はてなキーワード: 人類補完計画とは
他にもいろいろあると思うけど、そう言う「自分の境遇を不幸と見なして自慢するように吹聴する」のってさ、何のためにやってるんだろうな
そう言う不幸な人を世間から無くすぞ!みたいな運動を起こすモチベを持ってるようにも見えないし、ただただ不幸な思考回路によって自分を不幸に陥れてるだけに見える
たとえ不幸でもさ、幸せがないかと言ったらそういうわけじゃなくて、小さな幸せはいろいろあるよね
そういう幸せに目を向けて生きることもできると思うんだよね
ただ、その小さな幸せに騙されながら生きろというわけじゃないよ
でも、不幸自慢してる人達って不幸から逃れたり戦おうとする意思が見えないんだよね
同じ境遇の人で集まって活動しようとか、勉強して1ミリでもマシな世界に進もうとか
そういう戦う意思がないなら、不幸自慢せずに身近にある小さな幸せを拾いながら生きる方が楽なんじゃねぇかな
エヴァのシンジ君じゃないけど、「君が不幸なのはわかった。で、君は現実で何がしたいの?」って思うわけよ
ゲンドウみたいに俺は不幸だー現実嫌だーアナザーインパクトだーユイーユイーって喚き散らしてもいいけどさ、
君はゲンドウみたいに人類補完計画を実行できるわけでもないんだからさ、少しでも現実で自分が幸せになる術を考えた方がいいんじゃね?
おまえは、授かった息子に目もくれず、ユイにどうしても会いたくなってしまう。
唯一おまえに優しくしてくれたのがユイだったからという理由でだ!
ひとりの女に固執して、ほぼストーカーみたいだったんじゃないのか?
ほんとお前はきもいやつだよ!
大地も海も真っ赤になってしまうんだ!
想像できるか?お前はそんなことをしでかしたんだぞ?
なんやかんやあって、いよいよユイに会えるというその時がくるが、
皮肉なもんだよ!お前のやったことはどう考えてもいかれてるし、
受け入れてもらえるわけないよな!
おまえは息子に怒られながら、息子だってユイの分身だったんやって気づく!
でも怒られてテンションだだ下がりのお前は人類補完計画を投げ出してしまう!
お前の想像以上に息子は成長していてたんだ!ここが親父の引き際だな!
などと独白を初めて、同情を買うつもりなんだろうけど、お前の幼稚さが助長されるだけだ!
お前の息子とお前の嫁は、お前の尻ぬぐいをしてくれる。
ホント恥ずかしやつだよなー!
序、破までは普通に楽しめていた。
なぜなら新劇場版で登場するのは、TVアニメ版でも再三出てきた「人類補完計画」や「セカンドインパクト」など、ニワカファンの俺でも「あ~聞いたことあるアレね」なワードばかりだったからだ。
ところがエヴァQで出るわ出るわ、わけわからん新ワード。「アダムスの器」、「インフィニティのなり損ない」などなど。あれ?オレ観てる映画間違えたかな?
しかもQの悪いところは、登場人物たちが新ワードの意味を、シンジくんに対してどころか我々視聴者にも教えてくれない!
・・・とぼやいていたら、シンエヴァはさらに輪をかけて新たな謎用語を投げつけてきて無事脳のキャパシティをオーバーしたので、劇場では思考放棄して映像を楽しむことにした。
ところが最近になってアマプラで配信が開始され、今度は自宅で気楽に何度も観返せるようになったので、とうとう重い腰を上げいままで理解を諦めていたシンエヴァ用語たちについて調べることにした。
以下、その自由研究の結果である。(もし間違っていたらやさしく教えてくれよな!)
「アダムス」というのは4機のヴンダーのことで、セカンドインパクトの映像によく写っている4人の巨人のことらしい。なんで巨人が飛行機になったのかは監督の趣味だからとしか。
エヴァ13号機もマリに「アダムスの生き残り」呼ばわりされてるので、じゃあこいつは5人目の巨人なのかもしれない。
破でニアサードを起こしたシンジくん+初号機に、カヲルくんがブン投げた槍。儀式を止めることができる。
実は破とQの間で起きた本物のサードインパクトの時にも活躍してたっぽい。カヲルくんがリリスに刺してサードを止めた(と思ったらゲンドウの策略でエヴァMark.6が第12使徒になっちゃって、結局サードは継続?)。
しょうがないので加持さんがロンギヌスの槍をMark.6にぶっ刺し特攻してサードは完全に止まった、って幕間があったみたい。
こういう経緯があったから、Qでカヲルくんは2種の槍がセントラルドグマにあると思っていた(実際にはすり替えられていたけど)。
Qでシンジ+カヲルくん+13号機が起こしそうになったやつ。発動条件は「13号機が使徒を喰う」+「13号機が2本の同じ槍を持つ」
Qは「使徒Mark.6」+「ゲンドウ製の槍」で起動してしまったが、カヲルくんのファインプレーで止まった。
これ、シンエヴァ初見時は気づかなかったんだけど、実はシンエヴァでもアディショナルインパクトの前にフォースインパクトがきちんと発生してるのな。
シンエヴァでは「使徒アスカ」+「黒き月製の槍2本」をトリガーに発動しちゃってる。
いわゆる「ゼーレのシナリオ」は「フォースインパクトで全人類の魂を浄化して、一つの生命体に進化させればオッケー(=人類補完計画)」って話なワケ。
でも、ゲンドウは「ユイにもう一度会いたい」をモチベーションにしてるから、フォースが完遂されて生命が一個になっちゃうと困る。
なのでフォース中に別のインパクトを起こして儀式を乗っ取っちゃおう。ってのがアディショナルインパクト。
トリガーはセカンドインパクトと同じ。「リリス(今回はエヴァイマジナリー)」+「4体のアダムス(今回はヴンダー4機)」+「槍」
マイナス宇宙にある、なんでも願いを叶えてくれる魔法の場所らしい。
最近だれかのツイートで見たけど、実はエヴァQのニアサーのシーンですでにチラッと登場してたらしくて感心した(ガフの扉の向こう)。
ポッと出とか言ってすまなかった。
アディショナルインパクトの目的は、このゴルゴダオブジェクトの力でこの宇宙のどこかにいるユイを見つけることだったっぽい。
劇中で説明が特になかったのは、メタ的に言えば「なんでも叶うスーパーアイテムなんてアニメの最終回ではよくあること。だから設定なんてどうでもいいし説明する必要もないでしょ?」ってことなんだと思う。
冒頭のパリでオーバーラッピング装備をゲットしたから使えるようになった8号機の新能力。
この状態の8号機はめっちゃつよいのでマイナス宇宙に行けちゃう。
元ネタはウルトラマンタロウの合体能力。ワードがそのまんまらしい。
そっくりさんは元々こいつらと同じ仕事をする予定だったけど、Qでマリandアスカに感情を動かされて自ら離脱した。
それに冬月とゲンドウがキレたのかしらんけど、今度は感情のない肉人形にしたみたい。
シンエヴァでようやく分かったけど、カヲルくんはあのまま2種の槍をつかってゴルゴダに行って「世界をやりなおす」って願い事を叶えてもらおうとしてたんだな。
要はシンエヴァのアディショナルインパクトっぽいことをQでやろうとしてたと。
人間はサードインパクトで大地が浄化されるとエヴァインフィニティ化するっぽい。
中途半端にニアサーを起こしたから、なり損ないがその辺を徘徊するように。
このインフィニティ、シンエヴァ劇中の経過を追っていくと、フォースで魂浄化 → アディショナル(feat.ゲンドウ)で3Dユイ化 → アディショナル(feat.シンジ)で無事もとの人間の姿になってる。
ただこれキルラキルでも思ったことなんだけど、怪物化していた一般人が人間に戻った時、空から降って(落ちて)帰ってくる演出はいかんでしょ。
生身だぞ生身。成層圏からフリーフォールしたら普通にぺしゃんこになるわ。
Q製作時点でここまで考えていたのかは怪しいところだけど、今回サクラの言った「碇さんは恩人であり、仇なんや!」で全て解決した。
「相反する感情が愛憎入り混じって生まれた態度」と解釈することで、Qの不快感を見事に反転させたのは今回シンエヴァで一番評価したいポイント。
公開前は「もし万が一シンエヴァでハッピーエンドになったとしても、シンジくんがQでかわいそうだった事実は消えないんだよなー」って思ってたから、この落とし所を作ってくれた脚本に感心した。
もし、俺が親や恋人を失ったヴィレクルーだと置き換えて想像してみると、うん確かに、シンジくんに対してはひどく罵倒したいとは思わないし、逆にやさしく慰めようとも思わないだろうな。
それこそ、劇中と同じく「もうエヴァには乗るなよ」としか言えないと思う。よくできてる。
忘れがちですけど、破のシンジくんって「地球滅亡クラスの巨大隕石を止めた超怪力ヒーロー。でもそのあと彼が調子乗って隕石にパンチしたせいで、割れた破片が降ってきてビルが倒壊しまくった」みたいな感じなんですよね。彼からすれば綾波を助けただけなんだけど。
13号機はクローン人間には乗れないので、シンエヴァでは「カヲルくん」+「オリジナル式波」の魂ダブルエントリーで動かしてる。
ミサトさんらはまだ誰も乗ってないと思ってたから停止失敗。(うっかりアスカ「シングルエントリーじゃなかったの!?」)
13号機の再起動にやたらと時間がかかっていたのは、Qで爆散したカヲルくんの体をLCLで再生させようとしてたから(といっても完全復活ではなくただの肉塊レベルらしい?出典不明)。
ちなみに魂だけでは13号機は動かないので、シンエヴァではゲンドウ(ネブカドネザルの鍵の効果でヒトを捨ててる)が実質の操縦者。つまり使徒アスカを含めると4人乗りである。
アディショナルインパクトの効果。フォースインパクトは「全ての魂を一つにする」だけど、アディショナルは「全ての魂の中からユイを探す」なので演出的に綾波になった。特に意味はない。
結局アディショナルではユイは見つかりませんでした。でも初めてシンジと向かい合ったらそこにユイの面影を見つけましたよーってだけ。
ゲンドウがシンジに向き合った時点でハッピーエンド演出が流れるってことは、破であのまま和解してればあそこでお話終了だった説が濃厚。
違うっぽい。(シンジくんも「世界を作り替えたり、時間を巻き戻したりもしない」って言ってるし)
正確な言い方ではないけど、いわば「エヴァのないパラレルワールド」を作って、シンジくんマリがそっちに平行移動しただけ。エヴァ時空のケンケンとかはそっちの時空でアスカとよろしくやってる。
映画公開後のいろんな考察サイトでは、「ネオンジェネシスによりエヴァ時空は消滅した」みたいに書かれてるけど、いや、絶対そんなシナリオじゃ無かった、と声を大にして言いたい。
というかそうでないと、わざわざヴンダーから地表に投下したスイカの苗とかの加持さんが守った植物のくだりがぜんぶ無意味になっちゃうだろ!
実際に、13号機から切り離したアスカのエントリープラグがケンケンハウス前に到着しているカットや、ペンペンの末裔?たちの前にタンポポの種子が着水するカットを、わざわざネオンジェネシス発動後に差し込んでいる。
なのでエヴァ(新劇)時空は、色んな人が傷ついて多くのものが失われたまま続いていくけど、(ラストでも第三村の豊かな自然のカットが意図的に映し出されてたし)今後は復興していくんじゃないかな。退艦時にミサトさんから「(息子のことも含めて)あとはお願い」って言われてたリツコが実質的なリーダーになるのかなーっていうのは俺の妄想。
一方、2人だけは記憶を保持して、エヴァが存在していないパラレルワールドへ。
そして最後のドローン空撮で、この新パラレルワールドこそが、視聴者の住むまさに "この" 世界だと言うことが明らかになる、と。そういうオチらしい。
「なんか延期してる間にSSSSグリッドマンとネタ被りしてない?」と言ってはいけない。
意味はない。ただの学生時代のあだ名をそれっぽいタイミングでそれっぽく言っただけ。
聖書ワードを意味ありげに使って考察班を喜ばせたろw!ってこのへんの言葉回しは、あーTVアニメ版スタッフの匂いだなーと感じた。
シンエヴァのラストを難解にしてしまっている元凶は、この「ゲンドウはユイを探すアディショナルを諦める」→「なのになんか色々やってたら結局ユイが出てきてゲンドウの目的も達成されたように見える」っていう二転三転具合なんだと思う。
これ、なんでこんなことになるかと言うと、「初号機の中にユイの魂がいる」って言うエヴァファンなら誰でも知ってる設定に、劇中ではこの時初めてシンジが気付くからなんですよね。
破のダミープラグの流れを見るにゲンドウはこの事実に気付いてたみたいだけど。
でも結局シンジがネオンジェネシスで自らを生贄にする、まさにそのときじゃないとユイは出てこようとしないわけなので、序からシンにかけてゲンドウのやってきたことはもう完全にただの空回り、意味が無かったってことになっちゃいますよね。でもシンエヴァの着地点はそういうことらしいです。父がすべきは息子との和解だけ。
逆に、ユイは十何年も前に「あ、将来うちのシンジちゃんが初号機に乗ってなんやかんやあって生贄になろうとするから、その時まで初号機の中で眠っとこ」って予知をしちゃう超電波キャラになるのが今作の難点よね。
まあエヴァっていう何十年分の巨大ストーリーを無難にまとめるためには、設定の皺寄せがシンエヴァのどこかに生まれてしまうのは仕方のないことなんだけど……言わせてくれ。
ユイ、お前は何者なんだよ。
要は映画の尺的に「カヲルと加持を同時に退場させる必要があった」→「劇中接点のない2人なので、実は元々仲良しでした〜って表現する必要あり」
で、加持はカヲルくんの指示で動いてた時期もあるんですよ、ってことにしたけど、分かりにくいから、破とQの間でネルフの司令になってたことにしたって感じ。
この設定いる?
普通に「ゼーレと内通してたときに仲良くなった」とかでいいじゃん。変なことするからゲンドウのクローンだのなんだの謎考察うまれてるし。
(13号機がクローン搭乗不可ってのがQで言及されてるので、カヲルくんクローン説はダウトですね。)
なんかまだまだ謎はあった気もするけど、今日はもう思いつかないのでこの辺にしておく。
ウルトラマンパロ多すぎだろ!!
「序」は多分「破」公開前にやってた金曜ロードショーか何かで見た。シンジ君がウジウジしててなんだこいつと思った。
(その後ネットで「中学生に突然命懸けさす奴らの方が頭がおかしい」という意見を見て確かにそうだと思い直す)
「破」は多分彼氏と映画館で見た。「破」はシンジ君が成長して見てて楽しかった覚えがある。
「Q」も多分彼氏と映画館で見た。ど、どゆこと…??と思った気がする。リリンって何??
というか、3つ全部見てるけどほぼ意味分からず見終えている。人類補完計画って何?使徒って何?な状態だし内容もほぼ覚えていない。
しかし今回復習もせずにアマプラで夫(上記のかつての彼氏)と「シン」を見たので以下感想。
パリだーてかエヴァパイロットのピチピチの格好が恥ずかしいと言及されたぞ?あれ絶対恥ずかしいと私も思ってたよ。
戦闘と同時になんかパソコンカチャカチャやってるけどなんで地べたに座ってる感じなん?腰大丈夫?何やってるんだか全然わからんけども。
え〜街赤かったのが元に戻った〜!戻るんや?てかそもそもなんで赤いんだっけ??
なんか元クラスメイトの人達大人になって子供までおるやん。なんでシンジ達は浦島太郎状態なんだっけ??前回そんな終わり方したっけ?分からん。
シンジ君相変わらずめっちゃ落ち込んでるけど。確かシンジ君のせいで世界が終わる的なことになったんだよねー、そりゃ落ち込むよ、しょうがないよ。
この人の関西弁絶対おかしい。私は関西人じゃないけどおかしいと思う。関ジャニの村上がマツコにビジネス関西弁とイジられてたのを彷彿とさせるような関西弁だなー。
つばめちゃん可愛い。赤ちゃんの描き方がちゃんと赤ちゃんの可愛さを表現できている。
綾波そっくりさん「おはようって、何?」「仕事って、何?」なんでも質問してくる幼児みたい。
シンジ君結局立ち直った、よかった。
と思ったらそっくりさんが溶けちゃったよー!せっかく楽しそうに暮らしていたのに残念だ。またシンジ君のトラウマにならない??
ピンクの髪の子がブチ切れている。今時の若者みたいなキャラだけど昔から続いてるアニメだから喋り方がなんかちょっと古い。現代の若者ではない。でもそれは仕方がない。
アスカが眼帯取って目からなんか取り出した〜!びっくりした〜!
シンジ君エヴァに乗るって言い出してまた変な関西弁と古い若者がブチ切れたけど結局乗ることに〜
父と息子で戦うけどシンジ君の心象風景を背景にお送り〜多分ファンには堪らないのでしょう、ファンサービス的な?
ゲンドウさんが解決するのは暴力じゃない?みたいなことを言い出してなんか話し合いを始める。
ゲンドウさんは孤独が好きで、知識が好きだったのに、唯と恋に落ちた。このゲンドウ君と恋仲になってゲンドウ君の世界を変えた唯すげーよ、どんな女だったんだ。
からの唯が死んじゃって、そりゃ悲しいわな、辛いわな。
からの、綾波がいっぱい!なぜ?!おかしいやろ。こんな男のどこが好きだったの?唯さんは。唯さんもおかしな女だったのかしら。
「唯はそこにいたのか」とかシンジ君を見て言うゲンドウさん。そうだよ、普通奥さんが死んじゃったら子供を頑張って育てるんだよ。普通じゃないからこんなことになっちゃったんだもんね、しょうがないね。
てか、ゲンドウさんてなんか暗いところで輪になって会議みたいなことよくやってたよね?あの人達は何が目的だったの?ゲンドウ君に騙されてたの?
てか、最愛の奥さんが死んじゃってまた会いたくて頑張っちゃうマッドサイエンティスト、みたいなやつありがちだよね?なんか話としては普通じゃない?
槍がどうのって前回から言ってるけどなんなん?意味がわからん。キリスト教的な話なの?分からん。
なんか下書きみたいなのになったーなんでか分からんけど。アニメって描くの大変そうですね〜お疲れ様です。
これまでのエヴァを振り返ってお別れみたいなシーン、ファンには堪らないんでしょうね〜
マリとシンジ君が大人になってる〜これは心象風景?実際の話?この2人いい感じなの?
なんか実写映像にすんなり変わってすげ〜 終わり
全体的によく分からなかったが、そもそも自分レベルの人間が見る作品ではないのだ。
以上、感想でした。
○ご飯
朝:目玉焼き。ご飯。味噌汁。昼:歌舞伎揚。チータラ。夜:カレーうどん。雑炊。
○調子
風マグナでユリウス、アンチラ、リミナルメアで出来ました。日課にしないといけないんだろうけど、中々中々。
今日はシャドバの日にした。
というのも期間限定シナリオがギルド争乱編などなどの後日談になるそう何で、そこまで一気に読もうと思った次第。
読むだけならバトルスキップ機能を使えばすぐなんだろうけど、まあストラクチャーやテンポラリーを使えばサクサク詰まらずに遊べたので、今のところはスキップせずに遊んでる。期間限定シナリオの期間が終わりかけになったらサクサク読むだけプレイするかも。
今日は災いの樹編のイリスルート、ユアンルート、最終章ルートをクリア。(他の6人は随分前に遊んでまだ覚えてるので)
イリスルートは今までの主人公たちを振り返っていく総集編的な立ち位置だった。
そして黒幕として人類補完計画的なあれこれを対話を諦めた傲慢で愚かな行為と一刀両断するのが気持ちよかった。
そりゃそうなんだけど、イリスの周りの部下たちは今までそれを言えなかったのが悲しい話だなあ。
安寧の夢に満足できない主人公達も可哀想だし、全体的に救われない話の救われなさ具合を確かめていく話だった。
ユアンルートはネクサスが何者なのかの紹介のストーリー。世界を管理する上位者であることが判明し、アリサたちの無窮に続く過酷の道が始まる。
それはそれとして、ネメシスムズいっす。よくランクマやってる人達はこんな難しいデッキ回せれるね、こりゃすごいわ。
最終章は、後半がユアンルートと同等だけども、前半の7人のすれ違いは読んでて辛かった。
中々7人の気持ちが一つにならないし、内紛してる場合じゃないのにすぐ戦い出すしで、なんともギスギスしている。
1か月以上前に観に行って、
ついうっかり「感想文でも書いておこうかな」などとTwitterでつぶやいたが最後
友人に拾われ「待っている」と待たれてしまった。
こいつは、しっかりとした文章を書かねばなるまい。
私がシンに対して感じた事。
それを素直に、そして素敵に書き連ねて、友人と感動を分かち合うのだ。
などと思いを馳せていたら全然書けなくなり、
「ああ、そうだ自分はプレッシャーに弱かったんだ。忘れてた。」
あまりに書けないので、先輩を捕まえて「文章が書けない」と愚痴ったところ
先輩からは「気負うなよ。なんだ、その友人だって、そんな約束もう覚えてないんじゃないか?」と、励まされた。
はああん、さてはそんなに気負いすることもないのかと
鼻歌交じりで湯船に浸かったり、踊りながら夕餉の支度をしたり、
switchで発売されたモンスターハンターライズをやったりして更に2週間ほど書かずにダラダラすごした。
そのうち書く気力が湧かないものかと期待もしたのだが、これがちっとも湧きやしない。
アイデアは閃いたその時にアウトプットしないと、どんなに素晴らしいものでも劣化すると言ったのは
逃げるように打ち込んだモンスターハンターのエンドロールを見送りながら
「自分は友人との約束を小脇に置いて、一体何をやっているのだ」と我に返り
待たせてしまっているのかもしれない友人に申し訳なさを感じながら、
ようやく書くぞと、今キーボードをたたき始めた。
ここまでが、つまりの言い訳で、今更シンの感想文を書くに至った経緯である。
どう書こうか散々悩んだが、結局文筆家でもない私の書くものだ。
第三者にとやかく言われる筋合いはない。
だから友人が「見苦しい」と思わなければ、とりあえずは問題ないのだ。
では感想だ。どう書こうか。そうだな、本作は大きく分けて3つの感動が湧いた。
それぞれにタイトルをつけるなら、以下だ。
【散々泣いた後「これシン劇場版だけ見た人は面白くないんじゃないだろうか」という懸念】
では、細かく1つづつ説明していこう。
そうそう。ここからはネタバレが発生するので、万が一まだ見ていない人がいたら気を付けてほしい。
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とにかく泣いた。
キャラクターは何人か死ぬんだが、そういうシナリオや演出上の悲しみで流れた涙では当然なく、
「こう終わらせるのか」という感動というか。
時間が経って、時代が変わって、自分も一緒に歳をとって、そして受け入れている自分の状態そのものに
涙が止まらなかった。
かつて「なんて難解で新しいんだ!」という側面で感動したエヴァンゲリオンが
(この次の詳細で書くが)こんなに分かりやすくなったとしても、受け入れて楽しんでいる自分がいる事の喜びでもあった。
期待していた感動の方向性が全く異なっているのに、喜んでいる自分がいるというのは、
シンの終わりに向けて自分も一緒に歳を重ねたからだと泣きながら気付き、
「お疲れ様でした!」と関係者でもなんでもないのに、小さく独り言ちていた。
不思議な達成感と供に「楽しかった」「感動した」「泣いた」「素晴らしかった」を超えた感謝を感じた。
「感謝」
【散々泣いた後「これ今からエヴァ見る人は面白くないんじゃないだろうか」という懸念】
で、散々泣いた後に冷静になってこう思った。
「…今からエヴァンゲリオン見る人は「これ、そんなに面白いか?」と思うんじゃないだろうか。」
というのが、かなり解りやすくなっている。
TVシリーズおよび旧劇場版と比較すると、エヴァンゲリオンの秘密や人類補完計画、綾波レイの正体やら
台詞と絵でほぼ全て語ってくれた。
特に、旧劇場版では初見ではちょっと分かりにくかった、一体誰が敵なのか(ゼーレ?ゲンドウ??)というモヤっと感が
分かりやすく「ゲンドウがラスボス」「目的はユイたん復活」と、ご自身で説明してくれる。
この辺りの凄く分かりやすい説明に対しても、歳を重ねた自分は「語る事を決めた監督お疲れ様です!」と感動したが
なんとなく、「日本人は難解で解釈の余地を残す演出の方が好む傾向があるのではないのか?」
という考えから「これ、今からシンを見る人は楽しいのだろうか?」という懸念が生まれた。
こればかりは、私の仮説が間違っているかもしれないので、過剰な心配かもしれない。
実際、序破Qと興行収入は上がっているらしいから、現代は不親切な難解さよりも、
明快な回答があったほうが好まれるのかもしれない。
(いや、でも、Qまでは結構難解だったよなあ。)
ただ、少なくとも、泣くほどの感動は多分ないだろう。
そう思うと、むやみやたらに「面白いんだよ。素晴らしいんだよ。」と勧めることを躊躇してしまう自分もいる。
旧劇場版に比べると、シンは万人に受け入れられる作品にはなっていると思う反面、
自分は今回から観る人に狂うほど楽しいかと聞かれると、唸ってしまうかもしれない。
最後はもう、自分の好みの話でしかないのだが、有人の人型巨大ロボットでの肉弾戦よりも
エヴァンゲリオンは当然戦うんだが、ヴンダーが途中まで大活躍なのだ。
大活躍というか、ヴンダーをベースにエヴァンゲリオンが戦うのだ。
司令塔⇔戦闘機も大好きな自分にとってさらに楽しい。ありがとうございます。
(余談ですが、そういう意味で、途中まで指令を聞かないマリの戦い方は好きではなかった。)
戦艦といえば、艦長。そう、艦長がどれだけカッコいいかも大事。
ミサトというキャラクターが、TVシリーズではどうにも雌くさくて好きじゃなかったのだが、
それでも、指令を出したり、無茶苦茶な作戦をねじ込むシーンだけはカッコよくて好きだった。
そんな好きなミサトが100%、最後までかっこよく戦ってくれたことも、ありがとうございます。
(艦長だから死んだのか、ミサトだから死んだのかは分からないところですが、ミサトは絶対退場するんだなあ…とかも思った。
でも、あのラストは艦長のラストだよね。全員逃がして最後は船と供には艦長としての散り方だよね。)
ヴンダーが動くのは一々カッコいいし、ヴンダーの開発秘話もイケてるし、
最後に命の箱舟としての本懐を全うして兵器として出撃するシーンとか。
なんだアレ、ずるい。かっこよくてずるい。
最後の項目に関しては、本当にただただ好みの画がカッコよく動きまくってくれて
脳がひたすら喜んでいるだけみたいな感想なので、語彙がバカになっていると思う。
ところで、私は戦艦ものが好きというか、一人のヒーロー(パイロット)が敵を倒すよりも
多数の凡庸(凡庸と言ってもポテンシャル高め)な人々が知恵を絞り巨大な敵を倒すという構造が好き…
というタイプの戦艦もの好きなのだが、庵野秀明はその演出がとても気持ちが良く、
そんな話をしたところ、先日知人に「それは、ヤマトは当然として、ウルトラマン(ウルトラQ)も好きかもね」と言われた。
ふむ、なるほど見てない。ウルトラマン。
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以上が大筋の感想となるのだが、
今回書いてみて一方的なレビューだと、心の中にある踊るような感動や衝撃というのが語彙力のなさも手伝って、きっと全然書けていないなと感じた。
これが会話だったら、もっと色々話したい箇所もたくさんあったなと読み返して思っている。
例えば、最後に畳みかけるメタ表現の数々や、その視点からの演出だと思えばループやスターシステムというものは
シナリオではなくアート寄りな(作家的な?)視点になるから議論は不要なんじゃないかとか、
ラストの実写差し込みは昭和の舞台壊しオマージュかな?などなど…
会話として意見を聞きながら会話を楽しみたいとは思う視点はたくさん出てくるんだが、
一方的に断言できる事は大体この三つだったなと思う。
特に、一緒に歳を取った作品がこう終わったのかという涙と感謝の話は
他の作品で感じたことがなかったので書いておけてよかったかなと思う。
そう思えば、「待っているよ」と言ってくれた友人に感謝である。
ああ、そうだ友人よ。歳を重ねて…で思い出した。
来月私は母になる。
そういう事もあって、余計涙もろくなっているのかもしれない。
なんか人を良いモノとし過ぎている気がする
エリートの差別を批判したら、その先に反知性主義というか学問は格差を助長するものだ!とかエリート狩りが始まってもおかしくないよ
だってみんな同じ教育を受けられるようになったとしても、能力差は絶対あるし上と下はできる
そんな中で、上と下の差を縮めようなんて上は認めるのかな
こんなこと言うのあれだけど、俺、頑張ってないよ?
能力による格差を埋めるには、みんな頑張ってる社会じゃないと納得は得られないんじゃない?
それでも上下の差を縮めてくれるっていうならウェルカムだけど、上の人いいの?
正直サンデルの思い描いていることをまとめると人類補完計画しかないじゃんってなりそうなんだけど
低能はそんな綺麗で真面目なモノじゃない、スキあらば引き摺り下ろすよ?
低能は頑張らないよ?
そして有能もそんな奉公してくれないよ?
逆に自分は見ず知らずの他人を助けたいと思うか?もし自分がそういう人間だというのなら、まず自分を助ければいい。それでこの話は終わり。
よって、余裕のない自分を余裕のない自分が助けるのは現実的には不可能困難である
誰も助ける人がいないなら、助けることができうる人は自分しかない
それもまた正しいと思う
思いはするが、一方でまた、余裕がない自分が自分を助けられるはずもない、というのもまた事実である
「他人は変えられないが、自分は変えられる」と自己啓発本や自己啓発セミナービジネスで言われる常套句であるが、本当にそうだろうか?
一見、自分は自分でコントロール可能に思えるが、本当にコントロール可能なのだろうか?
コントロール可能であるとしても、まず疑問に思う、考えてみる、というワンクッションを置いているだろうか?
よしんばそういう善きサマリアの人が現れたとしても、「なんとかなりたい」と考えている人の方が圧倒的に助けやすいのでそっちを救いがちだ。
調べてみるとサマリア人の話の真意は宗派によっても大きく分れるようであるが、
サマリア人とは異国の人という意味が込められているように思える
しかしながら、米国人や中国人は日本人を助けた、といった感じの話である
助けた理由としては、隣人愛として誰であれ困っている人を助けなさいという考え方もあるだろうし、
助けてくれた米国人や中国人はキリスト教徒だから助けただけである、という考え方もあるかもしれない
しかし、いずれにせよ、他人を助けることに何らかの見返りを求める話ではないというか、
ここで見返りとして考えられるのは神によって死後与えられる永遠の命であって、
「なんとかなりたい」と考えている人がトリアージとして優先されるとか、そういう話ではないのである
というか、トリアージと考えても、助かる人を優先するなら軽症者が優先されてしまうわけで、それはそれで変な話である
これも宗派に寄る考えであり、私の考えは異端や邪教なのかもしれないが、
現実的に誰であれ助けるということは不可能であり、それは端的に述べれば人は神ではないからである
誰であれ助けることができ、助けるべきであると豪語する人がいるならば、それは自分を神と思っている人である
我々人にできるのは神様の良き考えを倣う、ベストエフォートしかありえないのである
また、イエスは例え話をするのみであり、真意をズバリと語ったり解説はしない
私はシンエヴァを観に行ってはいませんが、エヴァもまたTVの最初から真意をズバリと語ってはいません、謎だらけです
どうやらシンエヴァで謎を比較的具体的に直球で説明口調に語るようですが、それでも謎は残っているのではないでしょうか?
まず、例え話とか回りくどい話し方をすれば考える人は考えるはずです
例えば、エヴァというアニメが何が言いたいのか分からない、と思ったとして、
いや、何が言いたいのか知りたい、謎の真実を改名したい、考え続けたい、という人に分かれると思うのです
ここで、エヴァが何が言いたいのか分からん、難しいからつまらない、もう観ない、
という人と同じように、イエスが語るのは例え話ばかりだ、何が言いたいのか分からん、
イエスとしても、神様がそういう回りくどいことを言っていて、自分はそのまま伝えてる面もあるので、
意味が分からないと言われても、俺が説明するよりお前らひとりひとりが考えて見つけろよ、
ということでもあると思うのです
分かる人には分かる、
そういえば、早稲田のインタビューで、人類補完計画って何だったんですかね?みたいな質問に対し、
庵野氏が、分かる人には分かると思うですけどね…、と語るに留め、それ以上は語ってなかったと思うのですが、
まあ、そういうことです
イエスというか、神様的には、例えで書いても分かる人には分かるんで…、ということであり、
逆に刺さらない人には刺さらない話なんで、そういう人たちは自分の客ではないのでどうでもいいです、
ということだとも考えられます
善きサマリア人って何やねん?
というのも、当時の人々でないと当時の空気感が分からなかったりするわけで、真意が掴みづらいと思うのです
エヴァだってシンエヴァだって、これから50年後、100年後に初めて観る人たちからすれば、
この人たち何を言い争ってるの?バカなの?
みたいに思われるかもしれません
原発事故なんて100年後には忘れ去られてしまって、その頃の子供たちが観たら、
ふーん、歴史の教科書で原発事故は知ってたけど、当時は話題だったんだねー、と思われるだけかもしれません
しかしながら、善きサマリア人の話には、相手に助けがいがあるかといった見返りを求める話には思えないはずです
観た人と感想を共有したくて書くだけ。
ま、断っとかないとうるさい奴がうるさそうなので。
さて、書くか。
実際に観てみるまでは、
「またまた〜そんなこと言ってまたモヤっとしたエンドなんでしょ〜?」
と思っていたが、観終わってみると、確かにこれは「完結」であった。
すなわち、エヴァが「完結」するとは、観客が「もう続きは観なくていいかな・・・」と思うことなのだった。
序を観た時は
って感想が巷に溢れていた。
そりゃもう本当、逆に斬新だったよな。
破を観た時は
「こういうエヴァがあってもよかった!!!続きが早く観てえ!!!」
と思ったもんだったよ。
心がぽかぽかしたよな。
その期待を一身に背負って出てきたのがQだった時の絶望たるや。
「完結」とは程遠い、「早く続きを観せろ!」という状態だった。
なんとも言い難いのだけれども、全体的にダサい。
綾波が田植えをするのは斬新でよかったが、全体的になんとも言えないダサさが漂っている。
画面がごちゃごちゃしていて、何と戦っているのか分からない戦闘シーンが多い。
だいたいエヴァのセンスっていうのは、エヴァという制御できない力、現象への恐怖、畏怖、制御しきれない無力感、
そしてエヴァという強大な力を恐れながら利用する人の賢さ、全能感、生へのしぶとさが絶妙なバランスで混ざって生まれる、独特のものだった。
それがまるでない。
早く電池切れてさっきまでの超常の力を発揮できなくなって無力感に苛まれろよ。
そして思春期特有のアイデンティティ・クライシスと相まって独自のセンスを醸し出せよ。
劇中でさんざんシンジに「メンタル弱すぎ」って怒鳴ってるアスカだけど、
トウジやケンスケが大人の余裕でうじうじしたシンジを受け入れ、心の傷が癒えるのを辛抱強く待っているのに
「先に大人になった」って自称してるアスカが子供のまますぎてイラつく。
14歳の女の子がそういうキャラだと愛らしいのに、28歳でそれって、単純にキャラとして魅力がない・・・
シンジ立ち直るの急過ぎるだろ。
心的外傷を負って何もできなくなっても腹は減る。
泣きながらレーション食べなきゃならないのは情けないよな。
どうなるんだろって思ってたら、様子を見に来た綾波に、
「みんなどうして僕に優しいんだよ!」
それが「大人」になるきっかけになったらしいが、まともにからんでたの一週間くらいだろ。
だいたい、シンジ君はメンタルが弱いというほど弱いわけではない。
「できるわけないよ!」
って言いたくなるだろう。
例えば、近所に熊が出たから、
「猟銃持って駆除してきて」
って言われて
「やってみる」
って言える人はどれくらいいるんだ?
10代でも30代でも60代でも、目の前に傷だらけの少女が出てきて、お前がやならきゃこの子が熊撃ちに行くぞって空気で圧力かけられても、やるなんて言い出せないだろ普通。
やったことないだけの釣りを「できない」なんて断る奴じゃないだろ。
後半では何かと「やってみる」と言うようになるが、そんな安請け合いできるような簡単な話だったら誰も苦労しないんだよ。
つまんねぇな!!!!
そして、自分はこれが一番の問題だと思うが、ゲンドウとユイのなれそめが映画の中で描写されてない。
観客の大部分はTV版も旧劇場版も観ているから、ゲンドウが人類補完計画を進めている理由は知っているはずだが、新劇の中ではほとんど触れられていない。
「ああ見えて実はカワイイ所がある」
なんて言う女性がかつて居たという、衝撃の事実を知ることはない。
ここを書き忘れたなんてことはありえない。
後半でゲンドウが半生を振り返りながら内心を吐露するシーンがあるのだから、
その前に生前のユイとゲンドウの心温まる交流の回想でもなければ、このシーンの価値が無くなってしまう。
人類を皆殺しにしてても取り戻したかった物がなんなのか観客に示すことなく、
だから制作陣は、TV版にはあったこれらのシーンをわざと省いたのだ。
なぜか?
おそらく、制作陣はシン・エヴァを、序から始まる新映画版を完結させる気で作ってないのだ。
もうこれ以上「続きを作れ」と言われない形でまとめることだけを優先したのだろう。
よっぽどもうエヴァを作りたくないんだな。
いろんな所から「もうエヴァ作りたくない」ってインタビューが聞こえてきてたけど、これほどとは。
もしゲンドウの行動を正当化できてしまうようなシーンを描いてしまったら、
前半で描かれたトウジやヒカリやケンスケの、慎ましくも幸せな生活を全てぶち壊してでも取り戻したいと思えてしまえるような、
そんな幸福をゲンドウが得ていたと描いてしまったら、必ずファンは
「続きが観たい」
と言うからだ。
今回のゲンドウの内心の吐露で、ゲンドウは子供の頃から陰キャで人嫌いだったのが大学のゼミで彼女できて全部どうでもよくなった、っていうしょうもない奴だと分かってしまったわけだ。
でもそれはシン・エヴァでは描かれることはなかった。
だってそんな所を見せられたら、「続き」が観たくなるもんな。
「エヴァの『続き』を作れ」
って言われてしまうよな。
不器用だが一生懸命なゲンドウがユイと一緒に赤ちゃんだったころのシンジを育てる話とか。
絶対に当たるわ。
「なにやってんの!」
とあきれるユイ。
そこで一言
「問題ない」
絶対に当たるわ。
実際にこういうスピンオフをやるかどうかはともかくとして。
そういう話を考えたくなるほど、物語にのめりこめるってことが重要だった。
だが、それじゃ永遠に「エヴァの続きを作れ」と言われてしまう。
だから、のめりこめない話を作って「完結」にした。
つまんなかったな。
だから俺達が言うべきことは一つなんだろうと思う。
「エヴァはもう忘れた!
カヲルくんのとこは、カヲルくんはアダムの魂を持った存在だから多分何度やり直しても地球でアダムがはじめての生命体ということになるんだよ。人類(リリン)の祖はリリスだけど。
だからカヲル君がこれから地球作ってこか〜っていう前に書く設計図が生命の書であり明言されてないけどこれがゼーレの持つ死海文書。
TV版から旧劇での人類補完計画とか(新劇の時間軸でも何度かなんらかのミスが起きて)で地球という星の誕生から何度もループやり直して再生してるけどカヲルくんはその円環の中で出会った人類補完計画の要にされてるシンジのことが気がかりで毎回生命の書に名前を書いて救おうとしてた
と解釈してる
端的に言って、2度と当時には戻りたくないと思う。
穏やかな小学校生活が終わって、中学校に上がった。中学校は周囲のいくつかの小学校から生徒が合流し、顔ぶれは半分ぐらい変わった。
新しい同級生、新しい先輩、見知らぬ古い校舎、荒れた空気で余裕のない先生。同級生はみんな、自分の居場所がリセットされて、それを確保するのに必死だったと思う。
一部の同級生が、先輩らの影響で短ランやボンタンのような制服を着て、髪の色が明るくなり、言動が激しくなった。
それに伴って、学校は腕っぷしの強さや声の大きさ、容姿の美醜、スポーツの出来不出来、笑いが取れるかどうか、を軸とした上下関係の階層構造が強まった。
勉強のできる学校、地域ではなかったから、勉強の出来不出来や知識の豊富さはそこまで階層への影響はなかった。むしろ、真面目に勉強をしていることはダサいという空気感すらあった
当時の僕は、身長は高い方だが、容姿は下、スポーツは並、笑いは全く取れない、勉強はそれなりにできるが、トータルでは平凡な男の子だった。
ただ、良好な人間関係の作り方や上下関係のやり過ごし方などの処世術に鈍く、学校に上手く馴染めないまま過ごしていた。
プライドが高かったのだと思う。
階層トップの不良グループはクラスの場を支配していたけれど、僕は、支配されたフリをして上手く立ち回るのはイヤだった。
イジられても笑いで返せず、キレ返した。物がなくなっているなどの軽いいじめに、張本人を殴ったり同じことを仕返しした。
お前、小学校の頃は休み時間に一緒にサッカーしてたよな?僕のお父さんの車で一緒に釣りに行ったよな?何でこうなっちゃったんだよ!とずっと思っていた。だからこそ、負けたくなかった、譲れなかった。
昔は仲が良かったみんなも、自分のいる階層を保つ or 上昇させるために、グループに所属して、その勢いに流され、僕や立場の弱いグループを、気まぐれに攻撃することが、中学校のなかで当たり前になった。
そして、いつも反抗的な態度の僕は、特に標的にされ、孤立した。
カバンや筆箱が無くなっていたり、お金が盗まれていたり、パンツを脱がされたり、通りがかりに殴られたり、いろいろ。当時はよくがんばって学校に行っていたなと思う。えらい。だけど今思えば、がんばり過ぎないで欲しいなと思う。
こんな感じで、安心できる場所は学校には一切なかった。毎日心も体もかなり緊張していて、ビクビクしながら過ごしていた。
その時の身体の強張りはクセになってしまい、他人がいると男子トイレの小便器でおしっこすることが出来なくなった。おしっこをしている時はイタズラされることから逃げられないから、他に人がいると落ち着かず、どんなに頭でおしっこをしようと思っても、出てこない。
学校の中でも奥の奥にある、ほとんど誰も使わないトイレに、休み時間になると駆け込んだ。たまに先に人がいると、その周りを歩いて出てくるのを待った。
年間のなかで最も大きい大会に、中体連の県大会、といったものがあった。
うちの中学校では、この県大会の大会出場のときには、様々な部活から各種陸上競技に出演するメンバーが選ばれた。
僕はどの競技の選抜からも落ちたが、大会までの練習や当日の飲用水の用意など、陸上部としてサポート役のため駆り出された。
小学校から続けてきたが、なかなか結果は出なかった。そして、陸上部ではないみんなとの競争に勝てなかった。
知らないメンバーのために、部活だからとサポートをすることは、楽しいことではなかった。大事な大会で走れない陸上部、ということが情けなくて、恥ずかしくて、自信が持てなくなった。
陸上そのものを楽しいから続けている、という内的動機も弱くなったこともあって、部活という居場所を自分から閉じてしまった。
部活を辞めてからは、授業が終わり次第すぐ帰り、毎日自宅のPCでインターネットを利用した。
Yahoo!チャットでは、立場や背景も関係ない、見知らぬ人とフラットに会話できることがとても楽しかった。私は当時南の島に住んでいたが、その島には映画館が無いと本気で思っている人がいるなど、この嫌な地元とは切り離された人と、遠く距離を超えて繋がれることにワクワクした。
オンラインゲームでは、徐々に強くなっていくキャラと、連帯感のあるギルド(所属するチーム)でゲーム内に居場所ができた。
ただ、Yahoo! チャットでは人とのごく短い付き合いしかできなかったし、親はオンラインゲームにお金をかけることは許さなかったから、オープンβテストの期間が終わったら、ゲームはそれ以上続けられなかった。
それでも、毎日急いで家に帰って、ここではないどこかに居場所を求めた。
ここまでがだいたい中学1年生。
2年生になりクラスが変わってからも、同じような軽いいじめ、イジリがある構造は変わっていなかった。そんな中、ある事をきっかけに階層に反抗する心は折れることとなった。
小学6年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった(初恋だったんだと思う)。
修学旅行のはずみもあって、就寝前、端っこあたりで寝そべっていた僕にも、みんなで好きな子を暴露する順番が回された。そこで、迂闊にもその子が好きであることを話してしまった。
僕は次の日の朝、ある場所に連れ出された。女子からも男子からも人気のあったイケてるグループのメンバーが、勝手にその子を呼び出していた。
事前に、僕が彼女のことを好きだということは伝えられていたようで、女の子は戸惑った、迷惑そうな顔をしていた。
そして、ちゃんと好意を伝えることもできないまま、一方的に、僕のことを好きではないことを伝えられた。
好きではないという事実以上に、あの迷惑そうな顔に、かなり心が傷ついた。あれは、階層の中で下位グループと同じ括りにされることを嫌がる拒否反応のような、そんな表情とリアクションだった。
ひどく鼓動が早くなった。気持ちが塞がってしまい、僕の修学旅行はそこで終わった。
この女の子とも、小学生のときは、同じクラスの隣の席でよくお喋りをした。いつも落ち着いていて、知性があるような雰囲気で、スピッツが好きだった。
小学6年生の遠足の時、移動までのバスでカセットテープを流すことができた。僕は遠足の前日、スピッツの「recycle」をカセットテープに録音して、当日のバスで流した。
歌うことが大好きだったし、上手だと思っていたから、その子の近くの席でこれ見よがしに、特に好きだった「渚」か「楓」を歌っていたと思う。
小学生らしく、好きだからといって何ら関係を変えるためのアクションは取らなかったが、日々その子と話ができることが嬉しかった。
中学校に上がってからは、僕は廊下などで見かける度に意識していたけれど、クラスが違うこともあり疎遠だった。
そして、2年生に上がり同じクラスになってからも、思春期特有の自意識過剰から、まともに話すことができなかった。
そしてそのまま、拒否された。
一方的に彼女に好意を伝え、呼び出した複数人の男子グループは、彼女が嫌がるそぶりを見せたとき、「うわ、かわいそ〜」と他人事のように、少し面白がっているように話していた。
個人としてどういう人だ、と言う前に、どの階層に属するかによって、こういう風に軽んじられる存在があることを強く認識したし、軽く扱われる自分自身のことも好きじゃなくなっていった。
自信をなくして、自分のことを好きじゃなくなっていくのと並行して、上の階層である不良グループに嫌がらせをされても、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごせるようになった。そしてもっと、自分のことが嫌になった。
体育の授業で複数人でグループを組んだ時に、兄の影響でアニメに詳しいクラスメイトがエヴァンゲリオンの話をしているのを聞いた。
ガンダムの仲間かな、というぐらいにしか知らなかったけれど、家族でゲオに来たついでに、何気なくレンタルをしてみた。
結果、見事にハマった。
戦闘シーンやメカニクスの描写などに強い興味はなかったが、同じく14歳のシンジや他のキャラの内面の描写に、自分を重ね合わせて見ていた。
中でも人類補完計画やセカンドインパクトは、思春期の想像力と合わさって、朝起きたら本当に起きているのではないかと、期待しながら眠ることもあった。
意地悪をする同級生は、個人それぞれは悪いやつでないことは知っていた。グループや階層といった構造になると、途端に他人に攻撃できることを体験的に知った。また、僕自身にも、階層の中で下のグループを軽んじてしまう意識があることを知った。
何で人間はこんな生き物何だろう、と思った。それぞれ個人としては思いやれる人も、集団となると流されてしまう仕組みが、欠陥だと思った。
他人もそうだし、自分の暗い部分も怖いから、誰かと近づくのをやめようと思った。関係を深めることをやめようと思った。だけど、誰かと認め合いたいという矛盾した気持ちがあった。
人類補完計画のように、人々の壁がなくなってひとつになったら、人間の欠陥もなくなって、みんなが幸せになれると思っていた。本当に早く来てほしかった。
でも、当たり前だが、そんなものは来ないことも分かっていた。だから何度も何度も見直して、頭の中だけでもエヴァの世界から抜け出さないようにした。
繰り返し見る中で、分からない部分も多くあった。なぜシンジは人間がひとつになる世界をやめたのか、なぜアスカは気持ち悪いと言ったのか、結局それぞれのキャラは救われていくのか?
これらのモヤモヤと、いつまでも起きない人類補完計画への期待感は、中学3年生になって受験勉強に忙しくなったのもあって、少しずつ心の片隅に追いやられていった。心に残る形は歪なままだけれど、そのままフタをした。
その後、県内では進学校だった高校に入学し、校内の暴力的な上下関係などはなくなって、落ち着いた学校生活を送れるようになった。
大学は第一志望には落ちたけれど、都内の学校に進学でき、希望していた地元からの脱出は叶った。
だけど、その都度、人間関係の構築は必要だった。苦手意識や恐れを感じて、中学生の頃のような緊張が蘇ってきて、上手くいかないことも多かった。言葉が上手く出てこない、出てきても変なことを言ってしまう、怖くて誘えない、など。
大学1年生の終わり頃に、良い友人との出会いがあった。何かと心の距離を取りたがる僕を、何度も何度も誘ってくれて、しつこく自宅に招いてくれた。そして、人に近づく怖さがだんだんと薄れていった。
また、その友人を起点に人間関係が広がっていった。みんな優しく受け入れてくれて、少しずつ人付き合いの自信がついていった。
いつまでもどこか漠然とした孤独感や居場所のない不安はあり、心のクセになっていてなかなか取れなかった。同時に、エヴァのこともよく思い出した。
それでも、その後の学生生活はこれまでにないほど充実して終えることができた。
この時に身に付けた自信から、就職先での人間関係も何とかやり過ごすことができるようになっていた。
今は、30歳になった。それなりに忙しく働いていて、家族もある。
誰かの心の痛みがよく分かる優しい人と一緒になった。
できることが増えて、自分の人生も俯瞰で見られるようになり、生活をうまくやる自信もつけている。
日常の中で中学生当時のことと、エヴァのことを思い出すことはほとんどなくなっていた。
そして、今回の新劇場が話題になっているのを見た。これで最後ということで、とても気になった。
なぜ今さら気になるのか考えてみると、過去に集団の中で屈してしまった悔しさ、自信喪失をちゃんと受け止めて解釈して、成長することができているということを、大人になった今エヴァと対峙することで、確認したかったのだと思う。
僕はとても救われた気持ちになった。
今回の物語では、シンジ、ミサトさんを始め、みんなが過去の様々な間違いや未熟さを認めながら、前を向くことができた。
第3村のトウジとヒカリ、レイの田植えなどの描写は、日常に地に足をつけて生きていることに対して、背中を押してくれたように思う。
劇中のみんなが自分なりの希望を見つけていくのと同じように、今僕自身が生きている人生に対しても「それでいいんだ」と、認めることができたように思う。
本当に良かった。ああ、これでいいんだね。
俺が中学校の多感な時期に考えていた設定で…
何故、人の魂はあるとされているのか?なぜ成仏とか言われるのか?という妄想が耐えなかった時期があった。
天国や地獄の様な死後の場所があったとしたら、人間の魂でごった返すんじゃないか?むしろ生命全てに霊魂があるのなら、虫などの極小生物の魂だらけになった地獄や天国なんじゃないのか?
と考えていた。そこで一つの仮説を立てた。そもそも虫と人との魂の形は同じではないのではないか?と。そして、魂とは一つの場所にとどまらずに輪廻転生の様に次から次へと移り変わるのではないか?と。その時にふと、その魂が器をなくした場合、一度一つに集まっているのではないか?という妄想も始まった。だから自分たちの中に前世は有名人であるという人が複数いるのではないか?と。一旦全てが一つになるから、他と共感性が生まれるのでは?と。
そして、その集まる場所は、当然多次元の、ここからは干渉できない場所であって、質量の問題も三次元的には考えられないことで、時間軸も一方方向ではないのではないか?と。
そんな結論に至ったあとに「人類は一つになるべきだ」みたいな人類補完計画を見たときは非常に興奮したものです。
なんでウマ娘のルールは守って、フェミニストのクレームには反発するのかって?
そんなこと馬鹿でもわかるだろうが
ウマ娘や宇崎ちゃん作者は自身の作品に対する権利を保有しているからやめろと言ったらそりゃまともなやつは守るだろうしライン超えたやつは法的措置取られて負けるだろうよ
お前らフェミニストはこれまでクレームつけてきた作品に対して権利持ってたのか? お前の作品だったのか?お前自身が二次創作でもされたか?
まさかすべての「女性表象」は女性である私たちがジャッジし、取り締まる権利があるとでも思ってんのか?
それも女性さんのお得意な”共感”っつーやつがなせる技ですか?
まぁ本気で思ってるなら裁判にでもすればいいんじゃねーの
>cha9 ウマ娘の件では表現の自由戦士というのは表現の自由じゃなくダブスタの自由戦士だっていう馬脚を現したよな、ウマだけに。
RRD 表現の自由戦士なら戦えよ…
cinefuk コスプレしている幼児の写真に「ハイエースしたいwww」と親のアカウントに送っていたオタクいたけれど「あなた(の子供)を性的な目線で見ている」というメッセージが暴力だと、ようやく彼らも理解してくれたか 性犯罪 オタク
quick_past あー偉い人に怒られるからやめようねムーブか。。反撃されないような弱い相手ならやってもいいんだと。