2016-11-25

概念を交換する

麺のないラーメンは単なるスープである。麺の不在(言い換えれば空なる麺の存在)によってそこには「スープ」という概念存在している。そこに麺が投入される。すると瞬時にしてスープ消失しそこにはラーメン誕生しているのだ。このとき、麺は単なる麺という物であることを越えて、全く別種の存在、すなわち「替え玉」になるのである

もう少し丁寧に述べてみよう。いまそこにスープがあり、未投入の麺玉がある。この時点では、スープスープであり麺玉は麺玉。すなわち単なる「スープ と 麺玉」であって、イコールラーメン」ではない。しかし、麺玉をスープに投入した瞬間、概念Aとしての「スープ」は概念Bとしての「ラーメン」になる。この「なる」という現象に着目したい。言っておくが、客の目の前にスープがありそれをラーメンと交換したのではない。実体としてのスープ実体としてのラーメンの交換ならば、それは単に「ラーメンの追加注文が来たので器を下げてラーメンを出した」のと同じであり、そんなものは「替え玉」ではない。替え玉替え玉たるゆえんは、一瞬前まで単なるスープ概念に過ぎなかったものが一瞬後にラーメンに「なる」ことにあるのであり、そこで交換されているのは実体ではなく概念である。すなわちスープ概念ラーメン概念概念交換が発生しているのである。そこで投入されるのは単なる麺ではない。

この概念交換を成立させる「麺玉」は単なる麺ではなくメディア、すなわち概念交換の麺触媒(メンディアであるというべきであろう。一瞬前まで単なるスープだった液体は一瞬にして「ラーメンの汁」に変貌する。麺は麺のまま物質的には何一つ変化しないにもかかわらず、麺触媒としてあざやかにその機能を果たす。「替えの玉(麺)」ではなく「替える玉」。すなわち「替え玉である。この「替え玉」がまた一つの概念であることは言を俟たない。

さて納得されたであろうか。こうして麺という単なる実体が麺触媒としての「替え玉」に変貌するとき、我々の内なるラーメン概念もまた現象学還元を経てゲシュタルト崩壊を起こす。なぜなら、この触媒によれば一杯のラーメンは(人間の食限界を超えることで)無限ラーメンへと拡張されるからである。そうなればそれはもはやラーメンであってラーメンではない、形而上学存在、あるいは宗教的イコンと化す。だがこのことはまた別に紙幅をとって論じたい。

http://anond.hatelabo.jp/20161125155902

記事への反応 -
  • 何故ラーメンの麺追加を「替え玉」というのだろう。もうそこに元の麺はなくなってるのに。一体何と替えているというのか。

    • 麺のないラーメンは単なるスープである。麺の不在(言い換えれば空なる麺の存在)によってそこには「スープ」という概念が存在している。そこに麺が投入される。すると瞬時にして...

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