はてなキーワード: マイペースとは
緊急事態宣言やら東京アラートやらで外出がしにくかったので、SNSにアップするネタを写真中心から折り紙にしてみた。
私がよく折っているのは8〜16枚のパーツを貼り合わせて星みたいにするやつ。折り紙っていろいろなジャンルがあって、私と同じような折り紙好きな人をたくさんフォローしてみても、案外自分とかぶらない。今までありがちなスイーツ写真とかランチ写真とかをアップしていたので、それに比べるとライバルが少なくて気楽だ。
他のSNSではもう少し本格的な写真を目指していたが、写真を撮るために一眼レフやら何やら重い機材を背負って遠出し、行った先が案外ショボかったり、観光客だらけで思うような写真が撮れなかったりすると疲れた。一緒に写真を撮りに行く友だちがいなくて、ほとんど一人で行っていたが、写真のためだと思うとどこに行くか考えたりするのは楽しかった。「一緒に行く人がいないから、有名観光地とかレジャースポットに行けない」と思いがちな人は、一眼レフとは言わないまでも5万円以上するような高級カメラを買って、「写真を撮りに行くんだ」と思って一人でも出かけるようにすると世界が広がると思う。
それはさておき、折り紙の話に戻るが、これを仕事しながら作ると一個につき2〜3日かかる。パーツの折り方が簡単で8枚で完成するものなら1日で出来るものもあるが、案外エネルギーを消耗する。
が、ついつい他の折り紙写真をアップしてくる人々と闘おうとして次々折り紙を仕上げては写真をアップしなければいけない地獄にはまっている。SNSに投稿するのは義務ではないし、「イイネ!」の数で自分の価値をはかってはいけないことも頭では分かる。
折り紙は写真と違って無理に撮るために出かけなくても良いし、家でマイペースに作れるはずのものだが、それがかえって「頑張って作って写真をアップしなくちゃ」と焦る原因になっている。勝手にプレッシャーを感じて圧力と闘うように折り紙を折る自分をアホだとは思うがどうしても止められない。
日本だけじゃなくて欧米も死者がすごくて世界中がヤバイ状態なのはわかる。
テレビをチラ見した感じだと政府はめちゃくちゃ頑張って仕事しててたぶん国家公務員の人も激務で
医療関係者は死と隣り合わせで仕事してて感染症専門家の人達は寝ずに対策を考えてるんだろうと思う。
人のために仕事ができて素晴らしいなと思う。
飲食店も売上が無くなるにも関わらず自主休業してテイクアウトへシフトして試行錯誤してるのも知ってる。
なんかもう国内だけじゃなくて世界中でコロナと戦っていこう!みたいな雰囲気を毎日感じる。
一方でおれの仕事はコロナの影響がほぼなくて徒歩通勤かつ業務では人と会わないのでコロナ前と何も変わらず毎日出勤して仕事してる。
コロナのために仕事してるわけでもなく、ただただ自分のお賃金のためだけに働いてる。
そんな感じで全くなーんにも貢献してないし先々の不安もない。東京に住んでるのに自分だけ蚊帳の外みたいな感じ。まあ子供の頃からマイペースでいつもこんな感じだったっけ。
外食が減ったからテイクアウトはぼちぼちするけど頻繁じゃないし飲食店の人にとっては雀の涙にもならないでしょう。
そんで家帰って美味しいつまみ食べながら酒飲んでYouTube見て寝るだけの毎日。何かできることもないしな。こんなのでいいんだろうか。
当方コンビニ店員。他の県よりに先に緊急事態宣言が出された県にいる。
半月かもう少し前ぐらいから、市が不要不急の外出は控えるようにとアナウンスを流す車を走らせるようになった。職場の前も通る。
けれど来店する客はだいたいそんなアナウンスは右から左、左から右へ流れるばかりで聞いちゃいない。
公共料金や税金の支払い、食品の買い出しはもちろん全然やってくれていいんだけど、ちょっとおやつ買いに来ただけとかメルカリの発送(受取)を数件まとめてとか、時期が時期だからもう本当にストレスで、今そんなことやってる場合なの???と毎回聞きたくなる。
おやつだっていくつか買い溜めするならともかくポテチ一袋とかシュークリーム一個とかその程度。ほんとにそんなものの為にわざわざ店に来たの?なんで普通の食材やらの買い出しの時に一緒に買っておかなかったの?
メルカリに関しては今この時期だからこそフリマで金銭を稼ぐとか、何かしらの事情があるんだろうなとは思うんだけど、思う事とストレスを感じることはまた別で…。発送する商品の種別が発行される伝票に乗ってるからこっちも普通にわかるんだけど、言っちゃ悪いがしょーもない商品だった時は(こんなしょーもない物を受付する為にこんな中出勤してんのかあ…)となる。
それにプラス、ドラッグストアよりはマシだけどマスクの有無も聞かれるしボケ老人の相手もしなくちゃいけないしそもそもスタッフにすぐレジを混ませるマイペースな婆さんがいるしもう色々と最近メンタルがやばい。自分の選んだ仕事だけど状況が状況だけにいつもより参ってしまう。
緊急事態だーって言われても、みんな結局生活はほとんどいつもと変わんないんだよね。お店があちこち閉まってたり時短営業になって不便ってぐらいで、しょーもない品物やりとりしたりポテチ一袋買ったりさ。頼むから家にいてくれ帰ってくれ。
女子高生がゲームするだけの配信をラジオ感覚で見てたんだけど、ある日投げ銭というシステムがあることを知った。
ただ別の視聴者が少額の投げ銭をしているのを見て、俺もちょっとくらいしてみようかと思った。
1000円分くらい課金して100円ずつ投げてみた。
すると喜ぶ喜ぶ。ゲームの手も止めてありがとうありがとうと言ってくれる。
投げ銭にハマる人がいるのもわかる。こっちは労力を一切払わずに感謝されて少し優越感に浸れる。
そのリアクションが楽しくて2000円くらい結局あげてしまった。
もともとその子は投げ銭で稼いでなかったんだが、俺があげたことによってかなり自尊心が満たされたみたいだった。
過去最高額の稼ぎになって、狭いサークルの中のランキング?みたいなものの1位になったみたいだ。
twitterをみると投げ銭をたくさんもらいました〜ってアピールしてたし、興奮してるのが目に見えた。
今までは視聴者数も気にせずにマイペースで配信をしてたのが、投げ銭のことを凄い気にするようになったんだよ。
それはそうだよね。好きでゲームやってただけなのが急に2000円ももらえたらさ。また貰いたいってなるよね。
ただあのお金は俺が気まぐれであげただけだし、その子に集金技術はない。つまり投げ銭は稼げない。
でもあの子は投げ銭が忘れなれない。配信中も気にしてるのがみて取れる。
あーあって感じ。悪いことしてしまったなあ。中途半端に金なんてあげるんじゃなかった。
【追記】
ごめんなさいごめんなさい。
実は金銭感覚を狂わした後に個人的なやりとりにシフトしたらセックスできるかもって気づいちゃったんだよ。。。
ごめんなさい。。ごめんなさい。。
行動経済学的な寓話ではなくて、犯罪心理学の寓話になりかねないんだよ。
俺もこれを書いた時は心の片隅で思ってただけなのに、狂ってる狂ってる言われて狂ってきた。
女子高生にタピオカ奢って、忍者めし買ってあげて、ホテルに行きたい。。。
殺してくれ。。。
ダイエット成功者で「ストレスで太ってなんとMAX時は〇〇kg!!」みたいな。
わたしは今158cmで55kg。BMIは22なので平均だしそこそこ満足している。元々ゆるっとしたデザインの服が好きだからタイトめの服は着ないし生きてて全く不便はない。
まあ、できれば52kgくらいにはなりたいので食事に気をつけ適度な運動くらいはマイペースにやっている。
どうしてこの「痩せる前は…」にモヤッとするのかというと、わたしは元々体重が96kgあるデブだった。
色々あり、一念発起して食事制限を始めて痩せた。体重が59kgになったときは夢の50kg台だと思って泣くほど嬉しかった。
健康診断で医師から減らせてえらいですね、理想は55kgくらいなのでそこまで減らせるといいですね、と言われたのでもう少し減らそうと思った。
その時は食事制限のみで減らしたので、ここから運動も足そうとYouTubeで「美ボディを目指せ!」みたいな動画を見まくった。ダイエット経験を綴った漫画や本も読んだ。
そしたら出てくる出てくる。「わたしはこのダイエットを始める前、なんと……………54kgもあったんです!!(汗)ヤバいですよね(汗)」
はぁ………………?それ、今わたしが目指してる体重なんですが………………。
必死でダイエットを頑張ってて62kgくらいで停滞して落ち込んでるとき、友人に「そんなに頑張らなくて大丈夫だよ、わたしなんていちばん太ったとき58kgもあったんだよ!!」と言われたことを思い出す。私の体重を知らないにしても、いちばん太ってたとき80kgは超えてること見ててわからなかったんだろうか…。
64kgくらいのとき、別の友人の家で踏み台昇降を勧められ、ちょっとやってみなよと頼りない踏み台を差し出されたので「私が乗ったら割れるかも」と言ったら「大丈夫だよ、これ60kgまで耐えられるんだから!!!」と言われてこれで乗って割れたら60kg以上あることがばれてしまう…と落ち込んだことを思い出す。
どうやら、一部の女性の中で「50kg以上は恥ずかしい、60kg以上ある女はいない」という勝手な想像があるようだ、と思う(もちろん一部の、だ)。
動画の女性へ。あなたの身長で54kgは「標準」だ。健康的な数値であり恥ずべき数字ではない。もちろん、気になるなら痩せればいいが「ありえない体重」では決してない。
なんだか、女性の痩身信仰ってつくづく男性の目とかじゃなく女側の強迫観念でできあがってる気がする。
ストレスや生活環境で健康ではない体重に膨れ上がってしまい悩む人はたくさんいる。縋る気持ちでダイエット動画や本を読み、自分が目指している「健康的な体重」が「ありえない数値」とされていると、頑張る気持ちを折ってしまうと思うから、できればやめてほしいな、と思う。
などとおかしな自己紹介になってしまったのには理由がありまして。
というのも、わたしは人生を振り返った時、そのうちの半分は「自らがおかれた環境下で生きることにいっぱいいっぱいだった動物」だったというのを最近になって自覚したタイプの生き物だったからです。
この気付きから過去の記憶のフラッシュバックが止まらなくなり日常生活が滞ってしまった為、こうして書き出すことにしました。ネットの海に流して供養することが目的の記事になります。
友人や知り合いに吐き出せるような話ではないし、読んでいて気分が良くなるものでは決してないのと、あくまで「わたし」の為のごくごく個人的な文章であることを理解された上で読み進めてください。
また、精神的なネグレクトを受けたと感じた側からのお気持ちなどがあるので、そこら辺を見て落ち込みそう/気分を害しそうな人は見ない方がいいと思います。
書こうとしたはいいもののどこから話せばいいのかな……そうだ、きっかけですね!
これを思い返すことになったきっかけは兄を相手に家族の話をしたことだと思います。
わたしは兄と二人兄弟で、小さなころから同じ家で過ごしました。兄もわたしも所謂オタクを趣味にしていて、いつも何かしら共通の話題があり、この日もひょんなことから幼いころに感じていた家族についての話になりました。
この書き方だとあまりそういう風には見えないと思うのですが、兄とわたしが話すとき父についてのシリアスな会話はタブーのようなものでした(少なくともわたしはそう感じていました)。なのでこのときわたしは、もう2人で擦り合わせをする機会はこの先訪れないかもしれないと思い、勇気を出してシリアスな話を切り出しました。
真っ暗な井戸の底のほうまで下ろしたと重い桶を、慎重に引き上げていくような心地でした。
家族を構成するメンバーは祖母、父、母、兄、わたしの5人。祖父もいましたがわたしが幼いころに亡くなった為、「わたしの家族」と聞いてまず頭に浮かぶのはこの面子です。
兄と話していて思い出したのは毎晩の食卓のこと。始まりはいつも概ね穏やかな食事でしたが、時間が進むにつれわたしの緊張感は高まりました。
それはなぜか?
答えは「父と祖母の怒鳴りあいがいつ始まるかわからないから」です。
間に母が入り両者を宥めるところまでが1セットの物騒なコミュニケーションは、晩ご飯の時間中にどんなきっかけで始まるか、どのくらい続くか、何回起きるかなどわからない尽くしのハリケーンみたいな現象でした。
簡単な喜怒哀楽にうっすらとした自我をふりかけただけの「小さなわたし」にとって、父と祖母が行う激しい親子のコミュニケーションは「こわいこと」として分類されたんだと思います。それがほぼ毎日続くうち「一日の終わりに起こるうんざりすること」にもなったのは自然な流れだったんじゃないかな。繰り返し体験するうちにその特殊なコミュニケーションに巻き込まれるのも、火種になるのも嫌で、食卓の上で誰かに会話を振られても可もなく不可もない答えを返していたし、誰かの琴線にふれてしまわないよう、割とつねに気を張っていました。
自分の食事が終わるとすぐに「ごちそうさま」と言って食器を下げて、兄と一緒に別の部屋へ退散しました。まあ古い家だったので別の部屋へ逃げても怒鳴り声が聞こえてくるわけですけれども。
なぜにこにこと笑っている父や祖母が、一瞬で鬼の形相になってしまうのか。
「それはそういったコミュニケーションの形なんだよ。二人はちゃんと仲が良いから大丈夫、心配いらないよ。」
などとハグしてもらったり、教えてもらうきっかけもないまま体験する毎夜の嵐は、わたしの心を大変疲れさせたのではないでしょうか。(ないでしょうかってなんだよって自分でも思うんですが……そのころにあったであろう学校行事や友人とのこまかい記憶などがうすぼんやりとしか残っていない為「ないでしょうか」としか言いようがない……)
また怒鳴りあいのコミュニケーションは祖母と父の間だけではなく、父と母の間でも行われていました。父母の特殊コミュニケーションの日程は決まって土曜日曜祝日開催。つまり顔を合わせて長く話すようなことがあると、口論としてヒートアップしていったわけです。
小学校から帰ったら夜ご飯と共に家族が口論。土日祝日は両親の口論がランダム勃発、のちに夜ご飯でタイフーン上陸。
以後、このうんざりするようなタイムスケジュールはわたしが高校を卒業してから少しするまで延々、ずっと毎日、十数年続いていきます。
またここまで読んでうっすらとお気づきの方もいるかと思いますが、これはコミュニケーション値が大変低い家族の中でなるべくしてなり、起こるべくして起きた地獄でしかない日々の思い出を吐き出す記事でもあります。この先も気をつけてください。
そうなんですこの家族、全員が全員ともコミュニケーション数値がおそろしいほど低かった。
ここでいうコミュニケーション値が低いというのは「人との関わり方が上手くない」ということで、人に頼る方法での問題解決能力が著しく低いことを指します。
別の言い方をすると「感情を消化させることが不得意」であったり「困ったことは大体自分一人で解決しようとすること」にあたるのですが。なんとこの家族の祖母、父、母の3人が3人とも「本当に困った時は家族に相談せず自分一人で決断するタイプの人間」だったのです。
少なくとも小さい子供の前で困ったときに「困ったな~」と息抜きにでも呟くような人間がいませんでした。口下手なので子供の前でふざけることとか本当になーんにもしないの。かっこいい大人の背中を見て育てってか?え?口から言語を扱ってから言え!バーカバーカ!
失礼、話が逸れました。
それで、そんな大人の姿を見て育った「わたし」という子供はどうなったのか?
「家庭内で困ったことがあっても家族に相談してはいけないんだ」とすっかり思い込んでしまいました。
するとどうでしょう。自分が困ったときにどうしたらいいのかわからなくなり、解決の糸口がガチでわからず、何かあると問題には触れず解決を先送りにし、心に不安とわだかまりを抱えたまま癒しを時間に任せて過ごしていくことばかりを覚えていったのでした。
~おしまい~
……いやもちろんおしまいなんてことはなく、「わたし」の人生はそこで終わらず続いていったので、普通に人との接し方がよくわからない人型の喋る動物が大きくなっていっただけなんですが。(なんですかこれ、言葉にするとめちゃくちゃ怖いな……)
途中でなんとかならなかったのか?という問いには「残念ながら……」という回答しか差し上げられないんです。本当に。残念ながら。
そもそもなぜなんとかならなかったのか。
それは「わたしの自我が形成される期間中、親への信頼なくなったこと」が多分大きく関係しています。
わたしの両親は共働きで、週休2日の週5勤務。母は帰宅したら少し休憩をしてご飯作りを始め、父は帰ってきたら風呂に入ってご飯の前の晩酌をする。まさにひと昔の夫婦って感じでした。
これだけ書いたら「なんだ、普通の家族じゃん」って感じなんですが。ここに「夫婦はどちらも自分一人の時間がないとしんじゃうタイプの人間で、作業や趣味や息抜きも一人で没頭したいタイプ」、「なお2人は仕事でクタクタに疲れたコミュ障」という特性が加わると、どうなると思いますか?
結果をお伝えすると、2人の隙を見ては今日の出来事や楽しかったこと、悩み事などを話そうとしていた幼いわたしが、見えないシールドにはじき返されて転ぶばかりになりました。あと癇癪持ちの酔っ払い相手(酔った時に話したことは覚えていないタイプ)にする真剣な悩み相談ほど、面倒で参考にならないものはないですよね…。(遠い目)
また、このインターバルにも思える時間を逃すともうだめです。チャンスはありません。最初の方に書いた、いつ雷が落ちるかな?ドキドキ☆晩ご飯タイム()になってしまう為、まともにお話しできるような時間はおしまいです。解散!
そして「何よりもただただ話を聞いてほしかったわたし」はこのころの経験から、そういった方面での親への信頼をじわじわと減らしていきました。もともとの内向的な性格と、両親からいつ発せられるかわからない大きな声への苦手意識ゆえに、その不満を爆発させるような機会もなかった為だと思われます。我が子からのそういった信頼値がマイナスに傾いているなんて事実、両親は知らずに生きていることでしょう。わたしも今更そのころのことを知らせて、改めて地獄を見る気はまったく以てありません。
ちなみに、わたしは小さなころから「手のかからない」と評されてきたタイプなのですが、実情は「親への信頼度の低さゆえに何も話さなくなった子供」になります。
忘れられない話なのでついでにここに書きますが、高校性のころ三者面談で割と信頼していた担任が
「おたくのお子さんのように子供を育てるにはどうしたらいいですか?」
と父を持ち上げたとき
「いやあ、放っておいただけですよ。」
と照れ臭そうに答えた映像がいまだ焼き付いて離れないんですね。「心の底からやめたほうがいい。」と思ったけど、そのときにはもう心の開き方がよくわからない動物になっていたので(あと不意打ちのショックで)、そのことを担任には伝えられなかったことが心残りでならないです。
(他にも、親がわたしが子供のころの「手がかからなかったエピソード」を良き思い出のように話すのを聞く機会があると、心が荒れ狂って獣のようなかたちになってしまうんだよなあ。いつか本物の虎にならないよう注意します。)
あとこの記事を書くきっかけとして兄との対話がありましたが、兄曰く
ということだったので擦り合わせのようなものはかないませんでした。ちょっと残念でしたね。
こんな環境の下でグレる気力もなくしたわたしが、体だけはすくすくと立派に育ち、高校生くらいになった時の話でしょうか。
父が仕事で体調を崩し、自宅で過ごすことが多くなっていたころです。
いつものように休日を家で過ごしていた両親とわたしが昼食を食べていたとき。わたしにとって衝撃的な事件が起きました。
と言ったのです。
…………h、?は?
ハァ????????????????????????????????(フォントサイズ最大)(太字)(赤色)
と、そのときは思わず内心ではバチクソにブチ切れる若者になってしまいました。その後「えへへ…(照れ)///」みたいな態度を返した母に対してもです。
突然のことに(非常に残念ながら)体は驚き固まり動かず。突然見せつけられるリアルな夫婦の惚気(十数年間生きていて初めての!)とのにテンションの差でしにそうになりながら、息をするのがやっとだったわたしは、心の底から思いました。
その後わたしの遅めでささやかな反抗期「挨拶や会話を振られてもちゃんと返さない(面倒な人間を相手にぶつかり合うのが面倒になっている為こうなりました)」が発動されることとなりました。
また、今思い返してみればという話ではありますが。
わたしの両親は「限りなくマイペースで自分のペースが保てないとストレスを溜め爆発する」、「一人の時間がないとしんでしまうタイプ」、「作業や趣味や息抜きも一人で没頭したい人間」、「疲れるとコミュニケーションの余裕がなくなる(もともとのコミュニケーション許容量が多くない)」という属性のほか、
という隠れ属性を持っていたわけですね!すごい!
もっと早くに知らせてほしかったな~~~~~~~~~~泣きそう!!!!!!!!!!!!!(もう泣いてる)
幼い子供の前で十数年!ガチシリアスな雰囲気で怒鳴りあい時に片方と見ていた子供が不安で泣くようなギスギスした特殊コミュニケーションが?!痴話喧嘩だったなんてことあるか?!?!?!?!?!?!!!知るか~~~~~~~~い!!!!!!!も~帰らせていただきますわ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!(実家が住む家)(秒で顔合わす)
ハァ……ハァ……
冒頭に書いた通りですが、最近になってやっと比較的ちゃんと人間としての心が正しく揺れ動くようになったので、これが「怒り」であり「悲しみ」だというのを”理解”して”発露”してしまいましたね。フフッ ウッカリウッカリ☆(棒読み)
そんなこんなでややダウナー気味の反抗期を迎え、両親との溝を更に深めたわたしですが、更なる問題が発生します。
私が大学に入ってすぐのころ、父が亡くなりました。
大病の末の結果なので、家族として心の準備はできていたと思っていたのですが、それでも誰かがいなくなるのは悲しいですね。
などと心から人間味のある言葉が出てくればよかったのですが、そんなことはなく。ただただ日々感じていたひとつ大きなプレッシャーから解放された自分の心を、不思議な目で眺めるわたしがいるだけの生活になりました。
特に大きく日常が変わることはなく、このまま過ごしていくと思っていました。しかしそのときわたしは気づいてしまった。
「あれ?もしかしてこの先もずっと生きなくちゃいけないのか……????」
そう、そこでわたしは「自分の人生に真剣に向き合うということをおろそかにしていた」ことに気づいてしまいました。
「家でプレッシャーを放ち続ける父母祖母のご機嫌を伺いその日その日を生きること(解放されるのは外出時と寝る時)」に人生の大半を費やしてきたわたしはどうも「自立する」、「新しいことに挑戦する」、「ペットを飼いたいと交渉する」など、両親との長めの話し合いが発生する場を悉く避けて通ってきたようです。本当に、ここまでまったくの無自覚でした。
まあ気づいたところで急に何かに目覚めるわけでもなく、まずもって気力がないので出来るわけでもありませんでしたが。「このままじゃいけない気がする」という漠然とした焦りから、映画や漫画、アニメなどの創作物に対し、心新たに触れるようになりました。(もともと漫画やアニメなどは好きで小さいころから見ていたんですが、日常からの逃避先がそこだった為か、内容を覚えていたりいなかったりするんですよね……記憶がない状態で楽しむアニメと漫画、めちゃくちゃ面白いよ!ヤッタネ☆)
その後なんやかんやで就職できて、何年か社会人を経験し、先輩や同僚にもまれたり気の合うゆかいなオタク友達との出会いがあったお陰で、やっと「人語を話すけど意思の疎通がはかれない人型の動物」から「たどたどしいがやろうと思えばなんとか意志の疎通がはかれる人型の動物」にクラスチェンジできました。
こんなクソ重いありがとうを直接伝えることは憚られるので、ここで叫ぶことをお許しください。
特にゆかいなオタク野郎のみんな~~有難うな~~~!!!これからも仲良くしてくれるよう頑張るよ~~~~!!!!!
相変わらず親に似てコミュニケーション容量が低いままではあるけど、それも含めてなんとかやってます。(しかしここまで来るのがあまりに長かったので、これまでに大変なご迷惑をお掛けした人のことを思うと、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にすみません。もうこんな(わたしを始めとした)人間未満みたいなものに出会わないようにと祈っております。日々が穏やかで良いものでありますように。)
自分では上記にある辺りの激しめの感情はとっくに昇華されたものだと思っていたのですが、疲れて余裕がないときにバラエティなどを見て笑っている母をみると無性に苛立ち、シリアスに泣き出したくなってしまうときがあります。ちょっと危険だなぁと思っています。一種のボーダーラインだと思ってそういう時は寝て回復に努めるのですけれども。
この文章を書きながら全然昇華されてなくて自分でも笑ってしまいましたし、いつか本当に追い詰められた時に有事を引き起こしてしまうようなぼんやりとした予感があります。お金が貯まったらちゃんと離れて暮らそうと思います。お互いの為にもね。
また未だに「健康な精神状態で運営された家族という団体」への憧れは強くあるようで。
誰かが手掛けた創作物でキャラクターが心通わせる表現にふれると、あまりに眩しく尊く感じ涙を流したり、TLで健全なコミュニケーションが成立し、信頼関係が成り立ったご家族のアカウントを見かけると「本当に実在し(ていてくれ)たんだ」と感動してしまいます。なんか、アレだ……太陽の光に当たってぼんやりと、あたたかく眩しいなと感じるような瞬間に似ています。存在していてくれて本当に有難うございます。わたしが勝手に救われています。
繰り返しますがこの文章は、それなりに情緒が育ちその当時の感情の言語化、過去の振り返りおよび分析ができるようになってきた「わたし」が、その気づきとともに過去の自分の感情に圧し潰され、溢れだす記憶に涙が止まらなくなり、座り込んでしまった「わたし」のための個人主観の記事です。
今何かに苦しんでる「あなた」を追い詰めるためのものではないので、もしもここまで読んでちょっと苦しくなっちゃった人は、とりあえず体をあたたかくしてゆっくり休んでほしい。休んで。寝て忘れてね。どうぞお大事に。
ときどき思い出に苦しめられつつ、寝ずに一気にこれを打ったので、ところどころぐちゃぐちゃな文章になっていると思うのですが、ここまでお付き合いいただき本当に有難うございました!
こんなところまで読んでくれたあなたにも、ちょっと良いことがあるといいですね。
それでは。
僕は音ゲーマー、26歳。
あれは2年前のことだった。
キッカケはわからない。突然何もかもがわからなくなってしまったんだ。それまでは、自分の人生を疑ったことなんてなかった。もちろん、24歳で「彼女いない歴=年齢」ということで、色んな人に色んなことを言われたものだ。でも気にしていなかった。僕には音ゲーがすべてだった。
音ゲー。みなさんは音ゲーを知っていますか?僕は知りません。。。
音ゲーって一口に言っても一杯ある。みんなの知ってる太鼓の達人、jubeat、DDR、一杯あるけど、僕は不器用なのでBeatmania IIDXしかプレイしたことがない。しかもSPといって、両手をダイナミックに動かすカッコイイやつじゃなくて、7key+スクラッチという狭い空間を両手でやるプレイスタイルしかやっていない。正直、音ゲーマーを名乗っていいのかわからない。
でも僕は音ゲーが大好きだった。どんなに嫌なことがあっても、音ゲーをしている間は没頭していた。DOLCEさんみたいになりたい。それなのに。。。
突然、「普通」にすごく憧れるようになった。いや、僕はいたって普通だ。特筆する特技もないし、秀でたものもない。成績も普通だった。IT系の専門学校を出たけれどIT系に就職したわけでもない。でも普通じゃない部分があった。人並みの人生経験が足りないということだ。
恋愛はもちろんのこと、旅行もしたことがない、海にも行ったことがない、海外にも行ったことがない。そのことを今までなんとも思っていなかったのに、突然ひどく気になってしまった。こういうの、クォーターライフ・クライシスとか言うらしい。今までの人生のすべてを疑ってしまった。なんだか取り返しのつかないことになってしまった気がした。焦るままに、マッチングアプリに登録した。
。。。そこで何があったのかは書かないでおこうと思う。とにかく、ひどい失敗をした。全部僕のせいだ。
それからしばらくは、何にも手がつかなかった。今までの人生、これでちょうどキリがいいかなとも思った。でも決めた!恋愛はダメでも、ちゃんと自分なりに楽しく生きようと。何もかも「どうせやってもダメだ」と最初からあきらめるのではなく、やれるだけやってみよう!人生、恋愛だけがすべてじゃない!恋愛なしでどれだけリア充できるか挑戦だ!!!
それからは、本当に色んなことに手を出してみた。
まずボルダリングジムに行ってみた。スポーツはからきしダメだったけど、ボルダリングはマイペースにできそうなのが良いなと思ったのだ。小さい頃、木登りに憧れていたけど、身体が弱いので、友達が登っているのを黙って見ていた。でも本当は登りたかった。
ボルダリングはそれはそれは楽しかった。あれは、ただ突起を登るだけじゃない。ちゃんと「コース」が決められているんだ。一つ一つの課題には「使って良い突起」が決まっている。それを上手に使ってゴールする瞬間!!!!!その達成感!!!!!クリアの快感。そこには、もう一つの音ゲーの世界があった。
山登りも始めた。なにより、ボルダリングで女友達ができて、一緒に山に行くようになった。恋仲というわけではなくても、たわいもない話をしたり、一緒にホットサンドを作ったりするのが楽しかった。
そして、IT系にコンプレックスがあったので流行りのAtCoderを始めてみた。頑張るとGoogleに入れたりもするらしいと噂のやつだ。最初はとんでもない天才ばかりかと思ったけど、いや天才ばっかりなんだけど、意外と僕にも解ける問題も用意されていた。AtCoderは登録は簡単だし、初心者用のBeginner Selectionというのがあるし、沢山の人が解説記事を書いていて、とても始めやすかった。最初は何をやっても「WA」とかいうのしか出なくて、ナニコレ!?と思った。WAはWrong Answerの略、つまり間違ってるというこだ。けど、あれこれ試すと突然、緑色の「AC」という文字列が目に飛び込んだ!正解だ!
これはもう、なんというか、凄まじい快感だった。そしてその瞬間気がついた!!お前も音ゲーと一緒か!!!
これはいい!専門学校時代、一応プログラミングを少しは学んでいたけど、特に作りたいものがなくて、プログラマはやっていけないと思った。でもAtCoderなら音ゲー感覚で楽しめそうだ。そう思ってから、いつの間にか沼にはまっていた。「恋愛なしでどこまでリア充できるか」ということで色々やっていたはずなのに、気がついたらAtCoderばっかりやるようになっていた。
最初の壁は厚かった。なかなか茶色になれなかった。でも、あるときふと気がついた。
for (int i = 0; i < n; i++) for (int j = 0; j < n; j++)
こういうfor文がネストするやつ、みんなは抵抗ないだろうか?僕はあった。こんなのが当たり前に出て来るのだ。意味がわからない。でも、ふと気がついた。これって、ゲームのステージ5-3みたいなやつと一緒じゃないかと。外側のループは「レベル」で、内側のループは「ステージ」だ。各レベルのステージを全部クリアしてはじめて、レベルがインクリメントされるのだ。つよつよな人から見たら当たり前のことかもしれないけど、僕にとってこの気づきは決定的だった。なんか急にC問題が解けるようになってきた。だってAtCoderの問題って、「なんか二つ決めるべきことがあって、両方バラバラに考えてると訳がわからないけど、一つを固定するとなんか解ける」みたいのがすごく多いの。
そして300点、400点が解けるようになってきた頃、AtCoderで有名な方が「東大の数学の問題は300〜400点くらい」なんて言うもんだから、「え?なになに!?僕ってもしかしたすごいの!?」と思えてきた。で、調子に乗って東大の問題を見てみた。
。。。。。。。うん...なんもわかんないね。まあそんなもんか。。。
でも、そこには驚きの光景があった。解き方はわかんないけど、問題の意味はわかるようになっていたのだ。僕は学生時代、数学なんて宇宙語でしかなかった。でも今は、問題が何を聞いているのかはわかる!これってすごいことじゃない!?
(ちなみにその有名な方にはいつも本当にお世話になっていて感謝しています。)
びっくりしたので、それまで以上にAtCoderにのめり込んだ。そうしてとうとう緑色になった。Twitterでふと呟いたら、沢山の人が祝ってくれた。嬉しかった。最高の達成感だった。なんだか、ようやく自分の居場所を見つけたような気がした。人の生き方は人それぞれだ。人それぞれ、みんな自分のやりたいことがあって、それぞれの居場所があって、それぞれ一生懸命生きている。そんな当たり前のことにようやく気がついたのだ。
そのときLINEの通知が届いた。いつも一緒に山登りしている友達だ。よくわからないうちに「私と付き合って」と言われた。
びっくりした。でもなんとなく予感はあったのかもしれない。その場で「もちろん!僕も嬉しい!」と返事していた。それからは、僕ららしい生活。特に派手な服を着ることもなく、派手なことをすることもなく、今まで通り山に登ったり、一緒にAtCoderを解いている。こういう等身大なあり方が心地良い。
こんな僕のこと好きと言ってくれてありがとう。
【登場人物】
義姉(妻の姉)・・・専門学校卒、パート。勉強嫌い意識あるが頭良い。
義姉の旦那・・・高校卒、自営業。勉強嫌い意識あるが、頭良い。
【問題意識の背景】
私の妻の姉にも、小学1年生の子供(いとこ)がいる。妻と姉は仲が良く、家も近いので子供同士も仲が良い。今の環境にとても満足している。
ただ、一つ気がかりな事がある。私の妻も、妻の姉、妻姉旦那も、「勉強・大学進学できなくても別にいいじゃん?本人が良ければ」という考えなのである。
ちなみに私は「勉強・大学進学した方が得じゃん?別にそれが全てでは無いけど」という考え方だ。そう考える理由は、自分の事を「頭が良くない平凡な人間」という自覚があるからだ。「平凡な人間」こそ「勉強・進学」することはメリットが高いと考えている。
ヒトと会話をしていると、その人が頭が良いか(「学校の勉強ができるか」ではなく、「仕事ができるか」に近いと思っている)はある程度推察できる。少なくとも、ここの登場人物は、皆私より頭が良いことは、普段の会話の中で判断できた。
頭の良さ(頭の回転スピード・論理的思考力・思考のバランス)は下記順だ。
義姉の旦那 > 義姉 > 妻 > 私
妻 > 私 > 義姉 > 義姉の旦那
正直、皆私より頭良いのだ。だからこそ、「なぜ大卒なのは妻だけで、妻の姉も、その旦那も、大卒じゃないのか?」が疑問だった。頭が良いのであれば、勉強しないメリットは無いと思っていたからだ。
答えは単純で二人とも「学校の勉強は苦手・嫌い だったから」だそうだ。二人とも本を読むのが好きではないらしい。確かに家に行っても本がほとんど無い。
私と妻は「学校の勉強は嫌いじゃなかった」から大学に行った。本当にそれだけの違いだ。
そして義姉の旦那は高卒後、色々な仕事を転々とし、独立して自営業を始めた。仕事も順調で、収入も良い。自営業(経営者)なので考えないといけない事の多さや、安定性はサラリーマンより不利かもしれないが、行動力があり、とても凄いなと、いつも尊敬している。気遣いもできて、人間としての器も広い。とても私は敵わない。
そういうバックグラウンドで仕事は成功しているので、子供に対する 勉強・大学進学にこだわっていない事は理解できる。「でもそれは、義姉の旦那さんが積極的な性格で、トライアンドエラーを繰り返し、頭が良かったからうまくいっただけですよね…?平凡な人間であれば、少なくとも良い大学出といた方が、メリット大きくないのですか?」と私は内心思っている。もちろん直接は伝えた事は無い。
妻と、妻の姉も、子供に勉強させる意識は高くない。「理由はなぜか?」を聞いたら、「勉強するかしないかは本人の問題であり、親がさせたり、誘導するものではない。」との事だった。ごもっとも過ぎる。少なくとも妻姉妹は「勉強しろ」と言われた事は一度も無いらしい。そしてその背景は、妻の親が自営業者で、大学は出ていない事が関係しているのだろうと、私は勝手に予想している。
それに比べて、私の親・親戚は典型的なサラリーマン家系だ。サラリーマンだけではなく、教育関係者や、医療従事者もいるが、少なくとも男で大学卒業していない人はいなかった。そして、子供の頃住んでいたのは、大企業の社宅だったので、周りの家族も似たり寄った考えの人達の集合だった。周りの子供達も。よって「勉強しない・大学進学しない」という選択肢がそもそもなかった。小中高も同じ考えだった。大学生になってそれが全てでは無いと初めて知ったのだ。アホである。でも知る事が出来て良かった。さらに社会人になると、大学卒業していないけれど、はるかに頭が良い人、仕事ができる人、天才な人がたくさんいる事が分かった。自分は平凡である事をとても強く感じる事ができた。
私にはそういうバックグラウンドがあるから、自分の子供にも、普通に勉強して、普通に大学を卒業して欲しいのである。なぜなら自分には自信がないからだ。また、子供の能力を信頼していない事も原因にある。逆それ以外の選択肢を子供に取らせる事により、子供に不利益を生じさせた場合、「自分が後悔するだろうな。それは嫌だな。」と考えてしまうエゴもある。
ただ、実は「自分の子供が勉強できるか、大学進学できるか」は、実はあまり心配していない。なぜなら自分の子供は自分にそっくりだという事は見て分かるからだ。具体的に言うと、アスペルガー症候群っぽい性質だ。超マイペースだが、色々な事に興味があり、勉強はあまりしなくても成績は良い。本を読むのが大好きだ。そしてなんでもすぐに覚える。ただ、周りの人の気持ちには無頓着でワガママだ。
よって、心配しているのは、義姉の子供(いとこ)だけなのである。この子は、勉強に苦手意識がある。成績も良くない。勉強の内容を理解せずに、丸暗記で乗り切ろうとしているからだ。でも頭は良い。だから丁寧に教えてやればすぐに理解する。ただ本を読むのも勉強するのも好きじゃないらしい。これは本人から聞いた。そしてその事に対して、本人も親も心配していない。心配しているのは私だけなのである。いとこの親は「自分達に似てるから勉強できないのは仕方ないよ 笑」って感じなのである。
私からすると、「いやいやいやいや、そんな事無いって。あなた達に似て頭良い子じゃん。ただ勉強しないだけじゃん。勉強しないから苦手なだけじゃん。苦手だから嫌いになるんでしょ?それ勿体ないじゃん。現に俺が勉強教えたら、すぐに理解して、すぐに成績上がったじゃん。嬉しそうにしてたじゃん。頭良いのに勉強させないのは勿体無いじゃん。勉強に興味を持たせたり、本を読む事の面白さを伝えたり、今の時代、本だけではなく、アプリも動画もあるのだから、そういうもので興味を持たせてあげる必要があるのではないの?」と言いたいのだ。
上記の考えは妻だけには伝えているのだが、「その考えは合ってるかもしれないけれど、それは俺の考えであって、おねーちゃん家族・子供 の考えじゃないじゃん。口出すことではないよね」という回答だった。
まぁ、ごもっともなのだがモヤモヤする。「その子の可能性を一つ増やしてあげるのは親の責任なのではないの・・・?どうなの?」とは思うのだが、自分の子供の事では無いので強く言えない。
「別に勉強できなくても、大学行かなくても良いよ。でも行けるなら行っても良いじゃん。可能性広がるよ。例えば・・・」ってイトコに色々伝えたいのだが、捉え方によっては、大学に行っていない人(イトコの親)を蔑んでいるようにも聞こえなくは無い。そんな事は全く思っていないので、そう思われる可能性があるのは辛い。よって伝えてない。
どうしたら、子供のいとこの教育・進学に対する意識を変えられるのだろう。
誰か教えて欲しい。
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妻「そのイトコも親と似たような人生歩んで成功するかもじゃん。なぜそこまで勉強・大学にこだわるの?今のご時世、大学卒業して大企業に入る事がベストコースと言えないでしょ」
→それはそうだけど、小中高大学で良い学校に居た方が、色々な世界・知識に触れる事ができるし、メリット大きいし、将来の選択肢と私は思うんだよなぁ。
今の友人とはもともと3人グループで遊んでた。
ようになったのだけど。
ずっと気になってることがある。
暮らしているのもあって(旅先で仲良くなった)
旅行や近くに寄った時についでに会うことがメインだった。
持ちかけてくれては私たちが付き合う形。
という形がデフォルトになりつつある。
んで、私、中国地方なのね。
遠いの。交通費すごいの。
そりゃ、仕事で行くことも多いけど、自腹なの。
私の地元に誘っても良いけど、何もないとこなので
誘ってもこねえな、とわかってる。
貯金もなく、あまり裕福な生活をしてない彼女とUSJに行った時は
一泊2千円の宿にするか千五百円の宿にするかでだいぶ相談した。
払えなくはないんだけど、って五百円くらい、あんた・・・と内心
思ったけど黙ってた。
でも、一番イラついているのは、最年長が誘った(私たちにしては)
私が誘うといつも「行きたい」としか言わないこと。
行きたい、というけど、お金のかかることなので、何ヶ月も前からプランと予算を提示してんのに
「行く」か「行かない」かを明言しない。
その「行きたい」ってただの希望?
私は一人でも行けるので、自分の都合で日程決めて行こうかと思うけど
「行きたい」と言い続ける人を無視して良いのかわからないし、かといって
優柔不断なだけならまだいい。
なぜ他方にはどんな遠い場所でも直前でも行くと即答したのに、近場の
私の誘いには何ヶ月も返事はぐらかすの?
何度も「無理にこなくていい」といってるのに、「気持ちとしては行きたい」って
なにそれ?
私が聞きたいのは「いく」か「いかない」かだけ。
希望なんて聞いてない。
そして何で他方には即答して私にはチンタラ答えはぐらかすの?
下に見られてる?
普段仕事の相談とかですごい世話になってるのは自覚してるから堪えてるけど
何年もずーっともやってしています。
そして、関東は好きだけど、何度行っても、地元民のあなたがきちんと
私が行きたい場所調べて、そこに連れて行くだけ。
宿貸してくれるのはありがたいけど、でも、私が遠方から友人来たら
私も地元調べて案内くらいするよー?
何でそんな受け身なの?
都会に来るだけで喜ぶ田舎もんだと思うなよ。
もう行けるところはほぼ行ったわ。
最年長の子が今まではうまくリードしてくれてたから、スムーズに
旅行できてたのに、二人だとガタガタ。
正直、プラン決めからこんな引き伸ばされるともううんざりだわ。
余裕で楽しめるけど、近場だから誘ったのに。面倒くさいやつ。