国民的アニメの誕生日スペシャルを見た。突発キャラで某声優がラップ。
少し匂わせは感じたものの、中の人のつながりから、スタッフの遊び心だろうと納得しようとした。直後、歌が下手なメインキャラがラップを披露するまでは。設定は何処へやら、華麗に歌声を響かせている。違和感が明確な嫌悪に変わった瞬間だった。
長く続く作品で、時代に合わせて細かな設定が付け足されたりすることは仕方がない。しかし、この「ラップは上手い」という設定は本当に必要なものだっただろうか。
ツイッターは、「今日の○○(国民的アニメ)、××(○○がオマージュしたと思われる作品名)回じゃん!」と話す人で溢れ、検索欄にも「○○ ××」と並んでいる。
それはそうだろう、TLに流れてくる情報くらいしか知らない私でも、すぐにオマージュに気付くくらいなのだから。
問題は遊び心では許されない、キャラの改変だ。まだ別の回、何かしらの説明があったうえでこの設定が出てくるならば納得できる。しかし、ツイッター上で××回と表現される程分かりやすく匂わせている中、"A(改変されたキャラ)もB(Aと同声優の××のキャラ)と同じでラップが上手です"はさすがに都合が良すぎるだろう。
○○では、Aの歌が下手であることで成り立つ回も多い。しかし、ラップが上手ならば、ラップだけリサイタルで歌っていれば良いではないか。これはキャラのアイデンティティの喪失と言わざるを得ない。