はてなキーワード: マイペースとは
今日、ようやく弁護士の先生との話がまとまり、半年近く書類を溜め込み、まとめ、提出を受諾した。
これで労災申請についてはスタートラインを着ることが出来るだろう。肩の荷がおりると同時にまたひとつ肩に荷物が乗ってくる形にはなるが、やや身軽にはなった。
今日は陰鬱とした内容とするよりは、将来的に見返した際にかつての私自身が何を理念にして行動をしていたのかをなんとなしにでも書き起こしておきたいと思う。
過去の怨恨の煮凝りのようなブログを見てもこの時期はこんなに落ち込んでいたのか。そう思うことで一つの気持ちの整理がつく、今もこうやって執筆(?)することでも気持ちを吐き出せている心持ちになり気が軽くなる。結構日記をつけるということは大事なのかも知れない。毎日でなくてもマイペースに吐露したい気持ちがあればぶちまけておく分には誰も損はしないはずだ。
そんな前置きはさておき、何を考えて行動しているのか、逆に何を考えないようにして行動しているのかをポイントを踏まえて整理しておきたい。
1.精神面について
2.肉体面について
大区分としてはこうなるだろう。
以下に記す。
【精神面について】
これはネットワーク社会が構築された現代社会・世界の中では、非常に困難を極めることであると考える。しかし難しい一方でせめて自身を大切にしないといけないのも事実である。
自己を確立し承認欲求を満たすためにSNSで幸せに見せかけるような料理・動物・景色などの写真を上げたり、社会派な発言をして理解を得るコミュニケーション等、人によってやりたいことがあると思う。
しかしながらネットワーク社会は残酷で、常に自分より上を之くと感じる人々を見つけ、目をやってしまうことが多い。絵ならば神絵師なんて言われる神的存在があたりに跋扈し、写真なども他者のバズりを見せた動画に対し自分のものは何故伸び悩むのか、そんなことで自身を雁字搦めにしては自分を「弱者」と捉えては自身で自身を不幸の道へと誘ってしまう。
それらを完全に無視することは難しくあろうとも、自分なりの努力や工夫をした過程はせめて評価してあげて欲しい。結果を出すことができるのは残念ながら才能のある人やチャンス・タイミング等を上手く掴み伸し上がる努力をした人たちだ。
SNSは性質上成功者の発言や情報発信を多く目にするため感覚が麻痺しているが、目にしている傍らには自身と同様に彼らを見上げている有象無象が居ることを忘れないでほしい。
個人的には日本人特有の「つまらないものですが」「らくがきです」「てきとうにつくりました」といった謙りを強くかけてハードルを下げるような行為を好きなこと、趣味の中では決して行わないでほしい。私生活では”出る杭は打たれる”なんて表現があるように目をしかめられたり、よく思われないのではないかと私自身も憚ることがあるが、自己を卑下したところで残るのはセミの抜け殻みたいな空っぽの精神だけなのだから。
「がんばりました!みてください!ここをがんばったんです!!」と強く胸を張ってほしい。それに反発する人が十中八九居るだろうが、全方位に笑顔を向けたり好きになってもらおうと努力する必要なんてないのだ。尖った貴方にこそ惹かれる人が居るだろう。
あまり尖りすぎるとそれはそれで問題では有るが、丸みを帯びた鉛筆よりかは荒削りだろうと、懸命に削って先の尖った鉛筆のほうが使っていても見ていても心地が良いし。
ポイントを一つだけ上げれば「自己を卑下するな。常に胸を張れるようにあれ。」と言った形だろうか。
1-2・・・上司の脅しに屈するな。社内規律より法律を優先しろ。
これはブラック企業が蔓延している世の中では誰しもが優先してほしい。
社会人になった最初の上司ガチャ次第にもよるが「協調性」「我慢・忍耐」「従順さ」のようなものを押し付けてくる相手であるなら、ソシャゲだったらリセマラ案件だ。
そういう相手の多くは「自身がした苦労」「それらが慣習化していること」あたりを武器に殴ってくるが、それらに屈してはならない。会社が内々で何を定めていようとも、相手にプレッシャーを過度に与えたり、ましてやその反応を楽しむようなことは法律上許されないのだから。
最近ハラスメントについても防止法が施行されている。2020年6月には労災要件にパワハラが追加される予定でもある。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000126546.html
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私の場合は、「一方的な人事査定」「未払い残業代」「数々のハラスメント」に対して業を煮やし、我慢が出来ず、部下の仕事の管理すらしない名ばかり管理職の上司に対して毎日のように炊いては内心ではキレ散らかすほどになり、少し冷静になって情報を集めてようやく法律は味方をしてくれることにようやく気がつくことが出来た。
多くの人は泣き寝入りをし、中には社会復帰すら困難な立場に追い込まれた人もいるだろう。
そうなってしまってからでは行動を起こすことすら難しい。だからこそ、ボイスレコーダーでもメモでもメールでも日記でもTwitterへのツイートでもなんでもいいから証拠を残すんだ。自分がこうあったという記録を残すべきなのだ。それらは決して自分を裏切らない。最たる証拠、すなわち最強の武器と盾になるだろう。今もそんな気持ちでブログを書き起こしている。前述したが、案外文字にするとこう思ってたのだと再確認する機会を得ることも出来る。非常に大事だ。
ネットワーク社会の情報の荒波に飲まれると、ふと「自分は何もしていないのではないか?」といった謎の焦燥感に駆られることは現代人に置いて常にあるものだと感じる。だから日々、写真とか上げるのだろうし。
取り残されないためにも何かをしないといけないと思っては「無理に外出をする、遠くへ旅行をする、恋人を探す、結婚しようとする」といった何らかのアクションを起こす。人の幸せの感じるバロメーターはそれぞれ別モノであるから、他者がやっていることを後追いする必要なんてものは一切ない、後追いしまくった結果、何も残らず虚脱感を得られる…なんて負の遺産が待っているコトだろう。
人によっては「家でゆっくりする」「寝ることが幸せである」「愛猫愛犬などの動物と入れたら良し」といった外に出ずとも完結する幸せなんてものも多数転がっている。
少なからず私は近隣の猫カフェに行って何時間も何も考えずに猫と触れ合ったり何もしない様をみて改めて「何もしないことも幸せの一つ」だと噛み締めたり、偶に奮発したお高めの即席麺やお酒を飲んだりすることで満足している。
お高めのお金がかかる趣味や旅行が趣味ならそれはそれで構わない、ただ自分が本当に何がしたいのか、他者の行動に振り回されないで破天荒じみた生き方をしても、公益を妨げない限り誰も不幸にはしないはずだ。
【肉体面について】
2-1・・・飯はよく食え、ダイエットは単なる炭水化物の減量でしようとするな。
学生時代は代謝が良かったのか、社会人が動かない生活をしているせいなのか、多くの人は体重の増加に悩むことが多いだろう。
そこで考えるのがダイエットである。「低糖質ダイエット」「ごはんを豆腐に代えろ」「葉っぱだけを食せ」といったような荒療治で痩せることは簡単ではないうえ、本気で痩せようとしている人かするべきではない。
第一に生活を根本から変える必要があるためにストレスが非常に高まる、コレに尽きる。そのため一時的にダイエットが終わった後、短期間でのリバウンドが絶えないだろう。
痩せるために何かをするのであれば、まず個人的に推したいことは「飯はゆっくり目に食べる」「よく寝ること」「(昼勤務の人は)夕食時、少しだけご飯を控えめにすること」「金銭面で余裕があればプラセボ程度のサプリメント(フィッシュオイル/CLA/カフェイン/難消化性デキストリン等の食物繊維)の摂取」だと感じる。
しっかりと寝ることは精神面の安定にも繋がり、ストレスによる過食も防げる。ちなみに科学的根拠もあったりする。
2017.6.21|国立大学法人 筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS) 睡眠と代謝の密接な関係
https://wpi-iiis.tsukuba.ac.jp/uploads/sites/2/2018/01/PR_170621_jp.pdf
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ストレスと投薬によってここ数年間は体重増加が半年に±10kg程度あったがよく寝るようになると、少なくとも私は目に見えて痩せて安定傾向になった。荒療治は続かない上、時代に沿った流行(トマト・バナナ・ブロッコリー・卵など色々見た気はする)があったりするため、それに着目した企業からの甘い誘惑も多い。
空腹がどうしても気になるのであればカゼインプロテイン(マイプロテインやバルクスポーツが安く手に入りやすい)などの消化吸収が穏やかかつ高タンパクな健康食品で補うと、間食に走るよりはだいぶマシになるはずだ。あとはどうしても固形物食いたい人は紀文食品の低糖質麺シリーズ(https://www.kibun.co.jp/brand/toshitsuzerogmen/)を食うと幸せになれるかも知れない。こんにゃく臭さが微塵もしなくなってるから「食べやすい・食物繊維多め・腹持ちよし」の良さみ高め食品なのだ。
2-2・・・筋トレとか運動を少しでもしろ。そのついでに日光を浴びろ。
陰鬱になると家にこもりがちとなる。結果として自身の体力や見てくれにこだわりなどなくなり、浮浪者のような格好となる。去年夏から冬にかけて髪を切らなくなったこともある。気をつけなければならない。
その改善策としては筋トレをすることを勧める。少なくとも外に出たり、ジム通いをすることになるので最低限の身だしなみは整えるようになる。おまけで筋肉もついて少しだけ自身がついたりもする。金はかかるが最低限のことをした気にもなるので安い出費だろう。
テストステロンが出たり、こまめな運動で気持ちのリラックス効果も期待できる。やることがないならそうしろ。
(https://sportsgym-fc.com/self-help/)
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外に出るついでに日光も浴びると良い。日光浴ができるとなお良い。温かいのは気持ちが良い。のんびりしていることへの罪悪感も少し消える。日光は良い。浴びろ。
今日ははこんなところとする。
中学のときに、気の迷いで信号無視しトラックに轢かれ生死の境を彷徨った。一命をとりとめ五体満足なものの、傷をおったし、妹に小さい弟を面倒見させる迷惑を長期間かけさせてしまった。
今思えば、小さいときから自閉症傾向で、頭の中がファンタジーとの区別がつかない子だった。案の定転校先でいじめられ、妹にかたみの狭い思いをさせた。こんなろくでもない私を肉親の情だけで仲良くしてくれた妹に感謝しきれない。
当時はアスペルガーやADHDと言った知識は広まっていなくて、学校も親も風変わりな生徒で片付け持て余していた。そして、人と馴染めない自分自身、幼少時は一人遊びで周囲を無視、思春期に差し掛かる転校時は周囲を強く憎み、社会人の頃には、母や妹に負い目をかけさせまいと思う気持ちで、自分を追い込んでいた。自分と基質が似ている父を憎んだことがあった。友達もいたけれど、自分より気弱や内向的な相手には高圧的で、自分より気の強い相手には下手に出るクズだった。共通して言えるのは相手を一人の人間として尊重せず興味も持たず、青春時代の暇つぶし相手としか見てこなかった。相手から離れられ、やがて自分からも離れた。かけがえのない時間を一緒に過ごすために、楽しくという気持ちがまるでなかった。
人といる時間が楽しいと思えない、だけど人といるととりあえず自分も周囲も安心する。自分が人付き合いになにを求めているかわからず場当たりに人と会う。なにが楽しいと思えるのか気持ちがついて行かないことも多かったし、その場でふさわしいふるまいを身につけることは覚えたけど、その分、強い相手にはNOと言えない性格になってしまった。相手の機嫌ありきになってしまったのだ。
立ち回る、ということだけで生きてきたから、人や物事に対しての興味なんて気が回らない。自分がどうしたいかより、どう振る舞うのが世間様的にOKかで頭が割かれ、過剰に反応するか、人の言葉を額面通りに受け取りすぎて、あとで陰口を言われるか怒られるかだった。自分のいたらなさよりも、怒られるということに過剰に反応してしまい、それを避けるために、ミス隠しもするようになった。
人としての魅力がゼロだ。
もう少し早くに自分の発達障害な特性がわかれば、少しは生きやすかったのかもしれない。だが、今以上に昔は知的なハンディに過敏に反応していたころだったから、母も当時の自分も認めたがらなかっただろう。
中学のときのあの事故は、生きづらさを感じたときの衝動的な自殺未遂だったのかもしれないと今になって思う。
今、人間関係は最小限にして、仕事も極力感情を出さない、仕事も必要以上に引き受けないようにした。ここは協力出来るけどこれ以上は無理という線引きもした。信頼出来る人物になる努力と好かれる努力は別物、どちらかといえば、後者は結果は伴わないことがよくわかった。
好かれる嫌われるに怯えた半生だった。好かれない人生に意味はないと思い、結婚までしてしまったが、パートナーが、とことんマイペース人間なので、今までの好かれなければ人生や社交的にならなければいけない人生から距離を置けてほっとしている。
自分語りごめんなさい。
ぺこぱという、相方のボケに突っ込みそうで、それをポジティブに肯定する二段ボケで笑いを取る芸人が居る
所謂何でもポジティブにとる笑いで、それのバランスを、突っ込み役が無駄に個性的な事で中和するなど、かなり技巧派なギャグになっている。
単純に笑いとしても面白いし、お笑いに厳しい人も技巧派として楽しめるし、鬼滅の刃が兎に角「売れ線」の嵐で、経済学者に喜ばれるように、
「社会を反映し、またそれ自体が構造的なテキストである」という構造主義大好きマンの文系学者に好まれるような形になっている。
若林は「最近は多様性が重視されて、ツッコミが出来ない社会なので、ぺこぱを見て泣いた」と言っていた。
ジョーカーの監督も「コメディー映画を作っていたが、今の時代、コメディーを作ると世間から批判されるので、作らない。だからジョーカーを作った。」と言っていた。
お笑いとは、「既存の常識レールからズレたモノを、常識レールに当てはまることで『非常識』を際立たせ、そのギャップを笑って受け入れる」という性質を持っている。
例えば若林と春日だと「兎に角マイペースで堂々と突っ走る春日」というズレた存在を「常識人で普通の若林」が春日の変な部分を指摘するというように。
しかし現代は「ズレている」という事を認めなければならない。若林と春日の芸も、人によっては「発達障碍者を馬鹿にしてる」だとか言われるかもしれない。
そこで「尖った笑い」を目指して渡米したウーマン村本は、「多様性最高の左派西欧のブルジョワ価値観」を常識に設定し「日本の奴ら」を非常識に設定することでそれを達成しようとした。
しかし「多様性・欧米・左派は最高」という矛盾をはらんだは構造に気付く事が出来ず、日本に来ると結局「出羽守というボケ」のピン芸人になり自滅した。ぺこぱを見て彼は悔しがってるのではないだろうか。
「女で精神的に健やかで健全で黒人」という常識レールに「男で精神障碍者で白人」という笑えない非常識を置いて、コメディではなくサスペンスを作った。構造的にはコメディーで、笑わせない事で
逆に常識レールというものの不自然さと都合のよさ、不満を描いて、観客はウケた。
若林は
とにかく常識レールを学び、価値観スレスレを行くことで対処した。
ぺこぱはどうだろうか。正直これを「多様性の尊重」と称賛する人は多いが、皆はこれを見て何を笑ってるのだろうか。
「変な事をしている人間(多様性)」という常識レールに、「多様性を受け入れる変な人間」という非常識を置いて、それを笑っている。
皆受け入れてはいるが、尊重はしてないのだ。多様性を受け入れる社会、つまりポリコレを笑ってるのだ。ギャップを顕在化させてる突っ込み役は観客である。突っ込む責任は観客も分担する。
ただ「笑い」と「納得」の境界を曖昧にしてるので、受け入れられない部分は笑って、受け入れる部分は頷く。
そこにあるのは左派でも右派でもなく、全てである。全てであるが故に、今度は「ぺこぱ笑う人間」を叩く未来が確実に来るだろう。そして「そういう意図でコメディにした」ぺこぱも叩かれる。
「晴れたほうがいい、一人が犠牲になっても、みんなが笑顔でいればそれでいい」という常識レールに対して「天気なんて晴れなくてもいい、女の子一人救えればそれでいい」という非常識を置いた。
結局ジョーカーも天気の子も、結論は同じだった。「何が正しいか、何を選ぶかは全て自分自身にかかっている」これが近年のテーマである気がしてならない。
ぺこぱの芸にも同じことがいえる。結局、「何が面白いと思うかは、自分で選べばいい」というアイディアが元だ。しかし選んだ責任を背負えるだけの力が僕たちにあるのだろうか。
「大丈夫」と言ってくれる人は居るのか。
ぺこぱは「いじめにならない」という人は多いが、違う。ツッコミ役は割と理不尽な目に会う。
首に雑巾巻かたり、叩かれたり。「雑巾が綺麗なのは部屋がきれいにしてるって事」「痛いというのは生きている事」みたいな事を「言わされる」いじめは容易に想像できる。
「何が正しいか、何を選ぶかは全て自分自身」の価値観も、結局「選ばさせられる」という事は容易に想像できる。暴力もまた多様性の一つだ。
僕たちはそれを見て笑うのだ。そしていつか「多様性を強いられてる人」が常識レールになり「常識を語る人」がボケになる。いつか「人はいつか死ぬ」だとかで笑う世界が来る。
そして統一された「笑い」という概念は無くなってしまうかもしれない。
目の前の選択が、本当に正しいのか、それは自分自身の選択、レールなのか。これはこれからのテーマだろう。
常識レールが無くなり、異常者が居なくなり、何にも笑えなくなる世界がすぐそこまで来ていることを感じる。
「全ての存在は滅びるようにデザインされている」とはニーアオートマタの言葉だ。それが滅びというか、完成というかはわからないが
そこへの道を一歩一歩進んでいるような、世界の終末に向けて歩いているようなそんな気がする。ひょっとすると素晴らしい世界かもしれない。
中高大ほとんど勉強してないけど、割とクソみたいな私立大学を出たけど、唯一プログラミングだけは子供の頃から好きでやってたのでなんとかウェブ系の企業に入ってもうすぐ10年。
2回転職して今は米国企業の日本支社でソフトウェアエンジニア。
プログラミングはずっと好きでやってるだけだし、英語だったり業務に必要なドメイン知識とかの勉強も誰に言われるでもなく毎日1時間ぐらいマイペースにやってるだけでまぁ困らない。
まぁ強いて言えばカンファレンス登壇前日の準備は必死こいて準備してたかな...
やっぱり好きなことで生きていくのって大事だよなって思う。
...でも本当にそうだろうか。
俺は好きなものがたまたまプログラミングという、仕事に、しかもそこそこ給料いい仕事になるやつだったからこうなっている。
多分今の業界のソフトウェアエンジニアとしては30人とか50人に1人ぐらいのスキル。
だけど将棋の世界で50人に1人ぐらいの実力だとして多分全く金にならない。
金がなかったら今ぐらい良い街の良い家に住んでいられなかっただろう。
そうやって余裕がなければ人に対して今ほど優しくはできなかっただろう。
今ほど優しくできなければ妻や友もいなかったかもしれない。
プログラミングの素質が変わらないとして、生まれるのが20年早かったら多分パソコンやインターネットに触れられる家庭に生まれられた可能性はもっと低かっただろうし、知の高速道路にも乗れなかっただろう。
県内上位の進学校から国立大学へ、その経歴だけで「すごい!」と言ってくれる人がたくさんいる。
「どんな勉強したんですか?」熱心なのであろう教育ママに尋ねられた。
「子どもから勉強以外の全てを取り上げればいいんですよ」などとは答えられなかった。
親のコンプレックスのせいで学歴以外は無価値と育てられ、大学に進学する頃には学歴だけの人間は無価値と言われた。
まったく、困ったもんだぜ。
<追記>
反応があるとは思わなかった。追記に気づいてもらえるか分からないし若干荒れてるけどありがとう。
サークル、バイト、大学デビュー……どれも、入学以前から知っていれば全力で楽しんだと思うし、楽しみたかった。
大学という場に勉強・研究以外にもそれらの要素が存在すること、そして価値があること、今なら分かる。もっと早く知りたかった。
他の増田に書いてあって思い当たることがあったんだが、生き急ぎすぎてね?
1週間分皿がたまるとかなら分かるよ?
だが、自分の思い通りに「家事を即座にやらない人」に対してブチキレるってどうかしてる。
そんなんでイラつくくらいなら、自分が代わりに進んでやるくらいすればいいのに。
食後すぐには動きたくない。テレビが良いところに行くまでは動きたくない。
「すぐにやるべきだ」というのも、まぁ分かる。どうせ後でやるものだし。
でもタイミングはあるだろう? 今まで一度もやり忘れたことないんだ。
急かされるたびに「あぁ、信用されてないんだな」と実感するわ。
相手の方が家事やり忘れたりすること多いのにな。本当にアホだわ。
こういう奴らの相手、どうしたら良いんだろうな。
「後でやるって言ってんだろが!!!」って毎回キレりゃ良いのか?
平行線だなぁほんと。人のことを意のままに動かそうとする奴と関わらないのが一番なんだろうな。
※増田は女です
旦那は、ゴミ捨て、洗濯物たたみ、自分の弁当作り、洗車、家計管理
掃除は時間がある方がやる 旦那は土日休みで、わたしはシフト制
子供がいないから、家事の量は知れてるけど、わたしの方が残業がない分、帰ってから何やかんやしてることが多いなぁ。一人で家事するのはマイペースで出来るから、正直気楽。休日の平日1日が、掃除や衣替えで潰れても平気。 土日に旦那は出かけたがるから、買い出しやらご飯作りやら一緒にしたがる。ありがたいけど、オタク趣味に割ける自分の時間がなくなるから、少ししんどい。ちなみにアニメ漫画好きなんだけど、鑑賞ではなく、絵や漫画を描くので、一人の時間は必要。夫は、鉄オタ。お互い、オタ活するため、便宜上結婚、そして、子供を作らない約束をした。
晩御飯作りは、手の込んだもの作らないし一時間弱で終わるので楽。一番ありがたいのが、旦那は、味には文句言うけど、食べれないものが無いので、献立に頭を悩まさなくてすむことかなー。あと、潔癖症じゃないから、多少散らかってても文句は言われない。
気づいたらぼっちになってた…という状態を繰り返しており、25歳になろうとしてるのに友達が一人もいない。
小学生の頃に仲よかったはずの子たちから「今日から無視するね!」と言われたのが最初、中学でも部活で突然透明人間と化したり。
高校生の時なんて、小中高と一緒に通っていた幼馴染に面と向かって「増田(私)のことが嫌い」と言われた。
大学生になってからはマイペースな人たちとのんびり過ごせたけど、卒業してから一切連絡をとってないような関係で、友達って感じではなかった。
厄介なのは、最初から空気として扱われるならまだしも、存在を認知された後で意図的に空気にされる、ということ。
こんなに他人に拒絶されまくるのだから、私に何かしらダメな理由があるからなんだろうけど、もうこの歳になると「どうせこの人も急に私のこと嫌いになるんだろう、なら適当でいいや」という気持ちでしか人と関われなくなった。
V界隈追ってるなかでも最近一番もやもやしてて、SNSでも今言及が少ないし、自分の意見整理するためにもここに書く。
一言で言うと彼の転生はチート級だ。今まで色んなVがバズるのも見てきたけど、これだけは嫌だった。
彼はその「チート転生」のおかげで2日で十数万人という巨大な記録を打ち立て、ユーザーローカルだと、にじさんじの中位陣を一気に飛び越し現在19万近くの登録者で総合31位に。
彼のことは今回初めて知ったけど、Vになって話題になってからハイポ3本とも見た。ニコニコ馬鹿四天王と言われてるのも知った。昔の動画自体が面白いと言われるのも分かる。
でも、金かけて人脈作って3Dのガワまで作ったのに、ガワ以外そのまま転生は納得いかなかった。ネットワークづくりは上手いけど、タブー視される一線を超えてしまったと思えてならない。
それで今回は幾つかに分けて何故自分が馬犬の「チート転生」について納得できないか幾つかの点を書く。
V界隈で前世の功績を利用してVに入ってきたものはいる。ただ最初にいうが、どれもアバターとは名前や設定などで一定の距離を少なくとも作ってから転生している点は共通している。
A.前世が有名で比較的公然ではあるが、公言せず、本人から匂わせる発言は一切しない (例、葛葉)
B.前世が有名で本人から匂わせる発言はあり、ほぼ公然ではあるが、本人から一切公言しない、もしくは封印させている (例、田中のおっさん)
C.前世が有名で本人は公言せず一切認めていないが、ほぼ公然の状態 (例、ウェザーロイド TypeA Airi)
D.前世は有名ではなく、本人から自分が誰であるか公言しているが、アバターとは名前・設定・外見で差を付け、一定の距離を付ける (例、MonsterZ MATE)
Dはかなり特殊な例ではあるが、魂である本人が話すように、中の人=アバターな関係ではなく、あくまでノットイコールな関係としてアバターとは少し離れた関係となっている。
例えるなら武藤とムタの関係──高坂はしやんが語る、VTuber「MonsterZ MATE・コーサカ」の可能性 https://panora.tokyo/64064/
また彼ら自身は前世が特段有名と言うわけではないという点も述べるべきだろう。
これらA~Dは結果としては、演者である魂と外側であるアバターと紐づいてはいるが、ある程度離れた存在と認識されている。有名で公然としているものもあるが、本人が認めないことも受容されている大きな要因となっているだろう。浄瑠璃で言うところの人形遣いの黒子と人形という関係に近い。
対して馬犬は、今のV文化の2次創作が盛んなニコ動での前世が有名で、本人が動画で自分の事を公言し、アバターには設定や名前が一切ない、ただの美少女のアバターである。距離感は一切なく、人形劇で人形遣いが自身を人形と称して壇上に上がるようなものだ。
彼の今回このような転生をしたことについて、擁護する意見も度々見られた。そんな常識が古いのだとか、勝手にタブーにしているだけとか。この項ではそれらへの反論も含めて、話そうと思う。
どの禁忌も出来たのには何等かの理由がある、それをしたら病気になったとか、事故に見舞われたとか、それをしてしまったために災いが降りかかると思われる・思わされるから出来ることが多い。
では、自分が話しているVの禁忌を破ってしまうことの災いとは何なのか。
V界隈は普通のYouTube(以下YTと呼称)界隈より狭く、必要な機器も多いため経費もかかりやすい。現在Vで1位のキズナアイはYT全体だと21位。V2位輝夜月は168位。V3位ミライアカリは246位である。
力もあり、人脈もあり、名声もある人が馬犬のようにVなら大成できると乗り込んで来たらこの界隈に何が起こるだろうか。
それは彼のマネをして距離感がほぼないアバターのチャンネルが登録者数を一気に伸ばし、それまで地道に努力を続けていた個人勢や、にじさんじやホロライブの企業勢さえ太刀打ちできない状況が成立する事だ。
極論ではあるが、今YT界隈でトップクラスのヒカキンやはじめしゃちょーが馬犬と同じ方法で転生してきたと考えると分かりやすいだろうか。
そこで起きるのはV界隈の活性化ではなく、Vファン同士の衝突や界隈の活力の低下、今まで頑張ってきたVの引退も加速しかねないことなのだ。大変な劇薬である。
だから今まで前世が有名な人は誰もこの禁忌を破ろうとはしなかった。有名声優が魂のVもいたが、大手を振って自身の魂の名で活動しないのはそこが原因であるとみていいだろう。
だが彼は破ってしまった。恐らく数百万近くという潤沢な資金を使い、豊富な人脈を使って美しい少女のアバターを手に入れた上で初手3Dにし、大々的に自身の告知をして様々なネットニュースに載ってさらに拡散された。
ツイートを見るに、彼は興味があってVに足を踏み入れたのかもしれないが、興味を持ったことに夢中で、そこで行ってはいけないことは頭の中には無かったのだろう。「郷に入っては郷に従え」という言葉を誰かが彼に教えるべきだったろう。
世の中様々な常識・決まり事があるが、時折それを破れば面白いとか良くなると言い出す人はいる。
だが間違ってはいけないのが、それは斬新であったとしても、結果成功するとは限らないことなのだ。そしてその常識や決まり事が出来たのには何等かの理由が必ずある。これは常に頭の中に入れておかねばならない。
2の項で紹介した擁護意見には面白い動画が来れば文句がないような意見も散見された。
だが自分は面白い動画が来たとしても、それはかなり頻度が落ちるものであることが考えている。
彼はニコ動活動していた中でVになるまでの11年間に4本しか動画を出していない。最初の動画から最後に動画あげた期間と捉えても8年間で4本。2年に1本しか出していない計算になる。
そして、彼はVとして復活した後も新しく動画上げようとせず、動画は組み立てていると言っておきながら2週間以上経っているが動画の音沙汰はない。
なのに、急に他のVに凸して生放送コラボしていたりするという行動の不一致も見られる。
彼はマイペースに動画を出しているのではと思われる方もいるだろうが、そんなのんびりやりたいなら尚更「馬犬」という名を出すべきではなかっただろう。
自身がニコ動でどう扱われたのか知っているなら、地道にV活動をしていっても良かったはずだ。
登録者を増やすのならば1週間以内に動画を出すのがベストだったろうが、それをせずに視聴者を煽り、動画を出さない言い訳をしているのは、少し見苦しくないだろうか。
無論メインに別の仕事をしている可能性も大きくあるが、尚更煽りや言い訳をするべきではなかったろう。最初から時間がかかるのなら、次の動画がどれ位になるか目安を言っても良かったはずだ。
そんな言い訳をする彼は本気でVTuberをしたいのだろうか、ただ突発的に思いつきでやっているのではと疑いの気持ちの萌芽は出てしまうのは、彼が心からどんな敬意をこのV界隈に抱いているのか、それが分からないのも一因なのかもしれない。
もし本気でやらないのなら、Pとなって一歩引く道もあるのだし、今の状態のまま続けるべきではないだろう。
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以上が自分が言いたかった「納得できなかった」3つの点である。いかがだったろうか。自分は日記は書かないのだが、彼の転生には納得はほぼなかったと言えた。だから書いた。
これに納得できない人もいるだろう。でもこのまま彼の復活をただ讃えるようになるのは嫌だった。
今まで、どの箱問わず好きになったVは何人もいた、デビューも応援した。だけど、彼の転生は今までデビューしたVとは違う物があった。
彼はマロ読むのに忙しくて目を通さないだろうけど、もし目を通したなら一言だけ。
「人の家を土足で踏むようなことはするんじゃない。」
ウサギと亀に出てくる亀のように、ウサギはウサギ、自分は自分ってようにコツコツ積み上げるマイペース君は凄いけれどね。
規律とか時間を守れなかったり、共有スペースを独占したり、そんなんはマイペースじゃなくてただ協調性がないだけでしょう。
しまいにゃ「日本人は少しでもルールを守れない人間をたたく」なんて言い出す人間もいる。
逆上がりができなくても勉強ができなくても食べ物の好き嫌いが多くても別にいいけれど、人に不快な思いをさせるような特徴は個性でもなんでもない。
みんなが自制心をもって、「あ、これ守らないと人に迷惑かけるな」って思って行動してるのに、それができないのは明らかな障害だ。個性なんて優しい言葉でまとめちゃいけない。
運転中に煽られたら、路肩に止めて110番、というのが最近あちこちに書かれている。
それに異を唱えるつもりはないが、そもそも煽られないようにした方が楽じゃね?という視点はいまいち少ないように思う。
そんなわけで、煽り歴0回、煽られ歴2回、イラっとした歴無数の増田が、
普段気を付けていることを書いてみたいと思う。
まぁ大体の人は実践してると思うけど、ペーパードライバーには役に立つかもしれない、と思って書いている。
書いてみたいと言ったが、これがほぼ全てだ。
何故イライラするか?そこに邪魔する奴がいるからだ。なので、そいつを邪魔しないことが第一となる。
肩身を狭くしながら走れ、と言われているようでムカッとするかもしれないが、
他車に配慮した運転をやろう、と書けばそうでもないのではないだろうか。ものは言いようである。
余談だが、「マイペースで運転すれば安全である」というのは、必ずしも正しくない。
マイペースで運転するということは、言い換えると他車のことなんて知ったこっちゃないという運転だからだ。
では具体的にいってみよう。
左車線は遅い車、右車線は速い車が走る、というのが原則だ。
大抵速い車は右側からブイーンと抜かしにかかる。それが法律で認められているからだ。
そんなときに右側でタラタラ走っている自動車が居たらどう思うか?
法律を守って法定速度で走っているから大丈夫?いやいや、関係ない。邪魔かどうかが全てなのである。
後続車の加速度合いがわからないのであれば、さっさと左車線に入った方が良い。
いや、お前が遅いからスピードを合わせざるを得ないだけかもしれない。
そもそもいつ後続車が来たのか、どれくらいのスピードで追いついてきたか確認しているか?
そんなこともわからないようであれば、左車線だけ走っておいた方が無難である。
後ろから来た車に気付かない、というのは論外だと個人的には思う。
なお、高速道路で追い越し車線を走り続けると、法定速度は関係なく法律違反になる。
その点からも、慣れていないドライバーが右車線を走り続けるのはお勧めしない。
法定速度50km/hの道路では、大抵の車が50km/hもしくはそれ以上で動いている。
止まるのは良い。が、その後の加速が遅いと後続車のイライラの原因となる。
法定速度50km/hの道路でいつまでも40km/hで走っていると
「なんだこいつ?」と思われるのである。
最終的に50km/hまで加速するのであれば、最初にグンとアクセルを踏んで50km/hまで加速した方が良い。
安全確認はしっかりとやろう。そのうえでアクセルを踏むのである。
大体のドライバーは、前の車だけ見て運転しているわけではない。前の前まで見て運転している。
前の前を見て大丈夫だと判断しているときに、前の車が変なタイミングでブレーキをかけると
「なんだこいつ?」と思われるのである。
メーターが法定速度を超えそうになった?後ろのドライバーにとってはそんなの知ったこっちゃない。
人を引きそうになった?そりゃブレーキを踏んでも仕方がない。
右折したくなった?ブレーキを踏む前にウィンカーを出せ。右折するならブレーキ踏むのはわかる。
周囲に挙動不審な車だと思わせてしまうような運転は、間違いなく下手な運転だ。
自分がどう動きたいのかを早めに周囲に知らせれば、周囲はそれに合わせて運転できる。
右折したいときに先に右折ウィンカーを出していれば、後続車は左に寄って避けることもできる。
ブレーキを踏んで減速して、その後でウィンカーを出していると、
「さっさと避けれたのに邪魔しやがってなんだこいつ」と思われるのである。
ブレーキを踏む充分前に、ウィンカーを出すようにしよう。
道を走っていると、左右から合流してくる車があるだろう。
それらの車を自車の前に入れてあげることもあると思うが、やりすぎると自車側の流れが悪くなってしまう。
横から1台入る分だけ、こちら側が1台遅くなってしまうのである。
こちらが優先道路であるにもかかわらず、優先して走ることができない状況が続くと
「なんだこいつ?」と思われるのである。
優先道路を走っているのなら、優先して走れば良いのだ。それで警察に文句言われることはない。
法定速度をかたくなに守ろうとする車がいる。それ自体は悪いことではない。
が、得てしてそういう車は安全かどうかをスピードだけで判断する傾向があるように思う。
スピードメーターだけ気にして、田んぼの真ん中でブレーキランプを踏んだりしていると
「なんだこいつ?」と思われるのである。
ただし近くにパトカーが止まっていると感謝されるのでこの限りではない。
法律を守るなというつもりはないが、個人的には速度より車間距離の方が断然重要だと思っている。
どうしようもなく運転が下手なら、初心者マークを貼っておくのも悪くはないのではないかと思う。
「なんだこいつ?」と思われたときに、「あー初心者なら仕方ないか」と思ってくれる余地を残しておくのである。
ただ、この辺は逆効果になりそうなところもあるので何とも言えない。
基本的には、1~6を守っておけば良いのではないだろうかと思う。
なお、免許を取って1年以上経ってたとしても、初心者マークを貼るのは法律違反ではないらしい。
ここまで書いた通り、法律を守っていれば煽られることはない、なんて言えない。
法律を忠実に守ろうとすればするほど、煽られる側に立ちやすくなることすらあるだろう。
法律は安全に走るための道具である。安全に走ることが目的なのだ。
安全に走ることを第一に、法律を守ることを第二に、くらいで丁度良いと思う。私見だが。
周囲への配慮という意味でも問題が生じがちじゃないかと思っている。
ありきたりではあるが、早めに返納できる環境であれば、返納した方が良いのではないかと思う。
こないだ東北道で若干渋滞してる時に車間距離を詰めてくるトラックを見かけたけど、
そんなもんいくら事前に注意を払ってもどうしようもない。
渋滞してる時にスピード出して逃げるとか車線を変えるなんて無理なのだ。そういう時はため息をつきながら距離を置いて見守るしかない。
個人的には、GPS付きのドライブレコーダーを警察に提出したらシステマチックに検挙してくれるシステムが欲しい。
誰か作ってくれないものか。
(追記)
グラブルが好きだったオタクの自分語り。大体愚痴。グラブルが好きな人はこんなもの読んでないでグラブルやってください。
オチから言うと、グラブルすごい好きだったけどここ2,3ヶ月くらいで一気に冷めた。
グラブルやってる人ならなんとなくわかると思うんだけど、まあ最近すごいよね。自分の場合はやっぱ6月これグラでのキャラ調整中止がトドメを刺した。
何にってそりゃボーダー爆上がり古戦場からの軽量版削除からの鯖落ち古戦場でほぼゼロになってたモチベにね。
グラブルを始めたのはたしかモドリカツウォヌスのイベントの時だった。サポーター石の加護はフレンドじゃないと効果がなかったし、サポ石欄には属性40%石とかがゴロゴロ転がってた。
風はほとんどアナトだったしフレンドのヱビスによく世話になった。
マグナ編成完成とかどれだけかかるんだって思ってた。十天加入なんて夢のまた夢みたいな話だった。
ティアマグが最初に確定流し出来るようになった。よく語られるグラブル一番楽しい時期、マグナ確定流しの時期だった。正直それでも周回きついと思ってたけど。コロ短剣、ユグ拳、その他SR方陣武器、ガチャ産武器、ありがとうな…
アンチラ事件とかコルワハレゼナとかもあったな…DOもちょっとだけやった。ザ・ワールドとも2回くらい戦った。
その後ブラック企業に就職してゲームをやる時間が取れなくなり、しばらくブランクを空けて、転職を機にグラブルを再開した。
これが去年の2月頃。
それはそれは浦島太郎だった。
まず140石にビビった。必死こいて確定流ししてたマグナをワンターンキルできるようになっていた。え?バハルシは?130%?あ、そう…セラフィックウェポン?アーカルム?新石マルチ?なんそれ…
よくわからんけど復帰前に自分には手の届かないコンテンツだと思っていたバハ武器がイベントで貰えると知ったのでとりあえずバハ短剣を貰った。
まあマイペースにやろうと気が向いたときにちょっとずつ触っていた。いつのまにか日に5時間ほどグラブルをプレイする、一般的な騎空士になっていた…
ストーリー見るのも楽しかったし、イラスト集も全部買ってたし、サントラも買ったし、二次創作も楽しかったし、友達や団員と編成の話とかキャラの話するのも楽しかった。コラボカフェにも行った。たぶんものすごい脳内物質が出てたと思う。
グラブルに、運営チームに、KMRに、感謝していた。3月までは信者だったと思う。
4月、エイプリルフールのナゾブルはストレスと10000石を残した。
普通にクイズがわけわからんのに加え、先着順で10000石配布とか言うので、絶対に無理だとわかっていながら夜中に謎解きを始めた。
ナゾブルの答えを見たときと「先着順は嘘でした!」というお知らせを見たとき、完全に同じ顔をしていたと思う。は?という顔。は?しか残らなかったコンテンツ。深い闇は普通に楽しかった。
ルシNはまあいいとして、ルシHはもともとやる気はなかった。じゃあセラフィック4凸するか!と勇ましくマルチに向かうも、まあその…あれだろ。
初めての四大天司連戦部屋は途中で悲惨なことになってきたので(時間がかかりすぎてて退出者がポロポロ出ていた)退出した。自発はしてない。
ちなみに最近野良の四大天司に入ったら途中からどんどん速度が落ち、ふとログを見たら自分ともう一人しか殴っていなかった。というかおそらく自分が殴ってるからもう一人も抜けるに抜けられず、その人が汁飲むから自分もこいつだけ残して抜けられないなと思っていた…四大天司にいい思い出、無し…
まあそれで、軽量版削除だ。その少し前に雫ステージを廃止すると言いながら中止したことを覚えていたし、ネットが荒れたこともあって軽量版削除も中止されるものだと思っていた。実際に削除されるその時まで…
削除前は「ボイス聞きたいから通常でやってることも多かったしまあなんとかなるやろ」と思っていたが、周回とマルチで通常強制はかなりストレスだ。
連戦に参加するのをやめた。
土はマグナ4凸程度だったし上述の諸々でモチベが下がっていたので気合いはそんなに入っておらず、鯖落ちしたときも少し祭りのような浮かれた気持ちでジオがトレンド入りするTwitterを眺めていた。
ただメンテ明けの告知が雑だったことと2日目の補填無し、予選延長なんかに対して不誠実だなと感じた。
この古戦場関連で一番アレだと思ったのが、プロデューサーの特例対応だった。あっふーん、そうなるんだ。なるほどね。そういうのあるんだ。
プロデューサー飲み会の件については自分には不明な点が多いので特に言及するつもりはない。
そして来るこれグラ6月号。
古戦場への言及が無かったことと予告していたキャラ調整中止を見て、なんというか、ついていく気がなくなった。ああそういうスタンスなのかと。
ゲームに不満は多いがいつか何かしら改善されるだろうから、と期待していた部分が瓦解した。これ何も改善される余地がないなと悟った。
それから武器集めも石強化もランク上げも面倒になって、ログインだけするようになった。ちょっと気が向いてやろうと思ったりしたこともあったけど、渋いドロップを見るとやっぱやんなくていいなと改めて思うだけだった。
そのあとは別のゲームを始めたり新しいことを始めたりして、怒濤のようなスタレサプチケ乱発や謎のBAN(BAN自体はいいことだと思うけど)なんかを眺めたり、月末イベのイルカにドン引きしたりして今に至る。
ここ数ヶ月で色々なことがあって、その時は憤ったこともあったと思うけど、特に自分の中で印象的な上述のこと以外はもう盛り沢山すぎて忘れた。
おわり。
タイトルについては、「アルジャーノンに花束を」の主人公が手術でものすごく頭がよくなって最終的にもとの状態に戻った、というストーリーの読後の感情(小説の内容ではない)と、熱中したグラブルに急激に冷めた自分の今の感情がなんとなく似てるなと思ってこういうタイトルにした。好きな人を不快にさせたらごめん。エタラヴは初めて最終したリミ武器だった。
よくあるITベンチャーで働いている。自分は25歳で年収は600万もらっていて、仕事内容は自社サービスの開発と受託の開発。受託の方はPMをやっている。
プログラム書くのもマネジメントするのも誰かから教えてもらったりすることがなくて、業界からすればかなり適当なことをやっている気がする。(ベンチャーあるある?)
そこそこ責任もあってかなり忙しいが、年収は自分の技術力の低さや経験の少なさの割にはかなりもらってるなって思ってる。
ただ、初期メンバーだったからという理由からか、全然仕事をしていない同じ会社の20歳以上年上のおっさんが自分と同じ給料をもらっている。
なんでそのおっさんの給料を知っているかというと、中途社員を雇うときにその人の年収をいくらにするかという話になり、ある金額でその年上のおっさんが「自分と同じ年収か〜」とぽろりとこぼしたからだ。
そのおっさんはマジで働いていない。仕事を振られないとやらないし、振られなかったら何もしない。振られても適当な仕事をして結局他の人が苦労をする。
コードを書くのも自分の方が倍以上書いているのにそれ以外の仕事もたくさんあって、その人と比べると割に合わない仕事をしているように思えてしまう。
結構いい仕事だな〜と思う一方で、どうしてもこのおっさんのせいで自分の仕事量が多いとイライラする。
会社のえらい人にもう少しその人に仕事を振りたいと言っても、「あの人はマイペースだから」「あの人はやるときはやるから」「その仕事はあの人には向いてないから」とか言って断られる。