はてなキーワード: 人類補完計画とは
マリは基本的に謎だらけですが、コミック最終巻でユイと同じ研究室であることと、Qで冬月に見せられた写真にマリっぽい人がいることで、「世代としてはユイ・ゲンドウ世代」。また、シンで「式波」がクローンだったことは、「波がつく名前=クローン」を示唆していると思われるため、真希波であるマリもクローン、と考えて良いと思います。
問題は年齢ですが、綾波レイの子供バージョンが存在することを考えると、クローンの年齢は好きにいじれることになるので(仮に0歳から育てなければならないとしたら、ユイが死んだ後に作ったレイがシンジと同じ年にはならないはず)、マリはどこかのタイミングでクローンになった、と考えられます。
エンディングで何故か年を取ったマリですが、ここはもう推測ベースで、エヴァの世界を終わらせたことで止まっていた時間が流れるようになり、14歳か16歳だったマリはそこから年を取った。一方、シンジが送り出したレイやカヲル(アスカも駅のホームにいたらしい?)は人生をやり直して0歳スタートになり年齢の差が付いてしまったのではないでしょうか。レイやカヲルの年齢は遠くにいるので外観だけでははっきりしていないのですが、「線路のホームで別のところにいる」という描写が「シンジとマリとは別の世代で生きている」ということを示しているのかなと思いました。
ループについては、テレビ版では青い海が新劇場版では赤い海になっていることから、ループというより時間だけは過ぎているけれど、インパクトが起きたことで世界がやり直しになっていているのでしょう。地球はそのまま年を取っているけど、人間はその記憶がなくリセットされたので西暦とかも自分たちの記憶で使っていて、実際の西暦ではない、とか。
カヲルは第1使徒、つまりアダムという特殊な使徒なので、世界が変わっても記憶は持ち越せているのだと思います。何度も死んでいるけど記憶だけは持ち越せて、だから死ぬのも恐くない?
冬月先生の行動は推測でしかありませんが、ゲンドウ同様ユイが好きだったことは判明しているので、ゲンドウにつきあってユイに会える人類補完計画を応援してたけどどこかで悪いことしているという自覚があり、最後はゲンドウの味方もしつつ自分の心に従ったのでは。
アスカのシーンも2枚会ったの自分が確認できてなかったのでこれもスキップで。
惣流はテレビ版で死んで、式波は波シリーズでクローン、なんだとおもいます。
アスカは破で使徒化してしまい、中から出てきたのはあれを取り出すことで使徒化できたので、使徒化を抑える存在だと思います。
加持さんはまったく描かれてないので今後のスピンアウトに期待。破の最後に出てきたQ予告が実際には予告じゃなくて、破とQの間の14年間を表現しているようです。司令服のカヲルくんとか、山に登ってるゲンドウと冬月とかいるので。
わかるか?何でお前が「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を否定しているか、俺が教えてやる。お前は単に嫉妬してるだけ、ルサンチマンを抱いているだけだ。否定の対象をシン・エヴァに向けてるが、それはお前の人生が満たされていないことの裏返しなんだよ。
※以下、シン・エヴァのネタバレを含むからよ、観てない人は閉じてくれていい。
何でお前がシン・エヴァに否定的か、それはお前の潜在意識、深層心理にある。
戦闘シーンがどうのこうの、展開がどうのこうの、難癖付けて講釈を垂れてるが、その嫌悪感や納得できないという感情の端緒は、ラストシーンにある。
端緒なんだけどラストシーンなんだよ。
すなわち旧劇の人類補完計画後の世界の変わりに提示された、別の理想の世界だからだ。
どうだった?旧劇と違ってたよな。
人類補完計画は行われず、宇部興産に就職したシンジが、マリとイチャイチャしてたよな。
この世界のシンジは、お前に持ってないもの、全て持ってるだろ?
いい仕事といい女、どちらもお前は持ってない。
よくありそうな現実。
だけどお前にとっては現実ではなく、むしろ実現が非常に難しい、フィクションに近い世界。
いい仕事にもありつけず、安月給をちまちま貯め、たまに風俗に行って憂さを晴らす日々。
「シン・エヴァで氷河期世代は救われない」https://anond.hatelabo.jp/20210309164507 と誰かが言ったが、その通りよ。
誰もが皆、シンジのようにいい仕事とパートナーを得られるとは限らない。
現実はシンジが作った新世紀と全く違うほど、残酷な日々だということを。
ラストシーンの新世紀の映像に、お前のような輩は、写ってたか?
安物のB〇arのダウンジャケットを着て、一人とぼとぼホームを歩くオッサンは写っていたか?
秋葉原で買ったアニメ絵がプリントされた紙袋を両手に、汗臭いネルシャツ着たデブは写っていたか?
競馬新聞とワンカップ片手に短波ラジオ聴いてるオッサンはいたか?
不摂生もしくは貧乏で、歯が抜けても直さず、活舌の悪いオッサンはいたか?
頭からフケが落ち、スーツの肩の部分に粉ふいてるオッサンはいたか?
写ってないよな?俺は観なかったぞ。
だからお前の人生は「新世紀には存在しないものとして扱われた」「写す価値のないものとして省略された」ということだ。
だけどお前の人生は続く。
提示された新世紀とは全く違う、いい仕事もいい女もいない、無為で、非生産的で感動が希薄な日々。
こんなことなら…もう…そうだよな。
人生を悲観したことだって、一度や二度ではなく、たぶん人並みよりも多いだろうよ。
人と人との境目がなくなり、単一の生命体になることは、格差がなくなるということ。
愛する対象とも一つになれる。
そういうシーン、旧劇にあったよな。
誰からも愛されないキモくて金のないオッサンでも、人類補完計画後の世界では、愛する人と一つになることができる。
だけどシン・エヴァでネオン・ジェネシスされた人と人の境目がある世界においては、キモくて金のないオッサンは、ただただ孤独な日々を死ぬまで続けて、風呂場で汁になって腐乱死体で発見されるのが関の山だ。
エヴァのクオリティとかではなく、本当は、お前の内面や日常の問題なんだよ。
作品批判で悦に浸り、閲覧数を稼いで、ちっぽけな自尊心を満たした。
それでいいのか?これ読んで目が覚めたか?
シンジは言ったよな。
お前はやってみたのか?
今までの人生で、何かをやってみるという生産的な営み、行動力のある実践、大してやってきてないはずだ。
その帰結が、今の、キモくて金のない残酷なオッサンの日常なんだよ。
自己責任論を言ってるわけではないぞ。
生まれ育った環境の違いや社会の状況も、成功の可否に影響することだってあるよな。
だけど、自分の人生を棚に上げ、あーだーこーだと作品批判、カッコ悪いだろうが。
何でもいいから、お前が生きていたという人生の爪痕、人や社会に迷惑をかけること以外で。
他の人の感想読んだりもした。
大前提として。
作家性が出るのはアニメだけじゃなく、絵画や音楽、小説、家具、庭、すべての創作物に当てはまることを声を大にして言っておきたい。
エヴァシリーズでこれほど考察や感想に「庵野」という男が出てくるのはその作家性の強さがとても強いからだ。彼が手掛けてきた作品の中でも、エヴァシリーズはより強く反映された作品だからだ。
作家性の強さは作品作りの良し悪しには特に影響を受けず、受け取り側の好みの問題であることを前提としたい。
・冒頭の「これまでのエヴァンゲリオン」良かった。欲しいシーン全部乗ってた。
・トウジは死んだと思い込んでたので出てきた時びっくりした。
・「委員長や。」あら^〜
・限られた食料、自給自足していかないといけないような村で外部から来た人達を嫌わないの凄いな。
・ヨモコさんの絵本出てきてフフフてなった。
・アヤナミが目の前で消えても一人できちんと、自分の足で立ち続けたシンジくん。
・「もう一度エヴァに乗る。」
・↑もう一度作品を作って終わらせる庵野を彷彿とさせる。良い。
・「ここに居てもええんやで?」「僕は行くよ」
・所謂、イマドキデザインのミサトさん。(前髪が1房顔の真ん中に伸びてる)
・みんなはアクション、戦闘の絵作り最悪って言ってたけどそうかな…
・大量のインフィニティ。レンダリングどれくらいかかるんだろう…。圧倒的な数で不気味演出最高。
・脳みそ拾っとる。撃たれても死なないのにわざわざ拾っとる…。
・目が無い。不気味さと何かから目を背ける(直視できない、したくないみたいなニュアンス。)デザインとしては最高の出来。ブラボー。
・ゲンドウはネブカドネザルの鍵でアニメの人類補完計画、旧劇の人類補完計画を認知した。所謂ループもの。
・ミドリちゃんサクラちゃんブチギレ。ミサトさん撃たれて負傷する。
・シンジくんはこれから父親と向き合うのでまだ心身共に子供。大人として責任を取る姿勢のミサトさん。
・ゲンドウ、エヴァ(13号機)に乗れたのが嬉しすぎて量子テレポート(^ω^ ≡ ^ω^)
・マリ、冬月と再開。漫画版と同じ設定でエヴァの呪縛を受けた冬月研究室の一人。
・イスカリオテのマリア。研究室を裏切った、クローン技術の発端者。
・初号機から綾波。14年間、シンジがエヴァに乗らなくても良いようにそこにいた。
・先のシーン、アスカがマリに髪を切ってもらっているシーンと対比。
・人である証拠に髪は伸びていく。綾波は髪がモサモサに。かわいい…。何故か勝手に、綾波はクローンだから髪は伸びないと思い込んでいた。
・アスカもクローンだった。迎え撃つのはオリジナルのアスカ。(アニメ版?)
・ヴィレの槍を作るためにリツコに無茶振りをするミサトさん。さらに作業員へ無茶振りするリツコさん。怖い組織だ…。
・ヴィレをマイナス宇宙に突っ込ませる。ミサトさんはヘアゴムを解いて以前のヘアデザインに。
・人と目を合わせないようにかけていたゴーグルを外して、髪型を戻し、まっすぐ前を見るミサトさん。原点回帰。良い。
・槍でやり合う碇親子。
・モーションキャプチャ登場。初号機と13号機がヌルヌル動く。違和感あるけど人造人間なのでこんな動きしててもおかしくないよな…と思う。
・メタ的な現実とエヴァの背景を行き来しながら決着をつけようとする親子。このあたりから庵野からのメッセージがより強くなる。
・メタ的な現実の意味でもエヴァの世界観でも、エヴァンゲリオンを終わらせようと躍起になるシンジ(庵野)。
・個人的メモ(鬱々としてる時って実は気持ちがいい。居心地が良い。)
・大人になろうとするシンジを見てやり合うのをやめて対話する。
・自らの非を認めることで初号機に取り込まれていたユイとゲンドウが再開。
・乗っていた電車から降りる。庵野監督作品の電車って演出的に結構特殊。
・カオルくんがリアリティーで立ち直ったんだねと悟る。
・個人的メモ(立ち直ったと言うのは簡単でも実際根っから立ちなおるのは結構大変。)
・旧劇のラストシーンに出てくる海辺でアスカが横たわる。あの背景見たときヒュッってなった
・エヴァの呪縛から開放されて28歳。ちょっと色っぽくなる。好き。めっちゃ好き。
・好きだったことを告白される。キモチワルイとか言わなくて良かった…ほんと良かった…。
・一足先に精神的に大人になっていたアスカ。シンジのことは好きだったけど、ムカつくし嫌いになったしキモチワルイ。その間にケンスケが良いパートナーとしてアスカを支えた。
・自己愛のメタファー的存在カオルくんも還る。アァーーーッ司令服似合ってる似合ってる似合ってるありがとーーーーーー!!
・初号機で槍を自身に貫く時、ユイと再開。初めてユイと目が合う。
・Qまで、シンジくんはあまり人と目を合わせなかった。Qは合わせようと思ってもみんな目を合わせてくれなかった(ミサトさんのゴーグル然り)。シンは立ち直ってから色々なものと目を合わせた。
・アニメゲンドウは人と関わりたくないのでサングラスをして視線を反らしていた。シンでは現実逃避の末人間を辞めてしまったので目がなくなっていた。マジで最高のデザイン。
・エヴァは過去のものになった訳ではなく、イマジナリになったっぽい。無かったこと?
・なので海が青くなる。
・迎えに来たマリはシンジと共にマイナス宇宙から帰る。アスカは海辺で大人になってたけどマリはまだっぽい?
・また電車。実際、演出の話で言うと電車はすごく便利だし、思入れのある監督はとても多い。電車演出はどんな使われ方されていても私はかなり好きな演出方法だと思う。
・まさかの神木隆之介くんが大人シンジ。良かった。違和感ない。
・DSSチョーカーを外されて、本当にエヴァとはさようなら。DSSチョーカーは案外あっけなく外れる。
・シンジの手を引くマリ。マリは信じの匂いをいい匂いと感じていたのでシンジとすぐ打ち解けられた。
・個人的メモ(フェロモンに関係する。いい匂いだと感じる人の事を好きになる。)
・宇部新川駅。庵野監督のお地元。現実を駆けていくふたり。庵野監督とヨモコ先生。
思っていたよりゲンドウが喋ってくれて、ゲンドウはユイと共に居れて、シンジは現実でマリと共に過ごしていく。これ以上無いくらいきれいに終わった。すごく良かった。
あとエヴァの完結を(心のどこかで)待っていた私達。
シン・エヴァンゲリオンのタイトルに反復記号がついていて庵野監督的には誰かにやってほしかったんじゃないかと笑ってはいる。
委員長の「さようならはまた会うためのおまじない」っていうのは個人的にあまりキャラクター的にしっくり来なくてメタ的な信用はしてない(苦笑)
良いなーーーーー自分の苦境をこんなクソデカ作品にできるのはすごく羨ましい。
ヨモコ先生が庵野監督に付き添って尽力した結果も、それまでに培ってきた庵野監督の人望や行ないだからこそでしょ。
私はこの二人が大好きなので、見ず知らずの人が作り出した理解のある彼くんなんていい方絶対出来ない。
怒ってる。
最後に。
学生時代、アニメ・漫画や映画などで演出を教えてくださったぬまた先生に感謝します。
【ネタバレへの注意】
「=====」で「続きを読む」という表示をだすはてな記法も増田じゃ使えないみたいだし。
とりあえずそこで困ったという文章を書いて字数を稼いでおけば多少はマシになるだろう
【ネタバレ開始】
今までになくとてもわかりやすく、不快感がなく、気持ちよさが残るエヴァだった。
ゲンドウが庵野監督を象徴してるのはわりと異論なく解釈されてるところだろう。
ならばシン・エヴァンゲリオンは
生まれたのがエヴァというアニメ(シンジ)で、たくさんの悪影響(ニアサードインパクト)や
悪影響をうけたファン(インフィニティのなりそこない)をうんでしまったけど、
庵野監督が時を経て成熟したエヴァというアニメと関係を結び直せた結果、
ちゃゃんと原点から自省してガンダム(神)とかみたいになることを
断念してエヴァという膨れ上がったカルト神話をきっちり解体して畳むことができました」
ほかをあてはめていくと
ゼーレ版の人類補完計画がエヴァを商業的に成功し続ける作品にしようという方向性
ゲンドウ版の人類補完計画がエヴァをカルト神話的であり続けて、ファンを呪縛しつづけることで進化させようという方向性
(富野由悠季監督がニュータイプという概念を視聴者に押し付けるような)
アヤナミ(仮)は多分パチンコなどIP利用(お年寄りにも触れられたという点で)
アスカはエヴァで実現したかったものの象徴みたいなもの?みたいな感じになるだろうか
オトシマエをつけるために振り返った結果、宇部新川駅から旅立ったあたりから駄目だったねという身も蓋もない自省が展開されるのだけど
不思議と説教臭さも不快さもないどころか、謎の爽快感まで発生している。
それは、ユイがアニメ文化の象徴であり「庵野監督のアニメに対する夢や野望」だったと解釈すれば
かつて憧れてキラキラ輝き続けるガンダムなどの数々の作品のように「自分の作品よ、神話になれ」とにするのを諦めて
実際、今の庵野監督にとってエヴァを稼げる商品にし続けることも
この内容で不快感を発生させない圧倒的な力量とクオリティーをみても明らかだが
あえてそれをせず、全力でエヴァを終わらせるのは清々しさがある
こじれた人間が間違いで作ってしまった程度のものなのだと解体しきっても
現実にエヴァはリアル世界に良かれ悪かれ様々な影響を残してる。
ゲンドウがシンジ(エヴァという作品)のなかにユイ(アニメへの夢)を再び見出し、
最後にユイ(アニメ文化)がシンジ(エヴァという作品)の身代わりになって出発を祝福する。
エヴァンゲリオンは全体のストーリーが最初は皆川亮二のスプリガンなんですが途中からナディアになって最終的にトップをねらえ2になってんだよね
あんまし内容は練りこまれてないけどアニメとして絵が魅せるので気にならないといえばならない
その人気の人間描写なんだけど人間の観察とかがすごいんじゃないくて庵野氏の実体験を描写してるだけなんだけど表現としてはそれも十分にすごいね
アスカがのり子でノリコで法子だったところからいきなり恥も尊厳もなく覆い隠すように苗字を変えてみたり奥さんが世界をつなぐアンバサダーのようにマリにしたり
地球に飛来したなぞの父と母がイマジナリーで親不在の孤独な監督が恋に落ちたけど世界に認められなくてからのいろんな変遷を経てからのあのなんか
不真面目めがねキャラとゴールインしましたみたいな自叙伝たるや昭和の漫画家が売れてないときに女子アシスタントといい仲になっていく短編がいくつか
あったのを思い出させるよね
みやむーでうまくそういうものだってしてるけどあの本当に隠滅すべき過去を流布されてる事実でごまかすのは諜報活動的ですごい
最後にトップをねらえに回帰してくるところでああこの監督快感物質ここでたれながしてるなーってすごく感じれてきもちよかった
犬の扱いの適当さもすごい ビーグルだったらもう笑い声がすごかっただろうね
猫のかわいがりもすごいというかあの猫が次の世代を紡いでいくあれだけがエヴァンゲリオンしてたっていってもおかしくないよね
人類補完計画っていう自分以外みんな死んでしまえってくらい恨んでたあの庵野氏がマリ一人でここまで人間再生できるんだってドラマすごかった
今までは「今更追いかけてもなぁ…」と思っていたのだけど、シンエヴァにはアラフォーオタクも満足という感想を聞いて今更でも気になってきて、時間があったのもあり、新劇場版、TV版、旧劇場版と一気見した。
新劇場版は、今までみんなが言っていたネタの意味が分かったって感じ。
ミサトさんすげー、人類の運命決める作戦を判断してさらに14歳のメンタルケアもするとか自分だったら絶対やだ、とか思っちゃうのが歳とったなと思う。
TV版面白かった。テレビ版と新劇場版で途中から話が違ってることも知らなかった。
途中の映画じゃ飛ばされてる普通のアニメっぽい話も面白いし、最終話の「おめでとう」も(ここだけ大昔に見た事あったんだけど)今見ても面白い映像演出だし、突然抽象的哲学的になった訳じゃなくて、人類補完計画で人間同士の境界がなくなった状態を表してるって流れならなるほどと思った。
映画版だと全然出番ないじゃんと思ってたアスカもTV版だとちゃんと丁寧に描かれてる。
ただ、TV版の加持さんはちょっと気持ち悪かった。多分25年前なら許された男のマッチョ感が今みると気持ち悪いのだな。
あとみんな親子のつながりが強調されすぎるのも気持ち悪かった。
まどマギとかその後のアニメがエヴァに影響受けてああなったんだなぁと思うところも多々あって興味深かった。
今更でも観て損はなかった。
10代や20代前半に観ていたらまたもっと違うことを思っただろうし、時間をかけてアレコレと考察するのも楽しかっただろうな。でもこの歳で初見ってのもなかなかいい体験だったかも。
このままの勢いでシンエヴァを観たいような、逆に勿体ぶって寝かせてみたいような気持ち。エヴァファンはこんな気持ちを25年ずっと経験してたのか。いい人生だなぁ。
オタク趣味の権化みたいな庵野秀明氏の作り出したエヴァンゲリオン。
元々のオタクとはどんなものかというと、まず漫画、アニメや特撮ものが大好きで、SFが大好き。
つまり、リアルをあまり受け入れたくない人たちの集合である、と私は思っている。
今とは違うが、二十年以上前、20世紀の間は、アニメオタクというのは明らかに差別されていた。
かくいう私は、そんなにオタクではなかったが、ちょっとでもアニメの話をしようものなら、友人に「虹オタ」とバカにされた。
ちなみに私は富野派ではなく高橋良輔派であり、ボトムズに一生添い遂げる気分である。すぐ「むせる」とか言ってくる輩はボトムズをバカにしてると思う。ボトムズこそ真の神話・伝説アニメである。
だから、わかる人にはわかると思うが、エヴァンゲリオンは最初は好かんかった。
要するに、アニメ的に女々しいからだ(女々しいという言葉自体最近は躊躇われるが、単純にアニメ女という色が好かんというだけである)。
男っぽいアニメだからボトムズが好きなのではない、媚びてないから好きだったのである。
レイ、アスカ、ミサト、リツコ、マヤ、マリ(は新劇場版だけど)などの女性キャラは、明らかにありとあらゆる一般的オタクを取り込もうとするイカガワシイものに写った。
なので、ボトムズ派でエヴァ好きには悪いが、真のボトムズ派であった私はエヴァなど毛嫌いしていたし、虹オタと呼ばれるのも嫌だったから決して近づかなかったのである。
でも、あれだけ20世紀の終わりに大ヒットを飛ばしているのを横目にしていると、どうしたって気にはなっていた。
そして時は過ぎ、世間ではあんまり誰もエヴァを言わなくなった頃、蔦屋でDVDレンタル半額セール開催中とポスターを見て、半額ならいいかとTV版エヴァのDVDを全部借りて一気見したのである。
負けた、と思いましたね。
大勢の人がいろんな事を言いますが、私は単純に「とても面白かった」のです。当然ですが、25・26話の非難殺到話だって、私の時期には既にAIRが出てましたので問題ありませんでした。
ロンギヌスの槍がどうとか、ゼーレだの、ガフの扉だの、人類補完計画だの、何がなんやらさっぱりわかりませんでしたが、何度も何度も繰り返し見ることになってしまいました。
個人的には、自分自身の父との関係と、シンジとゲンドウの関係がなんとなく似ていて、共感を感じる部分もありました。
まぁでもそんなに深く考えずに、とにかく面白いと、ハマったのですけど、やはり色々と意味がわからない点が多く、本やネットを調べ始めていたのですが、謎解きはそれなりに興味深いのですが、ある頃から非常に気になる名詞が頻発することに気がつきました。そうです……
庵野はこう考えている、庵野が言いたいのはこういうことだ、庵野の人生観が、庵野はすごい、庵野は……
やたらと、「庵野」とばかり目につくわけです。
ボトムズ命の私にとって、実際、高橋良輔は素晴らしいとは思っていますが、高橋氏の考えなど正直どうでもいいのです。
これはガンダムでもそうだった、富野などどうでもいい。気になるのは、ボトムズならキリコであり、ガンダムならシャアであり、ランバ・ラルであり、セイラさんだ。
この理由の根源は、謎が多過ぎたからであり、相当考えない事には細かいストーリーの意味がわからないからであり、結局そこで「庵野は何を考えているのか」に帰結させざるを得ないからでしょう。
それはわかるとしても、これが正直、私にとっては非常に鬱陶しい。
私はただただ単純にエヴァンゲリオンを楽しみたいだけです。どうでもいいのです、庵野など。
今回の新劇場版だって、存分に楽しみましたが、意味がやはりわからないので、Qとかになると頭の悪い私などはネットで調べたりせざるを得なくなるわけです。
そして、シン・エヴァンゲリオン鑑賞。
正直、noteやブログ記事は鬱陶しいのレベルを遥かに超えて「庵野」祭り状態。なんなんでしょう?
今回もまた、映画館で存分にエヴァを楽しみましたが、やっぱ気になるじゃないですか、世間の評価ってどんなもんなんだろうって。
でも見たら「庵野」だらけ。
もっとも、私も絶賛というわけではありません。
一番つまらなかったのは、エヴァなどの動かし方が下手すぎる、という事でした。
AIRで見た弍号機のあの素晴らしい動きはシン・エヴァには影も形もありません。破まではあったのに、Q以降は全然ダメですね。
なのに、例えば「庵野は変わった」とか「庵野は間違いなく震災に影響を受けた」とか「庵野も歳取った」とか「結婚したからつまらなくなった」とか「会社を背負うようになって保守的になった」とか「また庵野のオナニーか」などなど、一体なんなんだ? と思うばかりの「庵野」だらけ。
わかるよ。君たちは自分でエヴァアニメ作れないもんだから、庵野さんに託したんだ、きっと。庵野さんならきっと自分を満足させてくれる、と。
ところが、その期待が過剰になり過ぎて、シンジがかつて叫んだように「ボクを裏切ったんだ!」と思うくらいに思い込みが強烈になり過ぎたのでしょう。
別にいいけどさ、映画だけを純粋に楽しまんのん? とどうしても思ってしまう。
だったら、自分で書けよ、出来んくせに。
シン・エヴァンゲリオン。どうやら相当世間を賑わせているらしい。
私も先日鑑賞した。その感想は……はっきり言って、物足りない。
何故ならば、庵野秀明の攻撃性が、作品からあまり感じ取れなかったからだ。
ある時は、「そんなに1人でうじうじ悩んで、勝手に決めつけて、気持ち悪い」と一蹴し
またある時は、「何時までもエヴァンゲリオンに齧り付いてるんじゃねーよ!」と叱責された。
私は作品を通して、庵野秀明からのメッセージを過剰なまでに深読みし、勝手に殴られて勝手に死にかけていた。それが私の「エヴァンゲリオン」の楽しみ方だった。
逃れられない現実を突きつけられるような演出の数々は、私のマゾヒズムを的確に刺激してくれた。
今回の「シン」も、もちろん庵野秀明に殴られる為に劇場へと足を運んだのだ。
「シン」はどんな手で私を弄んでくれるのだろうか。
しかし実際に画面へ映し出されたのは、
牧歌的な風景。Qと変わらない描写。極めつけに旧劇場版を薄めた二番煎じ。
それは主体となっている人物が碇シンジではないからだ、というのは重々承知している。
しかしそれでは物足りないのだ。
私の求めた「エヴァンゲリオン」は、答えを探して堂々巡りをし続け、答えの先に絶望を与えてくれた。
私が外に出ない理由をくれた。
これらがまぜこぜになって出来上がった「エヴァンゲリオン」が、好きだった。
「まさかエヴァンゲリオンをこんな爽やかに終えられるわけがないだろう」
そう思いながら鑑賞した。
それは思い違いだった。トウジ達だけじゃない。庵野秀明も成長していたのだ。
成長していなかったのは、私だけ。
当然だが。
そんな私を「エヴァンゲリオン」から解放する為の作品を、庵野秀明は作り上げたのだ。
違うんだ。「エヴァンゲリオン」という女王様から放たれる、一級品の鞭さばきを私はその身に受けたかった。そしてそのまま意識を失ってしまったなら、それはどんなに素晴らしい事だろう。
今作は、デコピンを額に受ける程度の威力しか秘められていない。
私を快楽へと導いてくれたエヴァンゲリオンは、一体どこへ行ってしまったんだ。
ユイ(故人)がーとか人類補完計画がーとかずっと現実を見ていなかった(エヴァの世界の中で生きていた)
一方ヴィレ側は守るべき人たちがいたり、第三村の人たちもニアサーを起こしたシンジに対して家族を返してとほぼ言わず(ピンク頭やトウジの妹も最後は受け入れた)、ニアサー後の世界で生きていくことを受け入れていた。
そして最後、現実を見ていないゲンドウは救われず(自分の弱さと向き合い、息子と向き合った=現実を見た結果ユイに少し会えたけど)、愚直に現実を受け入れ、人類を信じて生きた人達には新世紀という奇跡が起きた。
いぇ〜い👏
〜正体がわかった後もやっぱイケメンだった〜
正体はヴィレの司令だったのかな?
真の目的は人類補完計画で生命が死滅(統合)される前に、種を地球から逃すこと。
想像以上に規模のデカい男(そもそも使徒だけど)だった、でもシンジ君は変わらず好き❤️
なのに、それに気づきシンジの独り立ちを見た途端に切り替えられる余裕、素敵。
〜お子さん、素直に育っていますよ〜
暗躍するカヲル君を支え続けた右腕。
自分の命を賭してニアサードを止めたヴィレの精神的リーダー(ニアサードを止めたのってカヲル君の槍じゃなかったっけ?よくわからん)
なんかよくわからん奴が二位になれるのがエヴァのいいところって事でいいかな?(正直いちいち書くのがめんどい)
奇跡の起きた後の世界(新世紀)ではカヲル君と土いじりするっぽい。
〜ちゃんと服を着せなさい〜
シンジ、アスカと絶妙な距離感を取りつつ確実に支えになっていた。
一生懸命生きているのにあの余裕、あの距離の取り方、アスカも好きになるよ。
シンジのことをガキ呼ばわりしてたけど、素直になれなかったアスカもやっぱ子供だね、と再認識させてくれる存在。
〜お父さんは強い〜
赤ちゃんのほっぺた触りたい👶
〜もうウジウジなんてしないよ〜
エヴァファンを救ったと同時に現実という絶望へ叩き落としたこの物語の主人公。
ポストアポカリプスな集落(通称農村)で相変わらずウジウジしていたが、地獄のような世界で精一杯生きている人たち、かつての同級生、タイムリミットがあることを知っていながら懸命に生きて最後魂を手に入れたそっくりさんのおかげで成長し、大人になった、なってしまった。
(関係ないけど最後、アナザーインパクトの爆心地でアダムスの器にそっくりさんの魂がちゃんと宿っていることがわかる描写は良かったね)
20数年でようやく世界とみんなを救うことができて良かったね、と思いつつ、以下のように叫んでいる自分もいる。
「お前が大人になったら終わっちゃうじゃないか!」(カツマタ君状態のファン心の叫び)
あと、やっぱ最後はおっぱいの大きさだよね!わかる!わかるよ!
第六位 冬月コウゾウ
ゲンドウよりおじいちゃんだけど、実質ゲンドウのヘルパーさん役だった男。
みんなしょんべん臭いゲンドウから離れていった中、最後まで付き添ってあげた男。
ゲンドウはユイのことしか考えてなかったけど、冬月の愛というか憐れみの心もなかなかすごかったと思う。
当初はユイに会いたいという共通の目的があったと思うが、割と早い段階からこの惨めな男(ゲンドウ)に付き合ってやろうというヘルパー魂が冬月を突き動かしていたと思う。
〜ユイはずっと側にいたのに…〜
第七位 碇ゲンドウ
本作唯一の子供。みんなが成長して真面目に生きている中ずっと厨二ワードを並べまくったフォーエバー厨二。
厨二ワードで自分を守りながら、惨めで寂しい男だった自分を隠し続けていた。
でも、あんなに惨めな姿を最後によく観客の前で晒すことができました!
他にも委員長のお父さんとかヴンダーの操舵士?とか若い男三人衆とかいろいろいたけど省略!
庵野の分身としてのゲンドウとかそういう話もできると思うけど、とりあえずこのテンションで語るのがこの作品には正しい気がする。
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
キャラクターはキャラクターのまま楽しむし、キャラクターを応援する。
アニメや漫画、ゲームのストーリーを自分の人生だと思うことだってない。
エンタメはエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。
「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。
なんて書いてたか覚えてるか?
『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。
ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
そんなにフラれたのがムカついたのか?
まぁもうどうしようもない。
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
キャラクターはキャラクターのまま楽しむし、キャラクターを応援する。
アニメや漫画、ゲームのストーリーを自分の人生だと思うことだってない。
エンタメはエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。
「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。
なんて書いてたか覚えてるか?
『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。
ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
そんなにフラれたのがムカついたのか?
まぁもうどうしようもない。
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
キャラクターはキャラクターのまま楽しむし、キャラクターを応援する。
アニメや漫画、ゲームのストーリーを自分の人生だと思うことだってない。
エンタメはエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。
「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。
なんて書いてたか覚えてるか?
『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
良い同窓会になるって本気で思ってたんだ。
ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
ムカついたんだろ?
ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
今まで一人のキャラクターだったシンジにまたお前が乗り移ったのをQで見たよ。
なにをしてもうまくいかないと厭世的になってる。
Qからきちんと伝わってきたよ。
お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
作中のシンジの言葉を借りるならば「落とし前」をつけるべく「卒業式」をやろうとした。
しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
昔好きだった女の宮村=アスカを、作中のオタクだったケンスケに渡したのは俺たちへのご褒美のつもりだったのか?
庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
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まぁもうどうしようもない。
庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
キャラクターはキャラクターのまま楽しむし、キャラクターを応援する。
アニメや漫画、ゲームのストーリーを自分の人生だと思うことだってない。
エンタメはエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。
「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。
なんて書いてたか覚えてるか?
『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
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ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
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ガイナとエヴァの権利関係で揉めて、「エヴァンゲリオンがあるからダメなんだ」と思ったんだろ?
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お前、鬱だったんだな。
そしてシンだ。
嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
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しかも二度と戻ってくる気力が湧かないように全部を瓦礫に戻して。
現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
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庵野=シンジが昔好きだった宮村=アスカに「好きだった」って言うところなんか気持ち悪くて泣きそうだったぞ。
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庵野よ、聞け。
お前は「卒業式」をやってるつもりだったんだろうが、みんなはとっくに『新世紀エヴァンゲリオン』なんて作品は卒業してたんだ。
お前が作ったあのどうしようもない投げっぱなしの『Air/まごころを、君に』とかいうエヴァ完結編があったろ?
お前が宮村にフられたからってアスカをズタボロにしたり、自分の作品を否定したオタクへ意趣返ししようとしたあの作品だよ。
お前があの映画でみんなに伝えた「現実に還れ」というメッセージはきちんと俺たちに伝わったよ。
アニメや漫画の登場人物たちに「自己投影」することは無くなった。
「感情移入」はするかもしれんが、キャラクターを自分だと思い込んだりはしない。
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エンタメはエンタメだって、作り物だってそれを分かった上で楽しんでる。
「まるで自分が描かれているようだ!」と錯覚したお前の素晴らしいエヴァからそうやってみんな卒業していったんだ。
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『誰もが楽しめるエンターテイメント映像』を目指すって書いてたんだ。
もう卒業したエヴァだったけれども、お前の私小説じゃないエンタメ作品としてのエヴァが見られるかもと思ってワクワクしたよ。
ついでに終わって8年かそのくらい経って久しぶりに語りたくなったのもあったよ。
序は良かったよ。
あの時の映像を今風にするとこうなるのかーって素直に感心した。
破も良かったよ。
中盤まで第十二使徒以降暗くなった本編をエンタメに寄せるとこうなるのかと感心して、最後のシンジが決意を決めるところはEOE以降なんどもシンジがそうなる二次創作を書いてきた俺には報われたような気持ちになったよ。
「同窓会」は大盛り上がりだ。
なんでか知らんがそこから入ってきた奴らに得意げに昔のお前の投げっぱなしを語ったりしたよ。あの投げっぱなしも良い思い出になってたんだ。
昔から見てたやつらは、エヴァの後にハマったのは何か?で大盛り上がりしたよ。
もちろん俺も好きだったよ。
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ゴジラだ、ウルトラマンだと好きな道で遊べそうなのに「早くエヴァを作れ」と言うオタクが嫌だったんだろ?嫌いだったんだろ?
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嫁ちゃんという現実に救われたお前にとって、虚構のエヴァでオタクを縛ってしまったのを申し訳なく思った。
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現実を生きてきたんだよ。
そうじゃなかったのはお前だけだ。
エヴァの監督と紹介されることが多かったからなのか、エヴァ以上を作れなかったからなのか「エヴァの呪縛」に苦しんでたのはお前だけだ。
お前だけだよ、未だにキャラクターをキャラクターと思えずに自分や誰かのアバターだと思ってるのは。
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みんな幸せにしてたラストの駅のシーン、アスカだけ一人だったのは離婚してる宮村への当て擦りか?
そんなにフラれたのがムカついたのか?
まぁもうどうしようもない。
できてるかな・・・
====
終劇
=====
ネタバレだらけです
見た直後、深く考えてもいないし推敲もしない
まとまってない考察とか的外れな予想とか色々書きたい衝動がやばい
いつまでも老いずにエヴァに縛られ続けているというのは――つまり、私や私に似た
前世紀からエヴァに縛られ続けているいつまでも14歳のまま成長せずエヴァエヴァいってるオタクに対する揶揄も多少は含まれているだろう
そのアンサーとして丁寧に丁寧にすべてのエヴァを破壊し、別れの挨拶もすませ、そして実写エンド
いつまでも虚構に浸っていないで現実に帰れってのは旧劇場版でも使われていた、一貫したテーマだ
ビーストモードやシン化状態など、エヴァのコアとエントリープラグが近づきすぎると起きる副作用
老いず、食物を必要とせず、原罪をもつ人には立ち入れぬ浄化された赤い世界でも活動が可能となるエヴァの呪縛
これは生命の実を食した、人でない、すなわち使途化しているということか?
他人が怖いからいっそ一つの生命体になる、すなわち知恵の実を食す前の、原罪を犯す前の人に戻る人類補完計画
旧劇では拒絶だったり恐怖だったり、あるいは手を握り合ったりする他人だが
大本のネタにおいて知恵の実を食した人が最初に行ったことはイチジクの葉で股間を隠すこと
アスカが劇中、裸を見られても動揺せず、ただ14年多く年を重ねた大人の余裕という表現と最初は思っていたが
そうではなく、使途に近づきすぎて知恵を失い、そして最初の感情「羞恥」を失ったということだった
ラスト付近 シンジと向き合い恥ずかしがるシーンは煽情的であると同時に、創世記のアダムとイブを思い出させた
旧劇場版でアダムとイブと言っていたファンにたいするサービスだったのかな
獣になる=知恵を捨てる 首無し=知恵がない比喩
私は気づかなかったがQの時点でわかっていた人もいただろう
テーマではないから語られなかっただけかと思っていたが最後の最後に重要なファクターとなった
インフィニティは複数の人が形作っていたわけだがその中にペットと一緒にインフィニティとなった人もたくさんいたのは
旧劇場版の記憶を持ちこしたのは碇ゲンドウ ネブカドネザルの鍵で神に近づき知りえない記憶でもみたのか
やっぱいいよねタイトル回収って
鬼滅の刃やエヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士が子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。
と友人に話したら、「エヴァは知らんけど、鬼滅は少年ジャンプで連載してたからでは?」と言われて話が終わった。— 麦ふみ (@fumfummugichan) January 16, 2021
この前の鬼滅とエヴァのツイートの反応から学ぶ事がいくつかあった。
反応で1番多かったのは、物語の設定について説明するコメントだったけれども、そもそもフィクション内の設定について疑問を持っているわけではなく、なぜそのような設定で物語を描いたのかの部分に私の疑問があった。— 麦ふみ (@fumfummugichan) January 23, 2021
「フィクション内の設定について疑問を持っているわけではなく、なぜそのような設定(戦士が子ども)で物語を描いたのか」が疑問ということなのでそこに絞って回答する。
当初の碇シンジはファザコンでありエヴァに乗ることからも逃げていたが、他者と接する内に成長し、父親に認められるためではなく自分がどうしたいかという意志に基づいて行動するようになる。それは子どもが大人になるということであり、エヴァンゲリオンという物語はアクション要素とわけわからん用語の羅列を除けばおよそそういうイニシエーションを描くことで成立している。
また同時に、碇シンジの周囲にいる大人たちは大人に見えて対して大人ではないということも並行して描かれる。ゲンドウをはじめとしてその誰もが未成熟で、言ってしまえば幼稚な欲望に振り回されている。子どもが大人になる物語でありつつ、周囲の大人もだましだまし大人をやってるにすぎないという身も蓋もなさがエヴァという物語でもある(そもそも人類補完計画からして他者が怖いから同化しようという幼稚な思想の産物であるし)。
鬼滅は複数の要素によって成立しているので一言ではまとまらないのだがひとつ特徴的な要素を挙げるとすると「継承」になろう。竈門家は木こりの家系だが、呼吸の始祖と関わりがあったため、竈門炭治郎は父祖から「日の呼吸」を受け継いでいる。それと同じように鱗滝左近次からは鬼殺隊の一員として戦うための基礎と水の呼吸を、煉獄杏寿郎からは心構えを受け継いだ。そうやって受け継ぐ度に炭治郎は肉体的にも精神的にも練り上げられ強くなっていく。これが大人主人公であれば受け継ぐことができないのでそういった成長を描けない。
この「大人主人公だと受け継ぐことができない」は歴代ジャンプで大人だった主人公を補助線にするとわかりやすい。北斗の拳のケンシロウ、シティーハンターの冴羽獠、るろうに剣心の緋村剣心。いずれも道を極めし者であり、子どもが大人に教えてもらうような形で何かを受け継いだり成長したりすることはできない。彼らの場合は肉体的にも精神的にも練達しているがどこか欠けたところがあって、その恢復が物語の主軸となる(ことが多い)。このように子ども主人公と大人主人公では描ける物語が違うのである。
鬼滅に話を戻すと、炭治郎たちの敵である鬼舞辻無惨は自らを天災になぞらえる怪物であり1人の人間どころか1つの時代ですら手に余る。ゆえに産屋敷家は何世代にも亘って呼吸の使い手を育ててきた。鬼舞辻無惨という怪物を倒したのは過去から現在、現在から未来へと連綿と受け継がれてきた呼吸や想いであり、炭治郎たちはその連なりの終端にいただけにすぎない。つまり鬼滅は天災のような存在と、それと戦う先人から技や心構えを受け継ぎし少年少女の物語だと言える。
ちなみに大正という時代設定も、人の命が現代よりはるかに軽かったがゆえに鬼殺隊のような人権無視甚だしい組織が描きやすかったというのもあろうが、大正で勝ち得た平和を現代で当たり前のように享受するラストシーンを描きたかったからという面もあるだろう。それが当たり前であればあるほど忘れがちだけど、その当たり前を勝ち取るためにかつて戦った人たちがいるのだ。
話を簡単にまとめると、子どもが大人になる過程でしか描けない物語があって、鬼滅もエヴァもそういうタイプの物語だ、ということ。以上。