2020-01-28

でも生きている

中学ときに、気の迷いで信号無視トラックに轢かれ生死の境を彷徨った。一命をとりとめ五体満足なものの、傷をおったし、妹に小さい弟を面倒見させる迷惑長期間かけさせてしまった。

今思えば、小さいときから自閉症傾向で、頭の中がファンタジーとの区別がつかない子だった。案の定転校先でいじめられ、妹にかたみの狭い思いをさせた。こんなろくでもない私を肉親の情だけで仲良くしてくれた妹に感謝しきれない。

当時はアスペルガーADHDと言った知識は広まっていなくて、学校も親も風変わりな生徒で片付け持て余していた。そして、人と馴染めない自分自身、幼少時は一人遊びで周囲を無視思春期差し掛かる転校時は周囲を強く憎み、社会人の頃には、母や妹に負い目をかけさせまいと思う気持ちで、自分を追い込んでいた。自分と基質が似ている父を憎んだことがあった。友達もいたけれど、自分より気弱や内向的相手には高圧的で、自分より気の強い相手には下手に出るクズだった。共通して言えるのは相手を一人の人間として尊重せず興味も持たず、青春時代暇つぶし相手しか見てこなかった。相手から離れられ、やがて自分からも離れた。かけがえのない時間を一緒に過ごすために、楽しくという気持ちがまるでなかった。

人といる時間楽しいと思えない、だけど人といるととりあえず自分も周囲も安心する。自分が人付き合いになにを求めているかからず場当たりに人と会う。なにが楽しいと思えるのか気持ちがついて行かないことも多かったし、その場でふさわしいふるまいを身につけることは覚えたけど、その分、強い相手にはNOと言えない性格になってしまった。相手の機嫌ありきになってしまったのだ。

立ち回る、ということだけで生きてきたから、人や物事に対しての興味なんて気が回らない。自分がどうしたいかより、どう振る舞うのが世間様的にOKかで頭が割かれ、過剰に反応するか、人の言葉額面通りに受け取りすぎて、あとで陰口を言われるか怒られるかだった。自分のいたらなさよりも、怒られるということに過剰に反応してしまい、それを避けるために、ミス隠しもするようになった。

人としての魅力がゼロだ。

もう少し早くに自分発達障害特性がわかれば、少しは生きやすかったのかもしれない。だが、今以上に昔は知的ハンディに過敏に反応していたころだったから、母も当時の自分も認めたがらなかっただろう。

中学ときのあの事故は、生きづらさを感じたとき衝動的な自殺未遂だったのかもしれないと今になって思う。

今、人間関係は最小限にして、仕事も極力感情を出さない、仕事必要以上に引き受けないようにした。ここは協力出来るけどこれ以上は無理という線引きもした。信頼出来る人物になる努力と好かれる努力は別物、どちらかといえば、後者は結果は伴わないことがよくわかった。

好かれる嫌われるに怯えた半生だった。好かれない人生意味はないと思い、結婚までしてしまったが、パートナーが、とことんマイペース人間なので、今までの好かれなければ人生や社交的にならなければいけない人生から距離を置けてほっとしている。

自分語りごめんなさい。

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