はてなキーワード: 原初とは
「感じさせられる女」「感じさせる男」という役割は、いつ生まれたか(田中 亜以子) | 現代ビジネス | 講談社
これな。中を読めばなるほどと思わされる近現代の面白いトピックがたくさん書いてあるんだけど、それはいいんだが、総論があまりにおおげさじゃね? 「男性が女性を『感じさせる』セックスをデフォルトとする価値観の誕生は、20世紀初頭の西欧に見出すことができる」とある。マジかよ、と驚いた。
「とはいえ、女性=受動的、男性=能動的とする当時の性別観は強固に維持された。(中略)『感じさせられる女/感じさせる男』の誕生である」ともある。そこに至る論旨がよくわからないんだが、なんか「女性=受動的、男性=能動的とする性別観」イコール「感じさせられる女/感じさせる男、という性別観」であり、そんな価値観は19世紀以前の地球人類には存在しなかった、と言ってるように読める。そりゃいくらなんでもおおげさじゃねーの。
そんなに最近生まれた特殊な価値観だとしたら、「昔のセックスは男女対称だった」という例が,いくらでも挙げられるハズだ。しかしどこまで読んでも、それは、ない。ないのはどう考えてもオカシイんだが、そう指摘するブコメもない。春画では男女が対称的に絡み合ってる、という仄めかしが冒頭にあり、全体の締めに「性的快楽の平等は、女性のリプロダクティブ・ライツの保障はもとより、社会的に女性が男性と対等な存在となることなしに、ありえない。そして、そのときこそ単純な『感じさせられる/感じさせる』という性役割も消滅しているのではないだろうか」とあるが、その割に、江戸時代の町人男女は社会的に対等で性的に対称だった、のかどうか、踏み込んだ検証もない。なんでないの。ないならなんで仄めかすの。
オスがアプローチし、
諾否の決定権はメスが持つ。
オスが攻めでメスが受け。
その構図が、西暦1900年以降の西欧で発明されたものだっちゅーの? アホか。地球上の大抵の虫も鳥も、カメレオンもクジャクもラッコもカメも、そういうふうになってるじゃないか。それでも普遍的とは言えない、というなら別にそれでいいけど、数億年単位の歴史があるものを「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー。
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精子は貧弱だが活発で無尽蔵、卵子は富栄養だが不活発で希少である。種の生存戦略としてそれが普遍的な正解だとは言わない。原初の地球の原初の海の所与の条件下で、たまたま結果としてそういうタイプが勢力を拡大した、ということなのかどうか、まあとにかく事実としてそうなった。そういうタイプの生物に於いては、オスが遺伝子を残す確率は、ほぼ、孕ませたメスの数に比例する。要するに、片っ端からヤリたがるのが正しい。
一方、メスはいくらヤッたって、一繁殖期当たり、通常一体のオスの子しか孕めない。当然、遺伝子を残す確率を高めるには、相手を厳選しなくてはならない。クソみたいなカスみたいなオスに孕まされたら一巻の終わりだ。なにせ卵子は希少なのだから。ヤリチンは英雄だがヤリマンは愚か。例外は「タマシギ」くらいしか知られていない。
ヒトの場合で言うと、オスは1年で300人を孕ませることだって(3000人だって)原理的には可能だが、メスはその間、一度しか妊娠できない。クソみたいなオスのアプローチを、時にかわし時に撥ね付け、同時に一方では懐妊のタイムリミットも気にしつつ、落としどころで妥協して決断して受諾するしかない。人気ブコメに「女が『やらせてあげる』(男が『やらせてもらう』)っていう表現や意識は絶滅してほしい」というのがあるけれど、そういう意識の根源はここにあり、絶滅はなかなかむずかしいと思う。「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー。
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昔のブンガクの話をする。好色一代女は、「堂上家の姫君に生まれた一代女が、その道を踏み外して、快楽と苦悩とのないまぜになった売春生活の末に、次第次第に転落し、太夫から天神、私娼へと堕ちてゆく」話で、1686年刊、とWikipediaにある。
あるいは八百屋お七。これはどこまでが史実でどこが創作文学なのかわからないんだが、大火で焼け出されたうぶな少女が、避難所で遊び人にヤラれちゃって忘我の境地を知りメロメロになり、そのオトコに逃げられて想いを募らせ罪を犯すという話が、当時も、現代においても、深い同情と共感を呼ぶ。
あるいは竹取物語。男たちが求婚し、諾否の決定権は女が持つという、まさにそういう構図の話だ。
あるいは「逢ひ見ての のちの心にくらぶれば 昔はものを 思はざりけり」とか「つれなのふりや すげなのかおや あのようなひとが はたとおちる」とか、どうですか。エロいでしょう。西洋の寓話には「眠れる美少女がイケメンのキスで目覚める」というのが多く、男女逆のは聞いたことがない。あれも、そういうことじゃないんですか。
あるいはオウィディウスの「恋愛指南」(複数の和訳があるらしい。以下はネットで拾いましたすみません)。「私は[女が]自分の喜悦をついもらす声を聞くと嬉しくなる。私に待ってくれとか、こらえてくれとか、いってくれるのは嬉しい。女の愛の狂的な、もう参ったという目つきを見たいものだ。彼女をぐったりさせたい。もうさわってくれるなと拒ましめたい」「目当ての女性の膝に塵が落ちかかるようなことがあったら、指で払い取ってやらねばならぬ。たとえもし塵など全然落ちかかってこなくとも、やはりありもせぬ塵を払い取ってやりたまえ。なんでもいいから、君が彼女に尽くしてやるのに都合のいい口実を探すのだ」「接吻を奪ってからは、満願成就までなにほどのことがあろうか。ああ、なんたることぞ。そんなのは恥じらいではない、野暮というものだ。力ずくでものにしてもいい。女にはその力ずくというのがありがたいのである。女というものは、与えたがっているものを、しばしば意に添わぬ形で与えたがるものだ」紀元前の書らしいよこれ。
これらに接して素直に浮かぶ感懐は、オレの場合、ああ、エロ事情って二千年前から変わらねえんだな、というものです。お前ら様はどうですか。ちなみに怪人小谷野敦は、怪著『もてない男』の中で「近代以降と中世以前との違いばかり強調するのがいまどきの流行だが、共通点だって普通にある(大意)」と述べている。「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー。
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まあブンガクは置いとくとして、「ほとんどの生き物が、オスが性的にアプローチし、諾否の決定権はメスが持つ」というのは、珍説でもなんでもなく、大抵の人が知っているはずの事実だ。「ほとんどの生き物で、まあ控えめに言ってもほとんどの哺乳類で、メスは交尾の間、ただじっとしている」というのも「ヤリチンは武勇伝として語られがちだが、ヤリマンは呆れられる」というのも、大抵の人が知っている。「男の性欲は視覚からでも、あるいは内なるリビドーからでも一瞬で火が点くが、女の身体は時間をかけ手順を踏んで優しい接触から始めてもらわないとなかなかスイッチ入らない」とか、「多くの男は射精の快感を自然に知るが、多くの女は上手な男に上手に開発されないとなかなか目覚めない」とかいうのも、まあ俗説かもしれないが、フェミ勢を含む多くの人が直感的に、かつ体感的に、認めているのではないか。
「若い女は可愛い」というのも、無視できない。もちろん筆者なら「それこそまさに社会が押し付けるジェンダーロール」と言うだろうが、本当にそうか。「ヒトは、小さくてすべすべでふわふわで声の高い生き物を可愛いと感じ、愛でたくなるようにチューニングされている。子育てに有利だから結果としてそういう特性が優位になった」という仮説は、そんなにおかしくないと思うんだが。写真を見るとこの筆者自身、明らかにオレより可愛い。
「オスが攻めでメスが受けなのは性器の形状から考えても当たり前」というような一見バカっぽい主張だって、「いつ生まれたか」を本気で考えるなら、当然アタマをよぎるはずのファクターだ。
なぜ、それらをすべて無視して、20世紀初頭の西欧なのか。
それは、「いつ、なぜ生まれたか」を、本気で考える気がないからだ。
この人は「それは社会的な刷り込みに過ぎない。それもごく最近の、特殊な」という結論ありきでものを言ってる。だから、その結論に都合の悪い話は無意識にスルーする。
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「ホニャララという価値観はなんら普遍的なものではない」式の主張は、確かに快刀乱麻感があって気持ちいいが、そもそも価値観というものはすべて何らかの偏りであり、したがって「普遍的ではない」のは当たり前だ。それだけでは「価値観は価値観だ」と言ってるのと変わりない。
それが意味を持つのは、ホニャララフリーな世界も意外に広い、という事実とセットの場合だけだ。例えば「チョンマゲはカッコイイという価値観」に対して、「チョンマゲを奇異に思う世界の方が圧倒的に広い」と提示することには意味がある。また例えば「食事というものは主食とおかずから成る」と思い込んでる人に、そうでもない文化圏の存在を示せば、有益な目ウロコ落としになるだろう。だが「感じさせられる女」の論考には、男女が互いに感じさせ合う文化圏も意外に広い、というような例は、ぜんぜん出てこない。
そんなら、最初っからこう言えばいいんだよ。「普遍的かどうかとか、いつ生まれたのかとか無関係に、私はその価値観が嫌いだ」と。「想像してごらん、男女が対称的なセックスを。私を夢想家だと笑うかい? But I'm not the only one. I hope someday you'll join us」と。
オレは「セックスの快感の授与と受容において、男女はもっと対称的であるべきだ」という、なんとなくジョンレノンっぽい主張を、批判する気はない。特に賛成でもないが反対でもない。そう思う人はそう主張すればいいと思う。少なくとも、悪い意見じゃない。
また、男女の性行動の非対称性に自然な根拠があるからと言って、「自然な根拠があるから肯定・維持すべきだ」とも思っていない。例えば「痴漢は男が多い」ことには、生物としてもっともな理由があると思うけれど、だからといって痴漢を擁護する気はない。いくら本能的にもっともであっても、否定されるべきことというのはある。
だからね、その主張自体は、べつにいいんだよ。ただ、その主張を強化するために、客観を装ってもっともらしい嘘を述べ、あるいは誰かのもっともらしい嘘を本気にし、それをあたかも確定した事実であるかのように無批判に引用し、自分の主張の根拠とし、都合の悪い要素はスルー、という、その姿勢がイヤだ。恥ずべきだ。
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オレの方こそ些細な点をおおげさに問題にしてるのだろうか。
例えば「そういう価値観は太古からある。ちょっと20世紀初頭の西欧から概観してみよう」とでも書いてあれば何も文句はないんだし、脳内でさらっとそう読み換えて流すのが大人のたしなみなのかも知れない。だけどさー、「いつ生まれたか」というタイトルで、いやまあタイトルなんてものはね、著者の意向と無関係に編集者が後から勝手につけたりするもんだけどね、これの場合は本文中に「本稿では、『感じさせられる女/感じさせる男』という役割が、そもそもどのようにしてつくられていったのか、その歴史的経緯を概観したい」と書いた上で、直後に「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、はっきり書いてあるんだもんよー。長くてごめんねー。
さべつ
discrimination
特定の個人や集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為をさす。その差別的行為の対象となる基準は自然的カテゴリー (身体的特徴) の場合もあれば,社会的カテゴリー (所属集団) の場合もあるが,いずれにせよ恣意的な分割によって行われる。現代フランスの社会学者 R.ジラールはスケープゴート (贖罪の山羊) 化の理論によって差別現象のメカニズムを解明した。それによると社会の危機状況にみられる相互暴力のカオスを回避するために,無際限な暴力の拡散を恣意的に選択された特定の個人あるいは集団に集中させる犠牲の論理 (第三項排除) が差別現象の根底にあるとされる。たとえばドイツの社会不安に乗じてナチス政権が利用した反ユダヤ主義,関東大震災直後の朝鮮人虐殺などがスケープゴート化の現象として考えられる。こうした原初の排除効果が制度化されたものとしてアパルトヘイトなどにみられた居住地域や交通機関における差別的待遇がある。現在,アメリカの公民権運動の成果から人権の観点に基づく差別撤廃の動きが世界的な規模で展開されつつある。
欲に名前をつけてそれだと確信してる人もいるようだけどその欲は何なのだという話だよね
男性のそのおおよそ生き物にあるまじき方向性の欲は進化の武器なのだろうね
蛇が毒を持つように鹿が角を持つように虎が牙を持つように
混ぜたら死ぬものを混ぜて探したり登れば死ぬところに挑んだり努力を怠り衰退する道具を考案したり
さらに基礎的な欲求も一緒にいれば安寧や平穏から遠ざかる相手を好んだり
商品価値とまで認められうる美貌よりも醜悪な外見に性的な欲求を抱いたり
進化というより侵食や波及というような蔓延りへの執着と探求の成果こそが
人類史の集大成でありその歪んでいると自覚でき有るべきでないと理解できる
抑え難き欲求はそこにも活路が潜んでいるかもしれないという飽くなき探究心という
ただ明日も生きていたいという核が坂を転がり遂には自身をも押し潰す巨体となって
神様がかけた箍を外し解放した埒をパンドラと称した文化もあったけど
レガシーデッキグランプリ結構楽しんでやってるから個人的な所感を書くで。
個人的には今回のグランプリは構築いじれない分、気楽に楽しめるポケモンスタジアムみたいな感じが新鮮でわりと楽しい。
構築だとクラス間対立があったりするけど今回は完全に同じデッキをチョイスできるので「Nヴ強すぎ!」と思うなら自分で使えばいいわけ。
どっちかぶん回って速攻終わるのも笑えるし泥仕合でメンコをするのもグランプリならそんな気分悪くない。(ガチ勢はどう思うか知らない)
以下暇なので各デッキの所感。
【冥府エルフ】
意外と使ってる人がいる。キツくはないがドラジ以外冥府を消し飛ばせないのでモタモタしてるとやられる。昏きを手札に戻して過剰なストレスを与えられる数少ないデッキ。
珍種。往年のインチキムーブも今の基準で見れば十分返せる。悲しいかな。
【蝙蝠ヴァンプ】
自傷してフラウロス踏み倒してインチキの絶傑ヴァーナレクを投げてくる悪いやつ。
でもほとんど見ない。何故?
でも息切れは普通にするしスペルで処理されて盤面取れなかったりもする。相手が最速倉木でなければ拾える勝ち筋はある。
【ランプドラゴン】
一番ナーフカードが多いデッキ。ライブラはやっぱおかしいしゼルでバハやウロボロスが走る様は圧巻。回復が多いのでアグロ系でこれを削りきれなかったらほぼ詰み。
実装前にちゃんとテストしようねと言うのがよくわかる。反面原初を引けないとちょっと厳しい…が、一度は原初のインチキムーブを楽しんでみるといい。
【超越ウィッチ】
チンタラしてると超越が飛んでくる。が、チンタラするデッキがそもそもいない。
スペルの対象を増やさない様にフォロワーをあえて出さないのも手。
【ドロシーウィッチ】
ごめん、ほぼ見てない…ぶん回れば互角以上に戦える気はするんだけどなぁ、
【ミッドネクロ】
リーパーなどと合わせてかなりのバリューを叩き出せる。ヘクターのバフをリーサル計算に考えてない相手に何度か勝ったのでみんなは注意しよう。ミミココハウルも9点出るしな。
【天狐ビショップ】
回復でNヴのメタになるかと思ったが別にそんな事もなかった。レフィーエまで保たせよう。天狐が4コスなのはやはり使いやすい。
獅子がブリキを割って出てくる5/5,5/6出現からの2面処理はミッドレンジ的にはキツイ。序盤はスノホワを自害させない工夫が必要だったり、何かと考えることが多い相手。
盤面の取り合いに強いので意外とミッドレンジ系のデッキと渡り合える。すりかわりでトーヴ消したりロボミを倉木に合わせて着地させたりそこそこ器用に戦える。騙されたと思って使ってみてくれ。
人とは仲良くしたい、嫌われたくない、良く思われたい。怒りや欲にとらわれたりして、苦しみたくない。
どこかでそう感じて、
怒りという苦しみから逃れるには怒らなければよい、そう考えて心を押さえて、無視をして、あるいはすでに麻痺してますね。
苦しみはから逃れよう、心頭滅却?心をしずめて?でもお前精神火ダルマじゃん?
麻痺して、自信も夢も好きなものもわからなくなって、色も味も失せて。
怒りも苦しみも悪もけっしてイコールじゃない、意味を辞書で調べるまでもないよな。
でもなんか=で結んでるものとかあるよな、例えばさ、
我思う故に我有り、私という自我、意識は、その意識をもって意識の側面から物.心の世界を情報として見渡している。
私があり、私以外がある。 私の外があるから、私は内側にある何かか? 違う。私は私としてここにある。
動物であり、生物であり、物体である、その側面としてのホログラムのような私。
物体としての私ではなく、化学的連鎖反応の生物としての私ではなく、電子パルスのネットワークとしての私でもない。
そして、ぐだぐだと考えている私でもない。
意識が認識する根源.原初としての私、その起点は私の内にあるのではない。私自身なのだ。
私の内面という表現として思考、感情、感じる何かとかを意味するのは変だよな、だって私の外側にあるもんな。
話がちょっと変な方向にそれたな。
たとえば、大騒音に一生懸命に熱心に聞き耳をたて、自分を直そう、治そうとしても、あるいは落ち着き払って無視しても、
耳は麻痺し壊れ、体調は崩れ、苦しみは増すばかり。
大騒音があったら、うるさいと思う自由と、耳を傾けない自由も、苦情を言うも言わぬも、歩いて離れる自由も、別の場所で好きな音をきく自由も、歌う自由もあるのと同じように、
自由に選択出来る中から心を苦しめずにいられる方法を“私“は選び取ることが出来る。
火の中にいては目を閉じ耳を塞ぎ、転げ回ろうと火ダルマである。火を避け、遠ざからなくては死んでしまう。逃げる方向を間違えても駄目だ。
あるいは火を消し、救出し、今水をぶっかけてくれる誰かが必要だ。それは自分であり、あるいは他人かもしれない。
手足を使い、火から身を守るすべを持つように、思考を自由に使うことで自由に自分の心を守って良い。
あなたは思考の不自由の縛りをほどき、守るすべを選び、心を自由に守ってよいのだ。
欲深いから、傷つけたくないと思い、傷つけられたくないと思い、人には出来るだけ優しくしたいと思い、穏やかでいたいと無茶をする。
武器を捨て、自身を守る行為もせずに、受け入れるがままつったっている、そりゃ針レベルですら驚異だろ、世界は針山。ウニになるつもりか。
自身を守らずに相手をすべて受け入れようなど自殺行為だ、そこまでお前は達人じゃねーよ、むしろそりゃ超人レベルだ。
刃を向けてくる相手に半歩どころか一歩譲っても百歩譲っても刺されるだけだ。かわすの下手なら、盾を前に構えとけ。
相手を思いやって、傷つけないようするのはいい、自分で自分を傷つけないようにするのもいい、だけどな、おまえもうボロボロでズタズタじゃねーか。
相手の刃から自身を守る術を持たなけりゃ、自業自得、自分に自分で刃を向けてんのと結果変わんねーよ。
おまえが思うほどおまえは全然悪くねーよ、全部自分のせいだととらえる必要なんてねーぞ。
ボクが言う若い子というのは「電磁的な悪戯ができる若い子」のことだ
おごがましくて現実社会でボクはこう名乗ってはいないが、一般的に見るとボクは間違いなくハッカー・クラッカーに分類される人間だ
ボクがこのような感じになった原初の体験はマンションのオートロックだった
通常は物理キーや4桁の暗証番号でしか解除できないはずのマンションのオートロックは、ポストに投函されているたった1枚のチラシによって突破できてしまうことに気付いた
自動ドアの隙間からチラシを差し込んでヒラリと落とせば内部の赤外線センサが反応しオートロックは解除されてしまう
ハッカーという言葉すら知らなかったボクは、このときに正攻法以外で目的は達成できることを知った
そこからボクの興味は如何にして設計者や利用者の思い込みや隙を突いて様々に設定した目標を達成するか?ということにのめり込んだ
その中で過去にはメールボムやチェーンメールなんてのもやったし、時間経過で怖い画像が出てくるGIFなんてのもやった
数年前には様々なやり方でユーザに「コンビニなどよく行くお店を3つを挙げさせる」なんて手法を確立し、クロスベアリング法によって登録したユーザの自宅位置を推測するなんてこともやった
今の若いハッカーやクラッカーがなぜこんなにも悪戯の対象がある世の中で悪戯をしないのか理解ができない
ボクなら確実に単なる興味本位で誰かを驚かせたり、自宅を特定したり、言動を誘引したりするのだけれど、何故大人しくできるのか理解不能だ
「中二病的だ」と非難してくる者も居るだろうし、ボク自身の若い頃を考えても振り返れば中二病的だったと思う
しかし、若い頃の熱意というかパッションというか、興味に対して猪突猛進に突き進むパワーみたいなのは中々抑えきれないものだということも知っている
何故その、興味に対して猪突猛進に突き進むパワーを抑えて、大人しくできているのが不思議でならないんだ
興味本位で実行したら配電盤が吹き飛んだとか、Script kiddie的に拾ったツールや知り得た知識を実行してみたら思いのほかハマる人が多かったとか、そういう話がたくさん聞こえてきて良い気はするんだけれど、年に1回あるかないかレベルなので「大人しすぎる」と感じざる得ない
ボクがまともに就職できているのは、そういった社会へ迷惑かけちゃう興味本位をたくさんしたのが未成年の頃で、未成年だからこそ許されたわけだし、もうちょっと興味本位に忠実でも良いんじゃないのかな?って思うわけだ
ちなみにハッカーやクラッカーと言うとパソコンをカタカタと叩いてセキュリティを突破するセキュリティへ対して非常に詳しい者といいイメージを持ちやすい
だけどボクはそうでないと思っている
ハッカーやクラッカーは正攻法でないやり方で目的は達成できるものの、セキュリティに関して詳しいわけでないし、ましてやセキュリティの専門家ではない
多くのハッカー・クラッカーは攻撃に晒されれば自身を守る能力はほとんどない(通常のITエンジニアレベル程度)とボクは考える
ハッカー・クラッカーの興味は既にある「決まりごと」をハッキング・クラッキングすることにあるだけであって、新しい「決まりごと」を考えるのは苦手だ
思考が広い者は「それって泥棒や詐欺師と何が違うんだ?」と疑問に持つかも知れない
ボクはその疑問に対して言えるのは「違いはない」ということ
ハッカーやクラッカーはメインのツールが電磁的なものであるだけで、目的達成の中にピッキングがあるなら実行するだろうし、話術が必要ならば言葉を話すだろう
ハッカー(クラッカー)・泥棒・詐欺師を分別する意味なんて無いし、もし社会や人々が分別するならば、それは大きな脆弱性になるとボクは思う
企業はもしセキュリティ開発担当者としてハッカーやクラッカーを雇用しようと考えているのならば、それは無理なので普通にセキュリティを勉強した大卒でも雇ったほうが良いとボクはアドバイスする
自社のセキュリティの脆弱性をずっと探し回る人材が欲しいと思ったときハッカーやクラッカーを雇い、ハッカーやクラッカーが見付けた脆弱性を別に雇ったセキュリティ専門家に修正させると良いだろう
祭祀・祭礼の形は、世界各地で多様な形を示す。そして、原初の祭は、一つの信仰に基づいていたと考えられる。
すなわち、豊穣への感謝・祈りであり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』では、生命の死・再生を通して考察された。
そうした祭りの起源から、その地の歴史・文化を紐解くことが、文化人類学者としての私の仕事の一つだ。
世界中の祭りは樹形図のようにつながり、あるところで結びつき、あるところで消えたりする。
しかしながら、そうした系譜に属さず、あたかも以前からそこに存在していたかのように突如として実存する、そのような祭りが存在していたとしたら。
しかもそれが、長い歴史で見ればコンマ1秒にも満たない期間に、世界中で同時多発的に出現していたとしたら。
そのような悪夢とも天命とも思われる事態に、私は今直面している。
初開催は今から200年前の西暦2018年頃。内容は泥水の上にかけられた細い橋の上を自転車で渡るという、娯楽要素の強いものだ。
そのあたりの時期の情勢と照らし合わせて、少し違和感を覚えたが、まあ分からなくはない。
私はそれを持ち帰って、研究材料にしようと考えたのだが、どのような歴史書を辿ってもその祭りの起源が見当たらない。
まあ、起源不明の祭りに今まで出会わなかった訳でもない。この祭りもそれらの一例に過ぎない、とその時は考えていた。
これも良い機会か。と、私は今まで起源がわからず調査中であった祭り、それから歴史書などには載っていないが現地に行って新たに発見した祭り、などを改めてまとめていった。
一つ目はそれらの祭りがどれも2000年代の数年の間に発祥であること。
それからもう一つ。
どの祭りにも第1回大会にはダイスケミヤガワの記録があること。
これらの事実が想起させる、ある種馬鹿げた仮説はただひとつ。ダイスケミヤガワ、あるいは彼の属する組織がこれらの祭りを造ったのだ。
世界中の村々で。
突然に。
何のためにー。
ハロウィンは昔から日本の一大イベントだ。そこで生まれる経済効果はこの国だけでも数兆円と言われている。
ダイスケミヤガワも、そのような経済効果を目的として祭りを作った可能性を考えてみた。しかしながら、祭りの内容を鑑みるに、その可能性はほぼ無いに等しかった。
事実それらの祭りが何らかの経済効果を生んだという記録はない。
私は視点を変えて、ダイスケミヤガワの人物像を調査することにした。
これだけの短期間に、これだけ多くの祭りに参加しているとなれば、恐らく彼は祭りの賞金で生計を立てていたと考えるのが普通であろう。
もしくはー。
祭りを造り、それに参加することが彼の仕事であった、とでもいうのだろうか。
わたしにはダイスケミヤガワが全くの同一人物を指しているかどうか、確かめる術は残されていない。
そのため、以下ダイスケミヤガワとは、ある特定の人物もしくは組織の総称とする。
冒頭でも述べたように、祭りは、元を辿ると神々への信仰を目的としていることがほとんどである。ダイスケミヤガワは、これらの祭りに信仰の意味を込め、布教していた宣教師(達)だったのではないか。
つまるところ、ダイスケミヤガワの行くところに祭りができ、祭りのあるところに、ダイスケミヤガワがいたのだ。そうとしか説明仕様のない史実が、私の前に広がっている。
しかしともすると。
どう考えてもデュラム・セモリナモルボルテイストめにしたほうが、デュラム・セモリナが…モーグリ肉は刺身が一般的だが、帝国ではパスタの具材で用いる場合も多くなってよくね?
まぁ表向きは、暗黒の儀式の後とか時間が奪えねェ…昼時にフラッと断絶されし孤独な魔大戦ラーメン屋…預言書にも記されていることだが…カルパに麺かた・ザ・カテドラル目でカカッとかき込むというレゾンデートルで麺かた…それが世界の選択なら超越した解析力で分析するんだけど、デュラム・セモリナ硬めで頼んでる――誰もがそう信じていたのに、たゆたう水の如く喰ってたら闇の血族を滅ぼしたところで原初の海に漬かってる間に異端のカタストロフさに進化せしめるじゃん。
ブックマークからお気に入りのものを。誤字脱字や「せざる"お"えない」みたいなのが目についたり、一人称視点変更の多さが気になる作品もあるが、とりあえず目をつぶっている。
SF。ポストアポカリプス。人類が滅びたと思われる近未来で、コールドスリープから目覚めた主人公は生き残りを探す。あらすじ、前書き、後書き、のテキストがすごく好き。
異能力バトル。ちょいSF。能力バトルものだけど、いろいろあって主人公だけは特殊能力なし。フィールドが主人公に有利気味とか終盤の展開が読めちゃうとかあるけど、主人公の戦い方が好きなので。
SF。群像劇。超越者となった旧人類の生き残りが、進化していく新人類を観察する話。ちょっと中二感ある主人公。惑星連盟あたりは時間の設定がちょっと気になる。
異世界転移。ダンジョン運営。ダンジョンマスターになった女子高生が頑張る話。ダンジョンマスターなのに貧乏で何も作れないので自分で戦うところからスタート。異世界人には容赦しないタイプの主人公。
異世界転移。砂漠のような場所に転移した主人公が漂流しつつ、世界の謎にせまる話。中盤まで誰とも出会わない。途中からずっと穴掘りしてる。
異世界転移。ホームレスの二人が飛ばされた異世界でお手伝いしたり。二人がかかわる事件の設定が面白い。この人ホームレスっていうかサバイバリストですよねという気持ちもある。
SF。12個の迷宮を持つ惑星。全ての迷宮に共通の敵対生物が存在している。それぞれの迷宮でのそれぞれの物語。オムニバス。章ごとのジャンルはバラバラ。
異世界転移。完結マークないけど話は終わっている。主人公は転移した森のなかで一人で生き抜き、人間の痕跡を探す。
異世界転移。クラス集団転移。だけど、転移先は滅ぶ寸前。破滅へと進む世界でのお話。全体的に暗い。
異世界転生。いわゆる知識チートもの。商会のために奔走したり、魔法を科学したり。主人公は自分には知識はあるけど技術がないので、助けてくれる人がいないと何もできないという認識の人。
異世界転移。デスゲーム。死に戻り。スキルシステムあり。とテンプレを揃えながらもとてもシビアなデスゲームの話。途中まで一人。同作者の作品は他にも読んでいるけど基本的にどれも好き。
ファンタジー。超凄腕暗殺者の主人公が敵対勢力の街で100人殺してこいという依頼を受けて、殺人を繰り返す話。
異世界転移? 迷宮の最奥からスタート。途中まで一人。主人公どんどんボロボロになっていく。主人公は特に強いわけでもないので逃走と策で戦うことが多い。
異世界転移。SF。異世界へ行く技術のある世界。ファンタジー世界の森で生き抜く話。基本的にずっと一人。病気にかかるし怪我もする。いいところで更新停止してしまった。
異世界転生。ダンジョン攻略もの。HPとかスキルとかある。主人公あんまり強くない。風呂敷すごい広げてるけど大丈夫なのかなとちょっと心配。
ファンタジー。なろうによくあるスキルのある世界で、スキルを売買できるスキルをもった商人の話。一話完結もの。
異世界転生。チートとかスキルとかない。魔法はある。ファンタジー。主人公は基本的に卑屈。
異世界転移。舞台は東京。スキルはある。現代の銃火器を持つ人物もいる。東京に住んでる人は舞台の光景を想像しやすい。渋谷のスタバは冒険者ギルド出張所。
地下鉄サリン事件から23年が過ぎた。
23年という事は、言ってしまえば、今時の大学生以下の世代は地下鉄サリン事件を知らないという事だ。
それは、オウム真理教の事件も知らないという事。
先週の土曜日、3月17日に東京で「地下鉄サリン事件23年目の会」という会が開かれた。
オウム真理教事件の被害者、地下鉄サリン事件の被害者及び、その親族・家族が集まる会。そこに、麻原彰晃の娘・・・三女の松本麗華が来ていたらしい。
入り口には「オウム真理教及び、その後継団体の関係者は入らないで下さい」と書かれていたにも関わらずいたらしい。
松本麗華は、数年前よりオウム真理教の後継団体の一つ「アレフ」と争っているという。争っている理由については非常に複雑で、この増田で書くには文字数が多くなる。
松本麗華にとっては、オウム真理教事件の被害者=オウム真理教及びその後継団体「アレフ」の敵=「アレフ」の敵である自分の味方という考えでの参加だったのだろう。
だが、松本麗華のTwitter上での主張には明らかに麻原彰晃を正しいと思っている節が見られる。
以下に、その主張の一部や最近の行動等をまとめたサイトのリンクを貼っておく。
これらの主張より、松本麗華は
と言える。
そんな中、ある「ひかりの輪」の脱会者が、「ひかりの輪」の代表である上祐について、こう証言していた
このツイートをした人物は、「アレフ」や松本麗華を擁護する様なツイートをしている。
「アレフ」も「ひかりの輪」も「松本麗華」も、やっている事はスケールの小さな宗教戦争なのだろう。
教祖である麻原彰晃が存在し、その麻原彰晃が逮捕された事で彼らの中で神格化された。
そして・・・
「麻原彰晃は無実なのに国の陰謀で死刑判決を下された」と考える松本麗華派
「表面上は麻原彰晃を否定しつつ、麻原彰晃の教義を尊重し、麻原彰晃の息子を新たな教祖にしたい」と考える「アレフ」
「オウム真理教を脱退した一部の幹部が脱・麻原彰晃を謳い文句に金儲けをしたい」と作った「ひかりの輪」
そして、「アレフ」を脱会した信者の中には「ひかりの輪」の教義に傾倒する者もいれば、「ひかりの輪」を脱退した者の中には松本麗華や「アレフ」の教義に傾倒する者もいる。
泥沼だ、スケールの小さい宗教戦争なのに泥沼だ。
どの派閥も「麻原彰晃の教義」が第一に有り、それを肯定するか否定するかで成り立っている。
きっと、原初の時代のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教も、元々は一つだったのがこの様に分かれて今の状態にあるのだろう。
だから、キリスト教もイスラム教もユダヤ教もエルサレムを聖地としているのかも知れない。
このスケールの小さな宗教戦争に、麻原彰晃やオウム真理教事件の確定死刑囚の死刑の執行はどういう波紋を呼ぶのだろうか?
地下鉄サリン事件から23年、今年の4月に東京メトロ(旧・営団地下鉄)に入社する4年生大学を卒業した新入社員は、
地下鉄サリン事件の起こった年に生まれた人達だ。
地下鉄サリン事件を知らない世代が、地下鉄サリン事件の有った会社に入社した時・・・、果たして、同様のテロが起こった時に防げるのだろうか?
オウム真理教事件の確定死刑囚の死刑が近付いていると感じられる今、「あの事件は何だったのか」もう一度考える時期に来ているのではないだろうか?
P.S 本日17時半からのTBSニュースでは、麻原彰晃の娘、松本麗華に取材した内容を流すそうです。是非、ご覧になって皆さんも「あの事件は何だったのか」を考えて欲しいと思います。