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ネットストーカーの怖さを知った夜・ネットで個人情報を晒す危険性 - 天才ブログ
http://b.hatena.ne.jp/entry/tensaychang.hateblo.jp/entry/netstalker
one00one コワイコワイコワイコワイ…
mamashizue こわいこわい…
etenatsu 怖い。無事でよかった。
pojihiguma これは怖い。ネットストーカーのお話。ネット黎明期にこの問題が起きて法規制入るということは今考えれば当たり前のことなのだけど、当時は想像もできなかった。
iGCN 怖すぎ。
chai-desu 怖い・・。そういうの話にはよく聞くけどやっぱりあるんですね。本人は付き合ってる気持ちになっているんでしょうか。場所がわかるような写真もツイートできませんね・・・。
kitano_ow2 普通に怖い
cyancy うわぁあ、怖い。
Daisuke-Tsuchiya コワ。とりあえず大事に至らなくて?よかったですね。
dokuwohaku 怖いですね…! 個人でも物を売ったり仕事をする時には住所を載せないといけないので辛いですよね…。ショッピングストアなら、Zazzleやitaxesというオンデマンドストア(というのかな?)を利用するのもありかも…。
ookiminori うあぁ、怖い…。
ketudairakusaemon 本当に生きている人間が一番怖い(ФωФ)
ken530000 普通に怖い、怖すぎる。これは警察の出番じゃなかったのかな。
nursewaltz こわい・・(´Д⊂) 普通の知らない人からのセールス電話もやなのに。
kamkamkamyu うええ、こわいですね。。
頭の良い人とは、多方面の知識を結合させる能力が高い人のことだと思う。たまにはてブを通して、そう思い知らされるような記事に巡りあう。今日見た中ではこれだ。
この能力が高い人は、きっと世の中の見え方が凡人とは違う。きっと見聞きした些細な物事の中にも閃き、驚き、興味深さを見いだして味わうことができるのだろう。時事評論などをさせると、鋭い切り口を披露してくれたりする。池上彰なんかもそうだし、池田信夫もそうだと言えるだろう。ただ前者はポリティカリー・コレクトの傾向で、後者は逆で極端な思想を帯びている。これはいい例で、この能力を持つ人でも、言い方によっては衒学的で反感を買うこともある。とはいえ、ブログ主のように淡々と誠実な話しぶりをする人が多いように思う。
翻って私は、いい歳になってきたもののそこまで聡明でもない。結合させうる豊富な知識の引き出しもないし、上手に言語化もできない。時事評論どころか、せいぜいアニメを見て「よかった」と言う程度の能だ。けれどアニメ感想というジャンルでも、いや、このジャンルこそ、頭の良さを感じさせる豊かな視野を持つ人と、そうでない人の差が激しい。残念なことに後者ほどコンテンツを楽しめておらず、通ぶって酷評を振りまいているように感じる。おそらく、先述の能力の乏しい人が利口ぶろうとするとこのように殺伐とした空気になるのだろう。ネットを見ているとうっかり巧妙なdisの空気に取り込まれそうになるが、自分は安易にそうした言説に染まらないように気を強く持とうと思う。
http://d.hatena.ne.jp/saebou/20151221/p1
「非常勤講師」とは雇用契約を結んでいない。1コマいくら、学期単位で委嘱している。たとえばブコメにあるように民間の人に来てもらって講義してもらう場合とか、あと奇妙な話だが内部の教員が本務以外の他学部で講義を持つ場合も非常勤講師扱いになっている。単価には幅があるが概して安い。これはターム制導入以前からはっきり言って安すぎるし、ターム制に移行したための負荷の増加というのも正直あまり考慮されていないだろうと思う。脱線するがターム制は前総長時代に秋入学だなんだでさんざんぐだぐだやったあげく妥協の産物として任期ぎりぎりに制定された間に合わせの制度という印象がある(学部によってタームの時期違ったりする)。ただ準備に充分な時間があったとしても非常勤講師の人件費にお金が回ることはなかっただろうなという気もする。国立大学法人の予算に余裕はないが、中でも教育部門は深刻だ。一番お金を持っている大学でこれだから他は推して知るべし……というところだと思う。
「教職員」の定義は「雇用契約を結んでいる教員および職員」であるので、非常勤講師の多くはそれに該当しない(上にも書いた通り例外はある)。“非常勤講師は東大と雇用契約が無く、「教職員」ではない”というのはその定義の上では全くその通りである。とはいえそれだけ聞いたらわけがわからないのは間違いない——というかともすれば心無い言葉にも聞こえるし、ブログ主にはそう響いたのだろう。説明の際に言葉が足りなかったものと思うが、申し訳ない話だ。非常勤講師の皆様が居なければ大学の講義・授業はとても成立しない。人事制度用語としての「教員」には該当しなくとも、教育を担う重要な方々であるという認識は事務部門として当然に持っている。
ただ、その定義の上では“「教職員」でない人に学生を教えさせてい”ること自体は必ずしも問題とは思わない。学生を教える人と必ず雇用契約を結ばなければならないとしたら、今度は民間の人に講師を引き受けてもらうことが兼業規定とかの兼ね合いで難しくなったりするだろう。
それと、講義を委託するのであっても、すなわち結果さえ伴えばどうやっても自由、ということではなく、やはりある程度やり方についても指示をする、ということ自体は充分あり得る。そこは委託の形態次第だ。しかしブログ主がここにひっかかっているのは本質的には雇用形態の問題ではないと思える。
余談だが、「非常勤」という言葉には別の意味がある。まあ、このブコメにある通りなのだが、
defy1 非常勤講師ってのは職名というよりいわゆる単発バイトの名称であって、国公立大における非常勤教職員(パート教員)とはまったく別。国公立と私学の文化的・制度上のギャップも大きそう。
「教職員」の中にも「常勤」と「非常勤」があるのだ。ただ、学内ではほぼ通じる言葉だが多分正式な用語ではない(逆に「非常勤講師」は正式なタームの筈である)。ざっくりいえば常勤の人は月給で働き、非常勤の人は時給で働く。
と「教職員」にも8通りの形態があると考えていただければよくて、「非常勤講師」はこの中にそもそも入らないというのは上に書いた通り。
ブログのコメント欄で出てくる「東京大学特定有期雇用教職員」「東京大学短時間勤務有期雇用教職員」「東京大学特定短時間勤務有期雇用教職員」という呪文のような職名はそれぞれ「常勤-教員/職員-任期あり」「非常勤-教員/職員-任期あり」「非常勤-教員/職員-任期あり」を指している。あとのふたつがどう違うかは自分にもわからない。
まめちしきとして、職名に「特任」とついている人は任期ありである。報道で「特任教授」とか「特任助教」とかいう職名を目にすることも多いかと思うがあれはそういう意味だ。常勤か非常勤かは区別がつかないので、例えば月に1回だけとか勤務してる特任教授なんてのもいる。
ちなみに非常勤の任期なしというのはもはや存在しないが、国の頃から在籍している人には経過措置でまだ残っている。何十年も同じ研究室にいる秘書さんなんてのは代表的な例だ。
閑話休題。
データベースの話は初見では自分もブコメに書かれていたのとほぼ同じ、データベース(あるいは電子ジャーナル? 具体的にはどのようなものか、元記事のコメント欄で質問もされているが結局ここはあいまいだ)の配信元との契約が関係しているのではないかと推測していた。アクセスできる範囲を非常勤講師にまで広げてしまうと金額が大きくなりすぎるし、それまでは使えていたのは契約違反だった、という話だと“去年までアクセスできていたのは契約違反であり、非常勤講師が勝手にアクセスしていたという扱いになる”という記述と整合する。これは単純にお金の話なので乗り越えるのが難しい。上にも書いた通り教育にかけるお金は厳しい状況だ。
ただ、ブログのほうのコメント欄を見るとそもそも学外からのアクセス権がもらえないという話が出ている。それであれば情報セキュリティポリシーの話になる。コメント欄にある通りポリシー上「教職員」以外には原則として学外アクセス権を与えていない。“去年までアクセスできていた”のであればそれは運用がいいかげんだったということでそれはそれで問題だ。
アクセス権についてはどこかで線は引かなければならないのだから、雇用関係のある/なしの間で線を引くのはそこそこ妥当な線であるようにも思う。しかし非常勤講師に全く学外からのアクセス権が与えられないのは確かに不便が起こりうるし、そこは個別に融通を効かせて欲しいところであるとは個人的には思う。改善されると信じたい。
# 単にアクセス権を得るということであれば週数時間でいいから何かの名目で(非常勤)教員として雇用されるのが多分近道であったと思うのだがその辺りを相談できる先生はいなかったのかな……。データベースの契約の話だとフルタイムにはカウントされないだろうけど。
## もちろんそれでは本質的な解決になっていないし、それこそ本務先との兼ね合いもありそうで、近道ではあっても回答ではない。
情報ヘルプデスクの開始時間についてはターム制導入に際して運用が追いついていない顕著な例で、これも契約の変更が伴うので時間はかかるが改善されると信じたいところではある。が、学内には始業時間が8時30分の部署はこれまでも普通に存在していたのにヘルプデスクはずっと9時からだったので変わらないかも知れない気もする。
UT-roamについてはさすがにその応対をした人がなにか思い違いをされていたと思う……のだが情報部門も常に人数足りてない感じは否めず、各部局の情報担当が汗を流して頑張っている印象はある。その意味で“本郷の誰かがボランティアでやってる”はあまり笑えなかったりする。
取材については詳しいところはわからないが、本部の広報部門の職員数は大学の規模に比すれば信じられないほど少ない。なので本部に問い合わせれば(個別に対応することが不可能なので)全て禁止と言われるのではないかと想像する。しかし部局によっては独自の広報担当があって、現実問題として部局が独自に取材を受けることは妨げようがない——という気がしないでもない。歯切れが悪くて申し訳ない。いずれにしてもこの点については大学全体の問題であるように思う。
意欲的な授業を行ってくれていたらしい先生が去っていくことを残念に思う。大学側に積極的な悪意はないと信じたいのだが、直接の応対がどのようなものであったかは知りようがないし、時給が安いのと広報がうまくいっていないのはまあ事実だし、“非常勤講師が研究・授業用に学外からデータベースを使えるようにするとか、クラスサイズを小さくするとか、そういう教育環境の改善には全く関心が無いようです”と言われたときにそんなことはないと言い切れる材料を自分は持っていない。
あとこの手の記事がホッテントリに入るとだいたい複数の「大学事務ってクソだな」みたいなブコメがつくのでなるほど大学事務というのはこのように見られているのだなと毎度思う。思うし、まあそれがまるっきり的外れでないことも実際あることは認めざるを得ない。自分にできることはクソでない仕事を毎日していくことと確かにクソである仕事を少しでもあらためようと努力することしかない。
ネット民戦慄! 表現の自由を脅かす”ゾーニング破り”とは? - トゥギャッチ
非実在腐女子エリコちゃんに(物陰から)説教をかまそうとしたり、その勢いで著者である小野ほりでいさんに(物陰から)因縁をつけたり、ちょっと前に大炎上した痴漢関連の話を思い出したりするエントリである。
追記:くっそ長いです。制限オーバーして最後にトラバにはみ出すくらい。
冒頭にリンクした記事では「エリコちゃんがTwitterに投稿したBL風の二次創作マンガが炎上する」という事件から
ここで、腐向け二次創作画像のツイートが炎上したエリコちゃんはこう言っている。
(エリコ) でも、プロフィールでちゃんと注意書きしたのになんで炎上したんだろう?
(ミカ先輩)こういうネタのゾーニングは、リツイートにリツイートが重なってぐだぐだになっちゃうからね。
(エリコ) ゾーニング?
(ミカ先輩)ゾーニングというのは、情報の発信者や仲介者が表現物を「見たくない人・見せるべきでない人」にまで行き届かないよう配慮したり工夫したりすることよ。
ここでは、「エリコちゃんはプロフィールに『腐向け二次創作注意』『18歳未満の方の閲覧はお断りします』って書いて【ゾーニングをしているはず】」で、それが「RTによってぐだぐだになった」という見解で書かれている。
そもそもTwitterというのは、「発言ひとつひとつがTLに流れていく」前提のツールではなかっただろうか。
とくにRTされた発言は、いちいち「この人はどんな人か」を確認するすべなどない。
「この人はどんな人か」から切り離され、発言だけが一人歩きする。Twitterはもともとそういう特性を持ったツールだ。
ようするに、「鍵なしでやってる以上、プロフィールの注意書きが読まれる前に発言だけ見られるのは当たり前のこと」である。
なんぼプロフィールに「腐向けだから注意してね」って書いてましたよ、と主張しようが、Twitterというツールの特性上無意味に終わる可能性は高いのだ。
そういう、かなりの勢いでほかの事を犠牲にする作業を受け手にさせるのって、
「ゾーニングしてた」って言えるんだろうか…?
それは「目をつぶってれば見えないでしょう」と同じではないんだろうか。
この記事後半では、悪意の第三者である「ゾーニング破り」という人の存在が提示される。
まあ、古くからある言葉で言えば晒しだ。晒しするような人そりゃあ厄介ですよ。
悪意からRTするような人最悪ですよ。そうだそうだ!怪人ゾーニング破りがみんな悪い!!
そうだろうか。
昔エイズ検査促進CMのキャッチコピーで、「カレシの元カノの元カレを、知っていますか」というのがあったが、それと似ていると思う。
私たちは、「フォロワーのフォロワーのフォロワー」のことまでは知らない。
エリコちゃんのTLにいるのは、彼女のプロフィールを読んで了解したフォロワーがほとんどだろう。
そのフォロワーがエリコちゃんのイラストを好ましいと思い、RTしたらそのフォロワーにつながるだろう。
だがその先は?
BLなんて反吐が出るほど嫌いなファンとつながっている可能性は。
二次創作イラストが「嫌いな人、望まない人、見てほしくない人の目にはいる」可能性は、怪人ゾーニング破りのような「悪意ある第三者」よりも、そういった「好きだと思った善意の人」からの可能性のほうが高いのではないか。
その意味で、Twitter上でのゾーニングと言うテーマを扱うとき、「ゾーニング破り」という悪意の存在だけに焦点を絞るのは片手落ちだと思うのだ。
これは腐向けだけに限らない。多くの「不適切な」ものに共通である。
少し横道ではあるが、二次創作BLのゾーニングについてはもうひとつ厄介な問題が付きまとう。
「男女恋愛の二次創作と、BLの二次創作は同等のゾーニングでいいのか?」である。
これについては本当に腐女子間でも各々の思想があるから一概には語れない。
数年前までは「キャラを勝手にホモにした妄想するなんて異常だよ。異常性癖は隠すべき」なんて言い回しが腐女子間の「マナー」として語られていた。
上記の言葉がすんなり受け入れられる人も今もいるかもしれないし、
「いや、ホモが異常って言ってるわけじゃないから、女の私がホモを妄想することが異常って言ってるだけだから」と言う向きもあるだろう。
ゾーニングについても、
「男女恋愛より嫌がる人が多いんだから、BLのゾーニングは男女より慎重になるべき」という向きも、
「同性愛描写のタブー視に加担するのは嫌だ。男女恋愛と同等のゾーニングで十分」という向きもあると思うし
「いや、っていうか男女二次がゾーニングに無関心すぎるでしょ。BL見習って、エロや人を選ぶ絵は見えないようにしろよ」って人もいる。
個々の考えについてここでは意見しないけれど、問題のややこしさについてはお分かりいただけると思う。
腐女子の一部は、しばしば他者の作品、嗜好に対し激烈な拒否反応を示すことがある(「地雷」と呼ばれる)。
それを「見たほうが悪い」で済ませるかどうかについても、腐女子間では議論百出である。
対外的にも、対腐女子的にも色々な問題に悩みながら、ためらいながら、己の安寧と衝動と、自分の絵を広く見てほしい気持ちと、見知らぬ他者の平和の狭間で揺れ続けるのがゾーニング問題なのだ。
エリコちゃんはこういう。
なにがいいたいかっつうと、いろいろ我々もフクザツなのだ。
長々語ったが、ぶっちゃけ多くの腐の感覚はミカ先輩とエリコちゃんが以下に言うとおりだとは思う。
(ミカ先輩) でも怒られて嫌な思いをするのは結局こっちだから、どういうふうに工夫できるか自分で考えないとね。
…(中略)…
(ミカ先輩)まあ、そのへんの基準は人によって違うけどね。
ただ、気をつけないと怒る人は内外にいるってこと。
(エリコ)私は怒られたくない。
その通りである。怒られたくない。
ゾーニングに対する意識は前述のように多岐にわたる。単純に考えの足りない人もいるかもしれない。
だがしかし、きほんてきに、静かに暮らしたいのだ多くの腐女子は。
実際のところ、腐女子界隈で多くとられている措置は、さらに以下のようなものがある。
①「不適切な画像を含むものとして設定する」にチェックを入れる
②「表垢」と「裏垢」を使い分ける
③privatterなどの外部サービスを利用する
①はTwitterのデフォルト機能である。受け手が「不適切な画像を表示しない」設定にすることにより、サムネイルの表示にワンクッションはさませるもの。
ただ、おそらくBLは見たくないけど男女(or百合)のエロは見たいぜ!って人は不適切な画像も表示させている可能性が高く、「設定してないおめーが悪いんだろ」という理論は成り立っても自衛としては不十分とみなされることがある。
②は、鍵をかけておらずイラストも過激なものを投稿しない「表垢」を作り、主な交流や雑談をそこで行う。
そこで知り合い、年齢が確認できる人だけ鍵つきの「裏垢」フォローを許可する、という方法である。
BLっぽさがあきらかな作品やエロなどは「裏垢」に投稿することで、幅広い交流とゾーニングとを同時に行うのである。
③は、要するに「作品を見てもらうのにワンクッションはさむ」と言う方式である。
- Privatter - share your long tweets to your followers only
中でもプライベッターは、画像・テキストどちらも投稿でき、公開範囲を全体・ログイン限定・フォロワー限定・フォロー限定…などと細かく設定できるため、最近非常に好まれている印象がある。
「ログイン限定」は、Twitterにログインしている人なら誰でも見られるのだが、作品を見るためにprivatterをTwitterに関連付けするというワンアクションが必要になるため、ある程度「見たくない人の目に入ってしまう」事態を防げると目されている。
さて、長々と腐女子とゾーニングにまつわるエトセトラについて語った。
もしかしたら「いや、そういうディティールはいいんだよね。あの記事は『ゾーニング破り』っていうならず者を告発するのがメインでしょ?」とお思いの方がいらっしゃるかもしれない。
いや、そうなのだ。そう思う。
でも、正直、私は小野ほりでいさんの、「そういうディティール」を捨て去った記事が苦手なのだ。
ぶっちゃけこれが言いたい。すみません増田の癖に。しかも腐った増田の癖に。
小野ほりでいさんの「エリコちゃんとミカ先輩」記事は、よくネット上で話題のいろんな「微妙な問題」をばっさりと切る。
私も彼の記事を読んで「だよね!超納得、すっきり!よく言ってくれた!」と思ったことがある。
だがしかし。前述の「腐女子とゾーニング」問題のように、自分が当事者としてかかわっている問題になると、どうも読後のモヤモヤが残るのである。
記事の言ってることは、決して間違ってない。
けど、私が実際に見ている世界には、もっと細かくいろんな問題があって、その中でなんとかバランスをとろうとしているのだけどな…といいたくなってしまう。
privatterがどうこうとかそら興味ないだろうし、知らなくても彼の記事は正論として成り立つ。
でもさあ。でもさあ…
なぜ、細かいことはよく知らないのに、ミカ先輩は正論を言えてしまうのだろう。
それは、悪役を作り上げ、「名前をつけた」からだ。
前述の通り、ゾーニング問題は「善意の第三者」によって破られることもあるが、
このリツイートした森山ゴリ夫という人の「こういうのって気持ち悪くない?」というコメント…。
これは明らかに「見て不快に思う人に見せる前提」で共感を集めるためにやっている面があるよね。
ややこしいところを全部ぶっとばして、誰もが「わあこいつはどうよ」と思える悪役を持ち出す。
そして、その悪役に「ゾーニング破り」と言う名前をつける。
こうなれば、読んだ人間の気持ちは一致するのだ。そうだ、ぼくたちの敵は「ゾーニング破り」って名前なのだ。
どうして痴漢された話は「自慢話」になるの? - トゥギャッチ
痴漢問題について「自己責任論によるストレス隔離」という「名前」を掲げて切り込んだ記事も、
最後はこうなる。
そうだ。そうなんだけど、その通りなんだけど。
ネット上では、自分で好きで記事を読んでおきながらブログを読んで殴りかかってくる人もたくさんいる(私みたいに)。でも読んだ人がどう反応するかは自由だ。その倫理観は人による。
また、痴漢問題における社会的周知や認識の共有も進んでいるとは言いがたく、「無理やり聞かせる」と「なんとか一緒に考えてくれとお願いする」の境目はどこだって話もある。どこに不快を感じるかは人による。
けれどもそういうメンドクサイことは語られない。名前がつかないから。
そして、「自己責任論によるストレス隔離」という「名前」周りの事象だけが語られ、きれいにまとめられる。
でも、そっからが。
ミカ先輩よ、あなたが今丸めたそこからが、懲りずに炎上しくすぶり続ける本質なのではないか。
あなたは、そこを見ない振りして「キャッチーな名前」をつけ、そこから一点突破で論を構築する。
そして「これは正論」「すっきりしました!」と多くの人から賞賛を受ける。
あなたのつける名前はわかりやすく、理論にはそつがない。その問題に詳しくない人にもすっとしみこむ。
すっきりしたか?そうか?ボロッボロ大事なことが落ちてないか?
そして、これがいちばん引っかかる。
その、「すっきりしたキャッチーな名前」を得た人たちは、もうその問題を「解決済み」のフォルダに入れてしまうのではないか。
そして、問題の渦中で苦しみ続ける人を見て、「ミカ先輩があんなにきれいにまとめたのに、まだ苦しんでるのか。ばかだなあ」と思いはしないだろうか?
私が、小野ほりでいさんの記事をあまり好きになれない理由はこれである。
名前をつけてやる。
名前をつけて、それでその問題がすべて解決したかのような印象を(小野ほりでいさんの意思はともかくとして)受ける人がいる。
名前のつかなかった細かい細かい、しかし容易には解決しない問題は積み残したままに。
そして記事を読んだ人たちは、本質を理解した気分ですっきりして立ち去り、問題の渦中にいる人は苦しみ続ける。
今上で思いっきり批判したことを、自分でひとつやってみたいと思う。
性暴力、冤罪、男性の立場、女性の立場、男性差別、女性差別、都市の過密、労働形態、子供の保護…
痴漢問題を語る切り口は無数にあり、ひとたび話題に上るとそれぞれの人間がそれぞれの立場からそれぞれが気になる切り口について語るので、基本的に収拾がつかない。
11月はじめ、「痴漢されない女子の特徴」というエントリが大炎上した。
http://cild.hatenablog.com/entry/2015/11/05/072629 - 2015年11月5日 07:55 - ウェブ魚拓
例に漏れず私も大変なアンチになったので、上記リンクは魚拓である。
ところでこの記事に対する反応はすさまじかった。
老若男女を問わず、みながブログ主の性犯罪に対する無理解と、性差別意識を叩きに叩いた。
前述の通り痴漢問題は無数の立ち居地と切り口から語られ、全会一致など到底ありえないはずだが、ことあのブログに対するコメントやブコメに関しては、殆どの人が意見を一にしていたのではないかと思う。
ブコメは増え続け、言及記事が連日ホッテントリに上る、祭りの様相だった。
あの、「無理解と差別意識に満ちた邪悪なブログ主」という悪役を得て、我々は性別を超え立場を超え「団結」したのだ。
彼を叩いている間、我々は仲間でいられたのだ。
そして、正直に告白する。
「団結」できたことが私はうれしかった。
己の考えとはまったく異なる意見を、私の目には無理解と保身としか思えないブコメを、痴漢関連のエントリではたくさん見る。
けれどあの記事に関してだけは、どのコメントを読んでも納得がいき同意できた。
ミカ先輩は非常にたくみに、ややこしい問題をスマートに言い表す。
そして、炎上しゴタゴタするはずの話題について、「同意」「正論」というコメントが並ぶ。
喧々諤々しているところより、すっきりした結論と、それに対する同意の中にいられたほうがいい。
同じ考えの人の中で、自分もまた同じ考えを書き込む。
自分の感覚の「正しさ」を、「団結」が――わかりやすい理論と、同意コメントの多さが――保証してくれる。
しかし、前述の通り、ミカ先輩の言うことは、「スマートで誰でも同意できる」代わり、「ややこしくてなかなか解決しないこと」をしばしば捨て去っている。
本当は、そこに取り組み続けることがもっとも大変なのに。
だから、思うのだ。
彼女は、「問題に真摯に取り組む姿勢」を捨て、その代わりに我々に「団結」という快楽を提供してくれているのではないか。
それは、いわばポルノだ。
「団結」と言う名のポルノだと思う。
「団結」は一瞬の快楽をもたらしてくれるし、あまり興味のない問題ならば「読んですっきり」できる。
それが悪いことだろうか、と言われたら私は答えに窮する。
世の中の問題のいちいちに、「真摯に」かかずらわってるほど我々は暇ではない。
腐女子がゾーニングにどんだけ頭を悩ませてようが、二次創作に興味のない人は「私に迷惑かかんなきゃいいよ」ってなもんだろう。
でも、どうか、時々でいいから、振り返ってほしいのだ。
あなたが「団結ポルノ」ですっきりしたあとに、点々とこぼされている、ややこしくて、一概には言えなくて、どうにもならない問題があることについて。
それに取り組み続けている人がいることについて。
はてなブログに端を発する、人気歌い手・解説動画投稿者の「鋼兵」((http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%8B%BC%E5%85%B5))氏の炎上騒動を簡単にまとめました。
細かいことは出来るだけ省いて簡略化。要約には多分に増田の主観的な記述が入ってますが、わかりやすくするためですので予めご承知下さい。尚、増田は鋼兵氏に批判的な立場です。
①鋼兵氏が「男でもわかる「おそ松さんブーム」の理由と必然性【ゆっくり雑談】」という動画を「ニコニコ動画」に投稿((動画削除済み:http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm27629315))。本人の知名度もあり、10万回以上再生されるなど人気を博す。
↓
②はてなブロガーの「百合子」氏(id:yurico15)が上記の動画を批判する記事を投稿((記事削除済み:http://b.hatena.ne.jp/entry/yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/21/185553及びhttp://b.hatena.ne.jp/entry/yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/21/230936))。自分のブログの記事の一部が鋼兵氏の動画に引用(のちに盗用と訂正)されていると指摘((盗用された記事:http://yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/12/020539))。また動画の内容そのものも「おそ松さん」を不当に貶めるものだとして強く非難した。
↓
③鋼兵氏が上記ブログ記事にコメント((当時のキャプション:http://matome.naver.jp/odai/2144753442305118301/2144946795682476203))。「引用元を動画に明記したので、盗用だと思われないようにして欲しい」とし、何かあればメールアドレスまでお願いすると要請するが、この時メールアドレスを一度間違えて記載する。
↓
④百合子氏が続編となるブログを投稿((記事削除済み:http://b.hatena.ne.jp/entry/yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/22/012516及びhttp://b.hatena.ne.jp/entry/yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/22/033438))。引用ではなく盗用と書くべきであった旨を謝罪、またニコニコ動画へ権利者削除を申請したと記述。また、2ちゃんねるYoutube板の鋼兵氏のアンチスレッドを見ていると記述する。
後に判明することだが、この時点で百合子氏は鋼兵氏に一度メールを送っていたものの、上記の間違ったアドレスに送り、そのため両者の連絡が一週間ほど遅れていたと判明。メールの送信間違いに気付かなかった原因は百合子氏当人が話していないため、不明。
↓
↓
⑥百合子氏が騒動の終結を宣言するブログを投稿((http://yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/30/105015))。「ほぼ解決に至ることが出来た」「鋼兵様より訂正版のアップロード、今回の経緯報告、当ブログへの意見などが発表されます」などと記述。「当ブログ内における鋼兵様およびその他個人・団体への誹謗中傷等はこれを一切禁じさせていただきます」とし、関連記事を全て削除する。
↓
⑦鋼兵氏が上記おそ松さん動画の訂正版((http://www.nicovideo.jp/watch/sm27742624))、及び「私の動画が盗作だと言われている件について」((http://www.nicovideo.jp/watch/sm27740256))と題する動画を投稿。後者の内容をかいつまんで説明すると、
・自分の動画の記述は一般的に言われていることを記載しただけであり、上記ブログの盗用でも引用でもなく、著作権法に照らしても問題ない。盗用だというのは不当な中傷である
・百合子氏により、盗用などしていないのにデマを拡散されそうになり、それは信用毀損罪、業務妨害罪に当たる
・百合子氏とのメールの遣り取りの中で、相手が一週間もメールを送ってこなかったのにいきなり「文化庁長官への通報」を示唆され、また最後のやりとりにて不当に短い返信期日を設定された。そもそも盗用などしていないので、これは常軌を逸した要求であり、不当なものである
・百合子氏がブログでアスペルガー障害を告白していたことについて「なんだか可愛そうになってきた」、アンチスレッドを見ていた事について「アンチにマインドコントロールされている」と記述
相手方が終息を宣言したにも関わらず、上記のように百合子氏を激しく批判する内容であったため、鋼兵氏の支持者とアンチの間で論争が起き、大百科の掲示板が炎上。
また、動画のコメントの内容は概ね鋼兵氏に同情的なものだったが、後に鋼兵氏が自身に批判的なコメントを削除している事が判明((http://nicoco.net/sm27740256))。同時に、百合子氏が女性であることや、アスペルガー障害を揶揄する中傷コメントが多数投稿されるが、何の対処もされず放置される。
↓
⑧鋼兵氏がニコニコ生放送にて「ライオンに噛まれている。 このままだと自分が死んでしまうからナイフで刺した」「あのブログのせいでチャンネル退会する人間が出たので業務妨害」「個人攻撃はしたくなかったんだけど……」などと発言((http://matome.naver.jp/odai/2144753442305118301?&page=7))。発言についてTwitter上で鋼兵氏を批判したid:kyoumoe氏がブロックされる。
↓
⑨「リットン調査団」と名乗る人物が「鋼兵氏と某ブログ主の権利問題について」((http://www.nicovideo.jp/watch/sm27760581))と題する動画を投稿。内容をかいつまんで説明すると、
・鋼兵氏の「一般論なので問題ない」とする主張は間違いであり、百合子氏の当初の主張の通り、法律上の盗用の要件は満たされている
・メールの遅延について、積極的に連絡しなかった鋼兵氏の側にも問題がある
・アスペルガー障害とマインドコントロールに関する記述は明確な人権侵害であり、鋼兵氏は速やかに動画を削除し百合子氏に謝罪するべき
といったもの。
動画は話題性もあり、三万回以上再生されるなどヒットするが、多分に百合子氏へ同情的な記述が見られたために、「公平性に欠けている」との批判が殺到し、コメント欄は炎上している。
↓
⑩今後予想される展開
・鋼兵氏アンチスレッドの有志による、鋼兵氏への批判動画が作成中。近日投稿されると思われる。
参考資料
・「【自演】歌い手の鋼兵が大炎上!?KUNとのやりとり他経緯まとめ」(http://matome.naver.jp/odai/2144753442305118301)
・「毒舌インターネットボイストレーナー鋼兵さん(@kouhey0427)、今頃盗用に反論するも案の定な結果に - 今日も得る物なしZ」(http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20151208/1449507148)
3ねん2くみ ますだ
先日、ホッテントリに上がっていたid:xevra氏(以下「あれ」)についてのブログを読んでふと思い出したことがあったので書いてみようと思う。
残念ながらそのブログ主と違って、私増田は「あれ」を褒める気はさらさらないのだが。
さて、熱心な「あれ」のウォッチャー諸氏であれば、「あれ」が震災後に地熱発電を激推ししていたことをご存じの方も多いと思う。
あの激推し具合はほとんど「地熱発電所を増やせば原発は不要」と言わんばかりであった。
(実際そう言っていたかもしれないが、正直「あれ」のために「あれ」の過去の発言を辿るのはかなり苦痛だ。言うまでもないが「あれ」の発言は読むとストレスが溜まるかSAN値が下がる)
で、当然のように他の人から「地熱発電について語ってよ」ということになり、「あれ」ははてダで地熱発電についてのエントリを上げることとなった。
まあ、ちょっと期待してたわけよ。自分は地熱は「増やせるものなら増やすべきだけどちょっとキツいよね」って考えだったから。
例えば、候補地の周辺住民との交渉どうすんの、とか、
候補地って割と風光明媚な国立公園だったりするけどどうすんの、とか
そもそも今見えてるキャパじゃ電力需要に全然足らなくて(1割いってたっけ?)、どうすんの、
1割カバーできれば御の字、とするの?、とか
地熱発電でカバーできない電力需要なんて間違ってるからそこまで減らせって言うの?(それはそれで超愚策)、とか、
そういうのになにかアイディア持ってるのかなー、と。もしかしたら自分の知らない事実もご存じなのかもしれないし。
で、そのエントリは。
ただのリンク集でした。
(すげーヒマな人だけ探してみてください)
みなさま、もし、あなたの部下や後輩に「~~について調べて報告して」って言って、ウェブページのタイトルとURLの羅列だけ提出されたらどうします?
シメるシメないはさておき、少なくともその題材について理解している、とはしませんよね?
少なくとも、要約なりまとめなり、自分の言葉で書いた部分がないと、本当に理解したのか、
たとえば、立場の一致していない複数のソースから、どういう考えでどれを採用したのか、
ソース間で矛盾している箇所をどう折り合いをつけたのか、わかりませんから。
っつーか、普通は、少なくとも関心がある事柄について聞かれたなら、自分の考えがまず先に出てきて、その後裏付けになるソース探すことにならない?
本当に、そのことについて関心を持っていて、いろいろ調べたことがあるのなら。
ということで、自分は「あれ」にがっかりしました。そして理解しました。
「あれ」は、どっかで誰かが「地熱発電がいいよ」と言ってるのをつまみぐいして、
自分が「地熱発電も知らないお前らは下等だ!」と優越感にひたりたいだけだったのだと。
…そんなこと、みんな知ってたんだろうけどね。
一気書き怪文書こゎぃ
というわけで、ネット特有のスラングやネタ等が含まれるため、そういったものが苦手な方は
ブラウザバックか注意して読まれることをおすすめします。某手書き劇場じゃないけども。
24歳、学生です(大嘘)
そんなこんなで人生を歩んできたわけだが、一種の詰みという状態になっているわけだ。
具体的にどんな詰みなのかは、ここでは言及を避けておく。避けておくが、借金で首が回らない等の絶望的な感じではない。
感じではない、が、それだけに、ぬるま湯から少しづつ熱湯へと変わる水に気づかないで茹でられてしまうカエルのような、そんな最悪な気分であり状況であることは言及しておく。
そんな状況になったのも、色々な問題から逃げてきたせいだと思う。世の中すべてが自己責任なのだ。全ては自分のせいであり、他に原因を求めても仕方ないのだ。
思い返すに、一番最初に思い出せる逃げた経験は、進研ゼミのチャレンジ、特に赤ペン先生だったように思う。
一時はそれを取り返そうと、一年分の赤ペン先生提出用小テストを送ったものだ。懐かしい。
部活動の選択、いじめ・イジりからの脱却、文系・理系の選択、大学の選択、単位の取得、あらゆる勉強、交友関係、就活、エトセトラエトセトラ…
よくある感じのクズ人間だ。こうはならないようにと、心がけてきたつもりだったのにな、心がけてきただけで、実行できなかった。
なんだか怖かったんだな。実行に移すのが。まるで自分が食べることのできる大切なケーキがどんどんなくなっていくようで。
一方で、ネットにはハマった。これはもうホントに、見事にはまっていった。
まずは、中学生らしくG行為のネタだ。まずはそこら辺に転がってた18禁小説から。
クリスマスプレゼントかなにかで買ってもらったPSP1000をいじっていると、
どうやらネット機能を使えるということがわかり、若い時のドキドキを携えて恐る恐る「エ ロ」と検索したのだった。
検索エンジンが何かまでは覚えていないが、トップ近くに出てきた(であろう)18禁小説を適当に選択して読んでいた。
寒かったことも手伝って、布団に丸まって片方の手を股で挟んでいると…というテンケテキな精通を迎えたのであった、まる
今でも何故か覚えているが、最初に読んだのは姉妹のレズものだった。文体は単純なのに「ふ…ふみゅ!?」とかいった
それから、森の奥の吸血鬼姉妹のもとに仕えることになったメイドと姉妹のふたなりものとか(今でこそそれが東方Projectの二次創作だったとわかるが、当時は全く知らなかった)
社会人とヒモの物語とか、コナンの虹エロ小説のみを掲載してるサイトだとか、お寿司をホニャララに突っ込んでズルズル吸い上げるとかいう今から見ると嗚咽もののものまで、
情欲が満足するまで、ひとり夜のベッドの中で励みまくった。
そのうち小説では飽きたらなくなり、フリー公開のエロ漫画や、同人マンガっぽいものがうpされているようなサイトまで足を伸ばしていった。
そういえばえろまんがわーるどってサイトにだいぶお世話になった記憶がある。今どうなってるんだろうな。
そこから、他のネット文化に親しむ様になるのに時間はかからなかったように思う。
それこそ、上に書いたえろまんがわーるどでオナネタを探している最中に見つけた東方Projectの二次創作の同人マンガを見つけて感動し、
東方Projectとその二次創作郡(主に同人マンガ)に見事にはまっていったし、
もう黄金期は過ぎていたが、Flashのまとめ倉庫みたいなサイトを見つけて、Flash動画にはまっていったし。
2ちゃんねるへの書き込みとかも興味があったけど、なんだか殺伐とした雰囲気に「半年ROMれ」という格言も手伝って、ほとんど書き込みはしなかった。
受験勉強ほっぽり出して、冬でかじかむほど寒い中、東方星蓮船をひたすらキーボード使って、最後の白蓮の弾幕をよけながらクリアしてたっけ。
そうして辿り着いたのが、ニコニコ動画だった。
学校でいじられ続けて病み気味になっていた俺を元気づけてくれた、唯一と言っていいほどの存在だったのだろう。
そこで親なり担任なりいのちの電話なり、周りの大人に頼っていれば、道は違っていたのかもしれないが、
ドナルド、エア本、フタエノキワミ、チャー研、レスリング、最近では淫夢等、Flash動画時代を髣髴とさせるMADを食い漁るように探して見続けた。
東方にもはまっていたので、ニコニコで勢力を拡大しつつあった、同人マンガの延長線上のようなジャンルである「東方手書き劇場」も、ホント漁るようにして探して見続けた。
それだけだと飽きちゃうので、台頭し始めていたMMD系列や、サービス開始当初から人気だったVOCALOIDも時々見ていたけど、やっぱりMADと東方手書き劇場が主軸だったかなー。
みんなはどうなのかわからないが、俺の予測だとハマっているコンテンツがまずあって(つまり特定のアニメや漫画や音楽や小説があって)、
それを共有することや二次創作的な作品を見たい・作りたいって思いからニコニコ動画に登録し始めると思う。
俺も東方ProjectやFLASH動画で頭を金槌で打たれて人生が震えた人間なので、その一人といえば一人なのかもしれないが、
むしろニコニコ動画で昨今のサブカル(主にアニメ・漫画的な意味で)の流行を知って、それらにハマっていった記憶が強い。
イカ娘とか超電磁砲とか日常とか。あずまんが大王なんか、空耳ケーキのMAD見てなかったら存在も知っているかどうか怪しい…ってのは言いすぎかもしれないけど、多分「これは名作なんだな」なんて認識は
確実になかっただろう。
特に、深夜アニメ放送という概念が存在しない都道府県に生まれた身としては、身につきすぎたぐらい身についたのではないかと思う。
俺はそうして、サブカル(主にry)に関する基礎中の基礎となる知識を身に着けていったわけだ。
そんな生活をする中で、今までの勉強量という貯金を切り崩して見事よくわからん国立大学に合格したわけだが。
まわりが「よし!大学生活遊び放題だね!」と言ってくれる中、俺はそんな楽観的な観測はとてもできなかった。
その頃にはもう就活生の悲喜こもごもが聞こえ出していたし、そもそも大学選びの時点で俺はものすごく憂鬱だったのを覚えている。
「お前はこれから自分の足で立って、自分の足で生活して、自分の責任のもとで生きていくんだ」と宣告されているような気がしたから。
それを好意的に受け止める人種がいることも、今は知っているが、でも大体の、敗北を知っている少年少女たちは、青年たちは、不安と不安でいっぱいだったんじゃないか?
悲喜こもごもの悲に入ってはダメだ!、と自分なりに大学生活でやらなきゃいけないことを色々意識して、頑張って頑張っていい社会人になるんだ!
ぐらいには頑張ろうと息巻いていた。たくさん読書して、たくさん学部の専門科目を勉強して、できるだけ早く単位をとって、卒業研究も今のうちに足場を固めてしまって…
もうおわかりだと思うが、結局どれも実現しなかった。4年間通して。草生えますな。
機会損失という概念がある。なにか始めるのには、結局何かを、上で書いた例だとケーキを諦めなければならない。どのケーキがどれだけなくなるのかがわかっていればまぁあきらめも付くというものだが、なんと失ったケーキの種類も量も正確にはわからないというのがこの世のニクイところである。
俺は大学生活というあまりにも貴重だとわかりきっている時間に、勉強も遊びも将来の担保も全部全部つめ込まなければならないと思うあまり、何にも手が出せなくなってしまったのだ。何かを諦めるという、その勇気がどうしても出せなかった。
と書けばなんだかかっこが付いたふうだが、単にやる気がなかっただけだと思う。根性がないよね。だって全部詰め込んでる人は、それこそネットを探せばいくらでもいたし、周りにもそういう人はいたんだから。
一日一日を後悔しながら、ニコニコ動画を始めとしたネット文化・サブカルへはもっとハマっていった。そこで、俺はサブカルには詳しいんだぜという変な自負心も生まれかけたんだけど…
大学の友人たちが、そんな自分のちっぽけな自負心をも打ち砕いていった、という、またテンケテキテキなパターンになった。
一人は俺よりニコニコ動画歴が長く、尚且つ知っているジャンルもあまりに広く、信じられない程深かった。それに、プラモデル、ゲーム、その他のサブカルにも造詣が深く、もう尊敬せざるを得なかった。
二人は一つのジャンルを突き詰めに突き詰めていた。宇宙語と俺には思われる言語で会話して、なおかつ他のサブカルに関しても基礎的な知識をちゃんとおさえていた。
なにより、ひねくれた俺よりよっぽど常識があって、性格のいい奴らだった。
もう俺は、ひねくれて性格が悪い上に唯一ほかより得意で知識のあるネット文化・サブカルですら圧倒されているこいつらはなんなんだ。そんなことよりそれに比べた俺の価値の無さは何なんだ…唯一深い知識があると思っていたジャンルにすら引けを取る俺の価値の無さは…
そんな感じのタコツボ化でもう自分がいよいよ嫌になったり、ついでにニコニコばっかで学業をまともに修めていない自身の将来の不安がますます増えていったりした。
突然だが、俺の将来の夢はマンガ家だったりする。
上記の偏歴を見ればまぁ予想はつくだろうが、好きなマンガを描いて楽しく生きていきたい。そういう意味では、マンガ「家」ではなく、「趣味」マンガ、なのかもしれない。
その他にも、MADを作ったり、音楽で既存の好きなゲームリミックスを作ってみたり、SSみたいな小説を書いてみたり、3分くらいのアニメ作品を作ったり、スレを立ててコピペとして受け継がれる書き込みしたりと、そういう、ネット・サブカル文化に深く関わって生きていきたいと思って生きている。
そして、そういう活動を、大学のうちに出来たはずなのだ。出来たはずなのに…
思えば、学業も、ニコニコ・アニメ・マンガ・小説・絵その他ネット・サブカル文化に関する活動も、資格取得や就活等の将来に対する投資も
中途半端どころか、自分のやりたいこと・やるべきことが何も達成できない、真空もびっくりの空虚な生活になってしまった。
4年間だ。4年という歳月をだ。
願うなら、この後悔を一緒に大学入学のあの日に持って行って、もう一度やり直したい。
いやそれができるのなら、高校入学のあの日まで行って、部活選びをやり直して、もっと必死に勉強したい。
いや、やっぱりそれが叶うのなら、中学入学のあの日まで行って、やっぱり部活選びをやり直して、もっとまともな交友関係を築きたい…
思えば、俺がアニメにハマったのは、マンガにハマったのは、ニコニコにハマったのは、Flashにハマったのは、東方Projectにハマったのは、エロ同人にハマったのは、18禁小説にハマったのは、PSPでネットに助けを求めたのは、
結局何かから逃げ「続けた」からじゃないだろうか、と、今振り返って考えてみると思う。
なんだか、この文章を書く前と結論が違っているような気がするが、やっぱり文字に起こして出力してみるって違うんだね、と。
学校での日々のイジり(悲観的に捉えれば、いじめ?)や勉強からのストレス、将来への得も知れない不安から唯一開放されていた、このPCの窓。そこから広がるインターネッツ。
そういえば、今これを書いている時と同じような、肌寒さもいよいよな低音の中、ひたすら「インターネットしていた」な。あの頃の俺は、何かのバランス感覚を失っていたんだと思う。
そしてそれは、社会人として仕事に勤めている今にも、強い影響力を残している。
帰ってからもずっとネットにかじりついてるし、土日はほとんど外に出ないで、頭が痛くなっても構わずアニメを見て、マンガを見て、MADを見ている。
別にそれらは、異常なことじゃない。もともと、異常か正常かということを言い出すこと自体、なにかものさしを使っているということだ。
この場合、俺の今住んでいる地域で、コミュニティで、ちょっと異常だということが言えるくらいで、さして間違った生き方ではない、と俺自身は思う。
思うが、それは、きちんと仕事と趣味を両立して、充実した人生だと思えるような、色々な意味で自立した人間が生きるべき生き方であるとも、誰よりも俺自身が思う。
そして何よりも、俺自身が、今、そうではない。
今、実は岐路に立たされている。時間は1年と無い。始めの方に書いたように、具体的にどんな岐路なのかは書かないが、やっぱり岐路であることに変わりはない。
先日、俺が大好きなブログで、戦後70年をテーマ的なものにして、ブログ主がこういった趣旨のことを書いていた。
「戦後左翼思想家は、敗戦の総括をしないと前に進めないといって、政府が現実の問題を四苦八苦して解決している中、ずっと空論や理想論を掲げ続けてきた。戦争とは、平和とは、と。それも戦後半世紀近くずっと。それは、理想論を突然語り出す中高生と同じ。自身の親が抱える現実的な問題に、いつか自分もぶつからないといけないんだと知った時、現実逃避して、問題を先送りにしている。その中高生たちとおなじだよね。」
前半の思想家の部分が本当なのかどうかはともかく、大事なのは、後半の「問題を先送りにしている」という部分だ。
俺はおそらく馬鹿であるため、理想論など掲げることもなく、ただひたすら目の前の問題を見ないよう聞こえないようにするために、ひたすらネットとサブカルの世界に没頭し続けた。
そして、大人に「なってしまった」今、その先送りにした問題が、いま目の前に、もし解決していた場合と比べてとんでもなく性質を悪くして立ちはだかっている。
ところで、最近キルミーベイベー熱が再燃した。どしたのわさわさなんでもなーみん。あの歌詞にあんな深い意味が込められていたとはね…
そんなキルミーベイベーにハマるキルミストたちがいつも貼る、あのチャーリー・ブラウンのAAをみんな知っていると思う。
(崩れちゃうかな?)
,, _
/ ` 、
/ (_ノL_) ヽ
/ ´・ ・` l キルミーベイベーは死んだんだ
(l し l) いくら呼んでも帰っては来ないんだ
. l __ l もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ
> 、 _ ィ
/  ̄ ヽ
/ | iヽ
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もう、死んだんだと思う。何とは言わない。言わないが、俺ももういい年なんだ。
もうあの時の、Flashやニコニコや東方Projectにハマっていたあの時の輝きに満ちた時間はもう終わっていて、もう死んでいて、もう腐っているんだと思う。
逃避し退避し、遠ざけていた人生と、強制的に向き合う時期が来てしまったんだと思う。
それに加えて、アニメも、マンガも、ニコニコも、ここ最近そこに割く色んな意味でのリソースなんか無いことに気づいた。
岡田斗司夫が、「強いオタク」と言っていたが、この定義からすると、ありとあらゆる中傷があっても、理論武装でも何でもして、自身がオタクであるということを保っていくことこそが「オタク」である条件だった時代があったらしい。
正直、それは今も変わらないところがあると思う。どんなに仕事が忙しくても、どんなに私生活が忙しくても、アニメを、マンガを、ラノベを、その他サブカルに使う時間と金だけは絶対に惜しまない、その体力だ。
俺には、そんな心の強さも体力も理論武装するような頭も、何もかもが資格不足だった。
もともと俺には、向いていない趣味であって、生き方であったということを、ここ数年間で、嫌というほど味あわされてしまった。こんなにネットとサブカルに関わるあらゆる物事が大好きなのに。
でも、資格が不十分だった。ちょうどある一定の身体条件を満たしていないと、宇宙に行くことができないように。目が見えないと、運転免許が取れないように。
俺には仕事と炊事洗濯等の基本的な私生活を送るだけで、どうやら大半の脳のリソースを使ってしまうようで、そこにネットとサブカルを放り込むと、何もできなくなってしまう。どんなに頑張っても。
現実は、そういうことだった。
俺は、大したことのない、ただの平凡の、平凡以下の、ただの、しがない人間だった。
一発逆転の、いきなり三千院状態にならない限り、俺は大好きなマンガにもラノベにもアニメにもゲームにもイラスト制作にもMADにものめり込むこともできない、まとめサイトで斜め上からのニヒルでひねくれて皮肉が効いたあの空気を共有することもやっとの、平々凡々とした、無趣味な人間だった。
とりあえず俺は、目についた片っ端のウェブサービスからアカウントを消していった。
TwitterやらPixivやら、ニコニコ動画でのチャンネルも次々退会していった。
思えば、高校からずっとの付き合いだった。
俺はニコニコで笑い、考えさせられ、知識と知恵を学んでいった。
ニコニコは俺の青春のすべて、とは言わないが、俺の青春の明の部分であり、花であり、やっぱりほぼすべてだった。
音楽も思考も動画コンテンツも、そしてそういったものの質の善し悪しも、全部ニコニコやそこから派生したものから学んだに他ならなかった。
ニコニコのネタを通じて大学で無二の親友たちができたし、どんな嫌なことがあっても、ニコニコがあったから笑って、なんとなく流して、なんとかやってこれた。
ニコニコは、やっぱり俺の人生を、とんでもなく支えてくれたと同時に、俺がダメなハマり方をしたせいで、こんな状況を招いてしまった。
俺はニコニコ動画を、退会した。
もちろんニコニコ動画と決別するわけではない。ましてや、俺の思考や趣味趣向の基礎基本を叩き込んで、教えてくれて、俺を最高に楽しく生かしてくれた、ネットとサブカルと決別する気なんか毛頭ない。
いつか、経済力も、思考力も、精神力も、色々なものが「大人」になってから、それから戻ってくる。それだけの話だ。
文字にするのはそれだけで、実行していくのは、きっととても遠い話だ。
もしかしたら、一生戻ってこれないのかもしれない。
それはそれで、そういう運命だったというだけもお話だと思う。運命という言葉がなんかアレなら、その程度の才能、身体、能力、DNAしか持っていなかった、というだけのお話なんだろう。
先ほど上げたブロガーの言を借りれば、人類の生きてきた何京通りのパターンの中で、たまたま幸せになれなかったパターンを引いてしまった、それだけなのだと思う。
それでも、俺はニコニコに戻ってくることを、ネットとサブカルの中で再び熱狂する日に戻ってくることを目指して、どんな手を使ってでも、(いくらかの倫理と法律を守った上で)脳みそパンパンになってはじけ飛んででも、突進していきたい。
とりあえずそのために卒業式を自作自演し、なんとか卒業していった。
24歳、学生でした。
そういえば、ニコニコ動画のアカウントを削除するにあたって、特に好きな東方手書き劇場動画と、懐かしのFLASH動画まとめ動画をみていたわけだが、
Flash動画の中でも、知っていたものは良くて半分くらいだったのが、ちょっと衝撃だった。
「おいおいこれを知らないとはモグリのにわかめー」と、Flash職人であるポエ山の作品「quino」を知らずに友人にからかわれたことが一度だけあるが、それもわかる。
最近のはてブのコメント欄を見ると徐々にだが右側に寄っていく傾向がみられる。
個人的にはただの傾向であると思うし別段感慨がわくわけでもなんでもない。
ただ、その結果として幾つかの影響がみられる。
まぁ、雰囲気が悪くなるってだけの話なんですけどね。
ダイアリー時代からブログを書いている人には有名な左側の人が多い。
徐々にではあるがその人たちの論調が激しくなりつつあるようにみえる。
安部政権の支持率がなかなか下がらない状況等をみて(彼らなりの)失望からの反動か、日本全体に対して腐したり悪口をいう人が増えている。
その状況に右翼が増えた結果強烈な皮肉や罵倒で押収するブコメといったパターンだ。
その結果さらに左側のブログ主達は孤立感を深めていくように見える。
もちろん持論を記載するのは全然かまわないと思うし、「右になれ」とか、「これだからはてサは」とか言うつもりもない。
でないとそのうち化け物になるよ。
インターネットはツールである。能動的に使うか受動的に使うかで得るものがまったくちがう
どんなくそみたいなサイトでもつくれば財産になる。サイトM&Aを見てみればわかる。創造性など皆無な中規模まとめサイトが数百万円で取引されている
まとめサイトが良いか悪いかなど良識のある人間であればもう悪いと結論づけている。だがよく考えればインターネットなんてしょせんは電子データのやりとりでしかない、実態など何もないものに倫理観を持ち出してもただただむなしいだけだ
結局インターネットを使って何を得ることが最も実際の生活に影響を及ぼすかといえば、有名人などの認知度が重要な人以外、一般人でいえば金しかない。1に金、2に金、3も金、4ぐらいに出会いでも入れておけばいい。
ブログを書いて集めるような承認欲求は身体性をともなっていないのですべて虚仮である。読者も誰もブログ主のことなど考えていない。無への道程という自殺までの日記をつづったブログがあった、各ニュースメディアでも取り上げられたいへん話題になったブログだが彼の絶望のために実際に動いた人間はいない
せいぜいコメントで「死なないで」と書くぐらいだ。その気になれば興信所に依頼したり警察に届出たり会いに行って話しを聞くこともできるはずだがそんな人間はいない、リアルに親交のある友人だったらたとえ会社を休んででも彼と一緒にいて彼の絶望を忘れさせようと努めるはずだ
彼と読者の関係はそんなものだった、本気でつきあっていない、温度がないのである。どのブログ主と読者の関係もほとんど同じだろう
そんな関係など捨てればいい、読者は金を集めるために利用するものであってまともに付き合うものではない、彼も彼女も真剣にこちらに向き合ってはいないのだから
インターネットはただただ金をかき集めることに終始するのが正解だ
こんなものどれだけたいそうなことをしても社会性などないしパソコンの画面にうつるものがどんなに面白いものであれ実際の経験として蓄積されるわけではない。
http://megalodon.jp/2015-1019-2116-44/nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2015/10/19/060000 (※魚拓)
この記事と、この記事に対する互助会メンバーのブコメが酷すぎた。
記事は「よみうりランドでのキャラクターショー観劇に際してのコツを紹介する」というテーマで書かれている。
…が、観劇の際に注意しなければならないルールやマナーなどを取り上げているかと思いきや、その逆だった。
(ここから引用)スタッフの方に『階段は走らないでゆっくりおすすみくださーい!』と声をかけられるかもしれませんが、そこは心を鬼にして聞こえないふりをします。
(中略)
このダッシュ次第で、前の人に、逆転も可能なんです!!(引用終わり)
子供が見ている目の前で注意を無視して爆走する親。見苦しいにも程がある。そしてそれ以上に危険だ。
会場には幼い子供たちが大勢いる。予測不能な行動パターンをとることで大変よく知られている幼児がそこかしこにいるわけだ。
この人は「子供たちのため」に爆走して場所取りをすることで「あー私って子供のために頑張るいい親だわあ」と悦に入っているのだろうが、実際はこうした行動で多くの幼児を危険に晒している。
はてブでこの記事を見つけたときには、既に26件のブックマークがされていた。
ブログ主のセルクマを除き、コメントがついているブックマークは9件。そのうち批判のコメントは1件だけで、批判のコメント以外の8件のコメントにはブログ主からのスターがなぜか2つずつ。
「これはプロや。」「永久保存版!」「行く人に教えたい!」といったいかにもな互助会コメント。
http://b.hatena.ne.jp/entry/delete-all.hatenablog.com/entry/2015/10/09/133000
この人のブログ、昔結構好きで読んでてこの失敗した相手との馴れ初めとかも知ってるんだけど
その奥さんが会社での服装(ニーハイ)を注意されていることについて、注意しているほうが若さに嫉妬しているのだというような書き方をしていて(それも、今回ののろけと同種のまわりくどさで
それっきり読まなくなった
私自身はこの奥さんよりも若いし、アパレル関係だから女性の服装には相当寛容なんだが、あきらかに奥さんの服装のほうがおかしかったと思う
特に内勤の仕事の人というのは社内の人間関係を円滑にするのも役割の一つなんだから、極力無難な格好をしておくべきだろう。だから事務職に制服を導入する場合が多いのだ
ある種類の女性はTPOもコーディネートも関係なくむやみにニーハイを履く 特にその記事が書かれていた数年前はそうだった
なんなんだろうなあ、あれは。
そしてそれを擁護するブログ主と、「汚物は消毒ですー」なんて漫画口調を使う、ある種類の女性である奥さんとは、とっても成功なカップリングだったと思うよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151006-00000021-asahi-bus_all
http://openblog.meblog.biz/article/18809585.html
一概に給料を上げたからといって保育士が増える結果になるとは私は思いません。
それよりも、預ける側の気持ちが昔と変わってきているせいでクレーマーが増え、保育士が精神的に追い詰められていることの方が重要だと思います。昔は『預かってくれてありがたい』と言っていた保護者が現代では『金を払ってるんだから何でもやって当たり前』となっていることが大問題です!
保育士として現役で仕事をしていますが、先の方もおっしゃっているように保護者の質、モラルが低下していると思います。みてもらって当たり前。何かあれば保育士のせい。保育士に対して依存し、何もかも任せてしまいがちで、母親のすべき本来の子育てを放棄しているとしか思えません。そのような方が増えているのではと思います。
ああやっぱそういう親増えてんだな、と思った。
ネットでも「預かって貰って当たり前」「全部園でやってくれて当たり前」「親に楽させろ、親に面倒な事を求めるな」ってんのをよく見かけるよね。
上の記事内で「保育への親の参加を促す」と言う例が上がってたけど、日本じゃ大抵大反発食らってるし。
別にバザーとかじゃなくて直接子供に関する事でも「仕事で忙しいんだからそんな事やらせんな」だらけ。
やりたい人がやればいい、ってのも横並び大好き日本じゃ「誰かがやったら自分もやらざるを得なくなるから最初から誰にもやらせんな」となるし。
実際仕事に余裕あって積極的に園に関わりたがるママが陰口叩かれてたりするし。
「子に積極的に関わりたい親は幼稚園行け、保育園はそういうのやりたくない親の為の場所なんだから」と言う風潮になっていて、住み分けられてしまっている。
揚句の果てに「保育士って低学歴だから私達のようなエリートママの望む子育てなんて分からないんだよね」という暴言吐いてる人も見た。
(因みにこのブログ主は「そんな母親は退園して貰えば良い」と言ってるけど、認可保育園の場合入園児は行政が決めるので
園側の一存で退園させる事は不可能なんだそうだ。
モンスターだろうが排除出来ず何年も付き合わなければならない、って嫌過ぎる。
小学校教師も鬱病増えてるというけど、これも義務教育だから退学させる訳にいかないのが原因の一つ。小学校教師は保育士より給料高いけど、それでも鬱になっていくわけで。
一般接客業でもモンスター客を排除できず職員に過剰な負担を強いる職場はブラック化して行くよね)
つか保育士になる人って、元々子供好きで子供の為になる仕事をしたいと思うから保育士になるわけだよね。
子供ではなく親の為に保育士になりたい、なんて人はまずいないわけで。
それでわざわざ学校通って資格取って就職したら「子供の為ではなく私の為に働け」「子の為になる事でも親に負担がかかるならすんな」という親のオンパレードじゃ、そりゃ心折れるよね。
保育士だけで出来る事なんて限られてるだろうし、子供の為に良い保育を行おうと思えば親の協力が不可欠だろうに。
はてなーはやりがい搾取だ!と言うけど、そもそも「元々やりがい搾取で成り立ってた業界なのに、最近はそのやりがいすら奪われる傾向になったので皆逃げた」って構図じゃないの。
そこで「やりがいなんて無くても我慢できるくらい給料を上げれば解決」って、そういう問題か?
長文のコメントありがとうございます。
こちらは「主張と違う論点で反論する」と「業界自体が間違っていると言い出す」の合わせたパターンですね。
確かにこういうパターンも多くありました。
「もともと」とか「そもそも」とかが出てくると「主張と違う論点で反論する」の典型みたいですね。
元記事(http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/)ではブログ主さんがこういったコメントに対しても丁寧に返信されていました。
しかし、私にはまだ難しいですね。
もし書くとしたら
「このブログはコメントの質についての話題で、五輪ロゴ問題の責任問題は範囲外です。」
みたいな感じでしょうか。