2021-04-10

anond:20210410021602

煽りマジレスするけど、

逆に自分は見ず知らずの他人を助けたいと思うか?もし自分がそういう人間だというのなら、まず自分を助ければいい。それでこの話は終わり。

現実的には「余裕がある」人にしか他人を助けられない

よって、余裕のない自分を余裕のない自分が助けるのは現実的には不可能困難である

誰も助ける人がいないなら、助けることができうる人は自分しかない

それもまた正しいと思う

思いはするが、一方でまた、余裕がない自分自分を助けられるはずもない、というのもまた事実である

他人は変えられないが、自分は変えられる」と自己啓発本自己啓発セミナービジネスで言われる常套句であるが、本当にそうだろうか?

一見自分自分コントロール可能に思えるが、本当にコントロール可能なのだろうか?

コントロール可能であるとしても、まず疑問に思う、考えてみる、というワンクッションを置いているだろうか?

よしんばそういう善きサマリアの人が現れたとしても、「なんとかなりたい」と考えている人の方が圧倒的に助けやすいのでそっちを救いがちだ。

調べてみるとサマリア人の話の真意宗派によっても大きく分れるようであるが、

サマリア人とは異国の人という意味が込められているように思える

まり日本人が道端で困っていたが日本人は誰も助けない

しかしながら、米国人中国人日本人を助けた、といった感じの話である

助けた理由としては、隣人愛として誰であれ困っている人を助けなさいという考え方もあるだろうし、

助けてくれた米国人中国人キリスト教徒から助けただけである、という考え方もあるかもしれない

しかし、いずれにせよ、他人を助けることに何らかの見返りを求める話ではないというか、

ここで見返りとして考えられるのは神によって死後与えられる永遠の命であって、

「なんとかなりたい」と考えている人がトリアージとして優先されるとか、そういう話ではないのである

というか、トリアージと考えても、助かる人を優先するなら軽症者が優先されてしまうわけで、それはそれで変な話である

これも宗派に寄る考えであり、私の考えは異端邪教なのかもしれないが、

現実的に誰であれ助けるということは不可能であり、それは端的に述べれば人は神ではないかである

誰であれ助けることができ、助けるべきである豪語する人がいるならば、それは自分を神と思っている人である

宗教とはそういった自惚れを戒める意味もあるはずである

我々人にできるのは神様の良き考えを倣う、ベストエフォートしかありえないのである

また、イエスは例え話をするのみであり、真意ズバリと語ったり解説はしない

真意はお前が考えろ、になってます

私はシンエヴァを観に行ってはいませんが、エヴァもまたTV最初から真意ズバリと語ってはいません、謎だらけです

どうやらシンエヴァで謎を比較的具体的に直球で説明口調に語るようですが、それでも謎は残っているのではないでしょうか?

例え話ばかりする理由真意解釈によると思うのですが、

まず、例え話とか回りくどい話し方をすれば考える人は考えるはずです

例えば、エヴァというアニメが何が言いたいのか分からない、と思ったとして、

そこでエヴァは難しいからもう観ない、という人と、

いや、何が言いたいのか知りたい、謎の真実改名したい、考え続けたい、という人に分かれると思うのです

ここで、エヴァが何が言いたいのか分からん、難しいからつまらない、もう観ない、

という人と同じように、イエスが語るのは例え話ばかりだ、何が言いたいのか分からん

という人はそこで考えるのを放棄してしまタイプなのです

イエスとしても、神様がそういう回りくどいことを言っていて、自分はそのまま伝えてる面もあるので、

意味が分からないと言われても、俺が説明するよりお前らひとりひとりが考えて見つけろよ、

ということでもあると思うのです

それから、これもエヴァに例えることもできると思うのですが、

分かる人には分かる、

という意味とも考えられます

そういえば、早稲田インタビューで、人類補完計画って何だったんですかね?みたいな質問に対し、

庵野氏が、分かる人には分かると思うですけどね…、と語るに留め、それ以上は語ってなかったと思うのですが、

まあ、そういうことです

イエスというか、神様的には、例えで書いても分かる人には分かるんで…、ということであり、

逆に刺さらない人には刺さらない話なんで、そういう人たちは自分の客ではないのでどうでもいいです、

ということだとも考えられます

結論として、これもエヴァに例えられると思うのですが、

善きサマリア人って何やねん?

というのも、当時の人々でないと当時の空気感が分からなかったりするわけで、真意が掴みづらいと思うのです

エヴァだってシンエヴァだって、これから50年後、100年後に初めて観る人たちからすれば、

この人たち何を言い争ってるの?バカなの?

みたいに思われるかもしれません

シンゴジラだってそうでしょう

原発事故なんて100年後には忘れ去られてしまって、その頃の子供たちが観たら、

ふーん、歴史教科書原発事故は知ってたけど、当時は話題だったんだねー、と思われるだけかもしれません

しかしながら、善きサマリア人の話には、相手に助けがいがあるかといった見返りを求める話には思えないはずです

見返りがあるとすれば、それは聖書で述べられているように永遠の命であり、しかしそれは死後に与えられるものです

当前ですが、他人を助ける、聖書に記されたことを守れば、不老不死メトセラになれるという話ではないのです

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