「人類補完計画」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 人類補完計画とは

2021-03-17

anond:20210315212739

できるだけ状況証拠から推測できる内容で書いてみます

マリ基本的に謎だらけですが、コミック最終巻でユイと同じ研究室であることと、Qで冬月に見せられた写真マリっぽい人がいることで、「世代としてはユイゲンドウ世代」。また、シンで「式波」がクローンだったことは、「波がつく名前クローン」を示唆していると思われるため、真希であるマリクローン、と考えて良いと思います

問題は年齢ですが、綾波レイの子バージョン存在することを考えると、クローンの年齢は好きにいじれることになるので(仮に0歳から育てなければならないとしたら、ユイが死んだ後に作ったレイシンジと同じ年にはならないはず)、マリはどこかのタイミングクローンになった、と考えられます

エンディングで何故か年を取ったマリですが、ここはもう推測ベースで、エヴァ世界を終わらせたことで止まっていた時間流れるようになり、14歳か16歳だったマリはそこから年を取った。一方、シンジが送り出したレイカヲルアスカも駅のホームにいたらしい?)は人生をやり直して0歳スタートになり年齢の差が付いてしまったのではないでしょうか。レイカヲルの年齢は遠くにいるので外観だけでははっきりしていないのですが、「線路ホームで別のところにいる」という描写が「シンジマリとは別の世代で生きている」ということを示しているのかなと思いました。

ループについては、テレビ版では青い海が新劇場版では赤い海になっていることからループというより時間だけは過ぎているけれど、インパクトが起きたことで世界がやり直しになっていているのでしょう。地球はそのまま年を取っているけど、人間はその記憶がなくリセットされたので西暦とかも自分たち記憶で使っていて、実際の西暦ではない、とか。

カヲルは第1使徒、つまりアダムという特殊使徒なので、世界が変わっても記憶は持ち越せているのだと思います。何度も死んでいるけど記憶だけは持ち越せて、だから死ぬのも恐くない?

冬月先生の行動は推測でしかありませんが、ゲンドウ同様ユイが好きだったことは判明しているので、ゲンドウにつきあってユイに会える人類補完計画応援してたけどどこかで悪いことしているという自覚があり、最後ゲンドウの味方もしつつ自分の心に従ったのでは。

マリエヴァをいっぱいたべたのはよくわかりません。

アスカのシーンも2枚会ったの自分確認できてなかったのでこれもスキップで。

惣流はテレビ版で死んで、式波は波シリーズクローン、なんだとおもいます

アスカは破で使徒化してしまい、中から出てきたのはあれを取り出すことで使徒化できたので、使徒化を抑える存在だと思います

加持さんはまったく描かれてないので今後のスピンアウトに期待。破の最後に出てきたQ予告が実際には予告じゃなくて、破とQの間の14年間を表現しているようです。司令服のカヲルくんとか、山に登ってるゲンドウと冬月とかいるので。

SEEDはみてないのですみませんよくわかりませんでした。

2021-03-16

シン・エヴァ劇場版非難している奴の大半はキモくて金のないオッサン

わかるか?何でお前が「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を否定しているか、俺が教えてやる。お前は単に嫉妬してるだけ、ルサンチマンを抱いているだけだ。否定対象をシン・エヴァに向けてるが、それはお前の人生が満たされていないことの裏返しなんだよ。

※以下、シン・エヴァネタバレを含むからよ、観てない人は閉じてくれていい。

何でお前がシン・エヴァ否定的か、それはお前の潜在意識深層心理にある。

戦闘シーンがどうのこうの、展開がどうのこうの、難癖付けて講釈を垂れてるが、その嫌悪感や納得できないという感情の端緒は、ラストシーンにある。

端緒なんだけどラストシーンなんだよ。

なぜならラストシーンは、ネオンジェネシスされた世界

すなわち旧劇の人類補完計画後の世界の変わりに提示された、別の理想の世界からだ。

どうだった?旧劇と違ってたよな。

人類補完計画は行われず、宇部興産就職したシンジが、マリイチャイチャしてたよな。

この世界シンジは、お前に持ってないもの、全て持ってるだろ?

いい仕事といい女、どちらもお前は持ってない。

シンジ創造した新世紀が、これだった。

よくありそうな現実

だけどお前にとっては現実ではなく、むしろ実現が非常に難しい、フィクションに近い世界

幸せ雇用関係と男女関係、それが理想新世紀。

「これが、新世紀なのかよ…」お前は愕然とする。

もう既に齢30代半ば、40代半ば、50代…還暦独身

いい仕事にもありつけず、安月給をちまちま貯め、たまに風俗に行って憂さを晴らす日々。

「シン・エヴァ氷河期世代は救われない」https://anond.hatelabo.jp/20210309164507 と誰かが言ったが、その通りよ。

誰もが皆、シンジのようにいい仕事パートナーを得られるとは限らない。

からラストシーンを見て、口にはしないけど、不快に思った。

現実シンジが作った新世紀と全く違うほど、残酷な日々だということを。

お前は「新世紀に存在しないもの」として、無視されたんだよ。

ラストシーン新世紀の映像に、お前のような輩は、写ってたか

安物のB〇arのダウンジャケットを着て、一人とぼとぼホームを歩くオッサンは写っていたか

秋葉原で買ったアニメ絵プリントされた紙袋を両手に、汗臭いネルシャツ着たデブは写っていたか

競馬新聞とワンカップ片手に短波ラジオ聴いてるオッサンはいたか

摂生もしくは貧乏で、歯が抜けても直さず、活舌の悪いオッサンはいたか

からフケが落ち、スーツの肩の部分に粉ふいてるオッサンはいたか

写ってないよな?俺は観なかったぞ。

からお前の人生は「新世紀には存在しないものとして扱われた」「写す価値のないものとして省略された」ということだ。

だけどお前の人生は続く。

提示された新世紀とは全く違う、いい仕事もいい女もいない、無為で、非生産的で感動が希薄な日々。

こんなことなら…もう…そうだよな。

人生を悲観したことだって、一度や二度ではなく、たぶん人並みよりも多いだろうよ。

から旧劇の人類補完計画を、どこかで肯定してるんだよ。

人と人との境目がなくなり、単一生命体になることは、格差がなくなるということ。

愛する対象とも一つになれる。

そういうシーン、旧劇にあったよな。

からも愛されないキモくて金のないオッサンでも、人類補完計画後の世界では、愛する人と一つになることができる。

だけどシン・エヴァネオンジェネシスされた人と人の境目がある世界においては、キモくて金のないオッサンは、ただただ孤独な日々を死ぬまで続けて、風呂場で汁になって腐乱死体発見されるのが関の山だ。

からお前はどこかで、嫌悪したんだよ。

今回の新劇場版で完結した世界が、納得できなかった。

お前はサルベージされないからな、旧劇の世界とは違って。

エヴァクオリティとかではなく、本当は、お前の内面日常問題なんだよ。

作品八つ当たりして逃げてるんじゃねえよ。

「逃げちゃダメだ」ってシンジも言ってだろ?

でもお前は逃げた、自分の糞溜めみたいな人生直視せず。

作品批判で悦に浸り、閲覧数を稼いで、ちっぽけな自尊心を満たした。

それでいいのか?これ読んで目が覚めたか

わかったら今すぐ作品批判をやめることだな。

シンジは言ったよな。

「やってみるよ、ネオンジェネシス

お前はやってみたのか?

今までの人生で、何かをやってみるという生産的な営み、行動力のある実践、大してやってきてないはずだ。

その帰結が、今の、キモくて金のない残酷オッサン日常なんだよ。

自己責任論を言ってるわけではないぞ。

まれ育った環境の違いや社会の状況も、成功の可否に影響することだってあるよな。

だけど、自分人生を棚に上げ、あーだーこーだと作品批判、カッコ悪いだろうが。

内罰的なシンジを見習うべきよ。

何でもいいから、お前が生きていたという人生の爪痕、人や社会迷惑をかけること以外で。

加地リョウジのように生命の種を残すみたいな大げさなことでなくてもいいからよ。

特殊清掃作業員死体で見つけられる前に、考えて、汗水垂らしてやってみろや。

2021-03-15

シン・エヴァンゲリオンみた

かに喋ることもないのでメモがてら残しておく。

他の人の感想読んだりもした。

  

大前提として。

エヴァは旧アニメの頃から庵野私小説で、大作だ。

まり私小説という言葉はここではしっくり来ないけど。

  

作家性が出るのはアニメだけじゃなく、絵画音楽小説家具、庭、すべての創作物に当てはまることを声を大にして言っておきたい。

エヴァシリーズでこれほど考察感想に「庵野」という男が出てくるのはその作家性の強さがとても強いからだ。彼が手掛けてきた作品の中でも、エヴァシリーズはより強く反映された作品からだ。

作家性の強さは作品作りの良し悪しには特に影響を受けず、受け取り側の好みの問題であることを前提としたい。

  

  

  

  

・冒頭の「これまでのエヴァンゲリオン」良かった。欲しいシーン全部乗ってた。

・トウジは死んだと思い込んでたので出てきた時びっくりした。

・「委員長や。」あら^〜

・でも28歳の委員長はおまじないとか言うかな。

・稲作アヤナミかわいい。やはり時代は稲作。米は力なり。

・限られた食料、自給自足していかないといけないような村で外部から来た人達を嫌わないの凄いな。

・↑多分庵野はあまりそういう経験したことないのかも。

・↑いや、もしかしたら庵野の描く理想郷がこれなのかな。

・ヨモコさんの絵本出てきてフフフてなった。

アスカツンデレがまた見れて嬉しい。

加持リョウジ少年登場。同じ名前

ニアサー時にはミサトさんお腹の中にいた。

アヤナミが目の前で消えても一人できちんと、自分の足で立ち続けたシンジくん。

・「もう一度エヴァに乗る。」

・↑もう一度作品を作って終わらせる庵野彷彿とさせる。良い。

・「ここに居てもええんやで?」「僕は行くよ」

所謂、イマドキデザインミサトさん。(前髪が1房顔の真ん中に伸びてる)

・みんなはアクション戦闘の絵作り最悪って言ってたけどそうかな…

CGも含めて最高の手法を使ってる。良い。

・大量のインフィニティレンダリングどれくらいかかるんだろう…。圧倒的な数で不気味演出最高。

リツ子ゲンドウを撃つ。旧劇ではその逆だった。対比。

脳みそ拾っとる。撃たれても死なないのにわざわざ拾っとる…。

ゲンドウ、ネブカドネザルの鍵で人を辞めていた。

・目が無い。不気味さと何かから目を背ける(直視できない、したくないみたいなニュアンス。)デザインとしては最高の出来。ブラボー

ゲンドウはネブカドネザルの鍵でアニメ人類補完計画、旧劇の人類補完計画認知した。所謂ループもの

ゲンドウのデザインキモーイ!最高!!

シンジくん登場。エヴァに乗ります

ミドリちゃんサクラちゃんブチギレ。ミサトさん撃たれて負傷する。

・Qでの「行きなさい!シンジくん!」セリフを思い出す。

シンジくんはこれから父親と向き合うのでまだ心身共に子供大人として責任を取る姿勢ミサトさん

ゲンドウ、エヴァ(13号機)に乗れたのが嬉しすぎて量子テレポート(^ω^ ≡ ^ω^)

マリ、冬月と再開。漫画版と同じ設定でエヴァ呪縛を受けた冬月研究室の一人。

イスカリオテマリア。研究室を裏切った、クローン技術の発端者。

・初号機から綾波。14年間、シンジエヴァに乗らなくても良いようにそこにいた。

・先のシーン、アスカマリに髪を切ってもらっているシーンと対比。

・人である証拠に髪は伸びていく。綾波は髪がモサモサに。かわいい…。何故か勝手に、綾波クローンから髪は伸びないと思い込んでいた。

・突然マイナス宇宙という単語。マジ?

アスカクローンだった。迎え撃つのオリジナルアスカ。(アニメ版?)

ヴィレの槍を作るためにリツコに無茶振りをするミサトさんさら作業員無茶振りするリツコさん。怖い組織だ…。

ヴィレマイナス宇宙に突っ込ませる。ミサトさんはヘアゴムを解いて以前のヘアデザインに。

・人と目を合わせないようにかけていたゴーグルを外して、髪型を戻し、まっすぐ前を見るミサトさん原点回帰。良い。

・槍でやり合う碇親子。

モーションキャプチャ登場。初号機と13号機がヌルヌル動く。違和感あるけど人造人間なのでこんな動きしててもおかしくないよな…と思う。

ミサトさん家や学校。そして東映スタジオ

・多分東映第8ステージ

撮影スタジオを行き来するプロレス

・瓜二つのデザインである初号機と13号機。

メタ的な現実エヴァの背景を行き来しながら決着をつけようとする親子。このあたりから庵野からメッセージがより強くなる。

メタ的な現実意味でもエヴァ世界観でも、エヴァンゲリオンを終わらせようと躍起になるシンジ(庵野)。

抵抗するゲンドウ。

個人的メモ(鬱々としてる時って実は気持ちがいい。居心地が良い。)

大人になろうとするシンジを見てやり合うのをやめて対話する。

・ほぼ自問自答していく中でゲンドウはシンジに謝る。

・自らの非を認めることで初号機に取り込まれていたユイゲンドウが再開。

・乗っていた電車から降りる。庵野監督作品電車って演出的に結構特殊

・カオルくんがリアリティーで立ち直ったんだねと悟る。

個人的メモ(立ち直ったと言うのは簡単でも実際根っから立ちなおるのは結構大変。)

・旧劇のラストシーンに出てくる海辺アスカが横たわる。あの背景見たときヒュッってなった

エヴァ呪縛から開放されて28歳。ちょっと色っぽくなる。好き。めっちゃ好き。

・好きだったことを告白される。キモチワルイとか言わなくて良かった…ほんと良かった…。

・一足先に精神的に大人になっていたアスカシンジのことは好きだったけど、ムカつくし嫌いになったしキモチワルイ。その間にケンスケが良いパートナーとしてアスカを支えた。

自己愛メタファー的存在カオルくんも還る。アァーーーッ司令服似合ってる似合ってる似合ってるありがとーーーーーー!!

・初号機で槍を自身に貫く時、ユイと再開。初めてユイと目が合う。

・Qまで、シンジくんはあまり人と目を合わせなかった。Qは合わせようと思ってもみんな目を合わせてくれなかった(ミサトさんのゴーグル然り)。シンは立ち直ってから色々なものと目を合わせた。

アニメゲンドウは人と関わりたくないのでサングラスをして視線を反らしていた。シンでは現実逃避の末人間を辞めてしまったので目がなくなっていた。マジで最高のデザイン

エヴァ過去のものになった訳ではなく、イマジナリになったっぽい。無かったこと?

・なので海が青くなる。

・迎えに来たマリシンジと共にマイナス宇宙から帰る。アスカ海辺大人になってたけどマリはまだっぽい?

・また電車。実際、演出の話で言うと電車はすごく便利だし、思入れのある監督はとても多い。電車演出はどんな使われ方されていても私はかなり好きな演出方法だと思う。

ホームの向こう。シンジとは違う方向へ、遠くへ行くみんな。

まさか神木隆之介くんが大人シンジ。良かった。違和感ない。

・DSSチョーカーを外されて、本当にエヴァとはさようなら。DSSチョーカーは案外あっけなく外れる。

シンジの手を引くマリマリは信じの匂いをいい匂いと感じていたのでシンジとすぐ打ち解けられた。

個人的メモ(フェロモン関係する。いい匂いだと感じる人の事を好きになる。)

宇部新川駅庵野監督のお地元現実を駆けていくふたり庵野監督とヨモコ先生

  

  

思っていたよりゲンドウが喋ってくれて、ゲンドウはユイと共に居れて、シンジ現実マリと共に過ごしていく。これ以上無いくらいきれいに終わった。すごく良かった。

  

エヴァを手放して呪縛を解く庵野監督私小説

あとエヴァの完結を(心のどこかで)待っていた私達。

  

シン・エヴァンゲリオンのタイトルに反復記号がついていて庵野監督的には誰かにやってほしかったんじゃないかと笑ってはいる。

  

委員長の「さようならはまた会うためのおまじない」っていうのは個人的にあまりキャラクター的にしっくり来なくてメタ的な信用はしてない(苦笑)

  

良いなーーーーー自分の苦境をこんなクソデカ作品にできるのはすごく羨ましい。

ヨモコ先生庵野監督に付き添って尽力した結果も、それまでに培ってきた庵野監督の人望や行ないだからこそでしょ。

私はこの二人が大好きなので、見ず知らずの人が作り出した理解のある彼くんなんていい方絶対出来ない。

怒ってる。

  

  

最後に。

学生時代アニメ漫画映画などで演出を教えてくださったぬまた先生感謝します。

シン・エヴァンゲリオンを見届けることができなかった友人には今度報告しにいきます

アヤナミが稲作してるってよ!!!

2021-03-13

エヴァ感想 ※超ネタバレ

ネタバレへの注意】

どこかに感想を書き込んでみたいけど

増田で適切なネタバレ配慮のしかたがわからない

「=====」で「続きを読む」という表示をだすはてな記法増田じゃ使えないみたいだし。

とりあえずそこで困ったという文章を書いて字数を稼いでおけば多少はマシになるだろう





ネタバレ開始】

今までになくとてもわかりやすく、不快感がなく、気持ちよさが残るエヴァだった。

ゲンドウが庵野監督象徴してるのはわりと異論なく解釈されてるところだろう。

ならばシン・エヴァンゲリオンは

庵野監督ゲンドウ)がアニメ文化ユイ)にであった結果、

 生まれたのがエヴァというアニメシンジ)で、たくさんの悪影響(ニアサーインパクト)や

 悪影響をうけたファンインフィニティのなりそこない)をうんでしまったけど、

 庵野監督が時を経て成熟したエヴァというアニメ関係を結び直せた結果、

 ちゃゃんと原点から自省してガンダム(神)とかみたいになることを

 断念してエヴァという膨れ上がったカルト神話をきっちり解体して畳むことができました」

というお話であると順番に当てはめていくだけで理解できる。

ほかをあてはめていくと

ゼーレ版の人類補完計画エヴァ商業的に成功し続ける作品にしようという方向性

ゲンドウ版の人類補完計画エヴァカルト神話的であり続けて、ファン呪縛しつづけることで進化させようという方向性

富野由悠季監督ニュータイプという概念視聴者押し付けるような)

綾波神格化されたエヴァ

アヤナミ(仮)は多分パチンコなどIP利用(お年寄りにも触れられたという点で)

トウジやケンスケはい意味エヴァに影響されたファン

アスカエヴァで実現したかったもの象徴みたいなもの?みたいな感じになるだろうか

自らの子供たるエヴァという作品と向き合えなかった庵野監督

トシマエをつけるために振り返った結果、宇部新川駅から旅立ったあたりから駄目だったねという身も蓋もない自省が展開されるのだけど

不思議説教臭さも不快さもないどころか、謎の爽快感まで発生している。

それは、ユイアニメ文化象徴であり「庵野監督アニメに対する夢や野望」だったと解釈すれば

かつて憧れてキラキラ輝き続けるガンダムなどの数々の作品のように「自分作品よ、神話になれ」とにするのを諦めて

きちっとエヴァをたたむという断念の爽快さなのかもしれない。

実際、今の庵野監督にとってエヴァを稼げる商品にし続けることも

ファン呪縛し続けるカルトにし続けることも容易いことなのは

この内容で不快感を発生させない圧倒的な力量とクオリティーをみても明らかだが

あえてそれをせず、全力でエヴァを終わらせるのは清々しさがある

エヴァという神話がなくても人間普通に生きていけるし

こじれた人間が間違いで作ってしまった程度のものなのだ解体しきっても

現実エヴァリアル世界に良かれ悪かれ様々な影響を残してる。

ゲンドウがシンジエヴァという作品)のなかにユイアニメへの夢)を再び見出し

最後ユイアニメ文化)がシンジエヴァという作品)の身代わりになって出発を祝福する。

庵野監督の中で良くも悪くもエヴァという作品アニメとして許されて、受け入れられたということなのだろう。

キャラ一人一人を丁寧に開放し、「さようなら」をするのは

庵野監督エヴァが、そしてファンエヴァがよりよい関係を結び直すためのおまじないなのかもしれない

anond:20210312155300

エヴァンゲリオンは全体のストーリー最初皆川亮二スプリガンなんですが途中からナディアになって最終的にトップをねらえ2になってんだよね

あんまし内容は練りこまれてないけどアニメとして絵が魅せるので気にならないといえばならない

その人気の人間描写なんだけど人間の観察とかがすごいんじゃないくて庵野氏の実体験を描写してるだけなんだけど表現としてはそれも十分にすごいね

アスカがのり子でノリコで法子だったところからいきなり恥も尊厳もなく覆い隠すように苗字を変えてみたり奥さん世界をつなぐアンバサダーのようにマリにしたり

地球に飛来したなぞの父と母がイマジナリーで親不在の孤独監督が恋に落ちたけど世界に認められなくてからのいろんな変遷を経てからのあのなんか

不真面目めがねキャラとゴールインしましたみたいな自叙伝たるや昭和漫画家が売れてないとき女子アシスタントといい仲になっていく短編がいくつか

あったのを思い出させるよね

藤原カムイももぐたんと称してやってたの思い出す

みやむーでうまくそういうものだってしてるけどあの本当に隠滅すべき過去を流布されてる事実ごまかすのは諜報活動的ですごい

最後トップをねらえ回帰してくるところでああこの監督快感物質ここでたれながしてるなーってすごく感じれてきもちよかった

監督ガンバスターなっちゃったんだみたいな

犬の扱いの適当さもすごい ビーグルだったらもう笑い声がすごかっただろうね

猫のかわいがりもすごいというかあの猫が次の世代を紡いでいくあれだけがエヴァンゲリオンしてたっていってもおかしくないよね

チョーカーって犬につけるあれそのものだよね

人類補完計画っていう自分以外みんな死んでしまえってくらい恨んでたあの庵野氏がマリ一人でここまで人間再生できるんだってドラマすごかった

ポスターでも一人だけ「手に靴をもつ」っていう世界の逆転をやってみせてるのはただ一人だけだもんね

エヴァ過去作を一気見したアラフォー感想

今までは「今更追いかけてもなぁ…」と思っていたのだけど、シンエヴァにはアラフォーオタクも満足という感想を聞いて今更でも気になってきて、時間があったのもあり、新劇場版TV版、旧劇場版と一気見した。

新劇場版は、今までみんなが言っていたネタ意味が分かったって感じ。

ミサトさんすげー、人類運命決める作戦判断してさら14歳メンタルケアもするとか自分だったら絶対やだ、とか思っちゃうのが歳とったなと思う。

TV面白かった。テレビ版と新劇場版で途中から話が違ってることも知らなかった。

途中の映画じゃ飛ばされてる普通アニメっぽい話も面白いし、最終話の「おめでとう」も(ここだけ大昔に見た事あったんだけど)今見ても面白映像演出だし、突然抽象哲学的になった訳じゃなくて、人類補完計画で人間同士の境界がなくなった状態を表してるって流れならなるほどと思った。

映画版だと全然出番ないじゃんと思ってたアスカTV版だとちゃんと丁寧に描かれてる。

ただ、TV版の加持さんはちょっと気持ち悪かった。多分25年前なら許された男のマッチョ感が今みると気持ち悪いのだな。

あとみんな親子のつながりが強調されすぎるのも気持ち悪かった。

劇場版最初から最後までシンジくんがきもちわるかった。

まどマギとかその後のアニメエヴァに影響受けてああなったんだなぁと思うところも多々あって興味深かった。

今更でも観て損はなかった。

10代や20代前半に観ていたらまたもっと違うことを思っただろうし、時間をかけてアレコレと考察するのも楽しかっただろうな。でもこの歳で初見ってのもなかなかい体験だったかも。

このままの勢いでシンエヴァを観たいような、逆に勿体ぶって寝かせてみたいような気持ちエヴァファンはこんな気持ちを25年ずっと経験してたのか。いい人生だなぁ。

2021-03-12

庵野庵野ってウルセェな

オタク趣味権化みたいな庵野秀明氏の作り出したエヴァンゲリオン

元々のオタクとはどんなものかというと、まず漫画アニメ特撮ものが大好きで、SFが大好き。

まりリアルをあまり受け入れたくない人たちの集合である、と私は思っている。

今とは違うが、二十年以上前20世紀の間は、アニメオタクというのは明らかに差別されていた。

かくいう私は、そんなにオタクではなかったが、ちょっとでもアニメの話をしようものなら、友人に「虹オタ」とバカにされた。

そんな時代があったのである

ちなみに私は富野派ではなく高橋良輔派であり、ボトムズに一生添い遂げる気分である。すぐ「むせる」とか言ってくる輩はボトムズバカにしてると思う。ボトムズこそ真の神話伝説アニメである

 

から、わかる人にはわかると思うが、エヴァンゲリオン最初は好かんかった。

要するに、アニメ的に女々しいからだ(女々しいという言葉自体最近は躊躇われるが、単純にアニメ女という色が好かんというだけである)。

男っぽいアニメからボトムズが好きなのではない、媚びてないから好きだったのである

対してエヴァンゲリオンは明らかに媚びモノだった。

レイアスカミサト、リツコ、マヤマリ(は新劇場版だけど)などの女性キャラは、明らかにありとあらゆる一般的オタクを取り込もうとするイカガワシイものに写った。

なので、ボトムズ派でエヴァ好きには悪いが、真のボトムズ派であった私はエヴァなど毛嫌いしていたし、虹オタと呼ばれるのも嫌だったから決して近づかなかったのである

でも、あれだけ20世紀の終わりに大ヒットを飛ばしているのを横目にしていると、どうしたって気にはなっていた。

 

そして時は過ぎ、世間ではあんまり誰もエヴァを言わなくなった頃、蔦屋DVDレンタル半額セール開催中とポスターを見て、半額ならいいかTVエヴァDVDを全部借りて一気見したのである

 

負けた、と思いましたね。

大勢の人がいろんな事を言いますが、私は単純に「とても面白かった」のです。当然ですが、25・26話の非難殺到だって、私の時期には既にAIRが出てましたので問題ありませんでした。

ロンギヌスの槍がどうとか、ゼーレだの、ガフの扉だの、人類補完計画だの、何がなんやらさっぱりわかりませんでしたが、何度も何度も繰り返し見ることになってしまいました。

とにかく、単純に「面白かった」からです。

個人的には、自分自身の父との関係と、シンジゲンドウの関係がなんとなく似ていて、共感を感じる部分もありました。

まぁでもそんなに深く考えずに、とにかく面白いと、ハマったのですけど、やはり色々と意味がわからない点が多く、本やネットを調べ始めていたのですが、謎解きはそれなりに興味深いのですが、ある頃から非常に気になる名詞が頻発することに気がつきました。そうです……

 

庵野はこう考えている、庵野が言いたいのはこういうことだ、庵野人生観が、庵野はすごい、庵野は……

 

やたらと、「庵野」とばかり目につくわけです。

ボトムズ命の私にとって、実際、高橋良輔は素晴らしいとは思っていますが、高橋氏の考えなど正直どうでもいいのです。

これはガンダムでもそうだった、富野などどうでもいい。気になるのは、ボトムズならキリコであり、ガンダムならシャアであり、ランバ・ラルであり、セイラさんだ。

なのに、エヴァ庵野ばかり。

 

この理由の根源は、謎が多過ぎたからであり、相当考えない事には細かいストーリー意味がわからいからであり、結局そこで「庵野は何を考えているのか」に帰結させざるを得ないからでしょう。

それはわかるとしても、これが正直、私にとっては非常に鬱陶しい。

私はただただ単純にエヴァンゲリオンを楽しみたいだけです。どうでもいいのです、庵野など。

今回の新劇場版だって、存分に楽しみましたが、意味がやはりわからないので、Qとかになると頭の悪い私などはネットで調べたりせざるを得なくなるわけです。

すると当然のようにまたそこで「庵野」の大合唱です。

そして、シン・エヴァンゲリオン鑑賞。

 

正直、noteブログ記事は鬱陶しいのレベルを遥かに超えて「庵野祭り状態。なんなんでしょう?

今回もまた、映画館で存分にエヴァを楽しみましたが、やっぱ気になるじゃないですか、世間評価ってどんなもんなんだろうって。

でも見たら「庵野」だらけ。

 

どうして多くの人は映画単体を単純に評価しないのでしょう?

もっとも、私も絶賛というわけではありません。

一番つまらなかったのは、エヴァなどの動かし方が下手すぎる、という事でした。

AIRで見た弍号機のあの素晴らしい動きはシン・エヴァには影も形もありません。破まではあったのに、Q以降は全然ダメですね。

でも、それ以外はめっちゃ面白かった。

 

なのに、例えば「庵野は変わった」とか「庵野は間違いなく震災に影響を受けた」とか「庵野も歳取った」とか「結婚たからつまらなくなった」とか「会社を背負うようになって保守的になった」とか「また庵野オナニーか」などなど、一体なんなんだ? と思うばかりの「庵野」だらけ。

 

わかるよ。君たちは自分エヴァアニメ作れないもんだから庵野さんに託したんだ、きっと。庵野さんならきっと自分を満足させてくれる、と。

ところが、その期待が過剰になり過ぎて、シンジがかつて叫んだように「ボクを裏切ったんだ!」と思うくらいに思い込みが強烈になり過ぎたのでしょう。

だって、これがラストなんだから

 

別にいいけどさ、映画だけを純粋に楽しまのん? とどうしても思ってしまう。

とにかく、庵野庵野とやたら煩いのはどうなん?

だったら、自分で書けよ、出来んくせに。

エバンゲリオン(解像度を低くして/目を細めてスケッチするように)

もうとっくに言われていることかと思うが

碇親子@人類補完計画 て  まどマギ の 鹿目まどか すべての魔法少女をなかったことにしたい じゃん?

2021-03-11

庵野秀明よ、俺を殴ってくれ。

シン・エヴァンゲリオン。どうやら相当世間を賑わせているらしい。

私も先日鑑賞した。その感想は……はっきり言って、物足りない。

何故ならば、庵野秀明攻撃性が、作品からまり感じ取れなかったからだ。

ある時は、「そんなに1人でうじうじ悩んで、勝手に決めつけて、気持ち悪い」と一蹴し

またある時は、「何時までもエヴァンゲリオンに齧り付いてるんじゃねーよ!」と叱責された。

私は作品を通して、庵野秀明からメッセージを過剰なまでに深読みし、勝手に殴られて勝手に死にかけていた。それが私の「エヴァンゲリオン」の楽しみ方だった。

逃れられない現実を突きつけられるような演出の数々は、私のマゾヒズムを的確に刺激してくれた。

今回の「シン」も、もちろん庵野秀明に殴られる為に劇場へと足を運んだのだ。

「シン」はどんな手で私を弄んでくれるのだろうか。

しかし実際に画面へ映し出されたのは、

牧歌的風景。Qと変わらない描写。極めつけに旧劇場版を薄めた二番煎じ

これでは私は ''死ねない'' じゃないか!!!


人類補完計画のシーンは、清々しいまでにわかやすかった。

それは主体となっている人物碇シンジではないからだ、というのは重々承知している。

しかしそれでは物足りないのだ。

私の求めた「エヴァンゲリオン」は、答えを探して堂々巡りをし続け、答えの先に絶望を与えてくれた。

私が外に出ない理由をくれた。

根底にあるオタクへの…私への執拗攻撃を仕掛けていた。

これらがまぜこぜになって出来上がった「エヴァンゲリオン」が、好きだった。

まさかエヴァンゲリオンがこのまま終わるわけないだろう」

まさかエヴァンゲリオンをこんな爽やかに終えられるわけがないだろう」

そう思いながら鑑賞した。

それは思い違いだった。トウジ達だけじゃない。庵野秀明も成長していたのだ。

成長していなかったのは、私だけ。

当然だが。

そんな私を「エヴァンゲリオンから解放する為の作品を、庵野秀明は作り上げたのだ。

違うんだ。「エヴァンゲリオン」という女王様から放たれる、一級品の鞭さばきを私はその身に受けたかった。そしてそのまま意識を失ってしまったなら、それはどんなに素晴らしい事だろう。

今作は、デコピンを額に受ける程度の威力しか秘められていない。

私を快楽へと導いてくれたエヴァンゲリオンは、一体どこへ行ってしまったんだ。

私が成長する余地などもうない。今更追い払われても、どこへ行けばいい。何で安心したらいい。

エヴァンゲリオン」に、殺されたかった。

2021-03-10

anond:20210310183812

というより終着点として求めていたもの、心置きなくさよならできる作品だったか評価してるんでしょ。

いつまでも人類補完計画とか言ってられないし、人類嫌いとか言うの疲れるし。

anond:20210310180027

ネルフ側というかゲンドウだけずっと浮いてた。

ユイ(故人)がーとか人類補完計画がーとかずっと現実を見ていなかった(エヴァ世界の中で生きていた)

一方ヴィレ側は守るべき人たちがいたり、第三村の人たちもニアサーを起こしたシンジに対して家族を返してとほぼ言わずピンク頭やトウジの妹も最後は受け入れた)、ニアサー後の世界で生きていくことを受け入れていた。

そして最後現実を見ていないゲンドウは救われず(自分の弱さと向き合い、息子と向き合った=現実を見た結果ユイに少し会えたけど)、愚直に現実を受け入れ、人類を信じて生きた人達には新世紀という奇跡が起きた。

まぁ現実を見ろと言うか受け入れろというメッセージはあったと思う。

シンエヴァイケメンランキング(超ネタバレあり)

いぇ〜い👏

〜正体がわかった後もやっぱイケメンだった〜

第一位 渚カヲル

正体はヴィレの司令だったのかな?

真の目的人類補完計画生命死滅統合)される前に、種を地球から逃すこと。

想像以上に規模のデカい男(そもそも使徒だけど)だった、でもシンジ君は変わらず好き❤️

しかし、その好きは共依存だった。

なのに、それに気づきシンジの独り立ちを見た途端に切り替えられる余裕、素敵。

綾波と一緒にシンジ大人に育てたシンジ心のパパ。

〜お子さん、素直に育っていますよ〜

第二位 加持リョウジ

暗躍するカヲル君を支え続けた右腕。

自分の命を賭してニアサードを止めたヴィレ精神リーダーニアサードを止めたのってカヲル君の槍じゃなかったっけ?よくわからん

まぁなんかよくわからないけどとにかく良い奴だった!

なんかよくわからん奴が二位になれるのがエヴァのいいところって事でいいかな?(正直いちいち書くのがめんどい

奇跡の起きた後の世界新世紀)ではカヲル君と土いじりするっぽい。

ちゃんと服を着せなさい〜

第三位 相田ケンスケ

シンジアスカ絶妙距離感を取りつつ確実に支えになっていた。

一生懸命生きているのにあの余裕、あの距離の取り方、アスカも好きになるよ。

シンジのことをガキ呼ばわりしてたけど、素直になれなかったアスカもやっぱ子供だね、と再認識させてくれる存在

末永く幸せに。

〜お父さんは強い〜

第四位 鈴原トウジ

赤ちゃんのほっぺた触りたい👶

〜もうウジウジなんてしないよ〜

第五位 碇シンジ

エヴァファンを救ったと同時に現実という絶望へ叩き落としたこ物語主人公

ポストアポカリプス集落通称農村)で相変わらずウジウジしていたが、地獄のような世界で精一杯生きている人たち、かつての同級生タイムリミットがあることを知っていながら懸命に生きて最後魂を手に入れたそっくりさんのおかげで成長し、大人になった、なってしまった。

関係ないけど最後アナザーインパクトの爆心地でアダムスの器にそっくりさんの魂がちゃんと宿っていることがわかる描写は良かったね)

20数年でようやく世界とみんなを救うことができて良かったね、と思いつつ、以下のように叫んでいる自分もいる。

「お前が大人になったら終わっちゃうじゃないか!」(カツマタ君状態ファン心の叫び

あと、やっぱ最後おっぱいの大きさだよね!わかる!わかるよ!

〜老人が老人を介護する未来

第六位 冬月コウゾウ

ゲンドウよりおじいちゃんだけど、実質ゲンドウのヘルパーさん役だった男。

みんなしょんべん臭いゲンドウから離れていった中、最後まで付き添ってあげた男。

ゲンドウはユイのことしか考えてなかったけど、冬月の愛というか憐れみの心もなかなかすごかったと思う。

当初はユイに会いたいという共通目的があったと思うが、割と早い段階からこの惨めな男(ゲンドウ)に付き合ってやろうというヘルパー魂が冬月を突き動かしていたと思う。

ナイス軍師であり、ヘルパーさんであったと思う。

ユイはずっと側にいたのに…〜

第七位 碇ゲンドウ

本作唯一の子供。みんなが成長して真面目に生きている中ずっと厨二ワードを並べまくったフォーエバー厨二。

厨二拗らせすぎて人外にまでなってしまった。

厨二ワード自分を守りながら、惨めで寂しい男だった自分を隠し続けていた。

あんなに惨めだったからこそユイにあれだけ執着してたんだね。

でも、あんなに惨めな姿を最後によく観客の前で晒すことができました!

ランキングとしては低くなっちゃうけど、その勇気拍手👏

他にも委員長のお父さんとかヴンダーの操舵士?とか若い男三人衆とかいろいろいたけど省略!

庵野分身としてのゲンドウとかそういう話もできると思うけど、とりあえずこのテンションで語るのがこの作品には正しい気がする。

anond:20210309164507

庵野よ、聞け。

お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品卒業してたんだ。

お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいエヴァ完結編があったろ?

お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分作品否定したオタク意趣返ししようとしたあの作品だよ。

お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。

アニメ漫画登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。

感情移入」はするかもしれんが、キャラクター自分だと思い込んだりはしない。

キャラクターキャラクターのまま楽しむし、キャラクター応援する。

アニメ漫画ゲームストーリー自分人生だと思うことだってない。

エンタメエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。

みんなそうやってエンタメコンテンツに向き合ってる。

「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。

その上で2006年にお前は所信表明出したろ?

なんて書いてたか覚えてるか?

『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。

もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。

ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。

同窓会」だと思って、もう一度エヴァに向かったんだよ。

序は良かったよ。

あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。

破も良かったよ。

中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後シンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。

同窓会」は大盛り上がりだ。

なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。

から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。

口を揃えてあいつら「ハルヒ」って言いやがるんだ。

もちろん俺も好きだったよ。

良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。

ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?

ムカついたんだろ?

ガイナエヴァ権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?

今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。

どうにもならないのを責め立てられてる可哀想自分

なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。

Qからきちんと伝わってきたよ。

お前、鬱だったんだな。

つのまにか同窓会葬式へと変わってたよ。

そしてシンだ。

ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構エヴァオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。

作中のシンジ言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。

しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。

でもな「卒業式」なんかしなくてももうみんな卒業してんだよ。

虚構現実の違いなんてみんな分かってんだよ。

現実を生きてきたんだよ。

そうじゃなかったのはお前だけだ。

エヴァ監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァ呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。

卒業できてなかったのは庵野、お前だけだ。

お前だけだよ、未だにキャラクターキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。

昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?

庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。

最後にモヨコ=マリと一緒に駆け出していくところもそうだ。

みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?

そんなにフラれたのがムカついたのか?

まぁもうどうしようもない。

今週末にはこの葬式を見に行くやつも大勢増えることだろうよ。

せいぜいこの葬式が派手に燃えてくれることを祈るしかない。

今なら人類補完計画を目指したゲンドウの気持ちが分かるよ。

シンエヴァってさ

人類補完計画碇ゲンドウ場合」をやったって感じだったな

シンエヴァかい葬式について

庵野よ、聞け。

お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品卒業してたんだ。

お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいエヴァ完結編があったろ?

お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分作品否定したオタク意趣返ししようとしたあの作品だよ。

お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。

アニメ漫画登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。

感情移入」はするかもしれんが、キャラクター自分だと思い込んだりはしない。

キャラクターキャラクターのまま楽しむし、キャラクター応援する。

アニメ漫画ゲームストーリー自分人生だと思うことだってない。

エンタメエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。

みんなそうやってエンタメコンテンツに向き合ってる。

「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。

その上で2006年にお前は所信表明出したろ?

なんて書いてたか覚えてるか?

『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。

もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。

ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。

同窓会」だと思って、もう一度エヴァに向かったんだよ。

序は良かったよ。

あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。

破も良かったよ。

中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後シンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。

同窓会」は大盛り上がりだ。

なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。

から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。

口を揃えてあいつら「ハルヒ」って言いやがるんだ。

もちろん俺も好きだったよ。

良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。

ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?

ムカついたんだろ?

ガイナエヴァ権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?

今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。

どうにもならないのを責め立てられてる可哀想自分

なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。

Qからきちんと伝わってきたよ。

お前、鬱だったんだな。

つのまにか同窓会葬式へと変わってたよ。

そしてシンだ。

ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構エヴァオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。

作中のシンジ言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。

しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。

でもな「卒業式」なんかしなくてももうみんな卒業してんだよ。

虚構現実の違いなんてみんな分かってんだよ。

現実を生きてきたんだよ。

そうじゃなかったのはお前だけだ。

エヴァ監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァ呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。

卒業できてなかったのは庵野、お前だけだ。

お前だけだよ、未だにキャラクターキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。

昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?

庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。

最後にモヨコ=マリと一緒に駆け出していくところもそうだ。

みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?

そんなにフラれたのがムカついたのか?

まぁもうどうしようもない。

今週末にはこの葬式を見に行くやつも大勢増えることだろうよ。

せいぜいこの葬式が派手に燃えてくれることを祈るしかない。

今なら人類補完計画を目指したゲンドウの気持ちが分かるよ。

anond:20151219074050

庵野よ、聞け。

お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品卒業してたんだ。

お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいエヴァ完結編があったろ?

お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分作品否定したオタク意趣返ししようとしたあの作品だよ。

お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。

アニメ漫画登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。

感情移入」はするかもしれんが、キャラクター自分だと思い込んだりはしない。

キャラクターキャラクターのまま楽しむし、キャラクター応援する。

アニメ漫画ゲームストーリー自分人生だと思うことだってない。

エンタメエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。

みんなそうやってエンタメコンテンツに向き合ってる。

「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。

その上で2006年にお前は所信表明出したろ?

なんて書いてたか覚えてるか?

『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。

もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。

ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。

同窓会」だと思って、もう一度エヴァに向かったんだよ。

序は良かったよ。

あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。

破も良かったよ。

中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後シンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。

同窓会」は大盛り上がりだ。

なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。

から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。

口を揃えてあいつら「ハルヒ」って言いやがるんだ。

もちろん俺も好きだったよ。

良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。

ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?

ムカついたんだろ?

ガイナエヴァ権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?

今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。

どうにもならないのを責め立てられてる可哀想自分

なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。

Qからきちんと伝わってきたよ。

お前、鬱だったんだな。

つのまにか同窓会葬式へと変わってたよ。

そしてシンだ。

ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構エヴァオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。

作中のシンジ言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。

しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。

でもな「卒業式」なんかしなくてももうみんな卒業してんだよ。

虚構現実の違いなんてみんな分かってんだよ。

現実を生きてきたんだよ。

そうじゃなかったのはお前だけだ。

エヴァ監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァ呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。

卒業できてなかったのは庵野、お前だけだ。

お前だけだよ、未だにキャラクターキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。

昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?

庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。

最後にモヨコ=マリと一緒に駆け出していくところもそうだ。

みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?

そんなにフラれたのがムカついたのか?

まぁもうどうしようもない。

今週末にはこの葬式を見に行くやつも大勢増えることだろうよ。

せいぜいこの葬式が派手に燃えてくれることを祈るしかない。

今なら人類補完計画を目指したゲンドウの気持ちが分かるよ。

anond:20151219074050

庵野よ、聞け。

お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品卒業してたんだ。

お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいエヴァ完結編があったろ?

お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分作品否定したオタク意趣返ししようとしたあの作品だよ。

お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。

アニメ漫画登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。

感情移入」はするかもしれんが、キャラクター自分だと思い込んだりはしない。

キャラクターキャラクターのまま楽しむし、キャラクター応援する。

アニメ漫画ゲームストーリー自分人生だと思うことだってない。

エンタメエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。

みんなそうやってエンタメコンテンツに向き合ってる。

「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。

その上で2006年にお前は所信表明出したろ?

なんて書いてたか覚えてるか?

『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。

もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。

ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。

同窓会」だと思って、もう一度エヴァに向かったんだよ。

序は良かったよ。

あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。

破も良かったよ。

中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後シンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。

同窓会」は大盛り上がりだ。

なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。

から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。

口を揃えてあいつら「ハルヒ」って言いやがるんだ。

もちろん俺も好きだったよ。

良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。

ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?

ムカついたんだろ?

ガイナエヴァ権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?

今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。

どうにもならないのを責め立てられてる可哀想自分

なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。

Qからきちんと伝わってきたよ。

お前、鬱だったんだな。

つのまにか同窓会葬式へと変わってたよ。

そしてシンだ。

ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構エヴァオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。

作中のシンジ言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。

しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。

でもな「卒業式」なんかしなくてももうみんな卒業してんだよ。

虚構現実の違いなんてみんな分かってんだよ。

現実を生きてきたんだよ。

そうじゃなかったのはお前だけだ。

エヴァ監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァ呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。

卒業できてなかったのは庵野、お前だけだ。

お前だけだよ、未だにキャラクターキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。

昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?

庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。

最後にモヨコ=マリと一緒に駆け出していくところもそうだ。

みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?

そんなにフラれたのがムカついたのか?

まぁもうどうしようもない。

今週末にはこの葬式を見に行くやつも大勢増えることだろうよ。

せいぜいこの葬式が派手に燃えてくれることを祈るしかない。

今なら人類補完計画を目指したゲンドウの気持ちが分かるよ。

anond:20151219074050

庵野よ、聞け。

お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品卒業してたんだ。

お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいエヴァ完結編があったろ?

お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分作品否定したオタク意趣返ししようとしたあの作品だよ。

お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。

アニメ漫画登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。

感情移入」はするかもしれんが、キャラクター自分だと思い込んだりはしない。

キャラクターキャラクターのまま楽しむし、キャラクター応援する。

アニメ漫画ゲームストーリー自分人生だと思うことだってない。

エンタメエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。

みんなそうやってエンタメコンテンツに向き合ってる。

「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。

その上で2006年にお前は所信表明出したろ?

なんて書いてたか覚えてるか?

『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。

もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。

ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。

同窓会」だと思って、もう一度エヴァに向かったんだよ。

序は良かったよ。

あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。

破も良かったよ。

中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後シンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。

同窓会」は大盛り上がりだ。

なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。

から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。

口を揃えてあいつら「ハルヒ」って言いやがるんだ。

もちろん俺も好きだったよ。

良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。

ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?

ムカついたんだろ?

ガイナエヴァ権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?

今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。

どうにもならないのを責め立てられてる可哀想自分

なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。

Qからきちんと伝わってきたよ。

お前、鬱だったんだな。

つのまにか同窓会葬式へと変わってたよ。

そしてシンだ。

ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構エヴァオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。

作中のシンジ言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。

しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。

でもな「卒業式」なんかしなくてももうみんな卒業してんだよ。

虚構現実の違いなんてみんな分かってんだよ。

現実を生きてきたんだよ。

そうじゃなかったのはお前だけだ。

エヴァ監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァ呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。

卒業できてなかったのは庵野、お前だけだ。

お前だけだよ、未だにキャラクターキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。

昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?

庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。

最後にモヨコ=マリと一緒に駆け出していくところもそうだ。

みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?

そんなにフラれたのがムカついたのか?

まぁもうどうしようもない。

今週末にはこの葬式を見に行くやつも大勢増えることだろうよ。

せいぜいこの葬式が派手に燃えてくれることを祈るしかない。

今なら人類補完計画を目指したゲンドウの気持ちが分かるよ。

2021-03-09

anond:20210309110059

続きを読むテスト

できてるかな・・・

====

  • 初号機の中に髪の長いレイがいる「碇君ごめんなさい。碇君をエヴァに乗らないでいいようにできなかった」
  • シンジ「いいんだ綾波。あとは僕がやる」

終劇

=====

2021-03-08

ネタバレだらけの『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の感想を書きたい

ネタバレだらけです

見た直後、深く考えてもいないし推敲もしない

まとまってない考察とか的外れな予想とか色々書きたい衝動やばい


エヴァ呪縛比喩

Qの時点でも若干語られていたエヴァ呪縛

いつまでも老いずにエヴァに縛られ続けているというのは――つまり、私や私に似た

前世からエヴァに縛られ続けているいつまでも14歳のまま成長せずエヴァエヴァいってるオタクに対する揶揄も多少は含まれているだろう

そのアンサーとして丁寧に丁寧にすべてのエヴァ破壊し、別れの挨拶もすませ、そして実写エンド

いつまでも虚構に浸っていないで現実に帰れってのは旧劇場版でも使われていた、一貫したテーマ

設定としてのエヴァ呪縛

ビーストモードやシン化状態など、エヴァのコアとエントリープラグが近づきすぎると起きる副作用

老いず、食物を必要とせず、原罪もつ人には立ち入れぬ浄化された赤い世界でも活動可能となるエヴァ呪縛

これは生命の実を食した、人でない、すなわち使途化しているということか?

上の続きと人類補完計画

他人が怖いからいっそ一つの生命体になる、すなわち知恵の実を食す前の、原罪を犯す前の人に戻る人類補完計画

旧劇では拒絶だったり恐怖だったり、あるいは手を握り合ったりする他人だが

大本ネタにおいて知恵の実を食した人が最初に行ったことはイチジクの葉で股間を隠すこと

まり他人認識して最初に生まれ感情羞恥心だったわけだ

(有名な話だがネルフマークイチジクの葉がモチーフだし)

アスカが劇中、裸を見られても動揺せず、ただ14年多く年を重ねた大人の余裕という表現最初は思っていたが

そうではなく、使途に近づきすぎて知恵を失い、そして最初感情羞恥」を失ったということだった

ラスト付近 シンジと向き合い恥ずかしがるシーンは煽情的であると同時に、創世記アダムとイブを思い出させた

劇場版アダムとイブと言っていたファンにたいするサービスだったのかな

ビーストモードとか首無し巨人インフィニティとか

獣になる=知恵を捨てる 首無し=知恵がない比喩

私は気づかなかったがQの時点でわかっていた人もいただろう

今まで語られなかった地球上に住む人以外の生き物

テーマではないから語られなかっただけかと思っていたが最後最後重要ファクターとなった

インフィニティ複数の人が形作っていたわけだがその中にペットと一緒にインフィニティとなった人もたくさんいたのは

ループ

明確にループしていたのは渚カヲル

劇場版記憶を持ちこしたのは碇ゲンドウ ネブカドネザルの鍵で神に近づき知りえない記憶でもみたのか

タイトル回収

やっぱいいよねタイトル回収って

エヴァ呪縛はとけたのかわからない

けど庵野監督には一生呪われた

2021-02-24

anond:20210224044409

ねぇ、フシテレビ

負債的な人間は死んじゃったほうがいい。種をたやして、最適な人間けが子孫を残す。

そうすれば、何世代もすれば 最適な人類補完計画

じっさいにやったこと。最適がある それが テレビ局の考え方。

2021-01-29

anond:20210120064042

旧劇の設定だと、人類補完計画の条件が、

使徒殲滅する

初号機とパイロットシンクロ率を上げて覚醒させる

パイロット自我を壊す

の3つだからエヴァ使徒を戦わせてシンちゃんを虐めないといけなかった。

2021-01-28

鬼滅やエヴァ主人公子どもでなければならない理由

フィクション内の設定について疑問を持っているわけではなく、なぜそのような設定(戦士子ども)で物語を描いたのか」が疑問ということなのでそこに絞って回答する。

 

エヴァ簡単イニシエーション物語から

当初の碇シンジファザコンでありエヴァに乗ることからも逃げていたが、他者と接する内に成長し、父親に認められるためではなく自分がどうしたいかという意志に基づいて行動するようになる。それは子ども大人になるということであり、エヴァンゲリオンという物語アクション要素とわけわからん用語の羅列を除けばおよそそういうイニシエーションを描くことで成立している。

また同時に、碇シンジの周囲にいる大人たちは大人に見えて対して大人ではないということも並行して描かれる。ゲンドウをはじめとしてその誰もが未成熟で、言ってしまえば幼稚な欲望に振り回されている。子ども大人になる物語でありつつ、周囲の大人もだましだまし大人をやってるにすぎないという身も蓋もなさがエヴァという物語でもある(そもそも人類補完計画からして他者が怖いか同化しようという幼稚な思想産物であるし)。

 

鬼滅は複数の要素によって成立しているので一言ではまとまらないのだがひとつ特徴的な要素を挙げるとすると「継承」になろう。竈門家は木こり家系だが、呼吸の始祖と関わりがあったため、竈門炭治郎は父祖から「日の呼吸」を受け継いでいる。それと同じように鱗滝左近からは鬼殺隊の一員として戦うための基礎と水の呼吸を、煉獄杏寿郎からは心構えを受け継いだ。そうやって受け継ぐ度に炭治郎は肉体的にも精神的にも練り上げられ強くなっていく。これが大人主人公であれば受け継ぐことができないのでそういった成長を描けない。

この「大人主人公だと受け継ぐことができない」は歴代ジャンプ大人だった主人公を補助線にするとわかりやすい。北斗の拳ケンシロウシティーハンター冴羽獠るろうに剣心緋村剣心。いずれも道を極めし者であり、子ども大人に教えてもらうような形で何かを受け継いだり成長したりすることはできない。彼らの場合は肉体的にも精神的にも練達しているがどこか欠けたところがあって、その恢復物語の主軸となる(ことが多い)。このように子ども主人公大人主人公では描ける物語が違うのである

鬼滅に話を戻すと、炭治郎たちの敵である鬼舞辻無惨は自らを天災になぞらえる怪物であり1人の人間どころか1つの時代ですら手に余る。ゆえに産屋敷家は何世代にも亘って呼吸の使い手を育ててきた。鬼舞辻無惨という怪物を倒したのは過去から現在現在から未来へと連綿と受け継がれてきた呼吸や想いであり、炭治郎たちはその連なりの終端にいただけにすぎない。つまり鬼滅は天災のような存在と、それと戦う先人から技や心構えを受け継ぎし少年少女物語だと言える。

ちなみに大正という時代設定も、人の命が現代よりはるかに軽かったがゆえに鬼殺隊のような人権無視甚だしい組織が描きやすかったというのもあろうが、大正で勝ち得た平和現代で当たり前のように享受するラストシーンを描きたかたからという面もあるだろう。それが当たり前であればあるほど忘れがちだけど、その当たり前を勝ち取るためにかつて戦った人たちがいるのだ。

 

話を簡単にまとめると、子ども大人になる過程しか描けない物語があって、鬼滅もエヴァもそういうタイプ物語だ、ということ。以上。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん