はてなキーワード: 触媒とは
10連で引くか単発で引くか、ピックアップガチャを回すべきか、
どのタイミングで引くか、何時頃に引くか、無料ガチャで乱数調整、
絵を描けば出る、触媒を用意すれば出る、
アメリカ合衆国退役軍人省で使われている「パフォーマンス・ベース・インタビュー(PBI)」の質問サンプルが、面接に挑む(採用側なら挑まれる)時に役立ちそうなので、「クリエイティブシンキング」「カスタマーサービス」「柔軟性と適応性」タイプに絞って質問を訳してメモ。
参照記事によるとこれらの質問は、基本的に「問題」「行動」「結果」で構成されているので、その人間の実際の能力をある程度推し量ることができるそう。タイプ別にポジションによって質問レベルが異なる。面倒くさいのでほぼgoogle自動翻訳のままで列挙。
====
「チェンジエージェント」とは、もともと組織開発の領域で使われ始めた用語で、組織における変革の仕掛け人、あるいは触媒役として変化を起こしていく人のことを言います。変革の当事者として、自らそれを指揮すべき立場にある経営者や組織のトップとは一線を画し、むしろその代理人(エージェント)として、変化への対応を余儀なくされる組織のメンバーとの間を仲介し、信頼関係を醸成して、改革を支援・促進する役割を担うのがチェンジエージェントの立ち位置です。
元ページ:
参照記事:
スタートアップの採用に役立つ「パフォーマンス・ベース・インタビュー」の質問の一部翻訳 – Taka Umada – Medium
あれより面白いシーンある?
無いと思うんだけど。
あのシーンは
2 ちゃんと漫画的なハッタリを通した上でそれを行う
3 主人公の天敵である超絶味覚審査員はそれに悔し涙を流しながらも、評価自体は厳正に行う
4 天敵となる審査員がいなければ他の連中はそれをスルーして主人公は負けてた可能性あり
5 主人公が審査員の味覚を信頼したからこそ成立した超トリッキーな戦術
6 なんだこの信頼関係
と漫画的に物凄く美味しい。
まあ他の漫画だけど、コピー能力者相手に「野菜炒めを水につけるわけねーだろばーか!バシャーン」もかなりいい線言ってるけどね。
更に別の漫画だけど、ハゲの「客を信じられなかった」もすげーいいけどね。頑張って自分の夢に向かってお膳立てしてきたはずなのに、その手段として自分を裏切り続けたせいで最後の最後で自分の信じたかったものを信じきれずに負けるという悲しさ。
やっぱグルメ漫画と言ってもバトルである以上は、相手を出し抜いて勝つとか出し抜こうとした結果裏目に出るとかじゃないとあかんわ。
そしてその土台にストーリーが無いとね。
酒は古来より人と人とを結びつける優れた触媒であったと、この社会一般的には考えられている。そうアタイは思っている。
例えば、この増田のブコメがそうなのだけど、はてなーには酒飲みを見たら取り敢えず叩いとけ、という習性があるみたい。
https://anond.hatelabo.jp/20170619212616
なぜ、はてなーは酒飲みを叩くのか?
それは、アタイが思うに、はてなーの哀しい歴史がそうさせるのではないかしら?
飲み会という飲み会で、酒が飲めなくて、盛り上がれなくて、席も動けなくて、ただただお地蔵様と化して、
「オメーがいると、場が盛り下がるんだよ!」とパーリーピーポーたちからは罵倒され、
宴の席の隅っこに隔離され、
アルハラを受け続けた日々。
サークルでも、
会社でも、
同窓会でも、
その他諸々の冠婚葬祭でも。
でも独りじゃ寂しくて、
誰かとつながりたくて、
流れ流れて辿り着いたインターネッツ。
わけても、コミュ障や非モテをこじらせたネット民の吹き溜まりである、はてな。
そんな聖地を土足で踏みにじるように
酒好きが、
その酒臭いクチで、
上から目線で、
酒を語ろうモノなら、
そりゃもう叩くしかないワケですよ。
酒飲みを根絶すべく、
そんな風に思っているので、
はてなーが酒飲みを親の仇のように叩く姿を見ていると、
なんか、はてなみを感じる。
アタイは。
https://togetter.com/li/1113766
https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601
この問題、確かに出典を明記するべきではなかったし配慮が足りなかったとは思うけど、
それぞれの論点については疑問な点も多い。各論点についてどこが問題でどこが問題でないのか個人的な整理をしておく。
・「未成年が見れないようにしてあるのに、引っ張り出してきて有害呼ばわりする」について
ここで言う「有害」あるいは「有害情報」というのは一種の専門用語で、
「主に青少年がその情報に接することによって健全な発達・育成を阻害する恐れが有ると考えられているコンテンツの総称」とある。
Wikipediaが信用ならないなら、「有害情報」「有害表現」で検索すれば、その意味で用いられている文章がたくさん見つかる。
つまり、「有害な」=「未成年に見せるのには不健全な」という意味が、特に情報フィルタリングの研究においては比較的一般に用いられてる。
そしてこの定義によれば、pixivに投稿されているR-18の小説やイラストは全て「有害表現」ということになるし、
別にこの文章は酷い、害だ、と揶揄する意味で有害だと言っているわけではない。
「ログインしなければ見れないような場所に置いてあるものを引っ張り出してきて有害呼ばわりする」ではなくて、
「"有害表現"だからログインしなければ見れないような場所に置いてある」。順序が逆。
誤解。
論文中にある通り、ランキングのTOP10を拾ったら8件がBLだったというだけで、残り2件はヘテロカプ。
BLを排除すべきだったとも思わないし、BLから選ぶべきだったとも思わない。
(じゃあなんでわざわざ「8件がBLで2件がNL」だなんて書いたのかという話ではあるが)
少しズレている。
たとえば文化人類学や民俗学のような研究であれば、研究対象の文化を破壊してしまうのは「鯨を研究していたら鯨を絶滅させてしまった」ようなもので、
ただ、この論文においてpixiv小説文化は「研究対象」というよりは「データセット」でしかない。
その場合でも倫理的に問題はあるだろうけど、民俗学のような特別な慎重さが求められるような分野と一緒にして考えるべきではない。
このように目立たせることがタブーな界隈であることが想定できた/すべきだった、とまで言うのは難しいように思う。
・「二次創作はグレーゾーンだから隠れてるのに、わざわざ目立たせるようなことをしたのは問題」について
これって「お前がチクんなかったらバレなかったのによー」って言ってるのと何が違うんですか。
一応公共の場に置かれている以上、十分に匿名化されていれば許諾は必要ないと思う。
たとえばchainerでイラストを自動着色するシステムがあるけど、あれの学習に使うデータ全部に許諾が必要かというとそうは思わない。
それは言い過ぎ。
その理屈で言えば肖像権なんてものはない。「仮面付けないで街を歩いている方が悪い」みたいな話になる。
いくらネットに投稿していると言っても、それが朝の全国ニュースで勝手に紹介されることまで想定しているわけではない。
・「再現性のために出典を明示するのは当然」について
そんなことはない。
これは別に素材Aに触媒Bを反応させたら素材Cができた、というような話ではない。
たとえば100人にアンケートを取ったとして、その100人の個人情報全部を載せる必要があるかと言えば、「必要はない」し「プライバシーの観点からも止めるべき」。
人を愛するのに使うべきエネルギーを動物に注ぎすぎている人だらけだ。
ペットに気持ちよく野を駆けさせ、子供に飛びかかっても笑って許せという。
ペットを家族にしてしまった人間は、他の人間よりもペットを優先する。
言葉も通じなくて道徳も知らない別の生き物を愛する為に、同じ種族である他人を傷つけることを正当化する。
人間を愛して裏切られるのが怖いから、何も言わない獣を躾けて従わせているのだろうか。
人間同士が社会で上手くやるため、お互いに得をするための触媒、道具として動物を使うのを否定する気はない。
自分の気に食わない人種は、ペットを家族と言い張り、それ故に他の人間の権利を侵害する権利がペットと飼い主にあると主張する輩だ。
他者の権利を侵害しないようにペットを飼う人間を、当然私は否定しない。
オタクは自由で放任主義な右翼と親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。
左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。
その言説について思うところを描いていく。
ヘイトスピーチや所謂「言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である「他人の人権を侵害しない」という原則の問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈からの反論(1)や、大日本帝国時代の児童文学や新聞の規制が言論統制そのものに変化していった前例が示すように、原則、否定するべき物ではない。
また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトのラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。
漫画関係の表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。
これらの理由から、オタクが左翼的言説を嫌うことには一定の理由があることがわかる。
チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現の規制側に回っていた。猥褻物や公序良俗を使用した最高裁の判決に対しては、保守派を批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼が表現の自由に不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。
悪書追放運動以来漫画の規制では政府与党が応援してきた。悪書追放運動の主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である。
所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ。
84年の衆議院予算委員会で、マンガを規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。
漫画関係でも、保守派の麻生議員とかは、漫画の規制に積極的な人だし、東京都でのマンガの規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎が都知事だった期間だ(5)。
漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。
つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタクの趣味をポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタクの趣味をポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。
ついでに、戦前でも児童文学の表現に著しい規制が付けられていた。
表現規制の問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。
それどころか、この10年の間は、マンガの表現規制は保守の側から行われている。
だと言うのに、どう言うわけか保守層が放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。
幾度か、マンガの規制の法制化がされるときに反対に回ってきた共産党の立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガの規制するよう求めてはいたから濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。
にもかかわらず、左翼は教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制の法制化の歴史を紐解くと真逆としか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。
……本当に、どう言うことなの?
理由を考えてみると、実際の活動は兎に角、左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動の発言や、ウルトラセブン第12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマトや宇宙の戦士への批判(小説の批評・批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。
特に、ウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨の文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。
また、政府肝いりの団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。
恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。
その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク=人権を御旗に自由を侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識と化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。
00年代前半からの10年、警察や保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨の認識の影響は少なくない気がする。
余談だが、戦前の表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉や表現が問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。
実質的に、差別を助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定や差別の強化自体は問題にされてしかるべきだ。
キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題が解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。
一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者は表現規制そのものを問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判は積極的に行われてよい。
兎に角、「表現を規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現は問題ではないのだから、どんな差別的な表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈の正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか。
いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。
「どんな表現にも寛容な保守と、教条的で表現の規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制の歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯ものの理屈がネットの世まかり押し通ってしまうのは
・60年代の悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った
・「セブン12話」や「宇宙の戦士」批判など、容易な「左翼の抗議による作品の封印」の戦果に容易にアクセス可能
・00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識が流行した
・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用
と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。
(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法のエチュード」86~91ページ
(2)ロバート・A・ハインライン「宇宙の戦士」483~484ページ
(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落
(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ
(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ
麺のないラーメンは単なるスープである。麺の不在(言い換えれば空なる麺の存在)によってそこには「スープ」という概念が存在している。そこに麺が投入される。すると瞬時にしてスープが消失しそこにはラーメンが誕生しているのだ。このとき、麺は単なる麺という物であることを越えて、全く別種の存在、すなわち「替え玉」になるのである。
もう少し丁寧に述べてみよう。いまそこにスープがあり、未投入の麺玉がある。この時点では、スープはスープであり麺玉は麺玉。すなわち単なる「スープ と 麺玉」であって、イコール「ラーメン」ではない。しかし、麺玉をスープに投入した瞬間、概念Aとしての「スープ」は概念Bとしての「ラーメン」になる。この「なる」という現象に着目したい。言っておくが、客の目の前にスープがありそれをラーメンと交換したのではない。実体としてのスープと実体としてのラーメンの交換ならば、それは単に「ラーメンの追加注文が来たので器を下げてラーメンを出した」のと同じであり、そんなものは「替え玉」ではない。替え玉の替え玉たるゆえんは、一瞬前まで単なるスープ概念に過ぎなかったものが一瞬後にラーメンに「なる」ことにあるのであり、そこで交換されているのは実体ではなく概念である。すなわちスープ概念とラーメン概念の概念交換が発生しているのである。そこで投入されるのは単なる麺ではない。
この概念交換を成立させる「麺玉」は単なる麺ではなくメディア、すなわち概念交換の麺触媒(メンディア)であるというべきであろう。一瞬前まで単なるスープだった液体は一瞬にして「ラーメンの汁」に変貌する。麺は麺のまま物質的には何一つ変化しないにもかかわらず、麺触媒としてあざやかにその機能を果たす。「替えの玉(麺)」ではなく「替える玉」。すなわち「替え玉」である。この「替え玉」がまた一つの概念であることは言を俟たない。
さて納得されたであろうか。こうして麺という単なる実体が麺触媒としての「替え玉」に変貌するとき、我々の内なるラーメン概念もまた現象学的還元を経てゲシュタルト崩壊を起こす。なぜなら、この触媒によれば一杯のラーメンは(人間の食限界を超えることで)無限のラーメンへと拡張されるからである。そうなればそれはもはやラーメンであってラーメンではない、形而上学的存在、あるいは宗教的イコンと化す。だがこのことはまた別に紙幅をとって論じたい。
「この世界の片隅に」
何となく評判が良さそうなのと、こうの史代が原作だというのとで、
北海道じゃ知る限り今のとこ札幌の1つの映画館でしかやってないけど、観に行ってきた。
もう言葉も出なかった。
帰り道の途中、あーでもないこーでもないと、頭の中で感想をひねり出そうと頑張ったんだけど、とにかく上手く表現できない。
ただただ、素晴らしい。この「素晴らしい」という言葉も何か陳腐なものに聞こえて、却って作品を貶めてしまってる気がする。そんな感じ。
もちろん、個々に素晴らしい要素を取り出すことはできる。
背景がとにかく綺麗で、建物や草花、人々の描写が緻密で、登場人物たちも何か温かな感じで、
物語も、すずさんという主人公を中心に、戦時中の市井の人々の暮らしが丹念に描かれていて、
それでいて、あの時代、あの戦争というものに、いわゆる普通の人々がどう向き合っていたのかを考えさせられる。
今さら自分が言わなくても、もういろんなところで考察や感想があがっているから、これ以上言及する必要はないだろう。
それでもどうしてこの映画がこんなにも心を打ち抜いたのか、説明できない。
自分の表現力が乏し過ぎるから上手いこと言えないだけなんだろうけども、何とか自分の言葉で感想を言いたいなぁ~と考えて考えて、
そこで思いついた!
そういえば自分の中で同じくらい心を打ち抜いた映画があったなぁ~と。
それと「この世界の片隅に」で、なにか共通するものがあるんじゃないかなぁ~と。
はぁ?「この世界の~」と「ぽんぽこ」を一緒にするんじゃねぇぞカス!
とどちらのファンにも言われるかもしれないけど、言われても仕方ないんだけど、
少なくとも自分はこの映画を語るのに、「ぽんぽこ」という“触媒”が必要だった。
「平成狸合戦ぽんぽこ」は高畑勲監督が手がけたご存知スタジオジブリの作品だ。
内容をごくごく簡単に言えば、ニュータウンの開発で自分達の住処を失う危機に面した狸たちが、必死の抵抗を試みて敗れる物語である。
でもここに出てくる狸たちは、そんな深刻な事態なのにどこか暢気でズレていて、人間との「戦争中」だけど恋も遊びも楽しんでいる。
そしていよいよ追い詰められていく中で、ある者は徹底抗戦を唱え玉砕し、ある者は自分たちを受け入れてくれるこの世の楽園(そんなものはないのだが)を目指して旅立ち、
主人公を含むその他の者は、人間社会への同化を試みることを決意するのである。
この作品、たくさんの風刺やメッセージが込められていて、解釈も様々ある。
そして自分が感じたのは、「(それでも)生きていく」というものだった。
ニュータウンの開発。それはそこに暮らす狸たちにとって、自分たちを取り巻く環境や価値観を一変させる脅威だったに違いない。
だからこそ必死に抵抗するのだが、しかし圧倒的な力の差に敗れ去ってしまう。ただ、それでも―
主人公を含む一部狸たちは、人間社会の中で、人間の価値観の中で、「(それでも)生きていく」ことを選んだ。
映画の最後の方で、主人公はかつて豊かな森であったろうゴルフ場の片隅で、小さな宴会を楽しむ昔の仲間を発見し、再会を祝う。
その小さな幸せを楽しむ向こう側には、絶望的なほどに圧倒的支配者となった人間の暮らす街が広がっていた―。
なんだか救いがないように見えるけど、でも、不思議と希望も持てるラストだと思った。
きっと狸たちは、もう今までの自分たちの世界は取り戻せないけども、それでも新しい世界のどこか片隅に自分たちの居場所を見つけて、
さて、「この世界の片隅に」はもちろん「ぽんぽこ」とは全然違うんだけど、
でも根っ子の部分で重なるんじゃないかなぁ~と、少なくとも個人的には感じた。
自分たちを取り巻く社会、価値観、環境が変化する中で、それに戸惑ったり抵抗したり適応したりしながら、それでも生きていくということは、人間の普遍的なテーマだと思うから。
この映画はその普遍的なテーマを直接言及するわけでなく、戦時中の市井の人々の日常という形で描いてるものだから、
何か上手く捉えられず表現できないんだけど、心を深く揺さぶるんだと思う。
余談だけど、今まさにこの現代にこの映画が出たことは、タイミング的に奇跡なんじゃないかな。
というとオーバーだけど…でも、世の中が激変し過ぎて、正直自分は不安を感じてるよ。
テロの多発、英国のEU離脱、トランプ大統領の誕生等々…。あんま政治的な話を持っていくとこじれるからこれ以上はやめとくけど、
いったいこれからどんな世界が訪れるんだろうか、全然分からない。
分からないんだけど、考えるのを止めて狸寝入りしちゃ駄目なんだろうな。
ネットコミュニティが段々と息苦しくなるのは同調圧力ゲームを喜々として進行していく人間たちがいるからだ。
彼らの好きな物は3つ「独特の言語体系」「外来種の排除」「言葉狩り」。
彼らはよろしくニキーとかですけおとかの独特の訛りを好んで仲間意識の高まりを味わいつつ別のコミュニティの言葉を使った人間をアフィアフィ言いながら追い立てて自分たちの楽園を守ろうとする。
ゾンビ映画の中盤に出てくる閉鎖的な避難所を思わせるその状態を彼らは楽しんでいる。
何故そんな物が楽しめるのか、それはそこが彼らにとって初めて仲間意識を感じることが出来る空間だからだ。
多少過激であっても生まれて初めての自分達の手で生み出した人との繋がりに酔いしれる彼らは気にも止めない。
それどころかもっと刺激をと同調圧力を強め規則を厳しくし訛りを気持ち悪く進化させていく。
その空間にいられるのは同じようにそこでしか仲間といったモノを感じられない生まれついてのコミュ障だけである。
その姿を見てふと思い浮かぶものが有る。
彼らもまた独自の言動と強烈な仲間意識そして外部への攻撃性を触媒に社会のはみ出し者同士の生暖かい交わりを味わっていた。
はっきり言おう。
承認欲求を満たすためだけに奇行を繰り返すなんて人間のすることではない。
樹液に群がるカブト虫と何も変わらん。
だが彼らはそんな自分たちに誇りを持ってしまっているのだからタチが悪い。
そして彼らは今日もどこかのネットコミュニティで仲間意識という蜜を得るため自分たちの住む樹を切りつけるのだ。
私には今のはてなもまたその舞台になりつつあるような気がしてならない。
今はまだ独自の言語体系を持つ程度で済んでいるがやがて言葉狩りが始まり自分たち以外のコミュニティから来た人間を排除するようになる時が来るのかも知れない。
まだ独り身だからその基準からすれば勝ち負けなどを思うわけですが、
わたしはいかに効率よくお金を燃やすかの触媒だ。とわりきれないと。
家庭の中で彼のかせいだお金を効率よく動かしつつ手足をうごかし、
病院や銀行や市役所や郵便局に赴いて、文字通り外回りみたいにはたらくことになるよ。
相手も一生20代じゃない。相手を選べる体力などがあるのはお互いに今だけ。
やっぱり主婦をひきうけてくれる人がいないと不自由する部分が人生にはけっこういっぱいあるよ。
それにしても、男女逆の収入で結婚したくなったのじゃなくてよかった。
まだ楽なほうじゃないですか。
日本の古来ゆかしくだんなさんにお金だしてもらう方向に世間の制度も動いてるんだから。
でも人柄は本当によく見て。
経済DVにおちいらないよう、純粋に自分のためだけのお小遣い(=家事報酬)は
最低でこれだけもらいたい、とかよく考えて二人できめよう。
なので、熱意あふれる
ペペ論には、よくぞ言ってくれた!と
目頭が熱くなった。
しかし
私的に、超重要な2項が
すっぽりと欠けてしまっていると感じた。
以下2点について
フライパンに熱したオイルに、パスタをあわせる手順でこう記している。
全体が熱くなったら出来上がり。
ここ、こんなに簡単に書かないで欲しいというくらい
しっかりと、しっかりと
本当に必死に、これでもかってくらい
フライパンをふるって
乳化させた方が断然美味いんです!!!!
あれ…この人大丈夫かな?
なんかヤバい人かな?ってくらい
必死に鍋をふるって下さい。
マヂです。。
ハイできた。
食す段階でこう書かれています。
食べ終わるところまでしっかり気持ち入れていきましょうよ!!!!!
触媒とは、
何故か日本では
粉チーズ出してくるじゃないですか?
もちろんそれは美味しいです。
間違いないです。
しかし
この2つを
是非、オリーブオイルと一緒に
濃厚なハーモニーを楽しんで欲しい。
はぁ…はぁ…
他にも言いたいことは少しあるけど
どうしても黙っていられなかった2点。
こちらからは以上です。
作業しながら頭をよぎっていった作業に関係ない言葉たちを10分間書きとめてみた
朝辛子 ソレミシ ソラシミレドシ 関東ローリング名刀 千手観音紹介 ミレドレ 連打ブレンディ
どんどん屯田 冷麺パワー 盛りのついたギャラリー 副交感神経膜 腹膜 フッくんあのね メッケー部
シュカ シュガー この町 あの町 Heart ゲイン コンバット小町 木炭 木刀 白蓮 シンデレラ饅頭 サム指姫
ちんすこう グアテマラ 国旗 ピーチ味の無精髭 白髪交じり 43% バンテリン バッテリー パルテノン信玄
湿度の高いポテチ ちりめんじゃこの艦隊 混成三部岩礁 ガッチョン カシューナッツ合唱 ドドミドレ ガンギャラド
瀕死のグルグルボッチ メティオーロ ビブラート肩こりガンダム ダンブルドア武運ダウンロード Send デデンデン ドレスデン
ペンさ PENさ ペン先さ ベンジャミンさ ペン捌きさ ペン先しまっとこう しまっていこー しまった伊藤 神速 Get It PENTAX
復讐 予讐 触媒宿題 吟醸 1965万個の銀賞 Head ラドミレ マグロディストピア 霊峰ナクナク 首輪ハンサム グラビティ緑茶
年表系エルダーエラー ナンボin天狗恋愛 ルワンダ 奇襲 紀州 新古今和歌集 チャウオック ハムエッグ ベンジャミン酢
3.9 三連休 産卵するワオキツネウオ 腕毛テヅルモヅル 三尺 芍薬 生薬ミルキー アルビノエンペルト ソース味
M字クリップ兄弟 肉汁ギャップ 胞子inほうじ茶 ガッデムヘルストローク 男爵ヒモ 死んでる ハミってる クマビスケット
ゼリービーンズ りんごとハチミツと歯茎 ババァモンテネグロ 入れ歯総選挙 10分
集中ってなんだろう。
時は21世紀、かつて大戦で轟沈した艦のサルベージが一部富裕層の間で行われていた。
ある時そのような形でサルベージされた艦艇の内部から、特殊なコアのようなものが見つかる。同時期にサルベージされた複数の艦艇において同様のコアが発掘され、世界各地でコアの研究が盛んになり始める。
コアの効用は生物の強壮作用である。コアを浸した海水をラットなどに飲ませることで、これまでの生物の常識を超えた力や耐久力を持った生物に生まれ変わった事例などが確認された。
研究が進む中、まことしやかに米国では人体実験の情報も覗うことができた。
単なる爆発事故、と当時はされていたのだが、しかし実験体の逃走と、実験体によるコアの簒奪のニュースが遅れて日本にも届く。
暫くの時間の後、アメリカにおける多数の研究施設や軍事施設に謎の襲撃が相次ぐようになる。海洋大国日本はそのようなニュースを傍観していたのだが、米国において通信インフラ施設が破壊され、米国政府との公式な通信が不可能になってしまい、連日続く謎の生物による襲撃事件によって賑わっていた米国マスコミも同時期に沈黙。以降米国との情報のやりとりは完全に途絶え、状況を確かめようと派遣された航空機や複数の軍艦は米国近海において消息を絶った。
また、日本近海においても謎の生物の発見談や、その生物による攻撃事件などが頻発する中、日本の研究機関は『コア』と大戦中の艦艇の部品を触媒として用いることで、生物を強化し特殊な能力を付与し得る培養液の開発に成功する。
後に『高速修復剤』として用いられるところの液剤であった。
日本においては、米国の完全な沈黙の後に発見され『深海棲艦』と呼称されるようになった生物によって起こされる、多数の襲撃事件や、軍事施設への攻撃に対処する為に、液剤に適合する人間のサンプルと、そしてその適合後の人間が使用できる種々の兵器の開発が急がれていた。
彼らはこの土地に埋もれた無尽蔵のペリック(Perik)鉱石を製錬する技術に長けており、日常生活においてもそういった文化の影響がしばしば認められる。
イウ(Yew)半島南方の平地に住む原住民の一派は、仲間の死に際してその亡骸を伝統的な手法で丁寧に洗浄し、毛髪や爪、ある種の内臓を取り除いてから鉱石と共に鋳る。
彼らの死はいつからか数え上げられており、十三の倍数にあたる死者は七人を一単位として特別大きな炉に並べられる。
然るべき日になれば、サグ(Shagg)と呼ばれる希少な鉱石とペリックを同時に鋳るための燃料となるのである。
古来、このように作られた合金は、季節の変わり目に豊作を願うのに用いる長い鎌などの祭具に姿を変えていたが、現在では魂の回収を行う際の触媒として有用だと広く認知されたため、ほとんどが中央政府に納められている。
コントローラーやマウスを握りながらふと金にもならない技術も身につかないくだらない作業に余暇を消費したくないと思ってしまう。
悔しい。
そう思ってしまうのが悔しい。
ゲームで何も身につかないのは当たり前だ。
そりゃネットゲームで知り合いが増えたり、学生時代にドラクエの話題で盛り上がったりはしたけど、それはあくまで触媒にしただけであってゲーム自体はコミュニケーションのネタでしかない。
その中身は昨日のニュースでもいいしアニメの話題でもいい、ゲームの攻略情報なんて話に刺激を加えるためのマクガフィンだ。
そうだゲームなんてやっても結局楽しいだけでなんにもならない。
オナニーしてシコシコして気持ちよくなったなんて素晴らしいんだ(byディオゲネス)でしかない。
それを知っていて俺はゲームをやったはずだ。
「こんなの人生の役には立たないよね」という声に「でも楽しいから問題ねぇ!」と強気に返せなくなってきた。
「確かに俺もそろそろ勉強とかしとかないといけないな」「ジムでも行って体を鍛えないと成人病にかかりそうだ」なんて声が聞こえてきたらそのまま押し切られて「本当にその通りだ俺は一体何をやっているんだ」と熱が冷めてしまう。
悔しい。
格好つけて「所詮は0と1の羅列さ」なんて言ってみせた所でそれはタンパク質の塊である自分を棚に上げた恥知らずなマウンティングでしかない。
悔しい。
ライブ映像が好きで、好きなミュージシャンのライブ映像をよく漁っているんだけど、彼らが若いころの(若いってほどでもないかもしれないけど)映像を見ていると、表情や全身から大量の熱を振りまいていて、そのエネルギーを見ていると泣けてくる。あるいは、今となっては見せない一生懸命感とかね。
そんなわけで、おれが涙した映像を紹介させてほしい。
それぞれのファンにとっては既知のものばかりだろうが、その辺はご容赦願いたい。
https://www.youtube.com/watch?v=3od114a4o7Y
1982 のライブ映像らしい。彼は 1949 生まれらしいので、33 かそこら。年をとっても自信たっぷりで確信にみちた表情は変わらなかった彼だが、晩年はやはり体も縮んで声が出てないところも多かった。このライブ映像では声はもちろん、表情からも体からも、あらゆるところから熱を発しており、その輝きはおれの涙腺を強烈にキックするわけです。残念なことに彼は 2011 に他界。
彼を知らない人はまずは 49:40- の Alien を聴いてみてほしい。ついでに言うとこの映像に含まれない名曲もたくさんあるので興味あれば掘り下げていただければ。
https://www.youtube.com/watch?v=9ZNVhiOY_ug
ギターを手にする人にとってはスライドギターの人として、映画好きの人にとってはヴィム・ヴェンダースの劇版の作家として、もっとも一般的にはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの仕掛け人として知られる Ry Cooder。この映像は日本の BS で流れたモノらしく 1987(日本語字幕では88と表記されてるけど。。) のライブ映像とのことで、このとき彼は 40 かそこら。
ゴスペル/テックメックス/カリビアン といった要素のミックスなんだけど、それぞれのプレイヤーがズブズブに土着音楽をやってる感が強い。それを一つにしているのは Ry Cooder の才能という他なく。。それぞれのプレイヤーがそれぞれのバックボーンから全力で音を発しているにもかかわらず、たった一点に収束するその集中力と音楽への愛情はおれの胸を深く打つのです。
https://www.youtube.com/watch?v=EkM3Wiy7j5Q
ジャズを聴かない人にとっては「誰?」って感じかもしれませんが、長年にわたって最重要プレイヤーの一人。ジャズ界隈で活動してるんだけど、彼もまたアメリカンルーツミュージックの求道者。(ただ、多作で時期によってやってることが全然違うため一言で説明しずらい人でもある。)
この映像は彼が 42 ぐらいの時のものでボブ・ディランのカバー。カバーを良くやる人で、いずれもオリジナルのもっとも重要なエレメントをきっちり握っている。
また、彼は客演で非常に良い仕事をする人。驚くほどあちこちに顔を出しており、どこに行っても自分の世界全開にもかかわらず、それがその曲の重要な要素を際立たせるという触媒のような人です。
映像の演奏は奇をてらわないアレンジで、美しいコードの上で朴訥としたメロがフォーキーさを増しており、それはやさしくおれの心に触れるのです。
結構大変そうなアレンジを楽器にかじりつくように弾いていて、弾き終わった後に見せる表情は今となってはあまり見られないものではないかと。
https://www.youtube.com/watch?v=lYbrrbbnXnA
現在では WAR と LOW RIDER BAND の 2つに分裂してしまった WAR の 76 年(だそうだ) gypsy man のライブ映像。キンキンに集中したライブ演奏は 70年代の WAR の特筆すべき点の一つだと思う。なかでもこの映像の BB ディッカーソン のガッツあふれるベースは何度聴いてもおれの胸の奥に熱いものをあふれさせてくれるのです。
個人的には、ディッカーソンはソウル/ファンクにおいて最重要ベーシストの一人だと思うんだけど、あまり注目されない(おれが知らないだけで、ベーマガなんかで特集されてるのかもしれないけど)のでぜひ。
WAR は主要メンバーの何人かはすでに他界しているが、ディッカーソンは LOW RIDER BAND で健在なもよう。
https://www.youtube.com/watch?v=wln_zQsynNY
spilit が凄いのでこちらもぜひ。ダルな前半からサックスソロをきっかけとして風景が変わっていくこの流れは WAR にしかできないと確信できる。
https://www.youtube.com/watch?v=zSnbV1FrIhA
最近ではベースはTMスティーブンスに弾かせて、自分は歌ったり叫んだり、ライブハウスの壁を登ったりしている Bootsy ですが、ただただ全力で音楽をやっていたころがあったようで。
I'd Rather be with you は今でもライブのハイライトなわけですが、若いころは熱の入り方が全然違う。映像は 1976 年とのことで、51年生まれの彼は 25歳?ですね。。そら熱も入るわ。wiki 見ると、75 年ぐらいまで P-funk 界隈とかかわっていたようで、映像は初リーダーアルバムが出た年。
funk 独特の時間をかけてじわじわ熱を込めていく前半のあの感じから、キックとコーラスがモゴモゴと盛り上げていく中盤、そしてついに歪んだベースソロに入って行く流れ、もう涙腺崩壊するしかないという。
あなたは、目の前の男性が自分の胸を注視していると感じたことがあるだろうか。
嫌悪しているどころか、好意を持った異性からのそれを感じた時にも貴方は嫌な気分になったかもしれない。
こいつは私の身体が目当てなのか、と。
冬はニットのセーターという強力な触媒を得てその魔法は強化される。
そして夏は重ね着という枷を外されることによってその魔法の威力は増すばかりだ。
つまり、男性が貴方の胸を見てしまうのは性的欲求によるものではない。
その証拠として、男性は年齢や見た目などの要因によってストライクゾーン外の人の胸にも、目がいってしまう。
落としたものを拾ったり、柔らかい二の腕でその双丘を挟んでみたり、そんな仕草を目の前でやられてしまったらその魔法から逃れることはできない。
男は性欲に駆られて胸を見るのではなく、胸を見てしまった後に(それが魅力的なものであった場合)性欲に駆られるのだ
どうぞ許して欲しい。