどを行っていたのですが、あれは何を鍛えていたのでしょう。
「力」は「筋力」なんだろうなと想像しています。筋肉がつけば、それだけ「力」が出せる。
「体力」はどうか。
なんとなーく、HPみたいな数字があって、活動しているとそれが減ってきて0になると、死ぬ、までいかずとも身体を動かすのが難しくなるのかなという漠然としたイメージだけあるのです。
自分のifの未来だったようで興味深い。2003年卒で同じく親が所有してる不動産にしばらくタダで住んで資格試験浪人してて、そのころはダラダラして筋トレしてあとは野球ばっか見てた。生前贈与受けてたのも同じ。翻訳家でもなるか〜とか思ったり時々漠然と不安に駆られたけど差し迫ったものがなにもなかったから平気だった。
なんとなくタイミングで就職して、専門を生かしてとんとん拍子で転職して今はかなり稼ぐようになった。でも卒業してからあっという間だったなと思うし、今でも親の不動産でダラダラしてた可能性もあるな、それも別に悪くないなとも思ったりしてる。
□きっかけ
以下の投稿の反応を見て精神科に行ってもいいんだと思ったので行くことにした。
誰でもあるような症状だと思う。
精神科に行く人の症状を見ると壮絶で、自分なんかが行ってもいいのかなとは予約した今でも思っている。(逃げ)
ちなみに増田に書くには匿名だけどログが残せてハードルが低いから。
話そうと思っていることを書いておく。
□病院に期待していること
後述するがやる気を取り戻したい。毎日成長のためと頑張っていたころのように働きたい。
それと同じくらい毎日積み重なるタスクから逃げ出したいし会社を休みたい。
□自分の症状
最初はテレワークで見てる人がいないからだと思ってたけど、出社し始めても変わらない。
slackやメールの通知が来るたびにビクビクするようになった。
これまでは「ああ~なんやろ?」ぐらいだったけど、見るのが漠然と怖い。
うちの会社はポジティブ推奨。というかポジティブなスタイルが評価に響くのでみんな結構ポジティブ。
これ自体はいい会社だなと思う。問題が起きた時でも、相談すれば常に前向きに協力してくれる人が多い。
でもこれが今の自分には全く合わない。このポジティブさがしんどい。
書いてて自分でもひどいなとは思う。向こうはポジティブに接してくれても自分にはしんどいからイライラするなんて。
□思いつく理由
多分これが一番大きい。今の会社で5年目だけど給料があがらない。というか下がった。
大きめの会社で制度はしっかりしているので、しっかりと無能と評価されるのは精神的に響いてる。
同僚と仕事内容も変わらない(と思ってるだけかも)ので不信感もある。
いつでも仕事ができるので頭からこれまで以上に仕事が頭から離れなくなった。
裁量労働の会社なのでいつまでも仕事ができるので徹夜や早朝から仕事をするようになった。
□その他
散々言われてるかもしれないけど、精神科に行くって予約が必要かつ予約も一杯で疲れてる人にはハードルが高い作業だなと思う。
それだけ疲れてる人が多いってことなんだろうけど。
またそのうち結果を書こうと思う。