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2019-10-01

anond:20191001210942

言いたいこととか、そういう気持ちにしてしまうのは男として申し訳ないと思うけど、一つ反論したいのが、男同士でも自分を遥かに凌駕する教養や学識を披露する奴とかが居たら普通に嫌な気持ちになるし、そういう場合相手のことを知能の低い生き物として無意識に話をしているせいだとも思う、これは男女限らない。

自分が話すことをなんでも知ってる相手になんて話をする気持ちにならないし、男同士でもビジネスなら知ってることを知らないふりをするしね。

女友達共感

今日東京を離れることになった女友達ランチを食べにいくことになった。

あんまり女同士でこういう話は普通しないんだけど、彼女も私もミサンドリー気味であることが分かった。

我々は、いわゆるフェミナチではないんだけど、男の人から性的目線自分を見られるのがすごく気持ちが悪くて嫌だということで意見の一致をみた。ここでいう男の人とは、好色視線を投げかけてくるその辺の気持ち悪いおじさんだけではなく自分が好きな男性も含まれる。この感覚女性同士でもあんまり分かってもらえなくて、自分の好きな男性からは女として見てもらいたいという人が多い気がする。

我々は、自分たちが人間として愛する「好きな男性」が自分を「女体」というプリズムをとおして見ることを悲しむ。「好きな男性」だからこそ、彼が私を顔のついたマンコとして捉えることが哀しい。「好きな男性からは女ではなく人間として認めてもらいたいという気持ちがある。

「好きな男性」は、私たちを「聡明だ」とか「高い知性」があると言ってくれるけれども彼が私たち対話相手に選んでくれるのは、私たちの女体に興味があることが前提だ。もしも、我々が「好きな男性」を遥かに凌駕する教養や学識を披露すれば、好感にみちたニコニコ顔は一気に強張るのを知っている。

もちろん、世の中には我々を顔のついたマンコだと捉えず、人間として扱ってくれる男性も多少いるのは知っている。でも、首尾よくそういう人に恋できるかどうかはわからない。

「好きな男性」に女として求められることは陶酔的ではあるものの、それと同時にものすごく吐き気がする。我々の女体が通用するうちは、この吐き気とずっと戦わなくてはいけないということで、二人でさめざめと涙した。

彼女の心に触ることができて、とても感動した。女同士でこうした心と心が触れ合う会話はなかなかできない。多くの女性は、「好きな男性」とその手の会話をしたいと感じるようだ。私もかつてはそうだったけど、男性とこういう話をすると彼の性的好奇心を刺激してしまうようだったので、正直気持ちが悪くなってしまう。

なんというか取り止めがないけど、女同士の絆っていいなって話です。

追記

思い切り無視されるか、ミソジニストどもにめちゃくちゃに叩かれるかと思いきや、ご親切に相談にのってくださる方が多くてビックリしました。日本ってこれでもより良い方向へ進んでいるんですね。

2019-09-28

確かなことは誰も知らない

世間には自信ありげに振る舞い、聞きかじった知識披露して、他人非難する人がいる。しかし、確かなことは誰も知らないため、そのような人物の話を鵜呑みにしてはいけない。証拠のようなものを見せられても信用してはいけない。

2019-09-22

強度遠視の大人眼鏡作りってどうするのが正解なんだ

タイトルに関して知見が欲しいの半分、愚痴りたいの半分で書く。

アラサー。2〜3歳ごろから眼鏡かけて生活している。

母子手帳には遠視・斜視乱視と書いてあった。

斜視はかなり改善してるけど片目は未だに弱視。もう片方も裸眼で遠くは見えるけど本の活字がほぼ読めないか眼鏡必須

ここ1年くらいで視力が落ちてきて目に力を入れないと手元が見づらくなったので久々に眼科に行った。

初診で散瞳剤を点眼し検査をしたがうまくいかなかったと言われ、後日サイプレジンという目薬を使って再検査をした。

長丁場の検査後「左右2段階ずつ度数をあげますね」と言われ、処方箋を手渡された。そのまま眼鏡屋に直行眼鏡を購入した。

数日後完成した眼鏡を受け取りに行き、掛け替えて店を出て少し経ったあたりで頭痛吐き気じわじわ感じ始めた。

遠近感も妙で夢の中を歩いているような違和感がある。手元のスマートフォン文字もぼやけるし、駅の電光掲示板は滲んで見えづらい。

初めて眼鏡を買い換えてこういった感覚におそわれたが、じきに慣れるだろうと思い様子を見ることにした。

翌朝になっても何も改善せず、昼過ぎおかしいと思い処方箋見直した。

見える方の度数が3段階、弱視の方の度数が1段階上がっていた。

すぐ以前の眼鏡に掛け替えたところ1〜2時間で体調も良くなった。

眼科に逆ではないか電話すると「おそらくそうだと思うが診ないとわからないので来てくれ」と言われた。

そして昨日眼科に行ってきた。

「前回対応をした者に対応させる」と言われたので「不安なので別の方に対応していただけるとありがたい」と伝えた。

点眼をせずに視力検査をし、診察室に呼ばれた。

検査結果通りに処方したがどうやら合わなかったようだ」と言われたので「2段階あげると言われたのにそうなっていないうえ、かけても視力が出ないのはおかしいし逆ではないのか」と言ったら、医師パソコンデータか何かを見ながら「確かに逆だ」とかそんなことを小さく呟いた。

改めて正しい処方箋が欲しい旨を伝えたが「遠視の目は測定が難しいので来月専門家(なんたら士?と言っていた)が来た時に再検査したい」と言われた。すぐに眼鏡を買い換えたいと伝えたがしばらく前の眼鏡生活してくれと言われた。

病院から指定された日は仕事を休まないと来院できないと伝えたがじゃあそうして欲しいと言われ少しイラッとした

腑に落ちない部分はあったが来月の予約をさせられ診察を切り上げられた。

受付で800円程取られて「処方箋が間違っててもお金を払わないといけないんですね」といらない嫌味を行ってしまった。

言い訳すると月のもので体調が非常に悪い上に朝1で受診するため寝不足気味の状態で来院したため精神的な余裕を欠いていた。

もう1度診察室に行ってくれと言われたが、いらないことを言ってしま申し訳ないしごねたり金を返せと言うつもりはないので会計してくれと返した。

暗所で看護婦数人と医師に囲まれるのは正直嫌だったが強引に診察室に連れていかれた。

医師から「あの処方箋は誤りではない」「こちらは正しい処方をしたが合わなかっただけ」と言われた。

もうさっさと家に帰って寝たかったので「誤りでないというのは納得できないが揉めるのは本意ではないし誤っていたからといってタダにしろとかごねる意図はない。先程の発言やつあたりということにしてほしい。申し訳ない」と言った。

何言ってるんだこいつみたいな顔をされてなんとなく話が終わったので受付に失礼な態度をとったことを謝って病院を出た。

3度も通って眼鏡代より高い金を払ってこの状況はなんなんだと思ったので、そのまま眼鏡屋に行って処方箋なしでレンズ度数を変更できないか相談した。

本来処方箋がないと変更できないので駄目元だったがその場で検眼してレンズを変更してもらえることになった。

病院のいうとおり遠視に合う眼鏡を調べるのは難しいと前置きされた上で、左右均等に1段階か2段階度をあげるのが丁度いいだろうとのことだった。

何度か比べた上で2段階度数を上げるよう頼んで眼鏡屋を出た。

昼前に帰宅してそのまま倒れるように床で寝て夜に起き今に至る。

週明けに病院電話して予約は取り消そうと思う。

他の遠視の人もこういう面倒な工程や出費を経ているんだろうかと思って似たような境遇の人がいないか軽く検索したが大半が子供のうちに治るらしいと知って心が折れそうになってる。

ケントデリカットの一発芸を飲み会披露してウケるのはメリットだと思う。

2019-09-20

花譜の歌う「不可解」という曲を紹介したい

「花譜」という名前活動する15歳のアーティストがいるらしい。

現代らしくヴァーチャルな肉体に身を包み、可愛らしく繊細な声で様々な曲を披露しており、

ファーストアルバムも絶賛リリースしているようだ。

Twitterフォロワーは6万人以上、自身YouTubeチャンネル登録者数は現時点で18万を超えている。

私はこの「花譜」というアーティスト存在に全く詳しくないので、詳しい紹介やこの曲が作られた経緯とかその他諸々は割愛する。

んで、その女の子ワンマンライブ披露たこの「不可解」という曲。

https://www.youtube.com/watch?v=NDOJZSG9SPU

この「不可解」を作詞した人は「カンザキイオリ」という"ボカロP"だそうだ。

有名どころでいえば「命に嫌われている。 」だろうか。

以下、歌詞

お金とか、ビジネスとか、効率とか、

そういうことをこれから考えなくちゃいけないんだ。

そうでしょう?だって学校なんかじゃ責任感とか、団体行動だとか、

ありもしない、意味もない将来のためとか言って教えてくるじゃん?

「あるべき人間の姿へ」 「正しい人間の姿へ」

そう思えばなんだか人間全てが汚く思えてくるな。

仮想世界とか、妄想とか、そういうものこそ美しくなる。

ああなんだこの感情は、人間らしくない私だ。

「寂しい」とか、「愛しい」とか、

そんな言葉では表せない。

不可解な未観測情景。

名前のない花のような、

悠に咲き乱れるこの号哭が、

やりたいことすらできなくて、

身動きすら取れない、寂れた心臓に咲いた。

不安定な、未完成宣言

言葉じゃ表せない。

現実や、社会に刃向うための、

覚醒の、不完全な魔法

人間の正しさってやつを今勉強してるわけですが、セオリー通りに生きて、

教えられた通りにやることが、そりゃ正しいと思うよ。

でもさ、きっとそれだけじゃないでしょう?」

何かを間違いだってうから、誰かに間違いだって言われた。

それじゃあこの気持ちはなんだ? 愛情とはまたほど遠い。

激動とも言い難い、どうにも表せない歪な感情

これこそ美しいのではないか? この美しさは間違いか

ならこんな世界いらない。 私の信じるものを信じたい。

死にたい」とか、「生きたい」とか、

そんな痛みでは嫌われる。

でも不可解な未完の声明

それだけが頼りだろう。

ずっと未知なる現実に無力で、

生きることも難しくって、

身動きすら取れない、疲れた肺がかなった。

不可測な異端証明

画面に花が咲いて、

現実社会に反抗する、

不完全な、不安定魔法

このまま清く正しく、

誠実な人になることが、

それだって正解の一つだ。

でもそれで満足できないのは皆わかってるはずなんだ。

だってそうでしょう?

満足してたらこんなところで歌なんて歌わない。

こんなに苦しくならない。

こんなところで踊らない。

こんな気持ちで叫んでない。

こんなに美しくなれない。

こんなに楽しくなってない。

踏み潰された涙が固まってできた、

この不可解な感情名前はない。

不可解な未観測情景。

名前のない花のような。

悠に咲き乱れるこの号哭が、

やりたいことすらできなくって、

身動きすら取れない、寂れた心臓に咲いた。

不安定未完成情景。

言葉じゃ表せない、

現実社会抗うための、

不可解で不完全な魔法

お金とか、ビジネスとか、効率とか、

そういうことじゃないでしょう?

愛情とか、友情とかそういう何かじゃ計り知れない

心が打ちひしがれたあの不確かな情景を綺麗だと思うのは

きっとそれこそが人間の証だ。

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kafu/fukakai/

お金ビジネス効率についてだけ考えること」「セオリー通りに生きる事」が「人間の正しさ」「あるべき人間の姿」である定義付けたうえで、

「清く正しく誠実」な人生を送っているだけでは満足出来ない。

しか自分一人では突きつけられる現実社会の波に抗えないから、不安定で不可解なネガティブ感情に苛まれている。だから歌うんだ。 みたいな内容。

その不可解なネガティブ感情や、打ちひしがれた時に見る心の情景こそ美しく感じ、その感情こそが人間の証だ、という締めくくり方をしている。

まりは「打ちひしがれ、絶望する中にひっそりと芽生えた反骨精神」がまさしく「人間もつべき感情」だ、という中々アツい内容だ。

こんなに中二病でアツアツな歌詞ロリロリな声で歌っており、少女必死感が出ててバリバリ味が出ている。是非聞いてみてほしい。

知人の共通項が俺しかない

ぼっち奇人から知人は少ないんだけど、そうは言っても趣味の分野一つごとに一人くらいはいる。

俺も最低限の基礎知識はあって、そいつらは個別に時々呼んでくれて分野の知識披露してくれる。

新しい学説とか、新製品とか、世間の誤解とか。

ところが、分野Aと分野Bの知人の共通項・興味関心が「俺を知っていること」しかない。

AとBの間に仮に何か用があっても、すべて俺を通さないと動かない。事務的必要性の話でも俺を通るからもう勝手にやってくれと同じチャットに入れても極めて社交辞令的な会話しかなされないし、現実で引き合わせたら借りてきた招き猫を向かい合わせたみたいになってもちろん全く盛り上がらない。

友人関係ってこんなもんなん? なおホモではない。

2019-09-19

全ての最終目標は「金」になる

趣味活動であっても金が無いと活動できない。

すべてに「金」は関わってくる。

金が既にあるのであれば、俺は働かないだろう。

自分趣味でやってます」と言っても

それが「金儲け」に繋がるのであれば、それは金目的になってしまうのも仕方ないと思う。


俺は、曲製作小説ゲーム製作 をしたいと思っているが

やりたいことは確かにある。ただ最終的に目指しているのが

不労所得」だ。苦労せずに金が一定額ほしい。

それが普通じゃねぇの?違うのか?

好きだから極めたいっていう人も居るだろう。

極めた分、人に披露して賞賛を得たいとか1番になりたいとか。

そういうレベルじゃなければ、基本的に「金が欲しい」に終着しそうなんだがなぁ。

2019-09-14

女子全員20代前半の英語合コンアラフォーが一匹紛れた理由(追記あり

未婚のアラフォーですが、今夜英語合コン

行ってくる。

相手外国人というわけでなく、英語カフェ主催

コンパらしい。

年齢40歳までとのこと。

セーフ…だけど、アウトなのかな?

婚活パーティだと下の年齢まで明記されてるから

出来るだけ自分の年齢が下になるようなパーティに参加するのに。

行ったことない英語カフェなので、年齢層が想像つかないが、まぁ、

20後半から30前半?

下手したら最年長かもな(苦笑)

このカフェを前から気になっていたのは、店主の男性

(30代前半?)がちょっとタイプだったので♪

相手されると思うほど愚かではないけど、どうせなら目の保養に

したいと狙っていた。

ちなみに当方、多少の通訳経験もあるくらいは英語が話せる。

けど、すごい人見知りなので、人との繋がり全てが「しがらみ」として

認識してしまうくらいぼっち好き。

なので、英会話カフェなんてキラキラした「意識高い系」が集まる中に

飛び込む勇気がなかったんだけど。

英語合コン文字見た瞬間、申し込み。

正直、今更出会いは求めてない(諦めの境地)。

だけど、「おめかしできる!」と、思うとテンションMAX

実は、洋服好きで、在宅で人に会わない仕事をしているくせに、毎日

好きな服で自分なりのおしゃれを楽しんでいる。

自己満足でいいとは思うけど、やっぱり誰かに見せたいときもある。

それが好みの男性の目に一瞬でも入るのなら、私は喜んで

合コンピエロになりましょう。

幸い、ぼっち好きな元コミュ障だけど、接客業で鍛えた営業スマイル

トークなら、在宅ワークの今も健在。

(人に合わないだけで、ネット電話毎日クライアントと話してるし)

舞台で話すのは得意だけど、グループの会話の中に入るのは苦手だから

合コンは避けてきた。

つーか、人生で3回目?(友人の結婚式二次会含む)

婚活パーティは1vs1なので、ソツなくできるけど、合コンって

ちょっと想像つかないので、やっぱり今緊張してる。

英語話せるったって、しばらく日本語漬けの生活だったから、

うまく発音できるか心配

しか10年以上前最後に参加した合コンの時みたく、

隣の男にずーっとガン無視され続ける屈辱トラウマもあり、、、

でもきっと、英語カフェに来る人なら、最低限のマナー

心得た紳士淑女たちのはず、という期待を込めて。

とりあえず、今日は久々のフルメイクだ。

秋らしいボルドーブラウスが良いかもしれない。

たとえ、壁のシミになったとしても、おめかしして人(&イケメンの)前に

出れるなら、張り切るぜ。

アラフォーなのに、合コンに参加するなんて、という批判

ググったら出てきたけど、ほっとけ。

そんな場でしかおめかしした姿披露できないんだよ!

もう友達も既婚or生涯独身しかいないから、披露宴すら呼ばれないんだからー😭

追記

ふたを開けたら女子全員20代前半っつー

無理ゲー状態で白眼剥きそうになった。

男性は30代っぽいのにひどくない?

とはいえ英語なら負けない。

さび英語で声が裏が裏返ったりしたけど

あの場の平均より上の英語力で、話に食い込み、若いこの通訳までして場をまとめたり、我ながら健闘したと思う。

唯一のネイティブと2回の席替えくじでもペアになり、ずっとマンツーマンレッスン状態💦

運命感じる前に、脳が疲労困憊。

ライン交換もとりあえず何人かとしたけど、

もはやライン捨てアド状態

プライベートでは未だにメールを使う

からいいけど。

ちなみにイケメンさん、実物は印象違った。彼目当てに行くことはないかな。

ただカフェ雰囲気良かったから、近くに行くことあれば行くかも?

(つまり多分いかないだろうなぁ。楽しかったけど、家から遠すぎる)

2019-09-13

13日の金曜ということでラジオジェイソン豆知識披露してるけど

・実はジェイソン武器チェーンソーではない

ホッケーマスクは3作目から

・なんとジェイソン宇宙に行ったこともある

なんていうか世の中の知識ってこんなもんだよな

2019-09-12

M〜愛すべき人がいて〜

好きだったタレントの話をします。

手紙を書いても届かないだろうし、別に本人に届いて欲しくもないのですが、なんていうか、すごくモヤモヤしているので、匿名でこっそり書かせてください。

その方が事務所を辞めて、もうすぐ1年の月日が経とうとしています

ついこの間、プライベート写真流出して、少し話題になりました。大したRT数ではなかったし、それに対する反応を検索してみましたが、その方を現在も好きな方たちはとくにその話題にも触れてはいませんでした。ホッとして、良かったような、悪かったような。

流出した写真の内容は、正直すごく下品写真です。

おおやけの場というか色々な人に見られるような場所ではなかったのは幸いかもしれませんが、とてもじゃないけど肯定できるような行為ではありません。

私は警察でも弁護士でもなんでもないし、写真上の情報をすべてに話をしているので、その写真において実際の罪の有無を判断できるわけではないです。

しかし、成人している大人がするような行為ではないなぁとがっかりしました。

私は、その方のプロ意識というか、ステージに立つ姿が好きでした。ステージ上で踊っているとき、誰よりもかっこいいと思っていたし、誰よりも輝いていると思っていました。

事務所タレントの中では容姿端麗なイケメンキャラというわけではなく、3枚目というか、いじられキャラ面白キャラとして活動していたこともあり、時々自信がないのかな?と思うこともありました。

そんな中、同じ事務所タレントグループを組むことになり、活動していくうちに、以前よりも自信を持ったパフォーマンスをしてくれるようになったと思うようになりました。

今回の写真については、辞める前の時期で、その事務所タレントとしての活動間中だったとのことですが、彼が「面白さ」を求められるがままにモラルのない行為をみんなに「面白がってもらえるため」に自主的に行なっていたという事実に打ちのめされました。

その行為をするように指示されたということであれば、また別の問題かとも思いますしかし、写真を撮られたということは今も誰かのスマートフォンタブレット類などに原画データが残っているかもしれないし、写真撮影された時点で消去するように伝えるべきだったかもしれない。撮影する行為に気付かなかったにしろ、タレントとしての脇が甘いと思いました。

今後、彼の名前検索した人はあの画像を見てしまうかもしれない。彼のことを好きなファンは「あの写真の人のファン」と定義づけられてしまうかもしれない。私だってそうです。「あの写真の人の元ファン」です。一生インターネットには写真は出回り続けるし、一生消えません。

正直、本当に情けないです。

世の中のゴシップ写真などに比べたら、こんな写真かわいいものかもしれないけど、私はこういう形の「面白さ」は求めていなかった。お笑い芸人ネタとして披露するのであれば、まだ理解できますが、君はお笑い芸人じゃない。たくさんのファンの期待を背負ったタレントです。

君がこれから先の人生において、この写真のことを後悔したってもう遅い、どんなに反省したって消えない。同じタレントの現ファンの方からは、私が考えすぎだよって思うかもしれない。

この先、モラルのない人間だとこれから君が思われることがあるかもしれない「きっかけ」ができてしまたことが辛い。

この行為について、庇ってもあげられない。自業自得だけで済めば、良かったかもしれないけど、君はファンや今までお世話になったたくさんの人の期待を今だって背負ってるってことを忘れないでほしいし、その期待がずっと続くなんて思わないでほしい。

君のことをずっと応援していきたいって思っていたけど、今は辛い。ごめんなさい。すごく好きだったよ。静かに去っていく方もいらっしゃるだろうに、このようなファンでごめんなさい。

今までたくさんの力をくださり、ありがとうございました。本当に感謝しています

君のおかげで、今があります

2019-09-11

女子高生バイブを使ったプレイをする

今度、吹奏楽部女子高生に向けてVibraphone(略称Vibes)の演奏披露するんだけど、何か?

2019-09-10

かくし芸大会の思い出

小学校のある学年のとき、その時の担任が突然「かくし芸大会やろーぜ」と言い出した。

心のなかで「やらねーよ死ねなの」と呟いていた私は、きっと周りも同じ気持ちだと信じていた。

準備期間は1ヶ月、チームを組むもの、技を磨くもの、何かブツブツと暗記しているもの練習と称して隠すはずの芸を披露してまわるもの、その面々を見るうちに私は自分孤立を知った。

同じようにかくし芸大会反旗を翻した者たちと共に夏休みの宿題を提出せずに乗り切った連中の真似事をするはずが、クラスでただ一人の無芸無能と晒される未来が確定していった。

そして私は仮病を使い、逃げ切る道を選んだ。

その後おきた悲劇はあえて説明はしない。

本当に辛かった。

死ねなの。

今でも、仕事で辛いことがあった日の夜に限ってその夢を見る。

ただ勉強をして問題を起こさなければ生き延びられると信じていた社会が、個性・特技・一芸・差別化といったものを求める残酷ラットレース場所であると知った最初記憶

とても辛い。

今でもその時の教師が苦しんで死ぬことを願っている。

非モテが「周囲のせいだ」と責めるのはお門違い

結婚詐欺師で捕まった奴ら、知ってるか?

美人」でもないし「可愛い」わけでもないと思うんだ。

本出した人?の声は可愛いかもしれないがな。

もう一人の女性はぜんぜんそんな事無かった。

共通点を挙げよう。

字が綺麗

 手紙テレビで見たが、達筆だった。

 同性だろうと異性だろうと、達筆だと良い人そうな感じがするのは否めない。

手紙を良く書いていた

 相手気持ちが伝わるのはLINEよりも「手紙」

 どれだけ労力をかけてくれたかもわかるし、データと違って現物を燃やしたりしない限り残る。

「愛しています」など愛の表現を良くした

 日本人は「言わなくても伝わる」と思いがち。

 押し付けたりしない素直な愛の表現をし続けるため、「本当に愛してくれているかも」と思ってしまう。

 相手に愛の催促はしなかった気がする。

常に相手の事を考え、押し付けすぎなかった

 「あなたはいつも頑張っているので体調が心配です」みたいな手紙も書いていた気がした。

 馬鹿が良いわけでも無いし、知識披露することが良いわけでもない。

 ただ、「相手の言ったことを察し、話を聞いてあげる」ことが重要なのだ

 相手の欲しそうな話を振っていたこともあったように思う。

相手に関わる情報は忘れなかった(相手に興味があるアピールが凄い)

 中学生の時何をしてたとか、家族構成とか、その他色々。

 質問に来た記者にも手紙を書いたり、息子のことを書いたり

 転職?か知らないけれどどっかに飛ばされるとき「寂しいです。お体にお気をつけくださいね」と書いたりしていたと思ってる。



とにかく共通しているのが「相手のことを思っている」という点。

あなたの事を信頼していますよ、貴方が好きですよ、それを全身で表現していたんでしょう。

犯罪は良くないけどね。

お世辞にも「綺麗」とか「可愛いはいえない見目だった気がするけど、たくさんの異性を落とせたのはそういうことだろうな。

増田時間差説

増田は土日の伸びがいまいちであるというのが定説である

このことから私は世の中の大半の人間休日有意義時間の使い方をしていると思っていた。

だが、深読みすれば逆に土日に大作を執筆して平日にお披露目しているとも考えられる。

これを増田時間差説とする。

2019-09-08

月ノ美兎百物語配信は何が凄かったのか、あるいはVTuberと「魂」の話

簡単なあらすじ】

8/31百物語前編。にじさんじの有名VTuber月ノ美兎」と「本間ひまわり」が多くのVTuberコラボしながら百物語配信を行う

9/1、百物語後編。ラスト一般女性の「魂」が美兎に入り込み、声および人格が別人に変化するという演出を行う

以降、月ノ美兎TwitterおよびNoteも別人の口調・雰囲気となる一方で、本物の美兎が別アカウントから救難ツイートを行う

9/5、雑談枠。中身が別人の美兎の雑談で始まるが、途中で本物の魂が放送ジャック。他ライバーリスナーの力を借りて「月ノ美兎」を取り返す。ついでに3D化のお披露目。

【何が凄かったのか】

エンタメとしてももちろん面白かった。他のVTuberとの絡みであったり、YouTubeTwitterNoteといった様々なWebメディアにまたがる仕掛けであったり、リスナーを巻き込んで考察させたり。

まさに今の時代ネットコンテンツって感じで、VTuberしかできない、いや、月ノ美兎しかできない作品になっていたと思う。

しかしそれよりももっと凄いのが、今丁度この時期に上記をやったということである

これは、「魂」に絡む話だ。VTuberの外側と中身、そのどちらがキャラクターアイデンティティたりうるのかと言った問題だ。

2019年度上半期、VTuber界隈はこの手の話題に向き合わされ続ける羽目になった。

6月の、ゲームプロジェクトサイレント声優交代騒動

5月8月の、キズナアイ、魂分裂騒動

どちらもややこしい話題なので詳細は他の記事を追ってほしいが、両方とも炎上の核は一致している。

すなわち、

運営側VTuber声優を単なる(アニメ等と同じ)声優と捉えているが、声優本人およびリスナーにとっては遙かにそれ以上の意味を有していた」

ということだ。

ここは結構VTuberを本当に追っている人でないと伝わりにくい部分で、ドラえもん声優を変更することとVTuber声優を変更することを同じように見ている人も多い。

そんな人にとっては、上のゲームプロジェクト騒動なんかは、どうしてそこまで炎上したのか皆目わからなかったかもしれない。

そういった齟齬もあって、VTuber概念を決定づけるもの声優なのか。3Dモデルなのか。設定と脚本なのか。そういう議論をせざるを得なくなってしまった。

月ノ美兎百物語配信は、このあたりの話にひとつの回答を突き付けたと言う点で、VTuber史に残る放送になったと思う。

【入れ替わり演出顛末と、月ノ美兎の提出した回答】

月ノ美兎の「魂」は、自らの身体を外れたことにより月ノ美兎としての人格が薄れ、記憶曖昧になっていった。

代わりに、身体に入った別人の方が、魂が定着するにつれてこれまでの月ノ美兎記憶すら獲得していった。

(これが単なる脚本上の演出とはどうしても思えない。上述の声優交代騒動を思い出してしまうようにできている)

この入れ替わり演出は、本物の魂が「リスナーからイメージをもとに月ノ美兎を再構築し、偽物と対峙する」という流れで決着する。

そして偽物に対し月ノ美兎の「噂」をぶつけることでイメージダウンを図り、身体を手放させるのだ。

かなりギャグテイストで描かれていたが、月ノ美兎はここにVTuberの「魂」についての重要な主張を込めたんだと思う。

まりVTuberとは「共通幻想なのだと。

運営声優と、他のVTuberたちと、そしてリスナーとの間で醸成されていった、巨大な共通イメージこそが月ノ美兎の核なのだと言っているのだ。

たとえば動画内で、記憶を失った月ノ美兎が、自身公式プロフィールを読み上げてもピンとこない。という場面があった。

当たり前だ。月ノ美兎は既にプロフィール通りに配信していない。洗濯機とかミミズとかクソ雑魚とか、そういうエピソードがもはや彼女再構成してしまった。

ゲーム部もキズナアイもそれは同じで、ファンに彼らの印象を尋ねたとして、公式プロフィール通りに答える人はただ一人もいないだろう。

それはアニメともYoutuberとも違う現象で、だからこそVTuber声優交代はアニメ声優交代とは全くの違う事象になってしまうのだ。

多くの人が、色々な場所で例の百物語配信を褒め、「ひとつの回答を突き付けた」とか書いているが、その「回答」の中身を誰も書こうとしないので、こうしてここに書いてみた次第である

追記

ムカデやんけ……。ミミズってなんや……。

2019-09-06

腐女子に媚びて設定改悪する最悪なアニメの話

国民アニメ誕生日スペシャルを見た。突発キャラで某声優ラップ

少し匂わせは感じたものの、中の人のつながりからスタッフの遊び心だろうと納得しようとした。直後、歌が下手なメインキャラがラップ披露するまでは。設定は何処へやら、華麗に歌声を響かせている。違和感が明確な嫌悪に変わった瞬間だった。

長く続く作品で、時代に合わせて細かな設定が付け足されたりすることは仕方がない。しかし、この「ラップは上手い」という設定は本当に必要ものだっただろうか。

ツイッターは、「今日の○○(国民アニメ)、××(○○がオマージュしたと思われる作品名)回じゃん!」と話す人で溢れ、検索欄にも「○○ ××」と並んでいる。

それはそうだろう、TLに流れてくる情報くらいしか知らない私でも、すぐにオマージュに気付くくらいなのだから

問題は遊び心では許されない、キャラの改変だ。まだ別の回、何かしらの説明があったうえでこの設定が出てくるならば納得できる。しかし、ツイッター上で××回と表現される程分かりやすく匂わせている中、"A(改変されたキャラ)もB(Aと同声優の××のキャラ)と同じでラップが上手です"はさすがに都合が良すぎるだろう。

○○では、Aの歌が下手であることで成り立つ回も多い。しかし、ラップが上手ならば、ラップだけリサイタルで歌っていれば良いではないか。これはキャラアイデンティティ喪失と言わざるを得ない。

スタッフの悪ふざけとしか思えない今回のスペシャルは残念だ。〇〇も××も一気に嫌いになった。

なんか嫌な夢みて疲れた

夢の中で私は怒っていた。相手掃除サービス業者若い女の子

彼女スカートプリントが、うちのソファの肘掛けの部分にべったりと張り付いてしまった。染料が写ってしまった。

彼女は気まずそうな顔をするも謝らない。

まあ、張り付いたプリントをおとし、肘掛けをもとのとおりにしてくれるなら、と思っていた。

が、彼女ソファの肘掛けを磨くどころか、自身スカートメンテを始めてしまった。

色が写ってしまったスカートを短く切り、アシメリーデザインに縫い直していた。

出来上がったスカート披露する彼女に、夢の中の私は切れた。

なんだそのふるまいは、と。

まず謝り、うちのソファの汚れを落とすのが先だろう、と。客のものを汚して謝らず、汚れを落とすことすらせず、自分の服の心配か。

おまえは仕事をしているんだろう、と。

掃除サービス仕事をしにきてるんだろう、と。

怒って、目が覚めた。

疲れた

2019-09-04

刀剣乱舞好きな人間が刀剣乱舞映画批判してるだけ

私は刀剣乱舞が好きだ。

大好きで大好きで、それでも地雷存在する。その地雷刀剣乱舞映画だった。

好きな人には嫌な思いをさせてしまうだろうが、私は創作審神者創作刀剣男士が大の地雷だ。

ここで無理だと思った人はこれ以上先を見ないで欲しい。

とにかく、うちの子みたいな精神が好きになれなくて言ってしまえば夢という界隈が好きじゃない。

この2大地雷映画でやられた。

見てる人はわかるだろうが、活劇 刀剣乱舞というアニメではアニメオリジナル審神者が出てきた。それではアニメ放送前より審神者ビジュアルが公開されていて、なら見るのをやめておこうと自衛できた。

舞台 刀剣乱舞役者さんがそのまま映画に出ているというので、とても期待値が高く、映画の公開日から自分が見るまでは、Twitterを閉じた。ネタバレを踏まないように

ネットもなるべく避けた。

映画 刀剣乱舞を心の底から楽しみにしていた。

正直、最初からクライマックスの手前までめちゃくちゃ面白かったのだ。

刀剣乱舞はもともと、看板キャラ三日月宗近ちょっと怪しいことをして疑われるが、本当は裏で暗躍している飄々としたキャラにする傾向があるので、あ〜またか〜とは思いながらもめちゃくちゃ楽しんでいた。

なのに最後最後映画オリジナル刀剣男士が出てきたのだ。

敵が刀剣男士になるという、プリキュア戦隊モノでよくあるような展開で映画オリジナル刀剣男士の登場。

そして最後は、年老い審神者(舞台ミュージカルと同じく声のみの出演)の引き継ぎとして、小さな女の子審神者になったのでみんなの前にお披露目!といったものだった。

驚きで何も考えられなかった。ショックだった。ショックや悲しいとかそんなことを言う資格はない(というかこんな批判してる時点でもう私は公式の求めるファンでもない)が、ただただ辛かった。公式に予告もなしでやられるとは思いもしなかったからだ。

家に帰って放心状態Twitterを開いた。

映画感想検索すると、とても良かった!ネタバレは見ないで見て!と言った感想で溢れていて、それなのに自分映画に対して良い感想が1つも出てこない。良かったはずなのに。

そんな自分がすごく嫌になった。

審神者というのは、プレイヤーのことだ。

もともと供給が少ないこの界隈で、審神者というもの創作の中のひとつになっているのも承知で私はこの界隈に来た。

二次創作なら自衛すればいい、公式アニメ審神者を出すと予告してくれたし、ミュージカル舞台は声のみの出演だから信頼出来るなんて思っていて、自分勝手に裏切られた気持ちでいる。

自分気持ちはここまでにして、映画オリジナル刀剣男士の登場のことを少しだけファンエゴから言わせて頂きたい。

映画オリジナル刀剣男士は、前述したとおり、敵から刀剣男士になった。

ゲームから派生作品(アニメミュージカル舞台など)で、新刀剣男士は出てきたことないので公式からの新刀剣男士の発見法は今のところ映画であったパターンしかないのだ。

そう考えると、新しい刀剣男士はああやって発見されることを映画を見ていないファンは一生知らないかもしれない。

"この物語は、とある本丸のはなまるな日々の物語です。"

これはアニメ刀剣男士花丸から引用だ。

アニメ活劇とアニメ花丸では、時間遡行をする方法が異なる。もちろん映画もだ。

なので、公式はこう言いたいのかもしれない。

あなた本丸では、ほかの派生作品では、新刀剣男士の発見法は異なるかもしれませんよ、と。

それを言われてしまえば、私は何も言えない。元々公式がそういうスタンスなのだから、それにいちいち文句を言うなら私はファンではなく、ただのアンチなのだ

いや、今もアンチみたいなものかもしれない。

少なくとも映画が好きだと言える人からしたら私は正真正銘アンチだ。

私の好き嫌いなんてどうでもいい。

オリジナル刀剣男士うんぬんもオリジナル審神者うんぬんも、全て私個人文句だ。

映画は私の肌には合わなくて、勝手に裏切られた!悲しい!と喚いてるだけなのだ

それでも、私は刀剣乱舞が大好ききだ。

聖性を帯びる京都アニメーション作品

9月1日さいたまスーパーアリーナでのアニメロサマーライブに、シークレットで登場したのは、放課後ティータイムだった。

他のアクトとは段違いに会場が揺れた。

もちろん、それまでのアクトも多いに盛り上がっていたが、やはり放課後ティータイムの生み出した「熱狂」はその持つ意味も含めて特別だった。

長い時を経ての、そして京都アニメーションのあの事件が起きた後での、放課後ティータイムとしてのライブ

キャスト達は壇上にそれについて言及することはない。ただ、全力で素晴らしいライブ披露しただけ。それでも観る側はそこに特別意味見出ししまう。

これからも、京都アニメーション作品作品に付随するものを観る時に、事件のことを100%脳裏から消して対峙することは難しいだろう。

京都アニメーション自体や関わる表現者の方は、それを好まないだろう。今後生み出される作品は、そんな記憶とは切り離して純粋に楽しんで欲しいという思いで作られるだろう。

ただ、かつて数々の宗教でその信仰を強めてきたのは(結果として)多くの「殉教」だったように、痛ましい事件によって京都アニメーション作品は、ある種の「聖性」を帯びることになってしまったように思う。

作り手が望まずとも、観客は勝手にその意味づけをしてしまう。

__________________________________________________________

京都アニメーション作品の1ファンとしては、時を巻き戻して事件を無かったことにできるなら、どれほど良いだろうと思う。ただ、それが不可能な以上、これから作品応援し続けるしかない。

失われた命は戻らないし、負傷者の方の傷が癒えること、スタジオが完全に立ち直ること、には長い時間必要だろう。その長い時間、ずっと応援し続け、願わくば「聖性」などと思うことなく、また純粋作品のみを楽しめる日がくることを。

デレステにゆずは不要

いつかやっちゃうと思っていた。

シンデレラガールズライブゆずの曲をやりやがった。

いらない。

本当にゆずの曲なんていらないから。

薄い音楽薄い歌詞

無意味に詰め込んだ早口

全部同じ曲に聞こえる、とまでは言わないが、全てが薄い。

なんでみんなアレをありがたがってるんだろう。

ゲームに入っただけなら、プレイしなければいいか無視してたけど。

ライブにまで持ち込まれた。

せっかくそこまで楽しくテンションあげてたのに、ラストゆずの曲なんてテンションがた落ち。

カバー自体は構わないし、その中の1つ2つにゆずの曲があっても構わない。

だけど、あいつらの曲は多すぎる。

オリジナル曲作曲たから、カバー曲もライブ披露なんて、特別扱い

もう関わらないで欲しい。

名古屋公演と大阪公演までゆずを持ち込むなよ。

本当に、関わらないで欲しい。


・・・俺がデレステやめるほうか早いな。

今日ライブ見て本当にやめようか考えたよ。

もう俺向けのコンテンツではないようだから

2019-09-01

anond:20190901210336

くだらなくもないし挑発でもないぞゴミ

早く皆に天才の曲を披露しろよ最低のゴミ

さよなら課金戦士

時は戦国、大ソシャゲ時代

新しいコンテンツが生まれゆく傍ら、命を落とすコンテンツもある。

オタク同士が推しコンテンツを勧め合い、アクティブユーザーという名の陣地を広げる。

そして、コンテンツサービス終了はソシャゲを嗜む者ならば1度は考えたことのある悲しい未来ではないだろうか。

これはとある国で林檎をもぎり、スマホタップする戦士の悩み。


1年前、私生活が辛くて仕方がなかった私は死にたい毎日思っていた。

当時大好きだったコンテンツは流れが早くてついていけず、心の安寧のためにコンテンツから離れた。

でも、根っからオタクだった私は何かしらのコンテンツに触れていたくて何百回と聞いたアニソンイヤホンから垂れ流していた。

新しい情報を体内に取り込む気力は無かった。アニソンは耳とイヤホンがあれば良い。

毎日ログインに追われることも無いし、ストーリーを読む必要も無かった。ガチャの結果に一喜一憂することも無い。

歌で延命するオタク。歌は祈命。


イヤホンからアニソンを垂れ流す引きこもりだった私は、某アイドルプロデュースコンテンツ男性アイドルver.(以下M国)に出会う。

アイドルコンテンツは良い。歌があるから

耳とイヤホンがあれば良い。

iTunesで気になったユニットの曲を片っ端から購入して、朝から晩までM国の曲を聞いた。

しかった。新鮮だった。未来への希望に満ちた歌。届けたい言葉がある。前を向くための理由がある。

背中を押されるってこういうことなだって思った。コンテンツを詳しく知らなくても楽しめる歌は素晴らしいなと思った。

歌を聞く余裕しか無かった私に、この歌を歌うキャラクターを知りたいという気持ちが遅ればせながら湧いた。

そこからは早かった。

からコンテンツに入ったので音ゲーを先にインストール。引くほど簡単音ゲーを何度も練習してユニットと歌をイコールで結んだ。ユニットを覚えてからは、ストーリー重視のゲームインストール雑誌をたくさん読んでキャラクター内面を知っていった。

担当ユニットが出来た。ファンとして応援したいキャラクターが出来た。

冬を迎える頃、引きこもりは外に出た。

課金戦士になった。


私には、学生時代大好きだったソシャゲサービスを終了した経験がある。

そのソシャゲアイドルコンテンツだった。

課金戦士になり得る力を持ち合わせていなかった私はオネーサンたちのおこぼれでゲームをする無課金ユーザー。働き始めてやっと課金が出来る。恩返しが出来る。と、思った矢先のサービス終了。

サービス終了は呆気ない。

それまでに貯めたダイヤも、ゲーム内で使えるアイテムも、私に向けて笑ってくれたアイドルも今じゃ開かないただのアイコン。それでもアンインストール出来ないかオタクの恋は難しい。

どんなに製作会社が大きくても呆気なくサービスが終わることを私は知っている。

まりがあれば終わりがある。でも、その終わりを長引かせることは出来る。

課金コンテンツ延命だ。

から私は課金戦士になった。

でも、このままM国で林檎をもぎりながらスマホタップする未来不安を覚えたので今筆をとっている。

もう少し話は続く。

M国の課金戦士になった頃、心に余裕が生まれた私に友人がとあるゲームを勧めてきた。奴は陣地を広げるつもりであった。

勧められたゲームは、潰れかけた劇団を再興するために役者たちと苦楽を共にするストーリー(以下A国)でフルボイス。

繊細に描かれる役者たちの人生。フルボイス。耳とイヤホンがあれば良い。

私は所謂シナリオゲーが苦手だった。

ちまちまと画面をタップして話を読み進める行為が好きになれなかった。それならいっそのこと音読してくれといつも思っていた。

から、A国のメインストリーがフルボイスなのは大変助かった。

何より演者の芝居を耳で実際に感じることが出来る経験が新鮮だった。

このキャラクターはこの脚本を、言葉をこんな風に感じ取ったんだ。傷ついたんだ。泣いたんだ。笑ったんだ。演者息遣いひとつに"生"を感じた。

そして、A国ではキャラクターが歌を歌う。

アイドルコンテンツでは無いけれど、公演にちなんだ歌を披露してくれる。ソロ曲グループ曲、全体曲もある。

歌に命を救われた私がハマらないわけが無かった。

今日、A国のライブ映像を見た。

ただ一言、凄かった。

ビックリした。歌に合わせて用意されたキャラクターと同じ公演衣装。めくるめくバックモニターの映像。歌毎に装飾が変わるトロッコ。火も上がった。スモークもでた。

"課金"が活きていると思った。

目に見える形で課金の成果が出ている。

M国のライブはどうだろうと思った。

M国のライブ映像しかたことが無いけれど、M国のライブはどうだろう。

前のライブ映像でも聞いた歌、見覚えのある振り付け。作りの甘いモニター映像。布まで安っぽく見えてきてしまう。

私がした課金はどこに活きているんだろう。ゲームライブアニメコラボ?なんでも良いか演者気持ちよくステージに立ってもらいたいと思った。悔しかった。


1年しかM国で生活していない。

それでも、この国の作物が少ないことは分かる。大母体は肥えた土壌のはずなのに実らない作物。水をあげてもあげても干からびたままの大地。水をあげすぎて根が腐ったのかも知れない。

痩せた土地で立派な実は実らない、と誰かが言ったけどコンクリート出身の強い果実に最終的には負けてしまった。

課金が活かされる日は来るのだろうか。

後発組のアニメが作られる日は来るのだろうか。もっとスムーズな踊りを画面越しのアイドル披露してくれる日は来るのだろうか。差別無く商業コラボを行える日は来るのだろうか。

コンスタントユニットとしての曲が出る未来はあるのだろうか。

A国は2期に分けてアニメを放映するらしい。1人1人にしっかりスポットを当ててストーリーを進めるのだろう。ゲームストーリー3部の配信も発表された。

舞台成功しているし、あのライブは間違いなく成功だろう。

課金コンテンツ延命だ。

サービスを終了させないためには課金という水を与え土壌を潤し耕す必要がある。

はいつまでこの国で戦士としていられるのだろう。

まずは来年ユニット曲を待つ。長い。

2019-08-28

8月8日とその前後の記録

トラジャ担です。そういう事を書きますが、あくまでこれはトラジャの記録ではなくて私の感情の記録です。2019年の夏とそこに至るまでの、トラジャにまつわる私の記憶とかそういうものの記録。沼に嵌るまでの経過とも言えます。4000字。

書くことで自分の中で整理しようって思いと、書いちゃったから誰かに読んでほしいなって思い。オタク歴がめちゃくちゃ浅くて友達いないしTwitterブログもやってないからここに載せたい。

そもそもアイドル追っかけた事も、アイドル以外の何かを追っかけた事もほとんどなかった。全部トラジャが初めてだった。

私がトラジャを好きになったのは少クラでLet it BURN!を躍る美勇人くん見たからだった。確か2017年?16?かその辺だったと思う。というか美勇人くんを好きになった。うわなんだこのかっこいいダンスって思って好きになったんだけど、少クラだって学校から帰ったらちょうど始まる時間だったから見てただけで録画もしてなかった。音楽番組なら演歌だろうと何だろうと好きな私はそのノリで見てただけで、ジュニアの事なんかわからなかったしましてやトラジャなんて(そもそもジュニアの中にグループがあるのも理解してなかった)知らなかった。ただ美勇人くんていうんだ、かっこいいな、今日放送出るかな、って思って毎週見てた。

だんだん仕組みがわかってきて、ああ美勇人くんがいるのはトラジャってグループなんだな、Love-tuneってとこと兼任してるのか、みたいな、どう調べたらいいのかもわかんないし無精者だから少クラ見て分かる事だけちまちま知っていって、たまにアイドル雑誌買ったりもして、ゆるゆるの美勇人くんファンをしてた。今でも私が一番好きな少クラはいつかのらぶと一緒にやってたえびのFantastic Rideだ。それはそれで楽しかったよ。

けど、だんだん少クラに出る美勇人がらぶの方ばっかりになってる気がした。衣装とか。あれって思ってるうちにもうトラジャでは全然踊ってくれなくなった。そうこうしてるうちに夢ハリが出て、めっちゃかっこいいじゃん!って思った次の、少クラでの確か二回目の夢ハリパフォーマンスとき朝日君がいなくなっていた。流石の私もおかしいと思って、はじめてちゃんトラジャについて調べた。そうしたら私が呑気に少クラだけ見てへらへらして居る間にトラジャも美勇人くんもLove-tune朝日君もそれからもちろんファンも大変なことになってたのを知った。知って死ぬほど後悔した。自己中なことに、ああもう二度と美勇人くんには会えないんだなって思って後悔した。あの時点ではもちろんらぶにいたから見れはするんだけど、けど、既にその時私はトラジャのパフォーマンスの中にいる美勇人くんのファンになってたからそれじゃ嫌だって我儘を思ったんだな。

それで(今後自分は誰を応援するのか?みたいなことで)結構悩んだんだけど、結局「トラジャ」ってグループファンでいようと決めた。らぶにいる美勇人は何でか分からないけどなにか違くて(勿論好きは好きなんだけど)、やっぱり私は「トラジャ」のステージが大好きだったから。あと何かの雑誌で読んだ松松の加入の方法もすごく好きだったから。それで何したらいいかわかんないなりにファンクラブはいればいいのでは?って思って情報局に入り、そこから少クラだけじゃなくていろんな番組とか(そんなないけど)、雑誌とかを見るようになって、いろいろあって、初めて彼等に会えたのが去年つまり2018年のサマパラ。

当選した時嬉しかったなあ大学の授業中にメールが来て教室飛出して親に電話したの今考えても馬鹿だ。当然仕事中なので出なかった。全く違うジャンルオタクが一人だけ居たのでそっちにも死ぬほど電話しまくった。二次元の子なので、推し三次元で会えるのってすごいねみたいな事を言われたの覚えてる。

それで2018年のサマパラはあんまり覚えてないんだよね。興奮しすぎて覚えてない。アリーナのめちゃくちゃすごい席ひいちゃって、しーくんの汗がふあっ、てとんできたのと、アンコ終わりにちゃかちゃんが「何かあったらTravis Japanに言えよ」って言ってはけたの、ほんとにそれしか覚えてない。けど終わった時好きでよかったし好きな人たちに会えるときに会えてよかったってすごく思った。

情報局動画に2018のダイジェストがのってるんだけど、それは心がほんとに折れそうなときに見る。死ぬほどつらい時にあれ見るとラストの方のサマパララで、ローテンポのサビのとこ、ちゃかちゃんカメラ指さして歌ってるとこでわんわん泣いちゃうんだよね。リーダーすごいなあって思う。

まあそこまではよくて。ここまでなら一般人危機感を覚えて軽めのオタクになっただけの話なんだけど問題は今年の夏なわけじゃん。8.8みたいな話。

8.8は当然の如くはずれたのでお家で見てました。けど正直外れてよかったって思ってしまった。スノストは正直好きで、てかトラジャが私の中では特別輝いてるってだけで、もうステージで輝いてる人は全員好きなんだけど、それでもだめだった。そりゃ人気とかわかってはいたけどまさかあそこであんな形で発表されるとは思わないじゃん。発表の後は見れてないし、素顔トラジャ版予約したけど、来ても正直見れる気がしない。おめでとうだけはちゃんといいたいんだけど。その気持ちは嘘じゃない。本当に、スノストがどうこうじゃなくてトラジャの問題なんだそこだけは本当でしかない。

まあ自己弁護はいいや。

その時私は8月10日サマパラ初日昼公演つまり初回公演のチケットを持っていた。死ぬほど楽しみにしてた。横アリは外れたから私にとっては一年ぶりの単独公演。幸せ絶頂だったんだけどどん底勝手に落ちた。物販だけ行ったドームうちわ眺めながら、どんな顔してTDCHに行けばいいんだろう。メンバーはどんな顔してるんだろうってそればっか考えたし、人生でこんな悲しい気持ちで入るコンサートはそうそうないだろうなって思ったりもした。美勇人くんがいなくなった時の事とかも思い出した。終わりがあるってことを忘れていたんだな。総武線の中できいてたボルケーノの歌詞が辛かった。

8月8日日記を見返したんだけど「私は楽しくなくていいから7人が楽しめればいいのに」って書いてあった。まさにそういう気持ちだった。

それで公演に入った。けど二曲目からは一つも悲しくなかった。同じ公演に入ってた人ならここだけは同意してもらえると思うんだけど、一曲目に松松が入って初のオリジナル曲の二番初披露で松松のパートがあって(うみんちゅナイス)、それで次のYes!I SCREAMイントロでまつくが「デビューすっか!」って叫んだじゃん。もうあそこで悲しい気持ちとか諦めとか寂しいのとか全部吹っ飛んだよね。私は泣いたし私の前にいたまつくのうちわ持ってた人は座り込んで泣いてた。7人が全日程通して(とらまるも含め)自分達の気持ちを語ってくれたわけだけど、私にとってはあのまつくの言葉が強くて強くて、あれがなかったらたぶん怖くてこの間ののえまる開けなかったと思う。しめちゃんの一緒に頑張ろうって言葉にも心の底から約束できたし、うみんちゅに言われて買ってなかったグッズ追加で買ったし、新曲コールあんな大声出たことなかった。光飛び散るステージMCかめっちゃ笑ったし。のえさんの優しさもたまらないしソロファンサで死んだ。元太anniversaryでまた泣いてまつくのpureも早く音源にしてちゃん歌詞読ませて!ってすごく思って、エンディングでまでカニ歩きしてるしーくんに誰も突っ込まないので笑って、とにかく全部幸せだった。トラジャをこれから応援できるなって思った。

そのテンションのままで虎者特報100万目指して、実際100万いった日の夜中とか、30分に1万のびるんだもん寝れないよって思って4時まで起きてた。死ぬほどまわしてスクショとって、オーラス前に行けた。私はサマパラ初日の1公演しか入れなかったのだけれど、そこで言われたうみんちゅ言葉に加えて、オーラスまでモチベーションが続いたのはレポをあげたり再生数をグラフ化してくれたりするトラジャ担の皆様のおかげでした本当にありがとうございます勇気を出せたら私もトラジャ垢作りたいな。

結果としてフルが公開された。8.8からたったの二週間。漫画どころか二時間完結の映画みたいなスピード感

決まってたのかもしれないけどそんなことどうでもいいじゃんって今は思う。もうなりふり構っていられない。前はトラジャのパフォーマンスファンだった。けど今はもう何でも良くて、もちろんトラジャのパフォーマンスが一番好きなんだけど、今の私は、トラジャの7人をこれからも見ていられるようにするためなら何だってするし何させられたって(勿論7人が嫌だと思う事は絶対嫌だけど)いいなって思う。

終わりがある事を知ったからこそこう思えるようになった。

なんでもいつかは終わるんだよね。人生だっていつかは終わるし。アイドルなんて特に。嵐でさえ休止するんだから、こうなったから終わらないとかそんなこと言えない。言えないからこそ今を精一杯、それからほんの少しだけ先の何かのために頑張って、その結果として少しでも長く7人を見ていられたらいいな。追いかけられればいいな。オースティンがあって、虎者があって、そこを頑張ったらもう少しだけ先の別の目標が出来たら最高じゃない?今は未だ妄想だけど。

一つ一つの目標を躓かないで頑張れたらいつかはハリウッドが次の行先になるかもしれない。ハリウッドの次だってあるかもしれないじゃん。

思うのは、叶ったって夢は夢でしかいかも知れないってことだ。それが終わるってことだからトラジャとか、アイドルに限らずだけど、結局人生でさえいつかは終わるんだから。一度は叶った夢が消えちゃうこともあるし。

けど私はこの夏を通して、7人と7人のファンと、同じ夢を見られるファンに慣れた気がしてる。

同じ夢を見ている限りもう怖いことはない。

MVまわしながら勢いで書いたし歴の浅いオタクからいろいろ間違えてるかもしれないけどこれから勉強するから許してください。なんなら教えてください。私の知らないトラジャの事をたくさん知れたらもっともっと同じ夢を見られる気がするので。

アイドルしてくれてありがとう応援させてくれてありがとう。いままでもこれからも。

2019-08-25

私がフェミニストから離れた理由

私がフェミニズムから距離を置く理由

https://togetter.com/li/1369547

フェミニストであることに疲れた

http://toianna.hatenablog.com/entry/2019/06/25/205348

この辺読んでいて、そういえば自分はツイフェミだった時期があったなと思い反省文を。

フェミニズムに接近したきっか

自分フェミニズムに興味を持ったきっかけというか要因は、人権問題に関心のあるリベラル学生だったからだろう。私は当時ネット上で左派的な言説の多くを観測しており、その流れでフェミニストたちのアカウントフォローするようになっていった。

彼らは現代においてなお残っている実に多くの女性差別を暴き、実に多くの不正義を告発している、ように見えた。彼らの主張はおおむね正しいように見えたし、差別によって苦しみ、不利益を被っている女性がいるのなら、この状況は是正されなければならないと思った。また自身(男性である)が無意識女性差別的な行動を取ってしまっていないか、という点にも大いに過敏になった。

身近に思いっきセクハラ被害に遭っている女性がいたので尚更こういう話題に関心が出たのかもしれない。フェミニストたちの行動の裡に潜む暗い衝動存在に私が気付くのは、ずっと先のことである

といっても、私もフェミニズムに首までどっぷりとは行かなかった。あの界隈には単に男性嫌悪を拗らせただけと見える人も多くいたし、彼らのいくつかの主張(例えば「権力勾配」「まなざし」など)については本当に正しいのか確信が持てなかったので判断を保留していた。

とはいえ各論においてはともかく、総論においては同意していたのは事実だ。

疑問

で、私がフェミニズムという運動のものに疑問を持ったきっかけだが、それは例の「女だけの街」騒動だった。

あの騒ぎ自体はよくあるしょうもない炎上騒ぎなので、わざわざ論じる価値はない。ネット上でよくある異性叩きコンテンツのいち類型にすぎず、個別に論じる事自体時間無駄だと思っている。

ただあの炎上は私にとってひとつ大きな収穫があって、それはフェミニストたちのある姿勢が露わになったことだった。

事の経緯としては、最初とある女性が書いた「女だけの街があったら夜道で怖い思いをしなくて済むのに」といったようなツイートが発端だったと理解している。これ自体はまあ、政治的に正しいかどうかはともかく、単なる愚痴にすぎないだろう。なのでこれ自体を正しいとか正しくないとか言うつもりはない。人間はたまには正しくない愚痴を吐きたくなるものである

が、人権という原則に照らし合わせてこの発言が色々とまずいのも事実だ。ヒトラーだって同じことを言っていただろう。「アーリア民族だけの国があったら良いのに」と。「〇〇だけの街(国)」というアイデア古今東西多くの虐殺引き起こしてきたのだ。

それなのに、フェミニストたちはこれを「素朴な心情の吐露にすぎない」と擁護していた。

なるほど確かに「素朴な心情の吐露」ではあるかもしれない。だが「素朴な心情の吐露」なら何を言っても良いのだろうか?件の発言が「日本人だけの街」だとしても彼らは同じように擁護しただろうか?「女は男に比べて頭が悪い」と素朴に信じている人間自身の考えを披露するのもOKだということになるのだろうか?そもそも、そういう「素朴さ」の裏に張り付いた偏見認知の歪みを告発してきたのがフェミニストではなかっただろうか?

本当なら、フェミニストたちはこの発言擁護するべきではなかったのだ。

政治的に正しくないから袋叩きにするべきだとは思わない。

繰り返すが、人間は時に政治的に正しくない愚痴を吐くものだ。だが炎上してひとつ論点として浮上してしまった以上、擁護するべきではなかった。せめて「気持ちは分かるけどその言い方はまずいよ」と諌めるくらいのことはするべきだった。

なのに彼らはそれをやらなかった。

その時の様子を見て私は愕然としたのを覚えている。単に男性嫌悪をこじらせた似非フェミニストばかりではない。ある程度誠実に、論理的ものを言っている(ように見えた)フェミニストたちも、揃って件の発言擁護し、食ってかかる人間罵倒を浴びせていた。彼らはお定まりお題目ーー男性社会犠牲者ーーを大声で唱えた。私たち被害者だ、奴らが悪いのだ、と。

なんということはない。彼らの行動原理正義などではなく、結局のところつまらない党派性と暗い攻撃衝動にすぎなかったのだ。ニーチェの言うことろの奴隷道徳というやつだ。

彼らの言葉の底が見えた瞬間だった。

日本人だけの街」がアウトで「女だけの街」がセーフだと主張するには、おそらく根拠として例の「権力勾配」という概念を持ってくるしかないだろう。

権力勾配」の扱いは長らく自分のなかで答えが出せていない問題だった。例えば人種隔離政策実施されていた時代アメリカで、黒人白人を殴ることと白人黒人を殴ることを同列に扱うことはできない、なぜなら黒人被差別階級からだ、という主張は、必ずしも狂ったものだとは言えないだろう。

ただ、私としては最終的に、これは否である判断するに至った。理由は大きく分けてふたつある。

第一に、この主張は結局のところ、「人権の内実はその個人属性によって変化する」と主張しているに等しいことがある。

人権というのはつまるところ社会フィクションにすぎないのだが、ここを切り崩すことを許してしまうのはどう考えても悪手だ。女性差別問題にできるのも、つまるところ「万人が等しく人権を持つ(べきである)」という原則があるからだ。その原則がなければ、性別民族性的指向政治志向、その他あらゆる属性によって、恣意的個人権利制限することができるようになってしまう。これは到底受け入れいることができない。「権力勾配」という概念人権という原則に照らし合わせて筋が悪いばかりか、フェミニズムが拠って立つ基盤を自分で切り崩していることにもなる。

第二に、目的手段正当化するか?という問題がある。

女性差別撤廃という正しい目的を達するために、正しくない手段を用いることは正当化できるだろうか。

これは難しいところだ。政治的目的を達するため不正手段を用いることが、一時的戦略として必要であるという考えは理解できる。が、例えば共産主義革命という「正しい」目的を達するためにいかに多くの人が殺されてきたか、ということを考えると、やはり首を縦に振ることはできないだろう、という結論暫定的にだが出すことになった。

例えばアファーマティブアクション(これは自分否定的なのだが)なんかは、マクロな不均衡を是正するためにミクロ差別を導入する、という政策だろう。他にも、件の医大入試における女性差別問題なんかでも、一概に「差別から悪だ」とは言い切れない事情があるのは理解できる。

社会というもの原則どおりには動いてはくれず、難しいものだなと常々思う。

まとめ

ともかく、あれ以来、フェミニストたちの言説がどういうものだったのかが、なんとなく見えてきた。彼らのやり口はネット右翼よりは洗練されているかもしれないが、その本質においては何も変わるところがないことが分かってきた。

敵を作ることで味方を定義し、団結させる。それは人生に不満を抱えた人間たちを動員する効率の良い手段だ。日曜革命家効率的に票田を獲得し、鉄砲玉を生産するための手段。こういうメソッド社会に遍く見られるもので、今日もどこかで誰かが動員されているのだな、とネットで怒っている人を見るたびに思う。

今更気づいたのか、と言われれば返す言葉もないが、当時の私はちょっとばかり難しい本を読んだだけで社会については全く無知学生だったのだ。ちょっと首を突っ込んだだけの段階でフェミニズムおかしさに気づき、取り返しがつかなくなる前に抜け出せたのは僥倖だったのではないかとも思う。

昨今、TERF関連でまたフェミニズム面白いことになっており、トランスジェンダーに対するフェミニストたちの態度を見ていて、あの時フェミニズムから離れた自分判断が正しかたことを再確認している。そのことにはなんの喜びもないが、少なくとも自分がもう彼らの一員でないことは嬉しく思うし、あの集団的狂気から一人でも多くが目覚めてくれれば良いと思う。

教訓があるとしたら、人々の情動喚起して動員する手口を直に学べたことと、原理原則において一貫性を保つことの重要さだろうか。社会運動自体不要だとは思わないが、少なくとも自分は、正義を叫ぶ人間言葉を、以前よりずっと注意深く観察するようになった。それとリベラルが必ずしも味方だとは限らないということも学んだ。

以上。駆け足で書いたので日本語が若干こなれていない感じはするが、推敲も面倒なのでこれで。

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